クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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04月24日・日
 アルテスのニュースレターで優河の新譜を知り、OTOTOY で購入。しかし、ちゃんと CD もアナログも出るのだった。
言葉のない夜に
優河
インディーズメーカー
2022-03-23


 創元推理文庫から出るアンソロジー『宇宙サーガSF傑作選』にアリエット・ド・ボダールの「竜が太陽から飛び出す時」が収録されるので来た再校ゲラを点検。1ヶ所、校閲者からの指摘に、どうして自分で気がつかなかったかと地団駄を踏んで、提案にしたがう。
 『茶匠と探偵』に入れるために選んで訳したもの。このアンソロジーの原書 John Joseph Adams 編の Cosmic Powers, 2017 に初出。翌年ドゾアの年刊ベスト集に選ばれた。
茶匠と探偵
アリエット・ド・ボダール
竹書房
2019-12-07



##本日のグレイトフル・デッド
 04月24日には1966年から1988年まで7本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

1. 1966 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。ローディング・ゾーン共演。セット・リスト不明。

2. 1970 Mammoth Gardens, Denver, CO
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。第一部はアコースティック・セット、第二部はエレクトリック・セット。ジョン・ハモンド? とニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座。
 DeadBase XI の Mike Dolgushkin によれば、出回っているテープの音はひどいが演奏は面白い。〈The Eleven〉をこの時期にやるのも珍しい。

3. 1971 Wallace Wade Stadium, Duke University, Durham, NC
 土曜日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ガルシアはここで2時間、主にペダルスティールを弾き、さらにデッドで4時間、演奏した。このイベントはさらにポール・バターフィールド・ブルーズ・バンド、ビーチ・ボーイズと続き、トリがマウンテン。これが昼間の屋外のこの会場で、夜は屋内に移り、タジ・マハルが出た、という証言もある。
 ビーチ・ボーイズはデッドと共演するまで4年待ったとコメントした。ある証言によれば、会場で会った男と、デッドの演奏がいかにすばらしいかで意気投合したが、相手はフェリックス・パッパラルディと判明した。

4. 1972 Rheinhalle, Dusseldorf, West Germany
 月曜日。12マルク。開演8時。全体が《Rockin' The Rhein With The Grateful Dead》でリリースされた後、《Europe '72: The Complete Recordings》でもリリースされた。3時間半。全体を3枚の CD に収め、かつ長く続くトラックを切らないために、曲順が若干変更されている。この日は三部に別れた上にアンコール。
 ドイツはヨーロッパ大陸ではデッドのファン層が厚いところで、このツアーでも最多の5ヶ所を回っている。一つの要因は、冷戦の当時、ドイツには多数の米軍が駐屯していて、そこの兵士たちがデッドを聴いていたことがあるらしい。ショウによっては、聴衆の多くが近くの米軍基地の軍人だったこともあるようだ。とはいえ、場内アナウンスなどはドイツ語であり、外国にいることはバンドにも意識されていただろう。曲間に時折りはさまる MC はゆっくり明瞭に話すよう努力しているようだし、演奏も全体にゆったりとして、歌詞をはっきり歌うようにしていると聞える。あるところでウィアが、おれたちは曲間が長い、ひどく効率が悪いんだよ、とことわってもいる。次にやる曲をその場で決めているために、時に5、6分空くこともあるからだ。
 このツアーの録音はどれも優秀だが、このショウの録音は特に良い。ピアノがこれまではセンターにいたのが、ここでは右に位置が移っている。またCD化にあたってのミックスだろうか、初めはヴォーカルをシンガー各々の位置に置いているが、9曲目の〈Loser〉からセンターに集める。コーラスではこの方が綺麗に聞える。
 コペンハーゲン以来ほぼ10日ぶりのフルのショウで、バンドは絶好調である。〈Truckin'〉から始めるのはツアーでは初めてだし、一般的にも珍しい。ガルシアのソロがすばらしく、これを核にした見事なジャムで10分を超える。ガルシアはギターも歌もノリにノッていて、ソロがワン・コーラスで収まらずにもうワン・コーラスやったり、歌ではメロディを自在に変えたりする。5・6曲目の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉から本当に火が点く。ガルシアのソロがメインのメロディから外れだし、全体のジャムが長くなって、このペア本来の面白さが顔を出している。ショウとしても、このペアの演奏としても、ターニング・ポイント。ショウとしてはここから10曲目〈Playing In The Band〉、そしてクローザー前の〈Good Lovin'〉と全体での集団即興が深さとからみと長さを増してゆく。ハイライトは〈Good Lovin'〉で、歌が一通り終ってから、これとはほとんど無関係なジャムがガルシアのソロを先頭に繰り広げられる。やがて、そこにピグペンがこれまた元の歌とは無関係に即興のラップを乗せだして、これにバンドが様々の組合せであるいは支え、あるいは応答して延々と続く。一級のヴォーカルが前面に立ち、バンドがジャムでこれを押し上げる、というこの形は、グレイトフル・デッドのひとつの理想の姿だ。しばらく続いた後、ガルシアがテーマのリフを弾きだし、バンドが戻るのに、ピグペンはなおしばし別の歌をうたい続ける。
 ピグペンはこのツアーで決定的に健康をそこね、帰ってからは入退院を繰返すようになるのだが、自分が限界にきていることを覚っているのか、歌もオルガンもハーモニカもすばらしい演奏を披露している。このヨーロッパ・ツアーをデッド史上でも最高のものにしている要因の小さくないものの一つはピグペンのこの捨て身の演奏だ。それは原始デッドの最後の輝きであると同時に、アメリカーナ・デッドとしても確固とした存在感を放っている。
 第二部は〈Dark Star〉から始まる。歌までのジャムがまず長く、10分以上ある。ガルシアの歌唱はかなりゆっくりで、その後はスペーシィなジャムになる。ピアノの音が左右に動くのは、どういう操作か。ビートがもどってからのメロディ不定のジャムがすばらしい。
 そこに〈Me and My Uncle〉がはさまる。ここでウィアの歌の裏でガルシアが弾くギターが愉しい。曲が終ると喝采が起きるが、曲は止まらずに再び〈Dark Star〉にもどっている。ドラムレスでガルシアとレシュとキースがそれはそれはリリカルなからみを聴かせ、しばらくしてウィアも加わり、1度テーマにもどってから、2番の歌はなくて〈Wharf Rat〉へ移る。ここでのガルシアのソロは明く、心はずむ。〈Sugar Magnolia〉で再び休憩。
 後のデッドならここでアンコールになるところだが、この時期はさらに第三部を30分以上。ここでのハイライトはスロー・ブルーズ〈It Hurts Me Too〉。ブルーズというのはシンガーによって決まるところがあって、デッドでこの後、これに近いところまで行くのはブレント・ミドランドの後期になる。ただ、ミドランドの声には、ピグペンのこの「ドスを呑んだ」響きは無い。締めはこの頃の定番〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉をはさんだ〈Not Fade Away〉。後のパートではウィアとピグペンが掛合いをし、その裏でガルシアがギターを弾きまくる。
 アンコールの〈One More Saturday Night〉は、このツアーではほとんどのショウで最後の締めくくりを勤める。
 次は1日置いてフランクフルト。

5. 1978 Horton Field House, Illinois State, Normal, IL
 月曜日。開演7時半。第一部クローザー〈The Music Never Stopped〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《Dave's Picks, Vol. 7》で全体がリリースされた。
 当初、ライヴ録音に参加しよう、と宣伝されていたそうだが、《Dave's Picks》で出るまで、公式リリースはされなかった。《Live/Dead》や《Europe '72》の成功があったにもかかわらず、デッドは現役時代、ライヴ・アルバムのリリースにあまり積極的ではなかったように見える。このあたりも伝統音楽のミュージシャンに通じる。

6. 1984 New Haven Coliseum, New Haven, CT
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時半。前日やこの次に比べると全体として落ちるが、初めてデッドのショウを体験した人間にとってはライフ・チェンジングなものだった由。

7. 1988 Irvine Meadows Amphitheatre, Irvine , CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時半。
 同じ日に近くで航空ショウがあり、ジェット戦闘機が低空で飛びまわっていた。そのうちの一機は低く突込んだまま上がってこなかった。その機体は胴体着陸したが、パイロットは助かったそうな。と証言しているのは、元空軍で消防官をしていたデッドヘッド。(ゆ)

0228日・月

 Washington Post Book Club のニュースレターで筆者 Ron Charles が部厚い枕本をいかに読むかの工夫の一つを紹介している。

 注意を集中できる時間の長さがどんどん縮んでいるのが問題になっているが、Washington Post のハードカヴァーの小説のベストセラー・リストでは話が違う。少なくとも、まだ本を買う人間にとっては話が違う。今週の上位5冊の平均は600ページ。ちょっと下がると、Hanya Yanagihara "To Paradise" 720ページ、2018年のノーベル賞受賞者 Olga Tkarczuk "The Books Of Jacob" 992ページだ。


The Books of Jacob: A Novel (English Edition)
Tokarczuk, Olga
Riverhead Books
2022-02-01


 長く入り組んだ話を毎日寝る前に15ページずつ読むのは、ドラマの1シーンを1ヶ月かけて見るようなものではないか。これはそのドラマを一晩で見るのとはまるで違った体験になるはずだ、というのはわかる。どういう体験かはすぐにはわからないにしても。

 これは確かに面白い問題で、見るのにかかる時間だけではなくて、演じられるものをただ見るのと、活字を読んでそのシーンを頭の中に浮かびあがらせたものを見るのでは、まるで違った体験になる。

 18世紀のポーランドの神秘主義者 Jacob Frank の話である "The Books Of Jacob" を読んでやろうという人向けに Olga Tokarczuk Books Calculator なるサイトがあるそうだ。ポーランドの本の虫たちがつくったサイトで、読む時間がどれくらいあるかと自分の読書スピードを入れると、この作家のどの本から読めばいいか、どれくらいで読みおえられるかを計算してくれる。わかったら、あとはただ読みはじめればいい。まことに簡単。

 いや、そりゃそうだろうけどさ、自分の読書スピードは測ったことがないし、本によっても変わるし、日本語と英語では当然違う。

 とにかく読みはじめればいいというのはまったくその通りだが、次々に目移りして、いつまでたっても読みおわらない、途中で読みかけた本だけが増えていくのはどうすればいいのか。とにかく読みおわるまでは次の本を読まない、というのをルールにしたこともあったが、長続きしたことはない。

 トカルチュクの作品はいくつか邦訳もされているけれど、代表作ならば The Books Of Jacob ヤクプの諸書になるとすれば、こいつから読みたいわな。それが邦訳されるかどうかわからないから、といあえず英訳(7年かかったそうな)を読むか、ということになる。それにチャールズと同じく、部厚い本は好きだ。読みおえられるかどうかは関係ない。部厚い、というだけでわくわくしてくる。だから、部厚い本は電子本ではダメなのだ。部厚いブツを手に持ちたい。その部厚さを眺めてにやにやするのだ。どこまで読んだか、一目でわかるのが嬉しい。読みおえて本を閉じる時の快感。しかし、もう部厚いブツを置いておくスペースは無い。それに電子版はすぐ読みはじめられる。無料サンプルもある。

 ということで、とりあえず、無料サンプルをダウンロード。巻頭に18世紀のヨーロッパの地図。現在のウクライナの東半分はロシア帝国、西半分はクリミア半島も含めてポーランドの領土。



##本日のグレイトフル・デッド

 0228日には1969年から1981年まで4本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本。準完全版1本。


1. 1969 The Fillmore West, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー4日連続の2日目。3.50ドル。この日の演奏からは《Live/Dead》への収録は無し。《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。第一部全部と第二部〈Dark Star〉からの4曲が抜粋盤《Fillmore West 1969 (3CD)》に収録された。

 この日の第一部は2曲目から〈Good Morning Little Schoolgirl〉、3・4曲目〈I'm A King Bee〉〈Turn On Your Lovelight〉とピグペン祭りだ。第二部は一変して、ピグペンの影もない。無いはずはないが、音には出てこない。オルガンはトム・コンスタンティンだ。

 原始デッドはピグペンが原動力のはずだが、その完成した姿の中では居心地があまりよくないように見える。ピグペンが前面に立つ時のデッドは、それ以外の時と別のバンドのようだ。これもまたデッドを貫く「双極の原理」の現れの一つだろうか。ピグペンが脱けてそちらの位相は消えるわけで、ピグペン・デッドとそれ以外が、ガルシア、ウィア、それぞれがリード・ヴォーカルをとる曲の対照に入れ替わる、としてみよう。

 この日のショウにもどれば、〈Turn On Your Lovelight〉を第一部にやっているために、〈That's It For The Other One〉から〈Dark Star> St. Stephen> The Eleven〉と来て、ガルシアのブルーズ・ナンバー〈Death Don't Have No Mercy〉をはさんで、また〈Alligator> Caution〉と集団即興のジャムが続く。誰もビートをキープしていないのに、全体としてビートはしっかり刻まれて、一見、それぞれに勝手なことをやっているようなのに、全体としては調和がとれている音楽が流れてゆく。その間、ドラムスでは「ラクタ、タケタ、タケタ」という口打楽器まで出てくる。この時期以外では聴いた覚えがない。最後の〈Feedback〉は後の "Space" そのもの。こうしてみると、メロディもビートも無い、このクールでフリーな時間を、デッドは必要としていたとわかる。そして、デッドによるこの演奏、音楽は聴いていても面白い。こういうあくまでもフリーな即興が聴くだけでも面白いのは、メンバーの音楽的蓄積が生半可なものではないことの証しの一つではある。デッドのコピー・バンドがコピーしようとして聴くにたえないものになるのは、こういう演奏だ。かれらはデッドしか聴いていない。それではデッドのコピーはできない。デッドの本当のコピーをしようとするなら、デッドが聴いていた音楽も聴かねばならない。


2. 1970 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。コマンダー・コディ前座。約2時間の一本勝負。5〜7曲目〈Monkey And The Engineer〉〈Little Sadie〉〈Black Peter〉はアコースティック・セット。その前後はエレクトリック・セット。


3. 1973 Salt Palace, Salt Lake City, UT

 水曜日。ここで年初からのツアー1度中断。次は2週間後にニューヨーク。第二部5曲目〈The Promised Land〉を除く全体が《Dick's Picks, Vol. 28》でリリースされた。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが間で演奏し、ガルシアがペダルスティールを弾いた。

 《Dick's Picks, Vol. 28》は2本のショウをCD4枚に収めるが、CDの収録限界に収めるため、どちらも曲を削っている。この日は、この時期にしては短かめのショウで、削られたのは1曲ですんだ。

 内容は第一級で、良い時のデッドらしく、緊張と弛緩が同居する。ここではまずドナの貢献が目立つ。〈Beat It On Down The Line〉は終始ウィアとの二重唱が見事に決まり、〈Box Of Rain〉ではレシュの歌にハーモニーをつけて、ぎくしゃくした彼の歌唱を滑らかにし、〈He's Gone〉でもコーラスがリッチになる。これを聴くだけで幸せになる。

 〈They Love Each Other〉は闊達でポップ、アップテンポの弾むような演奏。この歌はこういうスタイルと、リリカルに流れるような演奏と二つの面を持つ。弾むヴァージョンでは、ユーモラスな面が前に出る。ユーモアの点では次の〈Mexicali Blues〉はバーロゥとウィアのコンビによる最初の歌で、歌詞は深刻にも読めるが、メロディと演奏スタイルはユーモラスだ。いわゆる "gallows humour" というやつ。この流れはさらに〈Sugaree〉にも続く。

 第二部でも快調そのもので、ガルシアのソロも冴えわたる。〈Truckin'〉の後半で、ベースとドラムスだけの対話となり、ベース・ソロから、オープニングのリフで〈The Other One〉、〈Eyes Of The World> Morning Dew〉まで止まらない。クローザーの〈Sugar Magnolia〉の中間のブレイクは結構長いが、"Sunshine Daydream" の始まりはふつうで、フルバンドによる「ドン!」はまだない。ここでもウィアとドナの息はぴったりで、最後にドナが "Thank you."


