クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:演歌

0330日・水

 岡大介さんからライヴのお知らせ。あたしはもちろん予約しました。

 無事、開催されますように。


【横浜にぎわい座四月興行】

★第4 岡大介のカンカラはやり歌★ 

〜添田啞蟬坊生誕150年祭/♪なつかしの横浜 恋の港〜

【今年は添田啞蟬坊生誕150年なのに、どこの街も団体も開催しようとしない。日本歌謡にとって一番大切な人物なのに。ならば自分がやれば良い。まず第一弾は啞蟬坊の故郷・カナガワより、親友の空五郎君と二人で、カンカラ一本エーゾエーゾ!ご予約お待ちしております。】


会場:桜木町「横浜にぎわい座」(045-231-2515 

2022430日(土)

13:30開場 14:00開演 

前売予約2100円 当日2600 

全席指定(マスク着用)


出演:岡大介(カンカラ三線・演歌師)

ゲスト:上の助空五郎(ボードビル)


【予約問合せ】(岡)

070-5012-7290

taisuke@dk.pdx.ne.jp



##本日のグレイトフル・デッド

 0330日には1967年から1995年まで12本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本。


01. 1967 Rock Garden, San Francisco, CA

 木曜日。このヴェニュー4日連続のランの3日目。セット・リスト不明。ショウ自体が無かった可能性もある。


02. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー3日連続の中日。共演チャック・ベリー。


03. 1973 Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY

 開演8時。


04. 1980 Capitol Theatre, Passaic, NJ

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。春のツアーのスタート。01-13のオークランドでのカンボディア難民救済コンサート参加以来で、本格的な始動。12.50ドル。開演8時。

 第一部7曲目〈Far From Me〉はミドランドの新曲の初演。作詞はバーロゥで、1990-07-22まで73回演奏された。

 この年デッドのショウは86本、レパートリィは103曲。新曲はミドランドの〈Far From Me〉とウィアの〈Feel Like a Stranger〉。新年早々《Go To Heaven》を録音し、同年4月末にリリースされる。どちらもこれに収録。

 この年のイベントは秋にある。09-25/10-14 にサンフランシスコの Warfield Theatre15本)、10-22/31にニューヨークの Radio City Music Hall(8本)でそれぞれレジデンス公演を行う。この時は珍しく毎回第一部をアコースティック・セットで演奏し、それも含むセレクションが2枚のライヴ・アルバム《Reckoning》と《Dead Set》として翌年リリースされた。またビデオ《Dead Ahead》としても出ている。この2つのレジデンス公演から1本のショウ全体のリリースはまだない。10-0910-10のアコースティック・セットのみの全体は2019年のレコードストア・ディ用に限定でリリースされた。また10-23のアコースティック・セットの冒頭1曲を除く全体が《Reckoning2004年拡大版でリリースされている。

 このアコースティック・セットは60年代に何度も共演したペンタングルからアイデアをもらったとガルシアは言っていた。ジャニスが生きのびていたなら、ジャニスをリード・ヴォーカルにしたアコースティック版グレイトフル・デッドのステージが出現していたかもしれないと妄想してしまう。


05. 1983 Warfield Theatre, San Francisco, CA

 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。25ドル。開演8時。


06. 1986 Providence Civic Center, Providence, RI

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。13.50ドル。


07. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA

 月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。


08. 1988 Brendan Byrne Arena, East Rutherford, NJ

 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。


09. 1989 Greensboro Coliseum, Greensboro, NC

 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時半。


10. 1990 Nassau Coliseum, Uniondale, NY

  金曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。オープナーの〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉が《Without A Net》でリリースされた後、《Spring 1990》で全体がリリースされた。

 前日のブランフォード・マルサリスとの最高のショウの余韻が残っていて、すばらしい出来。人によっては前日よりも良いという。全体としてはそれは言い過ぎだと思うけれど、部分的には前日を凌ぐ、あるいはマルサリスとの共演では出てこないような演奏がとび出す。

 このツアーではガルシアはギターよりもむしろヴォーカルがすばらしい。全盛期の力をとりもどし、年季の入った練達の歌いまわしを聴かせることもする。それが、マルサリスとの共演で一層良くなっている。マルサリスが入った〈Bird Song〉の次の〈The Promised Land〉のコーラスからして俄然違ってくる。声も楽々と出ている。

 この日の第一部では〈Dire Wolf〉や〈Don't Ease Me In〉がそうだし、第二部に入るとオープナーの〈Iko Iko〉からして乗りに乗っていて、〈China Doll〉〈Uncle John's Band〉いずれもすばらしい。そして〈Standing on the Moon〉。これ1曲の歌唱でここまでのツアーのガルシアのヴォーカルのすべてを吹き飛ばすような、まさに絶唱とも言うべきシンギング。こうなると巧拙とか、声がどうとかではない。ここでは歌の後のガルシアのギター・ソロもすばらしく、この歌としてもベスト・ヴァージョンだし、この日のハイライトだし、春のツアー全部の中でもベスト・トラックの一つだ。

