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床屋
04月02日・土
床屋。いつものように眉毛以外全部剃ってもらう。前回よりさらに剃り残しが減った。あたしの頭に慣れてきたのだろう。
EFDSS の Vaughn Williams Memorial Library の最近の収納品の中に Sounding The Century: Bill Leader & Co: 1 – Glimpses of Far Off Things: 1855-1956 という本がある。調べてみると、ビル・リーダーの生涯を辿る形で、現在90代のリーダーの生きてきた時代の、フォーク・ミュージックをレンズとして見たブリテンの文化・社会史を描くもの。全10冊予定の第1巻。とりあえずアマゾンで注文。
ビル・リーダーは1929年生。生まれたのはニュー・ジャージーというのは意外。両親はイングランド人でリーダーがまだ幼ない時にイングランドに戻る。1955年、26歳でロンドンに出る。Bert Jansch, the Watersons, Anne Briggs, Nic Jones, Connollys Billy, Riognach を最初に録音する一方、Jeannie Robertson, Fred Jordan, Walter Pardon を最後に録音した人物でもある。Paul Simon, Brendan Behan, Pink Floyd, Christy Moore も録音している。
著者 Mike Butler は1958年生まれのあたしと同世代。13歳でプログレから入るというのもあたしとほぼ同じ。かれの場合、マハヴィシュヌ・オーケストラからマイルスを通してジャズに行く。ずっとジャズ畑で仕事をしてきている。2009年からリーダーを狂言回しにしたブリテンの文化・社会史を調査・研究している。
##本日のグレイトフル・デッド
04月02日には、1973年から1995年まで7本のショウを行っている。公式リリースは4本。うち完全版3本。
1. 1973 Boston Garden, Boston, MA
春のツアーの千秋楽。全体が《Dave's Picks, Vol. 21》でリリースされた。New Riders Of The Purple Sage が前座。全体では5時間を超え、アンコールの前に、終電を逃したくない人は帰ってくれとアナウンスがあった。
2. 1982 Cameron Indoor Stadium, Duke University, Durham, NC
金曜日。10.50ドルと9.50ドル。開演8時。レシュとガルシアがステージ上の位置を交換した。
3. 1987 The Centrum, Worcester, MA
木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。
4. 1989 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。前売18.75ドル、当日19.75ドル。開演7時半。全体が《Download Series, Vol. 09》でリリースされた。
この2日間はこの年の春のツアーで最も東のヴェニューで、満員御礼だったが、チケットを持たなくても会場に行けば何とかなると思った人間が大勢やって来て、大きなガラス窓を割り、中になだれ込んだ。そのため、警察が大挙して出動した。
その場にいた人間の証言によれば、ドアの外で数十人の人間と一緒に踊っていた。音楽はよく聞えた。そこへ、中からイカれたやつが一人、外へ出ようと走ってきた。ドアが厳重に警備されているのを見て、脇の1番下の窓ガラスに野球のすべり込みをやって割り、外へ脱けだした。警備員がそちらに気をとられている間に、中で踊っていた人間の一人がドアを開け、外にいた連中があっという間に中に吸いこまれた。
5. 1990 The Omni, Atlanta, GA
月曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。18.50ドル(テーパー)。開演7時半。全体が《Spring 1990》でリリースされた。
このアトランタの3日間で演奏された曲はどれもそれぞれのベスト・ヴァージョンと思える出来だが、ここではとりわけ第一部クローザーの〈Let It Grow〉と第二部オープナーの〈Foolish Heart〉がすばらしい。前者ではラストに、演奏をやめたくないというように、だんだん音を小さくしてゆき、静かに終る。何とも粋である。
3人のシンガーが声を合わせるところがますます良く、〈He's Gone〉のコーダのリピートと歌いかわし、〈The Weight〉や〈Death Don't Have No Mercy〉の受け渡しに聴きほれる。〈The Last Time〉は終始3人のコーラス。こういうことができたのはこの時期だけだ。
