クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:flute

 言葉はあまりよくないかもしれないが、とれたての新鮮な音楽、というのが、しきりに湧いてきた。ひとつにはフルートの瀧澤晴美さんがリムリックの大学院を卒業して3日前に帰国された、その歓迎ライヴということがある。その卒業コンサートで演奏した曲を、ここでも演奏されたりする。

 瀧澤さんのフルートは、たとえば須貝知世さんのそれを思い浮かべてみると、やや線が細く、繊細な感じがする。一方でしなやかで、強靭なところもある。もっとも今回は隣が木村さんで、おまけに木村さんが「新兵器」のメロディオンを持ちこんできたから、その究極とも言える音の太さは強烈で、あれと並んでしまうと、どんな音でも細く聞えるかもしれない。それでも、ソロで、その卒業演奏の曲、曲名がよく聴きとれなかったが、Bobby Gardner の娘さんの曲で、とりわけラストのテンポを落としたところは、繊細かつ新鮮なみずみずしさがしたたるようだ。

 昨年10月末の Castle Island のイベントでのセッションで習ったというジグのセットは伝統曲とリズ・キャロルともう1曲、オリジナル曲の組合せが、実にモダンで新鮮に響く。リズ・キャロルが入ればなんでも新鮮になるところはあるにしても、もう一段レベルが上がって、モダンかつ新鮮になる。たぶん、曲の組合せの効果だろうが、今、アイルランドで演奏されているセットという事実も後押ししているかもしれない。

 レパートリィでも新鮮さは増幅される。2020年の Young Scottish Traditional Awards 受賞のパイパーの作った曲というだけで新鮮だが、〈Toss the Feathers〉のような曲が入ったセットすら、新鮮になるのは面白い。たぶんこういう新鮮な感覚は、ライヴでしかわからないだろうとも思う。これをまんま録音してみても、すり抜け落ちてしまうんじゃないか。

 メンバーが若いことも、新鮮な感覚に寄与しているとも思われる。木村さんが同年代のメンバーを集めたそうで、4人とも20代半ば。やはりこの時にしか出ない音、響きというのはあるものだ。かつて Oige のライヴ盤を聴いたとき、文字通り「青春」まっただなか、という響きに衝撃を受けたものだが、あの感覚が蘓える。むろん天の時も地の利も違うので、音楽が同じわけではないけれど、若いというのは特権的な魅力がある。年をとるとそういうところがよくわかる。

 このメンバーはダンス・チューンでは音のころがし方が快い。フルートは持続音で、あんまりころころところがる感じがしないものだが、どこがどういうものか、この日はジグもリールも、全体としてよくころがっていると聞えた。流れるよりはころがる感じ。ごろんごろんではなく、ころころころだ。この点も含めて、4曲目のホップ・ジグからの4曲のセットがこの日のハイライト。どれも佳曲で、しかも、だんだん良くなる。選曲の妙だ。

 選曲と組合せが巧いのは木村さんのメロディオン・ソロでも愉しかった。楽器の特性を活かす選曲でもある。

 木村さん以外、初体験というのも新鮮さを加えていたかもしれない。フィドルの福島さんはどっしりと腰の座った、安定感あふれる演奏で、頼もしい。どういうわけかわが国の一線で活躍しているフィドラーは女性がほとんどなので、小松大さんに続く男性の登場はうれしい。やはり両方そろっているのが理想だ。時間に余裕があるので、とやったソロも良かった。オープン・チューニングという「反則技」を使ったそうだが、スロー・エアからジグは、有名曲なのに初めて聴く気がした。

 杉野さんのギターは音数が少なめで、ミホール・オ・ドーナルとデニス・カヒルの合体のように聞える。やはりどちらかというとリスナーに向けてよりもプレーヤーに向けて演奏している。後で確認すると、高橋創さんがお手本だそうで、改めて納得。。

 前回の木村さんのライヴと同じく、アイリッシュばかりのセレクションも気持ちが良い。スコットランド人の曲も、アイルランドにいる幼い女の子のためだそうで、あまりスコティッシュの感じがしない。

