クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:歌謡

 シンガーのメアリ・マクパートランが亡くなりました。享年65歳はやはり早いでしょう。長年、病気だったそうではあります。死去にあたって、ヒギンズ大統領も弔意を現しました。

 あたしが彼女の歌に初めて触れたのは2003年にデビュー・ソロ《THE HOLLAND HANDKERCHIEF》を聴いたときでした。ドロレス・ケーンやニーヴ・パースンズを思わせる、重心が低く、太い声にはたちまち魅了されました。マレード・ニ・ウィニーやメアリとカラのディロン姉妹のようなソプラノもこたえられませんが、ドロレスやニーヴや、そしてこのメアリのような、アルトよりもさらに低く響く、芯がしっかり通った声こそはアイルランドの伝統の土台だと思います。

 
The Holland Handkerchief
McPartlan, Mary
Mac P
2004-03-29


 マクパートランの歌唱にはイングランドのジューン・テイバーにも通じる高潔なキャラクターが窺えます。他のアイルランドの伝統シンガーにはあまり感じたことがありません。歌をうたうようになる源泉はタイローン出身でとにかく歌を唄うことが日常生活の不可欠の一部だった母親だそうで、ひょっとするとアルスターの歌の伝統にある流れかもしれません。そういえばロージー・スチュアートの歌唱にあるものに通底する、抗いようのない慣性を備えます。

 ちょっと聞くと歌うことが三度の飯より好きなおばさんがひたすら唄っているようでもあり、実際そうなのかもしれませんが、抑えようもなく突破してくるそのパワーは圧倒的でもあります。歌が巧いというより荒削りに聞えたりもしますが、むしろシンガーとしての存在を消して、歌そのものを押し出そうと、それも無意識のうちにやっていて、それが高潔な印象を生むとも思えます。

 ファーストでは名伯楽P・J・カーティスがその気高く重い慣性をしっかりと受け止め、本人のうたの魅力を壊さず、親しみやすいフォームを設定して、録音作品として魅力的に仕立てています。飾りにはちがいありませんが、あくまでもうたをひきたてる飾りです。支えるバックは、シェイマス・オダウド、リアム・ケリィ、トム・モロウのダーヴィッシュ勢に、マーティン・オコナー、パディ・キーナン、カハル・ヘイデンと、隙がありません。当時、マクパートランが住んでいたゴールウェイのメアリ・ストーントンまでコーラスで参加しています。オダウドの貢献は顕著で、エレクトリックまで見事に操り、そのギターで全編のあじわいを深めています。ハイライトとしてはまずシェイン・マクガワンの〈ソーホー雨の夜 Rainy night in Soho〉。

 生まれはリートリムですが、ゴールウェイに長く住んでいた由。1970年代に Calypso というデュオをやっていたそうですが、歌うだけでなく、劇団を立ち上げたり、テレビのプロデューサーをやったり、大学で研究し、教えたりもしています。現在の the Gradam Ceoil TG4 awards も彼女のアイデアだそうです。シンガーとしての録音は全部で3枚。セカンド《Petticoat Loose》2008 はファーストの流れのようですが、3枚めの《From Mountain to Mountain》2016 はアメリカのジーン・リッチーの歌に惚れこみ、これを自分なりに唄いなおしたものだそうです。アメリカの黒人ジャズ・ピアニスト Bertha Hope とニューヨークで録音し、これにさらにアイルランドでの録音を加えています。

Petticoat Loose
McPartlan, Mary
Mac P
2008-03-18


From Mountain to Mountain
Mary McPartlan
Imports
2016-05-13



 最後のアルバムとなった《From Mountain to Mountain》のレコ発のためにアイルランドに来たジーン・リッチーの息子 Jon Pickow は、母親のアイルランド音楽採集旅行に触れ、セーラ・メイケムをはじめとするシンガーたちと出会って、母はその歌唱に深い影響を受けた、母にとってアイルランドに来ることは故郷に帰ることで、そこで聴いた歌はかつてアパラチアで聴いて育った古老たちの歌にもう一度浸ることだった、と語っています。マクパートランはリッチーが持ち帰って熟成させた歌を、さらにもう一度アイルランドに持って帰った。音楽はこのように往ったり来たりして、さらに豊かになってゆくのです。

 2016年5月31日付 Irish Times のインタヴューでは、アメリカの黒人音楽の奥深くへの旅はまだまだ続いている。自分は実験好きで革新を進める人間で、そのプロセスをここにもあてはめたい、どこへ行くかわからないが、そこへ向かっている、と語っていました。その成果が形にならないまま別の旅に発たれてしまったのは残念。

 まずは、残された3枚の録音に耳を傾けるとしましょう。合掌。(ゆ)

 山中さんはこれ以外の3月のライヴは全部中止になり、ほぼ1ヶ月ぶりの公演の由。人前で演奏することの歓びと緊張をあらためて感じたと言われる。あたりまえだったことがあたりまえでなくなると、そのあたりまえが奇跡の連続であることにあらためて気づくのは、演者もリスナーも同じ。

