クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 四谷のジャズ喫茶「いーぐる」での村井康司さんの連続講演「時空を超えるジャズ史」第十回の最終回。

 連続はわかるが、断絶はどういうことだろう。と思ったら、ジャズの歴史には両方あると、村井さんは言う。つまりすぐ前を飛びこえてその前のジャズ、ずっと前のジャズ、さらにジャズ以外の音楽の「参照」だというのだ。

 ジャズ以外の音楽として今のジャズが「参照」しているのは、ヒップホップであり、80年代以降のR&Bやロック、初期アメリカ大衆音楽、中南米やアフリカの音楽だそうだ。これらはジャズとどこかでつながっている、と今のジャズをやっている人たちは感じているわけだ。

 と言われると、80年代以前、60年代、70年代のロックやR&B、あるいはソウルはどうなのだ、とその時代の音楽で育ったあたしなどはツッコミたくなる。

 というのはとりあえず棚に挙げて、村井さんが今のジャズの担い手としてサンプルにあげたのは、ロバート・グラスパー、カマシ・ワシントン、ノラ・ジョーンズ、そして UKジャズの面々。まあメジャー中のメジャー、この人たちを今のジャズの代表と言っても、どこからも文句は出ないでしょう。この3人の登場が今のジャズの隆盛を画したと言えるだろう。この3人が今のジャズの隆盛をもたらしたとは言わないが、ジャズが生まれかわって、新たな隆盛に向かっていることを、誰にもわかる形で示したとは言える。で、この人たち自身の音楽と、かれらが参照している音楽を交互に効いてみるという趣向。


 あたしはグラスパーの音楽がどうにも好きになれない。どうしてか、よくわからないが、とにかく気に入らない。今回、その参照項と並べられても、やはり気に入らないままである。

 村井さんによるとグラスパーはとにかくハンコックが大好きで、ハンコックのやったことをなぞっているところがあるらしい。まず最初はそのハンコックの1978年の曲と、グラスパーの2016年のハンコックのカヴァーを対比する。一番の違いはドラムスの叩き方で、グラスパーの方はヒップホップを経たスタイル。まあ、今風の、故意にノイズを入れた、「ローテク」なもの。ひょっとするとこれは叩き方というよりも録り方の違いなのではとも思える。ハンコックの方のドラムスは、ああ、これは70年代のサウンドとあたしにもわかる。で、あたしはこのハンコックの方のドラムスを好ましいと感じるのだ。

 村井さんも、後藤さんも、グラスパーの方が新しい、ハンコックのはいかにも古いとおっしゃるが、新旧の違いはあたしにはよくわからんし、あまり意味があるとも思えない。今は新しくても、すぐに古くなる。ヒップホップに匹敵する大きな現象がまたすぐ起きるとは思えないけれども、あれが最後であるはずもない。それにものごとが変化する周期は、今世紀に入っておそろしく短くなっている。昨日新しくても、明日には古くなる、どころではない。あのラファティの傑作「長い火曜の夜だった」にあるごとく、朝には新しくても、夕方には古くなっているくらいだ。

 もっともそうなるとちょっと古いものが新しいものとして「再発見」されることも増える。1980年代の音楽が近頃もてはやされているのもそういうことではないか。

 それがなぜ70年代や60年代にまで遡らないか、と問うて明瞭が答えが出るとも思えないが、距離が遠すぎるのかもしれない。自分が生まれる前の時代はみな遠い。ただ、生まれる20年くらい前まではまだつながりが感じられるものだ。つまり親が生まれた頃まではつながりを感じる。あたしの両親は昭和一桁生まれだから、1930年代まではつながりを感じる。これが大正になると途端に遠くなる。明治は異世界だ。

 ところがわが国の場合、1930年代と1950年代では世の中があまりに違いすぎる。つながりはあっても、共感できるものはごく少ない。そうなるとあたしの場合、青春期であった1970年代が最も共感できる時期になる。

