クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:SSW

07月02日・土
 Vin Garbutt の自伝 All The Very Best! が出ている。
 


 死ぬ数年前に書いておいたものだそうだ。

 ニック・ジョーンズ、ディック・ゴーハンと並んで、「トレイラー三羽烏」と我々は呼んでいた、ブリテンのフォーク・リヴァイヴァルの「スター」の1人。ギターは名人、歌はポール・ブレディとタメを張る名手、母方のアイリッシュの血筋からか、故郷ミドルズバラのアイリッシュ・コミュニティのセッションで鍛えられたホィッスルも巧い。そして作曲の才は抜きんでていた。

 難しい問題に正面から直言する姿勢から、一時、フォーク・シーンの主流から干されたこともある。いろいろな意味で過小評価されている人だ。彼の世代で自伝ないし回想録が出るのは初めてだ。進行中のビル・リーダーと彼が関った人びとの集団伝記と並べて読みたい。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月02日には1971年から1995年まで9本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1971 Fillmore West, San Francisco, CA
 金曜日。この後は31日まで夏休み。
 このヴェニューでの最後のショウ。44ないし45本目。初出演は記録の上では1968年08月20日だが、同じ年のその前に、日付不明ながら出ているという説がある。
 周知の通り、このヴェニューはデッドやエアプレインたちが自主経営した Carousel Ballroom の施設の名前をビル・グレアムが変えたもので、この数字はカルーセル・ボールルーム時代は含めていない。 これを入れれば59本と DeadBase XI は言う。ちなみにフィルモア・イーストには Deadlists によれば43回出ている。こちらの最後はこの年の04月29日。
 第一部クローザー〈Good Lovin'〉、第二部12曲のうちクローザー〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Not Fade Away〉のメドレーも含む9曲の計10曲が《Skull & Roses》50周年記念デラックス盤でリリースされた。FM放送されたため、音質の良いブートが昔から出回っている。
 第一部をブートで聴くと、11曲目の〈Hard to Handle〉でようやくスイッチが入り、聴衆の反応もレベルが変わる。クローザーの〈Good Lovin'〉もこれに並ぶ。公式リリースの第二部も調子はそのまま維持される。

2. 1981 The Summit, Houston, TX
 木曜日。開演8時。05月21日以来のショウ。夏のツアーの開始。まずは14日までの9本。

3. 1985 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
 火曜日。前売13.75、当日14.75ドル。開演7時半。結成20周年記念ツアー。
 アンコール2曲目〈Brokedown Palace〉の歌いだしをガルシアが失敗して、やり直し。

4. 1986 Rubber Bowl, University of Akron, Akron, OH
 水曜日。20ドル。ボブ・ディラン&トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアーの一環。
 第一部4〜5曲目〈Little Red Rooster〉〈Don't Think Twice, It's Alright〉〈It's All Over Now, Baby Blue〉にディラン参加。
 第二部3曲目〈Playing In The Band〉のジャムから次の〈Desolation Row〉にかけて、ガルシア不在。

5. 1987 Silver Stadium, Rochester, NY
 木曜日。17.50ドル。開演6時。
 演奏は最高だったが、施設のトイレは最悪の部類で、あふれた小便が床を流れ、女性たちでさえ、外でやらざるをえなかった。

6. 1988 Oxford Plains Speedway, Oxford , ME
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。リトル・フィート前座。
 すばらしいショウの由。
 第一部3曲目〈West L.A. Fadeaway〉の後、聴衆からの "We want Phil!" に対してレシュがマイクに近寄って言った。
 「バンドの他の連中がねたむと思わないか。ミッキーを呼んでくれ。ビルやジェリーやブレントを呼んでくれ。この次誰かが "We want Phil" と叫んだら、みんなは "We want Brent" か "We want Mickey" と呼ぶんだ。いいな。わかったな。頼むぜ」
 続いてウィアが言った。
 「その次はクルーに移ればいい。スティーヴやキッドの名前を叫ぶんだ」
 次の〈Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again〉の後、また "We want Phil" が出たのでウィアが言った。
 「フィルには聞えないよ。彼はここ10年ほど、まったく耳が聞えないんだ(笑)。ただ、静かにしてれば、唇は読める(さらに笑。続いて "We want Brent" で、ミドランドが立ち上がる)。ブレントにも聞えないよ。逃げ出してるからな」
 ガルシアが言った。
 「ウィアの言うことはまともにとるなよ。もう何年も気が狂ってるんだ(大きな笑と歓声)」
 Drums の後でゲートが開かれて、定員35,000のおそらく倍以上の人間が入っていたので、出るのに時間がかかった。以上、DeadBase XI の John W. Scott のレポートによる。