 その緊張感からか、歓びからか、あるいは両方の作用か、演奏の質はさらに上がっている。このレベルの人に延びしろなどというのは失礼だが、このレベルの人が、前より明らかによくなっていると実感させるのは、並大抵の精進の結果ではないはずだ。これまで聴いたことのある曲のはずなのに、まったくの初体験に聞える。そして一つひとつの音、フレーズがくっきりと明瞭でかつ芯が通り、体にぶつかってくる感じさえする。オリジナル曲のベースは津軽三味線なのだろうが、そういう範疇は完全に超えて、三味線という楽器による同時代音楽に他ならない。疫病の流行という現下の事態がその音楽をさらに大きなものにして、音楽はわれわれを、世界を包みこむ。

 山本さんの歌も凄い。これまたこれまでで最高の歌唱だ。唄うことの歓び、唄えることの愉しさに満ち満ちて、滔々と流れこんでくる。山中さんに言わせると、同じ曲でも他の人のは「民謡」だが、山本さんのは歌なのだ。これには深く納得する。「人がそこにいて唄っている」のだ。何かの型にはめようとか、誰かの為に、とかいった他念がない。歌は山本さんの奥から流れ出てくる。山本さんという存在を蛇口としてほとばしる。だから山中さんが伴奏をつけるのは山本さんだけだ。

 山本さんが人前で唄う機会はそう多くないらしい。民謡協会の大会などに出るときは1、2曲が普通だそうだ。ここでは7曲。何を唄うかは何も決めておらず、その場で2人で相談して決めてゆく。それがまたいかにも楽しげだ。〈津軽山唄〉は普通は尺八伴奏でうたうものだそうで、フリーリズムだが、山中さんが三味線でつける伴奏にはどこにも無理がない。

 人間が生きるのに音楽はやはり必要なのだ。人はパンのみにて生くるものにあらず。しかり、人が人らしく生きるには音楽は必須である。そして音楽とは生が基本。ライヴは文字通り、なにものにも替えがたい。

 山本さんと山中さんのMCがまた巧い。ウケようという雑念は無いが、ウケるだろうことを冷静に計算してもいる。たくらんでいるのか、いないのか、いや、やはりたくらんでいるのだろうが、そうとは見せない。そこが気持ちいい。

 大いに笑わせてもらい、最高の音楽を聴かせていただき、免疫力もぐんと上がった気分。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

山中信人:三味線
山本謙之助:歌

 アウラは2003年結成、というのは今回初めて披露されたのではなかったか。少なくともあたしは初めて知った。メンバーが変わっているとはいえ、聴くたびに成長している、それも、明瞭に良くなっているのがわかるのは、15年選手としては立派なものではある。

 前回は、新たに加わった2人が他の3人に追いついて、レベルが揃ったことで、ぱっと視界が開けたような新しさがあったが、今回はそのまま全員のレベルが一段上がっている。安定感が抜群だ。レベルが揃ってさらに一段上がったことで、それぞれの個性も明瞭になる。まず5人各々の声の性格が出てくる。個人的には星野氏のアルトと菊池氏の声がお気に入りで、今回はそれがこれまでにも増して素直に耳に入ってくるのが嬉しい。菊池氏の声には独特の芯が通っている。他のメンバーの声がふにゃふにゃというわけではもちろん無い。これは声の良し悪し、歌の上手下手とは別のことで、おそらくは持って生まれた声の質だろう。この芯があることで、たとえば長く伸ばす時、声がまっすぐ向かってくる感じがする。この感覚がたまらない。

 ライヴでは唄っている姿も加わって、この点では奥脇氏が今回は頭抜けている。とりわけ、目玉の〈ボヘミアン・ラプソディ〉での、天然な人柄がそのまま現れたような、いかにも楽しそうな唄いっぷりは、この曲の華やかさを増していた。そろそろこのメンバーで全曲録音した新譜をという話も出ていたのは当然。レパートリィも大幅に入れ換わっているし、録音でじっくり何度も聴きたい。

 曲目リストを眺めると、何時の間にか日本語の歌が大半を占めている。こういうクラシックのコーラス・グループにとって、日本語の歌を唄うのはチャレンジではないかと愚考する。クラシックの発声は当然ながら日本語の発音を考慮に入れていない。あれは印欧語族の言葉を美しく聞かせるための発声だ。そのことは冒頭の〈ハレルヤ〉や後半オープニングの〈ユー・レイズ・ミー・アップ〉、あるいは上記〈ボヘミアン・ラプソディ〉を聴けば明らかだ。こういう曲を開幕やクライマックスなどのポイントに配置するのも、その自覚があるからだろう。それにしても、〈ハレルヤ〉をオープニングにするのは、大胆というか、自信の現れというか、これでまずノックアウトされる。

