クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:英国

 Anthony Ryan の The Seven Swords の第4巻 To Blackfyre Keep が発表。Subterranean Press のサイトで確認すると送料がこれまでより選択肢が増えて、比較的安い DHL ができている。これならばまだしも我慢できる。ので、注文。刊行は9月予定。あと2冊。完結するまで世界があるか。


 The Fortress Of The Pearl があまりに面白かったので、間髪入れずに The Sailor At The Seas Of Fate に突入。seas と複数形。sailor は単数。これは盲目の船長のことか。Gollancz の Michael Moorcock Collection 版では作品内の時系列に沿っているので、Fortress が2番目、次が Sailor になる。

 それにしてもこれはヒロイック・ファンタジイ、Sword and Sorcery だろうか。表向きはそうに違いない。しかして実態は形而上ファンタスティカだ。これに比べれば、アメリカのファンタジィがいかにキャラクター中心か、よくわかる。

 エルリックはキャラクターではない。少なくともアメリカでいうキャラクターではない。エレコーゼもホークムーンもコルムも、船長も違う。キャラクターの原型、と言うべきか。むしろ、歌舞伎の役に近い。かれらのふるまいはある種の型にそっている。容貌は隈取りに似ている。衣裳も常に同じ。たとえば、エルリックのキモリルに対する感情にはリアリティがまるで無い。故意に剥ぎとっている。ファファードやグレイマウザーの恋人に対する感情とはまるで次元が異なる。一方で形だけの、表面的なものでもない。エルリックが心底キモリルに惚れていることは明らかだ。

 ムアコックがエルリックものを書く前に歌舞伎に親しんだとも思えないから、物語を語る手法に通じるところがあるのだろう。複雑な話を抽象化記号化することで単純なものに見せる。キャラクター中心にすると、複雑な事情、筋をいちいち全部書かなければならない。アメリカのファンタジィが長大になるのも無理はないのだ。

 ただし、抽象化記号化する場合にはそのルール、この抽象やあの記号はそれぞれこういう事情、ああいう条件を表すという約束ごとを書き手と読み手が共有する必要がある。その共有された体験が伝統をかたちづくる。歌舞伎がその伝統に依拠しているように、ムアコックも英語文学、台湾版エルリックへの序文で触れている北欧やケルトの神話、Sexton Blake ものや、ダンセイニ、ホワイト、ピークからコンラッド、ウルフ、ボゥエン、さらにはプルースト、カミュ、サルトルにいたる文学伝統に依拠している。その伝統にはE・R・バロゥズやハワード、ライバーも含まれる。だからこそ、今度はエルリックが伝統の一部として共有される。

 しかしアメリカでは体験の共有が期待できない。バロゥズやハワードが依拠した伝統を読み手が共有していると期待できない。ライバーはバロゥズやハワードを現代化することで、新たな、キャラクター中心のモダン・ファンタジィを生み出した。

 ただし、ライバーはまだ文学伝統に依拠する部分が残っている。あるいは伝統の何たるかを知り、その使い方を心得ている。伝統から脱皮し、すべてを事細かに語るスタイルになるのがどこか。具体的に、誰の、どの作品かはちょっと面白い問題だが、まだ答えは見えない。候補としてはタッド・ウィリアムス、あるいはスティーヴン・キングあたりだろうか。

 いやしかしそれよりは当面、エルリックが面白すぎる。こんな話だったとは。もっと早くに読むべきだった。1980年代前半にはMayflower 版でムアコックはほとんど揃えていたのだから。が、すべてのものにはその時がある。あたしにとっては今がこれを読む頃合いなのだ。とはいえ、12、3歳でリアルタイムで読んでいたニール・ゲイマンはうらやましい。



##本日のグレイトフル・デッド

 04月04日には1969年から1995年まで10本のショウをしている。公式リリースは1本。


01. 1969 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー3日連続の初日。共演フライング・バリトー・ブラザーズ。色違い、柄違いのポスターが残っている。


02. 1971 Manhattan Center, New York, NY

 日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。5ドル。開演8時。


03. 1985 Providence Civic Center, Providence, RI

 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。11.50ドルと12.50ドル。全席指定。開演7時半。

 第一部5曲目で〈She Belongs To Me〉がデビュー。ディランのカヴァーで、この年の11-21まで計9回演奏。原曲は《Bringing It All Back Home》収録。

 第一部クローザー〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance> Deal〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


