クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:SF

 ついでながら、1986年以降デビューした作家たちについてもデビュー年順に並べてみた。こちらはまだ評価が完全に固まっているとは言えないから、まったくあたしの好みによるセレクションだ。というのもつまらないので、多少とも第三者視点を加えるために1986年以降の John W. Campbell Award for Best New Writer の受賞者も加えてみた。

 今年のヒューゴー賞授賞式でこの賞を受賞した Jeannette Ng が受賞スピーチでキャンベルをファシストで白人男性至上主義者で、差別、搾取、抑圧にサイエンス・フィクションの土台を築いた者として非難した。賞の主催者である Analog 編集部はこれを受けて賞の名前を来年から Astounding Award for Best New Writer に変更すると発表した。

 Ng のここでの趣旨はしかし、キャンベルを非難することよりも、そのキャンベルの遺産から、現在のサイエンス・フィクションは見事に脱却して、多様性の花を華麗に爛漫と咲かせていると指摘することにある。「キャンベル主義者」たちの Ng の受賞の言葉への反発は過剰反応でもあろう。もっとも、サイエンス・フィクションを白人男性のものにしておきたい向きにとっては、サイエンス・フィクションの、少なくとも英語で発表されているサイエンス・フィクションの現状はガマンならないものではあろうことは、このリストにも反映されている。

 もっともこうして並べてみると、キャンベル新人賞の受賞者は女性が圧倒的だし、1985年以前を含めても半々、というのはヒューゴー、ネビュラを含めた他の賞に比べて、女性の受賞者が遙かに多い。2010年代では時代の趨勢となった多様化の傾向に積極的に反応してもいる。「アナログ」誌編集部はキャンベル主義者の願いとは裏腹に、キャンベルの負の遺産を真先に振り捨てていたと言える。

 ちなみに Ng の受賞の対象となったデビュー長篇 Under The Pendulum Sun はまことに面白い小説で、受賞もむべなるかな、とうなずかせるものではある。

Under the Pendulum Sun
Jeannette Ng
Angry Robot
2017-10-03



 ケイジ・ベイカーやジェイ・レイクなど、既に亡くなっている人もいるし、ジャンルから離れた人、作家活動をやめているらしい人もいるが、本はいくらでも手に入る。あらためて調べてみると、未知の人で面白そうな人もいる。

 ああ、しかし、どうすれば、これを全部読めるのだ。などと、頭を抱えてもしょうがない。それよりも黙ってごりごりと読めばよいのだ。

 問題はあたしが実に移り気で、1冊読んでいると、すぐに別のを読みたくなることだ。こないだも、たまたま名前が目について、ついた途端無性に読みたくなり、しかもまるで呼びこんだように本が、山のてっぺんにちょこんとあったので、思わず他を全部ほおりだしてリチャード・カウパーの The Road To Corlay を読みだしてしまった。今度は三部作の最後まで一気に読むぞ。それにしてもこの Pocket Books の David Maitz による表紙は最高の絵の1枚ではある。

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2023-05-17追記
 こちらにも生没年とデビュー時の満年齢を加えてみた。単純計算なので、デビュー時の正確な年齡ではない。不悪。なにも書いていない人は生年、年齡未公開。

 こうしてみると、またいろいろと見えてきて、面白い。
 

1986, China Mieville 1972/; 14歳
1986, Jack McDevitt 1935/; 51歳
1986, Judith Moffett 1942/; 42歳[Campbell New Writer]
1986, Julia Ecklar 1964/; 24歳 [Campbell New Writer]
1986, Robert Reed 1956/; 30歳
1987, C. S. Friedman 1957/; 30歳(長篇)
1987, Eric Brown 1960/2023; 27歳
1987, Kathe Koja 1960/; 27歳 [Locus Best 1st Novel]
1987, Kristine Kathryn Rusch 1960/; 27歳[Campbell New Writer]
1987, Linda Nagata 1960/; 27歳 [Locus Best 1st Novel]
1987, Patricia Anthony 1947/2013; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
1987, Paul Park 1954/; 33歳
1987, Stephen Baxter 1957/; 30歳
1987, Storm Constantine 1956/2021; 31歳
1988, Allen Steele 1958/; 30歳 [Locus Best 1st Novel]
1988, R. A. Salvatore 1959/; 29歳
1988, Sarah Zettel 1966/; 22歳 [Locus Best 1st Novel]
1988, Elizabeth Hand 1957/; 31歳
1988, Jeff VanderMeer 1968/; 20歳
1988, Kate Elliott 1958/; 30歳(長篇)
1988, Maureen F. McHugh 1959/; 29歳 [Locus Best 1st Novel]
1988, Michaela Roessner 1950/; 38歳(長篇)[Campbell New Writer]
1989, Ian R. MacLeod 1956/; 33歳[Locus Best 1st Novel]
1989, Jeffrey Ford 1955/; 34歳
1989, Jonathan Lethem 1964/; 25歳 [Locus Best 1st Novel]
1989, Michael Kandel 1941/; 48歳(長篇)
1989, Nisi Shawl 1955/; 34歳
1990, Alastair Reynolds 1966/; 24歳
1990, Cory Doctorow 1971/; 19歳 [Locus Best 1st Novel]
1990, Mary Rosenblum 1952/2018; 38歳
1990, Peter F. Hamilton 1960/; 30歳
1990, Peter Watts 1958/; 32歳
1990, Ted Chiang 1967/; 23歳 [Campbell New Writer]
1991, John Scalzi 1969/; 22歳 [Campbell New Writer]
1991, Kathleen Ann Goonan 1952/2021; 39歳
1991, Paul Levinson 1947/; 44歳 [Locus Best 1st Novel]
1993, Amy Thomson 1958/; 35歳(長篇)[Campbell New Writer]
1993, Jeff Noon 1957/; 36歳(長篇)[Campbell New Writer]
1994, David Feintuch 1944/2006; 50歳(長篇)[Campbell New Writer]
1994, Marion Deeds
1994, Steven Erikson 1959/; 35歳
1995, Caitlin R. Kiernan 1964/; 29歳
1995, Jacqueline Carey 1964/; 31歳 [Locus Best 1st Novel]
1995, Kelly Link 1969/; 26歳
1995, Ken MacLeod 1954/; 41歳(長篇)
1995, Michael A. Burstein 1970/; 25歳 [Campbell New Writer]
1996, Adrian Tchaikovsky 1972/; 24歳
1996, Mary Doria Russell 1950/; 46歳(長篇)[Campbell New Writer]
1996, Nalo Hopkinson 1960/; 36歳[Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
1996, Paul Melko 1968/; 32歳 [Locus Best 1st Novel]
1997, K. V. Johansen 1968/; 29歳(長篇)
1997, Joe Hill 1972/; 25歳 [Locus Best 1st Novel]
1997, Kage Baker 1952/2010; 25歳
1997, Lev Grossman 1969/; 28歳 [Campbell New Writer]
1997, Liz Williams 1965/; 32歳
1998, Ellen Klages 1954/; 44歳 [Campbell New Writer]
1998, Jo Walton 1964/; 34歳[Campbell New Writer]
1999, Kristine Smith [Campbell New Writer]
1999, M. Rickert 1959/; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
1999, Paolo Bacigalupi 1972/; 27歳 [Locus Best 1st Novel]
1999, Trudi Canavan 1969/; 30歳
1999, Yoon Ha Lee 1979/; 20歳
2000, Alex Irvine 1969/; 31歳 [Locus Best 1st Novel]
2000, Elizabeth Bear 1971/; 29歳 [Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
2000, Nnedi Okorafor 1974/; 26歳
2000, Tobias S. Buckell 1979/; 21歳
2001, Charles Coleman Finlay 1964/; 37歳
2001, Jay Lake 1964/2014; 37歳 [Campbell New Writer]
2001, Wen Spencer 1963/; 38歳 [Campbell New Writer]
2002, Ken Liu = 刘宇昆 1976/; 26歳 [Locus Best 1st Novel]
2002, Nina Allan 1966/; 36歳
2002, Patrick Rothfuss 1973/; 29歳
2002, Theodora Goss 1968/; 34歳  [Locus Best 1st Novel]
2003, Lavie Tidhar 1976/; 27歳
2003, Usman T. Malik
2004, Mary Robinette Kowal 1969/; 35歳 [Campbell New Writer]
2004, N. K. Jemisin 1972/; 32歳 [Locus Best 1st Novel]
2004, Susanna Clarke 1959/; 45歳(長篇) [Locus Best 1st Novel]
2005, Brandon Sanderson 1975/; 30歳(長篇)
2005, Mur Lafferty 1973/; 32歳 [Campbell New Writer]
2006, Aliette de Bodard 1982/; 24歳
2006, Ann Leckie 1966/; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
2006, Ilona Andrews
2006, Joe Abercrombie 1974/; 32歳(長篇)
2006, Naomi Novik 1973/; 33歳(長篇)[Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
2006, Scott Lynch 1978/; 28歳(長篇)
2007, C. S. E. Cooney 1981/; 26歳
2007, David Anthony Durham 1969/; 38歳( 長篇)[Campbell New Writer]
2007, Mark Lawrence 1966/; 41歳
2007, Nghi Vo 1981/; 26歳
2008, Brent Weeks 1977/; 31歳(長篇)
2008, Michael J. Sullivan 1961/; 47歳(長篇)[self]
2008, Robert V. S. Redick 1967/; 41歳(長篇)
2009, Andy Weir 1972/; 37歳 [Campbell New Writer]
2009, Max Gladstone 1984/; 25歳
2009, Saladin Ahmed 1975/; 34歳 [Locus Best 1st Novel]
2009, Seanan McGuire 1978/; 31歳 [Campbell New Writer]
2009, Robert Jackson Bennett 1984/; 25歳(長篇)
2010, E. Lily Yu [Campbell New Writer]
2011, Anthony Ryan 1970/; 41歳 [self]
2011, Erin Morgenstern 1978/; 33歳(長篇) [Locus Best 1st Novel]
2011, P. Djeli Clark 1971/; 40歳 [Locus Best 1st Novel]
2011, Rich Larson 1992/; 19歳
2011, Tamsyn Muir 1985/; 26歳 [Locus Best 1st Novel]
2012, Sofia Samatar 1971/; 41歳 [Campbell New Writer]
2013, Josiah Bancroft(長篇)[self]
2013, Wesley Chu = 朱恆 1976/; 37歳(長篇)[Campbell New Writer]
2014, Alexander Dan Vilhjalmsson(長篇)
2014, Alyssa Wong
2014, Darcie Little Badger 1987/; 33歳 [Locus Best 1st Novel]
2014, Victoria Goddard [self] 
2015, Fonda Lee 1979/; 36歳
2015, Kelly Robson 1967/; 48歳
2015, Richard Swan(長篇)[self]
2016, Ada Palmer 1981/; 35歳(長篇)[Campbell New Writer]
2016, Chuck Rogers(長篇)[self] ※小説家としてのデビューは1996年。
2016, Jeannette Ng [Campbell New Writer]
2017, Ed McDonald(長篇)
2017, Rebecca Roanhorse 1971/; 46歳 [Campbell New Writer] [Locus Best 1st Novel]
2018, R. F. Kuang 1996/; 22歳(長篇)[Astounding New Writer]
2019, Emily Tesh [Astounding New Writer]
2019, Evan Winter(長篇)
2021, Shelley Parker-Chan(長篇) [Astounding New Writer]

 こうしてみると、デビュー年齡が上がっているのがよくわかる。1950年代、60年代には20代でデビューするのは普通だったが、今世紀に入ると例外的になる。セルフ出版でデビューする人には若い人も多いのかもしれないが、こちらのアンテナにひっかっかってくるのは、セルフでも人生半ばで作家デビューした人たちになる。

 小説家のデビュー年齡が上がった理由のひとつは、小説以外のメディア、とりわけゲームに若い人たちが入ることが増えたからだ。コンピュータのプログラミングやハード、ソフトの開発も小説にとってはライヴァルになる。受け手の側の時間の奪いあいだけでなく、送り手の人材の面でも争奪が激しくなっている。そして小説は比較的にスタートが若くなくてもいい。プログラミングなどは若さが必須の面があるらしい。スポーツでは肉体的に若くないと現役ではいられないが、それと同様、プログラミングやソフトウェアの設計では頭の回転とセンスにおいて若さが求められる。その点、小説は、技能を磨き、材料を蓄積するのに時間がかかる。そして、小説が扱う題材や問題も、より複雑で広く多様になっているから、これをこなせるようになるのにもより時間がかかる。したがって、経験や研鑽を積んでから小説家としてデビューすることが増える。若い頃は他のことをしてから小説に取り組める。

 SFF以外の小説を書いていて、年齡を重ねてからSFFにデビューする例も増えている。古くは George Turner がいるし、新しい例の代表 Chuck Rogers はドン・ペンドルトンに始まる『死刑執行人』シリーズのフランチャイズ小説の書き手で出発し、そちらが閉じられた後、セルフ出版でファンタジィ長篇を出す。

 年をとってからデビューする人たちが皆、人生で初めて書いた小説でデビューしているわけではない。小説家として成功している人たちは、まずたいていがごく若い頃から物語を語り、また綴っている。他人がカネを払っても読みたくなるレベルの作品を書けたのがその年齡だったわけだ。作品は書けたがデビューまでにはさらに時間がかかる場合もある。とはいえ、今はどこかの出版社の編集者の目にとまるのを待つまでもなく、セルフ出版で直接読者に是非を問うことが可能になっている。

 今やセルフ出版で出るものがあまりに多く、その中で注目されるのもかつてよりずっと難しくなっている事情もある。ただ、セルフ出版にあっては、作品をとにもかくにも読む人間の数が、版元に投稿するよりも格段に多いこともまた確かだ。それにセルフ出版する人間をバックアップするインフラ、すなわち編集、校閲、デザイン、広報などの体制も整ってきていて、作品や出版物のクオリティも、既存版元から出るものと比べて遜色はなくなった。

 セルフ出版のしやすさは会社組織としての出版のしやすさにも通じる。さらに雑誌の数からいえば、オンライン雑誌の数は紙の雑誌とは桁が違って多いから、この面でもデビューしやすくなっている。Marion Deeds のように、定年退職してあらためてデビューする人も出てきた。かつてラファティが45歳で「老人」デビューだと評判になった。これからはディーズのような本物の老人が増えると面白い。

 全体に新人の数は増えている。若い頃は、出てくる面白そうな人は残らず読む気でいた。それは結局できず、限られた時間をいかに分配するかを考え、どれかを優先するしかない、と残された時間がなくなってようやく気づく。

 AIによる創作、AI の助けを借りた創作が金を払っても読みたくなるレベルになるには、AI 自身、もう一段のブレイクスルーが必要だろう。こちらが生きている間に出てくるか。(ゆ)

 これは英語圏のサイエンス・フィクション、ファンタジーの主な書き手をデビュー作発表年の順番にならべてみたリストである。

 もともとはキャサリン・マクリーンが1949年にデビューしていて、シルヴァーバーグよりも早いことに気がつき、その前後にデビューしていたのはどんな人たちだったかと調べはじめて拡大していったものだ。ネビュラのグランド・マスターをベースに、メジャーと目される人たちと自分の好み、関心のある書き手を拾いあげた。データは ISFDB で最も早い小説作品の発表年である。(長篇)としたのはデビュー作が長篇だった人。

 むろん、あの人がいない、この人もいないと指摘したくなるだろうが、それはご自分で調べてみればいい。新しい方は今年のグランド・マスター、ビジョルド(女性で7人目)を区切りとしている。


2023-05-07追記
 生没年とデビュー時の満年齢を加えてみた。単純計算なので、デビュー時の正確な年齡ではない。不悪。こうしてみると、またいろいろと見えてくる。

