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本を買う。


いろいろ届く日

ツイッターから撤退する作家
Victoria Goddard 新作
Micheal R. Fletcher
オクテイヴィア・E・バトラー
『黄金の人工太陽』
もともとこちらが初出。翌年ドゾアの年刊ベスト集第35集に収録された。これでアリエットの「シュヤ宇宙」のシリーズに興味が湧いたら、ぜひ『茶匠と探偵』もお読みくだされ。
Victoria Goddard の新刊
サイエンス・フィクション、ファンタジィにできること
エルリック
Anthony Ryan の The Seven Swords の第4巻 To Blackfyre Keep が発表。Subterranean Press のサイトで確認すると送料がこれまでより選択肢が増えて、比較的安い DHL ができている。これならばまだしも我慢できる。ので、注文。刊行は9月予定。あと2冊。完結するまで世界があるか。
The Fortress Of The Pearl があまりに面白かったので、間髪入れずに The Sailor At The Seas Of Fate に突入。seas と複数形。sailor は単数。これは盲目の船長のことか。Gollancz の Michael Moorcock Collection 版では作品内の時系列に沿っているので、Fortress が2番目、次が Sailor になる。
それにしてもこれはヒロイック・ファンタジイ、Sword and Sorcery だろうか。表向きはそうに違いない。しかして実態は形而上ファンタスティカだ。これに比べれば、アメリカのファンタジィがいかにキャラクター中心か、よくわかる。
エルリックはキャラクターではない。少なくともアメリカでいうキャラクターではない。エレコーゼもホークムーンもコルムも、船長も違う。キャラクターの原型、と言うべきか。むしろ、歌舞伎の役に近い。かれらのふるまいはある種の型にそっている。容貌は隈取りに似ている。衣裳も常に同じ。たとえば、エルリックのキモリルに対する感情にはリアリティがまるで無い。故意に剥ぎとっている。ファファードやグレイマウザーの恋人に対する感情とはまるで次元が異なる。一方で形だけの、表面的なものでもない。エルリックが心底キモリルに惚れていることは明らかだ。
ムアコックがエルリックものを書く前に歌舞伎に親しんだとも思えないから、物語を語る手法に通じるところがあるのだろう。複雑な話を抽象化記号化することで単純なものに見せる。キャラクター中心にすると、複雑な事情、筋をいちいち全部書かなければならない。アメリカのファンタジィが長大になるのも無理はないのだ。
ただし、抽象化記号化する場合にはそのルール、この抽象やあの記号はそれぞれこういう事情、ああいう条件を表すという約束ごとを書き手と読み手が共有する必要がある。その共有された体験が伝統をかたちづくる。歌舞伎がその伝統に依拠しているように、ムアコックも英語文学、台湾版エルリックへの序文で触れている北欧やケルトの神話、Sexton Blake ものや、ダンセイニ、ホワイト、ピークからコンラッド、ウルフ、ボゥエン、さらにはプルースト、カミュ、サルトルにいたる文学伝統に依拠している。その伝統にはE・R・バロゥズやハワード、ライバーも含まれる。だからこそ、今度はエルリックが伝統の一部として共有される。
しかしアメリカでは体験の共有が期待できない。バロゥズやハワードが依拠した伝統を読み手が共有していると期待できない。ライバーはバロゥズやハワードを現代化することで、新たな、キャラクター中心のモダン・ファンタジィを生み出した。
ただし、ライバーはまだ文学伝統に依拠する部分が残っている。あるいは伝統の何たるかを知り、その使い方を心得ている。伝統から脱皮し、すべてを事細かに語るスタイルになるのがどこか。具体的に、誰の、どの作品かはちょっと面白い問題だが、まだ答えは見えない。候補としてはタッド・ウィリアムス、あるいはスティーヴン・キングあたりだろうか。
いやしかしそれよりは当面、エルリックが面白すぎる。こんな話だったとは。もっと早くに読むべきだった。1980年代前半にはMayflower 版でムアコックはほとんど揃えていたのだから。が、すべてのものにはその時がある。あたしにとっては今がこれを読む頃合いなのだ。とはいえ、12、3歳でリアルタイムで読んでいたニール・ゲイマンはうらやましい。
##本日のグレイトフル・デッド
04月04日には1969年から1995年まで10本のショウをしている。公式リリースは1本。
01. 1969 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
金曜日。このヴェニュー3日連続の初日。共演フライング・バリトー・ブラザーズ。色違い、柄違いのポスターが残っている。
02. 1971 Manhattan Center, New York, NY
日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。5ドル。開演8時。
03. 1985 Providence Civic Center, Providence, RI
木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。11.50ドルと12.50ドル。全席指定。開演7時半。
第一部5曲目で〈She Belongs To Me〉がデビュー。ディランのカヴァーで、この年の11-21まで計9回演奏。原曲は《Bringing It All Back Home》収録。
第一部クローザー〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance> Deal〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
04. 1986 Hartford Civic Center, Hartford, CT
金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。13.50ドル。開演7時半。
05. 1987 The Centrum, Worcester, MA
土曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。開演7時半。
06. 1988 Hartford Civic Center, Hartford, CT
月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。
開幕2曲目が〈Johnny B. Goode〉という位置は異常で、こういう異常な選曲をする時は調子が良い。もっとも原因の一つはガルシアが喉をつぶしていたことがある由。第二部オープナー〈Touch Of Grey〉を始める前にウィアが "And now from our hit album, a Touch Of Gray." とのたまわった。
07. 1991 The Omni, Atlanta, GA
木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。
08. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
日曜日。このヴェニュー5本連続の4本目。26.00ドル。開演7時半。
Drums> Space に Boba Olatunji が参加。
09. 1994 Orlando Arena, Orlando, FL
月曜日。本来2日連続だったが、前日のショウはキャンセルされた。「家族の病気のため」と、DeadBase XI にはある。25ドル。開演7時半。
10. 1995 Birmingham-Jefferson Civic Center Coliseum, Birmingham, AL
火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。26.50ドル。開演7時半。(ゆ)
たまにはデッド以外の音楽を聴いたり、本を買ったり。
04月01日・金
散歩に出ると風が冷たい。大山・丹沢の上の方は白くなっていた。
Locus 3月号。SFWA が名称を変えるというニュース。略号はそのままだが、名称は Science Fiction and Fantasy Writers Association になる。つまり、"of America" ではなくなる。2,100名超の会員の4分の1がアメリカ国外に住んだり、仕事をしたりしている由。近年ではカナダ、オーストラリアも増えているはずだ。Tor.com に記事が出たインド亜大陸もある。インドだけで、英語のネイティヴは1億を超える。UKよりも多いのだ。
この名称変更はグローバル組織への道だろう。地球上どこに住んでいようと英語で作品を発表していれば会員になれる。あるいは英語で作品が読めればいい、ということになるか。当然ネビュラ賞の対象も変わるはずだ。現在はアメリカ国内で発表されたものに限られている。ヒューゴーはもともとそういう国籍条項が無い。対象は全世界で、その点ではこれまでネビュラよりも国際的だった。
アマゾンで Nghi Vo の新作 Siren Queen のハードカヴァーを予約注文。05-10刊。フィッツジェラルドの『偉大なギャッピー』を換骨奪胎してベトナム・ファンタジーに仕立てた The Chosen And The Beautiful は滅法面白かった。ヒューゴーをとった The Empress Of Salt And Fortune も良かった。そういえば、C. S. E. Cooney の Saint Death's Daughter が今月だ。版元のサイトによれば12日発売。これは楽しみなのだ。
Bandcamp Friday につき、買物カゴを空にして散財。先月買いそこねたので、2ヶ月分。
Martin Hayes & The Common Ground Ensemble のシングル〈The Magherabaun Reel〉を Apple Music で聴く。ヘイズのオリジナルだろう。タイトルはかれの生家のある Maghera Mountain にちなむはずだ。ちょっと聴くかぎりは The Gloaming の延長に聞える。JOL のこのアンサンブルのコンサート評ではもっと多彩なもののようだ。フル・アルバムないしライヴが待ち遠しい。
Rachel Hair & Ruth Keggin - Vuddee Veg | Sound of the Glen
スコットランドのハーパーとマン島のシンガーのデュオ。クラウドファンディングで作っているフル・アルバムが楽しみだ。
The Same Land - Salt House - Live in Edinburgh
スコットランドのトリオ。スコットランドのバンドでは今1番好き。
##本日のグレイトフル・デッド
04月01日には1965年から1995年まで、12本のショウをしている。公式リリースは6本、うち完全版2本。
01. 1965 Menlo College, Menlo Park, CA
木曜日。ビル・クロイツマンは回想録 Deal でこれをバンドとして最初のショウとしている。029pp. まだ The Warlocks の名もなかった由。DeadBase XI では1965-04-?? として載せている。むろんセット・リストなどは不明。
メンロ・パークはサンフランシスコの南、スタンフォード大学のあるパロ・アルトのすぐ北の街。ガルシアの育ったところ。グレイトフル・デッド発祥の地。
02. 1967 Rock Garden, San Francisco, CA
土曜日。このヴェニュー5本連続の最終日。共演チャールズ・ロイド・カルテット、ザ・ヴァージニアンズ。このショウは無かった可能性もある。
03. 1980 Capitol Theatre, Passaic, NJ
火曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。10.00ドル。第一部6曲目〈Friend of the Devil〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
1981のこの日《Reckoning》がリリースされた。
