クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:音源

9月19日・日

 朝起きて MacBook Air を開くとネットにつながらない。と言うよりも、ネットにはつながっているが、「サーバが見つかりません」と出る。メールもだめ。MacBook Air 本体、ルータやモデムを再起動してもだめ。iPhone iPad はつながるので macOS の問題らしい。Big Sur Cache Cleaner でシステムのキャッシュを軽く掃除したらつながった。つながってから見てみるとプロバイダが接続障害情報を出しているから、それかもしれない。でも、掃除する前よりもブラウザの反応もきびきびしているから、やはりキャッシュが悪さをしていた部分もあるのだろう。

 ヘッドフォン祭 ONLINE をちょこちょこ覗く。iFi ZEN Stream は良いかもしれない。オール・イン・ワンやストリーマ付き DAC を買うより、すでに DAC やヘッドフォン・アンプは立派なものが手許にあるのだから、専用のストリーマを導入する方が面白い。今は M11Pro をストリーマにしているようなものだ。ストリーマに頼れるものがあれば、DAP AirPlay 対応にこだわらなくてもいい。



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本日のグレイトフル・デッド

 9月19日には1970年から1990年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1970 Fillmore East, New York, NY

 4日連続の3日め。前日にジミ・ヘンドリックスが死んで、ガルシアのギターにそのスピリットが宿っていた、という報告がある。三部構成でアコースティック・デッド、New Riders Of The Purple Sage、エレクトリック・デッド。もっとも第一部ではガルシアがエレクトリック・ギターを弾くこともあったらしい。

2. 1972 Roosevelt Stadium, Jersey City, NJ

 この前後、09-17, Baltimore Civic Center, Baltimore, MD 09-21, The Spectrum, Philadelphia, PA はともに《Dick's Picks》で完全版が出ているが、これが無視されているのは、出来が良くないか。72年でもダメな時があったのか。

3. 1987 Madison Square Garden, NY

 5本連続の4本め。後半冒頭〈Crazy Finger〉で、"Who can stop what must arrive now, Something new is waiting to be born" と歌いながら、ガルシアがレシュを見て、大きく笑顔を浮かべて、レシュに息子が生まれたのを祝ったそうな。

4. 1988 Madison Square Garden, New York , NY

 9本連続の5本め。

5. 1990 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の5本目。ブルース・ホーンスビィ参加。後半の前半5曲が《Road Trips, Vol. 2, No. 1》に収録された。この時の MSG レジデンスではベストのショウらしい。しかし、《Road Trips, Vol. 2, No. 1》を聴くかぎり、翌日も甲乙つけ難い。(ゆ)


5月25日・火 > 最新版 2021-06-10

 頼まれたことから思いついて、ケルト系、北欧系、その他主にヨーロッパのルーツ・ミュージックを志向する国内アーティストでCDないし音源をリリースしている人たちをリストアップしてみる。この他にもいるはずだし、ゲーム関連を入れるとどんと増えそうだが、とりあえず、手許にあるもの。ソロも独立に数えてトータル95。

3 Tolker
Butter Dogs
Cabbage & Burdock
coco←musika
Cocopeliena
Craic
Drakskip
Emme
fiss
Gammal Gran
Handdlion
Hard To Find
Harmonica Creams
hatao
hatao & nami
John John Festival
JungRAvie
Kanran
Koji Koji Moheji(小嶋佑樹)
Koucya
Luft
Norkul TOKYO
O'Jizo
oldfields
Rauma 
Rinka
Satoriyakki
Si-Folk
tipsipuca
Toyota Ceili Band
Tricolor
u-full & Dularinn
あらひろこ
安城正人
稲岡大介
上野洋子
上原奈未
生山早弥香
扇柳トール
大森ヒデノリ
岡大介
岡林立哉
おとくゆる
樫原聡子
風とキャラバン
神永大輔
亀工房
川辺ゆか&赤澤淳
木村林太郎
きゃめる
櫛谷結実枝
熊沢洋子
功力丈弘
五社義明
小松大&山崎哲也
さいとうともこ
酒井絵美
坂上真清
佐藤悦子 勝俣真由美
セツメロゥズ
高垣さおり
高野陽子
田村拓志
ちゃるぱーさ
東京ヨハンソン
豊田耕三
内藤希花&城田じゅんじ
中村大史
奈加靖子
生梅
西海孝
猫モーダル
野間友貴
馬喰町バンド
秦コータロー
服部裕規
バロンと世界一周楽団
日花
ビロビジャン
鞴座
福江元太
ポッロヤキッサ
本田倫子
マトカ
丸田瑠香&柏木幸雄
村上淳志
守安功&雅子
安井敬
安井マリ
山崎明
悠情
遊佐未森
ロバの音楽座

 整理の意味も含めて、全部聴きなおして紹介するか。データベースにもなるだろ。(ゆ)

2021-06-10 改訂
2021-06-08 改訂

2021-06-02 改訂
2021-05-31 改訂
2021-05-28 改訂
2021-05-27 改訂

 お足許の悪い中、標題のイベントにお越しいただき、まことにありがとうございました。無事、終えることができて、肩の荷を下ろした気分です。今回はいろいろな事情が重なって、準備に手間どり、バラカンさんをもやきもきさせてしまいました。

 今回もいつものように、これまで聴いていないものということだけで、あまり考えずにパっと浮かんだ曲を聴いていったわけですが、どれもこれも段々長くなり、また長くなるほどに演奏が良くなり、加えてどれもこれも力演熱演名演のオンパレード。聴いている間は至福、聴いてから、さあどれにしようと七転八倒の繰り返し。

 たとえば〈Scarlet Begonias> Fire on the Mountain〉は手許にあるものが50本。1976年までは〈Scarlet Begonias〉単独もありますが、これもやはり段々長くなります。つながると、ほとんどは20分、最長30分を超えます。トータル14時間半強になりました。

 こういう時に限っていろいろなものが集中する間を縫って聴きます。さすがに1本がこれだけ長くなると、3本4本と続けるわけにもいきません。それに、今回聴いた曲はどれもそうなのですが、バンドがいかにも愉しんで、嬉しくてたまらない様子で演奏しているのがありありとわかります。これには引き込まれます。聴き終ってすぐ、よおし、さあ次、というわけにはまいりません。

 というわけで、このペアの3本に絞った最終候補プラス「スカベゴ」単独の1本をバラカンさんに送ったのが1週間前。それからばたばたと他の曲を聴いては選びして、何とか前日までにセレクションを終えて滑り込みセーフ。

 聴いた音源のソースをあらためて上げておきます。

Eyes Of The World
1990-03-29, Nassau Coliseum, Uniondale, NY
from Spring 1990 (The Other One)

Sugaree
1979-12-28, Oakland Auditorium, Oakland, CA
from Road Trips, Vol. 3 No. 1

The Music Never Stopped
1977-11-06, Broome County Veterans Memorial Arena, Binghamton, NY
from Dave's Picks, Vol. 25

Scarlet Begonias> Fire On The Mountain
1994-10-01, Boston Garden, Boston, MA
from 30 Trips Around The Sun

Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo
1977-11-06, Broome County Veterans Memorial Arena, Binghamton, NY
from Dave's Picks, Vol. 25


 ばたばたの余波で、前回聴いていたのを完全に忘れ、〈Ripple〉をアンコールにしようとしてました。一つには先日、この曲の面白いビデオを教えられたことがあります。世界各地のミュージシャンたちが、各々の居場所で各々に参加し、全員がネットでつながって全体としてこの曲を演奏しているもの。ドラムスがビル・クロイツマン。



 名曲だあ、とあらためて思い知らされたわけですが、前回聴いていたのに気がついたのが昨日の朝で、別の曲に入れ換える余裕もなく、頭を捻って思いついたのがカヴァーを聴くことでした。

 この曲は名曲ですが、デッドやガルシア本人の演奏は正直今一つピンとくるものが無いこともあります。むしろ他人がカヴァーしたものの方が圧倒的に良い。その一つを聴いたらどうだろうというので、本番前にバラカンさんに聴いていただいてOKが出たのがこのヴァージョン。



 アカペラ・コーラス・グループ The Persuasion です。かれらはデッドだけでなく、U2の楽曲のカヴァーで1枚アルバムを作ったりしてます。このヴァージョンは録音もすばらしく、風知空知のタグチ・スピーカーの威力を十二分に発揮してくれました。

 これに限らず、今回はこれまでの4回にも増してサウンドが良いという評価をいただき、多少ともこだわっているあたしとしては嬉しいかぎりです。あまり音が良いのでバラカンさんも思わずツイートしてしまったそうです。音源そのものの録音も良いものが多かったこともあります。77、79年はいわゆる「ベティ・ボード」。

 昨日書いたことに反して、結局、MacBook Pro 13-inch 2016 で Audirvana+ でファイルを再生し、USB で Mojo、さらに真空管ハーモナイザーから店のPAに入れました。真空管ハーモナイザーがその威力をこれまた十二分に発揮してくれたんですが、それとともに USB ケーブルを USB-C から USB 2.0 の microB に直接つなぐものにしたのが大きいのではないかと思っています。これまでは Apple 純正の USB-C アダプター経由で iFi の iDefender 3.0 をかませて Mojo に入れてました。iDefender 3.0 の効果は大きいんですが、Apple の USB-C アダプターがおそらくボトルネックだったんでしょう。なお、30 Trips Around The Sun 所収の 1994年のみ 96/24 のハイレゾ・ファイル、他はCDからリッピングした 44.1/16 です。




