昨年11月ひと月かけてリリースされたグレイトフル・デッドの《30 Days Of Dead》を年代を遡りながら聴いています。今回は10日リリースの 1971-04-14, Davis Gym, Bucknell University, Lewisburg, PA から第二部オープナー〈Bird Song〉。
このショウからは第一部9、10曲目の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされています。
1971年のショウは計82本。レパートリィは90曲。新曲は18曲。以下、タイトル、作詞・作曲, 収録アルバム、演奏回数。
Wharf Rat; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1971, Grateful Dead), 398
Loser; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 352
Greatest Story Ever Told; Robert Hunter & Bob Weir, 1972, Ace (BW), 281
Deal; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 427
Bird Song; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia, 300
Sing Me Back Home; Merle Haggard, (none), 41
Oh Boy; Sonny West, Bill Tilghman & Norman Petty, (none), 6
I Second That Emotion; William Robinson / Al Cleveland, (none), 8
The Promised Land, Chuck Berry, (none), 434
Sugaree; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1972, Garcia (JG), 362
Mr. Charlie; Robert Hunter & Ron McKernan, (none), 50
Empty Pages; Ron McKernan, 2
Jack Straw; Robert Hunter & Bob Weir, (1972, Europe ’72), 478
Mexicali Blues; John Perry Barlow & Bob Weir, 1972, Ace (BW), 443
Tennessee Jed; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1972, Europe ’72), 437
Brown-Eyed Women; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1972, Europe ’72), 345
One More Saturday Night; Bob Weir, 1972, Ace (BW), 341
Ramble On Rose; Robert Hunter & Jerry Garcia, (1972, Europe ’72), 319
Comes A Time; Robert Hunter & Jerry Garcia, 1976, Reflections (JG), 66
You Win Again; Hank Williams, (none), 25
Run Rudolph Run; Marvin Brodie & Johnny Marks, 7
Big River, Johnny Cash, (none), 399
The Same Thing; Willie Dixon, (none), 40
Chinatown Shuffle; Ron McKernan, (none), 28
行末の演奏回数で、その曲の定番度がわかります。
〈One More Saturday Night〉はもともとはロバート・ハンターの作詞でしたが、ウィアが歌う際に歌詞を勝手に変えたことにハンターが怒り、自分はこの歌とは一切無関係としたため、クレジットはウィア単独になっています。また、このことをきっかけにハンターはウィアとの共作も拒否し、替わりにその場にいたジョン・ペリィ・バーロゥをウィアの作詞家に指名しました。この年2月のことです。バーロゥは普通の高校からはじき出された生徒を受け入れるコロラドの高校でウィアと同窓で、デッド・ファミリーの一員として楽屋などにも出入りしていました。このペアの最初の作品が〈Mexicali Blues〉です。かくて、ハンター&ガルシアに加えて、もう一組、曲作りのペアが生まれて、デッドを貫く「双極の原理」がここにも見られます。
〈Wharf Rat〉〈Jack Straw〉〈Tennessee Jed〉〈Brown-Eyed Women〉〈Ramble On Rose〉(加えて前年末デビューの〈Bertha〉)はどれも演奏回数400回300回を超える定番中の定番曲ですが、ご覧の通り、スタジオ録音が存在しません。初出のアルバムはいずれもライヴ盤です。スタジオ版が無いことを作詞者のハンターは気にしていたそうですが、今から振返ると、これまたいかにもデッドらしい現象に見えます。つまり、たとえある曲にスタジオ録音が存在するにしても、それらが「正式版」というわけでもないことを示唆します。
スタジオ盤はレストランに置いてある料理見本の蝋細工、というと言過ぎでしょうか。蝋細工は食べられませんが、スタジオ盤はとにかく聴けますし、その音楽の質は悪いものではない。けれどもライヴでの演奏に比べてしまうと、たとえそれがあまり良いとはいえないライヴ演奏であっても、蝋細工を食べているような味気ないものに聴こえます。スタジオ録音は整いすぎている、あるいはきつちり整っていることはデッドらしくないと聴こえます。