前年9月から11月にかけてサンフランシスコの The Warfiled Theatre とニューヨークの Radio City Music Hall で行われたレジデンス公演では、第一部をアコースティック・セット、第二部をエレクトリック・セットという構成がとられた。そのアコースティック・セットで演奏された曲からの抜粋16曲を2枚のLPに収めたものである。一部は短縮版。
元々は CSN&Y の《4 Way Street》のように、アコースティック・セットで1枚、エレクトリック・セットで1枚の2枚組の形で企画された。が、あまりに良い演奏が多く、捨てるのはどうしても忍びないということで、結局アコースティック、エレクトリックそれぞれにLP2枚組ということになった。
2004年に CD2枚組の拡大版がリリースされ、これにはラジオ・シティでの公演からの録音を中心に16曲が追加された。録音はベティ・カンター=ジャクソン。ライヴでのサウンド・エンジニアはダン・ヒーリィ。
全篇アコースティック編成でのアルバムとしては、スタジオ、ライヴ問わず唯一のもの。
これを聴くと、もっとこういう編成でのライヴをして、録音も出して欲しかったと、あたしなどは思う。アナログ時代のアルバムとしては最も好きだ。アコースティックのアンサンブルとしても、グレイトフル・デッドは出色の存在であり、そのお手本となったペンタングルに比べられる、数少ないバンドの一つだ。カントリーやブルーグラス、オールドタイム、あるいはケルト系ではない、アコースティックでしっかりロックンロールできるバンドは稀だろう。後にガルシアがデュオですばらしいアルバムを作るデヴィッド・グリスマンやデヴィッド・リンドレー、あるいはピーター・ローワンのバンドぐらいではなかろうか。そう、それとディラン。ディランの《John Wesley Harding》に匹敵あるいはあれをも凌駕できるようなアルバムを、その気になればデッドには作れたのではないか。
それは妄想としても、このレジデンス公演の全貌はきちんとした形で出してほしい。50周年記念盤で出すならば、2030年まで待たねばならない。それまで生きているか、世界があるのか、保証はないのだ。
04. 1984 Marin Veterans Memorial Auditorium, San Rafael, CA
日曜日。このヴェニュー4本連続のランの最終日。開演8時。第二部オープナーの〈Help On The Way > Slipknot! > Franklin's Tower〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
05. 1985 Cumberland County Civic Center, Portland, ME
月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。11.50ドル。
06. 1986 Providence Civic Center, Providence, RI
日曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。13.50ドル。第二部オープナーからの3曲〈Shakedown Street; Estimated Prophet; Eyes Of The World〉が2020年の、第一部4・5曲目〈Cassidy; Tennessee Jed〉が2021年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。
07. 1988 Brendan Byrne Arena, East Rutherford, NJ
木曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。18.50ドル。開演8時。第一部4曲目〈Ballad Of A Thin Man〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた後、全体が《Road Trips, Vol. 4 No.2》でリリースされた。
08. 1990 The Omni, Atlanta, GA
日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。春のツアー最後のラン。18.50ドル。開演7時半。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と Space 後の〈Dear Mr Fantasy〉が《Without A Net》でリリースされた後、《Spring 1990 (The Other One)》で全体がリリースされた。
「マルサリス効果」は続いている。このツアーではガルシア、ウィア、ミドランドの3人のシンガーの出来がすばらしいが、この日はとりわけガルシアの歌唱が充実している。たとえば〈Candyman〉、たとえば〈Althea〉、たとえば〈To Lay Me Down〉、あるいは〈Ship Of Fools〉、そして極めつけ〈Stella Blue〉。いずれもベスト・ヴァージョン。というよりも、この日演奏されたどの曲もベスト・ヴァージョンと言っていいのだが、ガルシアの持ち歌でいえばこの5曲は、シンガー、ジェリィ・ガルシアの偉大さを思い知らされる。
ウィアの歌唱もますます良い。ちょっと演技過剰なところも無くはないが、この人の場合、過剰に見えても、本人は特に過剰にやろうとしてはいない。自然にそうなるところがある。とにかく、根っからのいたずら好き、というよりも、いたずらをせずにはいられない。おそらく本人はいたずらをしようと意図してやっているわけではなく、無理なくふるまうとそれがいたずらになるというけしき。歌での演技でも同じで、故意に演技しているわけではなく、歌うとそうなるのだろう。その演技に、ガルシアとミドランドが素知らぬ顔でまじめにコーラスをつけるから、ますます演技が目立つ。その対照が面白い。
ウィアの持ち歌では〈Victim Or The Crime〉がハイライトで、これは文句なくベスト・ヴァージョン。歌唱も演奏もすばらしい。ハートだろうか、不気味なゴングを鳴らし、全体に緊張感が漲り、その上で後半がフリーなジャムになる。これを名曲とは言い難いが、傑作だとあらためて思う。
そして第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉では、スリップ・ジグのような、頭を引っぱるビートが出て、全員が乗ってゆく。
このツアーでのミドランドの活躍を見ると、かれの急死は本当に惜しかった。ピアノとハモンドを主に曲によって、あるいは場面によって切替え、聴き応えのあるソロもとれば、味のあるサポートにも回れる。そしてシンガーとしては、デッド史上随一。〈Dear Mr. Fantasy> Hey Jude〉はかれがいなければ成立しない。ここではガルシアが後者のメロディを弾きだすのに、いきなりコーラスで入り、レシュとガルシアが加わって盛り上がる。するとミドランドはまた前者を歌いだす。〈Truckin'〉でのクールなコーラス。〈Man Smart (Woman Smarter)〉の、3人のシンガーが入り乱れての歌いかわし。
Drums はゆっくり叩く大きな楽器と細かく叩く小さな楽器、生楽器と MIDI の対比が、シンプルでパワフル。Space のガルシアがトランペットの音でやるフリーなソロ。
ここでは意図的に個別にとりあげてみたが、こうした音楽が一つの流れを作って、聴く者はその流れに乗せられてゆく。そして落ちつくところは〈It's All Over Now, Baby Blue〉。これで、すべて終りだよ。ガルシアの歌もギターも輝いて、最高の締め。
09. 1991 Greensboro Coliseum, Greensboro, NC
月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。21.50ドル。開演7時半。
10. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
木曜日。このヴェニュー5本連続の2本目。開演7時半。第二部オープナー〈Iko Iko〉で Barney the Purple Dinosaur がベースで参加。
11. 1994 The Omni, Atlanta, GA
金曜日。25.50ドル。開演7時半。
12. 1995 The Pyramid, Memphis, TN
土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。26.50ドル。開演7時半。サウンドチェックの〈Casey Jones〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。本番ではこの曲はやっていない。(ゆ)
The Best Of Lucius Shepard, Volume Two
03月09日・火
昼前、郵便配達が海外からの小包を持ってくる。ハンコが要る。サイズから見てあれかなと思ったら、やはり The Best Of Lucius Shepard, Volume Two, Limited Edition だった。Volume One の時は限定版の付録に収録の作品はすべて初出を持っていたので通常版にしたのだが、今回は付録の Youthful Folly and Other Lost Stories 所収の諸篇は同人誌などや特殊な媒体が初出のものがあって、持っていないのが大半なので限定版を注文。送料がまた本体の半分くらい。本にしては高いが、シェパードとなればやむをえない。この限定版は、製本か印刷かミスがあったとのことで、本体だけの通常版からかなり遅れた。付録の巻の方だろうか。
しかし、今はとにかく、デッドを聴くのに時間をとられて、本がまるで読めん。
##本日のグレイトフル・デッド
03月09日には1968年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1968 Melodyland Theatre, Anaheim, CA
土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。ロサンゼルスの LA Free Press に広告によると、6時半と9時半の2回コンサートがあった。これもデッドはジェファーソン・エアプレインの前座。
2. 1981 Madison Square Garden, New York , NY
月曜日。12.50ドル。開演7時半。このヴェニュー2日連続の初日。すばらしいショウの由。
3. 1985 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
土曜日。このヴェニュー4本連続の初日。開演7時半。第二部〈Drums> Space> The Other One〉に Merl Saunders が参加。
4. 1992 Capital Centre, Landover , MD
月曜日。開演7時半。ここはベストのショウがいくつも生まれるヴェニューだが、会場としての評判ははなはだ良くない。とりわけ、警備の体制が「ナチ」だったそうだ。
5. 1993 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL
火曜日。25ドル。開演7時半。春のツアーのスタート。このヴェニュー3日連続の初日。まずまずのショウの由。
ローズモントはシカゴ・オヘア空港のすぐ東にある街。会場は1980年05月オープンの多目的アリーナで、定員はコンサートで18,500。命名権の移転によって現在の名前は変わっている。1984年にロナルド・レーガンとジョージ・H・W・ブッシュ(パパ・ブッシュ)がここで大統領選の集会をしている。
デッドはここで1981年12月06日に初めて演奏し、1994年03月18日まで計13回のショウをしている。初回のショウの1曲〈Jack-A-Roe〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。(ゆ)
「サンダースンの1年」
03月02日・水
Brandon Sanderson から思わせぶりなニュースレター。リンク先の YouTube のビデオで、来年1年「サンダースンの1年」企画の発表。来年、世界があることへの祈りの一環で参加すべえ。急な出費ではある。価格としては安くはない。送料が例によってほぼ同額で、ハードカヴァーだけだと300USD。
