クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 スコットランド音楽の「ナショナル」・レーベル Greentrax Records の創設者 Ian D. Green が今月10日に亡くなったそうです。1934年にスコットランド北東部インヴァネスの東の Forres に生まれて、享年90歳でした。死因は公表されていません。



 こんにちのスコットランド音楽の隆盛の少なくとも半分、実質的にはその大部分をグリーンの活動に負うと言って言い過ぎではありません。Greentrax Records が無ければシューグルニフティもピートボッグ・フェアリーズもデビューはずっと遅れたか、あるいはそもそも世に出られたかどうか、あやしいところがあります。Simon Thoumire が Hands Up Trad の追悼記事で書いているように、新人発掘にグリーンは特異な才能を発揮しました。才能ある新人を拾いあげるだけでなく、レコードを出すこととそのプロモーションを通じて確実にかれらの音楽の価値を広めました。ECM のように、Greentrax から出るものならば買って聴く価値があると認められました。

 Greentrax Records からのリリースにもお世話になりましたが、個人的にはグリーンが Greentrax を設立する前からやっていた Discount Folk Records の存在がありがたかったです。スコットランドの伝統音楽やフォーク・ミュージック、フォーク・ロックのレコードを買えるところとして頼りにしていました。むろんネットなどまだ無い頃で、初めの頃はファックスでやりとりしていたと思います。一番最初、1980年代半ばはたぶん手紙だったでしょう。

 一方 Greentrax がリリースするタイトルの幅はひじょうに広く、スコットランド音楽の最先端から、エディンバラ大学スコットランド研究所が出していたアーカイヴ録音のシリーズや、ハイランド・パイプの芸術音楽 piobaireachd ピブロックの名手たちの貴重な音源まで出していました。ケープ・ブレトンはじめ北米のスコットランド系ミュージシャンもいます。グリーンの懐の深さがしのばれます。

 グリーンの職業はエディンバラ警察の警察官でした。1960年代に Edinburgh Police Folk Club を作ったというのもいかにもスコットランドらしいです。さらに Edinburgh Folk Club の創設メンバーであり、スコットランド音楽の雑誌 Sandy Bell’s Broadsheet の編集にも関りました。The Living Tradition はこの雑誌の後継者でありました。ちなみに Sandy Bell はエディンバラの有名な音楽パブで、ここでのライヴを集めたオムニバスも出ています。

 グリーン本人はミュージシャンではなかったそうですが、その貢献はどんなミュージシャンよりも大きいものがあります。スコットランドの音楽を教えてくれた師匠の一人として、感謝をこめて、ご冥福をお祈りします。合掌。(ゆ)

 まずはこのようなイベントがこうして行われたことをすなおに喜ぼう。新鮮な要素は何も無いにしても、やはり年末には「ケルティック・クリスマス」が開かれてほしい。

 今年、「ケルティック・クリスマス」が復活と聞き、そこで来日するミュージシャンの名前を見て、うーん、そうなるかー、と溜息をついたことを白状しておく。ルナサやダーヴィッシュがまずいわけではない。かれらの生がまた見られるのは大歓迎だ。それにかれらなら、失望させられることもないはずだ。会場の勝手もわかっている(と思いこんでいたら、実はそうではなかった)。パンデミックの空白を経て、復活イベントを託す相手として信頼のおける人たちだ。

 しかし、ルナサもダーヴィッシュもすでに何度も来ている。反射的に、またかよ、と一瞬、思ってしまったのは、あたしがどうしようもないすれっからしだからではある。キャシィ・ジョーダンが開巻劈頭に言っていたように、ダーヴィッシュは結成44年目。ルナサももうそろそろ四半世紀は超える。みんなそろって頭は真白だ。どういうわけか、ルナサもダーヴィッシュもステージ衣裳を黒で統一していたから、余計映える。例外は紅一点キャシィ姉さんだけ。

 この日はいろいろと計算違い、勘違いをした上に判断の誤りも加わり、あたしとしては珍しくも開演時間に遅刻してしまった。ルナサの1曲目はすでに始まっていた。この曲が終ってようやく客席に入れてもらえたが、客席は真暗だから、休憩、つまりルナサが終るまでは入口近くの空いている席に座ることになった。バルコニー席の先頭を狙ってあえてA席にしたのだが、チケットには3階とあった。この距離でステージを見るのは初めてで、これはこれで新鮮ではある。距離が離れているだけ、どこかクールにも見られる。いつもなら目はつむって、音楽だけ聴いているのだが、これだけ距離があると、やはり見てしまう。そのせいもあっただろうか。2曲目を聴いているうちに、ルナサも老いたか、という想いがわいてきた。

 あるいはそれは、遅刻したことでこちらの準備が整わず、素直に音楽に入りこめなかったせいかもしれない。ライヴというのは微妙なバランスの上に成りたつものだ。演奏する側がたとえ最高の演奏をしていたとしても、聴く方がそれを十分に受けとめられる状態にないと音楽は失速してしまう。そういう反応が一定の割合を超えると、今度は演奏そのものが失速する。

 3曲目のブルターニュ・チューンで少しもちなおし、次のルナサをテーマにしたアニメのサントラだといって、看板曲をやったあたりからようやく乗ってきた。このメドレーの3曲目で今回唯一の新顔のダンサーが登場して、かなりなまでに回復する。

 このダンサー、デイヴィッド・ギーニーは面白かった。アイルランドでも音楽伝統の濃厚なディングルの出身とのことだが、それ故にだろうか、実験と冒険に遠慮がない。華麗でワイルドで、一見新しい世代とわかるその一方で、その合間合間にひどく古い、と言うよりも根源的な、いわゆるシャン・ノース・スタイルの動作とまでいかない、空気がまじる。やっていることはマイケル・フラトリーよりもずっとアメリカンとすら思えるが、節目節目にひらめく色が伝統の根幹につながるようだ。だから新奇なことをやっても浮かない。とりわけ、ダーヴィッシュの前に無伴奏で踊ったのは、ほとんどシャン・ノース・ダンスと呼びたくなる。芯に何か一本通っている。

 その次のキリアンの作になる新曲が良く、ようやくルナサと波長が合う。そしてその次のロゥホイッスル3本による抒情歌で、ああルナサだなあと感じいった。あたしなどにはこういうゆったりした、ゆるいようでいてピシリと焦点の決まった曲と演奏がこのバンドの魅力だ。

 全体としてはメロウにはなっている。あるいは音のつながりがより滑らかになったと言うべきか。若い頃はざくざくと切りこんでくるようなところがあったのが、より自然に流れる感触だ。音楽そのもののエネルギーは衰えていない。むしろこれをどう感じるか、受けとるかでこちらの感受性の調子を測れるとみるべきかもしれない。

 休憩になってチケットに記された席に行ってみると、三階席真ん前のど真ん中だった。左に誰も来なかったのでゆったり見られた。狙っていた2階のバルコニー右側先頭の席は空いていた。

 後半冒頭、ギーニーが出てきて上述の無伴奏ソロ・ダンシングを披露する。無伴奏というのがまずいい。ダンスは伴奏があるのが前提というのは、アイリッシュに限らず「近代の病」の類だ。

 山岸涼子の初期の傑作『アラベスク』第二部のクライマックス、バレエのコンテストでヒロインの演技中伴奏のピアニストが途中で演奏をいきなり止める。しかしヒロインは何事もないようにそのまま無伴奏で踊りつづけ、最後まで踊りきる。全篇で最もスリリングなシーンだ。あるいは何らかのネタがあるのかもしれないが、有無を言わせぬ説得力をもってこのシーンを描いた山岸涼子の天才に感嘆した。

 クラシック・バレエとアイリッシュではコンテクストはだいぶ違って、アイリッシュ・ダンスには無伴奏の伝統があるが、踊る動機は同じだろう。

 歌や楽器のソロ演奏と同じく、無伴奏は踊り手の実力、精進の程度、それにその日の調子が露わになる。そして、この無伴奏ダンスが、あたしには一番面白かった。これを見てしまうと、音楽に合わせて踊るのが窮屈に見えるほどだった。

 ダーヴィッシュはさすがである。ルナサとて一級中の一級なのだが、ダーヴィッシュの貫禄というか、威厳と言ってしまっては言い過ぎだが、存在感はどこか違う。ユーロビジョン・ソング・コンテストにアイルランド代表として何度も出ていることに代表される体験の厚みに裏打ちされているのだろうか。

 そしてその音楽!

 今回は最初からおちついて見られたこともあるだろう。最初の一音が鳴った瞬間からダーヴィッシュいいなあと思う。ところが、いいなあ、どころではなかった。次の〈Donal Og〉には完全に圧倒された。定番曲でいろいろな人がいろいろな形で歌っているけれども、こんなヴァージョンは初めてだ。うたい手としてのキャシィ・ジョーダンの成熟にまず感嘆する。一回りも二回りも大きくなっている。この歌唱は全盛期のドロレス・ケーンについに肩を並べる。いや、凌いですらいるとも思える。そしてこのアレンジ。シンプルに上がってゆくリフの快感。そしてとどめにコーダのスキャット。この1曲を聴けただけでも、来た甲斐がある。

 ダンスも付いたダンス・チューンをはさんで、今度はキャシィ姉さんがウクレレを持って、アップテンポな曲でのメリハリのついた声。これくらい自在に声をあやつれるのは楽しいにちがいない。聴くだけで楽しくなる。この声のコントロールは次の次〈Galway Shore〉でさらによくわかる。ウクレレと両端のマンドリンとブズーキだけのシンプルな組立てがその声を押し出す。

 そして、アンコールの1曲目。独りだけで出てきてのアカペラ。

 ダーヴィッシュがダーヴィッシュになったのは、セカンド・アルバムでキャシィが加わったことによるが、40年を経て、その存在感はますます大きくなっていると見えた。

 とはいえダーヴィッシュはキャシィ・ジョーダンのバック・バンドではない。おそろしくレベルの高い技術水準で、即興とアレンジの区別がつかない遊びを展開するのはユニークだ。たとえば4曲目でのフィドルとフルートのからみ合い。ユニゾンが根本のアイリッシュ・ミュージックでは掟破りではあるが、あまりに自然にやられるので、これが本来なのだとすら思える。器楽面ではスライゴー、メイヨーの北西部のローカルな伝統にダブリンに出自を持つ都会的に洗練されたアレンジを組合わせたのがこのバンドの発明だが、これまた40年を経て、すっかり溶けこんで一体になっている。そうすると聴いている方としては、極上のミュージシャンたちが自由自在に遊んでいる極上のセッションを前にしている気分になる。

 アンコールの最後はもちろん全員そろっての演奏だが、ここでキャシィが、今日はケルティック・クリスマスだからクリスマス・ソング、それも史上最高のクリスマス・ソングを歌います、と言ってはじめたのが〈Fairy Tale of New York〉。アイルランドでは毎年クリスマス・シーズンになるとこの曲がそこらじゅうで流れるのだそうだ。相手の男声シンガーを勤めたのはケヴィン・クロフォード。録音も含めて初めて聴くが、どうして立派なシンガーではないか。もっと聴きたいぞ。

 それにしてもこれは良かった。そしてようやくわかった。中盤で2人が「罵しりあう」のは、あれは恋人同志の戯れなのだ。かつてあたしはあれを真向正直に、本気で罵しりあっていると受けとめた。実際、シェイン・マゴゥワンとカースティ・マッコールではそう聞えた。しかし、実はあれは愛の確認、将来への誓い以外の何者でもない。このことがわかったのも今日の収獲。

 最後は全員でのダンス・チューンにダンサーも加わって大団円。いや、いいライヴでした。まずは「ケルクリ」は見事に復活できた。

 キャシィ姉さんのソロ・アルバムを探すつもりだったが、CD売り場は休憩中も終演後もごった返していて、とても近寄れない。老人は早々に退散して、今度は順当に錦糸町の駅から帰途についたことであった。(ゆ)

  昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は1970年ですが、この年は2本のショウから選曲されています。同じヴェニューでの三連荘の2日目と3日目、26日リリースの1970-02-28と30日、最終日リリースの 03-01。場所は Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA。

 02月28日のショウからは〈Little Sadie; Black Peter〉12:12、03月01日のショウからは〈That's It For The Other One> Black Peter〉34:08。

 この金土日の3日間は Commander Cody & His Lost Planet Airmen が前座。料金は3ドル50セント。仰向けに寝ている骸骨に若い女性がまたがった図柄のポスターが残っています。娘の姿は透けているようでもあります。

 まずこのヴェニューが面白い。Family Dog はチェット・ヘルムズが率いたグループで、デッドなどの当時のサンフランシスコ・ロックにのせて踊るイベントを企画していました。当初はアヴァロン・ボールルームをベースにしていましたが、そこの賃貸契約が切れたために、海岸沿いにあった遊園地の中のこの建物を借りて "Family Dog at the Great Highway" と名付けます。建物自体は1880年代に建てられて、かなり老朽化していたようです。1969-06-13にジェファーソン・エアプレインで柿落し。1970年07月に閉じます。デッドはここで12回演奏しています。

 この頃のショウは後の二部構成ではなく、一本勝負で、アンコールが複数で長くなることもありました。28日、01日はどちらも2時間前後のテープが残っています。

 01日は〈New Speedway Boogie〉のテーマでジャムを始め、〈Casey Jones〉でスタートして7曲目の〈That's It For The Other One> Black Peter〉は最初のヤマです。34:08はこの年の《30 Days Of Dead》2番目の長さ。

 〈That's It For The Other One〉は1967-10-22初演で、〈Cryptical Envelopment〉をイントロとし、drums のブレイクが入って〈The Other One〉に展開、再び〈Cryptical Envelopment〉にもどる組曲です。真ん中の〈The Other One〉だけでなく、後ろの〈Cryptical Envelopment〉でもジャムになることがよくあります。ここでの演奏もその形。演奏回数を重ねるにつれて、イントロの〈Cryptical Envelopment〉が省略されるようになり、さらに後ろも消えて、1971-04-28から〈The Other One〉のみ独立します。

 なお03-01はアンコールの1曲目〈Uncle John's Band〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。

 1970年のショウの数は計142本。前年1969年に次ぐ2番目。正月2日にニューヨークのフィルモアで始動してから大晦日のウィンターランドまで、ほとんど休みらしい休みもなく、働いています。レパートリィは119曲。初登場の曲は28、うちオリジナルは12。

Dark Hollow;Trad. / Bill Browning, (none), 34
Friend Of The Devil; Robert Hunter, Jerry Garcia & John Dawson, 1970b, American Beauty, 311
Candyman; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 281
It's A Man's, Man's, Man's World; James Brown & Betty Newsome, (none), 11
Roberta; Trad. / Leadbelly, (none), 2
Flood; unknown, (none), 1
Walk Down The Street; unknown, (none), 1
She's Mine; Lightnin' Hopkins, (none), 3
Cold Jordan; Trad., (none), 13
The Frozen Logger; James Stevens & Ivar Haglund, (none), 8
Attics Of My Life; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 53
Nobody's Fault But Mine; , Trad., (none), 35
A Voice From On High; Bill Monroe & Bessie Lee Mauldin, (none), 4
Sugar Magnolia; Robert Hunter & Bob Weir, 1970b, American Beauty, 601
Big Railroad Blues; Noah Lewis, (1971, Grateful Dead=Skull & Roses), 175
Rosalie McFall; Charlie Monroe, (none), 18
To Lay Me Down; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 64
Truckin'; Robert Hunter, Jerry Garcia, Phil Lesh & Bob Weir, 1970b, American Beauty, 527
Brokedown Palace; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 220
Ripple; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 41
Operator; Ron McKernan, 1970b, American Beauty, 4
Box Of Rain; Robert Hunter & Phil Lesh, 1970b, American Beauty, 160
Till The Morning Comes; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1970b, American Beauty, 6
Goin’ Down The Road Feeling Bad; Trad., (none), 298
Me And Bobby McGee; Kris Kristofferson & Fred Foster, (none), 118
Around And Around; Chuck Berry, (none), 420
La Bamba; Trad., (none), 5
Bertha; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1971, Grateful Dead=Skull & Roses), 403
Bird Song; Robert Hunter & Jerry Garcia, Garcia (1972), 300

 オリジナルのほとんどはハンター&ガルシアの曲ですが、ハンターとレシュ、ウィア、そしてハンターの詞にガルシア、レシュ、ウィアが曲のクレジットに名を連ねたものが1曲ずつあります。ハンター&レシュの〈Box of Rain〉はハンターの詩集のタイトルにも採用されました。レシュの持ち歌として、一時レパートリィから落ちますが、後復活し、最後まで演奏されます。ハンター&ウィアの〈Sugar Magnolia〉は定番中の定番として、演奏回数は600回超。ハンターと3人の作になる〈Truckin'〉も500回を超える演奏回数です。

 1970年は以後のバンドの方向性を決める重要なできごとがいくつも起きた年です。1960年代を大いなる助走として、ここから本格的な活動に入ったと見ることもできましょう。

 まずは人事面。オルタモントの悲劇の後、その責任を負わされる形でローリング・ストーンズのロード・マネージャーをクビになった Sam Cutler をデッドはロード・マネージャーとして雇います。カトラーは優秀で、ショウからの収入をしっかり確保して、財政を大いにうるおします。1972年のヨーロッパ・ツアー実現にはイングランド人であるカトラーの尽力が大きい。最初のロンドン公演の録音冒頭でバンドを紹介するカトラーの声は疲れきっています。

 もう一つのできごとは弁護士のハル・カントと契約したこと。カントも優秀な弁護士で、また音楽面でのクライアントをデッドだけに限りました。デッドはカントに窮地を何度も救われることになります。

 また、この年、デッドの楽曲の著作権管理のため Ice Nine Publishing を設立します。

 プラスもあればマイナスもあります。03月、マネージャーだったレニー・ハートが巨額の使いこみをした挙句、大金をもって逐電します。このことでレニーの息子のミッキーは当然ながらたいへんなショックを受け、落ちこみ、翌年02月18日にバンドを離れる羽目に追いこまれました。

 バンド・メンバーにはまだ変化があります。01月30日のニューオーリンズでのショウを最後にトム・コンスタンティンがバンドを離れました。コンスタンティン自身はミュージシャンとして優れていたようですが、デッドの音楽にはついに完全に溶けこむことができませんでした。もっとも、DeadBase にかれが寄稿した記事は、当時のバンドの様子、とりわけツアー中の舞台裏やホテルでの生態を活き活きと伝えています。

 4月に《Workingmans Dead》を録音して、5月にリリース。8〜9月に《American Beauty》を録音して11月にリリースします。

 5月には初めて海を渡り、イングランドでショウをおこないます。後のヨーロッパ・ツアーへの布石の一つになりました。

 とはいえ、音楽面でこの年最も重要で、後々のバンドに長く影響を与えたできごとは、6月末から7月初めに参加した Trans Continental Pop Festival、通称 Festival Express です。これについてはドキュメンタリーの DVD も出ており、様々なところでとりあげられています。デッドに関して言えば、ひとつにはジャムに対する考え方を広げたと思われます。もう一つは〈Goin' Down the Road Feeling Bad〉をデラニー・ボニーから習ったこと。この曲は以後定番として最後まで300回近く演奏されました。

 しかし、この列車の仲間でもあったジャニス・ジョプリンは10月04日に世を去ります。その晩デッドはジェファーソン・エアプレインとの対バンをウィンターランドでしていました。ハンター&ガルシアはジャニスを悼み、〈Bird Song〉を作りました。〈Bertha〉と共に、12月15日にデヴィッド・クロスビー、ガルシア、レシュ、ハートのメンバーで The Matrix で行ったショウでデビューします。

 03月01日のショウのテープでは、まず〈New Speedway Boogie〉のテーマで遊んでいるバンドが捉えられています。Internet Archive にある SBD でも、これと正式なオープナーの〈Casey Jones〉は AUD で、客席でもステージを見ながら皆笑っています。3曲目の〈Big Boy Pete〉のイントロの途中で SBD に切り替わります。

 この〈Casey Jones〉はこういう位置で演奏されるのにふさわしく、まだテンポが段々速くなりません。リピートの部分でも終始同じテンポで、繰返しの回数も多くありません。とはいえ、力の籠もった演奏です。デビューしたての頃のある曲の演奏は後の形に比べると通常よりシンプルですが、だからといってつまらないわけではなく、その時期なりの聴きごたえがあります。そのことは〈Playing In The Band〉のように極端に形が変わる曲でもあてはまります。この曲は当初、5分ほどで終り、ガルシアのソロもほとんどありませんが、それでもその形でやはり聴いて面白いのです。

 ドン&デューイがオリジナルの〈Big Boy Pete〉はリード・ヴォーカルはピグペンですが、むしろコーラスの方が目立つ曲。ここを始め、後の〈I Know You Rider〉や〈Uncle John's Band〉でも、コーラスのハーモニーが決まっています。

 続く〈Morning Dew〉も初期形で、ガルシアはあまりソロを弾かず、むしろヴォーカルで聴かせます。デッドをやる以前のフォーク・シンガーの谺が聞えます。ガルシアがかなりシリアスに唄うのを受けてピグペンが一転、とぼけた味を効かせるのが〈Hard to Handle〉。ピグペンもむしろこういうとぼけた、真面目なのか、不真面目なのか、よくわからない、あるいは両方半々ずつ入っているような歌唱が身上でしょう。続いてウィアが〈Me And My Uncle〉をていねいに歌います。とりわけテンポがゆっくりなわけではありませんが、歌に余裕があります。ガルシアも良いソロを聴かせていい調子ですが、コーダでいきなりテープがちょん切れます。

 そして今回の〈That's It for the Other One〉。これもどちらかというとゆったりした入り。とはいえ、イントロとして〈Cryptical Envelopment〉に続いてドラムス二人の演奏のうちにじわじわと緊張感が高まってきて、駆けあがるベースとともに〈The Other One〉が爆発すると、これは原始デッド真只中。全力疾走するガルシアのギターにレシュのベースが執拗にからみつき、螺旋を描く二人に他のメンバーも負けじと追いすがる。やがて、ガルシアとレシュの美しいデュエットに収斂したと思うと、再び走りだす。ひとしきり走ってメインのモチーフが出て、ウィアが2番を歌い、おさめたところでガルシアが〈Cryptical Envelopment〉を歌いだして、そのままジャム。ここはほとんどフォービートに聞えるところもあり、ガルシアのギターもジャズに踏みこんでます。後に〈The Other One〉だけ独立すると、この部分が落ちてしまうのは惜しい。ジャムがゆっくりと終るのと間髪を入れずに〈Black Peter〉。

 これもいいヴァージョンですねえ。ガルシアのヴォーカルは粘りに粘り、このピーターはとても死にそうにありません。

 〈Beat It On Down The Line〉の冒頭は12発。初めの頃は2、3回のあっさりしたものでしたが、かなり増えてきました。ウィアの歌い方はいい具合にルーズですが、こういう力の抜け方がOKなのもデッドならではと言えそうです。〈Dire Wolf〉もとぼけた歌のとぼけた演奏で、歌詞だけ見ると、「殺さないでくれよ」と懇願していますが、実際の演奏にはそんな深刻さはありません。もっともそのそらとぼけたところに、生々しい恐怖感が隠されてもいるようです。

 〈Good Lovin'〉が始まった途端、時代は60年代、原始デッドの瑞々しさと禍々しさが同居した世界に突入します。ギターとベースのユニゾンがその呼び水。それが〈Cumberland Blues〉でまたフォーク調にもどり、〈I'm a King Bee〉でさらに再びピグペンの支配するブルーズの世界に返る、というこの大きな振幅こそはこの時期の醍醐味です。そして締め括りは〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉。ガルシアは歌もギターも尻上がりに良くなっています。

 アンコール1曲目、UJB はこの歌の最も遅いヴァージョン。あるいはいろいろなテンポで演奏してみて、最適なものを探していたのかもしれません。ここでは前半はドラムレスでギロを使い、ギターもアコースティックな響きで終始します。ハーモニー・コーラスも決まっています。その背後には CSN&Y の大成功があるわけですが、かれらほど声の質が合ってはいなかったデッドでも、ライヴでしっかり決めていたことがわかります。"Take Children home" のあとのリフからインストルメンタルになり、ドラムスとベースも加わり、ガルシアもギターを展開。このセミ・アコースティックからエレクトリックへの移行は試行錯誤の一環かもしれませんが、カッコいい。これも名演ですが、このメロディでダメな演奏ができるのかとも思ってしまいます。最近もジョン・スコフィールドがギター、ベース、ドラムスのトリオでカヴァーしてます。おまけにこの2枚組新作CDのタイトルにこの曲を選んでました。

  アンコールの後ろの2曲は SBD がなく、AUD になります。〈Dancing In The Street〉では途中テープがよれていますし、最後の〈It's All Over Now, Baby Blue〉は末尾で録音がちょん切れます。それでも前者でのガルシアのギターは出色で、この歌のソロとしてはベストの一つ。音質は落ちますが、聴く価値はあります。後者でもガルシアのヴォーカルが聞き物で、この時期、うたい手としてはガルシアに一日の長があります。(ゆ)

