クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:読書

 昨年読了した本は53冊。総ページ数12,365ページ。1冊平均237.8ページ。この他に、雑誌、アンソロジー、ウエブ・サイトなどで読んだものもある。そちらはいちいち記録はしていないが、記憶に残るものを一篇あげれば、Wendell Berry の 'The Rise'。1968年発表で、1969年のエッセイ集 The Long-Legged House に収録。LOA の The Story of the Week で読む。その畔に住んでいたケンタッキー河が雨で増水し、普段の何倍もの幅に膨らんだ。そこに上流からカヌーで乗りだし、いつもとはまったく違う世界を体験しながら家まで下る。


Sarah Ogilvie, The Dictionary People: the Unsung Heroes Who Created the Oxford English Dictionary; 2023
 著者はオーストラリア生まれ。英国で学び、Oxford English Dictionary すなわち OED の編集部に入る。オクスフォードで教えることになり、そこを去る日、地下の倉庫に降りて、世界中の協力者たちから送られてきた用例スリップの束にでくわす。

 OED の編集者といえば三代目で実際に OED を出しはじめたジェイムズ・マレーが有名だが、マレーと少数のその編集部だけで OED ができあがったわけじゃない。

 OED の原則は2つある。一つは語彙の意味を歴史にそって並べること。もう一つはすべての意味の時間的変化を用例で示すこと。この用例を収集することは少人数の編集部でまかなえるものではなく、OED の初期編集者たちは全世界の英語話者に協力を呼びかけた。つまり、文献を読んで、ある語彙のある意味を適切に示している用例を抜き書きして編集部に送ってくれというわけだ。語彙と用例、出典を書いた紙切れ、京大カードの一回り小さいくらいのサイズの紙が全世界の英語話者から送られた。英語圏からだけではなく、日本からも送られた。送ったのが日本人とは限らないが。それが全て地下に保管されていたのだ。OED を作ることが可能になったのは、ひとえにこの膨大な数の用例スリップのおかげだ。

 著者が見つけたものはもう一つある。マレーが作っていた住所録だ。用例スリップをたくさん送ってくる人たち、優れた用例スリップを送ってくる人たちの氏名、住所、時にその特徴、そして送ってきた用例スリップについてのメモが書かれていた。用例を探す文献は各自の判断に任されていたが、マレーの方で用例を探したい文献がある場合、本と空白のスリップを送って依頼することもあった。またある語彙の意味の変化を辿って空白の時期の用例を探すことを依頼することさえした。

 著者はこの2つの資料をもとに、用例スリップを送った人びとを追いかけはじめる。大部分は名前と住所だけで、何者ともわからない。それでも調べてゆくとぼんやりわかってくる人もいる。また、正体が詳細にわかる人もいる。こうしてわかった人たちについてわかったことを著者は書いてゆくのだが、まあ面白い。用例スリップを送った人びとのうち学者はごく一部。ほとんどは市井の人たち。実にいろいろな人たちがいる。

 おそらく最も有名なのは、それだけで1冊の本になり、映画化までされた、人殺しをして精神病院で生涯を過したウィリアム・マイナーだろう。

 職をもとめて執拗にマレーにまとわりつき、スリップを送りつづけた男オースティン。この男は家族が経営していた会社からも放りだされる。どこか性格か精神の箍がはずれていたのだろう。しかし送ったスリップの枚数ではダントツでトップ。

 フランクリンの第一次北西航路探索隊に医師として参加し、辛酸を舐め、また命の危険を感じて土着民の協力者の1人を射殺した人物。フランクリンが3度目の試みで行方不明になると、その追跡・探索に向かう。晩年、レイク・ディストリクトに隠棲して、娘とともにマレーにスリップを送りつづけた。

 OED立上げのためのネットワーク作りに誰よりも抜きんでて貢献したアレクサンダー・エリス。11歳のとき、親族の1人が姓を自分の Ellis に変えるなら莫大な遺産を残すともちかけたのに両親が応じて、生涯食うに困らず、趣味を追求した。その趣味の一つが古文献学、方言学。手がけたすべての趣味でプロの業績を残したアマチュア。

 マレー前任者でマレーを編集者に推した Furnivall の弟 William の存在もここで初めて明るみに出る。マレーに送ったスリップと国勢調査などの断片的な情報以外、データが無い。死んだ時約1万ポンドを唯一人親しかった姪に遺贈する。スリップ以外、外部との音信の記録が無い。OED の中だけに存在した人物。これに関連するヴィクトリア朝のイングランドの精神病院の様相もあり、さらにともにスリップを送った対照的な2人の精神科医も登場する。

 読んでいると、OED を生みだしたヴィクトリア朝英国は面白いキャラクターに満ちているとすら見えてくる。ほとんど OED を媒介としたヴィクトリア朝英国社会史の趣すらある。辞書の話というよりは辞書を作った人びとの話で、マレーやファーニヴァルなどの編集部も含めて、立ちまくったキャラクターのオンパレード。こうした人びとが作った OED が最大のキャラということになろうか。


Victoria Goddard, At The Feet Of The Sun; 2022-11
 ゴダードは昨年長篇を1本、中篇を6本リリースした。すべてセルフ出版。電子版だけでなく、紙版もある。

 長篇 The Bone Harp は「九世界」とは別の世界での話。ストーリーは単純で、次に何が起こるかよりも、どう起きるか、それがどう語られるかを味わう小説。しかも、いろいろな意味で、小説の構成や語りの型にまつわる暗黙の決まりを破っている。通常の出版社では構成が破綻しているといって、まず出さないか突返されるだろう。それでいて、小説を読む愉しみを十全に味わわせてくれる。加えて、ここまで徹底的に歌を織りこんだ話は珍しい。魔法としての歌、無生物との、あるいは死者との意思疎通の手段としての歌、武器としての歌、祝福としての歌。ただし、ここでは歌は呪詛にだけはならないらしい。

 その前に、例の The Hands Of The Emperor の続篇 At The Feet Of The Sun を読んだ。Hands と質量ともに肩を並べる雄篇。なお、話の順序としてはこの2本の間に The Return Of Fitzroy Angursell がはさまる。この3本は三部作を成す。長さから言えば Hands と Feet は通常の長篇の3、4倍はあるので、通常の長さの Return が2つをつなぐ形。これから読もうという向きはこの順番で読むことを薦める。

 この三部作はゴダードのこれまでの全作品の核をなす。「九世界」の中心の話だ。これを本流とすれば、Greenwing & Dirt のシリーズが最大の支流を形成する。Feet の最後で2つの話が合体する可能性が示される。

 昨年リリースした6本の中篇のうち、5本は Hands/Return/Feet の話の外伝で、すでに語られた事件を別の人物から見たり、主著に登場する人物たちの前日譚などだ。残る1本は「アブラマプル三姉妹」三部作の第三部。

 アブラマプル三姉妹は九世界の一つ Kaphyrn カフィルンの出身。その砂漠に住む Oclaresh 族の盗賊女王と都市からやってきた芸術家の夫の間の娘たち。長女アルズは魔法の編み手で空飛ぶ絨緞などを織ることができる。次女パリは抜きんでた戦士。三女サーディートは当代並ぶ者のない美貌の持ち主。三部作はまずサーディートが蒼い風の神にさらわれて妻とされたことから始まり、第二部でパリがごく稀な第三ヴェールの戦士の位を授けられ、そしてこの第三部でアルズの冒険となる。アルズは故郷に帰って母親の後を継ぐが、パリとサーディートは「九世界」を股にかける無法者集団「紅団(くれないだん)」の一員となり、その姿はすでに出ている作品のあちこちに現れている。Hands や Feet にも短かいが重要な役割で登場する。紅団については、正面からこれを扱ったシリーズの第一部が出ていて、あたしは続篇の登場を最大の愉しみにしている。


島田潤一郎, 長い読書; みすず書房, 2024-04
 「ひとり出版社」の先駆けとして知られる夏葉社を興した著者の回想録。核は夏葉社をなぜ始めたかの顛末。回想録はやはり面白い。この本を読んで思った。短い読書というのはありえない。細切れに、少しずつであっても、最後には長くなる。読書は長いもの、長くなるものなのだ。ここにも長い本を読む人びとが登場する。長い本を日常のごく断片的な時間の中で読む人びとに感心する。証券会社の営業マンをしながら、立ち食いそば屋でそばをかき込みながらプルーストを読み、谷崎源氏を読み、『カサノヴァ回想録』を読む人。高知の書店に勤め、毎年長い小説を読んでいる人。ドストエフスキー、『兵士シュヴェイクの冒険』『特性のない男』。そして、「決して座れない小田急線に揺られながら、新潮文庫の『魔の山』の上巻を読む」著者。最も共感した一節。