7. 1989 Sullivan Stadium, Foxboro, MA
 日曜日。開演5時。ロス・ロボス前座。
 ここから19日までのツアー11本のスタート。このツアーは夏のツアーとしてベストの一つと言われ、04日から13日までの6本の完全版がリリースされている。ここから翌年夏のツアーまでがデッド第三のピーク。
 アンコール〈The Mighty Quinn (Quinn The Eskimo)〉が《Garcia Plays Dylan》で、第二部オープナー〈Friend Of The Devil〉が《All The Years Combine, DVD Bonus Disc》で、第二部クローザー前の〈Dear Mr Fantasy> Hey Jude〉が《Long Strange Trip》サウンドトラックで、各々リリースされた。
 〈Dear Mr Fantasy> Hey Jude〉は1980年代後半のショウの目玉の一つとなり、これは中でもベストの一つだろう。ミドランドがリード・ヴォーカルで歌いだし、2番からガルシアがコーラスを合わせる。ここではミドランドのハモンドとガルシアのギターが掛合いを演じ、各々ソロをとりあい、あるいは同時にリードをとることもする。それを両ドラマーが煽る。後半、〈Hey Jude〉では、コーラスから入り、他のメンバーがコーラスをやっている一方で、ミドランドが〈Dear Mr. Fantasy〉を即興で歌う。ここが何ともカッコいい。こういう芸当ができたのは、ミドランドだけだった。歌の後のジャムがまたいい。ガルシアが華麗なソロを打出し、やがてインストで〈Hey Jude〉のコーラスにまとまって一息ついたところで、クローザーの〈Sugar Magnolia〉に転換する。
 〈The Mighty Quinn (Quinn The Eskimo)〉は1985年12月30日初演で最後まで演奏された。クローザーやアンコールが多い。ガルシアの持ち歌で、ここでのヴォーカルは元気いっぱい。短かいがシャープなソロも入れる。
 このショウもなんとか全体を出して欲しい。
 オープナー〈Playing In The Band〉の戻りは次の04日のショウの第二部4曲目。

8. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。26.50ドル。開演7時。
 第一部5曲目〈Desolation Row〉でウィアはアコースティック・ギター。

9. 1995 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 日曜日。30.50ドル。開演7時。レックス財団ベネフィット。
 ガルシアに殺すという脅迫があったため、客電は点灯したままにされた。
 3曲目〈Dire Wolf〉は前日に死んだウルフマン・ジャックに捧げられたとも見える。
 第一部6曲目〈Desolation Row〉でウィアがアコースティック・ギター。
 この曲の最中、多数のチケットを持たない人間が客席後方のフェンスを乗り越え、押し倒して乱入した。ために、翌日のショウがキャンセルとなった。DeadBase XI で Beth Livingston は、一瞬だが、デッドヘッドであることが恥かしくなったと書いている。しかし、Gate crasher 押し入り屋と呼ばれたこの連中、ほとんどが10代、20代の男女はデッドヘッドとは言えない。デッドのファンですらない。音楽のファン、音楽が好きというのでさえもないかもしれない。ただ、当時有名なバンドのコンサートにタダで入れたのが嬉しいというだけのことだ。タダで有名なミュージシャンのコンサートに押し入ることが遊びなのだ。チケットを持たない多数の人間がデッドのショウに押し入ったのはこれが初めてではないが、こうして押し入ったショウでデッドのファンになり、以後はチケットを買った、という例はまだ見たことがない。皆無ではないのだろうが。
 バンドの方は契約があるから、演奏を止めるわけにはいかない。プロモーターが続けろと言えば、続けざるをえない。プロモーターはチケット代を返せと言われるのが嫌だから、ショウを途中で止めようとはしない。演奏中に多数の人間がフェンスを押し倒して場内になだれこむのを目の当たりにして、当然バンドはショックを受ける。それでもプロ精神でとにかく最後まで勤めた。むしろ、この時期としては質の高い演奏をしてみせた。(ゆ)