 清流に浸かって、内も外もすっかり綺麗に洗われた気分。わずかにしても若返った感じすらある。まことにありがたい。ご馳走様でした。

木村穂波(ボタンアコーディオン、メロディオン)
福島開(フィドル)
瀧澤晴美(アイリッシュフルート)
杉野文俊(ギター)

 スコットランドで活動する Tina Jordan Rees のフルート&ホィッスルによるソロ・アルバムのクラウドファンディングに参加。Indiegogo17GBP


 この人はフィドルの Grainne Brady とのデュエット・アルバム《High Spirits》を持っている。




##本日のグレイトフル・デッド

 0407日には1971年から1995年まで、10本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。


01. 1971 Boston Music Hall, Boston, MA

 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。セット・リストは一応二部に別れて記録されているが、長い一本勝負の可能性もある。


02. 1972 Wembley Empire Pool, London, England

 金曜日。2ヶ月、22本のショウからなるヨーロッパ・ツアーのスタート。ツアーの規模、期間、いずれもデッド史上最大最長。音楽の質としても1977年、1990年それぞれ春のものに並ぶ最高のツアーのひとつ。

 このツアーに先立って0321日から28日までニューヨークの Academy of Music で7本連続のウォーミング・アップ公演を行う。そして0401日、エイプリル・フールの日にニューヨークからロンドンへ入った。ツアー全体のリスト。

01. 04-07: Wembley Empire Pool, London, England

02. 04-08: Wembley Empire Pool, London, England

03. 04-11: Newcastle City Hall, Newcastle, England

04. 04-14: Tivolis Koncertsal, Copenhagen, Denmark

05. 04-16: Aarhus University, Aarhus, Denmark

06. 04-17: Tivolis Koncertsal, Copenhagen, Denmark

07. 04-21: Beat Club, Bremen, West Germany

08. 04-24: Rheinhalle, Dusseldorf, West Germany

09. 04-26: Jahrhundert Halle, Frankfurt, West Germany

10. 04-29: Musikhalle, Hamburg, West Germany

11. 05-03: Olympia Theatre, Paris, France

12. 05-04: Olympia Theatre, Paris, France

13. 05-07: Bickershaw Festival, Wigan, England

14. 05-10: Concertgebouw, Amsterdam, Netherland

15. 05-11: Rotterdam Civic Hall (Grote Zaal De Doelen), Rotterdam, Netherland

16. 05-13: Lille Fairgrounds, Lille, France

17. 05-16: Theatre Hall, Luxembourg, Luxenbourg

18. 05-18: Kongressaal - Deutsches Museum, Munich, West Germany

19. 05-23: Strand Lyceum, London, England

20. 05-24. Strand Lyceum, London, England

21. 05-25: Strand Lyceum, London, England

22. 05-26: Strand Lyceum, London, England

 なお、このツアーはメインは演奏が目的だが、観光も兼ねており、バンド、クルー、スタッフのみならず、家族、友人、取巻きなども大挙して同行した。

 全公演の全体が専門のクルーによって録音され、ここからLP3枚組の《Europe '72》が197211月にリリースされた。201109月、巨大な旅行用トランクを模したケースに22本のショウ全ての録音を収めた72枚の CD と2冊の本、様々なメモラビリアの複製をまとめたボックス・セット《Europe '72: The Complete Recordings》が限定7,200セットでリリースされた。さらに、本や付録を省いたボックス・セット "All Music Edition" がリリースされ、その後、個々のショウが CD3枚組ないし4枚組として販売された。現在は nugs.net で個々のショウをファイルで購入するか、ストリーミングで聴くかすることができる。


 この日のショウは《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされ、このボックス・セットに続いて出された《Europe '72, Vol. 2》に、第一部4曲目〈Me and My Uncle〉とクローザーの〈Not Fade Away > Goin' Down The Road Feeling Bad > Not Fade Away〉が収録された。なお、第一部7曲目〈Big Boss Man〉はどういうわけか、ラスト1分ほどが録音されておらず、CD ではフェイドアウト処理されている。また第一部クローザー〈Casey Jones〉も、なぜか録音されていない。他にはこういう「事故」は無い。

