クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:英語

 ついでながら、1986年以降デビューした作家たちについてもデビュー年順に並べてみた。こちらはまだ評価が完全に固まっているとは言えないから、まったくあたしの好みによるセレクションだ。というのもつまらないので、多少とも第三者視点を加えるために1986年以降の John W. Campbell Award for Best New Writer の受賞者も加えてみた。

 今年のヒューゴー賞授賞式でこの賞を受賞した Jeannette Ng が受賞スピーチでキャンベルをファシストで白人男性至上主義者で、差別、搾取、抑圧にサイエンス・フィクションの土台を築いた者として非難した。賞の主催者である Analog 編集部はこれを受けて賞の名前を来年から Astounding Award for Best New Writer に変更すると発表した。

 Ng のここでの趣旨はしかし、キャンベルを非難することよりも、そのキャンベルの遺産から、現在のサイエンス・フィクションは見事に脱却して、多様性の花を華麗に爛漫と咲かせていると指摘することにある。「キャンベル主義者」たちの Ng の受賞の言葉への反発は過剰反応でもあろう。もっとも、サイエンス・フィクションを白人男性のものにしておきたい向きにとっては、サイエンス・フィクションの、少なくとも英語で発表されているサイエンス・フィクションの現状はガマンならないものではあろうことは、このリストにも反映されている。

 もっともこうして並べてみると、キャンベル新人賞の受賞者は女性が圧倒的だし、1985年以前を含めても半々、というのはヒューゴー、ネビュラを含めた他の賞に比べて、女性の受賞者が遙かに多い。2010年代では時代の趨勢となった多様化の傾向に積極的に反応してもいる。「アナログ」誌編集部はキャンベル主義者の願いとは裏腹に、キャンベルの負の遺産を真先に振り捨てていたと言える。

 ちなみに Ng の受賞の対象となったデビュー長篇 Under The Pendulum Sun はまことに面白い小説で、受賞もむべなるかな、とうなずかせるものではある。

Under the Pendulum Sun
Jeannette Ng
Angry Robot
2017-10-03



 ケイジ・ベイカーやジェイ・レイクなど、既に亡くなっている人もいるし、ジャンルから離れた人、作家活動をやめているらしい人もいるが、本はいくらでも手に入る。あらためて調べてみると、未知の人で面白そうな人もいる。

 ああ、しかし、どうすれば、これを全部読めるのだ。などと、頭を抱えてもしょうがない。それよりも黙ってごりごりと読めばよいのだ。

 問題はあたしが実に移り気で、1冊読んでいると、すぐに別のを読みたくなることだ。こないだも、たまたま名前が目について、ついた途端無性に読みたくなり、しかもまるで呼びこんだように本が、山のてっぺんにちょこんとあったので、思わず他を全部ほおりだしてリチャード・カウパーの The Road To Corlay を読みだしてしまった。今度は三部作の最後まで一気に読むぞ。それにしてもこの Pocket Books の David Maitz による表紙は最高の絵の1枚ではある。

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2023-05-17追記
 こちらにも生没年とデビュー時の満年齢を加えてみた。単純計算なので、デビュー時の正確な年齡ではない。不悪。なにも書いていない人は生年、年齡未公開。

 こうしてみると、またいろいろと見えてきて、面白い。
 

1986, China Mieville 1972/; 14歳
1986, Jack McDevitt 1935/; 51歳
1986, Judith Moffett 1942/; 42歳[Campbell New Writer]
1986, Julia Ecklar 1964/; 24歳 [Campbell New Writer]
1986, Robert Reed 1956/; 30歳
1987, C. S. Friedman 1957/; 30歳(長篇)
1987, Eric Brown 1960/2023; 27歳
1987, Kathe Koja 1960/; 27歳 [Locus Best 1st Novel]
1987, Kristine Kathryn Rusch 1960/; 27歳[Campbell New Writer]
1987, Linda Nagata 1960/; 27歳 [Locus Best 1st Novel]
1987, Patricia Anthony 1947/2013; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
1987, Paul Park 1954/; 33歳
1987, Stephen Baxter 1957/; 30歳
1987, Storm Constantine 1956/2021; 31歳
1988, Allen Steele 1958/; 30歳 [Locus Best 1st Novel]
1988, R. A. Salvatore 1959/; 29歳
1988, Sarah Zettel 1966/; 22歳 [Locus Best 1st Novel]
1988, Elizabeth Hand 1957/; 31歳
1988, Jeff VanderMeer 1968/; 20歳
1988, Kate Elliott 1958/; 30歳(長篇)
1988, Maureen F. McHugh 1959/; 29歳 [Locus Best 1st Novel]
1988, Michaela Roessner 1950/; 38歳(長篇)[Campbell New Writer]
1989, Ian R. MacLeod 1956/; 33歳[Locus Best 1st Novel]
1989, Jeffrey Ford 1955/; 34歳
1989, Jonathan Lethem 1964/; 25歳 [Locus Best 1st Novel]
1989, Michael Kandel 1941/; 48歳(長篇)
1989, Nisi Shawl 1955/; 34歳
1990, Alastair Reynolds 1966/; 24歳
1990, Cory Doctorow 1971/; 19歳 [Locus Best 1st Novel]
1990, Mary Rosenblum 1952/2018; 38歳
1990, Peter F. Hamilton 1960/; 30歳
1990, Peter Watts 1958/; 32歳
1990, Ted Chiang 1967/; 23歳 [Campbell New Writer]
1991, John Scalzi 1969/; 22歳 [Campbell New Writer]
1991, Kathleen Ann Goonan 1952/2021; 39歳
1991, Paul Levinson 1947/; 44歳 [Locus Best 1st Novel]
1993, Amy Thomson 1958/; 35歳(長篇)[Campbell New Writer]
1993, Jeff Noon 1957/; 36歳(長篇)[Campbell New Writer]
1994, David Feintuch 1944/2006; 50歳(長篇)[Campbell New Writer]
1994, Marion Deeds
1994, Steven Erikson 1959/; 35歳
1995, Caitlin R. Kiernan 1964/; 29歳
1995, Jacqueline Carey 1964/; 31歳 [Locus Best 1st Novel]
1995, Kelly Link 1969/; 26歳
1995, Ken MacLeod 1954/; 41歳(長篇)
1995, Michael A. Burstein 1970/; 25歳 [Campbell New Writer]
1996, Adrian Tchaikovsky 1972/; 24歳
1996, Mary Doria Russell 1950/; 46歳(長篇)[Campbell New Writer]
1996, Nalo Hopkinson 1960/; 36歳[Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
1996, Paul Melko 1968/; 32歳 [Locus Best 1st Novel]
1997, K. V. Johansen 1968/; 29歳(長篇)
1997, Joe Hill 1972/; 25歳 [Locus Best 1st Novel]
1997, Kage Baker 1952/2010; 25歳
1997, Lev Grossman 1969/; 28歳 [Campbell New Writer]
1997, Liz Williams 1965/; 32歳
1998, Ellen Klages 1954/; 44歳 [Campbell New Writer]
1998, Jo Walton 1964/; 34歳[Campbell New Writer]
1999, Kristine Smith [Campbell New Writer]
1999, M. Rickert 1959/; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
1999, Paolo Bacigalupi 1972/; 27歳 [Locus Best 1st Novel]
1999, Trudi Canavan 1969/; 30歳
1999, Yoon Ha Lee 1979/; 20歳
2000, Alex Irvine 1969/; 31歳 [Locus Best 1st Novel]
2000, Elizabeth Bear 1971/; 29歳 [Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
2000, Nnedi Okorafor 1974/; 26歳
2000, Tobias S. Buckell 1979/; 21歳
2001, Charles Coleman Finlay 1964/; 37歳
2001, Jay Lake 1964/2014; 37歳 [Campbell New Writer]
2001, Wen Spencer 1963/; 38歳 [Campbell New Writer]
2002, Ken Liu = 刘宇昆 1976/; 26歳 [Locus Best 1st Novel]
2002, Nina Allan 1966/; 36歳
2002, Patrick Rothfuss 1973/; 29歳
2002, Theodora Goss 1968/; 34歳  [Locus Best 1st Novel]
2003, Lavie Tidhar 1976/; 27歳
2003, Usman T. Malik
2004, Mary Robinette Kowal 1969/; 35歳 [Campbell New Writer]
2004, N. K. Jemisin 1972/; 32歳 [Locus Best 1st Novel]
2004, Susanna Clarke 1959/; 45歳(長篇) [Locus Best 1st Novel]
2005, Brandon Sanderson 1975/; 30歳(長篇)
2005, Mur Lafferty 1973/; 32歳 [Campbell New Writer]
2006, Aliette de Bodard 1982/; 24歳
2006, Ann Leckie 1966/; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
2006, Ilona Andrews
2006, Joe Abercrombie 1974/; 32歳(長篇)
2006, Naomi Novik 1973/; 33歳(長篇)[Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
2006, Scott Lynch 1978/; 28歳(長篇)
2007, C. S. E. Cooney 1981/; 26歳
2007, David Anthony Durham 1969/; 38歳( 長篇)[Campbell New Writer]
2007, Mark Lawrence 1966/; 41歳
2007, Nghi Vo 1981/; 26歳
2008, Brent Weeks 1977/; 31歳(長篇)
2008, Michael J. Sullivan 1961/; 47歳(長篇)[self]
2008, Robert V. S. Redick 1967/; 41歳(長篇)
2009, Andy Weir 1972/; 37歳 [Campbell New Writer]
2009, Max Gladstone 1984/; 25歳
2009, Saladin Ahmed 1975/; 34歳 [Locus Best 1st Novel]
2009, Seanan McGuire 1978/; 31歳 [Campbell New Writer]
2009, Robert Jackson Bennett 1984/; 25歳(長篇)
2010, E. Lily Yu [Campbell New Writer]
2011, Anthony Ryan 1970/; 41歳 [self]
2011, Erin Morgenstern 1978/; 33歳(長篇) [Locus Best 1st Novel]
2011, P. Djeli Clark 1971/; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
2011, Rich Larson 1992/; 19歳
2011, Tamsyn Muir 1985/; 26歳 [Locus Best 1st Novel]
2012, Sofia Samatar 1971/; 41歳 [Campbell New Writer]
2013, Josiah Bancroft(長篇)[self]
2013, Wesley Chu = 朱恆 1976/; 37歳(長篇)[Campbell New Writer]
2014, Alexander Dan Vilhjalmsson(長篇)
2014, Alyssa Wong
2014, Darcie Little Badger 1987/; 33歳 [Locus Best 1st Novel]
2014, Victoria Goddard [self] 
2015, Fonda Lee 1979/; 36歳
2015, Kelly Robson 1967/; 48歳
2015, Richard Swan(長篇)[self]
2016, Ada Palmer 1981/; 35歳(長篇)[Campbell New Writer]
2016, Chuck Rogers(長篇)[self] ※小説家としてのデビューは1996年。
2016, Jeannette Ng [Campbell New Writer]
2017, Ed McDonald(長篇)
2017, Rebecca Roanhorse 1971/; 46歳 [Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
2018, R. F. Kuang 1996/; 22歳(長篇)[Astounding New Writer]
2019, Emily Tesh [Astounding New Writer]
2019, Evan Winter(長篇)
2021, Shelley Parker-Chan(長篇) [Astounding New Writer]

 こうしてみると、デビュー年齡が上がっているのがよくわかる。1950年代、60年代には20代でデビューするのは普通だったが、今世紀に入ると例外的になる。セルフ出版でデビューする人には若い人も多いのかもしれないが、こちらのアンテナにひっかっかってくるのは、セルフでも人生半ばで作家デビューした人たちになる。

 小説家のデビュー年齡が上がった理由のひとつは、小説以外のメディア、とりわけゲームに若い人たちが入ることが増えたからだ。コンピュータのプログラミングやハード、ソフトの開発も小説にとってはライヴァルになる。受け手の側の時間の奪いあいだけでなく、送り手の人材の面でも争奪が激しくなっている。そして小説は比較的にスタートが若くなくてもいい。プログラミングなどは若さが必須の面があるらしい。スポーツでは肉体的に若くないと現役ではいられないが、それと同様、プログラミングやソフトウェアの設計では頭の回転とセンスにおいて若さが求められる。その点、小説は、技能を磨き、材料を蓄積するのに時間がかかる。そして、小説が扱う題材や問題も、より複雑で広く多様になっているから、これをこなせるようになるのにもより時間がかかる。したがって、経験や研鑽を積んでから小説家としてデビューすることが増える。若い頃は他のことをしてから小説に取り組める。

 SFF以外の小説を書いていて、年齡を重ねてからSFFにデビューする例も増えている。古くは George Turner がいるし、新しい例の代表 Chuck Rogers はドン・ペンドルトンに始まる『死刑執行人』シリーズのフランチャイズ小説の書き手で出発し、そちらが閉じられた後、セルフ出版でファンタジィ長篇を出す。

 年をとってからデビューする人たちが皆、人生で初めて書いた小説でデビューしているわけではない。小説家として成功している人たちは、まずたいていがごく若い頃から物語を語り、また綴っている。他人がカネを払っても読みたくなるレベルの作品を書けたのがその年齡だったわけだ。作品は書けたがデビューまでにはさらに時間がかかる場合もある。とはいえ、今はどこかの出版社の編集者の目にとまるのを待つまでもなく、セルフ出版で直接読者に是非を問うことが可能になっている。

 今やセルフ出版で出るものがあまりに多く、その中で注目されるのもかつてよりずっと難しくなっている事情もある。ただ、セルフ出版にあっては、作品をとにもかくにも読む人間の数が、版元に投稿するよりも格段に多いこともまた確かだ。それにセルフ出版する人間をバックアップするインフラ、すなわち編集、校閲、デザイン、広報などの体制も整ってきていて、作品や出版物のクオリティも、既存版元から出るものと比べて遜色はなくなった。

 セルフ出版のしやすさは会社組織としての出版のしやすさにも通じる。さらに雑誌の数からいえば、オンライン雑誌の数は紙の雑誌とは桁が違って多いから、この面でもデビューしやすくなっている。Marion Deeds のように、定年退職してあらためてデビューする人も出てきた。かつてラファティが45歳で「老人」デビューだと評判になった。これからはディーズのような本物の老人が増えると面白い。

 全体に新人の数は増えている。若い頃は、出てくる面白そうな人は残らず読む気でいた。それは結局できず、限られた時間をいかに分配するかを考え、どれかを優先するしかない、と残された時間がなくなってようやく気づく。

 AIによる創作、AI の助けを借りた創作が金を払っても読みたくなるレベルになるには、AI 自身、もう一段のブレイクスルーが必要だろう。こちらが生きている間に出てくるか。(ゆ)

 これは英語圏のサイエンス・フィクション、ファンタジーの主な書き手をデビュー作発表年の順番にならべてみたリストである。

 もともとはキャサリン・マクリーンが1949年にデビューしていて、シルヴァーバーグよりも早いことに気がつき、その前後にデビューしていたのはどんな人たちだったかと調べはじめて拡大していったものだ。ネビュラのグランド・マスターをベースに、メジャーと目される人たちと自分の好み、関心のある書き手を拾いあげた。データは ISFDB で最も早い小説作品の発表年である。(長篇)としたのはデビュー作が長篇だった人。

 むろん、あの人がいない、この人もいないと指摘したくなるだろうが、それはご自分で調べてみればいい。新しい方は今年のグランド・マスター、ビジョルド(女性で7人目)を区切りとしている。


2023-05-07追記
 生没年とデビュー時の満年齢を加えてみた。単純計算なので、デビュー時の正確な年齡ではない。不悪。こうしてみると、またいろいろと見えてくる。

1926, エドモンド・ハミルトン 1904/1977; 22歳
1928, コードウェイナー・スミス 1913/1966; 15歳
1928, ジャック・ウィリアムスン 1908/2006; 20歳
1928, ミリアム・アレン・ディフォード 1888/1975; 40歳
1930, C. L. ムーア 1911/1987; 19歳
1930, オラフ・ステイプルドン 1886/1950; 44歳
1930, チャールズ・ウィリアムズ(長篇)1886/1945; 44歳
1931, クリフォード・D・シマック 1904/1988; 27歳
1931, ジョン・ウィンダム 1903/1969; 28歳
1931, ヘンリイ・カットナー 1915/1958; 16歳
1933, C・S・リュイス 1898/1963; 35歳
1934, スタンリィ・G・ワインボウム 1902/1935; 32歳
1934, フリッツ・ライバー 1910/1992; 24歳
1935, ジェイムズ・ブリッシュ 1921/1975; 14歳
1936, フレドリック・ブラウン 1906/1972; 30歳
1937, アーサー・C・クラーク 1917/2008; 20歳
1937, エリック・フランク・ラッセル 1905/1978; 32歳
1937, L・スプレイグ・ディ・キャンプ 1907/2000; 30歳
1937, J・R・R・トールキン(長篇) 1892/1973; 45歳
1938, シオドア・スタージョン 1918/1985; 20歳
1938, リチャード・ウィルスン 1920/1987; 18歳
1938, レイ・ブラッドベリ 1920/2012; 18歳
1938, レスター・デル・リイ  1915/1993; 23歳
1939, アイザック・アシモフ 1920/1992; 19歳
1939, アルフレッド・ベスター 1913/1987; 26歳
1939, アンドレ・ノートン 1912/2005; 27歳
1939, ウィリアム・テン 1920/2010; 19歳
1939, A・E・ヴァン・ヴォクト 1912/2000; 17歳
1939, C・M・コーンブルース 1923/1958; 16歳
1939, マーヴィン・ピーク 1911/1968; 28歳
1939, ロバート・A・ハインライン 1907/1988; 32歳
1940, デーモン・ナイト 1922/2002; 18歳
1940, フレドリック・ポール 1919/2013; 21歳
1940, リィ・ブラケット 1915/1978; 25歳
1942, ゴードン・R・ディクスン 1923/2001; 19歳
1942, ハル・クレメント 1922/2003; 20歳
1942, フィリップ・K・ディック 1928/1982; 14歳
1944, A・バートラム・チャンドラー 1912/1984; 22歳
1945, ジャック・ヴァンス 1916/2013; 29歳
1946, フィリップ・ホセ・ファーマー 1918/2009; 28歳
1946, マーガレット・セント・クレア 1911/1995; 35歳
1947, ポール・アンダースン 1926/2001; 21歳
1947, マリオン・ジマー・ブラドリー 1930/1999; 17歳
1948, ジュディス・メリル 1923/1997; 26歳
1948, チャールズ・L・ハーネス 1915/2005; 33歳
1949, キャサリン・マクリーン 1925/2019; 24歳
1949, ジェイムズ・E・ガン 1923/2020; 26歳
1949, ハーラン・エリスン 1934/2018; 15歳
1950, E・C・タブ 1919/2010; 31歳
1950, チャド・オリヴァー 1928/1993; 22歳
1950, リチャード・マシスン 1926/2013; 24歳
1951, J・G・バラード 1930/2009; 21歳
1951, ジーン・ウルフ 1931/2019; 20歳
1951, ゼナ・ヘンダースン 1917/1983; 34歳
1951, チャールズ・ボーモント 1929/1967; 22歳
1951, ボブ・ショウ 1931/1996; 20歳
1952, アルジス・バドリス 1931/2008; 21歳
1952, ジョン・ブラナー 1934/1995; 18歳
1952, Donald Kingsbury 1929/; 23歳 [Locus Best 1st Novel]
1952, フランク・ハーバート 1920/1986; 32歳
1952, ミルドレッド・クリンガーマン 1918/1997; 34歳
1952, ロバート・シェクリイ 1928/2005; 24歳
1952, ロバート・シルヴァーバーグ 1935/; 17歳
1953, アン・マキャフリィ 1926/2011; 27歳
1953, ロジャー・ゼラズニイ 1937/1995; 16歳
1954, エイヴラム・デヴィッドスン 1923/1993; 21歳
1954, キャロル・エムシュウィラー 1921/2019; 23歳
1954, バリントン・J・ベイリー 1937/2008; 17歳
1954, ブライアン・W・オールディス 1925/2017; 29歳
1955, ジョアンナ・ラス 1937/2011; 18歳
1956, ケイト・ウィルヘルム 1928/2018; 28歳
1956, マイケル・ムアコック 1939/; 17歳
1957, ピーター・S・ビーグル 1939/; 18歳
1958, キット・リード 1932/2017; 26歳
1959, R・A・ラファティ 1914/2002; 45歳
1960, スティーヴン・キング 1947/; 13歳
1960, ベン・ボヴァ 1932/2020; 28歳
1961, アーシュラ・K・ル・グィン 1929/2018; 32歳
1961, Sterling E. Lanier 1927/2007; 34歳
1961, フレッド・セイバーヘーゲン 1930/2007; 31歳
1962, サミュエル・R・ディレーニィ 1942/; 20歳(長篇)
1962, トーマス・M・ディッシュ 1940/2008; 22歳
1963, クリストファー・プリースト 1943/; 20歳
1963, ジョン・スラデック 1937/2000; 26歳
1963, Damian Broderick 1944/; 19歳
1963, テリィ・プラチェット 1948/2015; 15歳
1963, ノーマン・スピンラッド 1940/; 23歳
1964, キース・ロバーツ 1935/2000; 29歳
1964, ラリィ・ニーヴン 1938/; 26歳
1965, グレゴリー・ベンフォード 1941/; 24歳
1965, ジョセフィン・サクストン 1935/; 30歳
1965, ブライアン・ステイブルフォード 1948/; 17歳
1965, マイク・レズニック 1942/2020; 23歳
1966, M・ジョン・ハリスン 1945/; 21歳
1967, グレッグ・ベア 1951/2022; 16歳
1967, リチャード・カウパー 1926/2002; 39歳(長篇)
1967, ジョージ・R・R・マーティン 1948/; 19歳
1968, ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 1915/1987; 53歳
1968, ジェイン・ヨーレン 1939/; 29歳
1968, タニス・リー 1947/2015; 21歳
1969, イアン・ワトスン 1943/; 26歳
1969, ジョー・ホールドマン 1943/; 26歳
1969, スゼット・ヘイデン・エルジン 1936/2015; 30歳
1969, マイケル・G・コーニィ 1932/2005; 37歳
1970, ヴォンダ・N・マッキンタイア 1948/2019; 22歳
1970, エドワード・ブライアント 1945/2017; 25歳
1970, コニー・ウィリス 1945/; 25歳
1970, パメラ・サージェント 1948/; 22歳
1970, マイケル・ビショップ 1936/; 34歳
1971, オクテイヴィア・E・バトラー 1947/2006; 24歳
1971, Glen Cook 1944/; 27歳
1971, Rachel Pollack 1945/2023; 26歳
1972, ハワード・ウォルドロップ 1946/; 26歳
1973, Eleanor Arnason 1942/; 31歳
1973, パトリシア・A・マッキリップ 1948/2022; 25歳
1974, ジョン・ヴァーリィ 1947/; 27歳
1975, ジェイムズ・パトリック・ケリー 1951/; 24歳
1975, パット・マーフィー 1955/; 20歳
1976, カーター・ショルツ 1953/; 23歳
1976, キム・スタンリー・ロビンスン 1952/; 24歳 [Locus Best 1st Novel]
1976, C・J・チェリィ 1942/; 34歳(長篇)
1976, ジェフ・ライマン 1951/; 25歳
1976, ティム・パワーズ 1952/; 24歳(長篇)
1976, ナンシー・クレス 1948/; 28歳
1976, ブルース・スターリング 1954/; 22歳
1977, ウィリアム・ギブソン 1948/; 29歳
1977, オースン・スコット・カード 1951/; 26歳
1977, サムトウ・スチャリトクル 1952/; 25歳 [Locus Best 1st Novel]
1977, ジェイムズ・P・ブレイロック 1950/; 27歳
1977, ジェイムズ・P・ホーガン 1941/2010; 36歳(長篇)
1977, スティーヴン・R・ドナルドソン 1947/; 30歳(長篇)
1977, チャールズ・ド・リント 1951/; 26歳
1977, テリー・ブルックス 1944/; 33歳(長篇)
1977, パット・キャディガン 1953/; 24歳
1977, ポール・ディ・フィリポ 1954/; 23歳
1977, ルイス・シャイナー 1950/; 27歳
1978, ジョージ・ターナー 1916/1997; 62歳 ※小説家としてのデビューは1959年43歳。
1978, ジョン・ケッセル 1950/; 28歳
1978, フィリップ・プルマン 1946/; 32歳
1979, Suzy McKee Charnas 1939/2023; 40歳
1979, ダグラス・アダムズ 1952/2001; 27歳(長篇)
1979, ロバート・L・フォワード 1932/2002; 45歳 [Locus Best 1st Novel]
1979, ロビン・ホブ/ミーガン・リンドルム 1952/; 27歳
1980, デイヴィッド・ブリン 1950/; 30歳(長篇)
1980, マイケル・スワンウィック 1950/; 30歳
1981, ジャック・マクデヴィッド 1935/; 46歳 [Locus Best 1st Novel]
1982, イアン・マクドナルド 1946/2022; 36歳 [Locus Best 1st Novel]
1982, ダン・シモンズ 1948/; 34歳
1982, Terry Dowling 1947/; 35歳
1982, トレイシー・ヒックマン 1955/; 27歳
1982, ロバート・ジョーダン 1948/2007; 34歳(長篇)
1983, グレッグ・イーガン 1961/; 22歳
1983, スティーヴン・ブルースト 1955/; 28歳(長篇)
1983, ルーシャス・シェパード 1943/2014; 40歳
1984, ウォルター・ジョン・ウィリアムス 1953/; 31歳(長篇)
1984, Emma Bull 1954/; 30歳 [Locus Best 1st Novel]
1984, ジョフリー・A・ランディス 1955/; 29歳 [Locus Best 1st Novel]
1984, デヴィッド・ゲメル 1948/2006; 36歳(長篇)
1984, マイケル・F・フリン 1958/; 26歳 [Locus Best 1st Novel]
1984, ニール・ゲイマン 1960/; 24歳
1984, ポール・J・マコーリィ 1955/; 29歳
1984, マーガレット・ワイス 1948/; 36歳
1985, カレン・ジョイ・ファウラー 1950/; 35歳
1985, タッド・ウィリアムス 1957/; 27歳(長篇)
1985, チャールズ・ストロス 1964/; 21歳
1985, デリア・シャーマン 1951/; 34歳
1985, ロイス・マクマスター・ビジョルド 1949/; 36歳

