クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:民謡

ひなのいえづと
中西レモン
DOYASA! Records
2022-07-31



Sparrow’s Arrows Fly so High
すずめのティアーズ
DOYASA! Records
2024-03-24


 やはり生である。声は生で、ライヴで聴かないとわからない。録音でくり返し聴きこんでようやくわかる細部はあるにしても、声の肌ざわり、実際の響きは生で聴いて初めて実感される。ましてやこのデュオのようにハーモニーの場合はなおさらだ。声が重なることで生まれる倍音のうち録音でわかるのはごく一部だ。音にならない、あるいはいわゆる可聴音域を超えた振動としてカラダで感じられるものが大事なのだ。ここは10メートルと離れていない至近距離。一応増幅はしていたようだが、ほとんど生声。

 ときわ座は30人も入れば一杯。結局ぎゅう詰めになる。ここはもと生花店だったのをほぼそのままイベント・スペースにしている。店の正面右奥の水道のあるブリキを貼った洗い場も蓋をして座れるようにしてある。正面奥は元の茶の間で、左手奥は台所。茶の間の手前、元は店舗部分だった部分の奥半分ほどの天井をとりはらい、2階から下が見えるようにし、2階に PA などを置いてあるらしい。マイクは立っているが、PAスピーカーは見当らない。

 楽器としてはあがさの爪弾くガット・ギターと持ち替えで叩くダホル、佐藤みゆきが時折り吹くカヴァルとメロディカ、それに〈江州音頭〉で使われる尺杖、〈秋田大黒舞〉で中西が使った鈴。どれもサポート、伴奏というよりは味つけで、主役は圧倒的に声、うただ。

 生で見てまず感嘆したのは中西レモン。《ひなのいえづと》でも感じてはいたものの、あらためてこの人ホンモノと思い知らされた。発声、コブシのコントロール、うたへの没入ぶり、何がきてもゆるがない根っ子の張り方。この人がうたいだすと、常に宇宙の中心になる。

 オープナーの〈松島節〉から全開。ゆったりのったりしたテンポがたまらない。そこに響きわたるすずめのティアーズのハモりで世界ががらりと変わる。変わった世界の中に中西の声が屹立する。

 と思えば次の〈塩釜甚句〉では佐藤のメロディカがジャズの即興を展開する。そういえば、あがさのギターも何気に巧い。3曲目〈ひえつき節〉はギター1本に二人のハモりで、そこに1970年代「ブリティッシュ・トラッド」のストイックなエキゾティズムを備えたなつかしき異界の薫りをかぎとってしまうのは、あたし個人の経験の谺だろうか。しかし、この谺は録音では感じとれなかった。

 美しい娘が洗濯しているというブルガリアの歌が挿入される〈ザラ板節〉がまずハイライト。この歌のお囃子は絶品。

 圧巻は6曲目〈ざらんとしょ〉。新曲らしい、3人のアカペラ・ハーモニー。声を頭から浴びて、洗濯される。

 前半の締めはお待ちかね〈ポリフォニー江州音頭〉。すずめのティアーズ誕生のきっかけになった曲で、看板ソングでもある。堪能しました。願わくば、もっと長くやってくれ。

 ここで佐藤が振っている長さ15センチほどの棒が尺杖で、〈江州音頭〉で使われる伝統楽器だそうな。山伏の錫杖を簡素化したものらしい。頭にある金属から高く澄んだ音がハーモニーを貫いてゆくのが快感を煽る。後半の締め、本来の〈江州音頭〉で中西が振るのは江州産の本物で、佐藤のものは手作りの由。現地産の方が音が低い。《Sparrow's Arrows Fly So High》で中西のクレジットに入っていた "shakujo" の意味がようやくわかった。