 この「21世紀をサヴァイヴするためのグレイトフル・デッド入門」のシリーズはこれで一応「休止」しますが、The Persuasions の〈Ripple〉から思いついて、デッドのカヴァー、つまりグレイトフル・デッドの楽曲を他のミュージシャンたちがカヴァーしたものを集めてみたらどうだろうということになりました。バラカンさんも乗り気で、お店からもぜひと言われたので、いつになるかはまだまったく未定ですが、まあ来年の春ぐらいでしょうか。デッドも「休止期」中の1975年にも4本だけですが、ショウをしてますし。

 とまれ、これで年内の自分がやるイベントはすべて終了。書かねばならない原稿はまだ山のようにありますが、それは独りでしこしこやればいいので、気が楽です。今回のように相手がいる時はまだいいんですが、人前でしゃべるのは、だんだん億劫になってきました。やっぱり、見たり聴いたりする側にいるのが身の丈に合ってます。

 まずは、バラカンさん、鈴木さん@アルテスパブリッシング、風知空知のスタッフの皆様、ありがとうございました。そして最後ですが最大の御礼を、おいでいただいて、グレイトフル・デッドという空前絶後のミュージシャンたちの名演をともに体験してくださったお客様に捧げます。(ゆ)

 あっという間にあと1週間になってしまいました。標題のイベントの準備に文字通り忙殺されています。ほんと、もう死にそう。

 いや、準備作業そのものは、デッドのライヴ音源をひたすら聴いてゆくので、こんなに愉しいことはありません。ただ、他のことがまったくできない。それでも、先週末は別の仕事のビッグ・イベントがあって、その準備もせねばならず、イベントそのものは朝から晩までで、くたくたになり、そこからの回復もままならないのに、後始末にも追われ、他に書かねばならぬ原稿もあれば、読まねばならぬ本、聴かねばならぬ音楽も次から次へと出てきます。

 そう言えば、来年の Dave's Picks 2019 の年間予約受付も始まっています。今年は毎回18,000セットの販売でしたが、2本めの Vol. 26 あたりからやけに供給が逼迫して、年間予約以外の販売の売切れが早くなりました。発売の知らせを見て、Dead.net を見にゆくと売切れているのがここ2回。ついには、発売の1週間前に、いついつ何時に受注開始を知らせるメールが来るようになりました。

 ちなみに Dave's Picks は12,000セットで2012年にスタート。翌年13,000。さらに翌年14,000に増え、2015年、一気に16,500に増えます。ここで2017年まで足踏みして、今年18,000に増加。来年はついに2万の大台に乗ります。

 あたしは2年めの2013年からずっと年間予約をしてきて、来年ももちろんしました。スタート当初の3本を買い逃しているのを悔やんでます。今ではこのあたり、ebay に出たりすると、100ドルを軽く超える値段がついてます。Dave's Picks の前のシリーズ、Road Trips までは配信でも音源は入手できますが、Dave's Picks そのものの公式音源は、CDしかありません。もちろん、探せば、音源そのものは聴けますが、公式リリースのライナーはなかなか読ませますし、何といっても音がいいんですよねえ。

 なお、来年トップの Vol. 29 は 1977-02-26, Swing Auditorium, San Bernardino, CA。ピークの年、1977年最初のショウ。

 今年最後の Vol. 28 は出荷通知が来ていて、現物が着くのを待ってるところです。収録されているのは 1976-06-17, Capitol Theatre, Passaic, NJ。休止から復帰して7本めのショウ。6月3日、オレゴン州ポートランドで復帰してから、ボストン、ニューヨークとやってきて、パセイクのこのヴェニューでの3連チャンの初日。6日当日までに着いたら、とりあえず、対象の曲だけ聴いて、採用するかもしれません。

 今回のお題は「デッドの真髄に迫る!」。これまで4回やってきても、「これを聴かなきゃ、デッドを聴いたことにならん」という曲がたくさん残ってます。そのうちの、やはり一部になるでしょうが、聴いてみよう、というわけ。

 アルテスパブリッシングのニュースレターにも候補にしてる曲が挙がってますが、〈Eyes Of The World〉と〈スカベゴ〉はまず聴かねばなりますまい。〈スカベゴ〉はもちろん FOM とのメドレーが定番ですが、FOM と組み合わされる前の単独にも良い演奏があり、迷ってます。まあ、最終的にはバラカンさんの判断。

 この二つがとにかく長いので、他のメドレーものは落とすことになるでしょう。〈スカベゴ > FOM〉はこれに終らず、さらに〈Good Lovin'〉が続くというメドレーも結構ありますし、〈Estimated Prophet〉に続くのもあって、こういうのも聴きたくなりますが、そうすると40分を超えたりするので、こういうイベントでは無理ですね。ほんと、デッドは組曲が好き。

 では、また準備作業にもどります。11/06(火)、風知空知@下北沢でお眼にかかりましょう。(ゆ)

 イベントのお知らせです。

 朝日カルチャーセンターの東京・新宿教室で1回だけのアイリッシュ・ミュージック入門講座をやります。9月8日(土)の夜です。

https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/23bd4144-13a1-acd6-ec5d-5adf1d1846a4 

 全体でブリテン諸島の音楽という3回のシリーズになっていて、アイルランドがあたしの担当です。イングランドは宮廷音楽、スコットランドはダンスが中心になるらしい。アイルランドはあたしがやるので、伝統音楽ですね。今回、エンヤとかヴァン・モリソンとかU2とかコアーズとかポーグスとかメアリ・ブラックとかは出てきません。ヴァン・モリソンは入れるかなあ、と考えてはいますが、たぶん入らないんじゃないかな。クラシックも、アイルランド人が大好きなカントリーも無し。

 アイリッシュ・ミュージックの真髄、というのを標題に掲げました。この「真髄」とは何か。あたしは「キモ」と呼んでます。まさかね、これが「キモ」ですよと差出せるものなんかあるはずが無い。あったらキモチ悪いです。

 そうではなくて、アイリッシュ・ミュージックを聴いていて、背筋にゾゾゾと戦慄が走って、涙腺がゆるんで、同時にわけもなく嬉しくなってくる。わめきだしたいような、でもじっとこの感じを抱きしめたいような、何ともいえない幸福感がじわじわと湧いてくる。呆けた笑いが顔が浮かんでくるのをどうしようもない。そういう一瞬があるものです。もうね、そういう一瞬を体験すると病みつきになっちまうわけですが、そういう時、アイリッシュ・ミュージックのキモに触れているのだ、とあたしには思えるのです。

 何よりもスリルを感じるそういう一瞬は、昨日聴きだして、今日ぱっとすぐ味わえるもんじゃない。少なくともあたしはそんなことはありませんでした。その頃は、他に手引きもなく、もちろんネットなんてものもなく、わけもわからず、ただ、どうにも気になってしかたがなくて聴いていた。聴きつづけていると、ある日、ゾゾゾと背筋に戦慄がはしった。今のは何だ、ってんで、また聴く。そうやってだんだん深みにはまっていったわけです。その自分の体験の実例を示せば、ひょっとすると、何かの参考になるかもしれない。少なくとも手掛りのひとつにはなるんじゃないか。

 あたしらが聴きだした頃、というのは1970年代半ばですが、その頃は、音源も少ないし、情報もほとんど無いしでワケがわからなかったんですけど、一方で、少しずつ入ってきたから、その都度消化できた。自分の消化能力に見あった接触、吸収が可能でした。アイリッシュ・ミュージックのレコード、当時はもちろんLPですけど、リリースされる数もごく少なかったから、全部買って何度も聴くことができました。ミュージシャンの来日なんて、もうまるで考えられないことで、レコードだけが頼りでしたしね。

 今はアイリッシュ・ミュージックだって、いざ入ろうとしてみたら、いきなりどーんとでっかいものが聳えている感じでしょう。音源や映像はいくらでも山のようにあるし、情報も無限で、どれが宝石でどれがガセネタかの見分けもつかない。昔、数少ない仲間内での話で、アイリッシュ・ミュージックのレコードのジャケットと中身の質は反比例する、買うかどうかの判断に迷ったら、ジャケットのダサいやつを買え、というのがありました。半ば冗談、半ば本気でしたけど、今はこういうことすら言えない。

 そこでカルチャーセンターでの講座も頼まれるわけですが、だからって、これがキモに触れられる瞬間ですと教えられるものでもない。ここにキモを感じてください、ってのも不可能。だって、アイリッシュ・ミュージックのどこにキモを感じるかは人それぞれ、まったく同じ音楽を聴いても、キモを感じる人もいれば感じない人もいる。

 あたしが今回示そうと思ってるのは、つまりはあたしにとってのキモと思えるものの実例です。これまで半世紀近くアイリッシュ・ミュージックを聴いてきて、ああキモに触れたと思えたその代表例をいくつか提示してみます。それは例えばプランクシティのファースト・アルバム冒頭のトラックの、リアム・オ・フリンのパイプが高まる瞬間であったり、ダラク・オ・カハーンの、一見まったく平凡な声が平凡にうたう唄がやたら胸に沁みてくる時であったりするわけです。そういう音源や映像をいくつか聴いたり見たりしていただいて、そのよってきたるところをいくらか説明する。こういう例は何度聴いても当初のスリルが擦りきれることがありません。そこがまたキモのキモたる由縁です。

 それと、アイリッシュ・ミュージック全体としてこういうことは言えると考えていることも話せるでしょう。例えば、アイリッシュ・ミュージックというのは生活のための音楽である。庶民の日々の暮しを支えて、いろいろ辛い、苦しいこともあるけれど、なんとか明日も生きていこうという気にさせてくれる、そのための音楽である。