 アイルランドのダンス・チューンを聴くとほっとするのはなぜだろう。アイルランドに生まれ育ったわけでもなく、アイリッシュ・ミュージックに生まれた時から、あるいは幼ない時からどっぷり漬かっていたわけでもない。アイリッシュ・ミュージックを聴きだしてそろそろ半世紀になるが、その間ずっとのべつまくなしに聴いていたわけでもない。

 アイリッシュ・ミュージックが好きなことは確かだが、どんな音楽よりも好きか、と言われると、そうだと応えるにはためらう。一番好きなことではスコットランドやイングランドの伝統歌にまず指を折る。グレイトフル・デッドが僅差で続く。あたしにとってアイリッシュ・ミュージックは三番手になる。

 それでもだ、アイリッシュ・ミュージックを聴くとふわっと肩の力がぬける。快い脱力感が頭から全身を降りてゆき、帰ってきた感覚が湧いてくる。この「帰ってきた」感覚は他の音楽ではあらわれない。デッドは一時停止していたのが再開した感覚。スコットランドやイングランドの伝統歌では帰郷ではなく再会になる。となると、アイリッシュ・ミュージックが帰ってゆくところになったのは、いつ頃、どうしてだろう。

 いつ頃というのは、おそらく、あくまでもおそらくだが、世紀の変わり目前後というのが候補になる。この前後、あたしはとにかくアイリッシュ・ミュージックを聴いていた。出てくるレコードを片っ端から買って、片っ端から聴いていた。まだCD全盛時代だ。本朝でアイリッシュ・ミュージックを演る人はいなかった。アイリッシュ・ミュージックを聴こうとすれば、CDを買って聴くしかなかった。それに出てくるレコードはどれもこれも輝いていた。むろん、すべてが名盤傑作であるはずはない。けれどもどこかにはっと背筋を伸ばすところがあり、そしてどのレコードにも、旬たけなわの音楽の輝きがあった。どの録音も、そこで聴ける音楽の質とは別のところできらきらぴかぴかしていた。ちょうど1970年前後のロックのアルバムに通じるところだ。だから、何を聴いても失望させられることはなかった。当然、次々に聴くように誘われる。2002年にダブリンに行った時、当時アルタンのマネージャーをやっていたトム・シャーロックと話していて、おまえ、よくそこまで聴いてるな、と言われたのは嬉しかった。アルタンのマネージャーの前には、まだレコード屋だったクラダ・レコードのマネージャーで、たぶん当時、アイリッシュ・ミュージックのレコードを誰よりも聴きこんでいた人間から言われたからだ。

 そうやってアイリッシュ・ミュージックにはまる中で、アイリッシュ・ミュージックへの帰属感、それが自分の帰ってゆく音楽という感覚が育っていったのだろう。あとのことはアイリッシュ・ミュージックの作用で、たまたまあたしの中にそれと共鳴するものがあったわけだ。

 須貝さんと木村さんの演奏が始まったとたん、ほおっと肩から力が抜けていった。これだよね、これ。これが最高というわけではない。こういう音楽にひたることが自分にとって一番自然に感じるだけのことだ。他の音楽を聴くときには、どこか緊張している。というのは強すぎる。ただ、音楽を聴く姿勢になっている。アイリッシュ・ミュージックは聴くのではない。流れこんでくる。水が低きに流れるようにカラダの中に流れこんでくる。おふたりの、むやみに先を急がない、ゆったりめのテンポもちょうどいい。リールでもたったかたったか駆けてゆくよりも、のんびりスキップしている気分。

 さらにユニゾンの快感。ハーモニーはむろん美しいし、ポリフォニーを追いかけるのは愉しい。ただ、それらは意識して聴くことになる。ただぼけっとしているだけでは美しくも、愉しくもならない。こちらから積極的に聴きこみ、聴きわける作業をしている。ユニゾン、とりわけアイリッシュのユニゾンはそうした意識的な操作が不要だ。水や風が合わさり、より太く、より中身が詰まって流れこんでくる。カラダの中により深く流れこんでくる。

 受け手の側にまったく何の労力も要らない、というわけでは、しかし、おそらく、無い。アイリッシュ・ミュージックを流れとして受けいれ、カラダの中に流れこんでくるのを自然に素直に味わうには、それなりの心構えといって強すぎれば、姿勢をとることが求められる。その姿勢は人によっても違うし、演奏する相手によっても変わってくる。そして、自分にとって最適の姿勢がどんなものかさぐりあて、相手によって調整することもできるようになるには、それなりに修練しなければならない。とはいえ、それはそう難しいことではない。できるかぎり多様な演奏をできるかぎり多く聴く。それに限る。

 リールから始まり、あたしには新鮮なジグが続いて、3曲目、今年の夏、アイルランドでのフラァナ・キョールに参加するという須貝さんがその競技会用に準備したスロー・エアからジグのセットがまずハイライト。これなら入賞間違い無し。とシロウトのあたしが言っても効き目はないが、組合せも演奏もいい。後は勝とうとか思わずに、このセットに魂を込めることだ、とマーティン・ヘイズなら言うにちがいない。次の木村さんのソロがまたいい。急がないリールを堂々とやる。いつものことだが、この日はソロのセットがどれも良かった。

 後半冒頭はギター抜きのデュオ。そう、今回もギターがサポートしている。松野直昭氏はお初にお目にかかるが、ギターは年季が入っている。前回のアニーと同じく、客席よりもミュージシャンに向かって演奏していて、時にかき消される。しかし聞える時の演奏は見事なもので、どういう経歴の方か、じっくりお話を伺いたかったが、この日は後に別件が控えていて、終演後すぐに飛びださねばならなかった。おそらくギターそのものはもう長いはずだ。松野氏のソロ・コーナーもあって、スロー・エアからジグにつなげる演奏を聴いてあたしはマーティン・シンプソンを連想したが、むろんそれだけではなさそうだ。

 ギターのサポートの入ったのも良いのだが、フルートとアコーディオンのデュオというのもまたいい。アイリッシュはこの点、ジャズなみに自由で、ほとんどどんな楽器の組合せも可能だが、誰でもいいわけではないのもまた当然だ。まあ、合わないデュオを聴かされたことは幸いにないから、デュオはいいものだ、と単純に信じている。

 リハーサルはもちろんしているわけだが、お客を前にした本番というのはまた違って、演奏は後になるほど良くなる。最後のジグ3曲、リール3曲、それぞれのメドレーが最高だった。ワルツからバーンダンスというアンコールも良かった。バーンダンスの方は〈Kaz Tehan's〉かな。

 前回、去年の5月、やはりここで聴いた時に比べると、力みが抜けているように思える。あの時は「愚直にアイリッシュをやります」と言って、その通りにごりごりとやっていて、それが快感だった。今回もすべてアイリッシュなのだが、ごりごりというよりはすらすらと、あたり前にやっている。だからすらすらと流れこんできたのだろう。

 このところ、録音でアイリッシュ・ミュージックを聴くことがほとんどない。ジャズやクラシックの室内楽やデッドばかり聴いている。だからだろう、生で聴くアイリッシュには、とりわけ「帰ってきた」感覚が強かった。8月の最終週末、須貝さんの住む山梨県北杜市でフェスティヴァルをするそうだ。琵琶湖はやはり遠いので、近いところに避暑も兼ねて行くべえ。世の中、ますますくそったれで、鮮度のいいアイリッシュで魂の洗濯をしなければやってられない。(ゆ)

 シェイマス・ベグリーが73歳で亡くなったそうです。死因は公表されていません。

 ケリィのゲールタハトの有名な音楽一族出身の卓越したアコーディオン奏者で、まことに渋いシンガーでした。息子のブレンダンも父親に負けないアコーディオン奏者でシンガーとして活躍しています。妹の Seosaimhin も優れたシンガーです。

 あたしがこの人のことを知ったのは前世紀の末 Bringing It All Back Home のビデオで Steve Cooney とのデュオのライヴを見たときでした。どこかのパブの一角で、2人だけのアップ。静かに、おだやかに始まった演奏は、徐々に熱とスピードを加えてゆくのはまず予想されたところでありますが、それがいっかな止まりません。およそ人間業とも思えないレベルにまで達してもまだ止まらない。身も心も鷲摑みにされて、どこかこの世ならぬところに持ってゆかれました。

 この2人の組合せに匹敵するものはアイルランドでもそう滅多にあるものではない、ということはだんだんにわかってきました。今は YouTube に動画もたくさんアップされています。シェイマスはその後 Jim Murray、Tim Edey とも組んでいて、それらもすばらしいですが、クーニィとのデュオはやはり特別です。

 本業は農家で、会いにいったら、トラクターに乗っていた、という話を読んだこともあります。プロにはならなかった割には録音も多く、良い意味でのアマチュアリズムを貫いた人でもありました。(ゆ)

 生誕110周年死去30周年のジョン・ケージ・メモリアル・イヤーの今年、Winds Cafe は何らかの形でジョン・ケージにつながりのあるイベントを組んできた。11月はついに主宰者・川村龍俊氏自らの登場。それも MOZART MIX という、あたしなぞにはまったくの謎のブツをひっさげての登場である。予告を見て、いったいこりゃなんじゃいなと検索しても、写真などは出てくるものの、それがいったいどういう代物なのかはさっぱりわからない。そうなるとますます知りたくなる。現物を見るしかない。このチャンスを逃せば、この先死ぬまで拝顔の栄には浴せまい。もう年で、3日連続で出かけるのはしんどくて避けてきたのだが、このまま知らずに死ねば、絶対に後悔のあまり化けて出ざるをえないだろう。ここは這ってでも見に行かねばならない。

 MOZART MIX とは1991年、死の前年にケージが発表した作品で、限定35セット。お値段は7桁前半。川村さんが買ったのは1997年で、その時点でもまだ売れのこっていた。本朝でこれを買ったのは川村さんの他にもう一人いたことが、この日、これを売った人、井部治氏から明かされた。その人はお金持ちのコレクターというだけで、ジョン・ケージに愛着があったわけではないそうで、現在は音信不通。捨てられていなければ、もう1セットがこの列島のどこかにあるわけで、いつか、何らかの形で浮上することがあれば、ちょと面白い。

 この作品は「サウンド・マルチプル」と呼ばれるジャンルまたは形態に属する。音で構成された「マルチプル」。「マルチプル」とは現代美術、芸術の分野で生まれた形態で、たとえば一つのボックスに複数の作品、版画とか写真とかを収め、セットとして提示、販売する。ドイツの現代美術専門のスタジオ兼販売店が1970年代に始めたものだそうだ。

 音を素材として使った「サウンド・マルチプル」としては、自動的に偶然に弦が弾かれる仕掛けをほどこしたアコースティック・ギターを函に収めたもの、なんてのがあった。これなどは作品として一度だけ一定期間展示されて終り、後に残るのは写真のみという。チップを備えて、ランダムに光と音が発するのはちょと面白そうにもみえる。結果としてあらわれるものだけでなく、その光と音を発生させる仕組みそのものが面白そうでもある。

 で、このブツである。実物はかなり大きい。縦横1メートルほどの正方形、厚さ15センチほどだろうか。がっちりした木製のケース。このケースがまず贅沢そうだ。いかにも美術品あるいはハイエンドのオーディオ装置などの超精密機械を収めるためのもの。重量も相当にあり、おそらくは素材も選びぬいた特注品であろう。これがさらにでかい木枠に入るという形で屆けられたそうで、送料だけでもウン万円はかかっていそうだ。なお、上のケースの裏にはケージのサインとこれが35セット中の何番かの番号が書かれている。筆記具は鉛筆に見えた。

 入っているのはカセット・プレーヤーが5台とカセット・テープが25本。カセット・プレーヤーはパナソニック製のモノーラル・スピーカー付きの録再機。三味線や謡などを習う人たちは今でもデフォルトで使っているアレである。録音もできるのだが、入っているものにはボタンの上に金属の板が貼られて、再生とストップ以外のボタンは押せないようになっている。電池駆動だが、コンセントから電源もとれる。ただし、同梱されているケーブルはドイツ仕様なので、そのままでは本朝では使えない。

 テープはエンドレス・テープで、3分ほどの音楽が録音されている。25本のカセットには番号などの識別記号は一切なく、どのテープにどんな音楽が入っているか示すものは何もない。25本はどれも皆同じ外見。

 録音されているのはすべてモーツァルトの楽曲。オペラ、シンフォニーからソロ・ピアノまで、各種一応揃っているらしい。3分ほどなので、全曲入っているものはない。すべて断片。モーツァルト・ファンならば、ああ、あの曲と聴けばわかるのだろう。あたしなどは〈アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク〉だけはわかった。演奏のクレジットなども一切無いが、まっとうな演奏だそうだ。

 立派なケースとは裏腹とど素人には見えるが、中身はつまり超精密機器でもハイエンドな装置やソフトウェアでもない。こんなにまでしてカネをかけたケースに入れる必要もないだろうと思えてしまう。

 もちろんこのハードウェアが「作品」なわけではない。「作品」はあくまでもアイデアとそこから生まれる「音楽」になるので、ハードウェアはそれを実現するための専用の手段になる。その気になれば、自分なりのハードウェア環境とソフトウェア、つまりカセット・テープに収めた音楽の断片を用意して再現することも可能だ。

 この場合、ケージの意図としては、カセット・テープに収めたモーツァルトの音楽の断片のセレクションそのものにそう大きな意味があったとは思えない。それはモーツァルトの音楽の録音という枠内で、適当にランダムで、多様性が確保されていればよいはずだ。その断片を5台のプレーヤーでさらにランダムに再生した場合の「音」の偶然性が鍵になる。

 したがって、カセット・テープに収められた内容そのものは、セットによって異なり、それを「再生」した場合の効果も異なる可能性もある。本朝のどこかにあるもう1セットの浮上をそこはかとなく期待するのはこのことの確認のためだ。あるいは、35セットを一堂に集めての「演奏」というのも一度はやってみる価値はあるかもしれない。

 ケージの作品としては当然とも思えるが、マニュアル、使用法の類は一切無い。同梱されていた書類はカセット・プレーヤーのマニュアルと保証書のみ。これをどう使うかはすべて買った人、あるいは使う人(たち)にまかされる。極端な話、カセット・プレーヤーやテープを投げつけあってもかまわないわけだ。

 しかしまあ普通はプレーヤーでカセット・テープを再生することになるだろう。どの順番で、どういう形で再生するかが、どうぞご自由にになる。

 イベントの前半はこれを売った井部治氏が、そもそもこれは何か、「マルチプル」とは何か、どうやって見つけ、売ったかをスライドをまじえて講演。あとで確認したら、井部氏から川村さんに買いませんか、と誘いがあり、川村さんは二つ返事で、かどうかは訊きそびれたが、とにかく買った。さすがに4年の月賦だったそうだ。面白いのは完済したところでブツが引き渡されたそうな。月賦でモノを買うと、初回の払込と同時ぐらいにモノは引き渡されるののが普通であろうが、この場合にはなにか深い事情があったものと思われる。もう一人買った方ももっと短かくはあったがやはり月賦で、引き渡しはやはり完済後だったので、でかい木枠に入ったブツが二つ、井部氏の狭い店を長い間占拠していたという。

 一方で川村さんは買ったものの開けることはなく、この立派なケースは部屋の隅に置かれたままだった、と夫人にうかがった。今回のご開帳は買われてから四半世紀経ってのものということになる。次がいつになるかは不明である。

 イベントの後半は開いたケースの中に収めたままのプレーヤーで25本のカセットが再生された。そのやり方はいろいろ考えられるが、今回は川村さんがひとりで、いわば独奏する形である。たあだ、その場ででたらめにやるのも面白くない。そこに何らかの筋を通して、それにしたがって再生することをおそらくケージも期待していただろう。

 この作品を発表した晩年、ケージは易に入れこんでいた。それも日常生活にまで導入し、たとえばその日何を食べるかを易で決めるということまでしていたそうな。そこで、今回も再生の順番を易で決めることにした。

 易の64卦のどれかを出すのに一番簡単なのはコインである。コインの表を陽、裏を陰として、たとえば3回はじくか、3枚一度にはじくかで陰陽の組合せを作る。たとえば陽3つなら「乾=天」、陰3つなら「坤=地」で、その間に6つの卦ができる。これを上下に組合せて上も下も「乾」なら「乾為天」、両方とも「坤」なら「坤為地」になって、この間に62の卦ができる。

 いちいちこれをやるのは時間がかかる。ケージの晩年の助手の一人がプログラミングに詳しく、瞬時に卦をランダムに出してくれるアプリを作り、ケージはこれを使っていた。同じ人が今はブラウザ上で同じことをできるようにしてくれている。しかも、変数をいろいろ変えたりもできるよう性能もよくなっている。川村さんはこれを利用して、25本のカセット・テープを5台のプレーヤーでランダムに重複なしに一度だけ再生し、全体で35分で終るようなタイム・テーブルを作った。テープはケースにならべた順番に再生し、それぞれのプレーヤーで何秒間再生するかが決まっているわけだ。

 ケースにテープを並べるところだけは今日の参加者から有志を募ったが、誰も手を挙げないのを見定めてから井部氏が買って出た。井部氏にしてもどのカセットに何が入っているかはわかりようもない。ただ、川村さんではない人間の手が加わるところがポイントである。

 そしてよーい、どんで1本目のカセットをプレーヤー1に入れてボタンを押した。これも川村さんが用意した、当時よく使われていた電子ストップ・ウォッチとタイマーとその他いろいろ機能のついたもので秒単位でタイミングを測る。これと同じようなものを、その昔、星川京児さんがいつも首からかけていた。音楽の録音を仕事とするプロデューサーには手離せないものであったらしい。

 プリント・アウトしたタイム・テーブルを見ながら、川村さんはカセット・テープをプレーヤーに入れてはボタンを押し、また押して止めてはテープを出して交換する。単純に見えるが、タイム・テーブルを決めたプログラムは人間の都合など考慮に入れていないから、時にはすぱぱぱぱと手練の早業で入れかえねばならないこともある。川村さんは大汗をかいている。

 そうして聞えてくるものが、この「作品」の実際ということになる。再生音は事前に調整して、音が割れない最大音量にしてある。様々な音楽の断片があるいは単独で、あるいは二つ三つと重なり、さらには全部が同時に聞えてくる。時にはサイレント・テープがあたったか、無音にもなる。1本、走行に問題のあるテープもあって、最後の数分も無音になった。このカセットの再生音にプレーヤーの操作音が加わる。なにせ、原始的ともいえるプレーヤーで、カセットを入れる時も出す時も盛大な音をたてる。この音もまたケージの意図ないし構想の中には入っていたはずだ。

 これを今の最先端の機器を使ってやることもむろん可能ではあるだろうが、どうもそれで面白くなるとも思えない。カセット・テープとプレーヤーはこの「システム」を可能にした初めてのテクノロジーだ。そこでケージがこれを思いついたところがキモである。

 ケージはとにかく音楽に偶然を持ちこもうとした、とあたしには見える。少なくともこの MOZART MIX のめざすところはそこにある。モーツァルトの音楽という枠を設定することで、偶然を際立たせる。これが、クラシック全体とかに広げてしまっては、やはり無意味になる。別にモーツァルトでなくてもよかっただろう。ビートルズでもできたと思われる。ただ、多様性の点ではオーケストラから独奏まで備わるモーツァルトの方が幅は広い。

 そして偶然を持ちこむことによって生まれる、聞えてくる音楽を愉しむ。というのはちょとずれる。再生音の質はここでは問うてはいない。このプレーヤーの音質は音楽そのものを鑑賞するには届かない。そこではなく、音楽に偶然を持ちこむことそのものを愉しんでみよう、愉しめるようにしようとした。だから、この「作品」をどういう順番で、どういう形で再生するかを考えることがまず愉しみの第一になる。

 アンコールも用意されていた。ネット上では、この「作品」では5台のプレーヤーが全部常に鳴っている状態にするのが本筋だという議論があるそうだ。そこで川村さんは25本のテープ全部を重複せずに一度ずつ再生し、5台全部が常に鳴っている状態が4分33秒続くタイム・テーブルを、上記と同じ方法で組んでみた。テープの順番はまた別の人間が並べた。

 本番とアンコールでは、鳴っている「音楽」そのものの印象は案外似ている、とあたしには聞えた。ランダムに再生される音楽、それも複数の再生機で再生される音楽は音の塊、クラスターとなって、しかもその結果は平均化されるのではないか。

 むしろここでは、このコンセプト、「25本のテープ全部を重複せずに一度ずつ再生し、5台全部が常に鳴っている状態が4分33秒続く」というアイデアそのものが面白い。このアイデアの元になったケージのおそらく最も有名な「作品」〈4分33秒〉も、実際の演奏そのものよりは、そのアイデアが面白い。

 だから、たぶん同じことをもっと音質の良い装置を使ってやることには、あまり意味は無いだろう。これはこのケースの中でやってこそ面白い。

 そして、再びご開帳があるとして、その時も川村さんが「演奏」するのでは、おそらくあまり面白くない。まったく別の人間が、まったく別のアイデア、「演奏」の仕組みそのものから考えたアイデアをもちこんで初めて面白くなりだす。終演後の雑談でも出ていたように、これは本来は個人所有というよりは、美術館なりの公共施設が保有して、様々な人びとがいじれる、利用できるようにすることで実力を発揮する性格のものにみえる。これにはこんな使い方、「演奏」法があったのか、とみんながびっくりするようなものが出てくるのが理想だ。ケージの意図も究極的にはそこにあったのではないか。

 音楽は必然と偶然の相互作用の産物である。クラシックのように、楽譜通りに演奏することが理想とされていて、どんなに「完璧」にその通りに演奏されたとしても、それを次もまったく同じに再現することは求められない。毎回同じ曲をまったく同じように演奏しようとしても、そうはならないところに音楽の面白さがある。反対に、毎回違うように演奏しようとしても、期待以上に似たことのくりかえしになってしまうのも音楽だ。この二つでは文句なく前者の方が面白くなる。人間としては必然をめざし、偶然の生成は天にまかせる方が結果は面白くなる。

 ケージは必然をめざすその前の段階で偶然の要素を可能なかぎり人為的に導入することをめざした、とあたしには見える。偶然そのものは人智のおよぶところではないにしても、どこでどのように偶然を呼びこむかはわが手に握ろうとした。易に入れこんだのは、それこそ必然的に思える。易は本来、人智の及ばぬ偶然のはたらきをなんとか感知しようとする試みではないか。

 かくて、MOZART MIX を目のあたりにし、そのご開帳に立ちあえて、本当によかった。これで死ぬときは、少なくともこれに関しては納得して死んでいける。ありがたや、ありがたや。(ゆ)


2022-12-14追記
 当日のレクチャー原稿に基く井部治氏によるまとめ、写真、川村さんが「演奏」に使ったリストなどが、Winds Cafe のページにリンクされている。「マルチプル」や「サウンドマルチプル」について、より詳しく、正確な事情がわかる。

 それにしても、あの日の体験はどこか異様で、感動したわけでもないのに、なぜか面白かったという感覚が時間が経つほどに少しずつ強くなっている。Winds Cafe の上記ページにある肖像画にもあるように、ジョン・ケージのユーモアのセンスがたまらない。
 

07月14日・木
 朝、起きぬけにメールをチェックするとデッドのニュースレターで今年のビッグ・ボックスが発表されていた。



 1981, 82, 83年の Madison Square Garden でのショウを集めたもの。2019年のジャイアンツ・スタジアム、昨年のセント・ルイスに続いて、同じ場所の3年間を集める企画。嬉しい。80年代初めというのも嬉しいし、MSG というのも嬉しい。
 MSG では52本ショウをしていて、常に満員。演奏もすばらしいものがそろう。《30 Trips Around The Sun》では1987年と1991年の2本が取られている。1990年が《Dick's Picks, Vol. 9》と《Road Trips, Vol. 2, No. 1》でリリースされている。今回一気に6本が加わるわけだ。わが国への送料は70ドルかかるが、そんなことでためらうわけにはいかない。

 同時に《Dave's Picks, Vol. 43》も発表。1969年の11月と年末の2本のショウ、どちらもベア、アウズレィ・スタンリィの録音したもの。また1曲だけ、年末ショウの〈Cold Snow and Rain〉が次の Vol. 44 にはみ出る。



 いやあ、今日はいい日だ、とほくほくしていたら、夜になって、今度は Earth Records からバート・ヤンシュの《Bert At The BBC》の知らせ。バートが BBC に残した音源の集大成で、147トラック。LP4枚組、CD8枚組、デジタル・オンリーの3種類。Bandcamp は物理ディスクを買うとデジタル・ファイルもダウンロードできるから、買うとすればLPの一択。それにこのアナログのセットには3本のコンサートを含む6時間超の音源のダウンロード権もおまけで付いてくる。というので、これは注文するしかない。



 神さま、この2つの分のカードが無事払えますように。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月14日には1966年から1990年まで8本のショウをしている。公式リリース無し。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 木曜日。"A Pleasure Dome" と題されたこのヴェニュー4日連続のランの初日。開場9時。共演 Hindustani Jazz Sextet、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー。セット・リスト不明。
 Hindustani Jazz Sextet は主にトランペットの Don Ellis (1934-78) が1966年頃に西海岸で結成したバンド。メンバーはエリス、シタールとタブラの Harihar Rao、ヴィブラフォンの Emil Richards、 Steve Bohannon のドラムス、ベースに Chuck Domanico と Ray Neapolitan、それに Dave Mackay のピアノ。サックスの Gabe Baltazar が参加したこともある。