 先日のみわトシ鉄心のライヴと同じく、前半で気分は完全にアガってしまって、後半はひたすら陶然となって声を浴びていた。本朝の民謡とセルビア、ブルガリアの歌は、実はずっと昔から一緒にうたわれていたので、これが伝統なのだと言われてもすとんと納得されてしまう。それほどまでに溶けあって自在に往来するのが快感なんてものではない。佐渡の〈やっとこせ〉では、ブルガリアの歌からシームレスにお囃子につながるので、お囃子がまるでブルガリアの節に聞える。そうだ、ここでの歌はブルガリアの伝統歌の解釈としても出色ではないか。

 一方で〈秋田大黒舞〉でのカヴァルが、尺八のようでいてそうではないと明らかにわかる。その似て非なるところから身をよじられる快感が背骨を走る。

 それにしても、3人の佇まいがあまりにさりげない。まったく何の気負いも、衒いもなく、するりと凄いことをやっているのが、さらに凄みを増す。ステージ衣裳までが普段着に見えてくる。中西はハート型のピンクのフレームのサングラスに法被らしきものを着ているのに、お祭に見えない。すずめのティアーズの二人にいたっては、これといった変哲もないワンピース。ライヴを聴いているよりも、極上のアイリッシュ・セッションを聴いている気分。もっともセッションとまったく同じではなく、ここには大道芸の位相もある。セッションは見物人は相手にしないが、この3人は音楽を聴衆と共有しようとしている。一方でミュージシャン、アーティストとして扱われることも拒否しながらだ。

 とんでもなく質の高い音楽を存分に浴びて、感動というよりも果てしなく気分が昂揚してくる。『鉄コン筋クリート』の宝町を髣髴とさせる高田馬場を駅にむかって歩きながら、空を飛べる気分にさえなってくる。(ゆ)

 津軽三味線世界大会最上級A級チャンピオンを昨年、今年と連覇した山中信人氏と、日本民謡フェスティバル2016総合優勝グランプリを獲得した山本謙之助氏という、超弩級の組合せを、至近距離で、もちろんノーPAで聴けるのは、Winds Cafe でなければまず味わえない。

 津軽三味線世界大会A級チャンピオンというのがどれくらい凄いものか、ほんとうのところはよくわからなかったりする。とはいえ、これを連覇するために山中氏は3分48秒の〈津軽じょんがら節〉を280回、録音して聞き返すことを繰り返したそうだ。そうやって、ありとあらゆる条件において、完璧にかぎりなく近い演奏ができるように、練り上げてゆく。それでも本番では281回の演奏で最低の出来であった、と本人は言う。コンテストの本番というのはそれくらい厳しいもので、自分の全力は絶対に出せない。八分ないし七分あるいはそれ以下の出来にしかもっていけない。それを上げるには、全体の力を引上げてゆくしかない。

 もちろん、コンテストに勝つための訓練を重ねることと、音楽家として鍛えあげてゆくことはまったく別のことではあるだろう。一方で、一定の型にむけて精密に演奏する訓練を重ねることは、心身のコントロールの精密化も可能にするはずだ。技術といえば技術ではあろうが、手指を動かせる、楽器を操れるというのとは、また一段レベルが違うのではないか。カラダだけでなく、ココロと一体になった、心身全体を調整し、操る技術、たとえ最悪の条件のもとであっても、最高の演奏を可能とするような技術だろう。

 津軽三味線世界大会A級では三連覇まで可能だそうで、来年も挑戦する由。この日の終演後のパーティーで、川村さんが来年ぜひもう一度やってほしいと要請し、山中氏も快諾した。その時、期日を来年の大会の前にするか後にするかとたずねられて、後にしましょう、三連覇してきますから、と即答されていた。その答えに全然りきみがないのだ。といって、当然とれるというものでも無いらしい。今年も勝つのはたいへんだったとも言われた。来年、楽になるはずもない。自信満々というのともちょっと違う。まるでもう既成事実というようでもあるが、傲慢はかけらも無い。

