12月10日・金
アデレの最新作《30》のアナログ盤が50万枚という発注をしたので、全世界的にビニールが不足、なのだそうだ。アナログがブームで、昨年、アナログの売上がCDを抜いた。1986年以来のこと。CDの出始めの頃と逆で、今のアナログは価格も高い、倍くらいするから、数はまだCDの方が上か。この記事によると RIAA が発表したレコード産業全体の売上でCD、LPなど、ブツが占めるのは1割、というのもちょっとショックだが、アナログはその中の3分の2。とはいうものの、たった50万枚で全世界の生産能力がきしむ、などというのは、つまるところ、ブームを支える層がひどく薄いことにならないか。
アナログ盤は製造も遅れていて、音源を渡してから納品まではメジャーなアーティストで9ヶ月だそうだ。マイナーなアーティストやレーベルだと1年以上。アデレの場合は半年で、よほどプレス工場を押えまくったのだろうと推測されている。
カラー・レコードが増えているのも遅れの理由の一つの由。Target とか Walmart とかの大手チェーンはCDはほとんど売らないが、独占カラーのアナログを大量発注するようになった。これにその他のレコード店やアーティスト本人のウエブ・サイトの独占カラーが加わって、それこそカラフルなアナログがあふれるらしい。CDではできなかったし、やっても見映えはしないねえ。
しかし、プレス・マシンの問題は解決したのか。つまり、新しいプレス・マシンは製造されているのか。たとえば3Dプリンタを使うなどすれば、今はかつてよりああいう機械の製造のコストと手間は減っているのだろうか。そういえば、カッティング・マシンはどうなのだろう。また、かつてはカッティングをする専門のエンジニアがいたけれど、そういう技術は継承されているのか。
Variety の記事によれば、プレス会社は全米で数十ある。が、LPをプレスするのに必須のラッカー盤を製造しているのは昨年2月時点で世界で2ヶ所。そのうち7〜8割を作っていたカリフォルニアの Appllo Masters がこの時、山火事で焼けおちた。残る1ヶ所は日本の MDC。というより、この商社を通じて売られているラッカー盤を製造している長野のパブリックレコード社。ここで作られたラッカー盤が日北米欧オーストラリアのレコード会社に送られて、そこで音楽信号をカッティングされるわけだ。
とすれば、アナログ盤製造の遅れにはこれもあるのだろう。
ところでラッカー盤はアルミの円盤にラッカーを塗ったもの。ラッカーの原料は樹脂と溶剤。どれも現在、品不足で価格高騰している。とすれば、ラッカー盤の値段も上がらざるをえないだろう。ましてや、ほぼ独占状態だ。当然、レコード価格にも反映されるはずだ。
注文して待っているアナログ盤は Muireann Nic Amhlaoibh が夏に Kickstarter で募った《Roisin Reimagined》、やはり Kickstarter のドーナル・ラニィたちの新しいバンド Atlantic Arc のデビュー作、それにデッドの《Dave's Picks, Vol. 1》の3枚で、アイルランドの2枚はともに来年2月予定。だが、《Roisin Reimagined》のアナログは予定が見えなくなったと通知が来た。ところで、今見ると、《Dave's Picks, Vol. 1》アナログ盤のページが Dead.net から消えている。今年の Almanac で来年4月末予定、5,000セット限定と発表されたんだが、売り切れたということか。確かカラーではなく、通常の黒い盤だった。
面白いのは今出ているアナログ盤はポピュラーやジャズがメインで、クラシックはほとんど無い。アナログからCDに移った時も、最速で転換したのはクラシックだった。アナログ片面に入らない曲が多すぎるからか。
##本日のグレイトフル・デッド
12月10日には1965年から1993年まで10本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。ほぼ完全版1本。
01. 1965 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
当時のサンフランシスコ・シーンで先頭に立っていた The Mime Troupe の法廷闘争のための資金集め。ジェファーソン・エアプレイン、The Great Society、John Handy Quintet、The Mystery Trend、the VIPs、The Gentlemen's Band、などと共に出演。ラルフ・グリーソンはサンフランシスコ・クロニクル紙の記事でまだ The Warlocks と呼んでいる。
3,500人以上の人間が1.50ドルの入場料を払い、踊りくるった。もちろん一度には入れないので、夜9時半から深夜1時過ぎまで、会場の周りには長蛇の列が絶えなかった。
02. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
ビッグ・ママ・ソーントン、ティム・ローズとの3日連続の中日。
セット・リスト無し。