 クラシックの発声で日本語の歌を美しく唄うための試みの一つは、ヨーロッパのメロディに日本語の歌詞を載せることだ。〈Annie Lawrie〉に載せた〈愛の名のもとに〉は前から唄っていたが、今回は〈Water Is Wide〉に日本語のオリジナルの歌詞を載せた〈約束〉を披露した。むろん水準は軽くクリアしているが、アウラに求められるような成功には達していない気もする。どこが足りないか、あたしなどにはよくわからないが、メロディと日本語の発音の組合せが今一つしっくりしていないように聞える。唄いにくそうなところがわずかにある。

 その点では沖縄の歌の方がしっくりなじんでいる。あるいは日本語の民謡や〈荒城の月〉もなじんでいるようだ。とすると、メロディと発音の関係だろうか。ヨーロッパでも、たとえば本来アイルランド語の伝統歌を英語で唄うとメロディと歌詞がぶつかる、とアイルランド語のネイティヴは言う。

 あるいは詞の問題か。ヨーロッパのメロディに日本語の詞を載せることは、明治期になされて、小学校唱歌として残っている。現代の口語よりも、明治期の漢文調の方が、異質のメロディには合うということだろうか。

 アレンジはどれも見事だ。今回感じ入ったのは、詞をうたっている後ろでうたっているスキャットやハミング、あるいは間奏のアレンジがすばらしい。たとえばわらべうたの〈でんでらりゅう > あんたがたどこさ〉のメドレー。そして〈星めぐりの歌〉のラストの星野氏のアルトがぐんと低く沈むのは、今回のハイライト。

 安定感ということでは、最初から最後まで、テンションが変わらない。以前は、ラストやアンコールあたりで、エネルギーが切れかけたようなところもあったが、今はもうまったく悠々と唄いきる。クラシックのオーケストラなどでは、最初から最後まで常に音を出している楽器は皆無なわけで、2時間のコンサートで全曲、全員が最初から最後まで音を出す、それも声を出し続けるのは、相当のスタミナが必要なはずだ。アウラが観光大使になった沖縄本島は金武町のとんでもなく量の多いタコライスを食べつくすというのも無理はない。

 ああ、しかし、人間の声だけのコンサートの気持ち良さはまた格別。彼女たちが婆さんになった時の歌を聴いてみたいが、そこまではこちらが保たないのう。(ゆ)

 エージングというとスピーカーやヘッドフォン、イヤフォンなどで、使っているうちにだんだん音が練れて良くなり、聴くのが楽しくなってくる現象だ。音の出口ばかりでなく、アンプやケーブルでもある。

 これが人間の声でもありうるのではないか、と奈加さんの歌を聴いていて思った。奈加さんの歌を聴きだして5、6年だが、ここのところ、声が変わってきたように感じていた。

 歌においての声はもちろん声帯から出る生来のものだけではない。舌や歯や唇やの作用も入っている。発声だけでなく、言葉の発音が融合している。唄う声にエージングがあるとすれば、声帯がその歌に合うように練れてくるだけでなく、舌や唇の発音もまた練れてくるのだろう。

 その効果が明瞭に聴きとれたのは最新作の《Slow & Flow》で、タイトルどおり、テンポをできるだけ落として、ゆっくりと唄われる言葉がそれは快く響く。

 聴いていて気持ちが良いというのは、実のところ、聞き手にとっては最高の体験だ。どんなに美しい声で唄われても、1曲聴けばもうたくさん、ということもありえる。しかし、この日の奈加さんの声は、とにかく、ずっと浸っていたくなる。おしゃべりはいいから、早く唄ってくれ、あの快感に浸らせてくれ、と言いたくなる。

 アイルランド語の歌で快感がとりわけ大きい。奈加さんの声は「イ」の音でよく膨らむ傾向があって、それが少し低めの中音域にかかるとさらに膨らむ。それがうまい具合にここぞというところで出る。もう、たまりまへん。

 今回はピアノの永田さんと二人だけで、これだけシンプルな編成も初めてだ。永田さんは2曲ほどピアニカを使ったりもするし、1曲、〈Tell Me Ma〉で、お客さんの一部に鈴のパーカッションの協力を仰いだりしていたが、それでかえって二人だけの時の、贅肉を削ぎ落としたどころか、ほとんど骨と皮だけの歌の凄みが浮かびあがる。空間に奈加さんの声が屹立する。それが、とにもかくにも、気持ちよいのだ。

 英語の発音も一段とナチュラルに、ネイティヴに近く聞える。日本語訛で唄われるのが味になることもあるが、やはりその言語本来の発音で唄われる時、歌は最も生き生きする。このことは、先日の古川麦氏の歌でも実感した。奈加さんは古川氏のようなバイリンガルではないが、精進すればここまで行けるのだ。

 最近、アイルランド大使館からお呼びがかかって、大使館のイベントで演奏することが多いそうだが、ネイティヴが聴きたいと思うところまで、奈加さんの歌が到達しているとも見える。

 面白いのは、後で聞いたら、ご本人は今日は声の調子が今一つと思いながら唄っていたそうで、それでもあれだけ気持ちよく響くのは、それだけ高いところまで行っているとも見えるし、音楽という現象の玄妙なところでもある。(ゆ)