東京・四谷のいーぐるでのイベント準備篇。
    
    試みに99枚を地域的に分けてみる。英国・アイルランドが29枚で、日本の4枚を加えてちょうど3分の1。
    
    音源をまったく持っていないのが12枚。所有率87.8%。もっともその気になれば全部揃えることは多分可能だろう。これから集めようとすれば、一番入手しにくいのは英 Trailer のものかもしれない。つまりヴィン・ガーバットとディック・ゴーハンの2枚。それにゲイ&テリー・ウッズの《BACKWOODS》もCD化はされていないはず。

ブリティシュ・トラッド編
01. Albion Country Band,  BATTLE OF THE FIELD#
02. Albion Dance Band, THE PROSPECT BEFORE US
03. Frankie Armstrong, LOVELY ON THE WATER
04. Anne Briggs, THE TIME HAS COME
05. Shirley Collins & Albion Country Band, NO ROSES#
06. Shirley & Dolly Collins, THE SWEET PRIMROSES
07. Sandy Denny, THE NORTH STAR GRASSMAN AND THE RAVENS#
08. Donovan, H. M. S. DONOVAN#
09. Nick Drake, FIVE LEAVES LEFT
10. Marc Ellignton, RAINS/REINS OF CHANGE#
11. Fairport Convention, LIVE AT THE L.A. TROUBADOUR#
12. Fairport Convention, FULL HOUSE
13. Archie Fisher, WILL YE GANG, LOVE
14. Vin Garbutt, THE VALLEY OF TEES#
15. Dick Gaughan, NO MORE FOREVER#
16. ERNIE GRAHAM#
17. HERON
18. Jack the Lad, THE OLD STRAIGHT TRACK#
19. A. L. Lloyd, LEVIATHAN!
20. Shelagh McDonald, STARGAZER
21. The Oldham Tinkers, FOR OLD TIME'S SAKE
22. The Pentagle, BASKET OF LIGHT
23. Plainsong, IN SEARCH OF AMELIA EARHART
24. Steeleye Span, TEN MAN MOP
25. Dave Swarbrick, SWARBRICK
26. June Taobr, AIRS AND GRACES
27. TIR NA NOG#
28. Richard & Linda Thompson, I WANT TO SEE THE BRIGHT LIGHTS TONIGHT
29. Gay & Terry Woods, BACKWOODS#

アメリカン・ミュージック編
01. Eric Anderson, BLUE RIVER
02. Andwella, PEOPLE'S PEOPLE
03. BALDWIN & LEPS
04. The Band, MUSIC FROM BIG PINK
05. David Blue, STORIES
06. Borderline, SWEET DREAMS & QUIET DESIRES
07. David Bromberg Band, MIDNIGHT ON THE WATER
08. CARP
09. Bobby Charles, BOBBY CHARLES
10. Guy Clark, OLD NO.1#
11. Gene Clark, WHITE LIGHT#
12. Bruce Cockburn, HIGH WINDS WHITE SKY
13. Leonard Cohen, THE BEST OF
14. Ry Cooder, INTO THE PURPLE VALLEY
15. Karen Dalton, IN MY OWN TIME
16. Bob Dylan, BLONDE ON BLONDE
17. Bob Dylan, DESIRE
18. Eggs Over Easy, GOOD'N CHEAP
19. FLOATING HOUSE BAND
20. FREEMAN & LANGE#
21. Donnie Fritts, PRONE TO LEAN
22. Alan Garber, ALAN GARBER'S ALBUM
23. Gerry Goffin, IT AIN'T EXACTLY ENTERTAINMENT#
24. ANDY GOLDMARK
25. GREASE BAND
26. Norman Greenbaum, PETALMA#
27. Arlo Guthrie, LAST OF THE BROOKLIN COWBOYS
28. Happy & Artie Traum, DOUBLE BACK
29. Bryn Haworth, SUNNY SIDE OF THE STREET
30. JOHN HERALD
31. Michael Hurley, HAVE MOICY!
32. JAMES & THE GOOD BROTHERS#
33. Eric Kaz, IF YOU ARE LONELY
34. CHRISTOPHER KEARNEY
35. The Kinks, MUSWELL HILBILLIES
36. Tony Kosinec, BAD GIRL SONGS
37. Lonnie Knight, SONGS FOR A CITY MOUSE
38. Lonnie Lane, ANYMORE FOR ANYMORE
39. Ken Lauber, COMTEMPLATION (VIEW)
40. Bob Martin, MIDWEST FARM DISASTER
41. KATE & ANNA McGARRIGLE#
42. Murray McLaughclan, ONLY THE SILENCE REMAINS#
43. Van Morrison, MOONDANCE
44. Mud Acres, WOODSTOCK MOUNTAINS#
45. Larry Murray, SWEET COUNTRY SUITE
46. Geoff Muldaur, IS HAVING A WONDERFUL TIME
47. Randy Newman, GOOD OLD BOYS
48. Don Nix, IN GOD WE TRUST#
49. OILY RAGS#
50. PACHECO & ALEXANDER
51. Dan Penn, NOBODY'S FOOL
52. Bonnie Raitt, GIVE IT UP
53. Leon Redbone, ON THE TRACK
54. SEANOR & KOSS
55. Chris Smither, DON'T IT DRAG ON
56. Rosalie Sorrels, ALWAYS A LADY#
57. Bruce Springsteen, GREETING FROM ASBURY PARK, N.J.
58. Guthrie Thomas, I
59. Loudon Wainright III, ATTACHED MUSTACHE
60. Tom Waits, CLOSING TIME
61. SAMMY WALKER
62. Jerry Jeff Walker, MR. BOJANGLES
63. Tony Joe White, HOME MADE ICE CREAM
64. Kate Wolf, BACK ROADS#
65. Steve Young, ROCK, SALT & NAILS#
66. TOWNES VAN ZANDT