 ヴォーカルという点ではウィアも負けてはいない。四半世紀歌いつづけてきて、押しも押されもしない一級のシンガーに成長している。

 面白いのは、マルサリスとの共演以後の4日間は歌がすばらしい。ガルシア、ウィアだけでなく、ミドランドも、レベルが一段上がっている。もともとこの人はシンガーとしては、デッド随一ではあるが、コーラスもリードもさらに良くなっていて、この3人の歌が何よりも聞き物になっている。デッドは長く、スリリングなジャムが最大の売物というのは、必ずしも的外れではないけれども、しっかり歌うバンドがその土台にはでんと座っている。その土台、生地が、最高の形で表に現れたのが、ここからの4日間だ。

 歌が良ければ器楽も充実し、〈Playing in the Band〉はマルサリスの入ったヴァージョンを聴いてみたかった思う。ベスト・ヴァージョンの一つ。〈Little Red Rooster〉でのミドランドのハモンドのソロに熱くなり、〈Picasso Moon〉のアンサンブルの面白さにあらためて眼を見開かされる。

 ここでの3日間を最高の形で締めくくり、翌日は休んで、最後の三連荘、アトランタへ向かう。


11. 1994 The Omni, Atlanta, GA

 水曜日。このヴェニュー3日連続の初日。25.50ドル。開演7時半。アンコール〈Liberty〉が《So Many Roads》に収録された。第一部クローザー前〈New Speedway Boogie〉でウィアがアコースティック・ギター。〈Dark Star〉最後の演奏。


12. 1995 The Omni, Atlanta, GA

 木曜日。このヴェニュー4本連続の最終日。開演7時半。第二部4曲目〈Samba in the Rain〉が《Ready Or Not》でリリースされた。(ゆ)


 昨年の第10回はやむをえず欠席で残念無念。今年は万全の体制で臨んだ。このところ、岡さんのライヴはこの木馬亭独演会で年に1回見るだけになってしまっているのはもう少し何とかしたいが、ライヴ通い全体の回数を絞ろうと努めているので、なかなか行けない。これだけでも行けるのは、それだけに嬉しい。

 この人の声と歌にはほんとうに元気をいただく。もう、ほんとに、どーしょーもない世の中で、いっそのこと、火星に亡命でもしたいくらいだが、岡さんがうたうのを聴いていると、よおし、もう一丁、やってみるかという気になる。こういう人が、同時代に生きて、唄ってくれていることのありがたさが身に染みる。

 今回は前半一部はカンカラ自由演歌で、例によってカンカラ三線だけを伴奏に、ソロで唄いまくる。後半の二部は昨年出したアルバムのライヴ版で、録音にも参加した武村篤彦氏がエレクトリック・ギター、パーカッションに熊谷太輔さんというトリオで、「フォーク・ロック」をやる。

 今年は〈東京節〉、「ラーメチャンタラ、ギッチョンチョンで、パイノパイノパイ」というあれの百周年にあたるそうな。これをラストに置いて、鳥取春陽の〈緑節〉に始まり、明治の〈人間かぞえ歌〉から令和の〈人間かぞえ歌〉につなげ、〈値上げ組曲〉〈増税節〉〈カネだカネだ〉と畳みかける。〈ああわからない〉では客席に降りて、中央の通路を後ろまで来る。誰が来ているか確認してます、と笑わせるが、本当に確認もしてる様子。〈十九の春〉は〈ラッパ節〉の替え歌とのことで、次は〈ラッパ節〉。そして〈東京節〉で締める。

 いつものことながら、カンカラ三線のミニマルな伴奏が歌そのものを引き立てる。無伴奏で唄うよりも親近感が生まれる一方で、伴奏には耳がいかない。一昨年は貫禄のようなものを感じたが、今回はむしろ迫力がある。このクソったれな世の中、何するものぞ、という気概。明治、大正、昭和の演歌師たちもこの気概を発散していたのだろう。

 休憩、というほどのこともなく、BGMにしては音が生々しいと思ったら、幕が開いて、3人が演奏している。左にギターの武村氏、真ん中に岡さん、右に熊谷さん。岡さんだけ立っている。岡さんはアコースティック・ギターとハーモニカ。今度は全曲自作の「フォーク・ロック」。

 武村氏のギターはアーシィなセンスがいい。派手なリード・ギターではなく、ちょっとくぐもったトーンで、渋いフレーズを連発する。

 熊谷さんはいわばホーム・グラウンドで、これもむしろ地味に抑え、ブラシを多用して、ややくすんだパステルカラーの味わい。こういうのを聞くと、セツメロゥズあたりでは、フロントに拮抗できるだけの気合いをこめているのがわかる。あちらでこういうドラムスを叩いたら、たぶんぶち壊しなのだ。

 昨年出した《にっぽんそんぐ》収録の全14曲を全部やる。ほとんど一気呵成。フォーク・ロックと言いながら、ディランで言えば《John Wesley Harding》か《血の轍》の趣。熊谷さんはレヴォン・ヘルムだが、武村氏はロビー・ロバートソンというよりはバディ・ミラー。岡さんのハーモニカは初めて聴く気もするが、冴えわたる。

