クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 活字がデジタル化されて、紙の雑誌が消滅への一途を辿っていると思われる今の時代に、一方で若い人たちが紙に印刷製本された媒体に惹かれているらしい。そうした「手作り」の雑誌や本を販売・交換する、活字版コミケとも言えそうな「文学フリマ」は回を重ねるごとに規模を拡大している。元々コミックのマーケットとして始まったコミケ自体でも活字メディアが出品されているとも聞く。

 右から左へ勝手に流れてゆくデジタル化されたデータ、情報ではなく、ゆったりと好みのペースで熟読玩味するための具体的なモノ、ブツを、人は求めるのだろうか。アメリカ大統領選挙投票日の翌日、ワシントン、D.C.でアメリカ最大の書店チェーン Barnes & Noble の大規模新店舗がオープンしたことを伝える Washington Post Book Club の記事でも、紙の本を手にとることの快感を訪れた人びとや書店関係者がそろって口にしていたと伝えている。

 若い友人から紙の雑誌に載せる原稿を書いてくれと言われた時、今の時代にわざわざ紙で雑誌を出す意義があるのか、と驚きと懸念がまず先に立った。しかし二人からほぼ同時に別々の雑誌にとなると、そういうことが一つの流れとしてあるのかもしれないと思えてくる。

 とまれ、頼まれれば嫌とは言えない性分、篠田一士ではないが、「一寸した誘いがあれば、すぐさま、それにのり、空言を弄し、駄文を草するといった為体」だ。もっとも篠田同様「本を読むしか能がないと思い定めて」はいるものの、読む量も読書の質も篠田には到底及びもつかないから、弄する空言も草する駄文も、篠田のものとは違って、文字通りの空言、駄文に過ぎないことも重々承知している。

 それでもいざ書きだしてみると、ひどく愉しい作業になった。むろん楽なわけではあるはずもないが、その苦労も含めて愉しいのである。もちろん初稿は紙に手で書いた。それが一番自分に合っているし、手で書くことが好きでもある。AquaSKK のおかげで候補を選ぶために流れを中断しなくてもすむから、キーボードで書くのも思考の速度にそれほど遅れず、愉しくなってきてはいるけれども、知的訓練を手で書くことでやってきているあたしには、手書きが何よりもしっくりくる。そうすると空言を弄し、駄文を草する行為は案外愉しいものだとあらためて思い知らされたものだ。

 その前に書くために読むことがまた愉しい。30年間、ひたすら『月曜閑談』を書くために週に5日を読むことに費したサント・ブーヴも、おそらくその作業、読んでは書き、書いては読む作業が愉しかったのではないか。そうでなければ、何十年も続けられるはずがない。読むのが愉しくなければ、読んだものについて書くのが愉しくなるはずはない。書くのが愉しくなければ読んで愉しくなるはずもない。そうして書いたものを他人が読んで愉しむかどうか、さらに、もとになった作品を読むのまで愉しくなるかどうかは書いたこちらのコントロールの及ばないところではある。ではあるものの、片方に書いたキャサリン・マクリーン作品にしても、もう片方のために選んだ25本の作品にもまったく箸にも棒にもかからない駄作は無いと信ずる。

 「キャサリン・マクリーンのために」書いたものは『カモガワGブックス Vol.5 特集:奇想とは何か?』に載っている。



 鯨井久志さんが訳された「シンドローム・ジョニー」の附録である。キャサリン・マクリーンのベスト盤を編むとすれば、ぜひ入れたい一篇だ。もっともマクリーンは作品数も少なく、どれもこれも水準は軽く超えているから、どうせ出すなら中短篇を網羅した全集にしたいものである。アメリカでもまだ無い。一度 NESFA Press の近刊予告に出たことがあるが、その後消えてしまった。

 もう一つが jem 創刊号のためのもの。「特集 未来視する女性作家たち」のうちの「海外SF短篇25」である。書きあがった原稿を、執筆を依頼してきた友人は面白がった。量について何も言われなかったので、感興の湧くままに書いていったら、常識外れの量になった。削れと言われることを承知で、というより期待しながら、とにかくどういう反応が返ってくるかとえいやっとそのまま送ってみた。すると削減無しで載せたいという返事がきて、また驚いた。あたしとしては恐縮するしかない。ともあれ書いた甲斐はあった。

 書いたことで見えてきたこと、学んだことはまた別の話だ。それはあたし個人の収獲で、今後の読書をより愉しいものにしてくれるだろう。とすれば、時には空言を弄し、駄文を草することも、まったくの無駄ではない。むしろ、読むことをより愉しいものにしてくれる作用もある。こともある。

 漫然と興味・関心の赴くままに読むのも愉しいが、一つのテーマ、問題意識をもって読むことはさらに愉しくなる、というのもあらためて思い知らされた。今回は漫然と読んできた経験を一つのテーマに沿って組みなおし、それに従って再読、あるいは三読ないしそれ以上したわけで、テーマを持って読むことと、再読三読することの相乗効果もあったかもしれない。

 なれば、次は一つの枠組みに沿って初読も含めて読んでみることを試してみたくなっている。折りしも「アーシュラ・K・ル・グィン小説賞」の今年の受賞作が発表になり、選考委員の1人だったケン・リウが、最終候補10冊はどれもいいから全部読め、と薦めてもいる。中で1作だけ、ニーヴォの Mammoths At The Gates だけは読んでいたし、Emily Tesh はこれから読む本のリストの上位に入れていたけれども、他の8本は未知の書き手だから、ちょうどいい。ちなみに中の1冊 Orbital by Samantha Harvey は、同じ jem 創刊号で書評されている。となると、さらに背中を押されるというものだ。



 とはいえ、その前に Steve Silberman の NeuroTribe を読まねばならない。「自閉症スペクトラム」と総称される現象の見方を「治る見込みの無い精神病のひとつ」から「人の個性の多様性のあらわれ」に転換させたと言われる本である。シルバーマンは名うてのデッドヘッドでもあって、今年のグレイトフル・デッドのビッグ・ボックス《Friends Of The Devil: April 1978》のライナーに感心したのが、この本の存在を知るきっかけだ。さらに Charles King がヘンデルの『メサイア』成立の歴史を描いた Every Valley  も控えていて、「ル・グィン小説賞」候補作ばかり読んでいるわけにもいかない。

 若い頃は小説ばかり読んで少しも飽きなかったが、年をとるにつれて小説以外のエッセイ、紀行、伝記、日記、書簡、回想録、歴史などのノンフィクションが面白くなってきた。文学として書かれたものばかりではない。

 たぶんそれは人生の階梯に合っているのだろう。若いうちは小説を読むことで現実には出会えない、自分たちとは異なった多種多様な人間と出会い、様々な世界の諸相を体験することが必要なのだ。体験が重なるにつれて、今棲んでいるこの世界の諸相が面白くなってくる。その上で肝要なことは、チャールズ・キングが Every Valley の序文で言うように、今の世界とは異なる世界、より望ましい、棲みたい世界を思い描き、その世界に近づこうと努めることだ。キングによれば、『メサイア』はヘンデルとチャールズ・ジェネンズが、かれらが棲んだ世界とは異なる世界を思い描こうとした努力の賜物ということになる。

 というわけで、その原稿が載った雑誌 jem 創刊号が12月1日に出る。現物を見たければ、その日開催される「文学フリマ東京39」に行けば見られるはずだ。書き手の何人かにも会えるかもしれない。あたしは残念ながらその日は所要で行けない。不悪。巻頭言、目次などはこちらで見られる。通販もされる。(ゆ)



jem 創刊号目次



jem 創刊号目次解説

 Subterranean Press のニュースレターでトム・リーミィの全中短篇集成の予告。未発表ノヴェラ収録とあっては買わないわけにはいかない。例によって送料がバカ高いが、やむをえん。昔出た San Diego Lightfoot Sue and Other Stories はもちろん買って、断片まで含めて、隅から隅まで読んだ。レオ&ダイアン・ディロンによるカヴァーにも惚れ惚れした。

 リーミィを知ったのはもちろん伊藤典夫さんの訳で SFM に載った「サン・ディエゴ・ライトフット・スー」で、何度読みかえしたかわからない。ああ、このタイトル。70年代だよねえ。F&SF1975年8月号巻頭を飾る。翌年ネビュラ受賞。1970年代の F&SF は本当に凄かった。後年、ロサンゼルスに仕事で半年住んだ時、最初の週末にわざわざローレル・キャニオン・ドライヴを走り、Hollywood Sign に行ってみたものだ。

 その Subterranean Press は先日久しぶりのティプトリーの作品集もアナウンスして、未発表、単行本未収録は無いようだが、やはり注文してしまった。

 これらのカネをさて、いったいどうやって工面するか。

 Subterranean Press の本は絶対逃せないものは直接注文するが、それほどでもない時はアマゾンに注文している。送料の桁が違って安い。そこでやって来たのが Jack McDevitt, Return To Glory。あらためて確認すると、この人、なんとシルヴァーバーグと同い年、3ヶ月しか違わない。ただし、デビューはシルヴァーバーグから遅れること四半世紀。というわけで、シルヴァーバーグはそろそろ燃え尽きているが、マクデヴィットは87歳でばりばり書いている。この本にも未発表短篇が5本ある。

Return to Glory
McDevitt, Jack
Subterranean Pr
2022-10-31



 シルヴァーバーグはすでに多すぎるくらい書いているわけで、もう何も書かなくても十分ではある。Subterranean Press はシルヴァーバーグも熱心に出していて、年明け早々に Among Strangers がやってきた。アマゾンに注文したのを忘れていた。3本の長篇とノヴェラを収めたこのオムニバスをぱらぱらやっていると、にわかにシルヴァーバーグが読みたくなり、買いためてあった中短篇集を掘りだしてきた。Subterranean Press からの中短篇全集も買ってはあるが、あえてなるべくオリジナルの形で読んでみたくなる。

Among Strangers
Silverberg, Robert
Subterranean Pr
2022-12-01



 昨年アメリカの出版界で最も話題になったのはブランドン・サンダースンの Kickstarter プロジェクトだった。COVID-19 で本のプロモーションのためのツアーが全部なくなった。それまでかれは1年の3分の1をツアーに費していたから、時間があいてしまった。そこで何をしたかというと、誰にも内緒で長篇を4本書いてしまった。それらを自分で出版するのに資金を募ったら、185,341人の支援者によって 41,754,153USD、今日のレートで55億円弱という Kickstarter 史上最高額の寄付が集まり、サンダースンの版元である Tor だけでなく、出版界全体が青くなった。

 その秘密の長篇4本の最初の1冊 Tress Of The Emerald Sea がやってきた。本だけでなく、特製の栞やらピンバッジやら、いろいろおまけも入っている。輸送用の外箱も、中のクッションも専用に作ったらしい。あんまり綺麗なので、シュリンクラップを破る気になれない。中身は電子版で読めるから、当分、このまま積んでおこう。

TotEScntnts

TotESpin


 それにしても、これらの本は、あたしが死んだら、どこへ行くのだろうか。(ゆ)

 まずはアマゾンに予約しておいた Vasily Grossman, The People Immortal が午前中に配達。1942年に赤軍の機関紙『赤い星』に連載された長篇。残されていた原稿から追加してロシア語本文を確定してから英訳している。この小説には実在のモデルがおり、その人物たちについての注記が付録にある。付録にはバルバロッサ作戦でナチス・ドイツがソ連を席捲している最中にソ連軍最高司令部スタヴカが出した命令なども収められている。

The People Immortal (New York Review Books Classics)
Grossman, Vasily
New York Review of Books
2022-09-27



 昼過ぎ、佐川が DHL の荷物を二つもってくる。Mark A. Rodriguez, After All Is Said And Done: Taping the Grateful Dead 1965-95 と Subterranean Press からの Anthony Ryan, To Blackfyre Keep。

 アンソニー・ライアンのは年1冊で出しているノヴェラのシリーズ The Seven Swords の4冊目。全6冊予定。

To Blackfyre Keep (Seven Swords, 4)
Ryan, Anthony
Subterranean Pr
2022-09-30

 

 前者は凄いものであった。今年の Grateful Dead Almanac から跳んだ In And Out Of The Garden の Podcast ページで紹介されていたもの。デッドのテープ文化全体についての厖大な資料集。関係者へのインタヴュー、テーパーズ・コーナー設置の経緯についてのデッドの全社会議の議事録、Audio 誌に掲載されたテーパーズ・コーナー特集記事の複製、テープ・ジャケットのコレクションなどなど。宝の山だがLPサイズの本に細かい活字でぎっしり詰めこまれて、消化するのに時間がかかりそうだ。

After All Is Said and Done: Taping the Grateful Dead; 1965-1995
Rodriguez, Mark A.
Anthology Editions
2022-09-20



 夕方、郵便ポストを確認すると、Robert Byron, The Station が入っていた。22歳の時、友人二人とともギリシャの聖地アトス山を訪ねた旅行記。初版は1928年刊行。買ったのは2011年の再刊。バイロンはこの旅行で東方の土地と文化に惹かれて中央アジアを旅し、9年後1937年に出した The Road To Oxiana で文学史に名を残す。


 

 最後に、夕飯もすんだ7時半、郵便局の配達が大きな航空便を持ってくる。バート・ヤンシュの At The BBC アナログ・ボックス・セット。LPサイズのハードカヴァー。40ページのライナーの内容はバートの BBC ライヴの歴史、共演者・キャスター、そして彼の広報担当の見たバート。このボックスを企画したのはコリン・ハーパーだった。正式発売は4日だが、発送通知は来ていた。アナログ版は4枚組で48曲収録だが、CD8枚組収録の147曲にプラス α のダウンロード権が付いている。1966年から2009年まで、バートが BBC に残した録音を網羅している。らしい。

 こうなるとバート・ヤンシュもあらためて全部通して聴きたくなる。ひー、時間が無いよう。(ゆ)

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 Kevin Hearne がプロファイルだけ残してツイッターの書き込みのほぼ全てを削除し、アプリも削除したとニュースレターでアナウンスしていた。とりあえずコンタクトはニュースレターとインスタグラム。そして Bluesky のベータ・テスターに登録したという。

 Bluesky は Twitter 創業者が立ちあげた新しい SNS で、分散型のシステムをとる。Twitter や Facebook では「ユーザーの投稿や情報が各プラットフォームによって管理されています。ADXはSNSの非中央集権化を目的に開発されており、ユーザーデータを各ユーザーの個人データリポジトリに保存して、ユーザーのコンテンツをあらゆるプラットフォームで利用可能にすることを目指して」いるそうだ。

 ハーンのこのふるまいはもちろんイーロン・マスクによる Twitter 買収を受けてのものだ。とりあえず Bluesky のローンチを知らせるウェイトリストに登録する。

 ケヴィン・ハーンは The Iron Druid Chronicles がベストセラーになっているファンタジー作家。アリゾナ出身で今はカナダに住んで市民権も取得している。話はいわゆるアーバン・ファンタジィのジャンル。いずれ読もうと思っていたが、こうなるとあらためて興味が出てきた。(ゆ)

08月29日・月
 Victoria Goddard から新作のお知らせ。"Those Who Hold The Fire"。1万1千語のノヴェレット。



 "Lays of the Hearth-Fire" のシリーズに属する。"The Hands Of The Emperor" から始まるシリーズ、ということは今のところ、彼女のメインのシリーズになる。11月に "The Hands Of The Emperor" の直接の続篇 "At The Feet Of The Sun" が予定されている。

 いやあ、どんどん書くなあ。ついていくのが大変。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月29日には1969年から1982年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。このヴェニューは Playland と呼ばれた古い遊園地にあった、と Paul Scotton が DeadBase XI で書いている。単身2.50ドル、ペア4ドル。開演8時半。フェニックス、コマンダー・コディ、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ共演。この日と翌日はグレイトフル・デッドのフル・メンバーで登場。
 2曲目〈Easy Wind〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 良い演奏。ガルシアのギターはブルーズ・ギターではない。ずっとジャズに近い。ピグペンは歌わないときはオルガンでガルシアのギターにからめ、かなりよい演奏をしている。

2. 1970 Thee Club, Los Angeles, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

3. 1980 The Spectrum, Philadelphia, PA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。10.50ドル。開演7時。
 これも良いショウのようだ。この年は調子が良い。

4. 1982 Seattle Center Coliseum, Seattle, WA
 日曜日。10.50ドル。開演7時半。
 第一部クローザー〈Let It Grow〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 抜群のヴァージョン。ややアップテンポで緊迫感みなぎり、ガルシアが翔んでゆくのにバンドも悠々とついてゆく。間奏と最後の歌の後のジャムがいい。

5. 1983 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts. Eugene, OR
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。15ドル。開演8時。
 良いショウのようだ。(ゆ)

07月27日・水
 Micheal R. Fletcherがカナダの人だと知って、俄然興味が湧く。GrimDark Magazine が騒いでいるのは知っていたが、いつか読もうのランクだったのだが、ISFDB でふと見ると、オンタリオ出身でトロント在住。となると読んでみたくなる。なにせ、カナダはスティーヴン・エリクソンが出ているし、チャールズ・ド・リントがいるし、ミシェル・ウェスト=ミシェル・サガラもトロントだし、ヴィクトリア・ゴダードもカナダだ。ウェストの先輩筋にあたる Julie E. Czerneda や K. V. Johansen もいる。

 フレッチャーは2015年の Beyond Redemption で彗星のように現れた。

Beyond Redemption
Fletcher, Michael R
Harper Voyager
2015-06-16


 
 1971年生まれだから44歳で、遅咲きの方だ。もっともデビュー作は2年前2013年に 88 という長篇をカナダの小出版社から出している。後2017年に Ghosts Of Tomorrow として出しなおした。スティーム・パンクものらしい。このカヴァーを見ると読みたくなる。

Ghosts of Tomorrow
Fletcher, Michael R.
Michael R. Fletcher
2017-02-19


 
 以来今年05月の An End To Sorrow で長篇9冊。共作が1冊。作品集が1冊。
 以前はオーディオのエンジニアでミキシングや録音の仕事をしていたらしいことは今年01月の "A Letter To The Editor From Michael R Fletcher" に触れられている。これは GrimDark Magazine の Patreon 会員用に約束した短篇をなぜ書けないかの言い訳の手紙で、1篇のホラ話になっている。



