クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:COVID-19

08月23日・火
 昨夜は眠いが寝つかれず。うつらうつらして0300、0400、0530、0830にトイレに起きる。やはり異物を入れたので、体が懸命に排出しようとしたのだろう。1030起床。起きたものの、半分ぼんやりしている。午後3時頃、すっきりしてくる。あるいは接種から24時間経ったからか。少し動いてみる。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月23日には1968年から1987年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Shrine Auditorium, LA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。1時間半弱の一本勝負。共演タジ・マハル他、とポスターにはある。初期のデッドはタジ・マハルとよく一緒になる。
 6曲目〈Alligator〉からクローザーの〈Caution (Do Not Stop On Tracks)> Feedback〉までが《Two From The Vault》でリリースされ、同じトラックが《The Golden Road》収録の《Anthem Of The SUn》のボーナス・トラックでもリリースされた。オープナーの〈That’s It for the Other One〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。時間にして半分強がリリースされたことになる。

2. 1969 Pelletier Farm, St. Helens, OR
 土曜日。"Bullfrog 2" という3日間にわたるフェスティヴァルの楽日で、デッドはヘッドライナー。この日のみの出演。タジ・マハル共演。フェスティヴァルに参加した他のミュージシャンはいずれも地元のローカル・アクトらしい。DeadBase XI によれば Mixed Blood, The Portland Zoo, Sabbatic Goat, River, Sand, Notary Sojac, Searchin Soul, The Weeds, New Colony, Chapter Five, The Trilogy, Bill Feldman, Donn Ross, Ron Bruce。
 2時間弱一本勝負のテープが残っている。選曲はこの年の典型的なもの。

3. 1971 Auditorium Theatre, Chicago, IL
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。
 第一部4曲目〈Sugaree〉、クローザー前の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉、第二部オープナー〈Truckin'〉から12曲目の〈Sugar Magnolia〉までの計12曲が《Road Trips, Vol. 1, No. 3》でリリースされた。この時期〈The Other One〉の中に〈Me and My Uncle〉をそっくり取り込むという試みをしていて、なかなか面白い。
 ヴェニューは1889年オープンの歌劇場で、音響は全米でも最高と言われる。DeadBase XI の Thomas Flannigan によれば、ジェファーソン・エアプレインのライヴ・アルバム《30 Seconds Over Winterland》は、ウィンターランドの聴衆のノイズが30秒間入って、その他はすべてここでの1972年のコンサートの録音だそうだ。
 1976年にここでデッドがやった時、デッドヘッドの一人が踊っていて古いカーテンに偶然火をつけてしまい、以来、デッドは出入り禁止になった。
 ショウはかなり良い。聴衆はシスコやニューヨークほど洗練されておらず、space では口笛やわめき声で文句たらたらだったが、最後にはもっとやれえと叫んでいた、と Paul Scotton が DeadBase XI で書いている。

4. 1980 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 土曜日。11.50ドル。開演7時。このヴェニューでの最初のショウ。ここではひどいショウはやらない。この時も見事な出来という。

5. 1987 Calavaras County Fairgrounds, Angel's Camp, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。サンタナ、デヴィッド・リンドレー&エル・レヨ・エックス前座。開演3時。
 第一部クローザー〈Iko Iko〉〈All Along The Watchtower〉にカルロス・サンタナ参加。
 サンタナよりもリンドレーとガルシアの共演があればなあ、と思う。
 ショウはすばらしいそうだ。(ゆ)

08月22日・月
 図書館上の寿荘で COVID-19のワクチン接種4回目。モデルナ。比較的混んでいて、15分前に入って、接種そのものは1402終了。1417まで休憩して出る。注射された左腕上腕の筋肉、力が入ると痛い。頭がぼんやり。ものごとを考えられず。早々に寝る。

 夜、寝る前に書庫の窓を閉めようとすると、草雲雀が鳴いている。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月22日には1968年から1993年まで4本のショウをしている。

 1947年のこの日、Donna Jean Godchaux 旧姓 Thatcher がアラバマ州フロレンスに生まれた。夫キースをジェリィ・ガルシアに引き合わせてバンドに入れた後、コーラスとして参加を要請され、1971年大晦日に初ステージ。1979年02月17日を最後に、キースとともに離脱。

