クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:津軽

 唄の山本謙之助、三味線の山中信人のお2人による津軽民謡と津軽三味線のライヴはすっかり Winds Cafe 春の定番になって、毎年楽しみだ。通えるかぎりは通いたい。年齡からいえば山本さんが最年長だが、ますますお元気で、この方を前にするとあたしの方が先に行きそうな気がしきりにする。唄をうたうことは身心の健康に良いと言われるが、その生きた証がここにおられる。

 前半は例によって山中さんのソロ。今回はいつもとはいささか趣を異にして、演奏というよりは講演。山中さんは今年50歳になり、入門した時の師匠・山田千里の年齡60歳まであと十年。60歳の時の師匠に追いつけるか、これからの十年が正念場と言う。そこでまず山中さんが師匠を「発見」した〈あいや節〉。津軽三味線名演を集めたテープの中の1曲。その鄙びた味わいに惹かれたのだそうだ。この演奏はむろん師匠へのオマージュだ。

 山中さんは立って弾く。楽器を吊るす紐などはない。三味線の音は実に切れ味が良く、勢い良く飛びだしてくる。犬皮でなく、プラスティックを張っていると後で明かされる。繊細な響きとパワーが同居している。弦を撥が弾く音と、撥が胴に当たる音がほとんど同時に鳴る。

 この楽器は能登の人が使っていたもので、地震でとても三味線は弾けなくなったから処分してくれ、とボランティアで行った山中さんの友人が託された。その友人から山中さんが預る形で今使っているそうだ。ペグは黒檀。

 最近の傾向への批判も飛びだす。ネット上の動画などで、他の奏者の演奏が沢山、簡単に見られるようになった。そのせいで、どの奏者もスタイルが似てきている。昔は皆ローカルでやっていたから、独自の奏法をもっていた。と言って、高橋竹山や木田林松栄のスタイルで弾く。竹山は木の撥を使っていて、折れないようにやさしく弾く。林松栄は鼈甲の撥なので派手だ。

 他人の演奏を簡単に視聴できるようになって、伝統芸能の演奏スタイルが似てくることは津軽三味線だけではない。アイリッシュ・ミュージックの世界でも起きていて、ネット以前からやっている人たちはどこでも危惧している。もっともテクノロジーの導入が伝統音楽の奏法やスタイルに影響することは今だけの話でもない。SP盤が現れた時も、ラジオ放送が始まった時も、同様のことは起きた。今回は規模が違うから自信をもって言えるわけではないが、そう悲観することもないだろうとあたしは思っている。何らかの表現をする人間は最後のところでは他人と違うところを出したいはずだからだ。みんな似ていると感じるのも、やっている人間の絶対数が増えているからということもあるのではないかとも思う。当然凡庸な演奏者が大部分なわけで、そういう人たちは誰かのコピーをするので精一杯だろう。もちろんこれもすべてがそうだとは言えないが、伝統音楽の世界では、演奏者の絶対数は増えているだろう。なにしろ接するチャンスが飛躍的に増えている。音楽伝統やその背後の文化とは無縁の人たちが増えていることはまた別の問題だ。

 それはそれとして、他の人たちのように東京に行かず、津軽からついに出なかった山田千里の流儀を伝えていこうという山中さんの志には共鳴する。〈黒石よされ〉を東京流と山田流で弾きわけたのは面白かった。さらに山田流の〈じょんがら節 中節〉もいい。

 そうして山中さんの本領が出たのが最後の〈さくら〉。フリーリズムのおそろしく凝ったイントロから、デフォルメしまくり、インプロに展開し、ロック・ギターのストローク奏法を自乗したような奏法が炸裂する。弦を皮の上で指をそろえた左手で押えて出す音がたまらん。このスピードは三味線でしか出せないだろう。単なる速弾きというのではない、細かい音がキレにキレながらすっ飛んでゆく。近いものといえばウードだろうか。


 後半の歌伴の楽器は本来の犬皮と象牙のペグ、鼈甲の撥。全然違いますね。こちらの方が響きが深い。うーむ、あたしはこっちの方が好きだなあ。

 山本さんが Winds Cafe に出るようになって今年は十年。それもあってか、この日はすばらしかった。十回全部見られたわけではないが、見た中では文句なくベストの歌唱。川村さんも同意見だったから、これまででベストの出来だったことは確か。声の張り、響きの充実、コブシの回しと粘り、それに力を抜いて声が細く消えてゆくところが見事だ。津軽民謡といわず、伝統歌謡といわず、人の唄として最高だ。

 三味線とのかけあいもぴったりというより、三味線が乗せ、それに唄も乗ってゆく、その呼吸が絶妙というしかない。山中さんは唄のイントロでもはじけていて、唄う方の気分をかきたてる。