04. 1986 Hartford Civic Center, Hartford, CT

 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。13.50ドル。開演7時半。


05. 1987 The Centrum, Worcester, MA

 土曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。開演7時半。


06. 1988 Hartford Civic Center, Hartford, CT

 月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。

 開幕2曲目が〈Johnny B. Goode〉という位置は異常で、こういう異常な選曲をする時は調子が良い。もっとも原因の一つはガルシアが喉をつぶしていたことがある由。第二部オープナー〈Touch Of Grey〉を始める前にウィアが "And now from our hit album, a Touch Of Gray." とのたまわった。


07. 1991 The Omni, Atlanta, GA

 木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。


08. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 日曜日。このヴェニュー5本連続の4本目。26.00ドル。開演7時半。

 Drums> Space に Boba Olatunji が参加。


09. 1994 Orlando Arena, Orlando, FL

 月曜日。本来2日連続だったが、前日のショウはキャンセルされた。「家族の病気のため」と、DeadBase XI にはある。25ドル。開演7時半。


10. 1995 Birmingham-Jefferson Civic Center Coliseum, Birmingham, AL

 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。26.50ドル。開演7時半。(ゆ)


03月29日・火

 国書刊行会が再編集し、従来単行本未収録作品も集めて、あらためて4冊にまとめた浅倉さんの『ユーモア・スケッチ大全』が完結。著作権をとるのが大変な作業だっただろうと推察する。まことにありがたいことである。

 『ユーモア・スケッチ大全』は浅倉さんのライフワーク、というのはあらためてよくわかる。その一方で、浅倉さんがやって雑誌掲載だけになっている中短篇を集めたオムニバスはできないのかなあ。傑作名作快作がかなりあるはずだが。







##本日のグレイトフル・デッド

 03月29日には1967年から1995年まで11本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。


01. 1967 Rock Garden, San Francisco, CA

 水曜日。このヴェニュー5日連続の2日目。


02. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。5ドル。共演チャック・ベリー。


03. 1969 Ice Palace, Las Vegas, NV

 土曜日。1時間半のステージ。共演サンタナ、The Free Circus。The Free Circus は不明。

 4曲目〈Dark Star〉の前に誰かが、ハートのものに聞える声が、「これからやる曲はここラスヴェガスのアイス・パレスのために特別に作ったものだ。今朝書いたばかりだよ」と言う。


04. 1983 Warfield Theatre, San Francisco, CA

 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。25ドル。開演8時。


05. 1984 Marin Veterans Memorial Auditorium, San Rafael, CA

 木曜日。このヴェニュー4本連続の2本目。25.00ドル。開演8時。


06. 1985 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。13.50ドル。開演7時半。第一部3曲目〈I Ain't Superstitious〉でマシュー・ケリー参加。

 なお、この3日間は自由席でオールスタンディング。自由に踊れた。ちなみに、デッドヘッドにとって、グレイトフル・デッドは基本的にダンス・バンド、その音楽で踊るためのバンドである。ちんまり椅子に座って聞いているものではない。会場が椅子席の場合、外の廊下やロビーで踊る者もいた。バンド側もそうした客のために、廊下やロビーにもPAのスピーカーを置いた。


07. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA

 日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。開演9時。開演時刻が遅いのは「レッスルマニア III」と重なったため。


08. 1990 Nassau Coliseum, Uniondale, NY

 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。第一部6曲目〈Bird Song〉が《So Many Roads》で、第二部オープナー〈Eyes Of The World〉が《Without A Net》でリリースされた後、《Spring 1990 (The Other One)》で全体がリリースされた。その〈Bird Song〉と第二部全部、アンコールまで、ブランフォード・マルサリスが参加。

 2,300本を越えるグレイトフル・デッドの全てのショウの中で「ベスト」と言われるものに1977年05月08日、コーネル大学バートン・ホールでのものがある。国の歴史的録音遺産にも収められている。これがバンドのみによる「ベスト」とするなら、このショウはゲスト入りでの「ベスト」と呼んでいい。多少ともジャズに心組みがあるならば、これを聴くことで、グレイトフル・デッド・ミュージックの真髄への扉が最高の形で開かれるだろう。グレイトフル・デッドが「単なる」ロック・バンドからかけ離れた存在であることも、よくわかるだろう。ブランフォード・マルサリスの参加によって、デッドの音楽そのものが一段上のレベルに昇っている点でもユニークだ。この時のデッドは全キャリアの中でも最高のフォームで、最高の音楽を生みだしているけれども、このショウでは、それからさらにもう一段昇っている。

 一方のブランフォード・マルサリスからみれば、ロックのミュージシャンのアルバムへの参加としてはスティングの《Bring On The Night》が有名だけれども、ここではそれよりも量も質も遙かに凌駕する。あちらはいわばスティングの曲をやるジャズ・バンドだが、こちらはマルサリスとデッドによる共作だ。各々にとって新しい音楽なのである。