 長篇は二部作が二つに三部作が一つ。スタンド・アローンがデビュー作の他に1冊、Beyond Redemption、The Mirror's Truth の二部作と同じ世界の話。この世界では妄想を現実にできる人間がいるが、それができる人間は必ず気が狂っている。こんな世界がロクな世界でないことは当然だが、そこからどんどんとさらに崩壊してゆく世界での権力争いと泥棒たちの野心とそれに巻きこまれる各々にろくでなしだが個性だけは強烈なやつら。まさに grim で dark、凄惨で真暗な世界での、希望とか優しさとかのかけらもない話、らしい。そして、それが面白い、というのだ。
 とまれ、読んでみるしかない。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月27日には、1973年から1994年まで、4本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1973 Grand Prix Racecourse, Watkins Glen, NY
 金曜日。翌日の本番のためのサウンドチェック。ではあるが、すでに来ていた数千人が聴いていたし、2時間以上、計11トラックの完全なテープが残っている。
 "Summer Jam" と名づけられたイベントでオールマン・ブラザーズ・バンド、ザ・バンドとの共演。
 後半の〈Me and My Uncle〉の後のジャムの一部が〈Watkins Glen Soundcheck Jam〉として《So May Roads》でリリースされた。
 本来正式なショウではないが、公式リリースがあるのでリストアップ。
 ワトキンス・グレンはニューヨーク州北部のアップステート、シラキューズから南西に車で130キロの村。この辺りに Finger Lakes と呼ばれる氷河が造った細長い湖が11本南北に並行に並んでいる、その中央に位置する最大のセネカ湖南端。会場となったレース場は NASCAR カップ・シリーズなど、全米的催しの会場。かつてはアメリカの F1 レースの会場でもあった。

2. 1974 Roanoke Civic Center, Roanoke, VA
 土曜日。
 Wall of Sound の夏。全体としては非常に良いショウだが、ところどころ斑の出来ではあるようだ。
 この7月末、25日から1日置きでシカゴ、ヴァージニア、メリーランド、コネティカットと回り、8月上旬フィラデルフィアとニュー・ジャージーで3日連続でやって夏休み。9月はヨーロッパに行き、その後10月下旬ウィンターランドでの5日間になる。

0. 1977 Terrapin Station release
 1977年のこの日、《Terrapin Station》がリリースされた。
 バンド7作目のスタジオ盤。アリスタからの最初のリリース。前作 Grateful Dead Records からの最後のリリース《Steal Your Face》からちょうど1年後。次は翌年11月の《Shakedown Street》。1971年からこの1978年まで、毎年アルバムをリリースしている。
 トラック・リスト。
Side one
1. Estimated Prophet {John Perry Barlow & Bob Weir}; 5:35
2. Dancin' in the Streets {William Stevenson, Marvin Gaye, I.J. Hunter}; 3:30
3. Passenger {Peter Monk & Phil Lesh}; 2:48
4. Samson & Delilah {Trad.}; 3:30
5. Sunrise {Donna Godchaux}; 4:05

Side two
1. Terrapin Part 1
Lady with a Fan {Robert Hunter & Jerry Garcia}; 4:40
Terrapin Station {Robert Hunter & Jerry Garcia}; 1:54
Terrapin {Robert Hunter & Jerry Garcia}; 2:11
Terrapin Transit {Mickey Hart & Bill Kreutzmann}; 1:27
At a Siding {Robert Hunter & Mickey Hart}; 0:55
Terrapin Flyer {Mickey Hart & Bill Kreutzmann}; 3:00
Refrain {Jerry Garcia}; 2:16

 2004年《Beyond Description》収録にあたって、ボーナス・トラックが追加。このアルバムについては録音されながらアルバムに収録されなかったアウトテイクがある。
07. Peggy-O (Traditional) - Instrumental studio outtake, 11/2/76
08. The Ascent (Grateful Dead) - Instrumental studio outtake, 11/2/76
09. Catfish John (McDill / Reynolds) - Studio outtake, Fall 1976
10. Equinox (Lesh) - Studio outtake, 2/17/77
11. Fire On The Mountain (Hart / Hunter) - Studio outtake, Feb 1977
12. Dancin' In The Streets (Stevenson / Gaye / I. Hunter) - Live, 5/8/77

 このアルバムは内容もさることながら、録音のプロセスが重要だ。プロデューサーのキース・オルセンはバンドに対してプロとしての高い水準を要求する。当初の録音に対し、こんなものは使えないとダメを出しつづける。業を煮やしたバンドが、これ以上はできないと言うと、オルセンは答えた。
 「いんや、きみらならもっといいものができる」
 また、スタジオでの時間厳守など、仕事の上でのルールを守ることを徹底する。
 それまで、好きな時に好きなようにやっていたバンドにとってはこれは革命的だった。そうしてリズムをキープし、余分な部分を削ぎおとすことで、音楽の質が上がり、またやっていてより愉しくもなることを実感したのだろう。この録音過程を経て、グレイトフル・デッドはほとんど別のバンドに生まれかわる。1977年がデッドにとって最良の年になるのは、半ばオルセンのおかげだ。それ以前、とりわけ大休止の前に比べて、演奏はよりタイトに、贅肉を削ぎおとしたものになり、ショウ全体の時間も短かくなる一方で内容は充実する。だらだらとやりたいだけやるのではなく、構成を考えたショウになる。シンプルきわまりない音とフレーズの繰返しだけで、おそろしく劇的な展開をする〈Sugaree〉に象徴される、無駄を省いた演奏も、このアルバムの録音ゑ経たおかげだ。
 つまるところ、大休止から復帰後の、デッドのキャリア後半の演奏スタイル、ショウの構成スタイルに決定的な影響を与えたアルバムである。
 一方で仕事をする上でのそうした革新が内容につながるか、というと、そうストレートにいかないのがデッドである。それに、仕上がったものは、バンドの録音にオルセンがオーケストラと合唱をかぶせたため、さらに評価がやりにくくなっている。バンド・メンバーからも批判された。
 まず言えることは、これまでのアルバムの中で、最もヴァラエティに富んでいる。B面はハンター&ガルシアが中心となった組曲〈Terrapin Station〉だが、A面はすべてのトラックで作詞作曲が異なる。しかも珍しくカヴァーを2曲も収めている。
 B面のタイトル・チューンをめぐっては、時間が経って聴いてみると、一瞬ぎょっとするものの、聴いていくうちに、だんだんなじんでくる。アレンジと演奏そのものは質の低いものではない。そして、後にも先にも、デッドの音楽では他には聴けないものだし、ライヴでももちろんありえないフォームだ。オーケストラによるデッド・ナンバーの演奏があたりまえに行われている昨今からすれば、むしろ先駆的な試みであり、デッドの音楽の展開の新たな方向を示唆しているとも言える。
 レパートリィの上では、〈Estimated Prophet〉〈Dancin' in the Streets〉〈Samson And Delilah〉それに〈Terrapin Staiton〉は以後定番となってゆく。

3. 1982 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 火曜日。13.75ドル。開演7時半。このヴェニュー3日連続のランの初日。
 お気に入りのヴェニューでノッていたようだ。第二部は〈Playing In The Band〉に始まり、〈Playing In The Band〉に終る。途中にも入る。

4. 1994 Riverport Amphitheater, Maryland Heights, MO
 水曜日。24.50ドル。開演7時。このヴェニュー2日連続の2日目。第一部4曲目〈Black-Throated Wind〉でウィアはアコースティック・ギター。
 開演前にざっと雨が降り、ステージの上に虹が出た。それでオープナーは〈Here Comes Sunshine〉。
 前日よりは良く、第一部の〈Jack-A-Roe〉〈Black-Throated Wind〉、第二部オープナーの〈Box Of Rain〉、クローザー前の〈Days Between〉など、ハイライトもあった。
 ツアーの疲れが一番溜まる時期ではある。(ゆ)

07月22日・金
 3ヶ月半ぶりの床屋。この爽快感はやめられない。夕方、散歩に出て、今年初めて蜩を聞く。

 夜、竹書房編集のMさんから連絡。今月末「オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』(藤井光訳)刊行記念オンライントークイベント」というオンライン・イベントがあるそうな。

 SFセミナーでもバトラー関連企画があるそうな。もう間に合わんか。
「オクテイヴィア・バトラーが開いた扉」出演:小谷真理 橋本輝幸

 わが国でもじわじわ来てますなあ。あたしが訳した The Parable 二部作は今秋刊行でごんす。皆さま、よしなに。

 それにしても、バトラーさん、出身高校にまでその名前がつけられる今の状況を知れば、墓の下で恥ずかしさに身を縮こませてるんじゃないか。こんなはずではなかったのに、と。なにせ、「血を分けた子ども」がネビュラを獲ったとき、こういうことにならないようにと思ってやってきたのに、と言ったくらいだからねえ。

 とはいえ、彼女の場合、黒人で女性という二重のハンデを筆1本じゃないペン1本だけで克服したわけだから、尊敬されるのも無理はない。それも、今と違ってマイノリティへの差別がまだあたりまえの時代、環境においてだし。まあ、とにかく、あたしらとしてはまずは作品を読むことだな。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月22日には1967年から1990年まで4本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1967 Continental Ballroom, Santa Clara, CA
 土曜日。2.50ドル。このヴェニュー2日連続の2日目。共演サンズ・オヴ・シャンプリン、ザ・フィーニックス、コングレス・オヴ・ワンダーズ。セット・リスト不明。これを見た人の証言は2日間のどちらか不明。

2. 1972 Paramount Northwest Theatre, Seattle, WA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 第一部3曲目〈You Win Again〉5曲目〈Bird Song〉11曲目〈Playing In The Band〉、第二部クロージングの3曲〈Morning Dew〉〈Uncle John's Band〉〈One More Saturday Night〉の計6曲が《Download Series, Vol. 10》でリリースされた。
 どれもすばらしい演奏。〈Bird Song〉と〈Playing In The Band〉は成長途中で、中間のジャムがどんどん面白くなっている時期。各々でのジャムのやり方を開発してゆく過程が見える。〈Playing In The Band〉の冒頭、ウィアがドナ・ジーン・ガチョーと紹介する。ドナの参加はまだこれだけ。
 〈Morning Dew〉はこの2曲よりは完成に近づいている。フォーマットはほぼ固まっていて、あとは個々の要素をより深めてゆく。

3. 1984 Ventura County Fairgrounds, Ventura, CA
 日曜日。開演2時。このヴェニュー2日連続の2日目。
 最高のショウの1本の由。

4. 1990 World Music Theatre, Tinley Park, IL
 日曜日。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの中日。ティンリー・パークはシカゴ南郊。
 第二部2曲目〈Hey Pocky Way〉の動画が《All The Years Combine Bonus Disc》でリリースされた。
 第一部6曲目〈When I Paint My Masterpiece〉が始まって間もなく、一瞬、電源が切れて、沈黙が支配した。
 その後の第一部クロージングへの3曲がすばらしかったそうだ。(ゆ)

06月09日・木
 東京創元社から『黄金の人工太陽』見本2冊着。あたしが訳したアリエット・ド・ボダール「竜が太陽から飛び出す時」が再録されている。



 もともとこちらが初出。翌年ドゾアの年刊ベスト集第35集に収録された。これでアリエットの「シュヤ宇宙」のシリーズに興味が湧いたら、ぜひ『茶匠と探偵』もお読みくだされ。

茶匠と探偵
アリエット・ド・ボダール
竹書房
2019-12-07



%本日のグレイトフル・デッド
 06月09日には1967年から1994年まで11本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本。

01. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 金曜日。このヴェニュー10日連続のランの9日目。セット・リスト不明。

02. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。セット・リスト不明。

03. 1973 RFK Stadium, Washington, DC
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。7ドル。開演8時。オールマン・ブラザーズ・バンドとのジョイント。この日はダグ・ザームが前座で、デッド、オールマンの順。
 炎熱の日で、演奏も同じくらいホットだった。

04. 1976 Boston Music Hall, Boston, MA
 水曜日。このヴェニュー4日連続のランの初日。29日までの夏のツアーのスタート。7.50ドル。開演7時。《Road Trips, Vol. 4, No. 5》で全体がリリースされた。ここから19日までのボストン、ニューヨーク、ニュー・ジャージー州パセーイクの9本のランは大部分が公式リリースされている。

05. 1977 Winterland, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。《Winterland June 1977: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。
 まず第一部後半、〈Sunrise〉〈Deal〉〈Looks Like Rain〉〈Loser〉〈The Music Never Stopped〉、どれもこれもその歌のベスト・ヴァージョンと思えるものばかりが並ぶ。このあたりの充実ぶりは春のツアーをも凌ごうという勢い。ガルシアは意外性に満ちながら、その場にどんぴしゃのギターを弾きつづけ、3人のヴォーカルが力強く、ハーモニーはぴたりと合い、バンド全体が愉しくてしかたがないという響き。
 その勢い、好調が第二部もその高まったまま最後まで続く。Drums までがこの年のベストと思わせる。この日はハートの煽りがよく効いている。ツイン・ドラムの推進力が全体を押し上げている。
 この3日間はホップ・ステップ・ジャーンプで、これが文句無しにベストだが、バートン・ホールと比べても、どちらが上か迷うところ。たとえて言えば、デッドの全キャリアの中で選びだすならバートン・ホールかもしれないが、1977年を代表する1本といえばこちらを選びたい。

 しかし好事魔多し。この後、06月20日にミッキー・ハートが車を運転していて道路から飛び出す事故を起こす。鎖骨が折れ、肋骨に数本罅が入り、肺に穴が穿いた。このため7、8月の夏のツアーはキャンセルとなり、次のショウは09月03日ニュー・ジャージー州イングリッシュタウン。夏のツアーの埋め合せとして、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジとマーシャル・タッカー・バンドを前座として開かれ、15万人が集まった。

06. 1984 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。15ドル。開演2時。
 開演前に俄雨が降って、おかげでみな熱中症にならずにすんだ由。
 ショウそのものも非常にホットだそうな。とりわけ〈Playing In The Band〉。

00. 1987 Club Front, San Rafael, CA
 これはショウではなく、ディランとのツアーのためのリハーサルだが、この日のリハーサルの録音から1曲〈Man of Peace〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた。ディランの原曲は《Infidel》1983収録。
 これとは別に05月のリハーサルのテープも残っている。
 〈Man of Peace〉はこの年07月のディランとのツアー中に3回演奏された。

07. 1990 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時半。
 前日ほどではないが、良いショウの由。

08. 1991 Buckeye Lake Music Center, Hebron, OH
 日曜日。22.50ドル。開演6時。ブルース・ホーンスビィ参加。Violent Femmes 前座。この前座はサプライズだったらしい。一部はブーイングをしたが、全体としては愉しんだようだ。
 Violent Femmes は1979年にミルウォーキーで結成されたフォーク・パンク・バンド。1983年デビュー・アルバムを出す。1987年に一度解散。翌年再編して2009年まで続く。2013年に3度再編して現役。
 デッドのショウは上々の出来の由。

09. 1992 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時。
 前の晩で精力を使いはたしたか、お疲れのご様子だった由。

10. 1993 The Palace, Auburn Hills, MI
 水曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時。
 前の晩よりも良いショウの由。

11. 1994 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。26.50ドル。開演7時。
 第一部クローザー前で〈If The Shoe Fits〉がデビュー。Andrew Charles の詞にレシュが曲をつけた。1995-03-14まで17回演奏。スタジオ盤収録無し。(ゆ)

05月19日・木
 Victoria Goddard から新刊 The Redoubtable Pali Avramapul。

The Redoubtable Pali Avramapul
Goddard, Victoria
Underhill Books
2022-05-18

 
 わーい、パリ・アヴラマプルの話だ。Nine Worlds の世界の中でも最もシャープでカッコいいキャラではないか。アヴラマプル姉妹の真ん中、フルネームは Paliamme-ivanar。「風に乗る隼の鋭どい爪をもち」芸術家の魂をそなえた戦士。Greenwing & Dart のシリーズの3作目 Whiskeyjack にちょいと出てくる。すでに初老の域だが、実にカッコよい。今度の長篇はアスタンダラス帝国の没落とそれに伴う魔法の失墜前後の話らしい。

 今年はこれで4冊め。前3冊はノヴェラだけれど、これはフルレングスの長篇。この後 The Hands Of The Emperor の続篇 At the Feet of the Sun が控え、Greenwing & Dart もこれまで年1冊だから、長篇が2冊出るわけだ。それで全部だとしてもこれまでの新記録。ブランドン・サンダースンはパンデミックでツアーがなくなり、時間ができたから小説4本書いちゃった、と言ってクラウドファンディングをしたわけだが、ゴダードも他にやることがなくて、やたら書いていたのか。嬉しい悲鳴ではある。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月19日には1966年から1995年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 木曜日。2ドル。開演8時半。Straight Theatre 主催の朗読とダンス・コンサートのイベント。共演 the Wildflower, Michael McClure。
 この時期でセット・リストがはっきりしている数少ないショウの一つで以下の曲のデビューとされている。いずれも第一部。いずれもカヴァー。
 オープナー〈Beat It On Down The Line〉は Jesse Fuller の曲。1961年のアルバム《Sings And Plays Jazz, Folk Songs, Spirituals & Blues》に収録。デッドは1994-10-03のボストンまで、計328回演奏。演奏回数順で34位。ウィアの持ち歌。イントロのダッダッダッダッを何発やるか、気まぐれで変わる。20発近いこともある。
 4曲目〈It Hurts Me Too〉は Tampa Red が1940年5月に録音したものが最初とされるが、タンパ自身がそれ以前に録音していたものが原曲らしい。1957年にエルモア・ジェイムズが歌詞を変え、テンポを落として録音し、以後、これがスタンダードとなる。デッドのヴァージョンもこれにならっている。ピグペンの持ち歌で、1972-05-24のロンドンまで57回演奏。
 5曲目〈Viola Lee Blues〉は Norah Lewis の曲とされるが、似た曲は他にもあり、おそらくは共通の祖先か。デッドは1970-10-31のニューヨーク州立大まで計30回演奏。長いジャムになることが多い。
 7曲目〈I Know It's A Sin〉は Jimmy Reed の1957年の曲。1970-06-04のフィルモア・ウェストまで11回演奏。これに基くジャムが1974-06-18、ケンタッキー州ルイヴィルで演奏された。
 Michael McClure (1932-2020) はアメリカの詩人。カンザス州出身。1950年代前半にサンフランシスコに移る。ビート・ジェネレーションの中心人物の1人。ジャック・ケルアックの Big Sur の登場人物 Pat McLear として描かれている。
 The Wildflowerは1965年にオークランドで結成された五人組。サンフランシスコ・シーンの一角を成すユニークな存在ではあったがブレイクしなかったため、ほとんど知られていない。Wikipedia にも記事は無い。記事があるのは同名異バンドのみ。今世紀初めまではメンバーを替えながら存続していた。

