クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:通史

 ようやく掲題の原稿を脱稿して、版元に渡したところです。

 Jonathan Bardon の A History Of Ireland In 250 Episodes, 2008 の全訳です。版元はアルテスパブリッシング。今年のセント・パトリック・ディ刊行はちょと難しいかなあ。




 バードンはノーザン・アイルランド出身の歴史家で、これは250本の短かい話をならべて、アイルランドに人間がやってきた紀元前7000年ないし6500年頃から1965年1月、当時の共和国首相(= ティーシャック)ショーン・レマスとノーザン・アイルランド首相テレンス・オニールの会合までを語った本です。

 歴史になるにはどれくらい時間的な距離が離れればいいのか。歴史家は通常50年、半世紀という数字を出します。直接の関係者が大部分死んでいるからでしょう。とすれば1960年代までは歴史として扱えることになり、本文を1965年でしめくくるのは適切ではあります。

 もともとは同題のラジオ番組があり、2006年から2007年にかけて、BBCアルスタのラジオで毎週月曜から金曜まで1回5分で放送されました。バードンはその放送台本を担当し、その台本をベースにして書物として仕上げています。ただし放送は240回、第二次世界大戦開戦を告げる英国首相ネヴィル・チェンバレンの国民向けラジオ放送で終りでした。バードンはその後に10本書き足して1965年までを描き、さらにエピローグで21世紀初頭までカヴァーしています。

 本書にはオーディオ・ブックもありますが、放送されたものをそのまま使っているので、そちらは240話までで終っています。単なる朗読ではないので、聞いて面白いですが、その点はご注意を。 

 1回5分ですから、各エピソードは短かく、さらっと読めます。放送を途中から聞いたり、時々聞いたりしても話がわかるように一話完結になってもいます。本の方もぱらりと開いたページから読めますし、頭から通読すればアイルランドの歴史を一通り読むことができます。

 一方、内容はかなり濃くて、ここで初めて公けになった史実もありますし、おなじみの事件に新たな角度から光があてられてもいます。14世紀にダーグ湖に巡礼に来たスペインはカナルーニャの騎士や17世紀末にコネマラまで入ったロンドンの書籍商の話などは、たぶん他では読めません。エピソードとはいえ、噂や伝説の類ではなく、書かれていることにはどんなに些細なことでもきちんとした裏付けがあります。歴史書として頼りになるものです。イースター蜂起のようなモノグラフが公刊されているものは別として、ほぼあらゆる点で、アイルランドの歴史についての日本語で読める文献としてはこれまでで最も詳しいものになります。

 短いエピソードを重ねる形は歴史書としてなかなか面白い効果を生んでもいます。通史としても読める一方で、一本のつながった筋のある物語というよりは、様々な要素が複雑にからみあって織りなされている様子が捉えやすくなることです。物語にのめり込むのではなく、一歩退いたところで冷静に見る余裕ができます。

 歴史は無数のできごと、要素が複雑多岐にからみあっているので、すっきり一本の物語にまとめようとするのは不可能、無理にそうしようとすると歪んでしまいます。最大の弊害は物語に落としこめない要素が排除されてしまうことです。そして歴史にとって本当に重要なことが、本筋とされる流れとは無関係に見える要素の方にあることは少なくありません。あるいは、一見傍流の、重要でもないと見えた要素が後になってみると、本筋だったこともよくあります。

 さらに加えて、ベースとする史料そのものからして、初めからバイアスがかかっているのが普通です。またどんなに避けようとしても、書いている本人の歴史をこう見たいという願望が忍びこみやすい。どんな人でも、人間である以上、そうした感情は生まれて当然なので、自分はそんなことはないと思っている人ほどその罠にはまるものです。通史を書くのは難しく、書く人間の力量が試されますし、本当に良い通史がめったにないのもわかります。

 この本では話は連続はしていますが、一本の筋にはなっていません。話が切りかわると、視点が変わりもします。歴史を織りなす何本もの筋があらわれてきます。著者もこの手法のメリットに味をしめたのでしょう、同様の手法でアイルランドとスコットランドの関係史も書いています。

