クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:活字

0115日・土

 Washington Post Book Club のニュースレターで昨年アメリカの成人は平均して年12冊強の本を読んだ、というギャラップの調査結果をとりあげている。この数字は1990年以降で最低。1冊も本を読まなかった人は17%で変わらず。ただし、多読の人の数が激減して、全体の数が減少した。年10冊以上読む人の割合は27%で、2016年以来8%の減少。それ以前に比べても4%以上減っている。この減少は大学院生やそれ以上の年齡でとりわけ顕著。つまり、自由な時間の使い方として、読書の人気は落ちている。というのがギャラップの結論。

 一方で、電子本、オーディオ本、デジタル雑誌を1年で100万回以上貸出した公共図書館の数は記録的な増加をしている。そうだ。


 わが国ではどうかとちょと検索してみると、2015年4月の調査で月平均2.8冊という数字が出てきた。ということは年33冊以上。3倍だ。が、1冊も読まなかったのは3分の1。こちらも倍である。この調査では月10冊以上が8.2%21冊以上は出ていないが、こちらも3分の1。つまり、日本語では本を読む人間はたくさん読むが、読まない人間が多い。アメリカでは、英語とは限らないが、本を読む人間の数そのものは多いが、一人あたり数は読まない。

 それに、ここでは本の中身まではわからない。マンガも入れているのか。回答者によって入れたり入れなかったりかもしれない。アメリカでの調査には comics は入っていないと見ていい。もっともこちらもそれ以上の中身まではわからない。

 引きこもりで読書量は増えたと言われるけれど、日本語ネイティヴは本を読むのが好きでない、というより習慣にない人が多い気がする。というのは上の数字からも当たっていそうだ。新聞、雑誌は読んでも、本は読まないという人たちだ。もともと江戸時代までは読書はほんの一部のものだった。とすれば、明治以降でここまで増えた、とみるべきか。

 日本語ではマンガがほとんど遺伝子に組みこまれている。『源氏物語』にも早くから『絵巻』が作られた。物語を絵で語る技術をわれわれは磨いてきている。漢字かな混じり文がその原型だろうし、そもそも漢字かな混じり文を発明したのは、言語からの要請だけでなく、絵に対する感受性が鋭いこともあったのだろう。その感受性がどこから来ているのかはわからないが。マンガは絵が漢字、ネームがかなに相当する。

 だから、文字だけで物語を語ることも読むこともあまり得意ではない。文字を読んでイメージを思い描くのが苦手なのではないか。日本語では大長編は例外だ。饒舌よりも簡潔が尊ばれる。量はある閾値を超えると質に転換することに、あたしらはようやく気がつきはじめたところだ。本はもちろん小説や物語ばかりではないが。

 あたしはといえば、昨年は54冊。うちマンガは3冊。英語33冊。日本語21冊。頁合計12,294。1冊平均227頁。一番厚い本は Michelle West, The Sacred Hunt Duology, 858頁。日本語で一番厚かったのは平出隆『鳥を探しに』660頁。



##本日のグレイトフル・デッド

 0115日には1966年から1979年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1966 Beaver Hall, Portland, OR または The Matrix, San Francisco, CA

 どちらのショウだったか、定まっていない。後者はポスターがあり、ほぼ確定か。前者は元旦に行われたとの推測もある。


2. 1967 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 2ドル。子どもは無料。開演午後2時。前2日の追加公演だろう。ジュニア・ウェルズ・シカゴ・ブルーズ・バンド、ドアーズというラインナップ。セット・リスト不明。


3. 1978 Selland Arena, Fresno, CA

 前売6.50ドル。当日7.50ドル。開演7時半。ガルシアははじめ声が出なかったが、だんだん良くなった。第二部の〈Playing In The Band〉はこの時期としては珍しく30分近い演奏。

 この曲は演奏回数610回で第2位だが、トップは〈Me and My Uncle〉なので、デッドのオリジナルとしてはこれがトップになる。これだけの回数演奏したのは、この曲を演奏するのがそれだけ愉しかったのだろう。これが5分で終る(デッドとしては)ごくありきたりの曲から30分を超えるモンスターに成長し、さらに他の曲をはさんだり、時には日をまたいではさんだりするようになってゆく様は、何とも興趣が尽きない。しかも、そのどれ一つとして同じことの繰返しが無い。こういう現象もデッド宇宙ならでは。


4. 1979 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA

 8.50ドル。開演7時半。第一部と第二部の出来の差が大きいらしい。ここでも〈Playing In The Band〉がスピリチュアルだったそうな。デッドの音楽はめくるめく集団即興になって聴く者を巻きこんでもみくちゃにもすれば、深閑としたスピリチュアルな時空を現出して吸いこんで解き放ちもする。(ゆ)


9月22日・水

 Index, A History Of The, by Dennis Duncan, Alen Lane 着。ペーパーバックを待ちきれずにハードカヴァーを買ってしまった。立派な索引がついている。しかも、コンピュータで作ったものの実例が冒頭2ページ分あり、これがどうダメかの説明もある。その後に人間が作ったものが本番としてある。もちろんこの索引はプロの索引師が作ったのだ。わが国には索引作りが得意な人はいるかもしれないが、プロはいないだろうなあ。英語圏の大学には索引を研究している講座もあって、索引師養成コースもあるらしい。Society of Indexers もある。

Index, A History of the
Duncan, Dennis
Allen Lane
2021-09-02


 索引は文化で、わが国の伝統には無い。これも明治期に入ってきて、一応定着しているようには見えるけれど、邦書についている索引は形だけのものが多い気がする。当然ついているはずのタイプの本に無いことも多い気がする。とりわけ学術書。日本語の索引の作り方は英語のものとはまた異なると思うが、そういうことをまっとうに研究している人はいるのだろうか。英語の本では、中身は凡庸でも索引が優秀なので使える本もあったりする。大部の本では索引を利用して、当面必要なところだけ読むこともできる。R. A. Foster Modern Ireland などはそうやって部分的に読んでいる、つまり辞書のかわりにしているので、未だに通読していない。翻訳でもさせられなければ、通読しないで終りそうだ。そら、やれと言われれば、喜んでやりまっせ。それにしても、今、これ、出そうというところ、あるかなあ。

Modern Ireland: 1600-1972
Foster, R. F.
Penguin Books
1990-02-01


 
 

 索引にもどれば、デジタルの検索が世界を支配するようになって、あらためてその重要性が注目されている。グーグルを検索するのは、生のデータを検索しているのではなく、グーグルの索引を検索している、とグーグルのエンジニアも言っている。索引をどう作るかだけでも、検索結果は変わってくる。ハッシュタグも索引の一種ではある。
 その索引、ここでは一応本の索引は、冊子体 codex の発明が契機となる。それ以前の巻物 volume では索引は役に立たない。ランダム・アクセスが簡単にできないと索引は役にはたたない。冊子体はランダム・アクセスを容易にし、さらにノンブル、頁打ちの発明によって、本の中の位置の特定が飛躍的に容易になる。

 それにしても、アルファベットのあの順番、abc という順番は、いつ、どうやって定まったのだろう。規準になったのは何なのだ。中国には索引の伝統が無いように見えるけれど、漢字にはアルファベットやひらがなのように定まった順番というものがないからではないか。それに、まあ、字の数が多すぎる。『康煕字典』に現れたような順番が定まっているにしても、誰でも知っている順番ではない。索引を漢字だけで作るのはまず不可能だ。音韻も時代・地域で違いが大きすぎて規準にならない。索引には「誰でも知っている順番」が必要なのだ。

 序文を読んで index concordance の違いがようやくわかる。いわゆる索引、本の巻末についているのはテーマ別索引で、語彙のリストがコンコーダンス。後者はたとえば聖書とかシェイクスピアの作品とかの語彙をリストアップして、どこに出てくるかを記したリストだ。もっともこれに各々の語彙の説明をつけたものもコンコーダンスと呼ばれる。手許にあるものでは、スティーヴン・キングの『ダーク・タワー』シリーズのコンコーダンスがこれで、そうなると一種の百科事典だ。コンピュータが作る索引は本来の意味のコンコーダンスに近い。それはそれで聖書やシェイクスピア作品なら便利でもあろうが、どの本にも必要というわけじゃない。一般の本の巻末につけるのは、ある主題に沿って分類したものだ。だから、コンコーダンスは完全に中立的になりうる。一方、主題索引は、この序文に挙げられた例のように、ある主張を強烈に打ち出すツールにもなりうる。


 

 本文、第1章冒頭はバラードの短篇「索引 The Index1977 から始まる。でも、著者が指摘するこの短篇の欠陥は納得できる。これなら筒井康隆の「注釈の多い年譜」の方が形式が合っている。

 グラント回想録の Samet による注釈版には索引が無くて驚いたけれど、まともにつけようとすれば、1,000を超える今のページ数の3割増くらいにはなるんじゃないか。でも、本当はこの注釈の索引は欲しい。

 ところで、この「索引」という語はどこから出てきたのか。『大漢和』でも引かにゃなるまいか。


 届いたサンシャインの新しいインシュレータに M11Pro を置いてみる。サウンドジュリアの金属ベース+カーボンのもの、昔にサンシャインから試用品としてもらったマグネシウムの円筒形塊と比べる。金属ベース+カーボンも悪くは無いが、サンシャインの新しいインシュレータに載せるとどこか安心感が湧いてくる。音が明瞭に変わるわけではないが、背景が静かになる気がする。ここから離す気になれない。