2. 1974 Memorial Coliseum, Portland, OR
 日曜日。前売5.50ドル。開演7時。
 《Pacific Northwest '73–'74: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。
 第二部後半、〈Truckin'> Jam> Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad〉のメドレーはデッド史上最高の集団即興の一つ。とりわけ、〈Truckin'〉後半から〈Not Fade Away〉にかけて。デッドを聴く醍醐味、ここにあり。

3. 1977 Fox Theatre, Atlanta, GA
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
 全体が《Dick's Picks, Vol. 29》でリリースされた。
 第二部後半の〈Playing In The Band> Uncle John's Band> The Wheel> China Doll> Playing In The Band〉というシークエンスについて Tom Van Sant が DeadBase XI で面白い説を展開している。まったく同じ順番で演奏されることはなかったが、この4曲はこれ以後様々な形でつなげられて演奏されている。ここには夜明けにバンドで演奏を始め、成長を祝い、成熟し、衰弱して死ぬという生命のサイクルが歌われてもいる、と言う。
 そういうサイクルは必ずしも聞き取れないが、〈Playing In The Band〉のジャムからガルシアが〈Uncle John's Band〉を仕舞うコードを叩きはじめ、いきなり最後のコーラスから始めるのはかっこいい。そこから冒頭に戻ってあらためて歌いだす。
 そしてここでの〈The Wheel〉は確かに音楽の神様が降りている。ほとんどトロピカルなまでにゆるい演奏と見事に決まっているコーラスが織りなすタペストリー。
 神様が降りているといえば、第一部半ば〈Looks Like Rain〉と〈Row Jimmy〉の組合せにも確かに降りている。前者ではウィアとドナのデュエットがこれ以上ないほど見事に決まり、それを受けるガルシアのギター、歌に応えるハートのドラミング、コーダの2人の歌いかわしとガルシアのギターのからみ合い。ベスト・ヴァージョン、と言いきりたい。後者のガルシアのスライド・ギターがすばらしすぎる。
 77年春の各ショウでは、こういうディテールと全体の流れの双方がなんともすばらしい。もう、すばらしいとしか言いようがない。最初の一音から最後の最後まで、無駄な音もダレた音も無く、個々の曲の演奏も冴えに冴え、組合せも時に意表をつき、1曲ずつ区切って聞いても、全体を流しても、この音楽を聴ける歓びがふつふつと湧いてくる。
 クローザーの〈Playing In The Band〉に戻ってのガルシアの、抑えに抑えたいぶし銀のギター・ソロに、ドラマーたちが感応して、あえて叩かないところ、ハートがドラムのヘリだけを叩く。やがて静かにドラムスが入り、ガルシアはシンプルながら不安を煽るような音を連ねる。一度盛りあがり、また静かになって戻りのフレーズが小さく始まる。そして爆発してもどっての最後のリフレイン。夜明けのバンド。バンドの夜明け。もうアンコールは要らない。
 次は1日置いてフロリダ州レイクランド。フロリダもまたデッド・カントリーだ。

4. 1992 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 火曜日。開演6時。このヴェニュー3日連続のランの初日。
 アンコールで〈Baba O’Riley〉と〈Tomorrow Never Knows〉がデビュー。
 前者はピート・タウンゼントの曲。1971年の《Who's Next》が初出。ヴィンス・ウェルニクが持ち込む。1994-11-29デンヴァーまで12回演奏。スタジオ盤収録無し。
 後者はレノン&マッカートニーの曲。1966年の《Revolver》収録。これも前者と同じ、1994-11-29デンヴァーまで12回演奏。スタジオ盤収録無し。初演と終演が同じで回数も同じというのは偶然の一致にしてはできすぎでもあるような気がする。
 このアンコールも含め、全体として良いショウの由。

5. 1995 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 金曜日。30ドル。開演2時。夏のツアーのスタート。このヴェニュー3日連続のランの初日。デイヴ・マシューズ・バンド前座。
 この3日間は最後のすばらしいランと言われる。(ゆ)

05月07日・土
 Locus 今月号のエイドリアン・チャイコフスキーのインタヴュー、本人のデビュー事情や執筆のやり方も面白いが、終り近く、サイエンス・フィクションやファンタジィの役割というか、それにできることについての話が示唆に富む。
 
 かれの夫人は心理学者だそうで、その夫人から聞いたこととして、認知科学の一環である今の心理学の知見の一つとして、人間は新しい考えに出会った時、それにどう反応するかをミリ秒単位で決定し、しかもその決定を変更することは途方もなく難しい、ということがある。我々はこういう決定、判断を「思い込み」と呼んで、論理的な説得によって変更しようと努力することがあるが、それはほぼ不可能なのだ。相手がその時はうなずいたとしても、こちらが背を向けた途端に元にもどる。むしろ説得しようとすればするほど、相手は自分の判断、決定に固執する。
 
 サイエンス・フィクション、ファンタジィには、この決定、判断の瞬間をやりなおすチャンスを与えることができる。すでに判断を固めているあるアイデア、考え方をまったく別の角度から取り上げて、提示できる。対象のアイデアのプラスとマイナス、そのアイデアを採用した場合にもたらされる可能性のあることを、すでに下した判断、決定は脇において、それとは別に検討できるチャンスを提供する。しかも、何度も、そのたびに角度や条件を変えて検討できる。それによって、すでに下した判断、決定を再検討する契機を作ることができる。あるいは、対象たるアイデアに相手がまだ出会っていなければ、その決定、判断の時間を多少とも広げることもできるだろう。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月07日には1966年から1989年まで12本のショウをしている。公式リリースは5本。うち完全版2本。

 1946年のこの日、William Kreutzmann, Jr. がカリフォルニア州パロ・アルトに生まれた。姓からするとドイツ系だが、母方の姓 Shaughnessy はアイルランド系ではある。
 
 おそらくジャンルを問わず、最も過小評価されているドラマーの一人だろう。デッドのメンバーの中でも最も目立たない存在かもしれない。しかし、何と言っても、まだバンドの名前も無かった最初のリハーサルから、最後まで通してドラムスを叩いていたのはクロイツマンだったし、ミッキー・ハートの不在中もその欠落をまったく感じさせなかった。とりわけ1972年ヨーロッパ・ツアーでのかれの演奏は、レシュの言うとおり、鬼神に憑かれたといってもおかしくはない。
 
 もっともメンバーの中では最も常識のある人間で、その分、箍の外れたところの大きいキャラクターの他のメンバーたちに比べると地味になるのだろう。ガルシア、ウィア、レシュのように、積極的に前へ出る姿勢がみえないのも、楽器の特性もあるかもしれないが、本人の性格もあろう。ハートと並ぶと、やはり半歩引っ込んで見える。
 
 しかし、いざとなると脇目もふらず、一直線に目標に向かうところもある。60年代、マネージャーたちが必ずしもビジネスに強いわけではなかった時期に、プロモーターと渡り合って、ギャラを確保することもしている。
 
 メンバーの中で、ガルシアと最も親しく、プライヴェートでも行動を共にすることが多かった。後年、休暇ではハワイで共にスキューバ・ダイビングに興じることが増え、バンド解散後はハワイに移住している。


01. 1966 Harmon Gym, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。1.99ドル。"Peace Rock 3" と題されたイベント。共演 The Great Society、シャーラタンズ、ビリー・モーゼズ・ブルーズ・バンド。
 〈In The Midnight Hour〉の初演とされる。この日演奏された曲としてはこれのみ確実。ウィルソン・ピケットの1965年の曲。1994-10-17まで計38回演奏。1971年04月に一度レパートリィから落ち、1982年の大晦日に復活するが、1985年、86年を中心に、ごく時偶演奏された。スタジオ盤、アナログ時代のライヴ盤収録なし。

02. 1968 Electric Circus, New York, NY
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。ニューヨークで最初の有料の公演。セット・リスト不明。広告が残っている。

03. 1969 Polo Field, Golden Gate Park, San Francisco, CA
 水曜日。おそらくは無料コンサート。1時間半強のショウ。

04. 1970 DuPont Gym, MIT, Cambridge, MA
 木曜日。前売3ドル、当日3.50ドル。開演8時。三部制で第一部はアコースティック・セット、第二部はジェリィ・ガルシア入りニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、第三部エレクトリック・セット。第二部に3曲でボブ・ウィアがヴォーカルで参加。
 〈The Frozen Logger〉が初演。James Stevens & Ivar Haglund にクレジットされているが、元来は伝統歌ではないかと思われる。1985-09-07まで計8回演奏。1970年中に5回、71年、72年に1回ずつ。スタジオ盤収録無し。アナログ時代も含め、録音の公式リリースはされていない。
 非常に良いショウの由。

05. 1972 Bickershaw Festival, Wigan, England
 日曜日。ヨーロッパ・ツアー13本目。2.25ポンドと2.70ポンド。3日間のフェスティヴァルの最終日。ポスターにはジェリィ・ガルシアの顔がフィーチュアされている。このフェスティヴァルはこの時、1回だけ開催された。場所はイングランド北部の炭鉱町の郊外で、葦の生えた沼地や湖があるが、湖の水は汚染されて遊泳禁止だった。天候も最悪で、3日間、断続的に雨が降り、風が吹いて寒かった。
 ヘッドライナーはデッドで、以下、キャプテン・ビーフハート、ドノヴァン、キンクス、ファミリー、カントリー・ジョー、インクレディブル・ストリング・バンド、ドクター・ジョンなどなど。他に、曲芸、軽業などのパフォーマンスも行われた。
 3日目の午後、デッドがステージに上がると初めて雲が切れ、陽が射した。高飛び込みに使われた水槽の水がステージ前にぶちまけられ、まったくの沼地のようになった観客スペースに Declan Patrick Aloysius MacManus という名の、当時18歳の青年がおり、デッドの演奏を見てミュージシャンになることを決意した。5年後、Elvis Costello の名でデビューする。
 《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。同時に出た《Europe '72, Vol.2》に第二部5〜7曲目〈Dark Star> Drums> The Other One〉が収録された。CD で3時間58分51秒はフランクフルトを凌ぎ、ツアー中最長。なにしろこのショウでは上記のように〈Dark Star〉と〈The Other One〉を両方とも、しかも続けてやっている。どちらのジャムも各々にすばらしい。ここまでのベストの出来。デッドのジャムは特定の感情に支配されない。常に流れていて、留まることがない。何かの雰囲気を生みだしもしない。ビートやメロディのない、抽象的なジャムは、ある不定形の時空の中を漂ってゆく気分。第二部でガルシアのギターが走りだし、この二つのジャムだけでなく、〈Turn On Your Lovelight> Goin' Down The Road Feeling Bad〉でも縦横無尽に駆けめぐる。
 興味深いのは客席から〈St. Stehpen〉のリクエストがかかるのに対してウィアが演奏のやり方を忘れたから、もうできない、と答えて、〈Sugar Magnolia〉をやるところ。バンドは先へ進んでいるのに、ファンはいつまでも古いものを求める、というのはポピュラー音楽の法則だろうか。ジャズでもそういうところがないか。磯山雅に言わせれば、昔の巨匠をなつかしむのは感性の老化だ。自分がそのアーティストのファンになったときにきっかけとなった曲、その時にアーティストがやっていた曲をいつまでも求めるのも、感性の老化の一種であろう。他のミュージシャンならともかく、グレイトフル・デッドのファンともあろうものが、いつまでも古い曲を求めるのでは、デッドのファンでいる価値がない、とも思える。
 一方で、当時はグレイトフル・デッドもまたポピュラー音楽のバンドの一つとみなされていた。ファンの方も、デッドヘッドであることの意味を突きつめていたわけではない。また、アメリカのデッドヘッドとイングランドやヨーロッパのデッドヘッドでは、その存在の在り方も異なっていただろう。

06. 1977 Boston Garden, Boston, MA
 土曜日。8.50ドル。開演7時。
 《May 1977: Get Shown The Light》で全体がリリースされた。
 幸福な年の幸福なツアーの幸福な音楽が詰まったショウ。とりわけ幸せなのは第一部では〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉後半のジャム=集団即興とクローザー〈The Music Never Stopped〉、第二部では〈Friend Of The Devil〉と〈The Wheel> Wharf Rat〉。

07. 1978 Field House, Rensselaer Polytechnic Institute, Troy, NY
 日曜日。6.50ドル。開演8時。
 第一部クローザー〈The Music Never Stopped〉が2015年の、その前の2曲〈Passenger; Brown-Eyed Women〉が2016年の、アンコールの〈U.S. Blues〉が2019年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。

08. 1979 Allan Kirby Field House, Lafayette College, Easton, PA
 月曜日。10.50ドル。開演8時。第二部 Space の後、〈Not Fade Away> Black Peter> Around and Around〉にジョン・チポリーナが参加。
 第一部クローザー〈Passenger〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 良いショウの由。

09. 1980 Barton Hall, Cornell University, Ithaca, NY
 水曜日。2度目のバートン・ホール。開演8時。オープナー〈Jack Straw〉を含む第一部前半の3曲と第二部全部の10曲が《Road Trips, Vol.3 No.4》でリリースされた。

10. 1981 NBC Studios, New York City, NY
 木曜日。これは厳密にはショウではなく、"The Tomorrow Show with Tom Snyder" に出演し、4曲演奏した。YouTube で見られる。

11. 1984 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts, Eugene, OR
 月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。18ドル。開演8時。

12. 1989 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演2時。良い会場の良いショウの由。(ゆ)

 Anthony Ryan The Seven Swords の第4巻 To Blackfyre Keep が発表。Subterranean Press のサイトで確認すると送料がこれまでより選択肢が増えて、比較的安い DHL ができている。これならばまだしも我慢できる。ので、注文。刊行は9月予定。あと2冊。完結するまで世界があるか。


 The Fortress Of The Pearl があまりに面白かったので、間髪入れずに The Sailor At The Seas Of Fate に突入。seas と複数形。sailor は単数。これは盲目の船長のことか。Gollancz Michael Moorcock Collection 版では作品内の時系列に沿っているので、Fortress が2番目、次が Sailor になる。

 それにしてもこれはヒロイック・ファンタジイ、Sword and Sorcery だろうか。表向きはそうに違いない。しかして実態は形而上ファンタスティカだ。これに比べれば、アメリカのファンタジィがいかにキャラクター中心か、よくわかる。

 エルリックはキャラクターではない。少なくともアメリカでいうキャラクターではない。エレコーゼもホークムーンもコルムも、船長も違う。キャラクターの原型、と言うべきか。むしろ、歌舞伎の役に近い。かれらのふるまいはある種の型にそっている。容貌は隈取りに似ている。衣裳も常に同じ。たとえば、エルリックのキモリルに対する感情にはリアリティがまるで無い。故意に剥ぎとっている。ファファードやグレイマウザーの恋人に対する感情とはまるで次元が異なる。一方で形だけの、表面的なものでもない。エルリックが心底キモリルに惚れていることは明らかだ。

 ムアコックがエルリックものを書く前に歌舞伎に親しんだとも思えないから、物語を語る手法に通じるところがあるのだろう。複雑な話を抽象化記号化することで単純なものに見せる。キャラクター中心にすると、複雑な事情、筋をいちいち全部書かなければならない。アメリカのファンタジィが長大になるのも無理はないのだ。

 ただし、抽象化記号化する場合にはそのルール、この抽象やあの記号はそれぞれこういう事情、ああいう条件を表すという約束ごとを書き手と読み手が共有する必要がある。その共有された体験が伝統をかたちづくる。歌舞伎がその伝統に依拠しているように、ムアコックも英語文学、台湾版エルリックへの序文で触れている北欧やケルトの神話、Sexton Blake ものや、ダンセイニ、ホワイト、ピークからコンラッド、ウルフ、ボゥエン、さらにはプルースト、カミュ、サルトルにいたる文学伝統に依拠している。その伝統にはE・R・バロゥズやハワード、ライバーも含まれる。だからこそ、今度はエルリックが伝統の一部として共有される。

 しかしアメリカでは体験の共有が期待できない。バロゥズやハワードが依拠した伝統を読み手が共有していると期待できない。ライバーはバロゥズやハワードを現代化することで、新たな、キャラクター中心のモダン・ファンタジィを生み出した。

 ただし、ライバーはまだ文学伝統に依拠する部分が残っている。あるいは伝統の何たるかを知り、その使い方を心得ている。伝統から脱皮し、すべてを事細かに語るスタイルになるのがどこか。具体的に、誰の、どの作品かはちょっと面白い問題だが、まだ答えは見えない。候補としてはタッド・ウィリアムス、あるいはスティーヴン・キングあたりだろうか。

 いやしかしそれよりは当面、エルリックが面白すぎる。こんな話だったとは。もっと早くに読むべきだった。1980年代前半にはMayflower 版でムアコックはほとんど揃えていたのだから。が、すべてのものにはその時がある。あたしにとっては今がこれを読む頃合いなのだ。とはいえ、123歳でリアルタイムで読んでいたニール・ゲイマンはうらやましい。



##本日のグレイトフル・デッド

 0404日には1969年から1995年まで10本のショウをしている。公式リリースは1本。


01. 1969 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー3日連続の初日。共演フライング・バリトー・ブラザーズ。色違い、柄違いのポスターが残っている。


02. 1971 Manhattan Center, New York, NY

 日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。5ドル。開演8時。


03. 1985 Providence Civic Center, Providence, RI

 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。11.50ドルと12.50ドル。全席指定。開演7時半。

 第一部5曲目で〈She Belongs To Me〉がデビュー。ディランのカヴァーで、この年の11-21まで計9回演奏。原曲は《Bringing It All Back Home》収録。

 第一部クローザー〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance> Deal〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