「疲れているから、内容は全然頭に入ってこない。でも、漂流した人が海面に浮かぶ丸太を離さないように、左手に吊り輪、右手に文庫本をしっかりともつ。

 ぼくは目をこすりながら、ページをめくる。それをやめてしまうと、こころがどこか遠くへ行ってしまいそうなのだ。
(中略)
 本を読んでいる時間も、働いている時間も、どちらも現実感がない。でも、世界がふたつあるということが、たいせつなのだ。」

 そうだ、長い本を読むぞ、と決意を新たにしたことであった。


庄野潤三, 世をへだてて; 講談社文芸文庫, 1987-11/2021-07
 その島田氏が称揚していて、それではとまずこれを読んでみた。著者が脳梗塞で最初に倒れた時のいきさつ。老人は他人の病気の話は気になる。書名は倒れたことの前後が別の世と見えたことからつけられている。ここからしばらく庄野の著作を読んでいった。中ではアメリカ留学から生まれた『ガンビア滞在記』『シェリー酒と楓の葉』『ガンビアの春』『懐しきオハイオ』の四部作が面白かった。『鉛筆印のトレーナー』に始まる後期の小説連作も読むつもりでいるが、今は諸事情で棚上げ。今年どこかで戻りたいものだ。庄野が住んでいた生田の丘は、あたしの実家がしばらくあった所から尾根と谷を一つずつ隔てたところで、その家には散歩で何度か行ったことがある。そこが庄野潤三の家ということはなぜかわきまえていたが、その頃は庄野作品とは縁が無かったから、単に周りをまわっただけである。教えられて、折りしも神奈川文学館で開かれていた「庄野潤三展」も見にいった。ちびたステッドラーの鉛筆でいっぱいのボウルの実物に感激した。

佐藤英輔, 越境するギタリストと現代ジャズ進化論; リットーミュージック, 2024-09
 パンデミックでやることがなくなったので書いたそうだが、それならもう2、3回パンデミックが来て欲しいものである。唯一の不満はジェリィ・ガルシアにひと言も触れられていないことだが、それは無いものねだりであろう。

Surrealisme 展図録, ポンピドー・センター, パリ, 2024
 これまた教えられて瀧口修造のデカルコマニーを見にいった画廊で実物見本をぱらぱらやり、矢も楯もたまらず欲しくなって、英語版を注文してしまった。シュールレアリスム宣言百周年記念の一大回顧展の図録。2冊の本が背中合わせになっている。片方はほぼ時系列に沿って、重要な作品を並べる。片方は写真、資料と文章でシュールレアリスムの歴史を辿る。残された人生、シュールレアリスムについてはこれがあれば十分だ。(ゆ)

 アマゾンがデスクトップ版の Kindle for Mac を新版にした。従来のものは Kindle Classic と呼んで、間もなく使用できなくするらしい。この新版はアマゾンで買ったもの以外の mobi ファイルを受けつけない。アマゾン以外で買ったり、ダウンロードしたりした Kindle 本もかなりな数あるが、それらは認識しない。新しい本は Send to Kindle を使えとあるのだが、使おうとすると、これまでは問題なく Kindle で読めていた本が、このフォーマットはサポートしていません、と出る。デスクトップ版でこういう態度に出たということは、iPad OS、iOS 用でも同様だろう。

 そこで一度試したもののユーザー・インターフェイスが気に入らなくてお蔵入りさせていた Calibre をひっぱり出した。新しくなっていて、UI もだいぶマシになった。それよりもこれは mobi を epub に変換できるはずだ。試しにやってみると、Lo and behold!、みごとに変換してくれる。変換は MacBook Air (M1) でやるが、「ブック」で一度開けば、iPad mini でも iPhone でも開ける。よしよし、アマゾンが自社以外で入手した電子本は占めだすというのなら、mobi ファイルで持っている本は全部 epub に変換して読もう。

 電子本のメリットはいろいろあるが、配布元の意向次第で読めなくなるのは問題だ。だからできるかぎり紙の本を買うのだが、それができなくなりつつある。洋書の話だ。

 どうしても新刊で欲しいものは別として、従来洋書は一番安い版を探して買っていた。ほとんどは BookFinder で検索して一番安いもの、たいていは古書を買っていた。その方が電子版より安かった。それがパンデミックによって送料が上がり、さらに円安である。送料含めて1冊2,000円を切るのは稀だ。こうなると電子版より高いことが増える。

 新刊は完全に電子本の方が安い。しかし小説はともかく、ノンフィクション類で図版や写真が入っているものは電子版では見にくい。小説でも地図が重要なファンタジーはできるだけ紙で欲しい。地図だけ別にウエブ・サイトなどで公開してくれている人もいるが、まだ少ない。

 電子本は好きではない。上記以外にも、まず画面で読むのが眼に辛い。国籍で買えないことがある。人に貸したり、あげたりできない。読むのにツールと電気が要る。

 買うときは Apple Bookstore、Kindle ストア、楽天 kobo ストアで探し、一番安いものを買っていた。しかし、今後は Kindle はそれ以外には無い場合のみ買うことになるだろう。

 電子本を読むのはもっぱら iPad mini である。重さ、サイズがちょうどいい。そして、すべての電子本が読める。ePub のみならず、mobi も、kobo もアプリを入れればそのまま読める。

 iPhone は画面が小さすぎて、長時間見ていると頭が痛くなる。スマホがデフォルトなのだろうか、ゲームも映画もスマホで見ている人も巷にはかなりいるが、ああいうマネはとてもできない。

 すべての本に電子版があるわけでもない。電子版が出ているのは今世紀に入ってからの本か、古くて著作権が切れたタイトルのどちらかだ。20世紀後半に出た書物の電子化が少ない。古典と目される作品は電子化されていても、ちょっと外れるとダメだ。安田均さんは1960年代、70年代のSFペーパーバックは日本で一番集めたと思うと言っていた。宝物だ。

 雑誌はまた話が別だ。雑誌掲載のみで単行本化されていない中短篇は厖大だ。今世紀初めまでの雑誌は紙のバックナンバーを読むしかない。古書市場に出てこないものもある。古い雑誌に載った小説の著作権はもともと電子化は含まれていないし、著者にもどっているのが普通だし、物故者も増えてくるから、電子化はこれからも進まないだろう。

 何らかの形で単行本化されるものは氷山の一角に過ぎない。そして雑誌初出でしか読めない作品にも、忘れさられるままにするのはもったいないものがたくさんある。SFFのようなエンタテインメント系の作家の中短篇を網羅した全集が出ることは例外に属する。C・M・コーンブルースやジュディス・メリル、トム・リーミィやウォルター・M・ミラー・ジュニアのような作品数の少ない書き手は別として、ディックやスタージョン、セラズニィにシェクリイぐらいだ。シルヴァーバーグは初期に書きまくったものは選集になっている。ルグィンは進行中。アンダースンは中断している。ある作家の全作品を読もうとすれば、ほとんどは雑誌掲載のものを1本ずつあたるしかない。

 F&SF誌は定期購読をやめたことがないから、30年分はある。Asimov's も創刊から数年分はある。死んだ時、こいつらをゴミにするのはもったいないが、どこか、もらってくれるところはあるだろうか。

 電子本のメリットにはもう1つあると最近気付いた。やたらに本を買いこんで積読を増やすことが減った。なくなったわけではないけれど、ブツを買うのは今年に入って激減した。電子本が出ていれば、手許に置いておく必要がないからだ。読みたいときに買える。今のところはではあるが。洋書は買わなくては読めない。だから、とにかく手許に置いておかなくてはという心理も働いて、読めるはずがない量の本を買いこんでいた。その分が大幅に減った。ちょっと寂しくはあるが、やはり良いことではある。(ゆ)

08月12日・金
 Penguin の サイトで、Tik Tok 内の #booktok がパンデミックによるロックダウン以後のこの2年で出版界に革命を起こしているということで、フォロワーが多く、投稿も面白い数人の自宅を訪問して本人に会ってみたの記事は面白い。日本語 tik tok ではこういう現象は無いらしい。日本語文学を紹介しているユーザーが出てくる。



