クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 村井康司さんの「時空を超えるジャズ史」第3回。

 ニューオリンズはジャズが生まれた場所とされている。時代は19世紀末から20世紀初頭、「世紀の変わり目」。もっとも世紀が変わってもそれですべてがころりと変わるわけじゃない。19世紀はまだ続いている。ヨーロッパでは19世紀は第一次世界大戦で終るが、アメリカの19世紀の終りはどこだろう。大恐慌だろうか。アメリカは広いし、戦場にならなかったからヨーロッパのように全部がころりと変わったのではなさそうだ。場所によっては今でも19世紀が続いていそうだ。

 ニューオリンズについてみれば、ジャズを生んだところで19世紀が終るというのはどうだろう。ニューオリンズはジャズを生んだけれども、生まれたジャズは故郷を出て、シカゴやニューヨークへ行く。シカゴやニューヨークへ行くのは、ジャズ自体の要請か、それとも外からの作用か。まあこういうことは往々にしてどちらの要素も働いているものだ。ジャズの場合もおそらく同じだ。そして、そこで性格が変わる。

 ニューオリンズで生まれた時、ジャズは自然発生している。誰かが作ろうとしてできたのではなく、その時までにニューオリンズに流れこみ、またそれ以前に生まれていた様々の音楽のごった煮=ガンボ料理として生まれた。というよりも、この街では様々な音楽が様々に混淆し、交配し、千変万化している、その一つの相がたまたまジャズとして分岐していった、という方がより実相に近いのではないかと思ったりもする。

 Daniel Hardy という人の The Ancestors Of Jazz という本のチャートから村井さんが作ったリストによれば、ブラスバンド音楽、ラグタイム、クラシック、ブルーズ、フランス・スペインの民謡、クレオールの歌・カリブ海音楽、黒人教会音楽・黒人霊歌、アメリカン・フォーク、アメリカン・ポピュラーソングがジャズの元になっている、となる。

 もっともこうした音楽がみな、19世紀末に実態として確立していたというわけでもないし、すべてが均等に混じわったなんてはずもない。これ以外もあったろうし、何やらよくわからないものもあっただろう。なるべく個々のイメージがわくように要素をえり分けてみればこうなるんじゃないか、という提案と見た方が実りは多そうだ。

 とまれ、こうして生まれたジャズは、商売としての成功を求めるとニューオリンズでは収まらなくなり、シカゴやニューヨークへと映る。そこから先は商業音楽として成長する。

 肝心なのはニューオリンズでは自然発生していること。村井さんの話で面白かったのは、ジャズの元祖、最初のジャズ・ミュージシャンと言われるバディ・ボールデンが唯一録音したとされる曲が〈わらの中の七面鳥〉だということ。これはまぎれもなくアイリッシュ、スコティッシュ起源、アパラチアから来ていた曲で、これがジャズのレパートリィだったのは、ジャズが自然発生している傍証まではいかなくても、そう見える根拠の一つにはなるだろうか。

 バディ・ボールデンの録音がない、というのも面白い。19世紀末は録音が始まったばかりで、商業録音は未熟、何を録音して出せば売れるのかもわからない。すでに人気のあったカルーソーやシャリアピンなんて人たちだけでは商売にならない。そこで思いついたのがレイス・レコード。アメリカの各移民集団、イタリア系、アイルランド系、ドイツ系、あるいは黒人等々に向けて、各々のルーツ音楽を録音して出すことだった。アイリッシュ・ミュージックの最も初期の録音もこの類である。最古とされるのは1898年ロンドンでのイリン・パイプの録音だが、アメリカでもニューヨークの公園で路上演奏つまりバスキングしていたアコーディオン奏者をスタジオに引っぱってきて録ったものを出したら、500枚があっという間に完売した、という話がある。

 ミュージシャンが自分でスタジオに入って録音する習慣は、ボールデンの時代にはまだ確立していない。誰かが、あいつは面白いし、売れそうだから録ろうと思わなければ、録音されないのが普通だ。となれば、ボールデンのやっていた音楽は誰も録音に値する、あるいは録音すれば売れそうだとは思わなかったのだろう。

 第一次世界大戦後になると録音が増す。アメリカは第一次世界大戦で金持ちになり、「金ぴか時代」になる。朝鮮戦争、ベトナム戦争で日本にカネが流れこんだのと同じ構図だ。ジャズは金ぴか時代の音楽としてもてはやされる。前回見た『華麗なギャツビー』の大パーティーの BGM は当時のジャズだった。そこからのジャズは商売になる音楽として展開される。

 ニューオリンズに戻って、村井さんの講演の前半は19世紀末から20世紀初頭、ニューオリンズで演奏されていて、ジャズの元になっただろう音楽を想像するための音源を並べる。