 グレイトフル・デッドのメンバーの紅一点。デッドはジファーソン・エアプレインとは同僚だったし、ジャニス・ジョプリンとも仲が良かったが、女性を積極的に登用しようとはしなかった。60年代のイメージとは裏腹に、デッドの現場はかなりマッチョで、ウーマン・リブの考えからは程遠かった。バンド・メンバーのパートナーたちも、裏で各々のメンバーを支える役割に徹している。もっとも、サン・ラファルのオフィスを預るスタッフも含めて、この女性たちはかなり優秀で、彼女たちのサポートが無ければ、デッドは早々に潰れていただろう。見方を変えれば、そうした優秀な女性たちを周囲に集めたという点では、デッドのメンバーにも甲斐性があったと言えよう。

 一方でガルシアは意志の強い女性に弱いところがある。ライヴ会場でドナがガルシアの袖をつかんで、夫のキースを売り込んだ、というより捩じ込んだという話は、相手がガルシア以外では成立しなかったろう。ピグペンに代わる鍵盤奏者を見つけるのが焦眉の急になっていたという事情はあったにしても、である。

 ドナのおかげで、デッドはキースとともにドナという女性シンガーを手に入れ、それによってピグペンのバンドから決定的に離陸する。ドナの声は70年代デッドを特徴づける。〈Playing in the Band〉や 〈The Wheel〉、あるいは〈Looks Like Rain〉、〈Danicn' in the Street〉などの曲はドナの声が入ることで形を整える。一方〈Cassidy〉〈The Music Never Stopped〉などはドナの声を前提に作られているように聞える。あるいは1976-10-09 オークランド(Dick's Picks, 33)での〈One More Saturday Night〉のように、後ろで流す彼女のスキャットがうたに新たな様相を加えることもあった。

 女声が入ることは、音楽をカラフルにする。音の性質が異なるし、発想も異なる。集団での演奏を旨とするデッドにあっては、他のメンバーとは違う角度からアプローチする。デッドを貫く「双極の原理」がここでも作用して、ドナの声とうたは、ジェリィ・ガルシア・バンドとは異なってバック・コーラスに留まらず、デッドの音楽をより複雑で豊饒なものにしている。ガルシアとウィアの声は必ずしも相性が良いとはいえないが、ドナの声がその間にはいって両者をつなぐ。それはまた他のメンバーへの刺激ともなった。ドナが参加していた間に1972年と1977年の2度、バンド史上のピークが生まれるのは偶然ではないだろう。そして全体としてみても、70年代はバンドが最も幸福な10年間だ。

 ドナの歌唱スタイルは1974〜76年の休止期を境に変わる。休止期前は役割を定めかねているところがある。専用のモニター・スピーカーが用意されず、自分の声が聞えないので、とにかく大きく張りあげたという事情もあるようだ。休止期以後、それまでレシュが担当していた高域のハーモニーを肩代わりする。それによって力を抜くことを覚え、上記のスキャットのように、音楽の流れに見事に溶けこみ、ふくらませるようになる。参加する曲も大幅に増え、参加の仕方もより重要になる。また、ハーモニーは必ずしも上ではなく、ウィアが上でドナが下になることもある。1970年代後半のコーラスの美しさはデッドのキャリアの中でも輝いている。ドナを嫌うデッドヘッドは少なくないが、この時期には皆沈黙する。


1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。カレイドスコープ、アルバート・コリンズ共演。3ドル。
 第一部3曲、第二部6曲のセット・リストがあるが、テープによるものらしい。第一部はもう1曲やったという情報もある。
 選曲、演奏は1969年のパターンが始まっている。

2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 月曜日。このヴェニュー4本連続の2本目。4.50ドル。開演7時。
 これは DeadBase の編者の一人 Mike Dolgushkin の最初のショウで、そのレポートを書いている。これを見るまでに、ドルガシュキンはソロも含めてレコードは全部買い、テープも少し聴いていたから、何をやるかはだいたいわかっていた。それでも第一部後半の〈Playing In The Band〉と第二部の〈The Other One〉には有頂天になった。会場に入る前に比べて、一千倍も気分が良くなっていた。

