型破りのライヴ。こうして生に接してみると、引田さんは型破りのミュージシャンだ。アニソンを唄わせられるだけで満足できないのは当然。 シンガーとしては本田美奈子にもたぶん匹敵する。
まず「ブランケット」と呼んでいる即興から始まった。高橋創さんのギター、熊本比呂志氏のパーカッションとのトリオによる、純然たる即興演奏。
なのだが、高橋さんは音をランダムに散らすのではなく、いくつかのコードをストロークで弾いてゆく。コードの選択と順番と継続時間がランダムなのだ。
むしろ、パーカッションがよく遊ぶ。アラブ系をメインにして、叩く、こする、撫でる、その他いろいろ。ダホルとデフを各々片手に持ち、同時に叩くこともする。ブラシというよりは、小型のホウキで叩いたり、こすったりもする。
ヴォーカルはそこに声を乗せてゆく。スキャットで声を延ばす。引田さんの声は基本は澄んでいるのだが、なにかの拍子に中身がぎっちりと詰まった、量感たっぷりの響きを帯びる。高い方にゆくとそうなる傾向が大きいようだが、必ずそうなるわけでもない。即興だがあまり細かく音を動かさない。ゆったりと、大きな波を描く。
実はこの日、あまり体調が良くなく、ライヴを前にして声が出なくなってしまっていたそうで、この形から始めたのは、そのせいもあったのかもしれない。ホィッスルも吹き、ピアノも弾く。いつ、どこで、どのように出してもいいという制限の無いところで、だんだん声が出てきたらしい。ひとしきり、トリオでの演奏をやってから、引田さんだけがピアノの前に座り、他の二人は引き揚げる。後はピアノのソロの弾き語り。
ここでも予め、唄う曲と順番を決めるのではなく、その場での思い付きでどんどんと唄ってゆく。新譜レコ発という名義なので、新譜からも唄うが、そこにはあまりこだわらない。茨木のり子「わたしがいちばんきれいだったとき」に曲をつけたもの。フォークルの〈悲しくてやりきれない〉。そのうちに、客席から言葉を募り、これをつなげてその場で曲をつける、という遊びをやりだす。この日の昼間は同じヴェニューで松本佳奈氏のソロ・ライヴで、こういうことをやっていたので、マネします、という。客から順番に一言ふたこと、言葉をもらう。言葉のつなぎとメロディを考えている間、高橋さんがギター・ソロでつなぐ。
高橋さんはアイリッシュ・ミュージックのギタリストとしても一級だが、こういう何気ないソロも実にいい。別にどうということもないのだが、音に流れがあって、それに身を任せているといい気分になる。
やがてできあがった曲は、引田さんらしさがよく出ている。こういう遊びにはプレーヤーの地が出るものだ。そのまま金子みすずの歌、さらに息子さんに捧げる歌。これがすばらしい。内容はかなり厳しいと思われるが、それをお涙頂戴ではなく、突き放した、クールな態度で、むしろおおらかに唄う。あからさまに感情をこめない歌とピアノが、かえって思いのたけを切々と伝えてくる。あるいはこれを唄うことは予定には無かったのかもしれないが、今日はこれを唄うために開催したのだとすら思えてくる。
アンコールは谷川俊太郎とそして、みすずの最も有名な「わたしと小鳥とすずと」を、松本氏と交替に唄う。ギターは高橋さんと、松本氏のバックを勤めた奥野氏がやはり交替にソロをとる。
コンサートというよりも、引田さんの家でその歌と演奏に浸っている気分。この場所は床から頭上7メートルの天井まで吹き抜けの空間で、ピアノはベーゼンドルファーの由。道理で音が違う。大きな空間をいっぱいに満たしてゆく。音楽を生で演奏することと、それをその場にいて全身で受けとめることの、両方の本質を、頭にではなく、胸の奥に打ち込まれるようた体験だった。
茫然として出ると、深閑とした成城学園の構内を抜けて歩く。どこか、このままこの世の隣の世界に入りこんでしまうようにも思われた。(ゆ)