サンダースンの YouTube チャンネルの登録者数が30万。これだけの基礎読者がいるのは凄い。ストレス処理が小説を書くこと、というのも当然といえば当然だが、2年で5冊書いてしまった、というのはそう多くはないだろう。アメリカの作家にしては量産でもある。2019年には本のプロモーションなどで旅行している時間が1年の3分の1。2020年にはそれがほぼゼロになり、時間ができた。
結局ハードカヴァー4冊でプレッジ。開始24時間で45,000人弱1,200万ドルを超えている。平均270ドル。ということは電子版が多い。コメントを見ると、ヨーロッパはじめ、国外からの送料に対する不満が噴出している。
Kickstarter でのこの企画は、4冊のタイトルも中身も隠したままなのに、わずか4日で200万ドルを集めて、Kickstarter 史上第一位となった。Washington Post の Book Club までがとりあげる騒ぎになっている。それはそうだ。つまり、ニューヨークの出版社も、エージェントも要らない、ということになる。WPBC の Ron Charles のインタヴューに答えて、サンダースンは、これを試みた理由の一つはアマゾンの独占に対する対策だとしている。数年前、価格の面でトラブルとなった Mcmillan のタイトルを Amazon が1週間、販売を止めたことがあった。今後、そうしたことが無いとも限らない。ジョフ・ベゾズがある日突然、サンダースンを嫌いになるかもしれない。その時に備えてのことだ、というわけだ。もちろん、誰もがこれをできるわけではない。サンダースンは30人のスタッフを抱えている。本だけではなく、そこから様々な商品、かれが swag と呼ぶマーチャンダイジングをして、これまでにも成功している。自分の書いているファンタジー世界のシンボルをかたどったメダル、プレイング・カード、カレンダーなど、かなりの数にのぼる。今回も4冊の小説とともに、8セットの swag ボックスを用意して、12ヶ月毎月リリースする。こうした商品化も、出版業界は怠けている、ともサンダースンは指摘する。もちろん、基本には、かれの書く小説が面白い、ということはある。ロバート・ジョーダンの衣鉢を継いで、現時点では英語圏最大の SFF作家になっている。売行だけではなく、質と作品の多様性の点でも、今後、世界が存続すれば、21世紀前半最大の作家の一人に数えられるだろう。
##本日のグレイトフル・デッド
03月02日には1969年から1992年まで4本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1969 The Fillmore West, San Francisco, CA
日曜日。このヴェニュー4日連続のランの最終日。第二部3曲目〈Death Don't Have No Mercy〉、クローザーに向けての2曲〈Feedback〉と〈And We Bid You Goodnight〉が《Live/Dead》でリリースされた。《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。また第二部2曲目の〈That's It for the Other One〉と、4曲目〈Alligator〉からクローザー〈And We Bid You Goodnight〉までが、抜粋盤《Fillmore West 1969 (3CD)》に収録された。
2. 1981 Cleveland Music Hall, Cleveland, OH
月曜日。このヴェニュー2日連続のランの初日。この頃になると〈Playing In The Band 〉は成長して他の曲や Drums> Space をはさむようになる。
3. 1987 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。17.50ドル。開演8時。クローザー〈Morning Dew〉は、ガルシアが昏睡から回復して初めての演奏。
4. 1992 The Omni, Atlanta, GA
月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。Drums の終りの方で、ハートが梁?の上でとびはねだし、ウィアが携帯用の削岩機ないしドリルを打楽器に使った。(ゆ)
新ドラゴンランス三部作
03月01日・火
Locus 3月号。ニュース欄に一通り目を通す。Media の欄に、Weis & Hickman による新ドラゴンランス三部作の一作目 Drangonlance: Dragons of Deceit が Del Rey に売れた、とある。この件にからんで、ワイス&ヒックマンがこの企画を潰そうとした Wizards of the Coast を訴えたというニュースが一昨年暮れにやはり Locus に載っていた。続報は無かったが、こうしてアメリカの版元に売れたのなら、何らかの決着がついて、企画がゴーになったのだろう。さて、いつ本になるか。それを読めるまで世界があるか。
##本日のグレイトフル・デッド
03月01日には1968年から1992年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。
1. 1968 The Looking Glass, Walnut Creek, CA
金曜日。ギグがあった、というだけでセット・リスト不明。Walnut Creek はバークレーの真東15キロほどにある町。
2. 1969 The Fillmore West, San Francisco, CA
土曜日。このヴェニュー4日連続の3日目。《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。第二部オープナーの〈Dupree's Diamond Blues; Mountains Of The Moon〉が抜粋盤《Fillmore West 1969 (3CD)》に収録された。
この第二部冒頭の2曲はアコースティック・セット。
この時のバンドはトム・コンスタンティンが入って7人。歴代最多。そこでビル・グレアムの紹介はバンドを「七人の侍」に喩えている。
第一部は〈That's It for the Other One〉から〈Cosmic Charlie〉まで4曲45分ノンストップ。第二部は80分近く。前日後半よりも形のある曲をそろえている。〈That's It for the Other One〉のジャムは原始デッドの最良のものの一つ。
前日よりも整った演奏。〈Dark Star〉も終始フォームを保つ。今にも崩れそうになるぎりぎりを渡るようなスリルは少ないが、原始デッドの完成された姿が最も明瞭に現れている。
クローザーの〈Turn On Your Lovelight〉までピグペンは影も見えないが、これと、何よりもアンコールの〈Hey Jude〉でリベンジしている。これはピグペンによる2度目の歌唱で、ピグペンはより自分に引きつけてうたっているし、後半リフレインでのガルシアのギターもすばらしく、これがレパートリィに入らなかったのは惜しいと思える。
この4日間、やっている曲はほとんど同じ。やっていることもほぼ変わらない。曲順もそれほど大きくは変わらない。のに、どれも違う印象なのだ。4日間に4本聴いても飽きることがない。どこがどう違うか、明瞭に指摘できない。
別の見方をしてみれば、《Live/Dead》はいわば架空の1本のショウを聴くように構成されている。同じく、この4日間の演奏を組合せて、《Live/Dead》の異ヴァージョンを組むことができよう。それもいくつも組める。そして、その各々が違った印象を与えるだろう。
一方で、《Live/Dead》に現れたショウはあくまでも架空であって、この4本の完全版と比べてみると、どこか作為が感じられる。この4本にはそれぞれに有機的なつながりがあり、それぞれが自然発生的な「作品」になっている。《Live/Dead》はそれぞれの曲のベスト・ヴァージョンを並べたものでもない。
もっともそこでもう1度見方を変えれば、当時、実際に生を見聞したければデッドのショウに行けばいいわけである。まだ後世ほどではないにしても、聴衆による録音とそのテープの交換も始まっている。《Live/Dead》をアルバム、商品として出す以上、ショウとそっくり同じものを出すのは意味がない。デッドのショウの象徴になるような架空の、ヴァーチャルなショウ、この時点でのデッドのショウのエッセンスを一通りくまなく体験できるものこそを出すべきではある。
3. 1970 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
日曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。2時間半の一本勝負。アンコールの1曲目〈Uncle John's Band〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
この UJB は異様に遅い。こんな遅いテンポのヴァージョンは他には聴いたことがない。歌詞をひと言ずつ試すように歌う。サウンドもアコースティックに近づけ、ドラムスではなく、シェイカーだろうか。ギターはエレクトリックだが歌の間は終始アコースティックな音。その後のリフでいきなりエレクトリックなサウンドになり、ベースも大きく、ドラムスも入る。ガルシアがリフの変奏を展開してソロにする。前半の歌の部分では、崩れないぎりぎりの遅さに聞えるが、後半のエレクトリックの部分ではこれくらいゆっくりするのもなかなか良い。おそらくは、この頃はまだいろいろなテンポを実際に演奏して試し、適切なものを探っていたのだろう。
4. 1987 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
日曜日。17.5ドル。開演8時。マルディグラ祝賀3日連続のランの初日。
第二部後半の〈Black Peter〉が良かったそうだ。そう、この歌は時々、妙に良くなる。これもまたユーモアの一種だろうか。
5. 1992 The Omni, Atlanta, GA
日曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続のランの初日。(ゆ)
謹賀新年
明けましておめでとうございます。
今年が皆様にとって充実した年でありますように。
早々に年賀状をいただいた皆様、ありがとうございます。
例によって年賀状は出しておりませんので、不悪。
今年のテーマはグレイトフル・デッドとマーティン・ヘイズ、ヴィクトリア・ゴダードとムアコックの予定。さて、どこまで行けますか。
12月31日・金
##本日のグレイトフル・デッド
12月31日には1966年から1991年まで22本のショウをしている。年間で最多。公式リリースは7本。うち完全版2本、準完全版1本。
大晦日にたくさんショウをしているのは、デッドにとって最も重要なプロモーターだったビル・グレアムがデッドとの年越しショウをたいへんに好み、1976年から1991年まで毎年、サンフランシスコ周辺でショウを組んだため。グレアムは毎年趣向を凝らした「時の翁 Father Time」に扮してカウントダウンを主催した。仕掛けは年を追うごとに派手で大がかりなものになっていった。1991年10月にグレアムは事故死するが、年末のショウはすでにブッキングしてあったため、デッドはこれを最後に年越しショウをしている。
グレアムは〈Sugar Magnolia〉が大好きで、年越しショウの新年最初の曲にこれを歌うようリクエストした。一方のウィアはこの歌をうたうと喉をつぶすので嫌がっていたという。
01. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
"New Year Bash" と題された2日連続のショウで、ジェファーソン・エアプレイン、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとデッドという、当時サンフランシスコを代表する3つのバンドによるコンサート。ビル・グレアムの最初の年越しショウ。この3つのバンドのメンバーにビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのメンバーも加わったジャムが行われたとも言われる。