 音楽はみなそうだ、と言われればそれまでですが、アイリッシュ・ミュージックはとりわけそういう性格が濃い。それは庶民の、庶民による、庶民のための音楽です。名手、名人はいます。とびぬけたミュージシャンもいます。でも、そういう人たちは特別の存在じゃない。スターではないんです。ある晩、この世のものとも思えない演奏をしていた人も、翌朝会うとなんということはない普通の人です。カネと手間暇をかけて念入りに作られたエンタテインメントでもありません。プロが作る映画やショー、ステージとはまったく別のものです。

 一方で、ミュージシャン自身が内部に持っているものの表現でもありません。シンガー・ソング・ライターやパンク・バンド、あるいはヒップホップ、またはジャズ畑の音楽家、クラシックの作曲家といった人たちが生み出す音楽とは、成立ちが異なります。アイリッシュ・ミュージックのミュージシャンたち、シンガーたちも、まず自分が楽しむために演奏したり、唄ったりしますが、自分だけのためにはしません。アイリッシュ・ミュージックの根底には、一緒にやるのが一番楽しい、ということがあります。「一緒にやる」のには、聴くことも含まれます。

 アイリッシュ・ミュージックのミュージシャンたちはパブとか誰かの家に集まってセッションと呼ばれる合奏をよくやります。多い時には数十人にもなって、みんなで同じ曲をユニゾンでやるわけですけど、そういう中に楽器をもって演奏するふりをしているだけで、実は全然音を出していない、出せないつまり演奏できない人が混じっていたが、その場の誰もあやしまなかったという話があります。本当かどうか、わかりませんが、そういう話を聞いても、不思議はないね、さもありなん、と思えてしまうのがアイリッシュ・ミュージックです。実際にそういう人がいて、実はその場の他の全員が気がついていても、許してしまう、誰もその人を指さして批難して追い出すなんてことはしない。一緒に楽しんで場を盛り上げている人間が一人増えるんだから、そういう人がいたって全然いいじゃないかと考えるのがアイリッシュ・ミュージックです。

 これまでアイリッシュ・ミュージックについて公の場やパーソナルな機会に話して、一番よく訊ねられる質問があります。

 「どうしてアイリッシュ・ミュージックを聴くようになったんですか」

 なんでそういうことを訊くんだろうとはじめは思いましたが、気がつくと自分でも同じ質問をしたりしてるんですよね。とすれば、これは案外ものごとの急所を突いているのかもしれないと思えてきます。

 この質問に正面から答えようとすると回りくどくなるので、今回は簡潔に、あたしはアイリッシュ・ミュージックのこういうところに引っぱられてここまできました、という話にもなるでしょう。

 具体的に何を聴いたり見たりするかは、大枠はほぼ固まってますが、細かい点はこれからおいおい考えます。カルチャーセンターは初めてなんで、どんな人が来られるのか、いやその前に、だいたい人が来るのか、楽しみでもあり、コワくもあり。(ゆ)

 過日は「21世紀をサヴァイヴするためのグレイトフル・デッド入門第3回 @ 風知空知、下北沢」に多数お越しいただき、まことにありがとうございました。

 準備作業では今回、最も労多かったのですが、お客様の反応は1番良かったようでもあります。おかげさまで、第4回もやることになりました。まだ、期日、内容はまったく白紙です。これまでの間隔から言えば7月頃でしょうか。次はもう少し、楽をしたいものであります。ひたすら毎日デッドのみを聴くのは極楽ではありますが、他のことが何もできなくなるのが困るのです。

 今回聴いた音源は以下のものです。

The Other One
1968-03-17, Carousel Ballroom, San Francisco, CA
Download Series, Vol. 06, 9:17

Sugar Magnolia
1973-10-19, Fairgrounds Arena, Oklahoma City, OK
Dick's Picks, Vol. 19, 10:09

China Cat Sunflower> I Know You Rider
1973-11-14, San Diego Sports Arena, San Diego, CA
30 TRIPS AROUND THE SUN, 14:29

Jack Straw
1974-09-18, Parc Des Expositions, Dijon, France
30 TRIPS AROUND THE SUN, 5:26

Playing In The Band
1976-12-31, The Cow Palace, San Francisco, CA
Live At The Cow Palace, 23:12

Tennessee Jed
1977-06-07, Winterland Arena, San Francisco, CA
Winterland June 1977, 9:25

Deal
1989-07-04, Rich Stadium, Orchard Park, NY
Truckin’ Up To Buffalo, 7:56

Truckin'
1990-09-20, Madison Square Garden, New York, NY
Road Trips, Vol. 2 No. 1, 9:06

 たまたま選ばれた音源の時期がいい具合にばらけたので、録音の時代順に聴いてみました。なかなか面白かったのではないかと思います。


 グレイトフル・デッドはまったく初めてという方もいらして、ちょっと緊張していましたが、楽しまれたようでほっとしています。次に何を聴いたらいいのかと訊かれまして、なるべく1本のショウを丸ごと聴くよう薦めました。たとえば1977-05-08 のコーネル大学バートン・ホールや、1990-03-29 のナッソウ・コリシアムが単体のCDで出ていますので、この辺りを聴かれるのはいかがでしょうか。前者はデッド史上最高のショウと言われるもの。後者はサックスのブランフォード・マルサリスが初めて客演してすばらしい演奏を披露し、バンドもこれに応えて、やはりデッド史上最高のショウの一つになっています。

CORNELL 5/8/77
GRATEFUL DEAD
RHINO
2017-05-05


WAKE UP TO FIND OUT:
GRATEFUL DEAD
RHINO
2014-09-05



 (ゆ)の次のイベントは05/16、やはり下北沢の本屋 B&B でアイリッシュ・バンジョー講座です。(ゆ)

 明日になってしまいましたが、ピーター・バラカンさんとやらせていただいている「21世紀をサヴァイヴするためのグレイトフル・デッド入門」第3回をやります。バラカンさんのファン、グレイトフル・デッドって何だ?という方、アメリカ音楽に関心のある方、いい音楽をいい音で聴きたい方、その他、お暇のある方も無い方も、どうぞお越しください。

 この1ヶ月ほど、このための準備に忙殺されていました。今回はデッドのレパートリィの最もコアの部分をとりあげようと言い出したのは自分ですが、ほんとに自分で自分のクビを締めてしまいました。何がコアであるかの基準を演奏回数の多い順にしたからです。

 30年間で2,300本以上ライヴをすれば、定番曲の演奏回数が多くなるのも当然です。600回以上演奏された曲が4曲、500回以上600回未満が3曲、400回以上が10曲、300回以上が24、200回以上が26。このうち今回は400回以上の17曲のうち、すでにとりあげた曲を除き、たぶん全部はかけられないので、500回以上は全部、400回以上からは選抜して対象としました。つまり、公式リリースされているショウの音源から対象の曲を抜き出し、あたしが全部聴いてみて、ベストと思われるヴァージョンを3〜4選び、バラカンさんに聴いていただいて一つ選ぶ、という形です。明日かけるのは、こうした選抜過程をくぐり抜けた、ベストの中のベスト、というわけ。

 もっとも何をベストとするかは、その時のあたしたちの状態、体調や天候や気分によって左右されますから、これだけがベストというわけではありません。最初にあたしが選ぶときからして、名演力演が並ぶなかで、散々悩むわけです。

 それ以前に、手許にある公式リリースのライヴ音源を全部聴くという作業がまず時間がかかります。演奏回数が多いので、収録も多くなります。例えば Playing In The Band は76ヴァージョン。この曲の前半と後半で複数の別の曲をはさむようなサンドイッチは外してです。単純計算で演奏時間は18時間を超えます。これをひたすら聴いてゆきます。

 聴いてゆく順番は一応年代順にしました。こうするとある曲が生まれて形を整え、成長し、成熟し、さらに変化してゆく様がよくわかります。めちゃ面白い。多少予測はしてましたが、こんなに面白いとは思いませんでした。病み付きになりそうです。ときには逆に、新しい方から順に聴いてもみます。これがまた面白い。

 同じ曲を何度も聴くわけで、歌詞も体に染みこんできますし、曲の構造もわかってくるし、バンドのスタイルの変遷もはっきり見えてきます。1本のショウの中では目立たなかった演奏が、それだけ取出して前後のヴァージョンと聞き比べてみると、突然光り輝きだすこともあります。各メンバーがこんなところでこんなことをやっているのかという発見もあります。作業としてはこんなに楽しいことはありません。

 ただ、時間がかかる。

 Playing In The Band 76ヴァージョンで18時間超、ですが、これは休まずに連続再生したときの話。実際にはそうどんどんは聴けません。1日のうちでリスニングに割ける時間も限られます。最後の追いこみのここ一週間ほどは毎日5〜6時間聴いてましたが、これが限界。

 同じことを各曲に対してやるわけです。結局9曲までやったところで時間切れ。もっともこれだけで単純に合計すると再生時間は90分超えますので、はたして明日全部かけられるか、わかりません。

 発見はたくさんあります。中でも面白いのは The Other One の変遷で、これだけでイベントやりたいくらい。

 個人的には Jack Straw の再評価。というより、この曲、どうも摑みどころがなくて、あまり好きではなかったんですが、50ヴァージョン以上聴いてみると、いやあ、名曲ですな、これ。

 というわけであすはこの9曲のなかから聴いてみます。

China Cat Sunflower> I Know You Rider
Deal
Jack Straw
Me And My Uncle
Playing In The Band
Sugar Magnolia
Tennessee Jed
The Other One
Truckin'

 タイトルのアルファベット順にするとこうなりますが、さてどんな順番で聴きますかねえ。やはり回数の多い順でしょうか。

 では、明日、下北沢は風知空知でお眼にかかりましょう。(ゆ)