 あたしは本が2008年に出たときに買って読んでみました。アイルランドの一冊本の通史は何冊も出てますが、どれがいいのかよくわからず、手を出しかねていたので、これはひょっとすると面白いかもと思いました。届いてまずその厚さにびっくりしましたが、読みだしてみると実に面白い。一話ずつは短かいので、ショートショートでも読む感覚。どんどんと読めてしまいます。史料の引用のやり方も巧い。ほとんど巻擱くあたわず、というくらいのめり込みました。

 ちょうどその頃はヒマでもあったので、自分の勉強のためにもと日本語に訳すことも始めてみました。可能な時には翻訳にまさる精読はありません。最初の訳稿がほぼできあがった頃、大腸がんが発覚して九死に一生を得る、同時に東日本大震災が重なるということがありました。恢復の日々の中で再度訳稿を読みなおして改訂するのが支えの1本にもなってくれました。

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 その後、訳したところで満足し、他の仕事も入ったりして、しばし原稿は眠らせていました。何かの雑談のおりだったか、もう記憶からはすっぽり落ちていますが、とにかくアルテスパブリッシングのSさんにこんなのがあるんだけどというような話をしたのでしょう。Sさんが乗ってきて、それはウチで出そうという話になったのがもう数年前。それならもう一度、きちんと出すつもりで見直さねばいけない、ということで、他の仕事の合間を縫って、ぼちぼちとやっていたわけです。その間、思いもかけず山川出版社から『アイルランド史』という日本語で読める信頼できる通史も出たので、固有名詞を中心に日本語の表記をこれに倣うようにする作業も入りました。昨年春も過ぎる頃になってようやくまとまった時間がとれるようになり、あらためて馬力をかけて改訂を進めて、ようやくまずはこれ以上よくできないというところまで来ました。
 アイルランドの歴史は海外との関係の歴史です。ことが島の中だけですむなんてことはまずありません。偽史である Lebor Gabala Erenn = アイルランド来寇の書が「史実」と長い間信じられていたのも、この島には繰返し波となって様々な人間たちがやってきたと語る内容が、アイルランドの人びとの皮膚感覚にマッチしたからでしょう。

 対照的に我々日本列島の住民は、列島の中だけで話がすむと思いたがる傾向があります。実は昔から列島の外との関係で中の事情も決まってきているわけですが、そうは思いたくない。アイルランドの歴史とならべてみると、よくわかります。もっともこの列島がもっと南に、たとえば今の沖縄本島の位置に本州がある形だったら、アイルランドのように大陸との関係が遙かに密接になっていたでしょう。今の位置は北に寄っていて、大陸との北の接点の先は文明の中心からはずっと離れ、人口も希薄でした。これが幸か不幸かは時代によって、見方によって変わってきます。

 アイルランドに戻れば、表面的にはその歴史はお隣りとの紛争の連続のようにも映りますが、必ずしも一方的な関係でもありません。また小さな島なのに、その中が一枚岩になったこともないのも興味深い。「うって一丸になろう」なんてことは思いつきもしない人たちなんですね、この島の住人は。常に何らかの形で異質な要素が複数併存していて、それがダイナミズムを生んでいます。つまり、この島では常にものごとや考えが流動していて、よどんで腐ることがありません。

 17世紀以降、アイルランドからは様々の形で大勢の人間が出てゆき、行った先で増えて、アイルランドの文化を伝えることになりました。出ていった人たちは望んで出たわけではありませんし、その苦労は筆舌に尽くしがたいものがあったことは明らかですけれど、時間が経ってみると、ディアスポラは必ずしもマイナスの面ばかりでないこともまた明瞭です。むしろ、ディアスポラ無くして、現在のアイルランドの繁栄は無いとも言えそうです。その点ではユダヤ人が生きのびたのはディアスポラのおかげであることと軌を一にします。ひょっとすると、マイノリティが生きのびるにはディアスポラが不可欠なのかもしれません。少なくとも現在のアイリッシュ・ミュージックの繁栄はディアスポラのプラス面が現れた例の一つでもあります。

 アイルランドという面白い国、地域の歴史を愉しく通覧もできるし、ディテールに突込む入口にもなる本だと、あたしは思います。乞うご期待。(ゆ)