02. 1968 Winterland Arena, San Francisco, CA
7ドル。朝食付き。共演はクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、It's A Beautiful Day、サンタナ。
03. 1969 Boston Tea Party, Boston, MA
前座として The Proposition というインプロヴィゼーション・バンドとリヴィングストン・テイラーの名が挙げられている。大晦日にサンフランシスコ周辺以外で演奏した唯一の例。
04. 1970 Winterland Arena, San Francisco, CA
9ドル。開演8時。共演ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、ホット・ツナ、Stoneground。コンサートのビデオがサンフランシスコのテレビ局で放映され、また全部ではないかもしれないが FM で同時中継された。
デッドは約2時間の一本勝負。オープナー〈Monkey And The Engineer〉とクローザーの1曲前〈Good Lovin'〉が《Download Series: Family Dog at the Great Highway》で、5・6曲目〈Cumberland Blues〉〈Dire Wolf〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
Stoneground はこの年、サンフランシスコ郊外のコンコードで結成されたバンドで、トリオから出発し、翌年のデビュー・アルバムでは4人の女性シンガーを含む10人編成になる。
28:21
05. 1971 Winterland Arena, San Francisco, CA
ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。FM で放送された。
第一部クローザー〈One More Saturday Night〉にドナ・ジーン・ガチョーが参加。初ステージ。
06. 1972 Winterland Arena, San Francisco, CA
第一部5曲目〈Box of Rain〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
DeadBase XI の Bernie Bildman によると、ステージの後ろの影になったところでデヴィッド・クロスビーが数曲に演奏で参加していた。
アンコール直前、小さな女の子が舞台袖から出てきて、ガルシアに何かささやいた。ガルシアは身を屈めて聴きとると、前振なしに〈Uncle John's Band〉を始めた。女の子はメンバーの誰かの娘らしかったが、曲が進むとまた出てきて、続いている間ずっとくるくると踊っていた。と Bildman は書いている。
この年は大晦日に向けての連続のランは無く、15日にロング・ビーチでワンオフのショウをした後がこの大晦日のショウ。
07. 1976 Cow Palace, San Francisco, CA
開演7時。共演サンタナ、Sons of Champlin。全体が《Live At The Cow Palace》でリリースされた。
ポスターによればこの年、ビル・グレアムはベイエリアの実に5ヶ所で同時に大晦日のライヴを開催している。カウ・パレスの他に、ウィンターランドではモントローズ、Earth Quake、Yesterday & Today。Oakland Coliseum ではレーナード・スキナード、ジャーニー、ストーングラウンド。Berkeley Community Theatre でチューブス、San Jose Center for Performing Arts でタワー・オヴ・パワー、グレアム・セントラル・ステイション。もちろん全米各地で同様のコンサートが行われていただろう。
Sons of Champlin は後にシカゴに加入する Bill Champlin が1965年にベイエリアで立ち上げたバンド。
ただし、DeadBase XI での Mike Dolgushkin によれば、実際に出たのは Sons of Champlin ではなく、Soundhole というバンドでベースが Mario Cipollina。兄弟のジョンも加わっていた。
08. 1977 Winterland Arena, San Francisco, CA
12.50ドル。開演8時。真夜中に第二部オープナー〈Sugar Magnolia〉が始まった。ただし、同時開催されていたサンタナのコンサートでも「時の翁」を演じていたので、ビル・グレアムがこちらに来たのは零時を30分過ぎていたらしい。
第一部5曲目〈Loser〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
09. 1978 Winterland Arena, San Francisco, CA
ウィンターランドにおける最後のコンサート。これをもってビル・グレアムはウィンターランドを閉じた。地元公共放送テレビで放映された。全体が《The Closing Of Winterland》としてCDと DVD でリリースされた。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、ブルース・ブラザーズが前座。加えて、第二部3曲目〈I Need A Miracle〉にマシュー・ケリー、Drums にリー・オスカー、〈Not Fade Away> Around And Around〉にジョン・チポリーナが参加。また The Flying Karamazov Brothers というジャグリングのグループが演技をした。ショウは全体で8時間を超え、デッドだけでも三部構成、6時間近かった。3曲におよんだアンコールの最後は〈And We Bid You Goodnight〉だが、その時はすでに朝で、聴衆にはビュッフェ・スタイルの熱い朝食がふるまわれた。
ここは1971年にビル・グレアムがコンサート用に改修し、フィルモア・ウェストに代わるヴェニューとして運営した。ザ・バンドの解散コンサート《The Last Waltz》の舞台として有名だし、ここで録音されたライヴ盤にはクリーム、ジミヘン、ジェファーソン・エアプレイン、ドアーズ、ブルース・スプリングスティーン、ロギンス&メッシーナなど多数あり、また名演が生まれてもいる。
デッドは何といってもまず1974年のツアー休止前の5夜連続のショウをここで行い、そこから "The Grateful Dead Movie" が生まれ、さらに《The Grateful Dead Movie Soundtorack》がリリースされている。さらに1973年と1977年のボックス・セットなど、これまた名演が多数生まれている。フィルモア以上に「ホーム・グラウンド」となっていた。その閉鎖直前最後のコンサートをするアクトにはグレアムとしてはデッド以外考えられなかっただろう。おそらく閉めると決めた時点で、最後はデッドということも決めていたのではないか。
この時、いわゆるサンフランシスコ・サウンドのアーティストで生き残っているのはデッドだけだった。デッドとビル・グレアムの関係はおそらく単にプロモーターとアクトというだけのことではない。その最初はアシッド・テストの一つで、デッドもグレアムもまだ山のものとも海のものともわからない時期だ。グレアムとデッドの各々の成長は各々の努力の賜物だが、互いにあるいは協力し、助けあい、あるいは切磋琢磨しながらのものでもあった。いわば「同じ釜のメシを喰った」間柄だ。グレアムはレックス財団の評議員も勤めているし、デッドの全社会議に出ることもあった。グレアムはデッド・ファミリーの一員になりたかったが、デッド側は一線を画したことはあったにせよ、グレアムがデッドのインナーサークルに半歩足を踏みいれていたことも確かだ。プロモーターとしての関係ではジョン・シェールとの方がしっくりいっていたとしても、シェールはデッド・ファミリーの一員であったわけではない。
もともとは1928年にアイス・スケート・リンクとして建てられた施設。収容人数はグレアムによる改修で5,400。
10. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA
三部構成で第二部冒頭〈Sugar Magnolia〉が真夜中。
11. 1980 Oakland Auditorium, Oakland, CA
三部構成。第一部はアコースティック・セット。第三部冒頭の〈Sugar Magnolia〉が真夜中。その前のカウントダウン直前にアーロン・コープランドの〈Fanfare For The Common Man〉が流された。
12. 1981 Oakland Auditorium, Oakland, CA
開演前はずっと雨が降っており、8,000人の聴衆はようやく入った時には一人残らずずぶ濡れだった。冒頭、ジョーン・バエズが5曲、デッドのバックで歌った。第一部8・9曲目〈Big Boss Man> New Minglewood Blues〉にマシュー・ケリーが参加。バエズはアンコール〈It's All Over Now, Baby Blue〉にも登場して踊った由。
13. 1982 Oakland Auditorium, Oakland, CA
20ドル。開演8時。第三部は前日に続き、エタ・ジェイムズとタワー・オヴ・パワー参加。
14. 1983 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA
20ドル。開演8時。FM 放送された。ザ・バンドが前座。マリア・マルダーもいた由。
15. 1984 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA
25ドル。開演8時。オープナーの〈Shakedown Street〉が《So Many Roads》でリリースされた。
例によって真夜中に〈Sugar Magnolia〉から第二部が始まったが、Sunshine Daydream は無し。声を潰すのでウィアは後を考えて控えたのだろう。
16. 1985 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
25ドル。開演8時。Baba Olatunji が第二部11曲目〈Throwing Stones〉とクローザーの〈Turn On Your Love Light〉で参加。
17. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
25ドル。開演8時。
18. 1987 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
25ドル。開演7時。第三部2曲目〈Iko Iko〉からクローザーまで4曲にネヴィル・ブラザーズが参加。DVD《Ticket To New Year's》でリリースされた後、半オフィシャルCD《Live To Air》のCDで、第一部2曲目と第三部のクローザー以外の4曲を除いて全体がリリースされた。
元々が全米に生中継された。DeadBase XI で John W. Scott はリモートでショウを体験することのメリットをいろいろ挙げている。その中に〈Wharf Rat〉の静かなところで "Dark Star!" とわめく奴もいない、とあるのに笑ってしまう。
19. 1988 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland , CA
30ドル。開演7時。ピーター・アフェルバウム&ヒエログリフィクス・アンサンブルとトム・トム・クラブが前座。加えて第一部3・4曲目〈Wang Dang Doodle〉〈West L.A. Fadeaway〉と第二部オープナーからの3曲〈Sugar Magnolia> Touch Of Gray> Man Smart, Woman Smarter〉、さらにアンコールのラスト2曲〈Goin' Down The Road Feeling Bad> One More Saturday Night〉にクラレンス・クレモンスが、Drums に Baba Olatunji, Sikiru Adepoju、喜多郎が参加。