03. 1969 Thelma Theater, Los Angeles, CA
このヴェニュー3日連続の初日。現在判明しているセット・リストの第一部クローザー前の〈Casey Jones〉〈Good Morning Little Schoolgirl〉〈Black Queen〉でスティーヴン・スティルスがギターで参加し、最後の曲はヴォーカルをとる。
この日のセット・リストはテープに基いていて、明確ではなく、第二部とされている短いものは別の日のものである可能性もある。またどちらが先かも不明。
ヴェニューは短期間存在した小さなところで、デッドはこの時のみの演奏。
04. 1971 Fox Theatre, St. Louis, MO
ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。後半7曲目〈Comes A Time〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、今年のビッグ・ボックス・セット《Listen To The River》の1本として全体がリリースされた。
2日連続の2日目。この2日間のショウは人気に比べて会場が狭く、チケットが買えないという不満が大きかった。そのためもあって、デッドはワーナーを説得して、地元の FM局 KADI にセント・ルイスで初めて、この日のショウのリアルタイム放送を許可した。この放送から出たテープが広く出回る初めてのものとなる。ブートレグも出ている。
〈Playing In The Band〉は長くなりはじめているが、まだ翌年の完全に開花したところまでいかない。そこがまた面白い。
05. 1972 Winterland Arena, San Francisco, CA
3日連続の初日。他のコンサートは開演8時だが、デッドのみ7時。
ちなみにデッドの前はJ・ガイルズ・バンドとロギンス&メッシーナが2日間。後はフランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オヴ・インヴェンション、ウェザー・リポート、コパーヘッド。
コパーヘッドはジョン・チポリーナがクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスをやめた後に組んだバンド。なのでポスターではウェザー・リポートより扱いが大きい。
〈Playing In The Band〉と〈The Other One〉が飛びぬけていい、と DeadBase XI で Mike Dolgushkin が言う。
06. 1973 Charlotte Coliseum, Charlotte, NC
《Download Series, Vol. 8》で、第一部の4曲を除いてリリースされた。
この頃はまだ南部でショウをすることは少なく、ノース・カロライナでは1971年4月が初で、この年が2回目。8日にデューク大学でショウをして、その次がこれ。この次は1976年9月にやはりデューク大学になる。8日は満員だったが、この日は12,000収容のヴェニューで半分ほどの入り。演奏はデュークの時よりレイドバックしてた。第二部の初めの曲を決めるのに時間がかかっていたので、3列目に陣取っていた Richard Pipes たちが〈Jet to the Promised Land〉と叫ぶと、バンドはにやりとしてそれから始める。終って一同が "Thank you!" と叫ぶと、レシュが "Thank YOU faithful few." と応じた。DeadBase XI でのパイプスのレポートによる。
07. 1979 Soldier's And Sailors Memorial Hall, Kansas City, KS
セット・リスト以外の情報無し。
08. 1988 Long Beach Arena, Long Beach, CA
このヴェニュー3日連続の中日。18.50ドル。開演8時。
09. 1989 Great Western Forum, Inglewood, CA
19.50ドル。開演6時。
第一部2曲目〈Sugaree〉にブルース・ホーンスビィ、クローザーの〈C. C. Rider〉〈I'm a Man〉にスペンサー・デイヴィスが参加。
10. 1993 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA
このヴェニュー3日連続の最終日。25ドル。開演7時半。ブランフォード・マルサリスが初めからアンコールまで参加。
マルサリスの参加ですばらしいショウになった、と Thomas Bellanca が DeadBase XI で書いている。デッドのショウにゲストとして参加した中で、最もデッドの音楽に溶けこみ、これを新しいレベルに上げていたのはマルサリスだ、という彼の言明にはうなずく。聞きなれた曲が、あたかも元来ホーンが入ることを前提に書かれたように聞えるというのも納得する。このショウも、マルサリスの参加したベストのショウではないにしても、十分すばらしいものになっていたという。(ゆ)