 他の唄と変わっていたのが6曲目〈やさぶろう節〉。実話を元にしたバラッドで、歌詞は本来15番まであるそうな。嫁いびりがひどく、10人の嫁を息子にとって全部いびって追いだした婆さんの話。これを山本さんはコミカルに唄う。笑わせよう、笑ってくれというのではない。この唄はどうしてもこうなるという自然な感じだ。だからよけい可笑しい。

 ラストの〈山唄〉とアンコールの〈あいや節〉で山中さんは尺八を吹く。これもお見事。音楽のセンスの良さがこういうところに現れる。

 母の不在の感覚がだんだん強くなっていて、ともすれば落ちこんでいたところに、たっぷりと元気をいただいて、感謝の言葉も無い。93歳という年齡から、いつ、どういう形で来るか、いつも冷や冷やしていたから、ついに決着がついたことでほっとした部分は否定できない。一方で、もう二度とその存在を実感できない喪失感は、時間が経つにつれてむしろ強くなっている。日常のふとした折り、たとえばやっていることが一段落して次に移る転換の時に、その二つの想いが対になってじわっと湧いてくることがある。すると、しばらくそこから離れられない。やるべきことはすべてやっていたかと思ったりもする。そうしてすがるようにして音楽を聴く。本は読む気になれない。ここしばらくのライヴはどれもずっと前からスケジュールに入れていたものだが、まるで図っていたかのようなタイミングでその日がやってきて、おかげで何とか保っている。気もする。

 山本&山中デュオは来年も Winds Cafe で演ることが決まった。会場は変わるが、やはり元気をもらえるだろう。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

 津軽三味線世界大会最上級A級チャンピオンを昨年、今年と連覇した山中信人氏と、日本民謡フェスティバル2016総合優勝グランプリを獲得した山本謙之助氏という、超弩級の組合せを、至近距離で、もちろんノーPAで聴けるのは、Winds Cafe でなければまず味わえない。

 津軽三味線世界大会A級チャンピオンというのがどれくらい凄いものか、ほんとうのところはよくわからなかったりする。とはいえ、これを連覇するために山中氏は3分48秒の〈津軽じょんがら節〉を280回、録音して聞き返すことを繰り返したそうだ。そうやって、ありとあらゆる条件において、完璧にかぎりなく近い演奏ができるように、練り上げてゆく。それでも本番では281回の演奏で最低の出来であった、と本人は言う。コンテストの本番というのはそれくらい厳しいもので、自分の全力は絶対に出せない。八分ないし七分あるいはそれ以下の出来にしかもっていけない。それを上げるには、全体の力を引上げてゆくしかない。

 もちろん、コンテストに勝つための訓練を重ねることと、音楽家として鍛えあげてゆくことはまったく別のことではあるだろう。一方で、一定の型にむけて精密に演奏する訓練を重ねることは、心身のコントロールの精密化も可能にするはずだ。技術といえば技術ではあろうが、手指を動かせる、楽器を操れるというのとは、また一段レベルが違うのではないか。カラダだけでなく、ココロと一体になった、心身全体を調整し、操る技術、たとえ最悪の条件のもとであっても、最高の演奏を可能とするような技術だろう。

 津軽三味線世界大会A級では三連覇まで可能だそうで、来年も挑戦する由。この日の終演後のパーティーで、川村さんが来年ぜひもう一度やってほしいと要請し、山中氏も快諾した。その時、期日を来年の大会の前にするか後にするかとたずねられて、後にしましょう、三連覇してきますから、と即答されていた。その答えに全然りきみがないのだ。といって、当然とれるというものでも無いらしい。今年も勝つのはたいへんだったとも言われた。来年、楽になるはずもない。自信満々というのともちょっと違う。まるでもう既成事実というようでもあるが、傲慢はかけらも無い。

 津軽三味線の生を聴くのは初めてではない。人並みに上妻宏光も見たし、澤田勝秋さんは録音スタジオまで押し掛けて聞かせていただいた。しかし、山中信人氏のソロはほとんど晴天の霹靂だった。黙ってはじめた最初の1曲が終って、いまのはオリジナルと言われてようやく納得がゆく。伝統のなかに現代の響き、流れが巧みに明瞭に織りこまれている。これこそまさに伝統を継承することなのだ。古いものをそのまま、何も変えずになぞっていては伝統は尻窄み、消えてゆく。あるいは博物館に陳列される。