 とはいえ、ウィントン・マルサリスによる〈バディ・ボールデンズ・ブルーズ〉なんてのは、マルサリスが巧すぎるし、モダンな展開も入れるから、聴きほれてしまって、とても昔のニューオリンズを想像なんてできない。

 一方で、マルサリスがこうした演奏を YouTube でのみ公開し、CDにしないのも、ボールデン当時のニューオリンズではレコードという概念がまだなく、ライヴしかなかったことへのオマージュであり、再現にも見える。

 ニューオリンズ・ラグタイム・オーケストラの〈Creole Belles〉は、あたしにはとてもラグタイムに聞えないのは、あたしのラグタイム体験が狭すぎるのだろう。

 ジェリー・ロール・モートンの〈Tiger Rag〉の弾き比べは面白いが、これがジャズの元だと言われても、へ?と反応するしかない。

 前半の締めにかかったサッチモの〈Heebie Jeebies〉は、初めてスキャットをうたったので有名な録音だそうで、これは明らかにジャズだ。そしてそこまで聞いてきたニューオリンズの音楽とのそこはかとないつながりも感じられる。ああいうものから出てきたものがこれだと言われても、何となく納得できなくもない。

 あたしにとってニューオリンズ音楽の面白さは後半、第二次世界大戦後のこの街の音楽。かつてこの街が生んだジャズは巣立っていって、まるで別の姿をとる一方、ニューオリンズは独自の音楽を生みだす。それがプロフェッサー・ロングヘアーに始まるもので、ファッツ・ドミノ、アラン・トゥーサン、ドクター・ジョン、ネヴィル・ブラザーズ、トロンボーン・ショーティ、そして今をときめくジョン・バティステまで太く流れている。とりあげられなかったけれど、ダーティ・ダズン・ブラスバンドなどのブラスバンドも、ニューオリンズのものは他とは違う。

 村井さんはケイジャン/ザディコもこの流れの筋に入れているが、あたしのイメージは少し違う。これもニューオリンズでしか生まれえない音楽であることはまぎれもないが、村井さんが提示したニューオリンズ音楽の本流とは別に聞える。本流がジャズとは別の形で商業音楽として展開しているのに対し、ケイジャン/ザディコはコミュニティのための音楽、生活のための音楽、つまりフォーク・ミュージックとして自然発生しているとみえる。ジャズが自然発生して終りではなく、ニューオリンズではその後も様々な音楽が自然発生しているので、ケイジャン/ザディコはその中で最も「成功」したものになる、というのはどうだろう。

 面白かったのは、大ヒットしたという Ernie K-Doe の〈Mother-in-law〉の替え歌を大滝詠一がやっている録音。何にでも口出しして、夫婦のジャマをする口うるさい義母をグチる歌を徹夜の麻雀の話にしたのはジョークとして一流だ。

 それにしても原曲のアレンジは、単に口だけうるさいにおさまらない義母との危うい関係を暗示していると聞えてしかたがない。

 アメリカの街の音楽はニューヨークやボストンのアイリッシュ・ミュージック、シカゴのブルーズやジャズのように、外から持ちこまれたもので、自然発生したものは見当らない。音楽が自然発生するニューオリンズはその点特異だ。

 近いことは1960年代前半サンフランシスコで起きるが、それはまた別の話。

 次は8月10日、ニューオリンズから出ていったジャズがシカゴ、ニューヨークにどう移り、変わりはじめたか、になるらしい。(ゆ)

07月03日・日
 ITMA で "From The Bridge: A View of Irish traditional music in New York" というタイトルでニューヨークのアイリッシュ・ミュージックの足跡をたどるデジタル展示をしている。



 録音のある時代が対象で、19世紀末から現在にいたるほぼ100年間を五つの時期に分けている。

Early Years: 1870s-1900s
Recording Age 1920s
Post WWII Era
1970s-1990s Revival
Present Day

 それぞれにキーパースンの写真とテキストによる紹介と代表的録音を掲げる。テキストは英語だけど、ごくやさしい英語だし、興味を持って読めば、だいたいのところはわかるだろう。最低でも Google 翻訳にかければ、そんなにかけ離れた翻訳にはならないはずだ。

 それに他では見たこともない写真や、聞いたことのない音源もあって、突込んでいると、思わず時間が経つのも忘れる。あたしなどの知らない人たちもたくさんいて、興味は尽きない。

 個人的には最初の2つの章が一番面白い。この時期の音源はどれもこれも個性的だ。録音による伝統の継承がほとんど無いからだ。録音による伝統の継承の、その源になった音源だ。