 日本語ネイティヴの若者は活字を読まないか。もっとも中年、老人はもっと読まないな。英語ネイティヴの方が活字を読む量が多いのは確か。日本語は漢字かな混じり文で、「絵」としての漢字を拾えば、だいたいの内容はとれる。マンガはこれを拡張したものだ。漢字が絵、かながネームだ。そのせいか、活字中毒者は稀だ。表音文字はとにかく一語一語読まねば意味を取れないから、その文化に育った人は文字を読む癖がつく。活字中毒になりやすい。

 韓国はハングルばかりになって、ほぼ表音文字だけになったわけだが、漢字を使っていた頃に比べて活字を読むようになったのだろうか。

 #booktok に集まり、また発信しているのは女性が圧倒的らしい。ここでも男性は一人だけだ。また #booktok でバズって、ベストセラーとなる本には、多様性をキーワードとするものが多いこともわかる。ここに登場するのにも、ナイジェリア、インド、中東、ソマリアをルーツとする人びとがいる。文化、言語、種族、または LGBT、あるいはそうしたものが混淆したもの、しかもそれらに限られない多様性。彼女たちは発信者だが、同時に #booktok のコミュニティから学ぶことも多いと口をそろえる。自分は多様な本を読むと思っていても、世の中にはさらに多様な書き手、多様な世界があると教えられる。

 読書によって映画や SNS やマンガなどには不可能な体験ができることも繰返し語られる。テレビ画面を見るときには、まずたいていは片手にスマホを持っているが、本を読む時には電話も置き、集中することができる。幼ない頃から転居を、それも国境を超える転居を繰返して、ADHD と診断された人にとって、どっしりと落着いて、安定できる環境を本を読むことは提供する。あるいは、本を読むときには、そこから自分だけの、オリジナルの「映画」を作ることができる。好きなキャストで自分が監督になって、どんな CG でも不可能な映像を思い描くことができる。自分だけが見ることができるし、人が違えば同じ本から違う「映画」が、その人だけの「映画」ができる。それって、魔法と呼んでもいいものじゃないか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月12日には1966年から1991年まで7本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演ジェファーソン・エアプレイン。セット・リスト不明。

2. 1967 Grande Ballroom, Detroit, MI
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演 Rationals, Southbound Freeway, Bishops, Ashmollyan Quintet。セット・リスト不明。

3. 1972 Sacramento Memorial Auditorium, Sacramento, CA
 土曜日。前売4.50ドル。開演7時半。
 この年の夏に悪いショウは無し。

4. 1979 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 日曜日。9.35ドル。開演7時。この年だけは単独だが、当初3日間の予定だったのが、後の2日は雨で会場が変更になった。こういう屋外のヴェニューでのショウは雨天決行が普通だが、あまりに雨がひどかったらしい。ここでのショウの常として、ごく出来の良いショウのようだ。
 第二部5曲目〈Estimated Prophet〉が《So Many Roads》でリリースされた。
 確かにベスト・ヴァージョンの一つ。間奏のガルシアのギターがまず聴かせる。ウィアが歌をフェイドアウトさせる後ろでミドランドが電子ピアノでぱらぱらと音を散らすようにソロをとり、そのまましばらく続ける。こういう芸当は彼にしかできない。その後を引きとるガルシアに、レシュ、ウィアも加わって、バンド全体のすばらしいジャムになる。《So Many Roads》ではフェイドアウトだが、いずれ全体をリリースしてほしい。

5. 1981 Salt Palace, Salt Lake City, UT
 水曜日。07月14日以来のショウ。夏のツアーのスタート。
 第二部クローザー近く〈Morning Dew〉を歌いながら、ガルシアはずっと涙を流し続けた。頬をつたい落ちる涙が2本の川のようだった。

6. 1987 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。17ドル。開演7時。
 とりわけ第一部の流れが自然なのと、第二部後半に聴き所が多いそうな。

7. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。22.50ドル。開演7時。06月28日以来のショウ。ここで3日間、ショアライン・アンフィシアターで3日間やり、09月初旬から秋のツアーに出る。
 1ヶ月半の間があいた割には、エンジンのかかりは良く、第一部クローザー前の〈Bird Song〉からはすばらしい出来の由。(ゆ)

0228日・月

 Washington Post Book Club のニュースレターで筆者 Ron Charles が部厚い枕本をいかに読むかの工夫の一つを紹介している。

 注意を集中できる時間の長さがどんどん縮んでいるのが問題になっているが、Washington Post のハードカヴァーの小説のベストセラー・リストでは話が違う。少なくとも、まだ本を買う人間にとっては話が違う。今週の上位5冊の平均は600ページ。ちょっと下がると、Hanya Yanagihara "To Paradise" 720ページ、2018年のノーベル賞受賞者 Olga Tkarczuk "The Books Of Jacob" 992ページだ。


The Books of Jacob: A Novel (English Edition)
Tokarczuk, Olga
Riverhead Books
2022-02-01


 長く入り組んだ話を毎日寝る前に15ページずつ読むのは、ドラマの1シーンを1ヶ月かけて見るようなものではないか。これはそのドラマを一晩で見るのとはまるで違った体験になるはずだ、というのはわかる。どういう体験かはすぐにはわからないにしても。

 これは確かに面白い問題で、見るのにかかる時間だけではなくて、演じられるものをただ見るのと、活字を読んでそのシーンを頭の中に浮かびあがらせたものを見るのでは、まるで違った体験になる。

 18世紀のポーランドの神秘主義者 Jacob Frank の話である "The Books Of Jacob" を読んでやろうという人向けに Olga Tokarczuk Books Calculator なるサイトがあるそうだ。ポーランドの本の虫たちがつくったサイトで、読む時間がどれくらいあるかと自分の読書スピードを入れると、この作家のどの本から読めばいいか、どれくらいで読みおえられるかを計算してくれる。わかったら、あとはただ読みはじめればいい。まことに簡単。

 いや、そりゃそうだろうけどさ、自分の読書スピードは測ったことがないし、本によっても変わるし、日本語と英語では当然違う。

 とにかく読みはじめればいいというのはまったくその通りだが、次々に目移りして、いつまでたっても読みおわらない、途中で読みかけた本だけが増えていくのはどうすればいいのか。とにかく読みおわるまでは次の本を読まない、というのをルールにしたこともあったが、長続きしたことはない。

 トカルチュクの作品はいくつか邦訳もされているけれど、代表作ならば The Books Of Jacob ヤクプの諸書になるとすれば、こいつから読みたいわな。それが邦訳されるかどうかわからないから、といあえず英訳(7年かかったそうな)を読むか、ということになる。それにチャールズと同じく、部厚い本は好きだ。読みおえられるかどうかは関係ない。部厚い、というだけでわくわくしてくる。だから、部厚い本は電子本ではダメなのだ。部厚いブツを手に持ちたい。その部厚さを眺めてにやにやするのだ。どこまで読んだか、一目でわかるのが嬉しい。読みおえて本を閉じる時の快感。しかし、もう部厚いブツを置いておくスペースは無い。それに電子版はすぐ読みはじめられる。無料サンプルもある。

 ということで、とりあえず、無料サンプルをダウンロード。巻頭に18世紀のヨーロッパの地図。現在のウクライナの東半分はロシア帝国、西半分はクリミア半島も含めてポーランドの領土。



##本日のグレイトフル・デッド

 0228日には1969年から1981年まで4本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本。準完全版1本。


1. 1969 The Fillmore West, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー4日連続の2日目。3.50ドル。この日の演奏からは《Live/Dead》への収録は無し。《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。第一部全部と第二部〈Dark Star〉からの4曲が抜粋盤《Fillmore West 1969 (3CD)》に収録された。

 この日の第一部は2曲目から〈Good Morning Little Schoolgirl〉、3・4曲目〈I'm A King Bee〉〈Turn On Your Lovelight〉とピグペン祭りだ。第二部は一変して、ピグペンの影もない。無いはずはないが、音には出てこない。オルガンはトム・コンスタンティンだ。

 原始デッドはピグペンが原動力のはずだが、その完成した姿の中では居心地があまりよくないように見える。ピグペンが前面に立つ時のデッドは、それ以外の時と別のバンドのようだ。これもまたデッドを貫く「双極の原理」の現れの一つだろうか。ピグペンが脱けてそちらの位相は消えるわけで、ピグペン・デッドとそれ以外が、ガルシア、ウィア、それぞれがリード・ヴォーカルをとる曲の対照に入れ替わる、としてみよう。

