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ワシーリー・グロスマンの Stalingrad
序文と後記によると、これは For A Just Cause(むろんそういう意味のロシア語のタイトル)として1954年にソ連で初版が出た本の英訳。だが、この本は当時の検閲を通るため、大幅な削除がされている。後、二度、再刊され、最後の1956年版はフルシチョフによる「雪解け」期に出たため、削られたものがかなり復活している。
オクテイヴィア・E・バトラー
インターステイト・システム
Guston In Time
しかし発表当時は時の美術界からは総スカンを食い、ほとんど唯一評価したのがまだ若い Ross Feld だった。2人の間に篤い友情が結ばれ、この本はフェルドが残した追憶の書。回顧展の図録は欲しい。ボストン美術館は通販で売っているがペーパーバック40ドルに送料52ドル。やはりためらう。昔はこういう本はイエナあたりにあったりしたのだが、今はどこか、集めているところはあるのだろうか。海外の展覧会の図録を集めて売っている本屋はありそうだが。それにしても、この人もカナダだ。
『ナチス・ドイツの終焉』
02月08日・火
公民館に往復して、図書館から借りた本をピックアップ。イアン・カーショーのヒトラー伝の上巻と最新刊の『ナチス・ドイツの終焉』。浩瀚なヒトラー伝でも決着がつかなかった疑問、ナチス・ドイツはなぜ最後まで抵抗を続け、全ドイツを道連れにできたのか、という疑問に挑戦したもの。どちらも部厚いが、どちらも原注・文献が2割はある。ヒトラー伝は二段組。『ナチス・ドイツの終焉』の訳者は1934年、ナチスが政権をとった翌年の生まれだから87歳。それでこの仕事をしたというのは、本当に自分でやったのなら偉いもんだ。冒頭を読むかぎりでは、訳文にひっかかるところは無い。
もともとはワシーリィ・グロスマンを読もうとして、その準備のためにアンソニー・ビーヴァーのスターリングラード攻防戦を読んだら、そこから滅亡までのナチスの歴史にハマってしまった。肝心のグロスマンはそっちのけになる。まあ、いずれ戻れるだろう。
##本日のグレイトフル・デッド
02月08日には1970年と1986年にショウをしている。公式リリースは1本。
1. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
このヴェニュー、4日連続のランの最終日。3ドル。開演7時。タジ・マハル共演。
オープナー〈Smokestack Lightnin’〉と5曲目〈Sittin' On Top Of The World〉が《The Golden Road》所収の《History Of The Grateful Dead, Vol. 1 (Bear's Choice)》でリリースされた。オリジナルの《History Of The Grateful Dead, Vol. 1》は1970年02月13日と14日のフィルモア・イーストでのショウの録音からの抜粋だが、2001年に《The Golden Road》のボックス・セットに収録された際、4曲が加えられた。その4曲のうちの2曲がこの日の録音。
〈Smokestack Lightnin’〉はこの日の西での演奏と13日の東での演奏を聴き比べることができる。ピグペンがリード・ヴォーカルのブルーズ・ナンバー。ハウリン・ウルフが最も有名だろう。ジョン・リー・フッカー、ヤードバーズ、アニマルズも録音している。1967年03月18日サンフランシスコで初演。1972年03月25日ニューヨークがピグペンでの最後。1983年04月09日に復活し、1994年10月18日マディソン・スクエア・ガーデンが最後。計53回演奏。
ブルーズ・ロック・バンドとしてのデッドの実力がわかる。もっともガルシアのギターはブルーズ・ギターではない。後にはばりばりのブルーズ・ギターも弾くが、この時期は典型的なブルーズのフレーズはほとんど弾かない。ピグペンのヴォーカルも典型的なブルーズ歌唱ではない。それでもブルーズの感覚は濃厚だ。タジ・マハルも典型的なブルーズの人ではないが、この演奏を当時どう聞いたか、何か記録があれば面白いだろう。タジ・マハルは前年に傑作《Giant Step/De Ole Folks At Home》を発表している。少なくともガルシアはこれを聴いていたはずだ。