 Grateful Dead、Dave's Picks 2018 の年間予約が発表になり、例によって注文殺到でサイトがパンク、一時注文不可能になった。

 Dave's Picks というのは、2012年から毎年4タイトルずつリリースされているライヴ・アーカイヴ・シリーズ。基本的に1本のショウを選んでその録音をリマスターし、CD3枚組にブックレットを付けた形。デッドの録音アーカイヴを預かる David Lemiuex がリリースするショウを選んでいる。

 1993年から2005年まで、Dick's Picks のシリーズが36本リリースされている。こちらはデッドのアーカイヴ初代管理人の Dick Latvala の選になる。もっともラトヴァラは1999年に亡くなり、Vol. 15 からは上記デヴィッド・レミューが責任者になっている。Dave's Picks はこれを継いだものだ。

 年間予約すると、年4本のリリースに加えて、2回めのリリース、たいていは4月のリリースの時にボーナス・ディスクが付く。また、11/06までは早期予約で安くなる。送料を含めて日本からだと112USD。4回出るごとに注文する必要もないし、今年最後の4本めのように、発表後4時間で完売したものでもちゃんと入手できる。

 この4本めは1972年のもので、この時期は人気が高く、Dave's Picks 以外のリリースでもすぐ売り切れる。先日の発表のときも買えなかった人たちの怨嗟の声が公式サイトの掲示板に溢れた。そのせいで、今回の年間予約にも殺到したのだろう。Dave's Picks 2017 の場合は、昨年の最後が1981年で人気が低かったため、注文殺到ということは無かった。

 「完売」というのは、このシリーズは2018年の場合、18,000セット限定だからだ。ちなみに2017年は16,500セットだった。つまり、どんなに売れても重版、再プレスしない。だから、特にシリーズ初期のものなどは、今では市場に出ると万単位の価格がついている。数年経てばダウンロードやストリーミングで聴けるようになるだろうが、今のところは公式では聴けないし、ライナーは読めない。あたしも3タイトル買い逃していて、後悔している。むろん、ネット上でAUDつまり聴衆録音は聴けるが、公式リリースのメリットはやはり音質が全然違うし、何よりライナーが貴重だ。

 ついでだから、グレイトフル・デッドのライヴ・アーカイヴの公式リリースをまとめておこう。

 デッドは原則として、全てのショウを録音している。ごく初期の、気が向くと、アシュベリー710番地からすぐ近くのゴールデン・ゲイト・パークにでかけて、即席でやっていたようなものは別として、大部分のショウには公式の録音がある。その慣例を始めたのはデッド初代のサウンド・エンジニアも努めたアウズレィ・スタンリィだ。LSD の供給者として有名なスタンリィはサウンド・エンジニアとしても優秀で、デッドのPA音質の改善に貢献し、ひいては先進的なライヴ・サウンド・ラボ Alembic を設立する。それは後に Wall of Sound で頂点を極めるサウンド・システムを作ってゆく。同時にスタンリィは自分がエンジニアとして手掛けたショウの録音を始める。現在、公式リリースされている1970年以前の録音はスタンリィが残したものが根幹をなしている。

 スタンリィの録音によってショウを録音することのメリットを覚って、デッドはそのショウを録音する。サウンドボードにつないだだけの2トラックのものも多いが、70年代に入ると専属の録音エンジニアをスタッフに入れ、本格的に録音するようになる。ベティ・カンター=ジャクソンはその代表だ。かくして2011年の《Europe '72: The Complete Recordings》のような企画が可能となった。念のために記しておくと、これは1972年のヨーロッパ・ツアー全22公演をまるまる収録した巨大なボックスセットだ。

 1982年12月にはデジタル録音に移行する。ただ、その前、1978年からこの時点までのバンドによる録音はカセット・テープのみにされた。この時期からのライヴ・アーカイヴ・リリースが少ないのは、そのためもある。音質もさることながら、ジャムの途中でテープが切れることが多い。デジタル録音は当初ビデオ・テープが媒体で、1988年からDATになる。

 こうして録音したテープを収録した場所が The Vault と呼ばれた。カリフォルニア州サン・ラファエルのデッドのオフィスの一部に当初は設けられた。現在はバーバンクにあるワーナー・ブラザーズの温度・湿度管理された倉庫の一角に移されている。

 もっともデッドもただ録音したものを集めて残しておくだけで、当初は積極的活用はしていなかったらしい。1980年代始め、Dick LatVala (1943-99) がオフィスに参加することで、デッドは初めてその価値に気づき、ラトヴァラを管理人として整理、活用を行うようになる。

 ラトヴァラは精力的に働いて、まず1991年に《ONE FROM THE VAULT》をリリースする。これが今世紀に入って本格化するライヴ・アーカイヴ集の嚆矢だ。1993年から Dick's Picks のシリーズを始める。これは2005年10月の Vol. 36 で一段落する。

 一方 From The Vault の方は1992年に《TWO FROM THE VAULT》が出るが、最後の《THREE FROM THE VAULT》は2007年に出た。

 2000年から2003年にかけて、View from the Vault が4本出ている。タイトルから想像される通り、これはビデオ集で、DVD と CD が別々に出ている。

 この後も含めてライヴ・アーカイヴのシリーズを一覧にするとこうなる。最初と最後のリリースの年月、シリーズ・タイトル、総タイトル数の順だ。

1991-04/ 2007-06 From The Vault 3
1993-12/ 2005-10 Dick’s Picks 36
2000-06/ 2003-04 View from The Vault 4
2005-06/ 2006-04 Download Series 12
2007-11/ 2011-07 Road Trips 19
2012-02/ Dave’s Picks 23

 この97本のリリースは、Dave's Picks と Road Trips のダウンロードのみのタイトル2本を除いてすべてダウンロードで購入可能だ。

 これらは原則としてある日のショウを丸ごと収録している。各々のリリースにいつの、どこのショウが収録されているかはネット上に情報がある。主なものとしては Grateful Dead Family Discography と英語版 Wikipedia がある。

 また、デッドの2,300本以上のショウについての情報はデッドやジェリィ・ガルシアの公式サイトにもあるし、より詳しいものとしては DeadLists がある。

 デッドのライヴ・アーカイヴの公式リリースはこの他に単発のものがある。

1996-10, Dozin' At The Knick
1997-06, Fallout From The Phil Zone
1997-09, TERRAPIN STATION (Limited 3CD Collector's Edition)
1997-10, Fillmore East 2-11-69
1999-11, SO MANY ROADS
2000-10, Ladies And Gentleman ... The Grateful Dead
2001-09, Nightfall Of Diamonds
2002-03, POSTCARDS OF THE HANGING
2002-10, Go To Nassau
2003-12, The Closing of Winterland
2004-05, Rockin' The Rhein
2004-10, The Grateful Dead Movie Soundtrack
2005-07, Truckin' Up To Buffalo
2005-10, GARCIA PLAYS DYLAN
2005-11, Fillmore West 1969 (box)
2007-01, Live at the Cow Palace: New Year's Eve 1976
2008-04, Winterland 1973 (box)
2008-09, Rocking The Cradle: Egypt 1978
2009-10, Winterland 1977 (box)
2009-04, To Terrapin: Hartford '77
2010-04, Crimson, White and Indigo
2010-09, Formerly The Warlocks (box)
2011-09, Europe ’72 (box)
2012-09, Spring 1990 (box)
2013-06, May 1977 (box)
2013-09, Sunshine Daydream
2014-09, Spring 1990 (The Other One) (box)
2014-12, Houston, Texas, 11/18/1972
2015-10, 30 Trips Around The Sun (box)
2016-05, JULY 1978 (box)
2017-05, May 1977: GET SHOWN THE LIGHT (box)

 このうちボックスセット以外は普通に入手可能。ボックスセットについては限定版でCDではほとんどが完売だが、デジタルの形で入手できるものもある。EUROPE '72 はすべて個別のCDとしてもリリースされている。

 さて、もうすぐ11月。毎年11月は 30 Days Of Dead の月だ。1ヶ月間、毎日1曲、未発表のライヴ・トラックが 320kbps の MP3 の形で、公式サイトでリリースされる。これらは無料でダウンロードできる。また、クイズもついていて、リリースされる時にはその演奏がいつの、どこのものかは伏せられている。これを当ててみろというわけだ。正答者の中から抽選で毎日、レア・アイテムの賞品が当たる。1ヶ月で30曲、総時間数は5時間前後。昨年はとびきり多くて6時間を超えた。デッドのライヴ演奏がどういうものか、まずはこれで体験されてはいかがだろう。(ゆ)

 註文からほぼちょうど3ヶ月で、待望のボックスセットがやってきた。早速開封。





 しかし凝りに凝ったパッケージではある。こんなにでかくする必要があるのか、と思えるくらいだ。CDの収められた三つ折が四枚あって、その下に同じサイズのブックレット。これにはデヴィッド・レミューとニコラス・メリウェザーがそれぞれエッセイを書いている。それにトラック・リストとクレジット。写真がたくさん。

 さらにその下にスペーサーにはさまれてハードカヴァーが1冊。このボックスに合わせてコーネル大学出版局から出た、バートン・ホール・コンサートをめぐる1冊。ただ1本のライヴをめぐって1冊の本が書かれるというのもデッドらしい。著者 David Conners は10代でデッドヘッドになった回想録 GROWING UP DEAD, 1988 の著者でもある。なお、この本はボックスセットとは独立に刊行されていて、普通に買うことができる。





 Deadlist にある曲目と照合してみると、ボックスセットはこの4本のショウを完全収録している。少なくとも楽曲は収録している。

 この頃のデッドのショウの会場は収容人数1万を若干超えるくらいのヴェニューだ。コーネル大学バートン・ホールは例外で、5,000弱。なぜ、ここがツアーに組込まれたかも興味深いところだ。この4ヶ所ではボストン・ガーデンが最大で15,000までの収容能力を持つ。ニューヘイヴンとバッファローの会場は老朽化などで解体されて現在は存在しない。

