02月27日・日
花粉の季節が始まる。かみさんが結構激しい花粉症なので、これから5月の連休明けまでは、洗濯物を外に干せず、部屋干しになる。今はまだ洗濯物が多いので、狭い室内でいかにたくさん、効率的に干すか、様々に工夫をしている。愉しそうにやっていて、ほとんど芸術的だ。かみさんがまだ仕事をしていた去年の今頃はあたしが干していたはずだが、どうやっていたか、もう忘れている。少なくとも、こんな芸術的な曲芸はしていなかったはずだ。
かみさんが仕事をやめたのは、教員免許の更新制度にひっかかって、免許が失効したためだが、別の愉しみを見つけたようでもある。文科省が今頃になって免許更新制度廃止すると言いだしたのは、かみさんのように、免許失効とともに完全に辞める教員が「想定を上回って」、人手不足がどうしようもなくなったためだ。昨年春は、教員免許更新制度で期限が来た教員が年金フル支給開始年齡に達した初めての年だった。免許更新制度などというものを「後出しじゃんけん」で作ったらどうなるか、初めて明らかになったわけだが、文科省官僚にはこの当然の結果が予測できなかったというのだろうか。
義弟夫人は都の小学校教員で、ただでさえ人手不足のところへパンデミックが加わり、さらに今回は小学生の罹患が増え、そこから感染する親の教員が続出して、現場はパニック状態だそうだ。児童・生徒の患者が増えれば学級閉鎖になるが、担任が感染しても学級閉鎖にはならない。一方で、オンライン授業といっても、小学生が画面の前でおとなしくしているはずもなく、成立しているのかどうかすらあやしい。限界を超えているのは、医療現場だけではない。物流など、いわゆるエッセンシャル・ワークと急にもちあげられている仕事の現場はどこも同じだろう。
うーむ、さて、では、あたしに何ができるか、となると、とにかく身をつつしんで、感染リスクを下げ、免疫力を上げて、感染してもそうとは気がつかないでいられるようにする、くらいしか思いつかん。
##本日のグレイトフル・デッド
02月27日には1969年から1994年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。
1. 1969 The Fillmore West, San Francisco, CA
木曜日。このヴェニュー4日連続の初日。ここからの4本の録音から選抜されたものが《Live/Dead》の核をなした。後、《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で4本とも全体がリリースされた。
このショウについては第二部3・4曲目〈Dark Star> St. Stephen〉が《Live/Dead》でリリースされ、第一部3曲目の〈That's It for the Other One〉が《So Many Roads》でリリースされた。またアンコールの〈Cosmic Charlie〉が《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》からの抜粋《Fillmore West 1969 (3CD)》に収録された。さらに、2018年のレコード・ストア・ディ向けに、この初日の全体がアナログ・ボックスでリリースされた。
第二部冒頭の2曲〈Dupree's Diamond Blues〉と〈Mountains Of The Moon〉でガルシアがアコースティック・ギターを弾く。後者の後半ではソロもとる。かなり良い。デッド以前の録音集《Before The Dead》では達者なギターが聴けるから、エレキでなければだめというわけではない。優れたギタリストでアコースティック・ギターは弾けるがエレキはダメという人はいるが、逆はまずいない。エレキがダメな人も、テクニカルなレベルではなくて、審美的なレベルでエレキが使えないだけだ。
〈Dark Star〉から〈Turn On Your Lovelight〉の並びはここでもハイライトで、《Live/Dead》で前半だけとったのは不思議。長さとしては似たようなもので、アナログ片面に入るから、判断の基準としては演奏の出来であろうか。しかし、この4日間の出来はどれも甲乙つけ難し。比べて優劣がつけられるようなものでもない。判断した本人たちも、明瞭な理由はないのかもしれない。むろん、理由はなくても判断ははっきりしていることはありうる。
アンコールは〈Cosmic Charlie〉だが、どうにもしまらない演奏だ。この曲はこの4日間ではこの日と03月01日にやっているが、どちらもひどい。演奏よりもまず曲がひどい。ガルシアは曲作りにまだ慣れていなかったと言うが、それだけでもないだろう。短期間でレパートリィから落ちるのは、単に演奏が難しいだけではないはずだ。こういう曲を聴きたいという強い欲求がどこから生まれるのか。アメリカ人は感性が違うのか。出来の悪い子ほどかわいいのと同じ心理か。出来の悪い曲を四苦八苦しながら演奏する姿がいとおしいのか。
2. 1970 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
金曜日。このヴェニュー3日連続の初日。3.50ドル。コマンダー・コディ&ヒズ・ロスト・プラネット・エアメン共演。
2時間半近い一本勝負。ここの音響はひどかったらしい。
3. 1977 Robertson Gym, University Of California, Santa Barbara, CA
日曜日。8.50ドル。開演7時半。クローザーからアンコールの3曲〈Morning Dew〉〈Sugar Magnolia〉〈Johnny B. Goode〉が《Dave’s Picks, Vol. 29》でリリースされた。この年らしく、全体も良いショウと言われる。残りもきちんと出してもらいたいものだ。