3. 1987 Calavaras County Fairgrounds, Angel's Camp, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。サンタナ、デヴィッド・リンドレー&エル・レヨ・エックス前座。開演3時。
 第一部クローザー〈Good morning Little Scoolgirl〉〈In the Midnight Hour〉にサンタナが参加。
 ショウ自体はすばらしい。
 開演前、近くで第二次世界大戦中の双発機による模擬空中戦のショーがあり、ステージ裏に二人、パラシュート降下した。これに対する歓声を自分に対するものと勘違いしてガルシアは張り切った。
 場所はオークランドのほぼ真東200キロの山の中の町。ここで 'Mountain Aire' という名称で10年続いた一連のコンサートの最後。

4. 1993 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。インディゴ・ガールズ前座。26ドル。開演2時。
 90年代ベストの1本、と言われる。オープナーの〈Jack Straw〉でギターの調子がおかしく、ウィアはギターを振り回して八つ当たり?したらしい。(ゆ)

06月30日・木
 老母の4回目のワクチン接種をネットで予約する。新宿区の集団接種会場の数はがくんと減っていて、前回までの近くの出張所ではもうやらない。一番近いのは区役所の分庁舎になる。4回目をやれやれと言う一方で、受け皿を小さくしている。

 近くのクリニックでやってくれ、ということらしいが、老母は行ったことのない医者は嫌がる。町中の医者は中が狭くて、バリアフリーなど考慮していないところも意外に多い。今どき、歩行器ぐらいで眉をひそめるところはまず無いだろうが、おふくろの世代は「他人に迷惑をかけるな」と叩きこまれている。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月30日には1973年から1995年まで9本のショウをしている。公式リリースは1本。
 ちなみに DeadBase XI によれば6月は最もショウの多い月で、253本。2位は3月、246本。3位10月、242本。最少は1月の90本。夏休みをとるので、7月8月は8位と9位。春と秋に活動し、夏と冬に休む、と言えそうだ。6月のアメリカは平均すれば初夏の、比較的良い気候なのだろう。

1. 1973 Universal Amphitheatre, Universal City, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。
 最高のショウの1本らしい。
 ここは当時屋根が無かったが、この日はそよとの風も無く、とんでもなく暑かった。第一部クローザー前の〈Black Peter〉でガルシアが "Just then the wind came squalling through the door…(ちょうどその時、扉から一陣の風が吹きこんできた……)" と歌ったところで、涼しい風が場内に吹きこんできて、客席から一斉に息を呑む声があがった。それから終演まで、そよ風が吹きつづけた。と Louis Woodbury が DeadBase XI で書いている。

2. 1974 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA
 日曜日。6ドル。開演6時半。
 セット・リストがごく珍しい、稀な組合せで、こういう時は調子が良い。この年のベストの1本にも数えられるそうだ。
 05月12日に始まった初夏のツアーの打ち上げ。3週間休んで、07月19日から夏のツアーに出る。

3. 1979 Portland International Raceway, Portland, OR
 土曜日。10ドル。開演午前10時。マッギン、クラーク&ヒルマンとデヴィッド・ブロンバーグ・バンドが前座。
 2つの前座とデッドの第一部の間、雨が降っていた。
 第二部6曲目〈He's Gone〉は前日に亡くなったローウェル・ジョージに捧げられた。

4. 1984 Indianapolis Sports & Music Center, Indianapolis, IN
 土曜日。12.50ドル。開演8時。
 かなり良いショウらしい。
 ヴェニューは全米クレー・コート・テニス選手権も行われた屋外テニスコートで、収容人員は5,500。

5. 1985 Merriweather Post Pavilion, Columbia, MD
 日曜日。16ドル。開演6時。
 第二部オープナー〈Shakedown Street〉がデッド史上最高の演奏の一つの由。

6. 1986 River Bend Music Center, Cincinnati, OH
 月曜日。16.50ドル。開場正午、開演7時。雨天決行。ディラン&トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアーの1本。