 成功の鍵の一つはマルサリスがジャズのミュージシャンの中でも柔軟性にとりわけ富み、土俵の異なる相手ともやれる性格を備えていたことだろう。このショウの成功によって、デッドは後にデヴィッド・マレィやオーネット・コールマンを迎えてショウをしている。ジェリィ・ガルシアはコールマンのアルバム《Virgin Beauty》にゲスト参加して、かなり成功しているけれども、コールマンがゲスト参加したケースでは成功しているとは言えない。コールマンがあまりに個性的で、相手に合わせることができないためだ。これはおそらく能力というよりも性格からくるもので、合わせようとしても不可能だろう。コールマンの音楽家としての成立ちに、誰かに合わせるという概念そのものが存在しないのだ。

 マレィはコールマンとマルサリスの中間、ややマルサリス寄りで、マルサリスほどではないが、かなり成功している。デッドヘッドの評価も高い。

 なお、マレィの参加した1993-09-22, Madison Square Garden, New York , NY とコールマンの参加した1993-02-23, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA の聴衆録音はネット上で聴くことができる。

 またこのマルサリスのショウの公式録音はボックス・セットと同時にこれだけ独立して《Wake Up To Find Out》として一般発売されている。ディスク・ユニオンの新宿ジャズ館ではロング・セラーとも聞く。

WAKE UP TO FIND OUT:
GRATEFUL DEAD
RHINO
2014-09-05

 

 きっかけはこの年が明けてまもなく、レシュとマルサリスの共通の友人の一人がレシュに、マルサリスに何か伝えることがあるかと訊ねたことだ。レシュはマルサリス兄弟のファンで、そのデビュー時からずっと追いかけていたから、ブランフォードには一度ショウを見にきてくれと伝えるよう頼んだ。ブランフォードは前日28日のショウを見にきて、終演後、楽屋に挨拶に行き、レシュとガルシアから熱烈に誘われた。そこでこの日、ソプラノとテナーの2本のホーンを持ってやって来たものだ。

 リハーサルは無かった。ブランフォードはデッドの音楽をそれまでほとんど聴いたことがなく、どの曲をやりたいかと訊ねられても答えようがなかったらしい。一方で、相手がどんな音楽であっても合わせることができるという自信もあったのだろう。何でもやっていい、ついていくからと答えて、バンドは驚いた顔をした。とはいえ、デッドもジャズのミュージシャンが入りやすい曲を考えてもいたはずだ。第一部クローザー前の〈Bird Song〉、第二部オープナーの〈Eye of the World〉はその典型である。〈Estimated Prophet〉〈Dark Star〉と続けたのもそうした流れだし、Space はここではフリー・ジャズ、それも大胆かつ繊細な極上のフリー・ジャズだ。〈Turn On Your Lovelight〉は、ブランフォードが聴いて育った音楽でもあった。感心するのはアンコールの〈Knockin' On the Heaven's Door〉で、ちょっとこれ以上のこの歌のカヴァーはありえないと思える。

 ブランフォードが後でゲストで出てくるという期待は、メンバーの気分を昂揚させたらしく、この日のショウは初っ端から絶好調だ。前日、あるいは24、25日と比べても、ノッチは一つ上がっている。

 ブランフォードが入った効果はたとえば〈Bird Song〉の次の第一部クローザー〈The Promised Land〉でのガルシアの歌唱に現れる。それはそれは元気なのだ。〈Estimated Prophet〉でもウィアがブランフォードの前で歌うのが楽しくてしかたがないのがありありとわかる。実際、その裏でブランフォードがつけるフレーズが実に冴えていて、ウィアと掛合いまでする。

 ガルシアのギターもあらためて霊感をもらって、突拍子もない、しかもぴたりとはまったフレーズがあふれ出てくる。ガルシアだけではなく、レシュもミドランドもウィアもドラマーたちも、出す音が違っている。

 他のショウはそう何度も聴いてはいない。だいたい、1本が長いから、そう何度も聴けない。それがこのショウだけは、もう何度も聴いている。聴くたびに新たな発見をし、あらためて感服する。この音楽を聴けることの幸せを噛みしめる。


09. 1991 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。23.50ドル。開演7時半。第一部クローザー〈When I Paint My Masterpiece〉の途中で機器トラブルが起き、中途半端に終る。が、第二部は良かった。


10. 1993 Knickerbocker Arena, Albany, NY

 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。開演7時半。第一部7曲目〈Lazy River Road〉が2016年の、第二部オープナー〈Here Comes Sunshine〉が2017年と2020年の、アンコール〈Liberty〉が2018年の、第二部2〜4曲目〈Looks Like Rain; Box Of Rain> He's Gone〉が2021年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。都合6曲、46分がリリースされたことになる。