 散歩からもどると AppleWatch のフィットネスが今日は階段を1階分しか昇っていないと言う。そんなはずはないぞ。いつもと同じだ。ちゃんと最後に昇ってる。アホめが。


##本日のグレイトフル・デッド

 9月22日は1967年から1993年まで、6本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1967 Family Dog, Denver, CO

 ポスターだけ残っている。セット・リスト無し。Mother Earth が共演。


2. 1968 Del Mar Fairgrounds, Del Mar, CA

 秋分の日フェスティヴァルで、共演者多数。Quicksilver Messenger Service, Taj Mahal, Buddy Miles Express, Mother Earth, Curly Cook's Hurdy Gurdy Band, the Youngbloods, Ace of Cups, Phoenix,  Sons of Champlinポスターが2種残っている。女性の顔をしたハーベスト・ムーンをフィーチュアしたもの。

 Curly Cook's Hurdy Gurdy Band というのはちょっと気になる。この時期、アメリカでハーディガーディをフィーチュアしたバンドがあったのか。どんな音楽をやっていたのか。音を聴きたいが、レコードは無いらしい。


3. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA

 この会場3日連続の初日。夜7時開演。この頃になるとどこの会場も複数日のレジデンス公演。

 後半オープナー〈Gimme Some Lovin'〉にスペンサー・デイヴィスがゲスト・シンガー。

 1969年から20年近く間が空くのは偶然とはいえ面白い。この時期は1975年や1986年を除き、毎年秋のツアーの最中だが、1969年から86年までは毎年休日だったわけだ。


4. 1988 Madison Square Garden, New York , NY

 9本連続の7本目。


5. 1991 Boston Garden, Boston, MA

 6本連続の3本目。基本的に良いショウのようだが、60年代、70年代をバンドとともに過ごしたデッドヘッドと、80年代以降にバスに乗った人びとで意見が別れるのは興味深い。もっとも90年代に顕著になる MIDI によるサウンドの多様化とシンセ・サウンドの多用は、好みの別れるところではある。


6. 1993 Madison Square Garden, NY

 6本連続の千秋楽。前半最後の〈Bird Song〉から最後までアンコールを除き、デヴィッド・マレィがサックスで参加。さらに後半のラスト2曲で James Cotten がハーモニカで加わる。ブランフォード・マルサリス、オーネット・コールマン、このマレィと、ジャズのサックス奏者が参加したショウを聴いた中では、1990-03-28のマルサリスの初回に次ぐ出来。DeadBase XI での John W. Scott の評ではこの年のベストとしている。テープ・コミュニティの評価でもこの年のベストとされたようだ。これは公式で出してほしい。

 ジェイムズ・コットンはマディ・ウォーターズのバンドから出たブルース・ハープ奏者。この時58歳。(ゆ)


9月17日・金

 Washington Post 書評欄のニュースレター Book Club が報じる The National Book Festival の記事を見ると、詮無きこととは知りながら、うらやましさに身の震える想いがする。今年は10日間、オンラインでのヴァーチャル・イベントで100人を超える著者が、朗読、講演、対談、インタヴュー、質疑応答などに参加する。児童書、十代少年少女、時事問題、小説、歴史と伝記、ライフスタイル、詩と散文、科学というジャンルだ。こういう一大イベントが本をテーマに開かれるということ、それを主催するのが議会図書館であるということ、そして、これがもう20年続いているということ。これを見ると、本というもの、そしてそこに形になっている文化への態度、考え方の違いを感じざるをえない。わが国は先進国、BRICs で唯一、本の売上がここ数十年減り続けている国だ。パンデミックにあっても、あるいはパンデミックだからこそ、世界のいわゆる四大出版社は昨年軒並、売上を大きく伸ばした。



 このフェスティヴァルは9/11の直前、2001年9月8日に、当時のブッシュ大統領夫人ローラの提唱で始まった。オバマ大統領夫人ミシェルは他のことに忙しくて、このフェスティヴァルを顧る余裕が無かったので、イベントは大統領一家からは独立する。当初はワシントン、D..のナショナル・モールで屋外で開かれていたが、2013年からワシントン・コンヴェンション・センターに移る。参加者はのべ20万人に達していたそうだ。そして昨年パンデミックのためにオンラインに移行するわけだが、これによって逆にワシントン、D..のローカル・イベントから、本物の全国=ナショナルなイベントになった。

 夫人はブック・フェスティヴァルから離れたにしても、オバマ氏は読書家として知られ、今でも毎年シーズンになると、推薦図書のリストを発表して、それがベストセラーになったりする。それもかなり幅広いセレクションで、政治、経済、時事に限られるわけではない。 わが国の元首相でこういうことができる人間がいるだろうか。大統領としては最低の評価がつけられながら、元大統領としてはベストと言われるカーター氏も一家あげての読書家で、夕食に集まるときには、各々が食卓に本を持ってきて、食事をしながら本について語りあう、というのを読んだこともある。

 と顧ると、本、活字、言葉をベースとした文化の層の厚さの彼我の差にため息をつかざるをえない。わが国では本が売れないのも無理はない、という諦観にとらわれてもしまう。確かにわが国にはマンガがある。しかし、マンガでは表現できないものもまたあまりに多いのだ。それにマンガが表現しようとしないことも多すぎる。

 こういうイベント、お祭がアメリカ人は大好きで、またやるのが巧い、というのもあるだろう。本のイベントの原型はSF大会ではないかとあたしは思っているけれど、ワールドコンだけでなく、今ではローカルな大会=コンヴェンションやスターウォーズ、スタートレック、ゲームなどのジャンル別の大会も花盛りだ。もちろんどれも今は中止、延期、オンライン化されているけれど、今後も増えこそすれ、減ることはあるまい。

 コミケやそれにならったイベントはわが国において、こうしたフェスティヴァル、コンヴェンションに相当する役割を果たせるだろうか。そもそものイベントの趣旨、志向しているところが違うようにも見える。それともわれわれはモノの売買を通じてでないと、コミュニケーションを始めることができないのだろうか。

 ブック・フェアも性格が異なるように思える。とはいえ、わが国でもこのナショナル・ブック・フェスティヴァルに相当するイベントを開くとすれば、例えば東京ブック・フェアが門戸を広げ、著者や編集者をより巻き込む形にすることが近道ではないかという気もする。

 パンデミックはそれまで見えなかったことをいろいろ暴露しているけれど、文化、とりあえず活字文化の層の薄さもその一つではある。

 ほんとうは活字文化だけではない。文化全体、文化活動そのものが薄いことも明らかになった。パンデミックの前、ライヴや芝居や展覧会などに青年、中年の男性の姿がほとんど無いのが不思議だったのだが、何のことはない、彼らは仲間内で飲むのに忙しくて、そんなものに行っているヒマが無かったのだった。


##本日のグレイトフル・デッド

 9月17日には1966年から1994年まで8本のショウをしている。うち公式リリースは2本。


1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 前日に続き、同じヴェニュー。


2. 1970 Fillmore East, New York, NY

 4日連続の初日。料金5.50ドル。三部制で第一部はアコースティック。ガルシアはペダルスティールを弾き、ピグペンはピアノを弾くこともあり、New Riders Of The Purple Sage David Nelson が一部の曲でマンドリンで参加。第二部が30分弱の NRPS。第三部がエレクトリック・デッド。この4日間はいずれも同じ構成。


3. 1972 Baltimore Civic Center, Baltimore, MD

 このヴェニュー3日連続の最終日。料金5.50ドル。夜8時開演。《Dick’s Picks, Vol. 23》としてアンコールのみ除いてリリースされた。前半の〈Bird Song〉(10分超、ベスト・ヴァージョンの一つ)、〈China Cat Sunflower > I Know You Rider〉(11分、Rider のジャム最高!)から〈Playing in the Band〉(18分、最高!)への並び、それに後半、1時間超の〈He's Gone > The Other One > Sing me back home〉のメドレー。CD3枚組でも全部入らない黄金の72年。ロック・バンドのコンサートの契約書には普通「最長演奏時間」の項目がある。どんなに長くなっても、これ以上はやらないよ。デッドのショウの契約書には「最短演奏時間」の項目があった。どんなに短かくても、これだけは演奏させろ。長くなる方は無制限。

 演奏はピークの年72年のそのまた一つのピーク。1972年は公式リリースされたショウの本数も、ショウ全体の完全版のリリースの数でも30年間のトップだけど、この年のショウは全部出してくれ。と、こういう録音を聴くと願う。まあテープ、今ならネット上のファイルやストリーミングを聴けばいいんだけどさ。でも、公式リリースは音が違うのよねえ。


4. 1973 Onondaga County War Memorial, Syracuse, NY

 同じヴェニュー2日間の初日。だが、翌日のショウには疑問符がつく。開演午後7時。後半2曲目〈Let Me Sing Your Blues Away〉から最後まで〈Truckin'〉を除き、トランペットのジョー・エリスとサックスのマーティン・フィエロが参加。その〈Let Me Sing Your Blues Away〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 ピアノ左端、ガルシアのギター右。キースのヴォーカルはピアノの右。そのキースの声とピアノの間でフィエロがサックス。彼はロック・バンド向けのサックス奏者ではある。だいぶ慣れてきて、キースはピアノも愉しそうだ。