日本編
01. あがた森魚, 噫無情
02. 荒井由美, ひこうき雲
03. 岡林信康, 金色のライオン
04. 雪村いづみ, スーパー・ジェネレイション#

    もちろん、これ以外にもブラック・ホークのコレクションを象徴するアルバムはたくさんあって、例えば Dirk Hamilton の《YOU CAN SING ON THE RIGHT OR BARK ON THE LEFT》とか、パチェコ&アレクサンダーのトム・パチェコの《SWALLOWED UP IN THE GREAT AMERICAN HEARTLAND》とか、J. J. Cale の《OAKIE》とか、Roger Tillison《ROGER TILLISON'S ALBUM》とか、マイク・ブルームフィールドの《ANALINE》とか、The Amazing Rhythm Aces の《STACKED DECK》とか、Garland Jeffry 率いる《GRINDER'S SWITCH》とか、Chilli Willi & the Red Hot Peppers の《BONGOS OVER BALHAM》とか、《THUNDERCLAP NEWMAN》とか、Jean Ritchie の《NONE BUT ONE》とか、ジャクソン・ブラウンの《LATE FOR THE SKY》とか、Ralph McTell の《STREETS...》とか、ポール・バターフィールドの《PUT IT IN YOUR EAR》とか、ボズ・スキャグスの 1st とか、《DANIELL MOORE》 とか、ドクター・ジョンの《GUMBO》とか、デイヴ・メイスンの《ALONE TOGETHER》とか、《BUTTS BAND》とか、これらは比較的新しめのところではある。英国、アイルランド、ワールド方面については書ききれない。
    
    要するに「もう一つの99選」も軽くできる。というのは当然ではある。当時のブラック・ホークのスタッフあるいはスモール・タウン・トーク編集部(松平さんは「99選」掲載号の発行当時、すでに店を離れていた)の意図は、99枚という数字に意味を持たせるのではなく、ここを入口として、その奥の世界に入ってきて欲しいということだったはずだ。
    
    たとえばの話、この99枚を集めたとして、そこから英国やアイルランドの伝統音楽の世界へ入っていった人はどれくらいいるのだろう。逆にまた、ここからアメリカ白人マイナー音楽の世界に入っていった人はどれくらいいたのだろうか。
    
    ぼくのようにブラック・ホークで育った人間は両方を受け入れる素地はある。それでも、あそこに通っていた当時、アメリカものがかかっている間は本など読んでいて、ブリテン/アイルランドものがかかると耳を傾けるという聴き方をぼくはしていた。『ブラック・ホーク伝説』の船津さんの記事によれば、逆の聴き方をしていた人もいた。おそらくはそちらの方が圧倒的多数派だったはずだ。
    