 生年ではなく、デビューの年でみるといろいろと面白い。1937〜40年組(キャンベル革命)とか、51/52年組とか、76/77年組とか、あるいは68年、70年の女性トリオとか、やはり塊で出てくるものだ。こういうつながり、塊をたどって読んでみるのも面白いだろう。

 一方、ブリッシュは「御三家」よりも早いとか、ル・グィンとセイバーヘーゲンが同期とか、「御三家」と同世代と思っていたアンダースンがひと回り下だとか、60年代の人と思っていたゼラズニィが50年代も初めの頃から書いていたとか、サイバーパンクでギブスンやスターリングとひとくくりにされたベアはひと回り上だとか、70年代になって名前が出てきたジーン・ウルフが1951年にデビューしているとか、他にも読み方を変える発見もあるかもしれない。マリオン・ジマー・ブラドリーが1947年、17歳でデビューしていたのは、あたしにはその1つ。もっともこれは自分でやっていたファンジンで、明確なプロ・デビューは1954年4月のF&SF。

 「御三家」はほぼ同期だが、ディック、ラファティ、ティプトリーの「新御三家」はバラバラ。

 マクリーンに関して言えば、エリスンと同期、メリルは1年先輩になる。その前から書いている女性作家というと、リィ・ブラケット、C・L・ムーア、アンドレ・ノートン、マーガレット・セント・クレア、そしてミリアム・アレン・ディフォードがいたわけだ。

 この中であたしがリアルタイムで体験した初めはジョン・ヴァーリィである。ちょうど Asimov's 誌創刊の頃でもあって、70年代半ばはこうして見ても実にエキサイティングな時期だった。ヴァーリィの登場はいわばその幕を切って落とすファンファーレでもあり、また最も華やかな才能が眼の前で花開いてゆくのをまざまざと見せつけられるものだった。F&SF誌に載った「火星の王の宮殿にて」に描かれた、眠っていた火星の生物たちが時を得て次々と姿を現してくるめくるめく情景は、サイエンス・フィクションを読んでいて最も興奮した瞬間の1つでもあった。この時期には『スター・ウォーズ』革命も重なるわけだが、その前から、質の面でも、サイエンス・フィクションは60年代の試行錯誤による成果を踏み台に、大きな飛躍が始まっていたのだ。

 SFFの質の向上の現れは、たとえばヴァーリィを紹介したF&SF誌の充実ぶりに見てとれる。1970年代のF&SFは黄金時代と言っていい。1966年から1991年まで編集長を務めた Edward L. Ferman は1981年のヒューゴーでは Best Professional Editor とともに、「ジャンルにおける作品の質の拡大と改善への貢献」に対して特別賞を授与されている。

 ヴァーリィはどれもこれも面白く、成功しているとは言えない長篇も楽しんでいたところへ、脳天一発かち割られたのが「残像」The Persistence of Vision だった(これまたF&SF誌発表)。これはおそらく英語で書かれた長短合わせて全てのサイエンス・フィクションの中でも最高の1作、いや、およそ英語で書かれたすべての小説の中で最高の作品の1つだが、1個の究極でもあって、その衝撃は大きかった。これ以後のヴァーリィはいまだに読んでいない。

 まあ、あたしはいつもそうで、ル・グィンもバラードもシェパードも、一時期夢中になって読むが、あるところまで行きつくと、ぱたっと読まなくなる。しばらく経ってから、また読みだすが、ヴァーリィはまだ読む気になれない。それだけ「残像」のショックが大きかったということか。

 われわれの五感とコミュニケーションのそれぞれと両者の絡み合いについて、これほど深く掘り下げて、その本質を、本来言葉にできない本質を、同時に言葉でしか表現できない本質を、ありありと感得させてくれた体験を、あたしはまだ他に知らない。ハンディキャップや disabled とされてきた状態も個性であり、多様性の一環として捉えようという時代にあって、一方で、デジタル技術によるリアルタイム・コミュニケーションに溺れる人間が多数派になっている時代にあって、「残像」はあらためて熟読玩味されるべき作品ではある。

 ヴァーリィと言えば、長篇 Wizard に登場する異星人がとりうる複数の性の対応関係を示したチャートについて、作家の Annalee Newitz が先日 Tor.com に書いた記事のコメント欄にヴァーリィ本人が登場したのは面白かった。しかも、この記事のことはグレゴリー・ベンフォードから教えられた、というのもまた面白い。やあっぱり、皆さん、あそこはチェックしてるんですなあ。これを見て、Titan だけ読んだ「ガイア三部作」も含めて、あらためて「残像」以降のヴァーリィを読もうという気になったことではある。(ゆ)


2019-12-24追加
1934, スタンリィ・G・ワインボーム
1976, カーター・ショルツ

2019-12-30追加
1963, テリィ・プラチェット
1977, テリー・ブルックス(長篇)
1979, ダグラス・アダムズ(長篇)
1984, デヴィッド・ゲメル(長篇)

 Subterranean Press のニュースレターでトム・リーミィの全中短篇集成の予告。未発表ノヴェラ収録とあっては買わないわけにはいかない。例によって送料がバカ高いが、やむをえん。昔出た San Diego Lightfoot Sue and Other Stories はもちろん買って、断片まで含めて、隅から隅まで読んだ。レオ&ダイアン・ディロンによるカヴァーにも惚れ惚れした。

 リーミィを知ったのはもちろん伊藤典夫さんの訳で SFM に載った「サン・ディエゴ・ライトフット・スー」で、何度読みかえしたかわからない。ああ、このタイトル。70年代だよねえ。F&SF1975年8月号巻頭を飾る。翌年ネビュラ受賞。1970年代の F&SF は本当に凄かった。後年、ロサンゼルスに仕事で半年住んだ時、最初の週末にわざわざローレル・キャニオン・ドライヴを走り、Hollywood Sign に行ってみたものだ。

 その Subterranean Press は先日久しぶりのティプトリーの作品集もアナウンスして、未発表、単行本未収録は無いようだが、やはり注文してしまった。

 これらのカネをさて、いったいどうやって工面するか。

 Subterranean Press の本は絶対逃せないものは直接注文するが、それほどでもない時はアマゾンに注文している。送料の桁が違って安い。そこでやって来たのが Jack McDevitt, Return To Glory。あらためて確認すると、この人、なんとシルヴァーバーグと同い年、3ヶ月しか違わない。ただし、デビューはシルヴァーバーグから遅れること四半世紀。というわけで、シルヴァーバーグはそろそろ燃え尽きているが、マクデヴィットは87歳でばりばり書いている。この本にも未発表短篇が5本ある。

Return to Glory
McDevitt, Jack
Subterranean Pr
2022-10-31



 シルヴァーバーグはすでに多すぎるくらい書いているわけで、もう何も書かなくても十分ではある。Subterranean Press はシルヴァーバーグも熱心に出していて、年明け早々に Among Strangers がやってきた。アマゾンに注文したのを忘れていた。3本の長篇とノヴェラを収めたこのオムニバスをぱらぱらやっていると、にわかにシルヴァーバーグが読みたくなり、買いためてあった中短篇集を掘りだしてきた。Subterranean Press からの中短篇全集も買ってはあるが、あえてなるべくオリジナルの形で読んでみたくなる。

Among Strangers
Silverberg, Robert
Subterranean Pr
2022-12-01



 昨年アメリカの出版界で最も話題になったのはブランドン・サンダースンの Kickstarter プロジェクトだった。COVID-19 で本のプロモーションのためのツアーが全部なくなった。それまでかれは1年の3分の1をツアーに費していたから、時間があいてしまった。そこで何をしたかというと、誰にも内緒で長篇を4本書いてしまった。それらを自分で出版するのに資金を募ったら、185,341人の支援者によって 41,754,153USD、今日のレートで55億円弱という Kickstarter 史上最高額の寄付が集まり、サンダースンの版元である Tor だけでなく、出版界全体が青くなった。

 その秘密の長篇4本の最初の1冊 Tress Of The Emerald Sea がやってきた。本だけでなく、特製の栞やらピンバッジやら、いろいろおまけも入っている。輸送用の外箱も、中のクッションも専用に作ったらしい。あんまり綺麗なので、シュリンクラップを破る気になれない。中身は電子版で読めるから、当分、このまま積んでおこう。

TotEScntnts

TotESpin


 それにしても、これらの本は、あたしが死んだら、どこへ行くのだろうか。(ゆ)

08月31日・水
 Margaret Weis & Tracy Hickman, Dragons Of Deceit: The Dragonlance Destinies, Vol. 1 着。The War Of Souls 以来20年ぶりのオリジナル・デュオによる『ドラゴンランス』新作。一度は Wizards of the Coast と訴訟騒ぎにまでなったが、無事刊行されてまずは良かった。


 

 タッスルが持つ時間旅行機を使って、父親が戦死する過去を改変しようとする娘の話。タイムトラベルはサイエンス・フィクションの常套手段の一つだが、ファンタジーではロマンス用以外に真向から歴史改変を扱うのは珍しいんじゃないか。

 さてさて、これを機会に、最初から読みなおすか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月31日には1968年から1985年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。3ドル。セット・リスト不明。リザーヴェイション・ホールジャズ・バンド、サンズ・オヴ・シャンプリン共演。

2. 1978 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。8.25ドル。開演7時半。
 第一部クローザー前で〈From The Heart Of Me〉、第二部オープナーで〈Shakedown Street〉がデビュー。
 〈From The Heart Of Me〉はドナの作詞作曲。翌年02月17日まで27回演奏。それまでの〈Sunrise〉に代わってドナの持ち歌として歌われた。スタジオ版は《Shakedown Street》所収。曲としてはこちらの方が出来はいいと思う。
 〈Shakedown Street〉はハンター&ガルシアの曲。1995年07月09日まで、計163回演奏。スタジオ版はもちろん《Shakedown Street》所収。踊るのに適しているのでデッドヘッドの人気は高い。

 デッドのショウの会場周辺、典型的には駐車場でデッドヘッドたちが開く青空マーケットが "Shakedown Street" と呼ばれた。売られていたのは食べ物、飲物、衣類とりわけタイダイTシャツやスカーフ、バンバーステッカー、バッジなどのアクセサリー、同人誌、ショウを録音したテープなどなど。各種ドラッグもあった。このマーケットによって地元にも経済効果があったが、そこに集まるデッドヘッドの風体とドラッグの横行に、これを嫌う自治体も多く、1980年代末以降、新たなファンの流入で規模が大きくなると、地元との摩擦が問題となった。デッドとしてはショウができなくなるのが最大の問題なので、後にはマーケットは開かないよう間接的にデッドヘッドに訴えた。もっともデッドヘッドはそれでおとなしくハイハイとやめるような人間たちではない。ビル・グレアムが設計したカリフォルニア州マウンテンヴューのショアライン・アンフィシアターでは、「シェイクダウン・ストリート」を開けるスペースがあらかじめ組込まれているが、これは例外。

3. 1979 Glens Falls Civic Center, Glens Falls, NY
 金曜日。9.50ドル。開演7時。
 第一部クローザー前で〈Saint Of Circumstance〉がデビュー。〈Lost Sailor〉とのペアの最初でもある。バーロゥ&ウィアの曲。1995年07月08日まで222回演奏。演奏回数順では63位。〈Ship of Fools〉より4回少なく、〈Franklin's Tower〉より1回多い。〈Lost Sailor〉が演奏された間はほぼ例外なくペアとして演奏されたが、〈Lost Sailor〉がレパートリィから落ちた後も演奏され続けた。ペアとしての演奏は1986年03月24日フィラデルフィアが最後。単独では76回演奏。スタジオ盤は《Go To Heaven》収録。

4. 1980 Capital Centre, Landover , MD
 日曜日。8.80ドル。
 第一部クローザー前の〈Lazy Lightning> Supplication〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 これも宝石の1本といわれる。アンコール〈Brokedown Palace〉の途中でガルシアのギターの音が消えるハプニング。
 〈Lazy Lightning> Supplication〉はすばらしい。後半のジャムはベスト・ヴァージョンの一つ。

5. 1981 Aladdin Hotel Theatre, Las Vegas, NV
 月曜日。12ドル。開演8時。
 第二部前半、オープナー〈Lost Sailor〉から〈Playing In The Band〉までをハイライトとして、見事なショウだそうだ。
 終演後、観客は専用のルートで外に誘導された。デッドヘッドがカジノに溢れるのをホテル側が恐れたらしい。

6. 1983 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts, Eugene, OR
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演8時。
 第一部クローザー〈Cassidy> Don't Ease Me In〉が2010年の、第二部2曲目からの〈Playing In The Band> China Doll> Jam〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 後者は面白い。〈Playing In The Band〉は10分ほどで、最後までビートがキープされて、型が崩れず、その上でジャムが進行する。テンポが変わらないまま、ガルシアが〈China Doll〉のリフを始め、他のメンバーが段々乗ってきて遷移。ガルシアは歌詞をほうり出すように歌う。むしろドライな演奏。センチメンタルなところがない。歌が一通り終るといきなりテンポが上がってジャム。定まったメロディのない、デッド独得のジャムで、ミドランドが愉しい。このミドル、スロー、アップというテンポの転換もいい。

7. 1985 Manor Downs, Austin, TX
 土曜日。13ドル。開演8時。
 良いショウだそうだ。(ゆ)

08月21日・日
 シュティフターがあまりに面白いので、買ってあるはずの本を探して、前に本を積んで普段アクセスできない奥になっている本棚を捜索。『晩夏』を除いて無事発見。ついでにいろいろ、探していた本が出てくる。ピーター・S・ビーグルの第2作品集 The Rhinoceros Who Quoted Nitzsche が見つかったのは嬉しい。よし、あらためて作品集を読むぞ。ストルガツキー兄弟の本も出てくる。読み返したかったデヴィッド・リンゼイの長篇第二作 The Haunted Woman も見つかる。これは『アークチュルスへの旅』とはうって変わって、ほとんど古典的な幽霊屋敷譚として始まりながら、どんどん逸脱していく傑作という記憶があるが、結末を忘れてしまっている。いやあ、読む本はほんとにキリがない。

 しかし『晩夏』はどこへ行った? こうなるとまた別の本棚を捜索せねばならぬ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月21日には1968年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。3ドル。カレイドスコープ、アルバート・コリンズ共演。
 すばらしいショウのようだ。

2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 月曜日。このヴェニュー4本連続の初日。
 ピークのこの年のベスト・ショウの呼び声が高い。
 〈Black-throated Winds〉の後でレシュが、ピグペンはヨーロッパでヘパティティスを貰ってきたので、半年間は野菜を食べる他は何もしてはいけないことになっている、と説明した。
 ここでの〈Dark Star〉は他に似たもののないユニークで無気味で不思議な演奏だと、ヘンリー・カイザーが DeadBase XI で書いている。これはおそらくかれのアルバム《Eternty Blue》のためのリサーチの一環だろう。このアルバムはデッドのカヴァー・アルバムでも出色の1枚。選曲も、参加ミュージシャンも面白い。〈Dark Star〉で〈A Love Supreme〉をはさむということをやっている。

3. 1980 Uptown Theatre, Chicago, IL
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。13.50ドル。開演7時半。
 第一部は古い曲中心。第二部はドラマーたちのソロで始まり、〈Uncle John's Band〉がほぼ第二部全体をはさむ。アンコールに〈Albama Getaway〉というのも珍しく、すばらしいショウだそうだ。

4. 1983 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演2時。
 オープナーが〈Cassidy〉は珍しい。ので、これも良いショウのようだ。

5. 1993 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。06月26日以来、ほぼ2ヶ月ぶりのショウ。26ドル。開演2時。
 インディゴ・ガールズ前座。第二部4曲目〈Truckin'〉から〈Good Morning Little Schoolgirl > Smokestack Lightnin'〉、drums> space 後の〈The Last Time〉まで、ヒューイ・ルイスがハーモニカで参加。
 ヴェニューも、ユージーンの街もデッドとデッドヘッドに良い環境を提供し、ショウはすばらしいものになった。
 母親に連れられてきていた幼ない女の子にもガルシアは好ましい印象を与えたらしい。(ゆ)

08月15日・月
 ワシーリー・グロスマンの Stalingrad 着。1,000ページ超。

Stalingrad (English Edition)
Grossman, Vasily
NYRB Classics
2019-06-11



 序文と後記によると、これは For A Just Cause(むろんそういう意味のロシア語のタイトル)として1954年にソ連で初版が出た本の英訳。だが、この本は当時の検閲を通るため、大幅な削除がされている。後、二度、再刊され、最後の1956年版はフルシチョフによる「雪解け」期に出たため、削られたものがかなり復活している。

 モスクワのアーカイヴには手書き、タイプ、ゲラの形のテキストが9つある。このうち第三版がかなりきれいなタイプ原稿で、手書きの訂正が入っている。分量からしても、最も完全に近い。以後の版では第五版と第九版に新たな要素がある。

 この英訳版は1956年の刊本をベースに、プロットはそれに従いながら、第三版のタイプ原稿から追補した。ただし、そっくり全部ではない。この本と『人生と運命』は本来1本の作品として構想されていた。1956年版が終っているところから『人生と運命』が始まる。原稿第三版には『人生と運命』と1本とみた場合に、プロットに違背する部分がいくつかある。その部分を外した。

 本文の決定は訳者の一人 Robert Chandler とグロスマンの最新の伝記の著者の一人 Yury Bit-Yunan があたった。ロシア語の校訂版が存在しない現時点での最良のテキストを用意するよう努めた。

 ロバート・チャンドラーは序文で、本書刊行本の成立事情を解説している。この小説はもちろんグロスマン自身のスターリングラード体験が土台になっているが、執筆の動機としてはむしろ外からの、それもスターリン政権から暗黙のうちに示されたものだった。この独ソ戦はソ連にとってまず何よりもナポレオン戦争の再現だった。だから戦争遂行のため、『戦争と平和』が利用される。実際、スターリングラードでロシア軍の最も重要な指揮官も『戦争と平和』に頼った。ロディムツェフはこれを3回読んだ。チュイコフは作中の将軍たちのふるまいを己のふるまいの基準とした。
 そして戦後にあって、この勝利を永遠のものとするような小説作品、20世紀の『戦争と平和』を政権は手に入れようとする。グロスマンはトルストイに挑戦することに奮いたったのだ。

 グロスマン自身、戦争の全期間を通じて、読むことができたのは『戦争と平和』だけだった、と述懐している。これを二度読んだという。スターリングラードの戦場から娘にあてた手紙にも書く。
「爆撃。砲撃。地獄の轟音。本なんて読めたもんじゃない。『戦争と平和』以外の本は読めたもんじゃない」

 政権は自分に都合のよいヴァージョンを得ようとして、グロスマンに原稿を「改訂」させようとする。一方で、グロスマンはスターリン政権末期のユダヤ人弾圧の標的にもされる。For A Just Cause として本篇がまがりなりにも刊行されたのは、ひとえにスターリンが死んだからだ。

