村井康司さんの連続講演「時空を超えるジャズ史」第9回は「1980年代ジャズ再訪:ネオ・アコースティックとジャズのニュー・ウェイヴ」として、マルサリス兄弟、ブルックリン派、「ニュー・ウェイヴ」、ギターとチューバの新しい響き、そして今のジャズと1980年代との繋がりという五部構成。
1980年代というのはジャズにとって結構面白い時期であることは「いーぐる」で学んだことのひとつだ。フュージョンの後にマルサリス兄弟やブルックリン派のような人たちが出てきたり、新世代のギタリストたちが現れたりするところに、ジャズの粘り強さを感じたりもする。フュージョン・ブームの失墜とともに荒れはてたりせず、ちゃんと新しい草が生えてくる。こういう弾力性を備えるのは、ジャズがロックと異なり、自然発生したフォームだからだ、というのがあたしの見立て。その点でジャズは伝統音楽の一種なのだ。
1980年代はこうした新しい草とともに、かつて活躍した巨匠、名人もまだ健在。だから80年代のジャズはかなり多彩、ダイヴァーシティ=多様性が大きい。そこが面白い。今回は新しい草に焦点が当てられたが、ベテランたちの80年代でも1回やっていただきたい、とあたしなどは思う。
まずはマルサリス兄弟。ウィントンのハービー・ハンコック・カルテットでの鮮烈な登場、さらに衝撃的なデビュー・アルバムと来て、3曲目に紹介された《The Majesty Of The Blues》からのタイトル・トラックがあたしには面白かった。出た当時には酷評されたそうだが、そういうアルバムで時間が経って聴いてみると、どうしてそんなに酷評されねばならなかったのかさっぱりわからないアルバムは少なくない。結局従来の評価軸の延長でしかモノを言えない人が多いのだろう。あたしの体験ではボブ・ディランとグレイトフル・デッドというアメリカ音楽の二大巨星ががっぷり四つに組んだ《Dylan & The Dead》について、出た当時、「こんなものは出すべきではなかった」と言ったヤツは耳か頭か、あるいは両方がいかれていたとしか思えない。あるいは、できたものが大きすぎて、同時代ではこれを受け入れられるほど器が大きな人間はいなかったのだろう。その点では後世の人間は有利だ。人間としての器のもともとの大きさではかなわない相手にしても、こちらがより年をとっていると何とかまともにつきあえる。
ウィントンにしても、デビューは確かに新鮮だったろうが、それだけに今聴くと時代の色がついてしまうのはやむをえない。《The Majesty Of The Blues》は時代を超えていて、今聴いて現代的と聞える。しかもここでは、エリントン楽団が1920年代に多用したプランジャー・ミュートを使っているという。ちゃんと勉強している。英語でいう homework をしっかりやっている。
とはいえ、あたしにとってはやはりウィントンよりはブランフォードだ。ここでもかかったスティングのアルバムも強烈だが、何といってもグレイトフル・デッドとの1990年3月の共演は、ブランフォードにとってもデッドにとっても頂点の1つで、いつ聴いても、何度聴いても、音楽を聴く愉しみを存分に味わわせてくれる。
ここでの発見はブランフォードが Buckshot Lefonque 名義で出したヒップホップと組んだ録音で、ほとんどアフリカの呪文に聞える音楽に、この人の懐の深さをあらためて感じる。あたしにはまだわからないヒップホップへの導入口になってくれるかもしれない。
ブルックリン派は登場した当時、中村とうようが大プッシュしていたせいもあり、あたしもリアルタイムで聴いていた。当時聴いていたということは、CDを何枚も買いこんでいたことに等しい。もっともそれでジャズに傾倒したかというとそうはならなかった。それにかれらの真価はむしろ90年代になってカサンドラ・ウィルソンが化けたり、ジェリ・アレンが1枚も2枚も剥けたりしてから発揮されたようにも見える。ウィルソンの《Blue Light 'Til Dawn》はとりわけヴァン・モリソンのナンバーで、あたしにとっても衝撃だった。ここでかかったジョニ・ミッチェルとのつながりを見出すのはもっと後になる。あたしにはあのアルバムのウィルスンはむしろまったく新しいタイプのフォーク・シンガーだった。
村井さんによれば、あれはジャズ・シンガーとしても新しいタイプだったので、後で今のジャズとのつながりでかかったベッカ・スティーヴンスもその流れに乗っていると見える。アコギ1本の弾き語りでうたうスティーヴンスなど、こんなのジャズじゃないと「ジャズおやじ」ならわめきそうだ。
確かにウィルスン以降、スティーヴンスとか、グレッチェン・パーラトとか、あるいは Christine Tobin とか、Sue Rynhart とか、ジャズ・シンガーの姿も変わってきていて、あたしはやはりこういう方が面白い。
ところで《Blue Light 'Til Dawn》はプロデューサーの Craig Street にとってもデビュー作というのはちょと面白い。この人がプロデュースしたアルバムとしては、なんといってもノラ・ジョーンズの《Come Away With Me》が挙げられるだろうが、Holy Cole とか Jeb Loy Nichols とか Chris Whitley とか、渋いところもやっているのは見逃せない。デレク・トラックス、ベティ・ラファイエット、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドなんてのもある。ジョー・ヘンリーの《Scar》をやっていて、あれはあたしにとっては「問題作」なので、いずれプロデューサーの流れで聴きなおしてみるかという気にもなる。
第三部は「ニュー・ウェイヴ」、あるいは新しいアヴァンギャルドで、ここでのキーパースンはジョン・ゾーン、ビル・ラズウェル、アート・リンゼイ。そうか、この人たちが出てきたのも80年代なのね。
