ふいー、ちょうど1年回りました。来月頭に検査をして、その結果で今後の治療法をどうするか、決めることになります。
今回はちょっと辛かった。ここ2回ほど、比較的楽になっていたので、今回もそんな感じかと楽観していましたが、なかなかそう簡単に問屋は卸してくれません。
どういうところが辛い、と明確に言えるのではなく、あれこれ積み重なって、全体としてなんとも辛いとしか言いようがない状態。
薬で抑えられた吐き気が、それでも蓋の隙間から洩れてたち登ってくるのがひとつ。全身のダルさがひとつ。手足の痺れがひとつ。何だかよくわからないものがまだ他にもいくつもあるらしい。
吐き気止めの薬の副作用で、入院二日目は確実に便秘になります。もっともカマのおかげで、三日目の朝にはたいてい便通があるのですが、寒さが加わると、今度は下り気味になります。何度もトイレに通ったり、腹がごろごろいったり、という具合で、便通が不規則になるのも結構辛い。
手足の痺れは近頃左半身が強くなってきて、肘を中心に左腕全体が痺れることがあり、また左足の親指が痺れを通りこして痛くなることが増えてきました。そのことを医師に伝えたら、今回は点滴する薬剤のうち、その副作用を起こす要素の量が減りました。それで少しは楽になるかと期待もしたのですが、かえって辛くなったのにまたがっくり。もっとも、このために支払いはかなり減りました。
病院の食事はもうまったく受けつけなくなってしまい、やむなく冷蔵庫に入れなくてもよいものをいくつか、持ちこみました。どうしても菓子の類か果物になります。かろうじてパンだけは食べられるので、三日目の退院直前の朝食はパンとフルーツだけにしてもらいました。今後も点滴入院することになれば、同じパターンにしてもらうことになるでしょう。
昨年末くらいから、退院した日の昼食もしっかり食べるようにしていて、ここ2回ほど、退院直後の調子が比較的楽だったのもそのせいかと思っていました。が、今回はさらにしっかり食べたにもかかわらず、カラダもアタマもヘヴィなまま。今週の水曜日、つまり点滴開始からちょうど1週間たって、ようやく霧が晴れてきた感じです。
家事をしたり、こたつに入ったりしている分には支障ありませんが、外に出るととたんに動きが鈍いのがわかります。走るということが考えられません。速歩もムリ。カラダにまかせて、ゆっくりと、一歩ずつ歩くことしかできません。それはそれで良いと考えるようにしていますが、たまには歯痒くなることもあります。
抗がん剤も昔に比べれば遥かに良くなっているのでしょうし、ぼくの場合はがんを抑えるというよりは、再発予防が主眼なので、間隔も長くなっていますから、これでも楽な方でしょう。であっても、これをもう1年続けるのは願いさげにしたいものですし、何年かたってまたやるのも何とか避けたい。
がんを抱えるのは、明日があるかどうかわからない宙ぶらりんの状態に耐えることでもある。と1年抗がん剤治療を受けてきて思いしらされたことであります。
がん細胞は四六時中体内で生まれていて、ふだんは免疫システムが病巣になる前に叩いているわけです。それが何らかの理由で免疫システムが破れたり、一時的に機能不全になってがんができる。その理由には心身症的なものもある由。ぼくのがんのことを聞いたある鍼の先生は、5年くらい前に何かひどいショックを受けたんですね、と言ったそうな。そう言われると心当たりが無いこともない。がっくり落ちこむと免疫力も下がるらしい。
とすれば、一方で宙ぶらりんに耐えながら、やはり明日があると信じて、今日を充実させることが大事になってきます。一分一秒を惜しむ、というよりは愛おしみながら、ゆったりと構え、焦らず、されど休まず、一歩一歩歩んでゆく。そのこと自体を楽しむ。
窓のすぐ外の染井吉野の蕾がふくらんで、雨に濡れています。虫たちも姿を現してきました。以前はとかくうるさいと感じていたんですが、フクシマからこちらは、ともに放射能を生きる仲間に見えてきました。それがこちらの勝手な思い込みであることは承知しています。ほんとは、迷惑かけてすまんなあ、とあやまるべきところではあります。もっとも、たぶんかれらは、ぼくら人間が滅びさった後も、かれらなりの生活を元気に続けてゆくでしょう。病気になる、つまり危機になると、人間、謙虚になりますね。
とまれ、来月の検査まで、できるかぎり健康度を高めるように、この記事の下の方にあるリラックス体操をまずは毎日やってます。(ゆ)
