クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 28日リリースの〈Feel Like A Stranger; Stagger Lee〉。1993-03-10, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL のオープナーです。

 春のツアー2日目。初日はエンジンがかからなかったようですが、この日はうって変わって最高のショウになった、とファンは口を揃えます。

 1993年のショウは計81本。180万枚のチケットを売り、4,650万ドルを稼いで、この年のコンサート収入の全米トップになりました。新譜もなく、ラジオでかかることもまずなく、チケット1枚あたりの金額は同クラスの他のアクトの3分の1、4分の1で1位になっています。

 一方でこれはデッドが巨大なビジネスになっていたことも意味し、それがバンドの行動を縛る結果にもなりました。この頃、ガルシアが1974年の時のようなツアー休止を全社会議に提案した時、マイナス面が大きすぎるとして、却下されています。

 この時期のデッドのショウでは、大物のアーティストが前座を勤めることがありますが、この年には1月にサンタナ、5月、6月にはスティング、8月にはインディゴ・ガールズが出ています。

 ガルシアとともにステージ裏にいた当時上院外交小委員会委員長だった民主党上院議員パトリック・レーヒィのところにホワイトハウスから電話が入ったのは、6月のワシントン、D.C.は RFKスタジアムでのショウの前座にスティングが出ていたときでしょう。レーヒィ議員は有名なデッドヘッドで、議員としてのオフィスにもテープのコレクションを置いていたそうです。

 この年のレパートリィは143曲。そのうち「新曲」としてロビー・ロバートソンの〈Broken Arrow〉、ビートルズの〈Lucy in the Sky with Diamonds〉、Bobby Fuller Four の〈I Fought the Law〉のカヴァーとハンター&ガルシアの3曲に加えて、ボブ・ウィアがロブ・ワッサーマンとウィリー・ディクソンと作った〈Eternity〉と、ボブ・ブララヴ、ワッサーマン、ヴィンス・ウェルニクとの共作〈Easy Answers〉があります。

 この2曲はワッサーマンのアルバム《Trio》の企画から生まれたもので、後者はニール・ヤングとウィアとワッサーマンのトラックのためでした。これはライヴで演奏されるうちにかなり形が変わり、またウィアはデッド以外でも後々にいたるまで演奏しつづけます。ただ、あたしにはデッドでの演奏はついに満足なレヴェルには届かなかったと聞えます。

 対照的に〈Eternity〉はこの年ガルシアがハンターと作った3曲とともに、デッド末期を飾る佳曲でしょう。

 《30 Days Of Dead》にもどって、これはすばらしいオープニング。ガルシアの好調は明らかで、こうなれば鬼に金棒。2曲目の〈Stager Lee〉のヴォーカルも声に力があり、茶目っ気がこぼれます。この後の〈Ramble on Rose〉も同じ系統で、こういう歌をうたわせたら、ガルシアの右に出る者はいません。ガルシアより歌の巧い人はいくらでもいますが、このユーモアの味、どこかとぼけた、しかし芯はちゃんと通っている歌唱ができる人はまず見当らない。あからさまなユーモア・ソング、お笑いのウケ狙いではなく、でも時には思わず吹きだしてしまうようなおかしみをたたえた歌。こういう歌もデッドを聴く愉しみの一つです。
 この第一部はきっちりウィアとガルシアが交替でリードをとり、それぞれの持ち味を十分に出して、対照的です。「双極の原理」はデッドを貫く筋の一本ですが、それがよく回って、カラフルな風光を巡らせてくれます。第一部クローザーの〈Let It Grow〉はこの曲でも指折りの名演。聴いていると拳を握ってしまいます。(ゆ)

 3本目は11日リリースの〈The Music Never Stopped〉。ショウは 1993-03-11, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL。8:49。第一部クローザーです。

 この年は1月末と2月下旬にそれぞれオークランドで三連荘をした後、3月9日から春のツアーに入り、その最初の三連荘がこのヴェニュー。今回の《30 Days Of Dead》ではこの日とその前日からリリースされました。この後はオハイオ、メリーランド、ジョージア、ノース・カロライナ、そしてニューヨークのアップステートとロング・アイランドと回り、4月5日に打上げます。

 前年の7月初旬、ガルシアは再び人事不省となり、そのため夏と秋のツアーはキャンセルされます。ガルシアは1986年に糖尿病で昏睡に陥り、文字通り九死に一生を得て恢復しています。その年の年末には復帰し、そこから1990年夏までのデッド第3の黄金期を現出することができました。今回も12月2日にはデンヴァーで復帰していますが、前回ほどの恢復はかないませんでした。結局のところ命取りとなった血管の詰まりが進行していたのでしょう。

 それでも節制に努めるきっかけにはなり、この1993年前半は全体として好調を維持します。ここでもギター・ソロの前半は MIDI を使ってフルートの音で軽やかな演奏を展開し、後半はギター本来の音でシャープなフレーズをくり出します。

 ガルシアの調子の良いことは後半の〈Space〉でよくわかります。この前半では Ken Nordine がゲストで出演し、即興のラップを披露します。その背後での演奏からガルシアとウィアがしばし二人だけでやるフリーの演奏が面白い。そこからガルシアが引張って〈The Other One〉へとなだれこむのは快感。2番の歌詞の前にバンド全体が不協和音のジャムに外れるところもあって、この〈The Other One〉は良いヴァージョン。そしてその後の〈Days Between〉がすばらしい。この年2月、たて続けにデビューしたハンター&ガルシアの3曲の1曲で、これが2度目の演奏。結局これがこのコンビの最後の曲になりますが、有終の美を飾る佳曲と思います。

 ほとんど諦観に満ちているとも思える〈Days Between〉からこれまた静かに移った〈Around and Around〉は徐々に熱を加え、余裕と貫禄のロックンロール。ウェルニクのソロも小気味良く、これに刺激されてガルシアのソロも軽やかなステップを踏み、むしろジャズと呼びたくなるような粋でクール演奏を聴かせます。これはいいなあ。

 そしてアンコールはハンター&ガルシアのこの年の新曲3曲の1曲〈Liberty〉。うたうガルシアは茶目っ気たっぷり。これも佳曲で、この後、クローザーやアンコールでよく演奏されるようになるのもむべなるかな。

 思わずショウの残りも聴いちゃいましたけど、いいショウです。とりわけ〈Space 〉以降は、この時期ならではの感じもあります。ガルシアは人より何倍も速く老いていったところがあって、その老いてゆくのに巧く合わせた演奏ができているようでもある、というと言過ぎでしょうか。(ゆ)

 2本めは15日にリリースされた、同じ1994年秋のツアーから3週間前 1994-10-01, Boston Garden, Boston, MA のオープナー〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉のメドレー。21:07。

 このショウは第一部ラスト前の〈So Many Roads〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、2015年のグレイトフル・デッド結成50周年記念のビッグボックス《30 Trips Around The Sun》の一本として全体がリリースされました。ちなみに《30 Trips Around The Sun》は1966年から1995年までの各年一本ずつショウを選んで30年間のキャリアを展望しようというもので、デッドのアーカイヴ・リリースのビッグボックスとしては2011年の《Europe '72: The Complete Recordings》と並ぶ規模の大きなものです。

 ショウはこれもボストン・ガーデンでの6本連続のランの4本目。この秋のツアーは9月16日、カリフォルニア州マウンテン・ヴューの Shoreline Amphitheatre から始まり、バークレーでの1本をはさんで次がここです。開演7時半。料金は30ドルから。

 ボストン・ガーデンはマジソン・スクエア・ガーデンと同系列の多目的アリーナで、1928年にオープンし、1995年09月に閉鎖、1998年03月に解体されました。かつてはバスケットのセルティクスとアイス・ホッケーのブルーインズの本拠として、史上初めて NBAファイナルとホッケーのスタンレー・カップが同じ年にここで開催されたこともあります。またセルティクスはこのホームで無類の強さを発揮し、全盛期の1980年代半ば、79勝3敗という記録を残しています。

 コンサート会場としての定員は16,000弱。ビートルズは1964年最初のアメリカ・ツアーの際、ここで演奏しました。ジェイムズ・ブラウン、ザ・フー、レッド・ツェッペリン、キッス、ピンク・フロイド、ジェスロ・タルなどメジャーなアクトが出ています。

 デッドは1973年4月に初めてここで演奏し、1994年のこの10月の6本連続まで計24本のショウをしています。この数字は他のミュージック・アクトに比べて断トツに多いそうです。やはりここもお気に入りだったのでしょう。ここからは1974-06-28が《Dick's Picks, Vol. 12》、1991-09-25が《同, Vol. 17》、そしてこのショウと、完全版が3本公式にリリースされています。

 《30 Trips Around The Sun》が出た時、1966年から一本ずつ聴いていってここに来たときには驚きました。1990年代は周知のとおり、ジェリィ・ガルシアがゆっくりと衰えてゆく時期で、1992年や1993年は、水準は軽く越えているとはいえ、その前のピーク時のショウに比べてしまうとどうしても落ちると聞えてしまいます。それが、この最末期、1994年に来てこのボックス・セットの30本のショウの中でも最高の一本と言ってもいい演奏を聴かせてくれたからです。

 この時期、ガルシア以外のバンドは史上最高の演奏をしている、というアーカイヴ・リリースのプロデューサー、デヴィッド・レミューの言葉には、この演奏を聴くと納得できます。問題はガルシアの出来次第。ガルシアの存在がしっかりとそこで聞えれば、そのショウはすばらしいものになった。少なくとも音を聴くかぎりはそう聞えます。

 オープナーの3曲のメドレーはいつもの組曲ですが、はじけぶりがすばらしい。

 なお、1994年は正月にデッドがロックンロールの殿堂入りをはたしました。ただし、そのセレモニーにガルシアだけは出席しませんでした。替わりに本人の等身大の写真を貼って切り抜いたダンボールが持ちこまれました。ショウは計84本。レパートリィは145曲。うち前年には演奏されなかったものが12曲。新曲は3曲。ウェルニックの〈Samba in the Rain〉とレシュの〈If the Shoe Fits〉と〈Childhood's End〉。コンサートの総収入は5位でした。デッドの上にいたのはローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、イーグルス、バーブラ・ストライザンド。なお、デッドのチケット代はこれら他のアクトのものの半分ほどでした。(ゆ)

 リリースとは順番を換えて、録音の新しいものから古いものへと聴いてみます。


 この日のオープナーの2曲。〈Feel Like A Stranger〉は昨年の《30 Days Of Dead》でリリースされましたが、今回は2曲目の〈Bertha〉を加えてのリリース。

 このショウはマジソン・スクエア・ガーデンでの6本連続のランの楽日。ここでの最後のショウ。翌年も予定はされていましたが、ガルシアの死去で実現しませんでした。開演は午後7時半。料金30ドル。

 これで秋のツアーを打上げ、この後は11月末のデンヴァー、12月中旬にオークランドとロサンゼルスで一連のランを行ってこの年を締めくくります。

 MSG は特別なヴェニューとされていますが、デッドにとってもお気に入りの会場で、1979年正月以来計52本のショウを行っています。1988年には当時の記録となる9本連続のランもしました。公式でも今年のビッグボックス《In And Out Of The Garden》はじめ、《30 Trips Around The Sun》や《Dick's Picks, Vol. 09》のショウ丸ごとの完全版も出ています。

 1994-10-19 のショウの SBD は出ておらず、Internet Archives にあるのも AUD のみです。もっともこの頃になるとデジタル録音なので、AUD でも音は良いです。

 この出だし、バネの効いたビートに乗ったジャムが良いですねえ。ガルシアは調子がだんだん良くなり、弾きやめたくない感じが出ます。これが出るのは本当に調子が良い証拠。

 〈Bertha〉はビートは速いですが、ガルシアの歌唱はゆったりしています。調子はよく、歌詞を自在に伸ばします。最後のヴァースを歌うガルシアは実に楽しそう。もっとも途中で一瞬途方に暮れた顔になった、という話もあります。この時期になると、好調が続かなくなっていたようです。それでも AUD で聴くとコーラスでは会場大合唱。間奏のギターもまだまだというように長い。3番の後もソロを続けて、この曲だけで9分は長い方です。ラストの "anymore" のリピートは8回。会場の反応のおかげか、恢復したのでしょう。

 いや、これは良いです。波はありますが、良い時は本当にすばらしい。(ゆ)

 毎年恒例、11月一杯かけて公式サイトがグレイトフル・デッドの未発表のライヴ音源を毎日1トラックずつ無料でリリースする《30 Days Of Dead》が今年も無事終りました。今年で12年。来年はあるか、と毎年思いますが、続いてますね。なお、この30本は来年1月末くらいまではダウンロードできます。




 2022 年は

1966-02-06, Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA

から

1994-10-19, Madison Square Garden, New York, NY

までのショウから選ばれています。
 

 合計7時間3646秒は昨年の7時間4408秒に次いで歴代2位。7時間を超えたのは2回目。
 

 昨年以来、1本のショウから複数曲を選ぶ形が増えました。かつては途切れなしに続くものにほぼ限られていたんですが、間が切れているものも選ぶようになりました。今年は03182224252628日がそれです。


 17日、1966-02-06, Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA はこれまでの《30 Days Of Dead》の中で最も早い時期のショウ。Northridge Acid Test として知られるこのショウは日付と場所がわかっているデッドの録音として最も古いものです。


 登場したショウの年別本数。

66 1

67 0

68 0

69 1

70 2

71 1

72 1

73 1

74 1

76 1

77 1

78 2

79 3

80 1

81 1

82 0

83 1

84 1

85 0

86 0

87 1

88 0

89 2

90 0

91 2

92 1

93 2

94 2

95 0



 最短のトラック

17 Mindbender (Confusion's Prince), 1966-02-06, Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA, 2:37


 最長のトラック

07 The Other One> He's Gone> The Other One, 1972-10-24, Performing Arts Center, Milwaukee, WI, 36:50


 従来のものとダブったのは5曲。

初日 Passenger; 1979-05-07, Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA 2013年、

06日目 Feel Like A Stranger> Bertha; 1994-10-19, Madison Square Garden, New York, NY 〈Feel Like A Stranger〉が昨年、

09日目 Playing In The Band> Crazy Fingers; 1989-12-27, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA 2018年、

14日目 China Cat Sunflower> I Know You Rider; 1991-03-24, Knickerbocker Arena, Albany, NY 2017

の各々《30 Days Of Dead》ですでに出ています。

15日目 Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower; 1994-10-01, Boston Garden, Boston, MA は《30 Trips Around The Sun》でリリース済み。


 今回初めて録音が《30 Days Of Dead》でリリースされたショウは以下の13本。

1966-02-06, Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA

1969-10-25, Winterland Arena, San Francisco, CA

1970-02-27, Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA

1972-10-24, Performing Arts Center, Milwaukee, WI

1979-12-01, Stanley Theatre, Pittsburgh, PA

1979-12-07, Indiana Convention Center, Indianapolis, IN

1980-05-31, Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN

1984-04-16, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY

1987-09-15, Madison Square Garden, New York, NY

1989-02-06, Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

1992-06-12, Knickerbocker Arena, Albany, NY

1993-03-10, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL

1993-03-11, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL


 今回ちょと面白いのは161718日のショウの日付を12-0602-0602-06と並べたこと。選んでみたら揃ったので並べてみたんでしょうか。


 さらに16日目のヴェニューは Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL で、同じヴェニューの199303月の30日、31日からも選んでいます。ある程度意図的ではないかと勘繰ります。この会場ではこの1981年に初めて演奏し、198819891993、そして19940318日まで計13回演奏しています。88年以後はいずれも三連荘。1980年にシカゴ・オヘア空港近くにオープンした多目的アリーナで、定員はコンサートで18,500。現在は Allstate Arena の名称。


 もう一つ、14日と21日は同じ1991-03-24, Knickerbocker Arena, Albany, NY からのセレクションで、同じショウから二度選んだのは初めて。


 とどめに〈Black Peter〉が26日と最終30日にありますが、どちらも同じFamily Dog at the Great Highway, San Francisco, CA がヴェニューで、しかも前者1970-02-28、後者がその翌日03-01のショウ。同じ曲が2日連続のショウからリリースされたのも《30 Days of Dead》史上初。この違いを聴くのもデッドを聴く愉しみのひとつです。


 登場した楽曲は延54曲。うち2回登場は以下の10曲。

Althea

Bertha

Black Peter

China Cat Sunflower

I Know You Rider

Feel Like a Stranger

He's Gone

Playing In The Band

Tennessee Jed

The Other One


 重複を除いたレパートリィは44曲。

Althea

Bertha

Bird Song

Black Peter

Black-Throated Wind

Brown-Eyed Women

Candyman

Cassidy

China Cat Sunflower

Crazy Fingers

Dark Star

Dire Wolf

Dupree's Diamond Blues

Eyes Of The World

Feel Like A Stranger

Franklin's Tower

He's Gone

Hell In A Bucket

Help On The Way

I Know You Rider

I Need A Miracle

Jack Straw

Lazy Lightning

Little Sadie

Looks Like Rain

Might As Well

Mindbender (Confusion's Prince)

My Brother Esau

New Speedway Boogie

Passenger

Playing In The Band

Samson and Delilah

Scarlet Begonias

Slipknot!

