クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:芸能

 8月は毎年、「納涼歌舞伎」と称して、三部制をとる。各部のチケットの価格も若干安い。

 今年は初めて玉三郎が出演し、夜の部に「新版 雪之丞変化」をかけた。出演は玉三郎、中車、七之助、それに狂言回しの鈴虫役を尾上音之助と坂東やゑ六が分担する。見たのはやゑ六の方。

 「雪之丞変化」はタイトルぐらいは聞いたことはあるが、どんな話かも知らなかった。悪代官に両親を殺された長崎の豪商の息子が、歌舞伎役者の女方として身を立てながら、仇を狙う。それを一座の先輩や江戸の盗賊など周囲が支援し、見事、仇を討つ。という話だそうだ。内容的にも、構成上も、かなりいろいろの含みのある話で、これを4人で2時間で見せようというのはいささか無理がある。その無理を通すために、舞台の上に大小様々のスクリーンを置いて、映像を映す。それは舞台の裏の情景だったり、主人公、雪之丞の演技を見ている観客であったり、あるいは「街の声」、さらには雪之丞が演じる舞台そのものだったりする。雪之丞は念願だった江戸での上演で「京鹿子娘道成寺」を演ずるのだが、玉三郎自身が別の機会に演じた際の映像が映しだされる。

 舞台の上に映像を映して、芝居の一部とする手法は昔からあるものだそうだが、大正時代に法律で禁止されてから、その法律の効力が消えても手法としては復活はしていなかったらしい。なぜ、法律で禁止までされたのか、は知らない。

 しばらくやっていなかった手法を復活する、にしては、どうも準備不足のけしき。意図はわかるが、映し出される素材、その使い方、挿入するタイミングや舞台上の演技とのからみ、いずれも噛み合っているとは言えない。

 その中で面白かったのは、冒頭、仁木弾正を演ずる菊之丞が花道を下がってゆくところを正面から映し、この像を増幅して見せたところ。そしてその後、花道から舞台下の空間に降り、歩いてゆくのを追う映像だ。客席からはふだんは絶対に見えない映像で、舞台の上に再現しても、労力の割りに面白くないだろう。後半にも、舞台上の演技を舞台手前から黒衣が映している映像を舞台の画面に映しだしても見せて、これも面白い。カメラはスマホのようだったが、映像としては充分だ。

 雪之丞を玉三郎が演じ、その先輩女方、星三郎を七之助が演じる、というのはおそらくわざとしたことだろう。これもまた玉三郎による後輩教育の一環だ。その七之助は力演だ。とりわけ、宮島で七之助の星三郎が、玉三郎の雪之丞に、女方としての様々な役の心得を諭し、二人して科白の一節を口ずさみ、芝居をするシーンはすばらしい。ここと、その後、星三郎が江戸公演を前に病死するところがハイライト。この二つのシーンだけが際立っていて、他はつまらない。一カ所だけ、若い雪之丞がとんでもなく甲高い声を出すところ、70近い男があの声をあれだけ綺麗に出すのには感心する。

 この話が語っているものの中では、役者としての覚悟と夢を強調しているのだが、玉三郎の演技にそのリアリティが出ていない。娘道成寺を演じる雪之丞を演じるところはさすがで、道成寺を演じるのは玉三郎ではなく、雪之丞の存在感がきちんと出ている。が、それ以外の、まだ雪太郎と呼ばれている頃の未熟さとか、河原者、河原乞食と呼ばれた役者という仕事への迷いとかになると、どこかに忘れてきたように存在感が薄くなる。科白も二度ほど言い間違えていたし、どうもあまり調子が良くないんじゃないか、とすら思えてくる。ひょっとすると、そうした「初心」をとりもどすための工夫なのかもしれないが。この納涼歌舞伎の第一部「伽羅先代萩」も監修し、この新版では補綴と演出もして、忙しすぎるのかもしれない。玉ちゃんもやはり人間だったか。

 1人で五役の中車は大忙しだが、演技としては敵役の土部三斎が一番良かった。派手なところはあまりないが、芝居の屋台骨を支える役を渋く演じるタイプで、この奮闘を見て、ますます好きになってきた。この人と亀蔵が、今のところ、あたしの贔屓だ。(ゆ)

 今月2回ある定例公演の二つ目。演し物は狂言『左近三郎(さこのさむろう)』と能『夕顔』。

 狂言は短かいもので上演時間15分ほど。狩人と禅坊主の二人の対話劇。なかなか可笑しい。狂言の科白は聞いてすぐわかる。

 能は『源氏物語』を題材にして、ある僧が京で夕顔の霊に会う。こちらも僧と夕顔の霊の二人の劇に、後で事情を説明する役の者が出てくる。演技といえるほどのものはほとんど無い。少なくとも、あたしなどには演技とは見えない。表情も変えず、腕や体も動かさず、舞台をあちこち行ったり来たりするだけ。歌舞伎以上に一定の型にはまっている。その型や型の組合せに意味があるのかもしれない。科白はほとんどわからない。

 僧に続いて、二人がかりで四方に布を巻いて中を隠した篭のようなものを床をすべらせて運んでくる。ここに夕顔の霊が入っていて、途中で布が解かれ、霊が出現する。これを「山ノ端之出」というそうな。

 夕顔の霊は梅若万三郎が勤めたが、腰が悪いらしく、舞台の上でも待っている時は丸椅子に腰かけ、立つ時も介添えが必要な様子だった。立ってしまえば問題はないらしいし、声はしっかりしていた。もっとも、面をつけているから、ますますもって聞き取りにくい。

 前回の『道成寺』は科白自体が少なく、ほとんど音楽と舞踏だった。『夕顔』も音楽劇と呼びたいものだ。違うのはこちらでは地謡が活躍する。八人の男性が舞台の脇に座り、ユニゾンで唄う。我々の席は脇正面なので、地謡の座は正面になる。唄っている時の表情とかが見えて、なかなか面白い。正面をじっと見ていることは同じだが、ずっと瞑目している人、眼を開けたままの人、瞑ったり開けたりしている人、それぞれにいる。年齡の幅はかなり広いようだ。まさか20代ではないだろうが、そう見える人もいる。唄う前に、前に置いていた畳んだ扇子を手に取り、唄っている間、これを立てている。歌が終るとまた前にもどす。この動作のタイミングも八人ぴたりと一致している。もちろん、合図も何も無い。

 それにしても、今回はこの地謡が実に気持ちよい。声の質がたまたまうまく合ったのか、合うように選んでいるのか、とにかくユニゾンの響きが快感そのものだ。ハーモニーの快感にはどこか予定調和的なところがあるが、ユニゾンの響き、それぞれに異なる声の重なり方の快感はもっと原初的だ。ハーモニーは天上から降ってくるが、ユニゾンは地の底から湧いてきて、腹に響く。そして、確かにユニゾンなのに、ハーモニーのような重層的な響きが聞えてくる。ラストも囃子方とともに地謡が盛り上げて、「(霊が)失せにけりぃ」でふっつりと終る。これまた快感。

 能は基本的に音楽劇なのか、とも思ってしまう。大鼓も鼓も打つ前に声を出す。この声は役者が科白を言っていようがいまいがおかまいなしに出す。ますます科白が聞きとりにくい。役者の動きは極端に少ないから、見るというより聞く方が大きい。聞えている音のほとんどは音楽だ。

 まあ、最低でも10本くらいは見ないと、ほんとうのところはわかりそうにないが。(ゆ)

 何といっても3番目、「京鹿子娘道成寺」。今を去ること20年前、生まれて初めて歌舞伎座に来た時の強烈な体験は、あたしの音楽観をかなり変えたはずだ。当代仁左衛門の襲名披露で、この時の踊り手は記録によれば菊五郎。しかし、この時は踊りはほとんど目に入らず、舞台奥にずらりと並んだ囃子方が繰り出す音楽に圧倒されたのだった。

 歌舞伎座は音響設計が良いのだろう、舞台上の生音が増幅無しに場内隅々までよく届く。今回そのことを実感したのは席が前から四番めで、舞台上の生音がそのまま届く位置だったからだ。役者の科白にしても、楽器の音にしても、肉声感はあるが、音量は三階席でもほとんど変わらない。20年前も、8本の三味線がユニゾンで繰り出すダンス・チューンが場内いっぱいに響きわたるのに、それはもう夢中になった。

 「京鹿子娘道成寺」は踊りの演目の中でも最高峰の一つで、ヒロインを演じる女形は衣裳を次々に替え、また舞台の上でも早変わりする。これを助ける後見も、裃はもちろん、曲げの鬘もつけている。踊りの所作も、ほとんどありとあらゆるものをぶちこんでいるんではないか、と見える。基本は同じだが、役者により、上演により、少しずつ変えてもいるらしい。今回はそのあたりもようやく目に入った。まあ、目の前で演じられるわけだから、いやでも目には入るが、歌舞伎を見る眼も少しはできてきたか。

 しかし、やはりこれは音楽が凄い。着替えのために踊り手が引っ込んでいる間、囃子方だけで演じる時間が何度もあり、とりわけ三味線のユニゾンは、明らかにその演奏を聴かせることを意図して作られている。場内から自然に拍手も湧く。囃子方の演奏に対して拍手が湧く演目は、他にあるのだろうか。

 三味線8本に太鼓2、大鼓1、鼓3、笛2という編成は、おそらく歌舞伎でも最大だろう。唄も8人だから、普段なら左右に別れたりする囃子方が、舞台正面奥にずらりと並ぶ。これがまず壮観。そして、ここでの主役は三味線と打楽器だ。能もそうだが、囃子方では持続音楽器の笛が主役にならない。能の「道成寺」では大鼓と鼓だし、ここでは三味線がリードする。20年ぶりにこれを聴けたのはほんとうに嬉しい。むろん、演奏者は入れ換わっているだろうし、20年前と比べてどうだ、なんてのはもちろんわからないが、今回の演奏もやはり圧倒される。