5. 1982 Cumberland County Civic Center, Portland, ME

 料金10.50ドル。夜8時開演。〈Throwing Stones〉初演。前半最後から2番目。


6. 1991 Madison Square Garden, New York, NY

 9本連続の8本目。


7. 1993 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の2本目。開演夜7時半。


8. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA)

 3日連続の中日。開演夜7時。(ゆ)


6月29日・火
 
 LOA の最新の Story of the Week の解説にあった Jean Stafford の父親の話は面白い。こういう、莫大な遺産に押しつぶされた人間は他にもたくさんいただろうし、今でもいるだろう。その父親、Jean の祖父はアイリッシュ移民で、ミズーリで牧場主として成功する。Jean の父親の John は莫大な遺産(19世紀から20世紀の代わり目で30万ドル、インフレ率から換算すると今では950万ドル相当)を継ぎながら、第一次世界大戦直後、それを株式投機ですっからかんにすってしまう。あとはひたすら売れない原稿を書きつづけて、1966年、91歳まで生きた。一家の生計は母親が自宅を女子大生向けの下宿にして支えた。

 娘のジーンによれば、地下室に籠り、朝の5時から夜の8時まで、昼食もとらずにタイプを叩きつづけ、毎日最低でも5,000語書いていた。まったく売れないにしても、ここまで原稿を書く、小説を書きつづけたというのは、やはり何かを持っていたのか。あるいは何かに憑かれていたのか。

 まだ遺産があった若い頃、少なくとも1冊は作品が出版され、短篇はいくつか雑誌掲載されている。まったくのゴミというわけでもなかったのではないか。原爆に似た神秘的な兵器 "Hell Ray" についても書いていた、というから、"increasingly unconventional stories" というものには、サイエンス・フィクション的な要素もあったのか。とはいえジーンのある伝記によれば "The piles of unpublished, unread manuscripts accumulated more quickly than the inevitable rejection letters." だったそうから、送ってみなかったわけではないらしい。もっとも送る先を間違えれば、当然拒絶されただろう。それともやはり半ば気が狂っていたのか。死の15年前にジーンが最後に会った時、その姿に、子どもたちが揺籠の中で自殺しなかったのは驚きだと思ったとなると、やはり一種の狂気であろうか。

 こういう狂気は日本語でもあるのだろうか。と思ってしまう。今ならいるだろうか。誰も読まないテキストを、それも毎日40〜50枚、15,000〜20,000字を延々とブログに書きつづける、とか。それだけ毎日書いて、なおかつ中身がちゃんとあり、同じことの繰返しで無く、何かの引き写しでも無いなら、それは一つの才能だろう。もう少しヒマになったら、できるかどうか、やってみるかとも思ってしまう。だからといって John Stafford の原稿を読んでみたいとは思わないが。

 John が若い頃パルプ雑誌にウェスタンを書いていた様々な筆名が、ちゃんと調査され、本人のものとつきとめられているのも、なかなか面白い。契約書などが残っているのか。シルヴァーバーグも ISFDB を見ると、その筆名はほぼつきとめられているらしいが、かれはまだ戦後だ。もっともアメリカは戦災を蒙ったことがないから、戦前からの文書、書物もちゃんと残っているらしい。パルプ雑誌の著者との連絡は大部分が手紙で、しかも手紙のみでやられていた(だから著者の中には女性や黒人もいた由)というから、その手紙が残っているのか。どこかの図書館にどーんと集められているのかもしれない。(ゆ)

6月5日・土
 
 Washington Post Book Club に紹介されていた、グーテンベルクから現代までのタイポグラフィーに関する本の展覧会。こういう本には何時間でも浸っていられそうだ。ここには近代朝鮮語の印刷についての本があるけど、日本語の印刷についての本を見たい。トッパンの印刷博物館も再開したようだし、また行ってみるか。ちょうど面白そうな展示をしているし。


 今日の DNB のフリー配信 George Henry Chatham [nicknamed Taters] (1912–1997), thief。ロンドンのフラム生まれ。18歳で初めて盗みで有罪となる。金持ちや贅沢品の販売店ばかり狙い、基本単独で実行。最も派手なのはヴィクトリア&アルバート博物館からウェリントン公爵の宝剣二振りを盗んだこと。これでは捕まらなかった。というより、晩年、衰えるまで、ほとんど捕まっていないらしい。その盗みは犯人不明のままマスメディアで喧伝される。仇名の Taters は cold のライミング・スラング taters in the mould からで、その冷静沈着なことからついた。生涯に盗んだ総額は推定100万ポンド、刑期35年に相当すると言われた。70代半ばまで「現役」。どうしようもないギャンブル中毒で、それだけ稼ぎながらすべて注ぎこみ、しかもいかさま賭博で巻きあげられ、ほとんど常に無一文。ヴィクトリア朝ならいざ知らず、20世紀にこんな泥棒が実在したとは驚き。標的にされた連中も含めて、実にイングランドだ。こういう項目がちゃんとあるのもさすが DNB。(ゆ)

文學界 (2020年11月号)
文藝春秋
2020-10-07


 「JAZZ × 文学」として「総力特集」を組む。冒頭に村井康司さんによる村上春樹へのロング・インタヴューを置き、以下に

創作2本
対談3本
長めのエッセイ2本
「ジャズと私」として短いエッセイ9本
「ジャズ喫茶店主が選ぶこの1枚とこの1冊として7本
それに小説と非小説それぞれの読書ガイド

を収録する。巻頭から155ページ。全体の4割を割いている。

 『文學界』の読者にジャズを紹介しようというのが基本の姿勢。村上春樹にこれからスタン・ゲッツを聴こうという人へのお薦めを訊ねているのが象徴だ。登場している書き手たちの作品の背後にジャズがあることを示し、そのジャズの世界へ誘う。

 登場している人たちは皆、長年ジャズに親しんでいる。聴くだけでなく、読んでもいる。作家だけでなく、ジャズ喫茶の店主たちも皆読書家だ。そのセレクションがまず面白い。初めのお二人の1冊はジャズの本だが、他の5人それぞれの1冊はジャズと結びつけられることはまず無いものばかりだ。

 親しみ方も半端ではなく、時間が長いだけでなく、聴いている音楽のほとんどはジャズであるらしいし、深く突込んで聴いている。

 にもかかわらず、あるいはそれ故にこそ、語られているジャズはほとんどがビバップからコルトレーンの死までの、ジャズの黄金時代と呼ばれるごく短かい時期の録音だ。山下洋輔 × 菊地成孔、岸政彦 × 山中千尋の対談が各々のジャズを対象にしているのと、ラストに置かれた柳樂光隆氏の文章がかろうじて今起きているジャズに触れているのが目立つ。

 あるいはペーター・ブロッツマンについての保坂和志の文章が新鮮になる。この文章は、ブロッツマンの、ジャズの、ひいては音楽の聴き方そのものについても新鮮で、この特集で最も面白いものの一つだ。

 個人的には文学側で唯一、本人を知っている木村紅美さんの文章も面白い。そういえば、彼女と音楽全体について話をしたことはなかった。

 アマチュアとして実践する立場からジャズの「現場」について論じた岸政彦のエッセイもいろいろと興味深い。これを読むと、ジャズとアイリッシュ・ミュージックの相似にますます確信が強くなった。世界のいたるところで音楽の共通言語になっているということで、つまり、一定の数の「スタンダード」といくつかのルールを身につけているだけで、誰とでもどこでも「セッション」できてしまうという点で、ジャズとアイリッシュ・ミュージックは同じだ。だからといって、両方一緒にやるのも容易というわけではないが。

 もう一つ、岸氏のいう「ジャズ界」がニューヨークを頂点とするヒエラルキーをなしているという見方もいろいろな意味で興味深い。ロンドンやミュンヘンやストックホルム、あるいはイスタンブールやカイロ、あるいはブエノスアイレスやサンパウロでジャズをやっている人たちもそういうヒエラルキーを捕捉しているのだろうか。その前に、アトランタやシカゴやサンフランシスコやでジャズをやっている人たちが、そういうヒエラルキーを見ているのだろうか。

 いるのかもしれない。アイリッシュ・ミュージックにおいて、源泉としてのアイルランドの地位は絶対的だから、ジャズにおいてもそうしたセンターがあってもおかしくはない。

 ただ、ジャズにはそういうニューヨークを頂点とするヒエラルキーを成すものとは別の側面、位相、要素もあるようにも見える。そして、あたしが今いっちゃん面白いと入れこんでいるのは、そのヒエラルキーからは外れた、センターをひっぱずすようなジャズなのだ。端的に言えば、各地の伝統音楽の要素を持ちこみ、あるいは伝統音楽にジャズの方法論を適用して、これまで聴いたことがないと思える音楽をやっている連中だ。

 もう一つ言えば、あたしのような、ジャズも聴くリスナー、音楽は大好きで、ここに登場している人たちと同じく、音楽が無くては生きてはいけないが、ジャズはその音楽生活の一部であるような人間が面白がる音楽だ。