 とはいえ、ここでも声の力をひしひしと実感する。それはまたコトバの力でもあって、「サケサケサケサケサケ」というリフレインに血湧き肉踊る。踊るといえば、常連客の1人で、いつも踊るおっちゃんが、途中でもうたまらんという風に立ち上がって踊りだす。声とコトバにビートの力が加わると、確かにじっとしてはいられない。

 ラストはやはり〈東京〉。これを聴くために通っているようなところもある。

 引っこんだと思ったら、岡さんが1人で飛びだしてきて、アンコール。客席からリクエストがかかり、それに応えてまずアカペラで唖蝉坊の〈むらさき節〉。そしてカンカラ三線で〈春がきた〉。

 今年も無事、聴けた。地震のくる来年はどうだろうか。すでに10月4日と決まっている。

 月明かりの浅草は昼間の喧騒はさすがに収まっていたが、まだ余韻に浸りたい人がわさわさいる。1人、ベンチに腰を下ろし、本堂を眺めている白人のおばさんは、ベテランの旅行者の雰囲気。こういう人に岡さんの歌を聞かせたら、何と言うだろう。(ゆ)

岡大介: vocal, カンカラ三線
武村篤彦: electric guitar
熊谷太輔: drums

にっぽんそんぐ ~外国曲を吹き飛ばせ~
岡大介 武村篤彦 仲井信太郎
off note / Aurasia
2018-04-29






かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう
小林寛明 岡大介
オフノート
2008-02-03


 今年で九年め。来年は十周年。2018年9月30日。何をやるのか、今から楽しみ。

 実に久し振りの岡さんのライヴ。一部は演歌をさらっと4曲。〈復興節〉の現代版から始まり、次の〈ストトン節〉がまずはハイライト。岡大介入魂のオリジナル歌詞をこれでもかとぶちこんだスペシャル版で、うたい終って、今日はもうこれで終りという気分です、という。全国回りながらうたううちに好きな歌謡曲が2つできました、とうたったのが〈王将〉と〈大東京音頭〉。

 前者は大阪のうたということで登場したのが、桂九雀師匠。落語はそれほど好きではないが、大いに笑わせていただきました。教養の無い成金の隠居がステイタスが欲しくてデタラメにやる茶の湯で皆が迷惑する噺。上方の方だけど、あんまり関西弁は強くない。あるいは東京というので手加減されたのかもしれない。

 シンガーのライヴに落語家が出るというのも、岡さんのものくらいではないか。確かに諷刺を旨とするところで演歌と落語は通底するところもあるし、パフォーマンス、それもコトバと声によるものという点では似ているが、普通はストレートにはつながらない。あるいは寄席というのは本来こういうものなのかもしれない。うたも落語も同列なのかもしれない。落語にはリズムやメロディは一見無いが、間のとりかたや声の抑揚は無ければ文字どおり噺は始まらない。とすれば、演歌は落語のエッセンスをぎゅっと絞りこんだもので、落語は演歌をある典型的具体的状況のもとに展開したものとも言える。両方続けて体験すると、それぞれがより深く訴える。

 第三部は唖蝉坊を中心とした、明治大正昭和の演歌乱れ撃ち。もちろん、原曲そのままではなく、時に岡さんのオリジナルの歌詞が入る。〈炭坑節〉の後に、この元歌をやったのは面白かった。

 十年、うたい続けて、それもほとんどストリートや流しでうたい続けて、これだけうたえる人は、今ちょっといないのではないか。マイクからはずれてうたっても、声はよく通る。貫禄がついてきたと言ってもいい。その割にステージングがあまり上達していないのは、あるいはこれが岡大介のキャラかもしれない。客の煽りに乗ってしまうのも、ひょっとすると芸人としては失格と言われかねないが、本質的にシャイな若者、年齡とは関係ない永遠の若者が、好きな唄をうたいたい一心でひたすらうたっている潔さをあたしは見る。

 うたにもいろいろあるが、岡さんの唄はコトバで勝負するタイプだ。聞いて歌詞が明瞭にわかることが命。そしてその歌詞で筋の通らないことを笑いとばす。聴く者にカタルシスを与え、元気をもたらす。

 舞台に現れず、袖で叩いて岡さんを支えた打楽器も良かった。

 頭の方で「ぼくがやっているのはうたです、音楽じゃありません」と言い切ったのには一瞬えっと思ったけど、聴いてゆくうちに、納得させられた。このうたは、音楽というよりも落語のような話芸にずっと近いのだ。そして、それはうたというものの本質の一つであろうとも教えられる。ひょっとすると、うたと音楽を同じ範疇に含めるのは、勘違いなのかもしれない。

 すっかり元気をもらって出てみれば、浅草寺はライトアップされていて、まだまだ観光客もたくさん歩いている。半月が鮮やか。(ゆ)

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