4. 1981 Uptown Theatre, Chicago, IL

 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。11.5ドル。開演7時半。第一部クローザーの〈Let It Grow> Deal〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 この2曲だけでもこのショウの質の高さは鮮明。どちらもアップテンポで、前者はマイナー調なのでぐんと切迫感が強い。後者は明るく陽気な曲で開放的だ。

 前者ではガルシアがこの時期の特徴の一つでもある細かい音を連ねる奏法を続けて、さらに切迫感がつのる。この奏法はおそらくブルーグラスのバンジョーをエミュレートしたものだろう。デッドを始める前、ガルシアはブルーグラスに入れあげて、ベイエリア随一のバンジョー奏者とも言われた。エレクトリック・ギターでやるとバンジョーのように音が跳ねないので、音楽が発散されず、1ヶ所に集中してゆく。どんどん集中してゆく一方で、その集中が引きのばされる。いわば無限に収束してゆくので、いつまでも集中しきらない。まるでその無限の空間から音が湧きでてくるようだ。ひとしきりジャムを続け、元にもどってウィアとミドランドが2度目のコーラスを歌った後も、ガルシアは弾きやめようとしない。ミドランドが何度かうながして、ようやくコーダのフレーズに移る。

 その最後の音の次にいきなり後者を始める。ミドランドは電子ピアノからハモンド・オルガンに斬りかえる。ここではがらりと変わって、突きぬけるような解放感のもと、ガルシアは気持ち良さそうにギターを、バンジョーではなくギターを弾く。ガルシアの声も元気。元気に弾くガルシアをミドランドが応えて煽り、それにガルシアが乗るのにさらに返す。二人の掛合、からみあいに興奮する。やめたくないのがありあり。コーダのコーラス・リピートをやってもまだやめず、もう1度やる。(ゆ)


0211日・金

 『SFが読みたい! 2022年版』所載の海外篇ベストSF2021で、あたしが訳した『時の他に敵なし』が第6位に入った、というので、初めて買ってみる。

SFが読みたい!2022年版
早川書房
2022-02-10

時の他に敵なし (竹書房文庫 び 3-1)
マイクル・ビショップ
竹書房
2021-05-31


 どなたが、どのようにして選んでおられるのかも承知しないが、自分の仕事がこうして認められるのは嬉しい。何はともあれ、ありがとうございます。そして、これを機に少しでも売れますように。

 このリストでは内田さんの訳された『時の子供たち』が2位に入ってもいて、これまためでたい。

時の子供たち 上 (竹書房文庫)
エイドリアン・チャイコフスキー
竹書房
2021-08-02






時の子供たち (下) (竹書房文庫 ち 1-2)
エイドリアン・チャイコフスキー
竹書房
2021-07-16

 ベスト10のうち、この本の版元の早川のものが半数なのはまあそんなものだろうが、『時の他に敵なし』の版元、竹書房が2点、早川の他では唯一複数入っているのも、めでたい。Mさんの苦労も報われたというものだ。

 エイドリアン・チャイコフスキーも面白いものを書く人と思うので、評価されるのはめでたい。この人、ひと頃のシルヴァーバーグやディックなみに量産しているのも今どき珍しいし、虫好きで、これもそうだが、虫がたくさん出てくるのも面白い。動物との合体はSFFに多いが、虫との合体は、スターリングにちょっとあったくらいじゃないか。ディッシュの短篇に「ゴキブリ」という大傑作があるが、あれはむしろホラーだ。チャイコフスキーはもっと普通の話。出世作の十部作のファンタジーはキャラクターの祖先が虫で、祖先の虫が何かで部族が別れていたりする。だいたい、この人の名前がいい。チャイコフスキーは元々ポーランドの名前で、作曲家も祖先はポーランドの出身だそうだ。『ウィッチャー』で注目されるポーランドには、なんてったってレムがいるけど、『ウィッチャー』以外の今の書き手も読んでみたいものだ。

 レムと言えば、ジョナサン・レセムが先日 LRB に書いていたエッセイ、「レムを読んだ1年」はなかなか面白い。今年は無理だが、来年はレムを読むぞ、と思ったことではある。

 ぱらぱらやっていると、中国に続いて、韓国のSFも盛り上がっているのだそうだ。英語圏でも Yoon Ha Lee がいるし、E. Lily Yu も確かコリアン系ではなかったかと思う。中国系はやはりケン・リウの存在が大きい。今の中華系SFの盛り上がりはほとんど彼が独力で立ち上げたようなもんではある。

 アジア系ではサムトウ・スチャリトクルのタイが先行したけれど、やはり今世紀に入ってどっと出てきた感じがある。去年やらせてもらったアリエット・ド・ボダールのヴェトナムでは、Nghi Vo The Empress Of Salt And Fortune が今回ヒューゴーのノヴェラを獲った。あれは受賞して当然だし、やはり去年出した初の長篇 The Chosen And The Beautiful も面白かった。フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を視点を換え、世界を少しずらしてゴシック・ファンタジーに仕立てなおした1篇で、実に見事な本歌取りになっている。元歌がフィッツジェラルドなので、一般読書界からも注目された。Washington Post Ron Charles は、こちらの方が話のつじつまが合うと言っていた。

 ヴェトナムは今のところ、もう一人 Violet Kupersmith も含めて、ファンタジー色が強いのも面白い。アリエットの「シュヤ」のシリーズにはサイエンス・フィクションもあるから、これから出てくることを期待する。



##本日のグレイトフル・デッド

 0211日には1966年から1989年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1966 Youth Opportunities Center, Compton, CA%

 Watts Acid Test と呼ばれるイベントとされるが、アウズレィ・スタンリィの言葉だけで、明確な証拠はない。アシッド・テストに関するベアのコメントは信用性が低いことで知られる。このイベントのものとされているテープが存在するが、その憶測を支持する根拠は無い。


2. 1969 Fillmore East, New York, NY

 このヴェニュー2日連続の初日。《Fillmore East 2-11-69》で全体がリリースされた。

 ショウは Early Late の2本立てで、ともに1時間強。ジャニス・ジョプリンが自分のバンド、後に Kozmic Blues Band と呼ばれるバンドを率いての初のライヴで、デッドはその前座。デッドの演奏を見たジョプリンは、あたしたちが前座をするべきだね、と言ったと伝えられる。

 いろいろな意味で興味深いショウ。とりわけ、遅番ショウの冒頭の2曲〈Dupree's Diamond Blues〉〈Mountains Of The Moon〉をアコースティック仕立てでやっている。ガルシアはアコースティック・ギターで、後者の途中でエレクトリックに持ち替える。この年は原始デッド完成の時期だが、すでに次のアメリカーナ・デッドへの模索が始まっていたのだ。ともに演奏としては上の部類で、こういう仕立ても立派に成り立つと思わせる。ともに《Aoxomoxoa》収録。

 〈Dupree's Diamond Blues〉は19690124日にサンフランシスコで初演。0711日を最後に一度レパートリィから落ち、19771002日、ニューヨークで復活。1980年代を通じてぽつりぽつりと演奏され、最後は跳んで19941013日のマディソン・スクエア・ガーデン。計78回演奏。公けの初演の前日のリハーサルの録音が《Download Series, Vol. 12》に収録されている。

 〈Mountains Of The Moon〉は19681220日、ロサンゼルスで初演。19690712日、ニューヨークが最後。《Aoxomoxoa》の1971年リミックス版が出た時のインタヴューでガルシアは、この曲はお気に入りだと言っているが、結局トータル13回しか演奏されなかった。

 このショウの話題の一つは早番ショウの最後にピグペンが〈ヘイ・ジュード〉を歌っていることで、デッドとしての初演。オリジナルは前年8月にリリースされているから、カヴァーとしては早い方だろう。一聴すると、ひどくヘタに聞えるが、ピグペンは自分流に唄おうとしている、というより、かれ流にしか唄えないのだが、そのスタイルが楽曲とはどうにも合わない。おそらく自分でもそれはわかっているが、それでも唄いたかった、というのもわかる。ただ、やはりダメだと思い知ったのか、以後、長く封印され、1980年代半ばを過ぎてようやくブレント・ミドランドが持ち歌として、今度はショウの第二部の聴き所の一つとなる。

 デッドがジャニス・ジョプリンの新たな出発に立ち会うのはまことにふさわしいと思える一方、デッドはまたこういう歴史的場面に立ち会うような星周りの下にあったようでもある。DeadBase XI Bruce C. Cotton のレポートにあるように、当時、デッドはまだローカルな存在だったが、後からふり返るとそこにデッドがいたことで輝く瞬間に立ち合っている。North Face がサンフランシスコに開いた最初の路面店のオープニングで演奏しているように。

 もっともこのコットンのレポートはかなり脚色が入っている、あるいはその後の体験の読込みが入っているように思える。

 ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーはクィックシルヴァーやエアプレイン同様、サンフランシスコ・シーンの一員だが、この二つのメンバーがデッドのショウに参加することはあっても、ビッグ・ブラザーのメンバーは無かったようなのは、興味深い。

 まったくの余談だが、ジョプリンがビッグ・ブラザーを離れたことには、ビッグ・ブラザー以外の誰もが喜んだように見える。自分たちの音楽によほど自信があったのか、音楽的な冒険をすることに臆病だったのか、理由はわからないが、すでにできあがったスタイルに固執していて、それがジョプリンの可能性の展開を抑えていたという印象がぬぐえない。一方でその頑固さがジョプリンの保護膜にもなっていたとも見える。


3. 1970 Fillmore East, New York, NY

 このヴェニュー3本連続のランの初日。日曜日までフィルモア・ウェストで3日連続をやり、月火と2日置いてニューヨークで3日間、20日から4日間テキサスを回り、3日置いてサンフランシスコのファミリー・ドッグ・アト・ザ・グレイト・ハイウェイで3日連続と、まさに東奔西走。

 これも8時の早番と 11時半の遅番の2本立てで、3.504.505.50ドルの3種。オールマン・ブラザーズとラヴが共演。

 早番のオープナー〈Black Peter〉が2012年の、遅番の2曲目〈Cumberland Blues〉が2021年の、アンコール〈Uncle John's Band〉が2010年と2013年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 遅番の〈Dark Star〉にラヴの Arther Lee がパーカッションで参加。ピーター・グリーンとデュアン・オールマンも参加したらしい。〈Turn On Your Livelight〉にグレッグ・オールマンがオルガンとヴォーカルで、ベリー・オークリィがベースで参加。ダニー・カーワンも入っていたらしい。

 アンコールはアコースティック・ギター1本とヴォーカルだけで、なかなか良い演奏。

 オールマン・ブラザーズ・バンドがツイン・ドラムスの形を採用したのはデッドの影響、というのはどこかで誰かが証明していないか。フィルモアのライヴでも顕著な長いジャムやスペーシーな即興もデッドの影響だと言ってもおかしくはない。



4. 1979 Kiel Auditorium, St. Louis, MO

 このヴェニューでは、昨年のビッグ・ボックス・セット《Listen To The River》でリリースされた19731030日以来久々のお目見え。セント・ルイスでは19770515日に演っている。年初以来のツアーの最後。あともう1本、17日にオークランドでショウをして、ガチョー夫妻はバンドを離れる。


5. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 16ドル。開演8時。このヴェニュー5本連続の中日。ネヴィル・ブラザーズ前座。さらに、第二部のオープナー〈Iko Iko〉〈Eyes Of The World〉とそれに続く Drums、さらに3曲のアンコールにも参加。

 ミッキー・ハートの招きでジョセフ・キャンペルがこのショウを見にきて、「デュオニソスの儀式、バッカスの宴そのままだ」と述べたと伝えられる。


6. 1989 Great Western Forum, Inglewood, CA

 開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。第二部 Drums にアイアート・モレイラが、Space の後の〈Eyes Of The World〉にアイアート&ダイアナ・モレイラとフローラ・プリムが参加。年頭から5本目にして、ようやくエンジンがかかってきたようだ。(ゆ)


 Washington Post Book Club のミュースレターで Amanda Gorman の詩を訳すことが白人にできるか、という議論が持ち上がっているという話。カタラン語の訳者ははずされ、オランダ語の訳者は辞任したという。翻訳という仕事の性質を理解しない行き過ぎ。あまりにアメリカ的発想。Washington Post も "weird" と言っている。中東、トルコまで含めたアジア諸国はどうなるのだ。アラビア語はいるかもしれないが、ペルシャ語や北欧の諸言語はどうだ。文芸翻訳は専門家ではだめなのだ。母語話者である必要がある。詩の翻訳となればなおさらだ。詩の翻訳が可能か、あるいはどこまでいけば翻訳として認められるかは、また別の問題。

 夜、ローベルト・ヴァルザー『ヤーコプ・フォン・グンテン』読了。凄え。傑作とか名作とか、そんな枠組みは超えている。こいつは英訳でも読んでみよう。記録を見たら、なんと1991年に読んでいた。完全に忘れていた。筑摩の『ローベルト・ヴァルザーの小さな世界』でヴァルザーに最初に夢中になった時らしい。当時、他に邦訳はこれしかなかった。当然、眼のつけ所も感応するところも異なる。今の方がよりヴィヴィッドに、切実に迫ってくる。