 その意味では、村上春樹が聴いているジャズ以外の音楽も含めた話を聞いてみたい。CDで持っているのはクラシックが多いというのなら、何をどのように聴いているのか。それは村上の中でジャズとどうつながっているのかいないのか。オーディオ・ファンの端くれとしては、何で聴いているのかも訊いてみたいが、おそらくそれはもうどこかに出ているのだろう。

 JAZZ × 文学を掲げるのであれば、「ジャズ文学」についての話が、読書ガイドだけではなく、もっとあってもいいと思う。この号には映画『スパイの妻』をめぐる蓮實重彦、黒沢清、濱口竜介の鼎談も載っていて、これが滅法面白い。映画はふだん見ないあたしも、これなら見てもいいかなと思えるくらい面白い。たとえば間章の文業について、微に入り細を穿って検討する座談会ないし論考ぐらいは欲しいところだ。筒井康隆の「ジャズ小説」についてのものでもいい。

 まあ、そういうことはこれからやられることを期待しよう。

 それにしても、こういう特集が組まれるのは、ジャズが今また盛り上がっていることの反映なのだろう。それにしてはその今の盛り上がりの内実に触れているのが、ほとんど柳樂さんの文章だけというのも、これまたひどく「ジャズ的」と思うのは下司の勘繰りであろうか。

 ジャズはもともとが雑種音楽で、実に多種多様多彩なものから成っていて、多種多様多彩な位相、側面を展開し、聴かせてきた、とあたしには見えるのだが、たとえばここに現れているように、ジャズをモノ・カルチャーと見ようとする姿勢ばかりが目立つのは、もったいないとも思うし、半世紀前ならともかく、「多様性」があらゆる文化のキーワードになってきている今の精神にはそぐわないとも思う。リニアな物語として捉えるのは、目先、役に立つかもしれないが、そういう物語は多くのものを切り捨てなければ成立しない。一般的に言っても、語られていないところで起きていることの方がずっと面白く、したがって大事なことの方が多いのだ。そのことは『100年のジャズを聴く』後藤雅洋×村井康司×柳樂光隆でも、散々言われていたことではある。皆さん、あの本を読んでいないのか。

100年のジャズを聴く
柳樂 光隆
シンコーミュージック
2017-11-16



 現代のジャズ・ミュージシャンのレコード棚にはジミー・ジュフリーのレコードが、現代のジャズ・ファンのレコード棚よりもずっと沢山あるのではないかと思っている、証拠は何も無いが。先日、ECM から出た Matthieu Bordenave/Patrice Moret/Florian Weber の La Traversee のレヴューにこうあって、なるほどと思って聴いてみれば、そう、こういう絡み合う即興があたしには面白いのだと納得した。そして、この絡み合う即興は、そう、グレイトフル・デッドの即興にも通じるのだ。このアルバムの3人がデッドを聴いているとはちょっと思えないが。(ゆ)

 つい先日創刊40周年記念号を出した fRoots 誌が休刊を発表した。事実上の廃刊だろう。だしぬけの発表で、40周年記念号巻頭では、編集長を降り、次代へ引き継ぐことに楽観的な見通しを編集長アンダースン自身が書いていたから、驚かされた。

 一方で、やはりそうだったか、という感覚も湧いてきた。Kickstarter による資金調達の成功にもかかわらず、その結果は季刊への移行だったし、編集長を次の人間に讓る意向をアンダースンが表明してからも、具体的な進展は示されないままだった。草の根資金調達で得られた資金はつまるところ、リーマン・ショックによる広告収入の激減で負った多額の負債の返済にあてられたことも、わかってきていた。

 ふり返ってみれば、この雑誌は創立者で編集長のイアン・アンダースンの個人誌だった。協力者や執筆者には事欠かなかったにしても、カヴァーする音楽の選択、取り上げる角度やアプローチの態度を決めているのはひとえにアンダースンの嗜好であり、感覚だった。その雑誌が時代からズレるというのは、必ずしもアンダースン自身の感覚や嗜好が時代とズレているからではないだろう。紙の定期刊行物は音楽シーンをある角度で切り取って提示する。その角度の意外性で勝負する。fRoots はその点では際立っていた。端的に言えば、その表紙にとりあげられたことで初めて教えられた優れたミュージシャンたちの多さだ。あるいは既存の、よく知られたミュージシャンでもその表紙になって、新鮮なリブート体験を我々は味わうことになった。

 雑誌制作の性格としては中村とうようの『ニュー・ミュージック・マガジン』に似ていなくもない。ただし、アンダースンと中村では、音楽業界への態度は対極ではあった。業界への影響力を確保することを目指した中村に対し、アンダースンは業界と馴れ合うことを避け、常に一線を画した。ミュージシャンとリスナーの側に立っていた。音楽はミュージシャンとリスナーのものであり、レコード会社や著作権管理会社のものではない、という態度だ。そこが fRoots と Songline の決定的な違いであり、だからこそ fRoots は信頼できたのだった。しかし、おそらくはこのことが、fRoots 存続の可能性を断ったのではないかとも思われる。

 fRoots の手法は媒体が限られていて、ヨーロッパのルーツ・ミュージックに関しては fRoots ないしその前身の Folk Roots がほとんど独占状態だった時には絶大な効力を発揮した。年2回、付録につくサンプラーCDを、我々はまさに垂涎の想いで手にしたし、また期待は裏切られなかった。Songline はカタログ雑誌にすぎなかったから、fRoots を補完するものではあっても、その存在を危うくするものではなかった。

 今世紀に入り、情報の媒体が紙からネットに移る頃から fRoots の存在感が薄れだす。むろん、変化は徐々で、初めはそうとわからない。はっきりしてきたのは2010年代に入ってからだ。いや、たぶん、2008年のリーマン・ショックは fRoots の媒体としての影響力が低下していた事実を明るみに出したのだ。

 fRoots のセレクション、プッシュするミュージシャンと録音の選択やその評価の内実が劣化したわけではない。その点では、各種ネット・マガジンも含めて、最も信用のおけるもので、肩を並べられるものはない。音楽雑誌編集者としてのアンダースンはやはり20世紀最高の1人であることはまちがいない。しかし、情報環境の変化は、意外性を主なツールとした fRoots の手法を不可能にした。紙では遅すぎたし、肝心の音を聴かせることもできず、意表を突くことができなくなったのだ。そして、経営者としてのアンダースンは、その環境に適応することがついにできなかった。

 環境の変化に適応することができなかったとアンダースンを非難するのは不当というものだ。それができている経営者も編集者も、今のところいないのだ。成功しているのはすべて新たに出現した手法であり、人びとだ。パラダイム・シフトが起きるとき、古いパラダイムを担っていた人びとが新たなパラダイムに適応したり、転向したりして起きるわけではない。古いパラダイムを担っていた人びとが新たなパラダイムを持った人びとにとって換わられて、パラダイムは転換する。

 紙の媒体、とりわけ音楽誌のような情報提供を主な機能とする媒体において、今起きているパラダイム・シフトを生き延びる方策を見つけ、あるいは編み出した人間はまだいない。カタログ雑誌つまり宣伝機関としては別だ。それは機能が異なる。fRoots のような、批評すなわち価値判断を含む情報を提供する媒体は消滅しようとしている。メディアは何が出ているか、知らせればいい、価値判断はリスナーがそれぞれにくだすのだ、というのが趨勢なのだろう。しかし、リスナーは本当に自分にとって適切な判断を下せるのか。その判断の基準は何か。

 判断基準は知識と経験によって作られる。ここで肝心なのは、快楽原則による経験のみではうまくいかないことだ。聴いて気持ちがよいものを選ぶだけでは、使える判断基準を作れない。ひとつには「気持ちがよい」ことに基準が無いからだ。もう一つには、砂糖や阿片のように、無原則な快楽追及はリスナー自身の感覚を破壊するからだ。だから、批評すなわち知識が必要になる。批評とは対象のプラス面だけでなく、どんなものにも必ずあるマイナス面も把握し、両者の得失を論じ、全体として評価する行為だ。片方だけでは批評にならない。

 fRoots の重要さはそこだった。世に氾濫する音楽に対して、批評を働かせていた。しかもその軸がぶれなかった。音楽伝統に根差したものであること。伝統へのリスペクトがあること。ミュージシャン自身に音楽表現へのやむにやまれぬ欲求があること。この雑誌が選び、プッシュする音楽は聴いて楽しく、美しく、面白く、哀しい。そして時間が経ってもその楽しさ、美しさ、面白さ、哀しさが色褪せない。かつて付録についていたCDを今聴いても、面白さは失せていないし、それどころか、今聴く方が面白い場合も少なくない。その時、流行っているから、売るために金をもらったからプッシュするのではなく、他の様々な音楽と並べてもより広く聞かれる価値があると判断してプッシュしていたからだ。