Stagger Lee

Sugar Magnolia

Sugaree

Supplication

Tennessee Jed

That's It For The Other One

The Music Never Stopped

The Other One

To Lay Me Down

Truckin’


 今回新たに《30 Days Of Dead》でリリースされた曲は無し。12年もやっていれば、一度でも登場した曲は122曲になり、これといった曲は出てしまっています。


 さて、では、一つずつ、じっくりと、いただきまーす。(ゆ)


 まずはアマゾンに予約しておいた Vasily Grossman, The People Immortal が午前中に配達。1942年に赤軍の機関紙『赤い星』に連載された長篇。残されていた原稿から追加してロシア語本文を確定してから英訳している。この小説には実在のモデルがおり、その人物たちについての注記が付録にある。付録にはバルバロッサ作戦でナチス・ドイツがソ連を席捲している最中にソ連軍最高司令部スタヴカが出した命令なども収められている。

The People Immortal (New York Review Books Classics)
Grossman, Vasily
New York Review of Books
2022-09-27



 昼過ぎ、佐川が DHL の荷物を二つもってくる。Mark A. Rodriguez, After All Is Said And Done: Taping the Grateful Dead 1965-95 と Subterranean Press からの Anthony Ryan, To Blackfyre Keep。

 アンソニー・ライアンのは年1冊で出しているノヴェラのシリーズ The Seven Swords の4冊目。全6冊予定。

To Blackfyre Keep (Seven Swords, 4)
Ryan, Anthony
Subterranean Pr
2022-09-30

 

 前者は凄いものであった。今年の Grateful Dead Almanac から跳んだ In And Out Of The Garden の Podcast ページで紹介されていたもの。デッドのテープ文化全体についての厖大な資料集。関係者へのインタヴュー、テーパーズ・コーナー設置の経緯についてのデッドの全社会議の議事録、Audio 誌に掲載されたテーパーズ・コーナー特集記事の複製、テープ・ジャケットのコレクションなどなど。宝の山だがLPサイズの本に細かい活字でぎっしり詰めこまれて、消化するのに時間がかかりそうだ。

After All Is Said and Done: Taping the Grateful Dead; 1965-1995
Rodriguez, Mark A.
Anthology Editions
2022-09-20



 夕方、郵便ポストを確認すると、Robert Byron, The Station が入っていた。22歳の時、友人二人とともギリシャの聖地アトス山を訪ねた旅行記。初版は1928年刊行。買ったのは2011年の再刊。バイロンはこの旅行で東方の土地と文化に惹かれて中央アジアを旅し、9年後1937年に出した The Road To Oxiana で文学史に名を残す。


 

 最後に、夕飯もすんだ7時半、郵便局の配達が大きな航空便を持ってくる。バート・ヤンシュの At The BBC アナログ・ボックス・セット。LPサイズのハードカヴァー。40ページのライナーの内容はバートの BBC ライヴの歴史、共演者・キャスター、そして彼の広報担当の見たバート。このボックスを企画したのはコリン・ハーパーだった。正式発売は4日だが、発送通知は来ていた。アナログ版は4枚組で48曲収録だが、CD8枚組収録の147曲にプラス α のダウンロード権が付いている。1966年から2009年まで、バートが BBC に残した録音を網羅している。らしい。

 こうなるとバート・ヤンシュもあらためて全部通して聴きたくなる。ひー、時間が無いよう。(ゆ)

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 今年のデッドのビッグボックス・セット《In And Out Of The Garden: Madison Square Garden '81, '82, '83》が着く。発送通知が来てから1週間かからなかった。今までで最速。UPS のスタッフが持ってきたのも初めて。

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 写真では見ていたが、実物はやたら細長い。CDを横に3枚並べて枠に入れた形。ライナー、写真を収めたハードカヴァーのブックレットも横に細長く、扱いにくいことおびただしい。

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 パッケージを飾るイラストは面白い。これまでで最もポップで、シュールでもある。どこかキャンプの味もある。ブックレットの中にボックスの表を飾る絵の塗り絵が入っているのも楽しい。一つ目のクマたちは元になったクマたちより無気味で面白い。

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 David Fricke によるライナーは、引用によってストーリーを組み立てる手法。まあ、手慣れたものである。ちょっと手慣れすぎていて、あまりに滑らかに読めてしまうので、何が書いてあったか、残らないきらいはある。後で、もっとちゃんと読みなおしてみよう。

 とりあえず面白いのは、テレヴィジョンの Richard Lloyd、ソニック・ユースの Lee Ranaldo、 ヨ・ラ・テンゴの Ira Kaplan、ザ・ナショナルの Bryce Dessner は、いずれもそろってデッドヘッドという話。

 ロイドは1967年12月の、後にフィルモア・イーストとなるヴェニューでのライヴを含めて、8回ニューヨークで見ている。最初の時、ロイドはリハーサルにもぐりこみ、ガルシアにゲスト・リストに入れてくれよとどなったが、ガルシアはおれの分は仕事仲間で一杯だ、と言って、レシュにおぬしのはどうだと振った。そこでレシュが入れてくれた。

 ラナルドは1972年から73年にかけて、高校生の時、デッドの追っかけをしている。ワトキンス・グレンにもいた。

 カプランはデッドのショウを80回見ている。

 ラナルドとカプランは2015年の Fare Thee Well のショウのアフター・パーティで共演に招かれ、〈Dark Star〉をやった。かなり良いヴァージョンだそうだ。

 デスナーは《Day Of The Dead》を企画・実現し、このオムニバスにはラナルドとカプランも参加している。

DAY OF THE DEAD
GRATEFUL DEAD.=TRIB=
4AD
2016-05-20



 かれらは皆ニューヨークでデッドを見ている。ニューヨークはデッドにとって第二のホーム。マディソン・スクエア・ガーデンはその中でもホーム・グラウンドだ、というのが、フリックのライナーのテーマの一つではある。フィルモア・イーストがデッドを育てたホームとすれば、育ったデッドをメジャーにしたのが MSG と言える。MSG で9本連続のレジデンス公演というのは、ブドーカンで1ヶ月やるようなものだ。

 MSG が特別なのは、アーティストが出したエネルギーを何倍にも増幅して返してくれるからだ、という。ポイントは、まずアーティスト自身が出さなければ話にならないことだ。出せば、出しただけ、大きく返す。デッドはここに来ると、その作用を感じて、他のヴェニューよりも大きなエネルギーを出した。それだけ返りも大きい。それがこの6本のショウにモロに出ている、とフリックは書く。

 もう一つのポイントはブレント・ミドランドの存在。かれの加入で、より多彩な組立てが可能になり、古い曲を復活することが面白くなる。例えば〈St. Stephen〉で、ボックス・セットのタイトルはこの曲の歌詞からだ。1983-10-11 に演奏している。

 6本トータルで128トラック。うちハンター&ガルシア、バーロゥ&ウィアなど、バンドのオリジナルが drums、space、jam も含めて91トラック。レパートリィ、つまりこの6本で演奏された drums、space、jam 以外の曲を重複を除いて数えると73曲。

 では、いただきまーす。(ゆ)

09月07日・水
 昨年09月08日から始めて、これで「本日のグレイトフル・デッド」は一年一周した。無事一周できてほっとしている。地震・台風・豪雨に核戦争、いつどうなるか、わからない。ひとまずここで一段落とする。途中で形式を変えたり、書込む情報を追加したりしたので、本来ならもう一周すべきだろうが、やはりくたびれた。まるで1年間、ネヴァー・エンディグ・ツアーをやった感覚だ。とりあえず土台はできたので、肉をつけてゆく作業はのんびりやろうと思う。

 肉付けする作業をこのブログの各記事のページでやるか、それとも別途、ウエブ・サイトを立てるかも考えたい。デッドのウィキのようなものを作るかとも思うが、「本日のグレイトフル・デッド」はあまりに個人的主観的観察や考察、あるいは思いつきの色彩が濃いから、多少ともパブリックな場にはふさわしくなかろう。ただこのブログの各ページに追加するというのも使い勝手が悪そうだ。

 肉付けは、追加の情報、各々の音源を聴いて湧いたこと、感じたことがメインになるだろう。今年は1972年、77年、90年の各春のツアーの手許にある公式録音を全部聴いたが、正直、そこで力尽きた。それだけでこちらの受容能力の限界を試された。かろうじて最後まで聴けたけれど、それ以上聴いても、音楽が中に入ってこないところまで達してしまった。デッドの音楽は情報量が多すぎる。聴いている間は実に愉しいし、幸せだが、1本聴き終るとぐったりする。

 なので、少し休んで、溜まっているものを片付けてから、あらためてデッドを聴く作業にもどる予定。なるべくツアーや一連のランをまとめて聴こうと思う。上記3つのツアーもあらためて各々に通して聴きたい。

 もう一つの課題は公式にリリースされていないが、質の高いショウをなるべくたくさん聴くことである。そんなに質が高くないものも聴くべきではあるが、なにせ、もう時間が無い。

 他にも聴きたいものは多々あって、日々増えているが、追われるように聴くのもこの年になると無理だ。加齢による耳の劣化も日々実感している。補聴器をつけてオーディオ機器のレヴューをしている人もいるから、いずれそうなるだろう。といって、老化と競走はできない。なにごとにつけ、老人は急げない。カラダに合わせたペースでしか動けないのだから、カラダとの対話を愉しむことであろう。


%本日のグレイトフル・デッド
 09月07日には1969年から1990年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 30分のテープがある。ジェファーソン・エアプレインのヨウマ・カウコネン、ジャック・キャサディ、ジョーイ・コヴィントンが参加。
 3曲目で〈Johnny B. Goode〉がデビュー。言わずとしれたチャック・ベリーの曲。1957年12月リリースのシングル。B面は〈Around and Around〉。ビルボードで最高8位。デッドは1995年04月05日まで285回演奏。演奏回数順では44位。〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉よりも3回少なく、〈Candyman〉より4回多い。スタジオ盤収録は無し。オープナー、クローザー、アンコールが多い。
 7曲目で〈Big Railroad Blues〉がデビュー。1966年にも演奏したといわれるが、確証が無い。Noah Lewis の作詞作曲。ルイスがメンバーだった Gus Cannon の Cannon's Jug Stompers による録音が1928年にリリースされている。デッドは1995年06月25日まで176回演奏。1974年10月で一度レパートリィから落ち、1979年02月17日に復活。1980年代は定番として演奏された。スタジオ盤収録はないが、《Skull & Roses》に収録。
 キャノンズ・ジャグ・ストンパーズのレパートリィからは〈Viola Lee Blues〉に続く採用。このどちらも収録した《Alexis Korner Presents Kings Of The Blues Vol. 1》という4曲入り7インチが1963年に出ている。
 デッドのレパートリィにはノア・ルイスの曲としてもう1曲〈New Minglewood Blues〉があるが、こちらは CJS時代に作ったまたは編曲した〈Minglewood Blues〉を改訂してルイス自身の Noah Lewis Jug Band で1930年頃に録音した〈New Minglewood Blues〉を元にしている。《The Great Jug Bands》という1962年のオムニバスに収録がある。

2. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。5.50ドル。開演7時。08月01日以来、夏休み明けのショウ。
 クローザー前の〈Eyes Of The World〉が《Beyond Description》でリリースされた後、これを含んで、第一部クローザーの2曲が《Dave’s Picks, Vol. 38》、第二部の2曲を除く全て、8曲が《Dave's Picks Bonus Disc 2021》でリリースされた。曲数にして10曲で半分弱、時間して2時間弱、3分の2以上がリリースされたことになる。
 第二部4曲目で〈Let It Grow〉がデビュー。バーロゥ&ウィアの曲。この日は単独だが、翌日から〈Weather Report Suite〉の第三部に組込む形で演奏される。大休止からの復帰後は単独で演奏される。1995年07月02日まで、計275回演奏。演奏回数順では48位。〈Row Jimmy〉より1回少なく、〈I Need a Miracle〉より3回多い。組曲としては47回演奏。
 ワイオミングの農場に育ち、自分も農場経営をしていたバーロゥ一流の自然讃歌と聞える。朗らかな曲。組曲、単独、どちらも各々に名演がある。
 録音で聴ける演奏はすばらしい。〈Eyes Of The World〉は後半のジャムがすさまじい。歌が終ってまずベースのソロ、その次のガルシアのギターが尋常ではない。尋常ではないかれのギターとしても尋常ではい。さらにキースが積極的にからむと、ガルシアのギターがさらに羽目をはずす。第一部の〈Bird Song〉も13分を超える力演。〈Playing In The Band〉はすっかり成長して18分。まだ終始ビートがある形で、くー、たまらん。

3. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。14.30ドル。開演7時。
 ひじょうに長いショウらしい。長いショウはたいてい出来がいい。

4. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演2時。
 ガルシアがなんらかの機器トラブルでなかなか出てこなかったので、ウィアが時間稼ぎのジョークに〈Frozen Logger〉をやる。カズーまで使ったそうな。第二部後半で〈Dear Mr. Fantasy> Hey Jude> Dera Mr. Fantasy〉を初めてやるが、ひょっとすると意図したものではなく、たまたまそうなってしまったアクシデントだったかもしれないとも聞えるという。もっともデッドの音楽にはそうしたアクシデントが一面鏤められていて、そのいくつかが定番のペアになったり、ある時期、ほとんど固定したメドレーとして演奏されたりする。
 全体としてはかなり良いショウとみえる。

5. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。
 かっちりとした、とりわけ突破したところもないが、ひどいところはもっと無い、レベルの高いショウのようだ。

6. 1990 Coliseum, Richfield, OH
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。07月23日以来のショウ。秋のツアーのスタート。ブレント・ミドランド急死後初のショウ。ヴィンス・ウェルニクのデビュー・ショウ。ショウの出来は良いようだ。

 ウェルニクもタダモノではなかったとあたしは思う。ミドランドの後任を選ぶオーディションでは、オーディションをしなければならないということそのものがミドランドの死の衝撃をあらためて実感させ、バンド・メンバー、とりわけガルシアが参ってしまって一刻も早く終らせたがった。そして、まともに歌えて鍵盤が弾ける最初の候補者がウェルニクだった、といわれることがある。これがたとえ事実の一端であったとしても、だからウェルニクはダメだということにはなるまい。こいつならば、これから何年も一緒にやっていってもOKという感覚が無かったならば、バンド・メンバーはかれを選ばなかったはずである。そういう直感はデッドではとりわけ鋭いだろう。

 デッドの音楽はバンドの音楽なので、個々のメンバーにあるレベル以上の技量があればこなせるというようなものではない。バンドという有機体に溶けこむ一方で、独自の貢献ができるだけの器量を備えている必要がある。他のメンバーによって、単独では到達できないレベルに引き上げられる効果もあるにしても、そもそも備えているものが違えばどうにもならない。

 たとえばトム・コンスタンティンは、音楽家としての資質では不足は無かったが、その資質の向いている方向が、デッドが向かっているところとはついに合わなかった。リハーサルではすばらしい演奏をするが、本番でそれに匹敵する演奏をしたことはついに無かった、というビル・クロイツマンの評があたっているとすれば、ミュージシャン同士だけではなく、聴衆の反応を糧とし、聴衆と(そしておそらくはクルーやヴェニューのスタッフなども含めて)一体となってある現象を生みだしてゆくデッドのやり方に、コンスタンティンはどうしても肌が合わなかった、ということだろう。おそらくコンスタンティンにとって聴衆は自分の送りだす音楽の受け手に留まっていてほしかったのではないか。

 キース・ガチョーもブレント・ミドランドも、その点でデッドのやり方に心から賛同し、バンドと一体となれた。ウェルニクは、ひょっとすると二人の前任者以上に、そのやり方に音楽家としてのスリルを感じ、幸福を味わっていたようでもある。デッドに拾われていなければ野垂れ死にしていただろうということだけでなく、グレイトフル・デッドという、他には類例のないユニットの一員として音楽をすることに、心からの歓びを感じていたように見える。

 ブルース・ホーンスビィがフルタイムの正式メンバーとなっていたら、と想像することは楽しいかもしれないが、不毛な想像でしかない。それに、確かにホースビィはステージで多大の貢献をしているにしても、ではフルタイムのメンバーとしてバンドと一体になれたか、という点では疑問が残る。ホーンスビィとしては、あくまでも助っ人として参加することが精一杯のところであり、ベストの形ではなかったか。

 とにもかくにも、1990年代のデッドの音楽はウェルニクの時代として残ることになる。ピグペンの60年代、キースの70年代、ミドランドの80年代、そしてウェルニクの90年代、という鍵盤奏者によるデッドの音楽の変化を愉しむのもまた、デッドを聴く愉しみ方として有効だ。(ゆ)

09月06日・火
 母の補聴器定期点検に付き添う。

 タクシーに乗せて送り、昼飯に中村屋に入ると新メニューで白目米を使ったビリヤニがあるので、試す。当たり。これまではコールマン・カレーの一択だったが、選択肢ができた。

 付いてくるカレースープがまた旨い。残り少なくなったらかけて食べろということだが、あまりの旨さにスープだけどんどん飲めてしまう。載っているチキンとジャガイモもいい。ジャガイモは皮を残しているのが旨い。インドカリーがインドのカレーとは違うように、ビリヤニもバスマティライスのものとは別物で、なおかつすばらしい。



%本日のグレイトフル・デッド
 09月06日には1969年から1991年まで、7本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。ジェファーソン・エアプレインが共演し、SBD があるそうだ。
 6曲、44分のテープがある。これで全部かは不明。
 クローザーで〈It's All Over Now〉がデビュー。Bobby & Shirley Womack の作詞作曲。1995年07月02日まで177回演奏。スタジオ盤収録無し。
 〈Good Lovin'〉に珍しくもガルシアがヴォーカルで参加。

2. 1979 Madison Square Garden, New York, NY
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。
 なぜか、客電が点いたままだったらしい。中身は良かった。

3. 1980 Maine State Fairgrounds, Lewiston, ME
 土曜日。12ドル。開演1時。08月16日からの夏のツアーがこれで千秋楽。3週間休んで秋のウォーフィールドとラジオシティでのレジデンス公演。
 A級のショウらしい。第二部 drums 前で〈Playing In The Band> Uncle John's Band〉をやり、クローザー前で〈Uncle John's Band> Playing In The Band〉で締めた、というだけでぞくぞくする。〈One More Saturday Night> Brokedown Palace〉のダブル・アンコールもすばらしかったそうな。前者ではウィアの声は完全に潰れていた。なにせ、このショウは第一部だけで100分ある。

4. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。14.30ドル。開演1時半。
 アンコールに〈Brokedown Palace〉をやるショウはまずまちがいがない。

5. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演午後2時。
 やはりチケットは古い時刻が黒く塗りつぶされて、赤のスタンプが押されている。
 まずまずのショウらしい。

6. 1988 Capital Centre, Landover, MD
 火曜日。このヴェニュー4本連続の楽日。開演7時半。
 クローザー前の〈Throwing Stone〉で聴衆が異様なまでに盛り上がり、コーラスでバンドの音がかき消されるほどだった。

7. 1991 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時半。良いショウのようだ。(ゆ)

09月05日・月
 岩波文庫今月の新刊の1冊『サラゴサ手稿』上巻を注文。三分冊で完訳になる予定。今世紀に入って初めて全貌が明らかになったのだそうだ。Wikipedia によれば、フランス、ポーランド、スペイン、ロシアの図書館に散在していた、まったくの新発見も含むオリジナルのフランス語原稿を集め、突き合わせた批判校訂版が2006年に出ている。この記事によると、1804年版と1810年版の、それぞれ違う原稿があるそうな。この作品の全体像が世に出たのはこれが初めて。以前、東京創元社から完訳が出るという話があったが、いつの間にか立ち消えになっていた。とにかくこれの完訳が出るのはめでたい。

サラゴサ手稿 ((上)) (岩波文庫, 赤N519-1)
ヤン・ポトツキ
岩波書店
2022-09-17



%本日のグレイトフル・デッド
 09月05日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 Rancho Olompali, Novato, CA
 月曜日。05月22日の再現? この「楽園」でのサマー・キャンプの打ち上げパーティー?

