アルバニアの音楽伝統が厚いことは知っていた。A・L・ロイドがその昔フィールドワークをしたので、英 Topic Records に現地録音集が1枚あり、CD時代になって《WHERE THE AVALANCHE STOPS》というタイトルのオムニバスを、確か六本木の WAVE で買っていた。こちらは年1回の全国的な音楽祭のライヴ録音で、各地の様々な音楽の質の高い演奏をまとめて聴ける。持っている音源はこの2枚だけだが、印象は強烈だった。バルカン半島の音楽と共通するところも少なくないが、マケドニアやセルビアのものとは明らかに違う。
ロイドのものは例によってライナーが充実していて、アルバニアはあまり広い国ではないが、国の中央を東西に流れる川を境に南北で言語、習俗、そしてもちろん音楽の性格もかなり違うことが書かれていた。昨夜もデュニは両方のうたをうたったが、北はアップテンポの闊達で陽気な曲が多く、南はよりスローで抑えた感じのうたが多いと説明していた。南にはアカペラ・コーラスもあり、そのうたをカルテットにアレンジしてやったのはハイライトのひとつでもあった。
アルバニアはもっと聴きたい、ことに個々のミュージシャンを聴きたいとは願ったものの、音源はなかなか手に入らなかった。だから、このライヴの知らせが舞いこんだときにはまずアルバニアというだけで惹かれたのだが、案内のメールについていた動画に跳んでみて仰天した。
これは2014年の Cosmo Jazz Festival のライヴ。コスモ・ジャズ・フェスティヴァルはフランスのシャモニーとそこから同じ谷を遡ったスイス側の Vallee du Trient で毎年7月末に開かれている。今年はデュニはソロで出たらしい。2014年はカルテットでの演奏で、息を呑むアルプスの景観を背景に極上の音楽を聴かせる。ステージすら無い。ドラム・セット用に台を置いただけで、その他は皆草の上。デュニは裸足だ。
昨夜のデュニによればこのカルテットを組んで11年めだそうで、シンガーとそのバックバンドなどではもちろん無く、4人が一つの有機体になっている。曲そのものはアルバニアやアルバニア人の多いコソボの伝統歌ばかりで、そのことは一聴すればわかるが、歌唱もアレンジもそこからは一度離陸している。
分類からすればジャズと呼ぶしかないだろうし、それはまたジャズの懐の深さを証明するものでもあるが、誤解を恐れずあえて言えば、ただのジャズではない。ジャズから出発して、新たな音楽になっている。おそらくかつてブルーズを素材としてジャズが生まれていったのと同様な作用がここにも働いている。あるいはまたスウェーデンのリエナ・ヴィッレマルクとアレ・メッレルが同じく ECM でやったように、伝統音楽を素材にして現代に向けて生み出した新たな音楽に通じるものでもある。スウェーデン勢の音楽がどちらかといえば伝統側に軸足を置いているのに対し、エリーナ・デュニ・カルテットの場合は、どちらかといえばジャズの側に重心があるとは言えそうだ。
EDQ の場合、もう一つ言えるのは、かれらの音楽は音楽としてより純粋だ。伝統音楽は良くも悪しくも何らかのしがらみを持つ。別の言葉で言えば根っこを引きずっている。そういうものが無ければ伝統音楽とはいえないものでもある。ところが EDQ の音楽にはそうした根っこの臭み、それはたとえばくさやの臭みなので、味わいの一部でもあるのだが、それが無い。しかもなお伝統音楽としの味わいは不思議にもしっかりある。
同様に伝統の臭みを音楽から抜くのに成功した例としてはアイルランドのメアリ・ブラックがいるが、彼女の場合はより普遍的なポップスの語法を適用していた。EDQ の音楽ではジャズの語法を応用していることになるのだろうが、聞えてくるものはもっと別の音楽、いまだ呼び名のない、最先端であり、同時に始原でもあるような音楽だ。ポップスにはどうしても金儲けのためという別のしがらみがつきまとう。EDQ の音楽にはそれすらも無い。夾雑物が一切無い。ひたすらより美しい音楽を生み出そうとめざす。
