シンガーのメアリ・マクパートランが亡くなりました。享年65歳はやはり早いでしょう。長年、病気だったそうではあります。死去にあたって、ヒギンズ大統領も弔意を現しました。
あたしが彼女の歌に初めて触れたのは2003年にデビュー・ソロ《THE HOLLAND HANDKERCHIEF》を聴いたときでした。ドロレス・ケーンやニーヴ・パースンズを思わせる、重心が低く、太い声にはたちまち魅了されました。マレード・ニ・ウィニーやメアリとカラのディロン姉妹のようなソプラノもこたえられませんが、ドロレスやニーヴや、そしてこのメアリのような、アルトよりもさらに低く響く、芯がしっかり通った声こそはアイルランドの伝統の土台だと思います。
マクパートランの歌唱にはイングランドのジューン・テイバーにも通じる高潔なキャラクターが窺えます。他のアイルランドの伝統シンガーにはあまり感じたことがありません。歌をうたうようになる源泉はタイローン出身でとにかく歌を唄うことが日常生活の不可欠の一部だった母親だそうで、ひょっとするとアルスターの歌の伝統にある流れかもしれません。そういえばロージー・スチュアートの歌唱にあるものに通底する、抗いようのない慣性を備えます。
ちょっと聞くと歌うことが三度の飯より好きなおばさんがひたすら唄っているようでもあり、実際そうなのかもしれませんが、抑えようもなく突破してくるそのパワーは圧倒的でもあります。歌が巧いというより荒削りに聞えたりもしますが、むしろシンガーとしての存在を消して、歌そのものを押し出そうと、それも無意識のうちにやっていて、それが高潔な印象を生むとも思えます。
ファーストでは名伯楽P・J・カーティスがその気高く重い慣性をしっかりと受け止め、本人のうたの魅力を壊さず、親しみやすいフォームを設定して、録音作品として魅力的に仕立てています。飾りにはちがいありませんが、あくまでもうたをひきたてる飾りです。支えるバックは、シェイマス・オダウド、リアム・ケリィ、トム・モロウのダーヴィッシュ勢に、マーティン・オコナー、パディ・キーナン、カハル・ヘイデンと、隙がありません。当時、マクパートランが住んでいたゴールウェイのメアリ・ストーントンまでコーラスで参加しています。オダウドの貢献は顕著で、エレクトリックまで見事に操り、そのギターで全編のあじわいを深めています。ハイライトとしてはまずシェイン・マクガワンの〈ソーホー雨の夜 Rainy night in Soho〉。
生まれはリートリムですが、ゴールウェイに長く住んでいた由。1970年代に Calypso というデュオをやっていたそうですが、歌うだけでなく、劇団を立ち上げたり、テレビのプロデューサーをやったり、大学で研究し、教えたりもしています。現在の the Gradam Ceoil TG4 awards も彼女のアイデアだそうです。シンガーとしての録音は全部で3枚。セカンド《Petticoat Loose》2008 はファーストの流れのようですが、3枚めの《From Mountain to Mountain》2016 はアメリカのジーン・リッチーの歌に惚れこみ、これを自分なりに唄いなおしたものだそうです。アメリカの黒人ジャズ・ピアニスト Bertha Hope とニューヨークで録音し、これにさらにアイルランドでの録音を加えています。
最後のアルバムとなった《From Mountain to Mountain》のレコ発のためにアイルランドに来たジーン・リッチーの息子 Jon Pickow は、母親のアイルランド音楽採集旅行に触れ、セーラ・メイケムをはじめとするシンガーたちと出会って、母はその歌唱に深い影響を受けた、母にとってアイルランドに来ることは故郷に帰ることで、そこで聴いた歌はかつてアパラチアで聴いて育った古老たちの歌にもう一度浸ることだった、と語っています。マクパートランはリッチーが持ち帰って熟成させた歌を、さらにもう一度アイルランドに持って帰った。音楽はこのように往ったり来たりして、さらに豊かになってゆくのです。
2016年5月31日付 Irish Times のインタヴューでは、アメリカの黒人音楽の奥深くへの旅はまだまだ続いている。自分は実験好きで革新を進める人間で、そのプロセスをここにもあてはめたい、どこへ行くかわからないが、そこへ向かっている、と語っていました。その成果が形にならないまま別の旅に発たれてしまったのは残念。
まずは、残された3枚の録音に耳を傾けるとしましょう。合掌。(ゆ)