04. 1986 Hartford Civic Center, Hartford, CT

 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。13.50ドル。開演7時半。


05. 1987 The Centrum, Worcester, MA

 土曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。開演7時半。


06. 1988 Hartford Civic Center, Hartford, CT

 月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。

 開幕2曲目が〈Johnny B. Goode〉という位置は異常で、こういう異常な選曲をする時は調子が良い。もっとも原因の一つはガルシアが喉をつぶしていたことがある由。第二部オープナー〈Touch Of Grey〉を始める前にウィアが "And now from our hit album, a Touch Of Gray." とのたまわった。


07. 1991 The Omni, Atlanta, GA

 木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。


08. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 日曜日。このヴェニュー5本連続の4本目。26.00ドル。開演7時半。

 Drums> Space Boba Olatunji が参加。


09. 1994 Orlando Arena, Orlando, FL

 月曜日。本来2日連続だったが、前日のショウはキャンセルされた。「家族の病気のため」と、DeadBase XI にはある。25ドル。開演7時半。


10. 1995 Birmingham-Jefferson Civic Center Coliseum, Birmingham, AL

 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。26.50ドル。開演7時半。(ゆ)


0401日・金

 散歩に出ると風が冷たい。大山・丹沢の上の方は白くなっていた。

 Locus 3月号。SFWA が名称を変えるというニュース。略号はそのままだが、名称は Science Fiction and Fantasy Writers Association になる。つまり、"of America" ではなくなる。2,100名超の会員の4分の1がアメリカ国外に住んだり、仕事をしたりしている由。近年ではカナダ、オーストラリアも増えているはずだ。Tor.com に記事が出たインド亜大陸もある。インドだけで、英語のネイティヴは1億を超える。UKよりも多いのだ。

 この名称変更はグローバル組織への道だろう。地球上どこに住んでいようと英語で作品を発表していれば会員になれる。あるいは英語で作品が読めればいい、ということになるか。当然ネビュラ賞の対象も変わるはずだ。現在はアメリカ国内で発表されたものに限られている。ヒューゴーはもともとそういう国籍条項が無い。対象は全世界で、その点ではこれまでネビュラよりも国際的だった。

 アマゾンで Nghi Vo の新作 Siren Queen のハードカヴァーを予約注文。05-10刊。フィッツジェラルドの『偉大なギャッピー』を換骨奪胎してベトナム・ファンタジーに仕立てた The Chosen And The Beautiful は滅法面白かった。ヒューゴーをとった The Empress Of Salt And Fortune も良かった。そういえば、C. S. E. Cooney Saint Death's Daughter が今月だ。版元のサイトによれば12日発売。これは楽しみなのだ。

Siren Queen
Vo, Nghi
Tor.Com
2022-05-10

 

Saint Death's Daughter (1) (Saint Death Series)
Cooney, C. S. E.
Solaris
2022-04-12

 Bandcamp Friday につき、買物カゴを空にして散財。先月買いそこねたので、2ヶ月分。

 Martin Hayes & The Common Ground Ensemble のシングル〈The Magherabaun Reel〉を Apple Music で聴く。ヘイズのオリジナルだろう。タイトルはかれの生家のある Maghera Mountain にちなむはずだ。ちょっと聴くかぎりは The Gloaming の延長に聞える。JOL のこのアンサンブルのコンサート評ではもっと多彩なもののようだ。フル・アルバムないしライヴが待ち遠しい。

Rachel Hair & Ruth Keggin - Vuddee Veg | Sound of the Glen

 スコットランドのハーパーとマン島のシンガーのデュオ。クラウドファンディングで作っているフル・アルバムが楽しみだ。
 

The Same Land - Salt House - Live in Edinburgh

 スコットランドのトリオ。スコットランドのバンドでは今1番好き。



##本日のグレイトフル・デッド

 0401日には1965年から1995年まで、12本のショウをしている。公式リリースは6本、うち完全版2本。


01. 1965 Menlo College, Menlo Park, CA

 木曜日。ビル・クロイツマンは回想録 Deal でこれをバンドとして最初のショウとしている。029pp. まだ The Warlocks の名もなかった由。DeadBase XI では1965-04-?? として載せている。むろんセット・リストなどは不明。

 メンロ・パークはサンフランシスコの南、スタンフォード大学のあるパロ・アルトのすぐ北の街。ガルシアの育ったところ。グレイトフル・デッド発祥の地。


02. 1967 Rock Garden, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー5本連続の最終日。共演チャールズ・ロイド・カルテット、ザ・ヴァージニアンズ。このショウは無かった可能性もある。


03. 1980 Capitol Theatre, Passaic, NJ

 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。10.00ドル。第一部6曲目〈Friend of the Devil〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


1981のこの日《Reckoning》がリリースされた。

 前年9月から11月にかけてサンフランシスコの The Warfiled Theatre とニューヨークの Radio City Music Hall で行われたレジデンス公演では、第一部をアコースティック・セット、第二部をエレクトリック・セットという構成がとられた。そのアコースティック・セットで演奏された曲からの抜粋16曲を2枚のLPに収めたものである。一部は短縮版。

 元々は CSN&Y の《4 Way Street》のように、アコースティック・セットで1枚、エレクトリック・セットで1枚の2枚組の形で企画された。が、あまりに良い演奏が多く、捨てるのはどうしても忍びないということで、結局アコースティック、エレクトリックそれぞれにLP2枚組ということになった。

 2004年に CD2枚組の拡大版がリリースされ、これにはラジオ・シティでの公演からの録音を中心に16曲が追加された。録音はベティ・カンター=ジャクソン。ライヴでのサウンド・エンジニアはダン・ヒーリィ。

 全篇アコースティック編成でのアルバムとしては、スタジオ、ライヴ問わず唯一のもの。

 これを聴くと、もっとこういう編成でのライヴをして、録音も出して欲しかったと、あたしなどは思う。アナログ時代のアルバムとしては最も好きだ。アコースティックのアンサンブルとしても、グレイトフル・デッドは出色の存在であり、そのお手本となったペンタングルに比べられる、数少ないバンドの一つだ。カントリーやブルーグラス、オールドタイム、あるいはケルト系ではない、アコースティックでしっかりロックンロールできるバンドは稀だろう。後にガルシアがデュオですばらしいアルバムを作るデヴィッド・グリスマンやデヴィッド・リンドレー、あるいはピーター・ローワンのバンドぐらいではなかろうか。そう、それとディラン。ディランの《John Wesley Harding》に匹敵あるいはあれをも凌駕できるようなアルバムを、その気になればデッドには作れたのではないか。

 それは妄想としても、このレジデンス公演の全貌はきちんとした形で出してほしい。50周年記念盤で出すならば、2030年まで待たねばならない。それまで生きているか、世界があるのか、保証はないのだ。


04. 1984 Marin Veterans Memorial Auditorium, San Rafael, CA

 日曜日。このヴェニュー4本連続のランの最終日。開演8時。第二部オープナーの〈Help On The Way > Slipknot! > Franklin's Tower〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


05. 1985 Cumberland County Civic Center, Portland, ME

 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。11.50ドル。


06. 1986 Providence Civic Center, Providence, RI

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。13.50ドル。第二部オープナーからの3曲〈Shakedown Street; Estimated Prophet; Eyes Of The World〉が2020年の、第一部4・5曲目〈Cassidy; Tennessee Jed〉が2021年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。


07. 1988 Brendan Byrne Arena, East Rutherford, NJ

 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。18.50ドル。開演8時。第一部4曲目〈Ballad Of A Thin Man〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた後、全体が《Road Trips, Vol. 4 No.2》でリリースされた。


08. 1990 The Omni, Atlanta, GA

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。春のツアー最後のラン。18.50ドル。開演7時半。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と Space 後の〈Dear Mr Fantasy〉が《Without A Net》でリリースされた後、《Spring 1990 (The Other One)》で全体がリリースされた。

 「マルサリス効果」は続いている。このツアーではガルシア、ウィア、ミドランドの3人のシンガーの出来がすばらしいが、この日はとりわけガルシアの歌唱が充実している。たとえば〈Candyman〉、たとえば〈Althea〉、たとえば〈To Lay Me Down〉、あるいは〈Ship Of Fools〉、そして極めつけ〈Stella Blue〉。いずれもベスト・ヴァージョン。というよりも、この日演奏されたどの曲もベスト・ヴァージョンと言っていいのだが、ガルシアの持ち歌でいえばこの5曲は、シンガー、ジェリィ・ガルシアの偉大さを思い知らされる。

 ウィアの歌唱もますます良い。ちょっと演技過剰なところも無くはないが、この人の場合、過剰に見えても、本人は特に過剰にやろうとしてはいない。自然にそうなるところがある。とにかく、根っからのいたずら好き、というよりも、いたずらをせずにはいられない。おそらく本人はいたずらをしようと意図してやっているわけではなく、無理なくふるまうとそれがいたずらになるというけしき。歌での演技でも同じで、故意に演技しているわけではなく、歌うとそうなるのだろう。その演技に、ガルシアとミドランドが素知らぬ顔でまじめにコーラスをつけるから、ますます演技が目立つ。その対照が面白い。

 ウィアの持ち歌では〈Victim Or The Crime〉がハイライトで、これは文句なくベスト・ヴァージョン。歌唱も演奏もすばらしい。ハートだろうか、不気味なゴングを鳴らし、全体に緊張感が漲り、その上で後半がフリーなジャムになる。これを名曲とは言い難いが、傑作だとあらためて思う。

 そして第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉では、スリップ・ジグのような、頭を引っぱるビートが出て、全員が乗ってゆく。

 このツアーでのミドランドの活躍を見ると、かれの急死は本当に惜しかった。ピアノとハモンドを主に曲によって、あるいは場面によって切替え、聴き応えのあるソロもとれば、味のあるサポートにも回れる。そしてシンガーとしては、デッド史上随一。〈Dear Mr. Fantasy> Hey Jude〉はかれがいなければ成立しない。ここではガルシアが後者のメロディを弾きだすのに、いきなりコーラスで入り、レシュとガルシアが加わって盛り上がる。するとミドランドはまた前者を歌いだす。〈Truckin'〉でのクールなコーラス。〈Man Smart (Woman Smarter)〉の、3人のシンガーが入り乱れての歌いかわし。

 Drums はゆっくり叩く大きな楽器と細かく叩く小さな楽器、生楽器と MIDI の対比が、シンプルでパワフル。Space のガルシアがトランペットの音でやるフリーなソロ。

 ここでは意図的に個別にとりあげてみたが、こうした音楽が一つの流れを作って、聴く者はその流れに乗せられてゆく。そして落ちつくところは〈It's All Over Now, Baby Blue〉。これで、すべて終りだよ。ガルシアの歌もギターも輝いて、最高の締め。


09. 1991 Greensboro Coliseum, Greensboro, NC

 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。21.50ドル。開演7時半。


10. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 木曜日。このヴェニュー5本連続の2本目。開演7時半。第二部オープナー〈Iko Iko〉で Barney the Purple Dinosaur がベースで参加。


11. 1994 The Omni, Atlanta, GA

 金曜日。25.50ドル。開演7時半。


12. 1995 The Pyramid, Memphis, TN

 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。26.50ドル。開演7時半。サウンドチェックの〈Casey Jones〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。本番ではこの曲はやっていない。(ゆ)


03月09日・火

 昼前、郵便配達が海外からの小包を持ってくる。ハンコが要る。サイズから見てあれかなと思ったら、やはり The Best Of Lucius Shepard, Volume Two, Limited Edition だった。Volume One の時は限定版の付録に収録の作品はすべて初出を持っていたので通常版にしたのだが、今回は付録の Youthful Folly and Other Lost Stories 所収の諸篇は同人誌などや特殊な媒体が初出のものがあって、持っていないのが大半なので限定版を注文。送料がまた本体の半分くらい。本にしては高いが、シェパードとなればやむをえない。この限定版は、製本か印刷かミスがあったとのことで、本体だけの通常版からかなり遅れた。付録の巻の方だろうか。


 しかし、今はとにかく、デッドを聴くのに時間をとられて、本がまるで読めん。



##本日のグレイトフル・デッド

 0309日には1968年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1968 Melodyland Theatre, Anaheim, CA

 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。ロサンゼルスの LA Free Press に広告によると、6時半と9時半の2回コンサートがあった。これもデッドはジェファーソン・エアプレインの前座。


2. 1981 Madison Square Garden, New York , NY

 月曜日。12.50ドル。開演7時半。このヴェニュー2日連続の初日。すばらしいショウの由。


3. 1985 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA

 土曜日。このヴェニュー4本連続の初日。開演7時半。第二部〈Drums> Space> The Other One〉に Merl Saunders が参加。


4. 1992 Capital Centre, Landover , MD

 月曜日。開演7時半。ここはベストのショウがいくつも生まれるヴェニューだが、会場としての評判ははなはだ良くない。とりわけ、警備の体制が「ナチ」だったそうだ。


5. 1993 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL

 火曜日。25ドル。開演7時半。春のツアーのスタート。このヴェニュー3日連続の初日。まずまずのショウの由。

 ローズモントはシカゴ・オヘア空港のすぐ東にある街。会場は198005月オープンの多目的アリーナで、定員はコンサートで18,500。命名権の移転によって現在の名前は変わっている。1984年にロナルド・レーガンとジョージ・H・W・ブッシュ(パパ・ブッシュ)がここで大統領選の集会をしている。

 デッドはここで19811206日に初めて演奏し、19940318日まで計13回のショウをしている。初回のショウの1曲〈Jack-A-Roe〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。(ゆ)


0302日・水

 Brandon Sanderson から思わせぶりなニュースレター。リンク先の YouTube のビデオで、来年1年「サンダースンの1年」企画の発表。来年、世界があることへの祈りの一環で参加すべえ。急な出費ではある。価格としては安くはない。送料が例によってほぼ同額で、ハードカヴァーだけだと300USD

 サンダースンの YouTube チャンネルの登録者数が30万。これだけの基礎読者がいるのは凄い。ストレス処理が小説を書くこと、というのも当然といえば当然だが、2年で5冊書いてしまった、というのはそう多くはないだろう。アメリカの作家にしては量産でもある。2019年には本のプロモーションなどで旅行している時間が1年の3分の1。2020年にはそれがほぼゼロになり、時間ができた。

 結局ハードカヴァー4冊でプレッジ。開始24時間で45,000人弱1,200万ドルを超えている。平均270ドル。ということは電子版が多い。コメントを見ると、ヨーロッパはじめ、国外からの送料に対する不満が噴出している。


 Kickstarter でのこの企画は、4冊のタイトルも中身も隠したままなのに、わずか4日で200万ドルを集めて、Kickstarter 史上第一位となった。Washington Post の Book Club までがとりあげる騒ぎになっている。それはそうだ。つまり、ニューヨークの出版社も、エージェントも要らない、ということになる。WPBC の Ron Charles のインタヴューに答えて、サンダースンは、これを試みた理由の一つはアマゾンの独占に対する対策だとしている。数年前、価格の面でトラブルとなった Mcmillan のタイトルを Amazon が1週間、販売を止めたことがあった。今後、そうしたことが無いとも限らない。ジョフ・ベゾズがある日突然、サンダースンを嫌いになるかもしれない。その時に備えてのことだ、というわけだ。もちろん、誰もがこれをできるわけではない。サンダースンは30人のスタッフを抱えている。本だけではなく、そこから様々な商品、かれが swag と呼ぶマーチャンダイジングをして、これまでにも成功している。自分の書いているファンタジー世界のシンボルをかたどったメダル、プレイング・カード、カレンダーなど、かなりの数にのぼる。今回も4冊の小説とともに、8セットの swag ボックスを用意して、12ヶ月毎月リリースする。こうした商品化も、出版業界は怠けている、ともサンダースンは指摘する。もちろん、基本には、かれの書く小説が面白い、ということはある。ロバート・ジョーダンの衣鉢を継いで、現時点では英語圏最大の SFF作家になっている。売行だけではなく、質と作品の多様性の点でも、今後、世界が存続すれば、21世紀前半最大の作家の一人に数えられるだろう。



##本日のグレイトフル・デッド

 0302日には1969年から1992年まで4本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。


1. 1969 The Fillmore West, San Francisco, CA

 日曜日。このヴェニュー4日連続のランの最終日。第二部3曲目〈Death Don't Have No Mercy〉、クローザーに向けての2曲〈Feedback〉と〈And We Bid You Goodnight〉が《Live/Dead》でリリースされた。《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。また第二部2曲目の〈That's It for the Other One〉と、4曲目〈Alligator〉からクローザー〈And We Bid You Goodnight〉までが、抜粋盤《Fillmore West 1969 (3CD)》に収録された。


2. 1981 Cleveland Music Hall, Cleveland, OH

 月曜日。このヴェニュー2日連続のランの初日。この頃になると〈Playing In The Band 〉は成長して他の曲や Drums> Space をはさむようになる。


3. 1987 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。17.50ドル。開演8時。クローザー〈Morning Dew〉は、ガルシアが昏睡から回復して初めての演奏。


4. 1992 The Omni, Atlanta, GA

 月曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。Drums の終りの方で、ハートが梁?の上でとびはねだし、ウィアが携帯用の削岩機ないしドリルを打楽器に使った。(ゆ)


0301日・火

 Locus 3月号。ニュース欄に一通り目を通す。Media の欄に、Weis & Hickman による新ドラゴンランス三部作の一作目 Drangonlance: Dragons of Deceit Del Rey に売れた、とある。この件にからんで、ワイス&ヒックマンがこの企画を潰そうとした Wizards of the Coast を訴えたというニュースが一昨年暮れにやはり Locus に載っていた。続報は無かったが、こうしてアメリカの版元に売れたのなら、何らかの決着がついて、企画がゴーになったのだろう。さて、いつ本になるか。それを読めるまで世界があるか。



##本日のグレイトフル・デッド

 0301日には1968年から1992年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。


1. 1968 The Looking Glass, Walnut Creek, CA

 金曜日。ギグがあった、というだけでセット・リスト不明。Walnut Creek はバークレーの真東15キロほどにある町。


2. 1969 The Fillmore West, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー4日連続の3日目。《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。第二部オープナーの〈Dupree's Diamond Blues; Mountains Of The Moon〉が抜粋盤《Fillmore West 1969 (3CD)》に収録された。