〈Sittin' On Top Of The World〉はブルーズというよりはより広いアメリカーナの共有財産として、オールドタイム、ヒルビリー、ブルーズ、ウェスタン・スイング、ブルーグラスなどの人たちに演奏され、1930年代から様々な録音がある。ガルシアのアイドルの一人ビル・モンローもブルーグラス・ボーイズで録音している。ガルシアのデッド以前からのレパートリィの1曲で、1962年の Hart Valley Drifters の録音がリリースされている。デッドとしては1966年03月12日ロサンゼルスで初演。1972年春のヨーロッパ・ツアーまで演奏され、その後、跳んで1989年07月02日、マサチューセッツでの演奏が最後。計25回演奏。なお〈Sittin' on Top of the World〉がデッドの録音での表記だが、'Sitting' と略さない形の表記も若干ある。デッド以外の録音では略さない方が一般的のようだ。
2. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
16ドル。開演8時。このヴェニュー5本連続のランの初日。この年最初のショウ。春節記念。かなり良いショウの由。(ゆ)
Listen To The River; Grateful Dead
それにしても半世紀前の録音がつい昨日録音されたもののように聴けるのはテクノロジーの恩恵ですなあ。これらのショウが行われていた当時、半世紀前の録音といえばSP盤しかなかったわけで、レコードを手に入れるのも、それを再生するのも、えらく苦労しなければなりませんでした。(ゆ)
ローベルト・ヴァルザー熱
「少なくともヴァルザーの主要作品と目されてきたものは、ほぼすべて日本語に訳出されたことになるだろう」第5巻, 359pp.
村井康司『ページをめくるとジャズが聞こえる』発刊記念イベント@いーぐる
翻訳の勉強
スターリングラードでパウルスに対抗したチュイコフ将軍の第六二軍は、第八親衛軍として長い道のりをベルリンまで進軍した。チュイコフは占領軍の総司令官となる。彼はソヴィエト連邦元帥に昇りつめ、あの危機を迎えた九月の夜、ヴォルガ河畔で彼を任命したフルシチョフのもとで国防省代理にもなった。彼の命令によってスターリングラードで処刑された多数のソ連軍兵士には墓標のある墓はない。統計の上でも彼らは他の戦闘の死者に紛れこんでいる。そこには期せずしてある種の正義が存在すると言えるだろう。
His opponent at Stalingrad, General Chuikov, whose 62nd Army had followed the long road to Berlin as the 8th Guards Army, became commander of the occupation forces, a Marshal of the Soviet Union and deputy minister of defence under Khrushchev, who had appointed him on that September night of crisis by the Volga. The tousands of Soviet soldiers executed at Stalingrad on his orders never received a marked grave. As statistics, they were lost among the other battle casualties, which has a certain unintended justice.
Penguin Books, 1999, 431pp.
『あなたの聴き方を変えるジャズ史』村井康司
いやあ、面白かったあ。ほとんど一気読みに読んじゃいました。面白いのは、新たな風景を繰り広げてくれたのと、語り口の良さ。いろいろと不満のあったこれまでのものを一掃するような、爽快な、今の時代のためのジャズ史がようやく現れてくれました。
『マイルスを聴け! 2001』中山康樹
A LONG STRANGE TRIP by Dennis McNally
村井康司『JAZZ 100の扉』
それはつまるところ「ジャズというジャンルは、この本の中でも言及してきたように、アンサンブルとソロ、楽曲と即興の関係について、さまざまな試行錯誤がなされてきた分野である」(198pp.)からだ。ジャズとはこういう音楽で、そのためにあの姿、形をとってきた。他の音楽はこういうことを考えない。しようとしない。したいと思わない。しようとするときは、否応なくジャズの姿をとるしかない。