 奈加さんは力の抜き方がうまくなったのだ。ライヴを見て、ようやく納得がいった。新作では、どの歌もゆったりと唄いながら、粘りとタメがたっぷりと効いて、歌の良さを十二分に聞かせてくれる。正直いって〈ラグラン・ロード〉がこんなに良い歌だとは、これまで思いもしなかった。

 力を抜くとは声を出す時にまったく力まない。もともとそれが巧い人だったが、一皮剥けて巧くなっている。同時にアクセントの置き方、いつどこでどれくらいの強さで置くかも巧い。さらに息継ぎのタイミングのとり方がまた良い。そうすると、とりわけリズミカルではない歌でも、うねりが快くなる。

 とどめに、ここぞという時の声の響かせ方。〈丘の上にて〉が典型的だが、音程を低めにとるから丸味を帯びる。丸く膨らむ。

 サポート陣ではこの奈加さんの声の質と唄い方を最も効果的に増幅していたのが関島岳郎さんのチューバとグランド・バス・リコーダー。とりわけチューバがすばらしい。ベースのドローンはこの楽器ならではだが、その響きがさらに良いのは、この会場の音響の良さもあずかってはいるだろう。これのハイライトは前半ラストの『リバーダンス』からの〈Home and Heartland〉。チューバのおかげで、うたの巧さが映える。〈スカボロ・フェア〉でのチューバの間奏もたまらん。とにかくチューバが歌伴、それもスローな歌を伴奏して、歌がこんなにふくらむのは、これまで聴いた覚えがない。関島さんならではでもあろう。

 中村大史さんはほとんどがギターで、控え目に下を支えていたが、〈Foggy Dew〉で弾いたブズーキが良い。イントロでメロディをフリーリズムで弾き、その後はマーチ風のビートを刻む。こういうブズーキならもっと聞きたかった。

 ピアノの永田雅代さんはいつも変らぬ、しっかり支えながら、さりげない存在感をみせるが、今回はいつもよりもぐっと控え目ではある。新作のコンセプトが奈加さんの声と唄を前面に押し出すことであるせいでもあろう。それでも〈庭の千草〉の間奏は、やはりこの人ならでは。

 ここは松田美緒さんがやはりレコ発をやった時以来。あの時も人の声と生楽器がすばらしく響いた。とんでもなく天井が高い空間は、ミュージシャンにとってもやりやすいようだ。中村さんは久しぶりだそうだが、ここでやると聞いただけで気分が昂揚したという。

 新作があまりに良かったので、と名古屋から大野光子さんも駆けつけたし、松村洋さんも見えていた。その新作のタイトル "Slow & Flow" は、コンサティーナの師匠メアリ・マクナマラが口癖のように言っているアイリッシュの極意だそうだ。そこに到達するのは、アイリッシュ・ミュージックの理想の一つではある。奈加さんはこのアルバムでそこに足をかけている。こんなものを作ったら、次はどうすればいいのだ、という声も聞えないでもないが、今はそんな心配は後回しにして、新作をひたすら聞きこみたい。アイリッシュやケルトという枠をはずしても、ヴォーカルのアルバムとして、これは出色のものである。(ゆ)


Slow & Flow
奈加靖子
cherish garden
2018-12-09



Beyond
奈加靖子
cherish garden
2015-12-13


sign
奈加靖子
cherish garden
2012-10-14


 3年前の正月に初めて体験して仰天したシンガー、台湾の先住民のひとつ、タロコの東冬侯溫が御忍びで来るとのことで、ミニ・コンサートがあります。

 東冬侯溫のあの声は唯一無二。先日来た、やはり台湾の別の先住民の以莉・高露の声も凄かったけど、あの人の声はあくまでの人間の声。東冬侯溫の声はこの世ばなれしているところがあります。人間の喉から出ているとは思えません。少なくとも人間の喉だけから出ているとは思えん。あたしは神とは言いませんが、この宇宙を造り、動かしている力が宿っているように聞えます。これは録音では聴けたとしてもごく一部で、生を聴かないとわからない。歌そのものもたいへん面白い。人の声と歌に多少とも関心があるなら、体験すべきでしょう。

 かれはシャーマンでもあって、3年前のときもコンサートの前に、観客代表も招いて、その場を潔め、また終った後、場を解く儀式もしてました。それも面白い体験でした。今回もやるのかな。

 以下、いただいた情報を転載します。会場は30人も入ればいっぱいのところらしいので、予約は必要でしょう。(ゆ)


「山の記憶を追って  
~タロコの里よりマレビト静かに再来日~」

3年前の来日公演で聴き手を震撼させた台湾・花蓮のタロコのシャーマン後継者、東冬侯温(トントン・ホウウェン)が一番弟子テムー・バサオと共にお忍び来京することになり、急遽ミニライブを企画いたしました。アットホームな場でおしゃべりを楽しみながらのライブとしたいと思っています。ぜひお出かけ下さい。

12/19(水) 19:00開演(20:40終演予定) 