2. 1967 Dante's Inferno, Vancouver, BC
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。3(カナダ)ドル。6時と12時の2回ショウらしい。共演 Collectors、Painted Ship。セット・リスト不明。

3. 1970 Euphoria Ballroom, San Rafael, CA
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。3ドル。デヴィッド・クロスビー、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、Rubber Duck Company with Tom Constanten 共演。
 第一部がアコースティック・セット。クローザーの2曲〈Cumberland Blues〉と〈New Speedway Boogie〉でデヴィッド・クロスビーが12弦ギターで参加。ガルシアはこの2曲でエレクトリック・ギター。
 Rubber Duck Company はベイエリアのマイム・アーティスト Joe McCord すなわち Rubber Duck のバック・バンドとしてトム・コンスタンティンが1970年に作ったバンド。シンガー、ギター・フルート・シタール、ヴォイオリン、ベース&チェロ、それにコンスタンティンの鍵盤というアコースティック編成。

4. 1976 Orpheum Theatre, San Francisco, CA
 水曜日。このヴェニュー6本連続の3本目。6.50ドル。開演8時。
 良いショウだそうだ。

5. 1981 McNichols Arena, Denver, CO
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。13.75ドル。開演7時半。
 ベストのショウの1本という。

6. 1984 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。14ドル。開演5時。
 ここは音響が良く、デッドはそれを十分に活用しているそうな。

7. 1985 Ventura County Fairgrounds, Ventura, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。15ドル。開場正午、開演2時。
 空はずっと曇っていて、第一部クローザー前の〈Looks Like Rain〉でぱらぱら来たが、すぐに陽が出て、海からの風が心地良かった。

8. 1990 Foxboro Stadium, Foxboro, MA
 土曜日。23.50ドル。開演4時。エディ・ブリッケル&ザ・ニュー・ボヘミアンズ前座。ヴェニューは名前がころころ変わっている。
 ショウは良い由。(ゆ)

07月12日・火
 思いかえしてみれば実に2年半ぶりの生トリコロール。一昨年3月の下北沢・空飛ぶコブタ屋でのクーモリとの対バン以来。あの時は途方もなく愉しかった。諸般の事情でクーモリはその後ライヴをしていないそうだが、ぜひまたライヴを見たい。あの後、クーモリ関連のCDは手に入るかぎり全部買って聴いた。各々に面白く、良いアルバムだけれども、あのライヴの愉しさは到底録音では再現できない。

 いや、クーモリの話はさておいて、トリコロールである。あちこちでライヴはしているそうだが、東京はむしろ少なく、遠くに呼ばれている由。あたしはホメリもたぶん2年ぶりだ。嬉しくて、名物のサンドイッチも食べてしまった。

 毎回思うことだけれど、ここは本当に生音が良く聞える。演奏者にもよく聞えるそうだ。この幅の狭さがむしろメリットなのだろう。聴いている方には適度に音が増幅され、しかも、個々の音が明瞭にわかる。柔かい音は柔かく、シャープな音はあくまでも切れ味鋭どく、つまり、生楽器の生音が最も美しく響く。重なるときれいにハモってくれる。妙に混ざりあって濁ることがない。だからユニゾンがそれはそれは気持ち良い。フィドルとピアノ・アコーディオンのぴったりと重なった音に体が浮きあがる。浮きあがるだけではない。クローザーの〈アニヴァーサリー〉のメドレーの1曲目を聴いているうちに、わけもなく涙が出てきた。たぶん悲しみの涙ではなく、嬉し涙のはずだけど、そう言いきれないところもある。

 よく聞えるのはユニゾンだけではもちろん無い。3曲目〈Letter from Barcelona〉のアコーディオンの左手のベース、そしてギターのベース弦。フットワークの軽々とした低音もまたたとえようもなく気持ち良い。

 この日は新録に向けて準備中の曲からスタートする。オープナー〈Five Steps〉ではコーダのアコーディオンのフレーズが粋。次のまだタイトルの無い伝統曲メドレーは G のキーの曲を3曲つなげる。どれも割合有名な曲だが、あたしは曲のタイトルはどうしても覚えられない。オリジナルの一つ〈コンパニオ〉は、結婚式のウェルカム・ムービー用に作った曲だそうだが、何とも心浮きたつ曲。別にアップビートというわけではないのに、聴いていると気分が上々になる。昂揚感とはまた別の、おちついていながら、浮揚する。このやわらかいアッパーは、トリコロールの音楽の基本的な性格でもある。嫌なことも、重くのしかかっていることも、ひとまず洗いながされる。曲が終れば、あるいはライヴが終れば、また重くのしかかってくる圧力は復活するのだが、トリコロールの音楽を聴いた後では、前よりももう少し柔軟に、粘り強く対処していける。ような気になる。

 オリジナルの曲は一つのメロディを様々に料理することが多い。テンポを変え、楽器の組合せを変え、キーを変え、ビートの取り方を変え、いろいろと試し、テストしているようでもある。試行錯誤の段階はすでに過ぎていて、細部を詰めていると聞える。これは旨いと思うところも、それほどでもないかなと思うところも、両方あるけれど、終ってみるとどれもこれも美味しいという感覚だけが残る。

 アニーはアコーディオン、ブズーキに加えて、今回はホィッスルも1曲披露。長尾さんの〈Happy to Meet Again〉という曲で、切れ味のいい演奏をする。後半オープナーの〈Lucy〉のブズーキのカッティングがえらくカッコいい。中藤さんの〈Sky Road〉でもブズーキの使い方が面白い。「おうちでトリコロール」では長尾さんが新たに買ったシターン cittern を弾いていて、いい音がしていた。いずれ、ブズーキとシターンの競演も聴きたい。長尾さんのシターンはアイリッシュ・ブズーキよりも残響が深くて、サステインが長いようだ。ギリシャの丸底ブズーキに響きが近いが、もう少し低い方に伸びている気もする。

 弦楽器はどういうわけか、どれもこれも今のイラク、ペルシャあたりが起源で、そこから東西に伝わって、その土地土地で独自に発達したり、変形したりしている。ウードのギリシャ版であるブズーキはギリシャ経由でまっすぐアイルランドに来ているが、現代のシターンはイベリア半島に大きく回ってからイングランドに渡っている。中世に使われていた楽器の復元と言われるが、その元の楽器があたしにはよくわからん。ブズーキ、シターン、マンドーラ、今ではどれも似ている。カンランのトリタニさんによると、マンドーラは基準となるような仕様が無く、作る人が各々に勝手に、自分がいいと思うように作っているともいう。かれが使っているマンドーラは世界中に数十本しかないそうだ。言われるとあの音は他では聴いた覚えがない。

 〈アニヴァーサリー〉の前の〈盆ダンス〉に、客で来ていた矢島絵里子さんをアニーがいきなり呼びこむ。フルートが加わっての盆踊りビートのダンス・チューンは、いやあ愉しい。途中、それぞれに即興でソロもとる。すばらしい。矢島さんのCDが置いてあったので買う。帰ってみたら、彼女がやっていたストレス・フリーというデュオのCDを持っていた。フルートとハープでカロランや久石譲をやっている、なかなか面白い録音と記憶する。また聴いてみよう。

 アンコールは決めておらず、その場であれこれ話しあって〈マウス・マウス〉。〈Mouth of the Tobique〉をフィーチュアしたあれ。

 聴きながら「旱天の慈雨」という言葉が湧いてきた。このライヴのことをアニーから聞いたのは5月の須貝知世&木村穂波デュオのライヴで、その時も聴きながら、この言葉が湧いてきた。アイリッシュばかりで固めたあちらも良かったけれど、独自の世界を確立しているこのトリオの音楽はまた格別だ。おかげで乾ききっていたところが少し潤いを帯びてきたようでもある。新録も実に楽しみ。

 長尾さんとアニーは O'Jizo で今月末、カナダのフェスティヴァルに遠征する由。チェリッシュ・ザ・レディースがヘッドライナーの一つらしい。ひょっとするとジョーニー・マッデンと豊田さんの競演もあるかもしれない。感染者数が急増しているから、帰ってくる時がちょと心配。今でも入国は結構たいへんと聞いた。

 ライヴに来ると、いろいろと話も聞けるのが、また愉しい。秋に向けて、愉しみが増えてきた。出ると外は結構ヘヴィな雨だが、夏の雨は濡れるのも苦にならない。まったく久しぶりに終電に乗るのもさらにまた愉しからずや。(ゆ)

07月03日・日
 ITMA で "From The Bridge: A View of Irish traditional music in New York" というタイトルでニューヨークのアイリッシュ・ミュージックの足跡をたどるデジタル展示をしている。



 録音のある時代が対象で、19世紀末から現在にいたるほぼ100年間を五つの時期に分けている。

Early Years: 1870s-1900s
Recording Age 1920s
Post WWII Era
1970s-1990s Revival
Present Day

 それぞれにキーパースンの写真とテキストによる紹介と代表的録音を掲げる。テキストは英語だけど、ごくやさしい英語だし、興味を持って読めば、だいたいのところはわかるだろう。最低でも Google 翻訳にかければ、そんなにかけ離れた翻訳にはならないはずだ。

 それに他では見たこともない写真や、聞いたことのない音源もあって、突込んでいると、思わず時間が経つのも忘れる。あたしなどの知らない人たちもたくさんいて、興味は尽きない。

 個人的には最初の2つの章が一番面白い。この時期の音源はどれもこれも個性的だ。録音による伝統の継承がほとんど無いからだ。録音による伝統の継承の、その源になった音源だ。

 ニューヨークのアイリッシュ・ミュージックは、アイルランド国外での伝統音楽の継承と普及の一つのモデル・ケースにも見える。ここは19世紀後半からアイルランド移民の街になり、伝統音楽もそのコミュニティで栄える。1970年代以降、アイリッシュ・コミュニティの外から、アイリッシュ・ミュージックに関わる人たちが増えてくる。今では、マンハタンの一角に並んでいたアイリッシュ・パブは皆消えたが、ニューヨーク産のアイリッシュ・ミュージックが消滅したわけではない。ニューヨークは、アイリッシュ・ミュージックの伝統の中にユニークな位置を占めているのが、この展示を見、聞くとよくわかる。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月03日には1966年から1994年まで7本のショウをしている。公式リリースは6本、うち完全版が3本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 日曜日。"Independence Boll" と言う3日間のイベントの最終日。Love と Group B が共演。一本勝負。
 14曲目〈Cream Puff War〉が2013年と2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。
 この日が初演とされる曲が4曲。
 7曲目〈Big Boss Man〉、9曲目〈Keep Rolling By〉、15曲目〈Don't Mess Up A Good Thing〉、17曲目〈Gangster Of Love〉。
 〈Big Boss Man〉は1995年07月06日まで計74回演奏。大半は1969年から71年にかけて演奏された。当初はピグペンの持ち歌。元歌は Jimmy Reed の1960年のシングル。クレジットは Al Smith & Luther Dixon。
 〈Keep Rolling By〉は伝統歌。記録に残っているこの曲の演奏はこの日だけ。《The Birth Of The Dead》に疑問符付きでこの年07月17日のものとされる録音が収録されているが、17日のものとされているセットリストには無い。
 〈Don't Mess Up A Good Thing〉もこの日の演奏が最初で最後。同じ録音が《Rare Cuts & Oddities 1966》にも収録されている。原曲は Oliver Sain の作詞作曲で、Fontella Bass and Bobby McClure 名義の1965年のシングル。この2人は当時 Oliver Sain Revue のメンバー。
 〈Gangster Of Love〉もこの日のみの演奏。原曲はジョニー・ギター・ワトソンの作詞作曲で、1957年のシングル。
 Group B というバンドは不明。

2. 1969 Reed's Ranch, Colorado Springs, CO
 木曜日。4ドル。開演8時半。一本勝負。共演アリス・クーパー、Zephyr。
 クローザー前の〈He Was A Friend Of Mine〉が2011年の、7曲目〈Casey Jones〉が2020年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 Zephyr は1969年コロラド州ボールダーで結成された5人組。ギタリスト、トミー・ボーリンの最初のバンドとして知られる。
 アリス・クーパーとデッドが同じステージに立っていたのも時代を感じさせる。この頃のロックは何でもありで、すべて同列だった。

3. 1970 McMahon Stadium, Calgary, AB, Canada
 金曜日。Trans Continental Pop Festival の一環。
 この日は、第一部アコースティック・セット、第二部ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、第三部エレクトリック・セットという構成で、NRPS にはガルシア、ウィア、レシュが入っていた、という証言がある。
 ここでは2日間コンサートがあり、翌日がジャニス・ジョプリンとザ・バンドだった。

4. 1978 St. Paul Civic Center Arena, St. Paul, MN
 月曜日。
 全体が《July 1978: The Complete Recordings》でリリースされた。

5. 1984 Starlight Theatre, Kansas City, MO
 火曜日。13.50ドル。開演8時。
 第二部オープナーの3曲〈Scarlet Begonias> Touch of Grey> Fire On The Mountain〉が2014年と2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 ダブってリリースしたくなるのもわかる演奏だけど、全体を出しておくれ。

6. 1988 Oxford Plains Speedway, Oxford, ME
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演5時。リトル・フィート前座。
 全体が《30 Trips Around The Sun》の1本としてリリースされた。
 第一部〈Bird Song〉の演奏中、パラプレーンないしエンジン付きパラグライダーが飛んできて、会場の上を舞った。やむなくバンドはジャムを切り上げて、セットを仕舞いにした。
 DeadBase XI の John W. Scott によれば、終演後、会場周辺で花火に点火する者が多数いて、中には相当に危険なものもあったそうな。

7. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。26.50ドル。開演5時。
 第二部2・3曲目〈Eyes of the World> Fire On The Mountain〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 上記〈Eyes Of The World〉からガルシアが〈Fire〉のリフを始めたとき、ちょうど陽が山の端に沈んでゆくところだった。バンドがそれに合わせた。
 〈Fire On The Mountain〉は単独での演奏が12回ある。その最後。
 このメドレーはデッドとして一級の演奏で、ガルシアは声を絞りだすように歌うが、出すべきところはきちんと出ている。ギターも細かい音を連ねて面白く、バンドもこれによく反応している。後者への移行は、曲の行方が見えるのを待っているとこれが降りてきたけしき。これを聴いても、全体も良いとわかる。(ゆ)

 なんと、デニス・カヒルが亡くなってしまいました。パディ・モローニの死去にも驚きましたが、こちらはまさしく青天の霹靂。いったい、何があったのか。享年68歳。あたしと1歳しか違わないではないか。死因は公表されていません。やすらかに亡くなった、ということだけ。重い病気ではあったのでしょう。

 いや、しかし、これは痛い。惜しい。The Gloaming はどうなるのだ。その他でもマーティン・ヘイズのプロジェクトには欠かせない人だったのに。ヘイズの喪失感は想像するのも怖いほどですが、単にファンであるこちらも茫然としてしまいます。

 かれのギターはアイリッシュ・ミュージックのギターとして革命的だったけれど、それ以上に、マーティン・ヘイズの音楽を現代の、アイリッシュ・ミュージックの伝統の外の世界とつないだことが大きい。ヘイズのフィドルもまたカヒルのギターを受けて、伝統のコアにしっかり根を下ろしながら、なおかつ同時に現代の、最先端の音楽にもなりえていました。《Live In Siattle》に捉えられた30分のメドレーはカヒルのギターがなくては生まれなかったでしょう。The Gloaming でバートレットのピアノとヘイズのフィドル、オ・リオナードの歌をカヒルのギターがつないでいます。

 それはカヒル本人の精進の賜物でしょう。かれ自身、アイルランドの音楽伝統の外から入ってきて、その最もコアに近いものの一つであるヘイズのフィドルに真向から、愚直に向き合うことで、外と内をつなぐ術を編み出し、身につけていったと思われます。かれは自分が伝統のコアそのものになれないことを承知の上で、あえてそこと自分のいる外をつなぐことに徹したと見えます。こういう人はやはり稀です。

 アイリッシュ・ミュージックに魅せられた人間は、たいてい、そのコアに入ることを目指します。それが不可能だとわかっていても目指します。そうさせるものがアイリッシュ・ミュージックにはあります。カヒルもおそらくその誘惑にかられたはずです。しかし、どうやってかその誘惑を斥けて、つなぐことに徹していました。あるいはギターという楽器の性格が後押しをしていたかもしれない。それにしてもです。

 The Gloaming や Martin Hays Quartet がどう展開してゆくかは、とても愉しみにしていたのですが、カヒルが脱けるとなると、活動そのものが停止するのではないかと危惧します。

 人が死ぬのは常、とわかっているつもりでも、なんで、いま、あなたが死ぬのだ、とわめきたくなることはあります。ご冥福を、などとも言いたくない時があるものです。あたしなどがうろたえてもどうしようもありませんが、なんともショックです。(ゆ)

06月16日・木
 ニュースを追いかけているわけでもないのに BTS の活動停止の話は否応なく耳目に入ってくる。ポピュラー音楽の1グループが解散するわけでもない、活動停止するというだけで、一般のニュースとして流れるというのも珍しいことだろう。

 これを聞いてあたしが連想したのはグレイトフル・デッドの hiatus、あたしが「大休止」と呼んでいる時期のことだ。デビューから10年近く経った1974年11月から1976年05月までの1年7ヶ月、バンドとしてのツアーをやめたのだ。この間にグレイトフル・デッドのメンバーが揃って行なったショウは1975年の4本だけである。

 この大休止によってデッドは溜まっていた各種の負債を整理し、新たな創造力をとりもどし、充電したエネルギーをもって、前人未踏の音楽を生み出してゆく。活動再開した1976年から1977年、1978年は、グレイトフル・デッドがバンドとして最も実り多い、最も幸福な時期だ。この大休止のおかげで、デッドはその後1995年まで、疾走し続けることができた。

 一方、ジェリィ・ガルシア、ボブ・ウィア、ミッキー・ハートを初めとして、メンバーはそれぞれソロ活動に精を出す。その成果は復帰後の音楽だけでなく、ツアーの方法論の改善にも大きく貢献する。

 もちろん、デッドと BTS では天の時も地の利もまるで異なるわけだが、バンドとしての活動がメンバーの意図を超えて暴走しはじめ、自分たちが何をやっているのかわからなくなったために、とにかく一度止まることにした、という点は共通している。

 この場合、ポイントとなるのは、バンドとしての活動を停止することを、バンド自身がイニシアティヴをとって決め、実行したことだ。外的要因、ありていにいえば、お呼びがかからなくなって、ツアーをしようにもできなくなったわけではない。何らかのスキャンダルから逃げるためでもない。レコード会社のプロモーション戦略の一環でもない。

 1974年当時のデッドはすでにアメリカ最高のライヴ・バンドの一つとしての地位を確立して、人気は右肩上がりだった。そこで止まるということは、途方もなく大きなエネルギーを必要としたにちがいない。不安といえば、バンド自身、当のメンバーたちが最も不安だったろう。かれらにとっては、バンドでライヴ演奏をすることが、とにもかくにも、どんなことよりも大事なことだったのだ。

 その不安を乗り越え、様々な圧力に耐え、小さくない犠牲を払いながらも、とにかく止めた。後からみれば、それによって得たものは、表現不能なまでに大きなものだった。大休止から復帰したグレイトフル・デッドは、コアの部分はそのままに、まったく新たなバンドとして生まれ変わる。

 アルテスの鈴木さんがハマったというので、BTS の名は知っていたし、いずれそのうち、と思ってはいたが、こうなるとあらためて興味が湧いてくる。あるいはむしろ、かれらが無事復帰するか、できたとしてどう変わっているかは、結構気になる。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月16日には1974年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本。

1. 1974 State Fairgrounds, Des Moines, IA
 日曜日。6.50ドル。三部構成。第一部からクローザー前の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉、第二部の全部が《Road Trips, Vol. 2, No. 3》で、第三部から6曲がそのボーナス・ディスクでリリースされた。半分強がリリースされたことになる。

2. 1985 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。15ドル。開演3時。
 第二部6曲目、drums 直前で〈Cryptical Envelopment〉が13年ぶりに復活。この後、この年09月まで4回演奏されて、完全引退する。この曲は〈The Other One〉の原形である組曲〈That's It for the Other One〉の最初と最後のパート。ここでは〈The Other One〉に続く形で演奏された。

3. 1990 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時。
 《View From The Vault III》で DVD と CD で全体がリリースされた。
 このヴェニューはビル・グレアムが設計し、真上から見ると、デッドのロゴの頭蓋骨をかたどっている。柿落しもデッドの予定だったが、ガルシアの昏睡でパーになり、替わりにフリオ・イグレシアスにお鉢が回った。グレアムが設計しただけあって、音響も良く、トイレの数が多く、いろいろな意味で良い会場だそうだ。

4. 1991 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。25ドル。開場5時、開演7時。リトル・フィート前座。
 全体が《Giants Stadium 1987, 1989, 1991》でリリースされた。
 とにかく暑い日で、リトル・フィートも良かったそうだ。

5. 1993 Freedom Hall, Louisville, KY
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。24.50ドル。開演7時。
 第二部が良い由。(ゆ)

06月15日・水
 UK の音楽雑誌 The Living Tradition が次号145号をもって終刊すると最新144号巻頭で告知。無理もない。これまでよくも続けてくれものよ。ご苦労様。



 この雑誌の創刊は1993年で、Folk Roots 後の fRoots がその守備範囲をブリテン以外のルーツ・ミュージックにどんどんと拡大していったためにできた空白、つまりブリテン島内のルーツ・ミュージックに対象を絞った形だった。これは正直ありがたかったから飛びついた。

 加えてここは CD の通販も始めて、毎号、推薦盤のリストも一緒に送ってきたから、それを見て、ほとんど片端から注文できたのもありがたかった。これでずいぶんと新しいミュージシャンを教えられた。The Tradition Bearers という CD のシリーズも出した。かつての Bill Leader の Leader Records の精神を継承するもので、音楽の質の高さはどれも指折りのものだったから、これまた出れば買っていた。優れたシンガーでもある編集長 Pete Heywood の奥さん Heather Heywood のアルバムも1枚ある。

 本拠はグラスゴーの中心部からは少し外れたところだが、カヴァーするのはスコットランドだけでなく、イングランドやアイルランドまで拾っていた。ウェールズもときたまあった。アルタンやノーマ・ウォータースンのようなスターもいる一方で、地道に地元で活動している人たちもしっかりフォローしていた。セミプロだったり、ハイ・アマチュアだったりする人も含まれていた。

 こういうメディアは無くなってみると困る。紙の雑誌はやはり消え去る運命にあるのだろう。fRoots もそうだったが、この雑誌も電子版までは手が回らなかったようだ。FRUK のように、完全にオンラインでやるのではなくても、紙版をそのまま電子版にして、定期購読を募る道もあったのではないか、と今更ながら思う。その点では英国の雑誌はどうも上手ではない。もっとも音楽誌はそういう形は難しいのだろうか。

 とまれ、30年続けたということは、ピートもヒーザーももうかなりのお年のはずで、確かに次代にバトンを渡すのも当然ではある。まずは、心から感謝申し上げる。ありがとうございました。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月15日には1967年から1995年まで、8本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1967 Straight Theater, San Francisco, CA
 木曜日。このショウが実際にあったかどうかは疑問視されている。
 この頃のショウは、テープ、実際に見た人の証言、ポスター、チケット、新聞・雑誌などに出た広告や記事などから推定されている。あるいは今後、UCサンタ・クルーズの The Grateful Dead Archives の調査・研究から初期数年間の活動の詳細が明らかになるかもしれない。もっとも未だに出てきていないところを見ると、バンド自らがいつ、どこで、演ったかのリストを作っていたわけではどうやら無いようだ。メンバーや周囲の人間でそういうリストを作りそうなのはベアことアウズレィ・スタンリィだが、かれも録音はして、それについての記録はとっても、自分が録音しなかった、できなかったものについての記録はとっておらず、その証言は記憶に頼っているようにみえる。

2. 1968 Fillmore East, New York, NY
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。4ドル。早番、遅番があり、遅番ショウの開演8時。セット・リスト不明。

3. 1976 Beacon Theatre, New York, NY
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。《June 1976》で全体がリリースされた。

4. 1985 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。15ドル。開演5時。
 DeadBase XI の Phil DeGuere によれば、三連荘は中日がベストになることが多いそうで、これもその一つ。ガルシアのギターが凄かったそうだ。

5. 1990 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。31.50ドル。開演7時。
 第一部が特に良い由。

6. 1992 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。26.50ドル。開演7時。
 良いショウで、スパイク・リーが客席にいた。この晩、月蝕があったそうな。

7. 1993 Freedom Hall, Louisville, KY
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。