 今回まず連想したのはマンの『魔の山』だった。どちらも閉鎖空間にたまたま入りこんだ、ほとんど迷いこんだ人物に、入ったことで自らの新たな位相が現われ、その空間を通じて世界と向き合う。そこに映しだされる世界像に読者は向き合うことになるのだが、ヴァルザーの世界像は平面ではなく、読む者の内面に浸食し、やがて読者の世界をも覆いつくす。そしてその世界は徹底的におぞましく、それ故に蠱惑に満ちる。

 どこかに着地しそうでしない文章。通常の価値判断のことごとく逆手をとる態度。人間らしく生きることが、この上なく非人間的な人間を生みだす人間の「原罪」を読む者はつきつけられる。冷徹に観察されて、美しい文章で描かれた、その原罪がごろんと目の前にころがされる。

 マンの『魔の山』は19世紀までの、第一次世界大戦で滅ぶことになる世界、人間は自分のやることをコントロールできると信じられた世界を提示する。ヴァルザーが見ているのは、カフカの『城』が建つ世界であり、竜のグリオールが横たわる世界であり、夜空に燐光が明滅して電波受信がロシアン・ルーレットになった世界のもう一つの顔だ。この世界はつい先日読んだ山尾悠子『山の人魚と虚ろの王』の世界にもつながっており、文章の気息、着地しそうでしない叙述も共通する。一つひとつは短かい断片を重ねてゆくスタイルも同じだ。

 ヴァルザーの場合、マンのような息長く、読む者を引きずるように長く話を続けることはできなかったらしい。結局3冊めのこれが最後の長篇となり、他はすべてごく短かい。ショートショートと呼ぶにはオチがない。もともとオチを期待するような話ではなく、デビュー作である『フリッツ・コッハーの作文集』にある「作文」というのが一番近いようだ。とにかく、ヴァルザーは読めるものは全部読まねばならない。

ローベルト・ヴァルザー作品集3: 長編小説と散文集
ローベルト・ヴァルザー
鳥影社
2013-05-31


 『本の雑誌』新年号恒例の今年のジャンル別ベスト10で、鏡明氏が『茶匠と探偵』をなんとSFの1位に推してくださった。なんともありがたいことである。鏡氏には面識がないので、この場を借りて御礼申し上げる。


本の雑誌451号2021年1月号
本の雑誌社
2020-12-11


 鏡氏がそこにつけた「今年にかぎっていえば」という条件もうなずける。なに、ヒューゴーやネビュラの受賞作にしても、後から振り返れば、最終候補の他の作品の方がふさわしいと思えるケースはままある。それでも受賞した、という事実は残るわけだ。「1位」というのはやはり特別なものだ。

 それに10年までスパンを広げればベスト20ぐらいにはなるというのだから、それだって立派なものだ。ヒューゴーやネビュラの最終候補に残るのは、それだけで大したものなのだ。マーティンが「ヒューゴー落選パーティー」をやっているのは伊達ではない。原則毎年5本だから、10年でベスト作品は50本。その中でも半分より上になるわけだ。

 一方で、『茶匠と探偵』に実現している「今年」の要素も適確に読みとっていただいていて、さすがというか、これまたありがたいことである。もちろんこの「今年」の要素、「多様性」をキーワードとする流れは今年で終るわけではなく、少なくとも次の10年、おそらくは今世紀前半を特徴づけるものになるだろう。SFWA の今年のグランド・マスターにナロ・ホプキンソンが選ばれたり、F&SFの新編集長にシェニー・レネ・トーマスが就任したり、鏡氏自身、今年のベストに女性作家が多いことにあらためて驚かれたりしているのは、その一端に過ぎない。

 『茶匠と探偵』は翻訳だけでなく、作品選択から関ったので、入れ込みも一入だから、この評価は単純に嬉しい。編集担当Mさんから教えられて、早速本屋に駆けつけてふだん買わない雑誌をいそいそと買い込んできた。

 『本の雑誌』に限らず、日本語の雑誌を買わなくなって久しい。もともとあたしは雑誌読みではなく、本読みなので、雑誌も表紙から裏表紙まで舐めるような読み方をする。日本語の雑誌ではこの読み方は正直しんどい。昔はSFMや幻想と怪奇や奇想天外など、そういう読み方でも読める雑誌もいくつかあった。SFMもいつの頃からか、細切れの記事が増えて、アンソロジーのようには読めなくなった。結局今定期購読しているのは F&SF と Asimov's、Interzone のような、アンソロジー形式の雑誌だけだ。

 もっとも『茶匠と探偵』の作品選定はあとがきにも書いたように、受賞作や年刊ベストに収録されたものを優先したから、そう苦労したわけでもない。表題作は入れることを決めた時点ではまだネビュラ受賞は決まっていなかったが、質量ともに抜きんでてもいたし、その時点で最新作でもあったから、これまたほとんど自動的だった。あとがきにも書いたけれど、唯一、あたしの趣味で入れたのは「形見」の1篇である。このシュヤのシリーズで後世、最も評価が高くなるのは、実はこれではないか、とさえ思う。それにしてはアメリカでの評価が今一つなのは、これがヴェトナムとアメリカの関係を下敷にして、しかもヴェトナム側から描いていることが明瞭で、そこがヴェトナム戦争に反対賛成とは関係なく、アメリカの読者には居心地がよくないからではないかと勘繰っている。

 鏡氏が中国SFよりも中国的に感じられた、というのも興味深い。一つには、固有名詞などをなるべく漢字にしたせいもあるかもしれない。一方で、著者のルーツであるヴェトナムの文化にはかなり中国的な要素も入っていることもあるだろう。ヴェトナムと中国との関係は日本と中国との関係に似ている。朝鮮半島はもう半歩、中国に近い。影響の強弱、距離感など、ヴェトナムと日本がほぼ同じと思う。だから、その中の中国的要素は我々の中の中国的要素と共鳴するところが多いのではないか。そして我々が中国的と思うものは、今の中国SFに現れる中国的なものとはまた別のものなのではないか。

 そう言えば著者のアリエット・ド・ボダールは『紅楼夢』を繰返し読んで溺れこんでいるそうだ。シュヤ・シリーズ中最も長い、ほとんど長篇の長さのノヴェラ On A Red Station, Drifting は『紅楼夢』の圧倒的影響下に書いたと自分で言っている。著者にとっての中国は18世紀清朝のイメージがメインなのかもしれない。この話も、アクションはほとんど無い、むしろ心理小説なのに、息をつめて一気に読まされてしまう傑作。そう、このシュヤのシリーズはどれも、いざ読みだすと、息をつめて一気に読まされてしまう。他の作品、シリーズ以外の独立の諸篇や、著者のもう一つのシリーズ Dominion of the Fallen のシリーズの作品とは、その点、味わいが異なる。無駄な描写や叙述が無く、骨太な物語を細やかに描いてゆく、凛としてすがすがしい文章はどれにも共通するけれど、シュヤの諸篇はそこにもう一つ、読む者をからめとって引きこみ、物語に集中させる、英語でいう "intensive" な側面があるように思う。

 とまれ、これをきっかけに本が売れてくれればさらに嬉しい。あたしのおまんまに影響するのはもちろんだが、残りの作品も早く訳せという鏡氏の要請にもより早く応えられる。実際、『茶匠と探偵』の内容を決めた時点で「第2集」の内容もほぼ決めていた。『茶匠と探偵』に収めたのは2018年までの作品だが、昨年、今年と1本ずつシュヤものは発表していて、どちらも入れたい。とりわけ今年のノヴェラ Seven Of Infinities は傑作で、ノヴェラ「茶匠と探偵」のゆるい続篇、つまり有魂船と人間のペアが殺人事件の謎に挑む形。あちらはホームズものがベースだったわけだが、今回はアルセーヌ・ルパンものがベース。有魂船がルパンだ。タイトルはルパンものの短篇「ハートの7」を下敷にしたもので、麻雀の牌、おそらく萬子の七をさす。内容は『奇巖城』の換骨奪胎。たぶん。というのも『奇巖城』を読んだのはウン十年前で、ラスト以外もう忘れている。こういう話を読むと、ルパンものをまたまとめて読みたくなりますね。あたしは新潮文庫の堀口大學訳で、『バーネット探偵社』が好きだった。ルパンが私立探偵になるやつ。ビートルズかストーンズか、にならってホームズかルパンかと言われれば、あたしは躊躇なくルパンです。今度は偕成社版で読んでみるかな。

Seven of Infinities
Bodard, Aliette De
Subterranean Pr
2020-10-31



 こういう時、あー、フランス語やっときゃなあ、と思う。そうすれば、バルザックもデュマもルブランも、うまくすればプルーストも、原書で読めたのにい。

 ということで、皆様、2020年日本語によるSFでベスト1に輝く『茶匠と探偵』をどうぞ、買うてくだされ。もう買うてくださった方は宣伝してくだされ。ひらに、ひらに。(ゆ)


茶匠と探偵
ド・ボダール,アリエット
竹書房
2019-11-28

アマゾン

茶匠と探偵 [ アリエット・ド・ボダール ]
茶匠と探偵 [ アリエット・ド・ボダール ]
楽天

 COVID-19 で緊急事態宣言が出る頃から7月まで、翻訳の仕事に集中していた。夢中になっていた、と言っていい。翻訳する作業も、その対象たる小説も、面白くてしかたがない。他の本もほとんど読まず、音楽も最低限しか聴かなかった。翻訳しながら、小説の面白さを発見していた。翻訳は精読だから、翻訳しながらそれまで見えなかったところが見えてくる経験はしていたが、これほど発見の多いことはなかった。ほとんど毎ページにはっとした気づき、膝を打つところがあった。話が進むにつれて、どんどん面白くなり、翻訳そのものが楽しくなった。断片的な時間でも、原書を開いては作業をしていた。夕方、料理をしかけて、できあがるまでの間もやったりした。数少ない外出の際も、原書とノートを持ち歩いて、30分でも時間が空くとやっていた。

 モノはマイケル・ビショップの No Enemy But Time。1982年の刊行でその年のネビュラ賞最優秀長篇賞を受賞している。ネビュラを獲ったというので読んではいたが、その頃は英語もロクに読めず、どこが面白いのかよくわからず、筋もすっかり忘れていた。昨年暮れに再読したときも、まあ普通の面白さで、この年ネビュラを争ったオールディスの Helliconia Spring の方が読み応えがあったなあ、ありゃあ凄かった、などと思っていた。

 

 翻訳にかかってから様相が変わってきた。細部にこそ神は宿りたもう。さりげない一文がぱっと輝いて、世界がぐっと深く鮮やかに照らしだされる。思いもかけないモチーフが、テーマが、アイデアが、イマージュが立ち上がってくる。話にぐんぐんと引きこまれてゆく。小説を読む愉しさ、ここにあり。つまりは、あたしの読解力では3度、少なくとも2度は、それもあまり間を置かずに読まないと面白さがわからない話なのだ、これは。あたしの読解力がその程度だ、と言われればそれはその通りだ。

 サイエンス・フィクションは娯楽として発展したために、さらっと読めて、ぱっとわかるものだ、とあたしも思っていたところがある。少なくとも一度読んで面白くないものは評価が低くなる。もっともバラードとか、ル・グィンとか、ディレーニィとか、あるいはポール・パークとか、一度読んだだけでも面白いが、その面白さにはまだ奥があると明瞭にわかるものもある。ビショップはさしづめ、奥があることが一度読んだだけではわからない類なのかもしれない。少なくともあたしにとっては。

 じゃあ、この話は何の話で、どこがどう面白いのだ、となると、またまた困る。

 何の話か。現代アメリカの若者が更新世初期の東アフリカ、人類が現生のホモ・サピエンスになろうとしているその直前の時空に行き、現生人類の直接の祖先とされるホモ・ハビリスの一団の一員となり、かれらの社会に完全に同化する、という話だ。もちろんラヴ・ロマンスもある。主人公は現代つまり20世紀末に無事もどる。話の半分は現代にもどってから、過去への旅の一部始終を主人公が回想する形。もう半分はその旅に上るまでの主人公の人生が、ポイントとなるできごとをつなげて語られる。最後にこの二つの流れが一つにまとまって大団円。

 どこが、どう面白いか。どこもかしこも面白い。文字通り。一つひとつの文章、段落、章が面白い。翻訳しながら、面白くてしかたがない。初稿ができて、これを改訂してゆく間も、また面白くて、さらに発見がある。改訂したものをもう一度点検、修正する時もまた面白い。ディックの『ユービック』だったか『パーマー・エルドリッチ』だったかの訳者あとがきで、浅倉久志さんが、再校ゲラまでいっても面白くて、これは傑作だ、という趣旨のことを書かれていたけれど、あれはこういうことかとも思う。

 こう書いて、伝わるかなあ。

 本筋とは一応関係が無いと思われるが、主人公の文学的素養が半端ではない。この主人公、アメリカ軍人とスペイン人娼婦の間に生まれ、別のアメリカ軍人の家庭で育てられる。養母はかなり本も読み、地方紙に書評を書いて家計の足しにするような人だし、中学生くらいの主人公がジョン・コリアの短篇集に読みふけっているシーンもある。とはいえ、No Enemy But Time というタイトルも主人公が引用するイェイツの詩の一節からとられているし、19世紀から20世紀の、それも英国の詩やエッセイからの引用がいたるところに出てくる。となると、この教養が主人公のキャラクターとどうもぴたりと重ならないように、あたしには思える。一般的に言って、アメリカ人は日本人より本を読むと思うが、それでもアメリカの平均的読書家はもっとアメリカの書き手を読むんじゃないか。とすると、ここにも何らかの著者の意図があるのか。

 この話はもちろん「もう一つの歴史」をもつ世界での話でもある。主人公が時間を遡る旅に出る東アフリカの国は架空の存在だ。幼ない主人公に母親が『指輪』のペーパーバックを読み聞かせるのだが、その時期には我々の世界ではまだ The Fellowship Of The Ring のペーパーバック版は出ていないはずだ。あるいは名前が出てくるアメリカ軍の基地の名前のスペルが、実在のものからわずかだが明瞭に違っている。一方で、この世界が我々の、つまり著者やあたしが生きている世界とほぼ同じものであることも、映画やテレビのタイトルや俳優、あるいはスポーツのチームや選手などの固有名詞の形で鏤められている。

 今回、認識をあらたにしたのは、全体の底に流れるユーモアだ。このユーモアをうまく訳しだせたか、まったく自信はない。それ以前に、すべてを適確に把握している自信もない。訳者としてはとにかくベストを尽くした、としか言えない。そもそも、著者は故意にユーモアのセンスを抑制しているのか、それともたくまずして出てしまっているのか、それすらはっきりしない。その両極の中間のどこか、ということもありえる。著者がまったく意図していないところが、ユーモラスになってしまっていることもある。あるいは意図してユーモラスにしているのか、意図に反しているのか、はっきりとはわからないこともある。