 阿波踊りや河内音頭のビートも凄いけれど、この「京鹿子娘道成寺」の楽曲は、われらが伝統の中のダンス・チューンの一つの極致だ。とりわけ、踊り手不在で囃子方だけで演奏するところは、ボシィ・バンドの絶頂期もかくや、いや、あるいはそれをも凌駕するかもしれない。本物のプロフェッショナルが精魂傾むけるとどうなるかの実例だからだ。歌舞伎はあくまでも娯楽、エンタテインメントであって、観る方は楽しむために来ている。伝統文化の保存とか、口では言うかもしれないが、本心では露ほども気にかけてはいない。そして、その娯楽のために、演る方は命をかけている。そのことは、田中佐太郎の『鼓に生きる』を読んでも伝わってくる。

 ボシィ・バンドと歌舞伎座の囃子方を比較するのがそもそも無意味かもしれないが、あたしの中では、ボシィ・バンドを聴くのも、この「京鹿子娘道成寺」の音楽を聴くのも、愉しいことでは同じなのだ。ただし、ボシィ・バンドは録音でいつでもどこでも聴けるが、この「京鹿子娘道成寺」の音楽の凄さを録音で実感するのは難しい。

 今回の席は、前の方だが上手の端に近いところで、ツケウチが目の前になる。おかげで、ツケウチの人の表情や、叩く様子がわかったのも面白い。

 「京鹿子娘道成寺」以外の演目は、正直、どうでもよかったが、二番目の「絵本牛若丸」は菊之助の息子が丑之助を名告る襲名披露で、これを目当てに来ている客も多かったようだ。いかに梨園の正嫡のひとりとはいえ、5歳の子どもにまともな演技ができるわけもないが、父親、祖父はじめ大の大人がよってたかってこれを一篇の芝居、余興や座興ではない見ものに仕立ててしまうのも、歌舞伎の面白さの一つではある。歌舞伎の演技の様式、「自然な」ものではない、誇張のみからできているような演技の様式で初めて可能なものでもあろう。「襲名披露」というシステムが伝統芸能の根幹を支えていることもわかる。

 歌舞伎は何でもありで、先日、国立の小劇場で見た科白劇も面白かったが、「京鹿子娘道成寺」は「阿古屋」と並ぶ音楽演目の双璧ではある。この方面の歌舞伎はもっと見たい。(ゆ)

 演し物は『鶊山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ) 中将姫雪責の段』と『壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段』。

 今回の楽しみは何と言っても後者、昨年末、歌舞伎座で玉三郎のヴァージョンにぶっ飛ばされた同じ演目を、人形でどうやるのかというところだ。それにこれは元は人形浄瑠璃のために作られたものではある。

 結論から先に書くと、これもまたすんばらしい体験だった。鎌倉初頭を舞台に、遊君である阿古屋が身の潔白を証明するため、秩父重忠、岩永左衛門の前で、箏、三味線、胡弓の三種の楽器を演奏してみせる。この演奏を演者が実際にやる。歌舞伎や浄瑠璃の演し物は多彩で、ドラマ性を全面に打ち出す心中ものばかりでなく、舞踏ものもあれば、こういう音楽ものもある。『阿古屋』は音楽ものとしての最高峰の一つであって、誰でもできるものではなく、歌舞伎では玉ちゃんの前は六世歌右衛門だけが演じている。六世歌右衛門という人は芸人としてだけでなく、歌舞伎界全体の指導者としても偉い人だった、というのは最近読んだ田中佐太郎の『鼓に生きる』でも垣間見える。女性である佐太郎に歌舞伎座の舞台で鼓を打たせる判断を下したのは六世歌右衛門だった由。

 文楽で演じる場合、阿古屋は人形が演じ、音楽は囃子方が右手の座で演じる。ふだんは大夫と三味線が二人一組で座るところだ。ここは回転舞台になっていて、くるりと回って二人が現れるが、裏で人間が手で回しているのが初めて見えた。

 阿古屋では大夫が登場人物それぞれにつくので都合5人、三味線が一人、阿古屋の演奏場面のみ三味線がもう一人加わり、それに三曲を演奏する人がもう一人いる。大夫の5人が舞台側、三曲が客席側に座る。歌舞伎と同じく、三種の楽器を演奏するのは一人だ。

 阿古屋は文楽でも演目の格式が特別なものらしく、阿古屋の人形を操るトリオは3人とも顔を出している。確かに演奏の場面では右手だけではなく、左手もかなり動く。とりわけ三味線や胡弓では左手の動きの方がメインになるくらいだ。

 人形は音楽を演奏しているように演じるわけで、当然、音楽はすべて細かいところまで編曲されている。ここは玉三郎が即興で聴かせたのと対照的になる。その編曲がまず凄い。ジャズでもあるが、あたかも即興でやっているように聞える。そして人形の動きが音楽にぴたりと合っている。すると、まるで人形が即興しているように見えてくるのだ。どの楽器も音の動きは相当に細かいが、人形の動きはその細かい動きも残らず合わせてくる。まさにそう見せるのが人形浄瑠璃のキモだと言われればそれまでだが、演技というよりも演奏に見えてくるのはまた次元が異なる気がする。三味線や胡弓では左手の指も動く。

 劇の筋としても、ここでの阿古屋の演奏は余人にはまねのできない高度なものでなおかつ見事に演奏しなければならない。この音楽と演奏が凡庸なものでは、劇が成立しない。歌舞伎でも誰にでもできるものではないというのはここのところでもある。文楽では人形遣い、それも一人ではないトリオの組と、囃子方の、最低でも4人、これができる人間が必要になる。人形遣いの方はだから3人とも顔を出す。

 今回囃子方を務めているのは鶴澤寛太郎という、まだ30そこそこの人。囃子方の家に生まれて、幼ない頃から楽器に触れているが、それにしても三つともあそこまでになるには相当の精進を重ねているだろう。隅々まで決まっている曲を演奏するのは音楽だけでもよくあるが、これはただ演奏するだけではない。むろん、人形遣いも囃子方もたがいに相手を見ることなんてことはしない。人形遣いは胴と右手のメインの人はさすがに右手を見ていたが、左手の人はずっと正面を見ている。囃子方は客席に向かっている。文楽の三味線や歌舞伎などの囃子方の立ち位置というのも、考えてみると不思議なものではある。

 人形の演技と音楽演奏が一体になったこのパフォーマンスが生み出す感動、強いて言えばそれは歓びではあろうが、単純にこれが見られて嬉しいというのではない、もっと複雑で複相を備えた、様々な感情がときほぐしようもなく絡まった、感動としか表現できない効果は、まず他では味わえない。少なくともあたしには初体験。歌舞伎の玉三郎版にも天地がひっくり返るような想いを与えられたが、こちらもまた人形浄瑠璃、ひいてはパフォーマンス芸術がもつ底知れなさに圧倒される。

 一つの楽器が終るごとに客席からは自然に拍手が湧くのも無理はない。普通は閉幕が迫ると準備していて、幕が引かれると同時に立つ人が大勢いるが、今度ばかりは長いこと拍手がやまない。

 同じ演目をこうして並べて見ることにも、新たな発見がある。歌舞伎座では、いつものライヴと同じく、目をつむって玉ちゃんの演奏に聴き惚れていたが、こちらでは目を見開いて人形を見ないわけにはいかない。すると、岩永左衛門が阿古屋の真似をしようとして滑稽な仕種をしているのにいやでも気がつく。こういう台本を作った作家の、パフォーマンスという行為への洞察の深さに舌をまく。

 後半の阿古屋で前半の演目は吹っ飛んでしまったが、こちらも人形劇の面白さの凝縮されたものではある。話のキモは継母の継子いじめで、雪の積もった庭で、薄物一枚に剥かれた若い娘を継母が折檻する場面が見どころ。考えようによってはひどくエロティックでもあるし、実際、いじめられる娘を演じる人形の動きには、抑えに抑えながらにじみでるエロスがある。いやむしろ、残虐行為の底にはエロスが流れていることがよくわかる。これまた生身の人間では不可能だろう。

 やあっぱり文楽は面白い。今回は阿古屋という演目の魅力か、かなり高齢だったり、身体の不自由な人がいつもよりずっと多かったようだ。隣の男性も入口まで車椅子で来て、客席までは2本杖をついて来ていた。無理をおしてでも見たいというその気持は、これを見ればわかる。

 次回の国立劇場での文楽公演は通し狂言『妹背山女庭訓』の一気上演。当然昼夜通しである。ライヴのダブル・ヘッダーとそう変わらんだろうから、一度そういうのも体験したい、とは思うもののどうしたものかとまだ思案中。(ゆ)

 いやもう圧巻というか、圧倒的というか。芝居を見に行って、ライヴの感動、それも並々でない感動を味わった。歌舞伎というのは、実に何でもあり、なのだ。

 何が、って、玉ちゃんの演奏である。

 玉三郎が天才だというのは、さんざん読んでいたし、人からも聞いていた。歌舞伎界ではいわば外様だが、芸と美貌だけで頂点を極めた例外中の例外。歌舞伎の世界におさまらない、スケールの大きな仕事をしている世界人。しかし、とにかく実際に体験するのはまったく別のことだ、とあらためて思い知らされる。

 演し物は「阿古屋」である。『壇浦兜軍記』のなかの一場が独立して演じられるもの。もとは人形浄瑠璃で、歌舞伎になってこの「阿古屋」の場のみが上演されてきた。遊君・阿古屋が身の証をたてるため、箏、三味線、胡弓の三種を演奏する。実際に生で演奏するので、カラオケでも「口パク」でもない。芝居の相手の重忠に対してというよりも、観客を納得させるだけの演奏をしなければならない。歌舞伎役者は演技だけでなく、踊りもできなくてはならないし、したがって楽器のひとつぐらいは素養も身につけるだろう。しかし、この三つを三つとも、水準以上に演奏できるようになるのは、才能に恵まれた者でも簡単ではない。

