来週火曜日になってしまいました。場所はいつもと同じ、下北沢の風知空知です。タグチ・スピーカーがすばらしいサウンドで鳴ってます。
田口さんは最近はもっぱら平面型のユニットを使ったスピーカーを作られていて、その意味では風知空知のスピーカーはより古いユニットを使ったものですが、さすがにタグチ・スピーカーの名に恥じない、すばらしいサウンドです。
今回のテーマは「《LIVE/DEAD》と《Skull & Roses》の間」にしてみました。前者の録音が1969年1月末〜3月2日のサンフランシスコ。後者の録音が1971年4月のニューヨーク。この約2年の間はグレイトフル・デッドの経歴の中でも最も重要かつ興味深い変化の時期である、というのがあたしの見立てで、それを実際の音源で確認してみようというわけです。
《LIVE/DEAD》は1969年11月のリリースで、デッドとしては4作めで初のライヴ・アルバム。デッドにとっては《AOXOMOXOA》の製作で負った多額の借金返済のためのものでありましたが、評価もセールスも良く、バンドとしての地位を確立します。バラカンさん始め、これによってデッドのファンになった人も多い。あたしも図書館からCDを借りてファーストから順番に聴いていった時、これはイケると思ったのはこのアルバムでした。
《Skull & Roses》は1971年9月のリリースで7作めにあたり、2本めのライヴ・アルバムです。これは何よりもバラに飾られた骸骨のジャケット・イラストと「デッドヘッドへの呼び掛け」によって、デッド史を画するものになります。前者のイマージュからこのアルバムは正式タイトルの《GRATEFUL DEAD》よりも《Skull & Roses》と呼ばれてきました。当初、バンドとしては《SKULLFUCK》というタイトルにしたいと言い出して、ワーナーがパニックになったというのはデッド世界では有名な話です。後者は名前と住所を送ってくれという "Dead Freaks Unite!" と題された呼び掛けがジャケットに印刷され、これによって Dead Heads と呼ばれる巨大かつ強固なファン・ベースができることになります。この呼び掛けに欧米はもとより、当時の共産圏や、台湾、日本からも手紙が集まりました。
《LIVE/DEAD》に現れたのはそれまでのグレイトフル・デッドです。一方でピグペンをフロントとしたブルーズ・ロック・バンドであり、他方、アシッド・テストのハウス・バンドを出発点として培ってきたサイケデリックなジャム・バンドでありました。加えて、フィル・レシュがその理論を試す実験音楽のバンドという側面もあります。
《Skull & Roses》でのデッドは、ブルーズ色が後退し、フォークとジャズをベースにした独自のロックンロールとそこからの集団即興を追求するバンドとなり、以後、1995年の解散まで、性格は変わりません。
そこにはピグペンの健康問題、それに伴うトム・コンスタンティン、そしてキース・ガチョーの参加、Festival Express といった外面的条件も働いていたでしょう。1969年はもちろんウッドストックとオルタモントの年でもあり、デッドはどちらにも関わります。もっともデッドにとっては、翌年のジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンの相次ぐ死去の方が直接間接に影響は大きかったようでもあります。オタモントからは〈New Speedway Boogie〉、ジャニスの死からは〈Bird Song〉が生まれました。
オルタモントについては、別の角度からですが、デッドにとって大いにプラスの結果を生むことになります。これでローリング・ストーンズのロード・マネージャーをクビになった Sam Cutler をデッドは雇い、カトラーの手腕のおかげでツアーからの収入が大幅に増えたからです。72年のヨーロッパ・ツアーもイングランド人のカトラーがいたから実現したとも言えます。
こうした変化を音で聴こうというわけですが、言うは易し、行うは難しで、掲げてはみたものの、実際どうすればいいのか、しばらくは途方にくれていました。とにかくこの時期のライヴ音源を聴いてみて、ひょっとするとこれでいけるかという方向性がようやく見えてきました。
ひとつは〈Dark Star〉の聞き比べ。これまでの3回ではこの曲は聴いていません。故意に避けたわけではありません、めぐりあわせでそうなったんですが、この曲はやはりデッドを象徴し、またこの曲を演奏することでデッドがデッドになっていったとも言えるものではあります。これの1969年版と1971年版を比べてみるのが一つ。
もう一つは、69、70、71の各々の年を代表するような曲を聴いてみる。69年にしか演奏されなかった曲とか、70年にデビューしてずっと演奏されつづけた曲とかです。この時期はオリジナルやカヴァーのデビューが大量におこなわれた年です。ニコラス・メリウェザーによれば1969年のレパートリィ97曲のうち、実に63曲が初登場しています。つまりここからレパートリィががらりと入れ替わっているわけです。
これまでの3回で聴いた曲は避けたので、こんな曲を聴こうということになりました。やや地味かもしれませんが、よりディープとも言えそうです。
The Eleven, 1968-01-17
St. Stephen, 1968-06-14
Dire Wolf, 1969-06-07
New Speedway Boogie, 1969-12-20
Friend Of The Devil, 1970-03-20
Attics Of My Life, 1970-05-14
Ripple, 1970-08-18
Brokedown Palace, 1970-08-18
Greatest Story Ever Told, 1971-02-18
Wharf Rat, 1971-02-18
One More Saturday Night, 1971-09-28
日付はデビューの日。
それにしても1969年という年は面白い。ビートルズが Abbey Road、ローリング・ストーンズは Let It Breed、ジョニ・ミッチェルは Clouds、キンクスは Arthur を出し、レッド・ツェッペリン、ニール・ヤング、サンタナ、そしてマリア・デル・マール・ボネット各々のデビュー・アルバムが出ています。CSN&Yの Deja Vu、ザ・バンドの The Band、ペンタングルの Basket Of Light、フランク・ザッパの Hot Rats、キャプテン・ビーフハートの Trout Mask Replica もこの年です。一方、ボブ・ディランが Nashville Skyline を出せば、フェアポート・コンヴェンションは Liege & Lief を出す。そして留めにマイルス・デイヴィスの Bitches Brew が出ます。
やはり一種の分水嶺の年であると見えます。グレイトフル・デッドもまた、そうした時代の流れを作るとともに、独自の道を歩みはじめる。その様がうまく聞えるかどうか。さても、お立会い。(ゆ)