 グラスパーやワシントンやジョーンズたちにとって、自分が生まれた時期と今は同じ世界にある。少なくともアメリカ文化圏ではそうだろう。それに、一度は表舞台から消えたように見えてもその時代の産物は様々な形で残っている。アクセスが可能だ。デジタル化によって、アクセスはさらに格段に簡単になった。そこで「再発見」されるわけだ。

 グラスパーやワシントンやジョーンズたちが今のジャズ隆盛の旗手として登場したのは、そうした古いものを再発見できる環境が整った時期に育ち、これを使いこなせるようになった最初の世代だったからではないか。そして、かれらに古いものは実は新鮮だよ、それを使うと面白いぜと教えたのがヒップホップだった、というのはどうだろう。

 グラスパーが売れたのは、その肌触りが冷たく、演っている音楽からも一歩距離を置いたように聞えるからではないか、とあたしは思う。いわゆる「チル」の感覚ではないか。一方で、ミニマルでありながら、機械的ではない。有機的なズレがある。あたしが反撥してしまうのは、そこかもしれない。ミニマルならどこまでも無機的でいてほしいのである。どこまでも無機的に繰返される、その奥からひどく生々しいものがにじみ出るのが、ミニマル・ミュージックのあたしにとっての魅力だ。機械にまかせれば正確無比にやるところを、人間がキーを叩く形で介入するためにズレが生じる。そのズレを今度は故意に人間が再現してよろこぶ。そういう人間がいてもかまわないが、あたしはそういう人間にも、そういう人間がやっている音楽にも近寄りたくはない。

 カマシ・ワシントンはグラスパーに比べるとずっとジャズの王道に近い。村井さんも言うとおり、コルトレーンの正統な後継者と呼んでもいいくらいだ。そのワシントンが参照しているとして示されたのが、エチオピアのジャズ、エチオ・ジャズの最も有名なサックス奏者の1人、マッコイ・タイナー、そしてサン・ラである。

 エチオ・ジャズのサックスが持ってこられたのは、ワシントンが最新作でコプト語で歌われるエチオピアの伝統音楽をとりあげているからだ。面白いことにエチオピアはアフリカでも最も早くからポピュラー音楽が開花したところで、1960年代から膨大な音源があり、ここから編集したアンソロジー・シリーズがフランスの Buda から出ている。30枚近いタイトルの大きな部分をジャズが占める。

 おまけにエチオピアの伝統音楽はわが国のものとメロディがよく似ていることで有名だそうだ。なるほどここでかかった曲も、メロディだけもってきて誰かやれば、日本民謡だと言われても誰も疑わないだろうと思われる。

 エチオピアはアフリカの内陸国の例にもれず、多民族国家で、しかもここは古くからの歴史があり、帝国主義国が勝手に引いた国境線で区切られていない。ヨーロッパよりも古い、パレスティナから直接伝わったキリスト教があり、イスラームがあり、言語も多様。たくさんある文化集団の各々に伝統音楽がある。わが国とメロディの似ているのはそのごく一部だ。

 マッコイ・タイナーは1976年のオーケストラとの共演。アイリッシュ・ミュージックの連中が功成り、名遂げると、いや時にはローカルでのみ有名な連中も、みんなオーケストラと演りたがるのは、こういうところに淵源があったわけだ。いや、たぶん、もっと前からの習性ないし性癖なのだろう。クラシックのオーケストラというのは、ジャンルを問わず、ミュージシャンにとってはたまらない魅力があるのか。音楽を演るための編成としては、人類が生みだした最大のものではある。