 玉三郎の演奏は、三つが三つとも水準を超えてますどころではない。どれも名人の域だ。たとえ役者としてダメだったとしても、この腕なら、どれか一つのプロのトップ奏者として十分通用する。それでもさすがにどれもまったく同じというわけではなく、多少は得意不得意はある。というよりも、胡弓は他の二つに比べて、明らかに好きでもあるようだ。もっともこれは胡弓だけ、まったくのソロで即興で演奏するところがあったためにそう聞えたのかもしれない。他の二つは、端で義太夫の三味線と謡がサポートする。このサポートはあるいはユニゾンになり、あるいは合の手を入れ、また一種のハーモニーをつけもする、というように様々で、例えばピアノ五重奏のピアノの位置に箏や三味線や胡弓が来るような按配だ。面白いのは、箏では上手に座った三味線、謡各々4人ずつが合わせ、三味線には、下手にこの時だけ出てきた一組が合わせる。

 この胡弓のソロ即興がまず凄い。テクニックも凄いが、入れてくるフレーズ、出してくる音に圧倒された。背筋に戦慄がたて続けに走る。胡弓の伝統は何も知らないが、明らかに現代のジャズにも通じるフレーズや音が次々に繰り出される。もちろんこんなフレーズや音は、たとえば玉三郎にこの役を伝えた六代目歌右衛門でも絶対に演らなかったはずだ。しかし、今のあたしらにとってはこれこそが醍醐味になる。

 箏にしても、三味線にしても、ソロこそないが、演奏の際立っていることはあたしでもわかる。つまり、ジャンルや形態を超えた音楽として独り立ちしている。役者が演技としてやっているのではなく、一個の音楽家がそこで演奏しているのだ。それも超一流の、その楽器、ジャンルではトップの音楽家が、最高の演奏を繰り広げている。

 もう一つ、凄かったのは唄だ。箏と三味線は演奏しながら唄う。この声がまず凄い。ちゃんと若い遊女の声だ。70近い男性の声ではない。訓練だけで、発声法だけではあれは無理なんじゃないか。日頃からよほど精進もし、また手入れも怠らないのだろう。

 見たのが千穐楽だったのは残念で、こうと知っていたなら、一幕見で通うところだ(実際、この回の一幕見は売切れていた)。毎回、このレベルで演奏しているのか、確かめたくなる。

 たぶん、玉三郎の本当の凄さはそこなのだろう。三週間半の公演中、毎回、このレベルでの演奏を聞かせるのだろう。つまり、これは演奏であると同時に演技でもある。超一流の音楽家を演ずる、それも実際の音楽の生演奏によって演ずる。たとえば、モーツァルトを舞台で演ずるとして、そこでモーツァルトが作ったのと同じレベルの新曲を次々に作曲してみせるとすれば近いのかもしれない。

 今回は夜はABに分れ、Aは玉三郎自身が「阿古屋」を演じ、Bはこれを児太郎と梅枝が交互に演じた。玉三郎自身が実際に演じるのは、だから通常の半分の回数になる。昼は『於染久松色読取(おそめひさまつうきなのよみとり)』で壱太郎(かずたろう)が一人七役をやる。つまり、今月の歌舞伎座は玉三郎が若手の女方に自分の芸を伝えるという企画。となると、ますます、児太郎と梅枝それぞれの「阿古屋」も聞きたかったところだ。

 この玉ちゃんの演奏に、他はすべて吹っ飛んでしまった。二番目の『あんまと泥棒』、三番目のこれも児太郎と梅枝による『二人藤娘』もそれぞれに面白かったのだが、玉三郎の音楽の余韻に、今ひとつ舞台に身が入らない。正直、さっさと出て、夜の銀座をうろうろしながら余韻にひたっていたかったぐらいである。

 これはショックだ。今年はたいへん良いライヴに恵まれた嬉しい年ではあったが、最後の最後にこんなものを聴かせられてしまうとは。他が全部吹っ飛んでしまうほどのショックである。まあ、玉三郎というのがそもそも特別なので、これと比べられる「音楽家」は今のわが国ではいないのかもしれない。つまり、音楽家としての器の問題だ。ジャンルとかスタイルとか、あるいは技倆とかとは別の、存在のあり方の問題だ。先日の Bellows Lovers Night で coba と内藤さんが見せたものに通じるもの。貫禄やスケールの大きさとして顕れることもあるもの。

 玉三郎の場合、それに蓄積が加わる。超一流の芸術家が、精進と実践を営々と重ねてきて、ある閾値を超えて初めて産まれるもの。玉三郎が阿古屋を演じるのは、1997年の初演以来これが11回目。練習を始めたのは14歳の時だそうだ。

 演技と演奏の関係、パフォーマンス芸術というのものありよう、ということまで、いろいろと湧いてきてしまう。少なくとも、玉三郎の「阿古屋」を、音楽をなりわいとする人間は体験すべきだ。こういうものがありうるということ、実際にやってのけている人間がいるということを実感すべきだ。玉三郎がまだこれを演るかどうかはわからない。とりあえず、3月に京都南座で「玉三郎特別公演」として演る。

 歌舞伎恐るべし。わが国伝統芸能のなかで、民間の興行として、観客を集めることで続けているのは歌舞伎ぐらいではないか。文楽や能が国家の保護に甘えているとは言わないが、大衆芸能として生きつづけている歌舞伎は、その故にこそ芸の深化、伝統の継承に命をかけている。そのことが玉三郎という一個の存在に結晶している。伝統の継承とは古いものを古いままに繰り返すことではないのだ。その時その時に演る人間、見聞する人間が面白いと感じられる形でやりなおすことだ。歌舞伎はそれを、たぶん意識して、やっている。(ゆ)

 平成中村座は、コクーン歌舞伎同様、十八世勘三郎が始めた。江戸時代の芝居小屋を再現している。舞台の間口は今の歌舞伎座の半分くらいか。奥行も、歌舞伎座で普通使われる部分のやはり半分ぐらい。客席もこれに応じて狭く、定員は確か856。歌舞伎座なら桟敷になるような、舞台と直角に、メインの客席に向けた席が1階両脇と2階に設けられている。ここも別に桟敷ではなく、普通の席で前後二列ある。面白いのは2階席が緞帳の向こうまで伸びていることで、桜席と呼ばれるここに座れば、舞台の上で進行しているものは準備も含めて全部見える。花道の長さは歌舞伎座の3分の2くらいだろうか。

 舞台との距離が短かいから、役者の顔もよく見えるのはいいが、その両側の舞台とは直角を向いて座る席だったので、後半、腰が疲れて、座っているのが苦痛になってくる。椅子そのものも江戸規格らしく、小さくて、まるで小学校の椅子に座っている按配。しかも体を捻らねばならない。夜の三部構成のうち、最後の「忠臣蔵」が1時間半あるので、後半は時々体を動かして何とか凌ぐ。

 舞台の狭さは囃子方に皺寄せが行く。第二部の踊りでは笛、鼓、太鼓の4人が下手の緋毛氈に座り、長唄と三味線が上手にしつらえた台に座る。こちらは我々の席からは幕の陰になってほとんど見えない。

 江戸の再現として、客は靴を脱いで客席にあがる。ビニール袋が配られ、履物はそれに入れて席まで持ってゆく。本来なら下足番がいて、履物はすべて預かったはずだが、そこまでやる気は主催者の側にはどうやら無い。

 場所は浅草・浅草寺本堂の裏にテントを建てている。平成中村座はもともとここが発祥の地の由。開演に合わせて行くと、浅草は完全に観光地となり、各国からの観光客に国内の人間も入り乱れている。早く着いたので、隅田川の土手でグレイトフル・デッド・イベントの準備にリスニングをしていると、目の前を高齢者白人観光客の団体さんが通ってゆく。対岸にはスカイツリーが立っている。川面は案外船の往来がある。空には鷗。雲はあるが、空は明るく、風が無いので、寒くはない。休日とて、客席には男性の姿もかなりある。しかし、歌舞伎座には必ずいる外国人、少なくともそれと知れる外国人は皆無。確かにこれは敷居が高かろう。チケットをとるのも大変である。

 歌舞伎のチケットは相撲と同じで、贔屓筋から売ってゆく。各俳優の後援会員、次に松竹歌舞伎会、そして一般客の順。それぞれに対してチケットの発売日が設定されている。うちは2番めの松竹歌舞伎会だが、それでもとれたのは、この横向きの席の、それも後ろの方だ。まあ、休日ということもあるだろうが、中村一族の後援会員も多いだろう。先月の歌舞伎座での勘三郎七回忌追善興行では、大物が揃ったので、各々の後援会員が殺到して、多少とも良い席はまったく残っていなかった。後援会の会費は安いものだそうだが、我々は誰か特定のファンというわけでもない。優遇するのなら、通っている頻度に応じて優遇するというのも、歌舞伎全体のファン(かみさんはともかく、あたしなんぞは、まだファンになる前の段階だが)に対するものとして、意義があるんじゃないか。それとも各々の後援会に全部入れというのか。

 閑話休題。

 その平成中村座、次は平成ではなくなるから、まあいわゆる最後の平成中村座夜の部は「弥栄芝居賑」「舞鶴五條橋」「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」。

 「弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)」は、ご挨拶の一場。中村一族最長老の扇雀、芝翫から勘九郎、七之助以下、一族が勢揃いして興行の口上、御礼を宣べる。勘九郎が平成中村座の座元、七之助が座元の女房、勘九郎の二人の息子、勘太郎と長三郎がその「夫婦」の息子。芝翫は平成中村座がある「猿若町」名主、扇雀は芝居茶屋「扇屋」亭主。