あたしとしてはこの中ではラズウェルが一番親近感がある。ワールド・ミュージック的なことをしているからかもしれない。ヒップホップに関わっていたとここで村井さんに教えられて、その方面も気になってくる。
ラズウェルというと連られて思い出すのがキップ・ハンラハン。あたしの中ではどちらも似たようなところにいる。ハンラハンの方がプロデューサー的か。ラズウェルは自分も一緒になってはしゃぐのが好きだけど、ハンラハンはクールに人にやらせて悦に入っているところがある。
ギタリストではまずビル・フリゼールとパット・メセニー。前者はポール・モチアンのモンク・アルバム。後者は動画。メセニーまたはメシーニィはギタリストとしてもさることながら、作曲面での影響が大きいのだそうだ。複雑な変拍子なのに、聴いている分には心地よくて、変拍子だとはわからない。あるいはその心地よさを生むために変拍子を使うというべきか。
あたしなどは変拍子の快感はむしろ体の内部をよじられるような、一般的には心地よいとは言われないものだ。マゾヒスティックと言えないこともないが、いためつけられているわけではなく、それまで体験したことのない、本来ありえない方向によじられるのがたまらなく快感なのだ。だから変拍子とわかることはむしろ前提で、そうわからずにひたすら心地よいだけ、というのはどうもつまらない。もっともメシーニィの音楽はただ心地良いだけではすまない面白さがあると思う。そこが変拍子の効験であろうか。
80年代のジャズはギターの時代と言ってもおかしくない。他にもジョン・スコフィールドとか、マーク・リボーとかもいるし、ジョー・アバクロンビー、フレッド・フリス、アラン・ホールズワースあたりも80年代に頭角を現したと見える。80年代のギタリストは従来のジャズ・ギターの定番だったクリーン・トーンではなく、ノイズや歪みを含む、ロック的なサウンドも積極的に出すのが、あたしには面白い。クリーン・トーンのエレクトリック・ギターは音を伸ばせるところだけを利用していて、楽器の特性をフルに使っていないと思える。もっとも、ジャズで電気前提の楽器はかつてはむしろ珍しかったから、ノイズやディストーションを当たり前に使うのには抵抗があったのかもしれない。
ここでギターと並べられたチューバの新しい響きはアーサー・ブライスの《Illusion》のものだが、チューバがリード楽器として花開くには、もう少し時間がかかるようだ。一方、わが関島岳郎はやはり1980年代に登場している。あるいは関島の活動をジャズでくくるのは、かえって狭い枠に押しこめることになるのかもしれない。
第5部、今のジャズと1980年代のジャズとの繋がりで挙げられているのはジョシュア・レッドマン、ブラド・メルドー、ロバート・グラスパー、カマシ・ワシントン、ヴィジェイ・アイヤー、マカヤ・マクレイヴン、ベッカ・スティーヴンス、マリア・シュナイダー、ジェイコブ・ブロ、セオン・クロスといった面々。
この中であたしが一番面白かったのはこの中で唯一初見参だったマカヤ・マクレイヴン。村井さんによればかれにはオーネット・コールマンとビル・ラズウェルの影響があるそうだけど、あたし的にはバランス感覚がいいと思えた。とにかく面白くて、もっと聴こうと思って検索すると、なんとこの人の母親はあのコリンダのシンガーというではないか。どうしてこういう人とジャズ・ドラマーが結びついて、マカヤ君が生まれたのかは訊いてみたいが、それにしてもこういうつながりのあるジャズ・ミュージシャンは初めてだ。同時にかれの音楽をあたしが面白いと思う理由の一端も見える気がする。
コリンダ Kolinda というのは1970年代後半、ハンガリーの伝統音楽を現代化したバンドで、フランスの Hexagon から出した2枚のアルバムに我々はノックアウトされた。当時、ブリテン、アイルランドの伝統音楽に夢中になっていた、あたしらごく少数の人間たちに、ハンガリーにも伝統音楽が生きており、それはブリテン、アイルランドのものとは異質ながら、まったく同等の美しさと広さを備えていることを初めて叩きこんでくれたのだ。演奏、選曲、編曲の能力のとんでもなく高い連中で、その後しばらくして陸続と出てきたハンガリーのミュージシャンたちの中でも、あそこまでの存在は見当らない。コリンダが凄すぎて、後から出てきた人たちは別の方向をめざしたとも見える。今聴いても十分に新鮮、というより、むしろハンガリー伝統音楽の諸相が普通に聴ける今聴く方がその凄みがより実感できるだろう。久しぶりに聴きなおして、マクレイヴンの音楽とのつながりを探るのも愉しそうだ。
今回は最後にびっくりのおまけもついて、1980年代というのは面白いとあらためて認識させられた。リアルタイムでは80年代に入った途端、出てくる音楽がつまらなくなったという印象が残っているのだけれど、後から見ると、その後につながる動きはたいていが80年代に始まっている。50年代に始まった動きは1970年代末で一応完結し、そこで位相の転換が起きた、というのはどうだろう。パンクは新しい動きというよりも、それまでのロックの集大成だったのかもしれない。クロノス・カルテットのアルバム・デビューも1979年。ロン・カーター、チャック・イスラエル、エディー・マーシャルを迎えたモンク・アルバムが1985年、エディー・ゴメスとジム・ホールを迎えたビル・エヴァンス・アルバムが1986年だ。
ジャズにあっても、フュージョンはそれまでのジャズの行きついた果てで、そこで舞台がくるりと回って今回聴いた人たちがわらわらと登場してくる。今のジャズが直接つながるのが70年代ではなく、80年代なのも納得できる。
それに、そうだ、80年代はデジタル録音が広まり、CDが普及する。音楽の録り方が変わっている。このことの意味も小さくないはずだ。(ゆ)