 アリエット・ド・ボダールや最近の Nghi Vo、Violet Kupersmith など、ヴェトナムにルーツを持つ書き手たちに惹かれて、あの辺りの歴史に興味が湧き、ちょうど出た本書を手に取る。17世紀までを三つの章でカヴァーするというのは、もう少し中世史にスペースを割いてもらいたかったところだが、全体としてのペース配分はまあ妥当の範囲ではある。地域史に閉じこもるのではなく、大きな世界史全体の中で、その東南アジア的位相として捉えようという姿勢は、最近の歴史学の流れを汲んでいるのだろうし、それはよく機能してもいる。この地域は狭く見えるけれど、地域によって案外に違いがあるとわかったのは、今回の収獲の一つだけど、その各地域への目配りもバランスがとれていて、東南アジアの通史入門としては立派なものだ。各地域、あるいは時代に突込みすぎて、全体像が見えなくなったら、戻ってこれるくらい、しっかりもしている。


 西はビルマ、東はパプア、南はインドネシアから北はフィリピンまで、まとまっているようでもあり、また本人たちも ASEAN という形でまとまろうとしている一方で、現在、主権国家として成立している各国は、それぞれに相当に異なる。つなぐものは稲作と交易と本書冒頭にある。ここは中華世界とインド世界をつなぐ位置と役割を担った。そういう意味では、ユーラシア大陸どん詰まりのヨーロッパ半島とは性格を異にする。むしろ、バルカンに近いんじゃないか。


 大きくは大陸部、ビルマ、タイ、カンボジア、ラオス、ヴェトナムと、インドネシア、フィリピンの島嶼部に別れる。マレーシアは両方にまたがる。


 あたしにとって東南アジアの不思議はまずインドシナ半島、とりわけ、ヴェトナム、ラオス、カンボジアの三つが、「歴史上かつて統一的な権力をいただいたことのない、文明的にもきわめて異質な諸社会」(101pp.)であること。フランスがここを仏領インドシナとして植民地化したのは、だから相当に無理をしていた、とある。


 このうちヴェトナムは東南アジアの中でも中国の影響を最も直接に受けていて、中華世界の一員でもあった。朝鮮、日本、琉球、満洲、内モンゴルなどと同じだ。ラオス、カンボジアまではインド世界に含まれ、マレー半島、インドネシア諸島にイスラームが入るのも、インド経由だ。


 面白いのは、マレー半島にもインドネシアにも、いわゆる華僑の形で、中国人、ここでは華人と呼ばれる人たちが大量に入っているのだけれど、そちらの地域では、自分たちが中華世界の一員だという自覚は無かったらしい。ヴェトナムだけがその自覚を持ち、それによって、他のインドシナ半島の地域に対して優越感を持っていたことさえあった由。


 そのヴェトナムは著者の専門でもあり、さすがにやや突込んだところもある。11世紀に最初の独立王朝の李朝が成立し、ここから1804年までは国号は大越を称した。アリエットがそのシュヤ宇宙のシリーズの王朝を Dai Viet すなわち大越と呼ぶのは、ヴェトナム人にとってはこの国号が王朝として最もなじみのあるものだからなのだろう。


 中華世界の一員としての優越感と裏腹に、独立王朝以後のヴェトナムは中国を常に警戒し、その影響を排除ないし薄めることに腐心してゆくのも面白い。ホー・チ・ミンたちにとって、ヴェトナム革命は当初、ソ連とも中国とも違う、独自のものとして出発する。冷戦の進展によって、否応なくソ連、中国側を頼らなければならなかったのは、むしろ不本意なことだったそうな。


 ヴェトナム戦争は特需となって日本の高度経済成長を支えてくれたわけだが、日本にとってだけでなく、シンガポールやタイにも恩恵をもたらす。朝鮮戦争の「教訓」が「活かされた」戦争というのもなるほどとメウロコだった。1975年の終結からもうすぐ半世紀。これまでヴェトナム戦争というと、あたしなどはどうしてもアメリカ経由で見てしまう。しかし、実際に戦争が戦われたこの地域から見ることも、当然必要だし、そうなると、あらためて興味が湧いてくる。


 わが国との関係で目に留まったのが、「『大東亜共栄圏』の経済的側面」のこの一節。150pp.


