安場淳さんとはもうずいぶん前からの知合いのはずだが、ライヴは初めて。与那国の福里さんのライヴに安場さんがサポートで出られたのは見たが、かんじんの Anchang Project としては初体験だった。これなら、「月刊」でも見たい。
収獲は何といっても台湾のネイティヴのうた。こんなすばらしいポリフォニーがアジアにあったとは、これまで知らなかったのは不覚としか言いようがない。あとで伺うと、曲によっては本来ユニゾンのうたを Anchang オリジナルのポリフォニーにアレンジされたものもあるが、もともとポリフォニーであるうたもあるそうだ。第二次大戦後、ネイティヴはこぞってキリスト教徒となり、教会で合唱するようになり、さらにポリフォニーが盛んになっているともいう。実はかれらは教会で合唱したいがためにキリスト教徒になった、と言われても、このうたを聴くと納得してしまいそうになる。
ハーモニーだけでなく、メロディもたいへん美しい。天から降ってくるとか、地から湧きあがるというのとは違って、風に乗って漂うような、やわらかい旋律に、なんども背筋に戦慄が走る。
この台湾から与那国を中心として、沖縄、奄美をもカヴァーするのが Anchang Project のコンセプトということになるのだろう。その台湾、与那国のうたはとてもやわらかい。聴いているととろけてしまいそうにやわらかい。そこでは風も海もやわらかそうだ。すくなくともうたから聴こえるかぎりは。
この日は「バンド」の名前にわざわざ「ハモリ」と入れてあるように、ほとんどすべてのうたですばらしいはもりを聞かせてくれた。隣の人が、こういうハーモニーを聴いているの眠くなりますね、と言っていたが、それは本当のところ誉めことばだ。退屈で眠くなるのではない、陶然となって意識が遠くなるのだ。
メンバーは一定しないそうだが、この日は
安場淳:vocal、三線
比嘉芳子:vocal、三線、サンバ
Jojo ??:vocal、electric guitar
?田まき:vocal、笛
田村ゆう:vocal、太鼓
Jojoとまき両氏のお名前は申し訳ないが、読めない、わからない。
なんとも不思議だったのは、安場さんも含めて、皆さん 、ごく普通の人だった。というのもヘンだが、ふだんはどんなに普通の人でも、ステージに上がるとミュージシャンとしての顔になるし、オーラをまとう。アイリッシュでもそういう人はいる、というか、伝統音楽ではごくあたりまえのことではある。Anchang Project にはそれが無い。ここはステージといえるものはなかったけれど、それでも「場」としてはステージだ。そこに立っても、誰もミュージシャンの顔をしていない。ところがいざ音を出し、うたいだすと、それは「普通」などではない、特別な現象、りっぱな音楽なのだ。「ふつう」の顔で、姿で、とんでもないことをやっている。そりゃ、確かに音楽はごく尋常な人間が尋常ではないことをやっているのだけれども、ここまで尋常と異常の境目が無いくせに、両者の差が大きいのは初めてだ。いや、驚いた。
印象的だったのは「黒一点」のエレキ・ギターで、ほとんどリチャード・トンプソンか、という瞬間さえあった。この人たちはいったい何者なのだ。
mois cafe は「モワ・カフェ」と読み、下北沢の駅にほど近いが、ちょっとわかりにくいところにある。古い民家を改造した施設で、ライヴが行われた2階は30人も入れば満席。天井を吹き抜けにし、壁をとりはらって一つの空間にしてある。床が板張りなのも改装だろう。ギターの小さなアンプでリード・ヴォーカルにも軽く増幅をかけている他はアンプラグドでもよく音は通る。
この日は特別料理付きで、ラフテー丼と春野菜のクリーム煮バケット付きのどちらかという献立。あたしは野菜にしたが、なんとも美味でありました。
ライヴの案内ではこのカフェは今月末で突如閉店、ということだったが、閉店がひと月延びたそうである。あの美味さなら、他の料理、飲み物も旨いにちがいない。どこか、古い友人の家で、のんびりくつろいでいるような感じにもなる。雨でも降ってあまり遠くへでかけたくないときに、好きな本、それも静かな画集か、良い写真のたくさん入った本でもかかえて寄ってみたいところではある。ほんとうはこういう都会のどまんなかではなくて、うちから30分くらい歩くと、木立のなかにほっとあると嬉しい。