 この第二部冒頭の2曲はアコースティック・セット。

 この時のバンドはトム・コンスタンティンが入って7人。歴代最多。そこでビル・グレアムの紹介はバンドを「七人の侍」に喩えている。

 第一部は〈That's It for the Other One〉から〈Cosmic Charlie〉まで4曲45分ノンストップ。第二部は80分近く。前日後半よりも形のある曲をそろえている。〈That's It for the Other One〉のジャムは原始デッドの最良のものの一つ。

 前日よりも整った演奏。〈Dark Star〉も終始フォームを保つ。今にも崩れそうになるぎりぎりを渡るようなスリルは少ないが、原始デッドの完成された姿が最も明瞭に現れている。

 クローザーの〈Turn On Your Lovelight〉までピグペンは影も見えないが、これと、何よりもアンコールの〈Hey Jude〉でリベンジしている。これはピグペンによる2度目の歌唱で、ピグペンはより自分に引きつけてうたっているし、後半リフレインでのガルシアのギターもすばらしく、これがレパートリィに入らなかったのは惜しいと思える。

 この4日間、やっている曲はほとんど同じ。やっていることもほぼ変わらない。曲順もそれほど大きくは変わらない。のに、どれも違う印象なのだ。4日間に4本聴いても飽きることがない。どこがどう違うか、明瞭に指摘できない。

 別の見方をしてみれば、《Live/Dead》はいわば架空の1本のショウを聴くように構成されている。同じく、この4日間の演奏を組合せて、《Live/Dead》の異ヴァージョンを組むことができよう。それもいくつも組める。そして、その各々が違った印象を与えるだろう。

 一方で、《Live/Dead》に現れたショウはあくまでも架空であって、この4本の完全版と比べてみると、どこか作為が感じられる。この4本にはそれぞれに有機的なつながりがあり、それぞれが自然発生的な「作品」になっている。《Live/Dead》はそれぞれの曲のベスト・ヴァージョンを並べたものでもない。

 もっともそこでもう1度見方を変えれば、当時、実際に生を見聞したければデッドのショウに行けばいいわけである。まだ後世ほどではないにしても、聴衆による録音とそのテープの交換も始まっている。《Live/Dead》をアルバム、商品として出す以上、ショウとそっくり同じものを出すのは意味がない。デッドのショウの象徴になるような架空の、ヴァーチャルなショウ、この時点でのデッドのショウのエッセンスを一通りくまなく体験できるものこそを出すべきではある。


3. 1970 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA

 日曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。2時間半の一本勝負。アンコールの1曲目〈Uncle John's Band〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 この UJB は異様に遅い。こんな遅いテンポのヴァージョンは他には聴いたことがない。歌詞をひと言ずつ試すように歌う。サウンドもアコースティックに近づけ、ドラムスではなく、シェイカーだろうか。ギターはエレクトリックだが歌の間は終始アコースティックな音。その後のリフでいきなりエレクトリックなサウンドになり、ベースも大きく、ドラムスも入る。ガルシアがリフの変奏を展開してソロにする。前半の歌の部分では、崩れないぎりぎりの遅さに聞えるが、後半のエレクトリックの部分ではこれくらいゆっくりするのもなかなか良い。おそらくは、この頃はまだいろいろなテンポを実際に演奏して試し、適切なものを探っていたのだろう。


4. 1987 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 日曜日。17.5ドル。開演8時。マルディグラ祝賀3日連続のランの初日。

 第二部後半の〈Black Peter〉が良かったそうだ。そう、この歌は時々、妙に良くなる。これもまたユーモアの一種だろうか。


5. 1992 The Omni, Atlanta, GA

 日曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続のランの初日。(ゆ)


 明けましておめでとうございます。

 今年が皆様にとって充実した年でありますように。

 早々に年賀状をいただいた皆様、ありがとうございます。

例によって年賀状は出しておりませんので、不悪。

 今年のテーマはグレイトフル・デッドとマーティン・ヘイズ、ヴィクトリア・ゴダードとムアコックの予定。さて、どこまで行けますか。


1231日・金

##本日のグレイトフル・デッド

 1231日には1966年から1991年まで22本のショウをしている。年間で最多。公式リリースは7本。うち完全版2本、準完全版1本。

 大晦日にたくさんショウをしているのは、デッドにとって最も重要なプロモーターだったビル・グレアムがデッドとの年越しショウをたいへんに好み、1976年から1991年まで毎年、サンフランシスコ周辺でショウを組んだため。グレアムは毎年趣向を凝らした「時の翁 Father Time」に扮してカウントダウンを主催した。仕掛けは年を追うごとに派手で大がかりなものになっていった。199110月にグレアムは事故死するが、年末のショウはすでにブッキングしてあったため、デッドはこれを最後に年越しショウをしている。

 グレアムは〈Sugar Magnolia〉が大好きで、年越しショウの新年最初の曲にこれを歌うようリクエストした。一方のウィアはこの歌をうたうと喉をつぶすので嫌がっていたという。


01. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 "New Year Bash" と題された2日連続のショウで、ジェファーソン・エアプレイン、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとデッドという、当時サンフランシスコを代表する3つのバンドによるコンサート。ビル・グレアムの最初の年越しショウ。この3つのバンドのメンバーにビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのメンバーも加わったジャムが行われたとも言われる。


02. 1968 Winterland Arena, San Francisco, CA

 7ドル。朝食付き。共演はクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、It's A Beautiful Day、サンタナ。


03. 1969 Boston Tea Party, Boston, MA

 前座として The Proposition というインプロヴィゼーション・バンドとリヴィングストン・テイラーの名が挙げられている。大晦日にサンフランシスコ周辺以外で演奏した唯一の例。


04. 1970 Winterland Arena, San Francisco, CA

 9ドル。開演8時。共演ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、ホット・ツナ、Stoneground。コンサートのビデオがサンフランシスコのテレビ局で放映され、また全部ではないかもしれないが FM で同時中継された。

 デッドは約2時間の一本勝負。オープナー〈Monkey And The Engineer〉とクローザーの1曲前〈Good Lovin'〉が《Download Series: Family Dog at the Great Highway》で、5・6曲目〈Cumberland Blues〉〈Dire Wolf〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 Stoneground はこの年、サンフランシスコ郊外のコンコードで結成されたバンドで、トリオから出発し、翌年のデビュー・アルバムでは4人の女性シンガーを含む10人編成になる。

28:21


05. 1971 Winterland Arena, San Francisco, CA

 ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。FM で放送された。

 第一部クローザー〈One More Saturday Night〉にドナ・ジーン・ガチョーが参加。初ステージ。


06. 1972 Winterland Arena, San Francisco, CA

 第一部5曲目〈Box of Rain〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 DeadBase XI Bernie Bildman によると、ステージの後ろの影になったところでデヴィッド・クロスビーが数曲に演奏で参加していた。

 アンコール直前、小さな女の子が舞台袖から出てきて、ガルシアに何かささやいた。ガルシアは身を屈めて聴きとると、前振なしに〈Uncle John's Band〉を始めた。女の子はメンバーの誰かの娘らしかったが、曲が進むとまた出てきて、続いている間ずっとくるくると踊っていた。と Bildman は書いている。

 この年は大晦日に向けての連続のランは無く、15日にロング・ビーチでワンオフのショウをした後がこの大晦日のショウ。


07. 1976 Cow Palace, San Francisco, CA

 開演7時。共演サンタナ、Sons of Champlin。全体が《Live At The Cow Palace》でリリースされた。

 ポスターによればこの年、ビル・グレアムはベイエリアの実に5ヶ所で同時に大晦日のライヴを開催している。カウ・パレスの他に、ウィンターランドではモントローズ、Earth QuakeYesterday & TodayOakland Coliseum ではレーナード・スキナード、ジャーニー、ストーングラウンド。Berkeley Community Theatre でチューブス、San Jose Center for Performing Arts でタワー・オヴ・パワー、グレアム・セントラル・ステイション。もちろん全米各地で同様のコンサートが行われていただろう。

 Sons of Champlin は後にシカゴに加入する Bill Champlin 1965年にベイエリアで立ち上げたバンド。

 ただし、DeadBase XI での Mike Dolgushkin によれば、実際に出たのは Sons of Champlin ではなく、Soundhole というバンドでベースが Mario Cipollina。兄弟のジョンも加わっていた。


08. 1977 Winterland Arena, San Francisco, CA

 12.50ドル。開演8時。真夜中に第二部オープナー〈Sugar Magnolia〉が始まった。ただし、同時開催されていたサンタナのコンサートでも「時の翁」を演じていたので、ビル・グレアムがこちらに来たのは零時を30分過ぎていたらしい。

 第一部5曲目〈Loser〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


09. 1978 Winterland Arena, San Francisco, CA

 ウィンターランドにおける最後のコンサート。これをもってビル・グレアムはウィンターランドを閉じた。地元公共放送テレビで放映された。全体が《The Closing Of Winterland》としてCDと DVD でリリースされた。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、ブルース・ブラザーズが前座。加えて、第二部3曲目〈I Need A Miracle〉にマシュー・ケリー、Drums にリー・オスカー、〈Not Fade Away> Around And Around〉にジョン・チポリーナが参加。また The Flying Karamazov Brothers というジャグリングのグループが演技をした。ショウは全体で8時間を超え、デッドだけでも三部構成、6時間近かった。3曲におよんだアンコールの最後は〈And We Bid You Goodnight〉だが、その時はすでに朝で、聴衆にはビュッフェ・スタイルの熱い朝食がふるまわれた。

 ここは1971年にビル・グレアムがコンサート用に改修し、フィルモア・ウェストに代わるヴェニューとして運営した。ザ・バンドの解散コンサート《The Last Waltz》の舞台として有名だし、ここで録音されたライヴ盤にはクリーム、ジミヘン、ジェファーソン・エアプレイン、ドアーズ、ブルース・スプリングスティーン、ロギンス&メッシーナなど多数あり、また名演が生まれてもいる。

 デッドは何といってもまず1974年のツアー休止前の5夜連続のショウをここで行い、そこから "The Grateful Dead Movie" が生まれ、さらに《The Grateful Dead Movie Soundtorack》がリリースされている。さらに1973年と1977年のボックス・セットなど、これまた名演が多数生まれている。フィルモア以上に「ホーム・グラウンド」となっていた。その閉鎖直前最後のコンサートをするアクトにはグレアムとしてはデッド以外考えられなかっただろう。おそらく閉めると決めた時点で、最後はデッドということも決めていたのではないか。

 この時、いわゆるサンフランシスコ・サウンドのアーティストで生き残っているのはデッドだけだった。デッドとビル・グレアムの関係はおそらく単にプロモーターとアクトというだけのことではない。その最初はアシッド・テストの一つで、デッドもグレアムもまだ山のものとも海のものともわからない時期だ。グレアムとデッドの各々の成長は各々の努力の賜物だが、互いにあるいは協力し、助けあい、あるいは切磋琢磨しながらのものでもあった。いわば「同じ釜のメシを喰った」間柄だ。グレアムはレックス財団の評議員も勤めているし、デッドの全社会議に出ることもあった。グレアムはデッド・ファミリーの一員になりたかったが、デッド側は一線を画したことはあったにせよ、グレアムがデッドのインナーサークルに半歩足を踏みいれていたことも確かだ。プロモーターとしての関係ではジョン・シェールとの方がしっくりいっていたとしても、シェールはデッド・ファミリーの一員であったわけではない。

 もともとは1928年にアイス・スケート・リンクとして建てられた施設。収容人数はグレアムによる改修で5,400


10. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 三部構成で第二部冒頭〈Sugar Magnolia〉が真夜中。


11. 1980 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 三部構成。第一部はアコースティック・セット。第三部冒頭の〈Sugar Magnolia〉が真夜中。その前のカウントダウン直前にアーロン・コープランドの〈Fanfare For The Common Man〉が流された。


12. 1981 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 開演前はずっと雨が降っており、8,000人の聴衆はようやく入った時には一人残らずずぶ濡れだった。冒頭、ジョーン・バエズが5曲、デッドのバックで歌った。第一部8・9曲目〈Big Boss Man> New Minglewood Blues〉にマシュー・ケリーが参加。バエズはアンコール〈It's All Over Now, Baby Blue〉にも登場して踊った由。


13. 1982 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 20ドル。開演8時。第三部は前日に続き、エタ・ジェイムズとタワー・オヴ・パワー参加。


14. 1983 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA

 20ドル。開演8時。FM 放送された。ザ・バンドが前座。マリア・マルダーもいた由。


15. 1984 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA

 25ドル。開演8時。オープナーの〈Shakedown Street〉が《So Many Roads》でリリースされた。

 例によって真夜中に〈Sugar Magnolia〉から第二部が始まったが、Sunshine Daydream は無し。声を潰すのでウィアは後を考えて控えたのだろう。


16. 1985 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 25ドル。開演8時。Baba Olatunji が第二部11曲目〈Throwing Stones〉とクローザーの〈Turn On Your Love Light〉で参加。


17. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 25ドル。開演8時。


18. 1987 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 25ドル。開演7時。第三部2曲目〈Iko Iko〉からクローザーまで4曲にネヴィル・ブラザーズが参加。DVDTicket To New Year's》でリリースされた後、半オフィシャルCD《Live To Air》のCDで、第一部2曲目と第三部のクローザー以外の4曲を除いて全体がリリースされた。

 元々が全米に生中継された。DeadBase XI John W. Scott はリモートでショウを体験することのメリットをいろいろ挙げている。その中に〈Wharf Rat〉の静かなところで "Dark Star!" とわめく奴もいない、とあるのに笑ってしまう。


19. 1988 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland , CA

 30ドル。開演7時。ピーター・アフェルバウム&ヒエログリフィクス・アンサンブルとトム・トム・クラブが前座。加えて第一部3・4曲目〈Wang Dang Doodle〉〈West L.A. Fadeaway〉と第二部オープナーからの3曲〈Sugar Magnolia> Touch Of Gray> Man Smart, Woman Smarter〉、さらにアンコールのラスト2曲〈Goin' Down The Road Feeling Bad> One More Saturday Night〉にクラレンス・クレモンスが、Drums Baba Olatunji, Sikiru Adepoju、喜多郎が参加。


20. 1989 Oakland Coliseum Arena, Oakland, CA

 開演7時。第一部3曲目〈Big Boss Man〉にボニー・レイットが参加。

 第一部クローザーの〈Shakedown Street〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


21. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 開演7時から終るまで、とチケットにある。リバース・ブラス・バンド前座。ブランフォード・マルサリスが第一部クローザーの2曲〈Bird Song> The Promised Land〉と第二部全部に参加。Drums にハムザ・エル・ディンが参加。全米に FM 放送された。


22. 1991 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 最後の大晦日年越しショウ。32ドル。開演7時。ベラ・フレック&フレックトーンズとババトゥンデ・オラトゥンジが前座。(ゆ)


1216日・木

 Grimdark Magazine 記事を見て、Conan's Brethren をアマゾンで購入。紙版はハードカヴァーは200ドル、トレード・ペーパーは皆無。よって Kindle 版を購入。

Conan's Brethren (English Edition)
Howard, Robert E.
Gateway
2011-04-28


 The Complete Chronicles Of Conan の姉妹篇として、同じく Stephen Jones が編集して、Solomon KaneKull of ValusiaBran Mak Morn などの、コナン以外のハワードのヒーローものを集めた1冊。編者の後記は各々のヒーローの経歴を詳細に語る。パルプ雑誌、コミックスのカヴァー多数。コナンは一通り読んだが、こちらはまったく未読。

 面白いのはコナンものもそうだが、中篇が短篇より多いこと。こういう話はやはり中篇になるのだろう。

 巻頭のハワードの「序文」が面白い。これは Harold Preece とラヴクラフトの各々にあてた書簡から抜粋して組み立てたものの由だが、スコットランドの先住民の一つであるピクト族になぜかひどく惹かれたことから、ソロモン・ケインやブラン・マク・モーンが生まれた経緯を語る。むろんハワードが惹かれたピクト族は歴史に存在した人びとが元になってはいるものの、完全に架空の、ハワードが想像した人間たちであることは本人も自覚している。一方でハワードはスコットランド、アイルランドの歴史については相当に勉強している。オタクと言っていい。

 初めはソロモン・ケインものが並ぶ、その先頭に "Solomon Kane's Homecoming" という詩が掲げられている。ドナルド・ウォルハイムが Wilson Shepherd と出した創刊号だけで終った同人誌 Fanciful Tales of Time and Space に、死の直後1936年に掲載されたものだそうだが、これがなかなか良い。ラヴクラフトの言うとおり、伝承バラッド、叙事詩の趣がある。これだけで立派な1個の短篇になっていて、しかも、この話はこういう形でしか語れないと思わせる。ヒーローの最後とはこういうものでしかありえない。

 ISFDB のハワードの項を眺めていると、あらためてその執筆量の大きさに圧倒される。小説はもちろんだが、それに加えて、ラヴクラフトはじめ、膨大な書簡を書いてもいる。詩も多い。バートランド・ラッセルが書き残したものの量の多さは伝記作者には重圧だと、その伝記を書いたレイ・モンクが嘆いていたが、ラッセルは90年生きた。ハワードの活動期間は10年だ。

 ハワードは自殺だが、短期間に膨大な量の、質の高い小説を量産したことでは長谷川海太郎に比肩あるいは凌駕する。ハワード1906-01-22/1936-06-11。長谷川 1900-01-17/ 1935-06-29、それにスコットランドのルイス・ギボン 1901-02-13/1935-02-07 とほぼ同時期。3人いれば偶然ではなくなる。20世紀最初の35年に何があったのか。



##本日のグレイトフル・デッド

 1216日には1968年から1994年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。


1. 1968 The Matrix, San Francisco, CA

 ウィアとピグペン抜きの Mickey Hart and Hartbeats 名義。テープにはいずれも40分前後のジャムが2本入っており、前半に Jack Cassady Spencer Dryden、後半に Jack Cassady David Getz が参加している。

 スペンサー・ドライデン (1938-2005) はジェファーソン・エアプレインとニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジのドラマー。

 デヴィッド・ゲッツ (1940-) はビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとカントリー・ジョー&ザ・フィッシュのドラマー。

 厳密にはデッドのショウとは言えないし、テープの存在のみで知られるイベントで、サンフランシスコ・クロニクルには広告も記事も、このイベントに関するものは皆無だそうだ。