11. 1995 The Omni, Atlanta, GA

 水曜日。このヴェニュー4本連続の3本目。開演7時半。(ゆ)


12月23日・木

 昨日は調子が悪く、とっとと寝る。掛布団を1枚増やしたら、朝にはなんとか回復。やはり、掛布団が足らずに体が冷えたらしい。足らないと寒くて寝つけないのだが、寝つけることは寝つけたが、朝になると調子が悪く、だんだんひどくなった。明け方に冷えたのか。ちょっとしたことで不調になるのは年のせいであらふ。

 ラティーナ編集部にベスト・アルバム2021の原稿を送付。もうそんなに新譜を追いかけていないので、今年は書けないかと思ったら、案外買っていて、やはり選ぶのに苦労する。

 ムアコック、Duke Elric 着。タイトル作は聞いた覚えがないと思ったら、1997年のグラフィック・ノヴェルの台本だった。これに加えて Moonbeams and Roses と The Metatemporal Detective と合わせて、Michael Moorcock's Multiverse というグラフィック・ノヴェルとして、1997-98年に12冊のコミックスになった。DC/Vertigo で1冊にまとめられている。ISFDB によれば、3本の別々の話が平行して進み、最後にきちんとまとまるという。となると、読んでみたい。Duke Elric の台本だけ、たまたま残っていたのか。もちろん、絵師や編集者向けのもので、一般読者を想定して書かれてはいないが、絵と並べて読むとまた面白いだろう。

 ゼンハイザーがコンシューマー向けオーディオファイル製品の製造をアイルランドに集約するという話。昔持っていた HD-25は確か箱に Made in Ireland と入っていて、そこはかとなく嬉しくなったものだが、うーむ、だからといってゼンハイザーを買うかと言われると、へへへと笑うしかない。いや、別にゼンハイザーが悪いわけじゃない。立派なものだ。ただ、立派すぎて、今更面白みがないだけなのだ。すれっからしになってしまったということなんだろうけど、他とはここが違う、ここがウリだ、という突破口がないと、ちょいと聞いてみようかい、という衝動がわいてこない。業界標準でもあるし、一つくらい持っていてもと思ったりしないわけじゃないが、HD414があればいいや、という結論にいつもなる。414の現代版が出たらまた話は別だが、今のゼンハイザーはそんなことは考えもしないだろう。414の無線版? それは、出たら買うだろうなあ。



##本日のグレイトフル・デッド

 12月23日には1966年から1970年まで3本のショウをしている。公式リリース無し。


1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 2日連続出演の1日目。開演9時。共演スティーヴ・ミラー・ブルーズ・バンド、モビー・グレープ。セット・リスト不明。

 スティーヴ・ミラー・ブルーズ・バンドはスティーヴ・ミラーが音楽活動を始めた時の名前で、この年、デビューしている。翌年のチャック・ベリーの《Live At The Fillmore Auditorium》でバックを勤め、さらに翌1968年スティーヴ・ミラー・バンド名義でファースト《Children Of The Future》を出す。

 ベリーのライヴでは手堅いサポートをしている。ミラーのハーモニカがなかなかいい。白状するとチャック・ベリーの録音をまともに聴くのは初めてなのだが、なるほど、すごい。このアルバム、All Music では星2つ半だけど、どこが悪いのだろう。見事なブルーズをやってる、とあたしには聞える。もっとロックンロールをやれということか。〈C. C. Rider〉とか〈It Hurts Me Too〉とか〈Good Morning Little School Girl〉とか、デッドもやっている曲が入っているのも楽しい。この辺はブルーズのスタンダードなのね。

 スティーヴ・ミラー・バンドとしてのファーストの方はまるでサイケ。時代がもうちょっとずれていれば、プログレといってもいい。デッドのセカンド、サードの流れ。しかも、片面全部ひとつながりで、一種の組曲。これがあれだけポップになるんだから、時代の流れに敏感ということか。

 モビー・グレープもこの年デビュー。モビー・グレープが「悪魔との契約」をしたとき 、ニール・ヤングが同じ部屋にいて、終始無言、うつむいてギターを弾いていた、というのは運命の岐路の一つと見える。モビー・グレープはついておらず、ヤングはついていた。それともヤングには人を見る目があった、というべきか。