 こうなると、『戦争と平和』も読まねばならない。あれも初めの方で何度も挫折している。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月15日には1971年から1987年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1971 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 非常に良いショウだそうだ。
 デッドヘッドのすべてがバンドと一緒にツアーしていたわけではなく、地元に来ると見に行く、という人たちも当然いた。むしろ、その方が多かっただろう。
 ヴェニューはバークリー高校の敷地内にある。収容人員3,500弱。この時期、ビル・グレアムがフィルモアと並んでここを根城にコンサートを開いている。デッドの2週間前がロッド・スチュワート付きフェイセズ、デッドの翌週末がスティーヴン・スティルス。その週はさらにフランク・ザッパ、プロコル・ハルム、そして9月半ばにレッド・ツェッペリン。とポスターにはある。

2. 1981 Memorial Coliseum, Portland, OR
 土曜日。北西部3日間の中日。10ドル。開演7時半。
 充実したホットなショウの由。

3. 1987 Town Park, Telluride, CO
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。20ドル。開演2時。Olatunji and the Drums of Passion 前座。KOTO FM で放送された。オラトゥンジのバンドは前座だけでなく、コンサートに先立って、メインストリートを太鼓を叩きながら練りあるいた。
 ここはジャズとブルーグラスのフェスティヴァルで有名なところだが、音楽を味わうにふさわしい環境の場所らしい。デッドの音楽は、たとえばキース・ジャレットのピアノ・ソロのように、演奏される場、場所を反映する。シスコとニューヨークでは、その音楽は同じだが違う。ここでもやはり違っていたようだ。こういうショウはその場にいて初めて全体像が把握できるのだろう。後で音だけ聴くのではやはり届かないところがある。
 一方で、すべての現場に居合わせるわけにもいかない。ソローが歩きまわった場所に今行っても、同じ光景は見られない。しかしソローが歩きまわったその記録を読んで疑似体験することはできる。(ゆ)

08月13日・土
 Yiyun Li の新作 The Book Of Goose。FSG のニュースレターから PW のレヴューを読む。1996年、中国からアメリカに移住。ウィキペディアに記事があり、邦訳も5冊ある。エリザベス・ボゥエンが書評している第2次大戦後にフランスでいっとき流行った十代の著者による小説の1本に引っかかり、この本にまつわる話をネタとして書いた架空の歴史小説。ボゥエンが評した実在の本の著者の少女は文盲であることが後に判明する。リーの小説ではこれを巧妙にアレンジしている。面白そうだ。完全に第二言語で小説を書く、という点ではコンラッドの後継の一人。ユキミ・オガワもそうだな。

The Book of Goose: A Novel (English Edition)
Li, Yiyun
Farrar, Straus and Giroux
2022-09-20

 

 八木詠美の『空芯手帳』が Diary Of A Void として英訳されたのも PW の starred review にある。原書は筑摩で各国語版の版権がどんどん売れているらしい。いろいろな意味で国境は薄れている。


 
空芯手帳
八木 詠美
筑摩書房
2020-12-02



%本日のグレイトフル・デッド
 08月13日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演ジェファーソン・エアプレイン。セット・リスト不明。

2. 1967 West Park, Ann Arbor, MI
 日曜日。午後のショウで、あるいはフリー・コンサートか。詳細、セット・リスト不明。

3. 1975 The Great American Music Hall, San Francisco, CA
 開演9時。この年4本だけ行なったグレイトフル・デッドとしてのショウの3本目。少数の招待客を相手に、翌月リリースの新譜《Blues For Allah》の全曲を演奏した。曲順はアルバム通りではなく、全体に散らされた。〈King Solomon's Marbles〉は第一部クローザー、〈Blues for Allah〉が第二部クローザー。
 全体が《One From The Vault》でリリースされた。このアーカイブ・リリースはショウの全体が丸々公式にリリースされた初めてのもの。
 FM放送されたため、早くからブートレグがあり、テープも広く出回っていた。
 第一部4曲目で〈The Music Never Stopped〉がデビュー。
 バーロゥ&ウィアの曲で、1995年06月28日まで233回演奏。演奏回数順では58位。〈Dark Star〉より3回少なく、〈Dire Wolf〉より6回多い。タイトル通り、デッドの音楽は止まらないことを象徴する1曲で、セットやショウのクローザーまたはオープナーになることが多い。
 デッドの曲はまずライヴでデビューして最低でも1、2年は揉まれてからスタジオ盤に入ることが多いが、これは珍しく、レコードのために書かれている。
 《Blues For Allah》全体が、白紙状態でスタジオに入ってから曲を作るという手法で制作されたので、このアルバムの曲はどれもライヴで練られてはいない。そのせいか、レパートリィに残った曲も他のレコードに比べて少ない。
 オープナーの〈Help on the Way〉はヴォーカル入りではこれが初演。
 ヴェニューは収容人員470のコンサート・ホール。元は1907年に建てられたホールで Blanco's という名称。一時、Misic Box と呼ばれた。1972年、改修されてこの名前になる。ロックだけではなく、ジャズ、フォーク、カントリー、レヴュー、バーレスクなど演し物は幅広い。当初はジャズが多かった。この日デッドとして出る前にガルシアはマール・ソーンダースやリージョン・オヴ・メアリ、ジェリィ・ガルシア・バンドでも出ている。

4. 1979 McNichols Arena, Denver, CO
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。9.35ドル。開演7時。
 レッド・ロックスで3日間の予定だったが、雨が降りやまず、使えなくなって会場が変更になった。
 アンコール〈Sugar Magnolia〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

5. 1987 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。17ドル。開演7時。
 珍しくもアンコールに3曲。

6. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。22.50ドル。開演7時。
 出来は良いようだ。一度は聴く価値があるとのこと。(ゆ)

06月09日・木
 東京創元社から『黄金の人工太陽』見本2冊着。あたしが訳したアリエット・ド・ボダール「竜が太陽から飛び出す時」が再録されている。



 もともとこちらが初出。翌年ドゾアの年刊ベスト集第35集に収録された。これでアリエットの「シュヤ宇宙」のシリーズに興味が湧いたら、ぜひ『茶匠と探偵』もお読みくだされ。

茶匠と探偵
アリエット・ド・ボダール
竹書房
2019-12-07



%本日のグレイトフル・デッド
 06月09日には1967年から1994年まで11本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本。

01. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 金曜日。このヴェニュー10日連続のランの9日目。セット・リスト不明。

02. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。セット・リスト不明。

03. 1973 RFK Stadium, Washington, DC
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。7ドル。開演8時。オールマン・ブラザーズ・バンドとのジョイント。この日はダグ・ザームが前座で、デッド、オールマンの順。
 炎熱の日で、演奏も同じくらいホットだった。

04. 1976 Boston Music Hall, Boston, MA
 水曜日。このヴェニュー4日連続のランの初日。29日までの夏のツアーのスタート。7.50ドル。開演7時。《Road Trips, Vol. 4, No. 5》で全体がリリースされた。ここから19日までのボストン、ニューヨーク、ニュー・ジャージー州パセーイクの9本のランは大部分が公式リリースされている。

05. 1977 Winterland, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。《Winterland June 1977: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。
 まず第一部後半、〈Sunrise〉〈Deal〉〈Looks Like Rain〉〈Loser〉〈The Music Never Stopped〉、どれもこれもその歌のベスト・ヴァージョンと思えるものばかりが並ぶ。このあたりの充実ぶりは春のツアーをも凌ごうという勢い。ガルシアは意外性に満ちながら、その場にどんぴしゃのギターを弾きつづけ、3人のヴォーカルが力強く、ハーモニーはぴたりと合い、バンド全体が愉しくてしかたがないという響き。
 その勢い、好調が第二部もその高まったまま最後まで続く。Drums までがこの年のベストと思わせる。この日はハートの煽りがよく効いている。ツイン・ドラムの推進力が全体を押し上げている。
 この3日間はホップ・ステップ・ジャーンプで、これが文句無しにベストだが、バートン・ホールと比べても、どちらが上か迷うところ。たとえて言えば、デッドの全キャリアの中で選びだすならバートン・ホールかもしれないが、1977年を代表する1本といえばこちらを選びたい。

 しかし好事魔多し。この後、06月20日にミッキー・ハートが車を運転していて道路から飛び出す事故を起こす。鎖骨が折れ、肋骨に数本罅が入り、肺に穴が穿いた。このため7、8月の夏のツアーはキャンセルとなり、次のショウは09月03日ニュー・ジャージー州イングリッシュタウン。夏のツアーの埋め合せとして、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジとマーシャル・タッカー・バンドを前座として開かれ、15万人が集まった。

06. 1984 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。15ドル。開演2時。
 開演前に俄雨が降って、おかげでみな熱中症にならずにすんだ由。
 ショウそのものも非常にホットだそうな。とりわけ〈Playing In The Band〉。

00. 1987 Club Front, San Rafael, CA
 これはショウではなく、ディランとのツアーのためのリハーサルだが、この日のリハーサルの録音から1曲〈Man of Peace〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた。ディランの原曲は《Infidel》1983収録。
 これとは別に05月のリハーサルのテープも残っている。
 〈Man of Peace〉はこの年07月のディランとのツアー中に3回演奏された。

07. 1990 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時半。
 前日ほどではないが、良いショウの由。

08. 1991 Buckeye Lake Music Center, Hebron, OH
 日曜日。22.50ドル。開演6時。ブルース・ホーンスビィ参加。Violent Femmes 前座。この前座はサプライズだったらしい。一部はブーイングをしたが、全体としては愉しんだようだ。
 Violent Femmes は1979年にミルウォーキーで結成されたフォーク・パンク・バンド。1983年デビュー・アルバムを出す。1987年に一度解散。翌年再編して2009年まで続く。2013年に3度再編して現役。
 デッドのショウは上々の出来の由。

09. 1992 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時。
 前の晩で精力を使いはたしたか、お疲れのご様子だった由。

10. 1993 The Palace, Auburn Hills, MI
 水曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時。
 前の晩よりも良いショウの由。

11. 1994 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。26.50ドル。開演7時。
 第一部クローザー前で〈If The Shoe Fits〉がデビュー。Andrew Charles の詞にレシュが曲をつけた。1995-03-14まで17回演奏。スタジオ盤収録無し。(ゆ)

06月07日・火
 『アンカー・コズミカ英和辞典』が着いて、巻末の『apple は「りんご」か』を早速一読。これを読めと言われて買った。こりゃあ、傑作。この人の論文も面白かったが、これは話がより具体的でより明解。読んで爽快。



 ここには従来の英和辞典、英語外蕕悗猟卜な批判でもあって、英語の教師たちには嫌われるだろう。なにせかれらは、ここで批判されている英語学習者そのものなのだから。すなわち

英語学習者の一部の人は、英語を使うことは暗記した名詞に、暗記した文法のルールによって a を付けたり、the を付けたり、単語を正確に並べたりすることだとしか考えていないようだ。

 別の言い方をすれば、言語が異なることは、世界の把握のしかたが異なることだ、と認識していない。英語を学ぶのは、その異なるものの見方、そこに映っている異なる世界像を学んで、なるべく同じ見方、世界像を見ようと努力することに等しい、こともわかっていない。かれらにとって英語は学科の一つであり、その試験で高得点を取ることがこの世で1番大事なことであって、異なる言語を身につけ、使えるようにすることはせいぜいが副産物だ。

 ここで実に明解に説明されている英語と日本語各々の性格、特徴の比較は面白いと同時に恐しい。英語では

話の中で名詞を使って実物を示すたびに、「あなた(聞き手)のイメージする個体は私(話し手)のイメージする個体と一致しない、しなくてもいいよ」または「両者は一致する、しないと困るよ」という情報を名詞に付けて、名詞とともに話し手から聞き手に送る。

 日本語ではこの情報は状況まかせで判断する。ある一文を聞いた、読んだだけでは、このどちらの場合なのかはわからない。それが発せられた状況、聞かれた状況を知らねばならない。話し手と聞き手が時空を同じくする、双方の状況が共通の場合には誤解はより少なくなるだろうが、異なる場合には、誤解の可能性が大きくなる。

 あるいは日本語による情報伝達には、送り手と受け手は互いの状況が互いにわかっている、共通であることが前提になっている。これは英語と比較した場合に浮かびあがる日本語の性格だ。これが当っているなら、日本語は英語よりも緊密でクローズドな人間関係から生まれている。私とあなたは「同じ釜の飯を食っている」。送り手と受け手がイメージする個体が一致しなくてもいい場合としなくては困る場合の区別を言語そのものに乗せて送る英語は、「違う釜の飯を食って」いる人間同士の意思疎通、情報交換により適するだろう。英語がリンガ・フランカになっている理由の一つはこれではないか。

 日本語がリンガ・フランカにならなくてもかまわないが、ネイティヴではない日本語の使い手、このテルケ氏のような人たちがこれから増えるだろう。今でもかなりの数、前世紀には考えられなかった規模の数の人間が日本語を「使って」いる。自動翻訳を介して日本語をやりとりしている人を含めれば、その数倍ないし数十倍あるいはそれ以上になると思われる。リンガ・フランカではなくても、ある分野に限れば日本語がメインに使われることはあるだろう。そういうところで、食っている飯を炊く釜が異なる、そもそも釜なんか使わない人たちが使う日本語はどういうものになるか。釜の違いがどうあれ、その日本語はネイティヴのものからは変わってくる。これは面白い。英語だって、今や様々な英語がある。イングランド、スコットランド、アイルランド各々の英語、アメリカの英語、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語、インドの英語、南アフリカやナイジェリアの英語、フィリピン、シンガポールの英語。英語はそういう変化・変異を呑みこんで、なおかつ英語でありつづける柔軟性がある。日本語にそういう柔軟性があるか、試されている。

 それにしても、文法のルールの書き方について、本当にそろそろ見直した方がいいと思うけどね。冠詞は名詞についてるんじゃない、名詞が表現しているものについているんだ、というのは正鵠を射ている。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月07日には1967年から1991年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 水曜日。このヴェニュー10日連続のランの7日目。セット・リスト不明。

2. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。1週間前にもここで三連荘をやっている。共演ジェファーソン・エアプレイン、フリートウッド・マック。セット・リスト不明。DeadBase XI は〈St. Stephen> Dark Star〉がこの3日間のどれかのオープナーだったとしている。事実とすれば、どの日にしても〈St. Stephen〉の初演。明確に記録にあるものでは06-14のフィルモア・イーストが初演。西海岸では08-21のフィルモア・ウェスト。
 この曲はハンター&ガルシアの曲。1983-10-31まで164回演奏。デッドのレパートリィでも最も複雑な構成の曲の一つで、中間の通称 "William Tell Bridge" はクラシックのバロック的メロディと雰囲気を持つ。メインのメロディも明らかにイングランドの伝統歌のメロディ、音階を借りている。フェアポート・コンヴェンションが演りそうなメロディ。だが、まったく同じものはやっていないと思う。スタジオ盤は《Aoxomoxoa》収録。
 史上、St. Stephen と呼ばれる人物は複数いるが、ハンターは特定の人物を歌ったものではないとしている。

3. 1969 Fillmore West, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー5日連続のランの中日。3.50ドル。Jr ウォーカー、Glass Family 共演。
 テープでは12曲90分強のセットで、冒頭〈Dire Wolf〉からの3曲はアコースティック。
 SetList のサイトにはかつてこれに加えてもう12曲のリストがコメント欄に上がっていたが、現在は消えている。DeadLists でも追加は無し。DeadBase XI でも同じセット・リストを上げて、不完全かもしれないと添えている。
 クローザー〈Turn On Your Lovelight〉にジャニス・ジョプリンが参加。ピグペンと歌いかわした。それも含めて見事なショウの由。
 オープナーで〈Dire Wolf〉がデビュー。ハンター&ガルシアの曲。1993-05-27まで計227回演奏。演奏回数順では〈They Love Each Other〉と並んで59位。〈The Music Never Stopped〉よりも6回少なく、〈Cumberland Blues〉よりも1回多い。スタジオ盤は《Workingman's Dead》収録。
 このデビューもそうだが、アコースティックで演奏されることも少なくない。

4. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー4日連続のランの3日目。3ドル。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、サザン・カンフォート共演。
 オープナー〈Don't Ease Me In〉から〈Swing Low Sweet Chariot〉までの6曲はアコースティック。第一部のその後の3曲ではガルシアがエレクトリック・ギター、ウィアがアコースティック・ギターを弾いた。第一部の数曲に NRPS のデヴィッド・ネルソンがマンドリンとコーラス、マーマデュークがコーラスで参加。
 第一部または早番ショウの3曲目〈Friend Of The Devil〉が2011年、2017年、2019年の、クローザーの〈New Speedway Boogie〉が2016年の、第二部または遅番ショウのオープナー〈That's It for the Other One> Main Time〉が2020年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 第二部または遅番ショウの3曲目で〈Sugar Magnolia〉がデビュー。ハンター&ウィアの曲。1995-07-09まで計601回演奏。演奏回数順では〈The Other One〉とならんで第3位。スタジオ盤は《American Beauty》収録。曲の後半は "Sunshine Daydream" と呼ばれ、前半との間にブレイクが置かれる。このブレイクは当初はほとんど間を置かずに続けていたが、だんだん長くなり、ついには2、3分にもなった。さらに、この間に別の曲がはさまることもあり、"Sunshine Daydream" が演奏されるのが、数日後になることもある。その場合には "Sunshine Daydream" が独立した曲として提示される。
 また、当初はウィアがソロで歌うが、ドナが本格的に参加すると、コーラスに参加し、さらに大休止以後は "Sunshine Daydream" の部分をウィアとのデュエットで歌うようにもなる。あたしはこの時期がこの曲のベストの形と思う。
 曲の位置はこれも当初は様々だが、後にクローザーやアンコールがほぼ定位置になる。ひとつには "Sunshine Daydream" のパートで声を限りと叫ぶため、ウィアが声を嗄らしてしまうためでもあった。
 この曲はビル・グレアムの大のお気に入りで、恒例となった大晦日の年越しショウでは、真夜中に新年を迎えて最初の曲にこれを演奏することをリクエストしていた。1991-11-03のビル・グレアム追悼コンサートでは、アンコール前のクローザーで演奏している。
 デッドのアコースティック編成での演奏は、録音を聴くかぎりはどれもすばらしい。それほど演奏回数が多くないからかもしれないが。

5. 1977 Winterland, San Francisco, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。《Winterland June 1977: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。
 第一部6曲目で〈Funiculi Funicula〉がデビュー。まともな演奏というよりは、機器トラブルに対処している間の時間稼ぎ、気晴らしに軽くやったもの。これ以後、時折り、この曲を何かの拍子にはさむことが時偶ある。ほとんどは断片的。最後は1988-04-23まで17回数えられている。
 原曲は1880年にイタリア、ナポリのヴェスヴィウス山の山頂までケーブルカーが開通したのを記念して作られた宣伝用の歌。Peppino Turco の詞に Luigi Denza 曲をつけた。このケーブルカーは1944年03月の噴火で破壊された。
 幸せな1977年でも最高の3日間の開幕。春のツアーの一部に比べると、あそこまで遅くはないが、余裕のある、肩の力の脱けた演奏はそのまま。一方でガルシアのソロや、3人のシンガーの歌唱の伸び伸びしていることには、最初聴いた時に驚いた。デッドのような連中でもアウェイとホームは違うと思い知らされた。もっともガルシアはとにかくステージ・フライトがひどく、とりわけツアーの初日は、オープナーの1曲が終るまでたいへん神経質だったそうだ。
 この初日は CD で合計3時間を超える。とにかく最初から最後まで快演名演が続く。それでもあえてハイライトを選べば、第一部ではタメがあって、ユーモアたっぷりの〈Tennessee Jed〉(ガルシアのギターには噴き出してしまう)、一転してあふれんばかりに抒情的な〈Looks Like Rain〉(ベスト・ヴァージョン!)、シンプル極まりないガルシアのソロが光る〈Peggy-O〉と後半の集団即興に拳を握ってしまうクローザー〈The Music Never Stopped〉。第二部ではとぼけてかつ気合いの入ったオープナーの〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉、これまたユーモアたっぷりで、延々と3人のシンガーが繰返すのをやめない〈He's Gone〉、長い序奏からしてホットな〈Samson and Delilah〉、3日間では唯一で、バートン・ホールのヴァージョンとタメをはる〈Morning Dew〉。そしてアンコールの1曲目〈Uncle John's Band〉。

6. 1980 Folsom Field, University of Colorado, Boulder, CO
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。ウォレン・ジヴォン前座。結成15周年記念。11.50, 12.00ドル。開演正午。良いショウの由。
309 Jeff Silberman

7. 1991 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 金曜日。23.50ドル。開演7時。このヴェニュー2日連続の2日目。かなり良いショウの由。(ゆ)

06月01日・水
 Locus 6月号。パトリシア・マッキリップの訃報。05月06日。享年74歳。マッキリップは一度、全部読もうとして、デビュー作 The House On Parchment Street を読んだだけで、例によって何かが飛びこんできて他へ行ってしまった。このデビュー作はヤング・アダルト向けで、幽霊屋敷ものなのだが、すばらしい出来。その時の日記からの引用。

—引用開始—
 夜、Patricia A. McKillip, The House On Parchment Street 読了。昨日着いていたもので、一気読み。すばらしい。この次がもう The Forgotten Beasts Of Eld になるので、おそらくこの2つの差は大きいはずだが、これはこれで立派なものだ。これが25歳の出版だから、やはり天才の部類。
 話そのものはむしろありふれているが、語り口のうまさ、性格描写の深み、そして文章の見事なことで際立っている。そして何より、この事件をくぐり抜けたことで、主人公たちが変わる、その変化の仕方がいい。14歳ということだが、大人びている、というとちょっと違う。大人として収まるのではなく、自立している、あるいは自立しようとあがき、もがいている。その苦闘している人間たちが、幽霊との遭遇とそれが意味するものの解明を通じて一段成長する。
 周りの大人たちもいい。父親のハロルドは助演賞ものだが、それこそ幽霊か悪霊のように、どこか強い匂いのように漂っていたのがラストに突如実際に出てきて舞台をさらってしまうブルースター夫人が秀逸。それにしてもアメリカ人でここまでイングランド人をリアリティをもって、しかもユーモラスに描いた例が他にあるか。一発で惚れた。
--引用終了--