 ワシントンはデビュー作からの1曲で、確かにかれにはできる限り壮大な音楽を生みだそうという習性ないし性癖がある。

 サン・ラとの対比はどちらもビデオ。編成といい、衣裳といい、音楽といい、そしてリーダーのカリスマといい、これまたまさに後継者。


 ノラ・ジョーンズで村井さんが指摘したのは、ジョーンズが歌っているのはジャズ以前の曲ばかり、ということで、ここで対比されたのが、あたしとしてはこの日最大のヒット、マリア・マルダー。文字通り、あっと思いました。そうだ、この人がいたじゃないか。伝統歌からディラン、ゴスペルからジャズ、おそろしく幅が広く、しかも何をどう歌ってもマリア・マルダーの歌である。自分ではほとんど曲を作らないのに、歌ううたはどれもこれもまぎれもないマリア・マルダー節。ひょっとすると彼女こそはアメリカーナの化身、アメリカン・ソングの女神、一国に一人しかいないディーヴァではないか。彼女のセカンド《Waitress In A Donut Shop》1974から、ミルドレッド・ベイリーが1936年に出した〈Squeeze me〉のカヴァーがかかったのが、この日最も感動した音楽でした。

 対比の3曲目にディランの〈I'll be your baby tonight〉をそれぞれ歌った録音を聴いたのだけれど、比べてしまうと、ノラさん、まだまだ修行が足りんよ。


 UKジャズからの遡行の例として選ばれたのは、セオン・クロス、ヌバイア・ガルシア、シャバカ・ハッチングスの3人。これまたこの3人をもって代表とするのはどこからも異論は出ないでしょう。

 何といっても、セオン・クロスがヌバイア・ガルシアとモーゼズ・ボイドの3人でやっている〈Activate〉が凄い。これは前回もリストにはあがっていたが、時間不足で飛ばされていた。チューバとドラムスの組合せということではわが「ふーちんぎど」も負けてはいないと思うけれども、このトリオの演奏は現代ジャズの1つの極致、とあたしは思います。

 そのガルシアがコロンビアの女声トリオ La Perla と共演したのも面白い。コロンビアの音楽がガルシアというカリブ海つながりで、アメリカをすっ飛ばしてロンドンへ行くというのも面白い。

 そして3人め、シャバカ・ハッチングスに対比されたのが、この日2度目の「あっと驚くタメゴロー」(古すぎるか)、フェラ・クティ。そうだ、この人がいたじゃないか。シャバカが「あいつら、死んでもらうぜ」とおらべば、フェラが「そうさ、あいつらはもうゾンビ」と答える。こういうところがロンドンの面白いところ。ニューヨークではたぶんこうはいかない。ロンドンは広く開かれているけれども、ニューヨークはそれだけで自己完結してしまう。

 UK は帝国主義国家として、とんでもなくひどいことを散々やっているけれども、一方でその旧植民地から面白い人たちを集めて真の意味での坩堝にほうりこみ、新しいものを生みだす。ニューヨークは坩堝にはなれず、サラダボウルのままなのだ。


 ということで、「時空を超えるジャズ史」はともかくも現代まで到達した。村井さんとしてはこれをやることで見えてきたこともあり、新たに試してみたいことも出てきたそうで、むしろここは折り返し点にしたい意向だそうだ。むろん大歓迎で、すぐにというわけにはいかないだろうけれど、続篇をお待ちもうしあげる。

 あたしは全部は参加できなかったけれど、できた回はどれもこれも滅法面白かった。目鱗耳鱗ものの体験もたくさんさせていただいた。とりわけ、最後にマリア・マルダーとフェラ・クティという宿題をいただいたことは、最大の収獲のひとつでもある。

 とまれ、村井さん、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。(ゆ)

 Qobuz の無料トライアルからの有料版への移行をやめる。確かに Tidal より音は良いが、タイトル数が少ない。あたしが聴きたいものが Tidal にはあるが、Qobuz には無いことが多い。逆のケースは1か月試す間には無かった。例外は Charlotte Planchou だが、Apple Music で聴ける。いくら音が良くても、聴きたいものが無いのでは話にならない。あたしは音楽が聴きたいので、いい音が聴きたいわけじゃない。それにひと月 1,280円のはずが、なぜか自動的に Apple のサブスクリプションにされて 2,100円になるのも気に入らない。