2. 1978 Nashville Municipal Auditorium, Nashville, TN

 8ドル。開演7時。


3. 1986 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 16.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。

 第二部 Drums から〈Iko Iko〉までとアンコール〈In The Midnight Hour〉にネヴィル・ブラザーズが参加。


4. 1992 Oakland Coliseum Arena, Oakland, CA

 開演7時。このヴェニュー4本連続の3本目。《Dick’s Picks, Vol. 27》で全体がリリースされた。


5. 1994 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA

 このヴェニュー4本連続の2本目。全篇ブランフォード・マルサリスが参加。(ゆ)


1214日・火

 LOA 版ブラッドベリ着。




 『火星年代記』問題の2篇は

The Fire Balloons「火の玉」が「200211月」で、The Shore「岸」と Interim「とかくするうちに」の間。

The Wilderness「荒野」は「2003年5月」で、The Musicians「音楽家たち」と Way in the Middle of the Air「空のあなたの道へ」の間。

に置かれている。なお、巻末の Note on the Texts にはこの書物の出版がたどった錯綜した事情が述べられている。上記2篇のない版の出版・重版もブラッドベリは承認していた。しかし 'complete' な版としては上記2篇が含まれたものと考えていた。結局ここに採用されているのは1973年の Doubleday 版。

 一方で、『火星年代記』を構成する個々の作品は、『火星年代記』に収めるためにブラッドベリによって改訂されている。そして『火星年代記』刊行後も、改訂前の形で各種の作品集、アンソロジーに収録され続けた。

 また Notes の前書きによれば現在計画されている LOA でのブラッドベリは2巻で、もう1巻には『刺青の男』と『十月はたそがれの国』を中心として同時期の短篇が集められる予定。この2巻で1950年代のブラッドベリをカヴァーする意図らしい。

 巻末「補遺」に収められたエッセイは6篇。

A Few Notes on The Martian Chronicles; Rhodomagnetic Digest, 1950-05

 『火星年代記』成立の事情と目指したものを著者の視点から語る。シャーウッド・アンダーソンの『オハイオ州ワインズバーグ』と Jessamyn West Friendly Persuasion (1945) がお手本だそうだ。後者はインディアナ州のあるクェーカーの農場を短篇連作で語るものの由。

 掲載誌は同人誌。Rhodomagnetism はジャック・ウィリアムスンが『ヒューマノイド』の原形の中篇 "With Folded Hands" 邦訳「組み合わされた手」(『パンドラ効果』所収)で描いた架空のテクノロジー。

Day after Tomorrow: Why Science Fiction?; The Nation, 1953-05-02

No Man Is an Island; Los Angeles: National Women's Committee of Brandeis University, 1952

Just This Side of Byzantium (An Introduction to Dandelion Wine); Alfred A. Knopf, 1975

Dandelion Wine Revisited; Gourmet, 1991-06

Carnivals, Near and Far (An Afterword to Something Wicked This Way Comes); Harper Voyager, 1998

 遅まきながら気がついたが、このLOAの巻の編者 Jonathan R. Eller はブラッドベリの伝記三部作 Becoming Ray Bradbury (2011), Ray Bradbury Unbound (2014), Bradbury Beyond Apollo (2020) の著者。

 ちなみにこの三部作を出している University of Illinois Press Modern Masters Of Science Fiction という作家のモノグラフのシリーズも出している。シリーズの編者が Gary K. Wolfe で、対象の作家の選択に癖があって面白い。



##本日のグレイトフル・デッド

 1214日には1968年から1990年まで4本のショウをしている。公式リリースは1本。ほぼ完全版。


1. 1968 The Bank, Torrance, CA

 このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

 この会場には10月に続く2度目の出演で、このヴェニューの最後の日でもあった。閉鎖の原因はここで逮捕される人間が相次いだために、客が来なくなったからで、こうした場所の存在を嫌った警察が仕組んだもの。残っているこの2日間のポスターでは、警察の弾圧に抵抗するよう訴えている。


2. 1971 Hill Auditorium, Ann Arbor, MI

 このヴェニュー2日連続の1日目。5ドル。開演7時。第二部オープナー〈Ramble On Rose〉を除く全体が、《Dave’s  Picks, Vol. 26》と《Dave’s Bonus Disc 2018》でリリースされた。

 この日の〈That's It for the Other One〉も途中で〈Me and My Uncle〉をモチーフとしたジャムが出現するが、今回はウィアが歌うまでにはいたらず、Space のジャムになり、また明確なメロディが現れて2番が歌われ、〈Wharf Rat〉に移る。〈That's It for the Other One〉が〈Cryptical Envelopment〉ではさまれた組曲から、〈The Other One〉だけになる移行期だが、そこに〈Me and My Uncle〉がはさまるのが興味深い。〈Me and My Uncle〉はデッドによる演奏回数第1位の曲だが、独立に演奏される時も、こうした一種の挿入歌のようにみなされていたのかもしれない。


3. 1980 Long Beach Arena, Long Beach, CA

 第一部4曲目〈Little Red Rooster〉に Matthew Kelly が、第二部の Drums にアイアート・モレイラとフローラ・プリムが各々参加。


4. 1990 McNichols Arena, Denver, CO

 21.45ドル。開演7時。(ゆ)


1029日・金

 あたしは知らなかった。Tor.com で Victoria Goddard を強力に推薦する Alexandra Rowland の記事で知った。自分にぴったりとハマった書き手に遭遇し、これにどっぷりとハマるのは確かに無上の歓びに違いない。その歓びを率直にヴィヴィッドに伝え、読む気にさせる見事な文章だ。しかもネタバレをほぼ一切していない。

 わかった、あんたのその見事な推薦文に応えて、読んでみようじゃないか。

 ちょと調べるとヴィクトリア・ゴダードはまたしてもカナダ人。そしてまたしても自己出版のみ。生年は明かしていない。トロントの生まれ育ちらしい。好きで影響を受けた作家として挙げているのはパトリシア・マッキリップ、コニー・ウィリス、ロイス・マクマスター・ビジョルド。この3人とニール・ゲイマンの Stardust の中間を目指す、という。

 刊行は電子版が基本で、紙版はアマゾンのオンデマンド印刷製本で、相対的に高い。

 2014年4月以来、これまでに長短20本の作品を出している。長篇7本、ノヴェラ6本、短篇6本。短篇の一部を集めた短篇集が1冊。今年年末に長篇が1冊出る予定で、来年出る長篇も1冊決まっている。大部分は Nine Worlds と作者が呼ぶ世界の話。これに属さない短篇が3本。

 最初は短篇を3本出し、2014年7月に初めての長篇を出す。2016年1月の Stargazy Pie から Nine Worlds の中心となる Greenwing & Dart のシリーズが始まる。2018年9月、900頁のこれまでのところ最大の長篇 The Hands Of The Emperor で決定的な人気を得る。アレックス・ロゥランドもこの本に出会って、ゴダードにハマりこんだ。来年出るのはこれの続篇だそうだ。ロゥランドの Tor.com の記事でも、著者のサイトの読む順番のページでも、この本をまず読め、と言う。

 あたしはへそ曲がりだし、基本的に刊行順に読むのが好みでもあるので、201411月に出たノヴェラ The Tower at the Edge of the World から読むことにした。もっともロゥランドはこれもエントリー・ポイントの一つとして挙げているし、著者サイトには話の時間軸ではこれが最初になるとあるから、それほど突拍子のない選択でもない。まだ頭だけだが、文字通り世界の果てに立つ塔で、何ひとつ不満もなく、儀式と祈りと勉強の日々を過ごしていた少年の世界に、ある日、ふとしたことから波風が立ちはじめる。ゆったりと、あわてず急がない語りには手応えがある。

 ここから Starpazy Pie、そして The Sisters of Anramapul の第一作 The Bride Of The Blue Wind と進めば、Nine Worlds 宇宙の中心をなすシリーズ3つのオープニングを読むことになる。


 それにしても、この人も ISFDB には、この Starpazy Pie だけがリストアップされている。それも8人の自己出版作家の長篇を集めたオムニバスの一部としてだ。自己出版は数が多すぎて、とてもカヴァーしきれないのだろうが、いささか困った事態だ。


 自己出版のもう一つの欠点としては、図書館に入らないことがある。ロゥランドの記事のコメントでも、地元の図書館には何も無いというのがあった。


 ところで自分にぴったりとハマる書き手に遭遇したことがあったろうか、と振り返ると、部分的一時的にはそう感じることはあっても、ある作家の作品全体というのはなかった気がする。全著作を読んだ、というのは宮崎市定だけだから、そういう書き手はやはりいなかっただろう。宮崎はとにかく喰らいついていったので、とても自分にハマるなどとは感じられなかった。相手の器の方が大きすぎる。

 そう考えるとあたしの小さな器にぴったりハマるような書き手はつまらんということになる。ぴったりハマってなおかつ読むに値すると感じるためには、己の器も相応に大きくなくてはならない。それには、ロゥランドのように自分もしっかり書いている必要がありそうだ。ただ読むのが身の丈に合っている、というのでは器の大小というよりは形が異なるんじゃないか。自分は結局読むしか能がない、と言いきったのは篠田一士だが、あれくらい読めれば読むだけでも何でもハマる器になれるかもしれない。あたしも読むしか能はないのだが、しかし、その読むのもなかなかできない。かくてツンドクがまた増える。



##本日のグレイトフル・デッド

 1029日には1968年から1985年まで6本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版2本。


1. 1968 The Matrix, San Francisco, CA

 ピグペンとウィアが「未熟なふるまい」のためにこの時期外されていたため、このショウは Mickey and the Hartbeats の名で行われた。San Francisco Chronicle のラルフ・グリーソンによる "on the town" コラムでは Jerry Garcia & Friends とされている。

 演奏はジャム主体でラフなものだったらしい。1曲エルヴィン・ビショップが参加。


2. 1971 Allen Theatre, Cleveland, OH

 会場は1920年代に映画館として建てられた施設で、キャパは2,500。この時期、映画が小さな小屋で上映されるようになり、このサイズの映画館がコンサート向けに使われるようになっていたらしい。内装は建築された時代を反映して、金ぴかだが、楽屋などは当然ながら貧弱だった。ただ、座席はずらしてあり、視野が邪魔されなかった。

 ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座。ガルシアはペダルスティールで参加。長いショウで終演は真夜中をかなり過ぎていた。 WNCR FM放送された。

 この日、デュアン・オールマンが死去。


3. 1973 Kiel Auditorium, St. Louis, MO

 このヴェニュー2日連続の1日目。全体が《Listen To The River》でリリースされた。3ヶ所 AUD が挿入されている。テープの損傷か。特に〈El Paso〉は全曲 AUD。使われた AUD の音質は良く、全体がしっかり聞える。〈Eye of the World〉はベスト・ヴァージョンの一つ。


4. 1977 Evans Field House, Northern Illinois University, DeKalb, IL

 8ドル。開演8時。全体が《Dave's Picks, Vol. 33》でリリースされた。


5. 1980 Radio City Music Hall, New York, NY

 8本連続の6本目。第二部5・6曲目〈Candyman> Little Red Rooster〉が《Dead Set》でリリースされた。

 どちらもすばらしい。〈Candyman〉ではガルシアのギターが尋常ではない。この人が乗った時のギターは尋常ではないが、その中でも尋常ではない。〈Little Red Rooster〉ではウィアのヴォーカルがいい。どちらもかなり遅いテンポであるのもいい。


6. 1985 Fox Theatre, Atlanta, GA

 このヴェニュー2日目。前半短かいが、後半はすばらしかったそうだ。(ゆ)


1026日・火

 Mac Monterey を入れる。AquaSKK がメニューバーの入力メニューから消えて、一瞬ぎょっとするが、キーボードの環境設定で追加すれば問題なし。


 HA-FW7のプラグにスーパーコンタクトオイルを塗り、本体の後にディーレンミニを貼る。なかなか良い。低域がぐんと締まる。空間が広がり、透明感が増す。音が際立つ。ボディの後は平らで、何か貼ってくれと言わんばかり。このイヤフォンで聴くヴォーカルは魅力的。


 GrimDark Magazine Soman Chainani のインタヴューが面白い。徹底的にディズニーで育ちながら、長じて、ディズニーがお伽話を改悪していたことに気づき、その落差に興味を持って研究する。結果、徹底的に反ディズニーのお伽話を書きだす。もっとも、ハーヴァードで英米文学の学位をとってから、コロンビアで映画のコースをとり、卒業後はまず映画脚本と監督の仕事をしている。2014年、ヤング・アダルト向けファンタジー The School For Good And Evil を出す。この人、国会図書館には出て来ないのだが、六つの大陸の30の言語に翻訳されている、という。ハリポタの直系、というにはおそらくひねくれているらしいが、わが国の児童書版元もみなディズニーに毒されているのか。それとも、非現実的な条件を持ちだしてくるのか。Wikipedia では名前から想像できるとおり、インド系とある。フロリダ半島南端の出身とあるから、西インド諸島に移民したインド系がアメリカ本土に移住した形だろうか。とりあえず、第1巻を注文。

The School for Good and Evil (English Edition)
Chainani, Soman
HarperCollins
2013-05-14




##本日のグレイトフル・デッド

 1026日には1966年から1989年まで7本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本、ほぼ完全版1本。


1. 1966 The North Face Ski Shop, San Francisco, CA

 この時期のデッドについては頼りになる Lost Live Dead のブログに記事がある。

 この North Face は皆さまご存知のアウトドア・グッズのブランドで、これはその最初のリアル店舗。それ以前、North Face 創設者の Doug Susie Tompkins 夫妻はターホウ湖でアウトドア用品の通販を始めていて、この日サンフランシスコの North Beach に店を開き、後の大企業への道を歩みはじめる。隣は有名なストリップ劇場、筋向いはこれも有名な City Lights Bookstore
 その店の開店記念パーティーにデッドが「余興」として呼ばれ、演奏をした。おそらくあまり長いものではなかっただろう、という推測にはうなずく。このパーティーではディランの出たばかりの《
Blonde On Blonde》のばかでかいポスターが飾られ、ジョーン・バエズとミミ・ファリーニャもいて、ミミはスキー・ウェアのモデルになっていた。入口両脇にヘルス・エンジェルスが2人、立っていた。当時のデッドはもちろんまだほとんど無名。パーティーのはねた後、トンプキンス夫妻はバンドをイタ飯屋での夕食に連れていった。ノース・フェイス公式サイトの会社の歴史のページに、演奏している髭を剃ったガルシアとウィアの写真がある。その他、上記記事のコメント欄参照。

 デッドに注目するダグ・トンプキンスのセンスもなかなかだが、こういうところに顔を出すのがデッドの面白さだ。


2. 1969 Winterland Arena, San Francisco, CA

 同じヴェニュー&出演者3日目。急遽追加のギグ。デッドが先で、エアプレインがトリ。


3. 1971 The Palestra, University of Rochester, Rochester, NY

 ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。開演8時半。

 前半13曲目〈Beat It On Down The Line〉を除く全体が《Download Series, Vol. 3》でリリースされた。

 後半が異様に短かい。あるいは FM 放送のためか。


4. 1972 Music Hall, Cincinnati, OH

 4.50ドル。開演7時半。この年の平均的ショウ、らしい。


5. 1980 Radio City Music Hall, New York, NY

 8本連続の4本目。第一部3曲目〈It Must Have Been The Roses〉が《Reckoning》で、第二部2曲目〈Sugaree〉と5曲目〈Let It Grow〉が《Dead Set》でリリースされた。

 〈Sugaree〉でガルシアはごくごくシンプルな短かいフレーズを少しずつ変えながらくり返して、スリリングに盛り上げる。こういうところがデッドの凄さ。この曲もいつもよりわずかにテンポが早いが、〈Let It Grow〉はさらに切迫感がある。ウィアの声も上ずりがち。


6. 1985 Sun Dome, Tampa, FL

 13.50ドル。良いショウのようだ。


7. 1989 Miami Arena, Miami, FL

 このヴェニュー2日連続2日目。《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。(ゆ)


1025日・月

 大腸カメラでポリープをとられたための食事制限が解除。ようやくコーヒーを飲めた。いやあ、ほっとする。運動制限も解除されたので、まずは駅前まで歩いて出る。


 『デューン』の今回の映画については、ワシントン・ポストの Michael Dirda が書いていることが妥当に思える。

 中でも、これは友人でもあるジャック・ヴァンスへのハーバートなりの回答だ、というのには膝を打った。

 それにしても、この小説自体が辿った運命もまた数奇ではある。当時掟破りの長さで、単行本化すらどこも二の足を踏んでいたものが、今や史上最大のベストセラーの一つだ。ハインラインの『異星の客』の場合も、当時掟破りの長さで、誰も予想もしていなかったベストセラーになった。が、あちらはまだ時代との共鳴ということで説明がつくところもある。『デューン』にはそういうところはない。だからこそ、時代を超えて読まれる、ということなんだろうが、では、一部の批判にあるように、そこに本当にサイエンス・フィクション的なものがどれだけあるか。

 ディルダが上の記事で触れている、映画の中で最も存在感があるのはジェシカだ、というのは、小説に忠実に作ればそうなるだろう。小説でも本当の主人公はポウルではなく、ジェシカだ。あれはジェシカの物語だ。『レンズマン・シリーズ』が『レンズの子ら』にいたって、それまでの超マッチョな男性優位ががらがらと崩れた、その後を享けるのは、『デューン』というわけだ。

 ベネ・ゲセリットの在り方や、側室という地位はフェミニズムからは批判されるかもしれないが、歴史的にはリアリティがある。『デューン』で最もサイエンス・フィクション的なのは、砂虫でもポウルが発揮する超能力でもなく、ジェシカに体現しているベネ・ゲセリットかもしれない。だとすれば、この作品を毛嫌いするサイエンス・フィクション関係者、共同体の成員が多いのも、説明がつきそうだ。オクタヴィア・E・バトラーの The Parable Of The Sower につけた序文でN・K・ジェミシンがいみじくも指摘するように、サイエンス・フィクションの世界、共同体は女性差別、蔑視が根強く残るところだからだ。『レンズの子ら』ではアリシアの最終兵器「統一体」の中心はキット・キニスンだった。長子で唯一の男性として妹たちを束ねる役割を担っていた。『デューン』ではすべてはベネ・ゲセリットの計画、ポウル・アトレイデはいわばその手先にすぎない。