 この日のショウにもどれば、〈Turn On Your Lovelight〉を第一部にやっているために、〈That's It For The Other One〉から〈Dark Star> St. Stephen> The Eleven〉と来て、ガルシアのブルーズ・ナンバー〈Death Don't Have No Mercy〉をはさんで、また〈Alligator> Caution〉と集団即興のジャムが続く。誰もビートをキープしていないのに、全体としてビートはしっかり刻まれて、一見、それぞれに勝手なことをやっているようなのに、全体としては調和がとれている音楽が流れてゆく。その間、ドラムスでは「ラクタ、タケタ、タケタ」という口打楽器まで出てくる。この時期以外では聴いた覚えがない。最後の〈Feedback〉は後の "Space" そのもの。こうしてみると、メロディもビートも無い、このクールでフリーな時間を、デッドは必要としていたとわかる。そして、デッドによるこの演奏、音楽は聴いていても面白い。こういうあくまでもフリーな即興が聴くだけでも面白いのは、メンバーの音楽的蓄積が生半可なものではないことの証しの一つではある。デッドのコピー・バンドがコピーしようとして聴くにたえないものになるのは、こういう演奏だ。かれらはデッドしか聴いていない。それではデッドのコピーはできない。デッドの本当のコピーをしようとするなら、デッドが聴いていた音楽も聴かねばならない。


2. 1970 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。コマンダー・コディ前座。約2時間の一本勝負。5〜7曲目〈Monkey And The Engineer〉〈Little Sadie〉〈Black Peter〉はアコースティック・セット。その前後はエレクトリック・セット。


3. 1973 Salt Palace, Salt Lake City, UT

 水曜日。ここで年初からのツアー1度中断。次は2週間後にニューヨーク。第二部5曲目〈The Promised Land〉を除く全体が《Dick's Picks, Vol. 28》でリリースされた。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが間で演奏し、ガルシアがペダルスティールを弾いた。

 《Dick's Picks, Vol. 28》は2本のショウをCD4枚に収めるが、CDの収録限界に収めるため、どちらも曲を削っている。この日は、この時期にしては短かめのショウで、削られたのは1曲ですんだ。

 内容は第一級で、良い時のデッドらしく、緊張と弛緩が同居する。ここではまずドナの貢献が目立つ。〈Beat It On Down The Line〉は終始ウィアとの二重唱が見事に決まり、〈Box Of Rain〉ではレシュの歌にハーモニーをつけて、ぎくしゃくした彼の歌唱を滑らかにし、〈He's Gone〉でもコーラスがリッチになる。これを聴くだけで幸せになる。

 〈They Love Each Other〉は闊達でポップ、アップテンポの弾むような演奏。この歌はこういうスタイルと、リリカルに流れるような演奏と二つの面を持つ。弾むヴァージョンでは、ユーモラスな面が前に出る。ユーモアの点では次の〈Mexicali Blues〉はバーロゥとウィアのコンビによる最初の歌で、歌詞は深刻にも読めるが、メロディと演奏スタイルはユーモラスだ。いわゆる "gallows humour" というやつ。この流れはさらに〈Sugaree〉にも続く。

 第二部でも快調そのもので、ガルシアのソロも冴えわたる。〈Truckin'〉の後半で、ベースとドラムスだけの対話となり、ベース・ソロから、オープニングのリフで〈The Other One〉、〈Eyes Of The World> Morning Dew〉まで止まらない。クローザーの〈Sugar Magnolia〉の中間のブレイクは結構長いが、"Sunshine Daydream" の始まりはふつうで、フルバンドによる「ドン!」はまだない。ここでもウィアとドナの息はぴったりで、最後にドナが "Thank you."


4. 1981 Uptown Theatre, Chicago, IL

 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。11.5ドル。開演7時半。第一部クローザーの〈Let It Grow> Deal〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 この2曲だけでもこのショウの質の高さは鮮明。どちらもアップテンポで、前者はマイナー調なのでぐんと切迫感が強い。後者は明るく陽気な曲で開放的だ。

 前者ではガルシアがこの時期の特徴の一つでもある細かい音を連ねる奏法を続けて、さらに切迫感がつのる。この奏法はおそらくブルーグラスのバンジョーをエミュレートしたものだろう。デッドを始める前、ガルシアはブルーグラスに入れあげて、ベイエリア随一のバンジョー奏者とも言われた。エレクトリック・ギターでやるとバンジョーのように音が跳ねないので、音楽が発散されず、1ヶ所に集中してゆく。どんどん集中してゆく一方で、その集中が引きのばされる。いわば無限に収束してゆくので、いつまでも集中しきらない。まるでその無限の空間から音が湧きでてくるようだ。ひとしきりジャムを続け、元にもどってウィアとミドランドが2度目のコーラスを歌った後も、ガルシアは弾きやめようとしない。ミドランドが何度かうながして、ようやくコーダのフレーズに移る。

 その最後の音の次にいきなり後者を始める。ミドランドは電子ピアノからハモンド・オルガンに斬りかえる。ここではがらりと変わって、突きぬけるような解放感のもと、ガルシアは気持ち良さそうにギターを、バンジョーではなくギターを弾く。ガルシアの声も元気。元気に弾くガルシアをミドランドが応えて煽り、それにガルシアが乗るのにさらに返す。二人の掛合、からみあいに興奮する。やめたくないのがありあり。コーダのコーラス・リピートをやってもまだやめず、もう1度やる。(ゆ)


0115日・土

 Washington Post Book Club のニュースレターで昨年アメリカの成人は平均して年12冊強の本を読んだ、というギャラップの調査結果をとりあげている。この数字は1990年以降で最低。1冊も本を読まなかった人は17%で変わらず。ただし、多読の人の数が激減して、全体の数が減少した。年10冊以上読む人の割合は27%で、2016年以来8%の減少。それ以前に比べても4%以上減っている。この減少は大学院生やそれ以上の年齡でとりわけ顕著。つまり、自由な時間の使い方として、読書の人気は落ちている。というのがギャラップの結論。

 一方で、電子本、オーディオ本、デジタル雑誌を1年で100万回以上貸出した公共図書館の数は記録的な増加をしている。そうだ。


 わが国ではどうかとちょと検索してみると、2015年4月の調査で月平均2.8冊という数字が出てきた。ということは年33冊以上。3倍だ。が、1冊も読まなかったのは3分の1。こちらも倍である。この調査では月10冊以上が8.2%21冊以上は出ていないが、こちらも3分の1。つまり、日本語では本を読む人間はたくさん読むが、読まない人間が多い。アメリカでは、英語とは限らないが、本を読む人間の数そのものは多いが、一人あたり数は読まない。

 それに、ここでは本の中身まではわからない。マンガも入れているのか。回答者によって入れたり入れなかったりかもしれない。アメリカでの調査には comics は入っていないと見ていい。もっともこちらもそれ以上の中身まではわからない。

 引きこもりで読書量は増えたと言われるけれど、日本語ネイティヴは本を読むのが好きでない、というより習慣にない人が多い気がする。というのは上の数字からも当たっていそうだ。新聞、雑誌は読んでも、本は読まないという人たちだ。もともと江戸時代までは読書はほんの一部のものだった。とすれば、明治以降でここまで増えた、とみるべきか。

 日本語ではマンガがほとんど遺伝子に組みこまれている。『源氏物語』にも早くから『絵巻』が作られた。物語を絵で語る技術をわれわれは磨いてきている。漢字かな混じり文がその原型だろうし、そもそも漢字かな混じり文を発明したのは、言語からの要請だけでなく、絵に対する感受性が鋭いこともあったのだろう。その感受性がどこから来ているのかはわからないが。マンガは絵が漢字、ネームがかなに相当する。

 だから、文字だけで物語を語ることも読むこともあまり得意ではない。文字を読んでイメージを思い描くのが苦手なのではないか。日本語では大長編は例外だ。饒舌よりも簡潔が尊ばれる。量はある閾値を超えると質に転換することに、あたしらはようやく気がつきはじめたところだ。本はもちろん小説や物語ばかりではないが。

 あたしはといえば、昨年は54冊。うちマンガは3冊。英語33冊。日本語21冊。頁合計12,294。1冊平均227頁。一番厚い本は Michelle West, The Sacred Hunt Duology, 858頁。日本語で一番厚かったのは平出隆『鳥を探しに』660頁。



##本日のグレイトフル・デッド

 0115日には1966年から1979年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1966 Beaver Hall, Portland, OR または The Matrix, San Francisco, CA