 ピーター・コナーズは上記 CORNELL '77 のイントロで、1980年代に「遅れてきた」デッドヘッドとして、先輩たちの自慢たらたらの回想をいかにうらやましく聞き、嫉妬と焦燥に身悶えしたかを書いている。それと同じことを、今、あたしはコナーズに対して感じる。なにはともあれ、かれはデッドのショウを身をもって体験している。その音楽とデッドヘッドのコミュニティにどっぷり漬かって育っている。1980年代後半のバンドのピークを生で聴いているのだ。

 80年代にデッドの音楽にはまっていたとしても、それを追いかけてアメリカにまで行っていたか。たぶん、あたしは行かなかっただろう。松平さんではないが、あたしも思想というより性格が保守的で、自分から動くということをしない。住居を移したことは片手ではきかないし、旅行もずいぶんしたが、いつも外からの作用で必要に迫られたり、誘われたりして初めて動いた。

 いや、やはりあの時にデッドにはまることは、たとえテープを聴いていたとしても、起こらなかっただろう。一周忌になる星川師匠の導きで、世界音楽に耳と眼を開かれていたし、アイルランドやスコットランドやヨーロッパの他の地域の音楽も新たな段階に入っていた。デッドが80年代後半、ガルシアが昏睡から恢復した後、ミドランドの死までピークを作ってゆくのは、偶然ではないし、孤立した現象でもなかったはずだ。行ったとすればやはりヨーロッパで、アメリカではなかっただろう。

 出会うのは時が満ちたからだ。50歳を過ぎてデッドにはまり、今、こうして40年前のショウの録音に接するのも、それにふさわしい時が来たのだ。30代、40代にこれらの録音を聴いたとしても、良いとは思ったかもしれないが、ハマるところまではいかなかったにちがいない。

 それにしても、ボックスセットの最初のショウ、1977-05-05のニューヘイヴンを聴くと、1977年はデッド最高の年というコナーズの評価に双手を挙げて賛成する。以前、四谷のいーぐるでデッドの特集をやらせてもらった時、そこでかける1本まるまるのショウとして選んだのは、当時リリースされて間もない MAY 1977 のボックスセットからの1本05-11セント・ポールだった。今回のボックスセットのすぐ次の5本を収録したものだ。あの時も1977年が驚異の年だと実感した。

 しかしこのニューヘイヴンはまた何か別に思える。オープニングのロックンロールの調子の良さに浮かれていると、2曲めにとんでもないものが控えていた。〈Sugaree〉がこんなになるのか。難しいことは誰もやっていない。一番複雑なことをやっているのはたぶんベースだが、技術的に難しいことは何もない。ギターやピアノは、シンプルな音を坦々と刻んでゆくだけだ。それが絡み合い、よじれあってゆくうちに、緊張感が増してくる。ガルシアのうたも力を入れるべきところで入り、抜くところはさらりと抜く。盛り上がり、さらに盛り上がり、しかしあくまでも冷静で、コントロールが効き、しかもどこまでも盛り上がる。こんなものを生で聴いたら、どうかならない方がおかしい。

 ボブ・ウィアが、コナーズに訊ねられて、コーネルのライヴについて覚えていることは何もない、と答えた由だが、それもむべなるかな。演っている方は、演っている間はおそろしく気持ち良かったにちがいない。そして終ればきれいさっぱり忘れてしまったこともまた想像がつく。失敗はいつまでも記憶に残るが、本当にノって演ったことは記憶には残らないのだ。

 コナーズはコーネルより、翌日のバッファローの方が良いという。あるいは、コーネルとバッファローはひと続きのショウで、バッファローはコーネルの第三、第四のセットだという人もいる。ネット上にはコーネルの録音が17種類あり、総計180万回再生されているそうだ。今度の公式録音で2時間40分ある録音がだ。これまでにコピーされたテープの数は誰にもわからない。デッドの2300回を超えるショウで、最も数多く聴かれたショウであることは、動くまい。

 そのコーネルに向けて、さあ、次は1977-05-07のボストンだ。(ゆ)

 本日のお題はロバート・グラスパー・エクスペリメントの新譜が出たのに合わせて、グラスパーとその周辺。グラスパーの人気はたいしたもので、休日前の夜ということはあったにせよ、いーぐるが満席。若い人が多い。

 もっとも、この人たちが「ジャズ」としてグラスパーを聴いているのか、となると確かではない。あたしなどもこの頃そうだが、何のジャンルだから聴く、ということがどんどん少なくなっている。たまたま面白いミュージシャン、音楽がジャズから出てきている、というだけのことで、それがジャズだろうがナンジャモンジャだろうが、まるで気にしない。という風でもある。

 昨夜聴けた音楽はジャズから生まれていることは確かだし、やっている方もある程度ジャズをやっている意識はあるらしい。自分たちの音楽が誰のどんな音楽にそのバックボーンを支えられているかという認識とそうしたミュージシャン、音楽へのリスペクトはあるようだ。

 とはいえ、だからこういうフォーマットにおさまっていなければならない、とか、ある規範を守らなければいけない、という意識はまるで無いように思う。このあたりは、アイリッシュはじめ、ヨーロッパのルーツ・ミュージックの連中がそれぞれベースとする伝統に対するのと同じ姿勢、態度だろう。

 まずはディスク・ユニオン新宿ジャズ館の羽根さんの紹介。昨夜紹介された5枚はどれもこれも面白く、カネさえ許せば全部買いたかった。実際後藤マスターは全部買われていた。

 最初はプロデューサーの Jason McGuiness の仕事を集めたオムニバスで、日本企画盤。いずれも7インチ・シングルや配信のみでリリースされた音源だそうだ。かかったのはカマシ・ワシントンの参加したトラックで、ヴォーカルも入る。〈Papa Was A Rolling Stone〉というタイトルからして、リスペクトとおちょくりが等分に同居している楽しい音楽。

 次の Ben Wendel はやられました。《WHAT WE BRING》はこれまで自分が影響を受けたミュージシャンへのトリビュート集だそうで、かかったのは〈Solar〉。マイルスへのオマージュ。なんともすばらしく、Snarky Puppy にも通じる。

 プエルト・リコ出身のトランペッター、Mario Castro の《ESTRELLA DE MAR》は通常のジャズ・コンボにストリングスを合わせ、ゲストが入るという豪華盤。聴いたのはロバート・グラスパー・エクスペリメントのケイシー・ベンジャミンがヴォコーダーで参加した〈Shmerls〉。これまた変幻自在、ジャズになったり、クラシックになったり、ヒップホップになったり、ちょっとめまぐるしいが、面白いことは無類。もっとも付録のない、スッピンのバンドでも聴いてみたい。

 Steve Lehman《SLEBEYONE》のタイトルはセネガルのウォルフ語のようで、その言語でラップをやる人も参加している。かつてスティーヴ・コールマンがやっていたことの後継と言われるとなるほどと思う。ラッパーは英語とウォルフ語の二人が交互にやる。それを縫うようにリーマンの超絶アルト・サックスが炸裂し、やがて主役を奪う。それはそれは面白いのだが、1曲ならともかく、アルバム1枚このテンションでやられては、こちらの身が保ちそうにない。

 その点、Donny McCaslin にはなんとかこちらもついていけそうだ。デヴィッド・ボウィの遺作への参加で一躍注目を浴びたそうだが、かれ自身、ボウィから受けた影響は深く、その成果がこれというわけ。確かに同じ21世紀ジャズでも、一回りスケールの大きいところを感じる。その雄大さが聴く方にも余裕をもたらし、どっしりと受け止めることを可能にする。これはいいよ。

 ということで、Ben Wendel と Donny McCaslin を購入しました。


 後半はユニバーサルの斉藤さんの担当で、まずは本日のメーンエベント、ロバート・グラスパー・エクスペリメントの新作《ARTSCIENCE》から、なんと4曲紹介するという大盤振る舞い。この人、確かに面白いし、新境地を開拓しようとする意欲も買う。別に文句をつけるつもりはないが、これは好きなことをできるようになった才能豊かな人たちが好きなようにやった、というもので、抑制素子が無い。だからといって即破綻するわけではないが、誰も気づかないままやりすぎている風情だ。リスナーもやりすぎとは思わないだろう。それがわかるとすれば、何年か経って、振り返ってみたときだ。

 この人は才人だし、その才能を鼻にかけてもいないのは快い。ただ、端的にいってこの音楽はあざといのだ。才人だというのは、そのあざとさがそのまま魅力になっているからだ。おそろしくトンガったところと、大文字のコマーシャリズムが対等に同居している。これはごく稀なことではある。この人もまた、音楽をやること、やれることが楽しくてしかたがないのだろう。つまり自意識が無いところがうまく作用しているのだ、きっと。そこでこれだけあざとくなるとなると、次はどうなるか、ちょいと楽しみになってくる。いろいろな意味で。

 次の Derrick Hodge はエクスペリメントのメンバーで、《THE SECOND》というセカンド・ソロを出した。エクスペリメントではベース担当だが、ここではほとんどの楽器を自分で演奏し、ヴォーカルもとる。トム・ウェイツに近い。しかし、これはロックの文脈からは絶対に出てこないだろう。売れることが良い方に作用した幸せな例だ。

 売れることの御威光は今回斉藤さんが紹介した5枚に通じる。ただ、売れることのマイナス面も当然あるわけで、どこか箍がゆるんでもいる。映画『マトリクス』の続篇のようなものだ。あれは確信犯でもあったが、音楽の場合、なかなかそういうことは難しい。ミュージシャンはハリウッド映画の監督ほどしたたかになれない。