8. 1995 Franklin County Airport, Highgate, VT
 木曜日。37.25ドル。開演6時。ボブ・ディラン前座。
 夏のツアーの最後のレグ、07月09日シカゴまでの15本のスタート。ガルシアの状態はひどく、出来は最低という評価はおそらく「客観的」には妥当なところだろう。一方で、これが最初のショウである人びとにとっては、忘れがたい、貴重な記憶、宝物となっている。加えて、〈Box of Rain〉が Space の次に歌われたのは全部で4回しかなく、これがその最後の4回目になるそうだ。
 前座のディランはすばらしかった。
 DeadBase XI の John W. Scott のレポートは音楽そのものよりも、聴衆の質のひどさに幻滅している。チケットを持たず、持つ意志もない連中が多数詰めかけてフェンスを押し倒して入りこんだ。そうして入った連中はマナーもへったくれもなく、いうなれば「デッドヘッドの風上にも置けない」連中で、時に「フェイク・ヘッド」と呼ばれるような人間だったようだ。フェンスが押し倒されたとき、その支柱が何本か、トイレの個室の上に倒れ、中に閉じこめられた人びとが何人もいたという。(ゆ)

06月04日・土
 Tina Jordan Rees, 《Beatha》CD着。



 ランカシャー出身でリマリックでアイルランド伝統音楽を学び、現在はグラスゴーをベースに活動する人。フルートがメインでホィッスル、ピアノもよくする。これまでにも4枚、ダンス・チューンのアルバムを出しているが、今回は全曲自作で、ギター、ベース、バゥロンのサポートを得ている。初めクラウドファンディングで資金集めをした時に参加したから、先立ってファイルが来て、今回ようやくブツが来る。正式な一般発売は今月24日。

 中身はすばらしい。この人、作曲の才能があって、曲はどれも面白い佳曲揃い。中には名曲となりそうなものもある。楽器の腕も確かだし、明るく愉しく演奏するから、聴いていて気分が昂揚してくる。タイトルはアイルランド語、スコティッシュ・ゲール語の双方で「いのち」を意味する由。

 CD には各曲の背景も書かれていて、中には香港やタイのプーケット島に観光に行った印象を元にした曲もある。タイトル・チューンはやはりパンデミックがきっかけだろう。あたしもパンデミックをきっかけにあらためて「いのち」を身近に感じるようになった。

 このタイトルの発音は今一よくわからないが、デッドの定番ナンバー〈Bertha〉に通じるのがまた楽しい。こちらはデッドのオフィスで、スイッチが入ると勝手にあちこち動きまわる癖があった古い大型の扇風機の愛称。曲も明るく、ユーモラスな曲で、ショウのオープナーによく演奏される。「バーサ」がやってくるのは縁起が良いとされていて、「バーサ、きみはもうぼくのところへは来てくれないのか」と呼びかける。

 リースはこれから愉しい音楽をたくさん聴かせてくれるだろう。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月04日には1966年から1995年まで7本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続のの2日目。開演9時。共演クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、マザーズ。セット・リスト不明。

2. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 日曜日。このヴェニュー10日連続の4日目。セット・リスト不明。

3. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー4日連続のランの初日。3ドル。Southern Comfort、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。
 第一部はアコースティック・デッド、第二部がエレクトリック・デッド。間にニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジのセットが入るのがこの時期の形。
 Southern Comfort はイアン・マシューズのあのバンドだろう。この年デビュー・アルバムを出している。
 第二部終り近く、ガルシアが客席に、俺たちがこれまでやったことのある曲で聴きたいものはあるかと訊ねた。〈It's All Over Now, Baby Blue〉と叫ぶと、レシュが指差して、笑みを浮かべた。という証言がある。アンコールがこの曲。

4. 1976 Paramount Theatre, Portland, OR
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 第一部11曲目で〈Mission In The Rain〉がデビュー。ハンター&ガルシアの曲。この月の29日シカゴまで5回だけ演奏され、その後はジェリィ・ガルシア・バンドのレパートリィとして演奏された。スタジオ盤はガルシアのソロ《Reflections》収録。

5. 1977 The Forum, Inglewood, CA
 土曜日。5.50, 6.50, 7.50ドル。開演7時。
 春のツアーとウィンターランド3日間の間に、ぽつんと独立したショウではあるが、出来としてはその両者と肩を並べる由。とりわけ第二部後半。

6. 1978 Campus Stadium, University Of California, Santa Barbara, CA
 日曜日。9.75ドル。開演12時。
 アンコール2曲目〈Sugar Magnolia〉が2010年の、第一部クローザー〈Jack Straw〉が2012年の、その一つ前〈Tennessee Jed〉が2019年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。どれも録音が良い。
 〈Jack Straw〉のクローザーは珍しい。
 第二部 Space でステージの上でオートバイが排気音を出した。
 Wah-Koo というバンドがまず演奏し、次にエルヴィン・ビショップが出てきて、そのアンコールでガルシアと Wah-Koo のリード・ギタリストが参加して、各々ソロをとった。次がウォレン・ジヴォン、そしてデッド。

7. 1995 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演5時。第一部6・7曲目〈Mama Tried> Mexicali Blues〉でウィアはアコースティック・ギター。
 ベイエリア最後のショウで、これが最後に見たショウになった人は多い。この時点では、まだ2ヶ月後にガルシアが死ぬことは誰にもわかっていないが、アンコール〈Brokedown Palace〉を歌うガルシアは自らの挽歌を歌っていたように見えたという。(ゆ)

06月03日・金
 カードが落ちないよと Tidal からメール。Tidal のアプリからサイトに行き、カードを更新しようとするが、郵便番号が正しくないとはじかれる。PayPal の選択肢があるのでそちらにするとOK。

 Bandcamp Friday とて散財。今回は Hannah Rarity、Stick In The Wheel、Maz O'Connor、Nick Hart 以外は全部初お目見え。
Hannah Rarity, To Have You Near
Fellow Pynins, Lady Mondegreen
Fern Maddie, Ghost Story
Fern Maddie, North Branch River
Iain Fraser, Gneiss
Stick In The Wheel, Perspectives on Tradition, CD と本。
Isla Ratcliff, The Castalia
Maz O'Connor, What I Wanted (new album)
Ceara Conway, CAOIN
Nick Hart Sings Ten English Folk Songs
Kinnaris Quintet, This Too
Mama's Broke, Narrow Line
Inni-K, Inion
Leleka, Sonce u Serci
Linda Sikhakhane, An Open Dialogue (Live in New York)
Linda Sikhakhane, Two Sides, One Mirror
Lauren Kinsella/ Tom Challenger/ Dave Smith


%本日のグレイトフル・デッド
 06月03日には1966年から1995年まで、5本のショウをしている。公式リリース無し。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演9時。共演クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、マザーズ。
 おたがいのステージに参加したわけではないだろうが、デッドとザッパが同じ日に同じステージに立っている。
 ザッパのインタヴュー集が出ているが、まあ、やめておこう。デッドだけで手一杯。茂木が訳したら読んでみるべ。

2. 1967 Pritchard Gym, State University Of New York, Stony Brook, NY
 土曜日。Lost Live Dead のブログへのロック・スカリーのコメントによれば、ニューヨークに着いてホテルにチェックインするところでおそらく保証金としてだろう、1,500ドルをとられた。これはツアーの費用のつもりだったから、カネが必要になり、Cafe Au Go Go から前借りをした。そこで半ばこっそりと、半ば資金調達のために組んだのがこのショウ。
 デニス・マクナリーの公式伝記によれば、このショウを組んだのはカフェ・ア・ゴーオーのオーナー Howard Solomon とストーニーブルックの学生活動委員会の委員長 Howie Klein。なのでスカリーが「こっそり stealth」というのはどういう意味か、よくわからない。
 ストーニーブルックはマンハタンからロングアイランドを東へ80キロほど行った街。島のほぼ中央の北岸になる。
 ソロモンは西海岸のシーンに共感していて、多数のバンドをニューヨークへ呼ぶことになる。
 クラインは学内のラジオ局で DJ をしており、また学生組織の長でロック雑誌 Crawdaddy! 編集長の Sandy Pearlman とも親しかった。クラインはデッドのファーストを大いに気に入り、これを強力にプッシュしていた。そのおかげもあってか、ロングアイランドは後にデッドにとって強固な地盤となる。
 とまれ、このショウはデッドにとって東海岸で初めて収入を伴うショウとなり、マクナリーによれば750ドルを稼いだ。マクナリーはこの数字をどこから得たか書いていないが、デッドのことだからこの時の収入やかかった費用を記した書類があるのだろう。
 この1967年06月を皮切りに、デッドは頻繁にニューヨークに通って、ショウを重ね、やがてニューヨークはサンフランシスコに次ぐ第2のホームタウンとなり、ファンの絶対数ではサンフランシスコを凌ぐと言われるようになる。このシスコ・ニューヨーク間の移動は当然飛行機によるが、バンドやクルー、スタッフなどおそらく20人は下らないと思われる一行がその度に飛行機で飛ぶことになる。当時の航空便の料金はそういうことが年に何度もできるほど安かったわけだ。今、同じことをしようとすれば、とんでもない額のカネがかかり、駆け出しのロック・バンドには到底不可能だろう。インターステイト(フリーウェイ)・システムとガソリン料金の安さと合わせて、アメリカの交通インフラの条件がデッドに幸いしている。
 おそらく、デッドだけではなく、1960年代から70年代にかけてのアメリカのポピュラー・アクトの発展には、移動コストがきわめて安かったことが背景にあるはずだ。

3. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 土曜日。このヴェニュー10日連続のランの3日目。セット・リスト不明。

4. 1976 Paramount Theatre, Portland, OR
 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。1974年10月20日以来、1年8ヶ月ぶりにツアーに復帰したショウ。この間1975年には4本だけショウをしているが、いずれもベネフィット・コンサートへの参加や少数の招待客だけを相手にしたもの。ここで2本連続でウォームアップをした後、09日から東部とシカゴのツアーに出る。
 再生したバンドの新たな出発で、この日初演された曲が5曲。
 まずいきなりオープナーの〈Might As Well〉が初演。ハンター&ガルシアの曲で、1994-03-23まで計111回演奏。1970年のカナダの南端を東から西へ列車で移動しながらのコンサートとパーティー通称 Festival Express へのハンターからのトリビュート。スタジオ盤はガルシアの3作目のソロ・アルバム《Reflections》収録。
 第一部6・7曲目の〈Lazy Lightnin’> Supplication〉。どちらもバーロゥ&ウィアの曲。この2曲は最初から最後までほぼ常にペアで演奏され、1984-10-31まで114回演奏。後者は後、1993-05-24に一度独立で演奏される。この曲をベースにしたジャムは1985年以降、何度か演奏されている。スタジオ盤はやはりペアで、ウィアが参加したバンド Kingfish のファースト《Kingfish》所収。
 第二部オープナーで〈Samson And Delilah〉。伝統歌でウィアがアレンジにクレジットされている。録音により、ブラインド・ウィリー・ジョンソンやレヴェレンド・ゲイリー・デイヴィスが作者とされているケースもある。最も早い録音は1927年03月の Rev. T.E. Weems のものとされる。同年に少なくとも4種類の録音が出ている。ただし12月に出た2種は名義は異なるがブラインド・ウィリー・ジョンソンによる同じもの。デッドは1995-07-09まで363回演奏。演奏回数順では23位。〈Eyes of the World〉より18回少なく、〈Sugaree〉より2回多い。復帰後にデビューした曲としては〈Estimated Prophet〉の390回に次ぐ。スタジオ盤は《Terappin Station》収録。カヴァー曲でスタジオ盤収録は珍しい。
 アンコールの〈The Wheel〉も初演。ハンターの詞にガルシアとビル・クロイツマンが曲をつけた。1995-05-25まで258回演奏。演奏回数順で55位。〈Morning Dew〉より1回少なく、〈Fire on the Mountain〉より6回多い。歌詞からは仏教の輪廻の思想を連想する。スタジオ盤はガルシアのソロ・ファースト《Garcia》。このアルバムの録音エンジニア、ボブ・マシューズによれば、一同が別の曲のプレイバックを聴いていたときに、ハンターは1枚の大判の紙を壁に当てて、この曲の詞を一気に書いた。
 20ヶ月の大休止はバンドの音楽だけでなく、ビジネスのやり方においても変化をもたらした。最も大きなものはロッキーの東側のショウをこれ以後 John Scher が担当するようになったことだ。ロッキーの西側は相変わらずビル・グレアムの担当になる。
 シェアは大休止中にジェリィ・ガルシア・バンドのツアーを担当したことで、マネージャーのリチャード・ローレンと良い関係を結び、2人はよりスムーズでメリットの多いツアーのスタイルを編み出す。これをデッドのツアーにもあてはめることになる。(McNally, 494pp.)
 ショウ自体は新曲の新鮮さだけでなく、〈Cassidy〉や〈Dancin' on the Street〉など久しぶりの曲にも新たな活力が吹きこまれて、全体として良いものの由。オープナーの曲が始まったとたん、満員の1,500人の聴衆は総立ちとなって踊りくるったそうな。

5. 1995 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時。第一部クローザー〈Eternity〉でウィアがアコースティック・ギター。(ゆ)

05月31日・火
 GrimDark Magazine のオリジナル・アンソロジー The King Must Fallがついに完成して、電子版が配布された。Kickstarter で支援したのが去年の7月だから、ほとんど1年かかった。全部で19篇。結構長いものもいくつかあるらしい。

 巻頭に言語についての断り書きがある。著者の言語、オーストラリア英語、アメリカ英語、カナダ英語、UK英語をそのままにしてある。スペルや語彙だけではない、語法なども少しずつ違うわけだ。まだここにはインド英語や南アフリカ英語、シンガポール、フィリピン、ジャマイカ英語は無い。すでに南アフリカ、シンガポールやフィリピン、カリブ海地域出身の作家は出てきているが。

 早速、冒頭の1篇 Devin Madson, What You Wish For を読む。なるほど巻頭を飾るにふさわしい力作。王は倒さねばならない。しかし、倒したその後に来るものは、必ずしも来ると信じたものではない。著者はオーストラリアのメルボルン在住。2013年に自己出版で始め、これまでに三部作1本、その次のシリーズが3冊あり、4冊目が来年春予定。ノヴェラがオーレリアスのベスト・ノヴェラを獲っている。これなら他も読んでみよう。オーストラリアは気になっている。


 Folk Radio UK ニュースレターからのビデオ視聴続き。残りを片付ける。

Silver Dagger | Fellow Pynins
 すばらしい。これもオールドタイム・ベースで、独自の音楽を作っている。オレゴンのデュオ。

 

The Magpie Arc - Greenswell
 こりゃあ、すばらしい。さすが。アルバムはまだか。
 


"Hand in Hand" - Ian Siegal featuring Shemekia Copeland
 いいねえ。こういうの。ブルーズですね。
 

The Slocan Ramblers /// Harefoot's Retreat
 新しいブルーグラス、というところか。つまりパンチ・ブラザーズ以降の。いや、全然悪くない。いいですね。
 

The Sea Wrote It - Ruby Colley
 ヴァイオリン、ウードとダブル・ベースによる伝統ベースのオリジナル。これもちょと面白い。楽器の組合せもいいし、曲も聴いているうちにだんだん良くなる。
 

Josh Geffin - Hold On To The Light
 ウェールズのシンガー・ソング・ライター。だが、マーティン・ジョゼフよりも伝統寄り。繊細だが芯が通り、柔かいが粘りがある。面白い。
 

Noori & His Dorpa Band — Saagama
 スーダンの紅海沿岸のベジャという地域と住民の音楽だそうだ。中心は大きな装飾のついたエレクトリック・ギターのような音を出す楽器で、これにサックス、ベース、普通のギター、パーカッションが加わる。雰囲気はティナリウェンあたりを思わせるが、もっと明るい。ミュージシャンたちは中心のギタリストを除いて、渋い顔をしているけれど。このベジャの人びとがスーダン革命の中核を担い、この音楽がそのサウンドトラックだそうだ。基本的には踊るための音楽だと思う。これも少なくともアルバム1枚ぐらいは聴かないとわからない。まあ、聴いてもいいとは思わせる。動画ではバンドを見下ろしている神か古代の王の立像がいい感じ。



%本日のグレイトフル・デッド
 05月31日には1968年から1992年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。チャーリー・マッセルホワイト、ペトリス共演。セット・リスト不明。

2. 1969 McArthur Court, University of Oregon, Eugene, OR
 土曜日。2.50ドル。開演8時。Palace Meat Market 前座。セット・リストはテープによるもので、第二部はひどく短いので、おそらく途中で切れている。ただしアンコールは入っている。それでもトータル2時間半超。

3. 1980 Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN
 土曜日。すばらしいショウの由。セット・リストを見るだけで興奮してくる。とりわけ第二部後半。
 SetList.com のコメントにあるように、デッドの何がそんなに魅力的なのか、わからない。しかし、たくさんの人びとがテープを1本聴いてこのバンドに捕えられ、ショウを1回見て人生が変わっている。バンドが解散してから何年もたっても、かつてのファンの熱気は衰えないし、新たなファンを生んでいる。実際、あたしがハマるのもバンド解散から17年経ってからだ。いくら聴いても飽きないし、新たな発見がある。不思議としか言いようがないのだが、とにかく、グレイトフル・デッドの音楽は20世紀アメリカが生んだ最高の音楽である、マイルス・デイヴィスもデューク・エリントンもフランク・ザッパもジョニ・ミッチェルもレナード・バーンスタインもジョージ・コーハンもプレスリーもディランも勘定に入れて、なおかつ最高の音楽であることは確かだ。

4. 1992 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。23.50ドル。開演2時。第二部クローザーにかけて〈Spoonful> The Other One> Morning Dew〉にスティーヴ・ミラーが参加。DeadBase XI の Rob Winkler のレポートによればミラーはアンコールにも出ている。
 実に良いショウの由。ビデオもあるそうだ。3日間の中で最も暑い日で、雷雲のかけらも無く、スタジアムの周囲にスプリンクラーが置かれたか、会場のスタッフが時々ホースで観客の上に水を撒いた。ショウも3日間で最もホット。ミラーのギターも良いそうな。(ゆ)

05月29日・日
 合間を見て、Folk Radio のニュースレターで紹介されているビデオを視聴する。AirPods Pro は便利だ。

 まずはこのカナダはブリティッシュ・コロンビアの夫婦デュオ。新譜が Folkways から出るそうで、昨年秋、ブリティッシュ・コロンビアの本拠で撮ったビデオ2本。オールドタイムをベースにしているが、そこはカナダ、一味違う。旦那は使うバンジョーに名前をつけているらしく、歌の伴奏は「クララ」、インストルメンタルは「バーディー」。それにしても夫婦の声の重なりの美しさに陶然となる。新譜は買いだが、Bandcamp で買うと Folkways は FedEx で送ってくるから、送料の方が本体より高くなる。他をあたろう。

Pharis & Jason Romero - Cannot Change It All (Live in Horsefly, BC)



Pharis & Jason Romero - Old Bill's Tune (Live in Horsefly, BC)




 次に良かったのがこれ。
Lewis Wood - Kick Down The Door; Kairos (ft. Toby Bennett)



 イングランドのトリオ Granny's Attic のフィドラーのソロ・アルバムから。踊っているのはクロッグ・ダンシングのダンサー。クロッグは底が木製の靴で踊るステップ・ダンスでウェールズや北イングランドの石板鉱山の労働者たちが、休憩時間のときなどに、石板の上で踊るのを競ったのが起源と言われる。クロッグは1920年代まで、この地方の民衆が履いていたそうな。今、こういうダンサーが履いているのはそれ用だろうけれど。
 もうすぐ出るウッドの新譜からのトラックで、場所はアルバム用にダンスの録音が実際に行われたサウサンプトンの The Brook の由。
 ウッドはダンサーに敬意を表してか、裸足でいるのもいい感じ。
 Granny's Attic のアルバムはどれも良い。

Kathryn Williams - Moon Karaoke



 曲と演奏はともかく、ビデオが Marry Waterson というので見てみる。ラル・ウォータースンの娘。この人、母親の衣鉢を継ぐ特異なシンガー・ソング・ライターだが、こういうこともしてるんだ。このビデオはなかなか良いと思う。こういう動画はたいてい音楽から注意を逸らしてしまうものだが、これは楽曲がちゃんと聞えてくる。
 その楽曲の方はまずまず。フル・アルバム1枚聴いてみてどうか。


Tamsin Elliott - Lullaby // I Dreamed I was an Eagle



 ハープ、シターン、ヴィオラのトリオ。曲はハーパーのオリジナル。2曲目はまずまず。これもアルバム1枚聴いてみてどうかだな。

 今日はここまでで時間切れ。


%本日のグレイトフル・デッド
 05月29日には1966年から1995年まで7本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 California Hall, San Francisco, CA
 日曜日。「マリファナ禁止を終らせよう」運動ベネフィット・ボールと題されたイベント。シャーラタンズ共演。2ドル。開演9時。セット・リスト不明。

2. 1967 Napa County Fairgrounds, Napa, CA
 月曜日。DeadBase XI 記載。Project Hope 共演、とある。セット・リスト不明。
 Project Hope は不明。

3. 1969 Robertson Gym, University Of California, Santa Barbara, CA
 木曜日。"Memorial Day Ball" と題されたイベント。Lee Michaels & The Young Bloods 共演。開演8時。
 テープでは70分強の一本勝負。クローザー前の〈Alligator〉の後、1人ないしそれ以上の打楽器奏者が加わって打楽器のジャムをしている。ガルシア以外のギタリストがその初めにギターの弦を叩いて打楽器として参加している。途中ではガルシアが打楽器奏者全体と集団即興している。また〈Turn On Your Lovelight〉でも、身許不明のシンガーが参加しているように聞える。内容からして、この録音は05-11のものである可能性もあるらしい。
 内容はともかく、どちらもポスターが残っているので、どちらも実際に行われとことはほぼ確実。

4. 1971 Winterland Arena, San Francisco, CA
 土曜日。2ドル。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 4曲目で〈The Promised Land〉がデビュー。1979-07-09まで434回演奏。演奏回数順で11位。オープナー、クローザー、アンコール、第一部、第二部、どこにでも現れる万能選手。記録に残るものではこれが初演だが、The Warlocks 時代にも演奏されたものと思われる。原曲はチャック・ベリーの作詞作曲で1964年12月にシングルでリリースされた。キャッシュボックスで最高35位。1974年02月、エルヴィス・プレスリーがリリースしたシングルはビルボードで最高14位。The Band がカヴァー集《Moondog Matinee》に入れている。ジェリー・リー・ルイスが2014年になってカヴァー録音をリリースしている。その他、カヴァーは無数。

5. 1980 Des Moines Civic Center, Des Moines, IA
 木曜日。14ドル。開演7時。

6. 1992 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。23.50ドル。開演2時。
 第二部3曲目〈Looks Like Rain〉が異常に長く、終る頃、本当に雨が降ってきた。非常に良いショウの由。数えた人によれば、この5月、7本のショウで97曲の違う曲を演奏している。このショウだけでも、それ以前の6本では演奏しなかった曲を8曲やっている。ショウ全体では Drums, Space を入れて19曲。ニコラス・メリウェザーによればこの年のレパートリィは134曲。デッドはステージの上でその場で演る曲を決めている。つまり、いつでもその場でほいとできる曲が134曲だった。

7. 1995 Portland Meadows, Portland, OR
 月曜日。28ドル。開演2時。このヴェニュー2日連続の2日目。チャック・ベリー共演。前日よりも良いショウの由。(ゆ)

05月27日・金
 リアム・オ・フリンの使っていたイリン・パイプはレオ・ロウサムから受け継いだもので、リアムの死後、どうなったのだろうと思っていたら、こんなところにあった。



 Colm Broderick & Patrick Finley - Achonry Lasses/Crooked Road to Dublin

 Colm Broderick の使っている楽器がそのユニットで、今は Na Piobairi Uilleann が管理しているらしく、Broderick に永久貸与されているそうな。かれがいかに将来を嘱望されているか、わかろうというものではある。

 ついでにというわけではないが、スコットランドの若手フィドラーの動画。ケープ・ブレトンに4ヶ月、滞在した間に習ったものの由。相棒のチェロがいい感じ。



The Three Mile Bridge' - Isla Ratcliff


##本日のグレイトフル・デッド
 05月27日には1965年から1993年まで3本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1965 Magoo's Pizza Parlor, Menlo Park, CA
 木曜日。この頃はまだ The Warlocks の名乗り。DeadBase XI 記載のデータ。セット・リスト不明。

2. 1989 Oakland-Alameda County Coliseum Stadium, Oakland, CA
 土曜日。開演3時。"In Concert Aganist AIDS" と題された7日間のイベントの中の1日。デッドがヘッドライナーで、共演はジョン・フォガティ、トレイシー・チャップマン、ロス・ロボス、タワー・オヴ・パワー。スザンヌ・ヴェガとジョー・サトリアーニも出たという。また第一部5曲目〈Iko Iko〉から第二部4曲目 Drums 前の〈Truckin'〉までクラレンス・クレモンスが参加。ジョン・フォガティのステージにガルシアとウィアが参加した。クレモンスはフォガティのステージにも参加した由。
 第二部3曲目〈Blow Away〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 Fantasy Records が CCR との契約を盾にとって、フォガティが CCR時代の自分のオリジナルを歌うのを禁止しようとしたため、フォガティは10年以上にわたって法廷闘争をして、ようやく自分の歌を歌う権利を回復したところだった。かれはハイト・アシュベリー時代に、選挙権登録促進集会でガルシアと共演したことがあるとコメントした。フォガティの後ろでガルシアはにこにこしながら踊りまわり、〈Midnight Special〉のクライマックスで独得のフレーズを放ったから、フォガティはくるりと振り返ると "Oh, what a LICK!" とマイクに叫んだ。
 デッドのステージはすばらしく、ツェッペリンとサバスで育った1人の青年を熱心なデッドヘッドに変えた。