 SFFの世界における女性の存在感は、それ以外の世界よりもずっと大きいではないか、と言う向きもあるかもしれない。しかし、それはせいぜいがここ十年ほどの、まだまだ新しい現象であり、そして「自然にそうなった」のではく、サイエンス・フィクションの「先進性」からそうなったのでもなく、これまたジェミシンが言うように、文字通り、彼女たちが戦いとってきた成果なのだ。男性優位社会としてのSFF世界をなつかしみ、これに戻そうとする人間は多い。サドパピーとは一線を画し、偏見・差別とは無縁と自覚しながら、差別される側からみれば、サドパピーと五十歩百歩である人間も多い。あたしとて、そうではない、と言い切る自信はまったく無い。偏見・差別意識は、実に厄介なしろものなのだ。一方では「中庸」であり、「バランスがとれている」つもりでいることが、差別される側から見ると、まるで偏った、差別意識の塊になりえる。

 だとすれば、『デューン』があらためて注目され、多くの人間がこれを読むというのは、言祝ぐべきことになる。そして、これを機会に、ハーバートが本来ひと続きの作品と意図していたという『砂丘の子どもたち』までを、あらためて読んでみることも、意義のあることにもなる。

 そうか、Children of Dune はまた Children of the Lens の谺でもあるのかもしれない。


##本日のグレイトフル・デッド

 1025日には1969年から1989年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1969 Winterland Arena, San Francisco, CA

 前日と同じ組合せ。この日はデッドがトリ。


2. 1973 Dane County Coliseum, Madison, WI

 5ドル。午後7時開演。良いショウらしい。


3. 1979 New Haven Coliseum, New Haven, CT

 開演7時半。後半オープナー〈Shakedown Street〉が《Road Trips, Vol. 1 No. 1》で、前半5曲目〈Brown-eyed Women〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 〈Brown-eyed Women〉は始まってすぐ一瞬、音が切れる。演奏はすばらしい。中間のジャムの質が高い。ミドランドがキレのいい電子ピアノを展開して、ガルシアを煽り、ガルシアもこれに乗る。

 〈Shakedown Street〉は歌の終りの方でガルシアがコーラスを延々とリピートする裏でミドランドがノイジーなシンセでコミカルにはずむイタズラを始め、やがてジャムに移っても続けるのに、ガルシアがこれもコミカルに応える。この対話がすばらしい。スタッカート気味の音をはずませた、ミニマリズムも潜ませたジャムへと盛り上がる。聴いていて、身も心も弾んでくる。その場にいたら、踊りまくっていただろう。

 この2曲を聞くだけでも、ショウの充実ぶりがわかる。


4. 1980 Radio City Music Hall, New York, NY

 15ドル。開演7時半。8本連続の3本目。第一部5曲目〈To Lay Me Down〉8曲目〈Heaven Help The Fool〉が《Reckoning》で、第二部2曲目〈Franklin's Tower〉と5曲目〈High Time〉が《Dead Set》で、第三部2・3曲目〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉が《Beyond Description》所収の《Go To Heaven》ボーナス・トラックでリリースされた。最後のメドレーは2010年の《30 Days Of Dead》でもリリースされた。〈Heaven Help The Fool〉と〈High Time〉も2004年の《Beyond Description》所収の拡大版。

 〈To Lay Me Down〉は歌もギターも、ガルシアの抒情の極致。エモーショナルだが感情に溺れこまないぎりぎり。〈Heaven Help The Fool〉はドラムレスで、ジャジィなインストゥルメンタル版。

 〈Franklin's Tower〉は珍しく独立で〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉からのメドレー。

 〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉は〈Saint〉後半の盛り上がりがいい。

 《Dead Set》は個々に聞くとどのトラックもなるほど良い。


5. 1985 Sportatorium, Pembroke Pines, FL

 14.50ドル。開演8時。フロリダでの演奏は3年ぶり。翌日もフロリダ。まずまず良いショウだったようだ。後半の選曲は珍しく、面白い。


6. 1989 Miami Arena, Miami, FL

 18.50ドル。開演8時。2日連続の1日目。前のシャーロットとはうって変わって、駐車場シーンは平穏。フロリダの警察はヴァージニアのものとは対照的に、盗難や暴行以外は介入しなかった。ショウもその良いグルーヴを受け継いでいる。(ゆ)


9月12日・日

 LOA にブラッドベリが入った。『火星年代記』『華氏四五一度』『たんぽぽのお酒』『何かが道をやってくる』。うーん、そういえばどれも原書では読んでいなかった。もう何年も、いや何十年も読んでない。『火星年代記』以外は再読すらしていない。この際、原文で読みかえすか。でも Everyman's Library の自選作品集の方が先か。やあっぱり、ブラッドベリは短篇だもんなあ。



The Stories of Ray Bradbury (Everyman Library)
Bradbury, Ray
Everyman
2010-04-30


 ディックル・グィンヴォネガットラヴクラフトジャクスンバトラーバーセルミ、それにブラッドベリと、LOA にもSFFがじわりと増えてきている。アシモフやハインラインが入るとは思えないが(ハインラインの Double Star はオムニバスで入った)、スタージョン、ライバー、エリスンあたりは入りそうだ。SFF作家は作品数が多いから、全部入れようとすれば、ヘンリー・ジェイムズ並みの巻数が必要だろう。ああいうことはもうできないんじゃないか。そういえば Charlotte Perkins Gilman が来年4月に予定されてる。そう、こういう、他では手に入りにくい人を出してほしいよねえ。



##本日のグレイトフル・デッド

 9月12日には1973年から1993年まで9本のショウをしている。うち公式リリースは1本、1曲。


1. 1973 William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA

 同じヴェニュー2日目。こちらでも一部でマーティン・フィエロとジョー・エリスが参加。機器トラブルがあったが、前日同様、良いショウの由。


2. 1981 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA

 3日連続のここでのショウの中日。やはり良いショウの由。China > Rider, Scarlet > Fire, Estimated > Eye が揃い踏み。これは2回しか無いそうだ。珍しくダブル・アンコールだったが、2度目のアンコールの際、レシュが出てこなかったので、ウィアが音頭をとって聴衆に "Hey Phil, what's happening?" と叫ばせた。


3. 1982 Lakeland Civic Center, Lakeland, FL

 この会場では3回演奏している、その最後。前2回、1977-05-21 と 1980-11-28 は各々 Dick's Picks, Vol. 29 と30 Trips Around The Sun でリリースされた。この3回目の時に、会場内に潜入捜査官が入ったので、以後ここで演るのを止めたそうな。潜入捜査官 undercover cops と言っても、ひと眼で警官とわかる人間が多数いたらしい。


4. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 地元3日連続最終日。


5. 1987 Capital Centre, Landover , MD

 3日連続の中日。料金17.50ドル。


6. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA

 4本連続同じヴェニューでの最終日。


7. 1990 The Spectrum, Philadelphia, PA

 3日連続最終日。


8. 1991 Madison Square Garden, New York, NY

 後半4曲め〈Terrapin Station〉が《So Many Roads》に収録。録音はあまり良くない。バランスも悪く、ヴォーカルが埋もれがち。演奏は熱が籠もっている。ウェルニクがガルシアを盛りたてようと努めている。この人、ミドランドのような積極的な貢献はできないが、着実に支える、いわば守成の人だったのではないか。ただ、それがデッドにとってプラスになったかどうかはまた別ではあるが。

So Many Roads 1965-95
Grateful Dead
Arista
1999-11-09


9. 1993 The Spectrum, Philadelphia, PA

 3日連続初日。料金26.50ドル。上記1987年から6年間で9ドル、35%の上昇。この1993年、デッドは180万枚、4,560万ドルのチケットを売り上げ、ライヴ収入で全米1位となった。しかもこの価格は他の上位のアクトのチケット代の3分の1以下だった。この年のショウは81本。したがって1本のショウ平均で22,222枚強のチケットを売ったことになる。1990年代、デッドはライヴ・アクトの興行収入で毎年ベスト5に入っている。(ゆ)




 アリエット・ド・ボダールや最近の Nghi Vo、Violet Kupersmith など、ヴェトナムにルーツを持つ書き手たちに惹かれて、あの辺りの歴史に興味が湧き、ちょうど出た本書を手に取る。17世紀までを三つの章でカヴァーするというのは、もう少し中世史にスペースを割いてもらいたかったところだが、全体としてのペース配分はまあ妥当の範囲ではある。地域史に閉じこもるのではなく、大きな世界史全体の中で、その東南アジア的位相として捉えようという姿勢は、最近の歴史学の流れを汲んでいるのだろうし、それはよく機能してもいる。この地域は狭く見えるけれど、地域によって案外に違いがあるとわかったのは、今回の収獲の一つだけど、その各地域への目配りもバランスがとれていて、東南アジアの通史入門としては立派なものだ。各地域、あるいは時代に突込みすぎて、全体像が見えなくなったら、戻ってこれるくらい、しっかりもしている。


 西はビルマ、東はパプア、南はインドネシアから北はフィリピンまで、まとまっているようでもあり、また本人たちも ASEAN という形でまとまろうとしている一方で、現在、主権国家として成立している各国は、それぞれに相当に異なる。つなぐものは稲作と交易と本書冒頭にある。ここは中華世界とインド世界をつなぐ位置と役割を担った。そういう意味では、ユーラシア大陸どん詰まりのヨーロッパ半島とは性格を異にする。むしろ、バルカンに近いんじゃないか。


 大きくは大陸部、ビルマ、タイ、カンボジア、ラオス、ヴェトナムと、インドネシア、フィリピンの島嶼部に別れる。マレーシアは両方にまたがる。


 あたしにとって東南アジアの不思議はまずインドシナ半島、とりわけ、ヴェトナム、ラオス、カンボジアの三つが、「歴史上かつて統一的な権力をいただいたことのない、文明的にもきわめて異質な諸社会」(101pp.)であること。フランスがここを仏領インドシナとして植民地化したのは、だから相当に無理をしていた、とある。


 このうちヴェトナムは東南アジアの中でも中国の影響を最も直接に受けていて、中華世界の一員でもあった。朝鮮、日本、琉球、満洲、内モンゴルなどと同じだ。ラオス、カンボジアまではインド世界に含まれ、マレー半島、インドネシア諸島にイスラームが入るのも、インド経由だ。


 面白いのは、マレー半島にもインドネシアにも、いわゆる華僑の形で、中国人、ここでは華人と呼ばれる人たちが大量に入っているのだけれど、そちらの地域では、自分たちが中華世界の一員だという自覚は無かったらしい。ヴェトナムだけがその自覚を持ち、それによって、他のインドシナ半島の地域に対して優越感を持っていたことさえあった由。


 そのヴェトナムは著者の専門でもあり、さすがにやや突込んだところもある。11世紀に最初の独立王朝の李朝が成立し、ここから1804年までは国号は大越を称した。アリエットがそのシュヤ宇宙のシリーズの王朝を Dai Viet すなわち大越と呼ぶのは、ヴェトナム人にとってはこの国号が王朝として最もなじみのあるものだからなのだろう。


 中華世界の一員としての優越感と裏腹に、独立王朝以後のヴェトナムは中国を常に警戒し、その影響を排除ないし薄めることに腐心してゆくのも面白い。ホー・チ・ミンたちにとって、ヴェトナム革命は当初、ソ連とも中国とも違う、独自のものとして出発する。冷戦の進展によって、否応なくソ連、中国側を頼らなければならなかったのは、むしろ不本意なことだったそうな。


 ヴェトナム戦争は特需となって日本の高度経済成長を支えてくれたわけだが、日本にとってだけでなく、シンガポールやタイにも恩恵をもたらす。朝鮮戦争の「教訓」が「活かされた」戦争というのもなるほどとメウロコだった。1975年の終結からもうすぐ半世紀。これまでヴェトナム戦争というと、あたしなどはどうしてもアメリカ経由で見てしまう。しかし、実際に戦争が戦われたこの地域から見ることも、当然必要だし、そうなると、あらためて興味が湧いてくる。


 わが国との関係で目に留まったのが、「『大東亜共栄圏』の経済的側面」のこの一節。150pp.


「経済面では、日本軍の東南アジア支配は、それまで築かれていた宗主国との関係や、アジア域内交易などの貿易構造を切断して、日本を東南アジアの鉱産物資源やその他の戦略物資の独占的輸入国とした。それは裏返せば、日本が東南アジアに対する工業製品の一元的輸出国とならねばならないことを意味していたわけだが、この時期の日本の経済力は脆弱で、十分な工業製品の供給能力をもっていなかった。そこで起きたのは、十分な工業製品供給という対価なしでの資源の略奪という、いわば「最悪の植民地支配」だっ。大戦末期には、連合軍の反攻で、海上交通に困難を来すようになったことも加わり、どこでも深刻なモノ不足とインフレが発生した」


 日露戦争の結果で日本は国際社会でいわば一流半国の扱いになり、それからは帝国主義国家としてふるまおうとする。しかし、こうなると、帝国主義国家としての資格には欠けていたわけだ。日露戦争から太平洋戦争開始までの30年間、わが国の経済は何をしていたのだろう、とあらためて興味が湧く。端的に言えば、何を作っていたのだろう。そうしてみれば、戦前の経済史について何も知らない。


 東南アジアと日本軍政の関係でいえば、中井英夫の父親・中井猛之進は戦時中、ジャワ島ボゴールにあった、当時東洋一のボイテンゾルグ植物園長であり、陸軍中将待遇の陸軍司政長官だった。そのことをめぐって、鶴見俊輔が東京創元社版全集第8巻『彼方より』の解説に書いていて、なぜか、印象に残っている。鶴見は当時、バタヴィアにあった海軍武官府に嘱託として勤務していて、中井猛之進に会っている。中井英夫という、およそ時代から屹立している書き手が、本人は否定したいものながら、時代と深くからまりあっていることが、思いがけず顔を出しているからだろうか。鶴見と同じく、あたしも『黒衣の短歌史』が大好きで、『虚無への供物』と『とらんぷ譚』のいくつかを除けば、中井の最高傑作ではないかと思っているくらいだ。この全集で『黒衣の短歌史』と同じ巻に収められて初めて世に出た中城ふみ子との往復書簡はまた別だけれども。


 フィリピンのナショナリズムの先駆者だったホセ・リサールの胸像がどうして日比谷公園にあるのか、とか、ビルマ独立に深くからんだ参謀本部の鈴木敬司大佐とか、ゾミアとか、いろいろときっかけやヒントが詰まっっている。となると、これは入門書としては理想に近い。(ゆ)


7月1日・金
 
 Centipide Press や Subterranean Press はモノはいいんだが、送料がバカ高くて困る。かれらのせいではないかもしれないが、本体とほぼ同じとか、本体より高い。PS Publishing も直販オンリーだが、イングランドは大英帝国の遺産で、送料は上がってきてはいるものの、相対的に安い。

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 ファファード&グレイ・マウザーの5冊めにして、唯一の長篇。本文は複数持っているが、今回これを買ったのは付録のため。オリジナルは1968年1月、Ace Books からペーパーバック・オリジナルとして出た。この時、Ace の編集者ウォルハイムの要請で、ライバーは「エロが過ぎる」とされた個所を削除した。その顛末を詳細に綴り、削除した部分も載せたのが "Sex and the Fantasist" で、1982年に Fantasy Newsletter に2回に分けて発表。今回はそれ以来初めて活字になった。初出誌は今さら手に入るはずもなし(こういうもの、国内で揃えてるヤツなんかいるのか)、これはまことにありがたい。それにしてもこのエッセイのシリーズ、全部ちゃんと読みたいぞ。Locus にライバーが長いこと連載していたエッセイのシリーズもまとまっていない。Locus がまだタイプ原稿を版下にしていた頃からだから、電子化もままならないか。

 ここにはさらに "The Mouser & Hisvet" なるセクションがあり、ISFDB にも記載が無い。Centipede の仕事は徹底していて、ヒューストン大学図書館所蔵のライバー関係書類の中にある Swords のオリジナル原稿にもあたったらしい。すると、上記エッセイで触れられているもの以外にも削除された部分があることが判明した。こちらはまとまった削除ではなく、分散しているので、それを含む8章と13章の各々の個所を削除されたテキストをゴチックで復刻して提示したもの。マウザーとヒスヴェットのラヴ・シーン。

 もう一つ、最後の "The Tale of the Grain Ships" は書き始めて途中で放棄した長篇の冒頭部分。大長編になるはずだったらしい。後1960年に名編集者シール・ゴールドスミスのために "Scylla's Daughter" として書きなおし、ウォルハイムの要請でこれをさらに加筆改訂して本書の長篇になる。この断片は New York Review of Science Fiction, 1977年5月号に発表されて以来の活字化。

 Centipede のこのシリーズは年1冊のペースだから、あと2年。付録に何が入るか楽しみではあるが、完結まで生きていられるか。(ゆ)
 

5月18日・火曜日
 Grimdark Magazine のレヴュー記事で Michael J. Sullivan に引っかかる。この人も自己出版で人気が出て、ベストセラー作家になった1人。最も成功した1人だそうだ。

 最初に出したのは The Riyria Revelations で、著者のサイトの記事によると、このシリーズは6冊すべて完成してから版元を探した。が、結局見つからず、まず夫人が自分のインプリントで出し、次に自己出版した。その後 Orbit に拾われる。つまり、このシリーズは6冊で1本の話なのだ。しかも、全部原稿が完成してから出版した。これは面白い。無論 The Riyria Revelations はライバーの「ファファード&グレイマウザー」のエピゴーネンではあるが、この手法は新しい。
 ライバーの場合は当初からシリーズ化を考えていたわけではなかった。書いてみて面白かったし、読者の反応も良かったから、もう1本、さらにもう1本と重ねていき、気がついたら、シリーズになっていた。当然、後からしまった、あそこはこうしておけばよかったと思っても修正はできない。書いてしまったものに合わせることになる。それに対してサリヴァンは全体が完成するまで出さなかったから、1本のものとして、より複雑で含みの多い話にできる。書いているうちに前を修正したくなったら、修正できる。設定は似ていても、構造は対照的で、できあがるものは相当に違ってくる。むしろ出発点が同じなために、違いが面白くなるかもしれない。ひょっとすると、どこまで違うものにできるか、出発点はあえて似たものにしてみたのかもしれない。