 現在とってかわろうとしている新たなパラダイムは、批評を必要としないのだろうか。対象に無条件に没入することは一時的には至福かもしれない。一方で、中毒の危険性は致命的なまでに高い。対象から一度距離をとり、その利害得失を冷静に測ることは、あるドラッグの性格と致死量を測定することに等しい。そのドラッグによってどのような体験が可能となり、どこまでは致命的な中毒に陥らずに摂取できるか。それは、いつ、どこにあっても、何に対しても重要だ。そして現在は、新たなドラッグ、摂取の仕方も効果も致死量も様々に異なるドラッグが、日々考案され、リリースされている。入手も従来より遙かに簡単だ。ドラッグは何もヘロインやアルコールやニコチンや砂糖だけではない。中毒性のあるものは何でもドラッグになる。テレビもゲームもSNSも、音楽もアニメも演劇も、すべてドラッグになる。むしろ、批評が必要とされていることでは今は空前の時代なのだ。新たなパラダイムにふさわしい批評のあり方、手法や伝達方法がまだ見つかっていないだけなのだ。

 fRoots にもどれば、たとえ雑誌の継続発行は途絶えても、この雑誌が築いてきた批評が消滅するわけではない。40年間の蓄積もまた、他には無いユニークなものだ。

 とりあえず、イアン・アンダースンよ、長い間、ご苦労様。ありがとう。ゆっくり休んで、あなたのもう一つの顔、優れたミュージシャンとしての活動に本腰を入れてくれますように。(ゆ)

 ドア・チャイムを鳴らしたのは郵便配達の人で、ポストに入らないんですよ、と手渡された封筒は確かに部厚い。送り出し人を見ると福岡の Rethink Books とある。はてな、ととり出してみたら、こんな枕本が出てきた。


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 下北沢に B&B という本屋兼カフェがあって、あたしも何度かイベントに行ったし、またイベントをさせてもらってもいる。そこの中川さんからそういえば「今日の宿題」を頼まれて出したことがあったっけ。先日、本にするからと「校正」も頼まれていた。それがこんな立派な、サイコロのような本とは思いもよらなかった。宿題を出した人は計320人、各々が見開き2ページになるから、それだけで640ページ。写真やいろいろついて計680ページ。サイズは文庫。定価は980円+税。販売は B&B と B&B が出張出店し、この「今日の宿題」が掲示された福岡・天神の Rethink Books のみ。もっとも Rethink Books の方は今月いっぱいで閉店。

 昨年6月1日から1年間の限定で開いた Rethink Books の店内に、本棚は置けないスペースがあり、ここを活用するために考えられたのが「今日の宿題」。毎日違う人が出した「宿題」がここに掲示される。この「宿題」はネットなどでは公表されず、本屋に行かないと見られない。もっとも知らないで来た人は不意打ちを食う。「宿題」をどう受取るかはもちろん、来店した人、見た人それぞれに任される。その宿題を集めたのが、この本だ。

 320人の出題者は掲出順に巻頭の谷川俊太郎氏からラストの吉増剛造氏まで、まあ、いろいろな人がいる。一応肩書もついている。山伏という人もいる。B&B のイベントに出たときに頼まれたので、あたしと村上淳志さんとトシバウロンが並んでいる。あたしのものと、トシさんのものの趣旨が同じなのも面白い。アイリッシュ・ミュージックとの関わりからの感覚だからだろうか。少なくともあたしはそうだ。

 アイリッシュ・ミュージックを好むようになったのは、あたし自身の積極的な意志による選択では、金輪際無いからだ。そうすると、他の音楽の嗜好も、読む本も、どれも向こうからやってきたので、自分から選んだとは到底思えなくなる。おまえは私を聴かねばならない。おまえは俺を読まねばならない。いつもそう言われていると感じる。そして、相手の「意志」には従わざるをえない。到底抵抗できるようなものではないからだ。それに、従って嫌な想いをしたことも、今のところ、無い。

 それはそれとして、他の人たちが出した宿題を見てゆくのは、たまらなく面白い。にやりとするもの、へーえと驚くもの、うーんと考えこまされるもの、わっはっはと笑えるもの、そうだよねえと共感するもの、なんだかわからないもの。どれにも共通するのは、出した本人が常日頃抱えている問題意識の反映であること。したがってどれも切実なのだ。思わず、答えたくなる。もちろん、どう答えるかは、読者に任される。答えなくたっていい。ただ、答えようとして、いろいろ考えることは楽しい。

 一気に読むのも楽しいだろうが、ここは元の趣旨にしたがって、毎日一題、1年かけてゆっくりと読んでゆくのも面白い。

 この企画に招いていただいた中川さん、ありがとうございました。そして、この企画を考えて実行した内沼晋太郎氏と B&B、Rethink Books の皆さんにも感謝。(ゆ)

 安部公房は首から下げる式の大きな画板に原稿用紙を置いていつも書いていた。安部にとっての書斎はこの画板だった。というのを読んで、いい話だ、あたしも画板に MacBook を置いて書いたら楽そうだ、と思っていたら、この本を見て、書庫は欲しいと思うようになった。実家を畳んだとき、預けてあった本の大部分は処分し、どうしても残しておきたい本だけ持ってきたのだが、段ボールに入れて積んだままだ。どこに何があるのかももうわからない。読みたい本があって、そういえばあれは持っていたはずだと、データベースを検索するとちゃんと入っている。が、どうにも出てこない。探しまわる労力を考えると、古本を買うほうが安いし早いと注文してしまう。


 コレクターではないつもりだが、本もレコードもなんだかんだでそれぞれ1万タイトルはある。30年も追いかけていれば、塵も積もるのだ。これの背中が一望できるようにしたい。とは思う。読みたい、聴きたいというよりも、すいと抜きだしてパラパラやったり、ジャケットを眺めたり、ライナーを読んだりするだけでいい。ひょっとすると本やレコード同士が共鳴したり、呼びあったりして、思わぬ反応が生まれるかもしれない。


 本書はそういう願望、欲望にもならない、遙かな願望には最適の書庫を建てる話だ。そこがまず面白い。東京の、それも23区内という超過密地帯では、プロの協力が不可欠だ。それでもあやうく「ガセ」を掴まされかけるというスリルもある。


 なぜ、こういう建物を建てる気になったか。そこがまた面白い。著者はあたしの一歳下、父親はともに同じ昭和2年生まれ、ということも面白い。あたしの父親は貧乏人の次男坊だったから、松原の父親のようには壊れなかったが、やはりよくわからない人物だった。そもそも父親の実家がよくわからないイエだった。次男ということもあり、父は婿養子に来たから、あたしが継ぐべきイエは母親のそれだが、これまたあって無いようなもの。昭和のはじめに静岡の田舎から単身上京した祖父が「初代」ということになる。この祖父が自分の実家とは交際が無かったからだ。ウチで法事というのは、祖父以後のホトケさんが対象になる。つまり、松原のような事情はあたしには無縁なのだが、だからこそ、知らない世界だからこそ面白い。松原の祖父のような人間は他にも多数いたはずで、昭和の日本を支えたのはこういう人びとだったのではないか。


 堀部安嗣という建築家の考え方が面白い。とりわけ興奮したのは、この書庫から触発されて設計してみた公共図書館のアイデア(162pp.)。そもそもこの書庫を思いつく源泉となったスウェーデン市立図書館には憧れていたが、この堀部版図書館があれば、その街に引越したいくらいだ。


 この図書館のプランに付随して堀部が述べる図書館の役割には共感する。


「今の時代、図書館の最も重要な役割は街で浴びた情報から自分を避難させ、情 報を洗い落とすところにあるといっていいかもしれないし、今後そのような役割 が重視されてゆくような気がする。情報を集める場所だった図書館が、有象無象 の情報から身を守り、自分にとって本当に必要な情報だけを得られる場所となっ てゆく。」165pp. 


 図書館もだが、本、書物の役割がそもそもそれじゃないか。つまり情報を濾過し、取捨選択して整理し、知識として使えるようにする。 出版の役割もそこにあるんじゃないか。


 この構想をもう一歩進めるならば、図書館は大きなものが1ヶ所に集中している必要はない。情報はクラウドにあればいい、その方がむしろ利用しやすく、されやすい。エネルギーは1ヶ所で作らなくてもいい。必要なところで必要なだけ作ればいい。従来は不可能だったことも、テクノロジーの発達は可能にしている。図書館もまた、小さな書庫、1万冊を収蔵する書庫が10軒あれば10万冊、100軒あれば100万冊。そしてそれぞれが特色を持つ。堀部の公共図書館プランの1つの円筒が独立した形だ。それが街のあちこちにある。そこを歩きまわる。途中にすてきなカフェもあって、いま借りてきた本に目を通す。


 阿佐ヶ谷の書庫は松原の死後、どうなるであろうか。息子あるいは弟子が讓り受けて使うことになる可能性が最も高い。しかし、「地域に開放」して、誰でも利用できるようにすることもできる。


 この書庫も完璧ではない。ここでは階段を登り降りできなくなるという可能性は考慮されていない。もちろん、ここにエレヴェータを設置することはかぎりなく不可能に近いだろうし、できたとしてもとんでもなく高価になるだろう。


 とはいえ、そういう設備のある書庫もあっていいはずだ。


 それにしても、一番の面白さは、1万冊の本とばかでかい仏壇を8坪の土地に収めるという松原隆一郎の挑戦に、堀部安嗣が応えてゆくところだ。そして出した、円筒を螺旋階段でつなぐという回答の面白さ。さらに、円筒の建物、つまり塔を建てるのではなく、立方体の内部をくり抜くという面白さ。外から見れば窓が少ない以外は特にめだつものではないが、一度中に入ると、これに似た空間は、今この瞬間では、地球上にはまず無いだろう。これは「バベルの図書館」の極小版ではないか。