 実際には The Forgotten Beasts Of Eld の前にもう1冊、同じ年に The Throme Of The Erril Of Sherrill が出ている。"Throme" は故意に 'n' を 'm' に替えている。
 スティーヴン・ドナルドソン、ライザ・ゴールドスタイン、テリ・ウィンドリングらが追悼する文章を読みながら、あらためて読もうと誓う。やはり、読むと決めたら、最後まで読まねばならない。マッキリップは児童書の書き手とされているらしく、邦訳がかなりある。もちろん、優れた児童書は大人が読んでも面白い。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月01日には1967年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1967 Tompkins Square Park, New York, NY
 木曜日。2時から5時まで、とチラシにある。ニューヨークで最初のショウ。セット・リストとされるものは一応あるが、記憶によるもので、不完全で曲順も正確ではない由。

2. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 木曜日。昼に上記のショウをおこない、夜こちらに出た。この日から10日間連続のラン。この日にはカリフォルニアにいたという説もあるが、ビル・クロイツマンとロック・スカリーが口を揃えて、このランは実際にやった、と言っている。セット・リスト不明。ポスターがある。
 デッドにとっては初のニューヨークでのラン。少なくとも 12日の The Cheetah までニューヨークに滞在している。次はこの年年末にニューヨークで三連荘と二連荘を行い、さらにボストンに初めて行く。

3. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。セット・リスト不明。同じヴェニューで6日後、また三連荘をする。

4. 1991 L.A. Memorial Coliseum, Los Angeles, CA
 土曜日。25ドル。開演1時。Johnny Clegg & Savuka が前座。ブルース・ホーンスビィ参加。
 Johnny Clegg (1953-2019) は南アフリカ出身のシンガー・ソング・ライター、ダンサー、文化人類学者、反アパルトヘイト活動家。英語とズールー語を混ぜた歌詞を使い、音楽もアフリカの伝統音楽の要素を取り込んでいるそうな。1986年に Savuka を結成してツアーした。ソロでも活動している。
 ショウ自体はそこそこ、つまり人によって評価が別れる。当時はいわゆる「ドラッグに対する戦争」が最も強引に進められていた時期で、ロサンゼルス警察はそれを口実にこのショウで多数のファンを検挙し、会場内に設けられていた金網フェンスを第一部の途中で多数のファンが殺到して押し倒し、ここでも警備にあたっていた警官たちが過剰な暴力をふるった。ロドニー・キング殺害のビデオが明るみに出たことで暴動が起きたのがこのショウの2ヶ月前という事情もあっただろう。(ゆ)

04月14日・木
 寒いぞ、と言うので真冬の恰好で出たら、暑かった。

 ジーン・ウェブスターのあれをまた読んでいる。『レンズマン』シリーズと『宇宙船ビーグル号』と『指輪物語』と並んで、ひょっとするとそれ以上の回数読んだものだが、今回初めて原文で読んでいる。原文で読むことをまるで思いつかなかった。初版本がグーテンベルクにある。「あしながおじさん」というのはほとんど普通名詞になっているらしい。「あしなが育英会」というものもある。
 1世紀前の話だ。キンキラキン時代直前のアメリカ。話は「シンデレラ」だ。もっともこちらのヒロインはおとなしく王子様が来てくれるのを待っていたりはしない。今ならさしづめ学費免除に生活費もカヴァーする奨学金をもらったようなものだが、もらっていることを感謝しつつも、雄々しくもこれを返そうとするし、施しの相手の言うなりにもならない。そこがたぶん1番面白いところだ。新生児から孤児院で育ったにもかかわらず、独立不羈、好奇心旺盛、何ごとも前向きにとる。そしてしっかり努力、つまり勉強もしている。とはいえ、孤児院でいったい何を読んでいたのか。そこは出てこない。
 手紙という形式も読みやすい。1本ずつは短かいから、どんどんと読めてしまう。故意に古めかしい文体を模倣しているところを除けば、難しい文章はなにもない。
 原文で読んで気がついたことに、ジュディは終始、Daddy と呼びかけている。Daddy-Long-Legs の略であるわけだが、一方で「パパ」の意味もかけているにちがいない。邦訳では終始「おじ様」だ。邦訳でそうしたのは一応納得はできるし、ジュディも表向きはその意味でおそらく使っているはずだが、それだけではたぶんない。「おじ様」よりも親近感があるし、時にはかすかだが甘えたい気持ちもこめられている。甘えたいというと強すぎるか。頼りにしたい、と言うべきか。
 加えて、この呼びかけが、文章のリズムを整えている。照合したわけではないが、原文に出てくるすべての "Daddy" を訳してはいないだろう。日本語では省略する方が自然な場合がままある。しかし、原文ではこの Daddy が実に効果的に使われている。おそらくはかなり綿密に考えて使っているだろう。
 さて、次はいつもの通り、続篇 Dear Enemy に行くか。翻訳で読むと、いつも必ず続篇も読みたくなる。こちらはもっと「大人」の話だ。やはり隠れた愛が最後に花開く話だが、関係者も増え、手紙の相手も複数になり、対象となる問題も複雑になる。シンプルな学生の手紙ではなく、難しい問題を抱えた大人の書簡になる。一方でヒロインはアイルランド系、相手の騎士はスコットランド系、その間をつなぐのはもう1人のアイルランド名前の少女、という、『レンズマン』と同じくらい、ケルト好きにはたまらない話だ。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月14日には1967年から1988年まで8本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版1本。

1. 1967 Kaleidoscope, Hollywood, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。ジェファーソン・エアプレイン、キャンド・ヒートと共演。セット・リスト不明。
 この名前のヴェニューは1968年春から半年だけハリウッドのサンセット・ストリップにオープンしていたライブハウス。中心になって経営したのはキャンド・ヒートのマネージャー Skip Taylor。
 このコンサートはテイラーがその前に Vine Street 1228番地で試みたライブハウスで予定されていたが、Wilshire Blvd. 3400番地の The Ambassador Hotel 内 The Embassy Bollroom に移された。しかし、このヴェニュー名で記録されているようだ。主催がテイラーだったからか。デッドがここで演ったのはこの3日間のみ。
https://concerts.fandom.com/wiki/Kaleidoscope

2. 1971 Christy Mathewson Stadium, Bucknell University Lewisburg, PA
 水曜日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。バンドは午前2時まで演奏を続けた由。
 第一部9・10曲目〈China Cat Sunflower > I Know You Rider〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

3. 1972 Tivoli Concert Hall, Copenhagen, Denmark
 金曜日。25クローネ。開演8時。ヨーロッパ・ツアー三つめの寄港地。大陸に上陸。ここからデンマークで3本。3時間半。第二部3曲目〈Brown-Eyed Women〉が《Europe '72》で、第二部7〜9曲目〈Good Lovin'> Caution (Do Not Stop On Tracks)> Good Lovin'〉が《Europe '72》2001年拡大版でリリースされた後、《Europe '72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。またオープナーの〈Bertha〉、5〜7曲目〈Black-Throated Wind〉〈Chinatown Shuffle〉〈Loser〉が《Europe '72, Vol. 2》でリリースされた。
 ボ・ディドリーの〈Who Do You Love〉の断片を20秒ほど〈Caution (Do Not Stop On Tracks)〉の中でやっている由。この日と05-11の二度だそうだ。
 このツアーの各ショウの客にはアメリカから飛んでいったり、たまたまヨーロッパに仕事や遊びでいたアメリカ人たちがかなりの数入っていたようだ。またデンマーク人はとりわけ英語に通じている。言語的に同じゲルマン語族で、語順はほとんど同じだ。
 ショウの始めの方で、曲間でアメリカや日本でならアンコールを促す手拍子が鳴る。ここでは特にもっとやれという意味ではないらしい。が、レシュが、そんなことしなくても、おれたちは続けるよ、と言う。するとウィアが、でもやっていいんだよ、好きなことしていいんだ、とまぜかえす。レシュが、きみら、おれたちの言うことがわかるんだな、と言うと歓声があがる。ウィア、わかるやつどれくらいいるんだ、手を挙げて。そんなに多くないなあ。
 とまれ、イングランド3本で自信をつけて、絶好調で大陸に乗りこんだ。ガルシア、ウィア、ピグペンが各々ヴォーカルをとる曲を順にまわすのもはまってきている。全体としてゆったりしたテンポ。だが、これはむしろ緊張の度合いが高かったためのようだ。ショウを重ねるにつれて、いつものもっと速いテンポにもどる曲もでてくる。
 第一部ではまず〈Playing in the Band〉。この曲のこのツアーでの変化は実に面白い。一つひとつは聴きごたえがあるが、全体として変化してゆく様がまた別のレベルで愉しい。
 第二部で〈Dark Star〉と〈The Other One〉を交互にやることにしていたらしい。この日は前者。やはりゆったりしたテンポが基調で、前回のロンドン2日目とはまったく別の曲になっている。この日の最大の聞き物はしかしその後の〈Good Lovin'〉。ピグペンが全開。延々と即興の歌を続け、バンドもこれに応じて、あるいは盛り上げ、あるいは小さく刻む。ベースだけ、ドラムスだけ、ガルシアとベースだけが伴走することもある。しかし、終始ピグペンがいわば仁王立ち。全盛時もかくやと思わせる。見ようによってはグレイトフル・デッドというバンドの演奏の一つの理想形だ。ただ、原始デッドでこれが可能だったか、というとまた別の話になろう。アメリカーナ・デッドの洗練がこの極めつけの演奏を引き出したのではないか。以後、この曲をやる時は、その日のハイライトになってゆく。
 ここからさらに〈Caution (Do Not Stop On Tracks)〉に移り、再度〈Good Lovin'〉にもどり、盛り上がって、完全にケリをつける。
 普通ならここでこの日は終り、あとはアンコールになるはずだが、この時期のデッドは終らない。ガルシアが新曲だよと言って〈Ramble On Rose〉をやり、そしてあらためて〈Not Fade Away〉でクロージングに入る。次に移る前にウィアが〈China Cat Sunflower〉のリフを始め、ガルシアもこれに応じかける。しかし、さすがにそれでは終らないと思ったのか、結局いつもの定番で〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉に移り、〈Not Fade Away〉にもどって見事な締め。例によって〈One More Saturday Night〉のアンコールはむしろテンションが上がる。

4. 1978 Cassell Coliseum, Virginia Polytechnic Institute and State University, Blacksburg, VA
 金曜日。学生6ドル、一般7ドル。開演7時。南部の大学3つを回る中日。普段は何ごとも起こらない、のんびりした田舎で、良いショウの由。

5. 1982 Glens Falls Civic Center, Glens Falls, NY
 水曜日。10.50ドル。開演7時半。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉とクローザー前の〈Playing In The Band〉がすばらしかった由。

6. 1984 Coliseum, Hampton, VA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。10.50ドル。開演7時半。
 第一部5曲目〈My Brother Esau〉が2010年と2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。良いショウの由。

7. 1985 Irvine Meadows Amphitheatre, Laguna Hills, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。15ドル。開演7時。

8. 1988 Rosemont Horizon, Chicago , IL
 木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。(ゆ)

 Anthony Ryan The Seven Swords の第4巻 To Blackfyre Keep が発表。Subterranean Press のサイトで確認すると送料がこれまでより選択肢が増えて、比較的安い DHL ができている。これならばまだしも我慢できる。ので、注文。刊行は9月予定。あと2冊。完結するまで世界があるか。


 The Fortress Of The Pearl があまりに面白かったので、間髪入れずに The Sailor At The Seas Of Fate に突入。seas と複数形。sailor は単数。これは盲目の船長のことか。Gollancz Michael Moorcock Collection 版では作品内の時系列に沿っているので、Fortress が2番目、次が Sailor になる。

 それにしてもこれはヒロイック・ファンタジイ、Sword and Sorcery だろうか。表向きはそうに違いない。しかして実態は形而上ファンタスティカだ。これに比べれば、アメリカのファンタジィがいかにキャラクター中心か、よくわかる。

 エルリックはキャラクターではない。少なくともアメリカでいうキャラクターではない。エレコーゼもホークムーンもコルムも、船長も違う。キャラクターの原型、と言うべきか。むしろ、歌舞伎の役に近い。かれらのふるまいはある種の型にそっている。容貌は隈取りに似ている。衣裳も常に同じ。たとえば、エルリックのキモリルに対する感情にはリアリティがまるで無い。故意に剥ぎとっている。ファファードやグレイマウザーの恋人に対する感情とはまるで次元が異なる。一方で形だけの、表面的なものでもない。エルリックが心底キモリルに惚れていることは明らかだ。

 ムアコックがエルリックものを書く前に歌舞伎に親しんだとも思えないから、物語を語る手法に通じるところがあるのだろう。複雑な話を抽象化記号化することで単純なものに見せる。キャラクター中心にすると、複雑な事情、筋をいちいち全部書かなければならない。アメリカのファンタジィが長大になるのも無理はないのだ。

 ただし、抽象化記号化する場合にはそのルール、この抽象やあの記号はそれぞれこういう事情、ああいう条件を表すという約束ごとを書き手と読み手が共有する必要がある。その共有された体験が伝統をかたちづくる。歌舞伎がその伝統に依拠しているように、ムアコックも英語文学、台湾版エルリックへの序文で触れている北欧やケルトの神話、Sexton Blake ものや、ダンセイニ、ホワイト、ピークからコンラッド、ウルフ、ボゥエン、さらにはプルースト、カミュ、サルトルにいたる文学伝統に依拠している。その伝統にはE・R・バロゥズやハワード、ライバーも含まれる。だからこそ、今度はエルリックが伝統の一部として共有される。

 しかしアメリカでは体験の共有が期待できない。バロゥズやハワードが依拠した伝統を読み手が共有していると期待できない。ライバーはバロゥズやハワードを現代化することで、新たな、キャラクター中心のモダン・ファンタジィを生み出した。

 ただし、ライバーはまだ文学伝統に依拠する部分が残っている。あるいは伝統の何たるかを知り、その使い方を心得ている。伝統から脱皮し、すべてを事細かに語るスタイルになるのがどこか。具体的に、誰の、どの作品かはちょっと面白い問題だが、まだ答えは見えない。候補としてはタッド・ウィリアムス、あるいはスティーヴン・キングあたりだろうか。

 いやしかしそれよりは当面、エルリックが面白すぎる。こんな話だったとは。もっと早くに読むべきだった。1980年代前半にはMayflower 版でムアコックはほとんど揃えていたのだから。が、すべてのものにはその時がある。あたしにとっては今がこれを読む頃合いなのだ。とはいえ、123歳でリアルタイムで読んでいたニール・ゲイマンはうらやましい。



##本日のグレイトフル・デッド

 0404日には1969年から1995年まで10本のショウをしている。公式リリースは1本。


01. 1969 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー3日連続の初日。共演フライング・バリトー・ブラザーズ。色違い、柄違いのポスターが残っている。


02. 1971 Manhattan Center, New York, NY

 日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。5ドル。開演8時。


03. 1985 Providence Civic Center, Providence, RI

 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。11.50ドルと12.50ドル。全席指定。開演7時半。

 第一部5曲目で〈She Belongs To Me〉がデビュー。ディランのカヴァーで、この年の11-21まで計9回演奏。原曲は《Bringing It All Back Home》収録。

 第一部クローザー〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance> Deal〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


04. 1986 Hartford Civic Center, Hartford, CT

 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。13.50ドル。開演7時半。


05. 1987 The Centrum, Worcester, MA

 土曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。開演7時半。


06. 1988 Hartford Civic Center, Hartford, CT

 月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。

 開幕2曲目が〈Johnny B. Goode〉という位置は異常で、こういう異常な選曲をする時は調子が良い。もっとも原因の一つはガルシアが喉をつぶしていたことがある由。第二部オープナー〈Touch Of Grey〉を始める前にウィアが "And now from our hit album, a Touch Of Gray." とのたまわった。


07. 1991 The Omni, Atlanta, GA

 木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。


08. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 日曜日。このヴェニュー5本連続の4本目。26.00ドル。開演7時半。

 Drums> Space Boba Olatunji が参加。


09. 1994 Orlando Arena, Orlando, FL

 月曜日。本来2日連続だったが、前日のショウはキャンセルされた。「家族の病気のため」と、DeadBase XI にはある。25ドル。開演7時半。


10. 1995 Birmingham-Jefferson Civic Center Coliseum, Birmingham, AL

 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。26.50ドル。開演7時半。(ゆ)


0401日・金

 散歩に出ると風が冷たい。大山・丹沢の上の方は白くなっていた。

 Locus 3月号。SFWA が名称を変えるというニュース。略号はそのままだが、名称は Science Fiction and Fantasy Writers Association になる。つまり、"of America" ではなくなる。2,100名超の会員の4分の1がアメリカ国外に住んだり、仕事をしたりしている由。近年ではカナダ、オーストラリアも増えているはずだ。Tor.com に記事が出たインド亜大陸もある。インドだけで、英語のネイティヴは1億を超える。UKよりも多いのだ。

 この名称変更はグローバル組織への道だろう。地球上どこに住んでいようと英語で作品を発表していれば会員になれる。あるいは英語で作品が読めればいい、ということになるか。当然ネビュラ賞の対象も変わるはずだ。現在はアメリカ国内で発表されたものに限られている。ヒューゴーはもともとそういう国籍条項が無い。対象は全世界で、その点ではこれまでネビュラよりも国際的だった。

 アマゾンで Nghi Vo の新作 Siren Queen のハードカヴァーを予約注文。05-10刊。フィッツジェラルドの『偉大なギャッピー』を換骨奪胎してベトナム・ファンタジーに仕立てた The Chosen And The Beautiful は滅法面白かった。ヒューゴーをとった The Empress Of Salt And Fortune も良かった。そういえば、C. S. E. Cooney Saint Death's Daughter が今月だ。版元のサイトによれば12日発売。これは楽しみなのだ。

Siren Queen
Vo, Nghi
Tor.Com
2022-05-10

 

Saint Death's Daughter (1) (Saint Death Series)
Cooney, C. S. E.
Solaris
2022-04-12

 Bandcamp Friday につき、買物カゴを空にして散財。先月買いそこねたので、2ヶ月分。

 Martin Hayes & The Common Ground Ensemble のシングル〈The Magherabaun Reel〉を Apple Music で聴く。ヘイズのオリジナルだろう。タイトルはかれの生家のある Maghera Mountain にちなむはずだ。ちょっと聴くかぎりは The Gloaming の延長に聞える。JOL のこのアンサンブルのコンサート評ではもっと多彩なもののようだ。フル・アルバムないしライヴが待ち遠しい。

Rachel Hair & Ruth Keggin - Vuddee Veg | Sound of the Glen

 スコットランドのハーパーとマン島のシンガーのデュオ。クラウドファンディングで作っているフル・アルバムが楽しみだ。
 

The Same Land - Salt House - Live in Edinburgh

 スコットランドのトリオ。スコットランドのバンドでは今1番好き。



##本日のグレイトフル・デッド

 0401日には1965年から1995年まで、12本のショウをしている。公式リリースは6本、うち完全版2本。


01. 1965 Menlo College, Menlo Park, CA

 木曜日。ビル・クロイツマンは回想録 Deal でこれをバンドとして最初のショウとしている。029pp. まだ The Warlocks の名もなかった由。DeadBase XI では1965-04-?? として載せている。むろんセット・リストなどは不明。

 メンロ・パークはサンフランシスコの南、スタンフォード大学のあるパロ・アルトのすぐ北の街。ガルシアの育ったところ。グレイトフル・デッド発祥の地。


02. 1967 Rock Garden, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー5本連続の最終日。共演チャールズ・ロイド・カルテット、ザ・ヴァージニアンズ。このショウは無かった可能性もある。


03. 1980 Capitol Theatre, Passaic, NJ

 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。10.00ドル。第一部6曲目〈Friend of the Devil〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


1981のこの日《Reckoning》がリリースされた。

 前年9月から11月にかけてサンフランシスコの The Warfiled Theatre とニューヨークの Radio City Music Hall で行われたレジデンス公演では、第一部をアコースティック・セット、第二部をエレクトリック・セットという構成がとられた。そのアコースティック・セットで演奏された曲からの抜粋16曲を2枚のLPに収めたものである。一部は短縮版。

 元々は CSN&Y の《4 Way Street》のように、アコースティック・セットで1枚、エレクトリック・セットで1枚の2枚組の形で企画された。が、あまりに良い演奏が多く、捨てるのはどうしても忍びないということで、結局アコースティック、エレクトリックそれぞれにLP2枚組ということになった。

 2004年に CD2枚組の拡大版がリリースされ、これにはラジオ・シティでの公演からの録音を中心に16曲が追加された。録音はベティ・カンター=ジャクソン。ライヴでのサウンド・エンジニアはダン・ヒーリィ。

 全篇アコースティック編成でのアルバムとしては、スタジオ、ライヴ問わず唯一のもの。

 これを聴くと、もっとこういう編成でのライヴをして、録音も出して欲しかったと、あたしなどは思う。アナログ時代のアルバムとしては最も好きだ。アコースティックのアンサンブルとしても、グレイトフル・デッドは出色の存在であり、そのお手本となったペンタングルに比べられる、数少ないバンドの一つだ。カントリーやブルーグラス、オールドタイム、あるいはケルト系ではない、アコースティックでしっかりロックンロールできるバンドは稀だろう。後にガルシアがデュオですばらしいアルバムを作るデヴィッド・グリスマンやデヴィッド・リンドレー、あるいはピーター・ローワンのバンドぐらいではなかろうか。そう、それとディラン。ディランの《John Wesley Harding》に匹敵あるいはあれをも凌駕できるようなアルバムを、その気になればデッドには作れたのではないか。

 それは妄想としても、このレジデンス公演の全貌はきちんとした形で出してほしい。50周年記念盤で出すならば、2030年まで待たねばならない。それまで生きているか、世界があるのか、保証はないのだ。


04. 1984 Marin Veterans Memorial Auditorium, San Rafael, CA

 日曜日。このヴェニュー4本連続のランの最終日。開演8時。第二部オープナーの〈Help On The Way > Slipknot! > Franklin's Tower〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


05. 1985 Cumberland County Civic Center, Portland, ME

 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。11.50ドル。


06. 1986 Providence Civic Center, Providence, RI

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。13.50ドル。第二部オープナーからの3曲〈Shakedown Street; Estimated Prophet; Eyes Of The World〉が2020年の、第一部4・5曲目〈Cassidy; Tennessee Jed〉が2021年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。


07. 1988 Brendan Byrne Arena, East Rutherford, NJ

 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。18.50ドル。開演8時。第一部4曲目〈Ballad Of A Thin Man〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた後、全体が《Road Trips, Vol. 4 No.2》でリリースされた。


08. 1990 The Omni, Atlanta, GA

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。春のツアー最後のラン。18.50ドル。開演7時半。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と Space 後の〈Dear Mr Fantasy〉が《Without A Net》でリリースされた後、《Spring 1990 (The Other One)》で全体がリリースされた。