 どちらのショウだったか、定まっていない。後者はポスターがあり、ほぼ確定か。前者は元旦に行われたとの推測もある。


2. 1967 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 2ドル。子どもは無料。開演午後2時。前2日の追加公演だろう。ジュニア・ウェルズ・シカゴ・ブルーズ・バンド、ドアーズというラインナップ。セット・リスト不明。


3. 1978 Selland Arena, Fresno, CA

 前売6.50ドル。当日7.50ドル。開演7時半。ガルシアははじめ声が出なかったが、だんだん良くなった。第二部の〈Playing In The Band〉はこの時期としては珍しく30分近い演奏。

 この曲は演奏回数610回で第2位だが、トップは〈Me and My Uncle〉なので、デッドのオリジナルとしてはこれがトップになる。これだけの回数演奏したのは、この曲を演奏するのがそれだけ愉しかったのだろう。これが5分で終る(デッドとしては)ごくありきたりの曲から30分を超えるモンスターに成長し、さらに他の曲をはさんだり、時には日をまたいではさんだりするようになってゆく様は、何とも興趣が尽きない。しかも、そのどれ一つとして同じことの繰返しが無い。こういう現象もデッド宇宙ならでは。


4. 1979 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA

 8.50ドル。開演7時半。第一部と第二部の出来の差が大きいらしい。ここでも〈Playing In The Band〉がスピリチュアルだったそうな。デッドの音楽はめくるめく集団即興になって聴く者を巻きこんでもみくちゃにもすれば、深閑としたスピリチュアルな時空を現出して吸いこんで解き放ちもする。(ゆ)


0107日・金

 Penguin のサイトに、どうすればもっと読めるか、という記事。こういう記事を載せる洒落っ気が欲しい。いろいろ書いてあるが、これは効きそうだと思ったのはまず、

毎日最低10分は読め。

 そして、

朝起きたらまず読め。詩かエッセイ少なくとも1本。

 つまりは、その日、一番大事なことを起きたらまずやれ。読者なら読め。翻訳者なら訳せ。作家は書け。大江健三郎は、毎日、起きると、コップ一杯の水を飲んでソファに座り、画板の上に原稿用紙を広げて書きだす。昼過ぎまでひたすら書く。朝食もとらない。昼過ぎ、今日はこれまで、というところまで書いたところで、食事をする、という習慣だ、というのを読んで、なるほど作家だ、書く人だと感心した。作品はほとんど読んではいないけれど。

 今年はさしづめ、朝起きたら、まずデッドを1本、であるな。



##本日のグレイトフル・デッド

 0107日には196619781979年の3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1966 The Matrix, San Francisco, CA

 DeadBase XI 13曲からなるセット・リストを掲げ、DeadBase 50 で、このセット・リストはヴェニューのサウンド・エンジニアだった Peter Abram から1983年に得たものだとしている。

 ヴェニューはピザ・パーラーを改装したナイトクラブで、19650813日、ジファーソン・エアプレインの初ライヴを柿落しとした。というよりも、マーティン・バリンが自分が集めたバンドが演奏する場として、3人のパトロンを口説いてここを開いた。ここで演奏することでジェファーソン・エアプレインは生まれる。1972年まで続くここは、いわゆるサンフランシスコ・サウンド揺籃の地として重要な役割を果たす。エアプレイン、デッド、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュはじめ、1960年代後半に活動を始めたロック・アクトや、それ以前からのブルーズ・アクトが多数、また若干のジャズ・ミュージシャンもここで演っている。Wikipedia の記事にはヴェルヴェット・アンダーグラウンドやウェイラーズの名前もある。

 デッドはここで活動開始直後から197012月まで、少なくとも26本のショウをしている。なぜか1967年には一度も出ていない。

 セット・リストからすると、この時期の典型でピグペンのバンドだ。この日のテープは現時点で出現していない。


2. 1978 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA

 この日もガルシアは喉頭炎でまったく歌えず。全体に短い。

 第二部4曲目〈Playing In The Band〉の途中、レシュがベルリオーズの〈幻想交響曲〉の第五楽章「魔女の饗宴の夢」のテーマを弾き、そこから無気味なジャムになった由。


3. 1979 Madison Square Garden, New York , NY

 9.50ドル。開演7時。このヴェニュー2日連続の初日。最初の MSG 公演。1978-11-30のショウの振替え。

 上記1978年正月では、ガルシアは声は出なかったがギターは弾けたので、ショウは行った。これが振替えになった前年11月末から12月初めにはガルシアは風邪でステージに立てず、ショウは中止になった。1125日のニュー・ヘイヴン・コリシアムでは、すでに開場して、席が埋まったところで中止が決まった。中止を告げたら、聴衆がどんな反応をするかとびくびくものでステージに出たプロモーターの Jim Koplik には、ウィアとハートが脇につき添い、実際に中止をアナウンスしたのはウィアだった。客席から薔薇が1本、ステージに投げこまれ、聴衆はおとなしく退場した。1970年代初め、ピグペンが健康を害して長期欠席するようになっても、ショウは普段どおり続けられた。しかし、ガルシアが出られない場合には、デッドとしてのショウはできなかったわけだ。

 197112月に MSG のメイン・アリーナの下にある Felt Forum で4日間のランをしたことはあるが、メイン・アリーナに出るのはこれが初めて。オープニングでステージに出てくるガルシアの目は興奮で真ん丸くなっていたそうな。以後、199410月まで計52本のショウをここですることになる。クローザーの2曲の時PAの調子がひどく悪かった。(ゆ)


10月13日・水

 図書館から借りてきたヤコブ・ヴェゲリウス『サリー・ジョーンズの伝説』を読む。すばらしい。『曲芸師ハリドン』は文章主体で絵はあくまでも挿絵だったが、こちらは絵と文章が半々。グラフィック・ノヴェルに分類されるものだろう。長さからいえば、グラフィック・ノヴェラだ。

サリー・ジョーンズの伝説 (世界傑作童話シリーズ)
ヤコブ・ヴェゲリウス
福音館書店
2013-06-15


 主人公が並外れたゴリラ、という以外はリアリズムに徹する手法がいい。絵もいい。デフォルメのバランスがとれていて、ユーモラスでもあり、シビアでもある。感情を描かず、起きるできごとを坦々と語ってゆく語り口もいい。リアリズムである一方で、荒唐無稽寸前でもあって、文字通り波瀾万丈、それをもの静かな語り口が支える。この誇張のバランスもまたよくとれている。舞台がイスタンブールやシンガポールやボルネオなど、いわば文明の中心地からは外れたところであるのも新鮮。アメリカには行くけれども、サンフランシスコとニューヨークの港だけ。

 サリー・ジョーンズは娘なのだが、ゴリラであるだけでジェンダーが消える。名前からして女性であるとわかるはずだが、誰もそのことを指摘したり、それによって差別したりはしない。オランウータンのババの性別は記されない。

 まだ、飛行機の無い時代。第一次世界大戦前。船が万能だった時代。それにしてもディテールがまた深い。シンガポールとマカッサルを往復、周回する航路は、おそらく実際に栄えていただろう。

 ラスト、サリー・ジョーンズは故郷にもどり、かつての仲間たちと再会する。けれども、そこにずっと留まることもできない。オランウータンのババとは異なり、サリー・ジョーンズは人間世界で生きてゆく技術に卓越してしまった。それはまたサリー・ジョーンズの性格をも変えている。ゴリラの世界で生きていくだけでは、生きている喜びを感じられない。生きのびるために変わったのだが、一度変化した者はもとにはもどれない。

 チーフもサリー・ジョーンズも、金を稼ぐのは使うためだ。使う目的があり、そのためにカネを作る。金とは本来、このように使うものだ。稼いでから、何に使おうか考えるのではない。稼ぐことそのものを楽しむのはまた別だ。

 ここには道徳は無い。生きるために道徳は要らない。心に深い傷を負ったものにも、道徳は要らない。泥棒から盗むのは罪か、考えることは無意味だ。

 サリー・ジョーンズは学ぶのが好きだ。何かを学んで、できなかったことができるようになることが面白い。盗みの技術も蒸気船の機関を扱う技術も、学べる技術であることでは同じだ。