 松原の挑戦に堀部がみごとに応えて、松原はかれにとって理想の書庫兼仕事場を手に入れた。ここからどんな仕事を生み出すか、今度は松原が堀部に挑戦されているわけだ。この書庫にふさわしい仕事を生み出すことができるか。それは松原自身の課題であるが、一方で、環境と創造性の関係の点からは、より広い「世間」の関心も呼ばずにはいまい。


 この本を読もうとしたきっかけは月刊『みすず』7月号の植田実「住まいの手帖」105「阿佐ヶ谷の書庫」。この号ではもう1冊、酒井啓子「若者は『砂漠』を目指す」に啓発されて、ブノアメシャン『砂漠の豹 イブン・サウド』を読んでいる。そして今日の Al Jazeera の記事 "Bringing Arab opera to a Western stage" のネタになった新作オペラの原作 Cities of Salt は、そのイブン・サウドが建てたサウディアラビアで1932年、石油が見つかったことから起きる大騒動を描いて、20世紀アラブ文学の代表作とされる。この長篇5部作はサウディアラビアでは発禁、著者のアブドルラーマン・ムニフはサウディアラビア市民権を剥奪されている。となると、読む価値はあるだろう。(ゆ)

 結局ジャズはまず器楽なのだ。むろんヴォーカルのディスクも取り上げられてはいるが、それも声を楽器のひとつとして捉えている。ジャズは楽器を使う音楽だ。無伴奏歌謡はジャズにならない。これは音楽の中では異端の状態だ。音楽は人間の声が土台で柱で壁で天井で、そしてその中の空気なのであって、うたに始まり、うたに終わる。それとは対極のところにジャズはある。あるいは対極のところをジャズはめざす。

 それはつまるところ「ジャズというジャンルは、この本の中でも言及してきたように、アンサンブルとソロ、楽曲と即興の関係について、さまざまな試行錯誤がなされてきた分野である」(198pp.)からだ。ジャズとはこういう音楽で、そのためにあの姿、形をとってきた。他の音楽はこういうことを考えない。しようとしない。したいと思わない。しようとするときは、否応なくジャズの姿をとるしかない。

 そしてその試行錯誤に最も適した楽器を使用する。人間が息を使って音を出す楽器が主に使われる。弦楽器は片隅に追いやられる。ヴァイオリンは限られた天才しかできない。凡庸なジャズ・サックス奏者は普通にいるが、凡庸なジャズ・ヴァイオリニストというものはいない。ギターも電気増幅によって音が持続できるようになったからだ。凡庸なジャズ・アコースティック・ギタリストは存在しない。ベースは例外だが、弦楽器というよりは打楽器の仲間とみなされたのだろう。ピアノも同じだ。

 この試行錯誤を別のことばでいえば「遊び」である。生活必需品、衣食住は供給しないし、他人の暴力から守ってもくれない。ただのヒマ潰し、現実逃避だ。ただし、あってもなくても同じではない。人間は遊ぶから人間なのだ。そして音楽は人間だけの遊びだ。現在のところ進化の最終形態だ。音楽を演ることを楽しむ、音楽を聴くことを楽しむところまで、生命は進化してきたのだ。

 言うなれば、ジャズは、生物としての人間が到達しうる最も先端の状態である。ジャズがたった百年の間に、これだけめまぐるしくも、急激に変容したのも、だから当然のことではある。百年しかないその過程を「歴史」と感じるのは、その中に人間の、ひいては生命の進化全体が凝縮されているからだ。

 ここで取り上げられているのはさらに短かい。まあ、古生代までは省略して、いきなり恐竜から始めたようなものですな。その過程の中で、時々の最先端を形成し、次の世代の先駆ともなった活動の軌跡を集めたのがこの100枚、ということになろう。

 それにしても「アルバム」という単位がまだ生きていることに、ぼくは不思議の念に打たれる。もともとは商売のための単位でしかなかったものが、ジャズにあっては音楽自体の要請とうまくかち合ったということだろうか。むしろジャズにとっては、LPというメディアは必ずしも居心地の良いものではなかったはずだが、そのことがかえって幸いしたのだろうか。

 音楽にとって録音は副次的な活動である。それは記録であり、軌跡である。録音を作成し、販売し、それを聴くことが主な音楽活動であるとするのは錯覚でしかない。録音がデジタル化されることで、そのことがあらためて露わになった。デジタル化はアナログでは見えにくいことを暴露する。これもその一つだ。

 日本のジャズ受容の特殊性が、ここでも働いているのかもしれない。日本、とりわけ戦後におけるジャズの消化は圧倒的に録音を媒介とした。ジャズだけのことではなく、音楽に限った話でもないが、ジャズは録音偏重が極端なケースでもある。もっともロックの場合はさらに偏りが進んでいるが、これは音楽自体の成立ちにも関わる。乱暴に言うと、ロックは録音を作る、ジャズの録音はできる。

 興味深いのは、単位としてディスクを看板に掲げながら、いざディスクの内容を紹介するとなると、個々のトラック、楽曲が挙げられるところ。ディスク全体の構成や流れに立つ記述で面白いものもあるが、つまるところはこの曲が入っているからこのディスク、という姿勢におちつく。ディスクはやはり中短篇集、せいぜいが連作集であって、1本の長篇にはなれない。中短編集が長篇に劣るのではない。「良い短篇集は数冊の長篇に匹敵する」とは筒井康隆も言っている。しかし、どんなに優れた中短編をいくら集めても、長篇にはならない。ジャズの文脈で長篇に一番近いのは、1本のライヴ、コンサートだろう。だからこの100枚の中で長篇に最も近いのはアート・アンサンブル・オヴ・シカゴとサン・ラーのものになる。1枚1曲のようなものもあるが、それは長篇というよりは、ノヴェラ、長い中篇だ。

 アルバム単位で把握しながら、具体的な評価軸は楽曲の出来になる。なぜ、素直に楽曲に行かないのか。アルバムという枠組を、なぜはさむのか。これはやはり「録音症候群」ではないか。「アルバム」という枠組はCD由来ではない、LPというメディアが分かちがたく絡んでいる。

 もちろんLPを離れた論議もジャズをめぐって行われているのだろうが、ジャズへの導入口というと、判で押したようにディスク・ガイドの形をとるところを見ると、ジャズがつながれているLPというメディアの軛の強さに、あらためて驚く。視野が広く、しかも刺激的な文章が詰まっているだけに、その部分がどうにも訝しい。

 訝しいというより、もどかしい、と言うべきかもしれない。これもこうした本の常としてブートレッグは御法度だ。しかし、1987年11月、ブエノス・アイレスでのスティングの公演のブートレッグで聴けるケニー・カークランドのソロは、オフィシャルの《BRING ON THE NIGHT》のものを数段上回るし、ここでのスティーヴ・コールマンの演奏もまた最高なのだ。このブートの元は現地の放送音源のはずで、オフィシャル・リリースが出ないかと淡い期待をしておく。

 もどかしさはもう一つある。

 ここにフェラ・クティが登場しない(巻末の対談でバラカンさんの口から洩れるだけ)のは、とことん遊ぼうとする著者の姿勢からすれば、当然なのかもしれない。フェラにとって音楽は「単なる」遊びではなかった。それは命懸けの、生きることそのものであって、圧倒的に非対称な相手と取っ組み合い、音楽という「遊び」の形をとることでかろうじて崖っ縁で踏みとどまっていた。音楽という「遊び=文化」の形をとったおかげで、最後に笑うことができた。後に残って、人間の真の姿を暴きだすのは文化だからだ。ナチが抹殺しようとした「モダンな芸術作品」が、爆撃で建物ごと埋められ、遙か後年地下鉄工事で掘り出されるように。

 もっともそうして見れば、パコ・デ・ルシアも、チューチョ・バルデスも、ヒュー・マセケラも、ヤン・ガルバレクもここには登場しない。ブラジル人は登場するから、それは著者の好みだと言ってすませることもできる。

 とはいうものの、なのだ。ジャズとはまずなによりもアメリカの産物、という暗黙の了解が底に流れているのを、やはり感じてしまう。

 確かにジャズはアメリカに生まれてはいる。アメリカでしか生まれなかったでもあろう。そしてアメリカで育ってきたものでもある。最も面白いことは大部分アメリカで起きてもきたし、今でもいるだろう。しかし新しい冒険に乗出している者がアメリカに限らないことは、大友良英を例として挙げられてもいる。日本やアメリカで起きていることが、日本とアメリカ以外で起きていないはずはない。

 そこまで期待するのは酷だろうか。しかし、「多様な試み、多様なジャンル、多様なタイプの音楽を先入観なく聴いて、そこから自分なりの新たな音楽聴取の喜びを見いだし、そうすることによって以前聴いた音楽にま新しい意味を聞きとる……という『耳の更新』を常に行う聴き手が増えることによって、『明日のジャズ』は生き生きとした豊かなものになるはずだ」(『ジャズの明日へ』)と20世紀の最後に宣言した著者であってみれば、そしてこの本の冒頭にも「ジャズも雑食のほうが楽しいとおもうよ、ぜったい」と呼びかけた著者であってみれば、もっと雑食を、と期待してしまうのは、手前勝手だろうか。