今回はちょっと辛かった。ここ2回ほど、比較的楽になっていたので、今回もそんな感じかと楽観していましたが、なかなかそう簡単に問屋は卸してくれません。
どういうところが辛い、と明確に言えるのではなく、あれこれ積み重なって、全体としてなんとも辛いとしか言いようがない状態。
薬で抑えられた吐き気が、それでも蓋の隙間から洩れてたち登ってくるのがひとつ。全身のダルさがひとつ。手足の痺れがひとつ。何だかよくわからないものがまだ他にもいくつもあるらしい。
吐き気止めの薬の副作用で、入院二日目は確実に便秘になります。もっともカマのおかげで、三日目の朝にはたいてい便通があるのですが、寒さが加わると、今度は下り気味になります。何度もトイレに通ったり、腹がごろごろいったり、という具合で、便通が不規則になるのも結構辛い。
手足の痺れは近頃左半身が強くなってきて、肘を中心に左腕全体が痺れることがあり、また左足の親指が痺れを通りこして痛くなることが増えてきました。そのことを医師に伝えたら、今回は点滴する薬剤のうち、その副作用を起こす要素の量が減りました。それで少しは楽になるかと期待もしたのですが、かえって辛くなったのにまたがっくり。もっとも、このために支払いはかなり減りました。
病院の食事はもうまったく受けつけなくなってしまい、やむなく冷蔵庫に入れなくてもよいものをいくつか、持ちこみました。どうしても菓子の類か果物になります。かろうじてパンだけは食べられるので、三日目の退院直前の朝食はパンとフルーツだけにしてもらいました。今後も点滴入院することになれば、同じパターンにしてもらうことになるでしょう。
昨年末くらいから、退院した日の昼食もしっかり食べるようにしていて、ここ2回ほど、退院直後の調子が比較的楽だったのもそのせいかと思っていました。が、今回はさらにしっかり食べたにもかかわらず、カラダもアタマもヘヴィなまま。今週の水曜日、つまり点滴開始からちょうど1週間たって、ようやく霧が晴れてきた感じです。
家事をしたり、こたつに入ったりしている分には支障ありませんが、外に出るととたんに動きが鈍いのがわかります。走るということが考えられません。速歩もムリ。カラダにまかせて、ゆっくりと、一歩ずつ歩くことしかできません。それはそれで良いと考えるようにしていますが、たまには歯痒くなることもあります。
抗がん剤も昔に比べれば遥かに良くなっているのでしょうし、ぼくの場合はがんを抑えるというよりは、再発予防が主眼なので、間隔も長くなっていますから、これでも楽な方でしょう。であっても、これをもう1年続けるのは願いさげにしたいものですし、何年かたってまたやるのも何とか避けたい。
がんを抱えるのは、明日があるかどうかわからない宙ぶらりんの状態に耐えることでもある。と1年抗がん剤治療を受けてきて思いしらされたことであります。
がん細胞は四六時中体内で生まれていて、ふだんは免疫システムが病巣になる前に叩いているわけです。それが何らかの理由で免疫システムが破れたり、一時的に機能不全になってがんができる。その理由には心身症的なものもある由。ぼくのがんのことを聞いたある鍼の先生は、5年くらい前に何かひどいショックを受けたんですね、と言ったそうな。そう言われると心当たりが無いこともない。がっくり落ちこむと免疫力も下がるらしい。
とすれば、一方で宙ぶらりんに耐えながら、やはり明日があると信じて、今日を充実させることが大事になってきます。一分一秒を惜しむ、というよりは愛おしみながら、ゆったりと構え、焦らず、されど休まず、一歩一歩歩んでゆく。そのこと自体を楽しむ。
窓のすぐ外の染井吉野の蕾がふくらんで、雨に濡れています。虫たちも姿を現してきました。以前はとかくうるさいと感じていたんですが、フクシマからこちらは、ともに放射能を生きる仲間に見えてきました。それがこちらの勝手な思い込みであることは承知しています。ほんとは、迷惑かけてすまんなあ、とあやまるべきところではあります。もっとも、たぶんかれらは、ぼくら人間が滅びさった後も、かれらなりの生活を元気に続けてゆくでしょう。病気になる、つまり危機になると、人間、謙虚になりますね。
とまれ、来月の検査まで、できるかぎり健康度を高めるように、この記事の下の方にあるリラックス体操をまずは毎日やってます。(ゆ)