1926, エドモンド・ハミルトン 1904/1977; 22歳
1928, コードウェイナー・スミス 1913/1966; 15歳
1928, ジャック・ウィリアムスン 1908/2006; 20歳
1928, ミリアム・アレン・ディフォード 1888/1975; 40歳
1930, C. L. ムーア 1911/1987; 19歳
1930, オラフ・ステイプルドン 1886/1950; 44歳
1930, チャールズ・ウィリアムズ(長篇)1886/1945; 44歳
1931, クリフォード・D・シマック 1904/1988; 27歳
1931, ジョン・ウィンダム 1903/1969; 28歳
1931, ヘンリイ・カットナー 1915/1958; 16歳
1933, C・S・リュイス 1898/1963; 35歳
1934, スタンリィ・G・ワインボウム 1902/1935; 32歳
1934, フリッツ・ライバー 1910/1992; 24歳
1935, ジェイムズ・ブリッシュ 1921/1975; 14歳
1936, フレドリック・ブラウン 1906/1972; 30歳
1937, アーサー・C・クラーク 1917/2008; 20歳
1937, エリック・フランク・ラッセル 1905/1978; 32歳
1937, L・スプレイグ・ディ・キャンプ 1907/2000; 30歳
1937, J・R・R・トールキン(長篇) 1892/1973; 45歳
1938, シオドア・スタージョン 1918/1985; 20歳
1938, リチャード・ウィルスン 1920/1987; 18歳
1938, レイ・ブラッドベリ 1920/2012; 18歳
1938, レスター・デル・リイ  1915/1993; 23歳
1939, アイザック・アシモフ 1920/1992; 19歳
1939, アルフレッド・ベスター 1913/1987; 26歳
1939, アンドレ・ノートン 1912/2005; 27歳
1939, ウィリアム・テン 1920/2010; 19歳
1939, A・E・ヴァン・ヴォクト 1912/2000; 17歳
1939, C・M・コーンブルース 1923/1958; 16歳
1939, マーヴィン・ピーク 1911/1968; 28歳
1939, ロバート・A・ハインライン 1907/1988; 32歳
1940, デーモン・ナイト 1922/2002; 18歳
1940, フレドリック・ポール 1919/2013; 21歳
1940, リィ・ブラケット 1915/1978; 25歳
1942, ゴードン・R・ディクスン 1923/2001; 19歳
1942, ハル・クレメント 1922/2003; 20歳
1942, フィリップ・K・ディック 1928/1982; 14歳
1944, A・バートラム・チャンドラー 1912/1984; 22歳
1945, ジャック・ヴァンス 1916/2013; 29歳
1946, フィリップ・ホセ・ファーマー 1918/2009; 28歳
1946, マーガレット・セント・クレア 1911/1995; 35歳
1947, ポール・アンダースン 1926/2001; 21歳
1947, マリオン・ジマー・ブラドリー 1930/1999; 17歳
1948, ジュディス・メリル 1923/1997; 26歳
1948, チャールズ・L・ハーネス 1915/2005; 33歳
1949, キャサリン・マクリーン 1925/2019; 24歳
1949, ジェイムズ・E・ガン 1923/2020; 26歳
1949, ハーラン・エリスン 1934/2018; 15歳
1950, E・C・タブ 1919/2010; 31歳
1950, チャド・オリヴァー 1928/1993; 22歳
1950, リチャード・マシスン 1926/2013; 24歳
1951, J・G・バラード 1930/2009; 21歳
1951, ジーン・ウルフ 1931/2019; 20歳
1951, ゼナ・ヘンダースン 1917/1983; 34歳
1951, チャールズ・ボーモント 1929/1967; 22歳
1951, ボブ・ショウ 1931/1996; 20歳
1952, アルジス・バドリス 1931/2008; 21歳
1952, ジョン・ブラナー 1934/1995; 18歳
1952, Donald Kingsbury 1929/; 23歳 [Locus Best 1st Novel]
1952, フランク・ハーバート 1920/1986; 32歳
1952, ミルドレッド・クリンガーマン 1918/1997; 34歳
1952, ロバート・シェクリイ 1928/2005; 24歳
1952, ロバート・シルヴァーバーグ 1935/; 17歳
1953, アン・マキャフリィ 1926/2011; 27歳
1953, ロジャー・ゼラズニイ 1937/1995; 16歳
1954, エイヴラム・デヴィッドスン 1923/1993; 21歳
1954, キャロル・エムシュウィラー 1921/2019; 23歳
1954, バリントン・J・ベイリー 1937/2008; 17歳
1954, ブライアン・W・オールディス 1925/2017; 29歳
1955, ジョアンナ・ラス 1937/2011; 18歳
1956, ケイト・ウィルヘルム 1928/2018; 28歳
1956, マイケル・ムアコック 1939/; 17歳
1957, ピーター・S・ビーグル 1939/; 18歳
1958, キット・リード 1932/2017; 26歳
1959, R・A・ラファティ 1914/2002; 45歳
1960, スティーヴン・キング 1947/; 13歳
1960, ベン・ボヴァ 1932/2020; 28歳
1961, アーシュラ・K・ル・グィン 1929/2018; 32歳
1961, Sterling E. Lanier 1927/2007; 34歳
1961, フレッド・セイバーヘーゲン 1930/2007; 31歳
1962, サミュエル・R・ディレーニィ 1942/; 20歳(長篇)
1962, トーマス・M・ディッシュ 1940/2008; 22歳
1963, クリストファー・プリースト 1943/; 20歳
1963, ジョン・スラデック 1937/2000; 26歳
1963, Damian Broderick 1944/; 19歳
1963, テリィ・プラチェット 1948/2015; 15歳
1963, ノーマン・スピンラッド 1940/; 23歳
1964, キース・ロバーツ 1935/2000; 29歳
1964, ラリィ・ニーヴン 1938/; 26歳
1965, グレゴリー・ベンフォード 1941/; 24歳
1965, ジョセフィン・サクストン 1935/; 30歳
1965, ブライアン・ステイブルフォード 1948/; 17歳
1965, マイク・レズニック 1942/2020; 23歳
1966, M・ジョン・ハリスン 1945/; 21歳
1967, グレッグ・ベア 1951/2022; 16歳
1967, リチャード・カウパー 1926/2002; 39歳(長篇)
1967, ジョージ・R・R・マーティン 1948/; 19歳
1968, ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 1915/1987; 53歳
1968, ジェイン・ヨーレン 1939/; 29歳
1968, タニス・リー 1947/2015; 21歳
1969, イアン・ワトスン 1943/; 26歳
1969, ジョー・ホールドマン 1943/; 26歳
1969, スゼット・ヘイデン・エルジン 1936/2015; 30歳
1969, マイケル・G・コーニィ 1932/2005; 37歳
1970, ヴォンダ・N・マッキンタイア 1948/2019; 22歳
1970, エドワード・ブライアント 1945/2017; 25歳
1970, コニー・ウィリス 1945/; 25歳
1970, パメラ・サージェント 1948/; 22歳
1970, マイケル・ビショップ 1936/; 34歳
1971, オクテイヴィア・E・バトラー 1947/2006; 24歳
1971, Glen Cook 1944/; 27歳
1971, Rachel Pollack 1945/2023; 26歳
1972, ハワード・ウォルドロップ 1946/; 26歳
1973, Eleanor Arnason 1942/; 31歳
1973, パトリシア・A・マッキリップ 1948/2022; 25歳
1974, ジョン・ヴァーリィ 1947/; 27歳
1975, ジェイムズ・パトリック・ケリー 1951/; 24歳
1975, パット・マーフィー 1955/; 20歳
1976, カーター・ショルツ 1953/; 23歳
1976, キム・スタンリー・ロビンスン 1952/; 24歳 [Locus Best 1st Novel]
1976, C・J・チェリィ 1942/; 34歳(長篇)
1976, ジェフ・ライマン 1951/; 25歳
1976, ティム・パワーズ 1952/; 24歳(長篇)
1976, ナンシー・クレス 1948/; 28歳
1976, ブルース・スターリング 1954/; 22歳
1977, ウィリアム・ギブソン 1948/; 29歳
1977, オースン・スコット・カード 1951/; 26歳
1977, サムトウ・スチャリトクル 1952/; 25歳 [Locus Best 1st Novel]
1977, ジェイムズ・P・ブレイロック 1950/; 27歳
1977, ジェイムズ・P・ホーガン 1941/2010; 36歳(長篇)
1977, スティーヴン・R・ドナルドソン 1947/; 30歳(長篇)
1977, チャールズ・ド・リント 1951/; 26歳
1977, テリー・ブルックス 1944/; 33歳(長篇)
1977, パット・キャディガン 1953/; 24歳
1977, ポール・ディ・フィリポ 1954/; 23歳
1977, ルイス・シャイナー 1950/; 27歳
1978, ジョージ・ターナー 1916/1997; 62歳 ※小説家としてのデビューは1959年43歳。
1978, ジョン・ケッセル 1950/; 28歳
1978, フィリップ・プルマン 1946/; 32歳
1979, Suzy McKee Charnas 1939/2023; 40歳
1979, ダグラス・アダムズ 1952/2001; 27歳(長篇)
1979, ロバート・L・フォワード 1932/2002; 45歳 [Locus Best 1st Novel]
1979, ロビン・ホブ/ミーガン・リンドルム 1952/; 27歳
1980, デイヴィッド・ブリン 1950/; 30歳(長篇)
1980, マイケル・スワンウィック 1950/; 30歳
1981, ジャック・マクデヴィッド 1935/; 46歳 [Locus Best 1st Novel]
1982, イアン・マクドナルド 1946/2022; 36歳 [Locus Best 1st Novel]
1982, ダン・シモンズ 1948/; 34歳
1982, Terry Dowling 1947/; 35歳
1982, トレイシー・ヒックマン 1955/; 27歳
1982, ロバート・ジョーダン 1948/2007; 34歳(長篇)
1983, グレッグ・イーガン 1961/; 22歳
1983, スティーヴン・ブルースト 1955/; 28歳(長篇)
1983, ルーシャス・シェパード 1943/2014; 40歳
1984, ウォルター・ジョン・ウィリアムス 1953/; 31歳(長篇)
1984, Emma Bull 1954/; 30歳 [Locus Best 1st Novel]
1984, ジョフリー・A・ランディス 1955/; 29歳 [Locus Best 1st Novel]
1984, デヴィッド・ゲメル 1948/2006; 36歳(長篇)
1984, マイケル・F・フリン 1958/; 26歳 [Locus Best 1st Novel]
1984, ニール・ゲイマン 1960/; 24歳
1984, ポール・J・マコーリィ 1955/; 29歳
1984, マーガレット・ワイス 1948/; 36歳
1985, カレン・ジョイ・ファウラー 1950/; 35歳
1985, タッド・ウィリアムス 1957/; 27歳(長篇)
1985, チャールズ・ストロス 1964/; 21歳
1985, デリア・シャーマン 1951/; 34歳
1985, ロイス・マクマスター・ビジョルド 1949/; 36歳

 生年ではなく、デビューの年でみるといろいろと面白い。1937〜40年組(キャンベル革命)とか、51/52年組とか、76/77年組とか、あるいは68年、70年の女性トリオとか、やはり塊で出てくるものだ。こういうつながり、塊をたどって読んでみるのも面白いだろう。

 一方、ブリッシュは「御三家」よりも早いとか、ル・グィンとセイバーヘーゲンが同期とか、「御三家」と同世代と思っていたアンダースンがひと回り下だとか、60年代の人と思っていたゼラズニィが50年代も初めの頃から書いていたとか、サイバーパンクでギブスンやスターリングとひとくくりにされたベアはひと回り上だとか、70年代になって名前が出てきたジーン・ウルフが1951年にデビューしているとか、他にも読み方を変える発見もあるかもしれない。マリオン・ジマー・ブラドリーが1947年、17歳でデビューしていたのは、あたしにはその1つ。もっともこれは自分でやっていたファンジンで、明確なプロ・デビューは1954年4月のF&SF。

 「御三家」はほぼ同期だが、ディック、ラファティ、ティプトリーの「新御三家」はバラバラ。

 マクリーンに関して言えば、エリスンと同期、メリルは1年先輩になる。その前から書いている女性作家というと、リィ・ブラケット、C・L・ムーア、アンドレ・ノートン、マーガレット・セント・クレア、そしてミリアム・アレン・ディフォードがいたわけだ。

 この中であたしがリアルタイムで体験した初めはジョン・ヴァーリィである。ちょうど Asimov's 誌創刊の頃でもあって、70年代半ばはこうして見ても実にエキサイティングな時期だった。ヴァーリィの登場はいわばその幕を切って落とすファンファーレでもあり、また最も華やかな才能が眼の前で花開いてゆくのをまざまざと見せつけられるものだった。F&SF誌に載った「火星の王の宮殿にて」に描かれた、眠っていた火星の生物たちが時を得て次々と姿を現してくるめくるめく情景は、サイエンス・フィクションを読んでいて最も興奮した瞬間の1つでもあった。この時期には『スター・ウォーズ』革命も重なるわけだが、その前から、質の面でも、サイエンス・フィクションは60年代の試行錯誤による成果を踏み台に、大きな飛躍が始まっていたのだ。

 SFFの質の向上の現れは、たとえばヴァーリィを紹介したF&SF誌の充実ぶりに見てとれる。1970年代のF&SFは黄金時代と言っていい。1966年から1991年まで編集長を務めた Edward L. Ferman は1981年のヒューゴーでは Best Professional Editor とともに、「ジャンルにおける作品の質の拡大と改善への貢献」に対して特別賞を授与されている。

 ヴァーリィはどれもこれも面白く、成功しているとは言えない長篇も楽しんでいたところへ、脳天一発かち割られたのが「残像」The Persistence of Vision だった(これまたF&SF誌発表)。これはおそらく英語で書かれた長短合わせて全てのサイエンス・フィクションの中でも最高の1作、いや、およそ英語で書かれたすべての小説の中で最高の作品の1つだが、1個の究極でもあって、その衝撃は大きかった。これ以後のヴァーリィはいまだに読んでいない。

 まあ、あたしはいつもそうで、ル・グィンもバラードもシェパードも、一時期夢中になって読むが、あるところまで行きつくと、ぱたっと読まなくなる。しばらく経ってから、また読みだすが、ヴァーリィはまだ読む気になれない。それだけ「残像」のショックが大きかったということか。

 われわれの五感とコミュニケーションのそれぞれと両者の絡み合いについて、これほど深く掘り下げて、その本質を、本来言葉にできない本質を、同時に言葉でしか表現できない本質を、ありありと感得させてくれた体験を、あたしはまだ他に知らない。ハンディキャップや disabled とされてきた状態も個性であり、多様性の一環として捉えようという時代にあって、一方で、デジタル技術によるリアルタイム・コミュニケーションに溺れる人間が多数派になっている時代にあって、「残像」はあらためて熟読玩味されるべき作品ではある。

 ヴァーリィと言えば、長篇 Wizard に登場する異星人がとりうる複数の性の対応関係を示したチャートについて、作家の Annalee Newitz が先日 Tor.com に書いた記事のコメント欄にヴァーリィ本人が登場したのは面白かった。しかも、この記事のことはグレゴリー・ベンフォードから教えられた、というのもまた面白い。やあっぱり、皆さん、あそこはチェックしてるんですなあ。これを見て、Titan だけ読んだ「ガイア三部作」も含めて、あらためて「残像」以降のヴァーリィを読もうという気になったことではある。(ゆ)


2019-12-24追加
1934, スタンリィ・G・ワインボーム
1976, カーター・ショルツ

2019-12-30追加
1963, テリィ・プラチェット
1977, テリー・ブルックス(長篇)
1979, ダグラス・アダムズ(長篇)
1984, デヴィッド・ゲメル(長篇)

04月24日・日
 アルテスのニュースレターで優河の新譜を知り、OTOTOY で購入。しかし、ちゃんと CD もアナログも出るのだった。
言葉のない夜に
優河
インディーズメーカー
2022-03-23


 創元推理文庫から出るアンソロジー『宇宙サーガSF傑作選』にアリエット・ド・ボダールの「竜が太陽から飛び出す時」が収録されるので来た再校ゲラを点検。1ヶ所、校閲者からの指摘に、どうして自分で気がつかなかったかと地団駄を踏んで、提案にしたがう。
 『茶匠と探偵』に入れるために選んで訳したもの。このアンソロジーの原書 John Joseph Adams 編の Cosmic Powers, 2017 に初出。翌年ドゾアの年刊ベスト集に選ばれた。
茶匠と探偵
アリエット・ド・ボダール
竹書房
2019-12-07



##本日のグレイトフル・デッド
 04月24日には1966年から1988年まで7本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

1. 1966 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。ローディング・ゾーン共演。セット・リスト不明。

2. 1970 Mammoth Gardens, Denver, CO
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。第一部はアコースティック・セット、第二部はエレクトリック・セット。ジョン・ハモンド? とニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座。
 DeadBase XI の Mike Dolgushkin によれば、出回っているテープの音はひどいが演奏は面白い。〈The Eleven〉をこの時期にやるのも珍しい。

3. 1971 Wallace Wade Stadium, Duke University, Durham, NC
 土曜日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ガルシアはここで2時間、主にペダルスティールを弾き、さらにデッドで4時間、演奏した。このイベントはさらにポール・バターフィールド・ブルーズ・バンド、ビーチ・ボーイズと続き、トリがマウンテン。これが昼間の屋外のこの会場で、夜は屋内に移り、タジ・マハルが出た、という証言もある。
 ビーチ・ボーイズはデッドと共演するまで4年待ったとコメントした。ある証言によれば、会場で会った男と、デッドの演奏がいかにすばらしいかで意気投合したが、相手はフェリックス・パッパラルディと判明した。

