02月14日・月
スタッフのKさんから ICF中止の連絡。蔓延防止が03月06日までになったから、ひょっとするとできるかも、とあえかな期待をしていたが、実行委員会の掲げる中止の理由を見ると納得する。何より、ダンスなどは密にならざるをえないし、フルート、ホィッスルなどはマスクはできない。3回目のブースター接種は遅々として進まず、PCR検査すらままならない。となると、オミクロン株でクラスターが発生する可能性を小さく見積ることはできない。さらに参加者は全国から来るわけで、長距離移動をすることになる。
オンラインでミニ・イベントを計画しているとのことで、詳細後日。まあ、アイルランドの歴史などは実演は必須ではないから、むしろこのブログなどで複数回に分けて記事を書き、質問はコメント欄でやりとりすることもできるだろう。いつでも参照できるように残るから、その方がベターかもしれない。どうですかね。もちろん、そちらにはデッドの記事は載せません。ジェリィ・ガルシアは母方がアイルランド系だけどね。
##本日のグレイトフル・デッド
02月14日には1968年から1988年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
バレンタイン・デー祝賀。カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ共演。デッドが演奏し、CJ&F が演奏し、またデッドが演奏した。このデッドの部分の全体が《Road Trips, Vol.2 No.2》でリリースされた。CJ&F とデッドの後のセットが FM放送された。また、このショウの録音が《Anthen Of The Sun》で使われた。
ここから3月下旬まで、カリフォルニア州内各地で演奏する。
原始デッドの音楽が完成するのは翌年になるが、粗削りなところも含めて、唯一無二の音楽は確立している。熱心なファン、後にデッドヘッドと呼ばれる人たちがすでについていて、聴衆による録音も始まっている、というのもさもありなんと思われる。
この頃はまだレパートリィも少なく、演奏そのものもそれほど多様多彩なスタイルや手法や表現語彙をもっているわけではない。繰返しも多い。にもかかかわらず、聴いて退屈することがない。一瞬たりとも目を離せない。すべてを聴きとるべく、耳をそばだててしまう。
ガルシアのギターはリードはとるが、いわばフツーのロック・ギターの範疇で、後の限りなく溢れでてくるような美しく面白く耳がよじれるようなフレーズ、メロディはまだ聴けない。むしろ、レシュのベースの方がこの時点では器が上だ。アンサンブルを指揮しているのもレシュに聞える。〈Dark Star〉は6分の短かく、テンポの速い演奏で、それよりは〈The Eleven〉や〈That's It for the Other One〉、あるいは〈New Potato Caboose〉〈Alligator〉〈Caution〉などの曲でのジャムが面白い。ベースが主導している点でも、これも後にわっと出てくるジャズ・ロックよりもジャズ的でもある。しかし、ジャズではどんなにホットになった時でも、ここまでのアナーキーでエネルギーが迸る演奏にはならない。エレクトリック・マイルスが目指して届かなかったのは、この領域ではなかったかとすら思う。技術的には、たとえば《セラー・ドア》のバンドの方が遥かに上だが、ジャズではたとえフリーであっても、ここまで羽目を外すことは不可能なのだ。能力の問題ではなく、音楽への態度の問題ではないか。ジャズではどんなにフリーになろうと、ジャズをやる以上守ってしまう暗黙のルールではない、ルール以前の、前提の一種だろうか、意識せずに従うものがある。
デッドは羽目を外しつつ、なおかつ、ある統一感、一体感が通っている状態になる。ソロの回しではなく、バンド全員が同時に参加しての即興であり、なおかつフリーではない。つまりデッドはジャズを演ろうとはしていない。ロックを演ろうともしていない。この時点でのロックは、「何でもあり」の段階だ。何がロックか、少なくとも演る方はあまり気にしていない。売れることはまだ二の次で、その前に、何か面白いこと、新しいこと、意識を変革することを演ろうとする。あるいはこの最後のもの、意識の変革が鍵だろうか。ジャズは基本的に自分たちを、社会を変えようとはしない。結果的に変えることはあっても、それが目的ではなく、現状の枠の中での自己実現をめざす。1960年代、ロックは社会を変えようとした。作家はなべてベストセラーをめざすのと同じ意味で、ロック・ミュージシャンはなべてヒットをめざした。その中でデッドはヒットによって社会全体を一夜にして一挙に変えるという手法はとらなかった。自分たちが演りたい音楽ができる環境を、ニッチを生みだそうとした。ロックはそのための手段だ。
マイルスの音楽はあくまでも個人の音楽だ。デッドは音楽によってコミュニティを生みだし、デッドの音楽はそのコミュニティの、コミュニティによる、コミュニティのための音楽になる。だから、1980年代、デッドのショウは保守化したアメリカの中のバブルになる。その泡の中には60年代の精神が保たれた。そして〈Touch of Grey〉のヒットによってその泡が破裂すると、コミュニティの精神がアメリカ全土に散らばったのだ。その側面、副産物の一つとして、IT産業によるアメリカ経済の再生がある。