 Tidal などのストリーミング・サーヴィスに一度は出すが、後でひっこめる場合があることに最近気がついた。ひっこめたものは Bandcamp で売っていたりする。Bandcamp に出したものをプロモーションのために Tidal に出したものだろうか。Bandcamp の音もだいぶマシになってきて、比べなければ問題ない。購入と同時にダウンロードできるファイルも 24/44.1 以上のものが増えてきた。

 今月はシンガーに収獲。Brigitte Beraha と Charlotte Planchou。こういう出会いがあるから、やめられない。それに Sue Rynhart のセカンドでの化け方に喜ぶ。


John-Paul Muir, Home Now
 ニュージーランド出身のピアニストの新作。かなり良い。とりわけ、シンガーの Brigitte Beraha がすばらしい。この人はギタリストとの新作も良かったことを思い出し、あらためて見直す。トルコ人の父親、トルコ系ブリテン人の母親のもとミラノに生まれ、コートダジュールに育つ。父親はピアニストでシンガー。ベースはイングランドで、歌も基本は英語で作り、歌っている。歌もうまいが即興がいい。録音はソロも含め、かなりある。追いかけてみよう。


Carmela, Carme Lopez, Vinde todas
 スペイン、ガリシアの伝統歌謡を調査、研究して歌う人。すばらしい。ただし、Bandcamp の説明も全部スペイン語かガリシア語。macOS による英訳も細かいところは要領を得ない。Carme Lopez としてはこの前にパイプのソロがあり、シンガー Carmela としてはファーストになる、ということのようだ。アルバム・タイトルは "Come All" の意味。これは Carmela 自身のソロというよりも、様々なソースから集めた生きている伝統の録音を中心に、Carmela が脚色しているようだ。どの歌もうたい手もすばらしい。Carmela の脚色はアレンジではなく、その周囲にサウンドケープを配置したり、声そのものに効果をつけたりして、歌とうたい手を押し出す。録音年月日はないが、元の録音からしてすばらしい。各トラックの情報をクリックすると個々のページに飛び、そちらに背景情報がある。スペイン語であろう。macOS で英訳すると、名詞代名詞などのジェンダーがおかしい。

Carme Lopez, Quintela
 そのカルメ・ロペスのファースト。こちらはパイプ・オンリー。これは凄い。ガリシアのバグパイプはスコットランドのハイランド・パイプと楽器そのものは同じはずで、あれからどうやってこんな音を出しているのかわからん。III ではドローンでメロディを演奏しているようでもある。IV では打楽器としても使う。Epilogue は多重録音。フーガ風。バッハのポリフォニーを想わせる。パイプの限界を破っていることは認める。ではそれが音楽として面白いか、と言われると、もう一度聴きたいと思うほどではない。一度は聴いて、こういうものもあると確認できればそれでいい。


Ganavya, Daughter Of A Temple
 マンチェスター在住のインド人シンガー、ベース奏者。声からすると女性。ヴィジェイ・アイヤーとかシャバカ・ハッチングスとかが参加している。ベースは仏教系のマントラ、詠唱を音楽にしたてている。[04]は明らかに日本語の「南無妙法蓮華経」の念仏を複数の男女が称えているフィールド録音。確かに巧まずして音楽になっていないこともない。が、それらしいクレジットは無い。全体として今ひとつピンとこないのだが、聞き流してしまうにはひっかかるものがある。後半の大半はコルトレーンの A love supreme の変奏。気になって聴いてしまい、途中でやめたくなることもない。一聴面白いという類のものではない。これはむしろ集中して聴くよりも、流れに身を任せて浸る類のものだろう。UK Jazz のレヴューによればライヴで録ったずっと長い録音を編集して短かくしているそうな。