2. 1967 Palm Gardens, New York, NY

 このヴェニュー3日連続の中日。


3. 1970 Winterland Arena, San Francisco, CA

 Montessori School のためのチャリティでアコースティック・デッド、ホット・ツナ、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ出演とアナウンスされていた。セット・リストには内容の異なるものが複数ある。最後にレシュがサンキュー、メリー・クリスマスといい、続いてガルシアがベア(アウズレィ・スタンリィ)の保釈に協力してくれた礼を言う。

 モンテッソーリ学校というのは、マリア・モンテッソーリというイタリアの精神科医の考案した�外薀轡好謄爐世修Δ澄�「子どもたちは生まれながらにして知ることを強く求めているもので、思慮深く用意された支援的な学習環境の中であれば、自発的に学び始める力を持っていると捉える。モンテッソーリ教育法は子どもたちを身体面、社会面、情緒面、認知面で発達させることを目指す」とウィキペディアにはある。アメリカでは全土で公立学校でもプログラムが導入されている由。(ゆ)


 Facebook には書きましたが、ここは今、Facebook と連動していないので、おおしまの個人的な宣伝をさせてください。

 2つあります。一つはシンコーミュージックのムック『フェアポート・コンヴェンション』に寄稿しました。アシュリー・ハッチングス関係とフェアポートのアルバム解説の一部です。世界で初めて活字になったものなど、インタヴューがたくさん収録されているので、買って損はないでしょう。


 これを書くために久しぶりにあれこれ関連のを聴きなおしたり、新たに買って(ギャラよりた〜か〜い資料代)聴いたりしましたが、やはり偉い連中だとの想いを新たにしました。〈Tam Lin〉や〈Matty Groves〉はバラッドを現代にどう歌うかのお手本として、リスナーはもちろん、歌ったり演ったりする方にとっても大いに参考になると思うし、〈Flatback Capers〉でのホーンパイプの処理は、躍動感にあふれることではいまだにこれを超えるものは無いんじゃないか。これをロック・バンドがやったというのは凄いことだけど、あるいはロック・バンドだからできたのかもしれません。といって、並のロック・バンド、たとえばゼペリンには到底不可能なことも確かで、これ1曲でフェアポートは現代音楽の歴史に名を刻んだといってもいい。

 それにしてもサンディ・デニー。ルーカスがもう少ししっかりしていたら、とどうしても思ってしまいます。あるいは他に男はいなかったのか。いや、たぶん、もの凄く手のかかる人間だったろうことは推測もつきますがね。生き延びてさえしていたら……。

 もう一つは以前訳した『ギネスの哲学』の電子版が出ました。


ギネスの哲学 ― 地域を愛し、世界から愛される企業の250年
スティーヴン・マンスフィールド
英治出版
2017-10-06



 皆さま大好きなギネスの歴史ですけど、あたしが言うのもなんですが、面白いです。ギネスって、今は合併ででかくなっちゃってますけど、20世紀半ばまで家族企業で、しかも事実上「ギネス」という唯一の商品しか売っていない。それで世界企業になっちゃった。なんで? とは誰しも思うところでしょう。他のものは、ビールとかスタウトとかの銘柄の一つですが、ギネスだけはギネス。これも不思議。

 それとアイルランドの酒なんだけど、大英帝国の飲物にもなっちまった。帝国の端っこのヒマラヤの麓でギネスの壜をみつけて「故郷の味」だと大喜びするイギリス人の話も出てきます。ギネス家はもちろんプロテスタントですけど、ギネスはアイルランドでもブリテンでも、信仰に関係なく、好まれた。これまた不思議。

 それだけでなく、この会社はただ金が儲かりさえすりゃいい、という近頃の風潮とは無縁で、稼いだカネをどう使うかという点でも実に先進的。というよりも、カネってこういう風に使うために稼ぐんだよな、と思わされる。あるいは、儲けたカネの使い方のお手本、というべきか。カネというのは、儲けるだけでは人間をダメにする。儲けたカネはこうして世界をベターにするために、みんなが暮らしやすくなるように使って初めて儲ける意義があるのだとわかります。こういう本を読んでから呑むとギネスは一層旨くなるのですよ。

 もう過ぎちゃいましたが9月24日はギネス創業者のアーサー・ギネスの誕生日で、毎年、世界中のギネスを売ってる店ではお祝いがあるらしい。今年はギネスの醸造最高責任者が来日して、いろいろ実演するらしいです。この本もそれを祝って期間限定で3割引きになってます。どうぞ、買うてくだされ。年越しできるかどうかがそれにかかってます。年越しできないと、来年3月の「アイリッシュ・フィドル講座」もできない。どうぞ、よしなに。

 宣伝ばかりではつまらないので、こちらをどうぞ。(ゆ)