3. 1993 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。24.50ドル。開演7時。
 第一部オープナー〈Shakedown Street〉から6曲目〈When I Paint My Masterpiece〉まで、4曲目〈Beat It On Down The Line〉を除いて《Road Trips, Vol. 2, No. 4》で、第二部オープナー〈Picasso Moon〉から6曲目 Drums 前の〈Cassidy〉までとアンコール〈Gloria〉が、3曲目〈Wave To The Wind〉を除いて《Road Trips, Vol. 2, No. 4 Bonus Disc》で、リリースされた。全体の約半分強にあたる。(ゆ)

05月25日・水
 Cormac Begley から新譜《B》のブツが到着。Bandcamp で買ったので、音源はすでにファイルの形で来ている。ブツを見て、んー、これは見たことがあるなあ、と調べてみると、同じベグリィの前作2017年の《Cormac Begley》がすでにこのコンサティーナの六角形の蛇腹の形のスリーブを採用している。今回は Bass & baritone consertina でひと回り大きい。やはり片側に内部の写真とライナー、反対側に曲解説。まあ、わかりやすいね。CD棚でもひときわ目立つ。しかし、この大きさだと、普通の CD棚には入らない。そこらに重ねておくしかない。
 
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##本日のグレイトフル・デッド
 05月25日には1966年から1995年まで8本のショウをしている。公式リリースは完全版2本。

1. 1966 Unknown Venue, San Francisco, CA
 水曜日。共演シャーラタンズ。とされているが、DeadBase XI では05-29かもしれない、としている。そちらもシャーラタンズ共演で、ポスターが残っている。

2. 1968 National Guard Armory, St. Louis, MO
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

3. 1972 Strand Lyceum, London, England
 木曜日。このヴェニュー4日連続のランの3日目。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。
 このツアーでの一つの決まりは第一部はガルシア、ウィア、ピグペン各々の持ち歌を交互にやることだ。ガルシアの曲で始めれば、次はウィアの曲、次はピグペン、次はまたガルシアという具合で、ツアーを通してこれを維持している。ひょっとすると、ピグペンがこの後バンドにいられるのも、それほど長くないと他のメンバーが覚悟していたものか。とまれ、このパターンはうまく働いて、ショウにリズムを生み、全体の質を上げる要因にもなっている。
 ここでは3周目で〈Jack Straw〉〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉の次がウィアの〈Me and Bobby McGhee〉で崩れるが、その後の〈Good Lovin'〉は15分を超えて、このツアーのベストの集団即興を生みだす。この曲ではガルシアがオルガンを弾いたりもする。これはちょっと面白いことで、デッドの音楽には鍵盤が不可欠なのだ。デッドヘッドの一部には、いわゆるコアの5人が真のデッドで、鍵盤奏者は付録のように見なす態度があるが、これは贔屓の引き倒しというものだ。自分たちの音楽に鍵盤が必要であることを、ガルシアも他のメンバーもわかっていて、だからこそ、ピグペンが常時出られなくなるとキースを入れたし、キースが抜けた後も、ミドランドが急死した時も、次の鍵盤奏者の準備ができるまではショウをしなかった。
 次の〈Playing In The Band〉は、ますます集団即興が深まって、ガルシアはほとんど何もやっていないようなのに、音楽そのものはすばらしい。
 ガルシアのギターは第二部に入ると俄然良くなり、面白いソロを頻発する。とりわけ〈Chinatown Shuffle〉〈Uncle John's Band〉〈Comes A Time〉〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉はベスト・ヴァージョン級。珍しや〈Sittin' On Top Of The World〉では、原始デッド時代との差に唖然とする。少なくともギタリストとしてのガルシアはほとんど別人だ。
 ガルシアのギターは1970年頃を境に変わりだし、この1972年にはその後のスタイルがほぼ出来上がっている。誰か検証しているだろうが、あたしの見立てでは、ハワード・ウェールズとマール・ソーンダースとの個人的セッションを始めたことがきっかけだ。ガルシア自身、ソーンダースからは音楽を教えられたと認めている。ポピュラーやジャズのスタンダードの曲と演奏のやり方を学ぶ。当時のロック・ミュージシャンはブルーズは聴いても、スタンダードは聴いていない。ガルシアが鍵盤奏者とのセッションを始めるのは、その不足を自覚したからではないか。
 1970年代を通じてガルシアはジャズに接近してゆき、1980年前後、最も近くなる。デッドの演奏もジャズの要素が大きくなり、何よりも1980年前後のガルシアのソロ・プロジェクト、Legion Of Mary はほとんどジャズ・バンドだ。
 1972年にはまだそこまでいかないが、同時代のロックのギターとはまったく別の道を歩んでいる。もっとも〈Wharf Rat〉から最高の形で遷移する〈Dark Star〉の特に前半はジャズとしか呼びようがない。そこからフリー・リズムになり、一度静かに抑えた歌が入り、その後、今度はベースが主導してジャズになる。音がだんだん大きくなって、最後は荒ぶるが、粗暴にはならない。
 いよいよ後1日。長いツアーの千秋楽を残すのみ。

4. 1974 Campus Stadium, University Of California, Santa Barbara, CA
 土曜日。6ドル。開演午前10時。共演マリア・マルダー、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ。
 きれいに晴れた1日の、すばらしいショウの由。陽射しが強く、ひどい日焼けをした人もいたらしいが、ガルシアはなぜかタートルネックのセーターを着て、袖をまくりあげていた。Wall of Sound の時期で、共演者たちもその恩恵に与ったわけだ。

5. 1977 The Mosque, Richmond, VA
 水曜日。《Dave's Picks, Vol. 1》で全体がリリースされた。
 残念ながらこれは持っていない。あたしがデッドにハマるのは、これが出た2012年の夏で、まだ様子がよくわからなかった。後から中古盤を買うことを思いついた時にはすでにとんでもない高値になっていた。このシリーズを買いだすのは秋に出た《Vol. 3》からで、翌年からは年間予約する。
 《Dave's Picks》のシリーズは始まって10年を超えたが、未だに再発されていない。《Dick's Picks》は始まって10年経たないうちに CD が一般発売され、現在はファイルのダウンロード販売やストリーミングがされているが、《Dave's Picks》は当初出た CD のみで、中古盤が高いのはそのせいだろう。今年、《Vol. 1》がアナログで再発された。今後も続けるのかどうかはアナウンスされていないが、おそらく続けるだろう。スタートでは12,000枚発行だったものが、今や倍以上の25,000枚だから、初めの方を欲しい人間はたくさんいる。実際、《Vol. 1》のアナログ盤はあっという間に売り切れていた。あれの売行が良かったので、今回《Europe '72》の50周年記念でロンドン4日間のアナログ・ボックスを企画したのかもしれない。
 とまれ、そのアナログ盤の出荷通知が先月末に来て、ひと月かけてようやくブツが届いた。LP5枚組で、最後の Side 10 はブランク。さて、アナログを聴く環境を整備、つまりターンテーブルをちゃんと使えるようにしなければならない。点検・修理からもどってきたまま、放置してしまっている。アームの調整がちょと面倒なのだ。

6. 1992 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演5時。
 まずまずのショウの由。

7. 1993 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時。レックス財団ベネフィット。
 この3日間はかなり良いショウの由。

8. 1995 Memorial Stadium, Seattle, WA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。28.25ドル。開演5時。
 この3日間の中ではベストの由。(ゆ)

05月21日・土
 久しぶりのアイリッシュ。久しぶりの生音。それも極上の音楽で、パンデミックが始まって以来の喉の渇きをやっとのことで潤すことができた。終演後アニーが言っていた通り、こういう音楽をやっている人たちが身近にいる、時空を同じくして生きていることが心底嬉しい。アニーもまたその人たちの1人ではある。

 須貝さんからこういうライヴがあるんですけどとお誘いが来た時には二つ返事で行くと答えた。須貝さんが惚れこんだ相手なら悪いはずがない。それにたとえどんなに悪くなろうとも、須貝さんの笛を生で聴けるのなら、それだけで出かける価値はある。

 確かにライヴのためにでさえ、東京に行くのが怖い時期はあった。何より家族の事情で、症状が出ないとしてもウィルスを持って帰るようなリスクは冒せない。しかし、感染者数は減らないとはいえ、死者の数は減っているし、亡くなっている人たちにしてもウィルスだけが原因というわけでもない。明らかにひと頃よりウィルスの毒性は落ちている。だいたい感染力が強くなれば、毒性は薄まるものだ。家族は全員3度目のワクチン接種もすませた。ということで、チャンスがあればまた出かけようという気になっていた。

 木村穂波さんのアコーディオンは初体験。ちょうど1年前、同じムリウィでデュオとして初のライヴをされたそうだ。体験して、こういう人が現れたことに驚嘆もし、また嬉しくもなる。最初に思いだしたのはデイヴ・マネリィだ。木村さんはアイルランドで最晩年のトニー・マクマホンの生にも接してこられたそうだが、そのマクマホンが聴いても喜んだだろう。

 今日は愚直にアイリッシュを演ります、と言われる、まさにその通りに愚直にアイリッシュ・ミュージックに突込んでいる。脇目もふらず、まっすぐにその伝統のコアに向かって掘りすすんでいる。普通の楽器でもそう感じたのが、もう1台の少し大きめの E flat(でいいんですよね)の楽器に替えると、もう完全にアイルランドの世界になる。そして何よりも、それが少しも不自然でない。まるでここ世田谷でこの音楽をやって、目をつむればアイルランドにいるとしか思えなくなるのが、まったく不自然ではなくなる。雑念が無い。これもアニーが終演後に言っていたが、極上のセッションに立ち合っている気分だ。

 須貝さんのフルートがまた活き活きしている。これまでのライヴが活き活きしていなかったわけでは毛頭無いけれど、水を得た魚というか、本当に波長の合う相手を見つけた喜びがこぼれてくる。このライヴの前にケイリーの伴奏で3時間吹いてきて、ちょうどできあがったところ、というのもあるいは大きいのかもしれないが、そこでさらにアイリッシュの肝に直接触れるような演奏を引き出すものが、木村さんの演奏にあるとも思える。

 アニーがそれにギターまたはブズーキを曲によって持ち替えて伴奏をつけるのだが、本当に良い伴奏の常として、聴衆に聴かせるためよりも、演奏者を浮上させるために弾いている。生音だが、アコーディオンもフルートも音の小さな楽器ではなく、たとえばフィドルよりも大きいから、時に伴奏は聞えなくなるが、それは大したことではない。

 そのアニーも伴奏しているうちに自分も演奏したくなった、と言って、後半のオープニングに3曲、ギター・ソロを披露する。これがまた良かった。1曲目、聞き覚えのある曲だなあ、とても有名な曲だよなと思っていたら、マイケル・ルーニィの曲だった。2曲目はジョンジョンフェスティバルの〈サリー・ガリー〉、3曲目は長尾晃司さんの曲。そういえば、前半でアニーの作った曲〈Goodbye, May〉を2人が演奏したのはハイライト。パンデミック中に O'Jizo が出した《Music In Cube》収録の、これまた佳い曲だ。

MiC -Music in Cube-
O'Jizo
TOKYO IRISH COMPANY
2021-03-14


 須貝さん、木村さん、それぞれのソロのコーナーも良い。須貝さんはコンサティーナ。メドレーの2曲目〈Kaz Tehan's〉はあたしも大好きなので歓ぶ。木村さんの演奏はソロで聴くと、独得のタメがある。これまで聴いたわが国のネイティヴの演奏ではほとんど聴いたことがない。こういうのを聴くと、ソロでももっと聴いてみたくなる。

 どれもこれも、聴いている間は桃源郷にいる心持ち。とりわけ引きこまれたのは2曲目のジグのメドレーの2曲目〈Paddy Fahy's〉(と聞えた)と、後半3曲目リズ・キャロル関連のメドレーの2曲目。

 終演後、木村さんに少しお話しを伺えた。もともと歴史が好きでノーザン・アイルランド紛争の歴史を勉強していて、アイルランドに行ったのもそのための由。先日の、ノーザン・アイルランド議会選挙の結果で盛り上がってしまえたのは、歴史オタクのあたしとしては思いがけず嬉しかった。クラシックでピアノを始め、ピアノ・アコーディオンに行き、トリコロールを見て、アイリッシュとボタン・アコーディオンに転向。というキャリアの割りにアイリッシュ・ミュージックの真髄に誰よりも近づいているように聞えるのは、アイルランドの歴史に造詣が深いからだろうか。少なくとも木村さんの場合、歴史を勉強されていることがアイリッシュ・ミュージックへの理解と共感を深める支えになっていると思われる。

 アプローチは人さまざまだから、歴史の代わりに料理でも馬でもいいはずだが、アイリッシュ・ミュージックが音楽だけで完結しているわけではないことは、頭のどこかに入れておいた方が、アイリッシュ・ミュージックの奥へ入ってゆく際に少なからず助けになるはずだ。これがクラシックやジャズや、あるいはロックであるならば、音楽だけに突込んでいっても「突破」できないことはないだろうけれど、こと伝統音楽にあっては、音楽を支えているもの、それがよってきたるところと音楽は不可分、音楽はより大きなものの一部なのだ。極端な話、ふだん何を食べているかでも音楽は変わってくる。

 とまれ、このデュオの音楽はすばらしい。こんなにアイリッシュばかりごりごり演るのは滅多にありませんと終演後、須貝さんに言われて、ようやく確かにと納得したけれど、聴いている間はまるで意識していなかった。ただただ、いい音楽に浸りきっていた。この上はぜひぜひ録音を出していただきたい。とは、お2人にもお願いしたが、重ねてお願いする。あたしが生きて、ちゃんと音楽が聴けるうちに出してください。

 それにしてもアイリッシュはええ。生音はええ。耳が甦る気がする。須貝さん、木村さん、アニーに感謝感謝。それになぜか演奏しやすいらしい場を提供してくれているムリウィにもありがとうございます。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月21日には1968年から1995年まで8本のショウをしている。公式リリースは完全版1本にほぼ完全版1本の2本。

1. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
 火曜日。厳密にはデッドのショウとは言えない。参加したミュージシャンはガルシア、ハート、ヨウマ・カウコネン、ジャック・キャサディ、エルヴィン・ビショップ、スティーヴ・ミラー、ウィル・スカーレット。何らかのベネフィットで入場料1ドル。ポスターがあるそうだが、未見。

2. 1970 Pepperland, San Rafael, CA
 木曜日。ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーと共演し、〈Turn On Your Lovelight〉にジャニス・ジョプリンが参加した、という話がある。のだが、DeadBase 50 はこのショウは無かったとしている。

3. 1974 Hec Edmundson Pavilion, Seattle, WA
 火曜日。開演7時。全体が《Pacific Northwest '73–'74: The Complete Recordings》でリリースされた。これについてはまたあらためて。

4. 1977 Lakeland Civic Center, Lakeland, FL
 土曜日。アンコールの〈U.S. Blues〉のみを除く全体が《Dick's Picks, Vol. 29》でリリースされた。
 77年春のツアー前半は確かにピーク中のピークなのだが、では後半が劣るかと言うと、そんなことはまったく無い。と、改めてこれを聴いて思う。
 この日のショウでは、ガルシアのギターがことさらに冴えわたり、この曲のベスト・ヴァージョンだ、と言いきりたくなる瞬間が続出する。オープナーの〈Bertha〉から面白いフレーズが流れ迸る。〈Tennessee Jed〉〈Row Jimmy〉〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉のとりわけ FOTM、さらには〈New Minglewood Blues〉のような曲でもすばらしい。〈Samson and Delilah〉〈Estimated Prophet〉、いずれも見事。そして〈He's Gone〉の後半が凄い。歌の後、メインの歌からは完全に外れた集団即興になり、さらに途中からいきなりテンポが急調子に切り替わり、さらに即興が続く。その先頭に立ってガルシアのギターが飛んでゆく。ベースは〈The Other One〉のリフを先取りするが、まずは Drums になる。強烈な「叩き合い」の後、あらためて始まる〈The Other One〉、をを、見よ、ガルシアのギターが天空を翔けてゆく。それをバンドが追いかけて、さらにガルシアを打ち出す。打ち出されたガルシアは遙かな地平線めがけて弧を描いて落ちてゆくが、落ちきらずに、地平線すれすれのところをどこまでも伸びてゆき、やがて〈Comes a Time〉へと降りたつ。ここではヴォーカルもいいが、後半の抒情たっぷりのギターを聴いて泣かないヤツはニンゲンじゃねー。この前では、〈哀愁のヨーロッパ〉のジェフ・ベックも裸足で逃げだそう。いや、そんなもんではない。もっともっとそれ以上の、およそあらゆるエレクトリック・ギター演奏としてこれ以上のものはない、これはこの曲のベスト・ヴァージョン。そこから遷移するのが一転ダイナミックこの上ない〈St. Stephen〉。さらに一転、ドラマーたちがゆったりとビートを叩きだして〈Not Fade Away〉。ここでもガルシアのギターがユーモアたっぷりに跳びまわる。踊れ、踊れ、みんな踊れ。そう叫びながら跳びまわる。踊りまわる。踊りまわりつづける。と思うと、いつの間にか、〈St. Stephen〉のリフが始まっている。この回帰はカッコいい。きちんと始末をつけて一拍置いて〈One More Saturday Night〉。これまたゆったりとしたテンポがそれはそれは気持ち良い。余計な力がどこにも入っていない。間奏のガルシアのギターがきらきら輝きをはなち、ウィアも実に気持ちよさそうに歌う。そう、ロックンロールとは、このゆったりしたテンポでこそ真価を発揮するのだ。
 このショウは実にゆったりしている。もともとこの春の演奏は全体に遅めでゆったりと余裕をもってやっているが、この日はその中でもさらに遅く、これ以上遅くはできないのではないかと思われるほど。そのゆったりしたテンポに乗って、意表をつく美味しいフレーズを連ねられると、参りました、と平伏すしかない。
 ヴォーカルもすばらしく、ガルシアでは〈Comes a Time〉、ウィアは〈Samson and Delilah〉、そして〈He's Gone〉後半のドナも加わった3人の歌いかわしがハイライト。
 この春の音楽の質の高さにドナの貢献は実に大きいと、あらためて思う。
 《Dick's Picks》ではアンコールが収められていないが、〈One More Saturday Night〉での締めを聴くと、これ以上あえて要らない。
 何度でも言うが、1977年春のデッドは幸せで、それを聴くのもまた幸せだ。
 次は翌日、フロリダでもう1ヶ所。

5. 1982 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 金曜日。12ドル。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。
 かなり良いショウの由。第二部2曲目〈Uncle John's Band〉は16分に及ぶ。西海岸では1980年10月以来で、聴衆の反応は爆発的だった。

6. 1992 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。レックス財団ベネフィット。初日の共演がデヴィッド・グリスマン・クインテット、2日目が Hieroglyphics Ensemble、そしてこの日がファラオ・サンダース。いずれもレックス財団がこの年、寄付をした対象。
 なお、この3日間、デッドは同じ曲をやっていない。かなり良いショウの由。
 Hieroglyphics Ensemble は Peter Apfelbaum が作った17人編成のビッグ・バンド。ピーター・アフェルボームは1960年バークリー生まれのジャズ・ミュージシャン。ピアノ、テナー・サックス、ドラムスを操る。ワールド・ミュージック志向のなかなか面白い音楽をやっている。

7. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 金曜日。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。

8. 1995 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。30ドル。開演2時。The Dave Mathews Band 前座。Drums にデイヴ・マシューズ・バンドのドラマー Carter Beauford が参加。
 前2日よりずっと良く、この年のベストの1本の由。(ゆ)

05月17日・月
 アイルランドのシンガー Sean Garvey が今月6日に亡くなったそうです。1952年ケリィ州 Cahersiveen 生まれ。享年69歳。60代で亡くなると若いと思ってしまう今日この頃ではあります。

 ガーヴィーは若い頃から歌いはじめていますが、本格的に歌うようになったのは教師の資格をとりにダブリンに出てきてからで、ひと頃はパディ・キーナンと The Pavees というバンドもやっていたそうです。後、コネマラのスピッダルに住み、コネマラのシャン・ノース・シンガーたちの影響を受け、アイルランド語でも歌いはじめます。

 1990年代後半以降、ダブリンに住み、The Cobblestone でジョニィ・モイニハンやイリン・パイパーの Nollaig Mac Carthaigh と定期的にセッションしていました。2006年にケリィにもどり、TG4 の Gradam Ceoil singer of the year を受賞しました。

 ぼくがこの人を知ったのは1998年に出たファースト・アルバム《ON dTALAMH AMACH (Out Of The Ground)》でした。2003年にセカンド《The Bonny Bunch of Roses》を出していますが、未聴。昔『ユリイカ』に書いた「アイルランド伝統歌の二十枚」にファーストをとりあげていたので、追悼の意味を込めて再録します。
 文中に出てくる、アーチー・フィッシャー、フランク・ハートやティム・デネヒィについては、もう少し余裕ができてから書いてみたいところです。

 なお、このファーストは本人がヴォーカルの他、フルート、ホィッスル、バンジョー、マウス・オルガン、ギターを担当して、まったくの独りで作っています。

Sean Garvey  ON dTALAMH AMACH (Out of the Ground); Harry Stottle HS 010, 1998
 フランク・ハートの友人でもあり、またしてもケリィ出身のこのシンガーもテクノロジーの恩恵で姿を現した秘宝の一人。写真からすればおそらくは現在五十代後半から六十代だろう。声といいギター・スタイルといい、スコットランドの名シンガー、アーチー・フィッシャーを想わせる人だが、歌からたちのぼる味わいもまた共通のものがある。ティム・デネヒィ同様、ケリィの伝統にしっかりと足をつけて揺るがない。生涯の大部分を野外で過ごしたであろう風雪に鍛えられた風貌にふさわしい声は、一方でなまなかなことでは崩れないねばり強さを備え、一語一語土に植付けるようにうたう。タイトル通り、土に根ざした声が土に根を張る歌をうたう。やがてその声が帰るであろう土はあくまでもアイルランドの土だが、また地球の土でもあり、今これを聞くものの足元の土に繋がる。この邦の伝統音楽を聴きつづけてきたことを何者かに感謝したくなる瞬間だ。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月17日には1968年から1981年まで6本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本。

1. 1968 Shrine Exhibition Hall, Los Angeles, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。セット・リスト不明。

2. 1970 Fairfield University, Fairfield, CT
 日曜日。このショウは実際には行われなかった、という説もある。この1週間前にドアーズがここでコンサートをしており、それによって大学当局は「望ましからざる」ことを避けるため、この公演をキャンセルした、という。詳細不明。

3. 1974 P.N.E. Coliseum, Vancouver, BC, Canada
 金曜日。コマンダー・コディ&ヒズ・ロスト・プラネット・エアメン前座。
 第二部4曲目〈Money Money〉が《Beyond Description》所収の《From The Mars Hotel》のボーナス・トラックで、続く5・6曲目〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《Pacific Northwest '73–'74: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。
 第二部4曲目で〈Money Money〉がデビュー。バーロゥ&ウィアの曲。この後、19日、21日と3回だけ演奏。スタジオ盤は《From The Mars Hotel》収録。3回しか演奏されなかったのに、そのすべてが《Pacific Northwest '73–'74: The Complete Recordings》でリリースされた。
 ここでの演奏を聴くとドナの存在が前提の曲のように思える。

4. 1977 University Of Alabama, Tuscaloosa, AL
 火曜日。
 第一部6曲目〈Jack-A-Roe〉が《Fallout From The Phil Zone》で、10曲目〈High Time〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《May 1977》で全体がリリースされた。
 この春のツアーのどのショウでは余裕がある。テンポがことさら遅いとも思えないが、ほんのわずかゆっくりで、ためにアップテンポの曲でも歌にも演奏にも無闇に先を急がないゆったりしたところがって、それがまた音楽を豊饒にしている。このショウはその余裕が他よりも大きいように感じる。アンコールの〈Sugar Magnolia〉ではその感覚がより強く、この曲そのものだけでなく、ショウ全体の味わいも深くしている。
 この時期全体に言えることだが、ガルシアのギターがほんとうにすばらしい。ソロも伴奏も実に充実している。この日はとりわけ2曲目の〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉、5曲目〈Jack Straw〉、7曲目〈Looks Like Rain〉、そして第一部クローザーの〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉特に前者、第二部〈Estimated Prophet〉。第二部2曲目〈Bertha〉のような、いつもはソロを展開しない曲でも見事なギターを聴かせる。
 これまたいつものことだが、デッドの場合、こういうガルシアのソロが、それだけ突出することはほとんど無い。バンド全体の演奏の一部で、だからこそ、ガルシアのソロが面白いと全体が面白くなる。全員がそれぞれに冴えていて、それが一つにまとまっている。1977年春のデッドは実に幸せそうで、それを聴くこちらも幸せになる。
 大休止から復帰後、特にこの1977年以後のデッドのショウは大休止以前よりもコンパクトになり、2時間半が普通になるが、このショウはその中では珍しく CD で3時間を超えている。やっていて気持ちが良かったのだろう。ハイライトは第一部クローザーの〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉で、どちらも13分、合計で26分超。ベスト・ヴァージョンの一つ。〈Looks Like Rain〉もベスト・ヴァージョンと言ってよく、どちらかというと第一部の方が充実している。
 次は1日置いて、アトランタのフォックス・シアター。

