前回のヘッドフォン祭でプロトタイプが展示、試聴可能になっていた Hippo Biscuit の製品版は、使い勝手は最低なのですが、あまりの音の気持ち良さに、ほとんどメイン・プレーヤーになっています。

 20時間過ぎた頃から、こちらはヘッドフォン祭で好評だった GoVibe MiniBox をつないでみました。この MiniBox は新しい2012年ヴァージョンで、Ver. 1 の約半分の厚さ、縁は丸くなってます。ヘッドフォン・ジャックからつなぎ、音量調節はプレーヤー側でする形のシンプルな「筒」アンプです。Jaben のウィルスンおやじのつもりではほとんど Biscuit 専用に造ったらしい。MiniBox のパッケージには Biscuit とヘッドフォンの間に MiniBox を置いたイラストが描かれています。

 この組合せがすばらしい。Biscuit はもともと妙に音が良いんですが、MiniBox をかませるとちょっと信じられない世界です。Biscuit は現段階では MP3 と WAV しかサポートしていません。なので、もっぱら MP3 を聴いていますが、それがまるでハイレゾ・ファイルの音になります。ミュージシャンの息遣い、楽器のたてるノイズ、ホールやスタジオ内の残響、といった、ふつう圧縮音源では聞こえないとされる音も生々しい。一つひとつの音に実体があります。音が伸び伸びしてます。無理がない。フレーズに命が流れてます。そうすると音楽の活きが良くなります。とれたて、というか、みずみずしい、というか。音場は広すぎず狭すぎず。いやむしろ、録音そのまま、でしょう。広い録音は広く、狭い録音は狭く。

 テクニックでは並ぶ者もないが、さてそのテクニックで奏でられる音楽には全然感動しない、というミュージシャンは少なくありません。それと同じで、音の良さは天下一だが、それで聴く音楽はさっぱり面白くない、というハードウェアもあります。というより、オーディオの世界ではそういうケースの方が多いのではないか、とすら思えます。ハードウェアを造るのに夢中になって、肝心の音楽を聴くことが少なくなってるんじゃないでしょうか。たとえばたまにはこういうライヴを体験されてはいかがでしょう。こういう音楽をまっとうに再生できてこそ、ホンモノと言えるはず。

 対照的に、上手いんだか下手なんだかよくわからないが、独得の味があってついつい聴きこんでしまうアーティストがいます。外見などは地味だが、ツボにはまった音楽を「楽しく」聴かせることでは無類というハードウェアもあります。

 たとえば、かつて「BBC モニター」と呼ばれた一群の英国製小型スピーカー。スペックだけ見れば「ジャンク!」と言う人もいそうですが、音楽を楽しく聴ける点では、物量を惜し気なく注ぎこんだ大型スピーカーもかなわないものがありました。

 BBCモニターも、デジタル録音のヒップホップを再生すれば、たぶんひどくショボいものになるでしょう。同じ英国製でも、レディー・ガガはどうかなあ。

 しかし、たとえばビートルズやストーンズやキンクス、アコースティック・ジャズ、デッカのクラシック録音などには無類の強みがありました。とりわけ、英国の伝統音楽、あの頃のぼくらにとってはアイリッシュ・ミュージックもその一部だった、当時「ブリティッシュ・トラッド」と呼ばれていた音楽、フェアポート・コンヴェンションやスティーライ・スパンやニック・ジョーンズやアン・ブリッグスをクォードのアンプで鳴らすロジャースの 3/5A で聴くと、独得の「翳り」がひときわ艶を帯びて、たまりませんでした。

 BBC モニターの音楽再生に関する「思想」が時代を超えた価値をもつことは、最近になって、各モデルが相次いで復刻されていることからもわかります(ロジャースハーベススペンドール)。最新の技術を注ぎこんで現代の音源再生に合わせたものもあり、また当時の製品を忠実に再現したものもあります。かつてのオーディオ・ファンの端くれとしては、こういうもので、最新のハイレゾ音源を聴いてみたくもなりますね。

 Biscuit + MiniBox の組合せも万能ではない。不得手な音楽はたぶんたくさんあります。しかし、得意なものを与えられると、どんな「高性能」なハードウェアもかなわないリスニングを可能にします。何が得意かは、組み合わせるヘッドフォン/イヤフォンによっても、リスナーの嗜好によっても変わるでしょう。ちなみにぼくがつないでいるのは、Final Audio Design Piano Forte II、音茶楽 Flat4 粋、 Superlux HD668B、HiFiMAN HE300、Fischer Oldskool '70s です。Sennheiser の Momentum でこれを聴いてみたいんですけど、まだ販売開始されてないみたいですね。しかし、実は Final Audio Design Piano Forte X で聴きたいなあ。あのみごとな音の減衰が Biscuit + MiniBox でどう鳴るか。