20. 1989 Oakland Coliseum Arena, Oakland, CA
開演7時。第一部3曲目〈Big Boss Man〉にボニー・レイットが参加。
第一部クローザーの〈Shakedown Street〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
21. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
開演7時から終るまで、とチケットにある。リバース・ブラス・バンド前座。ブランフォード・マルサリスが第一部クローザーの2曲〈Bird Song> The Promised Land〉と第二部全部に参加。Drums にハムザ・エル・ディンが参加。全米に FM 放送された。
22. 1991 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
最後の大晦日年越しショウ。32ドル。開演7時。ベラ・フレック&フレックトーンズとババトゥンデ・オラトゥンジが前座。(ゆ)
Conan's Brethren
12月16日・木
Grimdark Magazine の記事を見て、Conan's Brethren をアマゾンで購入。紙版はハードカヴァーは200ドル、トレード・ペーパーは皆無。よって Kindle 版を購入。
The Complete Chronicles Of Conan の姉妹篇として、同じく Stephen Jones が編集して、Solomon Kane、Kull of Valusia、Bran Mak Morn などの、コナン以外のハワードのヒーローものを集めた1冊。編者の後記は各々のヒーローの経歴を詳細に語る。パルプ雑誌、コミックスのカヴァー多数。コナンは一通り読んだが、こちらはまったく未読。
面白いのはコナンものもそうだが、中篇が短篇より多いこと。こういう話はやはり中篇になるのだろう。
巻頭のハワードの「序文」が面白い。これは Harold Preece とラヴクラフトの各々にあてた書簡から抜粋して組み立てたものの由だが、スコットランドの先住民の一つであるピクト族になぜかひどく惹かれたことから、ソロモン・ケインやブラン・マク・モーンが生まれた経緯を語る。むろんハワードが惹かれたピクト族は歴史に存在した人びとが元になってはいるものの、完全に架空の、ハワードが想像した人間たちであることは本人も自覚している。一方でハワードはスコットランド、アイルランドの歴史については相当に勉強している。オタクと言っていい。
初めはソロモン・ケインものが並ぶ、その先頭に "Solomon Kane's Homecoming" という詩が掲げられている。ドナルド・ウォルハイムが Wilson Shepherd と出した創刊号だけで終った同人誌 Fanciful Tales of Time and Space に、死の直後1936年に掲載されたものだそうだが、これがなかなか良い。ラヴクラフトの言うとおり、伝承バラッド、叙事詩の趣がある。これだけで立派な1個の短篇になっていて、しかも、この話はこういう形でしか語れないと思わせる。ヒーローの最後とはこういうものでしかありえない。
ISFDB のハワードの項を眺めていると、あらためてその執筆量の大きさに圧倒される。小説はもちろんだが、それに加えて、ラヴクラフトはじめ、膨大な書簡を書いてもいる。詩も多い。バートランド・ラッセルが書き残したものの量の多さは伝記作者には重圧だと、その伝記を書いたレイ・モンクが嘆いていたが、ラッセルは90年生きた。ハワードの活動期間は10年だ。
ハワードは自殺だが、短期間に膨大な量の、質の高い小説を量産したことでは長谷川海太郎に比肩あるいは凌駕する。ハワード1906-01-22/1936-06-11。長谷川 1900-01-17/ 1935-06-29、それにスコットランドのルイス・ギボン 1901-02-13/1935-02-07 とほぼ同時期。3人いれば偶然ではなくなる。20世紀最初の35年に何があったのか。
##本日のグレイトフル・デッド
12月16日には1968年から1994年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1968 The Matrix, San Francisco, CA
ウィアとピグペン抜きの Mickey Hart and Hartbeats 名義。テープにはいずれも40分前後のジャムが2本入っており、前半に Jack Cassady と Spencer Dryden、後半に Jack Cassady と David Getz が参加している。
スペンサー・ドライデン (1938-2005) はジェファーソン・エアプレインとニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジのドラマー。
デヴィッド・ゲッツ (1940-) はビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとカントリー・ジョー&ザ・フィッシュのドラマー。
厳密にはデッドのショウとは言えないし、テープの存在のみで知られるイベントで、サンフランシスコ・クロニクルには広告も記事も、このイベントに関するものは皆無だそうだ。
2. 1978 Nashville Municipal Auditorium, Nashville, TN
8ドル。開演7時。
3. 1986 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
16.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。
第二部 Drums から〈Iko Iko〉までとアンコール〈In The Midnight Hour〉にネヴィル・ブラザーズが参加。
4. 1992 Oakland Coliseum Arena, Oakland, CA
開演7時。このヴェニュー4本連続の3本目。《Dick’s Picks, Vol. 27》で全体がリリースされた。
5. 1994 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA
このヴェニュー4本連続の2本目。全篇ブランフォード・マルサリスが参加。(ゆ)
『火星年代記』完全版
12月14日・火
LOA 版ブラッドベリ着。
『火星年代記』問題の2篇は
The Fire Balloons「火の玉」が「2002年11月」で、The Shore「岸」と Interim「とかくするうちに」の間。
The Wilderness「荒野」は「2003年5月」で、The Musicians「音楽家たち」と Way in the Middle of the Air「空のあなたの道へ」の間。
に置かれている。なお、巻末の Note on the Texts にはこの書物の出版がたどった錯綜した事情が述べられている。上記2篇のない版の出版・重版もブラッドベリは承認していた。しかし 'complete' な版としては上記2篇が含まれたものと考えていた。結局ここに採用されているのは1973年の Doubleday 版。
一方で、『火星年代記』を構成する個々の作品は、『火星年代記』に収めるためにブラッドベリによって改訂されている。そして『火星年代記』刊行後も、改訂前の形で各種の作品集、アンソロジーに収録され続けた。
また Notes の前書きによれば現在計画されている LOA でのブラッドベリは2巻で、もう1巻には『刺青の男』と『十月はたそがれの国』を中心として同時期の短篇が集められる予定。この2巻で1950年代のブラッドベリをカヴァーする意図らしい。
巻末「補遺」に収められたエッセイは6篇。
A Few Notes on The Martian Chronicles; Rhodomagnetic Digest, 1950-05
『火星年代記』成立の事情と目指したものを著者の視点から語る。シャーウッド・アンダーソンの『オハイオ州ワインズバーグ』と Jessamyn West の Friendly Persuasion (1945) がお手本だそうだ。後者はインディアナ州のあるクェーカーの農場を短篇連作で語るものの由。
掲載誌は同人誌。Rhodomagnetism はジャック・ウィリアムスンが『ヒューマノイド』の原形の中篇 "With Folded Hands" 邦訳「組み合わされた手」(『パンドラ効果』所収)で描いた架空のテクノロジー。
Day after Tomorrow: Why Science Fiction?; The Nation, 1953-05-02
No Man Is an Island; Los Angeles: National Women's Committee of Brandeis University, 1952
Just This Side of Byzantium (An Introduction to Dandelion Wine); Alfred A. Knopf, 1975
Dandelion Wine Revisited; Gourmet, 1991-06
Carnivals, Near and Far (An Afterword to Something Wicked This Way Comes); Harper Voyager, 1998
遅まきながら気がついたが、このLOAの巻の編者 Jonathan R. Eller はブラッドベリの伝記三部作 Becoming Ray Bradbury (2011), Ray Bradbury Unbound (2014), Bradbury Beyond Apollo (2020) の著者。
ちなみにこの三部作を出している University of Illinois Press は Modern Masters Of Science Fiction という作家のモノグラフのシリーズも出している。シリーズの編者が Gary K. Wolfe で、対象の作家の選択に癖があって面白い。
##本日のグレイトフル・デッド
12月14日には1968年から1990年まで4本のショウをしている。公式リリースは1本。ほぼ完全版。
1. 1968 The Bank, Torrance, CA
このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。
この会場には10月に続く2度目の出演で、このヴェニューの最後の日でもあった。閉鎖の原因はここで逮捕される人間が相次いだために、客が来なくなったからで、こうした場所の存在を嫌った警察が仕組んだもの。残っているこの2日間のポスターでは、警察の弾圧に抵抗するよう訴えている。
2. 1971 Hill Auditorium, Ann Arbor, MI
このヴェニュー2日連続の1日目。5ドル。開演7時。第二部オープナー〈Ramble On Rose〉を除く全体が、《Dave’s Picks, Vol. 26》と《Dave’s Bonus Disc 2018》でリリースされた。
この日の〈That's It for the Other One〉も途中で〈Me and My Uncle〉をモチーフとしたジャムが出現するが、今回はウィアが歌うまでにはいたらず、Space のジャムになり、また明確なメロディが現れて2番が歌われ、〈Wharf Rat〉に移る。〈That's It for the Other One〉が〈Cryptical Envelopment〉ではさまれた組曲から、〈The Other One〉だけになる移行期だが、そこに〈Me and My Uncle〉がはさまるのが興味深い。〈Me and My Uncle〉はデッドによる演奏回数第1位の曲だが、独立に演奏される時も、こうした一種の挿入歌のようにみなされていたのかもしれない。
3. 1980 Long Beach Arena, Long Beach, CA
第一部4曲目〈Little Red Rooster〉に Matthew Kelly が、第二部の Drums にアイアート・モレイラとフローラ・プリムが各々参加。
4. 1990 McNichols Arena, Denver, CO
21.45ドル。開演7時。(ゆ)
Victoria Goddard を知ってるかい?