4. 1972 Rheinhalle, Dusseldorf, West Germany
 月曜日。12マルク。開演8時。全体が《Rockin' The Rhein With The Grateful Dead》でリリースされた後、《Europe '72: The Complete Recordings》でもリリースされた。3時間半。全体を3枚の CD に収め、かつ長く続くトラックを切らないために、曲順が若干変更されている。この日は三部に別れた上にアンコール。
 ドイツはヨーロッパ大陸ではデッドのファン層が厚いところで、このツアーでも最多の5ヶ所を回っている。一つの要因は、冷戦の当時、ドイツには多数の米軍が駐屯していて、そこの兵士たちがデッドを聴いていたことがあるらしい。ショウによっては、聴衆の多くが近くの米軍基地の軍人だったこともあるようだ。とはいえ、場内アナウンスなどはドイツ語であり、外国にいることはバンドにも意識されていただろう。曲間に時折りはさまる MC はゆっくり明瞭に話すよう努力しているようだし、演奏も全体にゆったりとして、歌詞をはっきり歌うようにしていると聞える。あるところでウィアが、おれたちは曲間が長い、ひどく効率が悪いんだよ、とことわってもいる。次にやる曲をその場で決めているために、時に5、6分空くこともあるからだ。
 このツアーの録音はどれも優秀だが、このショウの録音は特に良い。ピアノがこれまではセンターにいたのが、ここでは右に位置が移っている。またCD化にあたってのミックスだろうか、初めはヴォーカルをシンガー各々の位置に置いているが、9曲目の〈Loser〉からセンターに集める。コーラスではこの方が綺麗に聞える。
 コペンハーゲン以来ほぼ10日ぶりのフルのショウで、バンドは絶好調である。〈Truckin'〉から始めるのはツアーでは初めてだし、一般的にも珍しい。ガルシアのソロがすばらしく、これを核にした見事なジャムで10分を超える。ガルシアはギターも歌もノリにノッていて、ソロがワン・コーラスで収まらずにもうワン・コーラスやったり、歌ではメロディを自在に変えたりする。5・6曲目の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉から本当に火が点く。ガルシアのソロがメインのメロディから外れだし、全体のジャムが長くなって、このペア本来の面白さが顔を出している。ショウとしても、このペアの演奏としても、ターニング・ポイント。ショウとしてはここから10曲目〈Playing In The Band〉、そしてクローザー前の〈Good Lovin'〉と全体での集団即興が深さとからみと長さを増してゆく。ハイライトは〈Good Lovin'〉で、歌が一通り終ってから、これとはほとんど無関係なジャムがガルシアのソロを先頭に繰り広げられる。やがて、そこにピグペンがこれまた元の歌とは無関係に即興のラップを乗せだして、これにバンドが様々の組合せであるいは支え、あるいは応答して延々と続く。一級のヴォーカルが前面に立ち、バンドがジャムでこれを押し上げる、というこの形は、グレイトフル・デッドのひとつの理想の姿だ。しばらく続いた後、ガルシアがテーマのリフを弾きだし、バンドが戻るのに、ピグペンはなおしばし別の歌をうたい続ける。
 ピグペンはこのツアーで決定的に健康をそこね、帰ってからは入退院を繰返すようになるのだが、自分が限界にきていることを覚っているのか、歌もオルガンもハーモニカもすばらしい演奏を披露している。このヨーロッパ・ツアーをデッド史上でも最高のものにしている要因の小さくないものの一つはピグペンのこの捨て身の演奏だ。それは原始デッドの最後の輝きであると同時に、アメリカーナ・デッドとしても確固とした存在感を放っている。
 第二部は〈Dark Star〉から始まる。歌までのジャムがまず長く、10分以上ある。ガルシアの歌唱はかなりゆっくりで、その後はスペーシィなジャムになる。ピアノの音が左右に動くのは、どういう操作か。ビートがもどってからのメロディ不定のジャムがすばらしい。
 そこに〈Me and My Uncle〉がはさまる。ここでウィアの歌の裏でガルシアが弾くギターが愉しい。曲が終ると喝采が起きるが、曲は止まらずに再び〈Dark Star〉にもどっている。ドラムレスでガルシアとレシュとキースがそれはそれはリリカルなからみを聴かせ、しばらくしてウィアも加わり、1度テーマにもどってから、2番の歌はなくて〈Wharf Rat〉へ移る。ここでのガルシアのソロは明く、心はずむ。〈Sugar Magnolia〉で再び休憩。
 後のデッドならここでアンコールになるところだが、この時期はさらに第三部を30分以上。ここでのハイライトはスロー・ブルーズ〈It Hurts Me Too〉。ブルーズというのはシンガーによって決まるところがあって、デッドでこの後、これに近いところまで行くのはブレント・ミドランドの後期になる。ただ、ミドランドの声には、ピグペンのこの「ドスを呑んだ」響きは無い。締めはこの頃の定番〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉をはさんだ〈Not Fade Away〉。後のパートではウィアとピグペンが掛合いをし、その裏でガルシアがギターを弾きまくる。
 アンコールの〈One More Saturday Night〉は、このツアーではほとんどのショウで最後の締めくくりを勤める。
 次は1日置いてフランクフルト。

5. 1978 Horton Field House, Illinois State, Normal, IL
 月曜日。開演7時半。第一部クローザー〈The Music Never Stopped〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《Dave's Picks, Vol. 7》で全体がリリースされた。
 当初、ライヴ録音に参加しよう、と宣伝されていたそうだが、《Dave's Picks》で出るまで、公式リリースはされなかった。《Live/Dead》や《Europe '72》の成功があったにもかかわらず、デッドは現役時代、ライヴ・アルバムのリリースにあまり積極的ではなかったように見える。このあたりも伝統音楽のミュージシャンに通じる。

6. 1984 New Haven Coliseum, New Haven, CT
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時半。前日やこの次に比べると全体として落ちるが、初めてデッドのショウを体験した人間にとってはライフ・チェンジングなものだった由。

7. 1988 Irvine Meadows Amphitheatre, Irvine , CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時半。
 同じ日に近くで航空ショウがあり、ジェット戦闘機が低空で飛びまわっていた。そのうちの一機は低く突込んだまま上がってこなかった。その機体は胴体着陸したが、パイロットは助かったそうな。と証言しているのは、元空軍で消防官をしていたデッドヘッド。(ゆ)

0211日・金

 『SFが読みたい! 2022年版』所載の海外篇ベストSF2021で、あたしが訳した『時の他に敵なし』が第6位に入った、というので、初めて買ってみる。

SFが読みたい!2022年版
早川書房
2022-02-10

時の他に敵なし (竹書房文庫 び 3-1)
マイクル・ビショップ
竹書房
2021-05-31


 どなたが、どのようにして選んでおられるのかも承知しないが、自分の仕事がこうして認められるのは嬉しい。何はともあれ、ありがとうございます。そして、これを機に少しでも売れますように。

 このリストでは内田さんの訳された『時の子供たち』が2位に入ってもいて、これまためでたい。

時の子供たち 上 (竹書房文庫)
エイドリアン・チャイコフスキー
竹書房
2021-08-02






時の子供たち (下) (竹書房文庫 ち 1-2)
エイドリアン・チャイコフスキー
竹書房
2021-07-16

 ベスト10のうち、この本の版元の早川のものが半数なのはまあそんなものだろうが、『時の他に敵なし』の版元、竹書房が2点、早川の他では唯一複数入っているのも、めでたい。Mさんの苦労も報われたというものだ。

 エイドリアン・チャイコフスキーも面白いものを書く人と思うので、評価されるのはめでたい。この人、ひと頃のシルヴァーバーグやディックなみに量産しているのも今どき珍しいし、虫好きで、これもそうだが、虫がたくさん出てくるのも面白い。動物との合体はSFFに多いが、虫との合体は、スターリングにちょっとあったくらいじゃないか。ディッシュの短篇に「ゴキブリ」という大傑作があるが、あれはむしろホラーだ。チャイコフスキーはもっと普通の話。出世作の十部作のファンタジーはキャラクターの祖先が虫で、祖先の虫が何かで部族が別れていたりする。だいたい、この人の名前がいい。チャイコフスキーは元々ポーランドの名前で、作曲家も祖先はポーランドの出身だそうだ。『ウィッチャー』で注目されるポーランドには、なんてったってレムがいるけど、『ウィッチャー』以外の今の書き手も読んでみたいものだ。

 レムと言えば、ジョナサン・レセムが先日 LRB に書いていたエッセイ、「レムを読んだ1年」はなかなか面白い。今年は無理だが、来年はレムを読むぞ、と思ったことではある。

 ぱらぱらやっていると、中国に続いて、韓国のSFも盛り上がっているのだそうだ。英語圏でも Yoon Ha Lee がいるし、E. Lily Yu も確かコリアン系ではなかったかと思う。中国系はやはりケン・リウの存在が大きい。今の中華系SFの盛り上がりはほとんど彼が独力で立ち上げたようなもんではある。

 アジア系ではサムトウ・スチャリトクルのタイが先行したけれど、やはり今世紀に入ってどっと出てきた感じがある。去年やらせてもらったアリエット・ド・ボダールのヴェトナムでは、Nghi Vo The Empress Of Salt And Fortune が今回ヒューゴーのノヴェラを獲った。あれは受賞して当然だし、やはり去年出した初の長篇 The Chosen And The Beautiful も面白かった。フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を視点を換え、世界を少しずらしてゴシック・ファンタジーに仕立てなおした1篇で、実に見事な本歌取りになっている。元歌がフィッツジェラルドなので、一般読書界からも注目された。Washington Post Ron Charles は、こちらの方が話のつじつまが合うと言っていた。

 ヴェトナムは今のところ、もう一人 Violet Kupersmith も含めて、ファンタジー色が強いのも面白い。アリエットの「シュヤ」のシリーズにはサイエンス・フィクションもあるから、これから出てくることを期待する。



##本日のグレイトフル・デッド

 0211日には1966年から1989年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1966 Youth Opportunities Center, Compton, CA%

 Watts Acid Test と呼ばれるイベントとされるが、アウズレィ・スタンリィの言葉だけで、明確な証拠はない。アシッド・テストに関するベアのコメントは信用性が低いことで知られる。このイベントのものとされているテープが存在するが、その憶測を支持する根拠は無い。


2. 1969 Fillmore East, New York, NY

 このヴェニュー2日連続の初日。《Fillmore East 2-11-69》で全体がリリースされた。

 ショウは Early Late の2本立てで、ともに1時間強。ジャニス・ジョプリンが自分のバンド、後に Kozmic Blues Band と呼ばれるバンドを率いての初のライヴで、デッドはその前座。デッドの演奏を見たジョプリンは、あたしたちが前座をするべきだね、と言ったと伝えられる。

 いろいろな意味で興味深いショウ。とりわけ、遅番ショウの冒頭の2曲〈Dupree's Diamond Blues〉〈Mountains Of The Moon〉をアコースティック仕立てでやっている。ガルシアはアコースティック・ギターで、後者の途中でエレクトリックに持ち替える。この年は原始デッド完成の時期だが、すでに次のアメリカーナ・デッドへの模索が始まっていたのだ。ともに演奏としては上の部類で、こういう仕立ても立派に成り立つと思わせる。ともに《Aoxomoxoa》収録。

 〈Dupree's Diamond Blues〉は19690124日にサンフランシスコで初演。0711日を最後に一度レパートリィから落ち、19771002日、ニューヨークで復活。1980年代を通じてぽつりぽつりと演奏され、最後は跳んで19941013日のマディソン・スクエア・ガーデン。計78回演奏。公けの初演の前日のリハーサルの録音が《Download Series, Vol. 12》に収録されている。

 〈Mountains Of The Moon〉は19681220日、ロサンゼルスで初演。19690712日、ニューヨークが最後。《Aoxomoxoa》の1971年リミックス版が出た時のインタヴューでガルシアは、この曲はお気に入りだと言っているが、結局トータル13回しか演奏されなかった。

 このショウの話題の一つは早番ショウの最後にピグペンが〈ヘイ・ジュード〉を歌っていることで、デッドとしての初演。オリジナルは前年8月にリリースされているから、カヴァーとしては早い方だろう。一聴すると、ひどくヘタに聞えるが、ピグペンは自分流に唄おうとしている、というより、かれ流にしか唄えないのだが、そのスタイルが楽曲とはどうにも合わない。おそらく自分でもそれはわかっているが、それでも唄いたかった、というのもわかる。ただ、やはりダメだと思い知ったのか、以後、長く封印され、1980年代半ばを過ぎてようやくブレント・ミドランドが持ち歌として、今度はショウの第二部の聴き所の一つとなる。

 デッドがジャニス・ジョプリンの新たな出発に立ち会うのはまことにふさわしいと思える一方、デッドはまたこういう歴史的場面に立ち会うような星周りの下にあったようでもある。DeadBase XI Bruce C. Cotton のレポートにあるように、当時、デッドはまだローカルな存在だったが、後からふり返るとそこにデッドがいたことで輝く瞬間に立ち合っている。North Face がサンフランシスコに開いた最初の路面店のオープニングで演奏しているように。

 もっともこのコットンのレポートはかなり脚色が入っている、あるいはその後の体験の読込みが入っているように思える。

 ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーはクィックシルヴァーやエアプレイン同様、サンフランシスコ・シーンの一員だが、この二つのメンバーがデッドのショウに参加することはあっても、ビッグ・ブラザーのメンバーは無かったようなのは、興味深い。

 まったくの余談だが、ジョプリンがビッグ・ブラザーを離れたことには、ビッグ・ブラザー以外の誰もが喜んだように見える。自分たちの音楽によほど自信があったのか、音楽的な冒険をすることに臆病だったのか、理由はわからないが、すでにできあがったスタイルに固執していて、それがジョプリンの可能性の展開を抑えていたという印象がぬぐえない。一方でその頑固さがジョプリンの保護膜にもなっていたとも見える。


3. 1970 Fillmore East, New York, NY

 このヴェニュー3本連続のランの初日。日曜日までフィルモア・ウェストで3日連続をやり、月火と2日置いてニューヨークで3日間、20日から4日間テキサスを回り、3日置いてサンフランシスコのファミリー・ドッグ・アト・ザ・グレイト・ハイウェイで3日連続と、まさに東奔西走。

 これも8時の早番と 11時半の遅番の2本立てで、3.504.505.50ドルの3種。オールマン・ブラザーズとラヴが共演。

 早番のオープナー〈Black Peter〉が2012年の、遅番の2曲目〈Cumberland Blues〉が2021年の、アンコール〈Uncle John's Band〉が2010年と2013年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 遅番の〈Dark Star〉にラヴの Arther Lee がパーカッションで参加。ピーター・グリーンとデュアン・オールマンも参加したらしい。〈Turn On Your Livelight〉にグレッグ・オールマンがオルガンとヴォーカルで、ベリー・オークリィがベースで参加。ダニー・カーワンも入っていたらしい。

 アンコールはアコースティック・ギター1本とヴォーカルだけで、なかなか良い演奏。

 オールマン・ブラザーズ・バンドがツイン・ドラムスの形を採用したのはデッドの影響、というのはどこかで誰かが証明していないか。フィルモアのライヴでも顕著な長いジャムやスペーシーな即興もデッドの影響だと言ってもおかしくはない。



4. 1979 Kiel Auditorium, St. Louis, MO

 このヴェニューでは、昨年のビッグ・ボックス・セット《Listen To The River》でリリースされた19731030日以来久々のお目見え。セント・ルイスでは19770515日に演っている。年初以来のツアーの最後。あともう1本、17日にオークランドでショウをして、ガチョー夫妻はバンドを離れる。


5. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 16ドル。開演8時。このヴェニュー5本連続の中日。ネヴィル・ブラザーズ前座。さらに、第二部のオープナー〈Iko Iko〉〈Eyes Of The World〉とそれに続く Drums、さらに3曲のアンコールにも参加。

 ミッキー・ハートの招きでジョセフ・キャンペルがこのショウを見にきて、「デュオニソスの儀式、バッカスの宴そのままだ」と述べたと伝えられる。


6. 1989 Great Western Forum, Inglewood, CA

 開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。第二部 Drums にアイアート・モレイラが、Space の後の〈Eyes Of The World〉にアイアート&ダイアナ・モレイラとフローラ・プリムが参加。年頭から5本目にして、ようやくエンジンがかかってきたようだ。(ゆ)


1201日・水

 上京したので、新宿・京王地下の Paul でバタールを買って帰る。パン・ド・ミがあるので、それも買う。パン・ド・ミはさすがにまっとうだが、コペに比べてそれほど違うとも思えない。しかし、バタールは他の国産のパン屋のものとは全然別物。ここは小麦粉からしてフランスから持ってきているそうだが、それだけではないんだろう。


 Library of America のブラッドベリの巻が刊行になり、記念して、編者へのインタヴュー LOA のサイトに出ている。

 この記事で初めて知ったことに、『火星年代記』のダブルディの初版からは除かれた話が2篇あった。除いたのは著者自身だが、本が出た直後、この削除を後悔して、戻そうとした。つまり全体では短篇17篇とブリッジ11篇になるはずなのだが、そう簡単にはこの本来の形では出ず、錯綜した事情の末、これまでにこの形で出ているのはごく少数。最も普及しているバンタムのマスマーケット・ペーパーバック版はダブルディの初版のまま。除かれたうちの一篇 "The Fire Balloons" は『刺青の男』に収録。もう一篇 "The Wilderness" は『太陽の黄金の林檎』に収録。邦訳『火星年代記』は初版のまま。LOA版では The Martian Chronicles に上記2篇が復活された形で収録。

 『火星年代記』も『刺青の男』も『太陽の黄金の林檎』も読んでいるが、この2篇はまったく覚えていない。『火星年代記』の一環として読めば、また読み方も変わってこよう。全体の姿も変わるかもしれない。この際、原語で読むべし。いや、しかし、ブラッドベリをこの前、最後に読んだのはいつだろう。ひょっとすると半世紀前か。いやいや、そんなことはないはずだ。。

 加えて今回の巻末にはひどく面白そうなエッセイ、それもファンジンやパンフレットに載ったものが数本集められてもいて、これを読むためだけにでも買う価値はありそうだ。

 それにしてもここに引用されている、第二次世界大戦直後のアメリカの「恐怖の文化」についての描写は、COVID-19 とりわけ、今回のオミクロン株に対する「恐怖」にもまさに恐しいほどぴたりとあてはまっている。



 Charlie Jane Anders の中短篇集 Even Greater Mistakes が珍しくもメジャーから出る。中短篇集がメジャーから出るのが珍しいので、昨今では中短篇集は Small Beer Press Subterranean Press のような専門の小版元からしか出なくなってきているから、これは応援する価値がある、注文しようとアマゾンで検索すると、そのすぐ下に Tui T. Sutherland という人の本が出てきて、3,000近い評価で星5つになっている。Scholastic から出ているジュヴナイル・ファンタジーのシリーズ Wings of Fire の最新刊で、若いドラゴンたちが主人公。著者はベネズエラ生まれ、パラグアイ、フロリダ、ドミニカなどに住んだ後、ニュー・ジャージーで高校に入る。母親はニュージーランド出身。という経歴がまず面白い。Tui というのはニュージーランド特産の鳥の名前。エリマキミツスイと総称される鳥の一種、だそうだ。ということで、第1巻 The Dragonet Prophecy の古書を注文。このシリーズ、2012年からの9年で14冊というハイペース。Netflix がワーナーとアニメ化するという。邦訳は無いようだ。