2. 1979 Madison Square Garden, New York , NY
  水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。11ドル。開演7時半。
 見事なショウだそうだ。

3. 1982 Glen Helen Regional Park, Devore, CA
 日曜日。US Festival というイベント。17.50ドル。3日間通し券は37.50ドル。開演10時終演6時。
 「アス・フェスティヴァル」はこの年レイバー・デー週末と翌年春のメモリアル・デーすなわち5月末の2度開かれたイベント。一躍億万長者になった Apple 創業者の一人スティーヴ・ウォズニアクがビル・グレアムの協力を得て開催。設営費用はすべてウォズニアクが負担。この年は40万人、翌年は67万人を集めた。
 デッドは3日目のトップ・バッターで "Breakfast in Bed with the Grateful Dead!" と題された。第一部6曲、第二部8曲、アンコール2曲の、デッドとしては短かめのステージ。ちなみにその後はジェリー・ジェフ・ウォーカー、ジミー・バフェット、ジャクソン・ブラウン、トリはフリートウッド・マック。
 会場はロサンゼルスの東、サン・バーディーノ郡デヴォアの公園で、気温摂氏43度に達した。Bill Graham Presents のスタッフは不定期にバケツ一杯の氷を聴衆の上にぶちまけた。
 フェスティヴァルも3日目で、Robin Nixon が会場に着いた時には、酔っぱらってやかましく、他人の迷惑など考えない群衆で一杯だった。ほとんどはデッドのファンでもない。朝一番で出てきたデッドのメンバーもほとんどゾンビーで、つまらなくなくもない演奏。長いジャムなどは無し。何のために来たんだか、とニクソンは DeadBase XI で書いている。

4. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演2時。チケットは「開演7時」と印刷されているのが黒く塗りつぶされ、「開演2時」と赤くスタンプが押されている。開演時刻が急遽変更になったか、チケット印刷の際のミスか。
 アンコールの〈Brokedown Palace〉が途中でぐだぐだになり、一度やめて打合せをしてから、あらためてやりなおすよと宣言して、今度はすばらしい演奏をした。

5. 1988 Capital Centre, Landover, MD
 月曜日。このヴェニュー4本連続のランの3本目。開演7時半。
 水準は高いが、どこか吹っ切れない出来というところか。

6. 1991 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。08月18日以来の、夏休み明けのショウ。
 〈China Doll〉の美しさがわかるショウだそうだ。(ゆ)

09月04日・日
 ジャン・パウル『気球乗りジャノッツォ』を読む。うん十年前に買ったまま積読になっていた。読む時がようやく満ちたのだ。と思うことにしている。

 ローマ生まれのいたずら者の毒舌家ジャノッツォが気球に乗ってドイツの上を遊覧し、アルプスの手前で雷に打たれて墜落、死ぬ2週間の「航行日誌」。本文140ページの、長さから言えばノヴェラになる。パウルの作品としては短かい方だ。

 この本の成立は少々変わっている。パウルは畢生の大作『巨人』を1800年から4分冊で刊行する際、その各巻に付録を付ける。読者サーヴィスでもあり、また本篇では抑制した(ほんとかよ)脱線癖を発揮するためでもあった。その第二巻に付けられた二つの付録の片方がこの作品。もう片方は当時の文学、哲学への批判と、自作への批評に対する反駁のエッセイ。ということはこの小説と同じコインの片面をなすのだろう。

 1783年モンゴルフィエが気球で初めて上昇に成功。2年後の1785年、ブランシャールが気球で英仏海峡横断に成功。という時代。気球で旅をする話はこれが初めてではないが、気球によって地表の上を旅することがリアリティをもって書かれたのはおそらく初めてではないか。サイエンス・フィクションの歴史でジャン・パウルの名は見た覚えがないけれど、ここにはほとんどサイエンス・フィクションと呼べるシーンや叙述も出てくる。

 原題をまんま訳すと『気球船乗りジャノッツォの渡航日誌』。人が空を飛ぶのは始まったばかりで、それに関する用語はまだない。したがってパウルは気球を空飛ぶ船に見立てて、航海術の用語を使い、シャレもそれに従っている。そこで訳者は「気球船」と訳す。

 宇宙空間を飛ぶのをやはり我々は船が進むのに見立てている。実際は地表の上を飛ぶのとは違い、完全に三次元の動きになるから、新しい用語や表現が必要になるはずだ。たとえば、右舷、左舷だけでは足らなくなる。斜め45度への移動を呼ぶ用語も作らねばならない。航空術ではすでにあるのか。しかし惑星表面では惑星の重力が働くから上昇下降ですむが、上下のない宇宙空間の移動はまた別の話だ。

 閑話休題。ここではまだ空を飛ぶことすら新しい。城壁に囲まれた市街地に降りても、住人は相手が空から降りてきたことを理解できず、どの門から入ったのかと執拗に問いただしたりする。上空から見る、俯瞰するのは、当時大部分の人間にとってはまだ神の視点、目線だったはずだ。その作用を利用してもいる。ジャノッツォは神ではないが、有象無象でもない。一段上の存在になりうる。そうして上から見ることで見えてくる人間のばかばかしさを、ジャノッツォの口を借りて、パウルは縦横無尽に切りきざみ、叩きつぶす。

 「陽気なヴッツ先生」も同じだが、パウルの批判、嘲笑、痛罵には、自分もその対象に含んでいるところがある。ジャノッツォが怒りくるっているのは相手だけでなく、そういうやつらと否応なく関らねばならない自分にも怒っている。ように見える。絵を見ている自分もその絵に含まれるエッシャーの絵のような具合だ。高みにあって、地上からは一度切れた快感とともに、その地上にやはりつながれていることを自覚してもいる。自分だけは違う、などとは思わない。ジャン・ジャック・ルソーに心酔し、フランス語風に Jean Paul と名乗りながら、「ジャン・ポール」ではなく、ジャン・パウルと仏独混合読みされてきた、そう読ませるものが、その作品にある気がする。そしてそこが、自分のことは棚に上げてしまう凡俗とは一線を画して、パウルの批判、嘲笑、痛罵をより痛烈に、切実にしている。確かに直接の対象である同時代、18世紀末から19世紀初めのドイツの事情そのものはわからなくなっていても、パウルが剔抉している欠陥自体は時空を超えて、21世紀最初の四半世紀にも通底する。どころか、むしろますますひどくなってはいないか。ネット上でグローバルにつながりながら、一人ひとりは、昔ながらの、それこそ18世紀以来のローカルな狭い価値観にしがみつく俗物根性の塊のままではないか。

 ここにはまた地上では絶対に見られない美しさもある。第十一航。オークニーの南にいる、というのだから、いつの間にかここでは北海の上に出ているらしい。その海と空のあわいにあって、ジャノッツォの目に映る光景は、訳者も言うように一篇の散文詩だ。同時代のゲーテと違って、パウルは詩作はしなかったらしいが、散文による詩と呼べる文章は他にもいくつもある。こういう光景を想像でき、そしてそれを文章で表現することを開拓しているのだ、この人は。

  解説で訳者が指摘している著者の話術の効果として3番目の、語る者と語られるものの関係を多重化することで、作品世界とそこで起きていることにリアリティを与える、小説世界の独立性を確保することは、その後の小説の展開を先取りしているし、現代的ですらある。

 ゲーテの古典主義とは袂を別ち、ロマン派の先駆とみなされるのも当然と思われるあふれるばかりの想像力を備え、嵐のような譬喩を連ねて、時にはほとんどシュールレアリスムと呼びたくなるところまで行く。こういうのを読むと、ドイツ語もやっときゃよかった、と後悔する。

 とまれ、ジャン・パウルは読まねばならない。ドイツ文学史上の最も独創的なユーモア長篇作家、と訳者は呼ぶ。

ジャン・パウル『気球乗りジャノッツォ』古見日嘉=訳, 現代思潮社/古典文庫10, 1967-10, 170pp.


%本日のグレイトフル・デッド
 09月04日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 日曜日。3ドル?。チラシには「月曜夜の入場料はすべて3ドル」とあり、その前の週末の入場料は別のように見える。が、そちらの料金はどこにもない。前売料金無し。ちなみにこの前の金・土はジェファーソン・エアプレインがヘッドライナー。後の月曜日は Martha & the Vandellas がヘッドライナー。
 クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ共演。セット・リスト不明。
 デッドにとってこのヴェニューでの初のヘッドライナー。
 Martha & the Vandellas は1957年にデトロイトで結成された黒人女性コーラス・トリオ。1960年代、モータウンの Gordy レーベルから一連のヒットを出した。1967年以降は Martha Reeves & The Vandellas と名乗る。1972年解散。

2. 1967 Dance Hall, Rio Nido, CA
 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

3. 1979 Madison Square Garden, New York , NY
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。11ドル。開演7時半。
 これも良いショウだそうだ。

4. 1980 Providence Civic Center, Providence, RI
 木曜日。
 第二部3曲目〈Supplication Jam〉からアンコール〈U.S. Blues〉までの10曲が《Download Series, Vol. 07》でリリースされた。

5. 1983 Park West Ski Area, Park City, UT
 日曜日。
 紫の煙をたなびかせながらパラシュートで会場に降りた男がいたそうな。
 ショウは見事。

6. 1991 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。08月18日以来、夏休み明けのショウ。
 平均より上の出来の由。(ゆ)

09月03日・土
 今日は歯医者の定期点検。今日はヒマと見えて、先生が雑談する。夜のホメリのライヴまで時間があり、たまたま見つけた喫茶店、カフェではなく、昔ながらの喫茶店に籠もって読書。コーヒーは旨いが、タバコがフリーで二度とは来ない。こういう喫茶店は好きなのだが、タバコをフリーにしないと客が逃げてやっていけないのか。

 読んだのは岩波文庫版ジャン・パウルの「陽気なヴッツ先生」。すばらしい。極端なまでの戯画化と思っていると、いつの間にか戯画のまま等身大の、愛すべき肖像になっている。ラストのヴッツ先生死去のシーンの美しさ。ほとんどファンタジィ、しかも書き手がファンタジィを意図しないのにファンタジィになっているところがいい。ジャン・パウルはやはり読まねばならん。

陽気なヴッツ先生 他一篇 (岩波文庫)
ジャン パウル
岩波書店
1991-03-18



 夜はホメリで梅田千晶さんと矢島絵里子さんのライヴ。昨日とはうって変わって、アイリッシュ抜き。ブルターニュ、スウェーデン、クレツマーとオリジナル。これまた極上のライヴ。これも別記。 


%本日のグレイトフル・デッド
 09月03日には1967年から1988年まで6本のショウをしている。公式リリースは5本、うち完全版2本。

1. 1967 Dance Hall, Rio Nido, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。"Russian River Rock Festival" と銘打たれたイベント。8曲のセット・リストがある。
 オープナー〈In The Midnight Hour〉が《Fallout From The Phil Zone》で、6曲目〈Viola Lee Blues〉が《The Golden Road》所収のファースト・アルバムのボーナス・トラックでリリースされた。
 《Fallout From The Phil Zone》のレシュのライナーによれば、聴衆は25人ほどだったが、全身全霊をこめて演奏した。なお、録音はモノーラル。

2. 1972 Folsom Field, University of Colorado, Boulder, CO
 日曜日。学生3.50ドル、一般4.50ドル。開場10時半、開演正午。雨天決行。ポスターには「5時間」の文字がある。
 第二部クローザー前の〈He’s Gone> The Other One> Wharf Rat〉が《Dick's Picks, Vol.36》でリリースされた。
 全体としてもすばらしいそうだ。

3. 1977 the Raceway Park, Englishtown, NJ
 土曜日。10ドル。開演2時。06月09日以来のショウ。ミッキー・ハートの交通事故による負傷で夏のツアーはキャンセルとなった。その「お詫び」のショウ。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジとマーシャル・タッカー・バンドが前座。WNEW で放送された。10万とも15万とも言われる人が集まり、デッド単独としては最大の聴衆。前夜には数万人がゲート前に集まり、混乱を避けるため、午前3時にゲートが開かれた。もっとも DeadBase XI の Ken Kaufman によれば15万人の6分の1はマーシャル・タッカー・バンドがお目当てで、デッドが出る前に立ち去った。さらに MTB とデッドの間の時間に、女性が出産した。医療ヘリが飛んできて、場所をあけてくれとアナウンスが繰返された。終演後、親子ともに元気と発表された。
 デッドはこの後また3週間休んで、月末から秋のツアーに出る。
 全体が《Dick's Picks, Vol. 15》でリリースされた。

4. 1980 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA
 水曜日。10.50ドル。開演7時半。
 全体が《Download Series, Vol. 07》でリリースされた。
 〈Althea〉〈Candyman〉〈Hight Time〉〈He's Gone〉〈Black Peter〉〈Brokedown Palace〉と「哀しい」曲が集中したショウ。

5. 1985 Starlight Theatre, Kansas City, MO
 火曜日。14.50ドル。開演7時半。
 第一部クローザー〈The Music Never Stopped> Don't Ease Me In〉が2011年の、オープナー〈Feel Like A Stranger > They Love Each Other〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 第二部オープナーが〈Cryptical Envelopment> The Other One> Cryptical Envelopment〉で、〈Cryptical Envelopment〉はこの年06月に13年ぶりに復活してこれが復活後5回目の演奏で最後でもある。
 〈Feel Like A Stranger〉、最後のコーラスでウィア、ガルシア、ミドランドが歌いかわすのが見事。

6. 1988 Capital Centre, Landover, MD
 土曜日。このヴェニュー4本連続の2本目。
 アンコールの2曲目、ショウの最後に〈Ripple〉が演奏されて聴衆は狂喜乱舞した。1981年10月16日以来で、デッドとしてはこれが最後の演奏。この時の演奏はガンで死のうとしていた若者のリクエストに答えたもの。(ゆ)

09月02日・金
 午後医者。前回採血した血液検査の結果。コレステロールの値が高いので、次回頸動脈のエコーをしましょう。腹部エコーもやった方がいい。設備の整ったところで人間ドックを受けるならそちら。中性脂肪の値が高いが、この時は昼食を食べた直後だから、これも次回、朝食抜きでやることになる。尿酸値を抑える薬をもらって出る。この薬を飲んでいれば、納豆とかタラコとかばくばく食っていい、ってこたあ、ねえだろうなあ。

 夜はムリウイでアイリッシュ・ミュージックのライヴ。極上のライヴ。これは別記。


%本日のグレイトフル・デッド
 09月02日には1966年から1988年まで9本のショウをしている。いわゆるレイバーデイ週末で、増えている。公式リリースは2本、内完全版1本。

1. 1966 La Dolphine, Hillsborough, CA
 金曜日。娘たちの社交界デビュー・ダンス・パーティー。
 この頃はチャンスさえあればどこででも何にでも演奏していた。

2. 1967 Cabrillo College Stadium, Cabrillo College, Santa Cruz, CA
 土曜日。この日と翌日にまたがる "Magic Music" と題されたイベント。午後3時から12時。デッドはヘッドライナー。2日間のイベントだが、デッドは翌日リオ・ニドで演奏しているので、出たのは2日と推定されている。セット・リスト不明。
 SCA の資金調達ベネフィット、というのだが、SCA が何を指すか不明。
 共演者はキャンド・ヒート、Leaves, Andrew Staples, Sons of Champlain (ママ), New Delhi River Band, Second Coming, New Breed, Bfd. Blues Band, Gross Exaggeration, Yajahla Tingle Guild, People, Jaguars, Art Collection, Morning Glory, Ben Frank's Electric Band, New Frontier, Chocolate Watch Band, Other Side, E types, Mourning Reign, Imperial Mange Remedy, Omens, Ragged Staff, Talon Wedgeなど。

3. 1968 Betty Nelson's Organic Raspberry Farm, Sultan, WA
 月曜日。Sky River Rock Festival & Lighter Than Air Fair。デッドはポスター等にも掲載されず、フェスティヴァルの最後にサプライズで登場。1時間強8曲のテープがある。なお、ジェイムズ・コットン、ビッグ・ママ・ソーントン、ビリー・ロバーツとジャム・セッションもした。
 フェスティヴァルは08月31日からこの日まで。屋外の臨時の会場で複数日にわたって開催されたロック・フェスティヴァルの最初のものとされる。1970年まで計3回開催された。この年の主な出演者はサンタナ、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、ジョン・ファヒィ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ヤングブラッズ、ステッペンウルフ、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ、サンズ・オヴ・シャンプリン。サンフランシスコ・マイム・トゥループも出ている。
 見事なショウだそうだ。