10月29日・金
あたしは知らなかった。Tor.com で Victoria Goddard を強力に推薦する Alexandra Rowland の記事で知った。自分にぴったりとハマった書き手に遭遇し、これにどっぷりとハマるのは確かに無上の歓びに違いない。その歓びを率直にヴィヴィッドに伝え、読む気にさせる見事な文章だ。しかもネタバレをほぼ一切していない。
わかった、あんたのその見事な推薦文に応えて、読んでみようじゃないか。
ちょと調べるとヴィクトリア・ゴダードはまたしてもカナダ人。そしてまたしても自己出版のみ。生年は明かしていない。トロントの生まれ育ちらしい。好きで影響を受けた作家として挙げているのはパトリシア・マッキリップ、コニー・ウィリス、ロイス・マクマスター・ビジョルド。この3人とニール・ゲイマンの Stardust の中間を目指す、という。
刊行は電子版が基本で、紙版はアマゾンのオンデマンド印刷製本で、相対的に高い。
2014年4月以来、これまでに長短20本の作品を出している。長篇7本、ノヴェラ6本、短篇6本。短篇の一部を集めた短篇集が1冊。今年年末に長篇が1冊出る予定で、来年出る長篇も1冊決まっている。大部分は Nine Worlds と作者が呼ぶ世界の話。これに属さない短篇が3本。
最初は短篇を3本出し、2014年7月に初めての長篇を出す。2016年1月の Stargazy Pie から Nine Worlds の中心となる Greenwing & Dart のシリーズが始まる。2018年9月、900頁のこれまでのところ最大の長篇 The Hands Of The Emperor で決定的な人気を得る。アレックス・ロゥランドもこの本に出会って、ゴダードにハマりこんだ。来年出るのはこれの続篇だそうだ。ロゥランドの Tor.com の記事でも、著者のサイトの読む順番のページでも、この本をまず読め、と言う。
あたしはへそ曲がりだし、基本的に刊行順に読むのが好みでもあるので、2014年11月に出たノヴェラ The Tower at the Edge of the World から読むことにした。もっともロゥランドはこれもエントリー・ポイントの一つとして挙げているし、著者サイトには話の時間軸ではこれが最初になるとあるから、それほど突拍子のない選択でもない。まだ頭だけだが、文字通り世界の果てに立つ塔で、何ひとつ不満もなく、儀式と祈りと勉強の日々を過ごしていた少年の世界に、ある日、ふとしたことから波風が立ちはじめる。ゆったりと、あわてず急がない語りには手応えがある。
ここから Starpazy Pie、そして The Sisters of Anramapul の第一作 The Bride Of The Blue Wind と進めば、Nine Worlds 宇宙の中心をなすシリーズ3つのオープニングを読むことになる。
それにしても、この人も ISFDB には、この Starpazy Pie だけがリストアップされている。それも8人の自己出版作家の長篇を集めたオムニバスの一部としてだ。自己出版は数が多すぎて、とてもカヴァーしきれないのだろうが、いささか困った事態だ。
自己出版のもう一つの欠点としては、図書館に入らないことがある。ロゥランドの記事のコメントでも、地元の図書館には何も無いというのがあった。
ところで自分にぴったりとハマる書き手に遭遇したことがあったろうか、と振り返ると、部分的一時的にはそう感じることはあっても、ある作家の作品全体というのはなかった気がする。全著作を読んだ、というのは宮崎市定だけだから、そういう書き手はやはりいなかっただろう。宮崎はとにかく喰らいついていったので、とても自分にハマるなどとは感じられなかった。相手の器の方が大きすぎる。
そう考えるとあたしの小さな器にぴったりハマるような書き手はつまらんということになる。ぴったりハマってなおかつ読むに値すると感じるためには、己の器も相応に大きくなくてはならない。それには、ロゥランドのように自分もしっかり書いている必要がありそうだ。ただ読むのが身の丈に合っている、というのでは器の大小というよりは形が異なるんじゃないか。自分は結局読むしか能がない、と言いきったのは篠田一士だが、あれくらい読めれば読むだけでも何でもハマる器になれるかもしれない。あたしも読むしか能はないのだが、しかし、その読むのもなかなかできない。かくてツンドクがまた増える。
##本日のグレイトフル・デッド
10月29日には1968年から1985年まで6本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版2本。
1. 1968 The Matrix, San Francisco, CA
ピグペンとウィアが「未熟なふるまい」のためにこの時期外されていたため、このショウは Mickey and the Hartbeats の名で行われた。San Francisco Chronicle のラルフ・グリーソンによる "on the town" コラムでは Jerry Garcia & Friends とされている。
演奏はジャム主体でラフなものだったらしい。1曲エルヴィン・ビショップが参加。
2. 1971 Allen Theatre, Cleveland, OH
会場は1920年代に映画館として建てられた施設で、キャパは2,500。この時期、映画が小さな小屋で上映されるようになり、このサイズの映画館がコンサート向けに使われるようになっていたらしい。内装は建築された時代を反映して、金ぴかだが、楽屋などは当然ながら貧弱だった。ただ、座席はずらしてあり、視野が邪魔されなかった。
ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座。ガルシアはペダルスティールで参加。長いショウで終演は真夜中をかなり過ぎていた。 WNCR で FM放送された。
この日、デュアン・オールマンが死去。
3. 1973 Kiel Auditorium, St. Louis, MO
このヴェニュー2日連続の1日目。全体が《Listen To The River》でリリースされた。3ヶ所 AUD が挿入されている。テープの損傷か。特に〈El Paso〉は全曲 AUD。使われた AUD の音質は良く、全体がしっかり聞える。〈Eye of the World〉はベスト・ヴァージョンの一つ。
4. 1977 Evans Field House, Northern Illinois University, DeKalb, IL
8ドル。開演8時。全体が《Dave's Picks, Vol. 33》でリリースされた。
5. 1980 Radio City Music Hall, New York, NY
8本連続の6本目。第二部5・6曲目〈Candyman> Little Red Rooster〉が《Dead Set》でリリースされた。
どちらもすばらしい。〈Candyman〉ではガルシアのギターが尋常ではない。この人が乗った時のギターは尋常ではないが、その中でも尋常ではない。〈Little Red Rooster〉ではウィアのヴォーカルがいい。どちらもかなり遅いテンポであるのもいい。
6. 1985 Fox Theatre, Atlanta, GA
このヴェニュー2日目。前半短かいが、後半はすばらしかったそうだ。(ゆ)
Soman Chainani の The School For Good And Evil
10月26日・火
Mac に Monterey を入れる。AquaSKK がメニューバーの入力メニューから消えて、一瞬ぎょっとするが、キーボードの環境設定で追加すれば問題なし。
HA-FW7のプラグにスーパーコンタクトオイルを塗り、本体の後にディーレンミニを貼る。なかなか良い。低域がぐんと締まる。空間が広がり、透明感が増す。音が際立つ。ボディの後は平らで、何か貼ってくれと言わんばかり。このイヤフォンで聴くヴォーカルは魅力的。
GrimDark Magazine の Soman Chainani のインタヴューが面白い。徹底的にディズニーで育ちながら、長じて、ディズニーがお伽話を改悪していたことに気づき、その落差に興味を持って研究する。結果、徹底的に反ディズニーのお伽話を書きだす。もっとも、ハーヴァードで英米文学の学位をとってから、コロンビアで映画のコースをとり、卒業後はまず映画脚本と監督の仕事をしている。2014年、ヤング・アダルト向けファンタジー The School For Good And Evil を出す。この人、国会図書館には出て来ないのだが、六つの大陸の30の言語に翻訳されている、という。ハリポタの直系、というにはおそらくひねくれているらしいが、わが国の児童書版元もみなディズニーに毒されているのか。それとも、非現実的な条件を持ちだしてくるのか。Wikipedia では名前から想像できるとおり、インド系とある。フロリダ半島南端の出身とあるから、西インド諸島に移民したインド系がアメリカ本土に移住した形だろうか。とりあえず、第1巻を注文。
##本日のグレイトフル・デッド
10月26日には1966年から1989年まで7本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本、ほぼ完全版1本。
1. 1966 The North Face Ski Shop, San Francisco, CA
この時期のデッドについては頼りになる Lost Live Dead のブログに記事がある。
この North Face は皆さまご存知のアウトドア・グッズのブランドで、これはその最初のリアル店舗。それ以前、North Face 創設者の Doug と Susie の Tompkins 夫妻はターホウ湖でアウトドア用品の通販を始めていて、この日サンフランシスコの North Beach に店を開き、後の大企業への道を歩みはじめる。隣は有名なストリップ劇場、筋向いはこれも有名な City Lights Bookstore。
その店の開店記念パーティーにデッドが「余興」として呼ばれ、演奏をした。おそらくあまり長いものではなかっただろう、という推測にはうなずく。このパーティーではディランの出たばかりの《Blonde On Blonde》のばかでかいポスターが飾られ、ジョーン・バエズとミミ・ファリーニャもいて、ミミはスキー・ウェアのモデルになっていた。入口両脇にヘルス・エンジェルスが2人、立っていた。当時のデッドはもちろんまだほとんど無名。パーティーのはねた後、トンプキンス夫妻はバンドをイタ飯屋での夕食に連れていった。ノース・フェイス公式サイトの会社の歴史のページに、演奏している髭を剃ったガルシアとウィアの写真がある。その他、上記記事のコメント欄参照。