 「マルサリス効果」は続いている。このツアーではガルシア、ウィア、ミドランドの3人のシンガーの出来がすばらしいが、この日はとりわけガルシアの歌唱が充実している。たとえば〈Candyman〉、たとえば〈Althea〉、たとえば〈To Lay Me Down〉、あるいは〈Ship Of Fools〉、そして極めつけ〈Stella Blue〉。いずれもベスト・ヴァージョン。というよりも、この日演奏されたどの曲もベスト・ヴァージョンと言っていいのだが、ガルシアの持ち歌でいえばこの5曲は、シンガー、ジェリィ・ガルシアの偉大さを思い知らされる。

 ウィアの歌唱もますます良い。ちょっと演技過剰なところも無くはないが、この人の場合、過剰に見えても、本人は特に過剰にやろうとしてはいない。自然にそうなるところがある。とにかく、根っからのいたずら好き、というよりも、いたずらをせずにはいられない。おそらく本人はいたずらをしようと意図してやっているわけではなく、無理なくふるまうとそれがいたずらになるというけしき。歌での演技でも同じで、故意に演技しているわけではなく、歌うとそうなるのだろう。その演技に、ガルシアとミドランドが素知らぬ顔でまじめにコーラスをつけるから、ますます演技が目立つ。その対照が面白い。

 ウィアの持ち歌では〈Victim Or The Crime〉がハイライトで、これは文句なくベスト・ヴァージョン。歌唱も演奏もすばらしい。ハートだろうか、不気味なゴングを鳴らし、全体に緊張感が漲り、その上で後半がフリーなジャムになる。これを名曲とは言い難いが、傑作だとあらためて思う。

 そして第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉では、スリップ・ジグのような、頭を引っぱるビートが出て、全員が乗ってゆく。

 このツアーでのミドランドの活躍を見ると、かれの急死は本当に惜しかった。ピアノとハモンドを主に曲によって、あるいは場面によって切替え、聴き応えのあるソロもとれば、味のあるサポートにも回れる。そしてシンガーとしては、デッド史上随一。〈Dear Mr. Fantasy> Hey Jude〉はかれがいなければ成立しない。ここではガルシアが後者のメロディを弾きだすのに、いきなりコーラスで入り、レシュとガルシアが加わって盛り上がる。するとミドランドはまた前者を歌いだす。〈Truckin'〉でのクールなコーラス。〈Man Smart (Woman Smarter)〉の、3人のシンガーが入り乱れての歌いかわし。

 Drums はゆっくり叩く大きな楽器と細かく叩く小さな楽器、生楽器と MIDI の対比が、シンプルでパワフル。Space のガルシアがトランペットの音でやるフリーなソロ。

 ここでは意図的に個別にとりあげてみたが、こうした音楽が一つの流れを作って、聴く者はその流れに乗せられてゆく。そして落ちつくところは〈It's All Over Now, Baby Blue〉。これで、すべて終りだよ。ガルシアの歌もギターも輝いて、最高の締め。


09. 1991 Greensboro Coliseum, Greensboro, NC

 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。21.50ドル。開演7時半。


10. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 木曜日。このヴェニュー5本連続の2本目。開演7時半。第二部オープナー〈Iko Iko〉で Barney the Purple Dinosaur がベースで参加。


11. 1994 The Omni, Atlanta, GA

 金曜日。25.50ドル。開演7時半。


12. 1995 The Pyramid, Memphis, TN

 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。26.50ドル。開演7時半。サウンドチェックの〈Casey Jones〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。本番ではこの曲はやっていない。(ゆ)


0329日・火

 国書刊行会が再編集し、従来単行本未収録作品も集めて、あらためて4冊にまとめた浅倉さんの『ユーモア・スケッチ大全』が完結。著作権をとるのが大変な作業だっただろうと推察する。まことにありがたいことである。

 『ユーモア・スケッチ大全』は浅倉さんのライフワーク、というのはあらためてよくわかる。その一方で、浅倉さんがやって雑誌掲載だけになっている中短篇を集めたオムニバスはできないのかなあ。傑作名作快作がかなりあるはずだが。







##本日のグレイトフル・デッド

 0329日には1967年から1995年まで11本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。


01. 1967 Rock Garden, San Francisco, CA

 水曜日。このヴェニュー5日連続の2日目。


02. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。5ドル。共演チャック・ベリー。


03. 1969 Ice Palace, Las Vegas, NV

 土曜日。1時間半のステージ。共演サンタナ、The Free CircusThe Free Circus は不明。

 4曲目〈Dark Star〉の前に誰かが、ハートのものに聞える声が、「これからやる曲はここラスヴェガスのアイス・パレスのために特別に作ったものだ。今朝書いたばかりだよ」と言う。


04. 1983 Warfield Theatre, San Francisco, CA

 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。25ドル。開演8時。


05. 1984 Marin Veterans Memorial Auditorium, San Rafael, CA

 木曜日。このヴェニュー4本連続の2本目。25.00ドル。開演8時。


06. 1985 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。13.50ドル。開演7時半。第一部3曲目〈I Ain't Superstitious〉でマシュー・ケリー参加。

 なお、この3日間は自由席でオールスタンディング。自由に踊れた。ちなみに、デッドヘッドにとって、グレイトフル・デッドは基本的にダンス・バンド、その音楽で踊るためのバンドである。ちんまり椅子に座って聞いているものではない。会場が椅子席の場合、外の廊下やロビーで踊る者もいた。バンド側もそうした客のために、廊下やロビーにもPAのスピーカーを置いた。


07. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA

 日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。開演9時。開演時刻が遅いのは「レッスルマニア III」と重なったため。


08. 1990 Nassau Coliseum, Uniondale, NY

 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。第一部6曲目〈Bird Song〉が《So Many Roads》で、第二部オープナー〈Eyes Of The World〉が《Without A Net》でリリースされた後、《Spring 1990 (The Other One)》で全体がリリースされた。その〈Bird Song〉と第二部全部、アンコールまで、ブランフォード・マルサリスが参加。

 2,300本を越えるグレイトフル・デッドの全てのショウの中で「ベスト」と言われるものに1977年05月08日、コーネル大学バートン・ホールでのものがある。国の歴史的録音遺産にも収められている。これがバンドのみによる「ベスト」とするなら、このショウはゲスト入りでの「ベスト」と呼んでいい。多少ともジャズに心組みがあるならば、これを聴くことで、グレイトフル・デッド・ミュージックの真髄への扉が最高の形で開かれるだろう。グレイトフル・デッドが「単なる」ロック・バンドからかけ離れた存在であることも、よくわかるだろう。ブランフォード・マルサリスの参加によって、デッドの音楽そのものが一段上のレベルに昇っている点でもユニークだ。この時のデッドは全キャリアの中でも最高のフォームで、最高の音楽を生みだしているけれども、このショウでは、それからさらにもう一段昇っている。

 一方のブランフォード・マルサリスからみれば、ロックのミュージシャンのアルバムへの参加としてはスティングの《Bring On The Night》が有名だけれども、ここではそれよりも量も質も遙かに凌駕する。あちらはいわばスティングの曲をやるジャズ・バンドだが、こちらはマルサリスとデッドによる共作だ。各々にとって新しい音楽なのである。

 成功の鍵の一つはマルサリスがジャズのミュージシャンの中でも柔軟性にとりわけ富み、土俵の異なる相手ともやれる性格を備えていたことだろう。このショウの成功によって、デッドは後にデヴィッド・マレィやオーネット・コールマンを迎えてショウをしている。ジェリィ・ガルシアはコールマンのアルバム《Virgin Beauty》にゲスト参加して、かなり成功しているけれども、コールマンがゲスト参加したケースでは成功しているとは言えない。コールマンがあまりに個性的で、相手に合わせることができないためだ。これはおそらく能力というよりも性格からくるもので、合わせようとしても不可能だろう。コールマンの音楽家としての成立ちに、誰かに合わせるという概念そのものが存在しないのだ。

 マレィはコールマンとマルサリスの中間、ややマルサリス寄りで、マルサリスほどではないが、かなり成功している。デッドヘッドの評価も高い。

 なお、マレィの参加した1993-09-22, Madison Square Garden, New York , NY とコールマンの参加した1993-02-23, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA の聴衆録音はネット上で聴くことができる。

 またこのマルサリスのショウの公式録音はボックス・セットと同時にこれだけ独立して《Wake Up To Find Out》として一般発売されている。ディスク・ユニオンの新宿ジャズ館ではロング・セラーとも聞く。

WAKE UP TO FIND OUT:
GRATEFUL DEAD
RHINO
2014-09-05

 

 きっかけはこの年が明けてまもなく、レシュとマルサリスの共通の友人の一人がレシュに、マルサリスに何か伝えることがあるかと訊ねたことだ。レシュはマルサリス兄弟のファンで、そのデビュー時からずっと追いかけていたから、ブランフォードには一度ショウを見にきてくれと伝えるよう頼んだ。ブランフォードは前日28日のショウを見にきて、終演後、楽屋に挨拶に行き、レシュとガルシアから熱烈に誘われた。そこでこの日、ソプラノとテナーの2本のホーンを持ってやって来たものだ。

 リハーサルは無かった。ブランフォードはデッドの音楽をそれまでほとんど聴いたことがなく、どの曲をやりたいかと訊ねられても答えようがなかったらしい。一方で、相手がどんな音楽であっても合わせることができるという自信もあったのだろう。何でもやっていい、ついていくからと答えて、バンドは驚いた顔をした。とはいえ、デッドもジャズのミュージシャンが入りやすい曲を考えてもいたはずだ。第一部クローザー前の〈Bird Song〉、第二部オープナーの〈Eye of the World〉はその典型である。〈Estimated Prophet〉〈Dark Star〉と続けたのもそうした流れだし、Space はここではフリー・ジャズ、それも大胆かつ繊細な極上のフリー・ジャズだ。〈Turn On Your Lovelight〉は、ブランフォードが聴いて育った音楽でもあった。感心するのはアンコールの〈Knockin' On the Heaven's Door〉で、ちょっとこれ以上のこの歌のカヴァーはありえないと思える。

 ブランフォードが後でゲストで出てくるという期待は、メンバーの気分を昂揚させたらしく、この日のショウは初っ端から絶好調だ。前日、あるいは24、25日と比べても、ノッチは一つ上がっている。

 ブランフォードが入った効果はたとえば〈Bird Song〉の次の第一部クローザー〈The Promised Land〉でのガルシアの歌唱に現れる。それはそれは元気なのだ。〈Estimated Prophet〉でもウィアがブランフォードの前で歌うのが楽しくてしかたがないのがありありとわかる。実際、その裏でブランフォードがつけるフレーズが実に冴えていて、ウィアと掛合いまでする。

 ガルシアのギターもあらためて霊感をもらって、突拍子もない、しかもぴたりとはまったフレーズがあふれ出てくる。ガルシアだけではなく、レシュもミドランドもウィアもドラマーたちも、出す音が違っている。

 他のショウはそう何度も聴いてはいない。だいたい、1本が長いから、そう何度も聴けない。それがこのショウだけは、もう何度も聴いている。聴くたびに新たな発見をし、あらためて感服する。この音楽を聴けることの幸せを噛みしめる。


09. 1991 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。23.50ドル。開演7時半。第一部クローザー〈When I Paint My Masterpiece〉の途中で機器トラブルが起き、中途半端に終る。が、第二部は良かった。


10. 1993 Knickerbocker Arena, Albany, NY

 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。開演7時半。第一部7曲目〈Lazy River Road〉が2016年の、第二部オープナー〈Here Comes Sunshine〉が2017年と2020年の、アンコール〈Liberty〉が2018年の、第二部2〜4曲目〈Looks Like Rain; Box Of Rain> He's Gone〉が2021年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。都合6曲、46分がリリースされたことになる。


11. 1995 The Omni, Atlanta, GA

 水曜日。このヴェニュー4本連続の3本目。開演7時半。(ゆ)


03月09日・火

 昼前、郵便配達が海外からの小包を持ってくる。ハンコが要る。サイズから見てあれかなと思ったら、やはり The Best Of Lucius Shepard, Volume Two, Limited Edition だった。Volume One の時は限定版の付録に収録の作品はすべて初出を持っていたので通常版にしたのだが、今回は付録の Youthful Folly and Other Lost Stories 所収の諸篇は同人誌などや特殊な媒体が初出のものがあって、持っていないのが大半なので限定版を注文。送料がまた本体の半分くらい。本にしては高いが、シェパードとなればやむをえない。この限定版は、製本か印刷かミスがあったとのことで、本体だけの通常版からかなり遅れた。付録の巻の方だろうか。


 しかし、今はとにかく、デッドを聴くのに時間をとられて、本がまるで読めん。



##本日のグレイトフル・デッド

 0309日には1968年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1968 Melodyland Theatre, Anaheim, CA

 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。ロサンゼルスの LA Free Press に広告によると、6時半と9時半の2回コンサートがあった。これもデッドはジェファーソン・エアプレインの前座。


2. 1981 Madison Square Garden, New York , NY

 月曜日。12.50ドル。開演7時半。このヴェニュー2日連続の初日。すばらしいショウの由。


3. 1985 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA

 土曜日。このヴェニュー4本連続の初日。開演7時半。第二部〈Drums> Space> The Other One〉に Merl Saunders が参加。


4. 1992 Capital Centre, Landover , MD

 月曜日。開演7時半。ここはベストのショウがいくつも生まれるヴェニューだが、会場としての評判ははなはだ良くない。とりわけ、警備の体制が「ナチ」だったそうだ。


5. 1993 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL

 火曜日。25ドル。開演7時半。春のツアーのスタート。このヴェニュー3日連続の初日。まずまずのショウの由。

 ローズモントはシカゴ・オヘア空港のすぐ東にある街。会場は198005月オープンの多目的アリーナで、定員はコンサートで18,500。命名権の移転によって現在の名前は変わっている。1984年にロナルド・レーガンとジョージ・H・W・ブッシュ(パパ・ブッシュ)がここで大統領選の集会をしている。

 デッドはここで19811206日に初めて演奏し、19940318日まで計13回のショウをしている。初回のショウの1曲〈Jack-A-Roe〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。(ゆ)


 みみたぼはシンガーの石川真奈美さんとピアノの shezoo さんのデュオ。あたしは初体験だが、もう4年やっているのだそうだ。「みみたぼ」って何だろうと思ったら、「みみたぶ」と同じ、と辞書にある。どういう訛かわからないが、みみたぶではユニットの名前にはならないか。

 歌とピアノは対等に会話するが、ピアノが歌を乗せてゆくこともある。逆はどうだろう。やはり難しいか。一方で、ピアノが歌に反応することはありそうだし、実際そう聞える瞬間もある。そういう瞬間を追いかけるのも愉しそうだ。次はそうしてみよう。今回2人のからみが一番良かったのは、後半最初のリチャード・ロジャースの〈Blue Moon〉。

 歌は石川さんのオリジナル、shezoo さんのオリジナル、ジャズのスタンダード、バッハ、歌謡曲。この振幅の大きさがいい。

 中でもやはりバッハはめだつ。石川さんも参加した2月の『マタイ』で歌われた曲。あの時の日曜日の方を収録した DVD がもうすぐ出るそうだ。いや、愉しみだ。あれは生涯最高の音楽体験だった。生涯最高の音楽体験はいくつかあるけれど、その中でも最高だ。今、ここで、『マタイ』をやることの切実さに体が慄えた。その音楽を共有できることにも深く歓んだ。DVD を見ることで、あの体験が蘓えるのが愉しみなのだ。石川さんもあれから何度か、いろいろな形でこの歌を歌われてきた、その蓄積は明らかだ。それはまた次の『マタイ』公演に生きるだろう。

 バッハの凄さは、どんな形であれ、その歌が歌われている時、その時空はバッハの時空になることだ。クラシックの訓練を受けているかどうかは関係ない。何らかの形で一級の水準に達している人が歌い、演奏すれば、そこにバッハの時空が現出する。

 その次のおなじみ〈Moons〉が良かった。石川さんはもちろん声を張って歌うときもすばらしいが、この日はラストに小さく消えてゆく、その消え方が良かった。消えそうで消えずに延ばしてゆく。『マタイ』の前のエリントンもそうだし、この〈Moons〉、そしてホーギー・カーマイケルの〈Skylark〉。

 ここでは封印していた?インプロが出る。でも、いつものように激しくはならない。音数が少なく、むしろ美しい。

 shezoo 流インプロが噴出したのは後半2曲目〈Blue Moon〉の次の〈砂漠の狐〉。これが今回のハイライト。いつもよりゆっくりと、丁寧に歌われる。グレイトフル・デッドもテンポが遅めの時は調子が良いけれど、こういうゆったりしたテンポでかつ緊張感を保つのは簡単ではないだろう。ラスト、ピアノが最低域に沈んでゆくのにぞくぞくする。

 エミリー・ディキンスンの詩におふたり各々が曲をつけたのも面白かったが、ラストの立原道造の〈のちの想いに〉に shezoo さんが曲をつけたものが、とりわけ良かった。声がかすれ気味なのが歌にぴったり合っていた。

 アンコールの歌謡曲〈星影の小道〉が良かったので、終演後、服部良一の〈昔のあなた〉をリクエストする。雪村いづみがキャラメル・ママをバックに歌った《スーパージェネレーション》で一番好きな曲。歌詞もメロディも雪村の歌唱も、そしてバックも完璧。〈胸の振子〉もいいけれど、このデュオには〈昔のあなた〉の方がなんとなく合う気がする。

スーパー・ジェネレイション
雪村いづみ
日本コロムビア
1994-11-21


 このアンコール、ア・カペラで歌いだし、ピアノに替わり、そしてピアノとうたが重なる、そのアレンジに感じ入る。

 shezoo さんは以前はインストルメンタルが多かったけれど、ここ数年はシンガーとつるむことが多くなっているのは嬉しい。いいうたい手を紹介してもらえるのもありがたい。願わくは、もっと録音を出してくれますように。配信だけでも。(ゆ)


9月10日・金

 バラカンさんの著書『ピーター・バラカン式 英語発音ルール』を版元からいただく。まえがきとあとがきを読む。これは『猿はマンキ、お金はマニ』の改訂版で、まえがきは新旧ともにある。バラカンさんは日本を海外に紹介する番組をずっとやっていて、その視聴者が日本にやってきて会ったりすることもあるそうだ。そういう過程で、いわゆる「インバウンド」の対象が有名な観光地だけでなく、実にいろいろなところになっていることを確認している。そのことは、なんとなく感じていたけれど、バラカンさんが裏付けてくれている。



 それにしても「ローマ字は英語ではありません」と、表紙に刷りこみ、まえがきでもあとがきでも大文字で繰返しているのに、いささか驚く。これだけ強調するということは、つまりはローマ字を英語とみなしている実例にたくさんでくわしてきたのだろう。あたしがそういう体験が無い、というか、気がついていないのは、あたしが日本語ネイティヴで、同じ勘違いをしているからか。ローマ字読みしてるつもりはないんだけど、知らずにそうしているのだろう。これは別の言い方をすれば、英語が日本語とは違うことをちゃんと意識しよう、ではないか。ローマ字読みをしてしまうのは、その意識が甘いからだろう。これがフランス語やドイツ語だったら、ちゃんと身構えてローマ字読みなどしないはずだ。英語だと自動的にローマ字読みしてしまう。James はジャメスになり、Graham はグラハムになる。「ジャメス」なんてありえないように思うが、バラカンさんが息子さんの名前を役所に屆けようとしたら、こう読まれたそうだ。これが Johann だったら「ジョハン」とは読まれまい。

 でも、ほんと、もういい加減に「グラハム」はやめましょうよ。

 まえがきで面白いのは、アメリカ英語の発音の方が日本語からずっとかけ離れていて、イギリスの標準的な発音の方がまだ近いから、そちらを採用している、という点。ああ、そうだったのか、と納得がゆく。ここは旧版のまえがきなので、読んでいるはずだが、完全に抜けていた。


 1973-09-08の《Dave's Picks, Vol. 38》 を Acoustune HS1300SS Verde で聴く。すばらしい。デッドのライヴ音源を聴くためのイヤフォンがようやく見つかったか。全ての楽器、ヴォーカルがハーモニーの一人ひとりまで、みずみずしく、活き活きと聞えてくる。それも音の方から耳に飛びこんでくる。意識して耳をすませなくても、音楽が流れこんでくる。聴くにしたがって、ガルシアとウィアのギターの響きに艷が乗ってくる。デッドのライヴ音源を聴くヘッドフォンはといえばまず Grado The Hemp になるけれど、イヤフォンではまだ、これだ、というのは無かった。Unique Melody の 3D Terminator はいい線を行っているけれど、HS1300SS の方がどんぴしゃ感がある。




 Sakura craft_lab 006 には物欲を大いに刺激されるが、高すぎる。筆記具にそんなにカネを割けないよ。オーディオの方が先だわなあ。


##本日のグレイトフル・デッド

 9月10日のショウは1972年から1993年までの7本。うち3本に公式リリースがある。

1. 1972 Hollywood Palladium

 前日に続く同じヴェニュー2日め。前半5曲目〈Bird Song〉が2013年の《30 Days of the Dead》でリリースされた。この演奏はちょっと面白い。ひとしきりジャムをした後で一度終ったとみせかけてドラムスが入って再び始まり、やや大人しくなって歌が入って、またジャムをする。ガルシアは難しそうなことは何もやらない。シンプルなフレーズ、同じ音を繰返すのを重ねてゆく。これがなかなかいい。ガルシアのヴォーカルもいい。ハーモニー、コーラスも決まっている。ただ、二度目の歌の後のジャム、ガルシアのギターがノリはじめたところでテープが切れている。残念。

 後半6曲め〈Dark Star〉にデヴィッド・クロスビーが参加している。どうやらギターのみの模様。


2. 1974 Alexandra Palace, London

 3日連続の中日。《Dick’s Picks, Vol. 07》に収録されたのはこの日のショウからが最も多く、前半2曲めからアンコールまで、10曲。

 このショウの録音はキッド・カンデラリオで、かなり良い。すべてのパートが明瞭に聞える。ガルシアのギターは左、鍵盤が右、ウィアのギターとベース、ドラムスがセンターに並ぶ。この遠征にデッドは "The Wall of Sound" を持ちこんでいる。ロンドンのこの会場での設営には40人がかりで2日かかったそうだ。


3. 1983 Downs of Santa Fe, Santa Fe, NM

 同じヴェニュー2日連続の初日。屋外で午後2時開演。


4. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 地元で3日連続のショウの初日。チケットによれば料金15ドル。