 最後のフランスのジャズ・ミュージシャンたちによるチェット・ベイカーへのトリビュート盤は、ベイカーの伝記映画の公開に合わせたものらしい。かけられたのはホセ・ジェイムズがヴォーカルをとる1曲で、バックが面白い。こういうのをエスプリが効いているというのか。暖いミニマリズムとでもいいたくなる。皮はぱりっと硬いが中はほかほかといううまいフランス・パンのような音楽。


 今回もたいへん楽しく、ためになりました。若いお客さんたちが終ってもなかなか帰らないのも見ていて嬉しくなってくる。

 次回は10/16(水)、ノラ・ジョーンズの新作が出るそうで、シンガーの特集。その日は『絵のない絵本』のライヴがあるので欠席。今年の皆勤賞を狙ったのだが、残念。(ゆ)

 今年の 30 Days of Dead が全曲公開されて、ダウンロードできる。

 今年は最古が1966年3月25日、最新が1994年10月13日。おまけに1994年からの録音が3曲も入っている。

 つまり、この30曲合計4時間47分53秒を聞けば、1966年から1994年までのデッドの歴史をライヴ音源で追えるわけだ。しかも無料。

 録音年月日順のリストを掲げておく。先頭の番号は配信された日付。

22 You Don’t Have to Ask 06:45 1966-03-25, Troupers Hall, Los Angeles, CA
17 St. Stephen 03:49 1968-10-12 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
07 Dark Star 22:17 1969-04-20, Clark University, Worcester, MA
15 New Potato Caboose 13:20 1969-06-08, Fillmore West, San Francisco
25 Operator 02:33 1970-09-18, Fillmore East, NY, NY
03 Comes a Time 08:12 1971-10-30 Taft Auditorium, Cincinnati, OH
28 Box of Rain 05:10 1972-12-31, Winterland Arena, San Francisco, CA
08 China Cat Sunflower> I Know You Rider 12:40 1973-03-16, Nassau Veteran Memorial Coliseum, Uniondale, NY
16 The Other One> Jam> I Know You Rider 25:27 1973-03-31, War Memorial, Buffalo, NY
24 Black Throated Wind 06:25 1973-10-23, Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN
23 China Doll 05:26 1974-06-23, Jai-Alai Fronton, Miami, FL
11 Uncle John’s Band> U. S. Blues 13:18 1974-07-25, International Amphitheatre, Chicago
02 Crazy Fingers 15:03 1976-07-13 Orpheum Theatre, San Francisco
04 Estimated Prophet 08:43 1977-05-04, The Palladium, NY
30 Uncle John’s Band 10:16 1977-09-29, Paramount Theatre, Seattle, WA
01 Sunrise 04:06 1977-11-02 Field House, Seneca College, Toront, ON, Canada
09 The Music Never Stopped 08:55 1978-05-07, Field House, Rensselar Polytechnic Institute, Troy, NY
19 Ship of Fools 07:30 1978-07-08, Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
13 Lost Sailor> Saint Of Circumstance 12:21 1979-10-31, Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
10 He's Gone> Jam 22:57 1981-02-26, Uptown Theatre, Chicago
26 Althea 07:58 1982-09-09, Saenger Theatre, Los Angeles
21 Far from Me 04:11 1983-04-13, Patrick Gymnasium, University of Vermont, Burlington, VT
14 My Brother Esau 05:26 1984-04-14, Coliseum, Hampton, VA
06 Feel Like a Stranger 09:16 1986-04-19, Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
18 Blow Away 08:43 1989-05-27, Oakland-Alameda County Coliseum Stadium, Oakland, CA
12 Foolish Heart 10:18 1989-07-10, Giants Stadium, East Rutherford, NJ
27 They Love Each Other 07:14 1990-07-19, Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
20 Hell in a Bucket 06:39 1994-06-26, Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
29 Lazy River Road 06:37 1994-07-31, The Palace, Auburn Hills, MI
05 Dupree's Diamond Blues 06:18 1994-10-13, Madison Square Garden, NY

 お楽しみを。(ゆ)

 四谷のジャズ喫茶「いーぐる」のシステムでグレイトフル・デッドの録音を聴こうという試みの第二弾は、デッドのコンサート録音一本を丸々聴くというものでした。

 これを企画した理由の一つは、デッドの音楽の真価はライヴ体験によって初めてわかるのではないか、と思ったからです。

 グレイトフル・デッドのユニークさの一つにそのライヴに同じものが一つとして無い、ということがあります。一連のツアーの全ての録音が聴ける1972年春のヨーロッパ・ツアーや1990年春のアメリカ東部のツアーを聴いてもそのことは実感されます。

 通常のロック・バンドなどのポピュラー音楽のコンサートでは、一定の時期は毎回同じ演目を繰り返します。選曲、曲順もほとんど変えず、間奏をはじめとする即興部分が多少変わる程度です。ライヴは新作のレコードを売るための、いわば宣伝になります。

 デッドのライヴ音源をあれこれ聴いていると、デッドのライヴを全部聴こうとして、バンドと共に移動し続ける「トラベル・ヘッド」と呼ばれる人びとが生まれるのもむしろ当然のことにも思えます。ライヴを録音したテープを交換、配布するコミュニティが発達するのも、これまた必然でもありました。

 ライヴを聴衆が録音することを、デッドは公認していました。ガルシアは1975年にこう言っています。
 
 「かまわないよ。録音したいというなら、これから先も全然かまわん。他人にああしろこうしろとは言えないし、あれは持っててもいいがこれはいけないなんてこともおれにはいえない。気に入った体験を記録できることも、その録音を手に入れることこともできるというのは当然だ。それにおれたちも自分で録音してテープ・コレクションしてるしな。音に対するおれの責任は演奏するところまでで、その先その音がどこへ行くかは気にしないね」
Blair Jackson, GARICA, Penguin Books, 1999, 277pp.

 もっとも聴衆による録音が盛んになるのは1970年代からで、テープ・コミュニテイは、同年代半ばの、ばんどによるツアー活動休止期間をきっかけに確立したようです。

 デッドがこうしたライヴを行なっていったのは、かれらにとってはライヴをすること、演奏することが何よりも大事だったので、レコードを作ったり、それを売ったりすることは二の次三の次だったからです。この点ではかれらはロック・バンドというよりはジャズのミュージシャンでした。あるいはまた、例えばアイリッシュ・ミュージックをはじめとする伝統音楽の姿勢でもあります。

 ガルシアはデッドのツアーの合間を縫うようにしてジェリィ・ガルシア・バンドのライヴを重ねていますが、デッドとは違う活動をしたいためだけではなかったと思われます。ガルシアのソロ活動のパートナーだったジョン・カーンは、ガルシアがとにかく演奏することが好きだったことを証言しています。その様は好きというよりも、やめたくないという方が当たっていたようです。

 ロック・バンドがメジャー・レーベルと契約することを目指し、レコードが売れることを喜ぶのは、ロックの誕生にミュージシャンの都合というよりは、音楽産業の都合のほうが大きく働いていたこともあります。その上で、デッドがロックの形式を選んだのは、当時それが最も自由で、何でもありで、様々な実験をやりやすかったからでしょう。金銭的成功を求めてのことではなかったのです。

 ロックに対するこの関係は、デッドと並んでロックの生んだ偉大な存在であるフランク・ザッパの場合と通底します。ザッパはライヴでの演奏そのものもさることながら、己の作品の表現形式として最適なものを求めた結果であるところは異なります。

 であってみれば、デッドの音楽の真髄に触れようとすれば、ライヴを聴くに如くはない、それも断片ではなく、1本のコンサートを通して聴くに如くはないことになります。このことがぼくの独断ではないことは、コンサート丸々一本を収録した録音が大量に公式リリースされていることからも明らかです。その数は2015年春の時点で約160本に上ります。

 デッドの曲の大部分は、ライヴでまず披露され、繰り返し演奏するうちに形が整えられていき、やがてスタジオ録音に収録されています。スタジオ録音ができてもそれで終わりではなく、ライヴにかけられる毎に変わっていきます。

 とまれ、グレイトフル・デッドの音楽の本質はライヴにあります。ライヴの場で起きるハプニングを楽しむこと。それをジャズやフリー即興、あるいはクラシックの様式ではなく、ロック・バンドの形で行うことです。ドラムス、ベース、鍵盤、ギターという組合せとうた。そしてデッドはこの形式で真の集団即興を展開していった、ほとんど唯一の集団でした。

 ぼくがデッドにのめり込んだのもこうした録音を聴いていくことによってですが、それにつけてもデッドのライヴを実際に体験できなかったことが悔やしくなってきます。せめて、それに近い体験はできないか。たとえば、大きな会場で本物のPAシステムを組み、コンサート1本の録音を再生する。というのが無理ならば、「いーぐる」のシステムで聴くことは現在可能な範囲で最もライヴ体験に近いものになるだろう。幸いマスターのご快諾を得て、これが実現できました。

 今回聴くコンサートとしてこれを選んだ理由を述べておきます。

 まず、何よりもこれがデッドのピークのライヴの1本であること。

 デッドのピークは3つある、というのがぼくの見立てです。一つは1972年。二つ目が1977年。そして三つめが1990年です。いずれも4月から5月にかけてのツアーの録音が集中的にリリースされています。

 この1977年春のツアーは4月22日フィラデルフィアに始まり、5月28日コネティカット州ハートフォードまで、37日間に26本のコンサートをしています。このツアーを格別なものにしていた要因のひとつは、前年1976年夏まで、1年半の間、デッドがほとんどライヴをやらなかったことがあります。