 たとえば「キャサドニアのオデッセイ」でキャサドニアの生きものが地球を持ってきてしまうシーン。一方でそれは恐しい悲劇であるのだが、角度を変えて見れば、あまりにばかばかしくて笑うしかない。

 本書で、主人公は更新世でサバイバルするために、アフリカの自然で単身徒手空拳で生き延びるための術を現地住民の老人から習うが、この老人、服を着るより素っ裸でいる方が性に合っているような老人は、若い頃、ミッション・スクールに通い、ポオの詩をいたく気に入って、そのほとんどを暗記している。「後退り吊り台」と訳した Backstep Scaffold。タイムマシンの先端部分、「過去」へ挿入される仕掛けだが、scaffold には建設現場などで使われる「足場」や「吊り足場」また臨時の組立て舞台の意味の他に「絞首台・断頭台」の意味がある。scaffold に行くのは死刑に処せられることと同義だ。

 言葉遊びも頻繁に出てくる。翻訳者にとっては頭痛の種で、その度に何とかしてそれが言葉遊びであることを示そうとするが、相当する面白さを日本語で現すのはまず不可能だ。たとえば大団円と訳した言葉は Coda だが、これは children of deaf adults つまり聾者である親のもとに育った(耳の聞える)子どもの略語でもある。主人公の生母は聾啞者なのだ。

 主人公のスペイン人の生母の名前「エンカルナシオン」は encarnar する人で、encarnar は俳優が演ずる、擬人化するの意味とともに神が受肉する、つまり神の子として生まれる意味もある。

 言えることはビショップには天性のユーモアのセンスがあり、本人もそれを自覚し、時に意図的に、時に無意識に、活用ないし発散している。意図的な計算の中には、あえて故意に出さずとも出てしまうことも含む。本篇全体が、タイム・トラベルものに対するパロディないしバーレスクでもある。どちらかといえば後者だろう。もっともタイム・トラベルものは本質的にサイエンス・フィクションという手法に対するパロディないしバーレスクでもある。それは「シリアス」なテーマを追及するよりも、一つの思考実験、「常識」をひっくり返すことが当然とされているサイエンス・フィクションにおいてすら当然とされている「常識」をひっくり返すための強力なツールだ。それは絶対不可能であるからこそ、これ以上無いほどサイエンス・フィクションらしいツールだ。それを使えば、サイエンス・フィクションにしかできないこと、他の形式では絶対不可能であることをやってのけられる。であれば、ビショップはここで、一度ひっくり返されたものを、さらにもう一度、角度を変えてひっくり返してみせている。それも内心、ふふふと笑いながら。

 そう、ビショップは相当に人が悪い。作家は人が悪いものだが、この人はその中でも質が悪い部類だ。浅倉久志さんが惚れこみ、熱をこめて紹介しながら、わが国で今一つ敬して遠ざけられているのは、そういうところもあるのだろう。われわれは司馬遼とか池波とか、いかにも人の良さそうな顔をしている書き手を好む。人の悪いことではビショップはピーター・S・ビーグルと双璧だ(人が悪いことと世渡りが巧いこととは別のことである)。ビショップに比べれば、シェパードなどはむしろ天真爛漫だ。

 ちなみに翻訳者は基本的に人が良い。そうでなければ翻訳なんて仕事はできない。作家と翻訳家と両方やっている人は、両方の性格があって、バランスをとっているのだろう。

 全篇にユーモアが流れているとはいえ、本作は喜劇を意図したものではない、とあたしは思う。あるいは本作では喜劇になるのをあえて抑制していると言うべきか。本作はどちらかといえばむしろ悲劇に分類したい。デウス・エクス・マキナの採用、いたるところに顔を出す「奇跡」の数々からしても、本作の「目的」はカタルシスだろう。

 一方で、ここでのデウス・エクス・マキナはデウス・エクス・マキナそのもののパロディにも見え、しかもわざわざ伏線まで張ってある。悲劇になることを寸前で回避しているようでもある。

 6月末に手書き初稿を脱稿し、7月ひと月かけてこれを Mac に打込みながら改訂し、打込んだものをさらに点検、修正して8月上旬編集部に送った。手書きはもちろん縦書きで、Mac に打ち込むのも EGword の縦組でやった。本になるのは来年初めだろう。

 原稿を納品した段階で、もう一度 Helliconia と比べてどうかと言えば、サイエンス・フィクションとしては『ヘリコニア』三部作の方が面白い。だろうと思う。『ヘリコニア』も今あらためて読みなおせば、あるいは翻訳してみれば、また全く別の相を現す可能性は小さくないにしてもだ。あれはオールディスの最高傑作、と言っていいだろうし、英語サイエンス・フィクションの最高傑作の一つでもあるとは思う。

 一方、小説としては No Enemy But Time に、今のところ軍配を上げたい。言い換えれば、この話の面白さは、サイエンス・フィクション的な、異化作用を起こすアイデアが外部にあるところよりも、人間の内部に求められるところにある。『ヘリコニア』ではヘリコニアという惑星に異化作用の鍵がある。そこに展開されるドラマを担うのは地球人そっくりではあるが、地球人とは縁が無い連中だ。地球人も出てきて絡み合うが、それはいわばサブ・プロットで、免疫を持たない細菌のため、地球人はヘリコニアの地表では数日で死んでしまう。主役はあくまでもヘリコニア人たちだ。NEBT では主人公は先史人類のひとつ、外見も感覚も我々とは異なる種族の一員になりきることで、ヒトがヒトであることの意義を感得する。異化作用の鍵は主人公の内部にある。あるいはサイエンス・フィクションよりもファンタジィと呼ぶべきかもしれない。

 シリーズではないが、いろいろな意味で NEBT と対になるのが、NEBT の翌年に書かれたノヴェラ Her Habiline Husband(このタイトルも語呂合わせだ)とそこから派生した1985年の長篇 Ancient Of Days である。こちらはより明瞭にファンタジィだ。ここでの異化作用の鍵は NEBT で主人公が一体化した先史人類のホモ・ハビリスの一員である男で、この男がどうやって現代アメリカの南部に現れたかは、納得できる形では示されない。

 もう一度言い直せば、『ヘリコニア』はそれがサイエンス・フィクションであるところに面白さの源泉があるのに対し、NEBT はそれが小説であること、主人公がどうやって過去に行くか(この時間旅行のアイデアは結構ラディカルと思うけれど)ではなく、過去に行った主人公がそこで何を、どのように、なぜするのかに面白さの源泉がある。

 まあ『ヘリコニア』の評価は三部作全体でするべきだろうし、翻訳するとなれば、また発見がいっぱいあるはずだ。どこか、やらせてくれないかなあ。

 NEBT が本になるまでにはまだいろいろとクリアしなければならないポイントがある。だいたい邦題をどうするか。『時の外に敵なし』ではねえ。いっそのこと、近頃の洋画みたいにまんまカタカナにしますか。『ノー・エネミー・バット・タイム』。いや、長すぎるなあ。(ゆ)

 こういうことを書きだすと、キリが無くなる懼れが大いにある。それはもういくらでも出てくる。『S-Fマガジン』、「S」と「F」の間にハイフンが入るのが本来の誌名だが、表紙、目次、奥付を除いて、本誌の中でもハイフンは付いていないから、ここでもハイフンなしで表記する。むしろあたしなどには SFM の方がおちつく。

 今年2月号の創刊60周年記念の「私の思い出のSFマガジン」に目を通して、同世代が多いのが少々不思議だった。SFM に思い出を持つのがその世代が多い、ということか。また、われわれの世代が SFM が最も輝いていた時代に遭遇したということか。あるいは単純に年をとったということか。

 あたしが初めて買ったのは1970年10月号、通巻138号。理由もはっきりしている。石森章太郎の『7P(セブンピー)』である。これを学校に持ってきたやつがいて、ぱらぱら見たときだ。この連載は雑誌の真ん中あたりにあるグラビア紙を使ったいわゆる「カラー・ページ」に7ページを占めていた。毎回、著名なSF作家に捧げられている。この号は「ジュール・ヴェルヌに」。石森が得意とした、というより、トレードマークに作りあげた、擬音だけで科白つまりネームが一切無いものの一つ。これがもう大傑作。このシリーズでも1、2を争う傑作である。何回読んでも、今読んでも、笑ってしまう。何に笑うのか、よくわからないのだが、可笑しい。なに、どんな話かって? 自分で探して読んでくれ。ここであたしが筋を書いてもおもしろくもなんともない。

 で、だ、これを読んで、こいつはぜったいに持っていなくてはならない、となぜか思った。この頃、まだあたしは図書館というものの利用法をよくわかっていなかった。学校の図書館には入りびたり、それなりに本も借りて読んでいたが、しかし本当に読みたいものは持っているのが当然だった。図書館にはなぜか世界SF全集もSFシリーズもあって、どれも群を抜いて最も貸出頻度が高かったが、自分では借りたことがない。とにかく、この雑誌は持っていなくてはならない。その日の帰りに買ったはずだが、どこで買ったのかの覚えは無い。学校の近くか、家の近くか、どちらかの本屋のはずで、いずれにしても昔はよくあった小さな本屋だ。そして、それから毎号買いだした。なぜか定期購読はしなかった。結局ずっと買いつづけ、社会に出て、出版社に就職してからは、問屋を通して8掛けで買えたから、定期を頼んでいた。会社を辞めたとき、もういいや、とそれきり買わなくなった。実際、いつ頃からだろう、買っても読むことはまず無くなっていた。

 話が先走った。とにかく1970年10月号、ということはおそらく二学期が始まった直後だろうか。それから何年かは毎号表紙から裏表紙まで舐めるように読んだ。広告のコピーも漏らしはしない。大学に入った頃からバックナンバーを漁りだした。だんだん遡ってゆき、ついには創刊号から揃えた。これには今は亡き、神田の東京泰文社にもっぱらお世話になった。ここは洋書と翻訳ものがメインで、この店にお世話になったSFファン、ミステリ・ファンは多いはずだ。野田さん、伊藤さん、それに植草甚一も常連の1人だったと記憶する。

 雨宮さんのサイトで見ると、この号には主なものでは、シルバーヴァーグ『時間線をのぼろう』の連載第2回と、光瀬龍「都市」シリーズ最終回の「アンドロメダ・シティ」、そして筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』連載第1回が載っている。いや、たぶんバックナンバーはもっと早く漁りだしていたはずだ。なんといってもシルバーヴァーグの第1回を読まねばならなかったのだから。

 あたしはこの時がシルバーヴァーグには初見参だ。この年の4月に『時の仮面』が浅倉さんの訳でSFシリーズから出たのが初の単行本のはずで、それまではSFMと福島さんが編んだアンソロジーで中短編が訳されていただけだから、書籍として出ていた長篇主体に読んでいたあたしが触れるチャンスはまず無かった。『時の仮面』は『時間線をのぼろう』の連載終了後、まもなく買って読んだはずだ。

 『時間線をのぼろう』はいろいろな意味で強烈で、それからしばらくシルバーヴァーグは手に入るかぎり読むことになる。この時期のものでは『夜の翼』が最高だと今でも思うけれど、伊藤さんがいかにも楽しそうにやっている『時間線をのぼろう』は、作品そのものの質とはまた別にSFを読む愉しさを教えられた。当然これがそのまま単行本になるのだと思っていたから、中村保男版が出たときにはずっこけた。一人称が「私」になっているのを見ただけで、買う気が失せた。これは翻訳そのものの質の問題ではなく、自分の感覚と合うか合わないか、のところだ。固有名詞の発音とならんで、人称の問題は結構大きい。

 光瀬龍のシリーズは『喪われた都市の記録』としてまとめられるものだが、この最終回は収録されなかった。代わりに、散文詩のようなものが加えられた。単行本刊行当時、石川喬司がやんわりと批判したけれど、あたしもこれは失敗だったと思う。この「アンドロメダ・シティ」も成功しているとは言えないが、この方向でもう一段、突込むべきだったろう。光瀬の悲劇は福島正実と別れてから、かれの器をあつかえる編集者にめぐり逢えなかったことだ。当時の編集長・森さんは今回60周年記念号の寄稿で自ら述べているように、早川のSF出版を会社の屋台骨にした手腕の持ち主だが、光瀬には歯が立たなかった。

 『脱走と追跡のサンバ』は筒井の最初の転換点となった傑作だが、高校1年のあたしに歯が立つはずもない。これまた筒井初体験だったから、なおさらだ。いったい、何の話なのか、さっぱりわからなかった。筒井は後に塙嘉彦と出会って完全に化けるけれど、かれにとって編集者はおそらく踏み台で、光瀬にとってほど重要なパートナーではなかった。とまれ、この連載はしかし、あたしにとっても重要だった。というのは、わけがわからないまでも、とにかく連載にくらいつき、読んでゆくうちに、ある日、ぱあっと眼の前が開けたからである。言うまでもない、半ばにいたって、それまで逃げていた語り手が攻守ところを変え、追いかけだした時だ。小説を読むとは、こういうことなのだ、と教えられた。右も左もわからない五里霧中でも、とにかくくらいついて読んでゆけば、ユリイカ!と叫びたくなる瞬間が必ずやってくる。それが、優れた小説ならば。

 この1970年代前半の SFM に遭遇したのは、やはり幸運だったと思う。森優編集長は福島時代の編集方針とは対照的な新機軸をいくつも打出し、雑誌にとっての黄金時代を将来したからだ。あたしにとってまず興奮したことに、半村良と荒巻義雄が、ほとんど毎号、競うようにして力の籠もった中篇を発表していった。小松左京を売り出したときの福島さんの手法にならって、意図的に書かせたのだ、と森さんに伺った。この時期の半村の作品は後に『わがふるさとは黄泉の国』、荒巻のは『白壁の文字は夕陽に映える』にまとめられる。あたしにとっては半村はまず「戦国自衛隊」の書き手だった(後の改訂版は読んでいないし、読もうとも思わない)。これらの中篇を助走として、半村は翌年『産霊山秘録』へと離陸し、さらに『亜空間要塞』へと飛躍する。山野浩一、河野典生、石原藤夫が本格的に書きだしたのも、おそらく森さんの慫慂があってのことだろう。