 世事にうとくなって、スウォブリックの死去さえ、ひと月以上経ってから知る有様だが、知った以上はひとこと書かないわけにはいかない。

 スウォブリックを初めて聴いたのは、いわゆるケルト系ダンス・チューン、より正確にはアイリッシュのダンス・チューンを初めて聴いたのと同時だった。すなわち、かれが演奏するアイリッシュのダンス・チューンを聴いたのだった。

 バンドはフェアポート・コンヴェンション。録音は1977年に出た《LIVE AT L.A. TROUBADOUR》。いわゆる「フルハウス」フェアポートがその絶頂期にアメリカはロサンゼルスの有名なライヴハウスに出たときのライヴ。この録音は権利関係の問題からか、ついにCDになっていない。

 数年してロサンゼルスに滞在していた時、このライヴハウスに行ってみた。手前がバー、その奥がホールという普通の構造。ホールはかなり細長く、入って右手、長い方の辺に低いステージがある。客席は三階ぶんくらいまであったと記憶する。当時はポスト・パンクの頃で、その時出ていたバンドも1曲2分くらいの、メロディの起伏のほとんどない曲を次々にやっていた。客で来ているらしい若い娘が2人、ステージの前に出て、体をまっすぐに立て、両腕をぴたりと胴につけて細かく跳ねながら、それに合わせて首を左右に高速で振るという、ダンスともいえない動作を曲が演奏されている間ずっとしていた。2人がまったく同じ動作をステージの前、左右に別れてやっているのは、ロボットに見えた。

 フェアポートの《トゥルバドール》を聴いたのはもちろん渋谷のブラックホークで、冒頭のマタックスの「カン、カン」に続いてスウォブリックのファズ・フィドルが弾きだした途端、体に電流が走った。この「カン、カン」からして、アイルランドのケイリ・バンドへのオマージュであり、パロディであると知るのは、遙か後年、そのケイリ・バンドの録音を聴いた時だ。

 ここでフェアポートがやっているのは踊るための音楽ではなくて、聴かせる、聴くための音楽で、松平さんが「一瞬も眼を離せないボクシングの試合」に譬えた、スウォブリック、トンプソン、マタックスのせめぎ合いは、フェアポート自身、空前にして絶後である。それが最高潮に逹するのはB面の〈Mason's Apron〉で、ここでの印象があまりに強いので、この曲は誰のものを聴いてものったりくたりに聞える。

 スウォブリックの最大の功績は、アイリッシュやスコティッシュのダンス・チューンをロック・バンドのドライヴで演奏するスタイルを作ったことだ。これと並んで大きいのが、フィドルをロック・バンドのリード楽器にしたことだ。そしてどちらも、スウォブリックを本当の意味で継承する存在はその後出ていない。

 スウォブリックはしかしそれだけの存在ではなかった。次にかれのフィドルが深い刻印をあたしの感性に刻んだのは、サイモン・ニコルとのデュエットで出した《CLOSE TO THE WIND》での〈シーベグ・シーモア〉だった。ニコルのアコースティック・ギターから始まり、スウォブリックのフィドルも生だ。デイヴ・ペッグが途中からベースで加わる。2人に支えられて、スウォブリックは奔放な変奏を重ねる。この曲は演奏者を狂わせる、とかれはどこかで言っている通り、曲を極限まで展開してみせる。《トゥルバドール》とは対極的な静かな狂気だ。やがてペッグが離れ、おちついてゆくのだが、最後の最後にひらめかせる捻りに、あたしはいつも投げとばされて伸びる。来ることはむろんわかっていて、身構えてもいるのだが、いつも投げとばされる。

 この曲には名演も数あるなかで、この演奏はダントツでベストだ。誰に聴かせても、途中から黙りこむ。そしておわると皆一様に溜息をつく。

 もう一つ、スウォブリックのフィドルの冴えに感銘したのは歌伴だ。相手はマーティン・カーシィではない。カーシィとのデュオは文句はつけようがないが、本当の良さがまだあたしにはわからない。たぶん聴き込み不足なのだろう。

 スウォブリックの歌伴のひとつの究極はA・L・ロイドの〈The Two Magicians〉だ。この曲自体、ロイドが様々な版から編集した、ほとんど創作といってよいものだが、これがロイドとスウォブリックの飄逸なうたとフィドルで演奏されると、なんともたまらないおかしみがにじみ出る。解釈のしかたによっては、このうたは今では政治的に正しくないとされかねないが、本来は知恵比べ、一種のゲーム、ユーモアとエスプリをたたえた遊びをうたったものなのだ、とこれを聴くとわかる。スウォブリックのフィドルの軽みはロイドのうたを浮上させ、舞い上がらせ続ける。