 まずは扇雀と芝翫が出て、マクラを振り、そこへ勘九郎、七之助らが出てきて舞台に並んで座り、挨拶する。二人の男の子もそれぞれにやる。襲名披露の口上に似ているが、真面目一方でああいうユーモアは無い。続いて、花道の端から端まで、贔屓の親分、姉御が勢揃いして名乗りを上げる。10人以上で20人はいなかったはずと、筋書を見ると16人のようだ。これが順番に五七調に整えたいわくを述べて名乗るわけだが、後の方の人は自分の順番がくるまで、結構長い間待たされるわけで、いざ、自分の番が来たときには調子が狂うこともあるんじゃないかと思ったら、案の定、一人、科白をつっかえた。

 一方、この間、正面の舞台では、さきほど挨拶した連中が立ったまま、名乗りを聴き、相手の顔を見ている。子どものうち、年長の勘太郎はそれでもじっと立っているが、弟の方は顔は花道を見ているが、片脚をひねったりしている。

 さあ、では、芝居を見ることにしましょうと一堂が引っ込むと、舞台が綺麗になって奥の壁に勘三郎の動画が映しだされる。この時、あらかじめ知っていたか、打ち合わせがあったか、大向こうから「待ってました」と声がかかった。それにどんぴしゃのタイミングで画面の勘三郎が「待っていたとはありがてえ」と応える。こういうのはシビれるねえ。

 動画はどうやら平成中村座での勘三郎を撮ったものを短かく畳みかけてゆくもの。かなり面白い。中では『俊寛』のシーンが印象に残る。記録が残っているのなら見てみたい。

 芸の広かった勘三郎の色々な側面ごとにまとめてあるらしく、最後に喜劇になったところで画面が凍る。もとになっているコンピュータがフリーズしたらしい。やがて幕が引かれ、化粧途中の七之助が舞台袖に出てきて挨拶し、幕間となる。

 「舞鶴五條橋」は三つの場からなる舞踏。

 ここでは勘太郎が大活躍。開幕からしばらくは独りで踊るし、最後の五條橋では父親の弁慶を相手に牛若丸を舞う。これが見せるのだ。7歳の子どものやることとして立派というのではなく、一個の芸になっている。幼ない頃から舞台に立って喝采を受けることは悦びだろうが、それよりも舞うことが嬉しいのが現れている。体を見事に動かすこと、所作がぴたりと決まることが、愉しくてしかたがないのだ。そう感じさせるのも訓練、教育のうち、といえばそれまでだが、伝統の力というのはこういうところに出る。

 かみさんに言わせれば、あの子は腹が座っているのだそうで、訓練だけではない天稟もあるのだろうが、小さな体が美しく動くのを見るのは愉しい。

 ひとつにはこの中村座の空間のサイズもあるだろう。歌舞伎座の舞台ではおそらく広すぎる。この小さな空間だから、あの体でも映える。

 二つ目の場は、福之助と虎之助の若者二人の溌剌とした舞が気持ちよい。基本的に滑稽な踊りだが、ユーモラスな仕種を重ねながら、気品も失わない。二人はいわばハーモニーをとったり、ユニゾンになったり、カウンターメロディをつけたり、あるいはソロにもなったりする。ここでの音楽はやはりダンス・チューンで、そりゃアイリッシュのようなスピードはないが、しっかりとビートはあり、体が動く。やっぱり舞踏はあたしにとっては歌舞伎の愉しみのひとつだ。

 『忠臣蔵』は大星由良之助すなわち大石内蔵助が芝翫、遊女おかるが七之助、平右衛門が勘九郎、斧九太夫が亀蔵。ここは何と言ってもおかるが芝居の要だが、七之助はどうだろう。うーん、どこがどうというのではないが、物足らないのだ。先月の揚巻が良かったので期待が高すぎたか。

 悪いわけじゃあない。演技としては文句ない。んが、揚巻にはあった、一種突き抜けたところ、その場をぎゅうっと摑んで一気に異次元へ持ってゆくところが感じられない。七之助ならこれくらいはやるだろう、というところで留まっている。巧い役者が巧くやっていると見える。しかし、それでは七之助の場合、平板に見えてしまう。

 そりゃまあ、調子の波もあるだろう。まだ開幕3日めということもあるかもしれない。先月は大物揃いで、緊張していたのが、今月はいわば仲間うちでほっとしたこともありえる。またまたかみさんの言葉を借りれば、揚巻は同じ舞台の玉三郎にかなりシゴかれたはずで、それと比べるのはあるいは酷とも言える。七之助が大成してゆくところを見たいというこちらの期待もある。

 同様なことは勘九郎にも言えて、こちらは役柄で得していて目立たないが、あんた、それで本当に親父が喜ぶと思うのか、と言いたくなる。これまた悪いわけじゃない。水準は軽く超えていよう。しかし、平成中村座を特別の空間にするものには届いていない。わざわざこうした場をつくる以上、歌舞伎座には無いものを出すことは基本だろう。それが勘太郎の舞だけというのでは、やはり物足らないと言わざるをえない。こちらとしては、舞台に夢中になって、椅子の座りごこちの悪さなど忘れされてもらいたいのだ。無理な姿勢で見ていて、終ってから体が痛くなったとしても、我を忘れて吸いこまれた舞台の後なら、それすらが気持ちよいものになる。

 あるいは勘九郎、七之助の中では、父親が始めたものを続けようという意識なのかもしれない。だとすれば、それでは続けられないはずだ。伝統というのは、それを守ろうとすると守れないものなのだ。常に新たなことをやる。つまり、先代が面白いと思ってやったことを繰り返すのでなく、自分たちが心底面白いと思えることをやってゆくと、それが結果として伝統を継ぐことになってゆくのだ。

 コクーン歌舞伎や平成中村座という器を受け継ぐことも含んで、新たな場、空間、あるいは手法を編み出し、試みてゆくことが、勘三郎のやり残したことを継ぐことになる。海老蔵が歌舞伎座にプロジェクション・マッピングを持ち込んだのは、そうした試みの一つだ。むろんまだごく表面的な使い方だが、劇場空間の構築に新たな可能性を開いたことは確かだ。

 してみれば、平成中村座が今回で終るのはかえって絶好のチャンスかもしれない。新たな年号を冠した中村座は、平成中村座とは異なるものに自然になれる。あるいは江戸の再現をもっと徹底する。下足番などは枝葉末節だが、芝居の質として、または演目や興行の形として、原点を確認するのはアリだろう。アイリッシュ・ミュージックもそうだが、伝統芸能にあっては古いものは新しいものになりうる。それは古いものの単なるリピートにはなりえない。古いものが今を生きる我々にとって意味のある、新たな姿を現わす。それはスリリングなのだ。

 それにしても、筋書に出ているアラーキーが撮った法界坊の写真を見ても、勘三郎の平成中村座を一度は見てみたかったものよのう。(ゆ)

 演し物は「宮島のだんまり」「義経千本桜 吉野山」「助六曲輪初花桜 三浦屋格子先の場」の三本建。

 「宮島のだんまり」は緞帳が引かれてもまだ内側の幕が降りていて、その前で平家の赤旗を二人の役者が滑稽な仕種で奪いあう。二人が引っこむと、着流し姿のお兄さんが内側の幕の裏から上手に出てきて、何やら台のようなものを置いて引っこむ。入れ替わりに三味線と唄の二人が出てくる。台に右脚を置いて立ったまま三味線を弾く。三味線を立って弾くのは初めて見る。唄の人は三味線の陰に下手を向いて立っていて、唄うときだけ三味線の脇に出る。三味線は途中なかなか派手な速弾きを披露し、拍手がわく。「だんまり」の前に演るこれを「大薩摩」と呼ぶのだそうだ。

 「だんまり」は一応の設定とストーリーはあるらしいが、主な目的は歌舞伎に登場する様々なキャラクターの紹介だろう。いわば、サンプラー、トレイラーのようなものだ。だから、舞台には多彩多様な衣裳をつけた人物が最大で12人入り乱れ、スローモーションで動きまわる。このスローモーションで舞台を動きまわるのは、かなり面白い。もっとも、見るのはなかなか大変。どこか一点に焦点を合わせると、他の人物の動きが見えなくなるし、全体を見ようとするとディテールがおろそかになる。これも見るのに訓練が要る。

 次の「吉野山」は静御前と狐忠信の舞がメインで、5月に文楽で見た「道行初音旅」の歌舞伎版。静御前は玉三郎、忠信が勘九郎。舞台下手奥に台がしつらえられて、ここに清元連中が右に三味線3人、左に謡が4人座る。さらに、途中から上手の袖の囃子を入れる造りの2階部分に竹本連中が三味線、謡二人ずつ入って、掛合をやる。別々に見ると同じようなものだが、こうして掛合で並んで聴くと、なるほど、結構違うものだ。まず姿勢が異なる。清元は身体を動かさないが、竹本は文楽の時同様、上体をかなり動かす。

 玉三郎は全盛期を知らないから、今どうなのかわからないが、まあ、悪いわけはなかろう。踊りそのものも、これは主に男性の踊りで、勘九郎の踊りは素人眼にも見事に見える。この十月の公演は十八世勘三郎の七回忌追善興行で、そのため玉三郎、仁左衛門、白鴎以下、ほとんど歌舞伎座総出演という配役で、息子たちも張り切らざるをえないところだが、ここの踊りと、次の「助六」の白酒売新兵衛の勘九郎は、夭死した親父の穴を埋めてゆくだけの器を示していたと思う。とりわけ、この踊りは6月の菊之助の踊りに優るとも劣らず。やはり踊りはいいなあ。