Even Greater Mistakes
Jane Anders, Charlie
Titan Books Ltd
2021-11-09

The Dragonet Prophecy (Wings of Fire)
Sutherland, Tui T.
Scholastic
2014-07-03


 mora qualitas のサービス終了。利用していないので知らないが、mora 本家で売れてるアニソンなどは聞けなかったのかしらん。それとも、アニソンのファンは高音質ストリーミングに興味が無いのか。それとも、結局ソニーお抱えのミュージシャンだけでは、Tidal Qobuz に対抗できないと判断したのか。そういえば、ストリーマなどストリーミング対応機器でも、TidalQobuz,Roon は当然として、Deezer はまだしも、mora qualitas が入ってますというのは見た覚えがなかったねえ。結局ガラバゴス化して、絶滅への道を歩んだのかな。というのは下司の勘繰りだけど、今の時代、何であれ、ガラパゴス化すると、結局絶滅するしかないんだろうね。アナログ時代からちゃんと続いてるものは別なんだろうけど、デジタルものではとりわけね。



##本日のグレイトフル・デッド

 1201日には1966年から1994年まで6本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1966 The Matrix, San Francisco, CA

 このヴェニュー4日連続の3日目。


2. 1968 Grande Ballroom, Detroit, MI

 ポスターによると前日はブラッド・スエット&ティアーズが出ている。この日は Popcorn Blizzard が前座。

 Popcorn Blizzard はシンガーの Meat Loaf 本名 Marvin Lee Aday が最初に在籍して名を挙げたバンドとして知られる。1967年、ロサンゼルスでドラマーの Pete Woodman が結成。ベース、ギター、キーボードとシンガーの5人編成。


3. 1971 Boston Music Hall, Boston, MA

 ピグペンとキース・ガチョーが共に出た初めてのショウ。

 第二部で〈That's It for the Other One〉に〈Me and My Uncle〉が編みこまれたヴァージョンは、他にちょっと例が無く、どちらの曲にとっても特筆大書すべき出来、と DeadBase XI John W. Scott が書いている。


4. 1973 Boston Music Hall, Boston, MA

 このヴェニュー3日連続の中日。《Dick's Picks, Vol. 14》はこの前日と翌日のショウからのピックアップだが、なぜか採録されなかったこの中日も両日に劣るものではないそうだ。

 第二部の初めで、消防の規則にしたがえ、通路に立つなと、バンド・メンバーが聴衆に何度も呼びかけた由。


5. 1979 Stanley Theatre, Pittsburgh, PA

 セット・リスト以外の情報無し。


6. 1994 McNichols Arena, Denver, CO

 第一部クローザー前の〈When I Paint My Masterpiece〉でウィアはアコースティック・ギター。

 セット・リスト以外の他の情報無し。(ゆ)


 翻訳作品集成サイトの雨宮さんが、『時の他に敵なし』をまったく読めない、とされているのに、ぎゃふんとなる。困ったことである。ビショップはマニアの好き心をくすぐる時もあるけれど、一方でSFFのマーケットの存在など忘れたように、その「約束ごと」に徹底的に背を向けることがある。これなどはその極北の例かもしれない。書き手のツボにははまるのだ、たぶん。こういう作品を書いてみたい、と思わせる。あるいは、こういうのは自分には書けないと思わせる。

 しかし、読み手にとっては要求するレベルが高い。サイエンス・フィクションの「約束ごと」の一つは、核になるアイデアは何らかの形で明瞭に示すことだ。最後に誰の目にもわかる形で提示することでカタルシスを与える、というのが典型的だ。次に多いのは冒頭ないし初めの方で提示しておいて、そこから生まれるドラマを描く。

 ところがここではそういうことをまったくやらない。時間旅行というアイデアは提示されるけれど、これは核になっているアイデアの片方の側面だけだ。もう一つの、裏の側面と合わせて初めて全体像が現れる。そして裏の側面の方は、意図的に隠されているわけではないけれど、巧妙に散らばされていて、あたしには再読してようやく見えはじめた。翻訳をやりながら、だんだんに見えてきて、ここがそうなら、そうか、あそこはこういうことか、いや、それならあっちにもあったぞ、と徐々につながってきた。再校ゲラで初めて、ああ、そういうことだったのか、とだいぶはっきりしたところまできた。まだ全部わかったという自信はない。1年くらいあけて読みかえしてみてどうなるか。とはいえ、わからなくても面白くないわけではなく、見えなかったことがだんだんに見えてくるそのプロセスはむしろスリリングだった。見えてみると、その記述の仕方はストーリーに溶けこんでいて、その巧さにまた唸った。

 あるいは読めないのは構成の複雑さからだろうか。この話は大きく2つ、主人公が過去に「実際に」旅立つまでと、旅立った先の過去での部分に分けられて、各々の章が交互に並ぶ。旅立つまでの部分の各章は時間軸に沿ってではなく、入り乱れて並んでいる。入り乱れていることにもちゃんと理由が述べられる。各章のタイトルに年号が記されているけれど、それだけではあたしは混乱してしまいそうだったから、作業用に目次を作った。原書には目次はなく、したがって訳書にも入れなかった。目次を作るという手間をかけるかどうかは読者の判断だろうし、手間をかけるのも楽しめる。それにひょっとすると、こういう構成をとったのには、読者を混乱させる意図もあるかもしれない。担当編集者のハートウェルと一緒に、綿密に確認したというのは、書き手自身も混乱してしまいそうになったことも示唆する。

 あたしはとにかく面白くてしかたがないのだが、どう伝えればこの面白さが伝わるか、困ってもいる。裏のアイデアは見つけるのが楽しい、自分で読み解いて初めて快感がわくので、明かしてしまってはそれこそネタバレで、興醒めもいいところだ。ヒントを出すのさえためらわれる。

 雨宮さんのコメントが困ったことなのはもう一つある。読めないのは話の問題ではなく、あたしの訳の問題であるかもしれないからだ。そうであるなら、訳としては失格だ。原文は読めないどころではない、すらすらと読める。むしろ最もすらすら読める文章の一つだ。それが読めないとすれば、日本語としてはOKでも、小説の邦訳としては落第なのかもしれない。どこをどう直せば読める翻訳になるのか、見当がつかないから、途方に暮れる。(ゆ)

時の他に敵なし (竹書房文庫 び 3-1)
マイクル・ビショップ
竹書房
2021-05-31


6月21日・月

“Copy the whole thing out again in long-hand.”
- Paul Theroux, author of Under the Wave at Waimea

があるのに嬉しくなる。たいていは逆だ。もっとも英語の場合、タイプないしキーボードと画面に向かって打つのがデフォルトだ。初稿を手書きで書く人は多くはない。しかし、別に小説や翻訳ではなくても、レコード評や書評やエッセイでも、試してみる価値はあるかもしれない。今や、あたしらだって、画面に向かってキーボードを打っている。

 これは一度書きあげてからブラッシュアップするための手法ではある。とにかく最後まで書きあげろ、とか、毎日書け、とかももちろんあるが、セルーのこれは初めて見た。

 言わずもがなではあるが、手書きは自分の肉体を使って一字一字書くことで文章に命を吹きこむためにやる、さらにこの場合には文章が生きているか確認するためにやるので、人に見せるためのものではない。作家の肉筆原稿を読んで喜ぶのは研究者ぐらいだ。


 むろん小説を書こうと思ったら、書く前にまず読まねばならない。このペンギンのサイトでも、とにかく「読め」とある。"You can only vomit what you eat." 創作とは、どんな形であれ、食べたものを口から吐くか、尻から出すか、どちらかで、どちらにしても、食べたものしか出てこない。出すには食べねばならない。

 吸収するのは活字からとは限らず、静止画でも動画でも音楽でも、あるいは味覚、嗅覚、触覚からでもいい。それらは蓄積されて材料になる。とはいうものの、最終的な産物が小説であるならば、活字を一番多く吸収することは必要なのだ。それこそ浴びるように、どっぷりと首まで、溺れそうになるくらいに小説に漬かることは必要なのだ。絵を描こうとすれば絵を見る、動画を造るのなら動画を見る、音楽を作ろうとすれば音楽を聴く、旨い料理を作ろうと思えば旨い料理を食べることが必要なのだ。証明はできないが、経験的にわかる。


 もう一つ。ドリトル先生が鸚鵡のポリネシアに語る言葉を敷衍した James Wood の How Fiction Works (2008) からの引用。

Literature differs from life in that life is amorphously full of detail, and rarely directs us toward it, whereas literature teaches us to notice. Literature makes us better noticers of life.

How Fiction Works
Wood, James
Vintage
2009-02-05



 ここで life は人生、暮し、日常をさすだろう。ファンタスティカは life から取り出したものを life の中ではありえない姿に変形して示す。変形することで人間以外の存在、人間がその一部でしかない環境まで視野を広げ、life の本質をより効果的に、より明確に示す。リアリズムよりもさらに良く life を気づかせる。それも、当人にはそうとは気づかせないままに。娯楽に逃避しているつもりで、実は現実が意識の奥に刻みこまれている。そこがまたファンタスティカの面白いところだ。(ゆ)
 

6月16日・水

 Grimdark Magazine の オリジナル・アンソロジー The King Must Fall を Kickstarter でプレッジ。Anthony Ryan がノヴェラで参加しているので買わないわけにはいかない。Kameron Hurley や Anna Smith Spark もいるし、エイドリアン・チャイコフスキーもいるしで、かなり美味しそうだ。

 この雑誌はイギリスだと思っていたら、オーストラリアだった。

 Kickstarter の出版も増えたなあ。翻訳出版もできるだろうか。


 Cookie Marenco の Cookie's Corner #90 How DID we record during the pandemic? は面白い。仲間の録音エンジニアたちとパンデミック中の録音について話す中で、皆さん防音完備のスタジオではなく、自宅など臨時の環境で録音せざるをえなくなり、当然、色々と外界の音が入ってくる。クーキーはそういうのに慣れていて、むしろ自然発生的なそういう音楽がスタジオ環境でのものよりずっとすばらしいことも体験として知っている。ところが他の、いわば完璧主義者のはずのエンジニアたちも、最高の演奏を録っている最中にどこかでケータイが鳴るというのが、実はそれほど悪いことではない、むしろその方が音楽の良さが引き立つこともあるとわかったと言う。これからはもっと「ライヴ」な環境で録りたい、録るつもりだ、と口をそろえる。これで録音された音楽に情熱がもどってくるかもしれない、というクーキーの期待は共有できる。


The World of Octavia E. Butler
by Lynell George
Angel City Press
2020
176pp.
978-1-62640-063-4
 一応の伝記ではある。が、中心は作家としてブレイクするまでの、バトラーの孤独な奮闘、もがきの再体験。第三者として可能なかぎりの再体験を試みている。

 最終第10章は、著者がバトラーの生身に遭遇した最初と最後の機会を回想する。最初は10代の時、英語教師だった母親がオーガナイズした、ロサンゼルスの独立書店のひとつでのバトラーの講演会。最後は2004年6月、シアトルで開かれた Black To The Futures: a Black Science Fiction Festival の基調講演。講演の後に捕まえて、将来のインタヴューの約束をとりつけた。バトラーの急死によって、このインタヴューは結局実現しなかった。

 その講演の原稿に著者はハンティントン図書館のバトラー・コレクションで再会する。レーザー・プリンタで打ち出された原稿には、カラフルなマーカーで強調するところや一息入れるところが示され、欄外には朱で注意書きや訂正が入っていた。書かれた言葉を10年以上経って読むのは、あの時、話されるのを聴いたのとはまったく別の体験だった。笑いをとって聴衆の緊張をやわらげるためだった言葉が、重い真実を浮かびあがらせる。

 ここで浮上するバトラーは作家として確立した、マッカーサー「天才」助成金受賞者の姿ではない。それよりも、ただ1人、おのれの道と本人に思えるもの、本人にしか見えないものを粘り強く、勤勉に求めてゆく姿だ。その孤独を慰めるものは自分しかおらず、バトラーはそれをノート、「セッション」ノートにぶちまけ、書くことによって傷を治し、自分を励まし、新たな力を得て、また創作、物語を語ることへ向かう。著者が言うとおり、バトラーはその作品が売れる遙か前、そもそもの当初から常に書く人、作家だった。書くことで個人的問題を処理し(必ずしも「解決」がつけられるわけではない)、自分の住んでいる世界の問題を物語に語り、読む者に考えさせ、行動させた。

 黒人の女性が作家になどなれるはずはない、ということは、誰よりもバトラーを知るはずの周囲の人たちが口をそろえて本人に言い続けたことだ。だからバトラーには相談相手がいなかった。その不安、悩みを聞いて、励ましてもらえる相手はいなかった。バトラー以前に黒人の女性の作家、サイエンス・フィクションやファンタジィを書いた作家がまったくいなかったわけではない。しかし、その存在は、作家としては知られていたとしても、黒人の女性の作家ということはまず知られていなかった。バトラーが出てから、後追いで探してみれば、この人もそうだった、あの人もいた、もっといたかもしれない、と判明してきた形だ。

 バトラーは文字通りのパイオニアであり、しかも単に開拓者だっただけでなく、第一級の書き手、ヒューゴー、ネビュラも受賞した書き手だった。SFWA は Grand Master こそ贈っていないが、Kate Wilhelm Solstice Award を2012年に贈っている。この賞はSFFの分野に積極的かつ大きな影響を与えたと認めるものだ。言い換えれば、バトラーにはロール・モデルがいなかった。彼女がSFFに惹かれたのは白人男性作家たちの作品による。前例というものが無い、そしてそういうものになることが可能であると示唆するものすらまったく無い世界で、ひたすら読み、書くことで、バトラーは自らを鍛え、単なる作家の1人ではなく、レジェンドの1人になっていった。そして、バトラーの存在と作品は、今年の SFWA Damon Knight Grand Master の受賞者ナロ・ホプキンソンにとっても導きの星になる。

 その苦闘、不安というよりは恐怖と不安定な生活の中であがき続ける存在の内面の情景を著者は描こうとする。

 バトラーが自分以外に頼れたのはまず図書館。そしてバス。あのロサンゼルスで運転免許証すら持たないことがどういうことか、おそらく実際に住んだことがなければ、実感が湧かないだろう。不可能ではない。しかし、それによって生活するためには、少なくとも綿密な計画と並外れた忍耐力が必要なはずだ。バトラーはまず歩き、そしてバスに乗って移動した。何枚もの定期券と手擦れのした時刻表が残されている。

 一方でバスは長距離になることも多く、バス内外の情景・体験は作品の材料となり、物語を練る時間を提供した。

 バトラーはそのリサーチを全面的に公共図書館でしている。図書請求票、リクエスト・カード、call slip をすべて保存していた。もっともこれだけでなく、日常生活で出てくるレシート、公共料金の請求書、バスの定期券、施設への入場券、イベントのチラシなどありとあらゆる書類も保存していた。原稿、草稿、ノート、メモ、書簡、ビジネス書類など、作家が通常残すものにこれらが加わって、サン・マリノにあるハンティントン図書館にあるバトラーのコレクションは300箱になる。ハンティントンは図書館、美術館、植物園からなる私立の外藐Φ羯楡漾残された書類の中にはバトラーのロサンゼルス公共図書館利用者カードもある。

 リサーチだけではもちろん無い。その前に、大人のセクションへ入ることができる年齡になるずっと前から、図書館には入りびたった。そこは第2の家、誰にも邪魔されず、目標へ向かう努力を坦々と重ねられる場所だったからだ。何よりそこはタダだった。黒人の女性でも利用に支障はない。図書館が無ければ、作家オクタヴィア・E・バトラーが世に出ることはおそらく無かった。いや、図書館のお世話にならずに世に出た作家など、いるのだろうか。幼ない頃から、読みたい本、必要な本はすべて買えるような人間は、作家として世に出ることなどないんじゃないか。

 著者の文章はやや癖がある。ごつごつと、言葉をほおり出すようなスタイル。あまり使われない単語を好むようでもある。読みやすいとは言えない。一方で、その読みにくさ、何を言おうとしているのか把握するまで手間暇がかかるところが、バトラーが続けた苦闘そのものの文章化のようにも思える。ジェリィ・ガルシアはグレイトフル・デッドでショウをやる感覚を「絶えず砂が流れおちてくる砂丘を、片足だけで一輪車をこいで登る」ことに譬えた。バトラーの苦闘もまたそれに劣らないものだったと実感できる。

 著者も黒人女性で、ジャーナリストとして Los Angeles Times と LA Weeksy のスタッフ・ライターであり、この本は3冊めの著書。2016年に出た Otis Redding の Live At The Whisky A Go Go のライナーノートでグラミーを受賞している。ストリーミングで音は聴けるが、ライナーはCDを買わないと読めない。


 バトラーの作品は1980年の Wild Seed、彼女の最初のシリーズ Patternist の4作めと1987年の Dawn、第2のシリーズ Xenogenesis 1作めが Amazon Prime での映像化が進行中。と公式サイトにある。

 今やっている第3の、最後になったシリーズ Parable の1作め The Parable Of The Sower が昨年9月第2週に New York Times のベストセラー・リストに入っていた。トレード・ペーパーの14位。リチャード・パワーズの2019年ピュリッツァー受賞作の一つ上だ。昨日や今日の新刊ではない。刊行からは27年、著者が死んでからでも14年経っている。映像化されたわけでもない。有名人が推薦したわけでもない。こういう本がその作品の持つ力だけで New York Times のベストセラー・リストに入るというのは快挙以外の何ものでもない。

 バトラーは若い頃から、作家としてデビューする遙か前から、ベストセラー作家になることを自分に約束していた。夢ではない、明確な目標だった。といって、売れる小説を書いてそうなるのではなかった。自分にしか書けない物語、書くべき物語を語ることによって、ベストセラー作家になることを目標に掲げた。そしてその目標は本人が思っていたよりも遙かに長い時間がかかったものの、ついに実現した。The Parable Of The Sower は2024年の南カリフォルニアから話が始まる。オーウェルの『1984年』のように、2024年には再びベストセラー・リストに入るだろう。


 本書目次の前のページの写真、墓の上に置かれた右側のノートに貼られたタイトルのことば。

noentertainment


No Entertainment
On Earth
Can Match
A Good Story
Compellingly Told.