 これは導入口だから、というのなら、それは違う。いりぐちであるからこそ、ジャズの世界の奥行と拡がりは可能なかぎり提示すべきだ。


 それにしても、この本はいったい誰に向けて書かれたのか。巻末対談で想定読者対象の話が出てくるところを見れば、そう思うのはぼくだけではない。「『デートコースって何? 菊地がやってるマイルス風のバンド? ふーん』とかタワけたことを抜かしているコアなジャズ・ファンのおじちゃんたち」(203pp.)にはもう遅すぎるし、「ちゃぶ台の前に正座して、玉露を飲み、最中を食いながら」(37pp.)アート・ペッパーを聴く人間、なんて鉄の下駄を履いて探しても見つかるまい。そのデートコースのライヴで踊りくるっている人たちは、そもそもこんな本など必要としないだろう。

 思うに、軸足は他に置きながらジャズの周囲をうろうろし、つまみ食いしながらも、深く足を踏み入れるのはためらっている、そういうリスナーが一番ありがたがるのではないか。そして、同じように「アルバムの軛」につながれている人間。つまりはぼくのような中途半端な人間にとって、霊験あらたかなのではないか。読みながら、まるでぼくのために、ぼくのためだけに、書いてくれたような感覚を何度も覚えた。

 そう感じながら、あと一歩、いや半歩、踏みこんでくれたら、と思うこともまたしばしばで、そのもどかしさはどこから来るのか、というのを書きながら探ってみると、上述のようなことになる。

 最後に著者が言うように、この100枚、あるいは追加も含めて300枚を、順不同、シャッフルして聴いてみるのが、最も実り多いだろう。むしろ、全部をライブラリにぶちこんで、曲もシャッフルして聴いてみるのが一番かもしれない。あるいはそこで、ここでもまだ隠されている様相が、わらわらと立ち上がってくるのではないか。(ゆ)




*MacBook Pro を Luxa のノート用冷却台にのせていて、どうも脚がすべったり、こたつの天板に傷がついたりする。ハンズへ行ってみたら、ハネナイトシートというのがある。ノーソレックスゴムという、普通のゴムよりも振動を吸収する材質を使った丸くて平たく黒いモノ。オーディオ機器などの下に貼りつけて、本体が動かなくするためのもの。ためしに脚の下に敷いてみると、がっちりと安定して使いやすくなった。

 驚いたのは MacBook で再生する音の解像感と明瞭感がツーランクぐらいアップしたこと。ケーブルを換えるとか、DACを換えるとかよりも、はるかに効果が大きい。Audirvana Plus + DRAGONFLY + Porta Tube+ + TH900の真価を初めて見る。なるほど、よけいな振動をおさえると音が良くなるのはこういうことかと納得。

*『ヘッドフォンブック2013』を眺めていると、ヘッドフォンの新製品にオープン・タイプが少ない。普及価格帯には皆無。安いのは KOSS PortaPro KTC くらいで、これは旧製品にリモート/マイクを付けただけ。本体は変わっていない。新製品はみなアッパーからハイエンドばかり。これから出るとアナウンスされているものも、オンキョーもADLもクローズド。昨年の Shure のモニター・ヘッドフォンが特異にみえる。

 そりゃ、ヘッドフォンはもともとの目的からするとクローズドが基本だが、選択肢が狭くなるのはなんだかなあ。このムックには「オープン型ヘッドフォンの魅力」という記事もあるが、ここにあげられているのも、どれも安くはない。単純に安いオープン型に良いものがないのか。

 それに、どれもでかいんだよね。気軽に持ってでかけて、散歩のお伴というわけにはどうもいかない。その意味では同じ記事の最後にある HD414 現代版を、という声には双手を挙げて賛成。

 ちなみに 414 は低域が出ない、とここにも書かれているが、どうもみんな低域低域と言いすぎるような気もする。録音ではない生の音楽で、そんなに低域がドンドン出ているかね。ピアノの最低音だって27.5Hzだよ。これでダブル・ベースの最低音より低いんだぜ。それに「重低音」は別として、普通に聴くには十分な低域は出ているし、ヘタなクローズドよりよほどタイトだ。まあ、「重低音」というのは実際の周波数ではなくて、量とトーンなんだろうけど。

 それよりも 414 は何よりも聴いていて楽しい。言い換えれば、中域が充実しているとか、バランスがいいとかいうことになるのだろうが、とにかくこれで音楽を聴いていると楽しくなってくる。いつまでも聴きつづけていたくなる。良い音楽、良い演奏、良い録音はさらに良くなるし、それほどでもないものでも、あれこんなに良かったっけと思わされる。

 そして、あのカジュアルさ。気軽にひょいとかけてお散歩に出られるし、はずして首にかけても邪魔じゃない。唯一ちょと邪魔なのは3メートルのケーブル。短かいのが欲しい。って、他のゼンハイザー用のは使えるのかしらん。

 という悩みも含めて、現代版 414 は欲しい。音とかは変える必要はないし、デザインもそのまま。リモコンも付けなくていい。ケーブル着脱もそのままに、端子だけは今のやつ。それで1.5万ぐらい。頼むよ、ゼンハイザー。

*娘がアメリカに二週間でかけて、本を数冊買ってきた。もちろん英語の本だ。本は好きな娘だが、英語の本なんぞ買ったことはこれまでなかった。それもおみやげだけじゃない、自分用にも買ってきた。

 本屋のアルバイトも嬉々としてやっている本好きではあるから、向こうでも本屋があれば覗きたくなったらしい。そこでならんでいる本、紙の本を見て、手にとり、買う気になった。

 これはたぶんモノの威力だ。たとえばデジタルの、タイトルだけがならんでいて、そこでダウンロードできます、というような店がたとえあったとしても、おそらく買う気にはならなかっただろう。文字を印刷した紙を束ねた本というモノだけが人に買わせるオーラをまとう。本はたしかに読んでナンボだが、まるで読めなくても持っていたいと思わせる本はある。その昔、アレクサンドル・グリーンを初めて知ったとき、ロシア語原書を求めて神保町のナウカまででかけたこともあった。

消えた太陽 (魔法の本棚)
消えた太陽

 もうひとつはモノがたくさんあること、というより、モノに囲まれている環境の力。これが他のモノにまじって、数点ならんでいただけならば、はたして買う気になったかどうか。状況によってはなったかもしれないが、本屋に入って、本に囲まれると、なんとなくなんぞ買おうかという気になる。このあたりは、ミニマルなインテリアにもうしわけのように商品がおいてあるブティックなどとは違うだろう。男性という条件付けもあるのか、あたしはああいう店では買う気は起きない。やはり「ドンキ」式に、モノがわっとある、はきちれそうな状態の方がわくわくする。図書館や古本屋で本に囲まれると、ようし、いっちょ読みましょうか、という気分にもなるのと同じ。とはいうものの、だからというか、「ヴィレッジヴァンガード」はちょと違う。

 これはやはりモノに囲まれて育った環境に適応している、ということか。生まれたときからモノといえば画面のあるものだけで、読むのも聴くのも見るのもデジタルという環境で育てば、反応はまた違うのかもしれない。(ゆ)

 マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルのライヴがあったトッパンホールは凸版印刷本社に併設されていて、印刷博物館と隣り合わせ。少し早く着いたので博物館付属の売店をひやかす。ここには印刷関係の本が集められていて、ふだん見かけないものも多い。面陳になっていたこの本が眼について、おもわず購入。

 惹きつけられたのは、カヴァーもかけていない表紙にタイトルを印刷してあるその本明朝書体の美しさ。読みおわっても手元に置いて、ついつい見入ってしまう。写真やブラウザではこの美しさはわからない。

逍遥本明朝物語 (Typography archive)逍遥本明朝物語 (Typography archive)
著者:片塩 二朗
販売元:朗文堂
(2004-08)
販売元:Amazon.co.jp



 本明朝という書体の経歴をめぐる、表面軽いが、奥は深い探究の記録。

 それにしても、内容もさることながら、書体、字組み、版面デザインのすべてがあいまって、読むことの快楽ここに極まれり。文字を読むこと、そのことだけがこんなに楽しいとは、思いもかけない体験だった。活字ばかりの本のページが、それだけで、そのまま美術品になっている。

 こういう快楽を、電子製版、デジタル・フォント以降の本で味わえたことはない。かつては、たとえば岩波の聚珍版全集、漱石や寅彦、また石川淳選集などの文字と字組みが美しく、わざわざ古書を買ったりもした。精興社の書体を使っていた頃の岩波文庫もきれいで読みやすかった。

 電子製版になってからは、各社、ひたすらコスト削減だけを考えていて、読書の快楽を生む重要な要素を忘れている。本が売れないと嘆くが、買いたくなるような本を作ってくれ。中身さえ良ければ、器はどうでもいい、というのは、それこそ出版の自殺だろう。本はソフトウェアであることは確かだが、モノでもある。そこを忘れれば、デジタル出版だけでことはすんでしまう。Apple の製品が売れるのは、ソフトウェアだけが要因ではない。モノとしてきちんと造りこんでいるからだ。

 本書にはリョービ明朝体の比較資料として、四種類の書体で同じテキストを印刷したものが見開きにならべてある(78-79pp.)。いずれも本明朝体で、表面的には違いはわずかでしかない。にもかかわらず、そのわずかな違いしかないはずの書体を変えることでいかに文章の表情と雰囲気が変わるか。これを見れば、一目瞭然。ふだん読んでいるものを思うと、慄然とする。