そしてその試行錯誤に最も適した楽器を使用する。人間が息を使って音を出す楽器が主に使われる。弦楽器は片隅に追いやられる。ヴァイオリンは限られた天才しかできない。凡庸なジャズ・サックス奏者は普通にいるが、凡庸なジャズ・ヴァイオリニストというものはいない。ギターも電気増幅によって音が持続できるようになったからだ。凡庸なジャズ・アコースティック・ギタリストは存在しない。ベースは例外だが、弦楽器というよりは打楽器の仲間とみなされたのだろう。ピアノも同じだ。
この試行錯誤を別のことばでいえば「遊び」である。生活必需品、衣食住は供給しないし、他人の暴力から守ってもくれない。ただのヒマ潰し、現実逃避だ。ただし、あってもなくても同じではない。人間は遊ぶから人間なのだ。そして音楽は人間だけの遊びだ。現在のところ進化の最終形態だ。音楽を演ることを楽しむ、音楽を聴くことを楽しむところまで、生命は進化してきたのだ。
言うなれば、ジャズは、生物としての人間が到達しうる最も先端の状態である。ジャズがたった百年の間に、これだけめまぐるしくも、急激に変容したのも、だから当然のことではある。百年しかないその過程を「歴史」と感じるのは、その中に人間の、ひいては生命の進化全体が凝縮されているからだ。
ここで取り上げられているのはさらに短かい。まあ、古生代までは省略して、いきなり恐竜から始めたようなものですな。その過程の中で、時々の最先端を形成し、次の世代の先駆ともなった活動の軌跡を集めたのがこの100枚、ということになろう。
それにしても「アルバム」という単位がまだ生きていることに、ぼくは不思議の念に打たれる。もともとは商売のための単位でしかなかったものが、ジャズにあっては音楽自体の要請とうまくかち合ったということだろうか。むしろジャズにとっては、LPというメディアは必ずしも居心地の良いものではなかったはずだが、そのことがかえって幸いしたのだろうか。
音楽にとって録音は副次的な活動である。それは記録であり、軌跡である。録音を作成し、販売し、それを聴くことが主な音楽活動であるとするのは錯覚でしかない。録音がデジタル化されることで、そのことがあらためて露わになった。デジタル化はアナログでは見えにくいことを暴露する。これもその一つだ。
日本のジャズ受容の特殊性が、ここでも働いているのかもしれない。日本、とりわけ戦後におけるジャズの消化は圧倒的に録音を媒介とした。ジャズだけのことではなく、音楽に限った話でもないが、ジャズは録音偏重が極端なケースでもある。もっともロックの場合はさらに偏りが進んでいるが、これは音楽自体の成立ちにも関わる。乱暴に言うと、ロックは録音を作る、ジャズの録音はできる。
興味深いのは、単位としてディスクを看板に掲げながら、いざディスクの内容を紹介するとなると、個々のトラック、楽曲が挙げられるところ。ディスク全体の構成や流れに立つ記述で面白いものもあるが、つまるところはこの曲が入っているからこのディスク、という姿勢におちつく。ディスクはやはり中短篇集、せいぜいが連作集であって、1本の長篇にはなれない。中短編集が長篇に劣るのではない。「良い短篇集は数冊の長篇に匹敵する」とは筒井康隆も言っている。しかし、どんなに優れた中短編をいくら集めても、長篇にはならない。ジャズの文脈で長篇に一番近いのは、1本のライヴ、コンサートだろう。だからこの100枚の中で長篇に最も近いのはアート・アンサンブル・オヴ・シカゴとサン・ラーのものになる。1枚1曲のようなものもあるが、それは長篇というよりは、ノヴェラ、長い中篇だ。
アルバム単位で把握しながら、具体的な評価軸は楽曲の出来になる。なぜ、素直に楽曲に行かないのか。アルバムという枠組を、なぜはさむのか。これはやはり「録音症候群」ではないか。「アルバム」という枠組はCD由来ではない、LPというメディアが分かちがたく絡んでいる。
もちろんLPを離れた論議もジャズをめぐって行われているのだろうが、ジャズへの導入口というと、判で押したようにディスク・ガイドの形をとるところを見ると、ジャズがつながれているLPというメディアの軛の強さに、あらためて驚く。視野が広く、しかも刺激的な文章が詰まっているだけに、その部分がどうにも訝しい。