 津軽三味線の生を聴くのは初めてではない。人並みに上妻宏光も見たし、澤田勝秋さんは録音スタジオまで押し掛けて聞かせていただいた。しかし、山中信人氏のソロはほとんど晴天の霹靂だった。黙ってはじめた最初の1曲が終って、いまのはオリジナルと言われてようやく納得がゆく。伝統のなかに現代の響き、流れが巧みに明瞭に織りこまれている。これこそまさに伝統を継承することなのだ。古いものをそのまま、何も変えずになぞっていては伝統は尻窄み、消えてゆく。あるいは博物館に陳列される。

 上妻宏光のライヴを見たのはもうずいぶん前だが、こうした真の継承、あたらしく伝統をつむぎだしているのではと大いに期待していった。ところが、そのライヴでは伝統と現代はまっぷたつに別れていた。伝統として提示されたのはソロ演奏で、巧いものの、津軽三味線としてきわだつものではなかった。現代的展開では、リズム・セクションやキーボードを入れた編成だが、そこでは伝統曲はまったく出てこなかった。今では変化しているのかもしれないが、失望感は大きく、ライヴも録音も聴く気が失せたままだ。

 澤田さんは木津茂理さんとのデュオの形で、そこから生みだされる音楽はエキサイティングだが、澤田さん自身はまったく変わらない。あの場合はあれでいいのだ。むしろ、あそこで澤田さんが変わってしまっては、失敗していただろう。

 山中信人さんのオリジナル曲はあたしにとってはまったく新しい体験だった。3曲やられた、どれも良かった。もっともあとの二つは本来はもっと即興を入れて展開するはずで、これからというところで終ってしまったのはちょと残念だった。それでも、津軽三味線の限界、さらには三味線という楽器の限界を探る、それも無理矢理押しだすのではない、より自然な流れに沿って探ってゆくように思えた。川村夫妻によれば、前2回にも増してキレが良くなり、演奏の質が上がっているという。そういうものの後で聴くと、コンテスト用に練りあげた曲の演奏もまた、ひどく新鮮に聞える。

 日本民謡フェスティバルで総合優勝することがどういうことかは、いくらか心組みもある。かつては奄美出身の若い娘さんたちが何年も続けて優勝をさらっていた。昨年も山本氏は最年長で、他ははるかに若い人たちばかりだったそうだ。伴奏者として出場した山中氏によれば、唄のうまさではダントツだったそうだが、高い声がきれいに出る方がコンテストでは有利になるので、優勝はまずないと二人とも思っていたそうだ。昨年の審査員はたまたま高い声よりも唄のうまさを取る人が多かったのだろうと謙之助氏は言う。

 唄のうまさとは民謡の場合、コブシのうまさと言い換えても、まず大外れではないだろう。少なくともあたしにとってはそうだ。山本氏のコブシの気持ち良さはまず粘りにある。思いもかけないひねりを加えながらどこまでも続いてゆく。これに近いものを挙げろと言われれば、今のあたしならジェリィ・ガルシアのギター・ソロと応える。とりわけ今聴いている1977年春のツアーでのガルシアだ。つまりコブシのうまさは技術的なところをクリアしたその向こうにうたい手の本質が剥き出しになる。天性と精進の幸福な結び付きが、謙之助氏のコブシに現れる。そこには氏のこれまでの人生での蓄積も小さくない。そういうものには時間が必要だ。醗酵作用は薬品などでプロセスを促進し、速くしても意味はない。時間はそこでは必要不可欠の要素だ。40代、50代の謙之助氏の唄もそれなりにすばらしいものだったろうが、70を超えられた今になって初めて出てくるものは格別だ。音楽の伝統とはそのように作用する。

 会場のカーサ・モーツァルトは原宿ラフォーレの裏になる、もとは現オーナーの父君の私邸の3階全部を占める。脇を坂が降りていて、そこからは2階になる。モーツァルトの「オタク」だったらしい父君のリスニング・ルームだったそうで、20畳ぐらいだろうか。50人も入れば満杯という部屋で、ひょっとすると壁などに音響の工夫がこらされているのか、楽器も声も響きはとても良い。天井の中央に少し高くなった天窓があるのも効果的なのかもしれない。

