08月09日・火
《Dick's Picks, Vol. 32》をリッピングしなおそうとしたら、ディスクがまったく認識されない。CDP でも No Disc と出る。記録を見ると、買った当初からリッピングしにくかったが、時間が経って、まったくダメになる。
やむなく買いなおすと、中古ということだったが、来たのは未開封新品だった。これをリッピングしようとすると、2枚組の各々最後のトラックで引っかかる。dBpoweramp の CD Ripper が再トラッキングを延々とする。それでも CD1 の〈U. S. Blues〉はなんとか完了できたが、CD2の〈One More Saturday Night〉は最後にエラーが出る。チェックすると、最後のリピートの部分に「ベン、ベン、ベン……」とノイズが入っている。CDP では入らない。
このCDはどちらも Real Gone レーベルから一般発売されたものだが、二つ買って二つとも同様のエラーがあるのは製造に致命的な問題があるとみえる。
%本日のグレイトフル・デッド
08月09日には30年間で一度もショウをしていない。年間に4日、閏02月29日を入れれば5日ある、ショウが0の日のひとつ。
他の4日は01月09日、01月19日、02月29日、12月25日。
1995年のこの日、ジェリィ・ガルシアが死去。
夏のツアーから帰宅して数日たった07月13日木曜日、ガルシアはデヴィッド・グリスマンに電話をかけて、ジミー・ロジャースの曲のカヴァーを今日一緒に録音できないかと訊ねた。グリスマンは今日は無理だが、16日日曜日ならできると答えた。ガルシアは出かけるのは月曜だからそれならOKだと言った。ボブ・ディランがジミー・ロジャースのトリビュート・アルバムを作っていて、ガルシアはこれに参加しようとしていた。ガルシアはジョン・カーンがパーカッショニストを連れてくるから、そちらで例の女のドブロ奏者(Sally Van Meter)を確保してくれと頼んだ。他にドラマーが要るというので、グリスマンは George Marsh を確保した。
日曜日午前11時に、一同はグリスマンのドウグ・スタジオに集まった。ガルシアは調子が悪そうに見えた。テイク・ワンを始めたがすぐにガルシアは止めて、テンポをもっと落とすように言って、やり直した。最後にスタジオを出るとき、ガルシアはグリスマンにこの録音の仕上げを頼んだ。グリスマンとカーンを共同プロデューサーにする契約にガルシアはすでにサインしていた。
17日月曜日にガルシアは南カリフォルニアの Betty Ford Clinic に入院した。当時のパートナー、デボラ・クーンツにうるさく薦められたのと、自分でも体調の悪さを自覚していたからだろう。1982年にオープンしたアルコールその他の薬物中毒者の治療施設。ロサンゼルス東の内陸部にある。1ヶ月のプログラムだったが、暑く、苦しく、2週間でガルシアはデボラとスティーヴ・パリッシュに迎えに来てもらった。
帰ってから、ブルース・ホーンスビィと愉しく長電話をして、将来の計画をいろいろと練った。ロバート・ハンターにも電話をかけ、どんどん曲を作りたいと話した。AA(アルコール中毒者更生会)の集会に参加し、ある中毒回復専門医に面会し、絵による自伝 Harrington Street の続きをやり、そしてハンターのところへ行くかわりに、地元の薬物中毒治療施設 Serenity Knolls に入院することに決めた。ひとつにはこの施設が1966年のあの魔法の夏に一時期住んでいたキャンプ・ラグニータスの跡地に建っていると勘違いしたからだった。距離にして1キロと離れていないところだったが、敷地そのものではなかった。また一つにはベティ・フォード・クリニックで心臓とコレステロールの薬を処方され、続けるように言われたことに怖くなったためでもあった。ただ、セレニティ・ノルズはその種のことに対処する施設ではなかった。入院のことをガルシアはごく少数の人間にしか伝えなかった。デボラにも伝えず、デッドの組織のほとんどはかれがハワイに行くものと思っていた。
一方で、この最後の時期、最も親しかったジョンとリンダのカーン夫妻は、ガルシアがすべてを投げ捨てて、どこか誰も知らないところに逃げ出したいと思っていると感じた。
入院の前日、バンドのオフィスの一つに立ち寄り、1時間半ほど、あれこれおしゃべりをした。手足が震え、意志の力がなく、年の割に体が衰えていると感じるが、今度は一気にカタをつけるつもりだとも言った。それからウェンディーズで入院前の宴会をした。
ガルシアがセレニティ・ノルズに入院した08月08日の夜、ロバート・ハンター夫人モーリーンはよく眠れず、朝の4時に眼が覚めた。ボブ・ウィアは自分のバンド RatDog とツアーに出ていて、ニュー・ハンプシャーでぐっすり眠っていたが、見ていた夢にガルシアが出てきた。長く黒いガウンを着て、髪は黒く、威厳があって、貴族の風格を帯びていた。何やらやろうとしていることがあるように毅然としていた。そこで尿意を催して眼が覚めると、現地時間で7時を少し過ぎていた。
08月09日の午前04時前、病院のスタッフがガルシアの部屋の前を通った時には、大きないびきが聞えた。20分後、再びガルシアの部屋の前を通りがかった時にはいびきが聞えなかった。部屋に入ると、ガルシアは笑みを浮かべ、眼がかすかに開いて、息をしていなかった。スタッフは看護師と医師を呼び、一同は蘇生を試みたが無駄だった。検死官が呼ばれ、午前04時23分、死亡と確認された。死因は動脈硬化による心臓発作と判明した。長年の不摂生で、ガルシアの血管は硬く細くなり、とうとう完全に詰まってしまったのだった。晩年、歌詞忘れがひどくなり、ギターを弾く指が動かなくなっていたのも、そのせいだった。
12月になってようやくバンドが集まった際、ビル・クロイツマンはツアーを続けることはできないと宣言した。他のメンバーも同調して、「グレイトフル・デッド」の名前ではライヴをしないことに取り決めた。
参考:A Long Strange Trip by Dennis McNally
Garcia: an American Life by Blair Jackson(ゆ)