デッドのライヴ音源を聴きつづけていると、妙なことが起こります。歌詞を忘れ、あるいは歌に入りそこない、チューニングが狂い、ミスが連続しても、そうしたマイナス要素も全部ひっくるめて、デッドのライヴを味わうようになります。他のバンドやジャンルだったらぶち壊しになるようなマイナス要素がデッドのライヴではむしろ魅力になる。痘痕もえくぼ、というと、惚れた相手の欠点も輝くことですが、どうもそれとも違います。マイナス要素がプラス要素に転換するわけではない。マイナスがマイナスのまま、魅力になる。
ヘタウマでもない。これまたよくある誤解ですが、デッドは決してヘタではありません。むしろ、抜群に上手いことは、早い時期からアメリカでも認められています。また、ヘタでは他にどんな魅力があろうと、アメリカのショウ・ビジネスで成功することはできません。デッドは名手揃いですし、アンサンブルとしても最も熟練したレベルです。そういうレベルではミスや失敗は音楽の価値を下げるはずが、デッドではそうなりません。むしろ、ミスのない、完璧な演奏が居心地の悪いものになります。ミスがあるのが当然、いや、必須になるのです。スタジオ録音がつまらないのは、ミスがないからです。これもまたデッドの面白さです。
デッドがヘタという「伝説」はこのことが原因ではないかと思われます。デッドはミスを恐れません。それよりもそれまでやったことのないことをやろうとします。それで間違うとヘタに聞こえてしまう。それがまたデッドが「不真面目」という評価につながるわけです。しかし、かれらがヘタでも不真面目でもないことは、ライヴ音源に少し身を入れて耳を傾ければ、すぐに納得されます。
1971年にはまず02月にミッキー・ハートがバンドを離れます。前年にバンドのマネージャーをしていた父親のレニーが横領の上、失踪したことが原因でした。復帰するのは1974年10月20日、ライヴ活動停止前最後のショウの第二部でした。9月に《Skull & Roses》をリリース。10月にキース・ガチョーが加わります。また、The Greatful Dead, Inc. を設立しました。
《Skull & Roses》ジャケットに掲げられたデッドヘッド、ここでは "Dead Freaks" への呼びかけによって、カリフォルニア州サン・ラファルのオフィスに世界中から手紙がなだれこみます。日本からも送られました。ここから熱心なファンの集団が出来、かれらはデットヘッドと呼ばれるようになります。
このショウのヴェニューは大学の施設です。この頃からデッドは大学でのショウを積極的に行います。デッドがショウを行った大学施設は総計約120ヶ所。会場となった大学に籍をおく学生には割安のチケットが用意されました。ここでライヴに接した学生たちが後にデッドヘッドの中核を形成していきます。年齢的には、デッドのメンバーと同じか、すぐ下の世代です。会場となった大学は、カリフォルニア大学の各キャンパスやスタンフォード、MIT、ラトガース、プリンストン、コロンビア、ジョージタウン、イェール、有名なバートン・ホール公演のコーネルのように名門とされるものが少なくありません。したがってデッドヘッドにはアメリカ社会の上層部が多数含まれることになりました。スティーヴ・ジョブズ、ビル・ゲイツなどデジタル産業の立役者たちは最も有名ですが、その他の実業家、政治家、弁護士、医師、学者、芸術家、軍人、官吏等々、あらゆる分野にいます。ずっと後ですが、デッドのショウの舞台裏にいた上院外交小委員会委員長のもとへ、ホワイトハウスから電話がかかってきたこともあります。
デッドヘッドは決して髪を伸ばし、タイダイのTシャツを着て、マリファナをふかすヒッピーばかりではありません。あるいはデッドのショウに来る時はそれにふさわしい恰好をするにしても、普段は他の人たちと変わらない外見をもつ人びとも含まれるようになります。また数の上でも一握りの限られた集団というわけでもありません。むしろ、アメリカの現在の社会を作っている要素のなかでも大きな比重を占めていると見るべきでしょう。
一方で、デッドヘッドには、アメリカ社会の主流からはじき出された人びと、ミスフィットもまた多く含まれます。デッドのメンバーやその周囲に集まった人びと自身がミスフィットだったからです。デッド世界はミスフィットたちの避難場所、シェルターとしても作用しました。幼児期に性的虐待を受け、施設を転々とした揚句、デッドの行く先々についてまわるツアー・ヘッドのファミリーに出逢って救われ、充実した人生を送っている人もいます。
このショウからも多くのデッドヘッドを生んだことと思われます。ハートが抜けて、シングル・ドラムになって2ヶ月ですが、クロイツマンはその穴を感じさせません。
〈Bird Song〉は前年末にデビューしてこれが7回目の演奏。後のように充分に展開しきったとは言えませんが、ガルシアのヴォーカルにはまだジャニスを失った実感がこめられています。
この後はまだクローザーになる前の〈Sugar Magnolia〉、そして組曲版の〈That's It for the Other One〉、〈Wharf Rat〉。〈Wharf Rat〉はだめなヴァージョンをまだ聴いたことがありませんが、これはまた出色。そしてピグペンの〈Hard to Handle〉。ピグペンは鍵盤のはずですが、ここではほとんど聞えません。とはいえ、歌はまだまだ大したものです。ここでのウィアとガルシアのギター合戦も聞き物。ガルシアはこういう曲ではロック・ギターを弾いています。締めは〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Not Fade Away〉。このセットは定番としてよく演奏されます。〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad〉でのガルシアのソロは快調に飛ばします。音域はごく狭いのに面白いフレーズがあふれてくるのはガルシアの真骨頂。〈Not Fade Away〉ではピグペンもはじめはタンバリン、後ではヴォーカルで参加し、ウィアと掛合います。間髪を入れずに〈Johnny B. Goode〉で幕。アンコール無し。
この後は17日にプリンストン、18日にニューヨーク州立大でのショウです。春のツアーは月末のフィルモア・イーストでの5連荘まで続きます。(ゆ)