01月11日・火
クーキー・マレンコの今年の予想、というよりも、期待、願望に近い。クーキーはDSD録音・配信のパイオニアで、優秀な録音技師、Blue Coast Records の主催者。
1) DSD ダウンロードがカムバックする。
実際、昨年も遅くなって、Blue Coast での DSD のダウンロード販売数がかなり増えているそうだ。アジアがメインでヨーロッパが少し。アメリカ人は DSD の違いがわからないのか。まあ、あたしもわかるとは言えない。ただ、DSD で出ているものは、DSD で聴くと気持ちがいいことは確かだ。もっとも正直言って、Blue Coast で出ているミュージシャンにあまり食指が動かない。Tony Furtado ぐらい。
2) ストリーミングはリスニングの音源として主流にならない。
これは無いだろうなあ。ストリーミングが主流ですよ、すでに。ただ、リスニングの形態は多様化していて、あるメディア形態が他の全てを圧する、ということは減ると思う。
あたしにとってストリーミングは今のところ、CDを買えない、買うまでもない音源を、とりあえず聴く場になっている。デッドが共演したり、何らかの関連のあるミュージシャンたちの音源を聴くにはたいへん便利。いちいちCDを探して買う必要がなくなった。他にもジャズの一部とか、とりあえず、どんなものか聴いてみる、というのがこんなに簡単になったことは今まで無かった。
困るのは国内のアーティストの古い音源を聴こうとすると、CDを買うしかなかったりすることが多いのだ。
3) DSP つまり digital service provider つまり Apple, Spotify など、その他200に及ぶその同類から著作権料を徴収する方法が音楽配給会社には実のところわかっていない、ということが広く知られる。
「音楽配給会社 music distribution companies」というのは ASCAP とか BMI のことか。ならばわが JASRAC もだが、これは要するに包括契約のことを言っているのだろうか。
既存の放送局などのアナログと違って、デジタルでの配信では、誰のどの楽曲が何回ダウンロードまたはストリーミングされたかは正確に計数される。はずである。しかし、実際には数えられていない。ということはつまり、ミュージシャンにもレーベルにも、正確な数は報告されておらず、したがってそれに基く著作権料も払われていない。ということになる。これが放置されていいはずはない、とクーキーは言いたいらしい。だとしたら、まったくその通り、放置されていいはずはないよ。
4) アーティストが質の高い作品を生みだせるよう支えるために、アーティストの真のファンたちが NFT を買うことが、爆発的に増える。
NFT は Non-Fungible Tokens の略で、「等価交換できないトークン」、暗号通貨の一種だそうだ。実体は、たとえばある楽曲のストリーミングの1回1回、ダウンロードされるファイルのそれぞれに付けられたコード、なのだそうだ。うーん、実感が湧かない。だが、NFT の形で楽曲を買うことは、デジタル・データではあるが、他のコピーとは異なる、独自のユニークなものを手に入れることになり、かつてのシングル・レコードを買うことに等しくなる、らしい。NFT はトークンだが、それ自体を取引することも可能で、実際、ある楽曲の NFT がオークションでウン百万ドルで落札されたこともあるという。これってたとえばジョンのサイン入り〈抱きしめたい〉のシングル盤SP、なんてものがあるとして、それと同じことじゃないのかね。すでに、NFT の形でアルバムをリリースしているアーティストもいるらしい。どんな形でどのように普及するか、全然わからないながら、興味津々ではある。
5) Facebook, Twitter, Instagram などは、音楽をプロモートする場としての人気は衰える。
代わりに、アーティストやジャンルや概念などを中心としたコミュニティが使われる。クーキーが念頭に置いているのは Discord のようなものだ。単に茶化したり、冷やかしたり、あるいはディスるためだけのコメントがまぎれこまないようにできるもの、ということだろう。
6) その洞察が信頼できるジャーナリストたちによる出版物をサブスクリプションするのに金を払う人間が増える。
クーキーは実際にそうしているし、相手はクーキーだけがサブスクリプションしているわけではない。わが国ではどうだろうか。ジャーナリズムそのものがほとんど無きに等しいし、音楽はじめ芸術作品のバランスのとれた紹介・評価ができるよう訓練する場も無い。それでもそうしたジャーナリストが皆無なわけではない。と思いたい。
7) Netflix, Disney, などはサブスクリプションの数が減る。
これもまあ、無いだろうが、これまでのような爆発的な増加は鈍るんじゃないかね。「凡庸なテレビや映画を一気見するよりも、ホンモノの、生身の人間を実際に体験することの方が、遙かに得るものは多いことに、みんな気がつきだしている」とクーキーは言う。それはその通りなんだけれど、Netflix にしても、ディズニーにしても、そのテレビや映画は「凡庸」よりもちょっとだけ質が上なのよね。大傑作じゃないけど、平均よりもそこそこ面白い。もっとも、「平均」の水準はしたがって常に上がりつづけるので、これからはそうはいかないから、まったく絵に描いたように「凡庸」なものも増えるでしょう。つまり、時間の奪い合いに、ストリーミング TV は今のところ勝利しているけれども、いつもずっとそういうわけにはいかないことも確か。
あたしとしては、年末、このうち 3) と 4) がどうなっているか、たのしみだ。
##本日のグレイトフル・デッド
01月11日には1978年と1979年の2本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1978 Shrine Auditorium, Los Angeles, CA
前日の追加公演。7.50ドル。開演7時半。ポスターには「人気沸騰のため」として、わざわざ追加してある。もちろん、あらかじめ仕込みはされている。
会場は Shriner と呼ばれるフリーメーソンの一派の寺院として1926年にオープンした公会堂で、座席数6,700だった。2002年に大規模改修されて現在は6,300。州指定の史的建造物。ここでのイベントは娯楽向けが多く、アカデミー賞やエミー賞の授賞式も何度か行われたし、ミス・ユニバース・コンテストもある。コンサートもロックに限らず、様々な形のものの会場となった。
デッドはここで1967年11月10日から7本のショウを行ない、この1978年1月が最後。最初のショウが《30 Trips Around The Sun》の1本としてリリースされている。
2. 1979 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
このヴェニュー2日連続の2日目。すばらしいショウの由。ほんと、こういうのを聴く余裕が無い。公式リリースされているのを聴くだけで精一杯。(ゆ)