5. 1978 Uptown Theatre, Chicago, IL
 水曜日。9.50ドル。開演8時。このヴェニュー2日連続の2日目。
 第二部2曲目〈Friend Of The Devil〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 アンコール〈Werewolves Of London〉がことさらに良かった由。

6. 1981 Onondaga Auditorium, Syracuse, NY
 日曜日。開演7時。(ゆ)

04月16日・金
 我ながら不思議なのは、グレイトフル・デッドのライヴ音源、ショウの録音は、いくらでも聴いていられる。飽きるということが無い。2年間、毎日3、4本のショウを、年代順に聴きつづけ、録音のあるショウの8割は聴いた、という猛者もあちらにはいるわけだが、毎日、3時間から4時間近く、72年のヨーロッパ・ツアーの録音を聴いて、もういい、もうおなか一杯、しばらくデッドは聴きたくない、ということにならない。
 これほど集中してデッドばかり聴いているのは、4、5年前、曲別に聴いていった時以来だ。その時は、たとえば〈Playing In The Band〉で手許にある録音を年代順に聴いていった。この曲は初めは5分で終るごく普通の曲だが、だんだん長くなって、ついには30分を超えるようになり、さらに別の曲をはさんだり、第二部全体をはさんだり、最後の締めが翌日や何本か先のショウになるまでになる。これを何曲か、定番曲でやったのは、とんでもなく面白かったし、たいへん勉強にもなった。この時も、日がな1日、朝から晩まで、何日も続けてデッドばかり聴いて、飽きることが無かった。
 それだけ好きなんだろう、ということなら、いったい、どこがそれほど好きなのか。それがよくわからない。デッドの音楽には様々な位相があって、そのどれもが好き、ということなのか、とも思ったりする。別に、ただ好きでいいじゃん、と言われればそれまでだが、むしろ何ごとにつけ飽きやすいあたしとしてはまことに珍しいことで、なぜだろうと不思議になるのだ。
 クラシックにハマりこんでいた時、マーラーに夢中になって、やたら聴きまくったことがある。マーラーがブームになってきていた頃で、FM でもよくかかったから、それをテープに録音して聴くわけだ。それがある日、ふっつりと聴かなくなり、今でも聴くのは1番だけだ。散々聴いた挙句、マーラーの2番以降は結局1番の焼き直し、というより、1番になりそうになるのを、おっとっといかんいかんと別のものにしようとするあがきの連続に聞えるようになった。
 アイリッシュ・ミュージックやスコティッシュやイングリッシュやも好きで、いくらでも聴いていられるが、デッドの場合はそれとはまたいささか違う現象のような気もする。そして、デッドの音楽に飽きない理由の中には、なにか、ひどく大事なことが潜んでいるようにも思えてくる。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月16日には1967年から1989年まで、6本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1967 Kaleidoscope, Hollywood, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。共演キャンド・ヒート、ジェファーソン・エアプレイン。セット・リスト不明。

2. 1972 Aarhus University, Aarhus, Denmark
 日曜日。デンマーク2本目。このツアーでは唯一の大学での演奏。アメリカでは大学でよくやっているデッドだが、ヨーロッパではシステムの違いからか、これが唯一。《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。CD で2時間50分。実際には4時間。翌日、再びコペンハーゲンのチヴォリ・ホールでの演奏が予定されていて、一行はこの夜のうちに戻る必要があり、アンコールは無し。
 なお、このツアーでの移動はすべて車によった。バンドやスタッフは大型バス2台、クルーと機材はトラック。
 Aarhus はオーフスと読み、ユトランド半島東岸、コペンハーゲンの西190キロ。ただし、車では南にぐるりと回るので、移動距離はこの倍とまではいかなくても、250キロはあるだろう。オーフスはデンマーク第2の都市でオーフス大学の所在地。大学は1928年創設、会場になった Stakladen は1964年に建てられた施設で、実態はカフェテリア。長いテーブルが45台に椅子が400脚置かれていて、デッドのショウの際にもそのままだった。というのも、これらを移動する先の空間が無かったからだ。どんなに詰めこんでも700人入れば満杯で、天井に剥出しの梁にも何人もまたがったり、ぶら下がったりしていた。Stakladen は通称で、納屋、穀物倉庫を意味する。ここが会場になったのは、単純にもっと大きな会場を準備するだけの時間がなかったため。建物の片方の端から大学本部の入っている建物へ通じる廊下が楽屋だった。このツアーの録音はどれも優秀だが、このショウの録音では各楽器の距離が近く、それまでよりずっと小さな空間でやっていることもわかる。2010年にコンサート向けに改修されて、現在は週変わりでジャズやロックのギグが行われているそうだ。
 演奏はますます良い。第一部はタイトな演奏が続いて、半ば〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉で少し噴出しはじめ、クローザー前の〈Playing In The Band〉で様相が変わりだす。この曲はこのツアーではやる度に良くなってゆく。ここではガルシアが同じ音を引っぱり、それがバンドを引っぱる。そして第二部はオープナー〈Good Lovin'〉からすっ飛ぶ。前日に輪をかけてピグペンが爆発。さらにノリがよくなり、まったく別の歌になる。ベースとドラムスだけをバックに歌うのもカッコいい。次の〈Cumberland Blues〉ではガルシアがシンプルで面白いソロを弾きまくり、〈El Paso〉ではウィアが歌うのが愉しくてしかたがない様子で、コーダを22回繰返す。そして〈Truckin'〉から〈The Other One〉、さらに〈Not Fade Away〉を経てクロージングまでノンストップ。
 〈Truckin'〉はトラックというより、汽車の驀進に聞える。ガルシアのギターがそれに乗って翔けまわる。ここでのジャムにはひどく静かになり、ワビサビと言いたくなる時間がある。場所柄、ムンクやキルケゴールを連想したりもする。再度テーマが出てまたジャムになり、ガルシアが〈The Other One〉のテーマを初めるが、そのまままずジャムになる。しばしジャムが続いたところへごく自然にウィアがコードを弾きだして〈Me And My Uncle〉。これまでよりも速い。この曲はゆったりやると陽気なホラ話に聞えるが、速く演奏すると陰惨な話になる。語り手もロクな死に方をしないとわかる。終ると同時に〈The Other One〉にもどって、今度はより明瞭な姿をとり、歌が入る。が、2番は無しで〈Not Fade Away〉へドラムスがリードする。ガルシアはうねりのある、意表をつくフレーズのソロを展開する。そのガルシアがテーマを弾きだして〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉へ移行。絶好調のギターを聴かせて、再度〈Not Fade Away〉へ戻り、ウィアとピグペンが掛合いをやって盛り上げて幕。
 やる度に皮が剥けて、新たな位相が現れる。ジャムはよりラディカルに、ホットな曲はよりホットになる。次は翌日、コペンハーゲン再び。

3. 1978 Huntington Civic Center, Huntington, WV
 日曜日。開演8時。デッド史上最高のショウという声も複数ある。

4. 1983 Brendan Byrne Arena, East Rutherford , NJ
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。13.50ドル。第二部後半〈Black Queen> Iko Iko〉とクローザーの2曲〈Black Peter> One More Saturday Night〉とアンコール〈Johnny B. Goode〉にスティーヴン・スティルスが参加。
 〈The Other One〉の前に1分半ほどウィアが〈Little Star〉をやった。良いショウの由。

5. 1984 Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY
 月曜日。11.50ドル。開演7時半。この街では1970年から1988年まで15本のショウをしている。うち、10本がこのヴェニュー。良いショウの由。

6. 1989 Mecca, Milwaukee, WI
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。2日とも良いショウの由。(ゆ)

 スコットランドで活動する Tina Jordan Rees のフルート&ホィッスルによるソロ・アルバムのクラウドファンディングに参加。Indiegogo17GBP


 この人はフィドルの Grainne Brady とのデュエット・アルバム《High Spirits》を持っている。




##本日のグレイトフル・デッド

 0407日には1971年から1995年まで、10本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。


01. 1971 Boston Music Hall, Boston, MA

 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。セット・リストは一応二部に別れて記録されているが、長い一本勝負の可能性もある。


02. 1972 Wembley Empire Pool, London, England

 金曜日。2ヶ月、22本のショウからなるヨーロッパ・ツアーのスタート。ツアーの規模、期間、いずれもデッド史上最大最長。音楽の質としても1977年、1990年それぞれ春のものに並ぶ最高のツアーのひとつ。

 このツアーに先立って0321日から28日までニューヨークの Academy of Music で7本連続のウォーミング・アップ公演を行う。そして0401日、エイプリル・フールの日にニューヨークからロンドンへ入った。ツアー全体のリスト。

01. 04-07: Wembley Empire Pool, London, England

02. 04-08: Wembley Empire Pool, London, England

03. 04-11: Newcastle City Hall, Newcastle, England

04. 04-14: Tivolis Koncertsal, Copenhagen, Denmark

05. 04-16: Aarhus University, Aarhus, Denmark

06. 04-17: Tivolis Koncertsal, Copenhagen, Denmark

07. 04-21: Beat Club, Bremen, West Germany

08. 04-24: Rheinhalle, Dusseldorf, West Germany

09. 04-26: Jahrhundert Halle, Frankfurt, West Germany

10. 04-29: Musikhalle, Hamburg, West Germany

11. 05-03: Olympia Theatre, Paris, France

12. 05-04: Olympia Theatre, Paris, France

13. 05-07: Bickershaw Festival, Wigan, England

14. 05-10: Concertgebouw, Amsterdam, Netherland

15. 05-11: Rotterdam Civic Hall (Grote Zaal De Doelen), Rotterdam, Netherland

16. 05-13: Lille Fairgrounds, Lille, France

17. 05-16: Theatre Hall, Luxembourg, Luxenbourg

18. 05-18: Kongressaal - Deutsches Museum, Munich, West Germany

19. 05-23: Strand Lyceum, London, England

20. 05-24. Strand Lyceum, London, England

21. 05-25: Strand Lyceum, London, England

22. 05-26: Strand Lyceum, London, England

 なお、このツアーはメインは演奏が目的だが、観光も兼ねており、バンド、クルー、スタッフのみならず、家族、友人、取巻きなども大挙して同行した。

 全公演の全体が専門のクルーによって録音され、ここからLP3枚組の《Europe '72》が197211月にリリースされた。201109月、巨大な旅行用トランクを模したケースに22本のショウ全ての録音を収めた72枚の CD と2冊の本、様々なメモラビリアの複製をまとめたボックス・セット《Europe '72: The Complete Recordings》が限定7,200セットでリリースされた。さらに、本や付録を省いたボックス・セット "All Music Edition" がリリースされ、その後、個々のショウが CD3枚組ないし4枚組として販売された。現在は nugs.net で個々のショウをファイルで購入するか、ストリーミングで聴くかすることができる。


 この日のショウは《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされ、このボックス・セットに続いて出された《Europe '72, Vol. 2》に、第一部4曲目〈Me and My Uncle〉とクローザーの〈Not Fade Away > Goin' Down The Road Feeling Bad > Not Fade Away〉が収録された。なお、第一部7曲目〈Big Boss Man〉はどういうわけか、ラスト1分ほどが録音されておらず、CD ではフェイドアウト処理されている。また第一部クローザー〈Casey Jones〉も、なぜか録音されていない。他にはこういう「事故」は無い。

 会場は1934年の Empire Games すなわち旧大英帝国の植民地で英連邦加盟国だけのオリンピックのようなスポーツ・イベントのために作られた施設で現在の Wembly Arena。収容人員12,000。当時のデッドには大きすぎたが、二晩それぞれ8,000人のファンが集まった。

 これには前日譚がある。もともとは0405日から08日までの4日間、Rainbow Theatre でのショウが組まれていた。ところがデッドが出発する前にレインボウは財政上の問題で閉鎖されてしまう。一時的な閉鎖ではあったがデッドの役には立たない。代わりのヴェニューはハマースミスの the Commodore と一度は発表された。が、デッドのマネージャー、サム・カトラーが反対する。ここを選んだのはイングランド側のプロモーター John Morris だったが、会場が小さすぎてカネにならない。そこで急遽 Wembly Empire Pool で2日間ということになった。そして、ロンドンのファンにはツアーの最後に4日間、Lyceum でのショウが組まれた。結局このスケジューリングは最高の結果をもたらす。《Europe '72》の大半のトラックがこの最後の4日間からとられたように、ロンドンでのクロージングは歴史的なこのツアーのこれ以上ない大団円となった。

 今年はこのツアーの50周年記念で、大団円の4日間を24枚のアナログに収めたボックス・セットが発表された。

 このツアーではこれ以後も様々なハプニングが起きる。デッドでなければ起きないようなことも起きる。良いことも悪いこともある。

 とまれ、かくて、デッドのヨーロッパ大陸征服が始まる。タイミングとしてはむしろ悪いとみなされていた。この当時、ロンドンの音楽シーンを席捲していたのは「ボラン・マニア」である。T・レックスとマーク・ボランの人気が最高潮に達していた。当時は、その後も何度も繰返される「ビートルズの再来」とされて、無双状態だった。

 レジデンス公演によるウォーミング・アップもあってか、演奏は実にタイトで、絶好調。アウェイでの緊張感もプラスに作用していると思われる。

 特徴的なのは、このツアーで演奏された曲のほとんどは、当時のヨーロッパのファンにとってはまったくの新曲だったことである。ライナーで Gary Lambert が指摘するように、オープナーの〈Greatest Story Ever Told〉はまだ出ていないウィアのソロ《Ace》からだし、2曲目の〈Sugaree〉は前年07月のガルシアのソロからだ。加えて、いずれレパートリィの定番中の定番になる〈Tennessee Jed〉〈Brown-eyed Women〉〈Ramble on Rose〉〈Black-throated Wind〉も、アメリカ国外ではこのショウがデビューとなる。これから行く先々で、その土地のファンは新曲を聴くことになる。当時大西洋を渡ったテープも少しはあったかもしれないが、《Live/Dead》《Skull & Roses》以外のライヴを耳にしていた者はごく稀だったはずだ。

 第一部クローザー前の〈Playing In The Band〉は10分で聴き応えがある。ロンドンのデッドヘッドたちが知っていたのは、《Skull & Roses》収録の4分半のヴァージョンだけだ。前年後半から長くなりだしていて、このツアー中に長く充実したジャムが展開されるようになり、ラストのロンドンでのショウでは倍の20分近くまで成長する。

 第二部はオープナー〈Truckin'〉から半ばの〈Wharf Rat〉まで途切れなし。〈The Other One〉に〈El Paso〉がはさまるのが楽しい。〈Dark Star〉に〈Me & My Uncle〉がはさまるのと同趣向。〈The Other One〉はビートが消えてフリーになったり、またビートが復活したりを繰返す。〈El Paso〉の後ではビートがあれこれ変わった末に完全にフリーになる。

 〈Wharf Rat〉で一段落したところで、ロック・スカリーとサム・カトラーが、通路で踊っている人たちは消防法を守って席にもどってくれ、とアナウンスする。「英国人の節度」は完全に吹き飛んでいた。翌日の Melody Maker は一面トップに新しい特注ストラトキャスターを抱えたガルシアの写真をでかでかと載せ、「デッド、ブリテンに襲来」と見出しをつけた。

 この頃はまだ Drums> Space が無い。このパートができるのは1977年春のツアーだ。

 クロージングの〈Not Fade Away > Goin' Down The Road Feeling Bad > Not Fade Away〉は盛り上がる。GDTRFB へ移るのもまた戻るのもごく自然。2度目の〈Not Fade Away〉ではピグペンもヴォーカルをとり、ウィアと掛合いをする。すばらしい。

 ドナも入っているが、まだ参加する曲はそれほど多くない。後にはすばらしいデュエットになる〈Sugar Magnolia〉もウィア単独で歌われる。

 ここにいるのはブルーズ、フォークからジャズまでカヴァーするユニークなロックンロール・バンドだ。ジャズになっている曲、じっくり歌を聴かせる曲、爽快な疾走感で駆けぬける曲、そしてコントロールの効いた捨て鉢のロックンロール。1990年春になるとこれらが渾然一体に融合したグレイトフル・デッド・ミュージックになるのだが、ここでは各々の要素が明瞭に味わえる実に旨いちらし寿司だ。ガルシアのヴォーカルとギター、クロイツマンのドラミング、レシュのベース、あるいはアンサンブルや曲の基本的な構成といった個々の要素は完成し、油がよく乗って、滑らかに回転している。ウィアだけは変化の途中にある。かれは最初から最後まで変化しつづけた。

 ピグペンも元気で、歌うのは第一部で2曲だけだが、いずれも良いし、オルガンもしっかり弾いている。かれがいることで、選曲、リード・ヴォーカルのガルシア、ウィアだけではない、三つめの選択肢ができている。原始デッドからのつながりでもあり、デッドのルーツの一つであるブルーズへつながるものでもある。こうした多様性、3つの選択肢ができるのは、この他では1980年代後半から90年春までの、ミドランドが「独り立ち」するようになった時期しか無い。

 1969年に完成した原始デッドが1970年にがらりと方向転換して生まれたアメリカーナ・デッドが完成してゆくのがこのツアーである。


03. 1978 Sportatorium, Pembroke Pines, FL

 金曜日。6ドル。開演8時。


04. 1984 Irvine Meadows Amphitheatre, Laguna Hills, CA

 土曜日。11ドル。開演8時。


05. 1985 The Spectrum, Philadelphia, PA

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。13.50ドル。開演5時。前日、レシュの目の前、5、6列目で「フィルに歌わせろ」と看板を掲げていた男がいて、これを揺らすたびに客席が湧いた。そのため、この日オープニングでレシュとミドランドが〈Why Don't We Do It In The Road〉を歌いだしたので、客席は大騒ぎとなった。全体としても第一級のショウの由。


06. 1987 Brendan Byrne Arena, East Rutherford , NJ

 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。17.50ドル。開演7時半。第一部クローザー前の〈Hell In A Bucket〉で、一度演奏を始めたものの、1分ほどでウィアがやり直しと言って、頭からやり直した。しかし全体としては良いショウの由。


07. 1988 The Centrum, Worcester, MA

 木曜日。このヴェニュー3日連続の初日。開演7時半。WCUW FM放送された。第二部は〈Sugar Magnolia〉の前半で始め、"Sunshine Daydream" でしめくくった。


08. 1991 Orlando Arena, Orlando, FL

 日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。21.50ドル。開演7時半。ブルース・ホーンスビィ参加で良いショウの由。


09. 1994 Miami Arena, Miami, FL

 木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。25ドル。開演7時半。


10. 1995 Tampa Stadium, Tampa, FL

 金曜日。珍しく単独のショウ。春のツアーの千秋楽。この後は1ヶ月休んで0519日にラスヴェガス郊外のスタディアムでの三連荘から最後のツアーに出る。30ドル。開演6時。Black Crowes が前座。(ゆ)


0405日・火

 1972-04-07, Wembley Empire Pool, London でのショウを聴く。72年ヨーロッパ・ツアーの開始。このツアーのショウは長いものが多いので、腹を据えて聴かねばならない。先日聴き終えた1990年春のツアーはだいたい1本2時間半弱というところだが、この72年ヨーロッパ・ツアーの各ショウは04-21ブレーメンのビート・クラブを例外として、すべて2時間半を優に超え、4時間近いものもある。こうなると CD で4枚組だ。

 デッドのショウはもともと長い。コンサートの契約書には通常「最長演奏時間」の項目がある。どんなに長くても、これ以上は演奏しないよ、という決まりだ。デッドの場合、「最短演奏時間」が書きこまれた。最低でもこれだけは演奏させろ、というので、どれくらい長くなるかは契約の上では決まっていなかった。施設やその街などのローカル・ルールによっていた。会場の制限を破ることは常習で、機器のコンセントを抜かれたのも一度や二度ではない。1980年代になっても、「終演は午前零時で絶対厳守のこと」と、スケジュール表に書かれたりしている。開演は7時半や8時だ。かれらはとにかく一緒に演奏するのが何よりも好きだったのだ。この点でも、ロック・バンドというよりはジャズやアイリッシュ・ミュージックなどの伝統音楽のミュージシャンの仲間だ。

 197273年はショウの時間が最も長くなった時期で、CD でも3時間を超えるのがザラである。曲間や休憩などはカットしてその時間になる。ツアー開始の07日のロンドンは CD で2時間44分。翌日の同じ会場は2時間59分。このツアーは0407日から0526日までの50日間に22本という、かなりゆるやかなスケジュールではあるのだが、04月下旬からは1977年春のツアーが入ってくる。終りはほぼ同時。両方が重なる日もある。さて、どうしたものか。

 それにしても、毎日、3、4本のショウの録音を2年間聴きつづけた、という猛者もいるのは見習うべきか。



##本日のグレイトフル・デッド

 0405日には1969年から1995年まで9本のショウをしている。公式リリースは3本。


1. 1969 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー3日連続の中日。オープニングの2曲〈Dupree's Diamond Blues> Mountains Of The Moon〉でガルシアはアコースティック・ギター。続くジャムの途中でエレクトリックに持ち替える。第二部ないし遅番ショウが進んで〈I Know It's A Sin〉が終ったところで、ガルシアが客席に「あと10分、何が聴きたい?」と訊ねた。おそらくはヴェニューのステージ・マネージャーからあと10分と言われたのだろう。その後〈Alligator〉から20分近く演奏した。おそらくこのためであろう、翌日〈Viola Lee Blues〉の途中で、マネージャーはデッドの機器のコンセントを引き抜いた。


2. 1971 Manhattan Center, New York, NY

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。第一部6曲目〈Big Railroad Blues〉と第二部1011曲目〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad〉が《Skull & Roses》でリリースされた。

 《Skull & Roses》のオリジナル版の収録曲は1曲を除いてニューヨークでのショウからとられている。この年の0404日から29日までの春のツアー後半は、ニューヨークに始まり、マサチューセッツ、ペンシルヴェイニア、ニュー・ジャージー、ロード・アイランド、メイン、ノース・カロライナと回って、ニューヨークのフィルモア・イーストでの5日連続のランで締める。計20本のうち、最初と最後のニューヨークでのショウからの収録である。例外の1曲は0324日のウィンターランドだ。

 そうしてあらためて見てみると、アナログ時代のライヴ・アルバムに収録されているのはサンフランシスコかニューヨークか、どちらかでの演奏だけだ。例外は《Europe '72》と《Dylan & The Dead》である。後者はマサチューセッツ、オレゴン、それにカリフォルニアでもオークランドとアナハイム。とはいえ、これはやはり別枠だろう。すると《Europe '72》はデッドのスタジオ、ライヴ全てのアルバムでもユニークなものとなる。これだけはアメリカでの録音では無いのである。〈Touch of Grey〉がヒットするまでは、このアルバムがデッド最大のベストセラーだったのも興味深い。

 デッドのような音楽にとっては、どこで演奏しているかは目立たないが、重要な要素だ。ジャズのレコードでは録音場所が記されているのが普通だ。それと同じ。ごく大まかに言っても、「ホーム」と「アウェイ」の違いはある。サンフランシスコとニューヨークが「ホーム」で、それ以外は「アウェイ」だ。ヨーロッパはさらに「ファー・アウェイ」になる。

 つまり、現役時代のライヴ・アルバムは「ホーム」か「ファー・アウェイ」のどちらかで、中間の「アウェイ」での演奏からはとられていない。

 第二部9曲目で〈Sing Me Back Home〉がデビュー。マール・ハガードの作詞作曲。1973-09-26まで計40回演奏。ハガードの原曲は196710月リリースのシングル。


3. 1980 NBC Studios, New York City, NY

 土曜日。Saturday Night Live に出演し、〈Alabama Getaway〉と〈Saint Of Circumstance〉を演奏。火曜までニュー・ジャージー州パセーイクで三連荘をしていて、この日まで東部にいたらしい。次は0428日アラバマ州バーミンガムから春のツアーを始める。


4. 1982 Spectrum, Philadelphia, PA

 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。11.50ドル。開演7時。第一部4曲目〈Deep Elem Blues〉、クローザーの2曲〈Althea; Man Smart (Woman Smarter)〉、第二部オープニングからの4曲〈Bertha > Playing In The Band > Ship Of Fools > Playing In The Band Jam〉が《Road Trips, Vol. 4 No. 4》でリリースされた。計58分強。


5. 1988 Hartford Civic Center, Hartford, CT

 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。開演7時半。第二部3曲目〈Samson and Delilah〉が2012年の、オープナーからの2曲〈Hell In A Bucket> Sugaree〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 前日とはうって変わって、ガルシアの声は絶好調だった由。