それが実感されたのはやはり昨夜だった。ビデオでもCDでも、それはわからなかった。プログラムも半ば、最新作のタイトル曲「燕」。このうたは500年前、オスマン帝国に併合された故国から多数のアルバニア人がイタリアへ脱出する。難民となったことをうたう。かれらは燕によびかける。おまえが来年ここへもどってきても、その時われらはここにはいない。難民はどこの誰にでもありうる境遇だ。戦争や侵略だけではない。温暖化による災害や原発もある。EDQ の音楽はその切実さを静かに、しかしあらがいようもなく確実に打ち込んできた。政治的なメッセージとしてではなく、音楽の美しさに納得させられてしまう。
そこからアンコールまで、ただただ美しい音楽が続く。ラストとアンコールでは、胸が詰まり、涙が湧いてくる。理由などない。人がそこにいて、うたう、ただそれだけでいい。
シンガーとしてのエリーナ・デュニはうまい下手などはとっくに超越している。ヨーロッパの伝統音楽にはたいていどこの地域にもその伝統を代表するようなディーヴァがいるが、デュニはその中でもトップ・クラスだ。ティラナ出身ではあるが、両親それぞれの祖父母から習ったうたをいくつか披露していたから、音楽伝統のあつい家庭に育っているのだろう。どうやら祖父母を通じて、南北双方の伝統を吸収しているようだ。
ちなみに彼女はふだんはスイスをベースにしているそうで、上記ビデオでもフランス語をしゃべっているが、昨夜のMCは全部英語で、こちらも達者なものだ。ひょっとするとあと二つ三つの言語はできるのではないか。
カルテットの他のメンバーも超一流であることは言うまでもない。ピアノのコラン・ヴァロン(とデュニの発音は聞えた)が目当ての客もいたかもしれない。プリペアド・ピアノの音は、やはり左手をピアノの中に入れて出していた。個人的にはメンバー中最年長らしいドラマーにあらためて脱帽。このカルテットの音楽の肝を握っているのはこの人だ。
場所は板橋の小竹向原の駅から歩いて10分ほどの安養院というお寺の、昨年新築した瑠璃講堂。東正面には薬師如来が安置されている。ミュージシャンはこの仏像を正面に見て、西を背に並ぶ。左手にピアノ、中央奥にベース、右にドラムス。中央手前にシンガー。靴を脱いで上がり、ミュージシャンたちも靴下。デュニはもちろん裸足。多目的ホールのようなもので、ヨガ教室などもやるらしい。音楽はクラシックがメインだが、音響設計をしたのが、今回招聘した録音スタジオという縁でこのライヴが実現したそうだ。天井が高く、声がよく通る。本郷の求道会館のヴェーセンもそうだったが、ここもああいう倍音を活用する楽器のアンサンブルはいい音で聴けそうだ。
ミュージシャンたちの奥から左は一面ガラスで、外の虫の声も小さいがはっきり聞える。EDQ のような音楽には最適だ。この空間が異界になる。ここだけすっぽりと別の時空に移されたけしきだ。
たどり着くまでは、グーグル・マップと首っぴき。小竹向原の駅は住宅地の真ん中にぽっかりと出て、駅前商店街などあるはずもなく、目印になるようなものが何もない。まったく面倒なところでやりやがって、という想いも途中湧いてこなくもなかったが、終ってみれば、よくぞこういうところでやってくれました、もしまたここでライヴをやるようなら、この場所というだけでまた来ましょうという気分。
実はあまり体調がよろしくなく、歩かされて文句のひとつも言いたくなったのにはそれもあったが、こういう音楽を聴けば瀕死の病人だって回復する。ミュージシャンたちと、この来日公演を可能にした方々にはひたすら感謝する。
このカルテットはこの後、明日、明後日は大阪、09/09と09/10 はソウルで公演があるようだ。
迷っているなら、何をおいても行くべし。迷わなくても、行かなければ一生後悔するぞ。(ゆ)