4. 1978 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 土曜日。12.50ドル。開演11時。ポスターではウィリー・ネルソン、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座。チケットにはウェイロン・ジェニングズの名前もあるが、実際には出ていない。ネルソンの最後の2、3曲にドナが参加。デッドにとって初めてのこのスタジアムでのショウ。この後はエジプトに飛ぶ。
 この年ベストのショウで、〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉はベスト・ヴァージョンの1本といわれる一方で、こんなにひどいショウは見たこともないとバンドを見限る人もいる。

5. 1979 Augusta Civic Center, Augusta, ME
 日曜日。9.50ドル。開演8時。
 見事なショウだそうだ。
 前日に会場に入ったら駐車場にデッドのTシャツを着た長髪の連中がたくさんいた。「あんたら、明日のショウに来たのか」「何のショウだい?」「デッドのショウだよ」「デッドがここでやるのか?」
 メイン州では時間の流れ方が違うという話。

6. 1980 Community War Memorial, Rochester, NY
 火曜日。8.50ドル。開演8時。
 クローザーの〈Space> Iko Iko> Morning Dew> Sugar Magnolia〉が《Dick's Picks, Vol. 21》でリリースされた。
 セット・リストとしては珍しい部類で、普段は第二部で演奏される曲、第一部が定位置の曲がそれぞれ入れ替わったりしている。オープナーが多い〈Alabama Getaway〉がアンコールだったりもする。こういう時は演奏も乗っている。
 第二部クローザーの4曲はいずれもすばらしい。DeadBase XI の Jeff Silberman によれば〈Morning Dew〉はまったく誰も予想していなかった。「この晩、この連中は音楽を演奏するのはやめて、魔法をやりだした」。

7. 1983 Boise Pavilion, Boise State University, Boise, ID
 金曜日。開演8時。アイダホ州で唯一のショウ。
 全体が《Dave's Picks, Vol. 27》でリリースされた。
 DeadBase XI で Beth Rosenfeld がたいへん面白いレポートを書いている。地元の人たちはデッドのショウとそれに付随するものがどういうものか、まったく知らず、学生たちも駐車場の光景に眼を丸くしていた。警官が一人、様子を見にやってきたが、不在の間にそのパトカーにはバンバーステッカーがべたべたと貼りまくられた。もどって来た警官はしばし茫然と見ていたが、やがて周囲に集まっていたデッドヘッドたちを見渡して、にやりとしたので、一同歓声を上げた。警官はかぶりを振りならが走り去った。
 このショウはツアーのレグとレグのつなぎのショウで、トラベルヘッドも大半は避けていたが、内容はすばらしい。
 施設は全国的なイベントを呼ぶために造られたもので、音響はすばらしいと言われる。当日券はすべてバルコニーで、フロアは半分が椅子が並べられ、後ろ半分にはポプコーンとペプシを売るスタンドがあった。第二部オープナーの〈Hepl on the Way〉トリオの最中に撤収された。会場のスタッフが学生たちで、指定席チケットの確認に熱心だったが、デッドヘッドたちは隙を見て、大して高くもないバルコニーから次々にフロアに飛びおり、後半分で踊りまくった。

8. 1985 Zoo Amphitheatre, Oklahoma City, OK
 月曜日。開演7時。
 見事なショウの由。

9. 1988 Capital Centre, Landover, MD
 金曜日。このヴェニュー4本連続のランの初日。開演7時半。
 この4本のランは全体が見事なもので、そのオープニングにふさわしいショウだそうだ。この9月、〈Dire Wolf〉を3回もやっている、その初め。(ゆ)

09月01日・木
 北側の部屋の窓の下で毎晩鳴いている草雲雀はまだ踏ん張っている。そろそろ1週間か。夜遅くなると元気になるらしい。草雲雀は体は小さいそうだが、声はでかい。


%本日のグレイトフル・デッド
 09月01日には1968年から1979年まで4本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Palace Of Fine Arts, San Francisco, CA
 日曜日。San Francisco Palace of Fine Arts Festival というイベントのポスターが残っている。08月30日から09月02日までで、デッドも出演者の一つとして載っている。いつ出演したかははっきりしない。翌日はワシントン州サルタンでの Sky River Festival に出ているので、この日の午後に出たと思われる。夜はフィルモアに出ている。
 このイベントはハイト・アシュベリー診療所のための資金調達ベネフィット。
 Palace Of Fine Arts はサンフランシスコ市街地の北端、ゴールデン・ゲイト・ブリッジ東側マリン地区の海岸に建つ高さ50メートルの記念建造物。1915年のパナマ・太平洋国際博覧会のために建てられたもので、博覧会のための建造物では唯一現存する。国指定史跡で、1964年から1974年にかけて修復された。
 ハイト・アシュベリー診療所は1967年06月にオープンした無料の診療所。現在も存続。後の無料診療所のモデルとされる。場所と時代から一般診療の他、薬物中毒や精神医療に強い。今ではロック・コンサートなどのイベント会場での出張医療サービス、刑務所での精神医療サービスなども行なっている。

2. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。3ドル。リザーヴェイション・ホール・ジャズ・バンド、サンズ・オヴ・シャンプリン共演。
 セット・リストは不明だが、この日から〈Jam〉というタイトルで7分半のトラックが2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

3. 1969 Baton Rouge International Speedway, Baton Rouge, LA
 月曜日。ニューオーリンズ・ポップ・フェスティヴァル。土曜日からの3日間。
 デッドはこの日のみの出演。9曲、1時間20分のテープがある。前半は1970年的レパートリィ、後半は典型的1969年、という選曲。
 1969年という年はセット・リストでは毎度お馴染の曲がお馴染の順番で並んでいるのだが、聴ける録音を聴くかぎり、毎回演奏は違って新鮮なのは驚異的だ、と John W. Scott が DeadBase XI で書いている。
 ポスターに出ているアーティストは、バーズ、キャンド・ヒート、シカゴ(トランジット・オーソリティ)、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、ドクター・ジョン、The Night Tripper、デッド、アイアン・バタフライ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ジャニス・ジョプリン、Oliver、サンタナ、ティランノザウルス・レックス、ヤングブラッズ。
 Wikipedia によればデッドは3日目、11番目の出演。次がジェファーソン・エアプレイン。
 ウッドストックの2週間後で、聴衆は3万弱。
 The Night Tripper はドクター・ジョンの別名。
 Oliver は本名 William Oliver Swofford (1945–2000) 、1969年、ミュージカル『ヘアー』からのシングル〈Good Morning Starshine〉のヒットで知られる。

0. 1975年のこの日《Blues For Allah》がリリースされた。
 8枚目のスタジオ盤。Grateful Dead Records として3枚目。この年の02月27日から05月07日にかけて録音。エンジニアはダン・ヒーリィ。プロデュースもバンドとヒーリィの連名。ビルボードのアルバム・チャートで最高12位まで上がる。1987年の《In The Dark》以前の最高位。これが売れたのは内容よりも、タイトルとジャケットではないかと下司の勘繰りをしたくなる。

 Steven Schuster が〈The Music Never Stopped〉にサックス、〈Sage And Spirit〉にフルートで参加。スティーヴン・シャスターは元はクラシックのサクソフォーン、クラリネット、ピッコロ、フルート、コントラバス奏者。各地のオーケストラに参加している。一方、ハート、ガルシア、ハンターなどの個人プロジェクト、ジェファーソン・スターシップ、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ジョージ・クリントン、パーラメント/ファンカデリック、ボビー・ウーマックなどとも共演している。2008年にピアノとドラムスとのトリオのジャズ・レコードを出している。

 トラック・リスト。
Side One
01. Help On The Way (Hunter/ Garcia) 7:21
02. Slipknot! (Garcia, K. Godchaux, Kreutzmann, Lesh & Weir)
03. Franklin's Tower (Hunter/ Garcia) 4:32
04. King Solomon's Marbles 5:16
Part I: Stronger Than Dirt (Lesh)
Part II: Milkin' The Turkey (Hart/ Kreutzmann/ Lesh)
05. The Music Never Stopped (Weir/ Barlow) 4:36

Side Two
06. Crazy Fingers (Hunter/ Garcia) 6:42
07. Sage And Spirit (Weir) 3:07
08. Blues For Allah (Hunter/ Garcia) 12:44
Sand Castles and Glass Camels (Garcia, K. Godchaux, D. Godchaux, Kreutzmann, Lesh & Weir)
Unusual Occurrences In The Desert (Hunter/ Garcia)

 A面の〈King Solomon's Marbles〉、B面の〈Blues For Allah〉の二つの組曲を置くのが特徴的。前者はレシュ、後者はハンター&ガルシアが中心になって作っている。
 A面は前半も〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉はこの形で組曲として演奏されることが多い。つまりこのアルバムは組曲が3つという異例の形だ。組曲好きのデッドの究極の組曲アルバムと呼んでもいいだろう。

 2004年《Beyond Description》収録にあたって、アウトテイクが6曲加えられた。が、ほとんどは独立の曲にまでならないジャムの段階のもの。

 収録曲のデビュー順。
Slipknot! 1974-06-20
Blues For Allah 1975-03-23
Help On The Way 1975-06-17
Franklin's Tower 1975-06-17
Crazy Fingers 1975-06-17
King Solomon's Marbles 1975-08-13
The Music Never Stopped 1975-08-13
Sage And Spirit 1975-08-13

 このアルバムは大休止期の間に録音されたという事情もあり、ライヴでデビューしてある程度揉んでから録音という手順を踏んだ楽曲は無い。この年の4本のショウで少しずつデビューしている。〈Supplication!〉のライヴ・デビューは大休止からの復帰のショウになる。

 最後の演奏順。
Crazy Fingers 1995-07-05
The Music Never Stopped 1995-06-28
Help On The Way 1995-06-22
Slipknot! 1995-06-22
Franklin's Tower 1995-06-22
Sage And Spirit 1980-10-31
Blues For Allah 1975-08-13
King Solomon's Marbles 1975-08-13

 演奏回数順。
The Music Never Stopped 233
Franklin's Tower 221
Crazy Fingers 144
Slipknot! 112
Help On The Way 110
Blues For Allah 3
Sage And Spirit 2
King Solomon's Marbles 1

 〈Blues For Allah〉の3回はいずれも1975年中。それにしても、これだけ極端に二分されるのは、このアルバムだけである。

 〈King Solomon's Marbles〉〈Blues For Allah〉は、やはり失敗作と言わざるを得ないだろう。ただ、この経験があってこそ〈Terrapin Station〉の成功につながったと言えるのではないか。

 ショウで蓄積したものをまとめるというのではなく、ツアーを休止している中で、純粋にスタジオ盤制作だけに集中して、ゼロから作るのはこれが初めてだが、やはりデッドはショウをして初めてまともな活動ができるライヴ・バンドではある。


4. 1979 Holleder Stadium, Rochester, NY
 土曜日。Greg Kihn と The Good Rats というおそらくはローカル・アクトが前座。ヴェニューは高校のフットボール用スタジアムで、屋外のショウ。ほとんど一点の雲ひとつなく晴れて暑かったが、〈Looks Like Rain〉の時、雲が一つ現れて、通り雨がぱらついた。
 オープナー〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo > Franklin's Tower〉が2016年の、第二部オープナー〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉が2017年の、《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 どちらもすばらしい演奏で、このショウの質の高さがわかる。ぜひ、全体を出してほしい。全体にゆったりしたテンポでガルシアも悠々とした歌いまわし。ルーズで、ほとんど投げ遣りにうたっているようで、ここぞというところは決めてくる。
 前者の前半、"Across the Rio Grande" のコーラスの後のガルシアのギターが凄い。後者でもガルシアのギターが尋常でなく、この曲でのいつものギターとは様変わり。
 後者は、このペアのベスト・ヴァージョンの一つ。このペアには名演が多いが、その中でも優に五指に入ろう。両ドラマーが微妙にズレながら作る大きなグルーヴにミドランドがハモンドを乗せ、ガルシアがさらにそれに乗って天空を翔ける。一段落したところでレシュが FOTM のリフを一瞬やるが、ガルシアはさらに引っぱり、さらにすばらしいソロを展開する。ミドランドが思い切り音を引き伸ばし、ハートが先導するようにして同時に全員が遷移する。その後はバンド全体が飛びつづける。3番の歌詞のためにブレイクした後、レシュがベース・ソロを入れ、ミドランドが応じて、しばし二人の掛合い。至福の30分。(ゆ)

08月31日・水
 Margaret Weis & Tracy Hickman, Dragons Of Deceit: The Dragonlance Destinies, Vol. 1 着。The War Of Souls 以来20年ぶりのオリジナル・デュオによる『ドラゴンランス』新作。一度は Wizards of the Coast と訴訟騒ぎにまでなったが、無事刊行されてまずは良かった。


 

 タッスルが持つ時間旅行機を使って、父親が戦死する過去を改変しようとする娘の話。タイムトラベルはサイエンス・フィクションの常套手段の一つだが、ファンタジーではロマンス用以外に真向から歴史改変を扱うのは珍しいんじゃないか。

 さてさて、これを機会に、最初から読みなおすか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月31日には1968年から1985年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。3ドル。セット・リスト不明。リザーヴェイション・ホールジャズ・バンド、サンズ・オヴ・シャンプリン共演。

2. 1978 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。8.25ドル。開演7時半。
 第一部クローザー前で〈From The Heart Of Me〉、第二部オープナーで〈Shakedown Street〉がデビュー。
 〈From The Heart Of Me〉はドナの作詞作曲。翌年02月17日まで27回演奏。それまでの〈Sunrise〉に代わってドナの持ち歌として歌われた。スタジオ版は《Shakedown Street》所収。曲としてはこちらの方が出来はいいと思う。
 〈Shakedown Street〉はハンター&ガルシアの曲。1995年07月09日まで、計163回演奏。スタジオ版はもちろん《Shakedown Street》所収。踊るのに適しているのでデッドヘッドの人気は高い。

 デッドのショウの会場周辺、典型的には駐車場でデッドヘッドたちが開く青空マーケットが "Shakedown Street" と呼ばれた。売られていたのは食べ物、飲物、衣類とりわけタイダイTシャツやスカーフ、バンバーステッカー、バッジなどのアクセサリー、同人誌、ショウを録音したテープなどなど。各種ドラッグもあった。このマーケットによって地元にも経済効果があったが、そこに集まるデッドヘッドの風体とドラッグの横行に、これを嫌う自治体も多く、1980年代末以降、新たなファンの流入で規模が大きくなると、地元との摩擦が問題となった。デッドとしてはショウができなくなるのが最大の問題なので、後にはマーケットは開かないよう間接的にデッドヘッドに訴えた。もっともデッドヘッドはそれでおとなしくハイハイとやめるような人間たちではない。ビル・グレアムが設計したカリフォルニア州マウンテンヴューのショアライン・アンフィシアターでは、「シェイクダウン・ストリート」を開けるスペースがあらかじめ組込まれているが、これは例外。

3. 1979 Glens Falls Civic Center, Glens Falls, NY
 金曜日。9.50ドル。開演7時。
 第一部クローザー前で〈Saint Of Circumstance〉がデビュー。〈Lost Sailor〉とのペアの最初でもある。バーロゥ&ウィアの曲。1995年07月08日まで222回演奏。演奏回数順では63位。〈Ship of Fools〉より4回少なく、〈Franklin's Tower〉より1回多い。〈Lost Sailor〉が演奏された間はほぼ例外なくペアとして演奏されたが、〈Lost Sailor〉がレパートリィから落ちた後も演奏され続けた。ペアとしての演奏は1986年03月24日フィラデルフィアが最後。単独では76回演奏。スタジオ盤は《Go To Heaven》収録。

4. 1980 Capital Centre, Landover , MD
 日曜日。8.80ドル。
 第一部クローザー前の〈Lazy Lightning> Supplication〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 これも宝石の1本といわれる。アンコール〈Brokedown Palace〉の途中でガルシアのギターの音が消えるハプニング。
 〈Lazy Lightning> Supplication〉はすばらしい。後半のジャムはベスト・ヴァージョンの一つ。

5. 1981 Aladdin Hotel Theatre, Las Vegas, NV
 月曜日。12ドル。開演8時。
 第二部前半、オープナー〈Lost Sailor〉から〈Playing In The Band〉までをハイライトとして、見事なショウだそうだ。
 終演後、観客は専用のルートで外に誘導された。デッドヘッドがカジノに溢れるのをホテル側が恐れたらしい。

6. 1983 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts, Eugene, OR
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演8時。
 第一部クローザー〈Cassidy> Don't Ease Me In〉が2010年の、第二部2曲目からの〈Playing In The Band> China Doll> Jam〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 後者は面白い。〈Playing In The Band〉は10分ほどで、最後までビートがキープされて、型が崩れず、その上でジャムが進行する。テンポが変わらないまま、ガルシアが〈China Doll〉のリフを始め、他のメンバーが段々乗ってきて遷移。ガルシアは歌詞をほうり出すように歌う。むしろドライな演奏。センチメンタルなところがない。歌が一通り終るといきなりテンポが上がってジャム。定まったメロディのない、デッド独得のジャムで、ミドランドが愉しい。このミドル、スロー、アップというテンポの転換もいい。

7. 1985 Manor Downs, Austin, TX
 土曜日。13ドル。開演8時。
 良いショウだそうだ。(ゆ)

08月30日・月
 初期仏教がなんでこんなに面白いのか、我ながらようわからん。今の仏教とあまりにも違うからか。わが国仏教の問題点は大乗であるだけではなく、そもそも奈良朝に輸入した時の形にあるという佐々木閑の指摘は刺激的だが、それだけでもないような。ゴータマ・ブッダは悟った時、こんなわかりにくいものは他人に教えるのはやめようと決意した話とか、悟りを開くための修行から見た宇宙とか、「私」という現象に実体はないとか、出家して比丘=仏教修行者になることは他人が恵んでくれるものに寄生することだとか、ゴータマ・ブッダは崇拝の対象ではないとか、もうメウロコとかのレベルではない。仏教は一番身近なだけに、なんとなくわかっていたような気分でいたのを、片端から引くり返されてゆく。そこが快感なのだろう、きっと。