ごちそうさまでした。(ゆ)
収獲は何といっても台湾のネイティヴのうた。こんなすばらしいポリフォニーがアジアにあったとは、これまで知らなかったのは不覚としか言いようがない。あとで伺うと、曲によっては本来ユニゾンのうたを Anchang オリジナルのポリフォニーにアレンジされたものもあるが、もともとポリフォニーであるうたもあるそうだ。第二次大戦後、ネイティヴはこぞってキリスト教徒となり、教会で合唱するようになり、さらにポリフォニーが盛んになっているともいう。実はかれらは教会で合唱したいがためにキリスト教徒になった、と言われても、このうたを聴くと納得してしまいそうになる。
ハーモニーだけでなく、メロディもたいへん美しい。天から降ってくるとか、地から湧きあがるというのとは違って、風に乗って漂うような、やわらかい旋律に、なんども背筋に戦慄が走る。
この台湾から与那国を中心として、沖縄、奄美をもカヴァーするのが Anchang Project のコンセプトということになるのだろう。その台湾、与那国のうたはとてもやわらかい。聴いているととろけてしまいそうにやわらかい。そこでは風も海もやわらかそうだ。すくなくともうたから聴こえるかぎりは。
この日は「バンド」の名前にわざわざ「ハモリ」と入れてあるように、ほとんどすべてのうたですばらしいはもりを聞かせてくれた。隣の人が、こういうハーモニーを聴いているの眠くなりますね、と言っていたが、それは本当のところ誉めことばだ。退屈で眠くなるのではない、陶然となって意識が遠くなるのだ。
メンバーは一定しないそうだが、この日は
安場淳:vocal、三線
比嘉芳子:vocal、三線、サンバ
Jojo ??:vocal、electric guitar
?田まき:vocal、笛
田村ゆう:vocal、太鼓
Jojoとまき両氏のお名前は申し訳ないが、読めない、わからない。
なんとも不思議だったのは、安場さんも含めて、皆さん 、ごく普通の人だった。というのもヘンだが、ふだんはどんなに普通の人でも、ステージに上がるとミュージシャンとしての顔になるし、オーラをまとう。アイリッシュでもそういう人はいる、というか、伝統音楽ではごくあたりまえのことではある。Anchang Project にはそれが無い。ここはステージといえるものはなかったけれど、それでも「場」としてはステージだ。そこに立っても、誰もミュージシャンの顔をしていない。ところがいざ音を出し、うたいだすと、それは「普通」などではない、特別な現象、りっぱな音楽なのだ。「ふつう」の顔で、姿で、とんでもないことをやっている。そりゃ、確かに音楽はごく尋常な人間が尋常ではないことをやっているのだけれども、ここまで尋常と異常の境目が無いくせに、両者の差が大きいのは初めてだ。いや、驚いた。
印象的だったのは「黒一点」のエレキ・ギターで、ほとんどリチャード・トンプソンか、という瞬間さえあった。この人たちはいったい何者なのだ。
mois cafe は「モワ・カフェ」と読み、下北沢の駅にほど近いが、ちょっとわかりにくいところにある。古い民家を改造した施設で、ライヴが行われた2階は30人も入れば満席。天井を吹き抜けにし、壁をとりはらって一つの空間にしてある。床が板張りなのも改装だろう。ギターの小さなアンプでリード・ヴォーカルにも軽く増幅をかけている他はアンプラグドでもよく音は通る。
この日は特別料理付きで、ラフテー丼と春野菜のクリーム煮バケット付きのどちらかという献立。あたしは野菜にしたが、なんとも美味でありました。
ライヴの案内ではこのカフェは今月末で突如閉店、ということだったが、閉店がひと月延びたそうである。あの美味さなら、他の料理、飲み物も旨いにちがいない。どこか、古い友人の家で、のんびりくつろいでいるような感じにもなる。雨でも降ってあまり遠くへでかけたくないときに、好きな本、それも静かな画集か、良い写真のたくさん入った本でもかかえて寄ってみたいところではある。ほんとうはこういう都会のどまんなかではなくて、うちから30分くらい歩くと、木立のなかにほっとあると嬉しい。
ごちそうさまでした。(ゆ)