Chloe Matharu, Small Voyages 2024 edition
Chloe Matharu, Sailors And Rolling Stones
  Simon Thoumire が今週のスコットランド音楽のお薦めにした人。インド系ということで発音、発声がちがう。声はユニーク。セカンドの電子音を使った方が面白い。以前はタンカーの幹部船員として世界中を回っていて、その体験を元に歌をつくりうたっている由。

 歌詞がわかると面白い。後者は歌詞が Bandcamp にも出ていないので、何を歌っているのか、まったくわからない。発音が独得で、前者でも歌詞として掲げられているとおりに歌っているとは、信じられない。

 ファーストは自身のクラルサッハとわずかなフィドル、アコーディオン、バゥロンらしき打楽器ぐらい。後者はグラスゴーの Tonekeeper Production が電子音のバックをつけている。いろいろやっているのだが、今ひとつ単調に聞える。発音と発声もずっと同じなのも単調に聞える理由の一つか。ユニークなのだが、その声を活かす表現には思いいたらないらしい。声のユニークさに頼っているように聞える。


A paradise in the hold, Yazz Ahmed, A Paradise In The Hold; 0:10:04
 待ってました。ヤズ・アーメドの来年発売予定の新作から先行配信。すばらしい。楽しみ。来年のベスト・アルバムの一枚は当確。

Christy Moore, A Terrible Beauty
 前作よりも元気な感じ。前作はようやく声を出しているようなところがあったが、今回は余裕がある。息子のコーラスがいい。

Clare Sands, Gormacha
 4曲オリジナル。なかなか面白い。歌が入るのはいい。この人はもう少し聴こう。

High Place Phenomenon > Rat Horns, Ross Ainslie, Pool;
 新作から3曲先行リリース。あいかわらず面白い。ただ、ますますミュージック・メーカーになってきて、本人の演奏の比率は少ない。

Ride on, Lack of Limits, Just Live; 0:07:01
 ドイツ、ブレーメンのフォーク・バンド。アイルランド、ブリテンの伝統歌を演奏。Tidal に1998年から2007年まで5枚ほど。フルートの前奏から歌に入る。初めはおとなしく歌っているが、途中からテンポを上げ、アグレッシヴになり、最後はまた静かに終る。コーラスには女声もいる。途中盛り上げようとするのはジャーマン・プログレに通ずるか。

Vazesh, Tapestry
 タール、サックス&バスクラ、ベースのオーストラリアのトリオによる即興。ストリーミングでは曲間が切れるが実質は全曲1本につながる。なかなか良い。しかし、ずっと同じ調子ではあり、ここがハイライトと紹介しにくい。ラストに向かって多少盛り上がる。タールの人はイランからの移民らしい。

Ben Wendel, Understory
 ベテランのサックス奏者がリーダーのカルテット。演奏はかなり面白い。型破りの曲と演奏。4人とも面白い。今風、というのとも少し違う感じ。コルトレーンが源流なのだろうが、遊びがある。サックスのソロの時も集団即興の感覚がある。

Sue Rynhart, Say Pluto
 アイルランドのシンガーのセカンド。ヒュー・ウォレンとベースの3人。冒頭のトラディショナルがまずいい。この歌の解釈として出色。2曲目以下の自作も面白い。ファーストよりずっと良い。ヒュー・ウォレンのおかげもあるか。Christine Tobin に続く存在になることを期待。

John Faulkner, Storm In My Heart
 同じタイトルの回想録が出たというので聞き逃がしていたのを聴く。一聴惚れこむわけではないが、一線は超えている。やはりCDは買わねばならない。

Kathryn Tickell, Return To Kielderside
 16歳で出したファーストの再演。最近のものよりずっとゆったりしている。ホーンパイプがいい。

Maire Carroll, Philip Glass: complete piano etudes
 面白い曲のまっとうな演奏。JM のレヴューによるとかなり破格な解釈らしいが、まっとうに聞える方がはずれているのか。かなり集中させられる曲と演奏で、一度に聴くには3曲が限度。