この3曲だけでも、ショウの出来の良さは察しられる。どれも各々の曲のベスト・ヴァージョンの一つ。面白いのは、この3曲はどれも軽やかに演奏される。肩に余計な力が入っていない。
〈Morning Dew〉ではエモーショナルになるところでも余裕を残し、過剰な思い入れを排する。むしろ、距離をとってクールに唄い、演奏する。歌の後のインスト・パートは初め、ごく静かに始まり、徐々に音量を上げ、激しさを増してゆくが、最後の爆発でも目一杯ではない。最後の "It doesn't matter anyway." もむしろ余韻を愉しむ。
1度終って、あらためてウィアが始める〈Sugar Magnolia〉でもまずテンポに余裕がある。イントロでガルシアが弾くギターは蕪村の俳諧のような軽みをもって、ふふふと笑っている。歌の後の間奏パートでは、春の歓びが湧いてくる。"Sunshine Daydream" で、ウィアとドナの息がぴったり合う。この二人のための曲に聞える。
いつもは重く激しく演奏されるロックンロール・ナンバーまでもが軽やかだ。愉しそうな演奏の最後、コーダでガルシアのギターが自在に駆けまわる。
5. 1981 Uptown Theatre, Chicago, IL
金曜日。このヴェニュー3日連続の中日。
第二部オープナーから〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain> Estimated Prophet> Eyes Of The World〉という並びはこれが唯一だそうだ。この4曲、あるいは一組のペアと2曲はどれもバンドにも聴衆にも最も人気が高い曲に数えられ、同じショウの中で演奏されることは少なくないが、全部連続してやるのは稀らしい。たいていは前のペアと後のペアの間に何かはさまるか、第二部の Drums> Space パートの前後に別れるとかする。
5. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
木曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。マルディグラ祝賀で、第二部冒頭〈Iko Iko > Man Smart (Woman Smarter)〉でマルディグラのパレードが行われ、Michael Doucet & Beausoleil が共演。高さ10メートルの骸骨が現れて踊った。天井から10人ほどがワイヤで操り、本当に踊る。〈Man Smart (Woman Smarter)〉の最後に向かってだんだん低くなり、最後は片腕だけが天を指し、最後の音とともにそれも崩れた。
Michael Doucet & Beausoleil はニューオーリンズのケイジャン/ザディコ・バンド。ドゥーセットはフィドル、アコーディオンなどを演奏し、歌も作り、歌う。1975年にボーソレイユの前身になるバンドを始め、1977年にファースト・アルバムを出す。今も現役。あたしなどはデッドを聴きはじめる遙か前、1980年代から聴いていて、旧馴染のミュージシャンがデッドと共演しているのを見るのは嬉しい。
6. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
日曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。26.5ドル。開演7時。第二部後半で〈The Other One〉から〈Wharf Rat〉に移る前に、一瞬〈Cosmic Charlie〉をやりかけて止め、〈Wharf Rat〉を始めた。これに対し、聴衆から「ブー」が起こった。
〈Cosmic Charlie〉は1968年10月08日サンフランシスコ初演で、1969年と70年に各々20回ほど演奏されてレパートリィから落ちる。1976年に復活して数回演奏され、最後は1976年09月25日、メリーランド州ランドーヴァー。トータル45回。スタジオ盤は《Aoxomoxoa》。この曲についてガルシアは、これを作った時にはまだハンターとともに曲を作りだしたばかりで、ステージで演奏することはまるで考えていなかったから、あまりにテクニカルなことを詰めこみすぎて、ライヴでまっとうに演奏できる自信がついに持てなかった、と言っている。レパートリィから落ちるには、それなりの理由がある。
デッドヘッドは古い歌への郷愁が強い。60年代の曲で、長いこと演奏されないというだけで価値があるとする傾向がある。〈Wharf Rat〉よりこっちを聴きたい、とまで言われると正直ついていけないのだが、ショウに通っていなかったせいだろうか。ライヴで聴くことに価値があるのかもしれないが、全ての曲をやるわけにもいかないだろう。この年、このバンドは143曲もの異なる曲を演奏している。
この歌に関しては、1980年代半ばに "Bring back Cosmic Charlie" キャンペーンが行われたこともあるそうだ。デッドは自分たちが演奏したいもの、演奏して愉しいものしか演奏しないから、こういうリクエストに応えることはまずしない。あるいはそれは承知の上で、こういう形で「遊んで」いたのだろうか。この「ブー」も本気ではなく、そんなことでバンドが気を悪くすることはない、と信じていた故の遊びであろうか。
ただこの歌にはユーモアの感覚がはっきり出ている。デッドはユーモアのセンスには事欠かないが、後の時期ではより目立たない、隠れたものになることは確かだ。ストレートなユーモアよりも、風刺やほのめかしが多くなる印象がある。ステージ上のやりとりは諧謔に満ちてはいても、音楽はかなりシリアスに聞える。そうしてみると、こういうユーモラスな歌を聴きたいという欲求はより理解できる。(ゆ)