 一神教は我々の対極にあるから、かえって対象としてとらえやすい。仏教も本来は我々の心性とはまったく異質な信仰なのは、神仏習合を見てもわかろうというものだが、そうやって表面的には同質なものとみなせるようにしているから、対象にならない。もっとも神仏習合が可能だったのは大乗だからで、テーラワーダが何らかの形で独自にやって来て、国家宗教としてではなく、自発的な活動をして後世に伝わっていたなら、そちらは神仏習合のしようはあるまいとも思える。その点では近代西欧科学と同じく、仏教の宇宙に神はいないからだ。

 仏教の信仰とは、この世は業による輪廻と因果でできていて、煩悩を断たないかぎり、永遠にそこから脱けだせないが、人間はやりようによっては煩悩をすべて断ち、永遠に続く輪廻から脱出してほんとうに楽になることができる、と信じることである。そして生きたままその境地、涅槃に逹することができると信じることでもある。その信仰のどこにも神はいない。輪廻と因果を「造った」のは誰か、なんてことは考えないのだ。それは考えても意味がない。それよりもそこからいかに脱出するかを考える方がよほど大事だ。

 そう信じるか、と言われるとたたらを踏んでためらうけれども、この考え方そのものはなぜかひどく魅力的にみえる。一神教の独善的な宇宙よりもはるかに魅力的だ。一方で、近代西欧科学が明らかにした宇宙は、あまりに巨大であまりに冷たく、その中で生きるにはとりつく島もなさすぎる。知性や生命現象はこの宇宙が生まれた時の計画に含まれているのかすらあやしい。となれば、その宇宙を生きるのを意味あるものと見るのに、仏教の、初期仏教の考え方を応用するのは面白いと思える、ということだろうか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月30日には1968年から1985年まで8本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。セット・リスト不明。3ドル。Reservation Hall Jazz Band、サンズ・オヴ・シャンプリン共演。
 Reservation Hall Jazz Band はニューオーリンズのフレンチ・クォーターにあるリザーヴェイション・ホールを拠点として1960年代に結成されたバンドで、現在も現役。

2. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。単身2.50ドル、ペア4ドル。開演8時半。フェニックス、コマンダー・コディ、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。この日もグレイトフル・デッド名義でフル・メンバー。
 オープナーからの2曲〈China Cat Sunflower> Doin' That Rag〉が2018年の、4曲目〈Easy Wind〉が2019年の、《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 前者は面白い組合せ。〈China Cat Sunflower〉が〈I Know You Rider〉と組み合わされるのはこの年の09月30日。組み合わされた後はほぼ例外なくペアでの演奏になるが、その前はいろいろの曲と組み合わされている。うまくはまる相手を探している感じもある。ここでも歌の後、ギアが入れかわってジャムになる。〈Doin' That Rag〉への転換はやや強引なところもあるが、キャラクターが対照的な曲をつないでみたのだろう。演奏は決まっている。
 〈Easy Wind〉は前日とは違って、もう少しロック寄りか。ガルシアのソロの質も高く、どちらも快演。

3. 1970 KQED Studios, San Francisco, CA
 日曜日。これは地元のテレビ・スタジオでの聴衆を入れてのライヴで、FM で同時放送された。聴衆はまことにやかましいデッドヘッドの一群。5曲、30分弱の演奏。

4. 1978 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。8.25ドル。開演7時半。07月08日、同じヴェニュー以来のショウ。夏休み明け。
 第一部5曲目で〈Stagger Lee〉、第二部オープナーで〈I Need A Miracle〉がデビュー。
 〈Stagger Lee〉はハンター&ガルシアの曲。1995年06月18日まで計147回演奏。スタジオ盤は《Shakedown Street》収録。題材はいわゆる「マーダー・バラッド」の一つで、伝統歌として歌われてきたもののロバート・ハンター版。伝統歌の方は1928年のミシシッピ・ジョン・ハートの録音がおそらく最も古いもの。
 〈I Need A Miracle〉バーロゥ&ウィアの曲。1995年06月30日まで計272回演奏。演奏回数順では49位。〈Let It Grow〉よりも3回少なく、〈Little Red Rooster〉と同数で、〈Althea〉より1回多い。大休止後にデビューした曲としては最も演奏回数が多い。スタジオ盤は《Shakedown Street》収録。
 なかなかシュールな歌詞の面白い歌だが、タイトルそのままのコーラスは、やはり「奇跡」が起きるデッドのショウを歌ったものととられたのか、人気が高い。このコーラスをウィアは聴衆に歌わせることが多い。


5. 1980 The Spectrum, Philadelphia, PA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。10.50ドル。開演7時。
 第二部オープナー〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉が2011年の、5・6曲目〈Estimated Prophet> Eyes Of The World〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 後者、まことに見事な演奏。この年はまさに絶好調。とりわけ、〈Eyes Of The World〉は極上のジャズ。センスの良いソロが続く。ミドランドも電子ピアノでさりげなくソロをとる。クール。
 リリースされたファイルはどうやら左右逆相になっている。ヘッドフォンで聴く場合、左右逆にすると正常な音になる。

6. 1981 Compton Terrace Amphitheatre, Tempe, AZ
 日曜日。10.50ドル。開演7時半。10.50ドル。開演7時。

7. 1983 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts. Eugene, OR
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。13.50、15.50ドル。開演8時。

8. 1985 Southern Star Amphitheater, Houston, TX
 金曜日。10ドル。開演9時。短かいショウだが中身は濃いようだ。第一部の〈Bird Song〉、第二部オープナーの〈Scarlet Begonias> Touch of Grey〉のメドレーがハイライト。(ゆ)

08月29日・月
 Victoria Goddard から新作のお知らせ。"Those Who Hold The Fire"。1万1千語のノヴェレット。



 "Lays of the Hearth-Fire" のシリーズに属する。"The Hands Of The Emperor" から始まるシリーズ、ということは今のところ、彼女のメインのシリーズになる。11月に "The Hands Of The Emperor" の直接の続篇 "At The Feet Of The Sun" が予定されている。

 いやあ、どんどん書くなあ。ついていくのが大変。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月29日には1969年から1982年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。このヴェニューは Playland と呼ばれた古い遊園地にあった、と Paul Scotton が DeadBase XI で書いている。単身2.50ドル、ペア4ドル。開演8時半。フェニックス、コマンダー・コディ、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。この日と翌日はグレイトフル・デッドのフル・メンバーで登場。
 2曲目〈Easy Wind〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 良い演奏。ガルシアのギターはブルーズ・ギターではない。ずっとジャズに近い。ピグペンは歌わないときはオルガンでガルシアのギターにからめ、かなりよい演奏をしている。

2. 1970 Thee Club, Los Angeles, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

3. 1980 The Spectrum, Philadelphia, PA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。10.50ドル。開演7時。
 これも良いショウのようだ。この年は調子が良い。

4. 1982 Seattle Center Coliseum, Seattle, WA
 日曜日。10.50ドル。開演7時半。
 第一部クローザー〈Let It Grow〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 抜群のヴァージョン。ややアップテンポで緊迫感みなぎり、ガルシアが翔んでゆくのにバンドも悠々とついてゆく。間奏と最後の歌の後のジャムがいい。

5. 1983 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts. Eugene, OR
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。15ドル。開演8時。
 良いショウのようだ。(ゆ)

 西欧近代科学はこの宇宙の年齡を約143億年とつきとめた。人類の年齡はせいぜい100万年前。自分たちが住んでいる世界を把握・理解しよう、あるいはできるようになってからとすると、10万年ぐらいか。つまり、宇宙は人類とは無関係に存在している。人類が認識しようがしまいが、宇宙は存在していたし、いるし、これからもいくだろう。もっともそのことを科学がそれこそ認識しはじめたのは、せいぜいがここ200年ぐらいだ。

 一方で、その10倍、2,000年ほど前に、宇宙は人間の認識によって存在すると捉え、まったく独力で、というのは専用の器具など使わずに、観察と論理だけで、認識によって捉えた宇宙の全体を構築した人たちがいた。ゴータマ・ブッダの仏教から出てきた「説一切有部」というグループの人びとだ。現在のカシミール、ガンダーラのあたりにいたらしい。この人びとが作った一連の書物が「アビダルマ」と呼ばれるものの半分をなす。個々のケースに即して教えたために、実際的断片的だったゴータマ・ブッダの教えを、普遍的に体系化する必要が出てきて、それを試みた書物群だ。その代表作に『アビダルマコーシャ』がある。漢訳タイトルの『具舎論』の名の方がわが国では通りがいい。世親=ヴァスバンドゥが書いたとされる。内容は「説一切有部」の主流にしたがう、仏教の目標である解脱=涅槃=悟りにいたるマニュアルである、と佐々木閑はいう。
 エヴェレストに登るためのマニュアルのようなものだというのだ。そこに書かれていることは、まず第一にエヴェレストとその周辺のヒマラヤ地域についての地理、気象をはじめとする状況だ。その後に必要な装備、事前の訓練をはじめとする準備、そして実際の登山のやり方、となる。
 『具舎論』も同様に、「悟りの山」登頂を目指す者のために、まず悟る場の状況が説明され、悟るために必要な装備、訓練のやり方が説明され、それからいくつものレベルを登ってゆく過程が述べられる。この通りにやっていけば、誰でも悟れる、というわけだ。
 ところで悟るのはこの世でなされる。死ぬ時とか死んだ後での話ではない。仏教はもともと生きながらにして悟ることが目標で、ゴータマ・ブッダはそれを成しとげた。そして、自分がなしとげた悟りにいたるやり方を、やはり生きているうちに悟りたいと願う人びとに教えた。悟るすなわち涅槃に入るのは死んだ時としたのは後に出てきて中国、朝鮮、日本に伝わるいわゆる大乗仏教だ。
 世親は大乗の完成者の一人とされるが、『具舎論』ではそういう自分の考えは一応抑えて、それ以前の説一切有部の理論を説いている。だから、悟るのはこの世での話で、となると悟る場の状況というのはつまりこの世の全体、全宇宙がどうなっているか、ということになる。その説明だけで『具舎論』の半分を占める。

 『仏教は宇宙をどう見たか』はこの『具舎論』前半部分の記述を、仏教の宇宙のとらえ方に無知な人間に解説したエントリー本、入門書ということになる。使われている譬喩や説明の仕方、たとえば仏教用語をより現代的な表現で置き換える手法によって、アビダルマ仏教の宇宙の全体像をとても愉しく学ぶことができる。

 二千年前のインドでは宇宙が人類より古いとか、人間とは無関係に存在しているなどとはわからない。説一切有部の人びとは人間が認識できる宇宙を全体と考え、その全体像を描いた。その際、ただ漠然と眺めたり、あることないこと考えたりしたわけではない。宇宙の全体像を描くのは、悟るためである。悟るための修行に必要なものとして描いた。悟るために修行を積んでゆくと見えてくる宇宙であり、悟りを目指すところから感じとれる宇宙だ。その点では、至極実際的でもある。修行してゆくと、どう見てもこういう風になっているとしか考えられないことがあったり、あるいは実際にそう感じとれる感覚があったりする。それを組み合わせ、足らないところ、隠れているところを推量し、論理の筋を通し、それをまた修行で確認し、という作業を重ねて構築したのが、アビダルマの宇宙だ。望遠鏡のような器具は使っていないかもしれないが、修行するココロとカラダは目一杯使っている。この宇宙は空想の産物ではなく、実際のデータの上に成り立っている。

 こうして現れるアビダルマの宇宙は、いやあ、面白い。どこが面白いか。どこもかしこも面白い。どう、面白いか。さあ、それが難しい。とにかく、ほとんど一気読みしてしまった。

 この世のものはほとんどが虚構ではある。仏教用語では「仮設」と書いて「けせつ」と読ませるのがこの虚構の存在だ。「家」「自動車」「地球」「私」「自我」、みんな仮設だ。表面に見えている、感じられるのはほとんどすべて仮設、この世は虚構世界だ。しかし、その奥に世界を形成する基本的な実在要素がある。これが75ある。宇宙は75の基本要素がさまざまに組合されてできている。繰返すが、「私」「自我」無意識も含めた我はその75の中には無い。「私」は虚構なのだ。これが面白いことの第一点。

 面白いと思ったことの第二点は、この世界は瞬間瞬間に生成し、また消滅している、ということ。「刹那」はもともと仏教用語で、百分の1秒に相当するそうだが、とにかく人間の感覚では捉えられないその刹那の間に、全宇宙が生まれ、消滅している。それを繰り返している。

 これを説明する映写機の譬喩は秀逸だ。映画のフィルムのひとコマずつはそれぞれ違う、まったく別のものだ。コマとコマの間の変化はごく小さいが、まったく同じではなく、まあ、時にはまったく同じこともあるだろうが、まずたいていは違っている。これが1秒に24コマ送られることで、コマの静止画が動画として見える。1コマは百分の4秒になる。全宇宙が巨大な映写機で映写される3D映画なわけだ。

 普通の映写機と違うところがサイズは別としてもう一つある。映写機で映写されるフィルムは下に出てゆくのは1本のフィルムだが、上から入ってくるのは1本のフィルムではない。今映っている瞬間は現在だ。下に出ていったコマは過去である。上は未来になる。未来はあらかじめ決まっているわけではない。映写機の譬喩を使うなら、上には巨大な袋があって、その中ではばらばらなコマが舞っている。現在になる可能性のあるすべての未来がコマとして舞っている。中には絶対に現在にはならないと定まったコマもある。そのうち、現在になる可能性の最も大きなコマが袋の出口に近付いて、映写機のランプに照らされる1刹那前の位置、「正生位」にはまる。次の刹那に下に送られて現在となり、その時には次のコマが正生位にハマっていて、次の刹那には現在だった刹那は過去となり、正生位にハマっていたコマが降りて現在となる。

 このどこが面白いかというと、まず未来も実在していること。現在がどうなるかは1刹那前に決まっていること。そして時間が実在しないこと。コマ、というのは75の実在要素すなわち「法=ダルマ」のうち、何らかの作用をする72の要素から成る全宇宙の姿だが、このコマの未来から正生位、現在、過去への移動を時間の経過と感じているだけなのだ。

 いったいどういう修行をすれば、こういう構造が見えてくるのか、想像もつかないが、しかし、これは無から思いついたことではない、というところがまた面白い。ある時、修行の中で実際にそう見えた人が複数いたのだ。

 面白いことをもう一つ。さっきココロとカラダと書いたが、アビダルマの宇宙ではあたしらが今捉えているような精神と肉体の分け方はしない。だいたい、どちらも実在の要素=法ではないから、もしあるとしても虚構だ。ではどう見るかというと、認識を中心に捉える。眼、耳、鼻、舌、身=皮膚の五つの受容器官と、意と呼ばれる五感以外の受容器官の六つの器官によって捕捉されたものをそれぞれに景色、音、匂い、味、接触・痒み・痛み・温度、記憶・思考として認識する作用が起こるのが「心=しん」であり、この認識に対する反応が起きるのが「心所=しんじょ」になる。このふたつは人間というまとまりの内部のどこかにある。どことは言えない。

 ここでまた面白いのは、認識にはいわゆる外界からの刺激によるものだけでなく、我々が体内感覚と考えているものも含まれる。筋肉痛とか空腹感とか膀胱が一杯だとかいう認識、さらにはそうした認識に対する反応も、眼に映るものや匂いなどとまったく同列に扱われる。

 ここは案外わかりにくいところだ。巻末の附論「仏教における精神と物質をめぐる誤解」にあるように、仏教学者として相当な業績をあげている人でさえ、うっかりすると西欧的な肉体・精神の捉え方に引きずられる。肉体・精神の捉え方はそれだけ吸引力が強いとも言えるけれど、その二分法はアビダルマ宇宙には存在しない。この宇宙は修行者が捉え、修行者のために説かれている。修行者は自己の身体的認識器官を制御し、それによって心・心所の状態を変移させ、煩悩と呼ばれる一群の作用を止めていって、最終的に煩悩がまったく起こらない状態にもってゆく。その状態が涅槃、悟りの山の頂上だ。ここにあるのは人間というひとまとまりの仮設だけで、肉体という「物質」とそれに宿る精神というようなものはどこにも無い。これもまた面白い。

 他にも世親が自分のアイデアとして述べている「相続転変差別=そうぞくてんぺんしゃべつ」がカオス理論そのままだとか、仏教にとっての善悪は我々の倫理上のものとは違い、悟るのに役立つ、悟りに近づくことを助けるものが善であり、悟りの邪魔をするものが悪になる、とか、面白い話が続出する。後者は、ここで使われている例を引用すれば、坂道で重い荷車を押している老人を助けることは「業」を生み、悟ることのハードルを上げるから善ではない、というのだ。

 仏教が葬式や仏事のためののほほんとしたものではなくて、切実な必要に応じようとするところに生まれ、精緻でラディカルな思想を生んできたことを知ったのは今年最もスリリングな収獲で、この本はその収獲をさらに豊かにしてくれた。この本にはその前身である『犀の角たち』があり、現在は『科学するブッダ:犀の角たち』として文庫にもなっている。これまた面白そうだ。本書も文庫だし、今回は図書館から借りたが、この内容なら買った方がいいとも思う。繰り返し参照したくなるはずだ。

 それにしてもこのアビダルマ宇宙は、サイエンス・フィクション、ファンタジィの世界設定としても、ちょっとこれ以上のものはないんじゃないか。これは世親が一人で作ったものではなくて、説一切有部の学僧たちが、それも数百年にもなろうかという時間をかけて構築したものだ。いかに知的巨人でも、単独でこんなに完璧なものはできない。もちろん、仏教修行者にとってはリアルな現実そのものなわけだけれど、悟るのは到底ムリなあたしなどからすると、そういう「使い方」が湧いてきてしまう。誰か、これを使って書かないかなあ。