    ブリテン/アイルランドものとアメリカものの間に通底するところはあるにしても、表現型としての音楽は相当に違う。匂いや肌合いが違う。両方を同程度に愛聴するのは、たぶんかなり難しい。その壁はなにか「努力」して超えられるようなものではない。
    
    それでもこの「99選」が無ければ、このような音楽にはまったく触れることもない人もいるのだろう。だから、たとえ本来の意図からはずれた形にしても、とにかく99枚のレコードに接することは出発点にはなる、とも言える。
    
    だから、いーぐるでのイベントとしては、できれば「99選」だけで終わるのではなく、その次のステップ、上に挙げたような「99選」には入っていないがすぐれた同時代の録音や、こうした音楽の現在形を提示するものを続けたい。
    
    皮肉かもしれないが、松平さんがブラック・ホークを辞められた後、1980年代が過ぎると、松平さんがブラック・ホークで示した価値観/美意識に合う音楽はまた息を吹きかえし、むしろかつて以上に盛んになってゆく。アイルランド、英国をはじめとするヨーロッパのルーツ・ミュージックだけでなく、北米でも進化/深化は顕著だ。
    
    1990年代半ばには明らかになっていたそうした流れをどう見ておられたか、松平さんに訊ねたかった、と今になって想う。(ゆ)

 「ブラック・ホーク」の時代は過去のものになった。
この本『渋谷百軒店 ブラック・ホーク伝説』は、
そのことのひとつの証左でもある。
そうだ、自分の中にくすぶっていたあの時代への郷愁もあぶり出された。


 この中で、皆さん、口をそろえて言っているが、
「ブラック・ホーク」に通ったことと、
松平維秋の文業に接したことは、
ぼくにとっても決定的な体験だった。
しかし、今やはりあれは過去のことに属する。
「ブラック・ホーク」で聞いていた音楽そのものは、
今でも新鮮に聞き返すことができるが、
松平さんが「ブラック・ホーク」を去ってからも、
音楽自体は先へ進んでいる。

 松平さんが「ブラック・ホーク」を去った時に起きていたことは、
ロックのポップ化だけでは無かった。
これも、船津さんが書いているが、
次の時代への胎動も確実に始まっていたのだ。

 「99選」に含まれるアルバムは
いずれも時代を超えた価値を持ってはいる。
だが、
ディック・ゴーハンにしても、
ヴィン・ガーバットにしても、
ジューン・テイバーにしても、
あるいは
フェアポート・コンヴェンション
ペンタングル
アルビオンズのメンバーたちにしても、
みな、その後に巨大な仕事をしてきている。
死んでしまった人びとは別としても、
生きている連中はいずれもバリバリ現役だ。
オールダム・ティンカーズだって、
活動を続けている。
例外はアン・ブリッグスぐらいだ。

 その事情はトラッドだけでなく、
他の音楽にしても同じはずだ。
「99選」のリストを全部そろえるよりも、
あそこに名前が挙がった人びとの
「その後」や「今」を追いかける方が、
収穫は遙かに大きいはずだ。

 また、
すぐれたレコードはあの99枚に限られるわけではもちろんない。
同じくらいすばらしい、
あるいはもっとすばらしいものだって、
いくらでもある。
はやい話、ここに選ばれた人びとの後を追って、
たくさんの人びとがあらわれ出ている。
かれらに負けない、
ときにはかれらもかなわない
音楽をうみ出してきている。

 加えて、
良い音楽がすべて「ブラック・ホーク」にそろっていたわけでも無い。
初期の頃はいざ知らず、
「ブラック・ホーク」がとりあげたのは英語圏白人の音楽で、
それもブルース色は極力排除されていた。
テクノやプログレ、ハード・ロックやメタル系は別としても、
アメリカン・ミュージックの二つの高峰、
フランク・ザッパとグレイトフル・デッドも、
ほぼ無視されていた。
カントリーとブルーグラスの本流も、
オールド・タイムのコアの部分も、
直接の担い手よりは、
そうした音楽を消化して独自の音楽を作った人びとを通じての、
間接的な関わり方だった。