 アルジェリアのウード奏者、シンガー。シンガーとしても一級。かなりのスターらしい。バック・バンドはフィドルが両端、右からダラブッカ、小型のタンバリン、左にいって短かい縦笛、斜めに構えているようには見えない。ギター、カーヌーン。ヴァイオリンはどちらも膝に立て、前で弾く。右は左利き。右が冒頭にソロ。笛以外はコーラスもうたう。本人は中央手前に右足を台の上に置いて立つ。

 短かいヌゥバ、大衆歌謡としてのヌゥバ? 構成は同じ。バンドも楽器を一人にしている。ヴァイオリンは二人。YouTube にあるものを3本ほど聴く。

Jow Music Live = Habibi (?), Abbas Righi, 0:08:43
 上の曲の別ヴァージョンらしい。

 音声のみ。ヴァイオリン、カーヌーン、ウード、パーカッション、笛。


High Horse, High Horse
 ボストンのグループ。fiddler Carson McHaney, cellist Karl Henry, guitarist G Rockwell, and bassist Noah Harrington. 女声シンガー。コーラスも。かなり面白い。テンポが自在に変わる。フィドラーか、マンドリンもある。ストリング・バンドの変形。アルバムは12月発売。

Dougie McCance, Composed
 Red Hot Chili Pipers のパイパーのソロ。Ali Hutton と Katie MacFarlane がゲスト。曲のコーダ、ドラムスを思いきり利かせた部分の録音に疑問が残る。Bandcamp の限界か。

Lisa Rigby, Lore EP
 エディンバラのシンガー・ソング・ライター。なかなかのシンガー。面白い。

Mohammad Syfkhan, I Am Kurdish
 レバノンでミュージシャンとして成功していたが、内戦で国を出て、なぜかアイルランドに落ち着く。息子たちもミュージシャンでドイツにいる由。やっているのはアラブとマグレブの伝統的大衆音楽。ヴォーカルとブズーキ。録音はリズム・マシーンをバックに歌い、弾く。録音が粗いが、音楽はすばらしい。

Wayfaring Stranger, Scroggins & Rose, Speranza; 0:05:00
 ボストンのデュオ。Alissa Rose のマンドリン、Tristan Scroggins のフィドルのみ。即興がいい。ジャズにまでなっていない。フォーク・ミュージックの範疇でなおかつ飄々としている。マンドリンは妙な音をたてる。これが三枚目。Bandcamp では初。High Horse にも通じる。こういう形のアコースティック・バンドが一種の流行なのだろうか。

Jawari, Road Rasa
 シタール奏者をリーダーとする多国籍というよりは超国籍バンドの超国籍音楽。UK Jazz では手放しの絶賛だが、確かに面白い。〈桜〉はあの「さくらあ、さくらあ、やよいのそらはあ」なのだが、ものの見事に換骨奪胎されて、明瞭に土着性を残しながらローカルなアイデンティティをはるかに超える音楽になっている。しかも陳腐になる寸前でひらりと身をかわす軽業に目ではなく耳を奪われる。

Charlotte Planchou feat. Mark Priore, Le Carillon
 ストリーミング・オンリーのリリース。ただし Tidal には無し。イントロに続く〈Greensleaves〉でノックアウト。すばらしいシンガーとピアニストの組合せ。どちらにとってもこれがファーストらしいが、これ1枚だけでも歴史に残る。UK Jazz のレヴューによれば最低でも5つの言語で歌っている。英仏独西はわかる。何語かわからないものもある。〈Mack the knife〉はドイツ語だ。とんでもないうたい手。(ゆ)