 サーカスのシーンでハリドンがカメオ出演している。

 こうなると、サリー・ジョーンズを探偵役に据えた次の長篇は実に楽しみになってきた。


##本日のグレイトフル・デッド

 1013日は1968年から1994年まで、6本のショウをしている。公式リリースは3本。


1. 1968 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 前半冒頭から3曲〈Dark Star> Saint Stephen> The Eleven〉が2019年の《30 Days Of Dead》で、後半のオープナー〈That's It for the Other One〉の組曲が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。判明しているのは前半4曲、後半5曲なので、半分以上がリリースされたことになる。全体で65分であったらしい。

 ピグペンは不在だが、ウィアはいる。

 ジミヘンがやってきて、演奏に加われるんじゃないかと思っていたらしい。しかし、ジミヘンは前の晩、ソーサリートのヘリポートでデッドとクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスに待ちぼうけをくらわしていたので、ステージには呼ばれなかった。

 〈The Eleven〉の後ろが切れているのが惜しい。演奏はいい。〈That's It for the Other One〉を聴いても、全体像を何らかの形でリリースしてほしい。〈Dark Star〉はパーカッションがほとんどギロだけで通し、ドラムスが無いのが一種超越的な感覚を生む。この頃は、バンド全員の即興であることがよくわかる。1990年代になると、他のメンバーがガルシアを盛りたてる形になる。全員が対等の即興ではなくなる。この時期のルーズで、かつ緊密にからみあった、スリル満点の演奏の方を評価したくなる気持ちはよくわかる。


2. 1980 Warfield Theater, San Francisco, CA

 第一部3曲目〈El Paso〉、7曲目〈The Race Is On〉が《Reckoning》で、第二部〈Sugaree〉が2010年の《30 Days Of Dead》で、4曲目〈C C Rider〉、6・7曲目〈Lazy Lightnin'> Supplication〉が《Dead Set》でリリースされた。どちらも2004年の拡大版に初出。

 2010年の《30 Days Of Dead》は持っていない。

 〈El Paso〉ではウィアがずっと歌いつづける後ろでガルシアがいろいろなことをやる。〈C C Rider〉はゆったりしたブルーズ・ナンバー。ガルシアがやはりウィアのヴォーカルの後ろで茶々を入れるのが粋。ミドランドのハモンド・ソロもシャープで、ガルシアがこれに応じる。〈Lazy Lightnin'> Supplication〉、前者では "My lightnin', too" のコール&レスポンスが長い。


3. 1981 Walter Koebel Halle, Russelsheim, West Germany

 この年二度目のヨーロッパ・ツアー8本目。アンコールはストーンズの〈(I Can't Get No) Satisfaction〉だが、あまりに面白かったので、ウィアが今のはレーガンに捧げる、と言った由。


4. 1989 NBC Studios, New York, NY

 正式のショウには数えられない。ガルシアとウィアが Late Night with David Letterman に出演、番組のハウス・バンド The World's Most Dangerous Band をバックにスモーキー・ロビンソンの〈I Second That Emotion〉を演奏した。1番をガルシア、2番をウィアが歌った。レターマンがロシア当時はソ連遠征の可能性について、どれくらいあちらにいるつもりかと訊ねるとガルシアは「出してもらえるまでさ」。以上、DeadBase XI John J. Wood のレポートによる。


5. 1990 Ice Stadium, Stockholm, Sweden

 最後のヨーロッパ・ツアー初日。ここから統一後初のドイツ、フランス、イングランドと回る。夜7時半開演。良いショウではあるが、ややラフだったというレポートもある。ガルシアが食べたマリファナ入りブラウニーが強烈だった、という説もあり、時差ボケだという説もある。


6. 1994 Madison Square Garden, NY

 6本連続の初日。前半6曲目〈Dupree's Diamond Blues〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。ガルシアはご機嫌で、これは良いショウだったろう。少なくとも前半は。ここではウェルニクのピアノがよく働いている。

 ジミー・ペイジとロバート・プラントが前半途中まで見ていた、という報告があるが、真偽のほどは不明。(ゆ)


4月29日・木

 ビショップ No Enemy But Time ゲラ、なんとか上げる。連休進行できつい。

 校閲の指摘で、『マイ・フェア・レディ』が埋めこまれていたことが判明。この場合、原作のショーの『ピグマリオン』の方かもしれない。これによって主人公ジョシュアと養母の関係とそれぞれのキャラに新たな光があたる。

 浅倉さんがディックの『パーマー・エルドリッチ』だったか『ユービック』だったかの「訳者あとがき」で、こいつは傑作と意気ごんで始めても、ゲラが出てくるころにはもううんざりしていることが多いが、この作品だけはゲラで読んでも面白く、傑作だとあらためて思った、という趣旨のことを書いていたが、あれはこういうことか、と思い知らされる。翻訳の作業をしながら、面白くてしかたがなかったけれど、ゲラで読んでもますます面白い。『マイ・フェア・レディ』のような発見はまだまだありそうで、それでまた面白くなる。

 ただ、この面白さはたいていの人は一度読んだだけで味わうのは難しいだろう。ぜひ二度以上読んでもらいたい。再読、三読してようやくその本当の価値がわかる作品ではある。ビショップの作品にはそういうものが多いのだ、たぶん。ビショップが何となく敬して遠ざけられているのは、そのせいもあるだろう。あたしもそうだった。思えば「キャサドニアのオデッセィ」も、初読ではなにやら凄い話という印象だけだった。ずいぶんたってから再読した時、呆然として、また爆笑もしてしまった。この仕事をさせてもらったことで、そのことに眼を開かされたのは、まことにありがたい。心を入れかえて、あらためて読んでみよう。

 ああ、それにしても読むものがあり過ぎる。SFF も蓄積が進んで、古くて良いものもたくさんあるし、技術革新のおかげで、新しくて良さそうなものもどんどん出てくる。片方ばかり読んでいるわけにもいかない。交互に読みゃあいいとも思えるが、読むには気分が乗る必要もあるから、そう機械的にもできない。加えて時間はどんどん減ってゆく。まあ、澁澤龍彦のように、本を読んでる最中にどんと逝くというのが理想ではあるな。

 根を詰めていたので、明日はひと息入れて、明後日からまたバトラーだ。(ゆ)

元旦
 
 昨年最後の記事に書いた安田均さんの著書に、コロナの給付金でどーんと100冊本を買った、とあるのに刺激されて、またやたら本を買いだした。あたしが買うのは英語の小説、それもSFF、サイエンス・フィクションとファンタジーが大部分だ。日本語の本は図書館で借りられる。英語の本、それもあたしが読みたいと思う本が揃っている図書館は存在しない。そういう図書館を誰か作ってくれないか。持ってる本をそっくり寄贈するからさ。あたし? あたしは図書館を作って運営するより、読んでいたいのだ。

 そんなに買ったって読めないでしょ、とかみさんに言われる。そんなことはわかってる。しかし、買わなきゃ読めないのだ。誰も貸してはくれない。そうか、愛好者の間でクローズドで洋書を貸し借りできるSNSを作るという手もあるか。いや、やっぱりダメだ。常に手許にあることが大事なのだ。読むのに好きなだけ時間がかけられることが大事、好きなペースで読めることが大事なのだ。ある時は興にのって一気読みする。ある時は1日に中短篇を1篇ずつ、長篇の1章ずつ、舐めるように読む。

 電子版? あたしは長篇をディスプレイで読めない。2、3冊、それも短かくはないものを読んだが、眼が疲れてしかたがなかった。ブルーライト・カット・フィルムは貼ってあるが、画面そのものが疲れる。それに佳境で電池が切れることもあった。アンソロジーや雑誌は電子版にしているが、長篇はダメだ。あたしには紙が必要なのだ。紙の本を読むのに、外部装置は要らない。肉体に備わったハードウェアと頭の中のソフトウェアがあればいい。こういうメディアは他にない。音楽も、動画も、鑑賞するには再生装置が別に要る。人間がその肉体だけで再生し、愉しむことができるのは紙の本だけだ。その利点を進んで放棄するのは愚かというものだ。

 もう一つ。紙の本はどこからでも買える。あたしが買うのは英語圏からだが、イギリス、アイルランド、アメリカ、カナダ、オーストラリア、インドから買ったこともある。ところが電子本は国境に阻まれる。買おうとすると、おまえの地域では売らないよと言われることがママある。その本を読もうとすれば、紙の本を買うしかない。そして、紙の本は買えるのだ。