第一部はゆったりと入るが、3曲目にガルシアがいきなり〈The Weight〉を始めるのに意表を突かれる。こういういつもとは違う選曲をするのは、調子が良い証拠でもある。マルサリスの後の4本では、いつもよりも冒険精神が旺盛になった、とガルシアは言っている。第二部は緊張感が漲り、全体にやや速いテンポで進む。ツアー当初の感覚が少しもどったようだ。アンコールでは再び対照的に〈Black Muddy River〉を、いつもよりさらにテンポを落として、ガルシアが歌詞を噛みしめるように歌う。これまたベスト・ヴァージョン。
確かにマルサリス以後の4本は、何も言わず、ただただ浸っていたくなる。本当に良い音楽は聞き手を黙らせる。
6. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
金曜日。このヴェニュー5本連続の3本目。開演7時半。
7. 1995 The Pyramid, Memphis, TN
日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。26.50ドル。開演7時半。第二部2曲目〈Eternity〉が《Ready Or Not》でリリースされた。(ゆ)
マーティン・ヘイズ自伝
02月23日・木
Martin Hayes, Shared Notes 読了。面白い。いろいろな意味で面白いのは、かれの録音に通じる。学校の作文以外、文章を綴ったことがない、という割りには、平易な言葉で深遠なことをさらりと言ってのける。音楽の核心をわかりやすい表現で伝える。まずは、よほど頭がいいのだ。
幼少年期の東クレアの農村地帯で偉大なフィドラーの父のもと、伝統音楽にどっぷり浸って育ち、その最良の部分を魂に刻みこまれて、音楽以外のことをやりたいとも思えなくなりながら、当時はそれで食べられるわけもなく、結局アメリカへ逃げださざるをえなくなる。その点ではかれの世代のアイルランドの若者の辿る一つの典型でもあるのだろう。ただ、そこからがこの人の真骨頂。もともと、少年期に伝統音楽に浸り、コンペティションにも出るのだが、音楽への態度が同世代の人たちとはまるで違っている。音楽が刻みこまれた魂の奥底に耳を傾け、そこから流れでてくるものに忠実に演奏しようとする。およそ少年の態度ではない。こと音楽に関しては、この人はまったく年齡不相応なのだ。そのことは成長してからも変わらない。
いろいろ失敗もするし、辛い目にも遭うが、つまるところ自分が受けついだ音楽にたちもどり、そこに正直に生きることで道が開けてくる。その際、この人は結果がどうなるかということをまったく考えない。自分の中の音楽に忠実にふるまえば、結果はおのずとついてくることを信じる。自分の音楽そのものと、それに忠実であるプロセスを信頼する。そして今のかれの位置、アイリッシュ・ミュージックの伝統の化身であると同時に、その最も先鋭なところを切り開く開拓者であるその位置は、一重にその信頼がもたらしたものだ。
もちろん、これは自伝であるから、マーティン・ヘイズとしてはそう考えたい、ということではある。とはいえ、そう言われて納得してしまうだけの説得力もまたある。かれの音楽という動かしがたい要素が厳然として存在するからだ。
ここには、かれが取組んできた様々なユニット、プロジェクトについて、その胚胎から結実までの内幕も率直に書かれている。これを読みながら聴きなおせば、一段と興趣は深まる。
生まれてからパンデミック直前までの己の歩みをたどるなかに、音楽についての様々なコメントが鏤められている。読みながら、いやもう、いちいち、膝を叩いて、そうだ、そうだよ、まさにあんたの言うとおりと、そればかり言っていた。マーティン・ヘイズとグレイトフル・デッドは同じことをしていると、あらためて納得できる。ここにはデッドは出てこないが、聴けば同じことをやっていると共感するはずだ。
それにはまた、かれが実に幅広く、様々な音楽を聴いていることもある。あたりまえではあるのだが、ミュージシャンは自分がやっている音楽、ジャンルの外を聴こうとしないことも少なくない。ひとつにはアイリッシュ・ミュージックという確固たる基盤がゆるぎなくでんとあって、いつでもそこに戻って立つことができることは大きいだろう。伝統音楽はみなそうだが、だからこそ、何が来てもコラボレーションできる。
ここにはまた、1度や2度読んだだけでは呑みこみきれないたくさんのことが書かれている。まずは、彼の録音を一つひとつ聴きなおしながら、ゆっくりと読みなおそう。次には彼が聴いている音楽をともに聴きながら読みなおすこともできる。さらには、かれの足跡の背景を勉強して読みなおすことになるだろう。この本を入口としてアイリッシュ・ミュージックの世界にもう1度入りなおそう。
##本日のグレイトフル・デッド
02月23日には1966年から1993年まで7本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版1本。
1. 1966 Unknown Venue, Unknown, Unknown