小田急線 読売ランド前駅北口の「ちゅうりん庵」

お代:2500円(前売り当日共)
前座を私共アンチャン・プロジェクトが相務めます。
小さなスペースです。必ずご予約下さい。
ご予約・お問い合わせ:アンチャン・プロジェクト(安場 淳  rxk15470@nifty.com)

 今回はシンプルに永田さんのピアノと庄司祐子氏の縦笛、それにご本人のハープ。最後に1曲だけ、〈Tell Me Ma〉でコンサティーナという編成で、意図としては唄を聴いてくれ、ということだろう。

 庄司氏はホィッスル、ロウ・ホイッスル、リコーダー、バス・リコーダーを持ち替える。唄の途中でも持ち替える。当人も低音が好きと言うが、ロウ・ホイッスルやバス・リコーダーがいい。前回、関島さんが身長より長くて音域の低いグレート・バス・リコーダーを使われたのも良かったが、バス・リコーダーはその半分くらいの長さで、音域はあそこまで低くないが、より柔かい音がする。あるいは楽器の種類だけでなく、楽器そのものの特性も関係しているのかもしれない。

 ピアノと笛という対照もなかなか面白い、とこうして二度続けて聴くと思う。案外、この二つだけの組合せは少ない、というよりほとんど無いんじゃないか。奈加さんの声の性質もあるかもしれない。永田さんはもちろん奈加さんの声に合わせて弾いているので、どちらかというと柔かい音を出すから、それが笛と調和することもあるだろう。それもフルートよりも縦笛、さらにホィッスルよりもリコーダーの類。つまり、より柔かい響きの楽器との組合せが、奈加さんの声には合うように聞える。

 これが一番よく現れていたのは〈丘の上にて〉で、ロウ・ホイッスルからバス・リコーダーへ途中で持ち替えたのが効いていた。

 全体に、奈加さんの声の輪郭がこれまでより際だって聞えた。とりわけ良かったのは、3曲めにやった『リバーダンス』からの歌〈Heartland〉で、奈加さんのうたい手としての特質にモロにはまっている。してみると〈Annachie Gordon〉のような歌も聴いてみたくなる。

 それにしても映画『静かなる男』の挿入歌があるかと思えば、一方でシャン・ノースの試みもするというのは、ずいぶんと幅が広い。イェイツの "Stolen Child" に新たにメロディをつけたものも良かった。聞いた覚えがあるが、思い出せんかったが、ロリーナ・マッケニットと後で教えてもらう。

 奈加さんのアイルランド語はあたしの耳にはどちらかというとマイレト・ニ・ゴゥナルに近く、発音が明瞭だ。一方で、日本語訛というのではないが、アクセントというか、メロディの中での音の軽重のつけ方にアイルランド語ネイティヴでは聞いたことのないところがあって、意表を突かれた。ここは分水嶺になるかもしれない。

 新作の製作を開始しているとのことで、後でこっそり聞いたら、年内リリース目標だそうだが、今までよりもシンプルに、この日の組立てのように、本人の唄を前面に出す狙いだそうだ。奈加さんの録音はどれもバックがかなりしっかり組み立てられていて、それも大きな魅力ではあるけれど、ライヴを聞いていると、もっと唄に集中したくなる。ピアノだけとか、ギター1本のみ、あるいはピアノと笛に絞るのはぜひ聴きたい。

 奈加さんのファンは年齢層が幅広い。ごく若い人からあたしよりも上の人たちも結構おられる。松井ゆみ子さんが見えていて、久闊を叙す。アイルランドの地にすっかり溶けこんで、子どもたちとかなり音楽を楽しんでおられる様子なのは、やはりかの地ならではだろう。アイルランド人向けに弁当の本を作っておられるそうで、できあがったら、ちょいと見てみたい。なんでもヨーロッパでは弁当がブームで、弁当箱はそこらで売っているのだが、何をどういう風に入れるのかわからないらしい。見ちゃおられんというので、旨い弁当の作り方を提案する気になったのだそうだ。これも楽しみ。

 中目黒の楽屋にはアップルタイザーがあるのが嬉しい。神保町には無いのよね。ぜひ、あちらにも入れてくだされ。(ゆ)


Beyond
奈加靖子
cherish garden
2015-12-13


sign
奈加靖子
cherish garden
2012-10-14


 とんでもないものを聴いてしまった。この声は、唄は、世界を変える。聴く前と後では、同じではいられない。たとえ、同じだと当初思ったとしても、時間が経つにつれて、同じではいられなくなっていることがわかってくる。

 宮古島の歌には多少の心組みもあった。つもりだった。しかし、この與那城美和氏の唄はこれまで聴いた琉球弧の伝統歌のどれとも違う。もっと古い感じがある。実際、三線の導入で宮古の古い歌が変わってしまったと言われる。

