07月02日・土
Vin Garbutt の自伝 All The Very Best! が出ている。
死ぬ数年前に書いておいたものだそうだ。
ニック・ジョーンズ、ディック・ゴーハンと並んで、「トレイラー三羽烏」と我々は呼んでいた、ブリテンのフォーク・リヴァイヴァルの「スター」の1人。ギターは名人、歌はポール・ブレディとタメを張る名手、母方のアイリッシュの血筋からか、故郷ミドルズバラのアイリッシュ・コミュニティのセッションで鍛えられたホィッスルも巧い。そして作曲の才は抜きんでていた。
難しい問題に正面から直言する姿勢から、一時、フォーク・シーンの主流から干されたこともある。いろいろな意味で過小評価されている人だ。彼の世代で自伝ないし回想録が出るのは初めてだ。進行中のビル・リーダーと彼が関った人びとの集団伝記と並べて読みたい。
%本日のグレイトフル・デッド
07月02日には1971年から1995年まで9本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1971 Fillmore West, San Francisco, CA
金曜日。この後は31日まで夏休み。
このヴェニューでの最後のショウ。44ないし45本目。初出演は記録の上では1968年08月20日だが、同じ年のその前に、日付不明ながら出ているという説がある。
周知の通り、このヴェニューはデッドやエアプレインたちが自主経営した Carousel Ballroom の施設の名前をビル・グレアムが変えたもので、この数字はカルーセル・ボールルーム時代は含めていない。 これを入れれば59本と DeadBase XI は言う。ちなみにフィルモア・イーストには Deadlists によれば43回出ている。こちらの最後はこの年の04月29日。
周知の通り、このヴェニューはデッドやエアプレインたちが自主経営した Carousel Ballroom の施設の名前をビル・グレアムが変えたもので、この数字はカルーセル・ボールルーム時代は含めていない。 これを入れれば59本と DeadBase XI は言う。ちなみにフィルモア・イーストには Deadlists によれば43回出ている。こちらの最後はこの年の04月29日。
第一部クローザー〈Good Lovin'〉、第二部12曲のうちクローザー〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Not Fade Away〉のメドレーも含む9曲の計10曲が《Skull & Roses》50周年記念デラックス盤でリリースされた。FM放送されたため、音質の良いブートが昔から出回っている。
第一部をブートで聴くと、11曲目の〈Hard to Handle〉でようやくスイッチが入り、聴衆の反応もレベルが変わる。クローザーの〈Good Lovin'〉もこれに並ぶ。公式リリースの第二部も調子はそのまま維持される。
2. 1981 The Summit, Houston, TX
木曜日。開演8時。05月21日以来のショウ。夏のツアーの開始。まずは14日までの9本。
3. 1985 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
火曜日。前売13.75、当日14.75ドル。開演7時半。結成20周年記念ツアー。
アンコール2曲目〈Brokedown Palace〉の歌いだしをガルシアが失敗して、やり直し。
4. 1986 Rubber Bowl, University of Akron, Akron, OH
水曜日。20ドル。ボブ・ディラン&トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアーの一環。
第一部4〜5曲目〈Little Red Rooster〉〈Don't Think Twice, It's Alright〉〈It's All Over Now, Baby Blue〉にディラン参加。
第二部3曲目〈Playing In The Band〉のジャムから次の〈Desolation Row〉にかけて、ガルシア不在。
5. 1987 Silver Stadium, Rochester, NY
木曜日。17.50ドル。開演6時。
演奏は最高だったが、施設のトイレは最悪の部類で、あふれた小便が床を流れ、女性たちでさえ、外でやらざるをえなかった。
6. 1988 Oxford Plains Speedway, Oxford , ME
土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。リトル・フィート前座。
すばらしいショウの由。
第一部3曲目〈West L.A. Fadeaway〉の後、聴衆からの "We want Phil!" に対してレシュがマイクに近寄って言った。
「バンドの他の連中がねたむと思わないか。ミッキーを呼んでくれ。ビルやジェリーやブレントを呼んでくれ。この次誰かが "We want Phil" と叫んだら、みんなは "We want Brent" か "We want Mickey" と呼ぶんだ。いいな。わかったな。頼むぜ」
続いてウィアが言った。
「その次はクルーに移ればいい。スティーヴやキッドの名前を叫ぶんだ」