 「戦国自衛隊」は前後100枚ずつの分載で、これには興奮した。その気になれば大長編にもできる素材とアイデアを贅肉をそぎおとし、200枚という分量にまとめる。あたしの中篇、ノヴェラ好きは、たぶんここが淵源だ。同様に興奮したのが、2冊めに買った1970年11月号と12月号に分載されたハインラインのこれもノヴェラ「ジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業」だ。訳はもちろん矢野さん。その後、原文でも読んだけれど、ハインラインで一番好きな作品。あたしにはこれと『ダブル・スター』があればいい。これはちょっとハインラインらしくないとも思えるダークな話。一見ファンタジィなんだが、実はわれわれの棲むこの宇宙そのものの成立ちに関わる壮大な話でもある。

 この11月号と12月号の間に臨時増刊「秋の三大ジャンボ特集」がはさまる。これも強烈だった。光瀬の時間ものの嚆矢「多聞寺討伐」に始まり、平井和正の「転生」があり、石森、藤子、永井が揃い、そして松本零士がブラケット&ブラッドベリの「赤い霧のローレライ」をコミック化している。原作はずっと後に鎌田さんの訳が出たが、未だに読んでいない。この時の衝撃で、もう満足。極めつけは、ハワードのコナン「巨像の塔」。

 コナンものはなぜか『ミステリ・マガジン』で先に紹介されているが、当時のあたしはそちらには目もくれていなかったから、これも初体験。もっとも、本当にコナンものをおもしろいと思ったのは、後になって前年1969年秋の臨時増刊を読んだとき。「秋の小説カーニバル」と題されたこの号は、SFM史上最強のラインナップの一つでもある。小松左京「星殺し」筒井康隆「フル・ネルソン」平井和正「悪徳学園」、そして星新一「ほら男爵の地底旅行」という、それぞれの代表作が並び、巻末にカットナー、クラーク・アシュトン・スミス、そしてハワードの各々のヒロイック・ファンタジイの中篇がどーんと控える。カットナーとスミスもハワードに優るとも劣らない傑作だが、この雑誌掲載のみだ。

 とにかくこの時期の SFM は翻訳、オリジナルがともに恐しいほど充実している。「戦国自衛隊」前篇が載った1971年9月号にはディレーニィの「時は準宝石の輪廻のように」(訳は小野耕世さん)、ニーヴンの「終末も遠くない」があり、後篇の翌月号にはディック「小さな町」、ル・グィン「冬の王」、スタージョン「海を失った男」という具合だ。

 森さんの新機軸の一つに、ヒューゴー、ネビュラ受賞作候補作の特集がある。1971年8月号がその最初のはずで、ル・グィン「九つのいのち」、シルバーヴァーグ「憑きもの」、そして、エリスン畢生の傑作「少年と犬」。ここにも半村良の隠れた傑作「農閑期大作戦」があったりする。

 1972年8月号のラファティ特集は今ひとつピンとこず、そのふた月前、6月号のロバート・F・ヤング特集はツボにはまった。とりわけ中篇「いかなる海の洞に」は泣きました。これまで邦訳されているヤングは全部読んでると思うけど、これがベスト。次点は「妖精の棲む樹」。なぜか特集に入らず、翌月に掲載。ひょっとして翻訳が間に合わなかったか、頁数の関係か。作家特集ではさらにそのふた月前のエリスン特集も忘れがたい。何てったって「サンタ・クロース対スパイダー」。つまり、この年は1月に当時のソ連作家、4月エリスン、6月ヤング、8月ラファティという具合だった。

 とはいうものの、なのである。1冊だけ選べ、と言われるなら、やはり1973年9月号をあげねばなるまい。ここには半村の『亜空間要塞』の連載が始まっている。これと続篇『亜空間要塞の逆襲』こそは半村の最高傑作ではないかと秘かに思う。河野典生がこの年に書きつづけていた、これも彼のベスト、というより日本語ネイティヴによるファンタジィの最高傑作のひとつ『街の博物誌』の1篇「ザルツブルグの小枝」。そして、この号はヒューゴー・ネビュラ特集として、クラーク「メデューサとの出会い」とアンダースンのベストの一つ「空気と闇の女王」。今、こう書いても溜息が出る。表紙の絵も含めて、この号はあたしにとっての SFM 60年の頂点なのだ。

 森さんのもう一つの功績はニュー・ウェーヴを本格的に紹介したことだ。もっともこの点ではメリルの『年刊傑作選』と『終着の浜辺』までのバラードの諸作によって、創元文庫の方が先行していた。あたしにとってのラファティの洗礼は『傑作選』に収められた「せまい谷」や「カミロイ人」連作だったし、バラードには夢中になった。それでも、1972年9月号と1973年5月号のそれぞれの特集と1974年6月号のムアコック特集は新鮮だった。この最初の特集のジャイルズ・ゴードンやキース・ロバーツがすんなりわかったわけじゃない。ウブな高校3年にそれは無理だ。しかし、アメリカのものとは違う英国のSFの土壌というものがあることは強烈に叩きこまれた。そこにはたぶん、その頃聴きはじめていたイギリスのプログレの影響もあっただろう。

 ニュー・ウェーヴについてはもっと前、1969年10月号が最初で、次の1970年2月号はもっとわかりやすかった。どちらも後追いだが、後者で紹介されたゼラズニィ「十二月の鍵」には痺れた。浅倉さんの筆がことさらに冴えてもいて、ゼラズニィの中短編では一番好き。

 ヒロイック・ファンタジイ、ニュー・ウェーヴと並んでクトゥルーの紹介も、1972年9月臨時増刊号がたぶん本格的な本邦初紹介だろう。たとえ初ではなくても、SFM でまとめて紹介されたことは大きい。あたしもこのとき洗礼を浴びた1人だ。もっとも、クトゥルーには結局入れこまなかった。ラヴクラフトは創元の全集の他、いくつか原文でも読んだけれど、むしろサイエンス・フィクションの作家だというのがあたしの見立て。クトゥルーはやはりダーレス以降のものではないか。「インスマゥス」は象徴的かもしれないが、ラヴクラフトの本領は「過去の影」や「異次元の色彩」「銀の鍵」や「カダス」で、「狂気の山にて」も立派なサイエンス・フィクションだ。というのは余談。

 こうして見ると、中3で沼澤洽治=訳の『宇宙船ビーグル号の冒険』によってSFに捕まったあたしは、高校の3年間に SFM とメリルの『年刊傑作選』で土台を据えられたことになる。

 SFの黄金時代は12歳というにはいささか遅いが、人生80年なら今の人間の精神年齡は実年齢の8掛という山田風太郎理論にしたがえば、ぴったり重なる。(ゆ)



 消せるボールペンが嫌いだ。ボールペンは消せないところがよいのだ。書いた文字が消えてしまってはボールペンでは無い。

 それ以外の筆記具は好きだ。万年筆、つけペン、鉛筆、シャープ、芯ホルダー、クレヨン、筆、チョーク、木炭。ボールペンだって、消せないものは嫌いではない。ゲルインクもいい。ガラスペンはまだ試したことがない。

 日本語は手書きがベストだ。3種類の文字を使い、その混合の仕方も、一定の原則はあるとはいえ、事実上、規則は無い。すべての文字をひらがなだけで書いても、カタカナとひらがなを1字ずつ交互に書いても、あるいは万葉仮名のように漢字だけで書いてもかまわない。こういうテキストを書くのに、AIがどんなに発達しようが、予測は不器用すぎる。勝手気儘に、勝手きままに、かって気儘に書く書き手の気まぐれの予測は不可能だ。

 この文章は Mac 上のテキスト・エディタ miAquaSKK のインプット・メソッドで書いている。AquaSKK は SKK の macos 版だ。SKK は予測をしない。漢字とかなの区別は書き手が意図的に指定する。shift キーを押しながらアルファベットを押すと、そこから始まる文字は漢字になる。漢字の終りすなわち送り仮名の開始も同様に指定できる。後は同音異義語の候補を選択するだけだ。辞書への登録もその場で、別ウィンドウなどは開かず、テキストの上でしてしまう。日本語インプット・メソッドの中では手書きに最も近い使用感を備える。

 それでも手書きにはかなわない。書くスピードも手書きにはかなわない。デジタル・テキストが手書きに優るのは、書いたものを編集する時だ。書きなおし、改訂、順序の入替えなどについては、手書きはデジタルの敵ではない。だから、書く時は手書きでも、仕上げはデジタルになる。

 アリエット・ド・ボダール『茶匠と探偵』邦訳の初稿は手書きで書いた。もともと、翻訳の初稿は手書きが多い。紙はなんでもいい。そこらにあるものを使う。原稿用紙、チラシの裏、前の本のゲラの裏、とにかく空白で、書ける紙ならば何でもいい。筆記具もその時々の気分で選ぶ。今日は万年筆、明日はシャープペンシル、明後日はゲルインク。章が変わると書く道具も変えてみる。時には1枚の紙ごとに変えてみる。

 それでも贔屓はあって、シャープペンシルを偏愛している。それも芯径0.7mmのもの。舶来の製品にはこの芯径が多い。国産は0.5mmがほとんどだ。ペンテルの Smash は銘機として名高いが、0.7mm は廃番になってしまった。『茶匠と探偵』でも、初めはいろいろ使っていたのだが、だんだんシャープペンシルが多くなり、最後は1機種に絞られた。無印良品の「ABS樹脂最後の1mmまで書けるシャープペン」だ。ツラが気に入って、つまり外観に惹かれて買った。これで 0.7mm があれば最強、他のものはもう要らないレベル。手にぴったりとなじみ、いくら書いても疲れない。良い筆記具は書く文字も綺麗に見える。このシャープペンシルで書く文字は、自分史上最高に美しい。そして、できてくる翻訳文も良くなってくるように思われる。『東京人』の特集で川崎和男は「手の起電力が脳から発想を引き出す」という。手で書くことで、脳が動きだすことは実感する。もう1つ、脳がよく動くのは歩くことだが、歩きながら翻訳はあたしにはできない。数ある翻訳者の中には、歩きながら原文を読み、口述翻訳して録音する人もいるかもしれない。あたしはせいぜい、手で書くことで脳を活性化する。

 だけではたぶん無い。翻訳は脳だけでやるわけではない。全身を使う作業だ。肉体労働なのだ。翻訳の前の本を読むことからして、肉体労働、全身を使う作業だ。翻訳はこれに手書きが加わる。手で文字を綴ることは、眼と手だけの作業ではない。

 筆記具は水物だ。イヤフォン以上に水物だ。イヤフォンは音が出るだけで、こちらから何か働きかけるわけではない。筆記具はそれだけではタダのモノだ。こちらが握り、何かを書きだして初めて筆記具となる。だから、同じ筆記具を使っても、人によって使用感が異なる。同じペンをある人は銘機といい、別の人はゴミというだけではない。同じ人間が、時と場合によって筆記具の使用感が変わる。昨日、最高に書きやすかった筆記具が、今日はどうやってもうまく書けないこともある。かつてプラチナの製図用 Pro-Use、短かい方だ、あれの0.7に惚れこんだ。もう夢中になっていくらでも書けた。それが、何かの事情でしばらく使わずにいて、ある日、手にとるとダメなのである。どうやってもあのフィット感がもどってこない。それでも、他のものに比べれば書きやすいことは確かだが、まるで自分の手の延長に思えた感覚は消えていた。今度の無印良品ABS樹脂のシャープペンシルではその感覚だった。並べてみると長さもほぼ同じ。重さはABS自死とアルミでだいぶ違う。

 『茶匠と探偵』初稿を手書きで書こうと決めたのは、著者が万年筆マニアであることが理由の1つだ。著者は原稿は手書きではないという。本職はソフトウェア・エンジニアだし、手書きよりもキーボードを打つ方がはるかに楽だろう。それでも、原稿になる前のアイデア出しとメモ、ブレーンストーミングでは万年筆とインクを使っているそうだ。


 ケイト・ウィルヘルムはリング・ノートにボールペンで書いている写真がある。

kw+note+pen

 サミュエル・ディレーニィの自宅の朝食のテーブルにはノートとボールペンが載っていた。

20180907 A writer's kitchen table in a septembre morning

 Paul Park は1983年にマンハッタンのアパートと職を捨ててアジアへの旅に出た。ヒマラヤをトレッキングし、インド、ビルマ、ネパール、それに東南アジアを回った。最初の長篇 "Soldiers Of Paradise" (1987) はその旅の途中、ラジャスタンから黄金の三角地帯にいたる、あるいはマンダレーからジョクジャカルタまでの、安ホテルや借り部屋で、ノートやメモの切れ端に書かれた。当然手書きだ。宇野千代は『東京人』の特集でも宣伝されている三菱鉛筆の uni で書いた。初めは2Bを使っていたのが、年をとるに連れて濃く柔かくなり、最後は6Bだったそうだ。名著『森のイングランド』を川崎寿彦は鉛筆で書いた。
 『東京人』の特集で林真理子は文学賞に応募してくる作品が長くなる傾向を認めている。不要な描写が多いと言うが、手書きでは節約しなければならない体力も、キーボードを叩くためには浪費できるのは事実だ。もっとも、漢文あるいは漢字かな混じり文を書くのと、アルファベットだけを書くのとでは、同じ手書きでも必要なエネルギーが異なるのか。ギボンもディケンズもバルザックもドストエフスキィもトルストイも、プルーストですら手書きであの厖大な著作を残した。日本語で2,000枚は超大作だが、英語圏のエンタテインメント、とりわけエピック・ファンタジィではほぼ同じ分量である20万語が今やデフォルトの長さといっていい。しかしそこに「不要な」描写、叙述は無い。異質な世界、現実にはありえない世界を、十分なリアリティをもって構築するには、微に入り、細を穿った描写、記述が必要なのだ。

 『茶匠と探偵』はそんなに長くない。9本合計で75,700語。邦訳原稿は580枚弱になった。良質の短篇集は数冊の長篇に匹敵する、とは筒井康隆の名言だが、この本にまさにあてはまる。手書きで書いた初稿を改訂しながら、Mac に打込む。Mac でも縦組みで書き、編集印刷するのは簡単になった。今回は復活した ezword Universal を使った。インプット・メソッドはむろん AquaSKK だ。打込んだものをプリント・アウトしてさらに改訂し、それに従ってデジタル・テキストを修正する。そういう作業を繰返して原稿を完成する。もちろん、編集者や校正者とのやりとりで、さらに改訂することになるわけだが、それをやるにしても、まずは土台を固めておかねばならない。もうこれ以上改訂しても良くはならないところまで持っていっておかなくてはならない。より正確に言えば、これ以上改訂しても、良くなったのか、変わらないのか、悪くなったのか、判断できなくなるところまで持っていっておかねばならない。