 上妻宏光のライヴを見たのはもうずいぶん前だが、こうした真の継承、あたらしく伝統をつむぎだしているのではと大いに期待していった。ところが、そのライヴでは伝統と現代はまっぷたつに別れていた。伝統として提示されたのはソロ演奏で、巧いものの、津軽三味線としてきわだつものではなかった。現代的展開では、リズム・セクションやキーボードを入れた編成だが、そこでは伝統曲はまったく出てこなかった。今では変化しているのかもしれないが、失望感は大きく、ライヴも録音も聴く気が失せたままだ。

 澤田さんは木津茂理さんとのデュオの形で、そこから生みだされる音楽はエキサイティングだが、澤田さん自身はまったく変わらない。あの場合はあれでいいのだ。むしろ、あそこで澤田さんが変わってしまっては、失敗していただろう。

 山中信人さんのオリジナル曲はあたしにとってはまったく新しい体験だった。3曲やられた、どれも良かった。もっともあとの二つは本来はもっと即興を入れて展開するはずで、これからというところで終ってしまったのはちょと残念だった。それでも、津軽三味線の限界、さらには三味線という楽器の限界を探る、それも無理矢理押しだすのではない、より自然な流れに沿って探ってゆくように思えた。川村夫妻によれば、前2回にも増してキレが良くなり、演奏の質が上がっているという。そういうものの後で聴くと、コンテスト用に練りあげた曲の演奏もまた、ひどく新鮮に聞える。

 日本民謡フェスティバルで総合優勝することがどういうことかは、いくらか心組みもある。かつては奄美出身の若い娘さんたちが何年も続けて優勝をさらっていた。昨年も山本氏は最年長で、他ははるかに若い人たちばかりだったそうだ。伴奏者として出場した山中氏によれば、唄のうまさではダントツだったそうだが、高い声がきれいに出る方がコンテストでは有利になるので、優勝はまずないと二人とも思っていたそうだ。昨年の審査員はたまたま高い声よりも唄のうまさを取る人が多かったのだろうと謙之助氏は言う。

 唄のうまさとは民謡の場合、コブシのうまさと言い換えても、まず大外れではないだろう。少なくともあたしにとってはそうだ。山本氏のコブシの気持ち良さはまず粘りにある。思いもかけないひねりを加えながらどこまでも続いてゆく。これに近いものを挙げろと言われれば、今のあたしならジェリィ・ガルシアのギター・ソロと応える。とりわけ今聴いている1977年春のツアーでのガルシアだ。つまりコブシのうまさは技術的なところをクリアしたその向こうにうたい手の本質が剥き出しになる。天性と精進の幸福な結び付きが、謙之助氏のコブシに現れる。そこには氏のこれまでの人生での蓄積も小さくない。そういうものには時間が必要だ。醗酵作用は薬品などでプロセスを促進し、速くしても意味はない。時間はそこでは必要不可欠の要素だ。40代、50代の謙之助氏の唄もそれなりにすばらしいものだったろうが、70を超えられた今になって初めて出てくるものは格別だ。音楽の伝統とはそのように作用する。

 会場のカーサ・モーツァルトは原宿ラフォーレの裏になる、もとは現オーナーの父君の私邸の3階全部を占める。脇を坂が降りていて、そこからは2階になる。モーツァルトの「オタク」だったらしい父君のリスニング・ルームだったそうで、20畳ぐらいだろうか。50人も入れば満杯という部屋で、ひょっとすると壁などに音響の工夫がこらされているのか、楽器も声も響きはとても良い。天井の中央に少し高くなった天窓があるのも効果的なのかもしれない。

 父君が古いタンノイのスピーカーでモーツァルトを聴かれていた頃は原宿ももっとずっと静かだっただろうが、日曜の昼、天気は上々とて、11時前という時間にもかかわらず、原宿の駅では電車を降りてから改札を出るまで15分以上かかったし、駅の女子トイレには列ができているし、食事のできそうな店はどこも満杯だし、ラフォーレの向い、東急プラザからは何やら長蛇の列ができているし、正直、Winds Cafe のようなイベントがなければ来ようとは思わない。家族連れやカップルでうろうろしている人たちもかなり見かけたから、「行楽地」「観光地」のひとつでもあるのか。まあ、あたしらも、ダブリンだのパリだのマンハタンだの、あるいは京都だのに行けば、ああいう風に見えるのであろう。あそこにしか無いようなものは何も無いが、同じものでもあそこにあるというのが一つの価値か。

 その外の喧騒をよそに、出演者の方々がそれぞれに去られた後も、我々はのんびりとビールを飲みながら清談を楽しんだ。そういうことができるのもあの場所の功徳ではある。Winds Cafe も吉祥寺以来、ようやく恰好の地におちついたようだ。これからの企画もどれも面白そうで、できるかぎり、というか、これを最優先にして通いたい。原宿には生活の場が無く、まともな酒屋や食料品店は無いことがわかったので、次は新宿あたりで調達していこう。(ゆ)

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