 そう、"compellingly told" なのだ。バトラーの小説、物語は "compellingly" に語られている。それと同じく "compellingly" な語りの翻訳をめざさねばならない。否が応なく読ませてしまう翻訳。そんな翻訳ができるのか。できるかどうかはわからない。とにかく、目指して努力するしかない。(ゆ)

6月3日・木
 
 ハーバートの『デューン』映画公開の報。2度目、だろうか。それにしても『デューン』が話題になるたびに思い出されるのはこの本の誕生にあたって決定的な役割を果たしたスターリング・E・ラニアのことだ。Analog に雑誌連載はされたものの、長すぎるというので、どこの版元からも蹴られていた小説を、連載を読んで追いかけ、当時編集者として勤めていた Chilton から単行本として出した。ラニアがいなかったら、本になっていなかったか、刊行がずっと後になって、埋もれていたかもしれない。その経緯はハーバートとラニアの書簡の形で、The Road To Dune に詳しい。単行本は出たものの、当初は売れず、ラニアはいろいろプロモーションもやっている。Chilton には小説のマーケティングなどやる人間は他にいなかったのかもしれない。


 

 Chilton は本来はマニュアルなどを出していた、というのをどこかで聞いた。SFF関係の小説の刊行はごくわずかで、中では『デューン』と翌年のシュミッツの『カレスの魔女』、そしてラニア自身の Heiro's Journey を1973年に出したのが業績と言える。もっともこの三つを出しただけでも十分ではある。

惑星カレスの魔女 (創元SF文庫)
ジェイムズ・H. シュミッツ
東京創元社
1996-11-17



 Chilton は小説出版の経験がほとんど無かったからこそ、SF出版の「常識」からは長すぎるとして拒否されていたものを出せたのかもしれない。1965年にはラニアがいたせいか、『デューン』の前にシルヴァーバーグやアンダースン、シュミッツの作品集を出している。ラニアがいわば何も知らない経営者をうまく言いくるめて『デューン』を出した、という可能性もないわけではないだろう。とまれ、それによって「歴史は変わった」のだった。

 奇しくもこの翌年には『指輪物語』のマスマーケット版がアメリカで出る。これも当時としては「非常識」なまでに長く、厚い本だった。『デューン』と『指輪』が相次いで出たことは、こと紙の出版という次元に限れば、ひょっとすると12年後の『スターウォーズ』以上に、サイエンス・フィクションにとって革命的なできごとと言えるかもしれない。(ゆ)
 

水無月2日・水曜日
 
 Facebook が利用者がアップロードする写真の撮影場所情報を秘かに収集していることが明るみに出て、iOS や macOS で写真に付属するメタデータをマニュアルで取り除く方法を TidBITS が公開していた。Instagram はじめ、広告を収入源にしているサーヴィスはどれも同じだろう。


 アマゾンに予約していた Samuel R. Delany, Occasional Views, Vol. 1 着。3月に出るはずのものが遅れていた。Vol. 2 が年末に予定されているけれど、ちゃんと出るかな。主に1980〜90年代にあちこちに出たエッセイ、インタヴューなど32本を集める。未発表も数本。既刊の Shorter Views、Longer Views に合わせたタイトル。ウェズリアン大学出版部からの一連のエッセイ、書簡、日記の最新刊になる。索引入れて400頁足らずで、それほど厚くないなと思ったら、活字がこれまでより格段に小さくなって、ぎっしり詰めこんだ感じ。

Occasional Views: More About Writing and Other Essays
Delany, Samuel R.
Wesleyan Univ Pr
2021-03-02

 

 バトラー関連の2本があるので、眼を通す。1997年の Dialogue with と1999年の Introducing。前者は別の人間とのメールのやりとりで、ディレーニィとバトラーの対話というよりはダブル・インタヴュー。Vibe 掲載、というのだが、これかな。後者はあるパーティーの席上での紹介の挨拶。バトラーは前者ではちょうど Talents を書いているところで、後者はそれが出て間もない頃。前者では Talents の1シーンを引き合いに出している。テクノロジー、セックスなどが話題だが、二人とも奴隷制に最もヴィヴィッドに反応している。後者はクラリオンでの出逢った物静かでシャイな若い女性が、それから20年後、堂々たる存在感を持ち、マッカーサー「天才」賞も受賞して、場を共にするのが名誉と思えるような作家になっているバトラーの変化を比較する。こちらは未発表。

 ディレーニィと対照的にバトラーはエッセイが極端に少なくて、バトラー側からディレーニィをどう見ていたかはほとんどわからない。残された日記や書類を精査すれば出てくるかもしれないが。(ゆ)

6月1日・火
 
 バトラーをやっていると文章に興奮してしまって、仕事が進まなくなる。原文を読んで翻訳しようとする前に、いろいろと考えが浮かんできてしまう。登場人物たちの言動や、視点人物の言葉に反応してしまう。話がちょうど感情的に辛い部分にさしかかってきているせいもあるか。

 皆さん、こういうのはどうして処理いるのだろう。と今さらのように思う。どんな話の、どんな展開でも、水のように冷静に、一定の距離を保ち、「客観的」に原文を読んで、坦々と翻訳を進める、なんてことができているのだろうか。

 作品に対して感情的に反応してしまい、仕事が進まなくなる体験はしたことがない。と思う。これまでやったものの中に、そういうものは無かった。ホーガンの『仮想空間計画』のアイルランドでのシーンは、おー、きたきたといいながら、やるのが愉しくてしかたがなかった。翻訳しながら作品に感情的に反応したと言えるかもしれないが、質がどうも違う。アリエットの作品も感情の量が豊冨だし、一人称やそれに近い視点で書かれたものも多いのだが、翻訳をやりながら巻きこまれてしまい、高ぶって筆が進まない、いやキーボードを叩けないことはなかった。やはりこれはバトラーの書き方だろうか。

 もっとも同じバトラーでも、いやこの二部作の前作 Sower をやっている時も、こうなったことは無かった。『種播く人』は典型的なV字型の話で、冒頭から状況はどんどん悪くなってゆき、どん底になったところで方向転換、後はラストまでムードは右肩上がりだ。将来への希望をもって終る。視点もヒロインで語り手の一人称、というよりほぼ本人の日記からの抜粋だけでできている。シンプルな構成のシンプルな話で、その分パワフルでもある一方で、読む方の反応もシンプルでいい。

 この Talents の方はぐんと複雑だ。複数の視点、それも対極の立場のものが導入され、状況は割り切れず、感情の動きは振幅が大きく、錯綜もする。『種播く人』では目標に向かって一直線に進んでゆくヒロインの姿は凛々しく、雄々しく、さわやかだったが、ここでは迷い、揺れ、状況に翻弄される。

 ただ、仕事が進まなくなるのは、登場人物たちのというよりも作品そのものが孕んでいる感情的なものの大きさにからめとられてもいるようで、それはまた作品の複雑さからも生まれているようでもある。こういうエモーショナルなパワーが作品の根本的性格とすると、それにからめとられていて、はたしてそのパワーを訳文にも籠めることができるのか。そこからはなるべく心身を離し、冷静に訳文を決定してこそ、それが可能なのではないか。

 いや、その前に、仕事が進まないのは困るのだ。

 話の中核、ヒロインたちが徹底的にいためつけられる部分にさしかかって、気分としてはほとんど格闘している。いや、格闘というのはまだ対等の関係が含まれる。むしろ押し流されそうになって、もがいている。急流にさからって遡ろうとしている。バトラーはいろいろな意味でパワフルな人だったようだが、このパワーはいったいどこから来るのだろう。同時代と後続の人たちに影響を与え、というよりも鼓舞しつづけているのも、このパワーだろうか。(ゆ)

5月21日・金

 朝から雨。夕刻、止んだように見えたので散歩に出る。出るとぱらぱら降っていて、歩いているとだんだん強くなり、風もあって川縁に出ると横殴り。それほど激しくはない。他にも散歩している人たちがちらほら。インターバル速歩のノルマを果たしただけでとっとと帰る。雨は帰りつく頃に止む。

 マイケル・ビショップ『時の他に敵なし』見本着。なかなかインパクトがある。装幀も厚さも値段も。まんまの邦題だけど、こうしてみると案外決まっている。ネビュラのご利益がありますように。

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 散歩で聴いていたグレイトフル・デッド Dave's Picks Bonus Disc 2021 収録の 1973-09-07, Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY、があんまり良いので、夜、久しぶりにヘッドフォン・アンプをかまして聴いてみる。Eye of the World のジャムが半端じゃない。尋常ではない時のデッドの中でも尋常ではない。歌が終ってまずベースのソロがすばらしく、その後のガルシアのギター。ガルシアはテクニシャンではないからギタリストとしての人気投票では上位に来ないが、意表をついてあふれ出てくる楽想は、ジャズの即興も含めて右に出る者はいない。一見誰にでも弾けそうな、ごくシンプルなメロディ、フレーズを重ねて、この世の則を超えてゆく。この Eyes of the World はそういう中でも抜きんでている。ガルシアを押しあげているのがキースの鍵盤で、この頃のキースは積極的にジャムにからんで、ガルシアと対話もする。そしてベースとドラムス。ハートが不在の単独の時期だけど、クロイツマンはハートの穴を埋めようとしてか、むしろ鬼神のごとくに八方破れに暴れまわる。ウィアのギターの音が小さい。1973年は前年の影で目立たない印象だったけど、こうなるとちゃんと聞きなおしてみよう。(ゆ)

5月19日・水
 F&SF 2021-05+06着。新しい編集長 Sheree Renee Thomas は今月も Editorial を書いている。毎号書くことにしたのだろうか。F&SF はごく稀に何かよほど特別な時を除いて、長いこと Editorial が無かった。 無いことが伝統にすらなっていた観があった。あたしは雑誌の編集者がこういう形で直接顔をさらすのが大好きなので、大いに歓迎する。

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 SFM も創刊当初から森さんまでは毎号巻頭言があって、毎月買ってくるとまず読むのが愉しみだった。バックナンバーを揃えた時も、まずここだけ全部読んだものだ。後に編集後記に代わって、分量も増えて、それはそれでいいんだけれど、初めに刷りこまれたので、やはりアタマに欲しい。

 オンライン・マガジンもたいていアタマにある。Asimov's も巻頭に Editorial があるのは愉しい。Locus は巻末で、やはり真先に読む。

 こういうエディトリアルがあると雑誌を作っている人間の顔が見え、声が聞える。すると、雑誌としての人格というとヘンかもしれないが、独自のキャラクターをちゃんと備えて、愛着が湧くし、内容の信頼感ももてる。巻頭言も編集後記も無い雑誌はのっぺらぼうだ。まあ、カタログ雑誌だわな。

 で、その今月の巻頭言でとりあげているのがオクタヴィア・E・バトラー。トーマスは1972年生まれというから、バトラーが Patternmaster で実質デビューした時には4歳。物心ついた時にはすでに作家としては名が通っていただろう。トーマスが名を上げるのは2000年のアンソロジー Dark Matter: A Century of Speculative Fiction from the African Diaspora の編集者としてで、これにはもちろんバトラーも The Evening and the Morning and the Night で収録されている。当時バトラーは53歳。The Parable Of The Talents を出した2年後。バトラーから見ればトーマスは娘の世代で、トーマスはバトラーを師匠で友人と呼ぶ。
 トーマスはできるだけ感情を抑えて、客観的に書こうとしているようだが、読んでいるとトーマスにとってバトラーがいかに大きな存在だったか、その憧れと敬愛の念がにじみ出るように感じる。トーマスだけでなく、どうやら女性のSFFの書き手、それもアフリカ系、黒人をはじめとする「カラード」出身の人たちにとって希望の星だった、いや、今も希望の星で、むしろその輝きは大きくなっているようにも見える。

 実際、バトラーの存在は2006年の急死以後、時が経つにつれて大きくなっている。専門の学会もあるし、研究書の類は引きも切らないし、LOA にも入ったし、昨年は初めての伝記も出た。この伝記 Lynell George の A Handful Of Earth, A Handful Of Sky は通常の伝記のスタイルではなく、残されている遺品、遺稿、書簡、書類などを手がかりに作家としての軌跡をたどる半分ヴィジュアルの本。LOA の編集者の片割れ Gerry Canavan が伝記として薦めてもいる。



 トーマスによれば、とりわけこの Parable 二部作によって、バトラーはサイエンス・フィクション的な予言者、巫女とみなされている。まあ、無理もない。この2冊にはどちらもアメリカ大統領が出てくるが、どちらもまるでトランプそっくりだ。予言者たるところはそれだけではむろんない、というより、この二部作全体が確かに予言、というより預言の書の趣きがあるけれど、2人の大統領の印象は強烈だ。直接出てくるわけではなくて、主人公の日記を通しての間接的な登場だが、それでもだ。

 それにしてもバトラーのTシャツがあり、聖人に捧げる用の蠟燭があり、絵画やアートがあり、おまけに NASA は、先日火星に着陸した探査機 Perseverance の着陸地点を Octavia E. Butler Landing と名づけた。彼女の名前を持った小惑星はすでにある。作品の劇画化もされている。トーマスの言うとおり、ハリウッドか Netflix あたりが乗出してくるのも時間の問題かもしれない。

 巻頭でトーマスがこういうことが書けるのが嬉しくてたまらない様子で賛辞を捧げれば、巻末の Curiosities ではバトラーが増刷を認めなかったために市場からは消えている Survivor が取り上げられている。ここは隠れた傑作、名作をあらためて紹介するコーナーだけど、今回は意図的だろう。Surivor はバトラーの最初のシリーズ、Patternist の3作めとして1978年に出ているが、書かれたのは最初だそうだ。探してみたが、この本だけ、手許には無かった。LOA にいずれ入るかなあ。

 自分がまさに今やっている本がこういう形で話題になってくるのは、肩にかかるものがそこはかとなく重くなってくる感覚がある。翻訳者としては話題になろうがなるまいが、坦々と最善を尽くすのが本分だ。とわかってはいても、映像化されて売れてくれれば、バトラーの他の作品もできるかと、雑念が湧いてくるのを禁じえない。(ゆ)

5月11日・火

 正午にバイク便がピックアップに来て、ビショップ『時の他に敵なし』再校ゲラを戻す。ほっとする。

 再校を確認しながら、また主人公の「秘密」に気がついてしまった。というより、これはこの作品の土台に関わることでもある。こういう大事なことに今頃になって気がつくのは、やはり読みが浅いというべきか、鈍感というべきか。鋭どい読者、たとえばハートウェルあたりなら、最初に原稿を読んだ段階でそこまで見通していたのだろうか。あるいはかの「狐」氏、山村修なら、ずばりと切り込むだろうか。もっともこれを書評で書いてしまってはネタバレではある。このことはやはり読者が自分で発見してこそ、この本を読む愉しみが味わえるというものだ。

 この作品が今まで訳されなかったのは、ビショップが敬して遠ざけられていたこともあるだろうが、それよりはおそらく「デウス・エクス・マキナ」のところがいくら何でも、と見られたことがあるのではないか。しかし、あそこは実はデウス・エクス・マキナではないのだ。あれが出現するにはちゃんと理由というか、根拠というか、つまりこの話の論理からして出てきてもおかしくはないのだ。なぜ、あそこでデウス・エクス・マキナが出現するか、はやはりこの話のキモだ。もっともそこで終らないのが、またこの話の凄いところでもある。

 校閲担当の方は綿密な仕事をされて、少しでもおかしなところは容赦なく突込んでくれるので、たいへんありがたい。誤訳や訳が浅いところも多々あって、赤面しながら朱を入れるのもあるが、かなり工夫してうまくいったと思っているところに突込まれるとそれに対処するためうんうん唸ることになる。原文を読みかえし、辞書をひきまくり、天井を仰ぎ、立ちあがって歩きまわり、ジュースを飲んだり、おやつを食べたり、また机、ではなくあたしの場合炬燵にもどる。そうやって何とか、訳語、訳文が出てきてみると、確かに前より良くなっている。原文の読込みが深くなっている。たとえば、世間一般の常識では確かに指摘される通りだが、ここは登場人物がこう捉えているのだと、あらためて納得したりする。