 改訂の作業は面白くない。翻訳で一番面白いのは、やはり最初の、まずヨコのものをタテにしてゆくところだ。そして、ここは手書きでやるのが一番面白い。鉛筆やシャープペンシルを使うときでも、消しゴムは使わない。どんどん線で消し、その横に新たに書きこみ、さらに別のところに書いた文章をそこに線ではめ込み、それが重なって、どこからどこへどうつながるのか、わからなくなることもある。1段落全体に×をつけて、新たにやりだすこともたまにある。

 『東京人』の特集を眺めながら、やはり手書きは基本、文章を書くことの一番下の土台だと思いなおす。これからも翻訳の初稿は手書きでやろう。筆記具は新しいものが続々と出る。気に入らないものの方が多いが、時々、ピンとくるものがある。三菱 uni EMOTT には久しぶりにときめいた。『東京人』を本屋で買って、昼飯を食べながら眼を通し、帰りに文房具屋で、とりあえずブルーとレッドを買った。(ゆ)

茶匠と探偵
アリエット・ド・ボダール
竹書房
2019-11-28


 秋に竹書房から刊行予定のアリエット・ド・ボダールの「シュヤ Xuya」宇宙の作品集(タイトル未定)の原稿改訂を終えて、編集部に送った。とりあえず肩の荷を降ろしたところで、当面は今週末、アイルランドはダブリンでのワールドコン、世界SF大会で、ヒューゴー賞の結果を待つばかりだ。この作品集の核となるノヴェラ「茶匠と探偵」The Tea Master and the Detective とともにシリーズ全体が最終候補に残っているからだ。「茶匠と探偵」の方は一足早く、今年のネビュラ賞最優秀ノヴェラを受賞している。これで、この作品集にはネビュラ受賞作が3本入ることになった。1人の著者の作品集にネビュラ、ローカス、英国SF作家協会の各賞受賞作が計5本も入っているのは、まず滅多にないことではあろう。

 ド・ボダールの作品が日本語で紹介されるのは、これが初めてではない。ことにずいぶん遅くなって、気がついた。SFM2014年3月号にネビュラ、ローカスのダブル・クラウンに輝いた Immersion が故小川隆氏により「没入」の邦題で翻訳されている。原稿の初稿を編集部に送った後でそのことを知り、あわてて読んだ次第。さすがの翻訳で、大いに参考にさせていただいた。記して感謝申し上げる。

 とはいえ、彼女の作品がまとまった形で紹介されるのは初めてではあるし、このシリーズは今のところ、その著作活動の中心を占め、代表作といっていいものでもあるから、まずは簡単に経歴とシリーズ全体の素描を試みよう。

 Aliette de Bodard は1982年11月10日、フランス人の父とヴェトナム人の母の間にニューヨーク市で生まれた。生後1歳で一家はフランスに移住し、パリで育つ。母語はフランス語。英語もほぼバイリンガル。ヴェトナム語は第三言語。小説作品はすべて英語で発表している。2002年にエコール・ポリテクニークを卒業、応用数学、電子工学、コンピュータ科学の学位を持つ。ソフトウェア・エンジニアの仕事につく。既婚で、昨年、第一子を生んだ。

 2006年からオンライン雑誌に短篇を発表しはじめ、2007年に Interzone に進出。同年、Writers of the Future の第一席になる。ちなみに、この賞はSFの新人発掘のため、サイエントロジーの創始者でSF作家のL・ロン・ハバートがアルジス・バドリスをかついで創設したもので、何人も優れた書き手を出している。例えばニナ・キリキ・ホフマン、キャロライン・アイヴス・ギルマン、スティーヴン・バクスター、ショーン・ウィリアムス、トビアス・バッケル、ンネディ・オコラフォー、パトリック・ロスファス、ケン・リウ、ジェイ・レイクなどなど。もっともド・ボダール以降はこれといった人は出ていない。

 この時のワークショップをきっかけに長篇を書きはじめ、苦闘の末、Angry Robot から後に OBSIDIAN & BLOOD としてまとめられる三部作 (2010-11) を出す。異次元世界のアステカを舞台とした歴史ファンタジィであり、ミステリである。構造としてはランドル・ギャレットの「ダーシー卿」シリーズに共通するが、話はずっとダークで苦く、モダンだ。

 精力的に中短編を発表する傍ら、2015年から Dominion of the Fallen と題する長篇シリーズを出しはじめる。第一作 The House Of Shattered Wings は英国SF作家協会賞を受賞している。先月 The House Of Sundering Flames が出て三部作が完結した。The Fallen と呼ばれる、文字通り天から落ちた元天使たちがそれぞれに城館を構え、一族郎党を率いて、魔法を駆使して戦う異次元のパリを舞台としている。このシリーズにも本篇に加えて、中短編を書いている。

 二つの長篇シリーズはファンタジィと呼んでいいが、その他の中短編はシュヤ宇宙も含め、サイエンス・フィクションに分類できるものが大半だ。

 シュヤ宇宙に属する作品はデビュー翌年の2007年から2009年を除いて毎年書き続けている。現在30本、短篇が15、ノヴェレット12、ノヴェラが3。そのうち最も長い On a Red Station, Drifting は4万語で、ほぼ長篇といってもいい。著者がこれまでに発表している中短編全体の三分の一をこのシリーズが占める。

 この30本のうち、5本の作品が、ネビュラ賞3回、ローカス賞1回、英国SF作家協会賞を2回、受賞している。さらに半分にあたる15本は、主な年刊ベスト集のどれかに収録されている。

 ご参考までに30本を発表順に掲げておく。

2007-12, The Lost Xuyan Bride, nt
*2008-12, Butterfly, Falling at Dawn, nt, ドゾア
2010-07, The Jaguar House, in Shadow, nt
*2010-11+12, The Shipmaker, ss, 英国SF協会賞、ドゾア
2011-02, Shipbirth, ss
2011-sum, Fleeing Tezcatlipoca, nt
2012-01, Scattered Along the River of Heaven, ss、ホートン
2012-03, The Weight of a Blessing, ss
*2012-06, Immersion, ss, ネビュラ、ローカス各賞、ストラハン
2012-07, Ship's Brother, ss、ドゾア
2012-07, Two Sisters in Exile, ss、ハートウェル
2012-08, Starsong, ss
2012-12, On a Red Station, Drifting, na
*2013-04, The Waiting Stars, nt, ネビュラ賞、ドゾア
*2014-01, Memorials, nt
2014-03, The Breath of War, ss
2014-04, The Days of the War, as Red as Blood, as Dark as Bile, ss、ドゾア
2014-08, The Frost on Jade Buds, nt
2014-11, A Slow Unfurling of Truth, nt
*2015-01, Three Cups of Grief, by Starlight, ss, 英国SF協会賞、ドゾア
2015-10, The Citadel of Weeping Pearls, na、ドゾア、グラン
2015-11, In Blue Lily's Wake, nt、クラーク
*2016-03, A Salvaging of Ghosts, ss、ドゾア、ストラハン
2016-05, Crossing the Midday Gate, nt
2016-07, A Hundred and Seventy Storms, ss
2016-10, Pearl, nt、クラーク
*2017-04, The Dragon That Flew Out of the Sun, ss、ドゾア
2017-08, A Game of Three Generals, ss
*2018-03, The Tea Master and the Detective, na, ネビュラ賞
2019-07, Rescue Party, nt

 ssは短篇、ntはノヴェレット、naはノヴェラの略。ドゾア、クラーク、グラン、ストラハン、ハートウェル、ホートンはそれぞれの編になる年刊ベスト集に収録されていることを示す。

 すべて独立の物語で、登場人物や直接の舞台の重複はほとんど無い。共通するのは、我々のものとは異なる歴史と原理をもつ宇宙で、登場人物たちはヴェトナムに相当する地域の出身者またはその子孫であることだ。初期の数作は地球が舞台で、ここでのシュヤは北米大陸の西半分にある。この世界ではコロンブスと同時期に中国人が新大陸西海岸に到達し、植民している。そのためにスペイン人の征服は阻止され、アステカ文明が存続している。シュヤはこのアステカの後継であるメヒコの支援で中国から独立し、さらにアングロ・サクソンの進出も防いだ。

 後の諸作では宇宙に展開する大越帝国が主な舞台となり、こちらは大越という名が示唆するようにヴェトナム文化の末裔だ。そこでの統治システムは中国の王朝のものがベースになっている。

 AI、VR、ネットワーク、ナノテクノロジーなど、今時のSF的道具立ては一通り揃っている中で、特徴的なのは mindship と deep spaces である。mindship 有魂船と訳したのは、アン・マキャフリィの「歌う船」以来の知性ある宇宙船のヴァリエーションの一つだ。宇宙船やステーションを制御するのは mind と呼ばれ、生体と機械が合体した形をしている。制御することになる船やステーションに合わせてカスタムメイドで設計されるが、一度人間の子宮に入れられ、月満ちて産みだされる。したがって、mind は母親を通じて人間の家族、親族とのつながりをもつ。性別もあり、クィアもいる。高度なサイボーグと言うべきか。永野護『ファイブスター物語』に登場するファティマの、もう少し人間に近い形とも言えよう。

 deep spaces 深宇宙はいわゆる超宇宙、ハイパースペースで、そこに入ることで光速を超えた空間移動ができる。ただし、この空間は人間には致命的に異常で、防護服無しには15分ほどで死んでしまう。有魂船はこの空間に耐えられるよう設計されており、耐性があるので、これに乗れば死ぬことはないが、快適ではない。

 なお、これらはシュヤ宇宙もの以外の作品にも、また違った形で登場する。

 シュヤの宇宙はアジアの宇宙だ。ここでの人間関係はアジアの大家族をベースとしている。先祖崇拝、長幼の序、親孝行、輪廻転生、観音信仰といった我々にも馴染のある習俗が根幹となる。一方で、欧米の潮流、LGBT や個人の自由の割合も小さくない。とりわけ重要なのは女性の地位と役割だ。重要な登場人物はほとんどが女性だ。ここは我々の世界でのアジアの伝統的文化とは決定的に異なる。行政官や兵士、科学者のような、我々の世界では男性が圧倒的な分野でも、ここではごくあたりまえに女性が担っている。我々の世界とは男女の役割が逆転しているといってもいいほどだ。話の中で重要なキャラクターでジェンダーが明確ではない者もいるが、かれらも基本的には女性とみなした方が適切だろう。このジェンダーの逆転は故意になされているからだ。

 今回の作品集は30本の中から9本を選んだ。上記リストで行頭に*を付けてある。選択の基準はまず受賞作は全部入れる。各種年刊ベスト集に収録されたものはできるだけ入れる。その上で、2008年から2018年の間の各年から1本ずつ選ぶ。

 受賞もしておらず、どの年刊ベスト集にも採られていないにもかかわらず選んだのは Memorials だ。この年には5篇発表していて、うち1篇がドゾアのベスト集に収録されている。しかし、あえてこの作品にしたのは、著者の特質が最も鮮明に現れていると考えたからだ。

 このことからも明らかなように、今回採用した作品が、各々の年で文句なしのベストというわけでもない。たとえば2012年には8本発表しているうち半分の4本が各種年刊ベスト集に採録されたが、各々に作品が異なる。3本ほど入手できていないが、読んだかぎりでは、このシリーズの各篇はどれをとっても極めて水準が高く、凡作と言えるものすら無いといっていい。今回と同程度の質の作品集は軽くもう1冊できる。というよりも、いずれは全作品を、これから書かれるであろうものも含めて、紹介したいし、またする価値はある。今のところ、最新作は先月出たばかりのオリジナル・アンソロジー Mission Critical 収録の Rescue Party(傑作!)で、さらに、今年後半に Subterranean Press からノヴェラが予定されている。こちらは「茶匠と探偵」のゆるい続篇になるそうだ。

Mission Critical
Peter F Hamilton
Solaris
2019-07-09



 なお、シュヤ宇宙の作品が1冊にまとめられるのは、今回が二度めである。最初は2014年に出たスペイン語版 El ciclo de Xuya である。前年までのシュヤ宇宙作品をほぼ網羅し、書下しノヴェレットを加えている。我々の本の直前に、英語圏では初の本格的な作品集 Of Wars, And Memories, And Starlight が Subterranean Press から出る。発表されている収録作品の大半はシュヤ宇宙ものだが全部ではない。

Of Wars, and Memories, and Starlight
Aliette De Bodard
Subterranean Pr
2019-09-30



 「堕天使のパリ」ものも実に魅力的だし、シリーズもの以外にも優れた作品は多い。今のアメリカの文化現象のキーワードである「多様性」の点でも、SFFにおいてその一角を担って、大いに推進している。ド・ボダールは今現在、最も「ホット」な作家であり、これからさらなる傑作を書いてくれるだろう。困るのは、作品発表の場が極めて広く、多岐にわたっていて、全部追いかけようとすると、各種雑誌、アンソロジーを小まめにチェックする必要があることだ。

 もっとも、今の時代、中短編中心に書いている作家にはついてまわることかもしれない。(ゆ)

 ヴァシーリー・グロスマンを読もうとして、待て待て、その前にスターリングラード攻防戦について基本的なところを押えるべし。とて、Anthony Beevor の Stalingrad, 1998 を知る。邦訳もある。軍隊用語、組織名は手に負えるものではないから、邦訳に如くはなしと手にとってみると、うん、なんだ、これは。どうも、うまくない。解説に、原書は readability で評価が高いとあるが、邦訳は読みやすいとはとても言えない。ごつごつとひっかかる。アマゾンの読者評でも翻訳の読みにくさを指摘しているものが複数あるから、あたしだけのことでもあるまい。

 これはどうもやはり原書にあたるしかない。と、Penguin トレード・ペーパーバック版を入手する。こちらは確かに読みやすい。軍隊用語も気にならない。すらすらと読める。これほど違うと、どこがどうなって、こういうことになるのか、気になってくる。そこで本文最後の一節を比べてみる。文庫版581頁。


 スターリングラードでパウルスに対抗したチュイコフ将軍の第六二軍は、第八親衛軍として長い道のりをベルリンまで進軍した。チュイコフは占領軍の総司令官となる。彼はソヴィエト連邦元帥に昇りつめ、あの危機を迎えた九月の夜、ヴォルガ河畔で彼を任命したフルシチョフのもとで国防省代理にもなった。彼の命令によってスターリングラードで処刑された多数のソ連軍兵士には墓標のある墓はない。統計の上でも彼らは他の戦闘の死者に紛れこんでいる。そこには期せずしてある種の正義が存在すると言えるだろう。


 これはこの長い話の最後の結論だ。

「そこには期せずしてある種の正義が存在すると言えるだろう」

 この「そこ」は何を指すのか、どうにも腑に落ちない。この段落に書かれたことのどこに「ある種の正義」が存在するのか。チュイコフが栄達したことか。他ならぬフルシチョフに引き立てられたことか。まさか、チュイコフの命令で射殺された兵士たちが、墓もなく、記録からも抹殺されたことが「正義」だとは言うまい。原文はどうか。


  His opponent at Stalingrad, General Chuikov, whose 62nd Army had followed the long road to Berlin as the 8th Guards Army, became commander of the occupation forces, a Marshal of the Soviet Union and deputy minister of defence under Khrushchev, who had appointed him on that September night of crisis by the Volga.  The tousands of Soviet soldiers executed at Stalingrad on his orders never received a marked grave.  As statistics, they were lost among the other battle casualties, which has a certain unintended justice.