 父君が古いタンノイのスピーカーでモーツァルトを聴かれていた頃は原宿ももっとずっと静かだっただろうが、日曜の昼、天気は上々とて、11時前という時間にもかかわらず、原宿の駅では電車を降りてから改札を出るまで15分以上かかったし、駅の女子トイレには列ができているし、食事のできそうな店はどこも満杯だし、ラフォーレの向い、東急プラザからは何やら長蛇の列ができているし、正直、Winds Cafe のようなイベントがなければ来ようとは思わない。家族連れやカップルでうろうろしている人たちもかなり見かけたから、「行楽地」「観光地」のひとつでもあるのか。まあ、あたしらも、ダブリンだのパリだのマンハタンだの、あるいは京都だのに行けば、ああいう風に見えるのであろう。あそこにしか無いようなものは何も無いが、同じものでもあそこにあるというのが一つの価値か。

 その外の喧騒をよそに、出演者の方々がそれぞれに去られた後も、我々はのんびりとビールを飲みながら清談を楽しんだ。そういうことができるのもあの場所の功徳ではある。Winds Cafe も吉祥寺以来、ようやく恰好の地におちついたようだ。これからの企画もどれも面白そうで、できるかぎり、というか、これを最優先にして通いたい。原宿には生活の場が無く、まともな酒屋や食料品店は無いことがわかったので、次は新宿あたりで調達していこう。(ゆ)

    メルマガにも載せてありますが、今月の Winds Cafe は月岡祐紀子さんです。しかも、なんと尺八と太鼓のサポートが付くそうな。それもタダモノではない。小濱氏は後藤幸浩さんのCDで聞いて感服していましたが、それがここで聞けるとは。足立氏はまったくの初めてですが、経歴を見るとわくわくしてきます。
   
    わが国の民謡はアイルランド的な意味、つまり日常生活の潤滑油としては死んでいますが、イングランド的な意味、つまり遊ぶための素材としてはまだまだこれからです。月岡さんの民謡は一応伝統的な遊び方を踏まえているのでしょうが、そこは瞽女唄もうたう人。そんじょそこらの民謡うたいとは一味も二味も違うはず。実に楽しみであります。
   
    以下、主催者からの口上。(ゆ)

--引用開始--
● WINDS CAFE 154 in 西荻窪 ●

【ニッポンのみんよう 〜私たちの好きなうた〜】

月岡祐紀子(三味線・民謡)
小濱明人(尺八)
足立七海(太鼓・鳴り物)

2009年10月25日(日) 午後1時開場

TORIA Gallery トリアギャラリー 東京都杉並区西荻北5-8-5

入場無料(投げ銭方式)

※出入り自由ですが、できるだけ開演時刻に遅れないようご来場ください。

13:00 開場
13:30 開演
15:30 パーティー+オークション


▼川村からひとこと

2006年、2007年と、WINDS CAFE では2回ソロ出演をお願いした月岡さん。言わずと知れた瞽女唄の継承者ですが、その出自といえば民謡です。そこで今回は47都道府県から1曲ずつを演奏する日本民謡大全という遠大な構想をぶつけて準備に入っていただきました。ところが、一ヶ月前になって「あきらめました……。でも、いいものにしたいです〜」と泣きが入りまして(笑)、それでも2時間! よっしゃ。ものすごいサポートメンバーと一緒の公演ですので、さぞかし晴れやかな午後になることでしょう。いやあ、楽しみだなあ。


▼月岡祐紀子さんからの手紙

労働歌であり、恋唄であり、祈りの歌であり……、様々な顔を持つニッポンの民謡。

今回は民謡を愛する私たちが厳選した曲をうたいまくり、弾きまくります!