「経済面では、日本軍の東南アジア支配は、それまで築かれていた宗主国との関係や、アジア域内交易などの貿易構造を切断して、日本を東南アジアの鉱産物資源やその他の戦略物資の独占的輸入国とした。それは裏返せば、日本が東南アジアに対する工業製品の一元的輸出国とならねばならないことを意味していたわけだが、この時期の日本の経済力は脆弱で、十分な工業製品の供給能力をもっていなかった。そこで起きたのは、十分な工業製品供給という対価なしでの資源の略奪という、いわば「最悪の植民地支配」だっ。大戦末期には、連合軍の反攻で、海上交通に困難を来すようになったことも加わり、どこでも深刻なモノ不足とインフレが発生した」


 日露戦争の結果で日本は国際社会でいわば一流半国の扱いになり、それからは帝国主義国家としてふるまおうとする。しかし、こうなると、帝国主義国家としての資格には欠けていたわけだ。日露戦争から太平洋戦争開始までの30年間、わが国の経済は何をしていたのだろう、とあらためて興味が湧く。端的に言えば、何を作っていたのだろう。そうしてみれば、戦前の経済史について何も知らない。


 東南アジアと日本軍政の関係でいえば、中井英夫の父親・中井猛之進は戦時中、ジャワ島ボゴールにあった、当時東洋一のボイテンゾルグ植物園長であり、陸軍中将待遇の陸軍司政長官だった。そのことをめぐって、鶴見俊輔が東京創元社版全集第8巻『彼方より』の解説に書いていて、なぜか、印象に残っている。鶴見は当時、バタヴィアにあった海軍武官府に嘱託として勤務していて、中井猛之進に会っている。中井英夫という、およそ時代から屹立している書き手が、本人は否定したいものながら、時代と深くからまりあっていることが、思いがけず顔を出しているからだろうか。鶴見と同じく、あたしも『黒衣の短歌史』が大好きで、『虚無への供物』と『とらんぷ譚』のいくつかを除けば、中井の最高傑作ではないかと思っているくらいだ。この全集で『黒衣の短歌史』と同じ巻に収められて初めて世に出た中城ふみ子との往復書簡はまた別だけれども。


 フィリピンのナショナリズムの先駆者だったホセ・リサールの胸像がどうして日比谷公園にあるのか、とか、ビルマ独立に深くからんだ参謀本部の鈴木敬司大佐とか、ゾミアとか、いろいろときっかけやヒントが詰まっっている。となると、これは入門書としては理想に近い。(ゆ)




 いやあ、めでたい。ようやく出てくれました。ほんとはちゃんと全部読んでからレヴューすべきでしょうが、嬉しくて、とにかく紹介だけしときます。安い本ではないけれど、いやしくもアイルランドに関心があるならば、一家に1冊。せめて、地元の図書館には購入希望を出しましょう。

 これまで日本語で読めるアイルランドの通史としては、『アイルランドの風土と歴史』ぐらいしかまともなものは無かった。序章で上野も言うとおり、「イギリス史」の付録でしかなかったわけです。今さら「国別」の歴史かとおっしゃる向きもあるかもしれんけど、国よりも地域として見ればそれなりのまとまりもあるし、なにより把握がしやすい。宮崎市定の言うとおり、志は世界史でも、いっぺんに世界の歴史を書いたり読んだりするわけにもいかんわけで、宮崎が中国という空間の歴史を書いたように、アイルランドという空間の歴史をまずは読みましょう。

 それにしてもこれまでアイルランドの通史が出なかったのは、研究者がわが国にほとんどいなかったため、という上野の指摘にはなるほどと思いました。その昔、音楽からアイルランドの歴史に関心が湧いたとき、日本語で読めたのは松尾太郎と堀越智の本ぐらい。文学研究はたくさんあったけれど、歴史の本はとにかく無かった。松尾は経済史、堀越はノーザン・アイルランドが対象で、各々に面白くはあるけれど、全体像や、近代以前の歴史を知りたいと思うと、役に立たない。