デッドに注目するダグ・トンプキンスのセンスもなかなかだが、こういうところに顔を出すのがデッドの面白さだ。
2. 1969 Winterland Arena, San Francisco, CA
同じヴェニュー&出演者3日目。急遽追加のギグ。デッドが先で、エアプレインがトリ。
3. 1971 The Palestra, University of Rochester, Rochester, NY
ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。開演8時半。
前半13曲目〈Beat It On Down The Line〉を除く全体が《Download Series, Vol. 3》でリリースされた。
後半が異様に短かい。あるいは FM 放送のためか。
4. 1972 Music Hall, Cincinnati, OH
4.50ドル。開演7時半。この年の平均的ショウ、らしい。
5. 1980 Radio City Music Hall, New York, NY
8本連続の4本目。第一部3曲目〈It Must Have Been The Roses〉が《Reckoning》で、第二部2曲目〈Sugaree〉と5曲目〈Let It Grow〉が《Dead Set》でリリースされた。
〈Sugaree〉でガルシアはごくごくシンプルな短かいフレーズを少しずつ変えながらくり返して、スリリングに盛り上げる。こういうところがデッドの凄さ。この曲もいつもよりわずかにテンポが早いが、〈Let It Grow〉はさらに切迫感がある。ウィアの声も上ずりがち。
6. 1985 Sun Dome, Tampa, FL
13.50ドル。良いショウのようだ。
7. 1989 Miami Arena, Miami, FL
このヴェニュー2日連続2日目。《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。(ゆ)
『デューン』雑感
10月25日・月
大腸カメラでポリープをとられたための食事制限が解除。ようやくコーヒーを飲めた。いやあ、ほっとする。運動制限も解除されたので、まずは駅前まで歩いて出る。
『デューン』の今回の映画については、ワシントン・ポストの Michael Dirda が書いていることが妥当に思える。
中でも、これは友人でもあるジャック・ヴァンスへのハーバートなりの回答だ、というのには膝を打った。
それにしても、この小説自体が辿った運命もまた数奇ではある。当時掟破りの長さで、単行本化すらどこも二の足を踏んでいたものが、今や史上最大のベストセラーの一つだ。ハインラインの『異星の客』の場合も、当時掟破りの長さで、誰も予想もしていなかったベストセラーになった。が、あちらはまだ時代との共鳴ということで説明がつくところもある。『デューン』にはそういうところはない。だからこそ、時代を超えて読まれる、ということなんだろうが、では、一部の批判にあるように、そこに本当にサイエンス・フィクション的なものがどれだけあるか。
ディルダが上の記事で触れている、映画の中で最も存在感があるのはジェシカだ、というのは、小説に忠実に作ればそうなるだろう。小説でも本当の主人公はポウルではなく、ジェシカだ。あれはジェシカの物語だ。『レンズマン・シリーズ』が『レンズの子ら』にいたって、それまでの超マッチョな男性優位ががらがらと崩れた、その後を享けるのは、『デューン』というわけだ。
ベネ・ゲセリットの在り方や、側室という地位はフェミニズムからは批判されるかもしれないが、歴史的にはリアリティがある。『デューン』で最もサイエンス・フィクション的なのは、砂虫でもポウルが発揮する超能力でもなく、ジェシカに体現しているベネ・ゲセリットかもしれない。だとすれば、この作品を毛嫌いするサイエンス・フィクション関係者、共同体の成員が多いのも、説明がつきそうだ。オクタヴィア・E・バトラーの The Parable Of The Sower につけた序文でN・K・ジェミシンがいみじくも指摘するように、サイエンス・フィクションの世界、共同体は女性差別、蔑視が根強く残るところだからだ。『レンズの子ら』ではアリシアの最終兵器「統一体」の中心はキット・キニスンだった。長子で唯一の男性として妹たちを束ねる役割を担っていた。『デューン』ではすべてはベネ・ゲセリットの計画、ポウル・アトレイデはいわばその手先にすぎない。
SFFの世界における女性の存在感は、それ以外の世界よりもずっと大きいではないか、と言う向きもあるかもしれない。しかし、それはせいぜいがここ十年ほどの、まだまだ新しい現象であり、そして「自然にそうなった」のではく、サイエンス・フィクションの「先進性」からそうなったのでもなく、これまたジェミシンが言うように、文字通り、彼女たちが戦いとってきた成果なのだ。男性優位社会としてのSFF世界をなつかしみ、これに戻そうとする人間は多い。サドパピーとは一線を画し、偏見・差別とは無縁と自覚しながら、差別される側からみれば、サドパピーと五十歩百歩である人間も多い。あたしとて、そうではない、と言い切る自信はまったく無い。偏見・差別意識は、実に厄介なしろものなのだ。一方では「中庸」であり、「バランスがとれている」つもりでいることが、差別される側から見ると、まるで偏った、差別意識の塊になりえる。
だとすれば、『デューン』があらためて注目され、多くの人間がこれを読むというのは、言祝ぐべきことになる。そして、これを機会に、ハーバートが本来ひと続きの作品と意図していたという『砂丘の子どもたち』までを、あらためて読んでみることも、意義のあることにもなる。
そうか、Children of Dune はまた Children of the Lens の谺でもあるのかもしれない。
##本日のグレイトフル・デッド
10月25日には1969年から1989年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1969 Winterland Arena, San Francisco, CA
前日と同じ組合せ。この日はデッドがトリ。
2. 1973 Dane County Coliseum, Madison, WI
5ドル。午後7時開演。良いショウらしい。
3. 1979 New Haven Coliseum, New Haven, CT
開演7時半。後半オープナー〈Shakedown Street〉が《Road Trips, Vol. 1 No. 1》で、前半5曲目〈Brown-eyed Women〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
〈Brown-eyed Women〉は始まってすぐ一瞬、音が切れる。演奏はすばらしい。中間のジャムの質が高い。ミドランドがキレのいい電子ピアノを展開して、ガルシアを煽り、ガルシアもこれに乗る。
〈Shakedown Street〉は歌の終りの方でガルシアがコーラスを延々とリピートする裏でミドランドがノイジーなシンセでコミカルにはずむイタズラを始め、やがてジャムに移っても続けるのに、ガルシアがこれもコミカルに応える。この対話がすばらしい。スタッカート気味の音をはずませた、ミニマリズムも潜ませたジャムへと盛り上がる。聴いていて、身も心も弾んでくる。その場にいたら、踊りまくっていただろう。
この2曲を聞くだけでも、ショウの充実ぶりがわかる。
4. 1980 Radio City Music Hall, New York, NY
15ドル。開演7時半。8本連続の3本目。第一部5曲目〈To Lay Me Down〉8曲目〈Heaven Help The Fool〉が《Reckoning》で、第二部2曲目〈Franklin's Tower〉と5曲目〈High Time〉が《Dead Set》で、第三部2・3曲目〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉が《Beyond Description》所収の《Go To Heaven》ボーナス・トラックでリリースされた。最後のメドレーは2010年の《30 Days Of Dead》でもリリースされた。〈Heaven Help The Fool〉と〈High Time〉も2004年の《Beyond Description》所収の拡大版。
〈To Lay Me Down〉は歌もギターも、ガルシアの抒情の極致。エモーショナルだが感情に溺れこまないぎりぎり。〈Heaven Help The Fool〉はドラムレスで、ジャジィなインストゥルメンタル版。
〈Franklin's Tower〉は珍しく独立で〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉からのメドレー。
〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉は〈Saint〉後半の盛り上がりがいい。
《Dead Set》は個々に聞くとどのトラックもなるほど良い。
5. 1985 Sportatorium, Pembroke Pines, FL
14.50ドル。開演8時。フロリダでの演奏は3年ぶり。翌日もフロリダ。まずまず良いショウだったようだ。後半の選曲は珍しく、面白い。
6. 1989 Miami Arena, Miami, FL
18.50ドル。開演8時。2日連続の1日目。前のシャーロットとはうって変わって、駐車場シーンは平穏。フロリダの警察はヴァージニアのものとは対照的に、盗難や暴行以外は介入しなかった。ショウもその良いグルーヴを受け継いでいる。(ゆ)
Library of America の SFF作家たち
9月12日・日
LOA にブラッドベリが入った。『火星年代記』『華氏四五一度』『たんぽぽのお酒』『何かが道をやってくる』。うーん、そういえばどれも原書では読んでいなかった。もう何年も、いや何十年も読んでない。『火星年代記』以外は再読すらしていない。この際、原文で読みかえすか。でも Everyman's Library の自選作品集の方が先か。やあっぱり、ブラッドベリは短篇だもんなあ。