5. 1990 The Spectrum, Philadelphia, PA

 ここでの3日連続の初日。


6. 1991Madison Square Garden, NY

 MSG9本連続の3本めで、《30 TRIPS AROUND THE SUN》の1本として完全版がリリースされた。

 ブランフォード・マルサリスが2度めに参加している。ブルース・ホーンスビィ参加。


7. 1993 Richfield Coliseum, Richfield, OH

 3日連続の最終日。(ゆ)


7月1日・金
 
 Centipide Press や Subterranean Press はモノはいいんだが、送料がバカ高くて困る。かれらのせいではないかもしれないが、本体とほぼ同じとか、本体より高い。PS Publishing も直販オンリーだが、イングランドは大英帝国の遺産で、送料は上がってきてはいるものの、相対的に安い。

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 ファファード&グレイ・マウザーの5冊めにして、唯一の長篇。本文は複数持っているが、今回これを買ったのは付録のため。オリジナルは1968年1月、Ace Books からペーパーバック・オリジナルとして出た。この時、Ace の編集者ウォルハイムの要請で、ライバーは「エロが過ぎる」とされた個所を削除した。その顛末を詳細に綴り、削除した部分も載せたのが "Sex and the Fantasist" で、1982年に Fantasy Newsletter に2回に分けて発表。今回はそれ以来初めて活字になった。初出誌は今さら手に入るはずもなし(こういうもの、国内で揃えてるヤツなんかいるのか)、これはまことにありがたい。それにしてもこのエッセイのシリーズ、全部ちゃんと読みたいぞ。Locus にライバーが長いこと連載していたエッセイのシリーズもまとまっていない。Locus がまだタイプ原稿を版下にしていた頃からだから、電子化もままならないか。

 ここにはさらに "The Mouser & Hisvet" なるセクションがあり、ISFDB にも記載が無い。Centipede の仕事は徹底していて、ヒューストン大学図書館所蔵のライバー関係書類の中にある Swords のオリジナル原稿にもあたったらしい。すると、上記エッセイで触れられているもの以外にも削除された部分があることが判明した。こちらはまとまった削除ではなく、分散しているので、それを含む8章と13章の各々の個所を削除されたテキストをゴチックで復刻して提示したもの。マウザーとヒスヴェットのラヴ・シーン。

 もう一つ、最後の "The Tale of the Grain Ships" は書き始めて途中で放棄した長篇の冒頭部分。大長編になるはずだったらしい。後1960年に名編集者シール・ゴールドスミスのために "Scylla's Daughter" として書きなおし、ウォルハイムの要請でこれをさらに加筆改訂して本書の長篇になる。この断片は New York Review of Science Fiction, 1977年5月号に発表されて以来の活字化。

 Centipede のこのシリーズは年1冊のペースだから、あと2年。付録に何が入るか楽しみではあるが、完結まで生きていられるか。(ゆ)
 

6月16日・水

 Grimdark Magazine の オリジナル・アンソロジー The King Must Fall を Kickstarter でプレッジ。Anthony Ryan がノヴェラで参加しているので買わないわけにはいかない。Kameron Hurley や Anna Smith Spark もいるし、エイドリアン・チャイコフスキーもいるしで、かなり美味しそうだ。

 この雑誌はイギリスだと思っていたら、オーストラリアだった。

 Kickstarter の出版も増えたなあ。翻訳出版もできるだろうか。


 Cookie Marenco の Cookie's Corner #90 How DID we record during the pandemic? は面白い。仲間の録音エンジニアたちとパンデミック中の録音について話す中で、皆さん防音完備のスタジオではなく、自宅など臨時の環境で録音せざるをえなくなり、当然、色々と外界の音が入ってくる。クーキーはそういうのに慣れていて、むしろ自然発生的なそういう音楽がスタジオ環境でのものよりずっとすばらしいことも体験として知っている。ところが他の、いわば完璧主義者のはずのエンジニアたちも、最高の演奏を録っている最中にどこかでケータイが鳴るというのが、実はそれほど悪いことではない、むしろその方が音楽の良さが引き立つこともあるとわかったと言う。これからはもっと「ライヴ」な環境で録りたい、録るつもりだ、と口をそろえる。これで録音された音楽に情熱がもどってくるかもしれない、というクーキーの期待は共有できる。


The World of Octavia E. Butler
by Lynell George
Angel City Press
2020
176pp.
978-1-62640-063-4
 一応の伝記ではある。が、中心は作家としてブレイクするまでの、バトラーの孤独な奮闘、もがきの再体験。第三者として可能なかぎりの再体験を試みている。

 最終第10章は、著者がバトラーの生身に遭遇した最初と最後の機会を回想する。最初は10代の時、英語教師だった母親がオーガナイズした、ロサンゼルスの独立書店のひとつでのバトラーの講演会。最後は2004年6月、シアトルで開かれた Black To The Futures: a Black Science Fiction Festival の基調講演。講演の後に捕まえて、将来のインタヴューの約束をとりつけた。バトラーの急死によって、このインタヴューは結局実現しなかった。

 その講演の原稿に著者はハンティントン図書館のバトラー・コレクションで再会する。レーザー・プリンタで打ち出された原稿には、カラフルなマーカーで強調するところや一息入れるところが示され、欄外には朱で注意書きや訂正が入っていた。書かれた言葉を10年以上経って読むのは、あの時、話されるのを聴いたのとはまったく別の体験だった。笑いをとって聴衆の緊張をやわらげるためだった言葉が、重い真実を浮かびあがらせる。

 ここで浮上するバトラーは作家として確立した、マッカーサー「天才」助成金受賞者の姿ではない。それよりも、ただ1人、おのれの道と本人に思えるもの、本人にしか見えないものを粘り強く、勤勉に求めてゆく姿だ。その孤独を慰めるものは自分しかおらず、バトラーはそれをノート、「セッション」ノートにぶちまけ、書くことによって傷を治し、自分を励まし、新たな力を得て、また創作、物語を語ることへ向かう。著者が言うとおり、バトラーはその作品が売れる遙か前、そもそもの当初から常に書く人、作家だった。書くことで個人的問題を処理し(必ずしも「解決」がつけられるわけではない)、自分の住んでいる世界の問題を物語に語り、読む者に考えさせ、行動させた。

 黒人の女性が作家になどなれるはずはない、ということは、誰よりもバトラーを知るはずの周囲の人たちが口をそろえて本人に言い続けたことだ。だからバトラーには相談相手がいなかった。その不安、悩みを聞いて、励ましてもらえる相手はいなかった。バトラー以前に黒人の女性の作家、サイエンス・フィクションやファンタジィを書いた作家がまったくいなかったわけではない。しかし、その存在は、作家としては知られていたとしても、黒人の女性の作家ということはまず知られていなかった。バトラーが出てから、後追いで探してみれば、この人もそうだった、あの人もいた、もっといたかもしれない、と判明してきた形だ。

 バトラーは文字通りのパイオニアであり、しかも単に開拓者だっただけでなく、第一級の書き手、ヒューゴー、ネビュラも受賞した書き手だった。SFWA は Grand Master こそ贈っていないが、Kate Wilhelm Solstice Award を2012年に贈っている。この賞はSFFの分野に積極的かつ大きな影響を与えたと認めるものだ。言い換えれば、バトラーにはロール・モデルがいなかった。彼女がSFFに惹かれたのは白人男性作家たちの作品による。前例というものが無い、そしてそういうものになることが可能であると示唆するものすらまったく無い世界で、ひたすら読み、書くことで、バトラーは自らを鍛え、単なる作家の1人ではなく、レジェンドの1人になっていった。そして、バトラーの存在と作品は、今年の SFWA Damon Knight Grand Master の受賞者ナロ・ホプキンソンにとっても導きの星になる。

 その苦闘、不安というよりは恐怖と不安定な生活の中であがき続ける存在の内面の情景を著者は描こうとする。

 バトラーが自分以外に頼れたのはまず図書館。そしてバス。あのロサンゼルスで運転免許証すら持たないことがどういうことか、おそらく実際に住んだことがなければ、実感が湧かないだろう。不可能ではない。しかし、それによって生活するためには、少なくとも綿密な計画と並外れた忍耐力が必要なはずだ。バトラーはまず歩き、そしてバスに乗って移動した。何枚もの定期券と手擦れのした時刻表が残されている。

 一方でバスは長距離になることも多く、バス内外の情景・体験は作品の材料となり、物語を練る時間を提供した。

 バトラーはそのリサーチを全面的に公共図書館でしている。図書請求票、リクエスト・カード、call slip をすべて保存していた。もっともこれだけでなく、日常生活で出てくるレシート、公共料金の請求書、バスの定期券、施設への入場券、イベントのチラシなどありとあらゆる書類も保存していた。原稿、草稿、ノート、メモ、書簡、ビジネス書類など、作家が通常残すものにこれらが加わって、サン・マリノにあるハンティントン図書館にあるバトラーのコレクションは300箱になる。ハンティントンは図書館、美術館、植物園からなる私立の外藐Φ羯楡漾残された書類の中にはバトラーのロサンゼルス公共図書館利用者カードもある。

 リサーチだけではもちろん無い。その前に、大人のセクションへ入ることができる年齡になるずっと前から、図書館には入りびたった。そこは第2の家、誰にも邪魔されず、目標へ向かう努力を坦々と重ねられる場所だったからだ。何よりそこはタダだった。黒人の女性でも利用に支障はない。図書館が無ければ、作家オクタヴィア・E・バトラーが世に出ることはおそらく無かった。いや、図書館のお世話にならずに世に出た作家など、いるのだろうか。幼ない頃から、読みたい本、必要な本はすべて買えるような人間は、作家として世に出ることなどないんじゃないか。

 著者の文章はやや癖がある。ごつごつと、言葉をほおり出すようなスタイル。あまり使われない単語を好むようでもある。読みやすいとは言えない。一方で、その読みにくさ、何を言おうとしているのか把握するまで手間暇がかかるところが、バトラーが続けた苦闘そのものの文章化のようにも思える。ジェリィ・ガルシアはグレイトフル・デッドでショウをやる感覚を「絶えず砂が流れおちてくる砂丘を、片足だけで一輪車をこいで登る」ことに譬えた。バトラーの苦闘もまたそれに劣らないものだったと実感できる。

 著者も黒人女性で、ジャーナリストとして Los Angeles Times と LA Weeksy のスタッフ・ライターであり、この本は3冊めの著書。2016年に出た Otis Redding の Live At The Whisky A Go Go のライナーノートでグラミーを受賞している。ストリーミングで音は聴けるが、ライナーはCDを買わないと読めない。


 バトラーの作品は1980年の Wild Seed、彼女の最初のシリーズ Patternist の4作めと1987年の Dawn、第2のシリーズ Xenogenesis 1作めが Amazon Prime での映像化が進行中。と公式サイトにある。

 今やっている第3の、最後になったシリーズ Parable の1作め The Parable Of The Sower が昨年9月第2週に New York Times のベストセラー・リストに入っていた。トレード・ペーパーの14位。リチャード・パワーズの2019年ピュリッツァー受賞作の一つ上だ。昨日や今日の新刊ではない。刊行からは27年、著者が死んでからでも14年経っている。映像化されたわけでもない。有名人が推薦したわけでもない。こういう本がその作品の持つ力だけで New York Times のベストセラー・リストに入るというのは快挙以外の何ものでもない。

 バトラーは若い頃から、作家としてデビューする遙か前から、ベストセラー作家になることを自分に約束していた。夢ではない、明確な目標だった。といって、売れる小説を書いてそうなるのではなかった。自分にしか書けない物語、書くべき物語を語ることによって、ベストセラー作家になることを目標に掲げた。そしてその目標は本人が思っていたよりも遙かに長い時間がかかったものの、ついに実現した。The Parable Of The Sower は2024年の南カリフォルニアから話が始まる。オーウェルの『1984年』のように、2024年には再びベストセラー・リストに入るだろう。


 本書目次の前のページの写真、墓の上に置かれた右側のノートに貼られたタイトルのことば。

noentertainment


No Entertainment
On Earth
Can Match
A Good Story
Compellingly Told.

 そう、"compellingly told" なのだ。バトラーの小説、物語は "compellingly" に語られている。それと同じく "compellingly" な語りの翻訳をめざさねばならない。否が応なく読ませてしまう翻訳。そんな翻訳ができるのか。できるかどうかはわからない。とにかく、目指して努力するしかない。(ゆ)

6月3日・木
 
 ハーバートの『デューン』映画公開の報。2度目、だろうか。それにしても『デューン』が話題になるたびに思い出されるのはこの本の誕生にあたって決定的な役割を果たしたスターリング・E・ラニアのことだ。Analog に雑誌連載はされたものの、長すぎるというので、どこの版元からも蹴られていた小説を、連載を読んで追いかけ、当時編集者として勤めていた Chilton から単行本として出した。ラニアがいなかったら、本になっていなかったか、刊行がずっと後になって、埋もれていたかもしれない。その経緯はハーバートとラニアの書簡の形で、The Road To Dune に詳しい。単行本は出たものの、当初は売れず、ラニアはいろいろプロモーションもやっている。Chilton には小説のマーケティングなどやる人間は他にいなかったのかもしれない。


 

 Chilton は本来はマニュアルなどを出していた、というのをどこかで聞いた。SFF関係の小説の刊行はごくわずかで、中では『デューン』と翌年のシュミッツの『カレスの魔女』、そしてラニア自身の Heiro's Journey を1973年に出したのが業績と言える。もっともこの三つを出しただけでも十分ではある。

惑星カレスの魔女 (創元SF文庫)
ジェイムズ・H. シュミッツ
東京創元社
1996-11-17



 Chilton は小説出版の経験がほとんど無かったからこそ、SF出版の「常識」からは長すぎるとして拒否されていたものを出せたのかもしれない。1965年にはラニアがいたせいか、『デューン』の前にシルヴァーバーグやアンダースン、シュミッツの作品集を出している。ラニアがいわば何も知らない経営者をうまく言いくるめて『デューン』を出した、という可能性もないわけではないだろう。とまれ、それによって「歴史は変わった」のだった。

 奇しくもこの翌年には『指輪物語』のマスマーケット版がアメリカで出る。これも当時としては「非常識」なまでに長く、厚い本だった。『デューン』と『指輪』が相次いで出たことは、こと紙の出版という次元に限れば、ひょっとすると12年後の『スターウォーズ』以上に、サイエンス・フィクションにとって革命的なできごとと言えるかもしれない。(ゆ)
 

6月1日・火
 
 バトラーをやっていると文章に興奮してしまって、仕事が進まなくなる。原文を読んで翻訳しようとする前に、いろいろと考えが浮かんできてしまう。登場人物たちの言動や、視点人物の言葉に反応してしまう。話がちょうど感情的に辛い部分にさしかかってきているせいもあるか。

 皆さん、こういうのはどうして処理いるのだろう。と今さらのように思う。どんな話の、どんな展開でも、水のように冷静に、一定の距離を保ち、「客観的」に原文を読んで、坦々と翻訳を進める、なんてことができているのだろうか。

 作品に対して感情的に反応してしまい、仕事が進まなくなる体験はしたことがない。と思う。これまでやったものの中に、そういうものは無かった。ホーガンの『仮想空間計画』のアイルランドでのシーンは、おー、きたきたといいながら、やるのが愉しくてしかたがなかった。翻訳しながら作品に感情的に反応したと言えるかもしれないが、質がどうも違う。アリエットの作品も感情の量が豊冨だし、一人称やそれに近い視点で書かれたものも多いのだが、翻訳をやりながら巻きこまれてしまい、高ぶって筆が進まない、いやキーボードを叩けないことはなかった。やはりこれはバトラーの書き方だろうか。

 もっとも同じバトラーでも、いやこの二部作の前作 Sower をやっている時も、こうなったことは無かった。『種播く人』は典型的なV字型の話で、冒頭から状況はどんどん悪くなってゆき、どん底になったところで方向転換、後はラストまでムードは右肩上がりだ。将来への希望をもって終る。視点もヒロインで語り手の一人称、というよりほぼ本人の日記からの抜粋だけでできている。シンプルな構成のシンプルな話で、その分パワフルでもある一方で、読む方の反応もシンプルでいい。

 この Talents の方はぐんと複雑だ。複数の視点、それも対極の立場のものが導入され、状況は割り切れず、感情の動きは振幅が大きく、錯綜もする。『種播く人』では目標に向かって一直線に進んでゆくヒロインの姿は凛々しく、雄々しく、さわやかだったが、ここでは迷い、揺れ、状況に翻弄される。

 ただ、仕事が進まなくなるのは、登場人物たちのというよりも作品そのものが孕んでいる感情的なものの大きさにからめとられてもいるようで、それはまた作品の複雑さからも生まれているようでもある。こういうエモーショナルなパワーが作品の根本的性格とすると、それにからめとられていて、はたしてそのパワーを訳文にも籠めることができるのか。そこからはなるべく心身を離し、冷静に訳文を決定してこそ、それが可能なのではないか。

 いや、その前に、仕事が進まないのは困るのだ。

 話の中核、ヒロインたちが徹底的にいためつけられる部分にさしかかって、気分としてはほとんど格闘している。いや、格闘というのはまだ対等の関係が含まれる。むしろ押し流されそうになって、もがいている。急流にさからって遡ろうとしている。バトラーはいろいろな意味でパワフルな人だったようだが、このパワーはいったいどこから来るのだろう。同時代と後続の人たちに影響を与え、というよりも鼓舞しつづけているのも、このパワーだろうか。(ゆ)

5月19日・水
 F&SF 2021-05+06着。新しい編集長 Sheree Renee Thomas は今月も Editorial を書いている。毎号書くことにしたのだろうか。F&SF はごく稀に何かよほど特別な時を除いて、長いこと Editorial が無かった。 無いことが伝統にすらなっていた観があった。あたしは雑誌の編集者がこういう形で直接顔をさらすのが大好きなので、大いに歓迎する。

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 SFM も創刊当初から森さんまでは毎号巻頭言があって、毎月買ってくるとまず読むのが愉しみだった。バックナンバーを揃えた時も、まずここだけ全部読んだものだ。後に編集後記に代わって、分量も増えて、それはそれでいいんだけれど、初めに刷りこまれたので、やはりアタマに欲しい。

 オンライン・マガジンもたいていアタマにある。Asimov's も巻頭に Editorial があるのは愉しい。Locus は巻末で、やはり真先に読む。

 こういうエディトリアルがあると雑誌を作っている人間の顔が見え、声が聞える。すると、雑誌としての人格というとヘンかもしれないが、独自のキャラクターをちゃんと備えて、愛着が湧くし、内容の信頼感ももてる。巻頭言も編集後記も無い雑誌はのっぺらぼうだ。まあ、カタログ雑誌だわな。

 で、その今月の巻頭言でとりあげているのがオクタヴィア・E・バトラー。トーマスは1972年生まれというから、バトラーが Patternmaster で実質デビューした時には4歳。物心ついた時にはすでに作家としては名が通っていただろう。トーマスが名を上げるのは2000年のアンソロジー Dark Matter: A Century of Speculative Fiction from the African Diaspora の編集者としてで、これにはもちろんバトラーも The Evening and the Morning and the Night で収録されている。当時バトラーは53歳。The Parable Of The Talents を出した2年後。バトラーから見ればトーマスは娘の世代で、トーマスはバトラーを師匠で友人と呼ぶ。
 トーマスはできるだけ感情を抑えて、客観的に書こうとしているようだが、読んでいるとトーマスにとってバトラーがいかに大きな存在だったか、その憧れと敬愛の念がにじみ出るように感じる。トーマスだけでなく、どうやら女性のSFFの書き手、それもアフリカ系、黒人をはじめとする「カラード」出身の人たちにとって希望の星だった、いや、今も希望の星で、むしろその輝きは大きくなっているようにも見える。

 実際、バトラーの存在は2006年の急死以後、時が経つにつれて大きくなっている。専門の学会もあるし、研究書の類は引きも切らないし、LOA にも入ったし、昨年は初めての伝記も出た。この伝記 Lynell George の A Handful Of Earth, A Handful Of Sky は通常の伝記のスタイルではなく、残されている遺品、遺稿、書簡、書類などを手がかりに作家としての軌跡をたどる半分ヴィジュアルの本。LOA の編集者の片割れ Gerry Canavan が伝記として薦めてもいる。



 トーマスによれば、とりわけこの Parable 二部作によって、バトラーはサイエンス・フィクション的な予言者、巫女とみなされている。まあ、無理もない。この2冊にはどちらもアメリカ大統領が出てくるが、どちらもまるでトランプそっくりだ。予言者たるところはそれだけではむろんない、というより、この二部作全体が確かに予言、というより預言の書の趣きがあるけれど、2人の大統領の印象は強烈だ。直接出てくるわけではなくて、主人公の日記を通しての間接的な登場だが、それでもだ。

 それにしてもバトラーのTシャツがあり、聖人に捧げる用の蠟燭があり、絵画やアートがあり、おまけに NASA は、先日火星に着陸した探査機 Perseverance の着陸地点を Octavia E. Butler Landing と名づけた。彼女の名前を持った小惑星はすでにある。作品の劇画化もされている。トーマスの言うとおり、ハリウッドか Netflix あたりが乗出してくるのも時間の問題かもしれない。

 巻頭でトーマスがこういうことが書けるのが嬉しくてたまらない様子で賛辞を捧げれば、巻末の Curiosities ではバトラーが増刷を認めなかったために市場からは消えている Survivor が取り上げられている。ここは隠れた傑作、名作をあらためて紹介するコーナーだけど、今回は意図的だろう。Surivor はバトラーの最初のシリーズ、Patternist の3作めとして1978年に出ているが、書かれたのは最初だそうだ。探してみたが、この本だけ、手許には無かった。LOA にいずれ入るかなあ。

 自分がまさに今やっている本がこういう形で話題になってくるのは、肩にかかるものがそこはかとなく重くなってくる感覚がある。翻訳者としては話題になろうがなるまいが、坦々と最善を尽くすのが本分だ。とわかってはいても、映像化されて売れてくれれば、バトラーの他の作品もできるかと、雑念が湧いてくるのを禁じえない。(ゆ)

5月18日・火曜日
 Grimdark Magazine のレヴュー記事で Michael J. Sullivan に引っかかる。この人も自己出版で人気が出て、ベストセラー作家になった1人。最も成功した1人だそうだ。