 では音源はといえば、たとえば、オーストラリアのシンガー・ソング・ライター、Rachel Taylor-Beales。現在産休中で、公式サイトに《LIVE AT NEWPORT UNIVERSITY 2012》という MP3 音源が上がっていて、フリーでダウンロードできます。

 マーティン・ジョセフが推薦しているだけあって、うたつくりもシンギングもギターもすぐれた人ですが、ここではチェロやもう一人の女性ヴォーカル、エレキ・ギターなどのサポートで、ゆったりとしながらも切れ味鋭いうたを聴かせます。この人の一番新しい CD も買ってみましたが、これをリッピングした FLAC ファイルを iPod touchでアンプを通して聴くよりも、Biscuit + MiniBox で聴くこのライヴ音源の方に限りなく惹かれます。スタジオが悪いわけではないんですが、演奏も音も、ライヴの方がより生き生きしています。

 試しにオワゾリールから出ている Philip Pickett & New London Consort の《CARMINA BURANA Vol. 1》を XLD で FLAC と Lame MP3 256Kbps VBR にリッピングしたものを聴きくらべてみました。ヘッドフォンは Superlux 668B。

 うん、かなりいい勝負ですね。MacBook Pro の Audirvana Plus による FLAC 再生の方が少し音場が広いかな。それに個々の音の焦点はさすがに FLAC の方がきちんと合っています。が、聴いての楽しさという点では全然負けてません。むしろ、Biscuit + MiniBox の MP3 の方がわずかですが上かも。

 FLAC 再生の環境は Reqst 製の光ケーブルで伝聴研の DenAMP/HPhone です。伝聴研のものは先日出たばかりの DAC兼ヘッドフォン・アンプです。入力は光と同軸のデジタルのみ、24/192までカヴァー。かの DenDAC の開発・発売元だけあって、さすがの出来栄え。外見はチャチですが、実力は立派なもの。製造は Dr. Three がやってるらしい。

 フルオケの試聴には例によってフリッツ・ライナー&シカゴ響の《シェエラザード》。ビクターの XRCD 盤からのやはり 256Kbps VBR でのリッピング。奥行はちょっと短かいかもしれませんが、左右はいつものように広すぎるくらいに広い。高さも十分。第2楽章いたるところでソロをとるクラリネットの音色に艶気があります。途中で曲調が変わるところ、コントラバスの合奏の反応が速い。第4楽章のトランペットの高速パッセージの切れ味の良さ! 

 いやー、聴きほれてしまいました。人なみにこの曲はいろいろ集めてますが、やはりこの演奏が一番好き。

 それにしても Biscuit + MiniBox + 668B という、この組合せはいいな。ヘッドフォンが良いのかな。70時間を超えて、いよいよ美味しくなってきました。ラストのヴァイオリンのハイノートの倍音がそれはそれは気持ちよい。

 ついでながら、HD668B は、メーカー代理店の京都・渡辺楽器が扱わないというので、本家にも相談した結果、ここから買いました。送料込みで 35GBP。

 それと音茶楽の Flat-4 ですね。メーカー推奨のエージング時間のまだ半分ほどですが、ちょっと他では聴けない体験をさせてくれます。たとえば、シンバルの音が消えてゆく気持ち良さ。そしてヴォーカルの肌理のなめらかさ。もっとも、このイヤフォンについてはぼくなどが拙いことばをつらねるよりは、こちらをお薦めします。

 もう一つ。アラゲホンジが OTOTOY で配信したライヴ《月が輝くこの夜に》(DSD ファイルにオマケで付いてきた MP3)の〈斎太郎節〉、後ろでコーラスをつける女性ヴォーカルが気持ち良く伸びます。 〈秋田音頭〉の粘度の高いエレキ・ベースの跳ね具合がよい。ヘッドフォンは HE300。Head-Direct で売っているバランス用にケーブルを交換しでます。このケーブルはバランス用ではあるものの、単純にシングルエンドのハイクラス・ケーブルとして使えます。

 Biscuit のパッケージにはマニュアルもなくて、必要ないくらいですが、一応諸元を書いておきます。

サポートするフォーマット:MP3, WAV
サポートするヘッドフォン・インピーダンス:16〜300 Ohms
充電時間:1.5時間以内
再生時間:9時間
サイズ:62.8×35.7×11mm
重さ:30g