 三線は中国大陸からやって来たもので、歌がそれ以前から唄われていたことは確かだろう。三線は当然その歌とは別の伝統から生まれているので、宮古の古い歌がそれを伴奏にすることで変化したのもうなずける。もっともこのことはどんな伝統楽器でもありえるので、アイリッシュ・ミュージックにしてからが、現在そこで伝統楽器とされているものは、ホィッスル以外はすべて外来の楽器なので、各々の楽器によってアイリッシュ・ミュージックが変化している。とはいえ、それ以前の音楽がどういうもので、どう変化しているのかは今となってはもう解明する術はまず無い。

 宮古の場合にはそれができたらしい。共演のダブル・ベースの松永誠剛氏によれば、與那城氏は古い版と三線以後の版を唄い分けることができるそうだ。そしてこの日、與那城氏が唄われたのはその古い歌だったのだろう。

 あたしの体験内で最も近い音楽をあげれば、まずアイルランドのシャン・ノース歌謡だ。あるいはこの日、「前座」のDJでバラカンさんがアナログでかけたブルガリアはピリン地方の女性のアカペラ歌唱。はたまた、中央アジアの草原に棲む人びとの、それぞれの集団を代表する女性のうたい手たちが唄う伝統歌。歌の伝統の根源にまで降りたち、そこで唄ううたい手。音楽の、最も原初に近い、つまりはわれわれの存在そのものの根源に最も近い唄。

 與那城氏の声はとても強い。強靭な芯を強靭な肉が包み、すべてを貫いて聴く者の中に流れこむ。さして力を籠めているとも見えない。本人にとってはごく自然に、唄えばこういう声になるとでもいうようだ。粗方、客も帰った後で、なにかホールの響きについて話していたのか、その響きを確認するようにいきなり声を出されたが、それはさっき唄っていたのと全く同じ声だった。

 声域はメゾソプラノぐらいか。高い方はどこまでも澄む。低い方はたっぷりと膨らむ。そして、強いだけでなく、あえかに消えてゆく時の美しさ。声のコントロールということになるのかもしれないが、これまたごく自然に消えてゆく。

 ぴーんと延びてゆくかと思えば、絶妙なコブシをまわす。いつどこでコブシを入れるかは、決まっているようでもあり、即興のようでもある。

 傍らのダブル・ベースはまるで耳に入らないようでもあり、見えない糸で結ばれているようでもある。

 歌詞はもとよりわからない。英語以上にわからない。これまたアイルランド語のシャン・ノースと同じだ。しかし、歌に備わる感情はひしひしと伝わってくる。というよりも、これまたシャン・ノースと同じく、感情は聴く者の中から呼び起こされ、点火される。その感情に名はない。つけようもない。哀しいとか嬉しいとか、そんな単純なものではない。もっと深い、感情の元になるもの。

 宮古の言葉がどういうものか、宮古の言葉で宮古の紹介をしゃべる一幕もあった。沖縄本島はもとより、石垣島でも通じないそうだ。宮古の島の中でも少しずつ違うらしい。言葉だけでなく、顔もまたローカルな特徴があり、與那城氏はまったく初対面の老婦人に、出身地を最も狭い単位まで言い当てられたこともあるそうだ。アイルランドのドニゴールで、マレード・ニ・ウィニーとモイア・ブレナンの各々出身の村はごく近いが、言葉が微妙に違うという話を思い出す。

 松永誠剛氏のダブル・ベースも単純にリズムを刻むのには程遠い。冒頭、いきなりアルコでヴァイオリンのような高音を出す。全体でも指で弾くのとアルコは半々ぐらい。伴奏をつけるというよりは、與那城氏の唄に触発された即興をあるいはぶつけ、あるいは支え、あるいは展開する。唄にぴったり寄り添うかと思えば、遠く飛び離れる。唄の邪魔をしているように聞える次の瞬間、唄とベースが一個の音楽に融合する。こんなデュオは聴いたことがない。

 もちろんノーPAだ。会場はそう広くないが、相当に広いホールでも、おそらくPA無しで問題ないだろうと思われる。音圧という用語があるが、それよりも声の存在感、声が世界を変えてしまうその有様は、おそらく生でしかわからない。会場で販売されていたお二人のCDは買ってきたが、是非また生で体験したい。

 松永氏は結構おしゃべりで、話が音楽と同じくらいの時間だが、むしろそれくらいがちょうどいい。しゃべりも快い。與那城氏と彼女が体現する宮古の伝統にぞっこん惚れこんでいるからだ。

 ライヴに先立って、1時間、ピーター・バラカンさんがDJをされる。松永氏は songlines ということを考えていて、各地の歌は見えない線でつながっているというものらしいが、バラカンさんなりの songlines を見出すような選曲。そのリストはバラカンさんの Facebook ページに上がっている。

 さすがの選曲で実に面白かった。あたしにとっての発見はアフリカ系ペルー人という Susana Baca の唄。およそラテンらしくない、すっきりとさわやかな音楽で、一発で好きになる。

 対照的にサリフ・ケイタの Soro からの曲は、時代を感じてしまったのは、後でバラカンさんご自身も認めていた。ケイタの唄や女性コーラスはいいのだが、あの80年代のチープなシンセの音がほとんどぶち壊しなのである。これはケイタにとって不幸なことだし、おそらくあの時期に世に出た、「ワールド・ミュージック」の録音全体にとって不幸なことだ。もちろんどの時代の録音にも、時代に限られる部分と時代を超える部分があるものだが、あのシンセの音にはその超えてゆくところをもひきずり下ろすものがある。