7. 1987 Kingswood Music Theatre, Maple, ON, Canada
 火曜日。開場3時半、開演6時半。
 第二部4曲目〈Eyes Of The World〉の後、ウィアとミドランドの2人でジャムをする。
 かなり良いショウのようだ。第二部冒頭から〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain> Estimated Prophet> Eyes Of The World〉と続くだけでも悪いはずはない。

8. 1988 Rochester Silver Stadium, Rochester, NY
 木曜日。18.50ドル。開演7時。
 第二部5〜7曲目〈Believe It Or Not; Truckin> He's Gone〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 第二部オープナー〈Green Onions〉はこれが最初で最後の演奏。オリジナルはブッカーT&MG's の1962年のシングル。初めB面としてリリースされ、数ヶ月後、ABを引っくり返して再リリースされ、ポップ・チャートで3位、ソウル・チャートで1位となる。クレジットは Steve Cropper/ Al Jackson/ Booker T. Jones/ Lew Steinberg。
 〈Believe It Or Not〉はハンター&ガルシアの曲だが、7回しか演奏されなかった。この演奏は06月23日に続く2回目で、後半、ガルシアは熱唱、かなり良い演奏だ。悪い曲ではなく、演奏しにくそうでもなく、定番にならなかったのは惜しい気もする。
 〈Truckin> He's Gone〉、前者はきっちりした演奏で、歌の後のギター・リフの登り詰めも十分に高く、その後のドーンも決まる。快感。その後、ジャムに行かずに後者に移る。これはまた明るいヴァージョン。やつが消えてせいせいした、よかったよかった、万歳と歌う。コーダの "Nothing gonna bring him back." のリピートもいかにも楽しげで、戻ってくるなよー。メロディもどんどん変えてゆく。これほど表情が変わる曲は珍しい。この3曲を聴いただけでも、ショウが非常に良いとわかる。

9. 1995 Three Rivers Stadium, Pittsburgh, PA
 金曜日。32.50ドル。開演6時。Rusted Root 前座。第一部5曲目〈When I Paint My Masterpiece〉でウィアがアコースティック・ギター。
 Rusted Root は1990年にピッツバーグで結成されたワールドビート・ロック・バンド。1994年に《When I Woke》がヒットする。
 第二部の最初の一音が鳴ると同時に激しい雨が降りだした。そのため第二部は〈Rain〉〈Box of Rain〉〈Samba in the Rain〉〈Looks Like Rain〉と続いた。〈Looks Like Rain〉の途中で雨が止んだ。
 最悪と言われるこの夏のツアーの1本でも、これが最初で、そしてまずたいていは最後のショウになった人たちにとっては人生を変える体験にもなりえた。最悪のショウでも、デッドのショウは他のものとはまったく異なる体験なのだろう。
 クローザーの〈Standing on the Moon〉、アンコール〈Gloria〉はこれが最後。(ゆ)

0304日・金

 白内障手術のため入院する母に付き添う。病院は COVID-19 対策のため、面会を中止しているため、付添いもナース・ステーションまでで、病室には入れない。ということだったが、結局、病室まで確認。ただし、午後の手術には立会えず。



##本日のグレイトフル・デッド

 0304日には1994年にだけショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1994 Blockbuster Desert Sky Pavilion, Phoenix, AZ

 金曜日。23ドル。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。

 ヴェニューは屋根の下に8,000、屋外に12,000の座席をもつ半屋外アンフィシアター。199011月オープン。柿落しはビリー・ジョエル。デッドがここでやったのはこの3日間のみ。

 アリゾナ州フェニックスでは19680622日が初めてで、2度目が19700308日。そして3度目で最後がこの時。(ゆ)


0303日・木

 母の白内障手術の入院のための検査に付き添う。レントゲンと PCR 検査。レントゲンは肺炎が無いかどうか。PCR 検査は陽性なら連絡が来て中止。だが、連絡は来ず。



##本日のグレイトフル・デッド

 0303日には1966年から1992年まで7本のショウをしている。公式リリース無し。


1. 1966 A.I.A.A. Hall, Los Angeles, CA

 広告によれば "The Psychedelic Experience" なる映画の上映の余興らしい。午後8時と10時とあるのは2回上映したのか。セット・リスト不明。