 ニューヨークのアイリッシュ・ミュージックは、アイルランド国外での伝統音楽の継承と普及の一つのモデル・ケースにも見える。ここは19世紀後半からアイルランド移民の街になり、伝統音楽もそのコミュニティで栄える。1970年代以降、アイリッシュ・コミュニティの外から、アイリッシュ・ミュージックに関わる人たちが増えてくる。今では、マンハタンの一角に並んでいたアイリッシュ・パブは皆消えたが、ニューヨーク産のアイリッシュ・ミュージックが消滅したわけではない。ニューヨークは、アイリッシュ・ミュージックの伝統の中にユニークな位置を占めているのが、この展示を見、聞くとよくわかる。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月03日には1966年から1994年まで7本のショウをしている。公式リリースは6本、うち完全版が3本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 日曜日。"Independence Boll" と言う3日間のイベントの最終日。Love と Group B が共演。一本勝負。
 14曲目〈Cream Puff War〉が2013年と2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。
 この日が初演とされる曲が4曲。
 7曲目〈Big Boss Man〉、9曲目〈Keep Rolling By〉、15曲目〈Don't Mess Up A Good Thing〉、17曲目〈Gangster Of Love〉。
 〈Big Boss Man〉は1995年07月06日まで計74回演奏。大半は1969年から71年にかけて演奏された。当初はピグペンの持ち歌。元歌は Jimmy Reed の1960年のシングル。クレジットは Al Smith & Luther Dixon。
 〈Keep Rolling By〉は伝統歌。記録に残っているこの曲の演奏はこの日だけ。《The Birth Of The Dead》に疑問符付きでこの年07月17日のものとされる録音が収録されているが、17日のものとされているセットリストには無い。
 〈Don't Mess Up A Good Thing〉もこの日の演奏が最初で最後。同じ録音が《Rare Cuts & Oddities 1966》にも収録されている。原曲は Oliver Sain の作詞作曲で、Fontella Bass and Bobby McClure 名義の1965年のシングル。この2人は当時 Oliver Sain Revue のメンバー。
 〈Gangster Of Love〉もこの日のみの演奏。原曲はジョニー・ギター・ワトソンの作詞作曲で、1957年のシングル。
 Group B というバンドは不明。

2. 1969 Reed's Ranch, Colorado Springs, CO
 木曜日。4ドル。開演8時半。一本勝負。共演アリス・クーパー、Zephyr。
 クローザー前の〈He Was A Friend Of Mine〉が2011年の、7曲目〈Casey Jones〉が2020年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 Zephyr は1969年コロラド州ボールダーで結成された5人組。ギタリスト、トミー・ボーリンの最初のバンドとして知られる。
 アリス・クーパーとデッドが同じステージに立っていたのも時代を感じさせる。この頃のロックは何でもありで、すべて同列だった。

3. 1970 McMahon Stadium, Calgary, AB, Canada
 金曜日。Trans Continental Pop Festival の一環。
 この日は、第一部アコースティック・セット、第二部ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、第三部エレクトリック・セットという構成で、NRPS にはガルシア、ウィア、レシュが入っていた、という証言がある。
 ここでは2日間コンサートがあり、翌日がジャニス・ジョプリンとザ・バンドだった。

4. 1978 St. Paul Civic Center Arena, St. Paul, MN
 月曜日。
 全体が《July 1978: The Complete Recordings》でリリースされた。

5. 1984 Starlight Theatre, Kansas City, MO
 火曜日。13.50ドル。開演8時。
 第二部オープナーの3曲〈Scarlet Begonias> Touch of Grey> Fire On The Mountain〉が2014年と2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 ダブってリリースしたくなるのもわかる演奏だけど、全体を出しておくれ。

6. 1988 Oxford Plains Speedway, Oxford, ME
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演5時。リトル・フィート前座。
 全体が《30 Trips Around The Sun》の1本としてリリースされた。
 第一部〈Bird Song〉の演奏中、パラプレーンないしエンジン付きパラグライダーが飛んできて、会場の上を舞った。やむなくバンドはジャムを切り上げて、セットを仕舞いにした。
 DeadBase XI の John W. Scott によれば、終演後、会場周辺で花火に点火する者が多数いて、中には相当に危険なものもあったそうな。

7. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。26.50ドル。開演5時。
 第二部2・3曲目〈Eyes of the World> Fire On The Mountain〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 上記〈Eyes Of The World〉からガルシアが〈Fire〉のリフを始めたとき、ちょうど陽が山の端に沈んでゆくところだった。バンドがそれに合わせた。
 〈Fire On The Mountain〉は単独での演奏が12回ある。その最後。
 このメドレーはデッドとして一級の演奏で、ガルシアは声を絞りだすように歌うが、出すべきところはきちんと出ている。ギターも細かい音を連ねて面白く、バンドもこれによく反応している。後者への移行は、曲の行方が見えるのを待っているとこれが降りてきたけしき。これを聴いても、全体も良いとわかる。(ゆ)

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