 最初に出したのは The Riyria Revelations で、著者のサイトの記事によると、このシリーズは6冊すべて完成してから版元を探した。が、結局見つからず、まず夫人が自分のインプリントで出し、次に自己出版した。その後 Orbit に拾われる。つまり、このシリーズは6冊で1本の話なのだ。しかも、全部原稿が完成してから出版した。これは面白い。無論 The Riyria Revelations はライバーの「ファファード&グレイマウザー」のエピゴーネンではあるが、この手法は新しい。
 ライバーの場合は当初からシリーズ化を考えていたわけではなかった。書いてみて面白かったし、読者の反応も良かったから、もう1本、さらにもう1本と重ねていき、気がついたら、シリーズになっていた。当然、後からしまった、あそこはこうしておけばよかったと思っても修正はできない。書いてしまったものに合わせることになる。それに対してサリヴァンは全体が完成するまで出さなかったから、1本のものとして、より複雑で含みの多い話にできる。書いているうちに前を修正したくなったら、修正できる。設定は似ていても、構造は対照的で、できあがるものは相当に違ってくる。むしろ出発点が同じなために、違いが面白くなるかもしれない。ひょっとすると、どこまで違うものにできるか、出発点はあえて似たものにしてみたのかもしれない。

 その次も面白くて、The Riyria Revelations がヒットした後、読者からのリクエストに応じて続篇を書こうとした時に、このシリーズの結末がいたく気に入っていたので、それを壊さないために前日譚を書くことにした。

 こういうこともなかなかやらない。まずたいていは「その後」を書くだろう。実際『サイボーグ009』も「地下帝国ヨミ」の最後で終っていれば、と今だに思う。結局「あの後」はそれ以前の水準には戻らなかった。ついには「天使編」などというものまで出てきてしまった。まあ、あの場合には「続篇を」というよりも、「009 を殺すな」というのが読者の要求だったので、ケースとしては別としておこう。しかし、その要求に作者が屈した結果、作者も読者も、そして何よりも作品も幸せにはならなかったことも記憶しておこう。キャラクターは死ぬべき時には死ぬのだし、一度死んだら無理に復活させてはいけない。田中芳樹はちゃんと殺してそのままにした。だから『銀英伝』は名作として残っている。

 となると、そこまで大切にした Revelations の結末は気になるではないか。しかもだ、この前日譚 The Riyria Chronicles はまた構成を変えた。こちらは1巻読切の形で、どれからでも読める。また、書くのも出すのも自由だ。既刊4冊で5冊めを計画中の由。

 さらにその次の The Legend of the First Empire も原稿を完成してから版元を探した。これは最終的に三部作二つの形になって、最初の三部作は Del Rey から、後半の三部作は自己出版で出した。年1冊の刊行を早めることと、オーディオブックの権利を切り離し、活字版だけの権利を買うことに版元がウンと言わなかったためだ。それだけオーディオブックの権利は出版社にとってはおいしいものなのだろう。Del Rey の担当者たちとはごくうまく行っていて、かれらは活字だけでもいいと思っていたのだが、Del Rey の親会社である Penguin Random House が、オーディオブックのつかない活字だけで契約することを禁じていたのだそうだ。
 それはともかく、こういう書き方、つまり出版前に全部完成してしまうやり方をする書き手はあまりいない。というよりも、普通は薦められない特異なやり方であることは本人も自覚している。

 あるいは、こういうことも今だから可能になった、ということなのだろう。自己出版がひとつのシステムとして確立し、そのためのインフラが整ってきた。流通のインフラだけでなく、様々なレベルの編集や校閲、校正などのような編集のインフラを担うフリーの専門家の層が整ってきたのだ。あるいはベータ・リーダーを集めて利用するノウハウやそこに参加するメンバーの質も全体に向上しているのだろう。質の良い専門家を個人が集めて、利用できるようになっている。実際、自己出版された小説の質も上がっていて、もはや出版社から出るものと実質的な差異はないし、人気という点ではむしろ自己出版の方に軍配が上がるようになってさえいる。従来は小説を出版できるシステムとしては会社組織としての出版社しか存在しなかった。

 ちなみに今年の3月11日の著者の書き込み Line Editing は大変に面白い。英語の小説編集の様々な過程について簡単に記してから、line editing とはどういうものかを、自分たちが実際にやったテキストを例にして段階を追って具体的に説明している。当初の文章、それを一度 copy edit に通した結果、そのどこをなぜさらに line edit するか。その結果。

 元来は英語で小説を書こうとしている人たちへ向けた記事だが、英語を読む際の勘所を簡潔に説明してくれてもいる。何より、実際に良くなってゆく様を目の当たりにするのはスリリングだ。ベストセラーになるには、こうした見えないところの細かい努力を重ねてもいる。そうした努力を重ねることは必要条件で、十分条件ではないわけだが、エンタテインメントだからこそ、こうした緻密な仕上げの手を抜いてはいけない。

 この辺も昔とは様変わりしている。シルヴァーバーグが「小説工場」と言われるほど書きまくっていた時に、こんな緻密な作業は考えもしなかったろう。雑誌の中短篇でデビューして長篇へと移っていったプロセスと、いきなり大長編でデビューする手法との違いはあるにしても、それだけではない環境の変化があるはずだ。

 出版前に原稿全体が完成していた例は昔からもちろんあるわけで、『指輪』もそうだし、ドナルドソンの『コヴナント』も三部作を一挙に出した。ウォルター・ジョン・ウィリアムスも長篇2冊の同時刊行でデビューしている。しかし、 The Riyria Revelations は三部作どころではない、6冊合計100万語、1万枚、『グイン・サーガ』25冊分の分量だ。しかも、一度ならず、二度までもやっている。二度めの The Legend of the First Empire も6冊合計2,600頁超で、やはり百万語超。さらに二度めは前半3冊はメジャーから、後半3冊は自己出版という、普通とは逆の手順を踏んでいる。そうなるとこれまたどういう話なのか、気になってくる。

 全体としては1本の話だが、構造としてはより小さな単位のまとまりに分けるのは、長い話をダレずに語る手法の一つだ。ブランドン・サンダースンも主著の『ストームライト・アーカイヴズ』を5巻ずつ二つのグループにすることを公表していた。つまり各巻ごとにヤマがあり、その上に大きなヤマが二つあって、後のヤマは全体のヤマでもある。The Riyria Revelations の場合は二部作が三つという構成らしい。

 もう一つ、 The Legend of the First Empire は The Riyria Revelations と同じ世界の三千年前の話。後者では神話・伝説として残されている時代の話だ。後者を読んでいれば、ああ、これはあそこに出てきた、とわかるわけだ。だけでなく、歴史は勝者によって書かれるので、前者に書かれているのは、後者で伝わっていたものの「真相」になる、と著者は言う。こういう対照の仕方を意識的にやっているのも、あまり例がない。たとえば、どちらにもこの世界の地図が付いているが、同じ地形で地名はまったく異なる。あたりまえといえばあたりまえ、単純なことではあるが、目の前に並べられてみると興奮してくる。

 サリヴァンは次の三部作がもうすぐ出るけれど、それは Riyria と First Empire をつなぐものになるそうだから、まずはこの三つのシリーズというか、2本と4冊を読んでみよう。


 The Riyria Revelations は最初の2冊だけ邦訳が出ている。2012年にたて続けに出してそれっきりだから、後続の巻が出ることはおそらく無いのだろう。しかし、これは読者としてはまことに困る事態だ。英語も読める読者はともかく、翻訳に頼る読者ももちろんいる。あたしだって英語以外はお手上げだ。全体で1本の話の最初の3分の1だけ出しておいて、後は知らないよ、というのは、『指輪』の第一部『旅の仲間』だけ出して後は知らない、というのに等しい。

 事情はいろいろあるのだろう。端的に言えば売れなかった、ということだろう。しかし、こういうことが続けば、読者の方も警戒する。どうせまた中断されるだろう、と長いものには手を出さなくなる。ますます売れない。

 しかし、長い話にはそこでしか味わえない愉悦がある。長い時間をかけて、複雑なプロットを読みほぐし、多数のキャラクターを読みわけて、その行動や思考や感情を追いかけ、そうしてその世界にどっぷりと浸ることは、他のどんなメディアでも、マンガでも映画でもテレビ・ドラマでもゲームでも味わえない快楽だ。「小説は長ければいいってもんじゃない」と言う人間は、長い小説の味をまだ知らない。長い小説は長いというそれだけで、まず価値がある。

 長い小説の翻訳を中断するのはその愉悦を味わうチャンスを奪うわけで、中断するかどうかの判断は慎重にされていると期待する。

 出版社が出してくれないなら自分で出す、というのは今やごく普通の選択肢だが、翻訳の場合、自己出版は難しい。ちょっと考えただけでも、自分で書いたものを出すのとは別のレベルのシステムが必要になりそうだ。そういうシステムを造るのと英語を読めるようになるのと、どちらがハードルが高いだろうか。(ゆ)

5月17日・月
 先週末のSFファン交の例会はケン・リュウの特集だというので、そういえば、と積読してあった The Grace Of Kings を読んでみる。なぜか出た時にハードカヴァーで買っていて、第2巻 The Wall Of Storms もやはりハードカヴァーで買っていた。
 
The Grace of Kings (The Dandelion Dynasty)
Liu, Ken
Head of Zeus -- an AdAstra Book
2021-11-04


 読みだしてみれば、これは中国・秦末漢初の動乱を土台にしている。皇帝マピデレは始皇帝だし、2人の主人公クニ・ガルとマタ・ジンデュはそれぞれ劉邦と項羽だ。クニの結婚までは劉邦の事蹟にかなり忠実に沿っている。クニの妻ジン・マティザは呂雉(呂后)、コゴ・イエルは蕭何になる。「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」まで出てくる。本来これは秦に対して最初の反乱を起こした陳勝が言ったことになっているが、それを劉邦=クニに言わせている。今後、張良、樊噲、韓信、曹参、范増などに相当する連中が出てくるか。それと、どこから、どうやって中国の歴史から離れるか。

 始皇帝による初の中国統一から漢による再統一にいたる時期は中国史の中でも屈指の動乱期で、英雄雲のごとく湧き出たたいへんに面白いところだが、司馬遼ぐらいで案外に小説化されていない。やたら人気のある漢末の三国志とは対照的だ。劉邦は庶民から出て天下を取った中国史上たった2人のうちの1人で、もう1人の明の朱元璋より人間的には魅力がある。何より劉邦は性格が明るい。三国志で言えば曹操が一番近いだろうが、曹操よりも一回り、人間のスケールが大きい。曹操が劉邦の同時代人だったら、せいぜい二線級の軍指揮官というところだろう。曹操も含めて、三国志の英雄たちはどうもみんな真面目すぎる。真面目なところが日本語ネイティヴには人気があるんだろうが、だから誰も天下を獲れなかったとも言える。劉邦も項羽もどこか決定的に破天荒なところがある。

 ケン・リュウがこの時代を土台に据えたのは面白い。三国志は手垢がつきすぎていることもあるし、劉邦と姓が同じこともあったのかもしれないが、巻頭の献辞によれば、幼ない頃、祖母とともに聞き入ったラジオの pingshu でさんざんこの時代のドラマを聞いたいたことが大きいようだ。pingshu は日本語ウィキペディアでは唐代の説話しか出てこないが、英語版によれば1980年代以降、中国北半分で、とりわけラジオでたいへんに人気のある話芸で、わが国の講談に相当するものらしい。都会では幼ない劉宇昆と祖母のように、家族でラジオにかじりつき、農村では田畑にラジオを持っていって、農民たちは聞きながら農作業をしたそうだ。pingshu は普通音楽はつかないらしいが、あるいは講談よりは、かつての平曲や太平記語りにより近いのかもしれない。ウルドゥ語に伝わる「ダスタン」にも通じるものだろう。ダスタンからは『アミール・ハムザの冒険』というとんでもない代物も出ているが、ケン・リュウが「シルクパンク」と呼ぶこの小説はどこまで行けるか。

 ケン・リュウは日本独自編集の作品集が3冊も出るほど人気がある由だが、主著といえばやはりこの The Dandelion Dynasty 『蒲公英王朝記』に留めをさす。第3部になるはずのものが、トランプ政権成立をきっかけに膨れあがり、第1、第2巻を合わせたよりも長くなった。結局第3部は各1,000ページの2冊に別れて出る。この間の事情を伝えるメール・ニュースはなかなか読ませる。とにかく話の向かうところ、キャラクターたちの目指すところにまかせ、ひたすら書き続けた。一つ山を越えるとさらに高い山が聳えている。しゃにむにそれを登ってゆく。作家として持てるものをありったけぶちこむ。それによってさらに成長して得たものもぶちこむ。その結果が第3部だけで80万語、四百字詰め原稿用紙8,000枚、『グイン・サーガ』20冊分になった。

 2015年に第1巻、2016年に第2巻とたて続けに出した後、壁にぶちあたったそうだ。それがトランプの登場でギアが入った。ケン・リュウは11歳でアメリカに移住しているが、帰属意識、アイデンティティとしてはアメリカ合州国市民であるようだ。移民の国としてのアメリカ、多様性を基盤とするアメリカを否定するトランプ政権は自分の存在そのものへの脅威だったのだろうか。それに対してどういう回答を出したかを知るには、この第3部まで読まねばならない。その回答はアメリカ市民にとってだけでなく、同じ惑星に同時代に生きる者としてのあたしらにも無関係ではない。多様性を否定することに熱心な社会をめざすこの列島に生きる人間の1人としては、むしろ密接に関わる。

 ディレーニィやバトラーに始まる黒人系、Rebecca Roanhorse が飛びだしたアメリカン・ネイティヴ系(Craig Kee Street もいる)、Silvia Moreno-Garcia などのラテン系、Ekpeki Oghenechovwe Donald が台風の眼になりそうなアフリカ系などなど英語圏は多様化の嵐が始まったばかりだが、ケン・リュウやアリエット・ド・ボダール、ミシェル・ウェストのようなアジア系はやはり一番気になるし、共鳴もしやすい。この『蒲公英王朝記』が中国の歴史を土台にしていることは、あたしらならすぐにわかるが、英語圏の平均的読者にはなかなかわかるまい。その点でも有利ではある。第3巻 The Veiled Throne が出る11月は満を持して待ちたい。幸い、ケン・リュウの英語は第2言語であることも作用してか、比較的平易で、読みやすい。(ゆ)

 恒例のアウラのクリスマス・コンサート。今年は現メンバーでの初のフル・アルバム《クリスマス・ソング・ブック》を出した、そのレコ発コンサートでもある。

 フル・アルバムを新たに録音するのはやはりいろいろと大変なことであって、それによってミュージシャンやバンドが成長するきっかけにもなる。アウラの場合、まことに大きく作用したらしい。MC でも、かなり苦労したことは触れられていたが、それ以上に、演奏そのもの、歌唱そのものにその成果ははっきりと出ていた。

 アウラの歌でこれほど感動したのは初めてだ。

 あたしにとって、音楽への反応のレベルとして通常最高なのは、つくづくしみじみといいなあ、と思えることである。音楽を聴いてきて、ほんとうによかった、この愉しみがあってしあわせ、これで明日も生きていけると心の底から湧いてくるときである。アウラのライヴでそういうことは何度もあった。ヘンデルの〈ハレルヤ〉や〈荒城の月〉などはその例ではある。

 今回はそこを突き抜けてきた。聴いていて背筋に何度も戦慄が走る。この感覚、状態はもう言葉にはならない。読書や絵を見てそうなることもあるが、音楽での感動は遙かにずっと大きく、深い。自分という存在が根柢から揺さぶられる感覚。時間が止まる、あるいは時間が無くなってしまう感覚。物理的な次元からぽっかりと離れる感覚。人が唄う、伴奏も増幅も無く、人が唄うのを聴くだけで、そういう状態にほおりこまれる。

 そのきっかけの1つになっていたのは星野さんの低音。例によってアレンジを変えているのが、今回はアウラに可能な声域を上から下まですべて使うことを目指したように聞える。そこで下に膨らんでゆく声が、どこか胸の奥底にあるツボにびんびんと響いて、たまらない快感を生む。冒頭の〈Gaudede〉からそれが起きる。

 広い声域を目一杯使うアレンジと、それを十全に展開するシンガーたちの声の効果が最も大きく出ていた、とあたしには聞えたのは〈戦場のメリー・クリスマス〉だった。器楽曲に歌詞を載せるのがアウラの基本だが、この曲には歌詞は無い方がいい、とあえてスキャットで唄ったのはまさにどんぴしゃ。これはこの曲の1個の究極の演奏ではある。

 それに続く〈カッチーニのアヴェ・マリア〉もまた凄い。従来の録音からテンポをわずかに落とし、十分にタメて唄う。こういうタメは出そうとして出るものでもないだろう。個々のメンバーの力量とアンサンブルとしての力量がともに上がってきて、自然に出てくるものと思える。あるいは、そこまでのレベルに達して初めて可能になるものだろう。

 もう1つのハイライトは後半の〈White Christmas〉。星野さんのリードが効いていて、ひたすら聴きほれる。それが飛びぬけているのではなく、低くのびる声に導かれて、歌の世界にもっていかれるのだ。難易度がとんでもなく高い難曲だと後で明かしたが、すでに立派なものだ。

 これまでは、良くなったところが比較的はっきりわかるところがあって、ああここがすばらしい、とか、あそこが巧くなったなあ、と見えていたのだが、今回は初めから最後まで渾然一体となってまことにすばらしい音楽に浸っていた。明らかにレベルの次元が変わっている。こうなってくると、たとえば〈Wexford Carol〉をアウラの歌で聴いてみたくなる。

 沖縄・金武町の観光大使に続いて、長野・駒ヶ根市の応援団に任命されたそうだが、この分だと大使や応援団になってくれという依頼が全国各地から殺到するのではないか、と要らぬ心配をしたことではある。(ゆ)


アウラ
畠山真央
池田有希
菊池薫音
奥脇泉
星野典子

クリスマス・ソング・ブック
アウラ
トエラ・クラシックス
2019-11-27


 前回の記事を書いた直後、また問題が出てきた。IFSDB のマクリーンのページにもう1篇、ファンジン掲載作品が現れたのである。1951年に Orb, V2 #3 に掲載された "A Fable of the Sholvis"。Orb は1949-10から1952年まで、11冊発行されたファンジン。これはその通巻8号。編集発行人の Bob Johnson は Orb 関連だけが ISFDB にある。この号の執筆陣で他に名前が知られているのは Nelson Bond ぐらいで、他はすべてファン・ライターらしい。

 この短篇は Charles Dye and Katherine MacLean Dye の名義になっている。チャールズ・ダイ (1925-1960?) はカリフォルニア出身で、1951-53年にマクリーンと結婚していた。1950年から1953年にかけて、19篇の中短編と長篇が1本ある。そのうち "The Man Who Staked the Stars" と "Syndrome Johnny"はマクリーンの代筆であることが明らかになっている。"Regeneration" も代筆と推測されている。

 "The Man Who Staked the Stars" と "Syndrome Johnny" は傑作と言っていい。後者は遺伝子操作を扱った最も初期、それも飛びぬけて早い時期の作品で、その処理の仕方もマクリーンらしいユニークなもの。前者のノヴェラはシンプルだが、おそろしく把握しにくい心理学的アイデアを基にしたスペース・オペラで、一度読んだだけではわからない。少なくともあたしは初め、わからなかった。マクリーンの話ではこういうことが屢々ある。しかも彼女は必要最低限の記述しかしないから、さらにわかりにくくなる。まあ、N. K. Jemisin の言うように、ホンモノは3回読まねばわからないのであろう。

 Charles Dye の作品をあらためて ISFDB で見ると、Because of the Stars というものが上記 The Man Who Staked the Stars と同じ月に別の雑誌に掲載されている。しかもこれはノヴェラなのだが、Dye の他の作品はすべてショートストーリィで、ノヴェラを書けるのか、という疑問も湧く。タイトルにも共通性が匂う。

 もう1篇、ノヴェレットである "Settle to One" は、例外的に Astounding に載っている。デビュー作とファンジン掲載作を除いて、他の作品はすべて Robert W. Lowndes 編集の雑誌に発表されている。しかもこの中篇は April Smith なる人物との共作で、April Smith はこの他には1955年8月の If にノヴェレット "Birthright" を書いているだけ。SFE3 にも記載が無い。とすれば、少なくともこの3本は実物にあたらなければならない。

 ロバート・ラウンズ、通称ドック・ラウンズ (1916-1998) は The Futurians の1人で、パルプ雑誌作家の1人でもある。1940年代から70年代まで、様々なSF、ファンタジィ、ホラーの雑誌の編集長を渡り歩いた。いずれの雑誌も二流と三流の間に位置し、短命で、名前を変えては出しなおす形。ラウンズの雑誌とアスタウンディングでは、格が違いすぎる。しかも、他にも複数あればともかく、これが唯一となると、書き手としてのチャールズ・ダイ単独では載るはずがない。共作者の器量ということになる。

 Gutenberg にあった "Birthright"を読んでみる。おそらくは、マクリーンの筆では無い。語りの口調が異なる。マクリーンはもっと引き締まった、贅肉どころか筋肉まで削ぎおとしたような書き方をする。'economical' と形容されるのを見たこともある。もっとも基になっているアイデアはマクリーンが採用してもおかしくはない。話そのものはいささか古いところはあるが、より優れた、しかも人間そっくりのエイリアンというテーマは普遍的で、今書かれたなら、評価されたのではないか。少なくとも雑誌掲載オンリーではなく、年刊ベスト集の Honorable Mentions 級にはなれただろう。April Smith という名前からして筆名だろうが、正体はまったく不明だ。

  Future と Astounding は野田文庫にある。

 唯一の長篇 Prisoner In The Skull (1952) も SFE3 ではダイ本人の作としているが、やはり読んでみなければなるまいのう。
http://www.sf-encyclopedia.com/entry/dye_charles

 それにしても、ISFDB おそるべし。知らなければそれですんでいたわけだが、知ってしまっては探索しないわけにはいかない。マクリーンは他にも共作者がいて、Charles V. De Vet はマクリーンと共作したシリーズの続篇を単独で書いたりしている。これも確認しなければならない。ああ、また雑誌掲載オンリーだ。野田文庫の Analog は1987年までで、1991年2月号は買わねばならない。

 マクリーンですらこういう状況だから、作品数の多い書き手で同じことをやろうとしたら、他には何も読めなくなるだろう。James Davis Nicoll みたいに、1日18万語、日本語にして400字詰原稿用紙1,500枚以上読めるなら話は別かもしれないが。(ゆ)

 作品の数は少ないし、こんなことをやろうという人間も他にいなかろうから、この際、キャサリン・マクリーンの全作品を読んでみようと思いたった。もちろん全作品を読まねばならない作家は他にもたくさんいるが、作品の数が少ないというのは有利だ。ただ、実際にやろうとすると、大きな問題が浮上する。