Penguin Books, 1999, 431pp.

Stalingrad
Anthony Beevor
Penguin USA (P)
2000-05



 「統計の上でも〜」以下はカンマ付き関係代名詞で結ばれた一文。したがってここでの justice は処刑された者たちが処刑された犯罪者として勘定されているのではなく、他の戦闘とはいえ戦死者として扱われていることを明瞭に示す。戦争において、この違いには天と地の開きがあろう。

 そこで明らかになるのは、「統計の上でも」の「でも」が問題であること。この「でも」によって、墓の無いことと戦死者に数えられていることが同様の性格を備えたひとまとまりのものに解釈される。原文では全く別のことがらが、訳文ではまとまって読める。

 墓の無いことは「正義」ではない。しかし、原文ではこのことと、戦死者に数えられていることは別のこと、というよりも対立することであり、ここは「統計の上では」と訳さなければならない。「も」と「は」の違い、細かいことではあるが、文章のつながりの上では鍵を握る。

 ここでなぜ「でも」にしたのか。その方が日本語として通りが良いと判断したのか。しかし、本来、ほとんど対極にあることがらをあたかも同じ範疇に属することのように訳してしまうのは、誤訳と呼ぶのは酷かもしれないが、明白な誤訳よりも質が悪い。

 段落の最初の訳文にも文句をつけたくなる。この段落前半全体の主語はチュイコフである。チュイコフが梯子を一段ずつ昇って、栄達する。訳文はチュイコフが率いた軍を主語にすることで、この流れを断ち切った。カンマ以下の関係代名詞が導く従属節を独立させて前に置いて、チュイコフが上がってゆく姿を押し出そうとした、と一応見える。が、その後で、ベルリンでのことを独立の文にした。文章の流れがここでもぎくしゃくする。

 「あの危機を迎えた九月の夜」。「迎えた」は原文に無い。「迎えた」を加える理由は見当らない。訳文の調子を整えるためとも言えない。むしろ、これを加えたことで、原文の備えている緊迫感が削がれる。原文はリズミカルに畳みかけて、まさに危機だったのだよ、あの夜は、という感覚を伝える。例えば that night of crisis in September では無いのだ。こうであったら意味は同じでもリズムが無くなる。加えて「危機を迎えた九月」では、第三者の視点が忍びこみ、さらにのんびりしてしまう。チュイコフもフルシチョフも危機の当事者である。そこが薄れる。

 もう一つ、「期せずして」。「期せずして」は通常「期待していないにもかかわらず」を意味する。すると、この「期せずして」の主語は後世の人間、ひいては我々読者であろう。しかし、原文では intend していないのは読者ではない。ソ連の軍ないし政府である。この場合、「期せずして」と訳すのは誤訳と言うべきだろう。

 これらを踏まえて改訂してみる。


改訂案
 スターリングラードでパウルスの相手となったチュイコフ将軍は、第六二軍から第八親衛軍となった部隊を率いて長い道のりをベルリンまで進軍し、占領軍総司令官となり、ソヴィエト連邦元帥となり、あの九月の危機の夜、ヴォルガ河畔で彼を任命したフルシチョフのもとで国防相代理となった。彼の命令によってスターリングラードで処刑された多数のソ連軍兵士に墓標のある墓はない。統計の上では彼らは他の戦闘の損害に紛れこんでいる。それは意図したものではないにせよ、正義といえよう。


 「統計の上では」の前に「とはいえ」あるいは「一方、」と入れたいところではある。その方が原文の意図を明瞭にする。しかし、著者はここでそれに相当する言葉を入れていない。入れてもおかしくはないところに入れていないことは、訳者として尊重しなければならない。

 まあ、しかし、そもそもこの訳文があるからこういう分析もできるので、白紙で渡されたら、あたしでもチュイコフにかかるカンマ以下の関係代名詞による従属節を独立させていたかもしれない。

 というわけで、まさに、期せずして、翻訳の勉強をさせてもらうことになった。回り道せずにまっすぐグロスマンにとりかかっていたら、この勉強はできなかった。

 とはいえ、こんな回り道ばかりしているから、肝心のグロスマンがなかなか読めない。(ゆ)

 小尾俊人の名を初めて意識したのはおそらくその死亡記事を読んだときだったと思う。それから彼の著書『昨日と明日の間―編集者のノートから』や『本は生まれる。そして、それから』を読み、感嘆した。こういう人がやっていて、なるほどみすず書房はああいう出版活動ができたのか。

 もっとも小尾の著書から関心は丸山眞男に向かい、『戦中と戦後の間』には書き手と編集者の双方にまた感嘆した。この本は大学4年の時に出ていて、当時はベストセラーともなっているのに、まったく関心を抱いた覚えがない。今読むとあらためて教えられることが多い。その一方で、丸山眞男はこれ1冊読めば自分には充分という感じもする。ここには丸山のエッセンスが凝縮されているように読める。これもまた小尾の編集者としての力の発露だろうか。

 そこで遠くなった小尾の名に再び遭遇したのは本書の元となった『みすず』の連載が始まった時だった。隔月のその連載を毎回待ちかねて、息を詰めて読んだ。人生の師匠である著者の文章ということもあったが、それ以上に内容に惹きつけられた。まるで自分の足跡を消そうとしているような小尾が消しそこなった断片をひとつずつ拾いあつめ、小尾の姿を再構成してゆく著者の粘りに感嘆した。だから、本書の出版もまた待ちこがれた。

 いざ手にとった本の厚さにまず驚いた。こんなに加筆されたのかと思ったら、半分は小尾自身の1951年の日記だった。

 この本のキモは小尾の日記だ。表紙にもわざわざ刷ってある。著者が書いた部分はこの日記への序文にも解題にも見える。この日記が残された理由は不明かもしれないが、どこかに小尾自身の意図が働いているはずだ。小尾自身、これを残すと判断したとき、後に誰かが読むことは承知していたはずでもある。読ませたいとはまではいかなくとも、読まれてもいいとしていたはずだ。

 いや、そうではないかもしれない。死後も残すとまではっきり意識はしなくても、抹殺するにはどこか忍びない、ためらわれるものがある。そうして処分せずにおいたものを小尾自身忘れてしまい、後に残された、偶然の産物ということもありそうだ。

 いずれにしても、この日記は残るべくして残った。それはどうやら動かない。

 「密儀、偲ぶ会なし」という遺志は、自分が生み、育てた出版社からその評伝が出るという結果を生んだ。むろんこれはタイトルにもあるように、生涯をすべて辿ったものではないが、おそらくは最も肝心の部分、最も波瀾に富み、それゆえ劇的でもある時期の基本的様相を明らかにしている。

 葬儀や偲ぶ会は本来死者のためのものではない。遺された人びと、家族や親族や、あるいは親しい人びとが故人を失なった悲しみを耐えるための方便である。小尾がそのことを承知していなかったとも思えないが、他人の「自由」を奪ってまで己の人生をコントロールしたい、と考えたのか。自分がみすずから退いた時、実弟はじめ古くからの社員も数名、一緒に退社させた人だ。いやこの場合おそらくそうではなく、もっと単純にはにかんだのだろう。自分がそういうものの対象になることが、どうにも気恥ずかしく、そのことを思っただけで尻の穴がむずむずしてきたのだろう。あるいはそれはまた、170頁にあるエピソードの対象となった人物のように、「生き残りの復員組」のひとりとして「怯んだ」と言えるかもしれない。

 この「怯み」のよってくるところとして著者は「サバイバーズ・ギルト」と自己の卑小化とこれ以上の傷を避けたいとする恐れをあげている。同じ著者の『敗戦三十三回忌―― 予科練の過去を歩く』に描かれた学徒出陣組の姿、いきなり将校にされて自分より年下の者たちを特攻に出す順番を決める役割を負わされた人間が、平気でいられるはずはない。義務としてやらされたとはいえ、そうしたことをやった人間に、そんな晴れがましい(と見える)ことをやる、あるいはやってもらう資格があるのかと疑ったとしても無理はない。そう疑うことでかろうじて心の平衡が保てるだろう。

 しかし、そのはにかみがこんな書物を生もうとは、まさにお釈迦さまでもない、生身の人間である小尾にわかろうはずもない。葬儀や偲ぶ会は一時的だ。いかに盛大な葬儀や偲ぶ会でも、すんでしまえば終りである。そういうことがあったという記録は残っても、それだけだ。書物は違う。本は共時的には小さなメディアだが、通時的には途方もなく大きくなりうる。そして一度書物として出たものはいつまでも残る。終らないのだ。この出版を小尾本人が知ればはずかしさに身悶えするだろうが、もう遅い。本は書かれ、出てしまった。小尾俊人の姿はここに永遠に留められることになった。そして小尾とは無縁な、小尾の名前すら聞いたことのない人間が、かれがどのような人間で何をしようとし、またしたかを知ることが可能になった。

 そしてこの日記だ。唯一残されていた個人としての記録。この年小尾は29歳。老成した人間とひどく若い人間が同居している。緊張感が張りつめている一方で、ひどくのんびりしているところが同時にある。また同じ人と頻繁に会う。ひと言でいえば人なつこい。これだけ毎日いろいろな人間と会って話をしながら、いったいいつ本を読むのか。おそろしい速読だったという話も、前に出てくる(62頁)が。クルツィウスの『ヨーロッパ文学とラテン中世』を原書で読んだりもしている。あの篠田一士が音をあげたシロモノだ。後にみすずが邦訳を出す。四半世紀前、当時定価12,000円の本を、値段をまったく見ずに注文し、ブツが来てから仰天した。

 277頁、七月三日の「スマさん」須磨彌吉郎の注にあるラインバーガー『心理戦争』1953にもあらためて蒙を啓かれる。そうだった、みすずはこれを出していたのだ。図書館で取寄せてみると、ページを繰ったらバラバラになりそうな本がきた。少し読んでみれば翻訳もしっかりしているし、父親の方のポール・ラインバーガーの話も少し出てくる。孫文の顧問だった人物で、訳者は戦前、上海でこの父親に会ってもいる。小尾はコードウェイナー・スミスを読んだろうか。ちなみに『心理戦争』Psychological Warfere はこの訳書の出た後に第二版が出ている。Gutenberg に電子版がある。

 著者は月刊『みすず』創刊時から、小尾の依頼で出版界に苦言を呈するコラム「朱筆」を出版太郎の名で書き続けた。後、2冊の大冊にまとめられる。もともとは海外の書物の翻訳権仲介として、小尾からはむしろ嫌われた関係で始まりながら、このことをはじめ、様々な面で著者が小尾から相談を受け、協力していることはここにも出てくる。それだけ小尾が信頼した人物にその評伝が書かれたことは、小尾にとってやはりふさわしい。

 それにしても、岩波、筑摩、みすずとわが国を代表する出版社の3つが信州人の創設になるというのは面白い。(ゆ)

 ようやく出ます。皆さま、買うてくだされ。

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 まだ読んだことがなければ、『レッド・マーズ』からどうぞ。この三部作は、三部作ではよくありますが、長い1本の話なので、途中から読むとあまり楽しくありません。『ブルー』では昔起きたことの「真相」が明かされたりします。

 その代わりといっては何ですが、最後までいけば長い時が経った実感が湧いてきます。プルーストを読み通したとき、最終巻で味わえるあの感覚に近い。とあたしは思います。ある長さの小説を読むことでしか得られない感覚、快感と呼んでいいものです。むろんよくできた小説でなければなりませんが。

 とまれ、肩の荷が降りてほっとしています。これが出ないうちはどこか引き止められていて、先へ進むことができない気がしていました。

 あとは、この三部作の準備のために書かれたノヴェラ版「グリーン・マーズ」を出せれば完璧ですね(訳文はできてる)。時代としてはこの『ブルー』の後になるかな、オリュンポス山の断崖絶壁を登る話。(ゆ)



ブルー・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)
キム・スタンリー・ロビンスン
東京創元社
2017-04-21


ブルー・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)
キム・スタンリー・ロビンスン
東京創元社
2017-04-21


レッド・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)
キム・スタンリー ロビンスン
東京創元社
1998-08


レッド・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)
キム・スタンリー ロビンスン
東京創元社
1998-08


グリーン・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)
キム・スタンリー・ロビンスン
東京創元社
2001-12-21


グリーン・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)
キム・スタンリー・ロビンスン
東京創元社
2001-12-21


 Spectrum 23 の最終候補が発表になっている。

 1993年に創設されたファンタジーを意図した絵画と彫刻を顕彰する賞。一昨年から Flesk Publications の John Fleskes が賞のディレクターとなった。選考は選考委員会による。受賞作は5月上旬の授賞式で発表。

 最終候補は
ADVERTISING
BOOK
COMIC
DIMENSIONAL
INSTITUTIONAL
UNPUBLISHED
の六つのカテゴリーで計40本。力作揃い。上記サイトはヴィジュアルが多い割に重くないので、ぜひご覧になるべし。


 Horror Writers Association がアラン・ムーアとジョージ・A・ロメロに生涯業績賞を授与すると発表している。授賞式はブラム・ストーカー賞と同じく5月中旬、ラスヴェガスでのストーカーコン。

 どちらも文字よりもヴィジュアルの分野で活動してきた人を小説家の団体が顕彰するのはおもしろい。


 ローカスはじめこれまで発表になった各賞の候補のどれにも入っていないものが4篇。

 独自のセレクションが9篇。

 クラーク、ストラハン、ドゾアの3冊に共通して収録されているのが4篇。
"Another Word for World", Ann Leckie
"Botanica Veneris: Thirteen Papercuts, Ida Countess Rathangan", Ian McDonald
"Calved", Sam J. Miller これはアシモフ誌読者賞の候補でもある。
"Capitalism in the 22nd Century", Geoff Ryman