 スウォブリックのキャリアのハイライトは他にもたくさんある。晩年の、本人のふんふんという唸り声だけが伴奏のソロ・ライヴもいい。「フルハウス」フェアポートの再編による《SMIDDYBURN》が出たときには狂喜乱舞したし、今でも聴けば興奮する。マーティン・ジェンキンズとの Whippersnapper は目立たないが重要な実験だ。

 録音も多い。全部きちんと聴こうとすれば、残りの人生がつぶれそうだ。フィドルという楽器の可能性がそこに尽くされているとは言わないが、これだけいろいろなフィドルを弾ける人間はまあ一世紀に一人ではないか。かれが数ある楽器のなかから、フィドルをおのれの楽器として選びとったことは人類にとってとても幸せなことだった。そう、かれはフィドルを選びとったのだ。フィドルを含む伝統の中に育ったのではない。だからこそ、あれほど多種多様なフィドルを弾けたのだ。あたしにとって、かれはフィドラーであって、断じてヴァイオリニストではなかった。

 スウォブリックの前にスウォブリック無く、スウォブリックの後にスウォブリックはいない。

 さらば、スウォブ。ありがとう。合掌。(ゆ)

 札幌で Greyish Glow というユニットを永年続けておられる かんのみすず さんが東京に来られるのをきっかけに、格好の空間を得て実現した一夜は、ブリテン、アイルランドの伝統歌にたっぷりとひたれる、なんとも贅沢なものだった。

 かんのさんがブリテン、アイルランドの伝統歌をうたっておられることは聞いていたが、実際のうたに接するのは初めてで、まず声がいい。一般にこのあたりの伝統歌のシンガー、それも女性のシンガーには比較的声域の低い、クラシックで言えばアルトかそれより低い声の持主が多い(面白いことに男性のうたい手にはテナーが多い)。もともとソプラノとかは訓練しなければ出ないのだろうが、伝統歌のうたい手たちの声は力をこめなくても自然にあふれ出てくるようで、こんこんと大地から湧き出して中域から低いほうに豊かにふくらみ、滔々と流れる。かんのさんの声はこうした声のひとつで、しかも輪郭が明瞭で芯が通っている。伝統歌をうたっているからこうなったというわけではないだろうが、ふさわしい声ではある。こういう声なら何をうたわれてもいいとも思えるが、その声で英国やアイルランドのトラディショナルをうたわれると、あたしなどはもう何も言えずに降参してしまう。無伴奏でうたわれた〈The cruel mother〉のジャッキィ・マクシー版がハイライト。

 ポスターに書かれていた他の人たちはサポートと思っていたらとんでもなかった。後半、かんのさんのサポートにも回ったが、むしろそれぞれにうたを披露してくださったのには喜んだ。

 まずは木村林太郎さん。すぐれたハーパーであることはむろん知っているし、以前一度ライヴも見ている。が、こんなにうたにこだわっていたとは知らなんだ。しかもアイルランド語やスコティッシュ・ゲール語でうたわれる。眼をつむって聴いていると、いにしえのアイルランドの吟遊詩人を前にしているように思われもする。秋田のご母堂の故郷に霊感を得てつくった曲もよかった。ふだんはクラシック系ヴァイオリニストとのデュオで活動されているそうで、これはもっと追いかけよう。

 ジム・エディガーさんのライヴを初めて見る、というとモグリのようだが、そういうめぐり合わせになってしまった。この人もどちらかというとプレーヤーとしての認識だったが、うたも味わいぶかい。鍵盤アコーディオンがまるでコンサティーナのようで、アリステア・アンダースンを思い出した。奥様も達者なうたい手で、お二人のハーモニーはもっと聴きたい。

 コンサティーナの染村和代さんも1曲だけだがうれしいうたを聴かせてくれた。この〈キャリックファーガス〉はじめ、いわゆる耳タコの曲も、こうして生でうたわれると、やはり沁みる。うたはやはりうたわれてナンボだとあらためて思う。うたそのものも然ることながら、決定的なのはうたい手なのだ。

 染村さんの息子さんがフィドルで参加されたのも、あたしにはうれしい驚きだった。中学生がこういう音楽に参加してくれるのは、母親の圧力(?)があるとはいえ、頼もしい。ヴァイオリンの初めはクラシックだそうだが、ビブラートをかけない奏法も板についていて、これからが楽しみだ。わが国からもフィル・ビアやスウォブリックに肩をならべるフィドラーが生まれるか。