 サイズは Hippo Cricri とそっくり同じです。

 重さ30グラムというと、うっかり落としても、ヘッドフォン/イヤフォンのケーブルに刺さっているだけで支えられます。

 マイクロ USB ポートで充電します。充電用コードは付属。

 メディアは microSD カード。32GBまで。Biscuit 自体がカードリーダーとしても使えます。なお内蔵メモリは無いので、カードから直接再生してるんでしょう。

  機能は、単純な再生と音量の増減、次のトラックに進む、前のトラックにもどる、だけ。メインのボタンを押し続けるとグリーンのライトが点いてパワーが入ります。もう一度押すと再生開始。再生中はグリーンのライトが点滅。トラックが変わるところで一瞬、点滅が止まります。再生中に押すとポーズ。もう一度押すと再生。ポーズまたは再生中に長押しするとグリーンのランプがまばたきしてパワー・オフ。曲の途中でパワーを切ると、次に入れた時、前に再生していたトラックの頭から再生を始めます。

 再生の順番はカードに入れた順、らしい。シャッフル再生はできません。何を再生しているかは、記憶に頼るしかありません。初聴きには向かないです。とにかく、ひたすら音楽を聴くだけのためのハードです。

 万一、ハングしたら、楊枝か、延ばしたクリップでリセット・ボタンを押します。ハングしたトラックから再開します。

 MiniBox 以外のアンプと組合せても、Biscuit はすばらしいです。Rudistor RPX33 + Chroma MD1 につなげてみました。音が出たとたん、言葉を失いました。そのままずーっと聴きつづけました。うーん、この組合せがこんな音を聴かせてくれたことがあったかな。お互いベストの相手には違いないでしょうが、MacBook などからつないだ時よりも音楽に浸れます。こっちの耳がグレードアップしたんじゃないか、と思ってしまうくらい。そりゃ高価なハイレゾ・プレーヤーならもっと凄い音が出るんでしょうが、なにもわざわざそこにカネを注ぎこまなくても、プレーヤーは Biscuit で十分。むしろアンプとヘッドフォンにカネを注ぎこみたい。こりゃあ、次は LCD-3 かスタックスで聴いてみたくなります。

 それでいてなのです、MiniBox との組合せにはちょっと特別なものがあります。もちろんどこにでもその音を持っていけるというメリットは大きいです。MiniBox にはクリップが付いてますから、シャツにはさんだり、バッグのベルトにひっかけたりもできます。そしてそのペアでの音のふくらみが尋常ではありません。「フルボディ」というやつでしょうか。他とのペアで音がやせているわけではないんですが、MiniBox とのペアの音はさらに中身がぎっちり詰まっています。一方で、透明度もハンパではありません。分析的ではないけれど、隅々までよく「見え」ます。だから空間も広い。そのおかげで、とにかく聴いて楽しい。音楽を聴く悦びがわいてきます。これこそがオーディオの役割ではないか。いや、これこそが理想のオーディオ・システムというものではないか、とすら思えてきます。

 今のところ日本から買えるのは Jaben のオンライン・ショップです。

 MiniBox 2012 Version はこちら。シルバーもあります。また、シャツの胸ポケットなどにはさめる形のクリップが片方についてます。

 単体で欲しいとか、英語はちょっとという方には朗報です。今週末のヘッドフォン祭にウィルソンおやじが自分で持ってきて、ブースで販売します。MiniBox との組合せもあります。また、このペアが当たる抽選会もあります。

 ちなみにこの抽選会には Jaben からもう一つ、バランス仕様の Beyerdynamic T1 も提供されます。

 従来のオーディオの愉しみに、高い価格に代表される「価値」をそなえたモノを所有する、という物質欲を満たす面があることは否定しませんが、それはやはり二次的な愉しみでしょう。オーディオはまず何よりも、音楽を聴くための手段であるはず。アナログでは質を高めるためには物量を投入する必要があったかもしれませんが、デジタルでは様相が逆転します。小さく、安価で、能率が良く、しかも質が高いシステムが可能になる。その可能性はちらちら見えていますが、まだ本格的な展開に手がつけられていない。アナログの発想から抜けだせていないように見えます。

 まあ、ものごとの変化は一様に進むわけではなく、変化の小さい長い準備期間の後に急速に大きく進むというパターンが多いですから、今はまだ準備中なのかもしれません。本物の変化が始まるのを見たい、体験したいものですが、生きているうちに始まってくれるかな。

 それにしても、Biscuit が FLAC とギャップレス再生をサポートしてくれたら、もう iPod も要らないな。(ゆ)