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真鍮ボディの万年筆
ここが出してる封蝋のセットはちょと面白い。封蝋の蝋を溶かす仕掛けに趣がある。
シャープペンシルを買う。
11月15日・月
ハイタイドのオンラインストアでふと目についた HMM Pencil を注文。こういう、良さげなシャープペンシルを見ると、むらむらと買ってしまう。こないだ、Kickstarter で Wingback のものを手に入れて、気に入っていて、もうこれで打ち止め、と思ったのだが、やはりダメ。これが 0.5 だったら買わないところだが、おあつらえ向きに 0.7 なのだった。やはりハイタイドが出しているドラフト・ペンシルにも惹かれるが、0.5 だったので買わずにすむ。
これも台湾製。台湾製の文房具が目につくなあ。
##本日のグレイトフル・デッド
11月15日には1969年から1987年まで4本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1969 Lanai Theater, Crockett, CA
Moratorium Day として知られるこの日のワシントン、D.C.でのベトナム反対大規模デモのための資金集め。休憩無しに2時間超演奏している。
会場は685席の元映画館。1913年にオープン、1951年にラナイ劇場と改称。少なくとも1958年まで映画館として使用され、後、ライブハウスとなった。ここではこの1回のみ。
クロケットはサンフランシスコ湾の北のサンパブロ湾東岸、オークランドからバークリー、リッチモンドと北上して、サンパブロ湾から東に伸びるカルキネス海峡の南側。
2. 1971 Austin Memorial Auditorium, Austin, TX
開演午後8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
《Road Trips, Vol. 3, No. 2》で全体がリリースされた。後半ラスト〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Not Fade Away〉のシークエンスが聞きどころ。71年版から72年版へ移ってゆくのが面白い、と言われる。
《Road Trips》のシリーズは一連の複数のショウのハイライトを収録して、ランと呼ばれる一群のショウ全体像を提示しようという試みだったが、評判は悪く、売行もよくなかった。デッドヘッドはテープで1本のショウ全体を聴くのを好んだし、この前の《Dick's Picks》のシリーズは1本のショウ全体をリリースする方針だったから、失望されたのだろう。結局、1本のショウ全体をリリースする形になってゆく。
3. 1972 Oklahoma City Music Hall, Oklahoma City, OK
後半5曲目〈Playing In The Band〉、8曲目〈Wharf Rat〉、10〜ラスト〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Not Fade Away〉が《Dave’s Picks, Vol. 11》で、後半4曲目〈Brokedown Palace〉が昨年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。〈Wharf Rat〉は今年の《30 Days Of Dead》でもリリースされている。計6曲リリースされたことになる。
30分を超える〈Playing In The Band〉がまずハイライト。30分間、バンド全員が一瞬たりともダレた音を出さない。緊張と弛緩の同居する集団即興が続く。ベスト・ヴァージョンの1本。最後にウィアが Thank you. 〈Wharf Rat〉も、その後もすばらしい。まるでジャズの〈Not Fade Away〉から、だんだんスピードが速くなるロックンロール〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉がコーダでぴたりと収まって、レシュのベース一発で〈Not Fade Away〉にぱっと戻る。今度はウィアがコーラスを繰返す。そこにガルシアがギターをかぶせて、エンディング。このエンディングだけで1分近くやる。
こういうショウを連日やっていたこの年はやはりピークだ。全体を出さないのはテープの損傷か。せめて後半だけでも、全体の公式リリースが欲しい。録音はアウズレィ・スタンリィで、クリアそのもの。
4. 1987 Long Beach Arena, Long Beach, CA
開演6時。日曜日のせいか、珍しく早い。
この年ベストのショウの一つ、らしい。アンコールのハンター&ガルシアの後期の傑作〈Black Mudyy River〉は、デビューからちょうど1年経ち、最初の決定的演奏のようだ。(ゆ)
新DAP、ゲルインク・ボールペン、Jay Griffith
『東京人』2019年12月号「偏愛文具」

サミュエル・ディレーニィの自宅の朝食のテーブルにはノートとボールペンが載っていた。

Paul Park は1983年にマンハッタンのアパートと職を捨ててアジアへの旅に出た。ヒマラヤをトレッキングし、インド、ビルマ、ネパール、それに東南アジアを回った。最初の長篇 "Soldiers Of Paradise" (1987) はその旅の途中、ラジャスタンから黄金の三角地帯にいたる、あるいはマンダレーからジョクジャカルタまでの、安ホテルや借り部屋で、ノートやメモの切れ端に書かれた。当然手書きだ。宇野千代は『東京人』の特集でも宣伝されている三菱鉛筆の uni で書いた。初めは2Bを使っていたのが、年をとるに連れて濃く柔かくなり、最後は6Bだったそうだ。名著『森のイングランド』を川崎寿彦は鉛筆で書いた。
神無月抄録
配信は21日&ユリイカ!
ちょっと余談。
もう10年前でしょうか。ダイヤルQ2という電話サーヴィスがありました。インターネット前夜だったかな。どういうサーヴィスかももう忘れてますが、今でいう出会い系が大挙進出して、多額の電話代を請求するというのでポシャったのではなかったか。と思ったら、無くなったわけではないらしいですね。
その出会い系のひとつ Valentine Call という名前の入った黄色いボールペンが手元にあります。数本手に入ったうちの最後の一本。どこでもらったのかはすでに歴史の霧の彼方ですが、これが今にいたるも残っていたのは、なんとも書き味が良いためです。それはもう、ヘタな高級ボールペンもかないません。握りとペン先の滑かさとのバランスがすばらしい。ひょっとすると、たまたま一本もらって、あまりの書き味の良さに、さらに数本、ねだった可能性もあります。この宣伝用ボールペンの書き味の良さは作家の笹本祐一氏も認めていて、ずいぶん前ですが、ふたりで盛りあがったことがありました。
当然、既製品に名入れしたもののはずですが、元の製品がわかりませんでした。国産ではなかろうとは思われました。キャップのデザインといい、キャップをはずして現われる部分の細工のスマートさといい、ヨーロッパのものであることはまずまちがいありません。軸の名入れの一角には MALAYSIA の文字がありますから、名入れ自体はそこでやったのでしょうが、ボールペン本体の製造はともかく、設計はマレーシアのものとも思えません。
今よく見ると、キャップの縁に白鳥のマークがレリーフになっています。これは削りでもしなければとれませんから、そのままになったのでしょう。それにしても、このマークにはつい先ほどまで、まったく気がつきませんでした。
それでですね、先日、新宿の東急ハンズでボールペンを物色していて、スタビロのコーナーをなにげなく見たときです。をを、あれはひょっとして……まちがいない!
スタビロの一番安い80円のボールペン Liner 808 だったのです。キャップの白鳥は Schwann-Stabilo の「スワン」でした。軸の材質も同じ。色が違うだけ。ブルーを買いましたが、紺に近いシックな色。対して配布物のほうは、まさに広告主の性格を正確に反映した品のないイエロー。
いやもう、長年の謎が解けて、爽快な気分です。
それにしても、スタビロはマーカー、ハイライターのメーカーと思ってましたが、こんなすばらしい製品も出していたのですね。これは他のボールペン製品も気になってきます。土曜日は近くまでいったので、ニコタマのエトランジェ・ディ・コスタリカに行って、スタビロの CULT pure、CULTジェルローラーボール、pointVisco、Color Gel などを買ってきました。さて、これらの使い心地はどうでしょうか。(ゆ)