クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:笛

 告白するとフリスペルはまったく知らなかった。これが二度目の来日というのに驚いた。どうしてこのライヴのことを知ったのか、つい先日のことのはずだが、もう忘れている。とまれ、とにかく知って行ったのは嬉しい。これもまた呼ばれたのだ。呼んでくれたことに感謝多謝。そしてこの人たちを招いてくれたハーモニー・フィールズにも感謝多謝。

 もう一つ告白すれば、このライヴに行こうと思ったのは、渡辺さんが出るからでもあった。この前かれのライヴを見たのは、パンデミック前だから、もう3年以上前になるはずだ。ドレクスキップ以来、ナベさんの出るライヴはどれもこれも面白かったから、見逃したくない。共演の新倉瞳氏はあたしは知らなかったが、チェロは好きだから、これまた歓迎だ。

 ほぼ定刻、二人が出てきて背後の仏像に一礼、客席に一礼して位置につき、いきなりナベさんがなにやら金属の響きのするものを叩きだした。音階の出せる、平たいものを短かい撥らしきもので細かく叩く。うーん、芸の幅が広がっている。後ではハマー・ダルシマーまで操る。操る楽器の種類が増えているだけではないことは、曲が進むにつれてどんどんあらわになっていった。

 ひとしきり演ってから、やおらチェロがバッハの〈無伴奏チェロ組曲〉第1番を弾きだしたのにまずのけぞる。すばらしい響きだ。演奏者の腕と楽器とそしてこの場の相乗効果だろう。するとそこにナベさんがどんとからんだ。その音の鋭さにまたのけぞる。もうのけぞってばかりいる。こりゃあ、面白い。この二人の「前座」が終って休憩になったとき、隣にいた酒井絵美さんが、「うわあ、面白い。これだけで来た甲斐がありました」と言ったが、まったく同感とうなずいたことであった。

 それにしてもナベさんの音のシャープなこと。音の鋭さではふーちんが一番だと思っていたが、こうなってくるとどちらが上とも言えない。

 曲はバッハの後はナベさんのオリジナルが二つ。一つは雨上がりのまだ木の枝や草の葉の先から雫が垂れているときの感じ。もう一つは京都からナベさんの故郷・綾部に向かう山陰線が、長いトンネルと深い峡谷の連続を抜けてゆく、その峡谷がくり返し現れる情景を曲にしたもの。それぞれに面白い曲なのに加えて、ナベさんの口パーカッションにもいよいよ年季が入ってきて、表現の幅がぐんと広がり、深くなってもいる。いやもう、こんなになっていたとは、クリシェではあるが「別人28号」の文句が否応なく浮かんできた。

 ナベさんの曲作りのルーツにはケルトや北欧があり、ここの音楽は音の動きが細かい。フィドルが盛んなのは、そのせいもある。その細かい動きをチェロでやるのは大変で、チェロでケルトや北欧をやろうという人は、ヨーロッパでも5本の指で数えられるくらいだ。新倉さんは果敢にこれに挑戦している。演奏する姿を見ると気の毒になるくらいで、だからなるべく見ないようにする。そうすると、いやもう、立派なものではないか。こういう人が出てきてくれるのは嬉しい。というか、こういう人がこういうことをやってくれるのは嬉しい。

 二人のステージの最後にフリスペルのリーダー、ヨーラン・モンソンを呼ぶ。元はといえば、昨年この同じヴェニューでモンソン氏とナベさんのライヴを見た新倉さんがナベさんに電話をかけてきて、そのライヴがいかに凄かったか、さんざんしゃべった挙句、一緒にできないかとぼそっと言ったのが今回のきっかけだったのだそうだ。そのライヴはまったく知らず、見逃したのは残念だが、こうして新たにすばらしいライヴが実現したのだから、文句は言えない。

 トリオでやるのはスウェーデンの伝統曲。モンソンさんは例のコントラバス・フルートを持ちだす。とても楽器とは見えないシロモノだが、この人の手にかかると、まさに低音の魅力をたっぷりと味わわせてくれる。クリコーダー・カルテットのコントラバス・リコーダーも似たところがある。あちらはヨーロッパに実際にあったものらしいが、こちらはモンソンさんのオリジナル、のはずだ。クリコーダーのはどちらかというとドローン的な役割だが、モンソン流はよりダイナミックで時にアグレッシヴですらある。そして、この演奏も「ロック調」と本人が言うとおり、即興も加えたたいへんに面白いものだった。

 フリスペルとは要するにスウェーデン版のクリコーダー・カルテットではないか、と後半を見てまず思った。むろん、相当に異なる。まずカルテットではなくトリオだし、今回はとりわけサポートでパーカッションが入っている。一方で笛を操って千変万化、おそろしく多様で多彩、かつオーガニックな音楽を聴かせるところは共通する。なによりも遊びの精神たっぷりなのが似ている。