 浅倉さんでさえ、校閲担当の方への感謝をあとがきで記されていた。優秀な校閲担当に当るのはラッキーなことで、これもこの『時の他に敵なし』のご利益か。いや、『茶匠と探偵』から同じ方だから、版元のご利益か。もっとも考えてみれば、校閲をやるほどの人は皆優秀なのだろう。ダメな校閲担当という存在がいるとしても、これまでそういうのに当ったことはない。あたしのようなズボラな人間にはとてもできない。たぶん適性もあるのだろう。翻訳者は黒子だが、校閲担当はさらにその裏にいる裏方だ。黒子は黒衣姿で舞台に現れるが、舞台に出ることは絶対に無い裏方もまたなくてはならぬ。


 カヴァーは衝撃的ではある。本を魅力的に見せようという、通常の手法の逆をとっている。しかし、最初のぎょっとするショックが収まると、確かにこの本にまことにふさわしいと思えてくる。デザイナーも凄いもんだ。

 それにしても、ビショップのこの本をやらせてもらえたことは、何ともありがたく、嬉しいことではある。めぐりあわせを感じる。何とか売れてくれて、『時の他に敵なし』とは対になる Ancient Of Days もできればと願う。あれをやれれば、『時の他に敵なし』のさらに新たな読み方を発見できるはずだ。翻訳をやることで初めて見えてくることがあるのだ。少なくともあたしの場合。

 ビショップの他の作品も、少なくとも受賞作である長篇2本、Unicorn Mountain と Brittle Innings もできればなあとは思うが、それは今は夢のまた夢ではある。(ゆ)

4月29日・木

 ビショップ No Enemy But Time ゲラ、なんとか上げる。連休進行できつい。

 校閲の指摘で、『マイ・フェア・レディ』が埋めこまれていたことが判明。この場合、原作のショーの『ピグマリオン』の方かもしれない。これによって主人公ジョシュアと養母の関係とそれぞれのキャラに新たな光があたる。

 浅倉さんがディックの『パーマー・エルドリッチ』だったか『ユービック』だったかの「訳者あとがき」で、こいつは傑作と意気ごんで始めても、ゲラが出てくるころにはもううんざりしていることが多いが、この作品だけはゲラで読んでも面白く、傑作だとあらためて思った、という趣旨のことを書いていたが、あれはこういうことか、と思い知らされる。翻訳の作業をしながら、面白くてしかたがなかったけれど、ゲラで読んでもますます面白い。『マイ・フェア・レディ』のような発見はまだまだありそうで、それでまた面白くなる。

 ただ、この面白さはたいていの人は一度読んだだけで味わうのは難しいだろう。ぜひ二度以上読んでもらいたい。再読、三読してようやくその本当の価値がわかる作品ではある。ビショップの作品にはそういうものが多いのだ、たぶん。ビショップが何となく敬して遠ざけられているのは、そのせいもあるだろう。あたしもそうだった。思えば「キャサドニアのオデッセィ」も、初読ではなにやら凄い話という印象だけだった。ずいぶんたってから再読した時、呆然として、また爆笑もしてしまった。この仕事をさせてもらったことで、そのことに眼を開かされたのは、まことにありがたい。心を入れかえて、あらためて読んでみよう。

 ああ、それにしても読むものがあり過ぎる。SFF も蓄積が進んで、古くて良いものもたくさんあるし、技術革新のおかげで、新しくて良さそうなものもどんどん出てくる。片方ばかり読んでいるわけにもいかない。交互に読みゃあいいとも思えるが、読むには気分が乗る必要もあるから、そう機械的にもできない。加えて時間はどんどん減ってゆく。まあ、澁澤龍彦のように、本を読んでる最中にどんと逝くというのが理想ではあるな。

 根を詰めていたので、明日はひと息入れて、明後日からまたバトラーだ。(ゆ)

4月28日・水

 ビショップ、No Enemy But Time ゲラ続行。あと一息。

 イーロン・マスクが火星への旅について、生きて帰れない可能性を「警告」したと CNN が報じる。しかし、今火星へ行こうと思うほどの人間が、帰ることなど考えるだろうか。あたしがもし行けるとしたら帰ることなんか考えない。火星で死ねれば本望だ。その点はロビンスンの『火星』シリーズの「最初の百人」をはじめとする初期入植者たちと同じ。かれらはとにかく火星に行きたかった。「最初の百人」のメンバーは、たぶんナディアを除いて、つきあいたいとはとても思えない連中ばかりだが、その感覚はよくわかる。地球に帰りたくなんか金輪際無い、その一点だけは心から共感して訳していた。

レッド・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)
キム・スタンリー ロビンスン
東京創元社
1998-08-26

 

 Synthax Japan から案内の来た冨田勲の『源氏物語幻想交響絵巻』の藤岡幸夫指揮・関西フィルハーモニー管弦楽団によるいずみホールでの録音を注文。Blue-Ray と CD の2枚に様々な形式でのファイルが収められるらしい。HPL の音や192/24と MQA の違いは楽しみ。琵琶、箏、龍笛、篠笛、篳篥、笙で計6人、プラス・シンセサイザーにフルオケという編成は、演奏・録音もさることながら、再生も簡単ではない。再生装置の性能や性格がよく出るはず。耳そのものも試されよう。音楽そのものはどうかな。

冨田勲・源氏物語幻想交響絵巻 Orchestra recording version
関西フィルハーモニー管弦楽団
RME Premium Recordings
2021-05-05



 Apple Watch 3 に watchOS の新版がインストールできない件、TidBITS に従って直接のダウンロードを試みるができない。ペアリングをやりなおすのも面倒。これは高いモデルに買い換えさせようという Apple の陰謀であると判断して、OS のアップデートは無視することにする。(ゆ)

4月24日・土

 『《まるい時間》を生きる女、《まっすぐな時間》を生きる男』の訳者あとがきは各種書評からの引用を紹介した、浅倉さんとしては通り一遍のもので、どうやら頼まれ仕事らしい。著者ジェイ・グリフィスについてもこの時はまだあまりよくわかっていなかった。というより、この本となぜか第3作の Anarchipelago が挙げられていて、この2冊を書いた人、というだけの存在。本書も、第2作の Wild も評価は高かったが、センセーショナルな存在ではなかったのだろう。彼女が注目を集めたのは Extinction Rebellion のオクスフォード・サーカス占拠とそれに続く裁判によってらしい。
 F&SF2021-03+04着。Sheree Renee Thomas 編集長最初の号。巻頭に挨拶。文章はいいし、特殊な状況の中で出発することの覚悟と不安がにじみ出ているが、勇ましい宣言もなく、これまで積み重ねられてきたものを受け継いでゆきます。トマスは作家よりは編集者であるらしいから、エドワード・ファーマン以降、ゴードン・ヴァン・ゲルダーを除けばいずれも作家が本業だった歴代編集長に比べれば、続いている雑誌の重みが実感できる、というところか。Akua Lezli Hope の詩を二つ、フィーチュアしたのがまずは新機軸。それと書評の位置がぐんと後ろに下がった。これまでは最初の小説作品の次だったが、巻頭から3分の1ほどのところになった。

cov2103lg-250


 ヘッドフォン祭オンライン、Shanling N30 はちょと面白い。ようやくこういう形の製品が出てきた。モジュール式にして、ユーザーがモジュールを交換して常に最新式にできる、というのは Cayin N6 が始めた手法で、それを徹底させているのは面白い。ただ、ではその母艦は何が変わらないのかが、よくわからない。今後、どんなモジュールを出すか、母艦の更新の頻度など、もう少し様子を見たいな。それに FiiO 製 DAP の THX アンプは捨てられない。THX の据置きアンプを調達する手もないことはないが、散歩に持って出るから、DAP に内蔵されているメリットは大きい。(ゆ)

4月20日・水

 上半身の痒いのがだいぶ収まる。やはり入浴時の洗いすぎだったのだろう。手が痒かったのも、殺菌力もある強い石鹸で頻繁に洗っていたからだったらしい。手洗い消毒用石鹸の手につける量を減らしたら、痒みは出なくなる。

 インターバル速歩で公民館に往復。本1冊返却、2冊借出し。借りたのは小山田浩子『穴』新潮文庫と『ローベルト・ヴァルザー作品集 4 散文小品集I』。小山田浩子はこれの英訳が今年のローカス推薦リストのホラーに挙げられていたため。なるほど、面白そうだ。こういう作品が芥川を獲るようになったのも時代の推移か。以前だったら意地でも与えなかっただろう。
 
穴 (新潮文庫)
浩子, 小山田
新潮社
2016-07-28


 ヴァルザーは先日ウン十年ぶりに再読した『ヤーコブ・フォン・グンデン』ですっかりヴァルザー熱が復活してしまったため。ヴァルザーの本領である短文、小品を集めたもの。早速最初の1篇「グライフェン湖」を読んで陶然となる。文章を読む歓び、ここにあり。そう、ヴァルザーの魅力は何が書かれているか、ではなくて、どう書かれているか、なのだ。日本語とドイツ語のネイティヴ、それぞれに相手の言語に通じた2人の共同作業である訳文もこれ以上のものはあるまい。ヴァルザーはこうした短文を二千数百篇残したそうだが、もちろんここに訳出されたのはそのごく一部。英訳も読んでみるか。第5巻は死後発見された長篇とさらに小品。この2冊は買ってもいいかなあ。

ローベルト・ヴァルザー作品集4: 散文小品集I
ローベルト・ヴァルザー
鳥影社
2012-10-17



 Monstress, Vol. 4、Jackie Kay, Bessie Smith 着。Monstress はこっちが先に来た。

 Jackie Kay という人は現在スコットランドの桂冠詩人で、ベッシー・スミスのこの伝記は1997年初版の再刊。スコットランド人の母、ナイジェリア人の父に1961年に生まれ、誕生と同時にスコットランド人夫婦の養子となる。2歳上の兄も同じ夫婦の養子になっていて、グラスゴーの、周りに自分たち兄妹以外に黒人がまったくいない環境で育つ。12歳の時、父がプレゼントしてくれた2枚組 Any Woman's Blues でスミスの歌に出逢い、生涯の友となる。この出逢いから話は始まる。スミスは別格だった。14歳の時、カウント・ベイシーとともにやってきたエラ・フィッツジェラルドを生で聞いたが、エラの声は娘らしく、くすくす笑っていた。スミスの剥出しの生の声は、それまで存在すら知らなかった場所に引きずりこむ(13pp.)。ジャケットのスミスの写真を見て、自分と同じ色をしていることで黒人としての自覚が目覚める。本人も差別を受けている。

 All black people could at some point in their life face racism or racialism (I could never understand the difference) therefore all black people had a common bond.  It was like sharing blood. [16pp.]

 母親とともに南アフリカの政治犯たちにクリスマス・カードを送る。家の中にはネルソン・マンデラ、ソルダド(ソレダ)・ブラザーズ、アンジェラ・デイヴィス、カシアス・クレイ、カウント・ベイシー、デューク・エリントンといった人たちのイメージがたくさんあった。ケイはこうした黒人たちと家族であることを想像する。その家族をつないでいたのはスミスの歌う声だった。

 スコットランドで生まれ育った黒人の詩人が書いたブルーズ・シンガーの伝記、というのはそれだけで興味が湧く。加えてこの本の評価は高いから期待しよう。
 アマゾンに予約注文していた Subterranean Press の The Best Of Elizabeth Hand は発送日未定になったので、BookFinder で検索すると、普通に売っている。アマゾンをキャンセルして、AbeBooks で注文。同時にアマゾンに注文した The Best Of Walter Jon Williams はそのままにしてみる。果たして来るか。Subterranean のはモノはいいんだが、どれも限定版で、直接注文すると送料がバカ高く、本体と同じかそれより高い。アメリカの海外配送料金の高さは引き下げられるべし。(ゆ)

4月19日・月

 今週も Grimdark Magazine のニュースレターが面白い。書評では Uncanny の最新号に載った Catherine M. Valente の短篇をとりあげてもいる。3回読みなおして、ようやく何の話か、見当がついたそうだ。読みなおす価値はあると言う。また読みなおさせる魅力があるのだろう。アンディ・ウィアーの新刊 Project Hail Mary(このタイトルは秀逸)など、だいぶ対象を広げてきている。かつてのように、作品が  grim で dark か、なんてことも気にしなくなってきた。直接書評の対象ではないが、Douglas Nicholas の Molly & Co. の四部作は面白そうだ。

 Douglas Nicholas (1942-2016) はアメリカの詩人で Something Red に始まるこの四部作の小説を2010年から2017年にかけて出している。13世紀のイングランドを舞台にした歴史ファンタジィだそうだ。死後出版された第4部のタイトルが Three Queens In Erin というのは惹かれる。それに趣はだいぶ違うがDavid Meltzer とか、Michael Perkins とか、詩人の書く小説は美味しい。

 夜、Something Red の無料サンプル=冒頭2章を Apple Book で読む。なかなか良い。文章がさすがにいい。メイン・キャラの1人、キャラヴァンのリーダー Molly は本名 Maeve で、アイルランド出身、いきなり Stor Mo Chroi と言ったりする。舞台は冬のノーサンバーランド西部の山岳地帯から始まる。
 
 Michelle Sagara の Chronicles of Elantra の最新刊 Cast In Conflict のカヴァーを著者がブログに公開した。もともとこのシリーズはロマンスものではないが、これは輪をかけておよそロマンス・インプリントのカヴァーではないし、これまでのシリーズ各巻のものとも一線を画す。画家は同じ。COVID-19 が期せずして影響しているか。ハーレクインも脱ロマンスを志向しているのか。
 
 クラン・コラ用の原稿、書き継いでまとめ、hatao さん宛送付。ようやくあと2曲。先が見えた。

 Michelle Sagara, Chronicles of Elantra の次の巻を注文しようとアマゾンをチェックすると、トレード・ペーパー版の在庫処分で大安売りをしている。定価の1割、250円とか230円。こりゃあ、買うしかねえべ。安くなっているものをとりあえず注文。

 夕食後、郵便を取りに出ると、踊り場と郵便ポストの上の LED 照明が明るい。団地内に立っている外灯も今回の大規模修繕で LED に交換される。窓サッシと玄関扉も交換して、これで交換できるものはほぼ全部できたはず。あとは再生可能エネルギーで、太陽か風力発電、または両方かな。ベランダの手すりにつけられて、小型、高効率の風力発電機があると聞いたけど、ありゃあ、どこだったか。

 eGrado はどうも音が左に寄るので、右ユニット外側のメッシュにディーレン・ミニの大を貼ってみる。だいぶ良い感じ。これで様子を見るか。使っているうちにまたバランスがとれるようになるかもしれない。こういう安いモデルではそういうことがある。(ゆ)


4月17日・土

 ECM のニュースレターで Anouar Brahem が ECM デビュー30周年。Barzakh, 1991 は確かに衝撃だった。1998年の Thimar がつまらなくて、あれは日和ってるよねえ、と星川さんと意見が一致し、それに引き換え、Barzakh は凄いと盛り上がったこともあった。やはりあれが一番かなあ。The Astounding Eyes Of Rita は良かった記憶がある。もう一度、全部聴いてみるか。

Barzakh by Anouar Brahem
Anouar Brahem
ECM



Conte de L'Incroyable Amour (1991)
Madar (1994)
Khomsa (1995)
Thimar (1998)
Astrakan Cafe (2000)
Le Pas Du Chat Noir (2001)
Le Voyage De Sahar (2006)
The Astounding Eyes Of Rita (2009)
Souvenance (2014)
Blue Maquams (2017)


 2021 フィリップ・K・ディック賞は4月2日に発表になっていた。15日と思いこんでいた。結果は受賞作が

ROAD OUT OF WINTER by Alison Stine (Mira)
Special citation was given to:
THE BOOK OF KOLI by M. R. Carey (Orbit)

 では、スタインの本から読むぞ。しかし、これハーレクインの Mira からの刊行で、そこがまた面白い。Michelle Sagara の Chronicles of Elantra のシリーズも今は Mira から出ている。ハーレクインは邦訳もどんどん出してるようだが、昔ながらのロマンスもの中心にごく一部のみ。ディック賞獲ったからって、出さねえだろうなあ。

 New York Times のジェフ・ヴァンダミアのインタヴューで名前の出てくる作家は見事なまでにまったく知らない。まあ、ここで名前を知って読みゃあいいわけだが、それにしても、だ。いわゆるSFFプロパーの名前が出てくるとほっとする。でも、この部分はちょっとメジャーすぎないか、と思えるほど、他の人たちの名前をちらりと聞いたことすらない。いったい、どこでこういう本や書き手を見つけるんだろう。いや、もちろん、あたしなんぞとは次元が違うほど遙かに広く目配りはしてるんだろうけどさ。

 で、そのヴァンダミアが薦める The Traitor by Michael Cisco を注文。


 

 この本についてのヴァンダミアのブログ

 この人は一応ホラー中心に書いてるらしい。


 散歩の供はShow Of Hands, 24 MARCH 1996: Live at the Royal Albert Hall。

Live at the Royal Albert Hall
Show of Hands
Imports
2014-01-21


 あらためて聴くとシンガーとしてのナイトリィの良さが印象的。曲としてそれほどではないものでも、歌唱で聴かせてしまう。この頃のライヴではやはりかれのヴォーカルが人気を培っていったのだろう。これを小さな会場で聴けば圧倒的ではなかったか。もちろんそれを活かし、刺激を与えていったのはビアだったわけだが、本人の精進も相当なものだったはず。

 録音がすばらしい。ということは会場の音響も良かったにちがいない。

 Galway Farmer は Skewball のヴァリエーションで、わが走れコータローのいとこでもあるが、このストーリーはやはりウケる。

 女性シンガー、すばらしい、誰だっけ、と帰ってから見ると Sally Barker だった。そういえば、最新作を買うのを忘れてた。 

 それにしても四半世紀経ってしまった。(ゆ)