 その次も面白くて、The Riyria Revelations がヒットした後、読者からのリクエストに応じて続篇を書こうとした時に、このシリーズの結末がいたく気に入っていたので、それを壊さないために前日譚を書くことにした。

 こういうこともなかなかやらない。まずたいていは「その後」を書くだろう。実際『サイボーグ009』も「地下帝国ヨミ」の最後で終っていれば、と今だに思う。結局「あの後」はそれ以前の水準には戻らなかった。ついには「天使編」などというものまで出てきてしまった。まあ、あの場合には「続篇を」というよりも、「009 を殺すな」というのが読者の要求だったので、ケースとしては別としておこう。しかし、その要求に作者が屈した結果、作者も読者も、そして何よりも作品も幸せにはならなかったことも記憶しておこう。キャラクターは死ぬべき時には死ぬのだし、一度死んだら無理に復活させてはいけない。田中芳樹はちゃんと殺してそのままにした。だから『銀英伝』は名作として残っている。

 となると、そこまで大切にした Revelations の結末は気になるではないか。しかもだ、この前日譚 The Riyria Chronicles はまた構成を変えた。こちらは1巻読切の形で、どれからでも読める。また、書くのも出すのも自由だ。既刊4冊で5冊めを計画中の由。

 さらにその次の The Legend of the First Empire も原稿を完成してから版元を探した。これは最終的に三部作二つの形になって、最初の三部作は Del Rey から、後半の三部作は自己出版で出した。年1冊の刊行を早めることと、オーディオブックの権利を切り離し、活字版だけの権利を買うことに版元がウンと言わなかったためだ。それだけオーディオブックの権利は出版社にとってはおいしいものなのだろう。Del Rey の担当者たちとはごくうまく行っていて、かれらは活字だけでもいいと思っていたのだが、Del Rey の親会社である Penguin Random House が、オーディオブックのつかない活字だけで契約することを禁じていたのだそうだ。
 それはともかく、こういう書き方、つまり出版前に全部完成してしまうやり方をする書き手はあまりいない。というよりも、普通は薦められない特異なやり方であることは本人も自覚している。

 あるいは、こういうことも今だから可能になった、ということなのだろう。自己出版がひとつのシステムとして確立し、そのためのインフラが整ってきた。流通のインフラだけでなく、様々なレベルの編集や校閲、校正などのような編集のインフラを担うフリーの専門家の層が整ってきたのだ。あるいはベータ・リーダーを集めて利用するノウハウやそこに参加するメンバーの質も全体に向上しているのだろう。質の良い専門家を個人が集めて、利用できるようになっている。実際、自己出版された小説の質も上がっていて、もはや出版社から出るものと実質的な差異はないし、人気という点ではむしろ自己出版の方に軍配が上がるようになってさえいる。従来は小説を出版できるシステムとしては会社組織としての出版社しか存在しなかった。

 ちなみに今年の3月11日の著者の書き込み Line Editing は大変に面白い。英語の小説編集の様々な過程について簡単に記してから、line editing とはどういうものかを、自分たちが実際にやったテキストを例にして段階を追って具体的に説明している。当初の文章、それを一度 copy edit に通した結果、そのどこをなぜさらに line edit するか。その結果。

 元来は英語で小説を書こうとしている人たちへ向けた記事だが、英語を読む際の勘所を簡潔に説明してくれてもいる。何より、実際に良くなってゆく様を目の当たりにするのはスリリングだ。ベストセラーになるには、こうした見えないところの細かい努力を重ねてもいる。そうした努力を重ねることは必要条件で、十分条件ではないわけだが、エンタテインメントだからこそ、こうした緻密な仕上げの手を抜いてはいけない。

 この辺も昔とは様変わりしている。シルヴァーバーグが「小説工場」と言われるほど書きまくっていた時に、こんな緻密な作業は考えもしなかったろう。雑誌の中短篇でデビューして長篇へと移っていったプロセスと、いきなり大長編でデビューする手法との違いはあるにしても、それだけではない環境の変化があるはずだ。

 出版前に原稿全体が完成していた例は昔からもちろんあるわけで、『指輪』もそうだし、ドナルドソンの『コヴナント』も三部作を一挙に出した。ウォルター・ジョン・ウィリアムスも長篇2冊の同時刊行でデビューしている。しかし、 The Riyria Revelations は三部作どころではない、6冊合計100万語、1万枚、『グイン・サーガ』25冊分の分量だ。しかも、一度ならず、二度までもやっている。二度めの The Legend of the First Empire も6冊合計2,600頁超で、やはり百万語超。さらに二度めは前半3冊はメジャーから、後半3冊は自己出版という、普通とは逆の手順を踏んでいる。そうなるとこれまたどういう話なのか、気になってくる。

 全体としては1本の話だが、構造としてはより小さな単位のまとまりに分けるのは、長い話をダレずに語る手法の一つだ。ブランドン・サンダースンも主著の『ストームライト・アーカイヴズ』を5巻ずつ二つのグループにすることを公表していた。つまり各巻ごとにヤマがあり、その上に大きなヤマが二つあって、後のヤマは全体のヤマでもある。The Riyria Revelations の場合は二部作が三つという構成らしい。

 もう一つ、 The Legend of the First Empire は The Riyria Revelations と同じ世界の三千年前の話。後者では神話・伝説として残されている時代の話だ。後者を読んでいれば、ああ、これはあそこに出てきた、とわかるわけだ。だけでなく、歴史は勝者によって書かれるので、前者に書かれているのは、後者で伝わっていたものの「真相」になる、と著者は言う。こういう対照の仕方を意識的にやっているのも、あまり例がない。たとえば、どちらにもこの世界の地図が付いているが、同じ地形で地名はまったく異なる。あたりまえといえばあたりまえ、単純なことではあるが、目の前に並べられてみると興奮してくる。

 サリヴァンは次の三部作がもうすぐ出るけれど、それは Riyria と First Empire をつなぐものになるそうだから、まずはこの三つのシリーズというか、2本と4冊を読んでみよう。


 The Riyria Revelations は最初の2冊だけ邦訳が出ている。2012年にたて続けに出してそれっきりだから、後続の巻が出ることはおそらく無いのだろう。しかし、これは読者としてはまことに困る事態だ。英語も読める読者はともかく、翻訳に頼る読者ももちろんいる。あたしだって英語以外はお手上げだ。全体で1本の話の最初の3分の1だけ出しておいて、後は知らないよ、というのは、『指輪』の第一部『旅の仲間』だけ出して後は知らない、というのに等しい。

 事情はいろいろあるのだろう。端的に言えば売れなかった、ということだろう。しかし、こういうことが続けば、読者の方も警戒する。どうせまた中断されるだろう、と長いものには手を出さなくなる。ますます売れない。

 しかし、長い話にはそこでしか味わえない愉悦がある。長い時間をかけて、複雑なプロットを読みほぐし、多数のキャラクターを読みわけて、その行動や思考や感情を追いかけ、そうしてその世界にどっぷりと浸ることは、他のどんなメディアでも、マンガでも映画でもテレビ・ドラマでもゲームでも味わえない快楽だ。「小説は長ければいいってもんじゃない」と言う人間は、長い小説の味をまだ知らない。長い小説は長いというそれだけで、まず価値がある。

 長い小説の翻訳を中断するのはその愉悦を味わうチャンスを奪うわけで、中断するかどうかの判断は慎重にされていると期待する。

 出版社が出してくれないなら自分で出す、というのは今やごく普通の選択肢だが、翻訳の場合、自己出版は難しい。ちょっと考えただけでも、自分で書いたものを出すのとは別のレベルのシステムが必要になりそうだ。そういうシステムを造るのと英語を読めるようになるのと、どちらがハードルが高いだろうか。(ゆ)

5月17日・月
 先週末のSFファン交の例会はケン・リュウの特集だというので、そういえば、と積読してあった The Grace Of Kings を読んでみる。なぜか出た時にハードカヴァーで買っていて、第2巻 The Wall Of Storms もやはりハードカヴァーで買っていた。
 
The Grace of Kings (The Dandelion Dynasty)
Liu, Ken
Head of Zeus -- an AdAstra Book
2021-11-04


 読みだしてみれば、これは中国・秦末漢初の動乱を土台にしている。皇帝マピデレは始皇帝だし、2人の主人公クニ・ガルとマタ・ジンデュはそれぞれ劉邦と項羽だ。クニの結婚までは劉邦の事蹟にかなり忠実に沿っている。クニの妻ジン・マティザは呂雉(呂后)、コゴ・イエルは蕭何になる。「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」まで出てくる。本来これは秦に対して最初の反乱を起こした陳勝が言ったことになっているが、それを劉邦=クニに言わせている。今後、張良、樊噲、韓信、曹参、范増などに相当する連中が出てくるか。それと、どこから、どうやって中国の歴史から離れるか。

 始皇帝による初の中国統一から漢による再統一にいたる時期は中国史の中でも屈指の動乱期で、英雄雲のごとく湧き出たたいへんに面白いところだが、司馬遼ぐらいで案外に小説化されていない。やたら人気のある漢末の三国志とは対照的だ。劉邦は庶民から出て天下を取った中国史上たった2人のうちの1人で、もう1人の明の朱元璋より人間的には魅力がある。何より劉邦は性格が明るい。三国志で言えば曹操が一番近いだろうが、曹操よりも一回り、人間のスケールが大きい。曹操が劉邦の同時代人だったら、せいぜい二線級の軍指揮官というところだろう。曹操も含めて、三国志の英雄たちはどうもみんな真面目すぎる。真面目なところが日本語ネイティヴには人気があるんだろうが、だから誰も天下を獲れなかったとも言える。劉邦も項羽もどこか決定的に破天荒なところがある。

 ケン・リュウがこの時代を土台に据えたのは面白い。三国志は手垢がつきすぎていることもあるし、劉邦と姓が同じこともあったのかもしれないが、巻頭の献辞によれば、幼ない頃、祖母とともに聞き入ったラジオの pingshu でさんざんこの時代のドラマを聞いたいたことが大きいようだ。pingshu は日本語ウィキペディアでは唐代の説話しか出てこないが、英語版によれば1980年代以降、中国北半分で、とりわけラジオでたいへんに人気のある話芸で、わが国の講談に相当するものらしい。都会では幼ない劉宇昆と祖母のように、家族でラジオにかじりつき、農村では田畑にラジオを持っていって、農民たちは聞きながら農作業をしたそうだ。pingshu は普通音楽はつかないらしいが、あるいは講談よりは、かつての平曲や太平記語りにより近いのかもしれない。ウルドゥ語に伝わる「ダスタン」にも通じるものだろう。ダスタンからは『アミール・ハムザの冒険』というとんでもない代物も出ているが、ケン・リュウが「シルクパンク」と呼ぶこの小説はどこまで行けるか。

 ケン・リュウは日本独自編集の作品集が3冊も出るほど人気がある由だが、主著といえばやはりこの The Dandelion Dynasty 『蒲公英王朝記』に留めをさす。第3部になるはずのものが、トランプ政権成立をきっかけに膨れあがり、第1、第2巻を合わせたよりも長くなった。結局第3部は各1,000ページの2冊に別れて出る。この間の事情を伝えるメール・ニュースはなかなか読ませる。とにかく話の向かうところ、キャラクターたちの目指すところにまかせ、ひたすら書き続けた。一つ山を越えるとさらに高い山が聳えている。しゃにむにそれを登ってゆく。作家として持てるものをありったけぶちこむ。それによってさらに成長して得たものもぶちこむ。その結果が第3部だけで80万語、四百字詰め原稿用紙8,000枚、『グイン・サーガ』20冊分になった。

 2015年に第1巻、2016年に第2巻とたて続けに出した後、壁にぶちあたったそうだ。それがトランプの登場でギアが入った。ケン・リュウは11歳でアメリカに移住しているが、帰属意識、アイデンティティとしてはアメリカ合州国市民であるようだ。移民の国としてのアメリカ、多様性を基盤とするアメリカを否定するトランプ政権は自分の存在そのものへの脅威だったのだろうか。それに対してどういう回答を出したかを知るには、この第3部まで読まねばならない。その回答はアメリカ市民にとってだけでなく、同じ惑星に同時代に生きる者としてのあたしらにも無関係ではない。多様性を否定することに熱心な社会をめざすこの列島に生きる人間の1人としては、むしろ密接に関わる。

 ディレーニィやバトラーに始まる黒人系、Rebecca Roanhorse が飛びだしたアメリカン・ネイティヴ系(Craig Kee Street もいる)、Silvia Moreno-Garcia などのラテン系、Ekpeki Oghenechovwe Donald が台風の眼になりそうなアフリカ系などなど英語圏は多様化の嵐が始まったばかりだが、ケン・リュウやアリエット・ド・ボダール、ミシェル・ウェストのようなアジア系はやはり一番気になるし、共鳴もしやすい。この『蒲公英王朝記』が中国の歴史を土台にしていることは、あたしらならすぐにわかるが、英語圏の平均的読者にはなかなかわかるまい。その点でも有利ではある。第3巻 The Veiled Throne が出る11月は満を持して待ちたい。幸い、ケン・リュウの英語は第2言語であることも作用してか、比較的平易で、読みやすい。(ゆ)

The Tea Master and the Detective
Aliette De Bodard
Subterranean Pr
2018-03-31


The Tea Master and the Detective (English Edition)
Aliette de Bodard
JABberwocky Literary Agency, Inc.
2018-04-02


 Subterranean Press から今年3月に書下しで出たノヴェラ。93ページの薄い本である。

 舞台としては著者が10年来書き続けている Universe of Xuya シリーズの宇宙で、話はホームズものの再話。ホームズの贋作あるいは特定の話の語り直しというよりは、キャラクター設定と話の骨格を借りたもの。ここではホームズもワトスンも女性で、ワトスン役はPTSDで退役した軍艦というのがミソ。アン・マキャフリィの「歌う船」以来のアイデアだが、今時の話らしく、VR、AR がごく普通に使われている。船のAIはアヴァターを使って人間や他の船のAIと接触する。マイクロ・マシン、ボットも欠かせないこの世界の住人だ。もっとも金のある者はボットよりもインプラントを好むらしい。

 視点はワトスン役の軍艦 The Shadow's Child のAI。このAIはコンピュータまたは電子頭脳というよりは永野護の『ファイブスター物語』に出てくるファティマに近いようでもある。話の少し前に叛乱があり、その際、深宇宙で待伏せにあって乗り組んでいた部隊が全滅し、艦自体も航行不能になる。幸い、僚艦が近くを通りかかって救われるが、兵員輸送艦だった彼女は載せていた部隊が全滅したことで重いPTSDを負い、深宇宙へ行けなくなる。そのためもあって退役し、今は短距離の単発の輸送の仕事とお茶のブレンドでかろうじて食べている。このお茶はいろいろな作用を精神にするもので、深宇宙に入っても気が狂わないようにしたり、創造性をかきたてたりできる。相手を肉体的精神的に分析し、最適のものをブレンドする。「影子」はそのマスターでもあり、タイトルの「茶師」はそこからきている。

 ホームズ役のロン・チャウが深宇宙にある死体を研究するためと称して、影子を雇うことから話が始まる。そのため、影子はロン・チャウを乗せて深宇宙の縁に入る。影子はPTSDの原因である待伏せの記憶がよみがえるので、深宇宙の奥には入れない。

 この宇宙では深宇宙 deep spaces(複数形)は、惑星近傍の空間とは性質を異にし、通常の人間が無防備で入ると気が狂う。物理的にもより苛酷で、近傍空間では宇宙でも人間を保護する shadow skin も深宇宙では役に立たず、ボロボロになる。

 ロン・チャウがある難破船の周囲に、他とは異なる死体を発見して、事件が現れる。この死体の謎を解決するストーリーと、影子がロン・チャウの過去を調べるストーリーが平行して進む。ロン・チャウは叛乱前の経歴が空白で、叛乱後、ある金持ちの娘の失踪事件に関連して多額の金を手に入れている。二つはクライマックスで合流し、謎も解け、影子もトラウマを一部克服し、ロン・チャウとの間に絆、一種の信頼関係ができる。当然、このコンビの話はサブ・シリーズとして展開されるだろう。

 第二言語である英語で書いているせいもあろうが、記述は簡潔。とはいえ、微妙な心の動き、表情の読み合いはしっかり捉える。表面はハードボイルド的感触だが、叙述はむしろ細部の微妙な綾まで書きこむ。技術的背景などにはスペースは割かない。ファンタジィの要素は随所にあるが、話の組立て、肌触りはサイエンス・フィクションだ。

 シュヤ宇宙はアジア系の宇宙であって、キャラクターはいずれも中国やヴェトナムやタイやの名前を持つ。日本名はこの話では出てこない。船の名前も「影子」The Shadow's Child やら「桃園の三人」The Three In The Peach Gardens やら、英語圏出身の書き手では思いつかないものばかり。星系の航行官制は Traffic Harmony だ。ちなみに著者はフランス系ヴェトナム人でニューヨーク生まれ。第一言語はフランス語でパリに住み、エコール・ポリテクニークを出て、ソフトウェア・エンジニアを仕事としているが、小説は英語で発表している。ニュースレターによれば、原稿はまず手書きで書いているらしい。しかも、万年筆を使う。ペンはペリカンや台湾製で、インクと紙は日本製を愛用している。

 シュヤ宇宙を舞台としたシリーズは2007年から発表している中短編で、この話が27本め。ノヴェラはこれも含め3本、ノヴェレットが10本、短篇14本。このうちネビュラ2個、ローカス1個、BSFA1個を3本の作品が獲っている。半数は各種年刊ベスト集に収録。しかし、単行本にまとまっているのは2014年のスペイン語版のみ。全部読もうとすれば、各種雑誌、アンソロジーを渡り歩かねばならない。邦訳は無い。というよりも、この人の邦訳は2010年の短篇が1本、SFM にあるだけだ。一体、どうなっているのだ。あるいは、今展開している異次元のパリを舞台にしたファンタジィのシリーズ、Dominion of the Fallen は長篇三部作が中心だから、そちらの邦訳が準備されているのだろうか。

 とまれ、まずはシュヤ宇宙の全貌をとらえるべく、作品の蒐集を始めたところだ。(ゆ)

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