 前半最後のトリオでの演奏であらためて気がついたのは、ヨーラン・モンソンという人は遊ぶのがうまいのだ。それも自分が遊ぶだけでなく、他人をのせて一緒に遊ぶのがうまい。見ていて思い出したのはフランク・ロンドンだ。もう四半世紀の昔、セネガルのモラ・シラと来て、梅津和時、関島岳郎、中尾勘二、桜井芳樹、吉田達也と新宿のピット・インでやった時のあの遊ぶ達人ぶりが髣髴と湧いてきた。もう6年前になる、ジンタらムータとのライヴもなんともすばらしかった。そのロンドンと同じくらい、モンソンのミュージシャンとしての器は大きく、音楽で遊び、遊ばせる点でも同等の達人だ。このフリスペルはそのモンソンがバンドとして一緒に遊ぶために作ったのだろう。サポートの打楽器奏者も、かれが選んだだけのことはある。

 バンドとして遊ぶとなると一期一会とはまた違った工夫が必要になろう。ここで鍵を握っているのはアンサンブルではめだたない方のアグネータ・ヘルスロームだとあたしは見た。1曲、位置を変えてステージの上手の方に立ったとき、指はまったく動かないのに、音はちゃんと動いているのには驚いた。舌と唇?でやっていたらしいが、ほとんど魔法だ。ディジリドゥーの扱いも堂に入ったもので、インプロまでやってみせる。コントラバス・フルートが2台揃うのを目の前にするのはまた別の感動がある。

 モンソンとともにリードをとるクラウディア・ミュッレルはルーマニアの出身だそうで、彼女のお祖父さんが演っていたという伝統曲はハイライト。2曲のうち、二つ目は森で熊に会ったという、嘘かほんとかわからない話で、パーカッションのイェスペル・ラグストロムが、みごとな日本語のナレーションを入れる。むろん丸暗記だろうが、不自然さはほとんどない。そして、モンソンが日本人女性と日本であげた結婚式でフリスペルが演奏したというウェディング・マーチがまたハイライト。スウェーデンには結婚式のためにウェディング・マーチを作って贈る習慣があるそうで、いい曲がたくさんあるが、これはまた最高の1曲。

 ラグストロムは大小の片面太鼓、カホン、ダラブッカなどに加えて、小型の鉄琴を使う。これがなかなか面白い。膝の上に乗るようなサイズなので、リズムにはおさまらないがメロディにもなりきらない音が出てくる。

 面白い楽器といえば、モンソンが見たこともないものを使っていた。小型の方形の胴の上に4本の鉄弦?を張り、これを木製の太く短かい撥で叩く。これまたリズムともメロディともつかない音が出る。

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 渡辺、新倉が加わっての、スペインはサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼のための音楽もすばらしい。観光バスで回る四国のお遍路とは違って、この巡礼路はわざとなのか、今でもあまり文明化されておらず、巡礼する人はちゃんと歩くらしい。

 二人はラストのダンス・チューン、800年前から伝わる〈La Rotta〉でも参加した。この曲を初めて聴いたのは、イングランドのアルビオン・カントリー・バンドの《Battle Of The Field》1976で、その時から様々な形で聴いているが、この6人によるものはベストといってもよかった。おまけにここではソロを回す。新倉さんがチェロでしっかり即興をするのに興奮する。こういうこともできる人なのね。

 アンコールは、笛3本で始め、低音担当のヘルストロームがモンソンが使っているのよりさらに短く、一段高い音域の笛に持ち替え。最後にラグストロムが、ごく短く、細い、ほとんど楊枝の様な笛を高く鳴らして終わり。会場、大爆笑。

 いやあ、堪能しました。今月はいろいろ忙しくて、ライヴは最小限に絞っているのだが、その中でこういうものにでくわしたのは、まさに大当り。ハーモニー・フィールズの主催するライヴはちゃんとチェックしなくてはいけない。(ゆ)


ヨーラン・モンソン Goran Mansson:リコーダー、パーカッション
アグネータ・ヘルストローム  Agneta Hellstrom:リコーダー、ディジュリドゥ
クラウディア・ミュッレル  Claudia Muller:リコーダー、口琴
​<サポートゲスト>
イェスペル・ラグストロム Jesper Lagstrom:パーカッション

渡辺庸介:パーカッション
新倉瞳:チェロ

 来月17日に発売になるカルロスの新作について、ミクシのカルロスとケルティック・ミュージックのコミュに書きこんだが、みごとに反応がない。映画の評判があまりに悪いので、それにつられて、みな眉に唾をつけているのだろうか。それとも、あんなやつの言うことなんぞ、誰も相手にせんよということか。

 後者ならばまだいい。これは映画の中身とはまったく関係なく、音楽だけで独立しているからだ。映画はついに見る気が起きなかったが、これは映画から生まれた最大の成果として、映画そのものを救うかもしれない。

 カルロスのうまさはどんな曲でもそれなりに聞かせてしまうところがあるが、曲との交感が成立する時の演奏は、天と地を結びつける。技量とか、センスとか、そういう個々の要素ではなく、ミュージシャンとしての魂とでも呼ぶしかない何かの作用だ。壮大な曲はどこまでも広がってゆくし、微妙に震えるコブシを効かせるリコーダーからは宇宙のため息が聞こえる。