 1974年の夏、デッドのメンバーは延々とツアーを続ける生活に嫌気が刺し、突然、ライヴ活動休止を宣言します。秋冬のツアー計画は中止され、10月下旬に5日間、当時ホームグラウンドであったサンフランシスコのウィンターランドをブッキングし、これを最後にステージにあがることをやめます。むろん、音楽活動そのものは続けていましたし、個々のメンバーはライヴも行いますが、バンドとしてはほぼ完全に引退します。

 なお、ウィンターランドでのライヴは後にアカデミーも受賞するレオン・ガストが監督し、9台のカメラを駆使して、"The Grateful Dead Movie" として映像化されます。これについては様々なエピソードが生まれますが、それはまた別の話。

 1976年6月、バンドはステージに復帰します。6月、7月、9月とツアーしますが、10月半ばから翌1977年2月後半まで、大晦日の年越しを除き、ライヴをしていません。1977年の初めは新作レコードの録音に費し、この春のツアーは活動再開後、初の本格的ツアーでした。

 休止以前のものからの変化としてまず目につくことは、ミッキー・ハートの復帰です。ハートはデッドのマネージャーをしていた父親がバンドのカネを横領して逐電したため、1971年からバンドを離れていましたが、ライヴ活動休止期間中に再びバンドにもどっていました。

 演奏はかつてなくタイトになり、1曲の演奏時間も平均して短めになる一方、テンポは遅めになります。

 グレイトフル・デッドの演奏スタイルは初めの10年間にかなりめまぐるしく変わってゆきますが、この1977年の変身がいわば羽化となり、これ以後1995年の解散まで、基本的に変わることはなくなります。

 この変化をもたらしたものはハートの復帰だけではありません。休止する前後にデッドは大きく方針転換します。それまでかれらはすべてを自分たちの手でやろうとしていました。自社レーベルを立ち上げ、配給も行ない、空前絶後のPAシステム「ウォール・オヴ・サウンド」を維持・運営し、ライヴのブッキング、移動の手配まで、すべて自前でしていました。1974年にライヴ・ツアーを休止することにした理由の一つは、このための負担が重くなりすぎたことでした。自社レーベルや「ウォール・オヴ・サウンド」にカネがかかり過ぎた結果、デッドは経済的にも苦しくなっていました。真のアーティストにとって貧乏は作品の質を高める方向に働きます。

 デッドは当時新興のレーベルであるアリスタと契約します。アリスタの薦めにしたがい、外部プロデューサーの採用に同意します。新たなレコードのプロデューサーに指名されたのはキース・オルセン。当時フリートウッド・マックの1975年のアルバムをプロデュースしたばかりでした。

 オルセンはロサンゼルス北郊ヴァン・ナイスのスタジオにデッドを缶詰めにして鍛えます。ベーシック・トラックの録音には6週間ばかりかかりましたが、

「最初の3週間は1曲も録れなかった。私は『こんなんじゃ使えない』と言ってダメを出しつづけたんだ。ガルシアが『ダメかね』と言うと私は『ダメだね、ジェリィ、使えないよ』と答える。するとボビィが『だけど、これ以上うまくはやれないぜ』。そこで私は言ってやった。『きみらにはもっとうまくやってもらう。きみらはまだまだうまくなれるんだ』」
Blair Jackson, GARICA, Penguin Books, 1999, 283pp.

 オルセンの愛の鞭のもとにできあがったものは、この春のツアーの後に《TERRAPIN STATION》としてリリースされることになります。このアルバム自体は、バンドの録音にオルセンがかぶせたオーケストラと合唱のために、当時散々な評価を与えられます。が、このオルセンとの仕事によって、バンドのサウンドは生まれかわることになりました。

 春はグレイトフル・デッドにとって良い季節です。冬の間に休養し、3月ぐらいから始動し、4月から5月にかけてその年最初の大ツアーを行う、というのがパターンになっています。そしてそこではたいてい霊感とエネルギーに満ちた演奏を聴かせます。上記3つのピークの年でも、1972年は初の大々的ヨーロッパ・ツアー、1990年も主に東部を回る大きなツアーを行い、その成果は《EUROPE '72: The Complete Recordings》と《SPRING 1990》《SPRING 1990 (The Other One)》としてリリースされました。

 1977年春のツアーは、オルセンによって叩きこまれた「プロ意識」、新録のための新しいレパートリィ、ミッキー・ハートの復帰、そして経済的圧力という要素がうまく連動して、グレイトフル・デッドのキャリアの中での転回点となりました。そこからの公式録音としては次のものがリリースされています。

04-29@New York City, DOWNLOAD SERIES, Vol. 1, 2005(一部)
04-30@New York City, DOWNLOAD SERIES, Vol. 1, 2005
05-08@Cornell University, BEYOND DESCRIPTION, 2004(1曲)
05-11@St. Paul, MN, MAY 1977, 2013
05-12@Chicago, MAY 1977, 2013
05-13@Chicago, MAY 1977, 2013
05-15@St. Louis, MAY 1977, 2013
05-17@University Of Alabama, MAY 1977, 2013
05-19@Atlanta, DICK'S PICKS, Vol. 29, 2003
05-21@Atlanta, DICK'S PICKS, Vol. 29, 2003
05-22@Pembroke Pines, FL, DICK'S PICKS, Vol. 03, 1995
05-25@The Mosque, Richmond, DAVE’S PICKS, Vol. 01, 2012
05-28@Hartford, CT, TO TERRAPIN: Hartford '77, 2009

 このうち5月8日のコーネル大学でのものは、デッド史上最高のライヴのひとつとして名高いものですが、なぜか〈Dancin' on the Street〉1曲が、リマスター版ボックスセット《BEYOND DISCRIPTION》所収で後に単独リリースもされた《TERRAPIN STATION》のボーナス・トラックとしてリリースされているだけです。バンド結成50周年にあたる今年は出るでしょうか。

 とまれ公式にリリースされたものを聴くだけでも、このツアーがいかに凄いものだったかはよくわかります。

 今回、いーぐるでデッド, Vol. 2 で聴く対象として選んだのは、一昨年 MAY 1977  として出たボックス・セットの Part 1、5月11日ミネソタ州セント・ポールでのライヴです。

 1977年春のツアーの公式録音から1本選ぶことにして、さらにこれに絞ったのは、ひとつにはこのボックス・セットをたまたま持っていたからです。二つ目にこのボックス・セットで〈Scarlet Begonias> Fire on the Mountain〉をやっているのは、5月11日と17日ですが、17日は全体が3時間半を超えるものだったためです。いーぐるのイベントは時間に余裕がありますが、さすがに音楽だけで3時間半以上になるのは避けた方がよいと判断しました。

 デッドのレパートリィには出自が異なる2つないし3つのうたを連ねたものがいくつかあります。そのいずれもが、個々の曲の合算ではなく、新たな魔法を呼び起こし、ライヴの核となり、デッドを聴く醍醐味のひとつになっています。たとえば初期の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉がそうですし、やはりこの1977年から演奏しはじめる〈Lazy Lightning> Supplication〉、あるいは〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉があります。また〈Sugar Magnolia〉のように、はじめから1曲として生まれながら、あたかも2つの曲が合体したかのような形のものもあります。

 〈Scarlet Begonias> Fire on the Mountain〉通称 'Scarlet-Fire'(日本語流に言えば「スカファイ」でしょうか)は中でも人気の高いものです。前者は1974年3月初演でスタジオ録音としては《GRATEFUL DEAD FROM THE MARS HOTEL》(1974) 収録。 後者は1977年3月初演でスタジオ版は《SHAKEDOWN STREET》(1978) 収録です。この2曲を続けて演奏することが始まったのはまさにこのツアーの最中、1977年5月からでした。

 ということで、1977年5月11日水曜日のミネソタ州セント・ポールはセント・ポール・シヴィック・センター・アリーナに飛ぶことにします。

 ここは1973年元旦にオープンした16,000の収容力をもつホールで、デッドがここで演奏することはこれが最初。以後、1983年まで計5回演奏しています。上記サイトにあるように、元々は高校・大学のスポーツ大会のために造られた施設で、ロック関係のコンサートにもよく使われています。

 この夜のメンバーは以下の通り。

Jerry Garcia - lead guitar, vocals
Bob Weir - rhythm guitar, vocals
Keith Godchaux - keyboards
Phil Lesh - electric bass, vocals
Bill Kreutzmann - drums
Mickey Hart - drums
Donna Jean Godchaux - vocals 

 録音担当はベティ・カンター。ちなみにデッドはキャリアの当初から自分たちのコンサートを録音しており、カンターは専属録音技師として、この時のツアーにも同行しています。こうした技師は何人かいますが、カンターはおそらくベストと言ってよいでしょう。

 また、CDマスタリングは、デッドのマスタリングを一手に引受けているジェフリー・ノーマン。

 CDの時間配分。

CD 1:  68m 52s 10曲
CD 2:  43m 59s 6曲
CD 3:  66m 31s 8曲
Total: 2h 59m 11s 24曲

 CD2の3曲目〈Sugaree〉が終わったところで休憩が入っています。


Track List
*タイトルの後の()内は作曲者。カヴァー曲はオリジナルの発表年を添えました。
*「初演」はグレイトフル・デッドによる初演の時期。
*初演に続けたのはオリジナル曲のアナログ時代の初出録音(スタジオ録音とは限らない)のタイトルと発表年。大文字のタイトルのみはグレイトフル・デッドのアルバム。