だが、一方でデッドを守ってもいた泡が消えたことで、デッドは社会と直接対峙せざるをえなくなる。デッドの音楽はニッチのコミュニティだけではなく、社会全体が求めるものになる。その要求の大きさに、今度はデッド自身が潰された。
このショウにもどれば、上に挙げた〈New Potato Caboose〉〈Alligator〉〈Caution〉はどれも明瞭なメロディをもたず、いくつかの決まりごとに従い、後は即興でやるようなスタイルで、ここにも現れる〈Spanish Jam〉のもう少しフォーマットが固まっているものだ。あるいはこれらはアシッド・テストでのアナーキーな即興の直系の子孫かもしれない。原始デッドの象徴的な曲だ。どれも1970年以降、演奏されなくなる。
レシュと並んでピグペンの存在が大きい。元気でもあって、コトバがどんどん出てくる。声に力もある。こういう歌を聴いていると、アーカイブ録音の中から選んで、ベスト・オヴ・ピグペンを編んでみたくなる。もちろん、かれもまたデッドの中でこそ力を発揮できたので、デッド抜きには存在すら考えられないが、それでも、火が点いた時のピグペンは単身宇宙を支配する。惜しむらくは、その絶頂期が早すぎて、まっとうな録音があまり残っていないことだ。
とまれ、これらの録音は原始デッドの最高の姿の一つを捕えたものとして、まことに貴重だ。
2. 1969 Electric Factory, Philadelphia, PA
このヴェニュー2日連続の初日。セット・リストはテープに基き、おそらくは不完全。この年の典型的なもの。
3. 1970 Fillmore East, New York, NY
このヴェニュー3本連続の最終日。早番ショウは1時間強。2曲目の〈Dark Star〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、ドキュメンタリー《Long Strange Trip》のサントラでリリースされた。遅番ショウの3・5・6曲目〈Hard to Handle〉〈Dark Hollow〉〈I've Been All Around This World〉が《History Of The Grateful Dead, Vol. 1》で、オープナーの〈Casey Jones〉と、11曲目〈Dancing In The Street〉からクローザー〈And We Bid You Goodnight〉までが《Dick's Picks, Vol. 4》でリリースされた。遅番ショウは前半がアコースティック・セットで、〈Dancing In The Street〉からエレクトリック・セット。合計2時間10分強。
公式リリースを聴くかぎり、こちらの方が前日より上と思う。アコースティックでの3曲もピグペン、ウィア、ガルシア各々のリード・ヴォーカルが各自持ち味を発揮する。エレクトリック・セットに入ると、ガルシアのギターがすばらしく、どの曲でも多様なフレーズを連発、というよりも無限と思われるほど絶え間なく流れだす。60年代とは様変わりしている。とりわけ、後半〈Not Fade Away〉や〈Caution〉での長いソロは、くー、たまらん。しかもそのガルシアのソロだけが突出するわけではないところがデッドの面白さで、ここはたとえばザッパのソロとは位相が対極にある。ガルシアのギターにからみつき、あるいは対峙して、他のメンバーもそれぞれに独自の演奏をする。ガルシアがまたそれに応じる。それが重なりあって、バンド全体が一体となって駆ける。〈Caution〉ではオルガンも参加し、これはピグペンのはずだ。このエレクトリック・セットは終始切迫感に満ち、ジャムはまるで崖っ縁を渡ってゆく感覚が続く。内側から溢れるエネルギーが否応なく崖っ縁を渡らせる。危ういスリルと落ちるはずのない安定感が同居している。〈Caution〉の後の〈Feedback〉がまたすばらしい。電気楽器本体のマイクをPAのスピーカーに向けて、故意にハウリングを起こさせるわけだが、ここではコントロールが効いていて、それまでの嵐のような演奏とは打って変わった静謐な世界。宇宙空間を渡りながら瞑想している気分。後の Space にも通じる美しい音響空間が現出する。こういうことをやる「ロック・バンド」は他に無い。そしてデッドはこの位相を不可欠の要素としてショウに組み込んでゆく。まるで、これが無いと本当には愉しくないんだよ、と言わんばかりだ。止めはまたもや途切れ目なく続けるアカペラ・コーラスの〈And We Bid You Goodnight〉。
1970年はロックにとっては「驚異の年」だが、その中にあっても、この音楽はすでにジャンルを突き抜けている。
4. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
この会場5本連続の最終日。ゆったりとした、なかなか良いショウのようだ。
この後はひと月休んで、03月19日から春のツアーに出る。
5. 1988 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
開演8時。バレンタイン・デー・ショウ。マルディグラ記念でもあり、ドクター・ジョンが前座。第二部冒頭にブラジルの打楽器集団 Batukaje がマルディグラ・パレードをした。また Drums にハムザ・エル・ディンが参加。
1980年代後半から90年代にかけて、デッドのショウでは、この日のドクター・ジョンのように、本来スターとしてメイン・イベントに立つべきミュージシャンたちが、嬉々として前座を勤める姿がしばしば見られる。(ゆ)