 そのカルロスがノりにノッている。全身全霊で曲に惚れこんでいる。冒頭、〈テルーの唄〉のガイタの音を一発聞いただけでわかる。もう歌詞は要らない。手嶌葵の唄と比べてどうこうなのではない。カルロスのパイプの音が響いていれば、他にもう何も要らなくなるだけである。相対的な価値ではない。絶対的な音。

 もともとここでの寺島民哉の曲はケルトの影響が明らかだが、カルロスの手にかかることで、さらに一層大陸的な音楽に熟成している。そのものずばりの〈スパニッシュ・ドラゴン〉はもちろんだが、全体を通して、スペイン、それもアラブのルーツにまで根を下ろしたスペインの風も吹いている。

 カルロスはこれまでに吸収してきた音楽言語を総動員している。アイリッシュはもちろん、スコティッシュもブルターニュも、日本すらもある。アルメニア特産の特異なリード楽器であるデュデュックまで使う。録音テクニックも様々に利用し、メロディのシンプルさを最大限に活用して、重層的立体的な作品を生みだした。言い古された表現だが、聞くたびに発見がある。再生システムの質を上げてゆけば、いくらでも応えるはずだ。

 ただし寺島のパレットにあったのは、アイリッシュやガリシアという具体的なものではなく、抽象化された「ケルト」だったろう。一種の折衷であり、様々な要素を溶けあわせ、洗練させて生みだされたものだ。そしてそこがまたカルロスの資質と共鳴していることも確かだ。カルロスがめざすのはあくまでもルーツに根ざし、けっしてそこから浮きあがりはしないものの、ローカルな枠を越えた領域ではある。ことばの本来の意味での「メジャー」だ。

 カルロスが偉いのは、その領域に到達することで商業的成功だけでなく、音楽的にもそこでしか手に入らない成果をめざしていることだ。言いかえれば、音楽的に妥協することなく、メジャーとしても成功しようと努めている。

 そんなことが可能かと言えば、実例はある。

 チーフテンズである。

 カルロスはあらゆる点でパディ・モローニの手法、「商売のやり方」を盗み、己のものとしている。そのことは多少とも身を入れてかれの活動を追いかけてみれば、誰にでもわかろう。

 そして、このアルバムは、そうした努力の現時点での集大成である。この録音が商業的にも成功するかどうかはわからないし、問題でもない。要は、ルーツをベースとして、可能なかぎり広い範囲の人びとに訴えようと努めることでも、質の高い音楽を作ることは可能であることを証明してみせたのだ。しかもローカルな聴衆だけを相手にするときにはできない質の音楽を作ってみせた。素材が伝統曲だろうと、たまたま作者がわかっている曲だろうと、もう関係はない。

 音楽家としてのカルロス・ヌニェスの姿は、録音の上では十分に花開いていない、と言うのがこれまでのぼくの見方だった。その見方自体は間違っていないと思う。見立てが違っていたのは、花開かない理由を、めざす方向が間違っているからとしたことだ。そうではなく、素材との共鳴が十分でなかった、あるいは持続しなかったためだった。

 カルロスは悪戦苦闘していたのだろう。額の髪の生えぎわがどんどん上がっていったのは、その苦闘の証かもしれない。しかし、その苦闘の蓄積があったからこそ、格好の素材を得たとき、思う存分に展開することができた。

 最後に置かれたカルロスのオリジナルは、映画(なんと言っても今回の映画化がなければこの音楽は生まれなかったのだから)と、それを通して原作へのオマージュとして美しくもあり、そしてカルロスらしく、ちょっとお茶目なものでもある。

 それにしても、このアルバムを聞くたびに、ひととおり全部聞いてから、また最初にもどらずにはいられない。このガイタ、と言うよりはハイランド・パイプの高音、小指を駆使する細かな装飾音のアクセント、ドローンのふくらみ、弟シュルシャの叩きだすスネア……。(ゆ)

   *   *   *   *   *

《MELODIES FROM GEDO SENKI》
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01. Song Of Therru / 谷山浩子
02. Beyond The Darkness (Anthem From Earthsea) / 寺嶋民哉
03. The Misty Land / 寺嶋民哉
04. Spanish Dragon / 寺嶋民哉
05. The Bounty Of The Land / 寺嶋民哉
06. Town Jig / 寺嶋民哉
07. Arren's Way (Gedo Senki Overture) / 寺嶋民哉
08. The End Of The Land / 寺嶋民哉
09. Song Of Time / A Arai & H Hogari
10. Over Nine Waves / Carlos Nunez

Carlos Nunez: gaita, uillean pipes, highland pipes, recorders, whistles, ocarinas, bombards, jewish harp, duduk
Xurxo Nunez: percussions, marimba, guitars, bass, keyboards, accordion
Triona Marshall: Irish harp
Paloma Trigas: violin, viola
Luis Robisco: flamenco guitar
Tamiya Terashima: piano, electronic effects
Masatsugu Shinozaki Strings
Tokyo Chamber Orchestra Society, conducted by Chikako Takahashi

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