01. The Promised Land (Chuck Berry, 1964)
1971-04初演
02. They Love Each Other (Robert Hunter & Jerry Garcia)
1973-02初演, アナログ録音の初出:Jerry Garcia, REFLECTIONS, 1976
03. Big River (Johnny Cash, 1957)
1971-12-31初演
04. Loser (Robert Hunter & Jerry Garcia)
1971-02初演, Jerry Garcia, GARCIA, 1972
05. Looks Like Rain (John Perry Barlow & Bob Weir)
1972-03初演, Bob Weir, ACE, 1972
06. Ramble On Rose (Robert Hunter & Jerry Garcia)
1971-11-19初演, EUROPE '72, 1972
07. Jack Straw (Robert Hunter & Bob Weir)
1971-10初演, EUROPE '72, 1972
08. Peggy-O (Trad.) 
1973-12初演
09. El Paso (Marty Robbins, 1959)
1970-07初演
10. Deal (Robert Hunter & Jerry Garcia)
1971-02初演, Jerry Garcia, GARCIA, 1972
11. Lazy Lightning> (John Perry Barlow & Bob Weir)
1976-06初演, KINGFISH, 1976
12. Supplication (John Perry Barlow & Bob Weir)
KINGFISH, 1976
*この2曲は常にメドレーとして演奏された。
13. Sugaree (Robert Hunter & Jerry Garcia)
1971-04初演, Jerry Garcia, GARCIA, 1972

休憩

14. Samson and Delilah (Trad.)
1976-06初演, TERRAPIN STATION, 1977
15. Brown-Eyed Women (Robert Hunter & Jerry Garcia)
1971-08初演, EUROPE '72
16. Estimated Prophet (John Perry Barlow & Bob Weir)
1977-02初演, TERRAPIN STATION, 1977
17. Scarlet Begonias> (Robert Hunter & Jerry Garcia)
1974-03初演, GRATEFUL DEAD FROM THE MARS HOTEL, 1974
18. Fire On The Mountain> (Robert Hunter & Mickey Hart)
1977-03初演, SHAKEDOWN STREET, 1978
19. Good Lovin' (Arthur Resnick & Rudy Clark, 1965)
1966初演
20. Uncle John's Band> (Robert Hunter & Jerry Garcia)
1969-12初演, WORKINGMAN'S DEAD, 1970
21. Space>
22. Wharf Rat> (Robert Hunter & Jerry Garcia)
1971-02初演, GRATEFUL DEAD (Skull & Roses), 1971
23. Around And Around (Chuck Berry, 1958)
1970-11初演
24. Brokedown Palace (Robert Hunter & Jerry Garcia)
1970-08初演, AMERICAN BEAUTY, 1970


 チャック・ベリーのロックンロールに始まり、やはりチャック・ベリーで終わった後、アンコールは〈Brokedown Palace〉という構成。

 聴き所はたくさんある、というより、はじめから終わりまで、一瞬たりともダレ場がありません。とはいえ、個人的には前半最後の3曲での盛り上り、そして後半中盤の〈Estimated Prophet〉から〈Scarlet Begonias> Fire on the Mountain〉を経て、〈Good Lovin'〉にいたるあたりを聴くとき、生きていてよかったと思います。

 いーぐるのシステムの威力をしみじみ感じたのは、なによりもフィル・レシュのベースでした。かれのベースは単純にビートを刻むことはまず無く、神出鬼没の動きをしますが、その動きが手にとるように明瞭に聴こえます。

 そしてベースも含めて、各ミュージシャンの音のからみ合いが、やはり明瞭に聴こえます。

 デッドを聴く面白さの最大のものの一つは、このからみ合いにあります。単純にビートを刻んでいる楽器が無く、それぞれが常に変化しながら、その変化がたがいの変化をあるいは呼びおこし、あるいは応答し、フーガのように追いかけっこをしてゆく。ガルシアのリード・ギターも例外ではありません。それだけが突出するのではなく、むしろ全体を貫き、まとめてゆくように聴こえます。

 そして、一つひとつの音が、実在感を備えて響いてくること。実際にそこで鳴っているように聴こえること。ベースの音圧を体感できること。これは整備されたシステムとスピーカーでしか体験できない世界です。

 最後に、今回の眼目である、ライヴ1本全体を一気に聴くことの効果はどうか。

 この点は、まだわかりません、というのが正直なところです。それによって何かが明らかにわかった、という感じはありません。ただ、全体の流れを感得できたことはあります。具体的には、前半が終わったところでは、結構満腹感がありました。比較的短かい曲が多かったせいかもしれません。たくさんの小皿料理を出されてみんなたいらげたらおなかいっぱい、ということでしょうか。それが、後半が進むにつれて高揚感が出てきて、だんだん元気になってゆき、最後にガルシアが、「じゃあ、みんな、またな」と言ったときには、すぐにでもまた次のライヴを聴けるし、聴きたい、と思っていました。音楽を聴いた、という感覚よりも、なにか祭、祝祭に参加していて、それが一区切りついたところですぐにまた次の祭へ飛びこみたい、という感じでしょうか。

 こういう感覚は常日頃、断続的に、たとえばCD1枚ごととか、前半と後半を2日にわたってとかの形で聴いている時に感じたことはありませんでした。

 いーぐる級のシステムではなくても、ライヴ1本をまるごと体験することはもっとやってみようと思ったことではあります。ただ、あの臨場感、その場にいるという感覚は、あそこでなければ不可能ではありましょう。

 1977年という年は音楽の上でどんな年だったか。イーグルスの《ホテル・カリフォルニア》、フリートウッド・マックの《ルーモア》、キッス、ベイ・シティ・ローラーズ、アバがブレイク、エルヴィス・コステロがデビュー、ジョニ・ミッチェルは〈コヨーテ〉。そしてパンク極盛の年でした。日本ではピンク・レディー旋風のさなかにキャンディーズが解散。

 ぼくは前年に発見していたブリテン、アイルランドの伝統音楽にひたすらのめり込んでいました。《ホテル・カリフォルニア》はイーグルスのファンだったその惰性で聞いていましたし、アバの〈ダンシング・クィーン〉はいやでも耳に入ってきました。キャンディーズやピンク・レディーも同様。しかし、結局、それらにもパンクにも耳を貸さず、ボシィ・バンドやバトルフィールド・バンドやジャッキィ・デイリーやオシアンやアルビオン・バンドやデ・ダナンやショーン・キャノンやウッズバンドやコリンダやに夢中になっていました。そうそうチーフテンズの《ライヴ!》に横っ面ひっぱたかれたのもこの年です。エルヴィス・コステロやジョニ・ミッチェルに親しむのは10年以上後。《ルーモア》にいたっては、初めて聞いたのは昨年でした。

 グレイトフル・デッドの音楽にそうした時代を反映したところはありません。皆無、といっていい。デッドの宇宙では1977年は、それを境に前期後期に分けることも可能なくらい、重要な年ではあります。しかし、その外の動きが反映されることはありません。それはデッドが外界と断絶していたということではなく、自分たちが楽しいことに集中した結果です。

 キース・オルセンはジェリィ・ガルシアについて、こういうことも言っています。

 「ガルシアはとにかくおもしろかった。調整室でもいつも笑っているんだ。《テラピン》のいろいろなパートでギターやハーモニーを倍速にしたりするだろ、するとやっこさんげらげら笑うんだ。仕事しながらあんなに笑う人間は見たことがない。ガルシアは音楽を演ることが三度の飯よりも好きだが、すわって演奏している間じゅう笑ってるんだ。あれはいいよ」
Blair Jackson, 前掲書, 283pp.

 1977年5月のグレイトフル・デッドは、メンバー全員が笑いながら演奏しているようです。そして、あの時あの場にいて見、聴いていた人びともまた笑っていたにちがいありません。(ゆ)

 びっくりしたなあ、もう。ソニーの新しいウォークマン NW-ZX2 を買ったら、デフォルトで入っているデモ音源5曲のひとつが、Adam Agee & Jon Sousa の〈Paddy Fahy's〉だったのだ。それも市販されていない DSD 版である。


 アメリカはコロラドをベースとするフィドルとギターのデュオ。公式サイトにはマーティン・ヘイズがコメントを寄せているが、まさにマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの正統な後継者だろう。

 コロラド州ボゥルダーにある Immersive Studios で DSD 録音したものが 1st CD としてリリースされているわけだが、このスタジオの名前には記憶があるぞと調べたら、Otis Taylor の諸作がここでやはり DSD 録音されていたのだった。


 録音もすばらしいが、演奏がそもそも凄い。マーティン・ヘイズの言葉に嘘偽りはあるはずもないが、まったくその通りと心から同意する。21世紀のアイリッシュ・ミュージックは、20世紀とは別の方向に進化しているのだ、とこういう演奏を聴くと納得する。

 20世紀後半にアイリッシュ・ミュージックがめざしたベクトルとは一見対極にも見えるが、音楽自体はむしろよりラディカルにも聞こえる。

 それにしてもだ、いったい、この選曲は誰がしたのか。ソニー・ミュージックに属するミュージシャンでもないこのデュオの音源が、どういう経緯でここに含まれたのか、気になるところではある。

 さらに、こうしてこの音楽が、おそらくはハンパでない数のリスナーに届くわけだ。DSD というだけで耳を傾むける人もいるだろう。イヤフォンやヘッドフォンの試聴にも使われるだろう。そうして、何度も聴かれることになる。その影響は、すぐに現れるわけではないにしても、じわりじわりと効いてくるのではないか。

 妙にうれしいと同時に、こういう時代になったのだ、アイリッシュ・ミュージックもここまで来たか、との想いもわいてくる。

 ぜひにもCDとは別に、何らかの形で、DSD のままリリースしてほしいものではある。(ゆ)


02-24追記
 本人たちにメールを送ってみたら返事があり、Acoustic Sounds から DSD 版の配信販売をする予定の由。それもここ2、3ヶ月のうちらしい。

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