 Katherine MacLean は今年9月、94歳の高齢で亡くなった。デビューは1949年10月の Astounding。最後に小説を発表したのは1997年2月、やはり Analog だった。作品は長篇4本に中短編45本、ではあるが長篇のうち1本は中篇3本をまとめたもの、別の長篇1本は中篇の拡張版。長篇版だけでなく、原型も読んでみるつもりではある。他に Charles Dye 名義でおそらくマクリーンが代筆していると思われる短篇が1本。この作品数の少なさが災いしてか、あるいはウォルター・M・ミラー・ジュニア(この人もあらためて全作品を読みなおしたい書き手の1人)のような決定的な長篇を書かなかったせいか、アメリカでもまともに評価されているとは言い難い(フェミニズムの方面からも無視されている)が、サミュエル・ディレーニィがマクリーンをネビュラのグランド・マスターに選ぶべきだ、と言ったのは的を射ていた。

 ネビュラにはグランド・マスターとならんで Author Emeritus がある。SFF界に大きな貢献をしたが、その後忘れられた書き手を顕彰するもので、1995年から2010年まで14人に授与されている。マクリーンは2002年にこれに選ばれている。ちなみにジュディス・メリルが1996年に選ばれている。

 他の受賞者を貶めるわけではないが、メリルと並んでマクリーンの影響力の大きさはレベルが違うように思う。デヴィッド・ハートウェルはジュディス・メリルとヴァージニア・キッドとともに1950〜60年代にSFをひっくり返した女性にマクリーンを挙げている。Virginia Kidd (1923-2003) は作家、アンソロジスト、リテラリー・エージェントとして活躍した。エージェントとしての活動が最も大きく、ル・グィン、キャロル・エムシュウィラー、ティプトリー、アン・マキャフリィ、ジョアンナ・ラス、ラファティ、ジーン・ウルフなどを顧客とした。

 あたしがマクリーンの名を知ったのはSFMで「雪だるま効果」を読んだ時だ。掲載は1965年7月号だが、この号は古本で買ったから、ずっと後になってだ。1976年6月の再録の時かもしれない。訳は深町さんで、その後、浅倉さんが編んだ講談社文庫のアンソロジー『世界ユーモアSF傑作選2』に入っている。ネビュラを獲ったノヴェラ The Missing Man も深町さんの訳「失踪した男」をSFMで読んでいるはずだが、よくわからなかったというのが正直なところ。しかし、メリルがあちこちで名前を挙げてもいて、気になっていたのだろう、本は目につくと買っていた。もっとも中短編のうち2冊ある作品集に収録されているのは20本にすぎない。それ以外のほとんどは初出の雑誌やアンソロジー掲載のみだ。
 当初ネックになると思われたのは1950年代の雑誌掲載のみの短篇群なのだが、これは幸い、野田昌宏文庫に1冊を除いて掲載誌の存在が確認できたので、近々閲覧に赴く予定。無い雑誌は Authentic Science Fiction Monthly #54, 1955-02。これは英国の雑誌でチャールズ・L・ハーネスの "The Rose" を掲載したことで知られる。

 それよりも、全篇読破の最大の障碍になりそうなのが1963年の "Six Scenes in Search of an Illustration" の中の1篇である。George H. Scithers (1929-2010) が編集発行していたファンジン Amra, V2n27, 1963-11-16 に掲載された。この号の中央に挿入された Roy G. Krenkel (1918-83) のイラスト 'Swordsman and Saurians' に合わせて6人の書き手が1篇ずつ書いたもの、らしい。ページ数からして各自1ページのショートショートと思われる。

amracover

 Amra (1956-1982) は “swords & sorcery” の呼称を最初に使った媒体として知られ、ロバート・E・ハワードをはじめとしたこのサブジャンルに特化していた。1964年と68年の2度、ヒューゴーの Best Fanzine を受賞している。サイザーズは後1977年に Asimov's 誌創刊編集長となり、さらに2度、ヒューゴーを受賞する。

 マクリーン以外の書き手は Fritz Leiber, John Pocsik, Michael Moorcock, Richard Eney, L. Sprague de Camp。このうち Dick Eney (1937-2006) はワシントン、D.C.周辺の住人で、サイエンス・フィクション草創期からのファン。小説作品として発表したのはこれのみらしい。John Pocsik はまったく不明だが、やはりファン・ライターの一人だろう。

 推測だが、この年D.C.で開催されたSF大会 Discon I でヒューゴー賞のプロ・アーティストをクレンケルが受賞したことの祝賀ないし記念のための企画ではないか。プロの4人が協力したのも当時のSF界の親密さの現れ、ないしサイザーズの人脈であろう。

 クレンケルは Amra でソード&ソーサリーのイラストを描いたことでドナルド・ウォルハイムに注目され、DAW Books のE・R・バローズもののカヴァーを描くことになり、後のヒロイック・ファンタジイはじめ、ファンタジィのイラストレーションに大きな影響を与えた。1960年代のバローズ復権の立役者とされ、その貢献の大きさはバローズの遺族も認めている。Ace, DAW, Lancer などのペーパーバックのヒロイック・ファンタジイものの表紙を数多く描いている

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 ライバー、ムアコック、ディ・キャンプはヒロイック・ファンタジイのつながりからここにいるのはわかるが、マクリーンの作品はヒロイック・ファンタジイとは無縁だ。なぜ、参加したのか、また、これがどんな作品か、気になる。のではあるが、全部で20ページしかないファンジンは、さすがに野田さんのコレクションにも無い。ここに無ければ、国内には無いだろう。アメリカのどこかの大学図書館にでも行かないと見られそうもない。

 ライバーやムアコックを全篇読破しようとすれば、同じ問題にぶつかるわけだし、他の作家でも同様のものはあるだろう。知らなければ知らないですんでいたが、ISFDB にはこういうものまで出ている。(ゆ)

 秋に竹書房から刊行予定のアリエット・ド・ボダールの「シュヤ Xuya」宇宙の作品集(タイトル未定)の原稿改訂を終えて、編集部に送った。とりあえず肩の荷を降ろしたところで、当面は今週末、アイルランドはダブリンでのワールドコン、世界SF大会で、ヒューゴー賞の結果を待つばかりだ。この作品集の核となるノヴェラ「茶匠と探偵」The Tea Master and the Detective とともにシリーズ全体が最終候補に残っているからだ。「茶匠と探偵」の方は一足早く、今年のネビュラ賞最優秀ノヴェラを受賞している。これで、この作品集にはネビュラ受賞作が3本入ることになった。1人の著者の作品集にネビュラ、ローカス、英国SF作家協会の各賞受賞作が計5本も入っているのは、まず滅多にないことではあろう。

 ド・ボダールの作品が日本語で紹介されるのは、これが初めてではない。ことにずいぶん遅くなって、気がついた。SFM2014年3月号にネビュラ、ローカスのダブル・クラウンに輝いた Immersion が故小川隆氏により「没入」の邦題で翻訳されている。原稿の初稿を編集部に送った後でそのことを知り、あわてて読んだ次第。さすがの翻訳で、大いに参考にさせていただいた。記して感謝申し上げる。

 とはいえ、彼女の作品がまとまった形で紹介されるのは初めてではあるし、このシリーズは今のところ、その著作活動の中心を占め、代表作といっていいものでもあるから、まずは簡単に経歴とシリーズ全体の素描を試みよう。

 Aliette de Bodard は1982年11月10日、フランス人の父とヴェトナム人の母の間にニューヨーク市で生まれた。生後1歳で一家はフランスに移住し、パリで育つ。母語はフランス語。英語もほぼバイリンガル。ヴェトナム語は第三言語。小説作品はすべて英語で発表している。2002年にエコール・ポリテクニークを卒業、応用数学、電子工学、コンピュータ科学の学位を持つ。ソフトウェア・エンジニアの仕事につく。既婚で、昨年、第一子を生んだ。

 2006年からオンライン雑誌に短篇を発表しはじめ、2007年に Interzone に進出。同年、Writers of the Future の第一席になる。ちなみに、この賞はSFの新人発掘のため、サイエントロジーの創始者でSF作家のL・ロン・ハバートがアルジス・バドリスをかついで創設したもので、何人も優れた書き手を出している。例えばニナ・キリキ・ホフマン、キャロライン・アイヴス・ギルマン、スティーヴン・バクスター、ショーン・ウィリアムス、トビアス・バッケル、ンネディ・オコラフォー、パトリック・ロスファス、ケン・リウ、ジェイ・レイクなどなど。もっともド・ボダール以降はこれといった人は出ていない。

 この時のワークショップをきっかけに長篇を書きはじめ、苦闘の末、Angry Robot から後に OBSIDIAN & BLOOD としてまとめられる三部作 (2010-11) を出す。異次元世界のアステカを舞台とした歴史ファンタジィであり、ミステリである。構造としてはランドル・ギャレットの「ダーシー卿」シリーズに共通するが、話はずっとダークで苦く、モダンだ。

 精力的に中短編を発表する傍ら、2015年から Dominion of the Fallen と題する長篇シリーズを出しはじめる。第一作 The House Of Shattered Wings は英国SF作家協会賞を受賞している。先月 The House Of Sundering Flames が出て三部作が完結した。The Fallen と呼ばれる、文字通り天から落ちた元天使たちがそれぞれに城館を構え、一族郎党を率いて、魔法を駆使して戦う異次元のパリを舞台としている。このシリーズにも本篇に加えて、中短編を書いている。

 二つの長篇シリーズはファンタジィと呼んでいいが、その他の中短編はシュヤ宇宙も含め、サイエンス・フィクションに分類できるものが大半だ。

 シュヤ宇宙に属する作品はデビュー翌年の2007年から2009年を除いて毎年書き続けている。現在30本、短篇が15、ノヴェレット12、ノヴェラが3。そのうち最も長い On a Red Station, Drifting は4万語で、ほぼ長篇といってもいい。著者がこれまでに発表している中短編全体の三分の一をこのシリーズが占める。

 この30本のうち、5本の作品が、ネビュラ賞3回、ローカス賞1回、英国SF作家協会賞を2回、受賞している。さらに半分にあたる15本は、主な年刊ベスト集のどれかに収録されている。

 ご参考までに30本を発表順に掲げておく。

2007-12, The Lost Xuyan Bride, nt
*2008-12, Butterfly, Falling at Dawn, nt, ドゾア
2010-07, The Jaguar House, in Shadow, nt
*2010-11+12, The Shipmaker, ss, 英国SF協会賞、ドゾア
2011-02, Shipbirth, ss
2011-sum, Fleeing Tezcatlipoca, nt
2012-01, Scattered Along the River of Heaven, ss、ホートン
2012-03, The Weight of a Blessing, ss
*2012-06, Immersion, ss, ネビュラ、ローカス各賞、ストラハン
2012-07, Ship's Brother, ss、ドゾア
2012-07, Two Sisters in Exile, ss、ハートウェル
2012-08, Starsong, ss
2012-12, On a Red Station, Drifting, na
*2013-04, The Waiting Stars, nt, ネビュラ賞、ドゾア
*2014-01, Memorials, nt
2014-03, The Breath of War, ss
2014-04, The Days of the War, as Red as Blood, as Dark as Bile, ss、ドゾア
2014-08, The Frost on Jade Buds, nt
2014-11, A Slow Unfurling of Truth, nt
*2015-01, Three Cups of Grief, by Starlight, ss, 英国SF協会賞、ドゾア
2015-10, The Citadel of Weeping Pearls, na、ドゾア、グラン
2015-11, In Blue Lily's Wake, nt、クラーク
*2016-03, A Salvaging of Ghosts, ss、ドゾア、ストラハン
2016-05, Crossing the Midday Gate, nt
2016-07, A Hundred and Seventy Storms, ss
2016-10, Pearl, nt、クラーク
*2017-04, The Dragon That Flew Out of the Sun, ss、ドゾア
2017-08, A Game of Three Generals, ss
*2018-03, The Tea Master and the Detective, na, ネビュラ賞
2019-07, Rescue Party, nt

 ssは短篇、ntはノヴェレット、naはノヴェラの略。ドゾア、クラーク、グラン、ストラハン、ハートウェル、ホートンはそれぞれの編になる年刊ベスト集に収録されていることを示す。

 すべて独立の物語で、登場人物や直接の舞台の重複はほとんど無い。共通するのは、我々のものとは異なる歴史と原理をもつ宇宙で、登場人物たちはヴェトナムに相当する地域の出身者またはその子孫であることだ。初期の数作は地球が舞台で、ここでのシュヤは北米大陸の西半分にある。この世界ではコロンブスと同時期に中国人が新大陸西海岸に到達し、植民している。そのためにスペイン人の征服は阻止され、アステカ文明が存続している。シュヤはこのアステカの後継であるメヒコの支援で中国から独立し、さらにアングロ・サクソンの進出も防いだ。

 後の諸作では宇宙に展開する大越帝国が主な舞台となり、こちらは大越という名が示唆するようにヴェトナム文化の末裔だ。そこでの統治システムは中国の王朝のものがベースになっている。

 AI、VR、ネットワーク、ナノテクノロジーなど、今時のSF的道具立ては一通り揃っている中で、特徴的なのは mindship と deep spaces である。mindship 有魂船と訳したのは、アン・マキャフリィの「歌う船」以来の知性ある宇宙船のヴァリエーションの一つだ。宇宙船やステーションを制御するのは mind と呼ばれ、生体と機械が合体した形をしている。制御することになる船やステーションに合わせてカスタムメイドで設計されるが、一度人間の子宮に入れられ、月満ちて産みだされる。したがって、mind は母親を通じて人間の家族、親族とのつながりをもつ。性別もあり、クィアもいる。高度なサイボーグと言うべきか。永野護『ファイブスター物語』に登場するファティマの、もう少し人間に近い形とも言えよう。

 deep spaces 深宇宙はいわゆる超宇宙、ハイパースペースで、そこに入ることで光速を超えた空間移動ができる。ただし、この空間は人間には致命的に異常で、防護服無しには15分ほどで死んでしまう。有魂船はこの空間に耐えられるよう設計されており、耐性があるので、これに乗れば死ぬことはないが、快適ではない。

 なお、これらはシュヤ宇宙もの以外の作品にも、また違った形で登場する。

 シュヤの宇宙はアジアの宇宙だ。ここでの人間関係はアジアの大家族をベースとしている。先祖崇拝、長幼の序、親孝行、輪廻転生、観音信仰といった我々にも馴染のある習俗が根幹となる。一方で、欧米の潮流、LGBT や個人の自由の割合も小さくない。とりわけ重要なのは女性の地位と役割だ。重要な登場人物はほとんどが女性だ。ここは我々の世界でのアジアの伝統的文化とは決定的に異なる。行政官や兵士、科学者のような、我々の世界では男性が圧倒的な分野でも、ここではごくあたりまえに女性が担っている。我々の世界とは男女の役割が逆転しているといってもいいほどだ。話の中で重要なキャラクターでジェンダーが明確ではない者もいるが、かれらも基本的には女性とみなした方が適切だろう。このジェンダーの逆転は故意になされているからだ。

 今回の作品集は30本の中から9本を選んだ。上記リストで行頭に*を付けてある。選択の基準はまず受賞作は全部入れる。各種年刊ベスト集に収録されたものはできるだけ入れる。その上で、2008年から2018年の間の各年から1本ずつ選ぶ。

 受賞もしておらず、どの年刊ベスト集にも採られていないにもかかわらず選んだのは Memorials だ。この年には5篇発表していて、うち1篇がドゾアのベスト集に収録されている。しかし、あえてこの作品にしたのは、著者の特質が最も鮮明に現れていると考えたからだ。

 このことからも明らかなように、今回採用した作品が、各々の年で文句なしのベストというわけでもない。たとえば2012年には8本発表しているうち半分の4本が各種年刊ベスト集に採録されたが、各々に作品が異なる。3本ほど入手できていないが、読んだかぎりでは、このシリーズの各篇はどれをとっても極めて水準が高く、凡作と言えるものすら無いといっていい。今回と同程度の質の作品集は軽くもう1冊できる。というよりも、いずれは全作品を、これから書かれるであろうものも含めて、紹介したいし、またする価値はある。今のところ、最新作は先月出たばかりのオリジナル・アンソロジー Mission Critical 収録の Rescue Party(傑作!)で、さらに、今年後半に Subterranean Press からノヴェラが予定されている。こちらは「茶匠と探偵」のゆるい続篇になるそうだ。

Mission Critical
Peter F Hamilton
Solaris
2019-07-09



 なお、シュヤ宇宙の作品が1冊にまとめられるのは、今回が二度めである。最初は2014年に出たスペイン語版 El ciclo de Xuya である。前年までのシュヤ宇宙作品をほぼ網羅し、書下しノヴェレットを加えている。我々の本の直前に、英語圏では初の本格的な作品集 Of Wars, And Memories, And Starlight が Subterranean Press から出る。発表されている収録作品の大半はシュヤ宇宙ものだが全部ではない。

Of Wars, and Memories, and Starlight
Aliette De Bodard
Subterranean Pr
2019-09-30



 「堕天使のパリ」ものも実に魅力的だし、シリーズもの以外にも優れた作品は多い。今のアメリカの文化現象のキーワードである「多様性」の点でも、SFFにおいてその一角を担って、大いに推進している。ド・ボダールは今現在、最も「ホット」な作家であり、これからさらなる傑作を書いてくれるだろう。困るのは、作品発表の場が極めて広く、多岐にわたっていて、全部追いかけようとすると、各種雑誌、アンソロジーを小まめにチェックする必要があることだ。

 もっとも、今の時代、中短編中心に書いている作家にはついてまわることかもしれない。(ゆ)

The Tea Master and the Detective
Aliette De Bodard
Subterranean Pr
2018-03-31


The Tea Master and the Detective (English Edition)
Aliette de Bodard
JABberwocky Literary Agency, Inc.
2018-04-02


 Subterranean Press から今年3月に書下しで出たノヴェラ。93ページの薄い本である。

 舞台としては著者が10年来書き続けている Universe of Xuya シリーズの宇宙で、話はホームズものの再話。ホームズの贋作あるいは特定の話の語り直しというよりは、キャラクター設定と話の骨格を借りたもの。ここではホームズもワトスンも女性で、ワトスン役はPTSDで退役した軍艦というのがミソ。アン・マキャフリィの「歌う船」以来のアイデアだが、今時の話らしく、VR、AR がごく普通に使われている。船のAIはアヴァターを使って人間や他の船のAIと接触する。マイクロ・マシン、ボットも欠かせないこの世界の住人だ。もっとも金のある者はボットよりもインプラントを好むらしい。

 視点はワトスン役の軍艦 The Shadow's Child のAI。このAIはコンピュータまたは電子頭脳というよりは永野護の『ファイブスター物語』に出てくるファティマに近いようでもある。話の少し前に叛乱があり、その際、深宇宙で待伏せにあって乗り組んでいた部隊が全滅し、艦自体も航行不能になる。幸い、僚艦が近くを通りかかって救われるが、兵員輸送艦だった彼女は載せていた部隊が全滅したことで重いPTSDを負い、深宇宙へ行けなくなる。そのためもあって退役し、今は短距離の単発の輸送の仕事とお茶のブレンドでかろうじて食べている。このお茶はいろいろな作用を精神にするもので、深宇宙に入っても気が狂わないようにしたり、創造性をかきたてたりできる。相手を肉体的精神的に分析し、最適のものをブレンドする。「影子」はそのマスターでもあり、タイトルの「茶師」はそこからきている。

 ホームズ役のロン・チャウが深宇宙にある死体を研究するためと称して、影子を雇うことから話が始まる。そのため、影子はロン・チャウを乗せて深宇宙の縁に入る。影子はPTSDの原因である待伏せの記憶がよみがえるので、深宇宙の奥には入れない。

 この宇宙では深宇宙 deep spaces(複数形)は、惑星近傍の空間とは性質を異にし、通常の人間が無防備で入ると気が狂う。物理的にもより苛酷で、近傍空間では宇宙でも人間を保護する shadow skin も深宇宙では役に立たず、ボロボロになる。

 ロン・チャウがある難破船の周囲に、他とは異なる死体を発見して、事件が現れる。この死体の謎を解決するストーリーと、影子がロン・チャウの過去を調べるストーリーが平行して進む。ロン・チャウは叛乱前の経歴が空白で、叛乱後、ある金持ちの娘の失踪事件に関連して多額の金を手に入れている。二つはクライマックスで合流し、謎も解け、影子もトラウマを一部克服し、ロン・チャウとの間に絆、一種の信頼関係ができる。当然、このコンビの話はサブ・シリーズとして展開されるだろう。

 第二言語である英語で書いているせいもあろうが、記述は簡潔。とはいえ、微妙な心の動き、表情の読み合いはしっかり捉える。表面はハードボイルド的感触だが、叙述はむしろ細部の微妙な綾まで書きこむ。技術的背景などにはスペースは割かない。ファンタジィの要素は随所にあるが、話の組立て、肌触りはサイエンス・フィクションだ。

 シュヤ宇宙はアジア系の宇宙であって、キャラクターはいずれも中国やヴェトナムやタイやの名前を持つ。日本名はこの話では出てこない。船の名前も「影子」The Shadow's Child やら「桃園の三人」The Three In The Peach Gardens やら、英語圏出身の書き手では思いつかないものばかり。星系の航行官制は Traffic Harmony だ。ちなみに著者はフランス系ヴェトナム人でニューヨーク生まれ。第一言語はフランス語でパリに住み、エコール・ポリテクニークを出て、ソフトウェア・エンジニアを仕事としているが、小説は英語で発表している。ニュースレターによれば、原稿はまず手書きで書いているらしい。しかも、万年筆を使う。ペンはペリカンや台湾製で、インクと紙は日本製を愛用している。

 シュヤ宇宙を舞台としたシリーズは2007年から発表している中短編で、この話が27本め。ノヴェラはこれも含め3本、ノヴェレットが10本、短篇14本。このうちネビュラ2個、ローカス1個、BSFA1個を3本の作品が獲っている。半数は各種年刊ベスト集に収録。しかし、単行本にまとまっているのは2014年のスペイン語版のみ。全部読もうとすれば、各種雑誌、アンソロジーを渡り歩かねばならない。邦訳は無い。というよりも、この人の邦訳は2010年の短篇が1本、SFM にあるだけだ。一体、どうなっているのだ。あるいは、今展開している異次元のパリを舞台にしたファンタジィのシリーズ、Dominion of the Fallen は長篇三部作が中心だから、そちらの邦訳が準備されているのだろうか。

 とまれ、まずはシュヤ宇宙の全貌をとらえるべく、作品の蒐集を始めたところだ。(ゆ)

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