 かくて、紙の本を買うことになる。ネット上には BookFinder というまことに便利なサイトがあって、世界中の本屋の在庫がわかる。その中から一番安いものを注文する。ただし、わが国のアマゾンに出ているものはここには出てこない。Amazon.com、Amazon.uk、Amazon.ca などにある本は出てくるが、Amazon.jp に出品されたものは出ないのだ。そして時にはアマゾンで買う方が安くなることもある。

 BookFinder は AbeBooks とか Biblio.com とかの本屋の集合サイトの横断検索サイトだから、元々これらのサイトに登録されていない本屋やタイトルは出てこない。こないだも Mark V. Ziesing が、近々、そうしたサイトに登録するのはやめるから、直接自分とこのサイトを見るか、カタログ請求してくれ、と言っていた。こうした集合サイトはそこを通じて本が売れると手数料をとる。その分、値段は高くなる。ザイシングは少しでも安く売りたいから、登録をやめるのだと言う。

 ザイシングはSFF、ホラー、それに weird な文学に特化しているから、グローバル・サイトと縁を切れるのだろう。ネットが無い頃は、ここにはずいぶんお世話になった。かれらが出版していた本もほとんど全部買っている。先日、Micheal Swanwick が NESFA Press から出した作品集 Moon Dogs を買おうとしたら、ここのが一番安かったので、実に久しぶりに注文した。

 スワンウィックを読みだしたのは The Periodic Table Of Science Fiction という大傑作ショートショート集をたまたま読んだからだ。元素周期表に載っている元素一つひとつをネタにしたサイエンス・フィクション、ファンタジー、ホラ話が詰まっている。どれも500語以内、単行本でだいたい見開き。全話ネット上で読めるが、PS Publishing が出した新版で1日1本ずつ読みながら、唸り、笑い、膝を打ち、大いに愉しんだ。どこか、翻訳、やらせてくれないか。

 スワンウィックにはもう一つ、ゴヤの版画集 Los Caprichos の版画1枚ずつをテーマとしたショートショート集 The Sleep Of Reasons もある。こちらはファンタジーというよりも寓話の趣。オンライン・マガジンで発表されたのみで、単行本にまとめられてはいないが、こちらもなかなかの力作。とまれ、これでスワンウィックを見直した。

 というわけで、元旦に注文したのは Joshua Phillip Johnson の長篇デビュー作 The Forever Sea。草の海でできた異世界を渡る帆船の話、らしい。DAW Books からのハードカヴァー。これ以前には ISFDB によれば2016年1月にオンライン雑誌の Metaphorosis に発表した短篇が1本あるだけ。まったくの不見転。

 これも最近、気がついたことだが、DAW Books は新人の発掘と育成が巧い。アメリカの大手出版社がコンピュータによる売上データだけを頼りに、新人を育成するより潰すことに精を出している一方で、DAW は流通と宣伝は Penguin Randam House と提携しながら、編集に関しては共同発行人の Betsy Wolheim と Sheila E. Gilbert の二人ががっちり握っているからだろう。DAW Books が出発した1970年代はまだ Ace や Ballantine、Pocket や Bantam といった老舗が各々独立の出版社で元気だったから、あまり上品とは言えない黄色が基調の装幀の DAW はあざとい、ダサい印象が強かった。

 DAW はもちろん創設者の Donald A. Wolheim の頭文字で、長いこと Ace の編集者を勤めて独立したわけだ。同じ Ace でもより先鋭的な Ace Science Fiction Special を担当したのは Terry Carr で、ウォルハイムは比較的娯楽色の強いものを出していたのを、DAW でもそのまま引き継いだように見えた。ウォルハイムは伊藤典夫さんが SFM に連載したエッセイで悪役としてとりあげられていた印象もあり、DAW はいわばB級版元とあたしなどは見なしていた。しかし、前世紀末から始まった大手出版社の寡占化が進み、それに伴って新人の育成が編集者の手から経理や営業担当の手に移ってくると、DAW の独立性は際立ってくる。

 ウォルハイム自身は第二次世界大戦後のニューヨークでSFファン活動を始めた第一世代に属し、アシモフやポールやコーンブルースなどとやりあった口だ。小説にも手を染めたが、本人は作家は性に合わなかったのか、編集業に身を入れる。「スターウォーズ革命」まではSFの単行本出版はマス・マーケット版のペーパーバック・オリジナルがメインだったから、ウォルハイムもペーパーバック畑一筋だった。短かめの長篇2本を背中合わせにした Ace Double はウォルハイムのアイデアだし、1965年の『指輪物語』の「海賊版」騒ぎもウォルハイムが張本人だ。後者についていえば、アメリカの当時の著作権法の穴をついて、著者の承認無しに出したのはいただけないとしても、当時誰も注目していなかったこの作品をいち早く評価したその慧眼には素直に敬服すべきだろう。これがきっかけで二の足を踏んでいた著者にペーパーバック化を決断させ、結果的にその後のアメリカの文化、ひいては欧米や日本の文化に巨大な流れが生まれた。編集者から見た場合、第二次世界大戦後のアメリカのSFF界はキャンベル、バウチャー、ゴールドなど雑誌が主導するが、単行本出版でこれを支えたのがウォルハイムだった。

 1985年に DAW が初めて自らハードカヴァーを出す時、その編集を娘のベッツィ(エリザベス)に任せたのも、自分はペーパーバック編集者でハードカヴァーはわからないから、という理由だった。ちなみにこのハードカヴァーとはタッド・ウィリアムスのデビュー作『テイルチェイサーの歌』Tailchaser's Song だ(この時ハードカヴァーとして出したのは2点でもう1点はC・J・チェリィの Angel With The Sword)。猫が主人公で人間が出てこないこの長篇は、どこの版元からも断られていたのを、自分も猫好きのウォルハイムが引受けたものだ。ウィリアムスは同時に後に Memory, Sorrow and Thorn となる三部作の原案をベッツィ・ウォルハイムに示し、ベッツィと彼女が頼みこんで DAW に引き抜いたシーラ・ギルバートがこれをベストセラーへ育てる。

 ウィリアムスもその一例だが、DAW でデビューしたベストセラー作家は多い。C・J・チェリィ、マリオン・ジマー・ブラドリー、マーセデス・ラッキー、ケイト・エリオット、マイク・レズニック、ジェニファ・ロバソン、パトリック・ロスファス、メラニー・ローン、C・S・フリードマン、最近ではンネディ・オコラフォーやショーナン・マガイア。タニス・リーをアメリカで出していたのは DAW である。リーばかりではない、リチャード・カウパーやマイケル・C・コニィ、D・G・コンプトンなど、イギリスの当時新しい潮流の書き手をアメリカに紹介したのも DAW だ。ムアコックも出しているし、ストルガツキー兄弟もいる。Tanya Huff、Michelle West、Julie Czernada など、カナダの作家も少なくない。女性作家の起用、アメリカだけではない多様化という現在の流れを、とうの昔に先取りしていた。そして特徴的なことは、皆、DAW を離れない。ドナルド・ウォルハイムは一見古臭く見えて、その実、David G. Hartwell と並ぶ名編集者だったとあらためて見直さざるをえない。そしてその遺伝子はベッツィとシーラ・ギルバートに受け継がれている。

 英語圏の出版社の寡占化による新人作家育成の変化は、デビュー作はたくさん出るが、2冊めはがくんと減り、3作めはほとんど無いという結果を生んだ。そしてその結果、自己出版が花盛りとなる。自己出版された小説は、SFFとは限らず、ありとあらゆるジャンルのものが出ているし、これを対象とした文学賞もすでにいくつもある。ネビュラ、ヒューゴーは昔から対象にしている。SFWA は自己出版のみで作品を発表している書き手にもメンバーになる門戸を開いている。あえて出版社とは縁を切り、エージェントだけを相棒にして自己出版で出している人もいる。そして、自己出版した作品が口コミでベストセラーとなり、大手出版社が飛びつく現象はあたりまえになった。

 これにはもちろんテクノロジーの進展も寄与している。今や、海の向こうで出ているものを注文すると、国内で印刷・製本されて翌々日には届いてしまうのだ。モノとしてのクオリティは、大手出版社から出ているものとまったく変わらない。かつて自分で本を出そうとすれば、原稿だけでなく、本そのものを編集、(紙代を含め)制作するコストも負担する必要があった。あたしが宮仕えしていた会社にも自費出版の部門があり、その頃、1冊出す費用は500部ベースで100万だった。わが国の自費出版は、従来、句集、歌集、詩集、学者の著作、回想録などがメインで、これだけで食べているマイナー出版社も少なくないし、大手版元でも自費出版部門がある。ハデな宣伝で原稿と資金を集めて問題になったところもある。しかし、今やオンデマンド印刷・製本で、1部から販売することができる。電子版なら、さらにコストは下がるだろう。編集・校正や装幀・ブックデザインという作業を別にすれば、自分の書いたものを出版することは、場合によっては YouTube に動画を上げるよりも簡単になった。