 会場は1934年の Empire Games すなわち旧大英帝国の植民地で英連邦加盟国だけのオリンピックのようなスポーツ・イベントのために作られた施設で現在の Wembly Arena。収容人員12,000。当時のデッドには大きすぎたが、二晩それぞれ8,000人のファンが集まった。

 これには前日譚がある。もともとは0405日から08日までの4日間、Rainbow Theatre でのショウが組まれていた。ところがデッドが出発する前にレインボウは財政上の問題で閉鎖されてしまう。一時的な閉鎖ではあったがデッドの役には立たない。代わりのヴェニューはハマースミスの the Commodore と一度は発表された。が、デッドのマネージャー、サム・カトラーが反対する。ここを選んだのはイングランド側のプロモーター John Morris だったが、会場が小さすぎてカネにならない。そこで急遽 Wembly Empire Pool で2日間ということになった。そして、ロンドンのファンにはツアーの最後に4日間、Lyceum でのショウが組まれた。結局このスケジューリングは最高の結果をもたらす。《Europe '72》の大半のトラックがこの最後の4日間からとられたように、ロンドンでのクロージングは歴史的なこのツアーのこれ以上ない大団円となった。

 今年はこのツアーの50周年記念で、大団円の4日間を24枚のアナログに収めたボックス・セットが発表された。

 このツアーではこれ以後も様々なハプニングが起きる。デッドでなければ起きないようなことも起きる。良いことも悪いこともある。

 とまれ、かくて、デッドのヨーロッパ大陸征服が始まる。タイミングとしてはむしろ悪いとみなされていた。この当時、ロンドンの音楽シーンを席捲していたのは「ボラン・マニア」である。T・レックスとマーク・ボランの人気が最高潮に達していた。当時は、その後も何度も繰返される「ビートルズの再来」とされて、無双状態だった。

 レジデンス公演によるウォーミング・アップもあってか、演奏は実にタイトで、絶好調。アウェイでの緊張感もプラスに作用していると思われる。

 特徴的なのは、このツアーで演奏された曲のほとんどは、当時のヨーロッパのファンにとってはまったくの新曲だったことである。ライナーで Gary Lambert が指摘するように、オープナーの〈Greatest Story Ever Told〉はまだ出ていないウィアのソロ《Ace》からだし、2曲目の〈Sugaree〉は前年07月のガルシアのソロからだ。加えて、いずれレパートリィの定番中の定番になる〈Tennessee Jed〉〈Brown-eyed Women〉〈Ramble on Rose〉〈Black-throated Wind〉も、アメリカ国外ではこのショウがデビューとなる。これから行く先々で、その土地のファンは新曲を聴くことになる。当時大西洋を渡ったテープも少しはあったかもしれないが、《Live/Dead》《Skull & Roses》以外のライヴを耳にしていた者はごく稀だったはずだ。

 第一部クローザー前の〈Playing In The Band〉は10分で聴き応えがある。ロンドンのデッドヘッドたちが知っていたのは、《Skull & Roses》収録の4分半のヴァージョンだけだ。前年後半から長くなりだしていて、このツアー中に長く充実したジャムが展開されるようになり、ラストのロンドンでのショウでは倍の20分近くまで成長する。

 第二部はオープナー〈Truckin'〉から半ばの〈Wharf Rat〉まで途切れなし。〈The Other One〉に〈El Paso〉がはさまるのが楽しい。〈Dark Star〉に〈Me & My Uncle〉がはさまるのと同趣向。〈The Other One〉はビートが消えてフリーになったり、またビートが復活したりを繰返す。〈El Paso〉の後ではビートがあれこれ変わった末に完全にフリーになる。

 〈Wharf Rat〉で一段落したところで、ロック・スカリーとサム・カトラーが、通路で踊っている人たちは消防法を守って席にもどってくれ、とアナウンスする。「英国人の節度」は完全に吹き飛んでいた。翌日の Melody Maker は一面トップに新しい特注ストラトキャスターを抱えたガルシアの写真をでかでかと載せ、「デッド、ブリテンに襲来」と見出しをつけた。