 つまりは、
「ブラック・ホーク」で聞けた音楽のタイプは、
ごくせまい範囲のものだったのだ。
むろん、それは意図的な制限であり、
あえて守備範囲を絞ることで、
その奥の広大な世界へ分けいるためだ。
そうやって客を選別し、固定客を増やす。
他のタイプを聴きたければ、どうぞ、他の店に行ってくれ。
ここでは、これしかかけないよ。

 99枚のレコードをそろえて聴くことも、
ひとつのアプローチではあるだろう。
しかし、そこで満足してしまっては、
この99枚が提示された意図を裏切ることになる。
ほんとうにやるべきことはそこから始まるからだ。
99枚を聴くことで、
音楽への、そしてその背後の文化への、
感性を鍛えること。
そして、その感性を使いこなして、
自分なりの何かをつかみとってゆくこと。
松平さんが、言い続け、書き続けたのは、
結局そのことの大切さであり、
言い続け、書き続けることで、
そうした営為に向かって、
リスナーを、読者を励ましていたのではなかったか。
叱咤激励と書きたいところだが、
松平さんに「叱咤」は似合わない。

 この本に登場する、その後独自の道をあるいてきた人びとも皆、
「ブラック・ホーク」でおのれの感性を磨き、
みがいた感性で自らの音楽をつかみとってきている。

 つまるところ、
かの人はこの人生をどう生きるかを、
自分の手でつかみとることの大切さを
言い続け、書き続けたのではなかったか。

 これこそ、「文化的雪かき仕事」でなくてなんだろうか。

 「99選」は松平さんの意図ではない。
彼が店にあるかぎりはありえない企画だった。
これは松平さんが去った後、
殘った人びと、後から来た人びとがその仕事を継承するための、
試みのひとつだった。

 ならば、自分なりの「99選」を作ることはどうだろう。
他人に見せるための99枚のリストを作ること。
その場限りの思いつきではなく、見るものを納得させるリスト。
見た人に、そのリストを持って(中古)レコード屋を回らせるだけの力のあるリスト。
これとはまったく重複せず、
しかし、同じくらい強烈な価値観を、感性を、哲学を主張するリスト。
そういうリストを、おまえは作ることができるか。

 この99枚のリストは、じつは読者に向かって、リスナーに向かって
靜かにそう問いかけている。(ゆ)

 この表紙をあらためて眺めていて、思うところあり。

 まず右端のこの青年は、やはり若い頃の松平維秋でしょうね。

 それから店の看板。上の "black hawk" の文字のその上は本来 "real jazz" でした。口絵 2pp. の写真参照。ちなみにこの店名は、サンフランシスコの有名なジャズ・クラブから借用したもの。

 下の看板に "British Trad" の文字がありますが、これも本物はなかったはず。

 それにしても、こういうイメージが定着しているとすれば、おそらくその原因は、当時「ブリティッシュ・トラッド」と呼ばれていた、ブリテン、アイルランドの伝統音楽とそれを元にしたロック、ポップス、あるいは同様の流れで展開されていたフランスや東欧の音楽を、公の場として、しかも日常的に聴けるところが「ブラック・ホーク」だけだったからでしょう。

 船津さんが書いているように、担当者によって避けられることはあったにしても、リクエストすれば断られはしませんでしたし、そもそも、こういうレコードがコレクションされていた店は他にありませんでした。

 「ブラック・ホーク」の「主流」だった、アメリカのルーツ志向のロック、ザ・バンドやスワンプ・ロック、カントリー・ロック、ニュー・グラス、シンガー・ソング・ライターといった音楽、あるいは英国でもキンクスやロニー・レーン、グリース・バンド、ヴァン・モリソンなどのアメリカ音楽をベースにしたものは、早い話、すぐ「お隣り」の「BYG」でもかかっていましたし、いまでも下北沢の「ストーリーズ」はじめ、何軒か、聞くことができる店はあるはず。いわゆるロック喫茶の看板を掲げていない、ごく普通の喫茶店や飲み屋で、聞けることもあります。ぼく自身、阿佐谷の飲み屋でトム・ウェイツの《クロージング・タイム》やエルトン・ジョンのセカンドを聞いたりした経験もあります。