 したがって出版社にとって、編集と校正、装幀とブックデザインは従来以上に鼎の軽重を問われることになる。そして今や4つになろうとしている大手出版社ではそこの主導権を握るのが、編集部ではなく、経理部や営業部になっている。ここを編集部が握っている DAW Books があることはSFFにとって幸運と言わねばならない。

 SFFではもう2つ、編集部が主導権を握っている版元がある。Tom Doherty の Tor と Jim Baen の Baen Books だ。後者は冒険、ミリタリーSFFのサブジャンルに力を入れて、賛否はともあれ、独自のカラーを出している。この分野の古典の電子化にも熱心だ。前者は世界最大のSFF出版社を謳っている。出している小説の点数や質、売上からすれば、その看板に偽りは無いだろう。編集の独立性も一応確保している。が、コングロマリットの一角に組込まれてもいる

 Tor はその公式サイト Tor.com の記事の質と量からしても、ここからスピンアウトした Tordotcom Publishing のノヴェラのラインにしても、SFF界のリーディング・カンパニーとしての自覚を持って奮闘していることは認めねばならない。Tor.com も Tordotcom Publishing も、親会社からの編集権の独立を確保する方策の一つと見ることもできる。一方で、ハートウェルの死後、その衣鉢を継いで、例えばジーン・ウルフやディレーニィ、M・ジョン・ハリスンのような書き手を大事にしてゆくか、あるいはかれらの後継者を育ててゆくかは、定かではない。実際、ディレーニィの最新作 Through The Valley Of The Nest Of Spiders の初版はミニ出版社からで、昨年出た改訂版は自己出版だ。ディレーニィの1962年のデビュー作 The Jewels Of Aptor は Ace Double の1冊(カップリングは James White)。とすれば、ウォルハイムがからんでいただろう。

Through the Valley of the Nest of Spiders
Delany, Samuel R.
Independently published
2020-05-05

 

 ベッツィの回想によれば、もともとドナルドが DAW を立ち上げたのは、先の目論見があったわけではなく、Ace Books の「大企業化」に嫌気がさして辞めた後、当時メジャーの一角だった New American Library に誘われたからだった。どんな形でもいいという NAL に、ドナルドは物流と宣伝は任せるが、編集、デザイン、作品選択は完全に握るグループ内の独立会社を提案し、NAL が受け入れた。NAL がその後 Penguin Random House に吸収されても、その形は変っていない。

 もう1つ、ドナルドはそれまでに前衛(ウィリアム・バロゥズの最初の著作はかれの編集)からゴシック・ロマンスまで、ありとあらゆるジャンルの本、小説だけでなく、料理本まで編集していたが、本当に好きなのはSFFだった。だから自分の名前を冠する出版社としてはSFF専門にする。SFFのペーパーバックだけを専門とした出版社はそれまで無かった。時は1972年。『スターウォーズ』は遙か先、SFWAはできて7年め。SFFはまだまだ少数の熱心なファンに支えられたマイナーなジャンルだった。それを専門とする出版社に成算はあるのか、誰にもわからなかった。それが来年創設50周年を迎える。ジム・ベインもトム・ドハティも、DAW の成功に刺激されて各々の会社を始めている。いや、かれらだけではなく、Subterranean PressSmall Beer PressPS Publishing も、DAW の恩恵は間接的に受けている。

 Joshua Phillip Johnson はその DAW からの今年一発め。今月19日発売。紹介をみればまずまず面白そうなファンタジー。ならば、読んでみようじゃあないか。

 ということでやって来ました。なかなかの表紙。著者は謝辞で英国版カヴァーも誉めたたえているが、あたしの眼には正直、近年の英国のSFFのカヴァーはひどいものに見える。Adrian Tchaikovsky など、気の毒なくらいだ。かつて、Panther Books、Fontana Books など、アメリカ版が泥臭く見えてしかたがなかったあの質の高さはどこへ行ったのか。

jpj-tfs
 

 それはさておき、読みだしてみれば、これはどうやら枠物語。冒頭、謎めいた「語り部」の老人が登場し、真暗闇の中、細々と生きている人びとの唯一の娯楽としておもむろに語りだす、その話が本篇。その時、主人公 Kindred Greyreach は弱冠22歳、いずれ全てを失うことになるとはまだ知らず、開幕シーンで彼女は歌っている。それがカヴァー表4に大きく印刷されたうた。涯の無い草の大海原に船を浮かばせ、風の力と合わせて推進する魔法の火のキーパーが火に向かってうたう。では、行ってきます。(ゆ)


The Forever Sea (English Edition)
Johnson, Joshua Phillip
DAW
2021-01-19


あけましておめでとうございます。
    
    年があらたまったからといって放射能が消えてくれるわけではありませんが、われわれ列島の住民は年があらたまることで、新たなエネルギーをもらうことは確かです。より良い環境を子どもたちに残すよう努力を続ける覚悟を新たにしています。
    
    昨年は外にあっても内にあっても、「天地がひっくりかえった」年でありました。それも、小生の大腸がん摘出手術の10日後に東日本大震災が起きるというめぐりあわせでありました。生き残った、生き延びた、という実感が、むしろ日が経つにつれて強くなっています。
    
    昨年の今ごろは貧血が相当悪化していて、ふらふらの状態でした。よくまあ生きていたものよ、と思いかえされます。時代が違えば、あるいはこの現代でも場所が違えば、とうの昔に死んでいたはずです。貧血だけでなく、腸閉塞もがんによるものでしたから、摘出しなければ口から入れたものが通るはずはなく、次第に何も食べられなくなって、餓死していたでしょう。
    
    今年も初詣は大山阿降利神社に行ってきました。昨年はバスの終点からケーブルカーの駅までの階段を昇るのがほんとうに辛かった。体が重かったものです。今年は息は切れましたが、ふつうの息の切れ方で、むしろ体に負荷をかけるのが快いくらい。負荷をかけられるのも健康の証であります。
    
    いつものように、ケーブルの駅から二番目のかんき楼で昼食。ここの湯豆腐ととろろ御飯が好きで、阿降利神社に初詣に来るようになってからは、ずっとここで昼食をとっています。とろろ御飯にはゆずの砂糖漬がついてくるのも◎。今年もこれが食べられる幸せを噛みしめたことであります。
    
    昨年は音楽の方面ではまたネットのありがたみを実感しました。とりわけ《MILES ESPANOL: New Sketches of Spain》からラテン音楽への関心がめざめ、とうとうフラメンコにはまりつつあります。今までは敬して遠ざけていたところもありましたが、フラメンコ自体の変化もあって、おもしろいことになってきました。

    自分ではこれまでどちらかと言えば北方志向、いわば「北耳」をもっていると思っていましたが、嗜好が広がったというよりは、やはりもとから潜んでいたものが表われたという方があたっているようです。節操が無い、と言われればその通りではありますが、ジャズともども、未知の大陸に踏みこむのはたまらなく楽しい。まあ、つくづく新しもの好きなのでありましょう。
   
    昨年の経験から、残された時間が限られていることはひしひしと感じられます。その限られた時間があるうちに、すでに死んでしまった人も含め、一人でも多くの未知のミュージシャンの音楽を、一曲でも多く、聴きたい。
    
    同時に、すでに耳タコの人や人たちの音楽を、あらためて徹底的に聴きたおすこともやりたい。とりあえずはクリスティ・ムーアダギー・マクリーンフィル・ビア、それにブルース・コバーン
    
    ようやく小説がまた読めるようになってきた気配もあって、読みたい本はいくらでもありますし、再読したい本もまたたくさんあります。まずは『ゲド戦記』と『ウロボロス』かな。ついでに一度読んだけど、さっぱり面白さのわからなかった Zimianbian Trilogy にあらためて挑戦したい。第2回の南原繁賞に決まった福岡万里子「プロイセン東アジア遠征と幕末外交」も本になるのが待ち遠しい。
    
    残された時間はどんどん減っていくにしても、おちおち死んでいる暇はありません。
    
    生あるかぎり、音楽を聴き、本を読むことだけはやめまい、との決意もまたあらたにしてます。(ゆ)

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