 例えばコスモス映写機の未来の袋の中から望ましい未来のコマを引っぱってくる装置ないし方法を発明するとか、そういう能力を修行によって身につけるとか。「望ましい未来を引き寄せる能力」というのは、ビショップの『時の他に敵なし』の目立たない方のアイデアで、実はこちらが小説の本来の目的ではないかと思えるものだけれど、ビショップがこの映写機のアイデアを読んだわけではないだろう。このアイデアはわが国仏教学の先達の一人、木村泰賢 (1881-1930) が提示したものだから。ビショップは独自に思いついたか、あるいは似たようなアイデアをどこかで見たか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月28日には1966年から1988年まで8本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 I.D.B.S. Hall, Pescadero, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。
 自転車レースと「フォーク・ロック・ダンス」の2日間のイベントの2日目。

2. 1967 Lindley Meadows, Golden Gate Park, San Francisco, CA
 月曜日。ヘルス・エンジェルスのメンバー Chocolate George 追悼パーティーに出演。ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー共演。開演1時。セット・リスト不明。
 手書きらしいポスターの裏には "Chocolate George Will Be Forever..." と書かれている。デッドがここで演奏したことで、確かにその名は長く記憶に留められることになった。

3. 1968 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 水曜日。
 ほとんど《Live Dead》そのもののセット・リスト。

4. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。この日は Mickey Hart & the Hartbeats 名義らしい。ウィアとピグペン抜きで、ハワード・ウェールズが鍵盤で入っている。
 1時間半弱のテープがある。
 DeadBase XI の Paul Scotton のレポートによれば、ここは狭いホールの両端に高さ50センチほどのステージがあり、片方でバンドが演奏している間、もう片方でセッティングされていた。バンドの演奏が終ると、聴衆は回れ右をして次のバンドを聴く形。
 出演はフェニックス、コマンダー・コディ、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、デッドの順。演奏していないバンドのメンバーが聴衆に混じって聴いていた。スコットンはそれと知らずに、たぶんコマンダー・コディの演奏中、レシュとおしゃべりしていた。デッドを見るのは初めてで、デッドが出てもそれとはわからなかった。

5. 1970 Thee Club, Los Angeles, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。セット・リスト不明。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。

6. 1981 Long Beach Arena, Long Beach, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 第二部5曲目、drums 前で〈Never Trust A Woman〉がデビュー。ミドランドの作詞作曲。1990年07月23日まで計39回演奏。"Good Times" または "Good Times Blues" と呼ばれることもある。
 全体にすばらしいが、とりわけ第二部が「モンスター」だそうだ。

7. 1982 Oregon Country Fairgrounds, Veneta, OR
 土曜日。1972年08月27日のショウの10周年記念 "The Field Trip" というイベント。ロバート・クレイ・バンド、The Flying Karamazov Brothers、Strangers With Candy 共演。開場午前8時。開演午前10時。終演夕暮。
 前の晩と翌日は雨が降ったが、この日だけは晴れて暖かかった。
 第二部オープナーで〈Keep Your Day Job〉、3曲目で〈West L. A. Fadeaway〉がデビュー。
 〈Keep Your Day Job〉はハンター&ガルシアの曲。1986年04月04日まで57回演奏。スタジオ盤収録無し。この曲はデッドヘッド、とりわけトラベルヘッドたちのライフスタイルを真向から批判するものととられて、猛烈な反発をくらい、レパートリィからはずされた。それでも4年間演奏しつづけているのは、さすがと言うべきか。
 アプローチとしては〈Estimated Prophet〉と共通なのだが、こちらはあからさまに、いい加減定職についたらどうだ、と聞えることは確か。もっともトラベルヘッドの一部の生き方に目に余るものがあったことも同じくらい確かだろう。デッドヘッドとて人間の集団、中にはひどい人間もいたはずだ。

 〈West L. A. Fadeaway〉もハンター&ガルシアの曲。1995年06月30日まで、計140回演奏。スタジオ盤は《In The Dark》収録。ボブ・ディランがコンサートでカヴァーしたことがあるそうだ。ディランも1枚ぐらい、デッドのカヴァー集を出してもいいんじゃないか。

 The Flying Karamazov Brothers は1973年結成のジャグリングとお笑いのグループ。

 Strangers With Candy はテレビのお笑い番組で、ポスターには名前があるが、どういう形で出たのかは不明。


8. 1988 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。開演正午。ロバート・クレイ・バンドとジミー・クリフ前座。2番目に出たジミー・クリフは8歳くらいの息子を連れてきて、1曲共演した。どのセットも非常に良かったそうだ。(ゆ)

08月27日・土
 Raal CA-1a は聴いてみたい。

 初代は頭の両側に垂らす形で、試す気にもなれなかったが、こちらは普通のヘッドフォンの形。装着感は初代より遙かに良さそうだ。問題は国内販売されるのか。初代よりも1,000ドル安いが、円安のせいでほとんど帳消しになる。まともに行けば、国内価格は初代より高くなってもおかしくない。となると、ただでさえやる気の無さそうな代理店は諦めてしまいそうだ。国内販売がされないと試聴ができないのが困る。同じ代理店がやっていた Dan Clark Audio はフジヤエービックが引き継いだが、こちらはどうだろう。HEDDphone もそうだが、こういう斬新で風変わりな方式のヘッドフォンはどうしても価格が高くなることもあって、なかなか売れない。今、ヘッドフォンは、無線かゲーミング・ヘッドセットしか売れんからねえ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月27日には1966年から1993年まで6本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1966 I.D.B.S. Hall, Pescadero, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。「Tour Del Mar ツール・デル・マール 自転車レースとフォーク・ロック・フェスティヴァル」と題されたイベント。コンサートは正午から午後5時まで。夜は8時からダンスとなっている。
 クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、Collosal Pomegrante 共演。金曜日からの3日間のイベントだが、デッドは土日の2日間のみ出演。セット・リスト不明。
 ペスカデロはサンフランシスコから南に75キロ、太平洋岸沿いに南下して、少し東に山に入ったところ。
 Collosal Pomegrante は地元のローカル・バンドらしい。名前のスペルはポスターにある通り。

2. 1972 Oregon Country Fairgrounds, Veneta, OR
 日曜日。前売3ドル、当日3.50ドル。開演時刻が不明だが、昼間のショウ。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ただしガルシア抜き。
 ケン・キージィの親族の経営する酪農場の財政支援のためのベネフィット・コンサート。だが、実際には屋外で囲いがまともになかったため、チケットを持たないファンが多数入りこみ、収入は期待通りにならず、デッドは自分たちで補填した、と言われる。集まったのは3、4万とされている。まことに暑い日で、周囲に水飲み場が無く、水を節約してくれ、と繰返し呼びかけられている。給水トラックが時折り回った。あまりに暑いので、聴衆の大半がステージから見て両脇の木陰に移動した。映画では聴衆がまばらに見えるのはそのため。陽が傾むくと、ステージが正面から陽光を浴び、頻繁にチューニングが必要になった。2度目の休憩は陽光から逃げるためだったらしい。第三部は〈Dark Star〉から始めて、延々と終らなさそうだったが、ここには照明の設備が何もないので、日没とともに終演となった。
 NRPS のステージの最中、パラシュートで降りてきた男がいた。計画されたものではない。なぜ、かれがここに落下傘降下したかは不明。
 第三部、クローザー前の〈Casey Jones〉の最中、敷地の南端を通っている線路を列車が通ってゆき、汽笛を鳴らした。

 当初のスケジュールには無く、タイプされたリストに後から手書きで書きこまれている。

 全体が撮影および録音され、"Sunshine Daydream" という映画として公開される計画だったが、制作途中のものを見たバンドとその周辺はその出来に失望した。そのため、計画は変更されて、メリー・プランクスターズの「アシッド・テスト」の映像を加えた形に編集しなおされ、ベイエリア周辺で数回、試写も行われた。が、結局デッドは企画にゴーを出さなかった。したがって公式な形では公開されていないが、ビデオとしては出回っており、YouTube にも上がっていた。
 この映画の DVD と、ショウの完全録音を収めた CD のセットが《Sunshine Daydream》としてリリースされた。その前に第三部3曲目の〈Sing Me Back Home〉が《So Many Roads》でリリースされている。

 この映画はまことに面白いもので、演奏するミュージシャンだけでなく、聴衆の様子もかなり撮っている。何も無いところにステージを設営するところから始まり、PAの設置、バンドの到着、サウンドチェックなどなど、ショウの舞台裏も見られる。冒頭、ビル・グレアムと見えるが、DeadBase XI ではケン・バブズとされている人物がメンバーを紹介して、クルーのリーダー、ラムロッド・シャートリフも紹介するのは異例ではあるが、当を得たものでもある。後半が当時流行のサイケデリックなヴィジュアルになってしまうのが惜しいが、これもまた時代の記録ではある。

 演奏はすばらしい。ピークのこの年のピークのショウの1本。


3. 1980 Pine Knob Music Theatre, Clarkston, MI
 水曜日。
 この年も全体に調子が良いが、この日は即興よりもどんどん曲を演奏する感じだった。

4. 1981 Long Beach Arena, Long Beach, CA
 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。
 第一部9曲目〈Cumberland Blues〉がとにかく良いそうだ。

5. 1983 Seattle Center Coliseum, Seattle, WA
 土曜日。13ドル。開演7時半。
 第一部2曲目で〈Deep Elem Blues〉を珍しくもエレクトリックでやったのがすばらしかった。第二部も良かったが、ツアーが始まったばかりのせいか、まだギアが完全にはまっていなかったらしい。ガルシアは歌詞を忘れる。

6. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。21ドル。開演7時。
 なかなか良いショウのようだ。(ゆ)

08月26日・金
 陽が昇ると蝉たちがラストスパートとばかりに鳴きかわす。陽が落ちると秋の虫たち、蟋蟀、鈴虫、草雲雀たちがわたしらの番だと鳴きたてる。1年で一番にぎやかな季節。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月26日には1967年から1993年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1967 Kings Beach Bowl, North Shore, Lake Tahoe, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。共演 The Creators。

2. 1971 Gaelic Park, New York, NY
 木曜日。4ドル。開演7時。夏のツアーの打ち上げ。10月19日まで休み。デッドが当初の5人、ガルシア、レシュ、ウィア、クロイツマン、ピグペンでステージに立った最後のショウ。次の10月19日のショウではピグペンが離脱してキース・ガチョーが参加する。
 会場はブロンクス、マンハタンの北、ハドソン川からハーレム川が別れるあたりの北にある多目的スポーツ施設。フィールドとダンス・ホール、一時はパブもあった。1926年に Gaelic Athletic Associaton of the Greater New York が購入し、ハーリングやゲーリック・フットボールなどゲーリック・スポーツに使われた。GAA は10年後に破産するが、ニューヨーク市やアイルランド系市民がゲーリック・スポーツの場を守った。1991年にマンハタン・カレッジが購入してからは大学のスポーツ・イベントにも使われる一方、ゲーリック・スポーツの伝統も継承している。ダンス・ホールではアイリッシュ・ミュージックのコンサートが定期的に行われている。
 デッドはこの時1回だけ演奏し、15,000人を集めた。演奏が終ったのは1130過ぎ。ショウはかなり良いもの。
 翌年夏、オールマン・ブラザーズ・バンドがここでやった時には、ガルシア、ウィア、レシュがステージに上がってジャムに加わった。ジェファーソン・エアプレインもここでやったことがあり、その時には Sunshine と呼ばれる若い女性が上半身裸で踊った。

3. 1980 Cleveland Public Auditorium, Cleveland, OH
 火曜日。
 オープナー〈Sugaree〉が2013年の、クローザー〈Comes A Time> Lost Sailor> Saint Of Circumstance> Casey Jones〉が2019年の、《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 すばらしい演奏で、ぜひ全体を出してほしい。録音も良い。ガルシアもウィアもヴォーカルの調子がよい。ガルシアは自然に声が出ていて、発音も明瞭。〈Lost Sailor〉はテンポを落として、ウィアはじっくり歌う。クローザーに向けてのこの並びも珍しく、面白い。〈Casey Jones〉は後半の緊迫感がたまらない。

0. 1981年のこの日《Dead Set》がリリースされた。7枚目のライヴ・アルバム。
 1980年10月03日から31日までの、サンフランシスコ、ウォーフィールド・シアターとニューヨークのラジオシティ・ミュージック・ホールでのショウから17曲を選び、LP2枚組に収める。04月01日エイプリル・フールにリリースされた《Reckoning》と対をなす。どちらも同じ、ウォーフィールドとラジオシティのショウからの選曲で、《Reckoning》はアコースティック・セットから、こちらはエレクトリック・セットからのセレクション。
 2004年ボックス・セット《Beyond Description》収録にあたって、10曲がボーナス・ディスクで加えられた。こちらは10月07日から10月26日までのショウからの抜粋。

 アルバムの出来としては明らかに《Reckoning》に軍配が上がるのだが、それはここに長いジャムの曲が無いことが大きいだろう。《Steal Your Face》と同じ欠陥だ。たとえば日付順に個々のトラックを聴いてゆくと、むしろそれぞれの出来は極上と言っていい。しかし、この短かいトラックばかりでデッドのショウを聴いた気分になってくれ、というのは無理である。2枚組にするのなら、少なくとも最後の面、できれば2枚目は全部で4曲ぐらいの長いジャムか、長く続くメドレーを収めてほしかった。それはわかっていたのだろう。拡大版 CD に追加で収められたトラックには10分超のものもある。
 この一連のレジデンス公演の全貌が公式にリリースされるのは50周年になるのだろうか。2030年になる。8年後のその時、世界はあるのか。あたしは生きているのか。アコースティック・セットはすでにいくつか完全版が出ているのだから、エレクトリック・セットも《Dave's Picks》などで出してもらいたい。

 拡大版 (Ex) も含めた日毎の収録曲は以下の通り。
1980-10-03, Warfield
          Brokedown Palace
1980-10-04, Warfield
          Deal
          Feel Like A Stranger
          Not Fade Away (Ex)
1980-10-07, Warfield
          Shakedown Street (Ex)
1980-10-09, Warfield
          Greatest Story Ever Told
1980-10-10, Warfield
          Row Jimmy (Ex)
          New Minglewood Blues
          Jack Straw (Ex)
          Samson And Delilah
1980-10-11, Warfield
          Loser
          Passenger
1980-10-13, Warfield
          C. C. Rider (Ex)
          Lazy Lightnin' (Ex)
          Supplication (Ex)
1980-10-25, Radio City
          Franklin's Tower
          High Time (Ex)
1980-10-26, Radio City
          Let It Grow (Ex)
          Sugaree (Ex)
1980-10-27, Radio City
          Friend Of The Devil
1980-10-29, Radio City
          Candyman
          Little Red Rooster
1980-10-31, Radio City
          Fire On The Mountain- 
          Rhythm Devils
          Space
          Sugaree


4. 1983 Memorial Coliseum, Portland, OR
 金曜日。開演8時。
 第二部8曲目で〈Wang Dang Doodle〉がデビュー。ウィリー・ディクソンの作詞作曲。1995年07月08日まで計95回演奏。"Wang Dang" は踊り、ダンス・パーティーをさし、タイトルは「愉しい時間」「愉しく過ごす」意味、とディクソンは自伝の中で書いているそうだ。
 クローザー〈Sugar Magnolia〉の後半のジャムが凄いという。

5. 1988 Tacoma Dome, Tacoma , WA
 金曜日。開演8時。サンタナ前座。
 07月31日以来のショウ。この年はこの3週間強が夏休み。
 音響のひどいことではデッドが演奏したヴェニューでも1、2を争うところだそうだ。それにしては良いショウ。

6. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。21ドル、開演7時。(ゆ)

08月25日・木
 午後、公民館に往復。本5冊返却、9冊受取り。もどって確認し、読む順番を決める。まず、厚木以外の図書館から借りているもの。これらは2週間で返さねばならないので最優先。仏教関係3冊。
 
荒木見悟 (1917-), 新版 仏教と儒教; 研文出版, 1993-11, 横浜市立図書館
佐々木閑 (1956-), 出家とはなにか; 大蔵出版, 1999-09, 海老名市立図書館
小川隆 (1961-), 語録の思想史:中国禅の研究; 岩波書店, 2011-02, 横浜市立図書館

 荒木本は中国の仏教と儒教が中国思想史でどう絡むかを探っている。中国の仏教に関して無知なので、たぶん歯が立たない。まずは小川本からいくか。佐々木閑は同世代だから、次にこれ。荒木本は余裕があれば全部。とりあえず序論だけは読んでおく。

 あとは厚木の本なので、のんびりいこう。

 と思いつつ、ふと佐々木閑『仏教は宇宙をどう見たか:アビダルマ仏教の科学的世界観』をぱらぱらやると、これが面白い。例によってまえがき、あとがき、そして冒頭の章に目を通す。あとがきの一節
 
--引用開始--
 アビダルマ哲学を学んだからといって、それが直接現代科学に役立つわけではないし、そこからなんらかの人生訓を会得できるわけでもない。しかし大切なのは、「みかけの日常世界の背後には、見えない構造が存在しており、それを解明した時、我々自身の世界観・価値観は転換する」という実感を得ることができるという点である。
--引用終了--
240pp.