 活字や書体に関心が出てきたのは、出版社に勤めていたときではなく、むしろフリーになって書くことを生業にしてからだ。宮仕えでは最後は編集部にも籍を置いていたが、仕事は原稿をとってくることで、本にするのは別の部署だった。また主力商品は文庫だったから、書体や字組みは考える必要がない。

 それが、自分でつづったテキストをゲラで読むようになると、読みやすさ読みにくさを意識するようになった。コンピュータ製版が本格化した時期でもあって、編集者として読みなれた写植の書体から変わったことも作用したこともあろう。というのも、電子製版が導入されても最初の頃は書体の選択肢がほとんどなかったためだ。

 あの頃はたしかリュウミンライトがほとんど、というかそれしかそろっていない。これが画面ではともかく、紙に印刷するとどうも美しくない。読んでいても面白くなくなる。書体で面白さが左右されるなんておかしいとは思ったが、実際にはコツコツとあたる小骨のように、だんだん苛だってくる。内容への集中が乱されもする。担当編集に相談すると、同感なんだけど変えようがないんです、と言われた。書体の価格も高く、印刷所でもなかなか買いそろえられない。

 コンピュータの画面に文字を毎日打ち込むようになっても、PC98でMS-DOSの頃は書体など意識することもない。やはり Mac に転んで、書体にもいろいろあると知ってからのことではある。

 コンピュータで使える書体もだんだん増え、また代替わりもして、OS X 現行デフォルトの日本語書体であるヒラギノは結構気に入っている。文章を書くときにふだん使うのは明朝の一番太い ProN W6。欧文書体は Georgia。書くときは Verdana もいいな、と最近発見した。

 この「明朝体」はもともとは中国の明王朝時代に生まれ、はじめは「宋体」と呼ばれていたそうな。それが明治初頭、イエズス会士の手によって長崎にもたらされ、これによって金属活字の製造技術を学んだ日本人が東京・築地で国産活字の製造販売を始める。以来、なぜか日本語の印刷では明朝体がほぼ独占状態だ。

 その理由を解明することがこの本を書いた目的のひとつと著者は言う。欧米では出版物の内容によって印刷される書体が使いわけられているし、本書にも出てくる中国青年は、明朝体で好きな文学作品を読みたいとは思わないと断言する。

 すぐに思いつくのは、日本語では複数の文字が使われているから、ということ。漢字とひらがなとカタカナの三種類も使っている言語は、他にない。中国語の漢字にしても、欧米のアルファベットにしても、アラビア文字にしても、インドの様々な文字も、すべて、一種類だ。そういうとき、書体に何を使うかは重大になる。

 同じ明朝体でも、漢字とひらがなとカタカナは、事実上別々の書体に見える。変化がある。

 日本語の印刷は、著者のいうように明朝体に拘泥しているのではなく、適当に変化があって読みやすいから使われているのではないか。例えばいわゆる教科書体と呼ばれる、楷書に近い書体では、漢字とかたかなの表情も近くなる。それが明朝体に慣れた眼にはかえって単調に映るのではないか。

 と、一応、仮説を出してはみたものの、証明は手にあまりそうだ。

 もっともこの本にしても、著者の中心課題よりも、その周辺の方がおもしろい。同じ明朝体でも、実は様々な書体があり、一見些細で微妙にみえる違いが、実際には大きな違いを生んでいることは、上にも書いたとおりだ。タイポグラフィ、書体デザインは、めだたないだけ、また奥が深い。金属活字と写植と電子製版と、環境が異なると、まったく同じ書体でもまったく別の表情を生み、したがって好悪も分れる。

 書体についての本だけあって、造本データの詳細なことは類例をみない。1994年の本で、この本自体は写植による。用紙や文字組みはもちろん、組版に使われた機械や製版に使用したカメラの機種、印刷機の機種、インクの銘柄などなど、これ以上詳しくはできまい。ただ、担当者の氏名がないのは、日本語的ではある。

 版元はタイポグラフィにこだわって出版活動をしているところのようで、ウエブ・サイトの書体も選りに選って、実に美しい。こんなに文字が美しいサイトは見たことがない。ブログですらみごとだ。著者はこの会社の経営者らしい。ここの本はどれも安くはないが、借りるよりは購入して持っていたい。読まなくても、ときどき頁を開いて眺めるだけでいい。

 それにしても、書体というのは地味にきわまる。それにとり憑かれてしまう、人間といういきものの不思議さよ。(ゆ)

中村とうよう氏よりも松平さんの影響を受けてしまったので、結局中村氏はほぼ完全にスルーだった。そういう観点から見ると、中村氏の自殺という結末はどこか納得のゆくものではある。つまるところ中村氏はレコード産業の滅亡に殉じたのだ。
    
    外野というよりも場外から見えた中村氏はレコード産業に奉仕しながら、そうではないポーズを取ることをスタイルとしていた。売れることと音楽の価値は重ならないことを一応の前提にしながらも、商品にならないものは相手にしない。商品となった時点で初めてそれは論評に値するものとなる。裏返せばレコードにならない音楽は存在しない。
    
    中村氏にとって録音パッケージの衰退、さらにはその滅亡は己れの立つ基盤が崩れてゆくように思われたのではないか。YouTube や iPhone/ iPod で聞く音楽など、音楽では無いと感じられたのではないか。
    
    そうした意味で、中村氏の自殺は一つの時代の終焉を何よりも明らかに示すものではある。レコード産業の自殺もまさに進行している。個人とは違い、その自殺には時間がかかり、波及効果も大きい。中村氏の死もまた、そのあおりを喰った結果でもある。
    
    逆に言えば、自殺を選ぶほどに、中村氏はレコード音楽と深く絡みあっていたのだ。月並な表現を使えば、中村氏はレコード音楽と結婚していたのだ。江藤淳が夫人の死に耐えられずに自殺したように、中村氏は生涯の伴侶たるレコード音楽の死に耐えられなかったのだろう。
    
    
    松平さんの姿勢は全く違っていた。松平さんの課題はブラック・ホークという閉鎖空間をどう埋めるか、だった。一つの雑誌を影響力を持てるだけの数を売る、という中村氏の課題とは根本的に異なる。松平さんにとって、流行を追いかける必要はない。むしろ、差別化を考えれば追わないことが戦術として有効になりうる。実際、流行に背を向ける戦術は功を奏し、ブラック・ホークは『ニュー・ミュージック・マガジン』とは別の次元で影響力を持った。
    
    ただし、レコード産業が資本の論理にしたがい、レコード音楽が流行に覆いつくされてしまうと、松平さんの戦術は基盤を失うことになる。
    
    レコード音楽が流行に覆いつくされたと見えたのが表面的な現象であって、実際にはその裏や底では流行から距離を置いた動きや流れが脈打っていたとわかるのは、それから10年も経ってからのことだ。今ならばリアルタイムでそうした動きや流れは見えるだろうが、インターネットはおろか、Mac や PC すら影も無かった当時、情報の伝達は細く、遅かった。レコード産業以外に存在形態があることなど、まったく思いもよらなかった。
    
    流行に背を向ける戦術は背を向ける流行を必要とする。また、背を向けた音楽を必要とする。しかも流行から完全にかけ離れてはいない音楽でなくてはならない。だから「ブリティシュ・トラッド」ではこの戦術は支えられない。やはりアメリカの、少なくとも一部では知名度のある音楽が無ければならない。
    
    ここで強調しておかねばならないのは、「ブリティシュ・トラッド」と当時呼ばれていたアイルランドやブリテンをはじめとするヨーロッパの伝統音楽の愛好者は、ブラック・ホークという閉鎖空間の中でも少数派だったことだ。「ブリティシュ・トラッド愛好会」は一方でそうした音楽のファンを集め、交流をはかることを意図しながら、もう一方でそうしたファンをブラック・ホークの「主流」からまとめて排除することも目的としていた。そうすることでブラック・ホークは、いわば安心してレゲエを聞かせる店への方向転換ができたのだ。
    
    して見ると、全く逆の方向をめざしたように見えながら、中村とうようと松平維秋は同じ流れに棹差していたのだ。ブラック・ホークを離れて以降、松平さんが音楽についてほとんど書かなくなった理由もわかる気がしてくる。松平さんにとって、音楽を聴き、選ぶことと、それについて書くことはまるで別のことだったのだろう。
    
    ただ、文章家、いや詩人といった方がより正確だろう松平さんの文才を想うとき、もっと新しい音楽、今の音楽について書かれたものを読みたかったと、哀惜の想いを新たにする。松平維秋を今の音楽について書かざるをえない場に置いてみたかった、と痛切に想う。
    
    だが、おそらくは松平さんはそうなってもなお沈黙を選んだのではないか、とも思う。録音技術の登場によって音楽は変わった。録音された音楽の流通手段の革命によって、今ふたたび音楽は変わりつつある。中村氏の言説と同じく、松平さんの文章もまた、今過ぎさろうとしている音楽を対象とする時、実をつけるものだった。
    
    そして、この今生まれようとしている新たな音楽は、おそらく中村とうようも松平維秋も必要とはしない。
    
    こう書いてきてみて、中村氏の死に際して、ようやく松平さんの死を実感している。今年の命日に予定している、四谷・いーぐるでの「ブラック・ホークの99選を聴く会」は、少なくともぼくにとっては、松平さんを送る作業に一時期を画すものになるのだろう。(ゆ)

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