 この頃はまだ Drums> Space が無い。このパートができるのは1977年春のツアーだ。

 クロージングの〈Not Fade Away > Goin' Down The Road Feeling Bad > Not Fade Away〉は盛り上がる。GDTRFB へ移るのもまた戻るのもごく自然。2度目の〈Not Fade Away〉ではピグペンもヴォーカルをとり、ウィアと掛合いをする。すばらしい。

 ドナも入っているが、まだ参加する曲はそれほど多くない。後にはすばらしいデュエットになる〈Sugar Magnolia〉もウィア単独で歌われる。

 ここにいるのはブルーズ、フォークからジャズまでカヴァーするユニークなロックンロール・バンドだ。ジャズになっている曲、じっくり歌を聴かせる曲、爽快な疾走感で駆けぬける曲、そしてコントロールの効いた捨て鉢のロックンロール。1990年春になるとこれらが渾然一体に融合したグレイトフル・デッド・ミュージックになるのだが、ここでは各々の要素が明瞭に味わえる実に旨いちらし寿司だ。ガルシアのヴォーカルとギター、クロイツマンのドラミング、レシュのベース、あるいはアンサンブルや曲の基本的な構成といった個々の要素は完成し、油がよく乗って、滑らかに回転している。ウィアだけは変化の途中にある。かれは最初から最後まで変化しつづけた。

 ピグペンも元気で、歌うのは第一部で2曲だけだが、いずれも良いし、オルガンもしっかり弾いている。かれがいることで、選曲、リード・ヴォーカルのガルシア、ウィアだけではない、三つめの選択肢ができている。原始デッドからのつながりでもあり、デッドのルーツの一つであるブルーズへつながるものでもある。こうした多様性、3つの選択肢ができるのは、この他では1980年代後半から90年春までの、ミドランドが「独り立ち」するようになった時期しか無い。

 1969年に完成した原始デッドが1970年にがらりと方向転換して生まれたアメリカーナ・デッドが完成してゆくのがこのツアーである。


03. 1978 Sportatorium, Pembroke Pines, FL

 金曜日。6ドル。開演8時。


04. 1984 Irvine Meadows Amphitheatre, Laguna Hills, CA

 土曜日。11ドル。開演8時。


05. 1985 The Spectrum, Philadelphia, PA

 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。13.50ドル。開演5時。前日、レシュの目の前、5、6列目で「フィルに歌わせろ」と看板を掲げていた男がいて、これを揺らすたびに客席が湧いた。そのため、この日オープニングでレシュとミドランドが〈Why Don't We Do It In The Road〉を歌いだしたので、客席は大騒ぎとなった。全体としても第一級のショウの由。


06. 1987 Brendan Byrne Arena, East Rutherford , NJ

 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。17.50ドル。開演7時半。第一部クローザー前の〈Hell In A Bucket〉で、一度演奏を始めたものの、1分ほどでウィアがやり直しと言って、頭からやり直した。しかし全体としては良いショウの由。


07. 1988 The Centrum, Worcester, MA

 木曜日。このヴェニュー3日連続の初日。開演7時半。WCUW FM放送された。第二部は〈Sugar Magnolia〉の前半で始め、"Sunshine Daydream" でしめくくった。


08. 1991 Orlando Arena, Orlando, FL

 日曜日。このヴェニュー3日連続の初日。21.50ドル。開演7時半。ブルース・ホーンスビィ参加で良いショウの由。


09. 1994 Miami Arena, Miami, FL

 木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。25ドル。開演7時半。


10. 1995 Tampa Stadium, Tampa, FL

 金曜日。珍しく単独のショウ。春のツアーの千秋楽。この後は1ヶ月休んで0519日にラスヴェガス郊外のスタディアムでの三連荘から最後のツアーに出る。30ドル。開演6時。Black Crowes が前座。(ゆ)


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