 ここで30分の幕間で、夕飯を食べる。いつものように食べてから買おうとしたら、鯛焼が売り切れ。最初の幕間で買うべきだったか。

 3本めの「助六」は助六が仁左衛門、傾城揚巻が七之助、助六の兄新兵衛に勘九郎。七之助の張り切り方が尋常でない。花道から出てきて、スッポンのあたりで初めてあげる声からして、力の入り方が違う。それはもう他の出演者を圧倒する声で、その後も終始テンションが変わらない。大きく笑うところで、ほとんど狂気すれすれと感じさせるのは凄い。これもまあストーリーよりも、揚巻の存在感、助六と新兵衛が股くぐりをさせるところのコメディが楽しい。二人目に股をくぐる通人を演じる彌十郎が、いわゆる内輪ネタ、勘九郎が来年のNHK大河ドラマに出ることなどをセリフにして笑わせる。こういう役をやるときの役者は活き活きしている。その彌十郎の言うとおり、勘九郎、七之助の兄弟は親父の追善をしっかり果している。

 この助六の終り近く、揚巻の母親役で出てきたのが、やけに存在感があるなと思ったら玉三郎だった。かみさんに言わせると、これから自分がやるべき役を試した、というところだが、「吉野山」の踊りよりも、さすがという感じは強い。

 大物総出ということもあるし、連休最終日もあるだろう、満席で、席は2階4列めの右端。ここは舞台は一応全部見えるが、花道がスッポンあたりからしか見えない。もっとも右端の席は前に椅子が無いので、姿勢が自由という点では一番だ。休日のせいか、若手の男性客もちらほら見えた。

 しかし、まあ歌舞伎というのは何でもありというのが、ようやく少しわかってきた。こういう奥の深さはいいもんだ。(ゆ)

 夜の部。演し物は『夏祭浪花鑑』「住吉鳥居前の段」から「田島町団七内の段」。途中休憩3回計50分を含め、4時間半。

 例によってストーリーはあたしの眼からは筋が通らないが、そういうところは無視するのもだんだん慣れてきた。ポイントはまず「長町裏の段」での、主人公・団七による義平次殺しのシーン。ここは大夫と三味線は沈黙し、隠れた囃子と歌舞伎のつけ打ちだけを背景に演じられる。凄惨、壮絶、血みどろ、そして神秘的でもあり、美しい。井戸の周囲を逃げまわる義平次と大刀を握ってこれを追う団七。団七は別に剣法の心得があるわけでもなく、刀をただ振り回し、突くばかりで、死に物狂いで逃げる義平次をなかなか捉えられない。団七はいつか着物も脱ぎ、褌一丁になって、髪をふり乱して追いかける。二人ともただ獣となって、動きまわる様は、舞踏でもある。これぞ死の舞踏。義平次は丸腰だから、いずれ殺られることは明白だが、しかししぶとく、すばしこく、かえって団七を翻弄する。演劇の肉体性が剥き出しになって迫ってくる。団七は両の上腕、両太股に刺青をしている。不動明王だそうだが、そんなことは見ているときはわからない。むしろ刺青が団七をして義平次を殺させているようだ。倒れた義平次の上に仁王立ちに、大の字に突っ立ち、やおら刃を真下に向けて留めを刺す。何度も刺す。くるりと後ろ向きになり、背中で押す。人形ならではだ。

 文楽は人形の遣い手が顔をさらす。おそらく世界でも唯一の人形劇だろうが、佳境に入ると、やはり遣い手の姿は消えて、人形だけが見える。面白いのは、人形が舞台の奥を向く時、人形遣いたちの姿で人形が隠れる時は遣い手の姿が見える。

 「長町裏の段」では、殺しに入る前に団七と義平次のやりとりがある。というよりも、義平次が団七をさんざんに嬲る。これを二人の大夫で演じる。片方の科白が終らぬうちにもう片方が言いはじめるところがあるためだろうが、緊迫感がぐんと増す。ここで舅の執拗な嬲りに耐えに耐える団七を演じる大夫が凄い。大夫自身も身ぶり手振り入りで演じている。人間、おそらくそうなのだ。声だけ演技する、というのはおそらく無理がある。この面白さ、人形の演技と科白を言う人間の演技が重なり、増幅しあう。そう、文楽では人形遣いだけでなく、大夫つまり声優も姿を現わしている。おまけに今演じている大夫の名前も各段の初めに宣言される。

 二人の格闘が続いているときに、背景を祭の鉾が動いてゆく。山形の竿頭のような、提灯のたくさんついた帆船の檣に似たものが二つ、上手から入ってきてゆっくりと動いてゆくのが、ひどく幻想的だ。場全体が異次元の色彩を帯びる。

 もう夢中になった。あんまり夢中になって見つめていたので、休憩になったら首が痛い。初めて文楽を見た『女殺油地獄』のあの、つるーーーーとすべるシーンと並ぶ面白さだ。

 基本はシリアスな話のはずだが、随所にユーモアも配されていて、客席がどっと湧くところもいくつもある。脚本がよくできているのだろう。この話はもちろん歌舞伎でも演じられている。ちょうど先月歌舞伎座にかけられて、かなり良い舞台だったらしい。いずれそちらも見てみたい。

 もう一つ、今回気づいたのは、人形の胴体の細かい動きの面白さである。胴体は三つか四つに分かれているらしく、これを組み合わせて、ごく細かい動きや姿勢を見せる。特徴的なのは女性の人形で、鳩尾のあたりを出したり引っこめたりするのが、ある感情を表現する。手や顔ではなく、胴体の動きで感情がわかるのが面白い。それも左右ではなく、前後の出し入れ、さらに一部だけだ。この方法を誰がどうやって見つけたのだろうというのにも興味が湧く。席は右手一番奥で、眉毛の上下などは見えないかわりに、これに気がついたのかもしれない。

 それにしても、もう少し交通の便がいいところでやってくれないかと思う。舞台がハネると劇場前に都バスが待っていて、新宿駅まで行けるのだが、やっぱりねえ、時間がかかる。(ゆ)

 昼とはがらりと変わって、こちらは音楽と舞踏の劇。それも能とオペラも取り入れて、素人にもまことにわかりやすい、サーヴィス満点の組立て。正直、これまで歌舞伎座で見た中では最初から最後まで楽しめて、抜群に面白かった。

 開幕、紫式部と翁による序があって、いきなりカウンターテナーの独唱。伴奏は古楽器のアンサンブルで、チェンバロ、バロック・ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・チェロ、リコーダーという編成だが、チェンバロだけのときもあり、1曲、鼓も加わって、これは良かった。

 カウンターテナーは黒一色の装束、対してもう一人のテノールは白の装束。それぞれ闇と光の象徴だそうな。この二人が折りに触れて出てきて、独唱し、また重唱する。歌詞は英語、ラテン語、その他の言語もあるらしい。ステージだけでなく、花道や客席の通路でも唄う。いずれも一級のシンガーで、わが国伝統文化にも多少は通じているようで、演出もあるのだろうが、全体に違和感なく溶け込んでいる。歌詞の意味はとれないが、感情はよくわかる。ハイライトは、源氏の須磨落ちの場面にカウンターテナーが唄うところ。馬に騎った海老蔵の光源氏の孤独が際立つ場面。

 能の方は主に怨霊などの裏の現実を担当していて、時に囃子方もステージに席を設けて出る。能はまったくの無知なのだが、どちらかというと急調子で切迫感、緊張感に満ちた舞台を造るのは、おそらく普段とはだいぶ違うのだろう。しかし、その切迫感、緊張感は歌舞伎でも現代劇でもあたしなどは見たことも無いほど、すばらしくシャープかつ重厚で、場内の空間全体が巻きこまれる。

 一方で能の舞いはやはり静が主な要素で、どんな動きをし、音楽が鳴っても、静謐そのものだ。動そのものの歌舞伎の舞いとの対照が鮮やかで、どちらも映える。

 話は源氏物語の開巻から源氏が須磨から呼び戻され、太政大臣に任ぜられてこれからわが世の春を謳歌しようというところまでで、ラストはその源氏を祝う祝祭で、世をあげて踊る。このクライマックスに典型だが、普段は前半分だけで、回転舞台は場面転換に使われるのを、後ろ半分まで広く開け、舞い踊る群衆を載せたまま舞台が回る。ここだけでなく、前述の須磨落ちの場面など、奥まで舞台を一杯に使うところが多い。これも新機軸なのだろう。これに加えて、プロジェクション・マッピングも使って、舞台がいつもよりさらに大きく広く見える。

 演出もコクーン歌舞伎の手法をとりいれて、誇張した仕種や科白の現代的表現など、新しい試みをしている。これに一番応えて、とあたしには見えたが、伸び伸びと楽しんで演技していたのが源内侍の右若で、役柄も面白い。まあ、歌舞伎というのは何でもありで、また何でもできるのだ。

 舞いでは六条の御息所の生霊に殺される葵の上の児太郎が印象に残る。源氏は気づかず、独りで苦しみ、死んでゆく様を舞いの形で演じる。ラストの群舞で、前面左に若い、小学生か中学生ぐらいの子が二人いて、小学生に見える方が装束だけでなく、動作もどう見ても女の子だったが、後で確認すると市川福之助だった。女形への準備としてこういうところからやるのかもしれないが、感心してしまう。

 今回は花道の左側、真ん中から少し後ろの左端という席で、かなり面白い。花道は舞台よりもずっと役者の肉体に近いし、そこからまた少し離れるので、見やすい。主役級が花道から出る時には、至近距離で見られる。ラストに近く、帝に召された源氏が出てくるときの海老蔵は威風辺りを払って、さすがの存在感。千両役者とまではまだだろうが、三百両くらいはあるんじゃないか。この演目は花道での演技や踊りも多く、いろいろ楽しめた。海老蔵の宙乗りも花道の上でやるから、これまたよく見える。