 上野格と故堀越智の両氏は同い年で、あたしの親父の世代ですが、こういう本を出せるのは感無量ではないかと拝察します。

 面白いのは女性の執筆者が多いことで、これほど女性が多いのは、他の歴史の分野でもあんまりないんじゃないか。あたしは大いに言祝ぐことだと思います。こないだ、グレイトフル・デッド関係で Rosie McGee の Dancing with the Dead-A Photographic Memoir をすこぶる面白く読んだんですが、女性から見ると見えることや感じることが男性のものとはやはりまるで違ってくるんですよね。

 アイルランドの歴史の場合は女性が進出しているとして、スコットランドの歴史なんて、どうなんでしょう。うーむ、しかしスコットランドやウェールズの歴史をわが国で研究するのはこうしてみるとなかなか大変かもしれませんね。「イギリス史」に呑みこまれちまう。アイルランドは島が別だからまだやりやすいところがある。この「世界歴史大系」のシリーズで『スコットランド史』とか『ウェールズ史』が出るなんて、まずありえない。

 それはともかく、近現代ばかりでなく、古代や中世を研究する人が出てきてくれたのは嬉しい。この本で何がありがたいといってあたしとしては第一章と第二章が一番ありがたい。あのややこしい中世の様相をぱっと一望のもとに見せてくれるんじゃないか。とともに、アイルランド語固有名詞の日本語化です。これでとにかく一応の基準ができる。それにしても「ブリアン・ボールヴァ」ですか。そりゃあ、「ブライアン・ボルー」は英語名ですけどね。皆さん、これからは「ブリアン・ボールヴァ」でっせ。

 もう一度それはともかく、クロンターフの戦いはヴァイキングと「アイルランド王」ブライアン・ボルーが戦って「外国勢力」を撃退したわけじゃあない、あれは国内対立の延長だとちゃんと書かれていて、あたりまえと言やああたりまえなんだけど、胸がすっきりしました。

 蛇足だけど、『アイルランドの風土と歴史』が参考文献に上がっていないのは疑問。そりゃ、学術的には深いものじゃないかもしれんけど、原書の執筆者たちは当時のアイルランド史学界トップの人たちだし、日本語としてはとにかくこれが唯一の頼りという時代が長かったんだから、わが国におけるアイルランドの歴史像形成に一役かっていることは否定できんと思うんですが、どうでしょう。参考文献はそういうもんじゃないと言われればそれまでですが。

 一方であたしが訳したテレンス・ブラウンのアイルランド現代文化史が入っていて、もちろんあたしのせいじゃなくて、原書が優れているからですが、日本語ネイティヴのアイルランド史研究にあたしも僅かながら貢献できたかと思うと、ちょっぴり嬉しい。

 それにしても、政治・経済中心で、文化史、社会史の視点がほとんど無いらしいのはねえ。補説で少し補われているとはいうものの、うーん、ちょっとなあ。これまた、そういう研究をしている人がいない、または適当な執筆者がいないのかもしれませんし、スペースの余裕が無いのもあるんでしょうけどね。音楽を歴史の文脈で研究するのが難しいのもわかります。とはいえ、ハープが国の紋章になるくらいなんだから、補説の一つぐらいはあててもよかったんじゃないですかねえ。それこそハープが国の紋章になるのはどういう経緯で、なぜなのか、とかね。

 なにはともあれ、これで土台が据えられました。アイルランドの歴史の各分野の研究がこの上にどんどんと積み上げられてゆくことを期待します。そして、同僚向けの学術論文ばかりじゃなくて、あたしらのような素人も楽しく読めるような、そう、中国史の宮崎市定のような本がたくさん出ますように。

 なぜアイルランドかと問うことで見えてくることがある、という序章での上野の指摘はその通りでしょう。アイルランドから見たブリテン、ヨーロッパ、北米やオーストラリア・ニュージーランド、あるいは世界の歴史を読みたい。それも日本語で書かれたものが読みたい。アイルランドはユニークな地位を占めると思います。小さいが故に、ヨーロッパの北西の端という辺境の位置の故に、中心では見えず、かつ本質を貫くような視点を持てる。ここを出発点として、日本語ネイティヴによるアイルランドの歴史研究が大きく花開きますように。(ゆ)

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