民謡歴30年、でも、大御所の多い民謡界ではいまだ若手扱いの30代3人でお送りいたしまーす。


▼プロフィール

月岡祐紀子(つきおか・ゆきこ):1976年東京生まれ。NHK邦楽技能者育成会卒、武蔵野女子大学卒。幼い頃より三味線、民謡唄を学ぶ。盲目の女旅芸人の芸能、瞽女唄、瞽女三味線と出会い、大学卒業時、瞽女の旅を追体験しようと、三味線を奉納演奏しながらの四国八十八ヶ所歩き遍路を行う。翌年も歩き遍路を行い、「遍路組曲」を作曲。その様子が、TVドキュメンタリー「娘三味線へんろ旅」として、全国放送され、放送文化基金賞の出演者賞を受賞。著書に「平成娘巡礼記」(文春新書)、CDに「遍路組曲」(東芝EMI)。現在、三味線奏者、民謡歌手として活躍する中、瞽女芸能の研究に努める。

小濱明人(おばま・あきひと):香川県高松市生まれ。古典を石川利光、民謡を米谷智に学ぶ。NHK邦楽技能者育成会第46期修了。第2回尺八新人王決定戦優勝。2004年全編即興によるソロアルバム『風刻』を発表。2005年  『歩き遍路四国八十八カ所奉納演奏Tour』を敢行。自作曲を集めた2ndアルバム『波と椿と』を発表する。2006年スウェーデン国際吹奏楽フェスティバルに招かれ参加。1カ月に及ぶ欧州ツアーを成功させる。2007年 ajimeinoue(electro)との供作、CD『visions.』を発表する。2008年ケネディーセンター主催のジャパンフェスティバル(ワシントン)・国際尺八フェスティバル(シドニー)に招待参加。後藤幸浩(薩摩琵琶)との共作、CD『ミチノネ』を発表。古典や自作曲を中心としたソロ活動の他、Ds.の堀越彰率いる『東方異聞』、民謡の伊藤多喜雄率いる『TAKiO BAND』等数々のグループに参加している。海外公演も多く、欧米・アジア・オセアニア・アフリカなど計19カ国で行っている。

足立七海(あだち・なみ):兵庫県出身。幼い頃から地元で踊りや太鼓に親しむ。18歳で、日本の楽器や郷土芸能を求めて、全国を行脚。その後、長野県・御諏訪太鼓の故・山本幹夫師に師事。公演メンバーとして日本、アメリカ、フランス、インドネシア、オーストラリアなど各国にて公演。2005年より、二胡・中国琵琶・箏とのユニット「ジャスミン」、三味線、笛とのユニット「華弁天」、太鼓・鳴り物ユニット「そう龍」などに参加し、関東・甲信越・関西を中心にライブ活動を行う。2008年より伝統のリズムやスピリッツを現代に生きる自分の感性を通して表現する方法を模索。太鼓を打ちながら唄うスタイルを目指して民謡と民謡太鼓を木津茂理氏に師事。韓国打楽器やボーカルなどを習得しつつ、日本全国の祭りや芸能のリズム採取のために各地をまわる。また、その成果を雑誌とウェブで発信する企画を立案。近日、公開予定。


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▼以下は WINDS CAFE 公式サイトでご確認ください

会場地図
オークションについて
予告編
過去の企画

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WINDS CAFE とは、1997年1月から、川村龍俊が、音楽を中心に美術演劇映画などさまざまなジャンルの方々に企画していただきながら続けている、イベント+パーティーです。

いわゆる「オフ会」ではありません。

基本的に入場料は無料、出入り自由で、パーティーでの飲食は参加者のみなさまからの差し入れを期待しております。

ご来場にあたって予約は必要ありません。

WINDS CAFE のコンセプトは、「好きなことやものを楽しんでいる人と一緒にいるのはなんて楽しいことだろう」です。出演を依頼するときには、このコンセプトを共有していただけることが条件になっています。

第1回から第120回までは現代陶芸家の板橋廣美氏の私邸である東京吉祥寺の空中庭園 WINDS GALLERY を、第121回から第135回までは建築家藤村貞夫氏の私邸である東京三軒茶屋の住宅街の隠れ家レンタルスペースSFを、第136・137回は現代美術コレクターの増井常吉氏の私邸である住宅街の秘密基地 MACA GALLERY を会場として行ってきましたが、2008年6月の第138回以降は、内容によって最適な場所を選んで開催します。
--引用終了--