 昼夜出ずっぱりの海老蔵親子のおかげか、客席は文字通り満席。しかし、歌舞伎座は意外に小さく、満席でも2,000弱。このサイズが舞台を最も楽しめるという経験値なのだろう。

 今回は歌舞伎以外の共演者も多いからか、珍しくカーテンコールをやる。やっぱりこれはいいものだ。(ゆ)

 『三國無雙瓢箪久(さんごくむそうひさごのめでたや)』は古典を補綴復活した通し狂言。太閤記のうち、本能寺から大徳寺法要までの秀吉の三段跳びを描くが、合戦とか交渉とかなどは一切出てこない、のが歌舞伎なのだろう。つまり、集団劇ではなく、あくまでも個人と個人のからみあいで描く。歌舞伎だけでなく、舞台というのはそういうものか。ステージの上で大規模戦闘シーンなど、できようはずもないわいなあ。一方、歌舞伎は役者の肉体のもつ表現力を徹底的に引き出し、利用して、そこに特別の空間を作り、カタルシスを産む。見栄はそのための最も効果的かつ特徴的な手法ではある。こちらはこちらで、テレビや映画では不可能だ。どんな映像でも、生身の存在から発するカリスマにはかなわない。

 さてもさても、だ。歌舞伎の筋や設定に論理とかリアリティを求めてはいけない、と歌舞伎指南書にはあるが、あたしなどはどうしてもそういうものを引きずってしまう。あんまりだー、と心中叫んでしまうのだ。だってさあ、藤吉郎が奴つまり奴隷となっていた松下嘉兵衛の娘とできて、子どもまで孕ませておいて出奔、娘も後を追って出奔、しかしめぐりあえず放浪の途中で生みおとしたその息子が行方不知となる。娘は備中高松の陣中で秀吉となった藤吉郎と再会、一方、赤子の方は明智光秀の妻に拾われて、嗣子として育てられる。山崎の合戦の後、隠棲していた嘉兵衛の家にいろいろ偶然が重なって全員が集まって、実の親子の再会も束の間、重次郎と呼ばれていたその息子は養父の後を追って自刃。これってあんまりでないかい。しかも、そのドラマが第二幕で延々と繰り広げられる。

 歌舞伎は筋ではない、むしろ絵、一つひとつの場面において存在感あふれる人間が作り出すイマージュなのだ。それも、声と動きも伴う動と、見栄に代表される静との組合せから生まれる、ある感情を運ぶイマージュだ。筋はその組合せにひとつの流れを作り、スムーズに転換してゆくためにあるので、それ自体の合理性はむしろ邪魔なのだ。と頭では一応理解している。つもりではあるものの、なのだ。

 展開されるストーリーに、一定の合理性、ストーリーそのものの中だけでもいい、最低限の合理性が無いと、どうしてもシラけてしまう。おまけに子役のスタイル。大人同様、子役にもいくつか演技のパターンがあるらしく、今回は型にはまった、甲高い声で、音を延ばし、あえて不自然に単調に科白を発声するスタイルで、伝統のものではあるのだろうし、これをこういうところで使うにはそれなりの理由もあるかもしれないが、やはりどうにもシラけてしまう。

 まあ、歌舞伎を見る功徳の一つは、そうした、近代以降の、合理性を全ての土台に置こうとする姿勢へのいわばアンチテーゼ、と言ってはまた近代にひきずられるが、あるいは合理性とは対極にあって、やはり人間をつくっている土台を、1個のイマージュとして与えられることにあるのだろう。そもそも土台は他にもある、合理性だけではないことは、サイエンス・フィクションやファンタジィによって教えられたことでははなかったか。しかし、歌舞伎の非合理性は、「合理に非ず」とも言えない、もっとまったく別の、合理、不合理、非合理とは異なる性質のものにおもえる。しかもそれは、西欧近代のような舶来ものではなく、我が身の内に感得されるものでもある。自分がその中で生まれ育った文化から出てきている。つまりはシラけると言いながら、その実、結構楽しんで、面白く見ているからだ。ただ、その面白さ、楽しさが、たとえばいい映画を見るとか、傑作小説を読むとかで味わう面白さ、楽しさとは、相当に異なる。

 これがどういう面白さ、楽しさなのかは、まだよくわからない。しかし、退屈でどうしようもない、とか、二度と見ようとは思わない、とかいう反応が、自分の中で皆無であることだけは確かだ。誘われれば、いそいそと同行する。歌舞伎ではすべてが型にはまっていて、各々の型が一定の意味ないし役割を持つ。そういう意味や役割や含蓄がまだわからないのだろう。たとえば、どういうところで見栄を決めるか、なぜ、ここで見栄が入るのか、よくわからない。だから、時に不意をつかれてつんのめる。そうしたものは、本で読んだりして知ることができる部分もあるが、核心のところは実際の舞台を見てゆくうちに沁みこんでくるはずだ。これはライヴやコンサートなどでも同じだ。どんなものであれ、表現はすべからく、受けとる側にもそれなりの訓練を必要とする。生のパフォーマンスだけでなく、録音を聴いたり、本を読んだりすることにも訓練は必要だ。

 だから、あたしなどはまだまだ表面的なパフォーマンスを見ているだけだろうが、印象に残ったのは光秀と左馬助の一人二役の獅童と、第二幕で松下嘉兵衛の老妻を演じた東蔵のふたり。老女の役は難しかろうと素人眼にも思えるが、東蔵はみごとに老女に化けてみせた。ことに二幕三場の「松下嘉兵衛住家の場」。いい演技だと感心するのをすっかり忘れるほどだ。獅童は、動きのキレ、よく通る声と明晰な発音、見栄を切るときの存在感、どれも良く、調子が今一つな主役の海老蔵を完全に喰っていた。パンクの入った、まだまだ無尽蔵のエネルギーを秘めているような、しかし危うい、ひとつ間違えば、歌舞伎なんぞにぷいと背を向けてしまいそうな、ああいう存在はあたしの好みではある。

 もう一つ、面白かったのは二幕一場の最後で秀吉が重次郎のお守り袋を拾う場面。ここは科白が一切無く、ただ7、8人の人物が全員スローモーションで動き回り、絡み合う。一種の舞いと呼ぶべきだろうが、すばらしく幻想的で、異界の場に引き込まれる。

 今回は2階東の桟敷。前回の直下になり、花道は出るところから全て見えるし、舞台も上から見下ろす形で、舞台床に照明で描かれる模様もよく見える。前回のように、舞台の上手3分の1が見えないなんてこともない。舞台裏、大道具の裏の仕掛けも見えてしまうが、それはもちろんご愛嬌。ここはなかなかいい。テーブルがあるので、弁当を買って持ち込む。足回りも余裕がある。

 海老蔵の親子出演で、客席はほぼ満席。それにしても、わが国の文化は女性が支えている、と客席を見渡すと思えてくる。学生風から、手を引かれてかろうじて歩いている人まで、彼女たちが切符を買い、毎月通ってくれるおかげで歌舞伎も続けられるのだ。

 今回は昼が15時終演、夜は16時半開演なので、余裕がある。が、それにしても、出入口と地下鉄につながる昇降口は設計ミスだ。(ゆ)

 無知で妹背山婦女庭訓三笠山御殿の段はほとんどわからず。とりわけ、蘇我入鹿役の楽善のセリフがまったくわからない。他の役者のは七、八割方はわかるから、必ずしもこちらだけの問題ではないだろう。と思ったら渡辺保は「口跡は明晰」と言うから、やはりあたしにはまだ「歌舞伎耳」ができていないのだろう。

 いかにも歌舞伎の古典もの。長い話の一部だけを抜き出して語るのは、世界のどこでも伝統芸能では普通に見られる。ただし、その場合、聴き手ないし観客がその語りを楽しむには話の全体像を知っている必要がある。そこが無知なので、充分楽しめない。

 いいなと思ったのは松緑の鱶七。きびきびして、かつゆったりと大きな動き。何だかなあと感じたのは官女たち。いじめているのはわかるのだが、完全に型にはまっているように見えて、憎らしさが出てこない。渡辺の言うとおり男の地声を出すのは興醒めする。

 文屋は菊之助の舞い。先月の喜撰よりもずっと面白い。ひょっとすると3階の上から見たからかもしれない。この角度の方が動きがずっとよく見える。踊りは上から見るべきか。

 六人の腰元が群舞につくが、菊之助を先頭に後ろに六人直線に並んで踊るあたり、『リバーダンス』冒頭のシーンを連想する。どちらが先、というよりはおそらくは各々独立に思いついたのではないか。菊之助の舞は見ているだけで相当にハードなもので、動きがゆっくりなだけに、難しい姿勢、動きを美しく見せるのは並大抵の精進ではなかろう。相当に基礎訓練を積んでいるはずだ。美しいだけでなく、コミカルでもある。先の菊之助を先頭にした群舞でも、後ろに並んだ腰元たちが、菊之助から将棋倒しになる。

 ユーモラスというのとはまた少し違うようにも感じる。自他の区別をつけない日本文化の性格が現れているようでもある。笑いは文化のコアに直結していて、日本語の笑いは英語のユーモアとはおそらく別なのだ。日本の舞ではダイナミズムやスピード感がごく小さいが、こういうコミカルかつ優雅な舞はヨーロッパには見当らない。