6. 1989 Crisler Arena, University of Michigan, Ann Arbor, MI

 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。最高のショウの由。


7. 1991 The Omni, Atlanta, GA

 金曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。開演7時半。ブルース・ホーンスビィ参加。第二部 Space 後の〈The Other One〉のライト・ショウがすばらしかった由。


8. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 月曜日。このヴェニュー5本連続の最終日。26.00ドル。開演7時半。


9. 1995 Birmingham-Jefferson Civic Center Coliseum, Birmingham, AL

 水曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。26.50ドル。開演7時半。第二部半ば〈Matilda, Matilda> Drums〉にネヴィル・ブラザーズのドラマー Willie Green が参加。良いショウの由。(ゆ)


0402日・土

 床屋。いつものように眉毛以外全部剃ってもらう。前回よりさらに剃り残しが減った。あたしの頭に慣れてきたのだろう。

 EFDSS Vaughn Williams Memorial Library の最近の収納品の中に Sounding The Century: Bill Leader & Co: 1 – Glimpses of Far Off Things: 1855-1956 という本がある。調べてみると、ビル・リーダーの生涯を辿る形で、現在90代のリーダーの生きてきた時代の、フォーク・ミュージックをレンズとして見たブリテンの文化・社会史を描くもの。全10冊予定の第1巻。とりあえずアマゾンで注文。

 ビル・リーダーは1929年生。生まれたのはニュー・ジャージーというのは意外。両親はイングランド人でリーダーがまだ幼ない時にイングランドに戻る。1955年、26歳でロンドンに出る。Bert Jansch, the Watersons, Anne Briggs, Nic Jones, Connollys Billy, Riognach を最初に録音する一方、Jeannie Robertson, Fred Jordan,  Walter Pardon を最後に録音した人物でもある。Paul Simon, Brendan Behan, Pink Floyd, Christy Moore も録音している。

 著者 Mike Butler 1958年生まれのあたしと同世代。13歳でプログレから入るというのもあたしとほぼ同じ。かれの場合、マハヴィシュヌ・オーケストラからマイルスを通してジャズに行く。ずっとジャズ畑で仕事をしてきている。2009年からリーダーを狂言回しにしたブリテンの文化・社会史を調査・研究している。





##本日のグレイトフル・デッド

 0402日には、1973年から1995年まで7本のショウを行っている。公式リリースは4本。うち完全版3本。


1. 1973 Boston Garden, Boston, MA

 春のツアーの千秋楽。全体が《Dave's Picks, Vol. 21》でリリースされた。New Riders Of The Purple Sage が前座。全体では5時間を超え、アンコールの前に、終電を逃したくない人は帰ってくれとアナウンスがあった。


2. 1982 Cameron Indoor Stadium, Duke University, Durham, NC

 金曜日。10.50ドルと9.50ドル。開演8時。レシュとガルシアがステージ上の位置を交換した。


3. 1987 The Centrum, Worcester, MA

 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。


4. 1989 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA

 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。前売18.75ドル、当日19.75ドル。開演7時半。全体が《Download Series, Vol. 09》でリリースされた。

 この2日間はこの年の春のツアーで最も東のヴェニューで、満員御礼だったが、チケットを持たなくても会場に行けば何とかなると思った人間が大勢やって来て、大きなガラス窓を割り、中になだれ込んだ。そのため、警察が大挙して出動した。

 その場にいた人間の証言によれば、ドアの外で数十人の人間と一緒に踊っていた。音楽はよく聞えた。そこへ、中からイカれたやつが一人、外へ出ようと走ってきた。ドアが厳重に警備されているのを見て、脇の1番下の窓ガラスに野球のすべり込みをやって割り、外へ脱けだした。警備員がそちらに気をとられている間に、中で踊っていた人間の一人がドアを開け、外にいた連中があっという間に中に吸いこまれた。


5. 1990 The Omni, Atlanta, GA

 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。18.50ドル(テーパー)。開演7時半。全体が《Spring 1990》でリリースされた。

 このアトランタの3日間で演奏された曲はどれもそれぞれのベスト・ヴァージョンと思える出来だが、ここではとりわけ第一部クローザーの〈Let It Grow〉と第二部オープナーの〈Foolish Heart〉がすばらしい。前者ではラストに、演奏をやめたくないというように、だんだん音を小さくしてゆき、静かに終る。何とも粋である。

 3人のシンガーが声を合わせるところがますます良く、〈He's Gone〉のコーダのリピートと歌いかわし、〈The Weight〉や〈Death Don't Have No Mercy〉の受け渡しに聴きほれる。〈The Last Time〉は終始3人のコーラス。こういうことができたのはこの時期だけだ。

 第一部はゆったりと入るが、3曲目にガルシアがいきなり〈The Weight〉を始めるのに意表を突かれる。こういういつもとは違う選曲をするのは、調子が良い証拠でもある。マルサリスの後の4本では、いつもよりも冒険精神が旺盛になった、とガルシアは言っている。第二部は緊張感が漲り、全体にやや速いテンポで進む。ツアー当初の感覚が少しもどったようだ。アンコールでは再び対照的に〈Black Muddy River〉を、いつもよりさらにテンポを落として、ガルシアが歌詞を噛みしめるように歌う。これまたベスト・ヴァージョン。

 確かにマルサリス以後の4本は、何も言わず、ただただ浸っていたくなる。本当に良い音楽は聞き手を黙らせる。


6. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 金曜日。このヴェニュー5本連続の3本目。開演7時半。

7. 1995 The Pyramid, Memphis, TN

 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。26.50ドル。開演7時半。第二部2曲目〈Eternity〉が《Ready Or Not》でリリースされた。(ゆ)


0401日・金

 散歩に出ると風が冷たい。大山・丹沢の上の方は白くなっていた。

 Locus 3月号。SFWA が名称を変えるというニュース。略号はそのままだが、名称は Science Fiction and Fantasy Writers Association になる。つまり、"of America" ではなくなる。2,100名超の会員の4分の1がアメリカ国外に住んだり、仕事をしたりしている由。近年ではカナダ、オーストラリアも増えているはずだ。Tor.com に記事が出たインド亜大陸もある。インドだけで、英語のネイティヴは1億を超える。UKよりも多いのだ。

 この名称変更はグローバル組織への道だろう。地球上どこに住んでいようと英語で作品を発表していれば会員になれる。あるいは英語で作品が読めればいい、ということになるか。当然ネビュラ賞の対象も変わるはずだ。現在はアメリカ国内で発表されたものに限られている。ヒューゴーはもともとそういう国籍条項が無い。対象は全世界で、その点ではこれまでネビュラよりも国際的だった。

 アマゾンで Nghi Vo の新作 Siren Queen のハードカヴァーを予約注文。05-10刊。フィッツジェラルドの『偉大なギャッピー』を換骨奪胎してベトナム・ファンタジーに仕立てた The Chosen And The Beautiful は滅法面白かった。ヒューゴーをとった The Empress Of Salt And Fortune も良かった。そういえば、C. S. E. Cooney Saint Death's Daughter が今月だ。版元のサイトによれば12日発売。これは楽しみなのだ。

Siren Queen
Vo, Nghi
Tor.Com
2022-05-10

 

Saint Death's Daughter (1) (Saint Death Series)
Cooney, C. S. E.
Solaris
2022-04-12

 Bandcamp Friday につき、買物カゴを空にして散財。先月買いそこねたので、2ヶ月分。

 Martin Hayes & The Common Ground Ensemble のシングル〈The Magherabaun Reel〉を Apple Music で聴く。ヘイズのオリジナルだろう。タイトルはかれの生家のある Maghera Mountain にちなむはずだ。ちょっと聴くかぎりは The Gloaming の延長に聞える。JOL のこのアンサンブルのコンサート評ではもっと多彩なもののようだ。フル・アルバムないしライヴが待ち遠しい。

Rachel Hair & Ruth Keggin - Vuddee Veg | Sound of the Glen

 スコットランドのハーパーとマン島のシンガーのデュオ。クラウドファンディングで作っているフル・アルバムが楽しみだ。
 

The Same Land - Salt House - Live in Edinburgh

 スコットランドのトリオ。スコットランドのバンドでは今1番好き。



##本日のグレイトフル・デッド

 0401日には1965年から1995年まで、12本のショウをしている。公式リリースは6本、うち完全版2本。


01. 1965 Menlo College, Menlo Park, CA

 木曜日。ビル・クロイツマンは回想録 Deal でこれをバンドとして最初のショウとしている。029pp. まだ The Warlocks の名もなかった由。DeadBase XI では1965-04-?? として載せている。むろんセット・リストなどは不明。

 メンロ・パークはサンフランシスコの南、スタンフォード大学のあるパロ・アルトのすぐ北の街。ガルシアの育ったところ。グレイトフル・デッド発祥の地。


02. 1967 Rock Garden, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー5本連続の最終日。共演チャールズ・ロイド・カルテット、ザ・ヴァージニアンズ。このショウは無かった可能性もある。


03. 1980 Capitol Theatre, Passaic, NJ

 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。10.00ドル。第一部6曲目〈Friend of the Devil〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


1981のこの日《Reckoning》がリリースされた。

 前年9月から11月にかけてサンフランシスコの The Warfiled Theatre とニューヨークの Radio City Music Hall で行われたレジデンス公演では、第一部をアコースティック・セット、第二部をエレクトリック・セットという構成がとられた。そのアコースティック・セットで演奏された曲からの抜粋16曲を2枚のLPに収めたものである。一部は短縮版。

 元々は CSN&Y の《4 Way Street》のように、アコースティック・セットで1枚、エレクトリック・セットで1枚の2枚組の形で企画された。が、あまりに良い演奏が多く、捨てるのはどうしても忍びないということで、結局アコースティック、エレクトリックそれぞれにLP2枚組ということになった。

 2004年に CD2枚組の拡大版がリリースされ、これにはラジオ・シティでの公演からの録音を中心に16曲が追加された。録音はベティ・カンター=ジャクソン。ライヴでのサウンド・エンジニアはダン・ヒーリィ。

 全篇アコースティック編成でのアルバムとしては、スタジオ、ライヴ問わず唯一のもの。

 これを聴くと、もっとこういう編成でのライヴをして、録音も出して欲しかったと、あたしなどは思う。アナログ時代のアルバムとしては最も好きだ。アコースティックのアンサンブルとしても、グレイトフル・デッドは出色の存在であり、そのお手本となったペンタングルに比べられる、数少ないバンドの一つだ。カントリーやブルーグラス、オールドタイム、あるいはケルト系ではない、アコースティックでしっかりロックンロールできるバンドは稀だろう。後にガルシアがデュオですばらしいアルバムを作るデヴィッド・グリスマンやデヴィッド・リンドレー、あるいはピーター・ローワンのバンドぐらいではなかろうか。そう、それとディラン。ディランの《John Wesley Harding》に匹敵あるいはあれをも凌駕できるようなアルバムを、その気になればデッドには作れたのではないか。

 それは妄想としても、このレジデンス公演の全貌はきちんとした形で出してほしい。50周年記念盤で出すならば、2030年まで待たねばならない。それまで生きているか、世界があるのか、保証はないのだ。


04. 1984 Marin Veterans Memorial Auditorium, San Rafael, CA

 日曜日。このヴェニュー4本連続のランの最終日。開演8時。第二部オープナーの〈Help On The Way > Slipknot! > Franklin's Tower〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


05. 1985 Cumberland County Civic Center, Portland, ME

 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。11.50ドル。


06. 1986 Providence Civic Center, Providence, RI

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。13.50ドル。第二部オープナーからの3曲〈Shakedown Street; Estimated Prophet; Eyes Of The World〉が2020年の、第一部4・5曲目〈Cassidy; Tennessee Jed〉が2021年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。


07. 1988 Brendan Byrne Arena, East Rutherford, NJ

 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。18.50ドル。開演8時。第一部4曲目〈Ballad Of A Thin Man〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた後、全体が《Road Trips, Vol. 4 No.2》でリリースされた。


08. 1990 The Omni, Atlanta, GA

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。春のツアー最後のラン。18.50ドル。開演7時半。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と Space 後の〈Dear Mr Fantasy〉が《Without A Net》でリリースされた後、《Spring 1990 (The Other One)》で全体がリリースされた。

 「マルサリス効果」は続いている。このツアーではガルシア、ウィア、ミドランドの3人のシンガーの出来がすばらしいが、この日はとりわけガルシアの歌唱が充実している。たとえば〈Candyman〉、たとえば〈Althea〉、たとえば〈To Lay Me Down〉、あるいは〈Ship Of Fools〉、そして極めつけ〈Stella Blue〉。いずれもベスト・ヴァージョン。というよりも、この日演奏されたどの曲もベスト・ヴァージョンと言っていいのだが、ガルシアの持ち歌でいえばこの5曲は、シンガー、ジェリィ・ガルシアの偉大さを思い知らされる。

 ウィアの歌唱もますます良い。ちょっと演技過剰なところも無くはないが、この人の場合、過剰に見えても、本人は特に過剰にやろうとしてはいない。自然にそうなるところがある。とにかく、根っからのいたずら好き、というよりも、いたずらをせずにはいられない。おそらく本人はいたずらをしようと意図してやっているわけではなく、無理なくふるまうとそれがいたずらになるというけしき。歌での演技でも同じで、故意に演技しているわけではなく、歌うとそうなるのだろう。その演技に、ガルシアとミドランドが素知らぬ顔でまじめにコーラスをつけるから、ますます演技が目立つ。その対照が面白い。

 ウィアの持ち歌では〈Victim Or The Crime〉がハイライトで、これは文句なくベスト・ヴァージョン。歌唱も演奏もすばらしい。ハートだろうか、不気味なゴングを鳴らし、全体に緊張感が漲り、その上で後半がフリーなジャムになる。これを名曲とは言い難いが、傑作だとあらためて思う。

 そして第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉では、スリップ・ジグのような、頭を引っぱるビートが出て、全員が乗ってゆく。

 このツアーでのミドランドの活躍を見ると、かれの急死は本当に惜しかった。ピアノとハモンドを主に曲によって、あるいは場面によって切替え、聴き応えのあるソロもとれば、味のあるサポートにも回れる。そしてシンガーとしては、デッド史上随一。〈Dear Mr. Fantasy> Hey Jude〉はかれがいなければ成立しない。ここではガルシアが後者のメロディを弾きだすのに、いきなりコーラスで入り、レシュとガルシアが加わって盛り上がる。するとミドランドはまた前者を歌いだす。〈Truckin'〉でのクールなコーラス。〈Man Smart (Woman Smarter)〉の、3人のシンガーが入り乱れての歌いかわし。

 Drums はゆっくり叩く大きな楽器と細かく叩く小さな楽器、生楽器と MIDI の対比が、シンプルでパワフル。Space のガルシアがトランペットの音でやるフリーなソロ。

 ここでは意図的に個別にとりあげてみたが、こうした音楽が一つの流れを作って、聴く者はその流れに乗せられてゆく。そして落ちつくところは〈It's All Over Now, Baby Blue〉。これで、すべて終りだよ。ガルシアの歌もギターも輝いて、最高の締め。


09. 1991 Greensboro Coliseum, Greensboro, NC

 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。21.50ドル。開演7時半。


10. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 木曜日。このヴェニュー5本連続の2本目。開演7時半。第二部オープナー〈Iko Iko〉で Barney the Purple Dinosaur がベースで参加。


11. 1994 The Omni, Atlanta, GA

 金曜日。25.50ドル。開演7時半。


12. 1995 The Pyramid, Memphis, TN

 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。26.50ドル。開演7時半。サウンドチェックの〈Casey Jones〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。本番ではこの曲はやっていない。(ゆ)


0206日・日

 中止になる可能性も五分五分よりは六分四分ぐらいになってきたが、0311日の ICF の講座は開催される前提で準備をしなければならない。あたしの担当は「アイルランドの歴史」の概略だが、アイリッシュ・ミュージックのファン、演奏者にとってのアイルランドの歴史について話せ、ということだろう。だいたい、いかに小さな国とはいえ、その全史を2時間で話せというのは無理だ。

 ということを念頭において、どこに焦点を当てるかを考えてみる。

 まず、アイルランドの島に人間が到達した時。人間がいなけりゃ、音楽は無いわな。

 次はケルトの到来。どこまでつながってるか、分明でないところも大きいが、一応、アイリッシュ・ミュージックはケルトのキャラクターを備えている、と言える。

 5世紀、聖パトリックに代表されるキリスト教の到来。やっぱり、根本、土台だ、ということは強調しておくべきだろう。教会の権威は近年地に墮ちてるが、キリスト教は教会だけじゃない。

 10世紀末から11世紀初頭、ブリアン・ボールヴァのハープの意味。ほんとに王様本人が弾いたのか、は別として。

 17世紀のイングランドの侵略。社会にとってはでかいんだが、音楽と直接は結びつかん。どう話すか。

 19世紀初頭、ナポレオン戦争。ナポレオンはアイルランドのカトリックにとっては希望の星だった。だから、歌の題材になる。

 1845年、大飢饉。これで社会が変わる。ということは、あたしらが聽いてる伝統音楽も、これ以後の社会の反映。

 1935年、ダンス・ホール条例。家での「無許可」のダンス、ケイリが禁じられたことで、音楽の姿が変わる。

 1950年代後半からの外蘋度改革。これによって1960年代からの音楽革命の担い手たる若者が登場する。

 1990年、メアリ・ロビンスン大統領就任。このことに象徴される変化によって、アイルランドの文化は世界の注目を集める。ICF もいわばその落とし子だ。

 これに、主な楽器の歴史をざっくりと加える。

 てな、ところでどうだろうか。



##本日のグレイトフル・デッド

 0206日には1966年から1989年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1966 Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA

 ノースリッジ・アシッド・テストで、この教会の牧師がデッドを招いたそうな。録音が残っている。が、アウズレィ・スタンリィはこれを19日としている。前日、サンフランシスコのスタジオでリハーサルをしているとすると、19日の方が蓋然性が大きい。


2. 1969 Kiel Auditorium, St. Louis, MO

 アイアン・バタフライの前座で1時間半ほどの演奏。〈Dark Star> St. Stephen> The Eleven> Turn On Your Lovelight〉というこの年の定番セットを演奏したところでレシュが、アイアン・バタフライがもうすぐ出る、と言うが、少し間があって、ガルシアが、まだ少し時間があるから、もう少し演るよ、といって、〈That's It for the Other One〉を始める。録音によるので、この間がどれくらいかは不明。

 アイアン・バタフライは前年の《In-A-Gadda-Da-Vida》がヒットし、サード《Ball》がこの年の01月に出たばかりで、そのサポート・ツアーだろう。1971年に解散。ウィキペディアでは「サイケデリック・ロック・バンド」と呼ばれている。Wikipedia ではむしろハード・ロック、ヘヴィメタの源流の一つとされている。


3. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA

 4日連続のランの中日。3.50ドル。約2時間の一本勝負。この時期の典型、ということはデッドとして第一級の出来。


4. 1979 Tulsa Pavilion, Tulsa, OK

 開演7時。オクラホマでは計8回ショウをしている。これはその5回目。珍しく録音が無いらしい。


5. 1989 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 春節祝賀ショウの中日。サンフランシスコの中華交響楽団が前座、だそうだが、どういう楽団なのだろう。Drums では Dragon Drums が使われた由だが、脇に竜の絵が描かれた太鼓だろうか。全体としてはまずまずのショウのようだ。


 この日《Dylan & The Dead》がリリースされた。トラック・リストと収録日時は以下の通り。

Side One

1. Slow Train 1987-07-04 4:54

2. I Want You 1987-07-24 3:59

3. Gotta Serve Somebody 1987-07-26 5:42

4. Queen Jane Approximately 1987-07-19 6:30

Side Two

1. Joey {Bob Dylan & Jacques Levy} 1987-07-04 9:10

2. All Along the Watchtower 1987-07-26 6:17

3. Knockin' on Heaven's Door 1987-07-26 6:51


 この時のディランとのツアーの全体は以下の通り。

1987-07-04, Sullivan Stadium, Foxboro, MA

1987-07-10, JFK Stadium, Philadelphia, PA

1987-07-12, Giants Stadium, East Rutherford, NJ

1987-07-19, Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR

1987-07-24, Oakland-Alameda County Coliseum Stadium, Oakland, CA

1987-07-26, Anaheim Stadium, Anaheim, CA

 このうち24日と26日のデッドのみの部分の各々全体が《View From The Vault IV》で CD DVD が別々にリリースされた。

 また12日のデッドのみの部分の全体が《Giants Stadium 1987, 1989, 1991》でリリースされた。(ゆ)


0118日・火

 HiFiMAN JapanEdition XS を発表。国内価格税込6万弱は、なかなかやるな。しかし、諸般の事情というやつで、ここはガマン。


 図書館から借りた1冊『リマリックのブラッド・メルドー』を読みだす。ここ5年ほどのろのろと書きつづけているグレイトフル・デッド本にそろそろいい加減ケリをつけてまとめようとしている、その参考になるかと思って手にとった。最初の二章を読んで、あまり参考にはならないと思ったが、中身そのものは面白い。以前、中山康樹『マイルスを聞け!』も、参考になるかと思って読んでみて、やはり参考にならなかったけれど、やはり面白く、別の意味でいろいろ勉強になった。



 マイルス本にしても、このメルドー本にしても、それぞれ対象が異なるのだから、グレイトフル・デッド本を書く参考にならないのは当然ではある。それでも藁にもすがる思いで手にとるのは、それぞれの対象の扱い方は対象と格闘し、試行錯誤を重ねる中で見つけるしかない、その苦しさと不安をまぎらわせるためではある。それにしても、デッドはマイルスよりもメルドーよりもずっと大きく、底も見えない。いや、マイルスやメルドーが小さいわけではなく、かれらとデッドを比べるのは無限大の自乗と三乗を比べるようなものではあるが、それでもデッドの音楽の広がりと豊饒さと底の知れなさは、他のいかなる音楽よりも巨大だと感じる。

 面白いことのひとつは、牧野さんもチャーリー・パーカーを日夜聴きつづけて、ある日「開眼」した。この場合聴いていたのは駄作と言われる《Plays Cole Porter》。後藤さんによればパーカーの天才はフレージングなのだから、そこさえしっかりしていればいいわけだ。

 二人までも同じ経験をしているのなら、試してみる価値はある。ただ、今、あたしにチャーリー・パーカーが必要かは、検討しなくてはならない。パーカーがわかることは、デッドがわかるために必要だろうか。

 必要であるような気もする。あるミュージシャンをわかれば、それもとびきりトップ・クラスのミュージシャンをわかれば、他のとびきりのミュージシャンもわかりやすくなるだろう。

 一方で、後藤さんも牧野さんも、まだ若い、時間がたっぷりある頃にその体験をしている。あたしにそこまでの余裕は無い。これはクリティカルだ。とすれば、パーカーは諦めて、デッドを聴くしかない。

 デッドはもちろんまだよくわかっていないのだ。全体がぼんやり見えてきてはいるが、この山脈は高く、広く、深く、思わぬところにとんでもないものが潜んでいる。デッドの音楽がわかった、という感覚に到達できるかどうか。それこそ、日夜、デッドを聴きつづけてみての話だ。

 牧野さんはジャズを通じて、普遍的、根源的な問いに答えを出そうとする。あたしは大きなことは脇に置いて、グレイトフル・デッドの音楽のどこがどのようにすばらしいか、言葉で伝えようとする。むろん、それは不可能だ。そこにあえて挑むというとおこがましい、蟷螂の斧ですら無い、一寸の虫にも五分の魂か、蟻の一穴か。いや、実はそんな大それたものではなく、はじめからできないとわかっていることをやるのは気楽だというだけのことだ。できるわけではないんだから、どんなことをやってもいい。はじめから失敗なのだから、失敗を恐れる必要もない。できないとわかっているけれど、でもやりたい。だから、やる。それだけのこと。

 一つの方針として、できるだけ饒舌になろうということは決めている。そもそも、いくら言葉をならべてもできないことなのだから、簡潔にしようがない。できるかぎりしゃべりまくれば、そのなかのどこかに、何かがひっかかるかもしれない。

 牧野さんは出せる宛もない原稿を書きつづけて千枚になった。それは大変な量だが、しかし、それではデッドには足らない。まず倍の二千枚は必要だ。目指すは1万枚。400万字。どうせならキリのいいところで500万字。これもまず千枚も書けないだろう。だからできるだけ大風呂敷を広げておくにかぎる。

 デッドを聴けば聴くほど、それについて調べれば調べるほど、デッドの音楽は、アイリッシュ・ミュージックと同じ地平に立っている、と思えてくる。バッハのポリフォニーとデッドの集団即興のジャムが同じことをやっているのを敷衍すれば、バッハ、デッド、アイリッシュ・ミュージック(とそれにつながるブリテン諸島の伝統音楽)は同じところを目指している。バッハとデッドはポリフォニーでつながり、デッドとアイリッシュ・ミュージックはその音楽世界、コミュニティを核とする世界の在り方でつながる。アンサンブルの中での個の独立と、独立した個同士のからみあい、そこから生まれるものの共有、そして、それを源としての再生産。これはジャズにもつながりそうだが、あたしはジャズについては無知だから、積極的には触れない。ただ、デッドの音楽は限りなくジャズに近づくことがある。限りなく近づくけれど、ジャズそのものにはならない。それでも限りなく近づくから、どこかでジャズについても触れないわけにもいくまい。デッドが一線を画しながら近づくものが何か、どうしてどのようにそこに近づくのか、は重要な問いでもある。