 坂田明太田惠資吉野弘志をしたがえた木津茂理のうたを聞く。
 この贅沢。

 小さな、六十人も入れば満杯のヴェニュー
音響の良い、広い会場もよいが、
この距離の近さはなにものにも代えがたい。
ラズウェル細木は、
聴衆が少ないと一人分の分け前が増える
と言っていた。
それも真理だ
とは思うものの、
それだけではない。
物理的にだけでなく、心同士の距離も近くなる。

 贅沢さはメンバーからも生まれる。
第二部、木津さんの独奏に始まり、
吉野、太田、坂田の順にひとりずつと共演する。
バンドにもなれるし、ソロにもなれる。
その各々でヒロインをあるいは支え、あるいは挑発し、あるいは対決する。
その呼吸の絶妙なこと。
各自、強烈にキャラが立っていながら
またそのキャラを十分に発揮しながら、
引くべきところはすっと引いて、ヒロインを盛りたてる。
いや、強烈な個性の人であるからこそ
さし手ひき手のコツを心得ているのだろう。

 今回はヒロインも負けてはいない。
坂田さんとの曲は先月のつるとかめの時と同じ〈八丈太鼓囃子〉。
木津さんの太鼓のあおりに坂田さんがやや押され気味にも見えたのは、
前回のリベンジか。
あるいは坂田さんの宿酔いが足らなかったのか。

 木津さんのうたがまた贅沢だ。
つるとかめでは単純に言っても半分だが、
今回は心ゆくまで木津さんのうたにひたれた。
特に民謡以外のうたを聞くのは今回が初めてで、嬉しくもある。
〈バリハイ〉〈蘇州夜曲〉〈Over the rainbow〉
あえてベストを選べば〈蘇州夜曲〉か。
太田さんのヴァイオリンが、
場末の辻演歌師であると同時に
「魔都」上海に君臨する闇の楽師にも聞こえる。

 〈Over the rainbow〉でおもしろかったのは、
どうしてもコブシがまわってしまうところ。
およそ英語とは相容れない発声のズレに
はじめは椅子からずり落ちそうになったのだが、
うたが進むうちに不可思議な作用で新しい風情が生まれてきた。
強行突破ではない。
こんな風にしかうたえない、でも心底うたいたいという葛藤が、
誠実にうたいこむことで昇華されるようだ。
これもありではないかと思わされてしまう。

 このメンツでの民謡がまた贅沢そのものだ。
洋楽器の、それもジャズをベースにすると
民謡というよりは、いわゆる「トラッド」
あるいはルーツ・ミュージックになる。
たとえば木津さんがレーナ・ヴィッレマルクになる。
坂田さんはユーモアのセンスから言ってもアレ・メッレル
もっとも太田さんはペール・グドムンドスンと言うには箍がはずれすぎているが。
むしろこういう形だと、わが列島の民謡が
アジアの猥雑さに満ちていることがよくわかる。

 この日の演奏を聞くかぎり、このメンツないし近い構成
たとえばピアノか笛、あるいはそれこそドーナルのブズーキが入ったぐらいの形で
1枚アルバムを聞いてみたい。
むろんライヴを重ねる必要はあるが、
場合によってはライヴ録音というのもアリだろう。
いずれにしても日本語のソロ・シンガーとしての木津茂理はもっともっと聞きたい。

 木津さんは何でもうたえるが、また何をうたおうと一つの型になる。
そこが強い。
だからもっともっといろいろなうたをうたってほしい。
雪村いづみの《スーパー・ジェネレイション》のようなロック・コンボ。
ジャズのスタンダード。
ケルトの哀歌。
先日の《Transatlantic Sessions 3》でカレン・マシスンが絶唱を聞かせている
〈Crucan na bPaiste (Burial place of the children)〉なぞ、どうだろう。

 それにしても坂田さん、63歳とは思えない。
もっともアンディ・アーヴァインと同い年か。
今回の坂田節
「老婆は1日にしてならず」(爆)(ゆ)

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