 野晒悟助は独立した話でもあり、婦女庭訓よりもわかりやすい話で、なかなか面白い。ただ悟助役の菊五郎が高齢で、動きにキレがまったく無いので、乱闘シーンがアクロバットだけになる。見得はあるけれど、その前後とつながらず、苦しいように見えた。もっとも立ち回りの四天が音羽屋と大きく書いた傘を駆使して、アクロバットや絵を作っていたのは、うまい開き直りではある。それを言えば、引っくり返って、赤褌を剥き出しにするのも、緊迫感が漲るはずの乱闘シーンをうまくひっぱずす。二幕の冒頭で悟助の若党が浄瑠璃を唸る代わりに「長崎は今日も雨だあった〜」とうたいだすのも、その後で悟助が「今、ヘンなうたが聞えなかったか」と当てるのも、効いている。

 婦女庭訓でも感じたが、シリアスな話と思っているといきなりはずすセリフや動きをはさむのは面白い。ヨーロッパ流の喜劇、悲劇の別とは異なる。女殺油地獄の立ち回りもそうだが、シリアスとユーモアが一つのシーンに同居することが可能だし、それをともにうまく出すのが歌舞伎や浄瑠璃の醍醐味でもあるだろう。とはいえ、これは基調はコメディなのだろう。ここでも堤婆の仁三郎役の左團次のセリフがほとんどわからない。となると、あるパターンのセリフが聞き取れないのだろうか。どちらも悪役だ。

 ラスト、返しの乱闘シーンのバックの音楽が面白い。ほとんどダンス・チューンだ。ここはセリフがなく、掛け声とこの音楽、それに床を棒で叩くツケだけで進行する。ツケはここぞという動きを強調するアクセント。演じられているドラマの緊迫感を出すのは音楽だ。3階だとこのツケ打ちの音の反響が聞えるのが楽しい。

 今回は3階東の袖、桟敷上の席で、ここからは舞台の上手ほとんど3分の1は見えない。その代わり、黒衣の動きがよく見えるのが楽しい。舞踏の時の後見が舞台の奥を中央へ移動する際の足の運び。蹲踞のまま歩くのは、相当に筋力が要るはずだが、それをいとも簡単にさっさと進む。

 踊りの動きがよく見えるとともに、役者の足さばきもよく見える。女形の歩き方の美しさは初めて腑に落ちた。細かく小さく足を出して、するするすると進む。和服の女性の歩きかたはあれが基本になる。そうしてみると役のキャラによって歩き方が異なる。というよりも、歩き方によって役のキャラを表しているのだ。とりわけ花道に出てくる時の歩き方だ。舞台に出る最初だから、そこでまずキャラクターを観客に印象づける。花道に出てくる時は舞台に向かって歩くしかない。こういう手法は、自然な演技を旨とする舞台では難しいだろう。

 歌舞伎は仕種の一つひとつがある意味を備えている。具体的な意味のときも抽象的なもののときもある。しかし、まったく無意味、あるいは単に日常世界での体の動きそのままということは、おそらく皆無なのだ。そういう意味を的確に読みとれるようになると、本当に面白くなってくるのだろう。

 席は脚の前に空間がなく、脚を組むこともままならないし、幅が狭く、胡座もかけないので、窮屈。これまでの席は、1階右後方、1階東桟敷、2階花道真上最前列。2階花道の真上が一番面白く見られた。ただし、ここも最前列は前が窮屈。

 歌舞伎座の昼が16時10分前終演で、16時には夜の部開場、16時30分開演というのはなかなか凄い。まだ昼の部の客が客席から出終らないうちに、マキタを持った作業員がどんどん入ってくる。(ゆ)

 文楽を見るのは確か3回目。初めて見たのはもう30年ほど前になる。『女殺し油地獄』だった。クライマックスは油屋の店先で、売物の油の樽が倒されて一面油が流れ、つるっつるに滑るところで、殺そうとする男とヒロインが大立ち回りを演ずる。人形が舞台の端から端まで、ついーーーーと滑るのは衝撃でもあった。生身の人間には絶対にできないことが、人形故可能になる。それを最大限に活かした演目の一つではあろう。

 今回は人形を操る方の名跡、五代目吉田玉助襲名披露公演の昼の部。演し物は『本朝二十四孝』と『義経千本桜』から「道行初音旅」。こちらを選んだのは間に襲名の「口上」が入るから。かつて初めて歌舞伎座に行ったのも片岡仁左衛門襲名披露公演で、この時の「口上」がたいへんに面白かったからだ。歌舞伎に比べると、文楽の口上はあっさりしていて、玉助本人の挨拶も無いのはちょっとあてが外れたが、こういうのはやはり良いものである。

 歌舞伎では襲名といえば役者の名跡だが、文楽では人形遣い、義太夫、三味線に各々名跡があるので、いちいちそう大袈裟にやっていられないのかもしれない。

 昼間を見た理由のもう一つは「道行初音旅」が音楽と謡をメインとしているからでもある。歌舞伎にも音楽と舞をメインとした「娘道成寺」のような演目があるのに相当するのだろう(仁左衛門襲名披露の時の「娘道成寺」は忘れられない)。正面に二段に席が作られ、前の下段に三味線、後ろの上段に義太夫が並び、人形は二体、男女が出て舞うようにからみあう。面白いのは白狐が一匹ちょっと出てくる。これも裃姿で顔を見せる人形師が一人で操る。話の全体像を知らないので、意味がよくわからないが、その仕種はユーモアに満ち、これで舞台がぐっと明るくなり、世界に幅が出るのは確かだ。

 謡も三味線もユニゾンで、みごとに音の合ったユニゾンは声もインストも快感だ。時おり、中心の二人がソロで唄う。静御前と狐忠信各々のセリフらしい。

 歌舞伎でも義太夫と三味線が舞台の袖に出て演ることがあるが、やはり役者があくまでも中心になる。文楽では人形は声を出さないから、義太夫と三味線が人形と同じくらい、場合によってはより重要になる。人形と人形師は顔の表情は変えないが、義太夫は語り手となり、登場人物たちのセリフを声色を変えて演じ分け、泣き笑いわめく。むろん演者にもよるけれど、たいていは正座しながら上半身を大きく動かし、顔の表情もめいっぱい変えて、大熱演する。うっかりすると、そちらを見ている方が面白いし、話もよくわかる。

 三味線がまた耳を惹く。こういうのはいったいどこまでが決まっていて、どこからが即興か、まったくわからないが、大まかには決まっているが、細かいところは任されているんじゃないか。増幅しているようにも見えないし、見ていても、音は絲が弾かれるところから聞えていたが、それにしてはよく響く。小劇場は定数590だけど、謡も三味線もむしろ大きく聞える。

 義太夫と三味線は時々座っているところがくるりと回って、交替する。今回はなぜか義太夫は比較的若い人が多く、三味線は枯れきった感じの老人が多かった。かみさんにも指摘されたが、確かに謡はより体力が要るだろうし、三味線は年をとってもずっと続けられるだろう。

 最初に見たときには、席がこの義太夫と三味線に近く、三味線の細かい音の動きが耳に入ってきて、否応なく目が舞台から三味線に惹きつけられることが多かった。ほとんどブルーズ・ギターのようなフレーズが出たりするのだ。今回は席が遠かったし、話がどんでん返しに継ぐどんでん返しなのと、人形の動きのキレが良くて、楽師の方には目が行かなかった。

 それにしても人形劇は面白い。舞台に登場してくるときは、ほとんどが人形は人形で、それを操る人の顔が目に映る(今回は襲名披露ということもあるのか、黒衣ではなく、顔を出した、つまり名のある人形師が初っ端から出ていた)。それが佳境になると、人形を操る人びとが見えなくなる。人形だけが見えている。眉の上下ぐらいしか動きのない顔が表情を変える、ように見える。そして、生身には不可能なダイナミックな動きや姿勢を見せる。二体、三体の人形がからみあうときには、六人から九人の人間が狭い空間に犇きあうわけだが、そんなことも目に入らない。見えるのは、人形同士のからみあいだけだ。

 今回の発見は脚の面白さだ。脚の形、見せ方によって、ずいぶんいろいろな内容を盛れるらしい。また、それは表象としても作用するようだ。つまり、ある形をとることには固有の意味がある。脚役は人形師にとって最初にやらされて覚えることだそうだ。今回の主役、五代目吉田玉助も、若い頃、脚の動きの見事さでレジェンドだったと口上で述べられていた。

 思わず笑ってしまうユーモアも随所に鏤められ、一瞬で衣裳が変わる早業や仕掛けもあり、そして歌舞伎にも通じるキメのポーズがやはり見せ場の一つだ。これは本来、エンタテインメントなのだ。その点では歌舞伎と同じで、見て楽しい。カタルシスがある。日常世界から断絶してくれる。「道行初音旅」で楽師の裃は全員がピンク色だったのには噴き出した。

 歌舞伎座よりも男性の割合が高い、とかみさんが言う。それも独りで来ている人が多いようだ。料金がずっと安いこともあるのだろうか。生身の人間よりも親しみを感じるのか。ひょっとするとアニメに萌えるのと同じ作用だろうか。今、アニメに萌えている若い男たちは、年をとってまだ文楽が残っていれば、通うようになるのだろうか。話の内容はアニメとそう違っているとも思えない。キャラクターの名前や衣裳、時代設定が多少変わるだけだ。

 しかし、毎度のことながら、若い男がいない。一人だけ見かけたが、20代はもちろん、30代、40代もいない。いるのはおそらく大半が70代だろう。もっとも、平日の真昼間ということもあるかもしれない。夜の部も午後4時開演では、若い人たちは来たくても来れないのかもしれない。しかし、若い女性は結構いる(女は働かなくてもいいからだ、なんていうヤツは無いはずの「セクハラ罪」でタイホしちゃうぞ)。昼は開演11時で終演3時半。途中25分の休憩が入るとはいえ、昼飯をとるのもあわただしい。こういう部分も含めて伝統だといいたいのか。しかし、江戸時代や明治とは、状況は変わってしまっているのだ。「コクーン歌舞伎」のようなものも、文楽には無い。学校廻りをしているらしいが、しかし子どもや若い人たちには、ホンモノをそれにふさわしい場で見せたい。学校の体育館や公民館で見せればいいというものではないはずだ。その意味では、大阪の文楽劇場で一度見たいものではある。