次の〈Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again〉の後、また "We want Phil" が出たのでウィアが言った。
「フィルには聞えないよ。彼はここ10年ほど、まったく耳が聞えないんだ(笑)。ただ、静かにしてれば、唇は読める(さらに笑。続いて "We want Brent" で、ミドランドが立ち上がる)。ブレントにも聞えないよ。逃げ出してるからな」
ガルシアが言った。
「ウィアの言うことはまともにとるなよ。もう何年も気が狂ってるんだ(大きな笑と歓声)」
Drums の後でゲートが開かれて、定員35,000のおそらく倍以上の人間が入っていたので、出るのに時間がかかった。以上、DeadBase XI の John W. Scott のレポートによる。
7. 1989 Sullivan Stadium, Foxboro, MA
日曜日。開演5時。ロス・ロボス前座。
ここから19日までのツアー11本のスタート。このツアーは夏のツアーとしてベストの一つと言われ、04日から13日までの6本の完全版がリリースされている。ここから翌年夏のツアーまでがデッド第三のピーク。
アンコール〈The Mighty Quinn (Quinn The Eskimo)〉が《Garcia Plays Dylan》で、第二部オープナー〈Friend Of The Devil〉が《All The Years Combine, DVD Bonus Disc》で、第二部クローザー前の〈Dear Mr Fantasy> Hey Jude〉が《Long Strange Trip》サウンドトラックで、各々リリースされた。
〈Dear Mr Fantasy> Hey Jude〉は1980年代後半のショウの目玉の一つとなり、これは中でもベストの一つだろう。ミドランドがリード・ヴォーカルで歌いだし、2番からガルシアがコーラスを合わせる。ここではミドランドのハモンドとガルシアのギターが掛合いを演じ、各々ソロをとりあい、あるいは同時にリードをとることもする。それを両ドラマーが煽る。後半、〈Hey Jude〉では、コーラスから入り、他のメンバーがコーラスをやっている一方で、ミドランドが〈Dear Mr. Fantasy〉を即興で歌う。ここが何ともカッコいい。こういう芸当ができたのは、ミドランドだけだった。歌の後のジャムがまたいい。ガルシアが華麗なソロを打出し、やがてインストで〈Hey Jude〉のコーラスにまとまって一息ついたところで、クローザーの〈Sugar Magnolia〉に転換する。
〈The Mighty Quinn (Quinn The Eskimo)〉は1985年12月30日初演で最後まで演奏された。クローザーやアンコールが多い。ガルシアの持ち歌で、ここでのヴォーカルは元気いっぱい。短かいがシャープなソロも入れる。
このショウもなんとか全体を出して欲しい。
オープナー〈Playing In The Band〉の戻りは次の04日のショウの第二部4曲目。
8. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。26.50ドル。開演7時。
第一部5曲目〈Desolation Row〉でウィアはアコースティック・ギター。
9. 1995 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
日曜日。30.50ドル。開演7時。レックス財団ベネフィット。
ガルシアに殺すという脅迫があったため、客電は点灯したままにされた。
3曲目〈Dire Wolf〉は前日に死んだウルフマン・ジャックに捧げられたとも見える。
第一部6曲目〈Desolation Row〉でウィアがアコースティック・ギター。
この曲の最中、多数のチケットを持たない人間が客席後方のフェンスを乗り越え、押し倒して乱入した。ために、翌日のショウがキャンセルとなった。DeadBase XI で Beth Livingston は、一瞬だが、デッドヘッドであることが恥かしくなったと書いている。しかし、Gate crasher 押し入り屋と呼ばれたこの連中、ほとんどが10代、20代の男女はデッドヘッドとは言えない。デッドのファンですらない。音楽のファン、音楽が好きというのでさえもないかもしれない。ただ、当時有名なバンドのコンサートにタダで入れたのが嬉しいというだけのことだ。タダで有名なミュージシャンのコンサートに押し入ることが遊びなのだ。チケットを持たない多数の人間がデッドのショウに押し入ったのはこれが初めてではないが、こうして押し入ったショウでデッドのファンになり、以後はチケットを買った、という例はまだ見たことがない。皆無ではないのだろうが。
バンドの方は契約があるから、演奏を止めるわけにはいかない。プロモーターが続けろと言えば、続けざるをえない。プロモーターはチケット代を返せと言われるのが嫌だから、ショウを途中で止めようとはしない。演奏中に多数の人間がフェンスを押し倒して場内になだれこむのを目の当たりにして、当然バンドはショックを受ける。それでもプロ精神でとにかく最後まで勤めた。むしろ、この時期としては質の高い演奏をしてみせた。(ゆ)