 バラカンさんの時は、この安養院瑠璃講堂備えつけのタグチ・スピーカーが大活躍していた。システムはゼロから田口氏が設計・製作されたもので、正面と背面の他に、頭上の鴨居の部分にあたるところに据えつけた特殊な形のものに加えて、高い天上から吊り下げたユニットまであって、良い録音ではまさに音楽に包まれる。上述のスザーナ・バカの録音などはその代表だった。田口氏ご自身も見えていて、終演後、背後の正面のものよりは小さめのスピーカーのカバーをとって説明してくださる。全て平面型の小さなユニットを縦に連ねて、その脇にリボン・トゥイータをやはり縦に連ね、下に二発、ウーハーにあたる平面型のやや大きめのユニットがある。ちょうど昔のマッキントッシュのスピーカー・システムに似ている。

 備品のラックスマンのターンテーブルを使って、バラカンさんも2曲、アナログをかけたが、ここでデッドのアナログ大会をやってみたい、それも客として聴きたいものではある。

 安養院瑠璃講堂は音楽を聴くには最高の施設の一つだが、困るのは周辺に食べ物屋が無いことで、ここに来るといつも夕飯を食べそこなう。この次は環七沿いのドライブイン・レストランを試してみるか。(ゆ)


 なんとも面白い講演だった。日本におけるラテン音楽の吸収、といえば、歴史的には安土・桃山時代に南蛮文化の一環として入ってきたものが最初のはずだが、その痕跡は残らなかった。音源として残っているのは昭和初期のSP音源が最古の由。当時、アメリカ、ヨーロッパではやっていたラテン音楽を一早く模倣・移入したもの。当時はやっていたものを一早く模倣・移入するというこの姿勢はその後20世紀を通じて一環している。マンボ、チャチャチャ、そしてついにはドドンパという日本独自のものまで生まれる。

 戦前の音源もおもしろかったが、思わず姿勢を正したのは戦後に入ってからだ。後藤さんは全部リアルタイムで聞いて、ご母堂や自分もうたっていたとおっしゃるが、ぼくも昨日かかったヴァージョンそのままではなくても聞いていた曲が次々に出てくる。確かにこうして聞かされればラテンとわかるが、当時はもちろんそんな認識はない。最初に聞いたラテンはたぶん『狼少年ケン』の主題歌だ。『冒険ガボテン島』もあった。

 そうして昭和の歌謡曲を作ってきたものの、小さくない部分がラテン音楽だとよくわかる。なにも言われずに聞けば、ムード歌謡、演歌にしか聞こえないうたまで出されると、歌謡曲って実は雑種、混淆音楽であることが見えてくる。岡本さんによれば、こんにちの意味での演歌なる呼称はそんなに古くない。1960年代後半に始まるのではないか。

 そうしたラテンの要素が1970年代に入るとさっぱりと消える。断絶が起きる。そして1980年代に入ったとたん、オルケスタ・デ・ラ・ルスが颯爽と登場する。そのルーツは1976年のファニア・オールスターズの来日になる。これはいわばわが国サッカーにおけるメキシコ・オリンピックの銅メダルのようなものだろう。まったく新しい世代がラテン音楽をやりだした。さらには沖縄のディアマンテスのような存在まで出現する。流行しているからというよりも、単純にかっこいい、楽しいということでやりだす。このあたりはアイリッシュ・ミュージックとも共通する。

 今回はタンゴがない。フラメンコもない。そちらは戦前からの長い歴史をもち、独自の展開をとげてきていて、今回の文脈からははずれるわけだ。後藤さんによればジャズ喫茶の前にタンゴ喫茶なるものがあったそうだ。そちらはそちらで、また別に企画されるようなので、これは楽しみだ。いーぐるのシステムでカマロンが聞けるぞ。

 それにしてもこういう文脈で聴く歌謡曲はなかなかすごい。美空ひばりは多少心組みもあったが、郷ひろみとか中森明菜とか、シンガーとして見直した。本田美奈子はラテンをうたっていなかったかな。トニー谷と共演している宮城まり子というのも他にあれば聞いてみたい。先日夢中で読んだ堀井六郎の昭和歌謡の本もあらためてこの角度から読みなおしてみたくなる。歌謡曲というスタイルまたはジャンルは、どうしても好きになれなかったが、このあたりがとっかかりになりそうだ。

 やはり知らないジャンルのこういう紹介は刺激になる。足元にあって存在は否応なく知っているものに、意外な角度から照明を当てられると、思わぬ魅力に気がつかされる。

 岡本さんの、もう好きで好きでたまらないんです、という姿勢にも共感する。選曲のためにあれこれ聴いているだけで、ひとりで盛り上がってしまった、というのもよくわかる。

 いーぐるの連続講演はこのところ面白そうなものが目白押しで、毎週でも行きたいもんだが、霞を食って生きていくわけにもいかないのが哀しい。(ゆ)
 