4月16日・金

 Asimov's の最新号が配信になって、早速ダウンロードして編集長巻頭言に眼を通す。と、なんと、F&SF の編集長に就任したばかりの Sheree Renee Thomas がアシモフ誌の書評担当になるという。こういうのアリか。たとえて言えば『文學界』の編集長が『群像』の書評を書くようなもんではないか。まさか、合併なんてないよな。

 Michelle West が4ヶ月ぶりに消息を出す。右肩をケガしたり、家の台所の水廻りの改修があったりでたいへんだったらしい。もちろんパンデミックの中でのことでもある。

 火曜日、日本時間水曜日にヒューゴーの最終候補が発表になっていた。長篇とノヴェレットは全部女性、他も圧倒的に女性が多いのはここ数年の傾向で、前世紀とは完全にひっくり返っている。それだけ女性の投票が増えたこともあるのだろう。

 長篇は予想の範囲内。スザンナ・クラークが入ったのはちょと意外ではある。ネビュラと両方ファイナルに入った。ネビュラと重なっているのは
 
Network Effect, Martha Wells 
The City We Became, N.K. Jemisin
Black Sun, Rebecca Roanhorse

受賞はずばり Rebecca Roanhorse と予想しよう。

Black Sun (Between Earth and Sky)
Roanhorse, Rebecca
Gallery / Saga Press
2021-06-29







 また
 
A Wizard’s Guide to Defensive Baking, T. Kingfisher

 がネビュラとヒューゴーの Young Adult 部門の賞 Lodestar に入っている。

Elatsoe, Darcie Little Badger

 がネビュラの YA 部門 Andre Norton と Lodestar に重複。

 ノヴェラはとうとう Tor.com Publishing で独占された。

 ノヴェレットにアリエット・ド・ボダールが入っているのは嬉しい。が、まあ受賞は無理だろうなあ。

 ヒューゴー最終候補で

“Helicopter Story”, Isabel Fall (Clarkesworld, January 2020)
“Monster”, Naomi Kritzer (Clarkesworld, January 2020)

 が Locus 推薦リストにない。しかもこの二つ、同じ雑誌の同じ号の掲載だ。

 ショート・ストーリィでは

“Metal Like Blood in the Dark”, T. Kingfisher (Uncanny Magazine, September/October 2020)

 が Locus 推薦リストにない。


 Best Series のうち存在を知らなかった The Daevabad Trilogy, S. A. Chakraborty は中東ベースの架空世界の話で、Netflix で映像化が予定されている。この人も女性で、名前からするとインド・パキスタン系か。

 Best Related Work に Lynell George のオクタヴィア・E・バトラーの伝記が入っているのが面白い。著者も若い黒人の女性。特にSFFのファンや関係者ではないらしいところが面白いんだが、ヒューゴーでの評価はどうか。今、ぼちぼち読んでるところで、カリフォルニア州サン・マリノにある Huntington Library 所蔵のアーカイヴにあるバトラーの遺品、草稿、メモなどを材料にして、ヴィジュアルと文章でバトラーの作家への歩みを浮かびあがらせる。 LOA のバトラーの巻の編者の一人 Gerry Canavan も薦めていた。獲れるといいな。LRB に書評があった。


 

 しかしこの部門の最終候補に上がっているタイトルは Locus Recommended に1冊も入っていない。これも面白い。

 Best Graphic Story or Comic にそのバトラーの Parable Of The Sower のグラフィック・ノヴェルがあるのにちょっと驚く。これは知らなかったから、買ってみよう。今やっているバトラーの Parable 二部作の第一部。ということは第二部の Parable Of The Talents も出るんだろうな。Sower の初稿は脱稿しているが、参考になるかな。アマゾンを見たら、Kindred もグラフィック・ノヴェルが出ていた。アメリカも増えてきたなあ。


 

 今回の世界SF大会 DisCon IIIは史上初のゲスト・オヴ・オナーの招待取消があったり、会場になるはずのホテルが倒産して、急遽新たな会場を探す羽目になったり、いろいろ大変だ。結局新会場は確保できたものの、日程が変更になった。いつもは8月で、ヒューゴーの発表は各種の賞のしめくくりだったが、今年は12月で、ほぼ1年遅れになるわけだ。


 散歩でインターバル速歩を本格的にやってみる。ゆっくりと速歩を3分交替で5本、30分。結構きつい。最後の速歩を終るとはーはーぜーぜー。その後、いつもの歩きにもどるまでかなりの時間を要する。今日は下りと平坦地でやってみる。次は登りも入れるか。(ゆ)

4月15日・木

 締切が迫ってきたので、以前書いておいたものを元にして、ビショップの訳者あとがきを作ってみる。400字詰30枚になる。長すぎるかなあ。訳註の部類も含めたこともあるんだが。良い悪い、好き嫌いの評価は最低でも二度読んでからにしてくれ、と書いてみたが、これもどうだろう。この二つは本来まったく別の尺度なので、あんたは嫌いかもしれないが傑作というのもあれば、ダメダメだけれど好きでたまりません、というのもある。オレが好きなものは全部大傑作で、嫌いなものは駄作だというのは、あまりにひとりよがりに思い上がった傲慢だろう。文学は、いや、文学だけでなく、音楽、美術、パフォーマンス、どんなものでも、どんな個人よりも、人間よりも遙かに大きなものなのだ。もっとも、好き嫌いと良し悪しを混同していることをそもそも自覚していないのか。

[いつか、ツイッターで受けた質問で、イェイツから引用した原題は「無敵」か「他に強敵がいる」のどちらと思うかとあったけど、視点の置き方でどちらともとれる、と思います。]


 In Nearly Every House: Irish Traditional Musicians of North Connacht 着。

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 107人の老若男女のミュージシャンの写真と文章によるポートレイト。コノート北部、とのことだが、メイヨー、スライゴー、ロスコモン、リートリム中心で、ゴールウェイも一部含む。この地域出身でイングランドやアメリカにいる人も数人いる。Catherine McEvoy や Carmel Gunning、Harry Bradshaw、Shane Malchrone のような名の通っている人も何人かいるが、ほとんどは、市井の、無名の人たちだ。こういう人たちがアイリッシュ・ミュージックを支えている。アイリッシュ・ミュージックの「現場」を作っている人たちは、年齡性別職業に関係なく、皆いい顔をしている。音楽は人を磨く。むろん、皆が皆「いい人」のはずはないが。

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 文章を書いている Gregory Daly は1952年、ドニゴール南端出身で自身フルートを吹く。リートリム/スライゴーの伝統に連なると自覚しているそうだ。Coleman Music Center のために映画やCDを製作している。写真の James Fraher は1949年シカゴ生まれ。祖先はアイルランドからの移民。もともとはブルーズに惚れこみ、その関連の写真からキャリアを始めている。自分でも歌ったり、作ったりするようだ。アイルランドでの写真の仕事も多い。

 クラン・コラの原稿のために Fine Horseman の手許の音源を聴く。いや、もうどれもこれも名演名唱の連続。名曲は名演を生むが、ここまでレヴェルの高い演奏ばかりを生むのは滅多に無いよなあ。(ゆ)

4月12日・月

 Grimdark Magazine のニュースレターにざっと目を通すつもりが、なぜか今回はじっくりと見て、サイトにも跳んで全部読んでしまう。どれもこれも面白そうだが、とりあえずインタヴューされていた Marina J. Lostetter のデビュー長篇を注文。壮大なスペースオペラだそうだ。アメリカ人だが最初の長篇はロンドンの Harper Voyager から出た。最新作のファンタジィは Tor からだが。




 散歩の供は Kefaya + Elaha Sorpor, Songs Of Our Mothers, 2019。

kfy+es


 Kefaya はロンドン・ベースのギタリスト Giuliano Modarelli と、キーボーディスト Al MacSween のふたりによるチームだそうだ。後者は名前からするとアイルランド系か。Kefaya は2011年にエジプトの草の根革命の母体となった集団の仇名らしい。

 Elaha Sorpor はアフガニスタンのシンガーでハザラ族出身の由。この人は本物の伝統歌シンガーで、芯のある強靭で伸びやかな声が自然にあふれ出る。相手に何が来ようとびくともしない。

 シンガーはアフガニスタンの伝統歌をそのまま歌い、それにギターとキーボード主体のバンドがバックをつけるというよりは、一聴、まったく無関係に響く音楽を勝手にやっている。それが共鳴して全体としてひじょうにスリリングでかつ地に足のついた面白い音楽になっている。方法論としてはフリア・アイシとヒジャーズ・カールの『オーレスの騎兵』に共通する。

オーレスの騎兵
ヒジャーズ・カール
ライス・レコード
2008-11-02



 ヒジャーズ・カールはアコースティックなサウンドでジャズをベースにしていることを明確に打出しているが、こちらは今風の電子ロック、と言っていいのか、本来アコースティックなサックスないしバスクラなどにもエフェクトをかけたアンサンブルによるものや、まったくフリーのカオス、静謐で端正でスローなジャズ、レゲエの変形のようなビートなど、曲によってかなりの変化を見せる。ドゥドゥックまたはその親戚のリード楽器がふにゃふにゃしたフレーズで縫ってゆくのも気持ちがいい。

 こういう時モノをいうのはドラムスで、CDがまだ来ないのでクレジットはわからないし、たぶん名前を見ても知らない人だろうが、切れ味抜群このドラマーは相当の腕利き。こういうドラマーがスコットランドの伝統音楽もやってくれると面白いんだが。

 このアルバムはセカンドだそうで、Bandcamp ではダウンロードしたファイルは 24/44.1 のハイレゾ・ファイル。録音も文句なし。フリア・アイシとヒジャーズ・カールもワン・ショット・プロジェクトで、この組合せも何枚も出るとは思えないが、どちらも今後は要注意。(ゆ)

4月10日・土

 先日の DNB のフリー配信の Sir Victor Gollancz。遺産額28,603GBP。あの大出版人としてはささやかなものではないか。ペンギン帝国を築いた Allen Lane は121,647GBP。4.25倍。


 B5判で26、A4判で30、A5判で20個の穴が穿けられているルーズリーフの紙は日本のみのものらしい。これは一体、いつ、どこで、誰が考案したのか。ISO で決まっているのは二穴のみ。スウェーデン、スペインでは四穴がスタンダード、ドイツでも四穴だが、穴は等間隔ではなく、二つずつ別れる。北米ではレター・サイズに三穴がスタンダード。日本だけがダントツに多い。もちろん穴は最低二つ、せいぜい三つか四つあればすむ。こんなにたくさん穿ける必要はない。用紙もバインダーも製作に手間とコストがおそらく数倍はかかる。原材料もムダだ。

 わが国でルーズリーフの普及が今一つなのも、この穴の多さが原因ではないか。バインダーに綴じこむのが結構な手間だ。安いバインダーのリングは上端が固定されて半分が回転し、開いてリーフを入れ、閉じて下端のラッチをはめるものが多い。リングの半分を横に開くためには平らに開かねばならず、スペースをとる。スペースをとらないレバーでリングが開閉する方式は高くなる。いずれも標準では厚さも不足で100枚綴じるのはきつい。リーフを入れる時、3個ないし4個の穴に入れるよりも神経を使う。つまり使い勝手が悪い。デジタル時代が始まる直前にバイブル・サイズのシステム手帳が大流行したのも、あちらは穴が6個で格段に綴じやすいことも原因の一つではなかったか。

 穴の数が多いことによるメリットとしては、サイズの異なる紙を一つのバインダーに綴じられることがある。アメリカの文具屋でメーカーの Levenger にはそういうシステムがある。わが国でもまったく無いわけでもない。サイズと位置を合わせて穴の穿けたカードも売っている。が、システム展開をしているとは見えない。

 アメリカなどでは子どもたちのノートはルーズリーフがデフォルトだったそうだ。もう30年前だが、ロサンゼルスに半年仕事でいた時も、UCLA の門があるウェストウッドあたりの文房具屋に行くと三穴のルーズリーフの紙、レターサイズという少し幅のある A4 の大きさのものが300枚、500枚の束でまさに二束三文の値段で山積みになっていた。バインダーはダンボール剥出しのものから、高級な革製品まで千差万別。厚さも様々で、大きいのは300枚ぐらいまで優に綴じられた。

 もう今さら紙のノートなど必要ない、既存のシステムで充分なのかもしれないが、紙に書くための筆記具は新製品が絶えないし、ノートの人気も衰えないようだ。3種類ないし4種類の文字を混用する日本語の表記は、手書き文字認識の進化にもかかわらず、デジタル化に抵抗しているようにみえる。スマホ、タブレットの時代にあっても、毎年シーズンには手帳、日記、ノートで大騒ぎする。バイブル・サイズのシステム手帳も根強いらしく、文具の売り場では結構なスペースをとっている。日本語のためのルーズリーフのシステムも、どこか「再発明」してくれないか。

 たとえば穴の位置はそのままで数だけ四つないし三つに減らしたバインダーとそれに合わせた紙。紙質は多少落としてもいい。リーガルパッドぐらいで充分。書き味などはそんなに気にならない。筆記具との組合せにもよるんだし。


 C. J. Cherryh, The Paladin 着。『サイティーン』Cyteen の陰に隠れてしまっているが、『サイティーン』の2ヶ月後に出た珍しく独立のファンタジィ長篇。チェリィにはまったくの独立の長篇は4本しかない。ローカス賞での Best Fantasy Novel 第2位(1位はオースン・スコット・カードの Red Prophet)というのは、ファンタジィではチェリィにとっては最高位。もしこの年こちらも1位になっていれば、SFとファンタジィのダブル・クラウンになっていた。ちゃんと調べたわけじゃないが、ローカス賞のSFとファンタジィのダブル・クラウンはまだいないだろう。ローカス賞はSFとファンタジィとホラーは分けていて、重複選出はしないから、ハードルはとんでもなく高い。それに最も近いか。それにしても、チェリィは一時期は毎年複数の長篇を出し、それが軒並ローカス賞選考で上位入賞している。それもSF、ファンタジィ双方でだ。こんな書き手は他にはまずいないだろう。(ゆ)

The Paladin (English Edition)
Cherryh, C. J.
Baen Books
2016-06-19


4月8日・木
 「感性を刺激する音」とか「憧れのマークレビンソン」とか、PhileWeb の記事のタイトルに笑ってしまう。いやしくもオーディオ市場に出ている製品の音で「感性を刺激」しない音はあるのか。今のマークレビンソンが、かつて憧れの的だった「あの」マーク・レヴィンソンとその製品とは縁もゆかりもないことは、オーディオファイルなら常識ではないか。要するに語彙の貧困。書き手は文章についてのインプットが不足している。つまり本を読んでいない。ああ、しかし、人のフリ見て我がフリ直せ。もっと本を読みたい。

 THX Onyx。今どき USB B のコネクタってどうなのよ、と思いながらも M11Pro で THX AAA の実力を日々思い知らされている身としては、気にならなくもない。しかあし、その M11Pro があるからには、買う必要無し。と言い聞かせる。

 しかし M11Pro に続いて M15 も生産完了だそうだ。半導体の世界的不足のためらしい。M11Pro は大事に使わねば。 

 Le Guin, Annals Of The Western Shore, LOA着。LOA のル・グィン5冊め。LOA はやはりル・グィンを全部出すつもりらしい。今年は『アースシー』以外の残りの長篇かな。
 





 散歩の供は Paul Downes & Phil Beer, Life Ain’t Worth Living The Old Fashioned Way。1973年の2人名義のファースト。2人それぞれにとってもレコード・デビューらしい。デュオとして3枚あるうちこれのみ2016年に Talking Elephant から CD化されていた。アナログではこれのみ手に入らなかった。他の2枚もぜひデジタル化してほしいものだ。アナログでの記憶は後の2枚もすぐれもので、とりわけ2枚組ライヴ盤は傑作だった。

 
Life Ain't Worth Living in the
Paul Downs & Phil Beer
Imports
2016-12-16


 二十歳のビアがやせている! もっとも細く見える角度から撮ったか。ビアとダウンズが1曲ずつ書いている他は伝統歌。どれも有名どころではあるが、どれもなかなかに聴かせる。ビアの声が若い。ダウンズはほとんど変わらない。ダウンズの声は太く低いバリトン、ビアの声は表面柔かいが時々シャープにもなるテナー。ビアは楽器の腕はすでに一級。やはり天才だ。ビアはここでもショウ・オヴ・ハンズと同様の立ち位置。というより、ショウ・オヴ・ハンズはダウンズがナイトリィに替わっただけ、と言えないこともない。といってダウンズがシンガーとしてナイトリィに劣るわけでもない。ソングライターとしてはナイトリィの方に分がある。セカンドではなんとナイトリィの曲を数曲とりあげていた。ここに1曲入っているダウンズの曲は結構面白いが、書くのは好きではないのか。違いがあるとすればそこだろうか。ライヴを聴くかぎりは、この2人でずっとやってもよかったのではないかと思えた。

 これはどうやらLPからの起こしらしい。ぷちぷちと針音がするところがある。散歩しながらの時はわからなかったが、M11Pro > 428 > T3-01 で聴くと明らか。もっとも全体の音は良い。元の録音が優秀なのだろう。しかし、となると、他の2枚もマスターテープ紛失か。(ゆ)
 