2. 1967 Winterland Arena, San Francisco, CA

 "The First Annual Love Circus" というイベントで、デッドのウィンターランド・デビュー。前売3ドル、当日3.50ドル。午後7時から午前7時まで。セット・リスト不明。

 共演ラヴ、モビー・グレープ、ローディング・ゾーン、Blue Crumb Truck Factory

 この最後のものは不明。


3. 1968 Haight Street, San Francisco, CA

 通りの真ん中に駐めたトラックの荷台で演奏したフリー・コンサート。8曲のテープとセット・リストが残るが不完全。


4. 1971 Fillmore West, San Francisco, CA

 水曜日。3.50ドル。チケットには "Airwaves Benefit" というスタンプが押されている。単独のショウ。


5. 1981 Cleveland Music Hall, Cleveland, OH

 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。


6. 1987 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 火曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。17.50ドル。開演8時。第二部オープナーの〈Iko Iko〉でダーティ・ダズン・ブラス・バンド?が参加。デッドが始めてダーティ・ダズンが合わせようとしたがうまくいかず、次にダーティ・ダズンがニューオーリンズ・スタイルでどーんと始め、デッドはほとんど呑みこまれたが、すばらしい演奏になる。


7. 1992 The Omni, Atlanta, GA

 火曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。23.50ドル。開演7時半。ブルース・ホーンスビィ参加。良いショウの由。(ゆ)


0126日・水

 佐々木さんが Ascii.jp のコラムでオーディオ製品の品薄と値上がりは一時的な現象ではないかもしれないと指摘している。製品の値上がりは流通コストの値上がりだけでなく、部品の値上がりと品薄によるところが大きい、と聞く。オーディオ回路を構成する基本的な部品が枯渇しているのだそうだ。

 パンデミックはオミクロン株の登場で先が見えたと WHO も言うくらいだが、パンデミック自体は収まっても、それが引き起こした混乱や変化は少なくとも当面は停まらないだろう。ウクライナ危機もパンデミックが引金になったとも見えるし、これから思わぬところで影響が出てくるとも思える。先日はガス湯沸器の部品が無くて製品が作れず、壊れると交換できないので、鍋で風呂のお湯をわかした、という話がとりあげられていた。

 パンデミックはこれまで隠れていたり、見えなかったりしたことやものを暴露しているが、そういう流れも止まらないんじゃないか。もっとも、それは必ずしも悪いことではなくて、隠れていた欠陥を直したり、見えなくてなおざりにされていたことに正面から向かったりするチャンスでもある。

 オーディオの世界だっていろいろとヘンなことはあるわけで、まずは部品の不足や値上がりという形をとっているけれど、次にはもっと根本的なところで変化が起きるだろうと不安ながら、期待もしている。



##本日のグレイトフル・デッド

 0126日には1968年から1993年まで、3本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1968 Eagles Auditorium, Seattle, WA

 4ドル。午後9時から午前2時まで。このヴェニュー2日連続の1日目。2223日とは異なり、この2日間については、地元紙とワシントン大学の学内紙の調査で、確認されている。ポスターも残っている。

 この日のものか、23日のものか、定かではないテープがあり、Dead.net 23日のものとして、《Road Trips, Vol. 2 No. 2》とそのボーナス・ディスクで後半の7曲をリリースしている。しかし、上記の事情から、こちらの方が確実性が高い。

 ボーナス・ディスクは所持せず。本篇の方には〈Beat It on Down the Line〉〈It Hurts Me Too〉の2曲。前者は後に比べると性急なまでのアップテンポ。ウィアは興奮して声が上ずり、一気に駆けぬける。始める前に「いくつにする?」と誰か、クロイツマンかが訊いて、ガルシアがこれを増幅する。誰かが「17」か「9」と言ったらしく、ガルシアが、どっちにするんだ、とダメを押す。結局17になる。この数は曲の頭のドン・ドン・ドンという踏みならしをいくつにするか、という話。後者ではハーモニカ・ソロに続くギター・ソロはなかなか良い。ガルシアのブルーズ・ギターは時にはかなりのものになる。

 〈Beat It on Down the Line〉は Jesse Fuller のクレジット。ウィアがリード・ヴォーカルで、19660519日、アヴァロン・ボールルームで初演。19941003日ボストンが最後。計328回演奏。スタジオ盤はファースト。