 札幌で Greyish Glow というユニットを永年続けておられる かんのみすず さんが東京に来られるのをきっかけに、格好の空間を得て実現した一夜は、ブリテン、アイルランドの伝統歌にたっぷりとひたれる、なんとも贅沢なものだった。

 かんのさんがブリテン、アイルランドの伝統歌をうたっておられることは聞いていたが、実際のうたに接するのは初めてで、まず声がいい。一般にこのあたりの伝統歌のシンガー、それも女性のシンガーには比較的声域の低い、クラシックで言えばアルトかそれより低い声の持主が多い(面白いことに男性のうたい手にはテナーが多い)。もともとソプラノとかは訓練しなければ出ないのだろうが、伝統歌のうたい手たちの声は力をこめなくても自然にあふれ出てくるようで、こんこんと大地から湧き出して中域から低いほうに豊かにふくらみ、滔々と流れる。かんのさんの声はこうした声のひとつで、しかも輪郭が明瞭で芯が通っている。伝統歌をうたっているからこうなったというわけではないだろうが、ふさわしい声ではある。こういう声なら何をうたわれてもいいとも思えるが、その声で英国やアイルランドのトラディショナルをうたわれると、あたしなどはもう何も言えずに降参してしまう。無伴奏でうたわれた〈The cruel mother〉のジャッキィ・マクシー版がハイライト。

 ポスターに書かれていた他の人たちはサポートと思っていたらとんでもなかった。後半、かんのさんのサポートにも回ったが、むしろそれぞれにうたを披露してくださったのには喜んだ。

 まずは木村林太郎さん。すぐれたハーパーであることはむろん知っているし、以前一度ライヴも見ている。が、こんなにうたにこだわっていたとは知らなんだ。しかもアイルランド語やスコティッシュ・ゲール語でうたわれる。眼をつむって聴いていると、いにしえのアイルランドの吟遊詩人を前にしているように思われもする。秋田のご母堂の故郷に霊感を得てつくった曲もよかった。ふだんはクラシック系ヴァイオリニストとのデュオで活動されているそうで、これはもっと追いかけよう。

 ジム・エディガーさんのライヴを初めて見る、というとモグリのようだが、そういうめぐり合わせになってしまった。この人もどちらかというとプレーヤーとしての認識だったが、うたも味わいぶかい。鍵盤アコーディオンがまるでコンサティーナのようで、アリステア・アンダースンを思い出した。奥様も達者なうたい手で、お二人のハーモニーはもっと聴きたい。

 コンサティーナの染村和代さんも1曲だけだがうれしいうたを聴かせてくれた。この〈キャリックファーガス〉はじめ、いわゆる耳タコの曲も、こうして生でうたわれると、やはり沁みる。うたはやはりうたわれてナンボだとあらためて思う。うたそのものも然ることながら、決定的なのはうたい手なのだ。

 染村さんの息子さんがフィドルで参加されたのも、あたしにはうれしい驚きだった。中学生がこういう音楽に参加してくれるのは、母親の圧力(?)があるとはいえ、頼もしい。ヴァイオリンの初めはクラシックだそうだが、ビブラートをかけない奏法も板についていて、これからが楽しみだ。わが国からもフィル・ビアやスウォブリックに肩をならべるフィドラーが生まれるか。

 会場は、「トラッド」好きの店主が昨年6月にオープンした店で、サイトのスケジュールを見ると、実に様々なライヴをかけている。音楽だけでなく、映画、落語や演劇まである。下駄履きでふらりと行けるこういう場が近くにあればなあ、とうらやましくなる。高円寺といえば、この店のある通りの少し先には「抱瓶」がある。もうずいぶん昔になるが、ここでチャンプルーズを見たことを思い出した。あの時は最後はベロベロで総立ちで踊った。トシバウロンもここのどこかでライヴやセッションをやっているようなことを言っていなかったっけ。

 Grain に話をもどせば、「Grain トラッド研究会」なんてのもあって、うーむ、ふらりと行ってみるか。そういえば、昨夜は、惜しくも閉店してしまった八重洲の料理屋のマスターも来ていて、Grain の店主ともかんのさんとも知合いで、昨夜のライヴの影のフィクサーだったそうだが、かれに北欧音楽について話を聞く、なんてのもどうだろう。あたしは聞きたい。

 このところ、ライヴといえば別方面、録音といえばデッドばかりだったが、久しぶりに、ブリテン、アイルランドの伝統音楽、それもうたにたっぷりとひたらせてもらって、うーん、やっぱりこういうのはいいですなあ。

 木村さんからは4月4日5日のライヴも教えてもらって、これは行くべえ。(ゆ)


P.S.
 かんのさんのMCでジョン・レンボーンが亡くなったことを知る。ぼくはむしろバートのファンだったから、それほどの思い入れはないが、《THE HERMIT》と《BLACK BALOON》は忘れがたい。冥福を祈る。合掌。 

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