 クラークとストラハンで重なるものが1篇。
"A Murmuration", Alastair Reynolds

 クラークとドゾアで重なるのが7篇。
"Gypsy", Carter Scholz 
"Bannerless", Carrie Vaughn
"No Placeholder for You, My Love", Nick Wolven
"Hello, Hello", Seanan McGuire
"Today I Am Paul", Martin L. Shoemaker これはネビュラの候補。
“Meshed", Rich Larson
“The Audience", Sean McMullen

 ストラハンとドゾアで重なるのが3本。
"City of Ash", Paolo Bacigalupi
"Emergence", Gwyneth Jones 
"The Game of Smash and Recovery", Kelly Link

 ストラハンでネビュラの候補と重なるものが4篇。
"The Pauper Prince and the Eucalyptus Jinn", Usman T. Malik 
‘Waters of Versailles", Kelly Robson
"The Deepwater Bride", Tamsyn Muir
"Hungry Daughters of Starving Mothers", Alyssa Wong これはブラム・ストーカー賞の候補でもある。

 ドゾアのベストでネビュラと重なるのは上記シューメイカーの1篇だけ。

 クラークのベスト収録作品でネビュラ候補と重なるのは
"Cat Pictures Please", Naomi Kritzer
“Damage", David D. Levine
の2篇。後者はローカスのリストにも入っていない。

 ヒューゴーの候補として考えられるのはまずこのあたりということになる。


 それにしてもこの Kelly Robson は注目だ。昨年初めて一気に5篇を発表し、そのうち1篇がネビュラの候補、ドゾアとクラークのベストに1篇ずつ収録。いずれもローカスの推薦リストにある。当然ジョン・W・キャンベル新人賞の候補にも入ってくるだろう。ウエブ・サイトの写真ではなかなかチャーミングな女性だが、ヘテロの人には残念ながら同性のパートナーがいるそうだ。そちらも新進のSFF作家。ともにカナダ出身。


 ヒューゴー長篇のノミネートをするために、ネビュラの候補にもなっているアン・レッキーの Imperial Radch 三部作の完結篇 ANCILLARY MERCY を読むために、第一部 ANCILLARY JUSTICE を読みはじめた。急がば廻れ。周知のようにこれはかつて巨大軍艦の AI だったものが ancillary と呼ばれる人間の肉体を使った分身のひとつに封じこめられた存在の一人称だが、語り手は人間をすべて女性代名詞で指す。そのうえで必要な場合には対象が male であることを明示する。これを邦訳ではどう処理しているのか、読みおわったら確認してみよう。

 この女性代名詞の件は公式サイトの FAQ でジェンダーの意味は含めていないと著者がことわっている。ラドチャアイ語ではジェンダーが無く、英語では有る。したがって英語に翻訳する場合には何らかのジェンダーを付けねばならない。とはいうものの、女性男性どちらでもよかったならばなぜ女性を選んだか、ということは残る。そこに必要以上の意味を読もうとするのは本筋から外れるかもしれないが、しかし英語で読む場合、女性代名詞が生む効果は無視できない。また、「元」の言語にジェンダーがないという設定によって英語ではジェンダーがあることが浮き彫りになる。

 日本語にもジェンダーは有る。当然ながら、英語におけるジェンダーの現れ方とは異なる。そこで女性キャラクターの台詞を邦訳する際のいわゆる「女ことば」の処理は翻訳者にとっては大問題だ。両性の台詞の言葉づかいを全く同じにすると、日本語の文章語としては不自然になることが多いのだ。

 そして語り手 Breq のジェンダーは自分にはおそらくわからないと著者は言う。それはこの物語にとっては重要ではなく、そして代名詞ではこちらを選んだために、はっきりさせる必要がなくなったからだ。というのが著者の回答。つまり、Breq のジェンダーがどちらであってもこの物語は成立する。ジェンダーが無いということもありうる。(ゆ)


叛逆航路 (創元SF文庫)
アン・レッキー
東京創元社
2015-11-21


アン・レッキー
東京創元社
2016-04-21



 ヒューゴーの編集部門、とりわけ Best Editor: Long Form について、マーティンがこれは事実上、生涯功労賞になっていると書いたら、そんなことはない、毎年ベストの編集者を選ぶのがタテマエだと食いついた人がいた。ルールの上ではそうだが、実際に前年の仕事を元に選ばれているわけではない、というマーティンの反論にはうなずける。誰が何を編集しているかは、どこかに発表されているわけではない。

 そこで、マーティンは知合の編集者たちに呼び掛けて、昨年編集した本のタイトルを教えてもらい、ブログで発表している。一種のファン・サーヴィスではある。


 さてヒューゴー賞事務局から PIN コードが送られてきた。候補作のノミネートと投票にはこのコードが必要になる。

 候補作のノミネートの締切は3月末日23:59。2015年と1940年に発表された、または英語化された作品が対象。後者はレトロ・ヒューゴー賞だ。

 それにしてもレトロ・ヒューゴーのカテゴリーも通常のヒューゴーと同じなのは、どうなんでしょうねえ。1940年にポドキャストがあった、というのはそれ自体サイエンス・フィクションだ。Best Graphic Story というのもなあ。アメコミはもちろんあったわけだけど、うーん『リトル・ニモ』も対象になるかなあ。Dramatic Presentation は『ファンタジア』で決まり、でしょう。

 小説作品は『アスタウンディング』での「キャンベル革命」が実を結びはじめた頃だから、結構ありそうだ。ちょっとみると1月号にはハインラインの「鎮魂歌」が掲載されている。をを、『グレー・レンズマン』の連載最終回もあるぞ。でも、これ、本になるのは1951年だよな。こりゃあ、面白い。「レンズマン・シリーズ」本篇4冊は1937年から1948年にかけて雑誌連載されているのに、本になるのは1950年からなんだ。柴野さんが訳者あとがきにでも書いていたとしたら、見逃していた。おや、『銀河パトロール隊』は昨年のレトロ・ヒューゴーにノミネートされている。そう、ルールによればどんな形でも1940年に発表されたものが対象だから、『グレー・レンズマン』も今年候補になる資格がある。ちなみに『銀河パトロール隊』は受賞していない。この年のベスト長篇はT・H・ホワイトのアーサー王シリーズ ONCE AND FUTURE KING『永遠の王』第1部 THE SWORD IN THE STONE。

 ふむ、レトロ・ヒューゴーの方は結構読んでいるかもしれない。アシモフ、クラーク、ハインラインはすでに活躍してるし、ブラッドベリも本格的に書きはじめている。(ゆ)

    先週土曜日のSFファン交流会の件で書き忘れていたこと。
   
    森下一仁さんとぼくの他に牧真司さんも浅倉さんの思い出を語られてました。カナダの同人誌が日本のラファティ特集号を出したとき、浅倉さんと伊藤さんが英文のコメントを送られたのだそうです。その現物も回覧されてましたが、残念ながらぼくは拝見するチャンスがありませんでした。
   
    もう一つ、二次会で話題になったこと。浅倉さんの翻訳の師匠あるいは手本は誰だったのか。
   
    浅倉さんとて、初めは誰かの翻訳を手本とされたはずですが、それが誰だったのか、わからない。当時SFの翻訳をされていた人たちを手本にされたけしきもありません。その頃SFが好きで翻訳をしていた先輩と言えば、福島正実と矢野徹の二人がいますが、どうもこの二人に習ったとも思えない。
   
    中村さんもご指摘されていたように、矢野さんを浅倉さんは先輩として慕われ、頼りにされていました。矢野さんのご葬儀の時、弔辞を述べる浅倉さんの落胆されたご様子にはまことに痛々しいものがありました。ですが、翻訳のお手本にされたかとなると、お二人の翻訳はいささか違いが大きい。
   
    映画評論の双葉十三郎の翻訳を浅倉さんが高く評価されていたことはありますが、手本や師匠とまで言えるのかどうか。
   
    あるいは伊藤さんあたりにおたずねすればあっさり氷解するのかもしれませんが、日本語の系譜の上からも、結構大事なことではないかと思います。
   
    あるいは翻訳自体の師匠は明確な存在が無くとも、日本語を書く上で手本とされた、あるいは影響を受けた書き手はいたはずで、いずれどなたかが解明してくださることを期待します。
   
    影響といえば、村上春樹がヴォネガットの翻訳者で影響を受けた人として浅倉久志の名を挙げていないのは、やはり韜晦ではないか、というのも、酒の上の話として出たことでありました。(ゆ)

    浅倉久志さんんが亡くなられた際に書いた当ブログの記事を読まれた白石朗さんと主催者の牧夫人にお誘いをいただいて、SFファン交流会に参加してみました。

    今回は中村融さんの発案で、交流会で浅倉さんの追悼をやろうということになり、中村さんの他、白石さん、高橋良平さん、大森望さんがゲストという趣向。編集者として浅倉さんと仕事をされた白石さん、大森さんのお話がメイン、それに最も親しかった高橋さんが間の手を入れられる、という感じでした。
   
    中村さんは浅倉さん直々に翻訳の添削をしてもらったことがあるとのことで、その赤の入った手書き原稿を回覧されていましたが、実にていねいにコメントが入っていたのには驚きました。参加されていた国書刊行会の樽本さんも、かつてディッシュのベストを作られた際、浅倉さんが中の一篇「降りる」の昔のご自分の翻訳を改訂された、そのゲラを回覧されていましたが、これもほとんど真赤になるくらい、それもまことにきれいな、読みやすい赤が入っていました。
   
    浅倉さんは早川書房で通常の翻訳、作品選択の他に、新人翻訳家養成のための添削も引き受けられ、中村さんはじめ何人もの優れた翻訳家がそこから生まれているそうです。表向きは下訳者も使われず、学校で教えることもされず、お弟子さんもとられなかったわけですが、世間一般の眼からは見えにくいところで、しっかり次世代養成に関わっておられたのでした。
   
    森下一仁氏も来られていて、1984年にヴォネガットが来日した際、浅倉さん、当時のSFマガジン編集長今岡清氏、通訳の方と4人でインタヴューをしに行かれた際の話をされていました。
   
    ぼくはまあ、ブログに書いたことをごく手短かに話しただけですので、くわしくはむしろそちらの記事を御覧いただければと思います。
   
    編集担当者としてのお話を伺うにつけ、その翻訳の優秀さに加え、仕事の速さ、手間のかからなさからして、その存在そのものがほとんど奇跡に思えてきます。ほんとうに浅倉久志という人が存在し、活躍してくれたことは、日本語SFにとって、さらには戦後日本語文学にとって、いかに幸せなことであったか、つくづく、思い知らされたことであります。
   
    その思いを再確認したのは、新宿の中国料理屋に場所を移しての二次会の席で、若い交流会のスタッフの方(お名前を失念しました、乞うご容赦)が、前はミステリ系を読まれていたのが、ここ数年SFを読むようになり、翻訳があまりに読みやすいのがうれしい、とおっしゃられたこと。ミステリを読まれていた頃は、話の中に入りこむまで時間がかかったのだが、SFは設定などはずっと入りにくいはずなのに、そこでの苦労が無い、というのです。
   
    これは日本語SFの翻訳がそれだけ優秀であることのひとつの証だと思いますが、それにはやはり浅倉久志、伊藤典夫の存在が大きい。この二人がひじょうに高い水準で日本語SFの翻訳を供給してきた結果、後続の日本語SFの翻訳者たちはそれを目標にせざるをえなくなったわけです。あのお二人の仕事と比べて恥ずかしくない仕事をしなければならない。むろん、肩をならべることは簡単ではありませんが、少なくともそこに向かって努力するようになります。
   
    ミステリでは幸か不幸か、そういう標準になるような翻訳家はいませんし、総体でみればSFよりも点数も多いですから、全体として質が下がる傾向があります。その二次会の席でも出ていましたが、冷静に見ればかなりの「癖」がある翻訳が、それに慣らされてしまったのか、あるシリーズについては「標準」とされてしまう例もあります。翻訳権のある同時代作家の翻訳の場合、基本的に一種類の翻訳しか読者は読めませんから、やむをえないところはあるにしてもです。
   
    浅倉、伊藤の存在はそうした「バイアス」を修正する役割も果たしてきたのでしょう。点数の多さ、作品の幅の広さ、さらには仕事の進め方で、お二人の中ではやはり浅倉さんの翻訳が手本とされるケースが多いと思われます。
   
    お仕事の幅の広さという点で、中村さんが強調されたことのひとつが、浅倉さんのいわゆる「ユーモア・スケッチ」もののお仕事。あれは浅倉さんの独創による、いわば新ジャンルであり、浅倉さん自身、愛着と自信を持っておられたものである、分量からいっても、翻訳者としてのほぼ全キャリアに渡って続けられたことにしても、SFとならぶ、浅倉さんのいわば「別棟」のお仕事として評価されるべきであるとのご指摘は眼からウロコでした。
   
    今月発売のSFマガジンは浅倉久志追悼号で、識者の選んだ浅倉さんの翻訳の再録が柱の一つになるそうです。また、単行本としても、浅倉さんのお仕事を集めたアンソロジーも予定されているとのこと。
   
    明治以来、日本語の、特に書き言葉は翻訳によって作られてきました。浅倉久志の訳業はそのいわば本流の一角、それも小さくない一角を担うものとして、これからもくり返し賞味検討されるに値するもの、との想いを新たにしたことでありました。
   
    まことに楽しい機会をつくっていただいた、白石さん、牧さんにあらためて感謝。(ゆ)

 届いたばかりの『CDジャーナル』8月号をぱらぱらやっていたら、バッハ・コレギウム・ジャパンを率いる鈴木雅明という指揮者兼鍵盤奏者が面白いことを言っている。


バッハの教会カンタータを外国人がやるには翻訳が必要だ。ただ、翻訳を通してしかわからないことがある、外国人が一所懸命翻訳を通して学び、演奏してみる、というプロセスは実はドイツ人にはできない。


 言われてみれば同じことは何度か聞き、その度に納得してきたものの、こういう一見翻訳とは縁遠いように見える人から言われると、妙に心に沁みる。

 この人たちの演奏には、スピード感やビート感が強い、という感想があるらしい。別段速くやろうとしているのではなく、やっていて気持ちがよい速度でやろうとするとそうなる、というのは実にまっとう。


古楽も、研究の成果を発表するのではなく、日々の生活の糧になるような形で「楽しめる」ようにやりたい



 クラシックでもこういうことをいう人がいるのは意外でもあり、楽しくもなる。

 この人は自分でもソロでオルガンやチェンバロを弾くそうで、平均律も出している、となるとちょっと聞いてみたくなった。バッハの鍵盤に関してはグールドしか聞く気になれなかったが、この方面も確実に変化しているはずではある。をを、大好きなフランス組曲も出してるぞ。ゴールドベルクよりはこっちから聞いてみよう。(ゆ)

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