 〈It Hurts Me Too〉はエルモア・ジェイムズ&タンパ・レッドのクレジット。ピグペンのヴォーカルとハーモニカによるブルーズ・ナンバー。上と同じく19660519日、アヴァロン・ボールルームでデビュー。19720524日、ロンドンが最後。計57回演奏。スタジオ盤収録無し。ピグペンのバンド離脱とともにレパートリィから消える。


2. 1969 Avalon Bollroom, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。1時間強。二部に別れていたかは定かではないが、記録はどれも二部に分けている。もっとも全部で7曲。第一部後半の〈Clementine> Death Don't Have No Mercy〉が《Aoxomoxoa50周年記念版で、第二部後半の〈The Eleven> Turn On Your Lovelight〉が《Live/Dead》で、各々リリースされた。《Live/Dead》の B面は〈St. Stephen> The Eleven〉のメドレーだが、同じ日の録音ではないわけだ。後に出た《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で聴いてみると、02-27の〈The Eleven〉は演奏はこちらの方が良いと思われるが、SBD すなわちサウンドボード録音のテープがなんらかの理由で途中切れていて、その部分を AUD すなわち聴衆録音で補っている。これはデジタルで初めて可能なので、《Live/Dead》の1969年当時は無理だっただろう。その後の〈Turn On Your Lovelight〉は02-2719分で、時間的にはLP片面に入るが、出来としてはこの01-27の方がかちっとまとまっている。02-27ではピグペンの即興ヴォーカルのノリが良く、「デッドらしい」のだが、デッドのショウ、パフォーマンスに接していないとその面白さを味わえないかもしれない。《Live/Dead》リリース当時はデッドのショウを直に体験した人間の数はもちろんまだ多くはない。デッドのライヴがどんなものか紹介するには01-26のヴァージョンの方が適切ではある。

 〈Clementine〉はハンター作詞、レシュ作曲。《Aoxomoxoa》録音中にこの曲の録音もしたが、アルバムには収録されなかった。19680120日、カリフォルニア州ユーレカで初演。19690126日のアヴァロン・ボールルームまで、5回演奏されたのみ。レシュの曲に多い、摑みどころのないメロディ。ギターの音量ツマミを回して弦をはじく音を消す手法をガルシアが聞かせて、客席が湧く。ただ、どちらかといえばガルシアよりもレシュのベースとトム・コンスタンティンのオルガンが舞台をさらっていく。最後はコンスタンティンが縦横のオルガンを聞かせ、それがおちつくのを待って入れ替わるようにして途切れなくガルシアが次の曲を始める。

 〈Death Don't Have No Mercy〉は通常レヴェレンド・ゲイリー・デイヴィスの曲とされるが、これもどうやらその前からの伝統曲が土台としてあるようだ。ガルシアがリード・ヴォーカルのブルーズ・ナンバー。19660108日、フィルモア・オーディトリアムで初演。19700321日、ニューヨーク州ポートチェスターまでは定期的に演奏される。そこでレパートリィから落ち、198909月に復活、最後は19900402日のアトランタまで、計48回演奏。ここではブルーズ・ロック・バンドとしてのデッドの実力が聴ける。この頃のガルシアは後年よりも明らかに歌が巧い。

 〈The Eleven〉もハンター作詞、レシュ作曲。こちらは比較的わかりやすい。確実な日付と場所としては196801月17日カルーセル・ボールルームが初演。19700424日、デンヴァーまで計99回演奏。スタジオ盤収録無し。タイトル通り11拍子で、1968年、1969年に特徴的なレパートリィ。とりわけ1969年には、《Live/Dead》収録の〈Dark Star> St. Stephen> The Eleven> Turn On Your Lovelight〉の組合せが集中的に演奏された。この時期のジャムでは、レシュのベースがリードをとることが多い、その代表的な曲。


3. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland,, CA

 23.50ドル。開演7時。このヴェニュー3本連続の最終日。第二部後半〈Space> The Other One> Stella Blue> Turn On Your Lovelight〉とアンコール〈Gloria〉にカルロス・サンタナが参加。ガルシアも大いに張り切ったようだ。(ゆ)


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