 アイリッシュ・ミュージックを含めたブリテン諸島の伝統音楽とするが、いわば北海圏と呼ぶことはできそうだ。地中海圏と同様な意味でだ。イベリア半島北岸、ブルターニュ、デンマーク、スカンディナヴィア、バルト海沿岸までの大陸も含む。ただ、そこまで広げると手に余るから、とりあえずブリテン諸島ないしブリテン群島としておく。



##本日のグレイトフル・デッド

 0118日には1970年から1979年まで、3本のショウをしている。公式リリースは準完全版が1本。


1. 1970 Springer's Inn, Portland, OR

 このショウは前々日の金曜日にステージで発表された。1時間半の一本勝負。オープナーの〈Mama Tried〉と7曲目〈Me And My Uncle〉を除いて全体が《Download Series, Volume 02》でリリースされた。配信なので時間制限は無いから、省かれたのは録音そのものに難があったためだろう。

 短いがすばらしいショウ。4曲目〈Black Peter〉でスイッチが入った感じで、その次の〈Dancing In The Street〉が圧巻。後年のディスコ調のお気楽な演奏とは違って、ひどくゆっくりとしたテンポで、ほとんど禍々しいと呼べる空気に満ちる。ひとしきり歌があってからウィアが客席に「みんな踊れ」とけしかけるが、その後の演奏は、ほんとうにこれで踊れるのかと思えるくらいジャジーで、ビートもめだたない。ガルシアのギターは低域を這いまわって、渋いソロを聴かせる。前年と明らかに違ってきていて、フレーズが多様化し、次々にメロディが湧きでてくる。同じフレーズの繰返しがほとんど無い。次の〈Good Lovin'〉の前にウィアが時間制限があるから次の曲が最後と宣言する。が、それから4曲、40分やる。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉はもう少し後の、本当に展開しきるところへの途上。それでもガルシアのソロは聞き物。クローザー〈Turn On Your Lovelight〉は安定しないジャムが続き、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。


2. 1978 Stockton Civic Auditorium, Stockton, CA

 自由席なので、土砂降りの雨の中、長蛇の列ができた。ショウはすばらしく、並んだ甲斐はあった。Space はウィアとドラマーたちで、Drums は無し。

 ストックトンはオークランドのほぼ真東、サクラメントのほぼ真南、ともに約75キロの街。サンフランシスコ湾の東、サスーン湾の東側に広がるサクラメントサン・ホアキン川デルタの東端。

 年初以来のカリフォルニア州内のツアーがここで一段落。次は22日にオレゴン大学に飛んで単独のショウをやった後、30日のシカゴからイリノイ、ウィスコンシン、アイオワへ短かいツアー。2月の大部分と3月一杯休んで4月初旬から5月半ばまで、春のツアーに出る。


3. 1979 Providence Civic Center, Providence, RI

 8.50ドル。開演8時。《Shakedown Street》がリリースされて初めてのこの地でのショウ。ローカルでこのアルバムがヒットしていたため、ひと眼でそれとわかる恰好をしたディスコのファンが多数来たが、お目当てのタイトル・チューンは演奏しなかったので、終演後、怒りくるっていた由。

 デッドはアルバムのサポートのためのツアーはしないので、リリースしたばかりの新譜からの曲をやるとは限らない。もっとも、このショウでは〈I Need A Miracle〉〈Good Lovin' 〉〈From The Heart Of Me〉と《Shakedown Street》収録曲を3曲やっている。

 〈Good Lovin' 〉は19660312日初演、おそらくはもっと前から演奏しているものを、13年経って、ここで初めてスタジオ録音した。カヴァー曲でスタジオ録音があるのは例外的だ。元々はピグペンの持ち歌で、かれが脱けた後は演奏されなかったが、ライヴ休止前の19741020日ウィンターランドでの「最後のショウ」で復活し、休止期後の197610月から最後までコンスタントに演奏されている。演奏回数425回。14位。ピグペンの持ち歌でかれがバンドを脱けてから復活したのは、これと〈Not Fade Away〉のみ。

 〈From the Heart of Me〉はドナの作詞作曲。19780831日、デンヴァー郊外のレッド・ロックス・アンフィシアターで初演。ガチョー夫妻参加の最後のショウである19790217日まで、計27回演奏。

 〈I Need A Miracle〉はバーロゥ&ウィアのコンビの曲。19780830日、同じレッド・ロックス・アンフィシアターで初演。19950630日ピッツバーグまで、272回演奏。

 デッドのショウは「奇蹟」が起きることで知られる。何らかの理由でチケットを買えなかった青年が会場の前に "I Need a Miracle" と書いた看板をもって座っていると、ビル・グレアムが自転車で乗りつけ、チケットと看板を交換して走り去る。チケットを渡された方は、口を開け、目を点にして、しばし茫然。幼ない頃性的虐待を繰り返し受け、収容施設からも追いだされた末、ショウの会場の駐車場でデッドヘッドのファミリーに出会って救われた少女。事故で数ヶ月意識不明だったあげく、デッドの録音を聞かせられて意識を回復し、ついには全快した男性。ショウの警備員は途中で演奏がやみ、聴衆が静かに別れて救急車を通し、急に産気づいた妊婦を乗せて走り去り、また聴衆が静かにもとにもどって演奏が始まる一部始終を目撃した。臨時のパシリとなってバンドのための買出しをした青年は、交通渋滞にまきこまれ、頼まれて買ったシンバルを乗せていたため、パニックに陥って路肩を爆走してハイウェイ・パトロールに捕まるが、事情を知った警官は会場までパトカーで先導してくれる。初めてのデッドのショウに間違ったチケットを持ってきたことに入口で気がついてあわてる女性に、後ろの中年男性が自分のチケットを譲って悠然と立ち去る。

 この歌で歌われている「奇蹟」はそうしたものとは別の類であるようだ。とはいえ、デッドヘッドは毎日とはいわなくても、ショウでは毎回「奇蹟」が起きるものと期待している。少なくとも期待してショウへ赴く。それに「奇蹟」はその場にいる全員に訪れるとはかぎらない。自分に「奇蹟」が来れば、それでいい。だから、この歌では、ウィアがマイクを客席に向けると、聴衆は力一杯 "I need a miracle every day!" とわめく。デッドが聴衆に歌わせるのは稀で、この曲と〈Throwing Stone〉だけ。どちらもウィアの曲。もちろん、聴衆はマイクを向けられなくても、いつも勝手に歌っている。ただ、この2曲ではバンドはその間演奏をやめて、聴衆だけに歌わせる。(ゆ)


11月23日・火

 iPhone Safari のタブに溜めていた音源を片っ端から聴く。数秒聞いてやめるのが半分くらい。中には、こういうのもじっくり聴くと面白くなるかも、というアヴァンギャルドもあるが、面白くなるまで時間がかかるのは、どうしても敬遠してしまう。こちとら、もうそんなに時間は無いのよ。

 逆に、数秒聞いて、これは買い、というのもいくつかある。

 Sara Colman のジョニ・ミッチェル・カヴァー集《Ink On A Pin》。〈Woodstock〉がこれなら、他も期待できる。
 

 Falkevik。ノルウェイのトリオ。これが今回一番の収獲。
 

 ウェールズの Tru の〈The Blacksmith〉はすばらしい。ちゃんとアルバム出してくれ。
 

 Chelsea Carmichael。シャバカ・ハッチングスがプロデュースなら、悪いものができるはずがない。
 

 Lionel Loueke。ベニン出身のギタリスト。ジャズ・スタンダード集。Tidal でまず聴くか。
 

 Esbe。北アフリカ出身らしい、ちょっと面白い。ビートルズのイエスタディのこのカヴァーは、もう一歩踏みこんでほしいが、まず面白い。むしろ、ルーミーをとりあげたアルバムを聴くかな。
 

 Grace Petrie。イングランドのゲイを公言しているシンガー・ソング・ライター。バックが今一なのだが、本人の歌と歌唱はいい。最新作はパンデミックにあって希望を歌っているらしい。
 

 Scottish National Jazz Orchestra。こんな名前を掲げられたら聞かないわけにいかないが、ドヴォルザークの「家路」をこう仕立ててきたか。こりゃあ、いいじゃない。

 Bandcamp のアメリカ在住アーティストのブツの送料がばか高いのが困る。ブツより高い。他では売ってないし。ただでさえ円安なのに。



##本日のグレイトフル・デッド

 1123日には1968年から1979年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1968 Memorial Auditorium, Ohio University, Athens, OH

 トム・コンスタンティンが正式メンバーとして参加した最初のショウ。

 前日のコロンバスでのショウにオハイオ大学の学生が多数、大学のあるアセンズから1時間半かけてやって来ていた。そこでデッドは翌日、ここでフリー・コンサートをやった。アセンズでショウをしたのはこの時のみ。

 少し後、1970年代初期にデッドは集中的に大学でのショウをするが、当初から学生を大事にしていたわけだ。ジョン・バーロゥと弁護士のハル・カント、1980年代半ばまでマネージャーだったロック・スカリー、後に広報担当となるデニス・マクナリーを除けば、デッドのメンバーにもクルーにもスタッフにも大学卒業者はいないのだが、大学生はデッドの音楽に反応した。

 このショウのことを書いたジェリィ・ガルシアからマウンテン・ガールこと Carolyn Elizabeth Garcia への手紙が1968年に書かれたものであるかどうかが、彼女とガルシア最後のパートナー、デボラ・クーンズ・ガルシアとの間のジェリィ・ガルシアの遺産をめぐる訴訟の争点となり、その手紙が1968年にまちがいなく書かれたものだとレシュが法廷で証言した。


2. 1970 Anderson Theatre, New York, NY

 セット・リスト無し。

 ヘルス・エンジェルスのための資金集め。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座で、これにウィアが参加した模様。

 ヘルス・エンジェルスとデッドとの関係はあたしにはまだよくわからない。デッド・コミュニティの中でも敬して遠ざけられている。デッドヘッドのための辞書である The Skeleton Key でも項目が無い。しかし、避けて通れるものでもないはずだ。

 マクナリーの本では1967年元旦のパンハンドルでのパーティの際に、ヘルス・エンジェルスがデッドを仲間と認めたとしている。初版176pp.

 このパーティはエンジェルスのメンバーの1人 Chocolate George が逮捕されたのを、The Diggers が協力して保釈させたことに対するエンジェルスの感謝のイベントで、デッドとビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーが出た。

 マクナリーによればエンジェルスは社会通念から疎外された者たちの集団として当時のヒッピーたちに共感してはいたものの、エンジェルスの暴力志向、メンバー以外の人間への不信感、保守的な政治志向から、その関係は不安定なものになった。1965年秋の「ヴェトナム・デー」では、エンジェルスは警官隊とともにデモ参加者に暴力をふるった。アレン・ギンズバーグとケン・キージィがエンジェルスと交渉し、以後、エンジェルスはこの「非アメリカ的平和主義者」に直接暴力をふるうことはしないことになった。たとえば1967年1月14日の有名なゴールデン・ゲイト公園での "Be-in" イベントではエンジェルスがガードマンを平和的に勤めている。

 一方でエンジェルスのパーティでデッドが演奏することはまた別問題とされたようでもある。また、ミッキー・ハートはエンジェルスのメンバーと親しく、かれらはハートの牧場を頻繁に訪れた。それにもちろんオルタモントの件がある。あそこでヘルス・エンジェルスをガードマンとして雇うことを推薦したのはデッドだった。

 ひょっとすると、単にガルシアがエンジェルスを好んだ、ということなのかもしれないが、このハートの例を見ても、そう単純なものでもなさそうだ。

 ヘルス・エンジェルスそのものもよくわからない。おそらく時代によっても場所によっても変わっているはずだ。大型オートバイとマッチョ愛好は共通する要素だが、ケン・キージィとメリィ・プランクスターズとの関係を見ても、わが国の暴走族とは違って、アメリカ文化の主流に近い感じもある。


3. 1973 County Coliseum, El Paso, TX

 前売5ドル。開演7時。良いショウの由。長いショウだ。


4. 1978 Capital Centre, Landover , MD

 7.70ドル。開演8時。これとセット・リスト以外の情報が無い。


5. 1979 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA

 セット・リスト以外の情報が無い。(ゆ)


 パディ・モローニの訃報は晴天の霹靂だった。死因はどこにも出ていないようだ。Irish Times には比較的最近のビデオがあるから、あるいは突然のことだったのかもしれない。

 先日の「ショーン・オ・リアダ没後50周年記念コンサート」のキョールトリ・クーラン再編にモローニが参加しなかったことについて、オ・リアダの息子との確執を憶測したけれど、あるいは健康状態もあったのかもしれない。あの時、不在の原因としてモローニの健康を思いつかなかったのは、かれが死ぬなどということは考えられなかったからだ。他が全員死に絶えようと、モローニだけは生きのこって、唯一人チーフテンズをやっていると思いこんでいた。こんなに早く、というのが訃報を知っての最初の反応だった。


 パディ・モローニがやったことのプラスマイナスは評価が難しい。見る角度によってプラスにもマイナスにもなるからだ。まあ、ものごとはそもそもそういうものであるのだろう。それにしても、かれの場合、プラスとマイナスの差がひどく大きい。

 出発点においてチーフテンズが革命であったことは間違いない。そもそもお手本としたキョールトリ・クーランが革命的だったからだ。モローニはクリエイターではない。アレンジャーであり、プロデューサーだ。オ・リアダが始めたことをアレンジし、チーフテンズとして提示した。クラシカルの高踏をフォーク・ミュージック本来の親しみやすさに置き換え、歌を排することで、よりインターナショナルな性格を持たせた。たとえ生きていたとしても、オ・リアダにはそういうことはできなかっただろう。クラシックとしてより洗練させることはできたかもしれないが、それはアイリッシュ・ミュージックとはまったく別のものになったはずだ。

 チーフテンズもアイリッシュ・ミュージックのグループとは言えない。ダブリナーズ、プランクシティ、ボシィ・バンドのようなアイリッシュ・ミュージックのバンドと、キョールトリ・クーランのようなクラシック・アンサンブルの中間にある。もちろんこの位置付けは後からのもので、モローニが当初からそれを意図してわけではないだろう。かれはかれなりに、自分がやりたいこと、面白いだろうと思ったことをやろうとした。キョールトリ・クーランを手本としたのは、それが手近にあったことと、オ・リアダが目指したことを、モローニもまた目指そうとしたからだろう。それが結果としてチーフテンズをアイリッシュ・ミュージックとクラシックの中間に置くことになった。

 当初はしかしむしろモローニは自分なりのアイリッシュ・ミュージックのアンサンブルを構想したと見える。チーフテンズだけでやっていた時はそうだ。1977年頃までだ。《Live!》は今聴いても十分衝撃的だ。アイリッシュ・ミュージックのアルバムの一つの究極の姿と言ってもいい。

Live!
The Chieftains
CBS
1977T

 

 チーフテンズがアイリッシュ・ミュージックとクラシックの中間にあり、様々な他の音楽とのコラボレーションに使えるといつモローニが気がついたのかはわからない。少なくとも中国に行く前に確信していたことは明らかだ。そして以後、モローニはチーフテンズのマーケットをコラボレーションによって拡大することに邁進する。その際、ポリシーとしたことは二つ。チーフテンズの音楽、レパートリィと手法は変えないこと、そしてチーフテンズの音楽を「アイリッシュ・ミュージック」として売り込むこと。それによってモローニはチーフテンズをビジネスとして成功させる。

 チーフテンズのコンサートは判で押したようにいつも同じだ。やる曲も順番も演奏も時間も MC もすべてまったく変わらない。わが国以外でチーフテンズのコンサートを見たことはないから言明はできないが、場所によって多少変えていただろうことは想像はつく。ただ、基本は同じだっただろう。そして共演する相手に変化がある。録音はもっと手間暇をかけられるし、テーマも立てやすいから、もっとヴァリエーションを作れる。チーフテンズのコンサートは何度か見れば、後は見ても見なくても大して違いはなくなる。もっとも、その違いが無いことを確認するために見るというのはありえた。録音の方には繰返し聴くに値するものがある。

 ただし、録音にしても変わるのはモチーフや構成、共演のアレンジで、チーフテンズの音楽そのものはコンサートと同じく、いつもまったく同じだ。変わらないことによって、どんな音楽が来ても、共演できる。そして誰と一緒にやっても、それは否応なくチーフテンズの音楽になる。

 モローニのやったことのマイナス面の最大のものは、チーフテンズの音楽をアイリッシュ・ミュージックそのものとして売り込んだことだろう。この場合チーフテンズの音楽以外はアイリッシュ・ミュージックでは無いことも暗黙ながら当然のこととして含まれた。チーフテンズの音楽がアイリッシュ・ミュージックの位相の一つだったことはまちがいない。しかし、アイリッシュ・ミュージックの中心にいたことは一度も無かった。むしろアイリッシュ・ミュージックの中では最も中心から遠いところにいて、1970年代末以降はどんどん離れていった。Irish Times でのモローニの追悼記事が「音楽」欄の中でも「クラシカル」に置かれていることは象徴的だ。チーフテンズの音楽は「チーフテンズ(チーフタンズ)」というブランドの商品だった。それをイコール・アイリッシュ・ミュージックとして売り込むことに成功したことで、商品としてのアイリッシュ・ミュージックのイメージが「チーフテンズ(チーフタンズ)」になった。


 チーフテンズを続けていることは、モローニにとって幸せだっただろうか。幸せではないなどとは本人は口が裂けても言わなかったはずだ。幸せかどうかはもはや問題にならないレベルになっていたのでもあるだろう。そう問うことには意味が無いのかもしれない。

 しかし、一箇の音楽家としてのパディ・モローニを思うとき、チーフテンズを始めてしまったことは本人にとっても不運なことだったのではないか、と思ってしまう。アイリッシュ・ミュージックの傑出した演奏家として大成する道もとれたのではないか、と思ってしまう。

 パディ・モローニはパイパーとして、そしてそれ以上にホィッスル・プレーヤーとして、他人の追随を許さない存在だった。と、あたしには見える。《The Drones And The Chanters: Irish Pipering》Vol. 1 でかれのソロ・パイプを聴くと、少なくとも1枚はソロのフル・アルバムを作って欲しかった。そしてショーン・ポッツとの共作ながら、彼の個人名義での唯一のアルバム《Tin Whistle》に聴かれるかれのホィッスル演奏は、未だに肩を並べるものも、否、近づくものすら存在しない。この二つの録音は、まぎれもなくアイリッシュ・ミュージックの真髄であり、とりわけ後者はその極北に屹立している。

 あたしが訳したチーフテンズの公式伝記の末尾近く、パディがダブリンのパイパーズ・クラブのセッションに参加するシーンがある。久しぶりに参加して、ひたすらパイプを吹きまくり、パディは指がツりそうになる。たまたまそこへフィドラーのショーン・キーンが現れ、セッションにいるパディを見て、大声でけしかけ、励ます。どうした、パディ。もっとやれえ。パディはあらためてチャンターを手にとる。そこでのパディはそれは幸せそうに見える。だからショーン・キーンも嬉しくなって思わず声をかけたのだろう。


 さらば、パディ・モローニ。チーフテンズはこれでめでたく終演を迎え、一つの時代が終った。あなたはクリスチャンのはずだから、天国に行って、楽しく、誰はばかることなく、大好きなパイプやホィッスルを思う存分吹いていることを祈る。合掌。(ゆ)


1011日・月

 田川建三さんの講座で軽井沢に往復。3ヶ月ぶり。中軽井沢正午前着。かぎもとやに駆けこむ。直後から客がどんどん。三度めにして大盛りとけんちん汁。このくらいの量でようやく蕎麦の旨さがわかる。汁の良いのも改めて味わう。1軒置いたならびの喫茶店、インドカレーをやっている。ナンもある。次に試すか。講座はイントロから徐々に本題に入ってきて、俄然面白くなった。


 往復、A4000+M11pro でデッドを聴いてゆく。音は良い。が、左耳が痛くなる。イヤチップは最小のものにしてあるのだが。イヤフォンはこれが問題。


 帰ると Grateful Dead, Listen To The River ボックス・セットが着いていた。輸入消費税1,200円をとられる。The Murphy Beds, Easy Way DownThe Irish Consort, Music, Ireland And The Sixteenth Century のCD着。




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本日のグレイトフル・デッド

 1011日は1968年から1994年まで9本のショウをしている。公式リリースは3本。


1. 1968 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 3日連続のショウの初日。ハガキが残っていて、共演者として Lee MichaelsLinn CountyMance Lipscomb の名がある。

 リー・マイケルズは1945年生まれ。ハモンド・オルガンの名手でソウルフルなシンガー、と Wikipedia にある。1971年に〈Do You Know What I Mean〉がトップ10ヒットとなる。

 リン・カウンティは1968年から1970年の間に3枚アルバムを出したブルーズ・ベースのロック・バンド。というのは Wikipedia で、Discog ではサイケデリック・バンド。アイオワ州リン・カウンティ出身で、後サンフランシスコに移る。

 マンス・リプスコゥム (1895-1975) はテキサス出身のブルーズ・シンガー、ギタリスト、ソングスター。1960年にファースト・アルバムを出し、1963年のモンタレー・フォーク・フェスティヴァルに出演。録音は多くない。自伝がある。


2. 1970 Marion Shea Auditorium, Paterson State College, Wayne, NJ

 昨日の Colden Auditorium, Queens College, New York, NY と間違えた。こちらが昨日の記述にあたるショウ。4ドル。大学の在学生は3.50ドル。夜7時開演。テープとセット・リストは残っていて、それによると1時間半の一本勝負。招聘に関わった人物によると、バンド・メンバーの半分が空港からタクシーでどこかへ行ってしまい、実際のスタートは夜11時を過ぎていた由。


3. 1977 Lloyd Noble Center, University of Oklahoma, Norman, OK

 前半9曲のうちオープニングの3曲〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉、7曲目の〈Sunrise〉、ラストの〈Let It Grow〉が《Road Trips, Vol. 1 No. 2》で、後半8曲のうちオープニング2曲とラスト3曲が《Dick's Picks, Vol. 29》でリリースされた。ただし、後者は当初のCD版のみの収録で、後に出たダウンロード版には含まれていない。あたしはCD版は持っていない。

 さすがに1977年の公式リリース、ベストの時のデッドの精髄だ。〈Sunrise〉はドナ・ジーン・ガチョーの持ち歌で、この録音は歌いだしでマイクが外れているが、演奏は良い。


4. 1980 Warfield Theater, San Francisco, CA

 15本連続の13本目。オープナーの〈Dire Wolf〉と5曲目〈Deep Elem Blues〉が《Reckoning》で、第二部5、6曲目の〈Loser〉〈Passenger〉が《Dead Set》でリリースされた。

 〈Loser〉がすばらしい。最初にデッドにハマった時以来、この歌は大好きなのだが、これはまた一段と染み入る演奏。"I got no chance of losing this time" というキメのセリフの切なさが最高。これだけ負けつづけていれば、確率からして、次は負けるはずはない。むろん、かれは次も負ける。たぶん、本人もそれはわかっている。が、認めるわけにはいかない。ハンター&ガルシアはギャンプラーをよく歌の題材にとりあげるが、この歌はその中の最高傑作だと思う。このコンビの歌としてもベストの一つだ。


5. 1981 Club Melk Weg, Amsterdam, Netherlands

 ガルシアとウィアによるアコースティック・セットで、グレイトフル・デッドのショウには数えられていない。


6. 1983 Madison Square Garden, New York , NY

 2日連続の1日目。後半、Drums の後〈St. Stephen〉が1979-01-10のニューヨーク州ユニオンデイル以来4年ぶりに演奏され、デッドヘッドは狂喜乱舞した。しかしこの曲はこの後、2度、同じ月の内に演奏されて終りとなる。初演は1968年6月。計169回演奏。スタジオ盤は《Aoxomoxoa》。明らかにイングランド伝統歌をベースにしたメロディ、聴く度にガルシアはフェアポートを聴いていたのか、と思う。ブリッジではクラシックの換骨奪胎もやる。もっともこの通称 William Tell bridge は後期には演奏されなくなる。デッドヘッドにはなぜか人気があり、レパートリィから外れても繰返しリクエストされたが、バンドは「あの曲は忘れた」と言ってついに復活しなかった。

 それは別としても、ショウ全体としてもベストの一つだった由。


7. 1984 Augusta Civic Center, Augusta, ME

 2日連続の1日目。12.50ドル、午後8時開演。この2日間も良いショウだった由。この日後半の〈Playing In The Band〉は終っておらず、翌日に戻ることになる。


8. 1989 Meadowlands Arena, East Rutherford , NJ

 前半5曲目〈When I Paint My Masterpiece〉が《POSTCARDS OF THE HANGING》で、後半オープニングの〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 どちらも見事な出来。前者はこの歌のデッドのカヴァーのベストの一つ。


9. 1994 USAir Arena, Landover, MD

 3日連続の最終日。この日の Drums または Rhythm Devils にはガルシアも参加した。(ゆ)


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