訝しいというより、もどかしい、と言うべきかもしれない。これもこうした本の常としてブートレッグは御法度だ。しかし、1987年11月、ブエノス・アイレスでのスティングの公演のブートレッグで聴けるケニー・カークランドのソロは、オフィシャルの《BRING ON THE NIGHT》のものを数段上回るし、ここでのスティーヴ・コールマンの演奏もまた最高なのだ。このブートの元は現地の放送音源のはずで、オフィシャル・リリースが出ないかと淡い期待をしておく。
もどかしさはもう一つある。
ここにフェラ・クティが登場しない(巻末の対談でバラカンさんの口から洩れるだけ)のは、とことん遊ぼうとする著者の姿勢からすれば、当然なのかもしれない。フェラにとって音楽は「単なる」遊びではなかった。それは命懸けの、生きることそのものであって、圧倒的に非対称な相手と取っ組み合い、音楽という「遊び」の形をとることでかろうじて崖っ縁で踏みとどまっていた。音楽という「遊び=文化」の形をとったおかげで、最後に笑うことができた。後に残って、人間の真の姿を暴きだすのは文化だからだ。ナチが抹殺しようとした「モダンな芸術作品」が、爆撃で建物ごと埋められ、遙か後年地下鉄工事で掘り出されるように。
もっともそうして見れば、パコ・デ・ルシアも、チューチョ・バルデスも、ヒュー・マセケラも、ヤン・ガルバレクもここには登場しない。ブラジル人は登場するから、それは著者の好みだと言ってすませることもできる。
とはいうものの、なのだ。ジャズとはまずなによりもアメリカの産物、という暗黙の了解が底に流れているのを、やはり感じてしまう。
確かにジャズはアメリカに生まれてはいる。アメリカでしか生まれなかったでもあろう。そしてアメリカで育ってきたものでもある。最も面白いことは大部分アメリカで起きてもきたし、今でもいるだろう。しかし新しい冒険に乗出している者がアメリカに限らないことは、大友良英を例として挙げられてもいる。日本やアメリカで起きていることが、日本とアメリカ以外で起きていないはずはない。
そこまで期待するのは酷だろうか。しかし、「多様な試み、多様なジャンル、多様なタイプの音楽を先入観なく聴いて、そこから自分なりの新たな音楽聴取の喜びを見いだし、そうすることによって以前聴いた音楽にま新しい意味を聞きとる……という『耳の更新』を常に行う聴き手が増えることによって、『明日のジャズ』は生き生きとした豊かなものになるはずだ」(『ジャズの明日へ』)と20世紀の最後に宣言した著者であってみれば、そしてこの本の冒頭にも「ジャズも雑食のほうが楽しいとおもうよ、ぜったい」と呼びかけた著者であってみれば、もっと雑食を、と期待してしまうのは、手前勝手だろうか。
これは導入口だから、というのなら、それは違う。いりぐちであるからこそ、ジャズの世界の奥行と拡がりは可能なかぎり提示すべきだ。
それにしても、この本はいったい誰に向けて書かれたのか。巻末対談で想定読者対象の話が出てくるところを見れば、そう思うのはぼくだけではない。「『デートコースって何? 菊地がやってるマイルス風のバンド? ふーん』とかタワけたことを抜かしているコアなジャズ・ファンのおじちゃんたち」(203pp.)にはもう遅すぎるし、「ちゃぶ台の前に正座して、玉露を飲み、最中を食いながら」(37pp.)アート・ペッパーを聴く人間、なんて鉄の下駄を履いて探しても見つかるまい。そのデートコースのライヴで踊りくるっている人たちは、そもそもこんな本など必要としないだろう。
思うに、軸足は他に置きながらジャズの周囲をうろうろし、つまみ食いしながらも、深く足を踏み入れるのはためらっている、そういうリスナーが一番ありがたがるのではないか。そして、同じように「アルバムの軛」につながれている人間。つまりはぼくのような中途半端な人間にとって、霊験あらたかなのではないか。読みながら、まるでぼくのために、ぼくのためだけに、書いてくれたような感覚を何度も覚えた。
そう感じながら、あと一歩、いや半歩、踏みこんでくれたら、と思うこともまたしばしばで、そのもどかしさはどこから来るのか、というのを書きながら探ってみると、上述のようなことになる。
最後に著者が言うように、この100枚、あるいは追加も含めて300枚を、順不同、シャッフルして聴いてみるのが、最も実り多いだろう。むしろ、全部をライブラリにぶちこんで、曲もシャッフルして聴いてみるのが一番かもしれない。あるいはそこで、ここでもまだ隠されている様相が、わらわらと立ち上がってくるのではないか。(ゆ)