 しかし、こと「ブリティッシュ・トラッド」あるいは「トラッド」に分類される音楽は、自宅や友人の家以外のところで聞いたことがほとんどありません。例外は、何かのイベント、例えば、松平さんが数年ぶりにDJを務めて、南青山のふだんはラテン音楽のかかる飲み屋で開かれたイベントのような時だけです。アイリッシュ・ミュージック・ブーム全盛時ですら、例えばアイリッシュ・パブでセッションやライヴ以外の時にかかっている音楽は、せいぜいがポーグスまでで、ドロレス・ケーンは愚か、プランクシティやボシィ・バンドすら聞いたことがありません。むろん、ぼくの知らないところでかかっていた可能性はありますが、ぼくの少ない経験からしても、まずその可能性はかぎりなく小さいでしょう。

 ここまで書いて思いだしました。千葉の駅に近い喫茶店で、「ダルシマー」という名前だったでしょうか、トラッドも含めて「ブラック・ホーク」に近いセレクションで音楽を聞かせているところがあると聞いて、一度訪ねていった覚えがあります。「ブラック・ホーク」がレゲエの店になっていた頃だと思います。いまでも健在なのでしょうか。

 とはいえ、東京23区内では、気軽に入れて、いつでもその気になれば「トラッド」を聞くことができた店は、1970年代当時、「ブラック・ホーク」だけでした。

 ですから、このての音楽に親しみ、さらには演奏までする人間がこの列島に現われるという現象が始まったのが「ブラック・ホーク」であることはまちがいありません。

 あちこちで何度も書いてきたことですが、アイリッシュ・ミュージックははじめ「ブリティッシュ・トラッド」の一部として入ってきて、聞かれ、認識されていました。現在のように、アイリッシュ・ミュージックのほうがイングランドやスコットランドの音楽よりも遙かに知名度が大きくなるとは、当時誰にも想像もつかなかったことなのです。

 クリスティ・ムーアやポール・ブレディやアンディ・アーヴァインは、マーティン・カーシィ、ディック・ゴーハン、ニック・ジョーンズ、ヴィン・ガーバット、デイヴ・バーランドたちとまったく区別なく、聞かれていました。

 ドロレス・ケーンもトゥリーナ・ニ・ゴゥナルも、フランキー・アームストロングやシャーリィ・コリンズやアン・ブリッグスの仲間だったのです。

 プランクシティやボシィ・バンドに相当するバンドはイングランドにはありませんでしたが、ちょっと変わったペンタングルと思っていた人もいたでしょうし、スコットランドにはバトルフィールド・バンドやアルバ、タナヒル・ウィーヴァーズがいましたから、これまたアイリッシュを意識させる存在ではなかったのです。

 すべてがひとくくりに「ブリティッシュ・トラッド」と受け取られていました。

 さらにその認識の中には、オーストラリアのブッシュワッカーズ、カナダのスタン・ロジャースといった英語圏だけでなく、ブルターニュのアラン・スティーヴェルや、フランスのマリコルヌや、オランダのファンガス、ハンガリーのコリンダ、ムジュカーシュとマールタ・セベスチェーンといった人びとも、含まれていたのです。「ワールド・ミュージック」が流行する何年も前の話です。

 こんにちのアイリッシュ・ミュージックの隆盛、定着は、本国での事情もむろん寄与しているにしても、そもそも「ブラック・ホーク」がなければ始まらなかったことなのです。

 「ブラック・ホーク」は小さな店でした。50人もはいれば満員になりました。「銀座の一等地」にあったわけでもありません。全国展開したチェーン店などでもありません。セレブが通っていたわけでもありません。この本にもあるように、ここに通っていた人たちがその後、名を上げた例には事欠きませんが、当時はみな、ごく普通の若者だったはずです。少なくとも、特別の存在には見えなかったはずです。

 けれども、「発信力」は店の規模には関係ないのでしょう。それを一身に担っていた松平維秋が店を離れて30年経って、ようやく、その「発信力」の真の規模が現われてくるのを、ぼくらは眼のあたりにしています。(ゆ)


 新宿のディスクユニオン・ルーツ&トラディショナル館では、この本の出版を祈念して、11月中旬、トーク・ショーを企画しているそうです。

 こういうイベントでは、意外な話が出てくることもあり、やっぱり、行ってみるかなあ。(ゆ)

このページのトップヘ