 ちなみに歌舞伎座では目につく外国人も少ないようだ。一人だけ見たが、生活臭があったから観光客ではないだろう。

 帰りはバスが劇場の前に待っていて、東京駅と新宿駅まで各々行く。これはなかなか便利。新宿通りを真直ぐ行くので、三丁目や追分で降りれば何でもある。半蔵門の地下鉄の駅ができるまでは、ここは陸の孤島だったはずで、バスかタクシーか、四谷か赤坂見附から歩くしか無かっただろう。なんでこんなところに造ったのか、不思議ではある。それともそれくらい歩けというのか。(ゆ)
 

    日は暮れようとして居た。以太利人のマンドリン弾きが夫婦と娘と三人連れでわれわれの船に上つて来た頃は、もうM君は私の側に居なかつた。私は独りで悄然《しょんぼり》と港町の見える甲板に立つて居た。東洋の港を見て来た眼でその周囲を眺めると、何となく欧羅巴の方の空気がそこへは通つて来て居るやうにも思はれた。にはかに鈴のついた楽器を振鳴す音が起つた。歌も始まつた。ボツボツ港見物の連中が帰つて来る頃を見計つて、夫婦の音楽者がマンドリンを弾き始めた。その節につれて娘は私の見て居る前で歌ひながら踊つた。あの同室の歌うたひが食堂で一生懸命に歌つたのを聞いた時には面白くも可笑しくもなかつた私が、反つてこんな銭取りにする娘の声に誘はれた。
    一曲済んだ。音楽者の細君は亭主の冠つて居た麦藁帽子を裏返しにして、それを皆なの間へ持廻つた。買物をして港の方からそこへ帰つて来る客がある。娘は聞き手の揃ふのを見計つて復た歌ひ出した。旅で西洋の芸人なぞに逢ふのも始めてだ。思はず私は涙が迫つて来た。
    島崎藤村『海へ』第一章「海へ」大正6年=1917年4月
    
    大正2年1915年4月、神戸からフランス船エルネスト・シモンで旅立った藤村は31日間の船旅の後スエズに着き、運河を通過して地中海側の出口ポート・サイドに逹する。
    
    「音楽者」という語の新鮮なこと。これはやはり「おんがくもの」としか読めない。
    
    「大きな言葉」よりも「小さな言葉」を重視する藤村。市井の人びとの日常を克明に描くことで「最も弱く柔らかく、しかも最も根深く強」いものの実相を空前絶後のスケールとリアリティで読者に体験させる藤村。クラシックの声楽家の音楽は歯牙にもかけず、流浪の芸人の歌と踊りに涙する藤村。
    
    この時のイタリア娘がうたったのがどんなうただったのかも気になるが、実際にどこの出身だったのかにも興味が湧く。今はそんなことは考えられないが、この頃は地中海北岸の音楽者たちが普通に南岸各地を放浪していたのかもしれない。イタリア半島南部やサルディニア、コルシカの音楽にあれだけアラブ音楽の色が濃いのも、アラブ人ミュージシャンたちが持ち込んだというよりは、こうした地域の音楽者たちがアラブ世界を巡業してあるいた成果なのではとも思う。
    
    「鈴のついた楽器」はタンバリンだろう。

    「マンドリン」はひょっとするとウードまたはその近縁の楽器ではないか。もっともこう書いているということは、藤村はどこかでマンドリンを見ている、すなわち演奏も聞いているはず。
    
    マンドリンが日本に紹介されるのは、ウィキペディアによれば1901年比留間賢八(1867-1936)がイタリアから楽器を持ちかえった時。この頃、イタリアでは全土でマンドリン演奏が大流行していた由。とすれば、この楽器もマンドリンかもしれない。比留間の弟子には朔太郎、里美、藤田嗣治もいたというから、藤村が演奏に接していてもおかしくない。
    
    ちなみに比留間はマンドリンとともにクラシック・ギターも持ち帰り、日本における両者の祖となっている。
    
    思えば幕末以来の日本列島人が懸命に移入に努めてきたのはヨーロッパの文化の中でも「大きなことば」で書かれ、話されていた部分だった。それは「任務」ではなく、「遊山」に行った荷風も同じだ。
    
    ヨーロッパ文明の大伽藍は「大きなことば」だけでなく、「小さなことば」によって支えられていることに、我々のご先祖は気がつかなかった。「小さなことば」は聞こえず、見えず、「大きなことば」だけに夢中になった。その結果が今ここにある。
    
    もちろん同じことはおそらく列島だけでなく、半島や大陸、あるいは他のアジア各地にも言えることなのだろう。というより、近代化を余儀なくされた非ヨーロッパ地域には、多かれ少なかれあてはまるだろう。その中で相対化することにも意義はあろうが、当面問題にしたいのは列島内での過程であり、結果だ。
    
    そして「大きなことば」の方により気をとられることがその後今にいたるまでやんだわけではない。ただ、二十世紀も第四四半期になって、ぼくらは「小さなことば」にも耳を傾け、読みとる術を手探りするようになってきた。伝統音楽への関心はその一つの現れではある。
    
    ここで「小さなことば」でうたわれる歌と踊りへの反応を記録しているのは、おそらく藤村が初めてではなかったか。
    
    それで藤村がヨーロッパの「小さなことば」による文化を紹介したわけではない。ないが、あの『夜明け前』の世界を構築してゆく時に、「小さなことば」の体験が相応の役割を果たしていることは想像がつく。さらには「小さなことば」に感応する受容器を藤村が備えていたこと、それを働かせる観察力を備えていたことが、『夜明け前』創作への原動力となっただろうことも想像がつく。
    
    この後のフランス滞在、帰朝の旅、また後年の新大陸、欧洲歴訪で「小さなことば」に対してどういう反応を記録するか、は藤村の紀行を読むポイントの一つになる。
    
    それにしてもこの『海へ』はすばらしい。これが今読めるのは全集だけというのは、あまりにも不当な仕打ちだ。(ゆ)

 東京・渋谷のアップリンクで続いている能面師を描いた映画『面打』の上映とライヴ・パフォーマンスの組合せイベントに、瞽女うたをうたっている月岡祐紀子さんが出演するそうです。

 月岡さんの瞽女唄は、先日 Winds Cafe で生で聞く機会がありましたが、ソウル・フィーリングたっぷりで、瞽女唄の持つたくましい哀しみを味わわせてくれました。

 今回はまた能楽とのコラボだそうで、芸能の原点に触れられるのではと期待できます。

 映画の出演者が上映後に生身で演ずる、というのもなかなかできない体験ですね。

   *   *   *   *   *

映画『面打』×能舞シリーズ Vol.6

 弱冠22歳の能面打ち・新井達矢を描いたドキュメンタリー映画『面打』。上映後の能舞では能楽師・中所宜夫と、瞽女三味線奏者・月岡祐紀子による異色のコラボレーションを行う

 毎回大好評の映画『面打』×能舞シリーズ第6弾!
 言葉の一切を排し、木を刻む音だけが響きわたる映画『面打/men-uchi』。その沈黙の余韻の後、能舞による瞽女唄と能の身体が空間を切り裂く!

○ 上映
『面打/men-uchi』(2006年/DV/60分)
監督 三宅流
出演 新井達矢(面打)、中所宜夫(観世流能楽師)、津村禮次郎(観世流能楽師)

○能舞
中所宜夫(観世流能楽師)
月岡祐紀子(瞽女三味線)

日時:12/11(月)(開場19:00/ 開演19:30)
料金:予約2,50円/ 当日2,800円
会場;UPLINK FACTORY
チケット取扱  UPLINK FACTORY
TEL 03-6825-5502/ E-mail: factory@uplink.co.jp
能舞後、『面打』2回目上映あり。(21:30〜 料金1,500円)

三宅流(みやけ ながる)
 映画監督。身体表現をモチーフにした『蝕旋律』がイメージフォーラムフェスティバル、キリンアートアワードにて受賞。イモラ国際短編映画祭(イタリア)、 Mediawave 2002(ハンガリー)等で上映される。フランスの思想家モーリス・ブランショの『白日の狂気』をモチーフにした『白日』はモントリオール国際映画祭ほか、フランスや韓国の映画祭で上映される。過去の作品は海外十数か国で上映され、いずれも高い評価を得る。

中所宜夫(なかしょ のぶお)
 観世流能楽師。観世九皐会、名古屋九皐会、緑泉会において活動。「中所宜夫能の会」を主催。バハレーン、香港、イギリス等の海外公演にも参加。また、実験的能公演「能楽らいぶ」を継続的に行い、宮沢賢治原作に基づく新作能「光の素足」を創作するなど、古典、実験双方において意欲的な活動を続けている。

月岡祐紀子(つきおか ゆきこ)
 武蔵野女子大学卒。第44期NHK邦楽技能者育成会修了。盲目の女旅芸人、瞽女の芸能と出会い感銘を受け、本場新潟に最後の瞽女といわれる故・小林ハル氏らのもとに通い交流を重ねる。瞽女の旅を追体験しようと、四国八十八ヶ所霊場を歩き遍路し「遍路組曲」を作曲。その様子がドキュメンタリーとなり、放送文化基金賞出演者賞を受ける。

新井達矢(あらい たつや)
 面打。7歳より面を彫り始める。東京造形大学造形学部美術学科彫刻専攻に在籍故・長沢氏春氏に師事。国民文化祭ふくい2005「新作能面公募展」において最高賞「文部科学大臣奨励賞」を受賞。仏像製作にも取り組む。

このページのトップヘ