 おおお、ならば、まずこれを読まねばならない。師茂樹『「大乗五蘊論」を読む』で出てきた概念が出てくる。あれも世親の著作。『具舎論』も世親。もっとも、『具舎論』はそれまでに積み上げられてきて、仏教の一般的に承認されていた世界像を書いている。世親個人の考えとは異なるところが多々ある。『大乗五蘊論』の方が世親の本心に近そうだが、そのベースとなっている世界観は共通だろう。

 この本にはそのきっかけとなった先行本、『科学するブッダ:犀の角たち』がある。これも厚木にあるな。

 あとがきを読んでも、佐々木氏は面白い。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月25日には1967年、72年、93年の3本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1967 Kings Beach Bowl, North Shore, Lake Tahoe, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。セット・リスト不明。
 "Kings Beach Bowl Summer Series" と銘打たれた一連のコンサートの最後。カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、The Creators New Sounds、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、そしてデッド。

 The Creators New Sounds は不明。The Creators または New Sounds という名前のバンドはあるが、この時期ではない。


2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 金曜日。このヴェニュー4本連続のランの楽日。
 全体が《Dave's Picks, Vol. 24》でリリースされた。
 この年は春のヨーロッパ・ツアーと秋のツアーに大きく別れる。その秋のツアーの事実上のスタートがここでの4連荘で、ここから11月26日のテキサス州サンアントニオまでノンストップ。それをしながら《Europe '72》を出し、翌年秋のグレイトフル・デッド・レコーズ発足の準備をする。

 このツアーはピグペンが完全に離れた最初のものでもある。ピグペンの持ち歌のうちの「大曲」が一度消えるかわりに、〈The Other One〉〈Dark Star〉それに、〈Playing In The Band〉が大きく成長し、〈Bird Song〉がその後を追うように大きくなっている。ここでは〈Dark Star〉以外の3曲が揃う。〈Playing In The Band〉15分、〈Bird Song〉10分、そして〈The Other One〉は30分近い。


3. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。24.50ドル。開演7時。
 第一部の〈Friends of the Devil〉〈So Many Roads〉〈The Promised Land〉、第二部オープナーの〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉〈Attics of My Life〉など、ハイライトの多い良いショウだそうだ。(ゆ)

08月24日・水
 Dead.net から1972年05月のロンドン4日間の96/24のファイルのダウンロード・リンクが来る。先日リンクが来たロスレスはやはり間違いだったわけだ。今度は速度が速く、ファイル・サイズは4倍なのに、20分かからない。zip ファイルを解凍して確認すると、確かにハイレゾ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月24日には1968年から1985年まで6本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

1. 1968 Shrine Auditorium, Los Angeles, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 2時間弱の一本勝負。全体が《Two From The Vault》でリリースされた。
 アンコールの〈Morning Dew〉がいきなり終るのは、ここで警察が事実上「プラグを抜いた」ため、と Peter Lavezzoli が DeadBase XI で言う。

2. 1969 Paradise Valley Resort, Squamish, BC, Canada
 日曜日。Vancouver Pop Festival。フェスティヴァルは3日間で、デッドはこの日のみ。セット・リスト不明。
 デッドの他にポスターから読みとれるアクトは、シカゴ、リトル・リチャード、ソニー・テリー&ブラウニー・マッギー、ラヴ、アリス・クーパー、ポコ、キャンド・ヒート、ゲス・フー、タジ・マハル、グラス・ルーツ、マザーロード、ラスカルズなど。

3. 1971 Auditorium Theatre, Chicago, IL
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。5.50ドル。開演7時半。
 オープナー〈Uncle John's Band〉を含んで第一部から8曲、第二部はオープナー〈St. Stephen〉から3曲とクローザー〈Good Lovin'〉に向けての4曲、計16曲1時間半が《Dick's Picks, Vol. 35》でリリースされた。デッドのアーカイヴにあるテープでは、再生可能なのはこれで全部。
 いわゆる「ハウスボート・テープ」の1本。1971年秋、ガルシアがキースに聴いて研究するように与えた箱いっぱいのテープがキースの両親のボートハウスに35年間放置されていた。2004年になって、キースと兄弟たちがホートハウスを整理していて箱を見つけ、ドナに送り、ドナがデヴィッド・レミューに渡した。35年、テープにとっては良い環境ではないところに放置されたものとしてほ、状態は驚くほど良かったらしい。
 第一部9曲目で〈Empty Pages〉がデビュー。ピグペンの作詞作曲。この日と2日後のニューヨークの2回のみ演奏された。スタジオ盤収録無し。

4. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 木曜日。このヴェニュー4本連続のランの3本目。
 この年らしい出来らしい。

5. 1980 Grand Center, Grand Rapids, MI
 日曜日。前売8.50ドル、当日9.50ドル。開演7時半。
 かっちりとした出来。

6. 1985 Boreal Ridge Ski Resort, Donner Summit, CA
 土曜日。15ドル。開演2時。07月14日以来の、夏休み明けのショウ。
 高度が高く、機材の調子がひどかったらしい。ロケーションはタホ湖の北東の山中。なぜか、レッドネックが大勢来て、酒を飲みすぎてはところかまわずゲロしていたことも、雰囲気とショウの印章を悪くしているらしい。音楽的にはそう悪くない出来だが、とにかく機材トラブルが続いて、第一部の終りでガルシアが、休憩してこの機材をなんとかしてから続きをやるよ」と宣言したくらいだった。(ゆ)

08月23日・火
 昨夜は眠いが寝つかれず。うつらうつらして0300、0400、0530、0830にトイレに起きる。やはり異物を入れたので、体が懸命に排出しようとしたのだろう。1030起床。起きたものの、半分ぼんやりしている。午後3時頃、すっきりしてくる。あるいは接種から24時間経ったからか。少し動いてみる。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月23日には1968年から1987年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Shrine Auditorium, LA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。1時間半弱の一本勝負。共演タジ・マハル他、とポスターにはある。初期のデッドはタジ・マハルとよく一緒になる。
 6曲目〈Alligator〉からクローザーの〈Caution (Do Not Stop On Tracks)> Feedback〉までが《Two From The Vault》でリリースされ、同じトラックが《The Golden Road》収録の《Anthem Of The SUn》のボーナス・トラックでもリリースされた。オープナーの〈That’s It for the Other One〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。時間にして半分強がリリースされたことになる。

2. 1969 Pelletier Farm, St. Helens, OR
 土曜日。"Bullfrog 2" という3日間にわたるフェスティヴァルの楽日で、デッドはヘッドライナー。この日のみの出演。タジ・マハル共演。フェスティヴァルに参加した他のミュージシャンはいずれも地元のローカル・アクトらしい。DeadBase XI によれば Mixed Blood, The Portland Zoo, Sabbatic Goat, River, Sand, Notary Sojac, Searchin Soul, The Weeds, New Colony, Chapter Five, The Trilogy, Bill Feldman, Donn Ross, Ron Bruce。
 2時間弱一本勝負のテープが残っている。選曲はこの年の典型的なもの。

3. 1971 Auditorium Theatre, Chicago, IL
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。
 第一部4曲目〈Sugaree〉、クローザー前の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉、第二部オープナー〈Truckin'〉から12曲目の〈Sugar Magnolia〉までの計12曲が《Road Trips, Vol. 1, No. 3》でリリースされた。この時期〈The Other One〉の中に〈Me and My Uncle〉をそっくり取り込むという試みをしていて、なかなか面白い。
 ヴェニューは1889年オープンの歌劇場で、音響は全米でも最高と言われる。DeadBase XI の Thomas Flannigan によれば、ジェファーソン・エアプレインのライヴ・アルバム《30 Seconds Over Winterland》は、ウィンターランドの聴衆のノイズが30秒間入って、その他はすべてここでの1972年のコンサートの録音だそうだ。
 1976年にここでデッドがやった時、デッドヘッドの一人が踊っていて古いカーテンに偶然火をつけてしまい、以来、デッドは出入り禁止になった。
 ショウはかなり良い。聴衆はシスコやニューヨークほど洗練されておらず、space では口笛やわめき声で文句たらたらだったが、最後にはもっとやれえと叫んでいた、と Paul Scotton が DeadBase XI で書いている。

4. 1980 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 土曜日。11.50ドル。開演7時。このヴェニューでの最初のショウ。ここではひどいショウはやらない。この時も見事な出来という。

5. 1987 Calavaras County Fairgrounds, Angel's Camp, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。サンタナ、デヴィッド・リンドレー&エル・レヨ・エックス前座。開演3時。
 第一部クローザー〈Iko Iko〉〈All Along The Watchtower〉にカルロス・サンタナ参加。
 サンタナよりもリンドレーとガルシアの共演があればなあ、と思う。
 ショウはすばらしいそうだ。(ゆ)

08月22日・月
 図書館上の寿荘で COVID-19のワクチン接種4回目。モデルナ。比較的混んでいて、15分前に入って、接種そのものは1402終了。1417まで休憩して出る。注射された左腕上腕の筋肉、力が入ると痛い。頭がぼんやり。ものごとを考えられず。早々に寝る。

 夜、寝る前に書庫の窓を閉めようとすると、草雲雀が鳴いている。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月22日には1968年から1993年まで4本のショウをしている。

 1947年のこの日、Donna Jean Godchaux 旧姓 Thatcher がアラバマ州フロレンスに生まれた。夫キースをジェリィ・ガルシアに引き合わせてバンドに入れた後、コーラスとして参加を要請され、1971年大晦日に初ステージ。1979年02月17日を最後に、キースとともに離脱。

 グレイトフル・デッドのメンバーの紅一点。デッドはジファーソン・エアプレインとは同僚だったし、ジャニス・ジョプリンとも仲が良かったが、女性を積極的に登用しようとはしなかった。60年代のイメージとは裏腹に、デッドの現場はかなりマッチョで、ウーマン・リブの考えからは程遠かった。バンド・メンバーのパートナーたちも、裏で各々のメンバーを支える役割に徹している。もっとも、サン・ラファルのオフィスを預るスタッフも含めて、この女性たちはかなり優秀で、彼女たちのサポートが無ければ、デッドは早々に潰れていただろう。見方を変えれば、そうした優秀な女性たちを周囲に集めたという点では、デッドのメンバーにも甲斐性があったと言えよう。

 一方でガルシアは意志の強い女性に弱いところがある。ライヴ会場でドナがガルシアの袖をつかんで、夫のキースを売り込んだ、というより捩じ込んだという話は、相手がガルシア以外では成立しなかったろう。ピグペンに代わる鍵盤奏者を見つけるのが焦眉の急になっていたという事情はあったにしても、である。

 ドナのおかげで、デッドはキースとともにドナという女性シンガーを手に入れ、それによってピグペンのバンドから決定的に離陸する。ドナの声は70年代デッドを特徴づける。〈Playing in the Band〉や 〈The Wheel〉、あるいは〈Looks Like Rain〉、〈Danicn' in the Street〉などの曲はドナの声が入ることで形を整える。一方〈Cassidy〉〈The Music Never Stopped〉などはドナの声を前提に作られているように聞える。あるいは1976-10-09 オークランド(Dick's Picks, 33)での〈One More Saturday Night〉のように、後ろで流す彼女のスキャットがうたに新たな様相を加えることもあった。

 女声が入ることは、音楽をカラフルにする。音の性質が異なるし、発想も異なる。集団での演奏を旨とするデッドにあっては、他のメンバーとは違う角度からアプローチする。デッドを貫く「双極の原理」がここでも作用して、ドナの声とうたは、ジェリィ・ガルシア・バンドとは異なってバック・コーラスに留まらず、デッドの音楽をより複雑で豊饒なものにしている。ガルシアとウィアの声は必ずしも相性が良いとはいえないが、ドナの声がその間にはいって両者をつなぐ。それはまた他のメンバーへの刺激ともなった。ドナが参加していた間に1972年と1977年の2度、バンド史上のピークが生まれるのは偶然ではないだろう。そして全体としてみても、70年代はバンドが最も幸福な10年間だ。

 ドナの歌唱スタイルは1974〜76年の休止期を境に変わる。休止期前は役割を定めかねているところがある。専用のモニター・スピーカーが用意されず、自分の声が聞えないので、とにかく大きく張りあげたという事情もあるようだ。休止期以後、それまでレシュが担当していた高域のハーモニーを肩代わりする。それによって力を抜くことを覚え、上記のスキャットのように、音楽の流れに見事に溶けこみ、ふくらませるようになる。参加する曲も大幅に増え、参加の仕方もより重要になる。また、ハーモニーは必ずしも上ではなく、ウィアが上でドナが下になることもある。1970年代後半のコーラスの美しさはデッドのキャリアの中でも輝いている。ドナを嫌うデッドヘッドは少なくないが、この時期には皆沈黙する。


1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。カレイドスコープ、アルバート・コリンズ共演。3ドル。
 第一部3曲、第二部6曲のセット・リストがあるが、テープによるものらしい。第一部はもう1曲やったという情報もある。
 選曲、演奏は1969年のパターンが始まっている。

2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 月曜日。このヴェニュー4本連続の2本目。4.50ドル。開演7時。
 これは DeadBase の編者の一人 Mike Dolgushkin の最初のショウで、そのレポートを書いている。これを見るまでに、ドルガシュキンはソロも含めてレコードは全部買い、テープも少し聴いていたから、何をやるかはだいたいわかっていた。それでも第一部後半の〈Playing In The Band〉と第二部の〈The Other One〉には有頂天になった。会場に入る前に比べて、一千倍も気分が良くなっていた。

3. 1987 Calavaras County Fairgrounds, Angel's Camp, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。サンタナ、デヴィッド・リンドレー&エル・レヨ・エックス前座。開演3時。
 第一部クローザー〈Good morning Little Scoolgirl〉〈In the Midnight Hour〉にサンタナが参加。
 ショウ自体はすばらしい。
 開演前、近くで第二次世界大戦中の双発機による模擬空中戦のショーがあり、ステージ裏に二人、パラシュート降下した。これに対する歓声を自分に対するものと勘違いしてガルシアは張り切った。
 場所はオークランドのほぼ真東200キロの山の中の町。ここで 'Mountain Aire' という名称で10年続いた一連のコンサートの最後。

4. 1993 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。インディゴ・ガールズ前座。26ドル。開演2時。
 90年代ベストの1本、と言われる。オープナーの〈Jack Straw〉でギターの調子がおかしく、ウィアはギターを振り回して八つ当たり?したらしい。(ゆ)

08月21日・日
 シュティフターがあまりに面白いので、買ってあるはずの本を探して、前に本を積んで普段アクセスできない奥になっている本棚を捜索。『晩夏』を除いて無事発見。ついでにいろいろ、探していた本が出てくる。ピーター・S・ビーグルの第2作品集 The Rhinoceros Who Quoted Nitzsche が見つかったのは嬉しい。よし、あらためて作品集を読むぞ。ストルガツキー兄弟の本も出てくる。読み返したかったデヴィッド・リンゼイの長篇第二作 The Haunted Woman も見つかる。これは『アークチュルスへの旅』とはうって変わって、ほとんど古典的な幽霊屋敷譚として始まりながら、どんどん逸脱していく傑作という記憶があるが、結末を忘れてしまっている。いやあ、読む本はほんとにキリがない。

 しかし『晩夏』はどこへ行った? こうなるとまた別の本棚を捜索せねばならぬ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月21日には1968年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。3ドル。カレイドスコープ、アルバート・コリンズ共演。
 すばらしいショウのようだ。

2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 月曜日。このヴェニュー4本連続の初日。
 ピークのこの年のベスト・ショウの呼び声が高い。
 〈Black-throated Winds〉の後でレシュが、ピグペンはヨーロッパでヘパティティスを貰ってきたので、半年間は野菜を食べる他は何もしてはいけないことになっている、と説明した。
 ここでの〈Dark Star〉は他に似たもののないユニークで無気味で不思議な演奏だと、ヘンリー・カイザーが DeadBase XI で書いている。これはおそらくかれのアルバム《Eternty Blue》のためのリサーチの一環だろう。このアルバムはデッドのカヴァー・アルバムでも出色の1枚。選曲も、参加ミュージシャンも面白い。〈Dark Star〉で〈A Love Supreme〉をはさむということをやっている。

3. 1980 Uptown Theatre, Chicago, IL
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。13.50ドル。開演7時半。
 第一部は古い曲中心。第二部はドラマーたちのソロで始まり、〈Uncle John's Band〉がほぼ第二部全体をはさむ。アンコールに〈Albama Getaway〉というのも珍しく、すばらしいショウだそうだ。

4. 1983 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演2時。
 オープナーが〈Cassidy〉は珍しい。ので、これも良いショウのようだ。

5. 1993 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。06月26日以来、ほぼ2ヶ月ぶりのショウ。26ドル。開演2時。
 インディゴ・ガールズ前座。第二部4曲目〈Truckin'〉から〈Good Morning Little Schoolgirl > Smokestack Lightnin'〉、drums> space 後の〈The Last Time〉まで、ヒューイ・ルイスがハーモニカで参加。
 ヴェニューも、ユージーンの街もデッドとデッドヘッドに良い環境を提供し、ショウはすばらしいものになった。
 母親に連れられてきていた幼ない女の子にもガルシアは好ましい印象を与えたらしい。(ゆ)

08月20日・土
 文庫棚の整理をしていて出てきた岩波文庫のシュティフター『森の小道・二人の姉妹』をふと読みだしたら止まらなくなって、「森の小道」を一気読みしてしまう。これはいいノヴェラだ。甘いといえば甘いのだが、どこにも無理がない。語りそのものも、語られている人間たちとそのふるまいも、まったく自然に流れる。現実はこんなもんじゃない、などというのは野暮に思えてくる。こういうことがあってもいいじゃないか。

森の小道・二人の姉妹 (岩波文庫)
シュティフター
岩波書店
2003-02-14



 シュティフターは昔出ていた作品集も有名な『晩夏』も買ってあるが、例によって積読で本棚の奥に埋もれている。これは掘り出さないわけにはいかない。

 なぜかドイツ語の小説が読みたくなる。それも長いやつ。ムージル、ブロッホ、ヤーン、マン兄弟、ヨーンゾン。それにジャン・パウル。『巨人』はどういうわけか地元の図書館にあって、読みかけたことがある。なるほどマーラーの曲はこの通りだと思えるほど、なかなか話が始まらないので、その時は落っこちたが、今なら読めそうだ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月20日には1966年から1987年まで7本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。共演ソプウィス・キャメル。

2. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。3ドル。共演カイレイドスコープ、アルバート・コリンズ。セット・リスト不明。
 ポスターによればコリンズは同じヴェニューの直前16〜18日の3日間、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、イッツ・ア・ビューティフル・デイのランにも出ている。