9月8日・水

 LRB のチャーリー・ワッツについてのブログに孫引きされた Don Was のコメントを読んで、Tidal で『メイン・ストリートのならず者』デラックス版の〈Loving Cup〉の正規版と別ヴァージョンを聴いてみる。まことに面白い。別ヴァージョンが採用されなかったのはよくわかるが、あたしとしてはこちらの方がずっと面白い。ミック・テイラーのギターもたっぷりだし、何よりもドン・ウォズが「リズムの遠心力でバンドが壊れる寸前」という有様が最高だ。こうなったのは、ワッツがいわば好き勝手に叩いているからでもあって、ストーンズのリズム・セクションの性格が陰画ではあるが、よく現れている。


 対してデッドの場合も、ドラムスがビートを引張っているわけではない。この別ヴァージョンでのワッツ以上に好き勝手に叩くこともある。けれどもリズムが遠心力となってバンドが分解することはない。遠心力ではなく、求心力が働いている。ドン・ウォズの言葉を敷衍すれば、おそらくデッドでは全員がビートを同じところで感じている。だから、誰もビートを刻んでいなくても、全体としてはなにごともなくビートが刻まれてゆくように聞える。このことは Space のように、一見、ビートがまったく存在しないように聞えるパートでも変わらない。そういうところでも、ビートは無いようにみえて、裏というか、底というか、どこかで流れている。ジャズと同じだ。デッドの音楽の全部とはいわないが、どんな「ジャズ・ロック」よりもジャズに接近したロックと聞える。ジャズそのものと言ってしまいたくなるが、しかし、そこにはまたジャズにはならない一線も、意図せずして現れているようにも聞える。デッドの音楽の最も玄妙にして、何よりも面白い位相の一つだ。デッドから見ると「ジャズ・ロック」はジャズの範疇になる。



 FiiO から純粋ベリリウム製ドライバーによるイヤフォン発表。直販だと FD7 が7万弱。FDX が9万。同じ純粋ベリリウム・ドライバーの Final A8000 の半分。DUNU Luna も同じくらいだが、今は中古しかないようだ。FiiO のはセミオープンだから、聴いてみたい。FDX はきんきらすぎる。買うなら FD7 だろう。ケーブルが FDX は金銀混合、FD7 は純銀線。それで音を合わせているのか。どちらも単独では売っていない。いずれ、売るだろうか。いちはやく YouTube にあがっている簡単なレヴューによれば、サウンドステージが半端でなく広いそうだ。こんな小さなもので、こんなに広いサウンドステージが現れるのは驚異という。



##本日のグレイトフル・デッド

 1967年から1993年まで8本のショウ。


1. 1967 Eagles Auditorium, Seattle, WA

 シアトルへの遠征2日間の初日。ポスターが残っていて、デッドがヘッダー。セット・リスト無し。

 ピグペン22歳の誕生日。当時ガルシア25歳。クロイツマン21歳。レシュ27歳。ウィア20歳。ハンター26歳。

 ビル・グレアムは、この日デッドは Fillmore Auditorium に出ていた、と言明しているそうだ。


2. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 前日に続いて同じヴェニュー。この日のショウは《Dave's Picks, Vol. 38》に完全収録された。残っているチケットによると料金は5.50ドル。

 ガルシアのギターが左、ウィアのギターが右。

 珍しくダブル・アンコール、それも〈Stella Blue > One More Saturday Night〉というまず他にない組合せ。さらに後半4曲目〈Let Me Sing Your Blues Away〉ではキースがリード・ヴォーカルをとる。この曲はロバート・ハンターとキースの共作でこの時が初演。同月21日まで計6回演奏。《Wake Of The Flood》が初出。〈Here Comes Sunshine〉とのカップリングでシングル・カットもされた。

 〈Weather Report Suite〉も組曲全体としてはこの日が初演。

 演奏はすばらしい。この年は前年のデビュー以来のピークの後で、翌年秋のライヴ停止までなだらかに下ってゆくイメージだったが、こういう演奏を聴くと、とんでもない、むしろ、さらに良くなっていさえする。もっとちゃんと聴いてみよう。


3. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO

 3日連続同じヴェニューでのショウの最終日。


4. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI

 3日連続同じヴェニューでのショウの中日。


5. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA

 同じヴェニューで4本連続のショウの初日。


6. 1990 Coliseum, Richfield, OH

 前日に続いて同じヴェニュー。後半3曲目〈Terrapin Station〉の後のジャムが《So Many Roads》に収録された。


7. 1991 Madison Square Garden, New York , NY

 1988年に続いて MSG で9本連続という当時の記録だった一連のショウの初日。ブルース・ホーンスビィ参加。


8. 1993 Richfield Coliseum, Richfield, OH

 秋のツアー初日で、同じヴェニューで3日連続の初日。(ゆ)


9月6日・月

 London Jazz News にチャーリー・ワッツの追悼記事として、2001年のインタヴューの抜粋が出る。なかなか面白い。フェアポート・コンヴェンションのデイヴ・マタックスがジャズが好きで、バンドをやっているのは承知していたが、ワッツがこんなにジャズに入れこんでいたとは不勉強にして知らなんだ。




 ワッツにジョン・マクラフリンとトニィ・ウィリアムスのライフタイム、それにサティのジムノペディを教えたのがミック・テイラーだというのは面白い。テイラーの音楽にこういうものの響きは聞えたことがない。ギターのスタイルはマクラフリンとは対極だし。あの手数の少なさはサティからだろうか。チャーリー・ワッツのジャズのレコードはストリーミングにほとんど出てこない。「いーぐる」で誰か特集してくれないかな。


 『趣味の文具箱』のインク特集を買おうとして版元が変わっているので検索すると、元のエイ出版社は民事再生法を2月に申請。直後に事業の一部をヘリテージに譲渡、とある。このヘリテージというのが臭い。公式サイトには会社の内容の記載がない。譲渡された以外の事業の記載も無い。設立は昨年9月。儲かっている事業だけ残して、他は一気に整理するための計画倒産を疑う。昔、一度、あるレコード会社でやられたことがある。あたしの被害はCD1枚のライナーの原稿料だけだったから大したことはなかったが、今回のこれで致命的やそれに近い被害を受ける人がいないといいんだが。嫌気がさして、買うのはやめる。



##本日のグレイトフル・デッド

 1969年から1990年までの6本。


1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA

 前日に続いて、ジェファーソン・エアプレインとのダブル・ヘッダー2日め。この日はエアプレインのメンバーも加わってのジャム・セッション状態だったようだが、演奏時間は前日より短かったらしい。セット・リストはやはりいつものデッドのものとは違う。ロックンロール大会。本当の意味でのデッドのショウとは言えないかもしれない。



2. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 秋のツアーの始めで同じ会場で2日連続の1日め。前半最後の2曲が《Dave's Picks, Vol. 38》、後半の大部分8曲が同時に出た《Dave's Picks Bonus Disc 2021》に収録。うち1曲〈Eyes of the world〉は《Beyond Description》にも収録(CD1《Wake Of The Flood》のボーナス・トラック)。


 〈Let It Grow〉は単独の演奏としてはこの日が初演。


 すばらしい演奏だが、とりわけ20分に及ぶ〈Eyes of the world〉が凄い。ガルシアのギターが完全にイッテしまっている。そこへキースがからんでさらに羽目をはずす。これがあるからデッドを聴くのをやめられない。



3. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO

 同じ会場で3日連続の中日。


4. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO

 同じ会場で3日連続の最終日。


 自転車のラッパとカズーによる演奏がオープナー。珍しくダブル・アンコール。良いショウだそうで、公式リリースを期待。



5. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI

 秋のツアーの開幕で同じ会場で3日連続の初日。


6. 1990 Coliseum, Richfield, OH

 秋のツアーの始めで同じ会場で2日連続の初日。


 ブレント・ミドランド急死後初のショウで、ヴィンス・ウェルニクのデビュー。(ゆ)


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