4月6日・火

 八重桜が満開。温水のヨークマートの前にあった八重桜は背後の斜面に移したのだろうか。屋上の駐車場から見ると正面に間隔をおいて4本ほど並ぶ。その奥、上の道路脇に、こちらは前からある木だろう、もう3、4本ある。どれも満開。ヨークマート隣の SEL研究所のグラウンドの落合医院側の角に5、6本並んでいて、これも満開。梨畑で花が満開。あちこち藤も開きだした。こでまりも満開。

IMG_2313



 SFWA からニュースレター購読者対象無料本プレゼントの当選通知。二度目。Julia C. Czerneda の新作も面白そうだが、ハードカヴァーだそうで、もう片方の電子版にする。Susan Kaye Quinn の新シリーズの1作め。この人はロマンス風 YA の作家らしい。

 Julie E. Czerneda の SFシリーズ The Clan Chronicles の最初の3冊を Book Depository に注文。この3冊は Stratification 三部作で、書かれた順番としては後になるが、話の時間軸では最も早い。チャーネイダは同い年の同じ牡羊座。とすれば、読まないわけにはいかない。今一番好きな Michelle West とは同じカナダ出身、同じ DAW Books から本を出している仲間でもある。ますます、読まないわけにはいかない。この The Clan Chronicles のシリーズは三部作が3本からなる。他にアンソロジーが1冊。同じ宇宙の別の系統の話 Esen のシリーズが三部作が今のところ2本。2本めの第三部がもうすぐ出る。プレゼント対象はこのもうすぐ出る本。

 この人のファンタジィのシリーズ1作め A Turn Of Light, 2013のために作ったという舞台になる村の3D模型の製作過程の写真が公式サイトにある。これでもメシが食えるほどの水準。
 
 
 散歩のお供は Show Of Hands, Dark Fields。冒頭 Cousin Jack から Longdog への流れ、Crazy Boy、The Bristol Slaver と名曲が揃う。Flora のタイトルがつけられた Lily of the West、ニック・ジョーンズ編曲とクレジットされた The Warlike Lads of Russia、そして High Germany の伝統歌も名演。High Germany はライヴ録音で、ゲスト・シンガーはケイト・ラスビー。まだそれほど売れない頃だが、もう自意識目一杯の歌唱。ではあるが、ナイトリィのくだけたヴォーカルと並ぶとその固苦しいところがいいバランスになり、ビアのギター、クリス・ウッドのフィドル、アンディ・カッティングのアコーディオンもすばらしく、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。今回聴き直して最大の収獲。それにしてもこれはいいアルバムだ。Cousin Jack では珍しくピアノが活躍する。他にも案外ゲストは多彩にもかかわらず、実質2人だけの音作りなのも、全体を引き締めている。Lie Of The Land、ロイヤル・アルバート・ホールのライヴ、そしてこの Dark Fields と聴いて、こいつらはずっと追いかけるぞと、決意したはずだ。本国での人気もこのあたりで決定的になったと記憶する。ファンのネットワークも Longdog と呼ばれていた。Show Of Hands は何から聴けばいいかと問われれば、やはりこれにまず指を折る。

Dark Fields
Show of Hands
Twah!
1999-10-26



 夜、M11Pro > 428 > HE400i で酒井さんのソロと田辺商店《Get On A Swing》を聴く。HE400i の良さを改めて認識。ヘッドバンドとイヤパッドを替えたのも良いのだろう。

  ハーディングフェーレは一つひとつの音を共鳴弦の響きが美しい。響きの量は Ether C Flow 1.1 の方が多いが、美しさはこちらの方が上かもしれない。共鳴弦の響きに耳が行く。Ether C Flow 1.1 の音は豊饒。こちらは細身。あちらが壮麗ならこちらは流麗。

vetla jento mi 〜ハーディングフェーレ伝統曲集〜
酒井 絵美
ロイシンダフプロダクション
2020-12-27



 《Get On A Swing》はこれで聴くとかなり良い。もう少しチェロとギターのからみ合いを聴いてみたい気もするが、それぞれのソロをしっかり支えるというコンセプトなのだろう。チェロのベースはドーナルのバゥロンのベースにもにて、なかなか腰がある。コントラバスのように大きく響かないのが、かえってビートを効かせる。それに HE400i では音の芯が太くなる。これも使用150時間を超えてきたからでもあろう。やはりこれくらいは鳴らしこまないと、本当の実力はわからない。

GET ON A SWING
田辺商店
F THE MUSIC
2014-12-03



 これを聴いていて、HE400i に使っている onso のヘッドフォン・ケーブルから、公式サイトを覗いてみると、イヤフォン・ケーブルの新作 06 シリーズが出ていた。ヘッドフォン・ケーブルは HD414 用も使っていて、気に入っているから、イヤフォンもひとつ買ってみるか。(ゆ)

4月5日・月
 Grimdark Magazine の記事で The Forgotten Realms をどこから読むのがいいか、とあり、興味が湧く。R. A. Salvatore の Drizzt が最大のヒーローで、本もたくさん出ている。現在36冊。すべて Salvatore。昨年も新刊が出ている。こいつから読んでみるか。今はドリッズドの年齡順に『ダーク・エルフ』が第1シリーズで次が『アイスウィンド』になっている。邦訳はその次の Legacy of the Drow まで出ているらしい。ここまでで原書は10冊だから、全体の4分の3は未訳で、こいつはおいしい。安田さんだから既訳の部分は邦訳でもいいかな。をを、サルヴァトアの『フォーゴトン・レルム』でのもう一つの傑作と言われる 『クレリック・サーガ』も安田+笠井で出ているではないか。The Legends of Drizzt は調べると Apple Books が全部電子版を出していて、一番安い。安いのは楽天コボだが、ここのは PDF なので問題外。

 もう一人Elaine Cunningham という人がいい由。1991年の Elfshadow から2002年 Counselors & Kings まで、長篇11本に短篇が3本。『フォーゴトン・レルム』でドリッズドに次ぐ最大のシリーズ The Harper から出発して、独自のシリーズを書いている。この人は少なくとも長篇ではゲーム、映画のノヴェライズ専門のようで、2010年を最後に長篇は出ていない。時々、こういう書き手がいる。ノヴェライズでは抜群に質の高いものを書くが、オリジナル作品が無い。

 サルヴァトア、の方が原語に近いはずだが、かれはこの Forgotten Realms の書き手から出発して、独自の作品の書き手に「突破」していった。Demon Wars のシリーズは現在14冊で、ドリッズドものと並行して出ている。TSR とは縁を切るが、Wizards of the Coast が TSR を買収すると、また書いている。あるいは WOTC 側で他の作家とは別格の扱いを提示したのかもしれない。このおかげでドリッズドものの長篇1本がオクラ入りしてしまった別の書き手もいる。

 『ドラゴンランス』が今は一応終っているのに対し、『フォーゴトン・レルム』が続いているのはサルヴァトアのおかげもあるだろう。もっともワイス&ヒックマンが『ドラゴンランス』の新しい三部作をイギリスの版元から出す予定で、1作めの原稿も渡したというニュースもある。こちらは WOTC が突然理由も告げずに企画の破棄を通告したというので、ワイス&ヒックマンが訴訟を起こしたと昨年末に伝えられた。ワイス&ヒックマンによれば、企画の破棄は作品の出来とは無関係で、WOTC の他方面での不祥事のとばっちりを受けたらしい。もちろんワイス&ヒックマンも版元も WOTC の承認のもとに始めているわけで、そりゃ、怒るわなあ。(ゆ)


4月3日・土

 モノを探して書庫をひっくり返すと副産物で Jeff VanderMeer の Dradin In Love 初版著者サイン本が出てくる。どこかで売れるかな。各章の扉として1ページのモノクロ・イラストが挿入されている。クレジット頁によれば Buzzcity Press は The Silver Web という雑誌をメインに出している。シリーズ・エディタは Ann Kennedy となっていて、今のヴァンダミア夫人。いつ、どこで買ったか、まったく覚えがない。出た当時に買っているはずで、Mark V. Ziesing あたりだろうか。この時にはまだまったく海のものとも山のものともわからなかったはずだ。

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 エアコンのリモコンにフィルタ異常と出るので、生協経由で掃除を申し込む。夜、連絡があり。据付を調べると2007年と判明。10年以上経つので部品が無く、故障した場合は直せない。とのことで、キャンセル。買換えを計画せざるをえない。今のところ、まだ動いてはいる。

 散歩の供はまず Ale Moller, Hans Ek, Lena Willemark, Vasteras Sinfonietta, The Nordan Suite。アレ・メッレルとリェナ・ヴィッレマルクが ECM から出した Nordan と Agram の2枚はスウェーデンと言わず、およそルーツ・ミュージックから生まれた最高の音楽のひとつで、これはその続篇というよりも、コンパニオン、対になるアルバムだろう。ECM の2枚は贅肉を削ぎおとした最小限のアンサンブルで、悽愴なまでに美しいが、こちらはフルオケとルーツ楽器、ヴォーカルとの協奏曲の形式による荘厳な作物。どちらも聴くたびに違って聞えるぐらい、おそろしくダイナミックな音楽でもある。

The Nordan Suite
Moller, Ale / Willemark, Lena / Vasteras Sinfonietta
Prophone
2015-01-27


Nordan
Bjorn Tollin
Ecm Import
2000-06-06


Agram
Moller
Ecm Import
2000-06-06



 協奏曲とは言っても、ヴォーカルとフィドル、パイプ、セリフロイト、マンドーラなどをオケが支えるホモフォニーに終っていないところがいい。例によってCDがどこかにまぎれこんで確認できないが、まあ、アレが中心になって編曲しているのだろう。クラシック用とされている楽器、管や弦が水を得た魚のように活き活きとルーツ楽器と対等に五分に渡り合い、ほんもののポリフォニーを作ってゆく。それを切り裂くリェナの「牛呼び」の声。

 録音もばっちりで、こいつは歩きながらだけでなく、腰を据えて、フルサイズのヘッドフォンでも聴こう。どこかのオーディオ屋にもっていって、スピーカーの試聴と称して聴いてもみるかな。

 続いては Bandcamp で買ったアンディ・アーヴァインの Rainy Sundays…Windy Dreams。CD化された時と同じ、LPでは裏面に使われていた写真を表にしたジャケットは同じ。確かにこちらの方が写真としては面白い。1980年に、その前のポール・ブレディとの共作とほぼ同じメンバーで作ったアンディの初のソロ。出た時の鮮烈な印象は忘れられない。

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 それまで聴いていたクリスティ・ムーアやポール・ブレディのソロは例えばニック・ジョーンズ、ヴィン・ガーバット、ディック・ゴーハンといった人たちのソロの直系の子孫と聞くこともできた。ポール・ブレディなどは少なくともこの当時はこうしたイングランドやスコットランドのシンガーたちへの憧れというよりもコンプレックスが明らかだ。フランスのガブリエル・ヤクーもそうだが、1970年代にはイングランドやスコットランドのロゥランドがお手本だった。

 けれどもアンディのこのソロは違った。ひどく新鮮で、地の底から湧いてくるような熱気をたたえて迫ってきた。冒頭の15分を超える移民のうたのメドレーの生々しさに吹っ飛ばされた。ちょうど同じ頃、ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーも Farewell To Eirinn を出してアイルランドにとって「移民」の持つ重さを感じだしてもいた。この2曲目、Farewell To Old Ireland のリフでのドーナルのブズーキとアンディのマンドラ(とクレジットにはある)のシンコペーションのカッコよさ! CDを買いそこねたので、聴くのは本当に久しぶりだが、みずみずしさは少しも損われていない。

Farewell to Eirinn
Faulkner, John
Green Linnet
1993-01-05



 それにしても声が若いのを除けば、音楽的にはもうこの時点で完成しているのは、あらためて凄い。ドーナルのプロデュースに隙はなく、エネルギッシュなのだが、隅々まで丁寧に作っている。聴き直して今回面白かったのは本来ラストだったアンディの自作のタイトル曲で、ガーヴァン・ギャラハーのベース、ポール・バレットのシンセに、キース・ドナルドのサックスという、この中では変則的で後のムーヴィング・ハーツの原型のような編成。このドナルドのサックスがすばらしい。その後、あちこちでこの人の参加した録音は聴いているが、これがベストではないか。こんなに吹ける人なら、もっとちゃんと聴いてみたい。

 B面のルーマニアの Blood and Gold から Paidushko Horo の流れも後の East Wind や『リバーダンス』でのロシアン・ダンス・シークエンスをこの時点で完全に先取りしている。Blood and Gold はその後あちこちでカヴァーされているけれど、Bandcamp にあるアンディのノートによると、この曲は本来16分の5拍子なのに、みんな8分の6拍子のジグにしてしまっているとあるのは笑える。アンディはやっぱり最高だ。自伝を書いてるそうで、早く読みたいぞ。

4月1日
 ITMA で紹介されていた In Nearly Every House: Irish Traditional Musicians of North Connacht by Gregory Daly を AbeBooks で注文。ITMA で買うと送料が高い。本の値段の半分。

 アルテスパブリッシングのニュースレターで濱田慈郎氏が03-21、平野甲賀氏が03-22に亡くなったのを知る。『フラメンコの歴史』は凄かった。平野氏が病気の間、晶文社のデザインをやっていた日下潤一さんはお元気だろうか。

 染井吉野が終って、次は八重桜だが、これももう咲きはじめている。田圃の中の畑に植えてある樹は満開になっていたが、ほとんどはまだまだぽつりぽつり。温水のヨークマートの前には八重桜の見事な並木があったが、店を造った後で大半を伐ってしまって、今は3本だけ残っている。1本は咲きはじめ、他の2本はまだまだ。ただし、そのヨークマートの裏側の斜面、雑木林の道路沿いに八重桜が10本ほど点々とならんでいて、これから咲こうとしている。ちょっと愉しみ。ウチの団地内の街路樹の根元の躑躅もどんどん咲いてきた。里山の欅、櫟などの落葉樹の若芽がずいぶん伸びている。これから連休までがいい季節。薄曇の空の下、いい音楽を聴きながら田圃の中の道を歩いていると、わけもなく笑ってしまう。

 散歩の供は Granny's Attic, Wheels Of The World。ファーストから3年ぶりのセカンド。まず耳につくのは Cohen Braithwaite-Kilcoyne のシンガーとしての成長。ファーストではまだその特徴的な声に頼るところがあって、もう一人のリード・シンガー George Sansom に一歩を讓るところがあったけれど、1枚も2枚も剥けて、ゆったりした曲をじっくりと聞かせられるうたい手になっている。サンソムも負けてはおらず、この2人が各々リードをとる Banks of Green Willow と Gilderoy がまずもってハイライト。イングランドの伝統歌の真髄をたっぷりと味わう。ラストの、サンソムがギターを弾かず、コンサティーナとフィドルだけをバックに歌う Our Captain Cried All Hands も見事。フィドルの Lewis Wood のペンになるダンス・チューンも相変わらずすばらしい。どうして、こんなに伝統的な曲が書けるのかと愚かなことを思わず考えてしまうほどだ。このトリオはイングランドの若手バンドとしては筆頭ではないか。コーエンとサンソムは Jack Rutter と並ぶシンガーの逸材だ。

Wheels Of The World
Granny's Attic
Grimdon Records
2019-09-13



 アマゾンで注文した本の未着につき確認すると、返金不可。評価を見ると他にも未着で対応もだめ。星一つの評価にする。そうしたら、あわてた様子で連絡が来て、返金するから、悪評価を消してくれ。返金したから誠意あるとして、評価は削除する。アマゾンで未着はこれで3冊目でインドの本屋が二つに、もう一つはニュージャージー在だがインド人。「#帝国の本」という名称のこの業者は悪質らしく、返金にも応じなかった。インドの本屋は安いのだが、本が届かないことが3回続いたから、避けるようにしよう。

 ファンケルの尿酸サポートは尿酸値7.0未満の人間のためのもので、7以上は医師に相談しろ。他の尿酸値対策サプリもみな同じ。ネットで検索すると、牛乳はじめ乳製品は尿酸を排出する。牛乳なら1日1杯。水を飲め。スイーツも控えろ。一般的な尿酸値対策は役に立たない。酒は飲まない。肥満ではない。プリン体の多いものも食べていない。それで7.5あるのだから、どうしろというのだ。医者は体質だという。

 オクタヴィア・E・バトラーの快進撃が止まらない。Locus 最新号によるとまず the National Women's Hall of Fame (NWHF) の今年の殿堂入りの一人に指名された。10-02に式がある。同時に指名された人の中には NASA の数学者だった Katherine Johnson もいる。

 もう一つは先月18日に着陸した NASA の火星探査機 Perserance の着陸地点がバトラーと命名された。作家のバトラーはまさに persevere することで作家としての地位を確立していったわけだから、ふさわしいとは言えるが、近年の黒人、女性などマイノリティの人びとの地位向上の流れの一環でもあるだろう。今年の SFWA グランド・マスターにN・K・ジェミシンが指名されたのもその流れの一つでもあるが、ジェミシンにとってもバトラーはロール・モデルだった。というよりも、アフリカ系女性作家全員にとってバトラーは希望の星だったようだ。確か小惑星の一つにも彼女の名前が付けられていたはずだ。

 こうした顕彰が売行につながればいいんだが。まあ、あたしとしてはとにかく今やっている The Parable Of The Sower、The Parable Of The Talents 二部作の翻訳をできるかぎり良いものにするよう努力するしかない。

 それにしても、生きている間は知る人ぞ知る存在だったわけで、この状況を本人が知ったら苦笑いするんじゃないか。The Talents でネビュラを受賞したとき、授賞式で、こういう立場にならないために作家になったと言った人ではある。(ゆ)

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