3. 1969 Aqua Theater, Seattle, WA
 水曜日。1時間半強、一本勝負のテープが残っている。アウズレィ・スタンリィのマスター・テープに "8/21/69" とあるために DeadBase 50 でも21日とされているが、ポスターでは20日になっている、として DeadLists では20日にしているので、それに従う。
 ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、Sanpaku 共演。
 7曲目〈New Minglewood Blues〉から次の〈China Cat Sunflower〉とそれに続くジャムにチャールズ・ロイドがフルートで参加。
 2曲目で〈Easy Wind〉がデビュー。ロバート・ハンターの作詞作曲。ピグペンの持ち歌で、1971年04月04日まで45回演奏。スタジオ盤は《Workingman's Dead》所収。ハンター自身のアルバムでは《Live '85》所収。途中でテンポが急激に変わるユニークな構造。
 Sanpaku の名前は日本語の「三白眼」の「三白」から来ていると思われるが、詳細不明。言葉そのものは1960年代半ばに英語に取り入れられているそうだ。

4. 1972 San Jose Civic Auditorium, San Jose, CA
 日曜日。
 ここも名演、力演、熱演を生むヴェニューで、このショウも見事だそうだ。

5. 1980 Uptown Theatre, Chicago, IL
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時半。

6. 1983 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。学生12.50、一般13.50ドル。開演2時。
 全体に熱いショウの由。デッドは大学で演るのが好きらしい。多目的ホールでも、ここやグリーク・シアターのような立派なところでも、選り好みはしない。

7. 1987 Park West Ski Area, Park City, UT
 木曜日。16.25ドル。
 ユタ州では1969年04月12日から1995年02月21日まで9本のショウをしていて、いずれも外れはないという。このショウも目を瞠る出来だそうだ。(ゆ)

08月19日・金
 Irish Times の Rhasidat Adeleke による女子400m のアイルランド記録更新のニュースの写真には驚いた。驚く方がおかしいのかもしれないが、遠くから見ていると前触れもなく現れて、驚いてしまう。



 トリコロールの国旗を背負うこの若い女性の姿に、アイルランドの今が凝縮している。

 アフリカ系日本人が、陸上の日本記録を破って日の丸を背負う日は来るだろうか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月19日には1966年から1989年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。セット・リスト不明。ソプウィス・キャメル前座。

2. 1967 American Legion Hall, South Shore, Lake Tahoe, CA
 土曜日。セット・リスト不明。
 この年の夏、まだ50年代の眠りをむさぼっていたこの地に、突如、サンフランシスコからのアクトが一握り、やってきて演奏した。デッドの他にバッファロー・スプリングフィールドと The Electric Prunes がいた、という証言がある。

 デッドがタホ湖で演るのはこれが最初で、1週間後に、今度は North Shore で2日演り、翌年の02月と07月にもノース・ショアで2日間ずつショウをしている。

 The Electric Prunes は1965年にロサンゼルスで結成された5人組で、サイケデリアと初期のロック、それに独自の「フリーフォーム・ガレージ・ミュージック」が混淆した音楽をやっていた。1966年にリプリーズと契約し、3枚のアルバムを出すが、セカンドとサードはデヴィッド・ハシンガーがプロデューサーとして実権を握り、大部分が他のミュージシャンによって演奏されているという。ハシンガーはデッドには愛想を尽かして、アルバム制作を途中で投げだしたが、こういうこともやっていたわけだ。The Electric Prunes は1968年に解散。


3. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。第一部アコースティック・デッド、第二部 NRPS、第三部エレクトリック・デッド。2時間半弱の全体のテープがある。
 興味深いのは第一部アコースティック・セットで40分で15曲やり、しかも〈Friend Of The Devil〉〈Candyman〉〈Truckin'〉〈Cumberland Blues〉〈New Speedway Boogie〉といった曲を含んでいる。こういう曲をアコースティックでやるのはこの時期だけだ。

4. 1980 Uptown Theatre, Chicago, IL
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。
 第二部オープナーで〈Little Red Rooster〉がデビュー。
 伝統曲をウィリー・ディクソンがアレンジしたものとされるブルーズ・ナンバー。1995年07月09日まで272回演奏。演奏回数順で50位。〈I Need a Miracle〉と同数で、〈Let It Grow〉より3回少なく、〈Althea〉より1回多い。この曲ではウィアやミドランドもソロをとる。この曲でのウィアのソロはスライド・ギターであることも多く、ギタリストとしての実力がよくわかる。

 この時期、1980年前後にデビューした曲で演奏回数が多いものはいずれもウィアの持ち歌。〈Saint of Circumstances〉222回、〈Feel Like a Stranger〉207回、〈Throwing Stones〉265回、〈Hell in a Bucket〉215回。この時期はウィアが積極的に曲を作り、カヴァー曲を導入している。ガルシアの持ち歌で長く演奏されたのは〈Althea〉271回ぐらいだ。


5. 1989 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演5時。このヴェニューで最後のショウ。レックス 財団ベネフィット。
 この週末の次の月曜日は新学期のスタートで、大学当局はその前日の日曜にショウがあることを嫌って、この時の公演をキャンセルしようとした。最後の瞬間に、金曜から日曜の3日間を1日前倒しして、木曜から土曜にすることで妥協が成立した。日曜日のチケットは木曜日に振り替えられた。3日間とも KPFA ラジオで生中継された。
 このヴェニュー最後を飾るにふさわしいすばらしいショウで、とりわけ第二部が凄く、前半の〈Playing In The Band〉、後半の〈The Other One〉が頂点。と Stu Nixon が DeadBase XI で書いている。あまりに嬉しくなり、その喜びは何日もの間収まらなかった。

 うーむ、歓びが翌日くらいまで持ちこすことはあるが、何日も収まらない、という経験はした覚えがない。(ゆ)

08月18日・木
 中国四川省は水力発電が盛んで、全土の2割以上、1億5千万キロワットを発電しているが、旱魃で水量が減り、発電量も減っている。今後さらに減ると予想されることから大幅な電力制限を実施。「2022年8月14日に緊急宣言を発し、2022年8月15日〜2022年8月20日まで、電力を使用するすべての産業に対して生産の完全停止を要求」と伝えられる。

 やり方が凄いが、それだけ危機感が大きいのだろう。

 気候変動はこういう形でも現れる。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月18日には1970年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。第一部アコースティック・デッド、第二部 NRPS、第三部エレクトリック・デッド。3時間半の完全またはそれに近いテープが残っているらしい。非常に良いショウのようだ。

 第一部5〜7曲目で〈Ripple〉〈Brokedown Palace〉〈Operator〉がデビュー。3曲とも《American Beauty》収録。

 〈Ripple〉はハンター&ガルシアの曲。1988年09月03日まで41回演奏。ほとんどがアコースティック・セットで演奏され、とりわけ1980年のウォーフィールドとラジオシティでのレジデンス公演で集中的に演奏された。1988年の最後の演奏の一つ前は1981年10月16日のオランダ。
 人気の高い曲で、実際佳曲と思うが、デッドでの演奏は必ずしも納得のゆくものではない。むしろ、ジェリィ・ガルシア・バンドでの演奏の方が良い。実際、JGB ではデッドでの演奏が事実上終った後の1982年04月10日から1992年05月09日まで、68回演奏している。ガルシアはこの曲についてはデッドよりも、JGB やジェリィ・ガルシア・アコースティック・バンドで演る方がうまくいくと判断したのだろう。

 〈Brokedown Palace〉もハンター&ガルシアの曲録。こちらは1995年06月25日まで、220回演奏。演奏回数順では75位。〈Franklin's Tower〉よりも1回少なく、〈Cold Rain And Snow〉よりも4回多い。1980年以降はたいていクローザーないしアンコールで演奏された。こういう歌をお涙頂戴にならないで演奏するのがデッドの真骨頂。
 タイトルは英語としては破格で、普通なら "Broken-down" となるはずだが、スタインベックの Cannery Row(缶詰横丁) に出てくる、ホームレスたちが居座った大きな倉庫か納屋の呼び名が原典。福武文庫版の邦訳では「ドヤ御殿」。

 〈Operator〉はピグペンの作詞作曲。この年の11月08日まで4回しか演奏されなかった。


2. 1987 Compton Terrace Amphitheatre, Tempe, AZ
 火曜日。16ドル。開演7時半。ガルシアの昏睡からの回復後、1990年春に向かって登ってゆくこの時期にまったくダメなショウはまず無い。

3. 1989 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時。レックス財団のベネフィット。
 ここでは悪いショウが無いらしい。第二部 space 後の〈Crazy Finger> I Need a Miracle> Stella Blue〉という並びはこの時だけで、そのことでさらにすばらしくなった。

4. 1991 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演5時。ブルース・ホーンスビィ参加。
 この3日間とその前の Cal Expo での3日間の6本で演奏した106曲はすべて違う。1曲も同じ曲を繰返していない。
 第一部5曲目〈Beat It on down the Line〉で、一度終りかけたところでホーンスビィがいかにもやめたくないという調子でまたやりだし、他のメンバーは顔も見合せてにやりとして後に続いた。(ゆ)

08月17日・水
 アイルランドのカトリック教会がローマ教皇庁に、女性、LGBT+、離婚・再婚者をはじめとする、従来、教会主流からは外されてきた人びとへの態度をよりインクルーシヴなものに変更し、僧侶への禁欲・独身の強制を廃止するよう求める文書を送った、というのはいささか衝撃的なニュース。それだけ危機感が強く、そこまで追いつめられてもいる、ということだろう。そういうことに積極的にならないと、社会から、とりわけ若い世代から時代遅れの遺物として見捨てられるという危機感だ。アイルランドの社会が短期間にいかにドラスティックに変化しているかを、裏面から浮彫りにしてもいる。

 来年秋に予定されている宗教会議への準備文書とのことだが、第二ヴァチカン会議に匹敵する、あるいはそれ以上の大改革がなされるかどうか。ヨーロッパの一部や北米のカトリックは賛同するかもしれないが、中南米も含めたラテン諸国やアフリカではどうだろうか。わが国のカトリック教会はどうか。

 アングリカン・チャーチでも、アメリカなどの教会が女性主教就任を求めたのに対して、国別信徒数では今や世界最大のナイジェリアの教会が反対し、分裂を恐れてカンタベリ大主教がアメリカの教会にそう急ぐなとなだめたという話もあった。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月17日には1970年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。第一部アコースティック・デッド、第二部 NRPS、第三部エレクトリック・デッド。残っているセット・リストはテープに基くもので不完全。また当のテープが本当にこのショウのものかにも疑問が持たれている。

 ただ、第一部で〈Truckin'〉がデビューしたことは確かなようだ。ロバート・ハンター作詞、曲はジェリィ・ガルシア、フィル・レシュ、ボブ・ウィアの共作。1995年07月06日まで、計527回演奏。演奏回数順では7位。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉のペアよりも4回少なく、〈Jack Straw〉よりも51回多い。ペアをそれぞれ1曲と数えれば8位。つまり500回以上演奏されたのは全部で7ないし8曲。スタジオ盤は《American Beauty》収録。

 全米を走りまわる長距離トラック・ドライバーに託して、ツアーに明け暮れするバンドの喜怒哀楽を歌う。バンドのメンバーは飛行機で移動することも多いが、楽器・機材はトラックで運ばれたから、トラッキングはバンドとクルーの実感でもあっただろう。

 ロード・ムービーの趣。ビートもフリーウェイを駆ける大型トラック、というよりも、むしろ鉄道のレールの音を連想する。その点では、デッドの祖先の一つであるホーボー、貨物列車で移動した放浪の詩人たちへのオマージュも見える。

 ひとしきり歌を歌った後、長い集団即興=ジャムになることが多い。この曲の場合、ガルシアが細かくシンプルなパッセージで階段を昇るように音階を上がってゆき、頂点に達したところで、フル・バンドで「ドーン」と沈みこむという型が組込まれるようになる。これが決まった時の快感はデッドを聴く醍醐味の一つ。また、この型がだんだんできてゆくのを聴くのも愉しい。

 ガルシアによれば、ハンターの書く詞は当初は歌として演奏することをあまり考えておらず、曲をつけるのも、演奏するのもやり難いことが多かった。バンドのツアーに同行するようになって、ハンターの詞が変わってきて、この曲は詞と曲がうまくはまった最初の例の一つ。


2. 1980 Kansas City Municipal Auditorium, Kansas City, MO
 日曜日。09月06日までの16本のツアーの2本目。
 締まったショウらしい。

3. 1989 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。ヴェニュー隣の駐車場にもスピーカーが置かれて、700人ぐらいがそこで音楽に合わせて踊った。
 この時期のショウに駄作無し。

4. 1991 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。20ドル。開演7時。ブルース・ホーンスビィ参加。
 90年代でも最高のショウの1本の由。(ゆ)

08月16日・火
 先月末に Dead.net で買ったグレイトフル・デッド、1972年05月のロンドン4日間のファイルがダウンロードできなかったもの、再取得のお知らせがようやく来る。早速ダウンロードを始める。1本で2、3時間かかる。ファイルはリマスターはしているが、ハイレゾではない。CD音質。この点は期待していたので、がっかり。まあ、nugs.net で買うよりは安い。

 

 これのアナログ・ボックス・セットはまだ迷っている。高いことは高い。が、500円玉貯金をはたけば、買えないことはない。イングランドでは現物549.98USD + 送料98USD=87,143JPY、輸入消費税+通関料で93.17GBP=15,163JPY。計102,306JPY。こちらで買うのと似たようなものだ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月16日には1969年から1991年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1969 Woodstock Music & Arts Fair, Max Yasgur's Farm, Bethel, NY
 土曜日。ウッドストック・フェスティヴァルの2日目。8ドル。開演午前10時。
 77分一本勝負のセット・リストが残っている。全体が先般出たフェスティヴァル全体の完全録音ボックス・セットでリリースされた。あたしは買わなかった。
 出来はひどいと言われる。デッドは映画にフーテージを使用する許可を出さなかった。一方、今聴けば立派だという声もある。演奏中、雨が降り、感電を恐れて、演奏が屢々中断したという悪条件もある。
 デッドはこういう多数参加のフェスティヴァル形式では良い演奏をするのが稀である。これに先立つモンタレーでも出来は良くないとされる。
 ひとつにはこの時もそうだが、演奏の環境がひどい。音響もひどく、機材トラブルが絶えなかった。加えてステージの作りも含まれる。この時もステージは巨大な帆船に似ていて、時折り強い風が吹くと全体が持ちあがるようだった。
 この時、楽屋にそっくり同じような楽器や機材のケースが並ぶのを見て、アウズレィ・スタンリィが区別のためにユニークなマークを付けることを思い立ち、稲妻を内包した髑髏のマークを考案する。

2. 1980 Mississippi River Festival, Edwardsville, IL
 土曜日。指定席9.50、芝生席7.00ドル。開演6時半。07月01日サンディエゴ以来のショウ。この年はこの7月一杯と8月前半が夏休みで、ここからまず09月06日まで中部・東部を回るツアーがスタート。その後半月空けてサンフランシスコ、ニューオーリンズ、ニューヨークのレジデンス公演。
 このフェスティヴァルはサザン・イリノイ大学エドワーズヴィル校で1969年からこの年まで開かれていたイベント。大学のサイトにアーカイブがある。
 第一部7曲目〈Looks Like Rain〉が始まった時には快晴だったが、終る頃には空が真黒になり、土砂降りの雨が降ってきた。が、バンドも聴衆も意気はまったく衰えなかった。もっとも、周囲には何度か落雷して、聴衆を驚かせた。
 第二部6曲目〈He's Gone〉はこの年07月23日に交通事故で死んだキース・ガチョー追悼。
 DeadBase XI で Tom Van Sant が、このショウの AUD=聴衆録音のすばらしさを書いている。とりわけ第二部オープナー〈C C Rider〉から〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉へのメドレーで、バンドの演奏に聴衆が反応し、それにまたバンドが反応する理想の形となって、場内全体が祝祭と化した。その様子が見事に捉えられている。
 全体としても、最高のショウの一つ。

3. 1981 McArthur Court, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。北西部3日間の楽日。8.5ドル。開演7時半。次は27日からロング・ビーチ、アリゾナ州テンペ、ラスヴェガスと回る。
 第二部 drums にケン・キージィとジョン・バブズとサンダー・マシーンが参加。
 その前の〈Eyes of the World〉後半のジャムにガルシア不在。
 ショウはすばらしい。

4. 1987 Town Park, Telluride, CO
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。20ドル。開演2時。オラトゥンジ&ドラムス・オヴ・パッション前座。KOTO で FM放送された。
 この時のドキュメンタリーが YouTube にある。2時間超。演奏そのものよりも、周辺の情景や聴衆の様子がメインで、会場とそれを囲む全体や演奏に反応している人びとの様子がわかるのは貴重だ。バックには2日間の演奏の録音、おそらくは SBD が、音量を絞って流れる。音質はよいとはいえないが、演奏の質の高さはよくわかる。



5. 1991 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時。ブルース・ホーンスビィ参加。
 第一部クローザー〈The Promised Land〉の前に〈Dark Star〉をやる。第二部オープナー〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉の間に〈Victim or The Crime〉をはさむ。デッドの実験精神、「やってみる」精神は健在だ。DeadBase XI の David I. Greenberg によれば、この3曲はすばらしいものだった。
 第二部 space 後の〈Playing In The Band〉は3本前、08月12日の Cal Expo 第二部3曲目の還り。
 このヴェニューはビル・グレアムが設計しただけあって、様々な工夫がされている。指定席は半円形にステージを囲み、床には傾斜がつけられていて、また列の間のスペースもあり、どこに座ってもゆったりとして視界が開ける。音も最後尾では若干劣るが悪くない。その外の芝生は傾斜は急で、ステージは遠く、バンド・メンバーは豆粒だが、中継タワーのおかげで音響は指定席よりむしろ良い。また、ステージの後のロビーはデッドのショウの時には販売する者に解放されるので、カーニヴァルの様相を呈する。ここにもスピーカーがあり、スペースもあるから、踊りに出てくる者も多い。指定券を持っていると、この3つの空間は自由に出入りできる。グリーンバーグは他ではあまりやらないが、この時は前から3列目の席をとっていたので、第一部5曲目〈Desolation Row〉の時にロビーに出た。とたんに〈Dark Star〉が始まったので、ちょっと後悔した。それで第二部は席にいた。(ゆ)

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