演奏・録音箇所不明で日付がどうしてわかるのか、正直わからないが、ともあれこの日、どこかで演奏したテープが残っていて、6曲収められている。そのうち冒頭の〈Standing on the Corner> Mindbender (Confusion's Prince)〉7分弱が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。音質は後の録音に比べると良くないが、聴けないわけではない。ヴォーカルは左に寄り、ドラムスは右に寄る。
どちらもオリジナルで1966年にのみ演奏された。どちらもガルシアがリード・ヴォーカル。
〈Standing on the Corner〉は当時のバンド全員によるオリジナル。この録音も入れて、記録があるのは4回。これが一番古く、最新は1966年07月29日のヴァンクーヴァーで、これを含むショウはファースト・アルバムの50周年記念盤でリリースされた。
〈Mindbender (Confusion's Prince)〉はガルシアとレシュの共作。1965年11月の The Emergency Crew 名義のデモ録音の1曲でそちらは《The Birth Of The Dead》で聴ける。この日の録音はライヴでの今のところ唯一のもののようだ。
未完成ないしどうということはない曲だが、すでにバンドとしての性格は出ている。必ずしもピグペンが常にフロントに立っていたわけでもないこともわかる。
2. 1968 The Kings Beach Bowl, Kings Beach, CA
このヴェニュー3日連続の中日。1時間強の演奏全体が《Dick's Picks, Vol. 22》でリリースされた。《Dick's Picks, Vol. 22》ではこのショウと翌日のショウの全体が2枚の CD に収められている。
1時間強の一本勝負。冒頭〈Viola Lee Blues〉から〈Turn On Your Lovelight〉までノンストップ。これに〈Born Cross-Eyed> Spanish Jam〉がアンコールの形。エネルギーの塊となって驀進する。ピグペンの存在感の大きさに納得する。演奏技術とか、音楽性の豊かさとか、美しいメロディとか、そういういわば既存の尺度からははずれたパフォーマンス。この当時のロックの範疇だが、これを生で体験するのは、音楽を聴くよりもトリップに近い。やっている方も、音楽演奏でトリップ体験を生みだそうとしているようだ。それも、自分たちがまずそういう状態になり、それを共有するという態度。自分たちはクールに醒めて、聴衆に体験してもらうのではない。おそらくジャズのミュージシャンが演奏する態度に近い。
スパニッシュ・ジャムの淵源は何だろう。マイルスの《Sketches Of Spain》をガルシアやレシュは当然聴いているはずだ。が、それだけでもないような気もする。
3. 1970 Austin Municipal Auditorium, Austin, TX
1時間強のショウ。05曲目の〈Monkey And The Engineer〉から10曲目の〈Uncle John's Band〉までアコースティック・セット。そのうち06曲目の〈Little Sadie〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
〈Little Sadie〉は19世紀にまで遡ると言われる古い伝統歌で、様々なタイトルのついた様々なヴァージョンがある。ガルシアがここで歌っているのは1930年に Clarence Ashley が録音したヴァージョンに近い。このタイトルのもとでは、アシュリーのヴァージョンがスタンダードだそうだ。デッドはこの曲を1969年12月19日フィルモア・オーディトリアムで初演し、1970年と1980年に、合わせて7回演奏している。スタジオ盤収録は無し。
ガルシアはおそらくデッド以前のフォーキー時代にも歌っていたと思われ、自分のソロ・プロジェクトのショウでも40回ほど演奏している。いずれもほとんどがアコースティック。ガルシアの録音としてはデヴィッド・グリスマン、トニー・ライスとの《The Pizza Tapes》にある。
この日、ウィンターランドではグレイトフル・デッドのためのベネフィット・コンサートが行われている。出演はジェファーソン・エアプレイン、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、サンタナ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックス。
4. 1971 Capitol Theater, Port Chester, NY
このヴェニュー6本連続の5本目。これも良いショウのようだ。
5. 1974 Winterland Arena, San Francisco, CA
4.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。第二部2・3曲目〈Weather Report Suite> Stella Blue〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。これも今年5月の《Dave's Picks, Vol. 42》でリリースされることが予告されている。