 会場は、「トラッド」好きの店主が昨年6月にオープンした店で、サイトのスケジュールを見ると、実に様々なライヴをかけている。音楽だけでなく、映画、落語や演劇まである。下駄履きでふらりと行けるこういう場が近くにあればなあ、とうらやましくなる。高円寺といえば、この店のある通りの少し先には「抱瓶」がある。もうずいぶん昔になるが、ここでチャンプルーズを見たことを思い出した。あの時は最後はベロベロで総立ちで踊った。トシバウロンもここのどこかでライヴやセッションをやっているようなことを言っていなかったっけ。

 Grain に話をもどせば、「Grain トラッド研究会」なんてのもあって、うーむ、ふらりと行ってみるか。そういえば、昨夜は、惜しくも閉店してしまった八重洲の料理屋のマスターも来ていて、Grain の店主ともかんのさんとも知合いで、昨夜のライヴの影のフィクサーだったそうだが、かれに北欧音楽について話を聞く、なんてのもどうだろう。あたしは聞きたい。

 このところ、ライヴといえば別方面、録音といえばデッドばかりだったが、久しぶりに、ブリテン、アイルランドの伝統音楽、それもうたにたっぷりとひたらせてもらって、うーん、やっぱりこういうのはいいですなあ。

 木村さんからは4月4日5日のライヴも教えてもらって、これは行くべえ。(ゆ)


P.S.
 かんのさんのMCでジョン・レンボーンが亡くなったことを知る。ぼくはむしろバートのファンだったから、それほどの思い入れはないが、《THE HERMIT》と《BLACK BALOON》は忘れがたい。冥福を祈る。合掌。 

 恒例の東京・新宿は Hartford Cafe での「ブリティッシュ・トラッド&フォーク・ロック」ナイトの今月の日程は 今晩2日と、9日、16日、23日の各日曜だそうです。

 LP、CDなどの持ち込みも歓迎とのことであります。

開店16:00
閉店23:00

 足のトラブルもあって、ついにいまだに行けていません。今月こそは、いざ行かん。(ゆ)

 本日発売の『渋谷百軒店 ブラック・ホーク伝説』ですが、ぼくの担当したところで誤植がありました。本をお買い上げいただいた方は、お手数ですが、訂正をお願いいたします。


★110pp. シャーリィ・コリンズ&アルビオン・カントリー・バンド『ノー・ローゼズ』
3段目最終行
「それだけの[感性]を備えていたのでした。」→「それだけの[慣性]を備えていたのでした。」


★117pp. フェアポート・コンヴェンション『フルハウス』
レコード・ジャケット下、曲目リストの最後
「※オリジナル・アルバム収録曲=(1)〜(7)」→「(1)〜(6) (8)」

 オリジナル・アルバムにはこのリストでの (7) すなわち〈Poor Will and the jolly hangman〉は入っていません。そのため、全体の曲順も変わっています。ここでのリストの番号をそのまま使うと、オリジナル・アルバムの収録曲は以下の通りです。

Side One
(1) Walk awhile
(3) Diry linen
(4) Sloth

Side Two
(5) Sir Patrick Spens
(6) Flatback caper
(2) Doctor of physick
(8) Flower of the forest


★144pp. デイヴ・スウォーブリック『スウォーブリック』
下段後ろから4行目
「この[ファースト]・ソロ」→「この[セカンド]・ソロ」

 ファーストは1967年の《RAGS, REELS & AIRS》です。ここは、校正の時、後から気がついて追加で訂正を送ったはずなんですが、洩れてしまったようです。


 ああ、しかし、本になってみると、文章そのものもなおしたいところが山ほど目につきます。うー、いっそのこと、全部書き直したい。(ゆ)

 かつて東京・渋谷のロック喫茶「ブラックホーク」を根城にした「ブリティッシュ・トラッド愛好会」の創設メンバーで、わが国有数のハイランド・パイパーであり、特に「ピブロック」については第一人者でもある森能文さんが、その愛好会結成以前の「ブラックホーク」での「トラッド」体験について、ブログと掲示板を始められています。

ブログ「パイパー森・My Roots Music」
経過について
専用掲示板


 この時期はわが国にブリテンのルーツ/フォーク・ミュージックが紹介され初めた頃で、「ブラックホーク」の「お皿回し」だった故松平維秋氏がその仕掛け人だったわけですが、かれの仕掛けに応えて、これを支えたのが森さんなどの少数の熱心なファンでした。それが本国での盛上りに感応する形で1977年の「愛好会」結成として実を結びます。そのあたりのことやそれ以前のわが国での「トラッド」をめぐる状況、ご本人の思い入れなどが、語られています。

 その頃はミュージシャンの来日など考えられもせず、一にも二にもレコードを聞くことしかできませんでしたから、ブログも当然、様々なレコードを中心に書かれています。

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