ディック、ル・グィン、ヴォネガット、ラヴクラフト、ジャクスン、バトラー、バーセルミ、それにブラッドベリと、LOA にもSFFがじわりと増えてきている。アシモフやハインラインが入るとは思えないが(ハインラインの Double Star はオムニバスで入った)、スタージョン、ライバー、エリスンあたりは入りそうだ。SFF作家は作品数が多いから、全部入れようとすれば、ヘンリー・ジェイムズ並みの巻数が必要だろう。ああいうことはもうできないんじゃないか。そういえば Charlotte Perkins Gilman が来年4月に予定されてる。そう、こういう、他では手に入りにくい人を出してほしいよねえ。
##本日のグレイトフル・デッド
9月12日には1973年から1993年まで9本のショウをしている。うち公式リリースは1本、1曲。
1. 1973 William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA
同じヴェニュー2日目。こちらでも一部でマーティン・フィエロとジョー・エリスが参加。機器トラブルがあったが、前日同様、良いショウの由。
2. 1981 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
3日連続のここでのショウの中日。やはり良いショウの由。China > Rider, Scarlet > Fire, Estimated > Eye が揃い踏み。これは2回しか無いそうだ。珍しくダブル・アンコールだったが、2度目のアンコールの際、レシュが出てこなかったので、ウィアが音頭をとって聴衆に "Hey Phil, what's happening?" と叫ばせた。
3. 1982 Lakeland Civic Center, Lakeland, FL
この会場では3回演奏している、その最後。前2回、1977-05-21 と 1980-11-28 は各々 Dick's Picks, Vol. 29 と30 Trips Around The Sun でリリースされた。この3回目の時に、会場内に潜入捜査官が入ったので、以後ここで演るのを止めたそうな。潜入捜査官 undercover cops と言っても、ひと眼で警官とわかる人間が多数いたらしい。
4. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
地元3日連続最終日。
5. 1987 Capital Centre, Landover , MD
3日連続の中日。料金17.50ドル。
6. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA
4本連続同じヴェニューでの最終日。
7. 1990 The Spectrum, Philadelphia, PA
3日連続最終日。
8. 1991 Madison Square Garden, New York, NY
後半4曲め〈Terrapin Station〉が《So Many Roads》に収録。録音はあまり良くない。バランスも悪く、ヴォーカルが埋もれがち。演奏は熱が籠もっている。ウェルニクがガルシアを盛りたてようと努めている。この人、ミドランドのような積極的な貢献はできないが、着実に支える、いわば守成の人だったのではないか。ただ、それがデッドにとってプラスになったかどうかはまた別ではあるが。
9. 1993 The Spectrum, Philadelphia, PA
3日連続初日。料金26.50ドル。上記1987年から6年間で9ドル、35%の上昇。この1993年、デッドは180万枚、4,560万ドルのチケットを売り上げ、ライヴ収入で全米1位となった。しかもこの価格は他の上位のアクトのチケット代の3分の1以下だった。この年のショウは81本。したがって1本のショウ平均で22,222枚強のチケットを売ったことになる。1990年代、デッドはライヴ・アクトの興行収入で毎年ベスト5に入っている。(ゆ)
古田元夫『東南アジア史10講』岩波新書
アリエット・ド・ボダールや最近の Nghi Vo、Violet Kupersmith など、ヴェトナムにルーツを持つ書き手たちに惹かれて、あの辺りの歴史に興味が湧き、ちょうど出た本書を手に取る。17世紀までを三つの章でカヴァーするというのは、もう少し中世史にスペースを割いてもらいたかったところだが、全体としてのペース配分はまあ妥当の範囲ではある。地域史に閉じこもるのではなく、大きな世界史全体の中で、その東南アジア的位相として捉えようという姿勢は、最近の歴史学の流れを汲んでいるのだろうし、それはよく機能してもいる。この地域は狭く見えるけれど、地域によって案外に違いがあるとわかったのは、今回の収獲の一つだけど、その各地域への目配りもバランスがとれていて、東南アジアの通史入門としては立派なものだ。各地域、あるいは時代に突込みすぎて、全体像が見えなくなったら、戻ってこれるくらい、しっかりもしている。
西はビルマ、東はパプア、南はインドネシアから北はフィリピンまで、まとまっているようでもあり、また本人たちも ASEAN という形でまとまろうとしている一方で、現在、主権国家として成立している各国は、それぞれに相当に異なる。つなぐものは稲作と交易と本書冒頭にある。ここは中華世界とインド世界をつなぐ位置と役割を担った。そういう意味では、ユーラシア大陸どん詰まりのヨーロッパ半島とは性格を異にする。むしろ、バルカンに近いんじゃないか。
大きくは大陸部、ビルマ、タイ、カンボジア、ラオス、ヴェトナムと、インドネシア、フィリピンの島嶼部に別れる。マレーシアは両方にまたがる。
あたしにとって東南アジアの不思議はまずインドシナ半島、とりわけ、ヴェトナム、ラオス、カンボジアの三つが、「歴史上かつて統一的な権力をいただいたことのない、文明的にもきわめて異質な諸社会」(101pp.)であること。フランスがここを仏領インドシナとして植民地化したのは、だから相当に無理をしていた、とある。
このうちヴェトナムは東南アジアの中でも中国の影響を最も直接に受けていて、中華世界の一員でもあった。朝鮮、日本、琉球、満洲、内モンゴルなどと同じだ。ラオス、カンボジアまではインド世界に含まれ、マレー半島、インドネシア諸島にイスラームが入るのも、インド経由だ。
面白いのは、マレー半島にもインドネシアにも、いわゆる華僑の形で、中国人、ここでは華人と呼ばれる人たちが大量に入っているのだけれど、そちらの地域では、自分たちが中華世界の一員だという自覚は無かったらしい。ヴェトナムだけがその自覚を持ち、それによって、他のインドシナ半島の地域に対して優越感を持っていたことさえあった由。
そのヴェトナムは著者の専門でもあり、さすがにやや突込んだところもある。11世紀に最初の独立王朝の李朝が成立し、ここから1804年までは国号は大越を称した。アリエットがそのシュヤ宇宙のシリーズの王朝を Dai Viet すなわち大越と呼ぶのは、ヴェトナム人にとってはこの国号が王朝として最もなじみのあるものだからなのだろう。
中華世界の一員としての優越感と裏腹に、独立王朝以後のヴェトナムは中国を常に警戒し、その影響を排除ないし薄めることに腐心してゆくのも面白い。ホー・チ・ミンたちにとって、ヴェトナム革命は当初、ソ連とも中国とも違う、独自のものとして出発する。冷戦の進展によって、否応なくソ連、中国側を頼らなければならなかったのは、むしろ不本意なことだったそうな。
ヴェトナム戦争は特需となって日本の高度経済成長を支えてくれたわけだが、日本にとってだけでなく、シンガポールやタイにも恩恵をもたらす。朝鮮戦争の「教訓」が「活かされた」戦争というのもなるほどとメウロコだった。1975年の終結からもうすぐ半世紀。これまでヴェトナム戦争というと、あたしなどはどうしてもアメリカ経由で見てしまう。しかし、実際に戦争が戦われたこの地域から見ることも、当然必要だし、そうなると、あらためて興味が湧いてくる。
わが国との関係で目に留まったのが、「『大東亜共栄圏』の経済的側面」のこの一節。150pp.
「経済面では、日本軍の東南アジア支配は、それまで築かれていた宗主国との関係や、アジア域内交易などの貿易構造を切断して、日本を東南アジアの鉱産物資源やその他の戦略物資の独占的輸入国とした。それは裏返せば、日本が東南アジアに対する工業製品の一元的輸出国とならねばならないことを意味していたわけだが、この時期の日本の経済力は脆弱で、十分な工業製品の供給能力をもっていなかった。そこで起きたのは、十分な工業製品供給という対価なしでの資源の略奪という、いわば「最悪の植民地支配」だっ。大戦末期には、連合軍の反攻で、海上交通に困難を来すようになったことも加わり、どこでも深刻なモノ不足とインフレが発生した」
日露戦争の結果で日本は国際社会でいわば一流半国の扱いになり、それからは帝国主義国家としてふるまおうとする。しかし、こうなると、帝国主義国家としての資格には欠けていたわけだ。日露戦争から太平洋戦争開始までの30年間、わが国の経済は何をしていたのだろう、とあらためて興味が湧く。端的に言えば、何を作っていたのだろう。そうしてみれば、戦前の経済史について何も知らない。
東南アジアと日本軍政の関係でいえば、中井英夫の父親・中井猛之進は戦時中、ジャワ島ボゴールにあった、当時東洋一のボイテンゾルグ植物園長であり、陸軍中将待遇の陸軍司政長官だった。そのことをめぐって、鶴見俊輔が東京創元社版全集第8巻『彼方より』の解説に書いていて、なぜか、印象に残っている。鶴見は当時、バタヴィアにあった海軍武官府に嘱託として勤務していて、中井猛之進に会っている。中井英夫という、およそ時代から屹立している書き手が、本人は否定したいものながら、時代と深くからまりあっていることが、思いがけず顔を出しているからだろうか。鶴見と同じく、あたしも『黒衣の短歌史』が大好きで、『虚無への供物』と『とらんぷ譚』のいくつかを除けば、中井の最高傑作ではないかと思っているくらいだ。この全集で『黒衣の短歌史』と同じ巻に収められて初めて世に出た中城ふみ子との往復書簡はまた別だけれども。
フィリピンのナショナリズムの先駆者だったホセ・リサールの胸像がどうして日比谷公園にあるのか、とか、ビルマ独立に深くからんだ参謀本部の鈴木敬司大佐とか、ゾミアとか、いろいろときっかけやヒントが詰まっっている。となると、これは入門書としては理想に近い。(ゆ)
Centipede Press 版 The Swords Of Lankhmar

Michael J. Sullivan の一気書き
事情はいろいろあるのだろう。端的に言えば売れなかった、ということだろう。しかし、こういうことが続けば、読者の方も警戒する。どうせまた中断されるだろう、と長いものには手を出さなくなる。ますます売れない。