どちらも見事だが、とりわけ〈Stella Blue〉コーダに向かうガルシアのソロには背筋に感動の戦慄が走る。
〈Weather Report Suite〉は三部からなり、〈Prelude〉はウィア作曲のインストルメンタル、〈Part 1〉はウィアとエリック・アンダースンの共作、〈Let It Grow (Part 2)〉はバーロゥ&ウィアの作。1973年09月08日、ニューヨーク州ユニオンデイルで初演。組曲としての最後は1974年10月18日のウィンターランド。大休止の後は〈Let It Grow〉のみが演奏され、最後は1995年07月02日。組曲としては47回演奏。スタジオ盤は《Wake Of The Flood》収録。〈Let It Grow〉は275回演奏。演奏回数47位。
〈Prelude〉は中世音楽風で、ジョン・レンボーンあたりが弾いてもおかしくない。
〈Stella Blue〉はハンター&ガルシア。1972年06月17日、ハリウッドで初演。1995年07月06日まで計328回演奏は32位。スタジオ盤は《Wake Of The Flood》収録。ガルシアのスロー・バラードの中でも最高の名曲と思う。名演も多い。
6. 1992 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー3日連続の中日。Drums にババ・オラトゥンジが参加。
デビュー曲が二つ。第一部5曲目の〈Way To Go Home〉と第一部クローザーの〈Corrina〉。
〈Way To Go Home〉はハンター作詞、ウェルニク&ブララヴ作曲。1995年06月28日まで、計92回演奏。スタジオ盤無し。
〈Corrina〉はハンター作詞、ハート&ウィア作曲。1995年07月09日のラスト・ショウまで、計77回演奏。スタジオ盤無し。《Ready Or Not》のタイトルはこの曲の詞からとられた。
《Ready Or Not》は1992年以降にデビューしてスタジオ盤が存在しないオリジナル曲をライヴ音源で集めたもの。選ばれた音源がそれぞれの歌のベスト・ヴァージョンとは限らないが、すべて公式では他にリリースされていないショウからとられている。収録曲とショウは以下の通り。
Liberty – 1994-10-14, Madison Square Garden, New York, NY
Eternity – 1995-04-02, The Pyramid, Memphis, TN
Lazy River Road – 1993-03-25, Dean Smith Center, Chapel Hill, NC
Samba in the Rain – 1995-03-30, The Omni, Atlanta, GA
So Many Roads – 1992-06-23, Star Lake Amphitheatre, Burgettstown, PA
Way to Go Home – 1992-06-28, Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
Corrina – 1994-10-14, Madison Square Garden, New York, NY
Easy Answers – 1993-09-13, The Spectrum, Philadelphia, PA
Days Between – 1994-12-11, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
7. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー3日連続の最終日。
第二部オープナー〈Iko Iko〉で、シキル・アデプチュとデルガード・コールマンがマルディグラ・パレードをした。第二部半ばの Drums からアンコールまでオーネット・コールマンが参加。Drums と Space にはコールマンに加えて Graham Wiggins がディジリドゥーで参加。
ロビー・ロバートソンの〈Broken Arrow〉が第一部5曲目でデビュー。1995年07月02日まで、計35回演奏。スタジオ盤収録無し。
これは AUD を聴いた。コールマンのアルバム《Virgin Beauty》でのガルシアの客演はかなりうまくいっているが、こちらは上々の出来、とまでは言えない。コールマンの個性が強すぎて、デッドの音楽に溶けあわず、バンドはいささか持てあましている。ジャズのサックス奏者としては、ブランフォード・マルサリス、デヴィッド・マレィとコールマンが共演していて、マルサリスはまるで昔からのメンバーのように溶けこんでいる。マレィも AUD で聴くかぎり、まずまずうまくいっている。デッドの音楽は表面は柔軟そうに見えるが、中心にはごく硬い芯があり、容易な混淆や交配を許さない。コールマンの音楽も性格は同じで、いわば磁石の同極のようなものだろう。(ゆ)